半年経過のレポート


このレポートは、マレーシア生活6ヶ月目に日本の大学に提出したものです。本文は一切変更していません。(なお、名前は変えています)。

半年経過のレポート

マラヤ大学(Universiti Malaya)
国際関係学部 4年 コタバル


マラヤ大学での生活もあっという間に半年が過ぎ、残り4ヶ月となった。
この半年間、マレーシア語を学ぶことに対して迷いを感じる時があった。つまり、マレーシア語の代わりに英語をもう一度勉強し直そう、と何度か思ったのである。

マハティール・マレーシア首相が外国企業を誘致する際に強調していたように、マレーシア人の英語習得率は高い。私の生活している首都クアラルンプールでは、マレーシア語が話せなくてもほぼ不自由なく生活することができる。「どうしてそんなに通用度の低い言葉を勉強するのだ。」と聞かれるほど、マレーシア語を母国語とするマレーシア人の間でも英語熱が高いのである。多民族・多言語国家で生活するためには、実際のところ国語であるマレーシア語だけでは不十分なのである。

このような状況の中、英語の必要性を改めて感じさせられ、マレーシア語の習得に価値を見出せなくなることがあった。並行して英語を習ったり、マレーシア語をやめてしまう留学生も見かけるようになり、英語を並行して学ぼうと何度も考えた。

しかし、マレーシア語と英語の間には大きな差がある。マレーシア語で話しかけると、相手の反応や態度が英語のときのそれとは全く違うのである。親しみを感じてもらえ、もし英語で話しかけたらこうはならなかっただろうと予想されることが起こったりする。そして、方言があるものの英語を話すことができない田舎に住む人々ともコミュニケーションをとることができる。
よくよく考えると、私はもともとマレーシアに語学だけを学びに来たのではない。大好きな東南アジアに住み、日本以外の国を内側からじっくりと見てみたかったのである。言葉は文化のひとつ。言葉は自分の意志を伝えるだけではなく、その国の文化や社会、習慣や考え方を理解するために必要なのである。マレーシアを理解しようと思うのなら英語だけでは不十分、英語は国語であるマレーシア語には絶対に勝てない。

マレーシア語で話しかけて親しみをもってもらえる時、「マレーシア語をやっていて本当によかった。現地語で会話ができるなんて、素敵なことではないか。」と心の底から思う。マレーシア語を通じて、たくさんの素晴らしい友人を得たことが嬉しくてたまらない。マレーシア万歳!


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99年1月2日掲載