サバ州山越え4WDで8時間


トヨタの四輪駆動車の運転手は客待ちしていたが、筆者以外に客が増えない、「9時だ、出発」 と言って残念そうにエンジンスタート。筆者とっては、ついてるこれで助手席を一人占めできる、わけだ。1人RM80もするから筆者にとっては客が少ない方がいい。(運転手には悪いけどね)

普通、中長距離乗合い車は満席かそれに近くならないと発車させないものなので、これは意外であった。この理由は車が進みKeningauに向かう山道にはいるころに分かったが。

警察の検問

Tawau の市街地はずっと舗装されている。がだんだんと家並みが少なくなる。新しい住宅地を建設している。そのうち警官数人が道路の片側車線をふさいで通過車の検問をしてた。この4WD の運転手は顔見知りらしく「今日は、1人だけだ」 と2,3言、結局我々は検査なし。運転手によれば、検問は「いつもやっている」 。

もう田舎道に入った。運転手が、写真のドリアン売りの屋台前で急に車を停めた。ドリアンを見繕ってたが結局買わなかった。「値段が高いから」だそうだ。聞いた値段は KLより5割ぐらい高いのだ、納得。ドリアンみたいなのはKLの方が安いのかな。
(写真は寂しい品ぞろいのドリアンと運転手)

運転手は車のオーナー

いよいよ山道になった。もう舗装道路ではない。Tawauの乗り場を出てから小1時間、すれ違う車に山道を下ってきた 乗合いバンや四輪駆動車がある。彼はそれらをほとんど知っているらしく合図を送る。すれ違いさま他の車の運転手が何か叫んだ。

「(そういう乗合い車の運転手は)みんな知ってるの?」 「もちろん。俺の車を貸してやっているのもいるよ。この4WDは俺のだ。」 そうか彼は車のオーナーでもあるのか。この運転手はマレー人で歳は40歳ぐらいか、携帯電話を持ち、このTawau − Keningau ルートをもう 6年も毎日行き来しているという。全行程終了後にそのすごさがわかる。

土ほこりにまみれた山道

筆者には聞き取りにくい発音のマレーシア語である、しかも筆者の語彙不足をさとってか、たぶんそのせいもあって両者しばし寡黙な時間。
車はいよいよ本格的な山道に入った。乾いた土の道がくねり上り下りとまことに忙しい。前に車が走行していたり対向車、四輪駆動とピックアップトラックがほとんどだが、とすれ違うと、それとばかりそれまで開いていた窓を閉めなければならない。すさまじい土ほこり、運転手はすかさず車のエアコンのスイッチをいれる。よかったエアコンが働いていて。エアコンなど期待してなかったのでほっとする。

もう完全な山中、道の両側はパームツリーのプランテーションが続きそれがいつのまにかサバンナのような草原になりまたプランテーションにかわる。

次第に増える乗客

突然運転手がプランテーション農園の脇道へ車を進めた。誰かをピックアップするらしい。すれ違った同業者の情報だそうである。こんな山中にも人は住んでいる。と小さな高床式共同長屋の前に車は着き、2人の幼児を連れた女性と老人1人を乗客に加えた。恐らく農園で働く少数民族の住居であろう。電気も水道もあるようには見えない。日本の犬小屋の方がいい造りといえる、こういう写真をとるべきかと、迷っているうちに時期を逃した。

しばらくして道路端の小屋で若い男1人、こうして真ん中の座席は埋まった。車は進む、行けども行けども同じような山道、時折木材の切り出し場が目に入る。切り出した木材が山積みされている。それにつれて巨大な木材を満載したトラックに遭遇することが多くなった。トラックは坂道をあえぎながらゆっくり上っていく。カメのごとくのろい、われらが4WDは砂塵を避けるため、急いでウインドウを閉めそれを追い越す。それでもこの砂塵は車に侵入してくる。Keningau に着いたときは頭髪と顔はほこりにまみれていた。

バスは走行不可能な道

坂が急だと運転手はエアコンを切って馬力をセーブ、こんな山道たしかに4WDかピックアップトラックのような車でないと難しい。Tawauからコタキナバル行きがすべてサバ州を反時計周りに走る理由に納得がいく。この道路を普通のバスが走行するのは不可能だ。筆者は、「バスはとても無理だね」 運転手得意そうに、「もちろん、こういう四輪駆動車でないとだめだ。」

Tawau を出て2時間後、始めて村落に入った。道の両側に学校やモスク、店を眺めながら車は通過。手を挙げて車を待つ客はいなかった。この村落がKeningau に着くまでに通過した唯一の村だとはその時想像もしなかったが。
また急な山道になる。凸凹と上りと下りの連続、ほとんど自動車ラリーの世界である。

山間の茶店で昼食

ちょうど1時、Tawauから4時間、山間の小屋の前で運転手は車を停めた。「Makan 飯だ」 といって彼はさっさと車を降りて小屋の中に入っていた。道路端に3台ほど四輪駆動車とトラックが停車している。筆者も腹が減っていたのでいいアイデアだ。

一応メニューがあるがマレー飯、RM3 ですます。こんなところ水道などあるはずないからすべてため水か井戸だろう。一応トイレは家屋内にあったので借りる。洗い場を見ない方がよかった。

店の女主人らしきが、旅行者然としている筆者に尋ねる。「Dari Mana どこから来たの?」 このルートは旅行者はまず来ないであろうからね。地元の人たちが町へでるためか木材切り出し場やプランテーションで働く人、そして商売人がこの茶店の客のほとんどであろう。 「Dari KL、Sangat Jauh la. KL からさ、本当に遠いね。」 「Makan angin ?休暇旅行か」 「そうさ」 このサバの山中から考えるクアラルンプールはもう外国以外のなにものでもない。

すぐ近くに軍隊の小さな駐屯地があった。ひとごとながら軍人も大変ですな。

行き先指示板のない道

20分後車は出発。そしてこれが運転手の最初で最後の休憩であった。Keningau まで8時間走行、その内7時間近くはラリーのような道、そこを1回だけの休憩で走りとおす。時折たばこを吸い、口静かに黙々と運転している。筆者にはとても無理ですな。

どちらにしてもこの山道走行、他所からの旅行者が自分だけで車を走らすのはほとんど無理なのでは。途中でいくつかの三叉路に遭遇するのだが、行き先がまったく掲示されていない。道を知ってないとどこへ行ってしまうのだろうか。

後半の4時間は前半よりけわしい山道である。追い越す、出会う木材満載のトラックが増えた。途中でさらに乗客を拾い Keningauに着いた時は満席だった。単調な景色であるから眠たくなりそうだが、これだけカーブと上下道が多いとそうはならない。

サバ州の過疎地の広さが実感できる

サバ州の広さと過疎地の辺ぴさを実感できる。飛行機でコタキナバルへ飛んでれば、サバが単なる数字上での広さで終わってしまうところだった。このTawau−Keningau 山越えは今回のサバ州一周旅のハイライトでした。RM80は価値ある8時間であった。8時間と言えば、半島マレーシアの南端ジョーホールバルから北端のブキットカユヒタムまで南北ハイウエーを走行できる時間だ。

筆者にとってラッキーだったのは、8時間ずっと助手席に座っていられたことである。もし後部座席の硬い狭い座席に詰め込まれたら、8時間は非常につらいものがある。そして運転手が車のオーナーで且つベテラン走行者なので安心してとなりに座っていられたことだ。

これが若い経験の浅い飛ばし屋運チャンだとおちおちと景色を楽しんでいられなくなる。今回はそれに乗り合わせた客層にもついていた。鶏なんかを持ち込んだ客ととなりあわせに座るのは避けたいものですが、まあどんな運転手にあたり客と乗り合わせるかは運次第ですね。

ちょっと付け加えておけば、こういう旅はもちろん一般的ではありません。マレーシア人は旅に対して保守的なので、わざわざ時間のかかる、快適でない、不便な行程を選ぶ人はいないでしょう。こういうことをやるのは欧米や日本人バックパッカーか旅マニアでしょう。もし読者の方で、こういう旅に興味あればなさるといいかもしれません。ただ8時間の車ゆれを意に介さない方でないと途中で後悔しますよ。

クニンガウに到着

Keningau に近づいた。Aokanという村のあたりからようやく平地走行になった。30分後 Keningauの中心、車乗り場に到着。5時を少し回っていた。運転手に、「ほんとうに8時間かかったね。Terima Kasih 」 といって車を降りた。

Keningau の町は意外や10階建ての新築を含めてホテルもけっこうあり、こじんまりとした町で、食堂もたくさんある。スーパーマーケットもカラオケクラブもビリヤード場もあり、もう山間の僻地ではないことを実感する。ここからコタキナバルはバスで3時間だそうである。

筆者の泊ったホテルは新しいショップハウスの上にできたきれいなホテル、めずらしいタイプです。(写真のビル手前の2階以上がホテル)RM60で十分きれいな部屋、その日はついてた。

97/11/30