そうこうしているうちに車はLahad Datuに着いた。サンダカンから 2時間半、料金 RM15でした。雨のふる中、市場の前で全員下車。(右の写真が中央市場正面)
Lahad Datu、 観光局のパンフにも名前だけ載っており、着くまでは地図でしか知らない町であった。セレベス海に面した湾の奥まった所に位置する、30分も歩けば町を一周できてしまう何の変哲もない小さな港町である。
恐らく、雨季以外でもたくさんの旅行者がやってくることはないであろう。事実きれいなホテルと呼べるのは新築の1軒(1泊RM100)しかない。筆者の泊った昔はまあまあだったと思われるホテルを含めて、普通の旅行者が満足できるようなホテルはほとんどない。
ただ地図上でみるとこの町が、比較的有名な広大な熱帯動植物保護地域である Danum Valley 訪問への基地でもあるのだが。しかしそういうツアーを掲げたエージェントが街に少ない。
チェックイン後雨が止んだので、ぶらぶら街を歩いていると、見所がないなかにも興味深い点に気が付く。サバ州はこれまで歩き且車窓から見たところ、半島部に比べればモスクが少ないが、この町のモスクはちょっと貧弱である。すぐ近くに建っている中国寺院に、俗な言い方をすれば、みおとりする。
無理もない町の商店の数は中国語の看板をでかでかと掲げた中国系店が他を圧倒している。サバ州の田舎町でも中国系の経済力の強さを実感しました。
Lahad Datu にも開発が及んでおり中央市場はコンクリート造りのりっぱな建物、日曜日にもかかわらずにぎやかである。その脇に珍しい市場を見つけたので写真に撮りました。Pasar Ayam つまり鶏類だけを扱っている市場なのだ(左の写真)。もちろん生きたまんまですよ。
町の店舗は1階が店のショップハウス形式がほとんどであるが、木造の一角を除けば、それほど古くは見えない。またショッピングセンターらしきも建設中である。規模以上に街に息ぶきを感じます。
それから、街のいたるところで立ちんぼでたばこを売っている女子供が目につくのです。顔つき態度から推量して、恐らくフィリピンか少数民族の人たちであろう。たばこ1箱売っていくらのもうけがあるのだろう。
ムスリムの女性でもスカーフ姿が極めて少ない、半島部の東海岸とも違う町のいきぶき、ここはサバなんだな。
波止場近くを歩いていて警察か軍隊とおぼしき建物を見つけたので、用心しながら構内へ入っていて庭に立つ旗を眺めていたら、建物中から筆者を呼ぶ声がする。怪しいものと思われたらまずいので、「Saya tourist 旅行者ですよ」と答える。若い係官が歩み寄ってきたので、「Bangunan ini apa この建物はなんですか?」 「Marine Polis 水上警察さ」
警察か、あまり関わりたくないが感じのいい警官だったので、しばし立ち話し。「どこから来たの?」 「クアラルンプール」 「誰ときたの?」 などなど、そのうち、波止場に入ってもいいと言うので遠慮なく入らせてもらう。こんな時でないと中は見れないからね。
警備艇などが停留してある。他に2,3人警官がひまそうに茶飲みはなしをしていた。湾の向こうに水上家屋集落が見えるので尋ねると、「フィリピン人だ」とのこと。やっぱりね。
長居してもまずいので去り際に、「写真とってもいいですか」 「もちろん」と喜んでポーズを取ってくれました(右の写真)。マレーシア語で話してたので、筆者を最後までマレーシア人と思っていた気さくな警察官、ありがとうね。
サバ州の水上警察はある意味では命懸けである。半島の新聞にもごくたまに載るが、スルー海、セレベス海は”海賊”が出没するのです。
ちょうどこの時もサバ州の地元新聞が、小島の村を襲った海賊の捜索にいった水上警察が、海賊と交戦しM16ライフルで一人撃たれた、と報じていました。昨年だったかな、Semporna の町が海賊の一団に襲われて、連邦政府が急遽機動隊を送り込んだことがあるくらいです。
大衆食堂やコーヒーハウスで食べる日常飲食物の値段が安くない。クアラルンプールから遠く離れたこのサバ州の田舎町で、そういう価格がKL並みというのは意外であった。ここの人たちエンゲル係数高いだろうな。
尚サバ州を一周して分かったことですが、サバ州のこういう店での飲食物価格はKL並みである。半島マレーシアの東海岸より明らかに高いのです。
看板の文字 "SABAH CHIKEN RICE" に曳かれて夕食を食べた店です。きれいで混んでおり、鶏飯(日本のチキンライスとは全く違います)がたいへんおいしかったので写真にとりました。