Kuala Kraiの中心部から多少離れた所、といっても徒歩数分、に警察署があります。その前も警察の施設で田舎の町にしては随分と立派です。でその警察署前の道路が警察署の斜め前で行き止まりになっています。そこがもう Sungai Klantan川岸になります。
Tanga Krai書かれた門構えの右写真が、その川岸にあるボート乗り場です。で私はそこがてっきり上流へのボート発着場と思ったのですが、そうではないのです。この門の左の小道を数十メートル下った川辺の一角が上流へのボート発着場です。
川辺一帯は水上に浮かぶいかだの上に作られたバラック建て民家となっており、その前か横にこれもいかだ式の足場が取り付けてあり、そこに到着したボートが横つけされるのです。(左写真)
この Sungai Klantan川を航行するボートは100%が川沿線の住民の足なので、標識類は一切でておりません。ボートが係留してあるので一応発着場とは推測できますが、どこへいつ出るのかは、聞かなければまったくわかりません。もっともそこらにいる住民に聞いてもよくわかりません、まず彼らのマレーシア語が強いクランタンアクセントであることでまことにわかりづらい、そして発着時間などだいたいしか決まってないので、「朝10時半ごろにある」そんな感じです。
川辺一帯はゴミでうまり、且つ川の増水でボート乗り場までは写真のように板一枚の渡ししかないのだ。足元まことに不安定で、落ちればゴミ水の中でずぶぬれになる。(右の写真)
前日乗り場付近の住民に何回も尋ねて目的地の Dabong行きのボートがあることを確かめておいたのですが、どうも答えがいま一つであったので、警察署へ行って警官に同じようなことを尋ねて確認しておきました。雨期の雨がこのところ続いており、しろうとが見ただけでも川の水位が相当上がって増水していたので、心配になり尋ねたのですが、所詮彼らにとっていつもの出来事、まったく心配していませんでした。
翌朝すでに小雨が降っており、本当にこんな天気でボートが出るのか半信半疑で、Dabong行きの係留場へ行ったのですが、すでにDabongから着いてるはずのボートの姿はない。前日尋ねた乗り場前の民家の男は「今日はボートは来なかった」と言う。要するに大雨で出発できなかったようだ。「まあこんなものさ」とあきらめるしかない。
しかしこの川下りのためにここまで来たので諦めがつかない。隣のボート乗り場にはボートが停まっていたので、近くの男に聞いてみると、「Kuala Gris行きのボートが午前中に出る」とのこと。Kuala Gris ってどこなのか、手元の地図にも載っていない、場所を尋ねてもらちがあかない、でもバス便はないがKTMマレー鉄道の駅があることを知り、Dabongより下流にある村らしい。まあ鉄道があればこのKuala Kraiか Gua Musangへたどり着けるので、そのKuala Grisへ行くことにして、ボートの出発を気長に待つ。
小雨が断続的降っているのでボート乗り場の屋根下で新聞読みながら、時には人々を眺めながら時間を過ごす。ボート待ちのおばさんが話し掛けてきたが、いかせんそのクランタン方言では会話が長続きしない。
この川岸には10世帯くらいの民家が水に浮かんでいるが、まあ家というより小屋といった方がふさわしい、電気はきているのでテレビの音が聞こえるが、水道はもちろんない。そこで左写真にお見せするように、男たちが水浴をボート乗り場の板場で始めた。トレーナーのパンツ一枚になり、体中に石鹸をぬり頭をシャンプーしながら、チョコレート色の川から手桶で水を汲み体にかける。小雨で涼しい中だ、これは寒いことだろう。
民家の屋根下には川水であらった洗濯物がたくさん干してある、この雨が降り続く中、乾くのに日にちがかかることであろう。トイレは文字通りの”水洗トイレ”だ、木で囲った簡単なボックスの下は川、ひもを引かなくても水中にものは消えていく、すぐ近くで男たちが体を洗っている。
東南アジアの田舎でおなじみの光景、それ自体には驚かないが、あるいて1分のところには鉄筋の立派な警察署が建ち、警官がホースで車を洗っている、さらに町中心まで徒歩5分、そんな所に、まだこのような民の生活が残っているのだ。マレーシアはやはり東南アジアなのだ。
1時間半近く待ってようやくボートが出発することになった。乗客は中年のおじさん、先ほど私に話し掛けてきたおばあさん、子供連れの親子、10代の若者3人、私の8人、そしてボートの船頭。若者以外はみな買い物した食料品をいっぱいボートに乗せている。
でも小さなボートが満席でなくてよかった。ライフジャケットなんてもちろん備え付けてないし救命ブイもない、それにこの日は川がしろうと目にもはっきりとわかるほど増水しているから、もし満席近くだったら、ボートに乗るのはやめようと思ったぐらいである。左がボートの写真。
ボートはエンジンを響かせて浮き乗り場を離れ、川を上っていく。ボートの最後部に乗ったので、「しまった、ちょっと失敗」、後部はボートのたてるしぶきがよりかかりやすいのだ。それに小雨が降り続いているので、体は少しづつ濡れていく。
ボートの船頭は川の真ん中を時には左側をとコースを変えながら、走らせていく。まあエンジンのうるさいことだ。川の両岸はジャングル、丘陵地とつづく、ごく玉にその中に家らしきが見え、その近くの川岸には手こぎボートが係留してある、そんなところでも人は住んでいるのだな。
川岸は自然のままであるから、樹木が河岸に追いかぶさっている、増水のためであろう、樹木の上部だけを水上に出している光景が絶えず続く。ボートを直接接岸できる程度に川岸がひらけている所はまったくない。(右の写真)
Taman Negaraへ行く時のルート、Kuala Tembeling波止場からKuala Tahanまでスピードボートで航行する風景よりもっと変化のない且つ面白味のない風景だ。でもそれが自然のジャングル丘陵地を抜けて流れるこの Sungai Klantanのありのままの姿なのであろう。 川岸も沿岸も開発されてないのだ。川の水はチョコレート色、つまり泥色でどこまでいっても色は変わらない。水の流れが速い、時折地面から自然に抜け落ちたであろう樹木が流れてくる、これは危険である、そんなのにボートが触れたらひっくり返り、全員一環の終わりだ。船頭の経験と注意力に全てをまかすしかない。地元の人たちはそんなことは気にしないであろうが、やはり私には気になる。
上流から来るボートにすれ違うことはほとんどない、大雨と増水のため航行そのものが今日は少ないのだろうか、多分もともと航行数自体が少ないのであろう。
途中から雨が本降りになった。横から降りそそぐだけでなく、ビニール屋根天井にたまった雨水が座席内にたれてくる、もうさんざんである。万が一のために携帯していたビニールかっぱを取り出して着る、これがなかったらびしょぬれになって、きっとかぜをひいたであろう。
走るボートの受ける風、雨で濡れた身体、増水の不気味さと、心中あまりのんびりには構えてはいられない。早く着いてくれないかな、と願ううちに目的地のKuala Grisに着いた、いやほっとする。このボート係留場兼乗り場もいかだ式になっており、片側が民家、踊り場がボート待合所だ。そこに足を載せるるまでもボートは揺れ、大雨は降り、足場はまこと不安定、下船が一苦労である。
雨が小ぶりになるまでこの踊り場で待つことにする。先ほどのボートの船頭はこの民家の主なのか、するとこれが彼の唯一の収入源? 約1時間のボート運賃は1人 RM2.5であった。
このボート乗り場兼民家から川岸までは10mぐらい離れている、というより川水のなかに浮かんでいる、川が増水しているからで、乾季はこの乗り場から川岸までは歩いていけるとのこと。写真にお見せするように、小さな壊れた小船が浮かんでおり、これに乗って川岸までたどりつくのである。いやこれが難しい、小船の中は水が溜まっており座るわけにはいかない、岸から渡したロープをたどりながら不安定な小船に中腰でたち岸にたどりつくのだ。乗客の老婆はいまにも落ちそうになったくらい不安定。別に水に落ちたからといっておぼれるような深さではないだろうが、ずぶぬれになる。一人か二人しかいっしょに渡れない。こんな危険で不安定なボート乗り場がこうやって毎年毎年浮には続けられているのだ。住民はこれをなんと思っているのだろう。
私は雨が止むのを30分ほど待ったがいつまでたっても止まないので、あきらめて岸に渡ることにした。地元の子供がロープ引きを手伝ってくれた、そうでなければとても一人じゃむりなサーカス芸だ。
この岸から Kuala Grisの村中心部は小道を数分歩き、KTMマレー鉄道の線路を超えた所にあった。くるぶしまで水につかった小道を歩き、ようやくKTM駅舎にたどり着く。ビニールかっぱ様様である。駅舎といっても廃虚と同じ、写真にお見せするようで、駅舎の一部が列車到着まえに開いて、切符を売るのだ。
Kuala Gris村は住民500ほどの村だそうだ。雨のため歩き回ることもままにならず茶店で雨宿り、するとおじさんが私に声かけてくる、見ると先ほどのボートの客ではないか。茶店のおやじだったのだ。ラマダン中なのでコーヒーもティーもない。電気の切れた冷蔵庫からパックジュースを取り出して金を払う。この村はバス便がないのだ、一日数本の鈍行列車とあのボートだけが、町とつながっていることになるわけだ。
雨ですることもないしということで、1時間ほど待ってやってきた汚い鈍行列車に乗り1時間半ほどで Kuala Kraiに戻ったのです。