Kota Bharuコタバルの案内 -その3 (2012年編)
コタバル川の渡しボート及び Kampung Laut村の風景
左:コタバス市内の有名地 Istana Balai に面した広場の入り口に設けられた門、
右:下記展望塔から撮ったPadang Merdeka, その背後が Istana Balai
上右写真の広場(Padang Merdeka)の背後ともいえる所はコタバル川の河口付近です。 この場所の河岸は整備されて、ホテルや店舗兼住居ビルが建ち並んでいる(下写真)。黄色い屋根の小屋は貸切の民間ボート乗り場のようです。
ホテルと商業ビルが建つ地の横には展望塔が建っており、入場料RM 1で遠望が楽しめる。 その展望塔の足元、つまり川岸には小さな公共ボート乗り場がある。
上左:川岸に建つ展望塔から写したコタバル川と河岸風景、 上右:同じく展望塔から撮った Sultan Yahaya 橋方向の構図です。
上左:展望塔のすぐ足元にある Kampong Laut 行きの公共ボート乗り場、 渡しボートが小屋に接岸するところです。
上右:ボート乗り場の小屋に掲げられたクランタン州の役所が運行していることを示す看板 「海洋波止場、民間防衛庁、クランタン州」
ここまでの写真は2012年6月撮影
上左:渡しボートから撮った展望塔と税関の建物(最上部がドーム型になっている)、 上右:展望塔とその右の建物は Ridel ホテルです
上左:エンジン付きボート、見ただけで長年使われていることがわかる、 小屋には運行時間表が掲げてあるが守られていない
上右:渡しボートの内部、 壊れた?救命ジャケットがいくつか天井棚に載っている。
Kampung Laut (村)
Kampung Laut (村)はコタバル市には属しておらず、行政上Tumpat 郡に属する。コタバル側から眺めると一見島のように思えたが、 Kampung Laut (村)に渡って村内を歩いたら、村は道路とその先にある橋でコタバルとつながっていることがわかった。つまり川で分けられた対岸地でした。バスも運行されていると、村人は言うので30分以上待ったが一向にくる気配がなく、また波止場まで歩き、ボートでコタバルに戻りました。 上4枚の写真と以下の写真は全て2012年10月撮影です。
上左:コタバル川対岸に Kampung Laut (村)が見える、 その Kampong Lautまでは10分程度の乗船時間
上右:渡しボートが発着する Kampung Laut 側のボート乗り場。ボートはこの2地点間だけを運行する
上左:Kampung Laut 側のボート乗り場のすぐ近くに新造らしい波止場がある。しかし渡しボートはこちらの波止場は使わない
上右:Kampung Laut(村)で撮った家屋の写真。いかにも村の家という印象を受ける
上左: Kampung Laut(村)の家屋の写真、こちらは建ててそれほど古くはないと思われる
上右: Kampung Laut(村)の内部を歩いていて見かけた 保健所・医院
クアラルンプールに戻った後日に知ったことです、クランタン州のこの Kampung Laut(村)は、国内の Serunding生産の中心地だそうです。道理で村内のあちこちに Serundingの名称をつけた零細加工所の立て札をたくさん目にしたわけです。 スルンディンと発音する Serunding はマレー人の伝統的食品であり、イスラム教の祝祭時には消費が増えるようです。 Serunding の原料には牛肉 (daging)、 鶏肉 (ayam), 魚肉 (ikan) の3種があるそうで、下段に載せた写真の看板にもそれが明記されている。
Kampung Laut(村)に数ある零細な食品加工所の1つで声をかけたら、快く内部を見せてもらうことができ、写真を撮りました。以下の写真はいずれもその際のものです。
上左: 加工所の主が大鍋で肉を茹でる準備をしているところです。主に尋ねると、牛肉はマレーシア産ではなく輸入ものとのこと
上右:隣のかまどの鍋では、肉はすでに茹で上がって冷ましている状態です
上左:加工場の内部はこのようにいくつものかまどがある。このとき働いている人は全部で3人だけでした。
上右:挽肉状にした肉を鍋で炒めている写真です、この際に味付けもするようです。このように短く細長い状態になればできあがりです。
上左: この加工場の入り口に掲げてある看板です。家畜産業の企業家育成プログラムという 表題の下に、 Serunding Daging, Ayam, Ikan (牛肉、鶏肉、魚のスルンディン)と書いてある。さらにその下にはオーナー名と住所が載っている。 農業省と家畜サービス庁のロゴも描かれている。
上右:この日は Kampung Laut (村)に市が立つ日だったようで、中心部では市が開かれていた。 その様子を撮った写真です。
2012年10月7日初掲載