女性不平等・差別の現状へ抗議の声 ・スランゴール州訪問年を応援し、一方その欠点もつく
マレーシア人の海外旅行嗜好を日本旅行を主に探ってみる ・ペラ州をぶらついてみる ・インターネット規制をすぐ論議にしたがる社会
WAU作りの村を訪ねて、村人の人の良さに感心する ・ クランタン州の田舎を歩いて出会った人と遭遇した出来事 -前編-
クランタン州の田舎を歩いて出会った人と遭遇した出来事 -後編-
まず次の痛烈な批判をお読みください。
この国の女性の運命の多くは権力機構の外での活動家の手に残されています、彼らは優れているかもしれませんが、女性に益あることをするためにかくも長き時間がかかるのです。
中略
女性に金をつぎ込めば、女性は良い生活を得られると思いこんでいる女性がいることをいささかおかしく思います。
全女性によりよい環境が出来上がらない限り、金が我々女性の問題を解決しないのです。女性が必要とするのは、我々が市民として男性と対等な地位を女性に与える立法化です。そうするために我々は女性自身による指導力を必要とします。しかし現在悲しむぐらい欠けています。
中略
私は特権で守られてきたかもしれない、しかし確実に次ぎのようなことを承知しています、それは全く不利な立場に置かれた女性たちがたくさんいるということをです。私の場合よかったということから彼女たちの経験なんて関係無いと思うようなことはしません。
中略
昨年私(Marina女史)は乳児の娘のパスポート申請に(日本の旅券課にあたる) Imigresenへ行きました、しかし私は女性であることから申請書類に署名を許されませんでした。外国人である夫がマレーシア人である娘にマレーシアパスポート申請を認める権利があるのです。これは誠に皮肉でおかしくもある。法のもとで私が母親であることがいかに取るにたりないかをこれは示している。
実際、私の娘はこのマレーシアで生まれたということからだけによって、マレーシア人(国籍)である。娘の母親がマレーシア人であるから、そして娘はマレーシアで生まれたからということから彼女は国籍を得ているのだとの印象をずっと持っていた。しかしこのパスポートの1件から、私がマレーシア人であることは重要でないのです。
我々の女性リーダーたる人たちがこういう現実の問題を知っているのだろうか、女性リーダーの誰として女性問題を的確につかんでいることを私には印象付けていません、しかし彼女らは言う、もし選挙で選ばれたら、その時は女性問題解決にもっと貢献できると。これまでの女性リーダーの多くの歴史を見れば、彼女たちは多くはできない、しかし向上はできると思います。
中略
私はたくさんの偉大な女性を思う浮かべます、しかし彼女たちは政治にかかわっていないということから(女性指導者)選択の中に加わっていません。それゆえ我々はものすごく限られた選択の中から女性指導者を選ぶのです。そしてその人たちが選挙で選ばれたら、本当に何でもやってくれるのか、我々はそのことに確信を持てません。
以上はマレーシアエイズ協会の会長として積極的に活動し、一般にもよく知られたMarina Mahathir女史のコラム「女性指導者はどこにいるのだろうか」の一節です(3月1日付け The Star)。彼女は父親のマハティール首相とは違って全く非政治的存在です。さらに政治とは距離をおいて、彼女は様様な社会事象に対してよく鋭い指摘を書いています。
この一コラムで描写されているように、マレーシアの女性権利はこれまでの筆者の知識からも、イスラム的思考、封建的考えからなら別でしょうが、西欧的視点から言えば受け入れがたい面を残していると感じます。
例えば筆者が加入しているマレーシアのあるメールグループが配信している最近のメールにこんなのがありました。AliranというNGO女性団体が配信した、「マレーシア国籍:女性への差別」というものです。
市民登録庁の長官は、国外で出生したマレーシア人の子供に関する説明のなかで、マレーシア男性のみがその子供をマレーシア人として登録する権利があると述べています。Aliranは女性への差別は市民権までに及んでいると指摘したい。
市民権に関する現行法は外国人と結婚したマレーシア女性がその子供にマレーシア国籍を授けられるのは、子供がマレーシアで出生した場合に限られる、と規定しています。一方外国人と結婚したマレーシア男性は、子供がどこで生まれようと(つまり国外でも)そのマレーシア国籍を子供に授けられるのです。
これは誠に平等ではないし外国に住む外国人と結婚したマレーシア女性に多くの問題を生むのです。マレーシアは国連主催の女性に対する差別撤廃に関する会議の調印国です、(ただし留保はしている)。マレーシア政府はこの会議の内容を施行することに法的責任があるのです。女性差別を含んだ現行の市民法が今尚継続しているのはどうしてでしょうか?いくつかの女性団体は法の改正を要求しているのに。
親権法は最近改正されて、母親も父親と共同でその子供の親権者になれるようになった。だから母親がそのマレーシア国籍を子供に伝えられるようにならねばならないのです。
以上
ごく当たり前のことで取りたてて訴えるべきものではないように感じられるのに、現実は違うということですね。マレーシア人と結婚を考えておられる方は、こういう知識を蓄えておかれたほうがいいでしょう。
筆者はこれまで、コラムと「新聞の記事から」で法律上でのマレーシアの男女不平等面を書いたことが多少ありますね。
こういった問題はある人には誠に切実な問題ですが、ある人には全く関係ないと感じることになり、少数派がこの壁を如何に打ち崩していくかの時、非常に困難な面にぶちあたることになります。上記のMarina女史の娘のパスポート申請の件で言えば、外国人と結婚してない多数のマレーシア女性にはほとんど気にならないことですし、外国で出産するマレーシア女性はより少ないことから、国籍問題は多数派の興味を引きませんね。
一生に一度始めてのパスポート申請がメッカへの巡礼旅行という地方の中年以上のマレー人はまだまだ多いことです。親戚などの住んでいる南タイへはパスポートなしでも国境通行証提示だけで行けますし、それ以外の外国へ行くこと自体まれですからね。そういう女性にとって、パスポート申請が夫であろうとなかろうと関係ないでしょうし、ましてや外国での出産など全く関係ないですからね。
華人社会で言えば、姓名の伝達は必ず夫側の姓になります、華人社会は女性の経済的自立が一見結構高いように見えます、実際そうでしょうが、家とか権利に関する伝統的価値観に対する保守性は、いいとか悪いではなく、極めて硬いのです。私の知る結構リベラルな生活をしている華人女性でも、いわゆる華人伝統的価値観は硬く守っていますね、ですから離婚や出産で子供の親権などにぶち当たらない限り、マレーシア法の男女平等性に気がつかないわけです。
所得税の申告では、どんなに妻が稼ごうと夫が無職であろうと、税の申告面では夫の番号下に併合されてしまいます。日本のように夫婦のどちらかが扶養を選ぶことはできません、妻は初めから扶養控除の対象であるのです。筆者は税務署でなんどもこの非合理性を係官に話しましたが、誰としてその意味を理解してくれませんでした。こういう意識が基調として残っている社会ですから、西欧的合理性を訴えると、時にフラストレーションを感じざるを得ません、それ自体がマレーシアで適切かを考える契機になりますね。
合理的であることが全て進んでいるとは言えない、ことは筆者も同意します。ほとんどの人間社会がその歴史と慣習と宗教を受け次いで入る以上、合理性だけでは話は進みません。しかしそういっておれば全ては変わらない、変わらなくてもよいことにもなってしまいます。
ある社会、ここではマレーシア社会ですが、の不平等面、不合理面はその社会に深く根ざすものだから残すべきなのか、それとも現代社会が進めば進むほど外との接触が多くなるので、意識改革して変えていくべきものか、まこと難しいことですね。
いずれにしろこの判断はマレーシア国民にお任せしましょう。
今年2000年は Visit Selanogr Yearです、他に Visit Sabah Yearでもあります。簡単に言えば、スランゴール州が観光促進として州内の観光地、旅行地を国内外に売りこむ年なのです。そのため州政府はTMS2000有限会社という州出資の会社まで設立して、このプログラムを熱心に推進しています。これ自体はたいへんよい試みですから筆者もここで応援しておきたいと思うわけです。
ただ外国人旅行者がVisit Selangor Yearだからマレーシアを訪れることはまず考えられません、第一マレーシア内でのスランゴール州の位置をご存知ない外国人旅行者が99%でしょうからね。マレーシアを訪れたらたまたまVisit Selangor Yearだから、州内の観光地を周ってみようか、というのが大多数の外国人旅行者でしょう。
クアラルンプールは連邦直轄市ですからスランゴール州にはもう属していませんが、周りをぐるっとスランゴール種に囲まれていることから、スランゴール州観光の拠点になるのは極めて自然ですね。州都シャーラムはきれいに区画割され混雑や猥雑度のまったくない”健康な町”ですが、その分面白みがないのは誰もが認めるところです。ふらっと町歩きする、買い物するような場所はごくごく限られています。ビジネス客とか特別の用事、興味ある旅行者以外では、シャーラムに宿を取る人は外国人は無論、マレーシア人観光客でもごく少ないでしょう。シャーラムの州立モスクなどの観光もいずれもクアラルンプールからの観光バス・バンで行うのが一般的です。尚自由旅行者のためのシャーラム観光案内は「州都シャーラム」を参考にしてください。
注:このコラムで参照するページと項目はすべて、旅行者・在住者のためになるページにある 「スランゴール州の案内」ページ内の各項目です。
さて州政府はスランゴール州内のいくつかの観光地を国内外の旅行者向けに広めようとして、各種のパンフなどを発行して宣伝しています。スランゴーール州の観光地といえば、まずクアラスランゴールでの蛍鑑賞ですね。ついでシャーラムのモスクかな、後はペタリンジャヤにあるSunway Lagoon、Miens Wonderlandの両テーマパーク兼ショッピングセンター、いくつかのゴルフ場、さらにずっと落ちてクアラスランゴールの自然公園でしょう。スパンのF1サーキットはレース開催時期以外は観光にはまだむいていないし、そこまでの一般交通機関がないですね。それ以上ご存知の方はまずほとんどいらっしゃらないでしょう。尚クアラルンプールに隣接した場所にある国立動物園とバトゥ洞窟はクアラルンプール観光と同一視されているので除く。
上記以外に、クアラルンプール市郊外の森林研究所FRIM、クアラスランゴールのMelawati丘、クタム島、インダ島のマングローブ湿地帯、さらにSepangの村でのホームステーなどが、スランゴール州政府下の観光案内パンフでは売りこまれています。その他にもまだいくつかあるが外国人向けとしてはここに名前をあげたくらいでしょう。
で第二グループとでも呼ぶべきこれらの訪問地になると、一般旅行者にはほとんどなじみのないことになりますね、さらに自由旅行者でも相当旅慣れていないとこの地区へ自分で行くことは難しいのです。ですから蛍鑑賞と同じように旅行エージェントのお世話になる場合がほとんどでしょう。
ホームステイといえば、Visit SelangorのプログラムではBanghuris Homestay Villageを紹介し売込もうとしています。その内容は「VIsit Selangor2000にちなんだツアーの紹介」の新項目をご覧ください。
このSpangにあるホームステー村を自力で訪れてみようと、去年筆者は挑戦したことがあります。Banghuris Homestay Villageを紹介する簡単なパンフレットを入手したのがきっかけで、ひとまずどんなところか実際に見てこようと思ったわけです。旅行代理店に頼めば相当費用がかかりますから、そんなことのできない且つしたくない筆者ですから、すべては自分でやってみるしかありませんからね。それに自由旅行者向けにホームステーガイドも書こうと考えたわけです
クアラルンプールのPudurayaバスターミナルからバスで約2時間です、このバスが発車する場所がちょっとはっきりせず、またまともな時刻表も無いので、バスが発射するであろうあたりで気長に待つしかありません。この時点で一般旅行者はすでに迷うことでしょう。やってきたTransionalバスは、Kajangの町を通りぬけ、さらにSepangの町も通りすぎ、最終地点に着きました。さてここで困ったのは、目指すBanghurisへのバス路線自体が存在しないことです。つまり交通手段としてはタクシーしかありません。
何人かに聞いたところ、町から田舎道をずっと行ったところにあることを聞き出しましたが、地図表示板などないので、どれくらいかかるか想像しかありません。とにかくこの田舎道を目標に向かって歩き始めました、が数十分歩いてあきらめました、狭い田舎道をぶっ飛ばす車やトラックとバイクが危なくてとても歩いていられません。マレーシアの田舎道は車のためだけにあると考えているドライバーが、その荒い運転で道端一杯に走るので、歩行者は本当に危険です。事実この田舎道を歩くものなど誰もいませんでした、最低限自転車です。
このように筆者はこのBanghurisホームステー村へたどり着けなかったのですが、これは州政府の推進する外国人向けの場所が自由旅行者には如何に到達の難しいことを証明してくれたのです。マレーシア各地をバスと自分の足だけであちこち歩き回っている筆者でさえあきらめた場所へ一般旅行者が自力で到達できっこありませんから、自家用車を所有している地元の人、在住者又はタクシー代を一切気にしなくてもいい旅行者以外は、すべて旅行エージェントのお世話になるしかありません。尚自家用車族でも一般にエージェントを通して予約する必要があります。
一般にマレーシアの旅行代理店では、どこであれホームステーをその取り扱い品目に入れて積極的に宣伝している会社はごく少ないです。ある代理店を訪ねて頼みこめば、パンフレットからそのホームステーを扱っている代理店を見つけて連絡してくれるかもしれませんが、そういう彼らに内容を聞いても無理、時間の無駄です。彼ら自身ホームステーなどにほとんど興味ないし、よく知られていないツアーだからです。ですからホームステーをしたい人は、それを直接催行している旅行代理店を訪ねることです。
でそのBanghuris Homestay Villageツアーを催行している旅行代理店はというと、Visit Sealangor Yearの公式ツアーエージェントでもあるそうですが、クアラルンプールに事務所を構えているわけでなく、ペタリンジャヤのKelana Jayaという地区にあるのです。そこへ行くバスと高架電車の乗り継ぎはあることはあるのですが、これに乗ってその事務所を地図を頼りに探し出すのは相当骨が折れます。一般旅行者でこういうことができる人は極限られてきますね。もちろんクアラルンプールからタクシーで行けばそれは簡単でしょうが、費用がかかります。何でもそうですが、高費用つまり金を気にする必要がなければ、いくつかのことはそれほど難しいことではなくなるでしょうが。
この旅行代理店の人に拠れば、しいて事務所を訪ねて予約しなくても電話でもよいと言ってました。しかし英語又はマレーシア語を自由に話せない人は電話で内容を詳しく聞くことや予約することもできません。電話だけでカラ予約をどう防ぐのでしょうか、さらに最低4日前までに予約する必要があるとのことです。となればもうカンポンホームステー計画ははあきらめる、という人もでてきておかしくありませんね。
こういう現状を無視してか又は知らずに、Visit Sekangor 2000のパンフにはBanghurisk村のホームステープログラムが宣伝されているのです。ホームステーを経験してみたい方は案外いらっしゃるものです、しかし情報不足で実行できない方が大部分でしょう、実行できないもう一つの大きな理由はマレーシアのカンポンホームステーは日本の民宿ではないということです。今日ホームステー先に電話して明日行くからと予約できないわけです(もちろん例外はある)、しかも旅行者はマレーシア語で会話できないときているから、たとえ電話できたとしても要件はうまく伝わらない可能性大です。
ここからホームステーを斡旋する旅行代理店の役割は大変重要です、一般にカンポンホームステーはマレーシアに来る前に代理店経由で手続きを進めて予約しておき、あとは現地代理店がホテルまで迎えに行くまでに手配され、且つ中程度の人数グループがほとんどのようですね。ですから1人,2人の個人グループが急にホームステーできる場合はずっとずっと限られてくるわけです。しかも目的地まで自分では行けないので、結局代理店のバンのお世話になり、結果として一人当りの料金が結構高いものにつくことを覚悟しなければなりません。中程度の人数なら安くつくはずのホームステーも1人2人では思ったほど経済的な料金ではありません。いや料金は問題ではない、ホームステーすることに意義があると考えていただければ尚いいでしょうけど。
スランゴール州政府下の観光案内所DETC(「州都シャーラム」の項参照)やVisit Selangor Yearを進めるTMS2000会社の広報努力を筆者は賞賛し買うものですが、現実にどんなことが問題になるかの認識がかれらには欠けていますし、それをわかっていないのでと思わざるを得ません。
もう一つの例を出しましょう。最近シャーラムの中心であるDataran Shah Alam広場で毎週末行事、催事が行なわれています(州都シャーラム内の新項目を参照してください)。地元有名歌手が出演したり、民族芸能が演じられるとか、5月まで続けられるとのことで、開始のセレモニーではスランゴール州首相は外国人観光客にもどんどん来てもらいたいと述べていました。行なわれた様子を伝える新聞記事から興味深く感じ筆者も一度見に行きたいと思いましたが、思いとどまりました。
なぜならこのショーが始まるのは夜8時半です、これでは帰りの足が確保できません、クアラルンプールからシャーラム行きのバスは日中でも本数がそれほど多くはないし、ましてや夜9時すぎにどれくらいの帰りのバスがあるか、あったとしても果たして乗れるかなど、帰りの足の確保が誠に不安です。ショーの終わるであろう夜10時過ぎたらまずバスはないでしょう、となると捕まるか捕まらないか不確定なタクシーのみ、たとえ捕まってもその料金は相当高負担ですね、特にエコノミー旅行者には、もちろん筆者にはとんでもありません。
なんのことはない、こういうショーを見に行ける外国人旅行者は、ある程度のホテルに止まってリムジン車をチャーターするか、ホテルの斡旋ツアーを利用するある程度裕福な旅行者層になってしまいかねません。チャイナタウンやブキットビンタン辺りに宿泊している若いエコノミー旅行者にはあまり手の出ないことです。こういう実情をしらずか知ってか、州首相らは外国人旅行差にもどんどん見に来てほしいなどという談話を語っていますから、筆者はそのおかしさをつきたくなるのです。別に旅行者でなくても構いません、クアラルンプールの住民がその夜間に行なわれるショーを見に行きたいと思っても、自家用車なりバイクがないと現実問題はできないことになりますね。プログラムを立案した担当者らは実情知らず又は無視でずね。
この点を先週訪れたシャーラムのスランゴール観光案内所DEICで、たまたま言葉を交わした職員に話してみました。彼女は始めてそういう意見を聞いたけどなるほど、と言ってましたが、現場の担当者でこの程度の認識です。州観光振興会の上層部に是非こういう意見を伝えておいてほしいとは言っておきましたが、もちろん伝わるなんて事はないでしょう。
尚付け加えておきますが、ムスリムが1日の最後のお祈りを済ませてから全ての公式行事は始まる、というマレーシアの建前は、筆者はもちろん知っていますよ。でその建前のもとで自分の交通手段を持たない地元観客と旅行者はあきらめるしかないのです。建前が悪いというのでなく、バス便を増発するなり、日曜日は夕方開催するとかの何らかの工夫が必要だということを筆者は言いたい訳です。そうでなければ、外国人もどんどん訪れてほしいなどという言葉は空虚ですね。
スランゴール州政府は大変優れた試みをしていると筆者は思うし、だからこそスランゴール州観光年振興を応援したいと思います。この広いスランゴール州の観光対象地がいつも蛍鑑賞だけではちょっと悲しくなります、他にもいくつか外国人旅行者に訪れてほしいところやホームステープログラムの存在を知ってほしいと願っています。でもそのためには、プログラム立案段階でもう少し普通の外国人旅行者の実情を知り彼らのできる限界を知らねばなりません。この点が観光振興をすすめている当局の欠けている点ですね。
マレーシア人にとって日本旅行はどういう位置付けなんでしょうか、筆者はマレーシア人相手にアンケートしたり調査したことありませんんから、はっきりとはわかりません。ただいろんなマレーシア人とこれまで話してきた感じから言えば、きっと一般の人には漠然と訪れてみたい国の一つかもしれませんね。事実、新聞の団体パッケージ旅行広告には少ないながら日本旅行は載っているし(英語紙と中国紙の場合で、マレーシア語紙ではまず見ない)、代理店の店先にもたまにそういう案内広告が貼ってあります。そこで手元の新聞に載っているある旅行代理店の広告から抜き出してみましょう。
6日間の日本旅行、マレーシア航空利用:東京、大阪、奈良、京都、河口湖、富士山、船橋、東京ディズニーランド、料金RM3,888から
7日間の日本旅行、マレーシア航空利用、4つ星ホテル泊:東京、富士山、京都、奈良、長崎、雲仙、熊本、福岡、料金RM5,488から
ごく簡単な記述ですが、これが一般的な広告スタイルです、料金はもちろん大人1組参加の場合の1人当り料金です。物価を考慮しないで単純に換算はよくないですが、一応RM1=¥30と概算してみてください。
そこでもう少し詳しく知るために、下記に精細する旅行展示会で入手した代理店のパンフレットから訳してみます。
4泊6日の日本観光と桜祭り:大阪、奈良、京都、富士山、ディズニーランド、新幹線
と題したパンフレットの内容を細かく見てみましょう。
1日目:クアラルンプール発夜行便で大阪へ向けて出発
2日目:早朝関西空港着、古都奈良へ移動して東大寺見物と有名な梅花のある鹿公園散策。京都へ移動、昼食後清水寺と紅色の美観で知られる平安神宮を巡る、同時に日本の有名な桜見物。豊橋へ移動してそこで宿泊
3日目:朝食後新幹線で浜松へ、直ちにバスに乗り換え高速道路で富士箱根国立公園へ。遊覧の途中平和公園で桜見物、大湧谷火山遺跡見物で大自然の変化を堪能、もし時間が許し且つ天候が良ければ富士山の4合目か5合目まで行ける。この夜の宿泊は日本伝統の温泉旅館。夕食は日本式なべ料理を賞味。富士の石和温泉泊。
4日目:朝食後東京へ。有名な浅草観音寺、仲見世商店街観光、土産物を見つけてください。その後世界一高価な地銀座へ、買い物天国。もちろん上野公園で桜見物、皇居と国会の外観見物もあります。夜は不夜城たる新宿歌舞伎町見物とそこで食事。そこで日本女性のセクシーダンスショーを見たい方は別途自費です。十分楽しんで、決して間違いを起こさないこと。サンシャインプリンスホテル又は同等のホテル泊
5日目:朝食後一路ディズニーランドへ、そこで1日過ごします、1日遊覧券含む。夕方成田へ移動、そこでホテル宿泊。
6日目:朝食後成田空港へ。帰国便に乗る
この団体パーケージ旅行の価格を見ると、ツインルーム宿泊条件で1人当りRM3,988です。子供はRM3,788、一人だけで参加の場合はRM800追加となります。ツアーの催行時期は3月末2回、4月は7回、5月は4回あり、ゴールデンウイーク期間中及びその前後はツアー催行がありません。5月中旬以降の出発もあるのですが、その時桜はもう散っているはずですけどね。
このパッケージ旅行でユニークだなと思ったのは、パンフレットの注書きに、在日マレーシア人留学生がその知識をいかして旅行ガイドする、と書いてあることです。それがこれを催行する旅行会社、実際は日本のどこかの代理店ですが、のセールスポイントなのかどうかは知りません、ただ日本旅行の専門家Mr.李が組み上げました、とも書いてありますね。
なるほどこういうパーケージ内容なんですね。旅行展示会中のプロモーション価格なので幾分かは安いかもしれませんが、いずれにしろ一般的な日本旅行はこういうツアー内容でこの程度の料金だということですね。尚2月頃には札幌雪祭り見物のツアー広告が新聞に時々載っていました、このように季節によって当然パッケージ内容を追加、変更するようですが、そのツアー種類は極少ないように見えます。
3月18日と19日の2日間クアラルンプール郊外にあるMINES展示場で、マレーシア・ツアーとトラベル代理店・会社協会(MATTAと略称)主催の国際トラベル博2000年が開催されました。このMATTA主催の旅行展示会はこの種の中で最大且つ全国的な規模であり、毎年開かれており、今年で10回目です。
今年の展示会に参加する代理店、ホテル、航空会社、各州の観光振興局、などは過去最高の150ほどだそうで、主催者側は訪問者数6万人を見込んでいるそうです。筆者は6、7年ほど前から毎年この展示会を訪れていますからわかりますが、うたい文句通り今年がその出展社・団体規模と訪問者数で最大ですね。とにかく開場前から何百人もの訪問者が並んでおり、筆者はその熱気にびっくりしました。約1万平米の会場は込んでいましたよ。マレーシアでのこの種の旅行展示会(博)は、各旅行社・代理店がそのパッケージ商品を通常より幾分安く販売する場でもあるので、入場料金RM3を払ってもこのように一般訪問者が殺到するわけです。
国内旅行関係社だけでなく、外国の観光振興機関も例年見受けるシンガポール、タイ、オーストラリア、ニュージーランド、香港、中国などに加えて、珍しいルクセンブルグ、スペインが出展していました。ミュンヘン、ウイーン、プラハなどが通じない、を知らないマレーシアで、ECの中心にありながら極小国のルクセンブルグの名前と位置を知っているマレーシア人がどれぐらいいるのだろうかと、非常に不思議に思いました。来年はきっと出展しないでしょうね。
尚ヨーロッパの地名に関して、マレーシア人一般は日本人一般よりずっと知識が少なく且つ全て英語呼び名形式なので、例えば代理店の人間にすらミュンヘンが通じないのです、ミュニックと言わねばならない。世界の地名はすべて英語が規範と考える悲しき英語中心主義ですね。ウイーンをヴィエナなんて呼ぶなよな。ズーリッックなんて呼ばれるとどこの都市かと思う、Zurichはせめてチューリッヒと呼ぼう。
筆者は毎年展示会を訪問しているので、マレーシア人がどんな国を旅行対象に好むかがよくわかります。人気はやはりオーストラリア、中国、香港、を筆頭に米国、ニュージーランドというところでしょう、(英国は出展したことがないはずですが、マレーシア人一般の好む訪問地です)。実際の訪問旅行者が最大のシンガポールとタイは、出展してますが、いまさらそれほどあれこれと売りこむ必要ないのか、それとも展示内容が珍しくないのか、上記の出展人気3国にはかないません。尚タイはマレーシア人の好む訪問地ですが、その興味対象地は極めて限られていて、バンコクとパタヤ、プーケット、ハジャイとソンクラー、チェンマイぐらいかな、そんなせいもあるのかタイの出展内容はごく通俗的です。
面白いのはインドとインドネシアのスマトラの観光振興局・団体です。両者は毎年出展しているけど、展示に工夫と魅力がないからだけでなく、マレーシア人自体その地に興味がないのでいつもがらすきです。インドはインド系マレーシア人を除けばまず一般マレーシア人の旅行対象地ではありません、スマトラはメダンまでなら飛行機で1時間ほどの近距離にもかかわらず、トバ湖などの極一部を除けばまず誰も旅行地とみなしていません。数年前までは安価なトバ湖観光はマレーシア人に人気で頻繁に広告されていたものですが、この数年劇的に減りました。
オーストラリア、米国はマレーシア人全体に人気ですが、中国はいうまでもなく圧倒的に華人旅行者がほとんどでしょう、代理店のカウンターで中国パッケージを交渉しているのは華人ばかりです。香港はどうなんでしょう、もちろん華人の好む旅行地のベスト3に入るでしょうが、マレー人にとってはどうなんでしょう、よく知りません。
さて外国の観光振興団体・局の中に今年も日本のそれはありませんでした。尚韓国の観光振興会が今年も出展していました、韓国旅行のパッケージは日本行きパッケージと同じくらいの量があると筆者の目には写りますが、売りこみ者側の熱心さは韓国がまさりますね。
まあ仕方ないでしょう。日本の旅行・観光会社関連の中でマレーシア人観光客を充てにしている所はごくごく少ないのではと推測されますからね、それに日本は圧倒的に観光客が出て行く方が多い出超国家ですから。旅行代理店・会社も日本人を海外に送りこむほど外国からの観光客誘致に熱心ではないかもしれませんね。
そこでその日本観光を考察してみると、マレーシア人にとって選択・人気の第一と第二グループには入らないものの、その次ぐらいには入るのではないでしょうか。今回の展示会だけでなく日ごろ新聞に現れる旅行広告を見ていると、案外日本への旅行が載っているのです。もちろんガイド付き団体旅行のみで、オーストラリアと香港向けにに多少あるフリーイージータイプ(往復航空券と指定ホテル宿泊のみ)は全く見かけません。
旅行価格で言えば、このコラム上段に掲げたように、日本旅行は最低でもRM3000以上はしますから、RM1000以下で済むバンコク旅行、RM1000前後の香港旅行、RM1500前後の台湾旅行、RM2000前後が標準のオーストラリア旅行、RM1500からRM2000前後が主体の中国旅行、割合と安いRM2000以下の韓国旅行、RM3000以下で済ませることもできる米国西海岸に比べて、明らかに高いのです。日本旅行パッケージはヨーロッパ数都市旅行パッケージと同じくらいの価格水準ですね。
尚ヨーロッパというと、マレーシア人にはお決まりの地ロンドンだけの旅行ならRM2000ちょっとで売られています。マレーシア人にとってヨーロッパはまず英国、ロンドンなのです。ですからその他の国はまとめて、ヨーロッパ5カ国周遊パッケージのような形になってしまいます。ローマとナポリ散策とかマドリッド5日間なんてツアーには全くお目にかかりません、せいぜいロンドンとパリ滞在みたいなツアーですね。
さてこれをみれば日本旅行はやはり高価格なので、その分参加者が限られてくることは当然ですね。普通の会社勤めのOLがちょっとディズニーランドで遊んできます、と言うわけにはいかない旅行代金です。
もう一度上段の日本ツアーの旅程を見てください。まことハードスケジュールで短期間にあちこちと移動し周りますね、1日で奈良京都を見て周るという、信じられないスケジュール、それじゃ東大寺の大仏しか印象に残らないでしょう、また浅草へ行き、上野を回って銀座を回る、さらに夜は新宿歌舞伎町という忙しいスケジュール、筆者はこれを頭に浮かべるだけで疲れてきますな。ガイド付団体旅行とはこういうものなんでしょうね、どこが旅行先であろうと。
でもねこれと同じようなことを日本人のマレーシア観光はやるんですね。KLIA空港に夜到着して翌日のクアラルンプール観光は実質半日、夕方にはマラッカかペナンへ移動などというふざけたスケジュールだそうで。日程を組む地元代理店がひどいのか、そういう旅程を要求する日本の旅行会社・代理店がひどいのか、それともそういう旅行を期待する日本人観光客が主因なのかは知りませんけどね。
筆者は約25年間南米以外の世界何十ヶ国を何百回と旅してきましたが、ハード旅は常ですがこういう超スピード観光はしたくないしまずやったことがないので、こういう旅程をみるとついあきれてしまうのです。なんでそんなに短期間にあちこち動き周るの、数カ所をもっとじっくりゆっくりすればという考えになるのです。ごめんなさい、団体パッケージ旅行に参加したことがないIntraasiaはその理解力が劣ります!
マレーシアでは個人の自由旅行、つまり個人やカップルが航空券だけ又はそれに加えて数泊だけのホテルを予約してという自由旅行は全くといっていいほど普及していませんから、こういう自由旅行者対象とした又は考慮した展示をしている代理店・旅行会社は全然ありません。例外といえるのは、国内のホテルのバウチャーを売る場合と国内有名旅行地への飛行機切符プラスホテル宿泊のバウチャーをいくつかのホテルと代理店が扱っている程度です。ですから例えば、ヨーロッパなりオーストラリア行きの往復切符の価格を載せたパンフはまったくありませんでした。海外旅行と言えば、国内旅行とシンガポールを除けば、団体で行くものとの概念がまだ全く崩れていないのがマレーシアです。(もちろん少数の旅行者やビジネス客にとっては別ですよ)
それと日本の旅行代理店のパンフレットやツアー目録雑誌を見ると驚くべき親切懇切丁寧な説明がありますね、例えば何々ホテルはヘアードライヤー付でシャンプーは何製で、レストランメニューは何々がある、日本語は通じるか、などといった微にいった説明をしたパンフレットはマレーシアではまずありません、代理店のカウンターでもそんなことを答えてくれないはずです、というか始めからそういったことを尋ねる人はいないでしょうね。尚ムスリム向きに料理はハラルか(ムスリムが食べても差し支えない)という質問はきっとあるでしょうが、マレー人は旅行面ではきわめて保守的ですから、旅行のバリエーションがもともと限られてますね。
さて、いろいろとマレーシア人の海外旅行嗜好を描写し説明してきましたが、日本人の海外旅行嗜好と違いがあることはお分かりになったと思います。もちろんそれは両国民の平均所得の差が大きいことと民族的背景の違いなどが起因していますね。いつかできたら、日本旅行したマレーシア人観光客に、日本観光はどうでしたかと、アンケートをしたいものですね。何が彼らにとって一番印象に残っているのでしょうか、物価高か、着飾った女性ファッションか、きれいな桜か、新幹線の乗り心地か、新宿歌舞伎町の猥雑さか?うーん、なかなか予想がつきませんね。
ペラ州はマレーシア語で書くとPerakとなり、銀という意味です。スズ鉱山の多い、いや多かったいうべきか、ペラ州です、その名前の由来は銀色のスズ鉱石だそうです。
今年はVisit Perak Yearですが、Visit Selangor Yearほど宣伝や広報されているわけではありません。その州の性格とおりずっと地味な広報活動ですね、様様なニュースを相当注意深く追っている筆者がそう感じますから、一般マレーシア人で今年がペラ訪問年だと知っている人がどれくらいいるかな。クアラルンプールの観光案内所で職員にVisit Perak Yearを確かめたら、知らないという答が返ってきたぐらいですからね。
そのペラ州は首都圏に属するスランゴール州以上に、外国人旅行者にとってはなじみのない地名でしょう。ただペラ州は知らなくても州都イポーIpohの名を聞いたことのある方はまあいらっしゃるでしょう、さらに瀟洒な湖と建築物で割合と知られた歴史ある旧州都タイピンTaipingもそれに次いで知られていることでしょう。
なによりも外国人に知られているのはパンコールPangkor島でしょう。そのすぐ近くに豪華リゾートのあるPangkor Lautという小島がありますが、まとめて通常はパンコールと呼ばれてますね。ペラ州など全然知らない興味のない外国人旅行者でもパンコールは知ってる、又は行ったことがあるという外方は案外多いことでしょう。
以上の3地名以外に、一般の外国人旅行者に知られている場所はまずないと言っても過言ではないでしょう。スルタンに関係する由緒ある町Kuala Kangsarといっても知る人はまずいないし(筆者も通りすぎただけ)、Laketown ResortのBukit Merahはまだまだ有名観光地に程遠い、、(パハン州である)キャメロンハイランドへ行く時の経由地であるTapahは、そこで列車なりバスに乗り換える旅行者もわずかながらいますが、普通はクアラルンプールから直接バス、自家用車で行きますからやはり旅行者にはなじみがでてきません。パンコールへ海路行く場合フェリーに乗降する地Lumutもその地名を覚えている人がどれくらいいるかですね
以上の7地名は知っているという相当なマレーシア旅行通でも、Grik、Gua Tempurung(洞窟)、Temenggor湖、Pengkalan Hulu, Teluk Intan, Pasir Salak, などになればもうご存知ないですね。Pengkalan Huluはタイへ出入国する時に通過する、宿泊施設もあります、小さな町です。「えー、ペラ州ってタイと国境を接しているのですか」 と驚かれる方がほとんどでしょう。そうです、ペラ州は南北に細長いので、北端をタイ深南部と接しているのです、このPengkalan Huluから7Kmほど離れた地点が国境通過の検問所になるのです。
この一帯は50年代60年代は(今は解党した)マラヤ共産党の活動拠点の一つで、タイ側の町Betonから行ける国境にほど近いタイ山中に、かつてのマラヤ共産党本部跡が残されています。(そこを訪問した記事を去年雑誌投稿用に書いたのですが、ホームページではまだ発表してません)。尚国境に関する詳しい情報は、「自由旅行者のための情報コーナー」に載せてあります。蛇足ですが、このタイ・マレーシア国境シリーズは当サイトの99.9%の読者には関係ないでしょうが、世界一詳しく正確な情報だと思っています。タイ南部・マレーシア両方に通じた旅人Intraasiaの真髄を示した記事ですよ。(誰も言ってくれないので、たまには自己自慢をしないとね)
Gua Tempurung(洞窟)については当サイトの「半島部諸州の観光(ペラ州)」の該当項目をご覧ください、Temenggor湖はタイ国境に近い山岳地帯にあり、魚つりでも知られているそうです。半島東西横断道路を使うとこの湖の一部を横切ります、たいへん風光明媚な場所ですよ。通ったことしかない筆者は一度はそこにあるリゾートで宿泊したいなと常々思ってますが、こういうところは宿泊代が高くて手が出ないのです。
さて歴史は古いけど地味な州であるペラ州へ、先先週と先週の2回行ってきました。Intraasia流ですから、前日に思い立って翌日出かけ、行き先は臨機応変に変えるというスタイルです。ですからイポーに着いた時点では歴史博物記念館のあるPasir Salakへ行くつもりだったのですが、そこへのバス便が極端に少なく、道のり途中のBota Kanan村で下車し、たままそそこで目に付いた”川テラピン亀の保護センター”を訪問しました(その様子については、「半島部諸州の観光(ペラ州)」の該当項目をご覧ください)。
先週は再度Pasir Salakへ行くつもりで、今度は朝のバス便に乗れるようにと、州南部の町Teluk Intanで1泊しました。結局Pasir Salakへは行かなかったのですが、このTeluk Intanは地方の町の良さが十分感じられる味のある町でしたので、「半島部諸州の観光(ペラ州)」の新項目で紹介しておきました。
さて2回も行こうと考えたPasir Salakには州の歴史観光施設があるとのことなので、一度訪れて見たかったので、Teluk Intanからバスで小1時間の町Kampung Gajahに着いたのです。地図で見るとPasir SalakはKampung Gajahのペラ川を挟んだ向こう岸の村、しかしそこまで行く、渡し船もバス便もないのであきらめました。徒歩だと1時間ぐらいかかりそうで、数十分歩いてあきらめました。距離があるということよりも街道を歩くと車の往来で危険、というおきまりの理由からです、治安が悪い、なんていう理由からではありませんよ。
マレーシアの田舎って公共交通面ではほんとう不便です。バス便がないところが多く、あとは一人だとぐっと高くつくタクシーということになります。バス代なら1時間半ぐらい乗ってもRM2ぐらいしかかからないから旅している筆者のような者にとって、片道RM8ほどもかかる村へのタクシー代は高負担ですからね。村の人たちにとっても不便だと思いますよ、自家用車がなくても、男はもちろんほとんど、加えてある程度の年代の女性だとバイクに乗っていますから、村から町まで出かけてくるのはそれほどたいへんなことではないでしょうが、老人や子供連れの母親などはまず気軽に出かけられません、バイクに乗れないし、歩いては遠すぎるしというところですね。
これがタイの村ならたいてい、ソンテーオ式の乗り合いバンや乗り合いピックアップトラックが町とその近辺の小さな村を往復しています。加えてバイクタクシーが必ずある。確かにこの種の乗り物はバスより交通安全面からは安全度は落ちるのですが、交通機関がないよりずっとましです。筆者はタイの田舎を長年あちこち歩いてきましたから、実感と経験としてタイに比べてマレーシアの田舎僻地の交通不便さを嘆くのです。道路整備はタイよりいいのにです。
当局はそんな田舎の公共交通は旅行者に関係ないという論法でしょう、確かにタイのソンテーオは旅行者のための乗り物ではありません、タイ語が話せなければまず使いこなせません、でも筆者の言いたいのはそこの住人の立場になってみればよくわかることだということです。バイクなり自家用車がないと町まで出るのに一苦労というのは、旅行者でなく住民として不便です、少なくとも筆者はそう見ますけどね。それに(車がないから)バイクに1家で3人乗り、時には4人乗りしているのを見れば安全基準なんていいかげんなものに感じますから。
注;マレーシア半島部の郡部でも少ないですが地方によっては、乗り合いバンを運行している所もあります。しかしそういうところでもタイの田舎にはかなわないし、マレーシアのバン運行ってひょっとしたら当局黙認の違法じゃないかとも感じますが。マレーシアでこういう乗り合いバンや乗り合いピックアップトラック運行がないのは、その地域を営業範囲にしているタクシー業者の反対が強いせいもあるのだろうと、筆者は推測しています。
さてそのKampung Gajahのペラ川に面した部落をぶらぶら歩いてみました。バナナの林を見ながら部落の一本道をどんどん歩いていくと、マレー民家がぽつぽつと点在しています。このKampung Gajahはマレー人集中地域だそうなので、民家はマレー民家ばかりです。地上から2mほど床上げした家が多いですね。庭先で鶏が遊び猫がのらりと歩いている、細い曲がりくねった道路は舗装されおり、時折バイクの村人が徒歩の私を追い越していきます。上水道の浄化施設があり、モスクがあります。Pondok Islamみたいな建物からは子供たちの声が聞こえてきましたので、外から覗いて見ました、顔を出した女性に聞いたら村の児童用のムスリム保育園でした。就学前の女性児童は全てトゥドゥン姿ですね。
なんの変哲もないマレーカンポンです、名前さえもわかりません、でもこういう所を歩いていると熱帯の自然って豊かだなと感じます、草木が茂り中にはマンゴの木があります、ココナツの木が暑い陽をさえぎってくれます。マレー民家の軒先で村人がのんびりと食事をしながらこちらを見ています、きっと部落外の男が何をしているだろうと思っていることでしょう。
一般にこういうカンポンは極めて安全です。都会の雑踏と違って不審な者はまずやってこない村社会ですから、犯罪もめったに起こらないのでしょう。こういったところを歩く楽しさは普段の村の人の生活を垣間見ることができる点です、怪しいものだと思われないように無断で人々の写真を撮ったりせず、もし不審の目で見られたら、相手にこちらから話かけていくことです。きっかけは何でも言いのです、例えば「Ini Pokok Pisang kahこれバナナの木ですか?」などと尋ねてみて御覧なさい。会話が始まるかもしれません。
マレーシア旅行を多少経験した方は、そして多少は自分で歩ける若い方はマレーカンポンへ出かけてみてください、どこのカンポンでも、マレーシアにカンポンなど無数にありますから、いいのです、そういうところで1時間でもいいからぶらぶら歩いてマレーシアの田舎を味わってください。マレーシアは都会やリゾートや離島やジャングルだけでありません。普通のマレー人の住む田舎を歩いてみると、きっとあなたの考える知っているマレーシアに幅がつきますよ。都会で働く、住む多くのマレー人もこういうカンポンの出身なのです。マレーシアの有名マンガ家ラットの代表作にKampung Boyってのがありますね、筆者は別にラットのファンではありませんが、マレーカンポンはマレー人社会のルーツだといってもいいのではないでしょうか。
注:この段落に関する情報と写真は、「半島部諸州の観光(ペラ州)」のトゥルックインタン項目の下段に掲載してあります。
3月中旬のことです、マレーシアではちょっと意外な出来事に関する記事が新聞に載りました。
マレーシア女性と思われるヌード写真が掲載されているホームページが出現しています。その女性のなかにはペナンの工場で働く女性もいるようです。またこのサイトの作成者がサイトの中で述べていることによれば、海外留学中のマレーシア人学生をそのボーイフレンドが撮ったヌード写真も含まれているそうです。
さらに地元芸能人のヌードもあるようですが、これはいずれも修正などが施されているようです。このサイトの会員になると今度はさらに数百枚のマレーシア女性のヌード写真を見ることができます(とサイトでは書いている)。
このサイトのオーナーは誰かわかりませんが、”マレーシアセックスインターネットリング”を始めたようです、尚このサイトは海外のサーバーに置かれています。サイト作成者によれば、内容である記事・写真はマレーシア人が貢献しているとか。
これを知ったペナン州の地元女性州議会議員は、「担当省にこういうサイトのオーナーを処罰するように要求します。こういうWEBサイトは我々のモラル、宗教心に反する。省はこういうサイトの出現に対処すべきです。」
以上新聞の記事を翻訳、
この記事を読む以前にマレーシアサイトをインターネットサーフィングしていた先日のことです、ここに記事になっていると思われるサイトに筆者は遭遇しました、全部マレーシア語で書かれており、この種のマレーシアサイトを初めて見たので、あれ珍しいなと思いました。ただ日本人である筆者がこんなヌード写真程度のサイトに驚くわけありませんし、しいて興味もなかったので、すぐ別のサイトに移りました。ブックマークもしてないので、皆さんにお知らせすることができません(どういうものかの参考のためにですよ!)。でもこれが後日新聞記事になるとは思いませんでしたなあ。
この程度のお遊びサイトを”マレーシアセックスインターネットリング”と表現し且つモラルに反するとして取り締まっていたら、世のアダルトサイトどころか、全然そうでないがちょっとセクシーなサイトもすべてモラルに反することになりかねませんね。いずれにしろマレーシア人はしばしばこの程度ですぐ取り締まれと言いたがります。筆者はヌード写真掲載を奨励するわけではありませんが、すべて禁止すべきだなんてまったく思いません(チャイルドポルノや犯罪は別です)。公開したい人はやればいいし見たい人は見ればいいという極めてありふれた意見です。だいたいインターネットの世界は所詮取り締まるなんて発想は通じない、ということを理解できない一部マレーシア人にはあきれますね。
でその次の日に下記の記事が載りました。
マレーシア女性と思われるヌード写真を掲載しているサイトを政府が検閲したり閉鎖させることはない、と担当のエネルギー・マルチメディア・コミュニケーション省副大臣が述べました。これはマルチメディアスーパー回廊プロジェクトに関する保証法で検閲はしないと保障しているからです。「政策はたいへんはっきりとしている。マルチメディアスーパー回廊プロジェクトを発展させ達成するために、この法律は施行されています。だから政府はWEBサイトを閉鎖できません。」
「しかし、といって警察がこの種の(道徳)罪的な事柄を掲げたサイトの主を追わないということではない。現行法でそれらに対処します。もし見つければ、ポルノ文書をインターネットで配布したという罪で起訴します」 ただ現実には、配布が外国を起点として行なわれているだろうから、難しいとも述べています。
以上記事から。
現在は匿名でホームページを掲載できるサイトもいっぱいあるし、海外のプロバイダーならマレーシア当局からの問い合わせにわざわざWEbマスターの精細を知らせる所はないでしょうし、その義務もありませんから、所詮マレーシア国外にサイトを作れば当局は手出しできないことになりますね。第一このサイトのオーナーがその国で犯罪を犯しているわけではないでしょうから。
一応政府は賢い対応をしていますね、ただマレーシア風土で言えば、このままこの問題がすんなりと収まるかどうかですね。今後こういったサイトがいくらか増えていけば、といって日本のように膨大に増える可能性は全くない、マレーシア国民の保守層、イスラム層、宗教界、教育界などからサイトを閉鎖しろ、Webマスターを探し出して逮捕しろと言う声が強くなる可能性はあります。「だから西欧思想の汚染を防がねばならない」、というイスラム教界の声は最近富に強まっているようですしね。
やはり政府はこういう宗教界や保守層の声を無視できませんから、最近こういうことを言い始めています。以下4月1日の記事から引用:
担当のエネルギー・マルチメディア・コミュニケーション省副大臣の発言から、「政府は間違った情報やうそをインターネット上で広めた者に対して行動できるのです。うその情報で被害をを受けた者は警察か省の取り締まり担当部門に届ければいいのです。これを調査する権限は、コミュニケーションとマルチメディア法98年に規定されていますから。 うそ、偽情報、ポルノ文書をインターネット上広めることは、その233条に違反します。調査の結果十分なる証拠を見つければ、法廷で起訴します。有罪となれば、その者はRM5万以下の罰金か1年以下の懲役又はその両方になります」
副大臣は続けて、「インターネット上で現在検閲をしていないから、(政府は)インターネット上の情報を全く取り締まらないという一般の間違った思い違いがあります。現在までのところ、上記法で誰をも捜査したり起訴したことはないですが、インターネットでうそを撒き散らした場合は、警察は別の法律を適用して捜査します。」 「多くの国民がインターネットにアクセスして情報技術を使うようになるようになるのが狙いです。政府はそれを奨励します。」
以上記事から。
現在マレーシア政府、産業界の音頭で、インターネット普及を通じてマレーシアを情報社会化させ、国外の先進企業がその知識、資本をマレーシアに投資するべく環境を保証している最中ですから、政府は上記のようにインターネット非検閲をいいますが、上でも明らかのように時々ふらつきます。さらにインターネット非検閲は決して国民多数の素朴な意見を反映したものではないでしょう。マレーシア国民は概して、(西欧的観念でいう)自由に対して保守的です、これは間違いありませんよ。国会議員の中にもインターネット取締りを訴える声もあるようですし、与党連合の中でもこういうインターネット自由保証でまとまっていることはないようです。野党でもイスラム原理政党のPASがインターネット自由を保障しないのはうまでもないし(自党の目的のために政治文書公開自由を時に訴えているが、それ以外の表現自由を保障することなどありえない)、その他の野党でもどれぐらいこういう表現の自由を保障または理解できているかあやしいものです。
こういう問題・出来事に対しては与野党とかは関係なく、その人個人の根底的思想によるのですね。
5,6年前には考えられなかったような、マハティール首相を強烈に批判した文書類が時に出回ります、もちろん無差別メールやどこかのホームページ上ですが、筆者のところにもそんな無差別メールがたまに届くので、それに気がついたわけです。いずれも匿名みたいで誰が書いてるのかわかりませんし、私はそういう政治闘争自体に興味はないので内容を一々読みませんが、こういうことができるようになったのもインターネット社会のおかげですね。厳しい出版・印刷法が存在するマレーシア社会ですから、こういう文書を印刷して人手に配布する、販売するのは今でも危険が付きまとうでしょうが、無差別メールならこんな簡単なことはありません。
インタネットが普及すればするほど、政府や保守層、イスラム界がいくら反対の声をあげようと、インターネット上の反政府活動、ポルノまたはポルノもどきの画文書掲載は増えるでしょうし、一方その取締りはますます難しくなりますよね。
そういう時が来たらマレーシアの政治は、イスラム教界はどう対応していくのでしょうか、インターネットカフェ運営者に厳しい規則をつきつけ、以前一時施行された、利用者の名前、住所記入を義務つけさせる方式を復活させるのでしょうか、でもこれも抜け道ばかりでそれほどあてにならない。さらに自宅でインターネットしている限り、どんなサイトを見ようとわかりっこないからね。
じゃマレーシアのプロバイダーに規制の網をかけて、札付きの国際アダルトサイトや反政府サイトをマレーシア国民にアクセスできないようにさせる手もあります(現在でもあらゆるアダルト内容と反国家・反宗教的内容を含んだホームページを、マレーシア国内にあるサーバーには一切保持できません、この面は非常に厳しい)。でもこの方法に対しても抜け道はあるし、世界のアダルトサイト製作者や反政府組織、まじめなNGOであれ犯罪組織であれ、多少の知識さえあればいくらでも新しいサイトを作れるから、政府の特定サイトアクセス禁止策など所詮後追い策にしか過ぎませんよね。結局インターネットにアクセスを許す限り、アダルトサイト、反政府、反宗教、反民族サイトからマレーシア国民を完全に除外することはできませんよね。
だから筆者に誠に理解不能なのは、インターネットへのアクセスを一部規制しろ、勢力です。学校や役所のパソコン対象なら別ですが、個人の所有するパソコン対象にアクセスの一部規制なんてできっこない、規制イコールインターネットアクセス禁止しかないはずです。当局や宗教界の意に適ったサイトだけを訪問する人々が極少数であるように、当局や宗教界が敵視するサイトだけを見る人も極少数だと思うのですが。例えば毎日アダルトサイトだけ見たい人ってたくさんいるのだろうか。
所詮この世は良貨も悪貨も両方存在するのです。どんなに当局が取り締まろうと、現にマレーシアに存在するように売買春産業と賭博産業と麻薬産業はなくならない、これに打ち勝つためにはそういうことに興味を抱かない層を地道に増やすしかない。それといっしょで反国家文書掲載サイトやポルノサイトがあったとっしてもそれに惑わされないように努力していくしかないはずです。悪貨を駆逐すると同時に良貨まで駆逐してはナンにもなりませんからね。残念ながらこういう考えがマレーシア社会の一部、というより相当部分では受け入れられないんですね。ここに筆者のじれったさはあるのです。もっともそんなことを私がじれったく思っても仕方はないですけどね。
はじめに
このコラムの内容を説明する写真が、旅行者・在住者のためのページにある「趣味とスポーツ編」のマレー凧項目に掲載してありますので、読後又は読前に是非ご覧ください。
マレーシアでも都会暮らしをしている筆者は、そこを抜け出して時々田舎へ出かけます。マレーシア国外の場合はここでは触れないとして、それがクランタン州であったり、ペラ州であったりと場所は一定していませんが、やはり田舎をぶらぶらしていると心和むことが多いものです。筆者はここで田舎という単語を使っていますが、それは良い意味で都会に対しての場所ということであり、筆者の好きな表現でもあります。
東南アジア諸国はその国々の違いよりも1国内の都市と田舎の間の違いの方が大きい、と筆者はずっと以前のコラムで書きました、バンコクの高層ビルや交通渋滞の様子は、ジャカルタのそれと基本的に変わりないし、サバ州の山間僻地の民の様子はタイのイサンの民の暮らしと大して変わりません。バンコクから数百キロ離れたイサン(東北部)の様子は、その国の大都市よりも、はるか数千キロ離れたスマトラ島の山村の状況と似ているのです(もちろん民族と言語は別にしてですよ) 。
尚筆者のいう田舎とは風景が単に農村や山岳であっても旅行者の殺到するリゾートや離島、海岸を言っているのではありません、そういうところに、旅行者は田舎らしさや田舎っぽさを求めるのであって、本当の田舎を求めているのではありません、本当の田舎は非快適であったり、不衛生的であったりして、それでは一般旅行者に不都合ですね。一般旅行者にとって、その場所が山や海に囲まれた自然豊かな不便なところにあっても、ある程度の快適さと便利さは必須ですよね。旅行産業があくまでも産業として成り立つには、あくまでも”らしさ”であらねばならないのです、本当の田舎であってはいけないのです。本当の田舎は、非快適、不衛生などを気にしないごく少数の旅行マニア又は自然愛好家のための場所にしか過ぎません。
だから筆者は自然が満ち満ちたリゾートだの、素朴な人々に出会える豪華なゾートだのといった、歯の浮くような旅行パンフレットや旅行雑誌の文章は好きではありません。本当に田舎に満ちたリゾートであれば、冷房付き部屋の風呂場で、コックをひねればお湯が出ることなどありえないし、本当に素朴な人々だけに囲まれたら、リゾートで期待するようなサービスときれいさは期待できません、都会の産業の観点から理想とするサービスは、田舎の人たちの暮らし方、考え方と相反するからです。
とまず概論を述べておきました。最初の論点である東南アジアの国を超えた都市と田舎の類似性については、相当程度東南アジアを歩かないと実感できませんから、おわかりにならない方が多いでしょうが、二番目の論点である旅行者は田舎らしさを求めるという点は、ほとんどの方が同意されることと思います。で筆者も”田舎らしさ”を求めてリゾートで過ごしたこともあれば(もちろんそういう場合は1人では行きませんよ)、今回のように”田舎を求めて田舎”へ行くこともあります。
先週ケダー州へ行ってきました。一般旅行者にとってケダー州はランカウイ島だけであり、その他の地域が旅行地域に選ばれることはまずないでしょう。州都アロースターでさえ、外国人旅行者をほとんどというくらい見ませんでしたし、これまでも何回も乗り換えで立ち寄ってますが、まず外国人旅行者の姿を見ません。マレーシア国民でも親戚や友人を訪ねたりとか通りすがりに一泊するという場合は別にして、ランカウイ以外のケダー州を旅する人はごく少ないはずです。
現に州都アロースターのホテルの選択の少なさはこれを叙述に示しています。旅社は別にして、エコノミークラスを入れてホテルは10軒に満たないほどしかないのです。その見所は旅行者・在住者のためのページの「半島部諸州の観光、北部州及ペラ州」に掲載しておきましたのでそちらをご覧ください
筆者の今回の旅の目的は幾つかあったのですが、その一つについてここでは書きます。
マレー凧WAUを製作している村があると新聞の小さな記事で読んだので、そこを訪ねてみたかったのです。記事から村名はわかったのですが、観光地でも有名地でもないので、観光局発行のパンフレットにはもちろん地図にも載っていなしい、それがどこにあるかは、クアラルンプールの政府観光局に聞いてもアロースターの周辺にあるはずだとのいいかげんな返事しかえられませんでした。彼らもそういう無名の場所は知らないから、それを責めても仕方ありませんな。
とにかくアロースターの新バスターミナルに着いてから、そこのローカルバスの行き先掲示板をずっと調べてみると、ありました、数十の行き先の中にK.Tualangの名が書いてありました。でそこでいつ来るかもしれないバスを気長に待ったわけです、一般に地元の沿線住民しか利用しないバス便には時刻表などというものは掲示されていませんからね。しびれをきらしてそのバス会社らしき職員に聞けば、1時間に1本とのこと、「もうすぐくるはず」といつもの返事です。マレーシア人のいう「もうすぐ」はそのうちということの意味ですから、待つしかありません。
こうしておんぼろバスに揺られて水田風景やゴム農園の道を約1時間で終点であるその村に着きました。バスはすぐ折り返しでアロースターに戻ってしまうのです。バスを降りると、あらま!全くの田舎つまりカンポンで、何の標識も目印もないので、これでは凧作りの家なり仕事場がどこにあるかさえまったくわかりません。読んだ新聞記事とはだいぶ様子が違います。そこには多くの村人が凧作りに親しんでいると書いてあったので、きっと凧作りの仕事場ぐらいの表示はあるのだろうと期待したわけです。これだけでこの記事を書いた記者が現地取材していないことがわかりました。現地取材をしてないのにしたかのように書くのは、もうそれだけで物を書くものとしては失格ですね。
しばらくぶらついてみましたが、まったく手がかりになるようなものに出会わないので、自分で探すのをあきらめて、たまたまモスクにいた地元のおじさんに尋ねてみました。「この村でWAU作りの人たちがいると知って、KLから来たのですが、どこへ行けば見学できるのかまったくわからない、どこでWAU作りしているのか知っていますか?」と尋ねたのです(これを含めて以下もすべてマレーシア語の会話です)
そうしたら年のころは60歳前の熟年者は親切に説明してくれました、数少ない村人がWau作りしていると。そしてその内の一人の家への行き方を教えてくれました。結構道のりはあるようで私が説明に従って農道を歩いていると、道の途中からそのバイクの背に載せてくれて、その家まで送ってくれたのです。そのまま自分で歩いて行ってもとてもわかからない普通の農家であり(右の写真)、どこにも表札など掲げてないので、一人では間違い無く途方にくれたことでしょう。
その家の主人は留守でしたが、このおじさんは同じ敷地内に住む息子の家に声を掛けて、私の要件を話してくれました。すると息子たち、といっても年は20歳から30歳前後であろう、が数人出てきて、筆者を家の中に招いてくれたのです。奥からWAUを幾つか持ち出してきて、説明してくれるのです。部屋内は多少薄暗く、カメラの写真撮りにはちょっと光量不足気味で、写真が多少ぶれてしまい残念です。
彼らの説明によれば、凧の作り方は地元で取れる竹を曲げて、それに紙を張ります、きれいに見せるためその上に絵柄の紙を張ることもします。簡単なのは3日ほどでできるとか。Wauの大きさは大体一定していて、縦140cmほど、幅130Cmほどです。
しばらくして主人が帰ってきました。今度はその老主人が、もう私はWau作りをしていないが息子たちがしている、と語ってくれました。そうこうしているうちに息子たちがWauの1つを庭にもち出して実際に凧上げして見せてくれました。風のない日なので凧はわずかしか揚がらずすぐ落ちてしまいましたが、本来は形が見えないほど高く上がるそうです。聞けば一般に午後に凧上げするとか、1回上げれば何時間でもあげっぱなしできると語ってくれます。
そうしているうちに、その家まで案内してくれたおじさんがバイクで帰っていきました。感謝、感謝です。
このエピソードを経験すると、まことこのカンポンの人々のほのぼのとした人のよさや親切心が感じられます。筆者は何のお知らせもなく、突然訪問したのですよ、それも凧作りの家内工場などではなく(そういう所があると想像していたのですが、現実はどこも単に趣味でWAU作りしているだけで商売ではない)、無名のカンポンの何の変哲もない農家ばかりなのです。ひろい敷地にはたくさんのバナナの木が植わり、椰子の木が何本もそびえています。こういう田舎って植物が豊かです。道の向こうには水田がずっと開けているのが眺められます。
筆者はこの村で伝統的Wau作りがあると知ってクアラルンプールから見に来た、と伝えただけです。自分の名前さえも伝えてませんし、また相手の名前も最後まで尋ねませんでした。それなのに全く見ず知らずの筆者を家のなかに通してくれて、何個もの出来上がったWauを持ち出してきて熱心に説明し且つ写真も自由に撮らせてくれたのです。最後には凧上げの実演までとなんという気のいい人たち、親切な人たちでしょう。(自分では気がつかないけど、筆者の容貌がやさしく感じられ相手を安心させるのかな?ずっと昔俳優の田村某が私に似ていると言ってた人たちがいたからなあ。あっ、これは単なる独り言です)
彼らにとってもこういう見ず知らずの者がWAU凧を見に来たのは初めてでしょう。この村はマレー部落のようで、華人はいない様でした。そのためか、筆者のマレーシア語を華人の発音などとの違いに気づきませんでした、最後までこの家の人たちは筆者をマレーシア華人だと思っていました。つまり彼らは筆者を、クアラルンプールからのもの好きな都会人がWau見に来たのだと思っていたのです。(実際もそうですけど)
筆者はマレーシア国内を旅行する時、自分から日本人だと言うことはめったにありません。それは相手から外国人向けのお客様扱い態度で接してもらいたくないことと、ステレオタイプの日本人視されることを嫌うからです。普通のマレーシア華人として自然に対応をされることを常に期待している筆者は、だから、相手が筆者のマレーシア語発音などに華人のそれとの違いに気づいて、お前は何人だと尋ねてこない限り(10人に1,2人ぐらいそれに気がつく)、自分から日本人だとはめったに明かしません。
外国人といえば相手の態度が変わることは容易に想像できる場合もありますが、それでも自分から身分を告げません、無愛想に対応される場合もありますが致し方ありません、それもマレーシアの一面であることを知りたい、確認したいからです。
この家族、恐らく典型的な拡大マレー家庭なんでしょう、はこの見ず知らずの都会の擬似華人を心をこめてもてなしてくれたのです。それは物質でもてなすとということでなく、コーヒー1杯ごちそうになりましたが、心こめていろいろ説明し示してくれたのです。
こういう人との出会いは本当に心うれしいものです。見たところ暇そうな田舎の一家ですが、それにしてもです、どこの誰ともわからない者を家に入れ、凧を見せて説明してくれる、この心のありようは、東京とそんなにかわらないようなクアラルンプールの都会の人たちの中で暮らす筆者には誠にうれしい意外です。
マレーシアの田舎で土地の人に路を尋ねると、そこまでついでに乗せて行ってやると、バイクの背に乗ったことがこれまでに数回あります。都会でこんなことはありえません(いかにも外国人だという様子を示せば都会でもないとはいえないでしょうが、それは私の嫌うありかたです)このように田舎では、やはり人の人情というものが残っているのは、マレーシアだけでなく多くの国でも同じことでしょう。しかし突然訪問した見知らぬ者を家に入れてくれるというのは、これまた違った段階ですね。
続いてこの家の人たちが、Wauをもっとたくさん保有している人がいるからそこへ案内してあげるということで、そこから息子が筆者をバイクの背に乗せて、次ぎの家まで案内してくれたのです。その家の主人はちょうど在宅で、筆者は運が良かったのです。息子が彼にいきさつを説明すると、こころよく了承して、筆者はまた家の中に招き入れられました。
こんどの家は部屋の壁には数十のWauが飾ってあるのです。部屋の片隅にはほこりをかぶった20近いトロフィーが並べてありました。先ほどの息子が、この人はWau揚げのチャンピオンだと教えてくれました、なるほどそれでこんなにたくさんのWauとトロフィーがあるのか。凧の洗練された柄と整った形は、しろうと見でもはっきりとわかる見事さです。先ほどの家で見たWAUより数段上の出来映えに見えました。そのWauはもちろん全部そのチャンピオンの手作りです。自分で作って自分でそれを上げて楽しみ、競技会があれば参加するということなんでしょう。先月だったかランカウイで行なわれた国際凧上げ大会にも参加したと彼は語ってくれました。上半身裸でとつとつと話すさまは、いかにも田舎の気のいいおじさんです。
競技会では長さ150mの糸を使うとのことです。彼はいろんな所の競技会で優勝していると、先ほど家の息子が自慢実に教えてくれます。
奥の部屋で遊んでいる子供たちがいましたので、もう子供たちに凧作りを教えたのかと尋ねてみました、まだ教えてないと。飾ってある凧の形が違うので、あれこれ見比べていると、4種あるWAUの名前を教えてくれました、Kedah州の特産Wauはbudiです。Wau Bulanはクランタン州のデザインで、マレーシア航空のシンボルに使われていますから、記憶にある読者もいらしゃることでしょう。またバティック描きしたちょっと小型のWauも飾ってありました。
この家も典型的農家です(右の写真)。庭で鶏や名知らぬ鳥が遊び、椰子の木が何本も植わって日陰をこしらえています。物置納屋、鳥小屋、ウサギも飼っている、ひろい庭はけっしてきれいとはいえませんが、そこが農家なんでしょう。まことのどかで、変哲のないマレー農家です。庭の一番高い木のてっぺんにPAS党の緑の党旗がひらめいているところをみるとPAS党の支持者なんでしょう。しかし会話はそういうことに触れませんでした。
30分ぐらいそこで過ごし、二人に何度もお礼を言った後、その家から元来たバス停留所のある場所に歩いて向かいました。バス乗降場脇には茶店があり、村の若者がつどんでいました。正午前という時間なのに10人ほどの青年がアイスカチャン(マレー風かき氷)を食べながらおしゃべりしています。
この村は付近に工場などは無いはずですから、取りたてて仕事のない若者なんでしょう、都会の人手不足はここではまったく感じられませんね。ここだけでなくマレーカンポンを歩くと結構多くの若者を見るのです。もっともそのほとんどが男ばかりで、田舎の茶店で若い女性たちが茶を飲んでいる、食事しているなどといった光景はめったに見ませんからね、若い女性は一体どこにいるのだろうというのが、常々筆者の抱く不思議です。
上の二つのエピソードからおわかりになるように、カンポンの人たちは時にはとてつもなく人がいいのです。見ず知らずの者を家の中にまで通して内部を見せてくれる、なかなか考えづらいことです。並んでいる列を平気で乱し、ごみをぽいぽい捨てまくり、数秒でも前方の車が停車すればすかさず警笛を鳴らしまくる、他人に気遣いをまったく見せようとしない人々の集まったクアラルンプールなどの都会、同じマレーシアでもこんなに人間の行動と心理状態は変わるものかと不思議になります。しかしそういう我関せず症候群の都会人も元カンポン人やカンポンから最近やってきたばかりの人も多いのです。まこと、環境と金は人間を変えるのですね。
コラム第186回で、田舎の人の良さに感心した話題を書きましたね。今回も田舎を訪ねて、そこで出会った人たちと起きた出来事を通して、マレーシア社会を考えていきましょう。今回の旅の目的は2、3あってその中心がクランタン州のタイコミュニティーを探る目的でした、これに関してはいずれまとめて文章にして掲載しますので、このコラムでは触れません。
4月のとある日曜日、20時20分発の夜行列車WAUでクアラルンプール駅を出発、翌朝Wakaf Bahruに1時間ほど遅れて朝8時すぎ到着しました。列車名からしてクランタン州の民芸品としても知られているマレーシア凧WAU名がつけられているこの列車は、クアラルンプールとクランタン州を結ぶ唯一の直行鉄道便で、毎日1往復あります。今回も列車は遅れていましたが、まあそんなことはいつものことでたいしたことではないでしょう。(このWAU号の旅に関しては、ずっと以前に書いたものがあり、「マレー鉄道の案内と旅」に97年から掲載してあります)
クランタン州に入り、Tanah Merah, Pasir Masなどの町で少しづつ乗客が下車して減っていき、Wakaf Bahruで大方下車してしまい、次ぎの終着駅Tumpatまで乗りつづける人は大変少ないのです。州都コタバルにマラヤ鉄道線路も駅もありませんので、このWakaf Bahruがコタバルへの最寄駅ということになります。同乗していた白人旅行者もここで下車してタクシーで去っていきました。コタバルだけでなくプルフンティアンなどの離島へいく場合もここで降りるべきです。離島へならその前のPasirMasで下車した方が多少便利かも。
でWakaf Bahru駅はマラヤ鉄道の常で小さな駅、タクシーがどこへ行くのかとうるさいのですが、その手のさそいは通常相手にしない筆者ですから、駅構内をでて通りまで100mほど歩き、バスを待ちました。バスは駅構内に入ってきませんが、駅の近くを通るぐらいのことは想像できますからね。尚Wakah Bahruはコタバルから(クランタン州最北の町)Tumpat又はP. Kubor行きのバスが又はそこからコタバルへ戻るバスが必ず経由する村です。
バスを待っていると雨が振り出してきたので、しばらく小さな古びた茶店で朝食兼雨宿りです。茶店には外に出したテーブルに朝食用としてナシダガンがありましたので、早速それとテーオーで軽い朝食です。右の写真がその様子で、ナシダガンは鍋に入っている、並んでいる手前がSata、Pulut Lepa, Akakなどのクエ類(菓子の意)もあります。こうしていろいろ並ぶと何にしようかな、と選ぶのに苦労しますよ。
”Teh-O, Tampa Gula”と店の女の子に伝える、彼女意味がわからないと見えて、別のおばさんがまた聞きに来た、"Teh-O Kosong, Tampa Gula, Saya tak mau manis テーオー砂糖ナシで、甘いのはいらないよ”と説明しなければならない。マレーシアでは普通に飲み物を注文するとものすごく甘口にするので、普段はTeh kurang manis(甘さ控えめのティー)などと注文するが、まったく砂糖を入れて欲しくなければ、このように伝えます、しかしこういう人は極めて珍しい、とくに田舎でそんな風に注文する人は絶対にいないので、時にそれがわからないマレー人がいます。尚Teh-O Pahitという呼び名もある。
周囲のクランタンマレー語を聞きながらナシダガンを食べていると、クランタン州に来たなとつくづく感じます。筆者はこういう小さな小汚い茶店でちょっと時間をつぶすのが好きです、いかにも地元だなという雰囲気が味わえますし、値段も安い(この場合RM2でした)、時には地元の人とおしゃべりもできますからね。
さてコタバルとは反対方向のバスに乗り、しばらくして道路際にタイ寺院が見えたのでその近くで下車、多分そのあたりにタイコミュニティーがあると見当をつけたのです。でまた雨が降りだし、下車してすぐ近くの茶店の軒下に飛び込んででしかたなく雨宿りを始めると、そのすぐ前の建物に奇妙な物があるのに気がついて、ナンだろう。たくさんの木の枠に大きな木の葉がいっぱい掛けてある、人がいる気配がしたので、雨の中その方向に歩いていきながら、「Encik, Bolekah Tengo?見ていいですか」と声をかけると、「Bolehいいよ」。それを聞くとすぐその建物内に入っていきました。このように相手の許可をもらうのは当然のことで、筆者は私有地に入る時は人がいれば必ず声をかけるようにしています。
木の棒にかけられた木の葉を指差しながら、これ何と聞けば、タバコの葉だとその男は答えてくれる。そうかこれがタバコの葉なんだ、ここはタバコを製造しているんだ。入ってもいいと答えてくれたその男から説明を何回も聞くと、この工場(こうば)で葉を乾燥させ、それを仕上げ巻き工場に送っているとわかりました。クランタン州の農産物ではゴム、米と並んでタバコが主要生産物と書いてあります、筆者は初めてそのタバコの乾燥工場なるものを訪問したわけです。誠に目立たないオンボロな建物で、バスの窓からでは全くわからないし、表道路に面した入り口にも会社名が小さく書いてあるだけで、これがタバコ葉乾燥工場(こうば)だとはとても想像できません。こういう地元産業の現場を覗けるのはラッキーラッキーです。
朝のせいかそれとも雨のせいなのか、工場内には数人の男しかいないので、いつもこんなに働いている人は少ないのかと尋ねると、そうではない忙しい時は沢山いると。常時忙しいわけではなく、年の半分ほどはまともに稼動はできないそうです、当然ですね、雨季では葉の採集もできないでしょうし。竹でできた棚にかけてしばらく葉を自然乾燥させ、それを建物の横と裏手にあるサイロ式の乾燥塔に入れるのです。この乾燥塔は30棟もあり、この工場(こうば)は外から見たよりずっと規模が大きいのでした。
若い男が一人もくもくと竹の棚から葉を手押し車に積んでいます。山のように積んでいるので、それ運べるのかと聞くと、「Biasa ふつうさ」との返事、こんな程度は当たり前ということでしょう。筆者は持ち上げようと試してみましたがびくともしません、まこと重労働です。この手押し車を乾燥塔に運び、塔内部の棚に葉を八段にして重ねて積むのです。塔の高さ4、5メートルはあるでしょう、上まで積むのは相当なる作業です、まったく機械化されていない全部手作業ですからね。これぞ地元地場産業なんでしょう。
先ほどの男性、多分工場の現場責任者であろう、とあれこれとおしゃべり。こういうのが楽しいし、いろいろと地元の話題を知ることができる場合もありためになるのです。彼も日ごろこういう都会の物好きと話したことなどないだろうから、あれこれと話しは続く、タバコの葉の乾燥の仕方、労働者のこと、この村にはタイ系マレーシア人も住んでいるなど。しかし残念ながらまことに残念ながら、筆者の語彙不足は当然として、彼のクランタンマレー語が良く聞き取れない、恐らく彼はクアラルンプールなど都会に出て働いたことはないようだ、何回も聞き返してもわからないことばが多い。流暢ではあってもマレー語彙のたいへん少ない私が質問してもよく通じず、じれったいのである。しかしこれもクランタンの田舎らしさである。(英語はもちろん誰も使わないし、まず通じない、そういうところで英語使うこと自体相手との距離を広げてしまうのです)
とにかく、乾燥塔で乾燥させるのは数日かかるそうで、一度火を入れると24時間絶やさないということは理解したが、どういう状況が乾燥完成かはわからないなどなど、よくわからないことが多いのです。
塔の裏側の釜から火をくべ、塔内下部にある鉄パイプに熱が伝わって葉を乾燥させる仕組みらしい、ちょっと中を覗いた程度なのでそれぐらいしかわからない。最終的にかさかさに乾いたタバコ葉を巻き・煙草仕上げ工場に送るのである。
尚、クランタン方言がどれくらい標準マレーシア語と離れているかというと、例えばこの工場の前の茶店で筆者はしばらくコーヒーを飲んで雨宿りの時間をつぶしたのですが、隣のテーブルで土地の老人らがこれも雨宿りかたがた茶飲み話しをしていた、筆者はなんとか何を話しているぐらいは聞き取ろうと耳を傾けたが、結局あきらめた、題材さえわからないのです。別に彼等は複雑なことを話しているはずはない、身辺雑辺、たわいもないことについてであろう、しかしわからないのだ。
幸運であった、雨がふったため雨宿りしたことから、偶然にタバコ工場内を見学できたのです、これだからぶらぶら旅は止められない。この茶店の壁にはクランタン凧WAUが掛けてあった、先日訪ねたケダー州の田舎で見た凧よりいかにも素人の手作りといえる出来具合であったが、なんともほほえましいWAUだ(右の写真)、居あわせた子供に誰が作ったのかと聞くと、おじさんが作ったとのことであった。
その日はたまたま市の立つ日で、茶店横の一角には10数軒の露店が商売をしていました。もちろん全てマレー系の店です。衣類や食品、魚、果物などを地面に並べる店、テーブルに並べる店とあるが、村の人たちが時折やってきて見繕っていく。たいして品数はないが、それでも町まで買いに行く手間が省けていいのかもしれない。
雨が相当小ぶりになったので、ちょとこのTelaga Bata村内を歩いてみた、取りたてて珍しいもののない田舎部落、やぎが遊び、時折バイクが通りすぎる、こんな村にもいやこんな村だからこそ、PAS党の宣伝パンフレットが貼ってあり且つPAS党旗がいくつか掲げてある、村の入り口小道には大きなPAS党のアーチまでこしらえてある、まことクランタン州ではもう至る所にPAS党の存在を感じるのです。PAS党を単なるイスラム原理政党とレッテル貼ることは簡単ですが、なぜそれが人々に浸透しているかを知らねばならない、その強さは単なる宣伝強さだけにあるのではないのです。
こういう田舎で生まれ一生暮らす者に(政権与党の)UMNO流の開発と開放策はどんな意味を持つのであろうか、彼らは決してイスラムの教えと掟を不自由なものに考えたり受け取っていないでしょうね(そういう発想自体が筆者を含めた非ムスリムであることから来ている面がありますが)。生まれた時からイスラムはそこにあり、空気と同じような存在である、女性はスカーフをまとい身体を隠し、男は男の世界に住む。1日の仕事が終わって夜パブやレストランへ出かけてそこで集うわけでもない、インターネットで世界の情報を取るわけでもない、常に変わらぬ村の世界がそこにある。外の世界の情報はテレビ、しかしクランタンの多くの地域では公営RTM局からのTV1とTV2だけしか受信できないようだ、民営局のTV3は受信できません(のはす)。西海岸側の都市だけで放映されているntv7チャンネルがクランタン州・トレンガヌ州に広がる可能性はないでしょう。衛星テレビのAstro? とんでもない、そんなパラボラアンテナのある家は珍しい。
ちょっと蛇足ですが、TV1チャンネルの退屈さはそれをまじめに見た者であればまず誰でも感じるはずです、夜のゴールデンアワー時!にマレーシアのイスラムはどうあるべきかなどといったイスラム関係者の討論番組を放送しているのです、視聴率などといったものはほとんど無視した番組編成ですね。おおげさではありませんよ、試みにクアラルンプールのマレー街へ行って見ればよい、そこでは大衆食堂や茶店がテレビを置いて、マレー若者を中心にした客は食事しながら又はそれが終わってもテレビを見ている光景によく出会います。しかしそこでかけられているチャンネルにTV1である可能性は際めて低いのです。
テレビはめったに見ない筆者ですが、マレーテレビドラマの単調さにはいささかあきれます、ごく玉に見るならまだしも、あれを毎日見る気にはとてもなりません。こういう番組の揃っているのがTV1チャンネルです。TV2はもう少し商業的で視聴者指向で筆者の感覚から言えば”まし”ですね。
このTelaga Bata村の住民が村の世界から離れるのは、休みの日に州一の都市コタバルへ出かけるぐらいが町の雰囲気、生活を味わう時であろう。しかしコタバルの夜はまこと静か、中心部の一部を除けば店も屋台さえもほとんど閉まってしまう。パブ・ディスコ類はないし、カラオケなど数えるほどしかない、それも外にネオンサインなど出して他人を呼び込むことはできません、早く言えばその存在を宣伝していけないのです。コタバルは西海岸側都市の都会人の感覚で言う夜の娯楽生活などありえない町なのです。しかしそれがコタバル流の生活であり、それが窮屈と思うのはクアラルンプールのような都市生活の影響を受けた人々だけが感じるのでしょう、多くのクランタンマレー人にとってこの方が普通のことなのでしょうね。
マレーシアは地域差の大きな国です、サバ州サラワク州と半島部の違いはマレーシアのしろうとでもある程度感じるはずです。半島部内でも相当違う、同じマレー社会でも違う、筆者は時にこう言っています、都会の英語を話す華人やマレー人ばかりを相手にしていてマレーシアを判断してはいけないと。それも確かにマレーシアの一面です、しかしそれではその他多くの面を見ていないことになるとね。
このTelaga Bata村を後にして次ぎの目的地に行こうと、コタバル方面のバスに乗るべく道路端を歩いていたら、道路際の椰子の木の茂る空き地で紐を手にした中年のマレー男性が上方を見ながらなにやらやっているのに気がつきました。ひょっとしたら椰子の実取りのサル使いではないかと、近づいて椰子の木の上の方をよく見たら、やっぱりそうです。前々から実際に見たい見たいと思っていたサルの椰子の実取りですから、早速見物することにしました、「イヤー、今日はついているな」と思いましたね。
サルの椰子の実取りは半島部のいくつかの州で行なわれているそうですが、やはり本場は東海岸州です。観光用でない本当のサルのココナツ落しに遭遇できるとは願ってもないチャンスです。サル使いの男性に眺めていていいか、写真を撮ってもいいかと尋ねたら、OKとのこと、よかった。高さ10mぐらいだろうか、椰子の木の上辺の実が固まってなっているあたりにサルはしがみついている。目をよく凝らさないとわからない、椰子の木の葉が陰を作っているので暗いこととサル自体が体長50Cmぐらいの小型サルであることに加えて、地上10mほどの上方での”作業場”であるからです。
肉眼ならまあ見えるが、筆者のズームもない暗いレンズの旧型デジカメでは残念ながらよく撮れないであろう、と思ったがそれでも何枚も撮りました、掲載した写真はその中の最もよく撮れた部類だが、それでも読者には恐らくサルの存在がよくわからないでしょうね。珍しいサルのココナツ落しの現場をはっきりと写真でお見せできないのは本当に残念です(新しいデジカメ欲しいなあ −独り言)。
上方のサルは木の周りを少しずつ移動しながら、熟したココナツだけを選んで落としていくのです、「サルが自分で判断するのですか?」 と聞くとサル使いは「そうだ」、筆者は「Pandai 賢いなあ」、と思わず感心しました、サル使いは筆者の言葉ににっこり。椰子の実は結構大きいのです、殻が大きいからですが、これが連なって木の上部で実っている、サルは手で引っ張ったりしながら歯でツルを噛み切るようにして椰子の実を落とすのです、ドスンと音を立てて地面に落ちます。1個の椰子の実落しに5分くらいかかることもある、見ていると重労働ですよ。サルは器用に足場を固め片手で捕まりながら、実を引っ張りさらに口でと忙しいのです。
あんな高さから落ちたらいくらサルでも死んでしまうだろうな、と多少は心配心が湧いてきます。高所労働危険手当を与えるべきですね(Intraasiaは女性にやさしいだけでなくサルにも思いやりがあるのですよ!- 独り言)。 もちろんサル使いはそんな情けは全く示しません、ちょっとでもサルが手を休め休んでいると、紐を強く引っ張ってサルに労働指示です。サルはスズのついた首輪をはめているようで、移動するたびにスズ音が響き、首輪から紐がサル使いまで伸びています。
椰子の実落し見学の合間にサル使いに幾つか質問しました、強いクランタンマレー語の返事ですからなかなか意味がよくとれません、それでもわかったことは、サルの訓練は別の訓練師がして、それをサル使いが買う?借りる?とのこと、筆者はサル使いが訓練すると思っていたのですが違いました。1日どれぐらい椰子の実を落とすのですかと尋ねれば、300個とのこと、すごい数です、この数を聞いただけでサルは重労働ですな。それにくらべてサル使いは紐を引っ張りながら下から指示だけですから、一見楽には見えます。しかし落とした実を集めたり運んだりするのでしょうから、これもなかなか重労働ですね。尚筆者がこの場で見物していた30、40分間に約15個ほどこのサルは実を落としたのです。サルを朝から夕方早い時間まで働かせるとの事で、もちろん雨が強く降ればお休みです。
サル使いはあちこちの椰子の木農園や群生地を回るのでしょう、椰子の木は数ヶ月もすれば次ぎの実が成ってきますから、それぐらいの周期で決まった又は地主と契約した椰子の木繁殖地をまわるのでしょうね。椰子の実落しのサル使いはいわば個人請負業かな、その辺がなんとなくわかりましたが、確認は取れませんでした。いずれにしろ伝統的職業でしょうが、若い者が好んで後を継ぐ職業とは思えません。彼がチラッと漏らした言葉によれば1日稼ぎはRM20ほどとか、これでサル養いを含めて全てをまかなうから決して割りのいい仕事ではないでしょうね、雨が降れば稼ぎナシですよ。
椰子の木は成熟するのに7年ほどかかるとのこと、これはサルの落とした椰子の実を殻をそいでいた男が語ってくれました。地面に立てた刃物状の物に実を押し当てて殻をそぐのです、すると椰子の実は半分以下の大きさになります。
マレー農家はどこでも庭に椰子の木が生えていますから、椰子の実落しの棒がよく置いてあります。あの棒って結構重く、慣れないとうまく選んだ実だけを落とせないようです。その点サルならどんな高い所でも大丈夫ですし、まじかで実を選びながら落としていくという有利な点があるのでしょう。だからサルの椰子の実落しが存在するのでしょうね。
サルがその椰子の木の熟した実を落とし終わるのを見届けて地面に下りてくるのを待ちましたが、けっこうまだ時間がかかるようであきらめました。雨の後で下地の草地は濡れており、ヒルがいるそうです。草地を歩き回ってサルの仕事を眺めていた筆者はサンダルシューズなのでヒルが心配でした。当然サル使いはそんなこと全く心配してません、時折強い手巻きの地元タバコを吸いながら、上を眺めています。見知らぬ筆者の質問にとつとつと答えてくれる、いかにも田舎のおじさんです、腰にさしたパラン(小刀)と頭の布がクランタンマレー男性の姿をよく示しています。(写真で確認してくださいね)
このサル使いと近くで木の実を削いでいたおじさんに何回もお礼を言って筆者はその場を後にしました。本当にこういう地で出会う人たちって朴訥で人がいいのですよ。
さてPasir Masからバスに載って約30分でタイとの国境の町Rantu Panjang に着きます。この町はクランタン川に沿って細長く、その対岸はタイのSungai Golokです、東海岸州の人には南タイへの入り口としてよく知られた町です。マレーシア側の国境検問所は川にかかる橋の手前あたりに約1年前にできたビルに移りました。バスは検問所手前から1Kmほど川に沿ってもう少し進みます、そのあたりが町の中心で市場があり、その前がバス発着場です。そこで筆者は降りました。ふとその近くにクランタン川が流れていることに気がつき、川岸方向に歩いていきました、川岸はバス乗降車場の裏手わずか数十メートル先です。
川岸には対岸とを往復するボートの待合場がこしらえてあり、且つ人々が待っていました(タイ人だけのはずです)。対岸へ渡るといっても水の流れる川幅は10mほどで、対岸の様子はもうすぐまじかに見えます。対岸へここから渡ることが違法であることを筆者はもちろん知っていますから、岸辺の様子を見るだけです。
そこで対岸の写真を1枚取り、川岸に立ててあるマレーシア語、英語、タイ語の警告板、:この川を国境検問所以外の場所で渡るのは違法です、罰金いくら懲役何年に処すという内容です。それも写真に撮った時、するどい声が筆者宛てに飛んできました。最初何かわかりませんでした、でも向こうから筆者のいる川岸に戦闘服の若者が早足で駆け寄ってくるではありませんか。この段階で筆者は気がつきました。自動小銃を肩にした国境警備の警官です、すごい剣幕です、何をやってる、写真は撮ってはいけないとどなっているのです。
筆者に近づくや否や、「どこの新聞社の記者だ?南洋か(ある華語新聞のこと)?」などともう完全に筆者がジャーナリストだと思っているようです、”Bukan, Saya bukan Journalisit 違います、ジャーナリストなんかではありません。hanya pelancong単なる旅行者です”と答ましたが、こちらへ来いと命令されました。「記者証はあるのか、身分証明書を見せろっ」もちろんすぐに、身分証明書はないがパスポートですと胸から取り出して見せました。筆者は何度も記者ではない、ただの旅行者であるとこの若い警備隊員に伝えたのですが、とても聞き入れてくれません、”Saya bukan Orang Cina華人ではありません、Saya Orang Jepun, dari Kuala Lumpur日本人でクアラルンプールからきました"と伝える、すると日本の新聞社か、国境の写真など撮ってマレーシアの悪口を書くのかと、さらにお前を連行すると言われてもうびっくり、とても言い訳を聞いてくれる雰囲気ではありません。
歩きながらこの若い屈強な警官、国境警備隊で普通の警官とは任務が違う、は腰の手錠をはずし私の目の前にさらすではありませんか。この段階になると筆者は事の深刻さにもう完全にあせりました。とても強く反論などできません、反抗するような態度を少しでもとれば確実に手錠を掛けられたことでしょう。とにかくおとなしく、「単なる旅行者です、とにかく警察でもなんでもいいからそこへ行きます」と伝えました。パスポートをよく見てくださいと訴えましたが、彼は私を疑っておりだめです。”Maaf、Saya tak tahu di sini tak boleh ambil gambar 、Maaf すみません、ここで写真とっていけないとは知らなかったのです。”などと数回謝りましたがもう手遅れ、完全に筆者はその行為で疑われています。屈強な自動小銃姿の警備隊警官に目の前で手錠を見せびらかされた筆者の心境は想像していただけますか。
近くの小屋の下に筆者は連れて行かれ、そこでその警備隊員はウオーキートーキーで上司を呼び出しました、筆者はやばいこれは本当にやばい、これで本当に警備隊事務所などへ連行されたら大変だと思い始めました。違法行為など全くするつもりもなかったし実際違法なことは一切してないから、最終的に罪になりっこはないはずですが、警備隊事務所なり本部であれそこで詰問などされたら誠に面倒でたいへんです。筆者のような一匹狼はそれこそ誰からも手助けがありませんから、もうどうしようもありませんからね。
まもなく、数分ぐらいかな、私服姿の上司が別の国境警備隊員とやってきました。筆者は撮った二枚のデジカメの写真を消した後、必死になってその日撮った画像を液晶画面上で示し、ほかの画像は国境とは何の関係もないことを訴え確認してもらいました、さらに二枚の国境写真映像は消したと伝えました。カメラ没収などになったらたいへんですからね。
その上司は筆者のパスポートをペラペラとめくりながらあれこれと質問してきます、もちろん筆者は正直に、日本人旅行者で単にタイとの関係に興味をもっているからたまたま国境の写真を撮っただけです、ジャーナリストではありません。だから興味以上の深い意味はないのです、もし写真を撮ったことがいけなかったらそれはあやまります、とひたすら低姿勢に徹しました。私は何も違法なことはしてません、とも伝えました。そのうちその上司はわかったと言い、もう行ってもよいと言ってくれたのです、ほっとした、とはまさにこのことです。国境警備隊の本部ま連れて行かれたら長引いてしまうな、心配だなと思っていたので本当にほっとしたのです。
別れ際に先ほどの若い警備隊員には”Maaf すみませんでした”と再度伝えておきました。彼は悪気があって筆者を連行しようとしたわけではないのはわかります、職務熱心でちょっと融通がきかないだけであることはよくわかりましたからね。その上司には「写真の件はすみません、もう撮りません、でも国境を見るのはかまいませんか?」 と改めて尋ねてみました、「見るのは構わない」と言われて安心しました。とにかくこれで一件落着です。「これからどうするのか?」と尋ねられたので、「今日はここに泊まります、国境の町の様子を見てみたいのです」と筆者は答えてから、元来た方向に向かってその場を離れたのです。
Intraasiaの旅行編やこのコラムをすっと読んでいただいている読者ならもうお気づきかと思いますが、筆者は一般に在住者や旅行者がするような又は考えるような旅はあまりしません、一般の人が、マレーシア人を含めて、しないできないスタイルの旅が中心です。ただ誤解なきように申し付ければ、観光地や有名地へは行かない、興味ないということでなく、それだけが主目的ではないということで、そういう有名地はついでに回るのです。ですから今回のようにタイとの関わりを調べている中で、(検問所ではない)国境の様子を眺めたり、観光とは全く縁のない村村を歩いたりするのです。今回も検問所のない国境線の様子を見たかっただけでそれ以上の深い意味合いはありません、しかしうっかり写真を撮ったのはまずかったですね。
普段筆者は村や非観光地を歩く時、そこの人にできるだけ怪しまれないように気をつけます。村人に声を自分から掛けたり、茶店で休んだり、むやみに写真をとらないようにします。たまに警官などの姿をみれば、自分からそちらによって行き、道を確かめるようなあたりさわりのない質問をします。これは長い間に筆者が得た経験からで、とにかく相手に警戒心を与えないようにする方策です。いくらこうしても見知らぬ男が歩いていれば疑いの目で見られてもおかしくありません、ですから相手の警戒心をなくすことはできなくても増やさないように心がけるのです。
ですから、今回川岸に近づいた時警備隊の姿にもし気がついていたら、筆者はあらかじめ一言写真をとっていいか尋ねていたはずです。しかし不幸にも筆者の目に入らなかった、注意不足でした、反省反省です。とにかく最近にはない失敗でした。警備隊がひどいのではなく、筆者の注意が足りなかったのです。国境は決して観光地でも散策地でもないのです。特に数十キロも続くこのクランタン川の国境線を越えてタイからの密輸がよくあると言われていますから、国境警備隊は川沿いにすっと立って監視しているようです、さらにRantau Panjangの郊外は警備隊の車がしきりに行き来しているのです。
翌朝早く、また国境の様子を見に行きました、前日の場所から1Kmほど離れた別の川岸です。こんどはすぐに警備隊員の姿が目に入りましたので、"Encik Bolekah tengo? Saya dari KL眺めてもいいですか?クアラルンプールからきた者です" と尋ね、"Bolehいいよ" の返事をもらってから川岸に出ました。そこでその警備隊員と雑談しながら、対岸のタイ町Sungai Golokの様子を観察できたのです。これが本来の筆者のあり方です、地元にいる人の疑い感、警戒感を減らしてから雑談に入るというね。ただその朝はカメラはもちろん持っていきませんでしたよ。