「今週のマレーシア」 2000年1月と2月のトピックス

マレーシア初心者のための入門教室  ・続 マレーシアの高等教育  ・マレーシアにおける外国人労働者の社会 雇う側の論理と根付く外国人コミュニティー 
ホーチミンシティーの明と暗をバンコク、クアラルンプールに重ね合わせる 前編
標準マレーシア語(Bahasa Malaysia Baku)発音放棄問題を考える ・ マレーシア華人の箸の持ち方について
タイ深南部のムスリム社会とマレー社会の相違を探る試み ・ イスラム教に改宗した華人のこと ・ 彼らの信条、よくわからないなあ



マレーシア初心者のための入門教室


マレーシアをまったくご存じない方もひんぱんに当ホームページを訪れてくださいます。誰でも初めは白紙に近い状態から始まりますから、知らないこと自体はあたりまえですよね。問題はそこからどう色が着くか、又は着かずに消えていくかそれぞれ人によって違います、興味なければ白紙の状態のままか他人の色塗りをそのまま受け入れる場合もあれば、きらいになって紙そのものがごみ箱に捨てられる事もあるでしょう。

そこで今回は年頭ということもあって、初心者のためのマレーシア入門教室として、久しぶりに講義形式で行いましょう。

場所:チャット喫茶”モノローグ”
講師: 店のマスター
本業(ホームページ更新)が忙しくてなかなか店に顔を出せないので、店は従業員にまかせている、しかし給料はちゃんとはらっている(つもりの)思いやるのある人です
生徒:店の従業員2名
ウエートレス:偽名マユミを名乗っている。男の尻を追うより熱帯の海で魚を追ってるほうが好きとか。
遅番アルバイト:偽名ひでこを名乗っている。中華ポップススターの追っかけをしている若妻とか。

全員店の名物テータレッを飲みながら講義開始です。リーンとベルが鳴る

みんな:明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。

マスター:お二人はマレーシアって聞いた時最初に何を思い浮かべましたか?

ウエートtレス: 暑いなあって印象。

バイト: 華人がたくさん住んでいるから中華ポップスがいつも聞けていいな。

マスター:マレーシアは熱帯にありますからもちろん暑いですが、その暑さって日本の夏のみたいです。かっと照り付ける日もつづくが、雨が降って夜寝る時は窓閉めたいなという日もあります。大陸性気候のような堪えられないほどの蒸し暑さではないのです。マレーシアは1年中夏だということです、ただし冷夏もあるし暑い暑い日もあるのです。

マレーシアの民族構成は複雑です、最新の統計から見てみましょう。多数派のマレー人は総人口2270万人の5割そこそこの1070万人、次に多いのが華人で2割5分を占める560万人、華人とはもと中国からの移民の子孫ですが、今ではほぼすべてがマレーシア人です、だから華僑という呼び方はふさわしくありません。3番目がインド人で総人口の約7%、160万人、彼らも19世紀20世紀にマレーシアに渡ってきたインド人の子孫がほとんどです。サバ州のカダザンドゥスン人とサラワクのイバン人らの先住民族は合計で250万人です、細かく分ければ数十の分類になりますから、彼らをまとめて(非マレー)ブミプトラと呼びます。

上記の分類に属さないマレーシア人が70万人、そしてマレーシア国籍でない者が160万人、総人口の7%を占めます。

ウエートレス:マレー人はマレーシア人口の半分なんですね。思ったより少ないです。

マスター:マレーシアがどこにあるか知っていましたか?
2人とも:もちろん知っていましたよ!(正月だから元気いい)

マスター:それは結構。でもタイの下とかシンガポールの上ではちょっとかわいそうです。シンガポールなんてランカウイ島より多少多きい程度ですからね。マレーシアは歴史的経緯からボルネオ島部と半島部に分かれます。両者の違いは、統一後40年近くたっても相当大きいですね。

バイト:マスター、マレーシアの人が手で食事するところテレビで見たんですけど。みんなあのように食べるのですか?

マスター: 手ではありません、指で食べると言って下さいね。 そういう食習慣はムスリムであるマレー人やヒンヅー教徒のインド人に昔からの週間です、指で食べる方が味わいがあるという理由を挙げる人もいます。ですからマレー料理は一般にあつあつではないのです。あつあつのご飯ではやけどしてしまいますからね。
食べ方は右手の5本の指を使います、左手は使いませんというより使うべきではないのです。なぜだかわかりますか?

バイト:えー、どうしてですか、わからないなあ。あつあつのご飯でないとおいしくなさそう。あー、うちは主人と今でもあつあつです。

マスター: あっそう。でバイトさんはトイレでペーペーをどちらの手で使いますか?

バイト:それはちょっと答えられません

ウエートレス:私はどちらも使いません!。我が家には高級なウオッシュレットがありますからね(と自慢している)

バイト:うちの店にはウオッシュレットなんてありませんよ。でも内部に水道とホースがついてますけど、あれどうしてかな?

マスター: まあいいでしょう、ムスリムはそれにヒンヅー教徒は左手を使うって御尻を洗うので不浄の手ということです、ですから右手の指を使って食べるのです。もちろん旅行者はそんなことに従う必要はありませんが、できるだけ右手を使った方がいいでしょうね。それに無理して指で食べる必要はまったくありません。まして高級レストランなら彼らもフォークとスプーンを使いますから。
尚トイレの内部にある水道とホースに関しては、コラム第86回の「トイレと水洗方法のお話」をご覧くださいね。

ウエートレス: ムスリム女性は必ずベールとかスカーフをかぶらなければならないのですか?クアラルンプールなどではスカーフかぶっていない若い女性も見ましたが。

マスター:そうとも言えるしそうでもないとも言える、微妙な所です。これはコーランをどう解釈しどこまで従っていくかによってムスリム間でも意見の分かれる所です。しかし小・中高学校や国立大学ではスカーフはほぼ強制のようですし、公共企業体もほとんどのムスリム女性はスカーフ(トゥドゥンという)姿です、さらに東海岸へいけば一般マレー女性の服装はずっとマレースタイルが多くなります。法律に書いてなくても社会的慣習又は圧力というものがあるのでしょう。
イランなどで一般的なベール姿の女性もいないことはないですがマレーシアではごく小数です。

ウエートレス:イスラム教徒の男性は4人の妻を持てるそうですから、マレー人はそういう家庭が多いのですか?

マスター;いや決して多くないです。4人も妻を持ってる人はまずいないでしょう。2人でもきわめて限られてきます。やはり経済的余裕ある人に多いようです。有名な政治家の中にも第二婦人を抱えている人がいますね。また複数の妻を持つにはそれなりの条件があり、それぞれ妻が同意すること、勝手に第二夫人を持つのはイスラム法違反です。ただどれだけのマレー男性が複数妻をもつかのような統計が公表されたことは、わたしの知る限り、ないですね。

バイト:マスターも複数妻を持ちたいのですか?

マスター:わたしはムスリムではありませんよ。ムスリム以外のマレーシア人はその”権利”も”合法性”もありません、それにマスターはその経済的余裕も全くないのです。店はいつも赤字なのです。

ウエートレス: 可哀相な経営者ですね。私、今年はお年玉要りませんから。だれかマスターにお年玉あげる人現れるといいですね(と珍しく気のきいた発言)。ところでマレーシアって危険なんですか、去年だったかなデモの様子をテレビで写すし、インドネシアがすぐ近くでしょ。

マスター;これはよくある質問ですね。まず危険というのは、身体的物品的被害を被るということなら、世界どこへ行こうとツーリストはその対象になります。特に金持ち日本人はなかでも狙われやすいグループにはいるでしょう。しかしれを防ぐそれを対処するのは旅行者次第です。このことをよく頭において行動してくださいというしかありません。
それとインドネシアの影響など一般の旅行者はまったく気にする必要はありませんよ。インドネシアで暴動が起きるとなんでマレーシアが危険となるのか、理解できませんね。むちゃくちゃな論理ですな。

休憩

バイトが皆に餅の替わりにロティチャナイを焼いている間に、マスターはおかわりのテータレをいれる。(ロティチャナイとテータレについては、旅行者ページの「飲食物の話題」に説明あり)


ウエートレス;次回はマレー鉄道でマレー半島縦断したいなって考えてます。雑誌にも載ってるんですよ。テレビでも紹介されたし。

バイト:そう、ロマンチックだってね。私もマレー鉄道で縦断したいな。

マスター;必ずある1回の乗り換えを含めて2泊3日でマレー半島縦断したって、ただ列車に乗っていたというだけで、それ以上の深い事ははないですね。少なくとも数箇所で途中下車してマレーシアを見て欲しいものです。不定期運行の超豪華列車で縦断するならそれはそれでいいかもしれませんが、それについては私は知りません。

詳しくは「旅行者・在住者のためになるページ」 を開いて、「マレー鉄道(マラヤ鉄道が正式名)の案内」をご覧ください。マレーシアの旅行シーズンと外国人の旅行シーズンをのぞけば、満席で乗れないってことはまずないでしょう。予約はそれほど必要ありませんが、ただ狙った座席、寝台がとれないこともでてくるでしょう。

バイト: あのうマレーシアのお金はリンギットって言うんですよね。今は円高だから旅行者は特ですね。

マスター:そうです。RMという記号を使うのです、よくマレーシアドルという人がいますけど、こういう呼び方は紛らわしいし、いつまでもドル呼びは止めて欲しいものです。正式名のリンギットと呼んで欲しいですね。

バイト:どこで両替えできますか?日本円持っていけばいいですよね?

マスター:もちろん円で結構、どの銀行でもできますけど、マレーシアにはインド人が経営する公認両替屋が都市とランカウイのような観光地にありますので、そこで換えるが手っ取り早いです。もちろんジョーホール方面だけ行く人なら、少しあらかじめシンガポールで換えておいてもいいですけど、しいてそういう必要はありません。詳しくは旅行者・在住者のためになるページの「通貨案内と両替え・規制の説明」をご覧ください。

ウエートレス:マレーシアなら屋台料理ですよね。私好きなんですけどあれ食べるのどうも難しいんです。どうやって注文したらいいかわからないし、何がでてくるかわからないし。

マスター:でもね、何がでてくるかわからないのがおもしろいという気持ちを持つ事が大切です。何が出てくるかわからない、そこがいい場合もあります、ちょうど初めて行ったクラブで指名したホステスを待つ気持ちといってもいいかな。
でそういうウエートレスさんのような方たちのためにコラムの第107回で「よくわかる実践マレー料理注文の仕方」、第138回で「一夜漬けで覚えるマレー料理の注文法」を載せました。どちらかを印刷して旅行に携帯して行って下さい。役立ちますよ

ウエートレス:あ、私もそこに、クラブじゃないですよコラムに出演してまーす。顔は出てませんけど。

マスター:どんな料理でも食べてみなければわからない、人がおいしいと言ったものが、その人にあわないこともあるし、その反対もある。知らない料理を楽しむんだという気持ちを是非もってください。 他人が食べてるもの又は注文してるのを見て、あれと同じ物ください、というスタイルを取りながら、少しづつ料理を覚えていけばいいのです。しろうとが初めから思い通りに注文などできるはずがありませんよ。失敗は成功のもとです、いつもテータレをこぼしてばかりいたバイトさんを見習ってくださいね。

バイト:こぼしても怒らないマスターってやさしいんですよ。ところでお土産には食べ物がいいなあ。肉骨茶(パクテー)のお土産用パッケージがあるって聞いたんですけど。私料理自慢ですからお土産に欲しいです。

マスター:そう、あります。肉骨茶のスープのもとです。有名お土産店とか大きなスーパーに売ってます、空港の店でも売ってるはずです。材料は日本で揃え、パッケージの裏にかかれたレシピーで作ってみるのもよさそうです。マスターは料理できませんから、自称料理自慢のバイトさん向きですね。今年は店のメニューに加えようかな。でも肉骨茶はHalalではありませんからね。

バイト:Halalて何ですか?

マスター:ムスリムが口にしてもよい飲食物の意です。ムスリム用でない食べ物にはよくNon−Halalと書いてありますよ。

ウエートレス:お土産ならマレー人気男性グループKRUのアルバムに限ります。私彼らのファンなんです。KRUかっこいんだから。

バイト:ウエートレスさん、お年に似合いませんわ。私女性歌手No1の Siti Nurhalizaの方がずっと好きです。彼女、私みたいに可愛いから。

マスター:(2人にあきれて話題を変える)マレーシアといえば青い海と白い砂浜が知られてますね。

ウエートレス;マレーシアのダイビングスポットにはちょっとうるさい私です。某国の有名スポットに比べて海の透明度が今一つですね。ダイバーの私にはちょっと物足りないなあ。

マスター:そうですか、マスターは茶店のマスターであって、ダイビングマスターでないのでダイビングのことは全然わかりません。でもサバのSipadan島とかLayang−Layangなどは素晴らしいと言われてますけど。ランカウイのパヤール島は本当のダイバーには物足りないそうですね。

バイト: マレーシアって素敵なリゾートがたくさんあるんでしょ。どこがお勧めかな。私ミーハーだからかわいいリゾートがいいな。

ウエートレス: リゾートはたくさん種類があってどこにしたらいいか迷いますよ。でもどの地域、方面に行きたいかによってまず決めて、それからガイドブックの写真でも眺めればある程度は絞れそうですよ(さすが先輩ウエートレスらしい発言)

マスター; 高級リゾートはランカウイやペナンだけでなく、東海岸沿いにも幾つかあるし、コタキナバルにもある。クアラルンプールから近いポートディクソンには素敵なリゾートがいくつかありますよ。日本ではほとんど宣伝されてないので、リゾート滞在だけが目的ならポートディクソンは穴場ですね。

バイト: ペナンかクアラルンプールに着いて、ホテル探すのやさしいですか?

マスター:やさしいとも言えるしちょっと手間取るともいえる。こういうことは旅行する人のこれまで旅行してきた経験とどういうところに泊まりたいかの希望次第で相当変わりますから一概にはいえませんね。 予算が厳しい人は、それなりにいろいろ歩いてみてそれにあうところを探すまでに時間がかかるし、予算に妥協できる人は、ホテルの多い地区へ行けばすぐ見つかりますよ。旅行者ページの、「クアラルンプールでエコノミーホテルを探す」、または「ペナン総合案内」をじっくり読んで下さい。

ウエートレス: 市内でバスに乗って移動するのものすごくたいへんです。一人で乗るの諦めました。

マスター:これは慣れ以外にありませんから、旅行者が十分乗りこなすことは無理です。でも主要な中心部方向へ行くだけなら難しいことはありません、「クアラルンプールの交通事情編」を見て下さい。
バスを乗りこなすのはどこの国でも難しいものです。電車と違って線路がないからどこへ行くのかわからない、不安だという気持ちはよくわかります。ただそれを反対に捉えて、どこへ行くのだろうという好奇心と多少迷ってもいいやという諦めを持って乗りまくれば次第に慣れてきますよ。

マスターは昔昔あのバンコクで街を覚えるために、1週間バスばかり乗りまくっていたことがありますよ。

バイト:それでも心配だな。私とても楽しんで乗れそうにありません。恐い人が乗ってきませんか?

マスター:お上品な若奥さんはタクシーをお使いください。でもそういう方は夜遅い時間はタクシーも止めた方がいいでしょう。

ウエートレス:それじゃ次回はセントラルマーケットからブキットビンタンまでバスに乗ってみようかな。マスター、それとクアラルンプールにも地下鉄できたんですってね。

マスター;そうです、地下鉄というより高架電車の路線の一部が地下に潜ったということです。チャイナタウンからKLCCまで行く場合は、是非この地下路線を乗ってご覧ください。

バイト:ところで、マレーシアのニュースって少ないですね、うちでとってる地方新聞ってマレーシアのこと全然伝えないんです。他の新聞よく伝えてるのですか?

マスター:そういう時は、本サイトの「新聞の記事から」をご覧くださいね。マレーシアのできごとを重要度に関わらずいろいろ選んで、毎日掲載してますからね。

ウエートレス:私毎朝かかさずに読んでまーす。「新聞の記事から」って、「今週のマレーシア」と違って頭痛くならないし、少しはためになるんですから。

マスター:やっぱり 「今週のマレーシア」って頭痛くなるんですか?

ウエートレス:いつもではないけど時々なりますよ!だって読むのに時間がかかるんです。私以前にもマスターに言ったように、わかってくれる人だけ わかってくれればいい という考え方も1つですけど、ホームページとか雑誌の文って読んでもらわねば話が始まらないのは確かですよね。読まれなければ 主義主張は伝わらないんですよ。 むやみやたらと面白おかしくする必要はありませんが、読ませるテクニックは必要だと思います。

マスター:まいったなあ、分ってくれるだろう人たちだけを対象にしてるつもりは全然ないけど。でも読む人に頭を痛くさせてはいけませんね。今年はそうしなように気をつけようっと。

バイト:正月だから、それ今年のマスターの抱負ですか?

ウエートレス:マレーシアのお正月は元旦だけですよね。餅も”もち”ろんないし、酒(おとそ)も”避け”なければならないし、つまんなさそう。(本人は洒落のつもり)

マスター:ウエートレスさん、相変わらず洒落のセンスが向上してませんね。マレーシアでは日本のようにおごそかに新年を迎える雰囲気はありません。でも西暦の1年の始まりとしてそれなりに意味ある祝日でしょう、今年はマレー人の最大祭日であるハリラヤプアサが1月7,8日と迫っているので、新年よりハリラヤがより待ち遠しいことでしょう。 華人にとってはやはり2月5,6日の旧正月のほうが何倍も重要ですね、西暦の新年は華人にとっては第二正月ってところかな。

バイト:ということは普通の祝日程度なんですね。

マスター:あたらずとも遠からずですね。でも今年は21世紀の始まりだから特別な感激もあることでしょう。それじゃ皆でもう一度新年をお祝いしましょう。

みんな: 

講義終了のベルが鳴る



続及び改訂:マレーシアの高等教育


このコラムは第66回 「マレーシアの高等教育」をずっと充実させたものです。

マレーシアでは初等教育6年、中等教育5年 プラス2年、これを一定以上の成績で終えると高等教育の進むことになります。尚プラス2年という形で書いたのは後で説明します。なぜこういう仕組みになっているかといいますと、マレーシアの教育システムは基本的に英国のそれを模倣して始まったからです。

筆者は英国の教育システムに関しての知識はほとんどありませんので深いことには触れられませんが、日本の教育システムとは相当違うということは感じます。

数少ない大学と非常に多いカレッジ

高等教育施設は大学、カレッジ、ポリテクニックからなりますが、そのカレッジでも内容は様々のようです。大学は全国で10校の国立大学があり、私立大学がこの4,5年設立されて現在たしか8校ほどあります。つまり4,5年前までは大学といえば国立大学しかなかったのです。国立大学は各州に一つづつあるわけでなく、半島部の西海岸州に固まっており、サバ州とサラワク州に各1大学あります。

有名なところはマラヤ大学UMですね、ペナン州には理科大学USM、スランゴール州にはUPMなどです。私立大学にはUniversiti Telekom とかUniversiti Petronasという企業名をかぶせた大学、Multimedia Universityなどという先進的な大学もつい最近できました。ただ私立大学は一般に国立大学より費用がかかるようです
注:Universiti はマレーシア語綴りです

カレッジとなるともう500校を超えるので、大は例えば Stanmford Collegeから無名のカレッジまで全て私立でまことに様々です。カレッジの多くはキャンパスのない小さなカレッジで、都会のビル、又はショップハウスに校舎を構えた造りです。

国立大学は語学留学とか研究生や大学院生としての在籍は別として、例外はあるものの一般にマレーシア人しか入学できませんので、外国人がマレーシアの高等教育機関に留学する場合はカレッジということになるようです。ですから有名なカレッジは外国からの留学受け入れに積極的です。

高等教育へ進む道

マレーシアの大学へ入学するには上記中等教育5年修了直前に全国統一試験のSPM試験を受けます。その成績が規定以上であれば、中高校でさらに2年間のコース(これを上記でプラス2年と便宜的に呼びました)に進み、その最後にSTPM試験を受けます。この2年間を大学入学資格取得課程とかPre Uni教育といいます。別のPre Uni教育としてMatriculation というプログラムがありますが、それは下記で説明します。
注:STPM: Sijil Tinggi Pelajaran Malaysiaの略称、SPMについてはコラム第150回を参照のこと。

なぜこういう仕組みかは英国類似システムだからです、初等教育6年間と中等教育5年間では一般に高等教育を受ける資格に少し足らないとみなされているのです。日本の大学に留学するにも通算11年では少ないのでSPM試験合格だけでは不十分です、もちろん日本語能力検定試験の結果が良くないことには話しは始まりませんが。

STPM受験はあまり人気がない

この2年間、Form 6前期と後期に分かれる、修了してSTPMで規定以上の成績を取れば、英国圏では一般に大学入学資格があると認められるのです。英国の資格であるGCE−Aレベルと同一だそうです。ちなみにSPMに合格すれば、英国資格のGCE−Oレベルと同一です。

さて問題はSTPMで規定以上の成績を取ったからといて、即国内の大学に必ず入学を認められる訳ではないのです。各大学に定員と民族別割り当てがありますから。それとSTPM試験はもっとも難度が高いと言われている事もあり、この2年コースを取る学生はそれほど多くはないのです。たしか毎年3万から4万人です。

難しくて且つ国内大学に絶対入れる保証のないSTPM受験の利点は、コース履修が比較的安価であり地元で通学できる利点があります。子弟をカレッジや外国へ留学させるする余裕のない家庭にとってはSTPMコース履修が一番適していると言われています。

カレッジに進んで大学入学コースを取る

そこで海外留学とかカレッジに進学する生徒にはSPTM受験の課程、Form 6と呼ばれる、を取らずに、別のコースを取るようです。国内でいけばカレッジのCetificateコース(1年程度)を取る、又は国内のカレッジが提供している海外のPre−UNiコースを選びます。例えばオーストラリアの大学へ留学するつもりならHiger School Certificate、英国のGCE-Aレベル、カナダの大学へならCanadian Pre-University コースを受講し資格を得、それから海外の大学に留学する又はTwinninng プログラム(後で説明)を取るのです。

さらにFoundation コースというのがあります。これは専攻する分野がすでに決まっていてその分野だけでPre-Uni資格を得て引き続き同分野の上級課程つまりDiploma課程、次いでDegree課程へも、に進んでいくコースだそうです。ただカレッジによってはDiploma課程の代替えみたいな場合もあります。残念ながらこのあたりが筆者には今一つはっきりしません。

ここらが日本のシステムと随分違う点です。尚上記の資格は米国大学時に義務付けられているTOEFULとは関係ありませんよ。こういうこともあって、STPMの改革又は廃止などを教育相が時々示唆しています、近い将来変わる可能性が有りそうです。

カレッジの提供する3種の課程

さてカレッジはその提供する課程に3種類あります。ここでいう課程とは専門を分別するコースでなく取得資格から見た 課程で、Certificate、 Diploma、Degree の3種類です。
この3つの課程を和訳すると意味が良く伝わらないので、そのまま使います。

Certificate課程


尚これを修了しても大学卒業とはみなされません。もしさらに勉強を続けたければ、Diploma課程かDegree課程に進むことになります。

Diploma課程


多くのDiploma課程は外部の専門職団体、会計士とかエンジニア、の認定資格を取得できるように組まれています。つまり合格すれば英国の職能・専門職団体の認定資格と同じになるわけです。辛口に言えば、他国の認定団体を利用しなければならないというところがマレーシアの高等教育の弱点です。

英国職能・専門職団体が実施する認定試験の主なもの


英国の認定試験だけでなくマレーシアのそれももちろんあります。
マレーシアの職能・専門職団体が実施する認定試験の主なもの


カレッジの中で、芸術、コンピューター、音楽、ホテル経営、エンジニアリングらのカレッジの多くは、評判ある外国大学又は職能・専門職団体が認定したカリキュラムコースです。そこで学生はそのカレッジのDiploma課程を修了した後外国の大学へ留学した場合、1,2年の在籍学習でDegreeつまり学士号が選られるのです。

Degree課程


カレッジ、その全ては私立、でもDegree課程がたくさんありますが、そのDegreeはそのカレッジ独自のDegreeではありません、というより独自にDegreeを授与できません。必ずその大学が提携した外国の大学、ほとんど英国、オーストラリア、ニューシーランド、カナダ、そして米国の大学です、がそのカレッジに授与する事を認定したDegreeの課程なのです。又は国内の公立大学が認定したDegreeです。これが日本の大学ともっとも違う点でしょう。

尚Degree課程に入学するのは、基本的にPre-Uni資格が必要ですが、なかにはSPM試験合格でも取れるDegree課程もある。

トゥインニングプログラムの内容

カレッジがこのように外国の大学のDegreeを提供するのは、マレーシアのカレッジがユニークなシステムを取っているからです。これを普通Twinning Programmeといいます。Twinning Programmeとはどういうことかというと、マレーシアのカレッジである一定期間勉強しその後提携した外国の大学で残り機間を学習してDegreeを取得する仕組みです。提携大学が英語圏の大学なので、講義は英語で行われ且つ英語圏からの外国人講師が多いそうです。

一般にあるプログラムは1+2 Programme:1年間マレーシアで学習し2年間外国の大学で学習する
2+1 Programme:2年間マレーシアで学習した後、1年間外国の提携大学で学習する
ごく最近現れた究極のプログラムが3+0 Programmeです: マレーシアで3年間学習するだけで外国へ留学する必要はない、なぜならそのカレッジが提携した外国の大学からDegreeを与えてもよいと認定されているからです。しかしコース数は少ない。

こうして取得したDegreeは外国でも一般に認められるDegreeとなるわけです。ただその区別の場合 Bachelor of Science(Hos) というように区別されているようです、尚Bachelor of Scienceとは日本語でいう理系の学士にあたり、HosとはHonours Degreeの意ですが、ただこれを名誉学士と訳すとおかしくなりますね。

外国へ留学しなくて又は留学期間1,2年でDegreeが取得できるのは、経済的に一番メリットがありますから、このTwinnning Programmeはたいへん普及しています。ただ外国留学という違った環境で学習する経験が少ない又はないということが出ますから、筆者の意見としてはもろ手を挙げて賛成できませんが、とにかくDegreeの資格を取りたいマレーシア人にはいいのでしょう。

参考までにカレッジでの年間授業料をあげておくと


Matriculationの説明

以上のほかに、コラム第150回で触れたPoliteknik があります。さらにブミプトラ学生だけに提供されるMatriculation というプログラムがあります。これはSPM試験で一定の成績を収めたブミプトラ学生対象に、国立大学入学に向けての特別2年間コースで、国立大学内でまたはその委託を受けたカレッジで、学生は勉強するのです。Matriculationはある種のブミプトラ優遇コースといってもいいでしょう、政府は近い将来なくす方向のようです。

留学の短所と長所

ざっとマレーシアの大学とカレッジの仕組みと特徴を書いてみましたが、日本との大きな違いは英国学制に範を取っていること以外に、まずすべての高等教育の需要を国内でまかないきれないということでしょう。そのために各種の大学資格認定コースがあり、複数の課程が生れ、且つカレッジは英国圏の大学とのつながりを強調せざるをえなくなるのです。

留学者が多い、というよりも留学せざるを得なくなるというのは長所でもあり短所にもなりますね。留学は何をもっても金がかかる。そしてここにも残る英語への依存という現実です。マレーシア学生の大多数は英国圏留学ですから、留学を目指す課程は当然英語力が重要視されますから、カレッジ教育は英語に頼るということになる。まあ英語崇拝者にはうれしいことでしょうが、筆者のように反・英語崇拝者(反・英語ということではない、このあたりは筆者のいくつかのコラムを読んでください)には悲しいシステムと映るのです。

やはり国内で高等教育がまかなえ、その上で留学しやすい環境が出来上がるのが理想ではないでしょうか。

通信制大学もある

最後に触れるのが、この数年前から始まったDisatance Learningと呼ばれる一種の通信大学教育です。普通の通学制大学コースと違ってパートタイムベースで学習できますから、社会人がその学習者に多くなります。Degree過程の学生の半分は教員であるとか。入学・受講資格はSPM試験で5科目は合格しているのが一般的です。

一般に授業料が通学制より高く、Degree過程でRM15,000から20,000だそうです。ほとんどの国立大学はこの通信制を提供していますが、一番大きいのはUPM大学で、8000人が登録しています。

テレビとラジオを利用した通信大学がUniversiti Tun Abul Razakの協力でちかじか始まります。ただ当面は経営学コースなど限られたコースで、まだそれほど多くのコースを提供していません。

付録:あるエピソードから

ごく最近のことです。マハティール首相がある会場で演説中、マレー人大学生が他の民族学生より(国内の大学での)成績が悪いことに触れて(無念さから)つい涙ぐんでしまったというニュースが話題を集めました。マハティール首相といえば若い時にその著書Malay Dilemmaの中でマレー人・民族の弱点を突いたことで知られています。尚その著書は当時マレーシアで発禁処分を受けました。

数字で見ても確かにマレー大学生の成績は非マレー学生のそれよりもずっと劣るのです。例えば高等教育を受けている数を1998年の場合に見ると、マレー人学生は文科系45,000人ほど、理科系で15,000人ほどです、一方非マレー人は文化系16,000人ほど、理科系11,000人ほどです。しかしこれを成績優秀者数で見ると、マレー人では2.6%、非マレー人では8.3%になるのです。成績優秀者の比率は統計で見る限り一貫して非マレー人学生が常に2倍から3倍も高いのです。(何をもって成績優秀かはこのさい問わないことにする)

1980年に高等教育を受けている学生をマレー人と非マレー人の別で見ると、マレー人が非マレー人より6割ほど多かったのですが、98年にはマレー人が非マレー人より2倍以上も多くなっています。これは70年代初期に取り入れられた新エコノミー政策下のブミプトラ優遇政策、例えば国内大学はその学生数の55%をブミプトラに割り当てるといったこと、のおかげで、マレー人の学生の増える率がずっと非マレー系のそれよりも高くなったわけです。(以上の数字は国内大学教育を基にしていると考えられます)。

中等教育に関してはコラム第150回で書いた「中等教育での職業・技術教育を概観してみる」をご覧ください。



マレーシアにおける外国人労働者の社会、 雇う側の論理と根付く外国人コミュニティー


1月4日の新聞に小さく次のようなニュースが載りました。

インドネシア人労働者がバングラデシュ人を襲う

マラッカ州のBatu Berendamでインドネシア人労働者50人ほどがバングラデシュ人労働者を襲い、切りつけ棍棒で殴りつけ、5人に重傷をおわせました。取調べにあった警察は、インドネシア人グループが刀、棍棒などで武装していたので仕組まれた強襲だと見ています。

「インドネシア人グループは公共バスに乗ってBatu Berendamまで行った。我々は彼らがバングラデシュ人を攻撃した理由を、”用心棒代”にあると見ている。」 警察は機動隊を派遣して、両グループのこれ以上の争いを防いでいます。インドネシア人はいくつかの工事現場に所属している者たち、警察はその現場を調べるとのこと。

その原因は女性問題にあった

その翌日に”原因はShah Ruhk要因であった” と彼らの抗争をいささか揶揄した続報記事が載りました。ほとんどの(当サイトの)読者には「Shah Ruhk ?何それ?」ということでしょうから、Shah Ruhk Kahnを少し説明しておきましょう。彼はボリウッド映画の超人気スターで、マレーシアではインド人のみならず広い意味でのインド系であるバングラデシュ人にも人気があるようです。またマレー人にはボリウッド映画の人気が高いので、マレーシア語娯楽雑誌、新聞には大きな写真入りでShah Ruhk Kahnを代表としてボリウッドスターの記事がよく載っています。映画で見る限りたいへん甘いイメージの2枚目映画俳優兼歌手ですね。(筆者は別にファンでもなんでもありませんよ)

その記事から抜粋
50人のインドネシア人労働者がバングラデシュ人労働者を襲った原因は、女性をめぐった三角関係とねたみからであったと、取り調べにあたったマラッカ警察幹部が述べました。バングラデシュ人はその居住場所の近くに住むインドネシア人女性複数に誘いをかけていました。「先にバングラデシュ人が、用心棒代のために襲われたと言っていたが、調べたらそうでなく女性問題のせいであった。」

そのため「インドネシア人男たちがそれをねたみ、そしてボリウッドスターのShah Rukh Kahn似のバングラデシュ人に”女を取られた”ことに腹を立てたのです。」何人かのインドネシア女性はインドネシア人ボーイフレンドを捨ててハンサムなバングラデシュ人に乗り換えたとのこと。

「Batu Berendamでは数百人のインドネシア人女性がバングラデシュ人居住場所に隣接して住んでいる。そのためバングラデシュ人は誘いやすいのです。」「バングラデシュ人は堂々と女性を誘うので状況を悪化させた。」と警察幹部は説明。

「バングラデシュ人を怪我させた中心人物はまだ捕まえていない。バングラデシュ人が言うには、彼らを襲ったインドネシア人の奴らは居住地で彼らのガールフレンドを誘っていた見なれた顔です。」 尚この事件が起きる数週間前にも、居住地で同じような原因で衝突が起こりかけていた、とのこと。

事件の背景を見てみる

この新聞記事はマレーシア警察の発表を元にして書かれたものですから、多少の揶揄気分も感じられますが、背景を少し解説してみまししょう。

マレーシアでは外国人労働者として百万人を超える人たちが働いています。そのうち圧倒的多数を占めるのが、(一説では非合法者を入れれば百万人近い)インドネシア人で、男性が主として建設現場と工場又は農園で働き、女性が家庭内住みこみメードとビル清掃と工場で工員として働いています。そのため男女比は極端に離れていません。しかし外国人労働者として今では2番目に大きなグループたるバングラデシュ人は主として工場、建設、プランテーションなどで男性のみが働いています。バングラデシュ人にとっては極端な女性不足です。マレーシアに何年も出稼ぎに来ているが男ばかりで相手の女性がいないという状況でしょう。

同じムスリムのマレー女性はいくらでもいますが、外国人労働者として一段下に見ているバングラデシュ人をマレー女性が真剣に相手にするとは思えませんし、そんなことしたらマレー社会が黙っていないでしょう。事実外国人労働者が村のマレー女性に手を出したとして問題視した議論が以前ありました、村のマレー男が外国人労働者女性に手を出してもそれほど問題にならないが、その逆だと問題になるのかと、その時思ったことを筆者は覚えています。

そこでバングラデシュ人は、ムスリムで適当に周りにいるインドネシア人女性に誘いをかけるという構造に見えます。考えてみればその心情はわかります。外国人労働者としての生活は差別待遇も偏見もあり楽ではないでしょうが、マレーシアの景気と比較的高賃金が彼らを引きつけるのです。

雇用者側の論理

もうひとつの別の外国人労働者にまつわる記事「滞在期限超過の外国人に的を絞る」と題する記事が同じ5日にありました。

滞在許可期限の切れたビザを持つ外国人留学生と労働者に対する取締りを、今年は特に強化する。このためImigresen(出入国管理庁)は新たに300人の係官を増員しました。

外国人がビザを更新しないケースをこれからは毎日監視していく、と出入国管理庁長官。庁がこういった妥協しない方法を取ることにしたのは、外国人労働者の雇用者と留学生のスポンサーが(それに責任あるべき立場ながら)該当者のビザ更新を無視しているケースが増えている
と長官は述べています。「我々は何千もの労働ビザ、留学ビザ、暫定滞在ビザなどを発行した、いや実際は何百万だ。そしてわかったことは、雇用者の中にはその労働者のビザをあえて更新しに来ようとしないか全くしないものがいるのだ。」

「今年はそういう違法労働者を雇っている雇用者も取り締まりの対象にする、特に5人以上の違法外国人労働者を雇用しているものだ。」 「そういう者に対する罰は厳しい。RM10万の罰金と懲役必須です。」

長官は、一般大衆が違法外国人労働者の存在を知っていてもそれを当局に知らせない傾向に不満を示しました。外国人メイドがその雇用された家から姿をくらましても出入国管理庁に届けないと、その雇用者(家庭)は代替を雇うのを認めないし罰を与えますとも、付け加えています。
以上記事から抜粋翻訳

外国人労働者なしでは空港はできなかった

こちらの記事内容に見られるのは、マレーシア人雇用者の外国人労働者に対する態度と考えの傾向がよく現れています。外国人労働者を雇用するのはそれほど難しいことでないし、そういうエージェントは数ありますから、雇っていた彼らがいなくなったらまた斡旋を頼めばいいのです。当コラムでもこれまで数回外国人労働者のことを書きましたように、外国人労働者はマレーシア経済になくてはならない存在です、いまやもうマレーシア社会の重要な構成要素であり、彼らがいなければ大きなビルも高速道路もほとんど建設できなかったでしょう。KLIA空港しかり、KLCC公園とペトロナスツインタワーしかり、クアラルンプール市内の新ビル郡やコンドミニアム郡しかりです。

首都圏やペナンジョ^ホール州の日系企業では相当割合の製造工場が、外国人労働者を雇用していると見られています。中には外国人労働者数がマレーシア人労働者数を上回るところもあるようで、外国人労働者に相当依存しているのは在マレーシア企業として日系もその例外ではありません。

住みこみメイド雇用は中流のあかし

また都会の中流家庭ならきわめて一般的である住みこみ雇いしているメイドは、ほとんどがインドネシア人とフィリピン人です。メイド斡旋エージェントの活動は盛んで、華語紙と英字紙は毎日その広告をいくつか載せています。筆者の住むアパートにもたまにエージェントのチラシがはいります。外国人メイドを住みこみさせることに抵抗感があるのでしょう、在住日本人社会では全然なされてないようですが、マレーシア人家庭はそれに抵抗感がありませんから、エージェントに金さえ払えばまあ簡単に斡旋してもらって雇えます。

低賃金を嫌って地元労働者が離れていく一方のプランテーション農園では、人手不足を外国人労働者に頼っています。世界第一のパームオイル生産と輸出もその裏に外国人労働者の存在があります。有名なキャメロンハイランドの紅茶農園の労働者もいまやインド圏からの外国人労働者層にその労働を依存しているそうです。

労働人口の5人に1人は外国人

外国人労働者のマレーシア人口に占める割合は非合法を含めれば1割り近くになるようです。非合法つまり労働ビザきれのまま居残ったり、密入国した外国人労働者の数は当然推定値になりますから、確実な割合をつかむことは不可能でしょうが、2200万総人口の一割近いと見ておけばいいでしょう。そうすると労働人口比にすれば、1割どころでなく2割になります。外国人労働者としてマレーシアに住んでいる彼らはそのほとんどが労働人口にあたりますからね。労働人口5人に1人は外国人、は相当なる比率ですよ。

これだけ外国人労働者に依存が高いマレーシア社会ですが、一般人の彼らの地位、待遇、文化への興味ははっきりいって限りなくゼロに近いといえるでしょう。日本のように市区役所がボランティアを募って又はNGOが外国人労働者に日本語を教えるとか、バングラデシュ人向けにベンガル語で、インドネシア人向けにインドネシア語で「日本におけるにおける労働案内」なんて小冊子を発行などしません。まあ小さなNGOがそういうことをやっているかもしれませんが、あっても極めて例外的でしょう。

クアラルンプールのような都会なら大抵の所にいる、例えば屋台、大衆食堂で料理を運び皿洗いしている、ビルの掃除している、道路ビルの建設をしている、スーパーで店員をしている、零細企業では同僚として働いているなどなど、のですから、彼らの姿を無視しようとしてもできません。(話している言葉やマレーシア語のアクセントや振る舞いから、見分けられます、もっともそういうことに興味を持たなければいつまでたってもわからないでしょう)しかし筆者のこれまでの見聞から言えることは、彼らのことをよく知ろうとする人はごくごく少ないですね。

こういうことを知っていくと上記で掲げた2つの出来事の背景が見えてきます。

マレー半島は昔から移住者を受け入れてきた

マレーシアは英国に植民化される19世紀以前からかなりの移住者をジャワ、スマトラ、スラウエシなどから受け入れてきましたジャワ、スマトラ、スラウエシ、マレー半島はひろい意味でのマレー文化圏に属しますし、当時は現在よりはるかに国という国境の垣根が低かった時代ですから、恐らくそれほどよそ者という意識は高くなかったことでしょうね。事実マレー半島にやってきた彼らがいつのまにか同化した例も多いそうです。

そして英国植民地政府による積極的な外国人労働者移入政策が、19世紀後半から始まり、旧日本軍マラヤ占領時代を除いて、断続的に外国人移入を続けました。こうして現在のマレーシアの3大民族を構成する2つの民族華人(当時は中国人)とインド人(南インド主体ですがスリランカ、北インドからも)社会がマレーシア(当時はマラヤ)に出来上がったのです。尚インドネシア人の移住労働はこの期間中も減ったり増えたりしてあったのです。

1957年の独立時にマラヤ連邦政府は多くのそういう外国人に国籍を授与又は認めたので、外国人労働者は数字の上では減ったのですが、1971年以降の新経済政策による著しい経済成長によって、国内の労働力不足からまた外国人労働者移入を少しずつ進めてきました。産業界からの強い要望によって、外国人労働者導入策緩和に踏み切ったのが91年、以後東南アジア不況に陥る97年まで、国の高度経済成長と発展、実に平均8%近い、に呼応して外国人は増加に次ぐ増加をしてきました。一時は非合法外国人労働者数が80万人にも上ったとの見方もあります。

92年6月から95年6月までに半島部では60万人を超える労働ビザが新規に発行されました。この期間より前からマレーシアで働いている外国人とその後の外国人を換算すれば、ビザ切れで出国したものをマイナスしても合法労働者だけで100万人を超えるのは確実です。そのうちインドネシア人が約3分の2を占めます。次いでバングラデシュ人、ぐっと離れてフィリピン人、タイ人の順でしたが、これも現在ではいくらか変わっているようです。
外国人労働者の働き場所は全国に散らばっていますが、やはりクアラルンプールが圧倒的に多く半数を占め次いでジョーホール州です。

注:この節の数字はForeign Workers in Malaysia という99年刊行の英文小冊子から引用

もちろん外国人労働者急増を危惧する人たち、専門家もたくさんいますから、常に外国人労働者問題は議論になってきました。ただ国の経済が好調なときは、経済第一で労働者抑制の声が必要の声を圧倒することは難しいのはどこの国でも同じでしょう。人手を必要とする製造工場、プランテーションは彼ら外国人がいなくなったらどやって生産を維持していくかであり、所得十分な中流家庭なら小金を払えば面倒な家事育児を全てやってくれるメイドをどうして手放せましょう、という論理ですね

保育所開設要求するよりメイドを雇う

マレーシアでも女性の職場進出が高いですから、子供を抱えた職業女性は、とくにいわゆるキャリア女性は育児家事に時間を取られてはその職と地位を保っていけません。そうなると日本や西欧なら保育園、育児所、幼稚園の整備がまず急務になるのですが、マレーシアではまずメイドの確保が急務になるのです。この裏には育児所、幼稚園、保育園の不充分さがあります。ほとんどの保育所、保育園が私的セクターに依存している現状であり、公が積極的にそれを建設する段階ではありません。いやこれからもこのあり方はまず変わらないでしょう、とも思えます。

さらにマレー人家庭を筆頭にして1家族あたりの子供の数が日本の数倍ですから、育児家事の時間はもっと手がかかることでしょう。子供数が多いということは、保育園保育所の数は日本に比べて人口比率上はより多く作らねばなりませんから、当然公の支出費用は大きくなります。

さらにマレーシアではあまり夫婦の役割分担論議が起きないのではと推測しています、なぜなら筆者の日ごろ読む比較的リベラルな英字紙もたまに目を通す中国語紙もこういう議題をめったに扱いません。マレーシア語紙はどうなんだろうか。中流の職業女性にとって夫の家事分担を訴えるより、小金を出せば24時間雇えるメイドに行きつくのでは、と筆者は推測します。基本的にメイドが中流家庭にとって”安い買い物”である限り、この夫婦の役割分担議論は高まりませんね。

こういう面を見ていくとメイド需要は増えることがあっても減ることはありません。

外国人労働者の方が扱いやすい面もある

工場の労働者面を見れば、契約に縛られて寮生活が多いインドネシア人、バングラデシュ人労働者の方が、地元一般労働者より扱いやすいという面がでてきてもおかしくありません。これは別にマレーシアの企業だけでなく西欧や日本でも同じ傾向でしょう。尚マレーシアでは外国人の団結権は一切認められていません。

大中企業だけでなく、例えばクアラルンプールの郊外などにある零細工場を訪れるとそこでも各国から外国人労働者が働いていることを発見します。スーパーマーケットで物を運んでいる並べているのも外国人です、こうして企業経営側にも且つ被雇用者のマレーシア人にとっても彼ら外国人抜きでは商売、生産が滞ってしまう状態になっているのです。

外国人も日本人も仲間同士集まる

外国人労働者は、当たり前ですが、仲間同士集まって住みことを好み、仲間そろっての娯楽を求めます。在マレーシアの西欧人でも日本人でもその住む場所と徘徊する場所や利用する施設は、外国人労働者と大違いでも同国人同士集まる傾向があるのは同じですから、例えばインドネシア人がチョーキットなど一定地域に集まるのはなんら不思議でありませんよね。

日本人駐在者が仕事後日本人クラブで飲み、休日には仲間を集ってゴルフにでかけ、家族で日本レストランに行き、近所に住む主婦同士がいっしょに習い事するようなことは、バングラデシュ人はしないし、できっこありませんが、彼らは休日にチョーキット界隈のインド映画館に集まり、バングラデシュ人の集う屋台や大衆食堂でくつろぎ、”バングラデシュよろずショップ”で買い物するのです。

コタラヤ界隈に増えたバングラデシュとミャンマーショップ

クアラルンプールのKota Rayaショッピングセンター裏の界隈にこの1年みるまに外国人労働者向けの店が増えました。バングデシュよろずショップが4軒、ミャンマーよろずショップが5,6軒あるのです。バングラデシュショップにはバングラデシュから輸入した様様な日用品と(彼らの母語である)ベンガル語の歌カセットやビデオがずらっと並んでいます。店の外にベンガル語のサインが出て、いつもバングラデシュ人がいますから、気をつければ見つけられます。もっともベンガル語がどういう書体をしているかを知らないと無理ですが。

さらに驚いたことにミャンマー人用のショップが急激に増えたことです。ミャンマー人労働者はバングラデシュ人よりずっと少ない、数万人程度か、ので意外でした。ミャンマー店ができたのはごく最近で、ビルマ語のサインが出ていたので筆者は気がつきました。品物はバングラデシュ店ほど豊富でないけど、ミャンマー製の日用品、ビデオが置いてあります。

こういう店に出入りするのは当然その国の人ばかりで、筆者はこれまで何回も立ち寄ってみましたが、マレーシア人らしきが買い物していることに出会ったことはありません。やはりマレーシア人には縁のない店なのです。

インドネシア人コミュニティーやそれよりは小さいがサバ州にあるフィリピン人のコミュニティー、半島最北部にあるタイ人コミュニティーは昔からあったし今も厳然として存在しています。加えて、こうした比較的新しくやってきた外国人労働者のコミュニティーも確実に確固としたものになりつつあります、マレーシア人が好もうと好まずにかかわらずです。いつかこういう新・外国人コミュニティーを探ってみたいなというのがIntraasiaの計画です、ただいつのことになるやら。



ホーチミンシティーの明と暗をバンコク、クアラルンプールに重ね合わせる 前編


クアラルンプールから2時間弱飛べばホーチミンシティー郊外にあるTan Son Nhat空港に到着です。バンコクへ飛ぶのとほぼ同じ飛行時間ですね、96年12月以来久しぶりに訪れたベトナムの、国としての発展度はマレーシアやタイに比べて相当の差があるのは変わっていませんでしたが、都会特にホーチミンシティーの変貌ぶりに驚かさせられました。

先週筆者は個人的所用があって、ベトナムへ3年数ヶ月ぶりに行ってきました。4日間ほどかってサイゴンと呼ばれたホーチミンシティー(略称HCM City)に滞在しましたので、今回のコラムはマレーシア、タイとの比較に触れながらホーチミンシティーのことを書いてみます。

空港設備からして向上していた

かつて訪れた国や地域を久しぶりに訪れるといろんなことを懐かしく思い、且つ新しいことを発見するのは楽しいものです。ベトナム戦争当時の戦闘機の格納庫が今も残るタンソンニャット空港に着陸した後、乗客が飛行機から直接ターミナルへ入って行けたことにまず驚きました(あの飛行機搭乗口とターミナルビルをつなぐ芋虫型の通路ってなんと言うんですか?、教えてください)。

筆者がベトナムを初めて訪れたのは92年、今のようにきれいに掃除と装飾され冷房完備でない空港ビル時代を覚えているので、その変わりように感慨すら覚えます。当時の空港ビルは今と建物自体は変わりませんが、内部はとても今では想像すらできないほど簡素で且つ出入国管理手続きと荷物検査時の官僚的態度に「これがベトナムか」との思いを強くして入国したものです。尚空港ビルの内部設備が大きく向上したのは94年でした。

まあ今でも入国時のパスポート検査官の無愛想さとのろさは決して誉められたものではありませんが、この程度は我慢の範疇ですから文句は言うべきではないですね。1国の玄関口の変貌を眼のあたりにすればホーチミンシティーの変わりようも期待できるというものです。

まとわりつくタクシーとバイクタクシーを無視して大通りまで20分ほど歩いて乗合いバスを待ち、市内中心部に向かいました。US$5、6のタクシー代金を節約しなければならないのですから、国の経済状態が変わっても変わらないのは筆者の懐具合だけです(ほんと俺は進歩しないなあ)。

短い滞在で発見した変化

滞在は出発日を除くと実質4日間だけですが、観光目的でないのでHCM Cityのあちこちを探し歩き回った結果、95,6年当時との違いをよく感じたのは次の点です。


この女性のファション変化が今回一番印象に残りました(筆者が男だからかな)。
ホーチミンシティーのヤング女性のファション変化はクアラルンプールのヤングレディーファッションにも似てきたとも言い得るが、マレー女性のスカーフ姿、バジュクルン・クバヤ(衣装)が全くない分、ホーチミンシティー女性はより西欧風ですね。



雨と暑さをしのげるショッピングセンターはこれからも建設されていくことでしょう。

ホーチミンシティーの小売商い中心であるチョロン地区は、かつてボート難民が盛んな頃の80年前後は閑古鳥が鳴いていたそうですが、すでに完全にその地位を復活させ、忽然とそびえるこのマンションとショッピングセンターはチョロン地区のさらなる商売繁盛を予言していますね。ホーチミンシティー観光される方には第1区にある有名で上品なBen Thanh市場でなく第5区のBinh Tay市場をお勧めします。ただしその混雑ふりと汚さは覚悟していってくださいね。


この地区はトレンディーなのでベトナム人若者もよくやってきてカフェで日がなたたずんでおり、夜はぎっしりとなります。カフェで働く女の子がぴったりとしたTシャツやミニスカート姿になり、早朝から深夜まで西欧音楽CDを轟音で鳴らし、バイクと車のクラクションで騒然としたファムグーラオ界隈みたいな雰囲気の街は、クアラルンプールにはとてもありえません。面白いことにこの界隈には共産党の地区事務所が昔からあり、ここだけを見ているとベトナムが共産国家だとはとても信じられません。こういう面がベトナムらしさですね。

ここだけでなく台湾香港からの旅行者の多いチョロン地区にはカラオケ、中国料理レストラン、ビリヤードセンターがさらに増え、娯楽面でもいっそうオープン化が進んでいます(筆者はかつてチョロン地区を根城にしていました)。クアラルンプールの娯楽施設規制のほうがよっぽど厳しいのではと感jじます。

筆者は白人旅行者の横行するこんな場所は当然ながら好きではありませんが、他地区と比較するとずっとホテル相場の安いことと顔なじみの宿があることから、95年からここを根城にしています。背に腹は変えられないというところです。尚ファムグーラオ界隈には以前から日本人バックパッカ−もいますが、それほど目立ちません。

都市中流階層の増加の証

このように”明の部分”が目立つのは、当然ながらベトナム、というよりホーチミンシティーに住む都市階層の所得が向上したためでしょう。それでなければ男も女も衣服がカラフルかつ西欧的になり、バイクを新調し、決して安くはないカフェでたたずんでいることはできませんね。明らかに(ベトナム水準での)都市中流階層が広がっている兆候を感じます。中流になれば超高価な自動車を手にするまではとてもいきませんが、バイクを新調することはできます。家庭に新型のテレビを入れ、ラジカセからステレオに買い替えることができる人たちが増えているのでしょう。

1区や5区の電気店街を覗くと日本製の新型大型テレビや全自動洗濯機が並んでいます。米ドル500近い価格のこういった電化製品がまがりなりにも並んでいる状況は、あきらかに所得水準の向上を物語るものです。

立派な新築住宅も増加している

95年ごろ筆者はべトナムビジネスを夢見て何度もホーチミンシティー通ったので、当時市内のあちこちを歩き回りました。今回眺めた普通の町並みと住居街がその頃と決定的に変わったとは思いませんし事実そのまま残っていますが、その一方新しいビルと家屋が増えているのです。これは海外へ移住していった越僑(Oversea Vietnamese)が故郷に送金したお金で建てたものか、それとも自身でベトナムに戻ってビジネスを始めたせいかわかりませんが、その家屋やビルが普通の勤め人に建てられる程度でないのは容易に見てとれます。

尚新聞の記事によれば、この旧正月(テトと呼ばれる)には昨年以上の海外移住ベトナム人が里帰りするそうです。昨年ホーチミンシティー一帯だけでも27万人の海外ベトナム人が訪れました。

一方”暗の部分”は依然として消えていません


東南アジアの都市が発展すれば必ず付いて回るのが所得格差の極端な拡大ですね。老いた女性と子供が宝くじを売りつけにくる光景は一向に減っていません。喫茶店(といってもマレーシアあたりのきれいな冷房付やテーブルに腰掛けたカフェを想像してはいけません、路上にビーチデッキや風呂場イスを持ち出した程度のベトナム風の喫茶店です) で休んでいれば10分間に最低5人は宝くじ売りこみに来ます。朝から晩までこうして歩いて回る彼らの所得は1日US1,2ドルになればいいほうでしょう。

マレーシアにこういう層がいないことはほっとします。幼いいたいけない子供がその日の日銭稼ぎに働かさせられる構造は、東南アジアでいくら見なれた光景とはいえ、心の痛い出来事ですからね。

さらに路上の屋台で食事していると、他人が食べ残した物をもらっていく貧しい老人の姿をごくたまに見かけました。路上の屋台なら1食5千ドンから1万ドンつまりUS40セントから70セントですが、これさえも満足に払えない層も依然として存在しているのです。方やサイゴン地区の高級ホテルは1泊US60から80ドルです。貧しい低所得階層の大衆にとって1日数米ドル稼ぐことすら難しい中で、この超高価なホテル郡は、外国人観光客呼び寄せによる外貨稼ぎが必要だとはわかりますが、なんとも複雑な気持ちになります。

筆者はこのコラムの初期の第9回で書いた一文で、ごく簡単に当時のベトナムに触れました。そこでベトナムはタイ型になるのではと書きました。今回の短い滞在でも、やはりその予測はあたっているのではとの感を強くしましたね。バイクを新調し都市中流階層に上っていく層が確実に増える一方、一日中天秤棒を担いで物売りしている人たち、宝くじを売り歩く姿が無くならないのも現在のホーチミンシティーの姿です。むし暑い陽の中、見ただけでも重そうな天秤棒を担いで彼女らは歩き回っています。あれだけ売ってどれくらい金になるのだろう。

交通事情の悪化とモラル欠如が生み出す暗い予測

まだあるバンコク化の兆候というより”80年代中期のバンコク化”しているのは、市内の交通無秩序状態です。ホーチミンシティーの公共バス網はまことに貧弱です。それでも94年ごろから導入したサイゴンスターバス網など5、6路線に加えて、今回新に5路線ほど乗り合いバン式路線が増えていましたが、それでもあの広大なホーチミンシティーに合計わずか10数路線です(市場前で客待ちしている超旧型3輪車は除く)。地図に路線を落とせばがらすきです。おかげで筆者は昔も今もバスを降り延々と歩かざるを得ません。(筆者にとって)高額なタクシーは手が出ませんからね。

こういうことを一切しないのがベトナム人です。老若男女、文字通りに男も女も10代後半から50代まで、バイク又は自転車で移動しますから、その交通量はものすごいものです。ホーチミンシティーの大通りは結構わかりやすくできているので、地図さえあれば道に迷うことはまずありせんが、道歩きと道路横断が非常に危険なのです。流れに沿って走らないバイクが横行し、逆走行、急ターン、信号無視など日常茶飯事、当たり前です。歩道には店が物を置き、バイクが所狭しと停車しているし、はっきりいって危なくて歩いてなんかいられないと言いたい所ですが、それでも歩かざるを得ません。大体、道を100メートル以上歩くべトナム人は物売りか宝くじ売りです。ベトナム人は100メートル超えればバイク、自転車か又はそこら中で客待ちしているバイクタクシーかシクロに乗ります、これは大げさでなく本当ですよ。ですから筆者が街を歩いているとそれこそバイクタクシーから無数の声をかけられます。誰も道など歩かないからです。

筆者はヘルメットをかぶらないバイクタクシーはその安全性を信用しませんから極力避けます。なおベトナムはまだヘルメット着用規定はありませんから、着用率0.01%ぐらいですね。その荒い運転と交通道徳欠如から、筆者は何回も2輪車の衝突事故を見ているので、バイクタクシーはごめんです。それにクアラルンプールなどに比べればかわいいものとはいえ4輪車も増えていますからね。

こうして前以上にホーチミンシティーの交通事情は悪化しているのです。94年頃まではおんぼろバイクやぎこぎこ自転車が多かったし4輪自家用車は皆無に近かったので、衝突しても大事にはいたっらなかったでしょうが、今や新型バイクが増え必然的に全体的にスピードが出るようになったのです。当然事故の結果は目に見えていますよね。

市当局もこの交通事情悪化を憂慮していると地元発行の英字紙にでていましたが、筆者にすればホーチミンシティーの交通事情とモラルはすでに手遅れです。ここまでバイクが増加し4輪車が増える以前に手を打つべきでした。これから多くの交通事故の犠牲者が、外国人旅行者を含めて、出ていくのは間違いないでしょう。ですから4輪車の総数とバイクのスピード程度は別にして、筆者は現在のホーチミンシティーの交通状況を80年代中頃のバンコクに見たてるのです。当時のバンコクはそれこそ交通無秩序で、排気ガスのひどさとと警笛のうるささと暴走で最悪でした。当時のバンコクにはもちろん交差陸橋も2段階道路もほとんど存在していませんでした、人々が好き勝手に走りまくっていた時代です。

翻ってマレーシア人の交通モラルはどうか

マレーシア、特にクアラルンプールの交通状況はこれに比べれば相当よい状態ですが、それでも高級な乗用車と新型中型バイクが疾走する状況はより致死率を高め、車の種類と交通信号の整備程度はホーチミンシティーと天と地の違いですが、運転者の精神状態にそれほど違いがあるとは思えません。マレーシアは人命尊重と交通法規遵守精神の面では欧米や日本に比べてはるかに劣ります。なぜ東南アジアの大都市はこうも似た現象をたどるのか興味あるテーマですね。

筆者のごく短い滞在と4年以上も学習から完全に遠ざかっていたためほとんど忘れてしまったベトナム語という大きな壁のため、話題をホーチミンシティーに限るとはいえ、あまり細かいことはとても語れません。ただ多分それほど遠くない時期にまた行くつもりですから、この続きは次回ということにしておきます。



標準マレーシア語(Bahasa Malaysia Baku)発音放棄問題を考える


言語は変化するものである、しかし規範化も必要

言語というものは、それが滅亡してしまった言語でない限り、日々使われる中で変化していきます、つまり地域によって違いが生まれ、使う年代、性、階層によって違いが生まれてきます。さらに外国語からの借用語も入ってきます。それでこそ生き生きとした言語の必要条件であり、且つ十分条件でもあります。ただいくら違いと変化がついて回ることが言語の宿命であっても、その違いと変化をすべて認めていたのでは、それらが大きくなりすぎてしまう危険性があります、違いが大きくなればなるほど話者の互いのコミュニケーションが難しくなり、そしてそれが進めばもう別の言語といってもよくなります。ですからある国家はその国で主として話される言語、時には複数の言語、に枠をはめます。つまり標準語なり共通語なりと定めて、その言語を規範化させるのです。

現代は19世紀以前と比べて地域の差が実距離以下に小さくなた時代ですから、地域差による言語の違いは昔ほど大きくありませんし、テレビ、ラジオなどのコミュニケーション手段の超発達によって、ある規範言語の普及が昔よりずっと楽になりました。例えばテレビの影響がどれほど流行語や発音の普及に役立っているかは容易にわかりますよね。反対に外国語から、特に英語起源の多くの借用語を使用せざるを得なくっています。

こうして言語の変化と違いを取り巻く環境は変わったのですが、規範化の必要性はより大きくなったといっても言い過ぎではありません、人々が遠距離の人と交信する機会が劇的に増えたわけですから。明治時代なら一生その地域から出ない人がほとんどでしたが、今や今日は大阪へ明日は北海道へなどと人々は出かけていきますし、電話、インタネットの普及でコミュニケーションが住む地域を越えていくことが普通になりましたしね。

言語の規範化はどこの国でも最終的には政府が決めることですが、その手続きと過程はそれぞれ違います。日本では内閣が一つの政令なり命令で、ある発音法をある日突然標準語化するなんてことはおきえませんしできませんが、それができるのがマレーシアです。これ単に言語の標準化だけに限ることではありませんが、マレーシアでは政府、究極的には首相ですが、の持つ実権力の大きさを物語る一例でもあります。

筆者の目的

この1月に巻き起こった標準マレーシア語Bahasa Malaysia Bakuの発音法をテレビ、ラジオで用いないと言う命令に始まり、次いで学校教育でもその発音法を教えないという決定と命令は、識者や野党の批判を生んでいます。これが今後どうのように展開していくかはわかりませんし、また筆者がそれを予言するのもこのコラムの目的ではありません。

筆者はあくまでもあるべき標準語の決められ方に基づいて論を展開するのが目的であり、ある言語がどれを標準語に定めるべきかを訴えるものでは全くありません。つまりマレーシアの場合で言えば、Bahasa Malaysia Bakuが標準発音法にふさわしいあるいはふさわしくないということを述べるものではありません。筆者はマレーシア語又はマレー語又はマライポリネシア語族の専門家ではありませんので、その十分な知識は持ち合わせていません、それよりもなによりも、ある国の言語規範化にどれを選ぶかはその国の国民自身が決めることなのだ、との立場ですから。

事が起こった経過

さて以上の前提をもとにして今回の標準発音法放棄の1件に戻ると、その使用中止命令又は決定はまことに唐突に出てきたと言えます。新聞の記事からを一部再録しておきます。

1月21日の記事から「標準マレーシア語の発音法をテレビで使わない」

国語のマレーシア語において、(標準マレーシア語の意味である)Bahasa Malaysia Bakuに基づいた発音法を使用しているテレビ、ラジオニュース番組は今後その発音法を用いないと、首相府の大臣が述べました。「Bahasa Bakuが、人々に使われている現状を反映しないから悪いのだ、ということではない。」 

国語の標準化は国家統一のためであるし、国語への困惑と論議を省くためです。「視聴者がBahasa Baku発音を聞くと、それが日ごろ使用している発音と違うので困惑する。」 「ですからこの決定は、マレーシア人のアイデンティティと標準化に関することなのです。」 情報省がこれに関してさらなる声明を出すそうです。

1月23日「Bahasa Baku発音法を学校教育から追放」

学校教育においてBahasa Malaysia Baku(標準マレーシア語)に基づいた発音法は今後使用しない、と教育大臣が発表。これは数日前に内閣がj決定したことを受けたもので、直ちに実行にうつします。すでにテレビ局はBaku発音法を用いないと命令されています。精細に関しては近日中に学校に知らされます。 尚政府は学校教育でのBaku発音法使用を88年に決めていました。

この内閣新決定の際担当大臣は、言語の標準化は国家統一のためであり、その使用に関する議論困惑を防ぐものだと、説明しています。彼は、「Baku発音法の普及はアンワルが教育大臣のとき広められた。しかし内閣はこの発音法が国民の間に人気がないことを心配していた。これがBaku発音法放棄の一番の理由です。」 「ある特定の発音がコミュニティーで使われなければそれを広めることは必要ありません。」

(国立図書と言語研究所にあたる)DBPが、この動きを後退するものだと批判しいることに対して、教育大臣は、「Bahasa Bakuは単に発音法に関するものだ、どうしてそれが後退と言えるのか。」

さらに数日後にはこの命令に多少の変化が出ています。

教育省がBahasa Baku発音に固執していくかどうかを決める調査をするまで、学校はこの発音法を使用しても差し支えない、と副首相が述べました。しかし「民営テレビ局でのBahasa Baku発音放棄命令は変わりません。」「内閣は調査の結果を待って次回の閣議で決定します。」
これはBahasa Bakuの発音法だけに関するものであり、「多くの人々がこの発音法に全く快く思っていないのはわかります。」

注:この一件を理解する一助として、当コラムの第40回の「マレーシア語かマレー語か」を読みください。またマレーシア語がどんな言語か全然ご存知ない方は、全く初心者用にわかりやすく書いた(つもりの)「マレーシア語入門前のガイダンス」を旅行者・在住者のページのマレーシア語項目を開いて、多少の予備知識を付けられるといいと思います。


Bahasa Malaysia Bakuとはどういう言語か

一体Bahasa Bakuとはどういう言語なのでしょう、別の新聞記事、1月25日付けThe Star、から引用してみます

アンワルがBahasa Baku発音法を成功裏に導入したということは否定できません。彼はこれの使用を一般化しました。特に経済大臣時代国会での予算演説の時です。めったに使われないか新しく使われるマレー語彙をその演説に含ませており、記者を困惑させたものです。

ただ事実として、学校とテレビ局のTV3を除いて、誰もBahasa Bakuを使わなかったのです。
1988年政治的意思として、Bahasa Bakuが学校教育の中に組み入れられました。Bahasa Baku学者はこう教えます、"kafe siber" であって"kafe saiber"でないと, Bankは英語のように発音してはいけない "bunk" と発音すべきだと。

多くの人はそれを変だと感じたのですが、問題にまで発展しませんでした。このBahasa Baku発音放棄問題を批判している野党の2人の大物でさえ、彼ら自身の演説中でBahasa Baku発音を一度も使ってこなかったのです。

Bahasa Bakuの奨励が始まったのはかなり前の1956年からで、これの中心になったのがASAS50と自ら名乗るグループでした。1984年当時の情報省大臣がBahasa Bakuの使用を提案したと記録されています。そして1988年に元副首相で現在懲役中のアンワルが教育大臣のとき、そのイニシアチブで学校教育の中に組み込まれたのです。ですからアンワル以前にもBahasa Bakuを奨励した政治家もいるわけです。この問題を政治問題化させている政治家は結論を急がないことです。

(以上部分的に割愛して翻訳)

注:英語からの借用語technologyをBahasa Malaysia Bakuで綴り発音すると、teknologi (テクノロギ)となり、借用語unit はunit(ウニット)となります。これはマレーシア語では”g”はgigiのギギ(歯の意味)と発音するからであり、uniitのuは(ウ)と発音するからです。Bahasa Bakuはできるだけ、マレーシア語の発音通りに綴るという原則にしているそうです。「Bahasa Bakuは借用語の原型を残しながらも、マレーシア語の綴りと発音に合わせていくのが原則」(よく知られた言語学者Nik Safiah女史)。

尚慣習の綴り方ではunitは" yunit" と綴るそうです。もう一例をあげれば、英語のCyber はBakuではsiber, 慣習の綴りでは"saiber"です。尚この慣習的発音をJohor-Riauモデルというそうです。

借用語をある言語に取り入れるのはマレーシア語だけでなく、日本語でも一見似たようなジレンマに陥っていますよね。ヴィオリンかバイオリンか、チームかティームなどいくらでも例はあげられます。綴られたように発音するというのは理想的ですが、すべてがうまくいくとは限りません。日本語のひらがなは比較的綴り通りに発音する書記法ですが、それでもいくらでも例外は出てきます。例えば”すし”の”す”と、”行きます”の”す”では同じ発音ではありません。外国人の日本語学習者の発音がなんとなくおかしく聞こえるのもこういう点が、完全に飲み込めないからです。


マレーシア語そのものが持つ強制力の必要性

なるほどこういう経緯でできあがったものですか、でそれが公式化してまだ10数年、しかしそれは多くの人が認めているようにいまだに普通の人々は使わないし使いたくないというのも現状のようです。ただ社会言語学的にいうと、国民の大多数が使わない発音法を押し付けるのは間違っている、というのは一概に言えません。ある言語をその国の国語化する手段として、ある程度の強制措置を必要とすることはまぬがれません。マレーシア語そのものがそういう運命をもって出現してきたわけです。英国から独立してしばらくしてマレーシア語を国語と定めそれを普及させていくために政府はものすごい努力をしてきました。

注:マレー語話者国家であるマレーシアとインドネシアはマレー語の綴り、技術語彙、文法の標準化を目指して1972年に組織を作りました。87年にブルネイが加盟して、それが現在のMajlis Bahasa Brunei, Indonesia dan Malaysia(Mabbim)です。マレーシアのDBPがマレーシアを代表してこれに加わっています。このMabbimがどれほど有効な活動をしているか筆者は知りませんが、出版などに使われるマレーシア語とインドネシア語の違いを見るだけでも、大きな力を発揮できていないのではと感じます。


日本の状況とマレーシアの言語状況は同じでない

植民化を経験してないし、少数民族の極めて少ない日本とはマレーシアは置かれた状況が決定的に違いますから、このマレーシア語の国語化の必要性をまず理解しないとことは進みません。世界の多くの元植民地国が独立語旧宗主国の言語から自民族の言語に国語を転換させてきたきたことは、ご存知ですよね。そしてその必要性もお分かりですよね。多民族国家のマレーシアはマレーシア語を国語と定めても、それぞれの構成民族に自言語の使用を認めています、例えば華人は華語でインド人はタミール語でカダザンドゥスン人はカダザンドゥスン語での初等教育を認めている民主的な面も持っています。華語の新聞、雑誌もタミール語の新聞、雑誌も内容への規制、検閲は別にして、出版自体は全く問題ありません。世界にはある言語の出版は認めない国もありますからね。

言語政策は国の根本である

日本はアイヌ人にアイヌ語での初等教育を認めていませんよね(アイヌ語を教える人そのものがいなくなってしまったということがあるにしても)。江戸幕府崩壊以来の日本の大・大和民族主義の一例でもあります。言語というものはある国のものすごく基本的且つ最重要な要件です、ですから、世界中で昔から言語政策をめぐって様様な紛争が起こり今も起こっています。

同じ言語を何と呼ぶかに始まって、隣の国とおなじだといけないからだんだんと変化させて、別の言語にしてしまう場合も出てきます。言語発展の基言語はいっしょであるマレーシア語とインドネシア語は今や別々に育ていますから違いはむしろ大きくなっていく方向です。こういったことはなにもアジアだけにかぎりません。ヨーロッパは昔からこういうことをしてきました。

チェコ語とスロバキア語など東京弁と大阪弁の違い程度だと言われているにもかかわらず、それぞれの民族はチェコ語とスロバキア語として宣し、「両者は互いに母語で話してもほぼ完全に理解し合うことができる」(チェコ語学者)のに、知らない者にはまるで別言語であるかのように感じられます。フランスはごく少数に話されるオック語を保存努力してないし、英国のケルト語は英語の前に絶滅の危機にあります。

言語はその呼び名だけでは判断できない

ある言語とある言語は呼び名が違うから全く違うかというかとそうばかりではありません。インドのヒンズ−語とパキスタンのウルドゥー語は書記される文字種が違うが、「日常会話レベルで両者の差はほとんどない」(言語学者麻田氏)そうですし、タイ語とラオ語は非常に近い関係です。スペイン語の話者はポルトガル語を相当程度理解できるし逆も同じです。スカンジナビア諸国の各国語:スエーデン語やノルウエー語、デンマーク語の互いの違いは、中国語(中国で普通語と呼ばれ、台湾で国語と呼ばれ東南アジアで華語と呼ばれ、日本で中国語と呼ばれる) と”方言”と蔑まされた広東語の違いよりもずっと小さいのです。”方言”広東語の話者と”標準”中国語の話者は習わなければ意思疎通は不可能、一方ノルウエー語とスエーデン語の話者は習わなくても 「相互に意思の疎通ができるほど近い関係にある」(言語学者山下氏)のです。

注:詳しくは当コラム122回の「マレーシアにおける中国語と「方言」の作られ方」をご覧ください。

ある国の国語であるから似たような言語を別の言語に”格上げ”し、ある国の国語でないから似たような言語を”方言”と呼び下げるのです。

言語は呼び名が体を現わさないのです。このようにあるA言語は別のB言語とどのうような関係にあるかはその名前だけでは判断できません。その時の権力者が決める場合もあるし、インドネシア語のように民衆の発案で生まれた言葉もある、そして独立した政府がそれをインドネシアの国語に定め勢力的に広めたのです。それでもインドネシア語はインドネシア全人口が母語にしている言語ではありません。多くは母語として例えばジャワ語、ミナンカバウ語、アチェ語などを話し共通語として国語のインドネシア語を学習するのです。

注:母語と母国語は似て非なるものです。多くの方が混同されているので筆者はいつも強調しておきます。

マレー人もBahasa Baku発音を使わない

マレーシアではマレー人はその土地のマレー方言を話し学校教育のなかでマレーシア語を習い書記及び公式言語として使っているのです。華人で母語としてマレーシア語を使っている人は皆無に近いでしょう、母語として福健語又は広東語又は華語時には英語を話し、初等教育で華語を習い、国語として小学校からマレーシア語を習います。しかし華人はマレーシア語を日常話すときBahasa Baku発音を用いないということです。

一般人の中だけでなく、著名な言語学者内にもBahasa Baku発音を批判する立場の人がいます。人工的に押しつけられたBaku発音法にはいくつかの問題があるとして指摘し、「Baku発音はマレーシアのどのコミュニティーにも属さない。誰も発音しない発音法なのです。」

注:この批判に対して、Bahasa Baku導入に努力した中心人物の一人でもある上記のNik Safiah女史(マレーシア言語学協会会長)は、「Baku発音は一般人が日常のインフォーマルな中で話すことを目指したものではない。最終的に全てのマレーシア人がフォーマルな機会にBahasa Bakuを話すことを狙っている。年配世代はBahasa Bakuを受け入れていないが、それはわかる。とにかく若い世代が狙いなのです。言語政策は長い時間をかけて行なわれるものですから。」 と政府のこの決定を批判しています。


マレーシア語はインドネシアにおけるインドネシア語ほどの堅固な立場ではありません。なぜか、それは経済界のみならずマレーシア国民全体にも英語への傾斜が強いからです、元英国植民地という経歴のせいでしょう。ですからマレーシア語の国語化は常に英語という世界最強言語の強敵に見舞われているのです。いくら建前上マレーシア語を Satu Bangsa Satu Bahasa(一つの国民に一つの言語) と歌っても、人々の英語指向が収まらない限りその道はなかなか厳しいものです。マレーシア語唯一国語化を歌う政府の大臣やその子弟に英語留学経験者を探すのは、ごくごく簡単ですし、イスラム教守護者たる各州スルタンとその一族には英語圏で高等教育を受けてきたり受けいている人は珍しくありません。これが現状です。

マレーシア語は英語と同じ手段では太刀打ちできない

こういう現状があるにしても、そのマレーシア語を国語化をいっそう推し進めることは当然必要ですし独立国として当然ですよね。国語としてより完全な言語として発展させいくには、文法を統一し、語彙を増やし発音法を統一し正字法を定めなければなりません。このどれがかけても国語としての完成と発展はできません。そのためには学校教育はもちろんある程度の使用の強制も必要です。ある言語が育って行くときにそれは必要なのです。そうしなければマレーシア語のような比較的弱小言語はいつまでたっても確固としたものになりません。

英語はそんなことしなくても人々が競って使いますから、緩やかな規範があればそれでいいのです。今や英語は英国や米国だけの規範を受けない存在にまで広がっていますね。その結果、お互いに理解できないほどまでの英語の発音バリエーションや語彙の地域化が生まれているのです。普通の日本人の英語理解者がインド英語を聞いたらまず半分は理解できませんし、オーストラリア英語でもしかりですよね(英語通訳もする筆者はこの両発音の聞き取りは苦手です)。

しかしマレーシア語にそれが許されません、一国という狭い範囲であるし、1千万人ちょっとの母語であるし、マレー文化圏を超えて国際化する可能性は全くないなどがその理由ですから。

言語政策は専門家や政府だけの占有事項ではない

さてここから発音法、文法、語彙の統一の仕事が政府なり専門家の手に移ります。それ自体は当然ですし理解できますね。普通の人々がそんなことにかかわることはできませんから。しかし普通の人々はその提案される規範化に意見と "Yes or No" を言う権利はあるしそれをしないとお上の決めたものがいつまでも浸透しないという結果を呼びます。それがBahasa Bakuの発音法に見られたものだと筆者は捉えます。

Bahasa Baku発音法が施行後なぜ10数年たってもまったく広まらないか、そこに問題はあり、それを検討しないことにはことは根本的に解決できません。大衆はお上の決めたことを単に拒否する場合もあるし、いやいや受け入れる場合もあります。人々が受け入れないのはどうしてか、どうしたら受け入れられるようになるかを、政治家だけが議論しても始まりません、マレーシアの言語政策の不幸はここにあります。

上記引用の新聞記事はこう続けて書いています。

「Bahasa Baku発音法を擁護する野党の政治家はそれの重要性を信じるからこそ、そういう立場をとるべきであって、彼らが反対党にあるからという立場ゆえにBahasa Baku擁護に立つべきではないのです。もし野党政治家が政治的策略に巻き込まれていると観じて政府を攻撃するなら、彼らもアンワルが推進したからと言う理由でBahasa Bakuを取り除こうとしている者たちと変わらないのです。

Bahasa Baku問題を政治問題化させてはいけません。まず(国立国語研究所にあたる)Dewan bahasa dan Pustaka と言語学者グループに相談すべきであると言うのは正しいのです。しかしこれらのマレー言語専門家だけが国語の発展に権限を持つわけではありません。学者、ジャーナリスト、学生、作家、メディアにかかわる人たち、のような様様な方面の意見と見方も平等に大切です。」
(以上)

正論ですね。筆者も賛成です。マレーシアはノルウエーのように2種類のノルウエー語を国語に定めるような土壌は存在しません。どれか一つを選びそれを推進していかなければなりません。マレー人が自身をブミプトラと位置付けマレーシアの中心民族として存在しているからこそ、そしてそれを放棄することはありえない、マレー語がマレーシアの国語になるのです。だからこそマレーシアの他民族にも使われるマレーシア語でなければなりません。マレー人のマレーシア語である限り、名だけの国語に過ぎません。為政者はこれをよく理解して国語政策に取り入れていただきたいものです。マレー語はマレー人のものだから他民族は口を出すべきでないといった偏狭なマレー民族主義はマレーシア言語文化に何らの益をもたらさないのです。

まだまだ堅固とした基盤に欠けるマレーシア語

この突然起こったBahasa Malaysia Baku問題を通して、マレーシア語がやはりまだ確固とした基盤に欠けていることを筆者は改めて感じました。強大な英語圧力に耐えながら、他民族の自言語主義への傾聴を押さえながらマレーシア語を名実ともに国語化する方向を早く確立してほしいものです。

ごくたまに筆者の論を誤解される方がありますので付け加えておけば、マレーシアに住んでいるからマレーシア語の発展を願うのであり、タイに滞在していれば当然タイ語を擁護し、ベトナムへ行けばベトナム語推進論を説きます。もちろん日本人として日本言語文化興隆と発展を喜ぶものです。筆者はあくまでも言語相対平等主義に立ちます。



マレーシア華人の箸の持ち方について


筆者は毎日大衆食堂や屋台で食事してますから、注文したものが出てくるまで、新聞見てるか見るともなく周りの人を見ています、そうするといろんなことに気がつきますが、今回は、その中で華人の食べ方について述べてみます。筆者は屋台と大衆食堂の中では中国料理のそれに行く率が一番多いので、中国食堂、屋台での食べ方に的を絞ってみましょう。

マレー人は中国料理屋台には来ない

中国食堂、屋台では数は少ないが非ムスリムのインド人も華人の食堂や屋台を訪れますが、圧倒的に華人が客の大半を占めます。尚マレー人がそうい場所で食事することは(宗教的理由から)当然できませんから、半島部に限ればマレー人の姿を見ることはありません。ただし同じムスリムであるインドネシア人が外国人労働者として、華人の屋台、大衆食堂で働いています。

ホーカーセンター(フードコートとも呼ぶ)のようにマレー料理、インド料理、西欧風料理と中国料理の屋台、店が入り混じった所は、同じテーブルにつくことはまずないとしても、近くのテーブルでマレー人らのムスリムが食事することはありますが、その場合でもマレー人が中国料理を注文することはありえません、なぜなら中国料理はHalalでないからです(例外的にHalal を掲げた中国大衆食堂がないとはいえませんが、あくまでも極少数です)

ご飯物はスプーンとフォークが主体

さて華人の屋台、大衆食堂で食べる時、料理によって使うテーブル用具が違うのは他の東南アジア諸国と大体似ています。つまり麺類であれば箸と蓮華を使い、ごはん物はすべてと言っていいぐらいスプーンとフォークです。フォークとナイフを使うのは、西欧風料理のハムエッグだの屋台風ステーキを供する店だけですね。

ご飯物の一番人気は、ご飯を盛った皿に、おかずを適当に自分で選びそれをご飯に載せる経済飯又は汁飯と呼ばれるタイプです。昼飯用として一番人気あり夕飯用にもありますが、朝飯用としてはきわめて少ない。尚発泡スチロールの容器に入れて持ちかえり食にする場合は、プラスチックの小さなレンゲが添付されます。この場合はこのレンゲだけで食べることになります。例外なしに、持ちかえり食に箸を付ける店はありません。なぜなら、第一割り箸自体がマレーシアには存在しませんからね(日本人御用達の高級店ならあるかもしれませんが)。

この経済飯の食べ方はスプーンとフォークを使ってであり、箸は使いません。スプーンをどちらの手の持つか、はっきりした傾向まで筆者は調べたことがありませんので、それについてはまたいつかにします。経済飯の親戚みたいな、粥とおかずの組み合わせの時は、箸とスプーンを使うのが普通ですが、スプーンとフォークを用意している店も多いのです。ご飯物なのになぜ箸で食べるかと言えば、お粥はおわんに盛り、おかずは小皿に盛る形式だということと、この粥料理はむしろレストランスタイルだからです。中国レストランはどこも始めからテーブルに箸と蓮華と小皿が用意してありますよね。尚一般に粥料理で知られているのが潮州粥です。

麺類は箸が主体でも握り方がまずい

さて麺類を食べる時はほとんどの華人は、板麺や蝦麺などのスープの入った麺類であれ、炒Kwai Tiow、広府炒のような焼きそばタイプの炒める麺類であれ、箸をつかうのが普通です。尚同じ炒め麺であるマレーインド料理のMee Gorengはもちろん箸を使いませんよ。筆者は華人のその麺類の食べ方を長年眺めてきてよく思うのですが、彼らの箸の持ち方がむちゃくちゃだなということです。その持ち方はいわゆる握り箸というのかな、親指と人差し指の中に箸を重ねて持ってしまい、2本の箸を別々に動かすことができないもち方です。

これでは皿上の小さな肉片を箸でひろったり野菜を取り分けて選んだりすることは無理ですよね、まあ麺類をナンとかつかむぐらいはできますが、それも見ているとまことにぎこちない。この持ち方をするのは若い年代では圧倒的に多数を占めますが、その親世代にあたる30代、40代にも大変多い、ざっとみて半数から3分の2ぐらいはこの握り箸スタイルです。これではその子供が正しい箸の扱い方を取得することは不可能です。ですからマレーシアの華人間で将来箸の握り方が向上する可能性はゼロですね。

箸の握り方なんてどうでもいい、食べれさえすればいいのだという乱暴な論をする人は別にして、箸を使うならやはり2本の箸を別々に自由に動かすことができる、つまりどんなに小さな豆でも、魚の小骨でも取り除ける技術を取得するのがあるべき姿ではないかな、と筆者は思います。マレーシアの華人で小魚の骨を箸だけで取り除ける人はごく少ないでしょうね。

箸を使う機会自体が多くない

ただ華人の名誉からいっておかなければなりません。今や華人の日常食生活で箸を起用に操作して料理を食べる機会が減ったということです。つまり上記で述べたように日常のご飯物はすべてスプーンとフォークで食べるし、だれも箸で食べないので、万が一箸で食べたくても人の手前上そんなことはできません。もちろん毎回毎食中国レストラン又は日本料理店で食べれば箸を使う機会も増えるでしょうが、そんな恵まれた環境の人は極少数です。さらに大衆料理であるマレー食やインド食で箸は始めから存在しませんから、そのどちらににも出入りする華人はなおさら箸を使う機会が少なくなってきます。

ですから日曜日や何かの機会に友人や家族そろって中国レストランで食事する時も、きれいなテーブルに並べられた幾つかの皿に向かって握り箸で食物を取りあうのです、または大皿についたスプーンで自分の小皿に取り、2本の箸を重ねて料理をはさむのです。

正しい箸の持ち方を知らないのも仕方のないことだが

箸を使う機会が減ったのでそれを習得する機会が減ったことになり、親が正しい端の使い方を知らないので子供にも箸の握り方を伝えられないということです。ですから、マレーシア華人が箸の正しい握り方を知らないことは仕方のないことだとは言えます、しかしそれでも、そのことを責めてはいけないなと思う一方、箸文化を今尚保ち誇りに思う日本人として、握り箸スタイルの横行は残念な光景でもあります。

尚多少箸文化を保持するタイに関して言えば、彼らの箸の握り方はマレーシア華人よりずっと劣ります。タイの一般の店では箸を使う機会はマレーシアより少ないから、これを責めること自体もう理屈に合いませんね。
次回マレーシアで大衆食堂や中国料理レストランで食事する機会がありましたら、華人の箸握り方を観察してみてくださいね。



タイ深南部のムスリム社会とマレー社会の相違を探る試み


はじめに:予備知識として、当コラムの第156,7回の「タイ深南部のムスリム社会とマレー人のつながり」をあらかじめ読んでいただくことをお勧めします。

タイ深南部を走るローカル鉄道路線

バンコクからマレー半島を南下してきた鉄道はハジャイで必ず停車します、ハジャイは南タイの一大拠点ですから、交通、商業、観光の中心地でもあります。タイ鉄道で着いた旅行者の場合、マレー半島をさらに南下してクアラルンプール、シンガポールへ行く人がほとんどでしょうから、ここでペナン行きの列車に乗りかえる又はクアラルンプール行きの列車に乗り換える又はバスでマレーシアに向かうと、方法は3通りあっても、ハジャイから東方向へ枝わかれしてタイ南部の東海岸側の町スンガイゴロック方面の列車に乗る人はずっと少なくなりますね。

この(仮称)スンガイゴロック路線は典型的な地方路線ですから運行される列車のほとんどは普通列車です。ハジャイとスンガイゴロック間の部分区間だけ運行する普通列車もあります。こういった普通列車はすべて木の座席である3等車のみで、もちろん冷房車両はありません。単線区間をのんびりと走り、対向列車が遅れれば必然的に駅での待ち時間が伸びることになります。

乗客は地元の庶民ばかりで、通学の足であり村人の近郊町、村への足でもあります。物売り、もちろん鉄道会社とは全く関係ない個人がカゴや容器に飲食物をいれてひっきりなしに売りに来ます、田園の続く車外の風景だけでなく、いかにもタイの田舎を走っているんだなという気分を十分味わいさせてくれる路線ですね。もちろん北タイや東北タイの普通列車でも物売りは来ますし、車外風景が田園なのはこの路線だけの特徴ではありません、タイの地方、田舎を走ればこれに似た雰囲気はどこでも感じられます。

さてこの(仮称)スンガイゴロック路線は北タイと東北タイさらに中部タイの鉄道路線にない特徴があるのです。それは乗客にムスリムの姿が多いことと、車外の風景に時々モスクが目に入ることです。ハジャイはタイ南部の一つソンクラー県の県都であり、マレーシアとの国境町スンガイゴロックはナラティーワット県の中心地でもあります。ハジャイから半島部をぐっと食い込むように南東へ伸びていくこの路線はこのタイ深南部ムスリム集中地帯を縦断していく形になるのですから、乗客にムスリムが多く、沿線にモスクが目に付くのもあたりまえです。

車中の様子と車外風景にムスリム社会を見る

決して豊かでないとひと目でわかる身なりの中年や老人、子供連れの親子立ちが木の座席に陣取り、あるものは互いに話し込みあるものは新聞を読み、あるものはぼけっと座っています。その姿にトゥドゥン姿の女性やバジュクルン姿の女性を見、長袖にトゥドゥン姿の女学生も乗り降りしていきます。話し声にタイ語に混じって、マレーシアのクランタン方言とよく似たタイ深南部マレー語が聞こえてきます、列車の車両と駅名のタイ文字を別にすれば、一瞬マレーシアのクランタン州の田舎を走っているかのような錯覚に陥ることさえあるのです。

標準マレーシア語を聞きなれた耳からすれば、又はある種の中央優越感を持つものから言えば、クランタンのマレー語は田舎方言です、それに似たタイ南部マレー語は同じように田舎ことばです、そして実際タイムスリムが集中するのはこのタイ深南部の田舎が多いのです。姿と振る舞いからすぐさまに田舎者だなという感じを思い起こさせるほど彼らの服装はださく、振る舞いがのんびりとしているのです、いくつも持ちこんだ荷物の布袋から食べ物をとりだし、食べかすを窓からポイ、又は床に巻き散らす、おかげで列車が停車する駅舎の近くの場所はごみだらけです。何十年もこのスタイルは変わっていないしこれからも変わらないのではと思えてきます。バンコクなど中央の開発から取り残されたかの田舎風景の駅の一こまです。

しかし世の中変わるばかりが全てでないと考える人たちもいますから、それを一概に遅れている、ダサいと考えるのは、筆者のような都会人の傲慢さと愚かさのせいとも言えるでしょう。特に頭部をスカーフで覆ったり、ソンココック(帽子)を頭にし、着古したムスリム衣装の中年以上のタイムスリムにとって、ハジャイの町の新しいビルやホテル郡と外人観光客の徘徊は何を彼らにもたらしているのでしょう、おそらく尋ねても語らないだろう彼らの思いは筆者にはわかりません、ただ全く別世界のごとく暮らしている彼らにとりたてて感慨はないかもしれません。タイ社会主流から距離も文化も繁栄も遠く離れたタイ深南部の田舎の人たちの乗り降り姿を見ながら、そんな思いが浮かびました。

尚、東北タイ(イサン)をうろついていても似た思いは頭をよぎりますが、イサンの民はタイ仏教徒なのでタイムスリムに対するのとはちょっと違った思いを感じるものです、それはここでは述べませんが。

タイムスリムの漁村風景

南タイ滞在中のある日、去年訪れたことのあるパッタニー県の海岸の村パナレ村へまた行ってみました、(筆者のベースにしている)ヤラの町から車歴数十年のおんぼろ小型バスで約60kmを約2時間、ほとんどムスリムばかりの乗客に混じって狭い座席に座って窓の外を眺めていると、通り過ぎる田舎道にまことムスリム部落がおおいことに気がつきます。決して立派ではないモスク、路端を歩くスカーフ姿の女性、バイクに乗ったムスリム帽子を頭に抱いた男たち、タイ文字を除けば、いずれも見慣れたマレーカンポンの光景とそれほど大きく変わりません。車中で時折聞こえてくる会話は時にタイ語、時にタイ深南部マレー語です。

出発バス停から最終バス停までずっと乗る乗客はごく少なく、このバス路線は地元民の足でもあります。パナレ村はほぼ純粋なタイムスリム漁村で、多くの人が漁業とその関連業にかかわっているのです。その週は海が荒れていたので前回浜辺に並んでいた、きれいな装飾のコーレオボートはほとんど他所に避難しておりほとんど見られず、浜辺に漁民がいなくて言葉をかわすことができませんでした。これが筆者の一番の目的であったのでまことに残念でした。

ここの村はタイ社会に浮かぶマレー社会かのように感じられるのです、その理由は、そこの唯一産業が漁業という独立したものであるとこともあるし、村人がタイ深南部マレー語で暮らしていることもあるでしょう、例えば歩き疲れて茶店で休んでいると回りの男たちの会話はほとんどマレー語です。筆者もタイ語で注文したものの、マレー語で念を押します。ある茶店では前回顔見知りになった店主といろいろ話しました。

茶店でたたずむのは全て男たちというのもいかにもムスリム社会らしく、一体若い女性はどこにいるのだろうといぶかしく思えますが、その後村を歩いていると、やしの木の下で若い女性や子供連れの母親が中心になって、今朝の漁で取れた獲物のカニを網から取り除いている作業場にいくつか出会いました。

この村の浜は荒れているので近くの浜にあげられた漁網をピックアップトラックで村まで運び、それを部落総出の作業としてグループ毎に働いている場面です、共同体作業が残っているというか共同体でないとやっていけないのがこういう零細漁業なのでしょう。お昼のお祈りの声が近くのモスクからマイクを通して大きく流れる中、人々はカニや海底のごみが絡みついた網から気長に1個1個又は1匹1匹取り除き続けています。見ているだけでも根気のいる作業です。

マレー社会の食慣習を持つタイ深南部の食堂

ハジャイから130kmほど離れたヤラ−の町はヤラ−県の県都でもあり、それなりに大きな町です。もちろんムスリムが多いので至るところでムスリムの姿を見ますし、町の地区によっては明らかにムスリム地区とわかる地区があり、そういった地区の茶店や食堂はマレー風タイメニューを供しています。ナシダガン、ナシクラブ、などのクランタン州で見られるマレー料理や、もちろミーゴレン、ナシゴレンもあります。朝食にロティを焼いているムスリム食堂もあります。マレーシアのロティとちょっと違うのは、食べる時にカレーをつける以外に、エバミルクと砂糖でまぶす方法を選ぶ人もいることです、この食仕方はマレーシアでは珍しいですからね。

なんといってもこういうムスリム大衆食堂、屋台がコピ(カフェー)とテー(チャー)を供するところがタイ中部以北の食堂、屋台と違うところです。南タイもハジャイを北上するにつれて、コピとテーを供する店がぐっと減っていき、北部タイなどではまずカフェーを飲める食堂を見つけられなくなります。
もちろんバンコクでもタイ風コーヒー(カフェローンとかオーリエンというタイ風アイスコーヒー)を供しますが、どんな食堂でも供しているわけではありませんし、食事時に又は一休み時にそういう飲み物を求める人はぐっと少なくなります。バンコクあたりだとコーラなどの清涼飲料水が中心ですね。

これは私の推論ですが、タイ深南部ではマレー社会のコピ・テー文化を持ちこんでいるので、ムスリム食堂はもちろんタイ食堂でも店によってはマレー風カフェー、チャーを供するところがあるのです。筆者は東南アジアでは町歩きに疲れるとどこか適当な茶店、食堂に入って一休みするのが習慣ですので、その意味ではタイ深南部は適当でもあります。1杯6から8バーツほどでしばし休める大衆食堂、屋台は街歩き族には欠かせない存在ですからね。こういう茶店ではたまに店の人や居合わせた客とおしゃべりする(もちろんタイ語なりマレー語で)機会も生まれてくるので、これがその土地の人々を知る楽しみでもあります。

ヤラーの町だけでなくほかの町でも明らかなムスリム茶店食堂に出入りする客は、ムスリムだけですね、明らかにタイ人や華人系タイ人は目にしませんでした。ここらがマレーシアのカンポンでは華人もマレー茶店でたたずんでいるのとはちょっと違いますね。マレー系には絶対見えない筆者がパナレなどのムスリム茶店に入るとなんとなく視線を感じるのはそんなところからでしょう。

タイムスリム地域でも目立つ華人の商売強さ

ところで、筆者がヤラーに滞在していた時にちょうど中国正月になりました。タイでも中国正月は休日で、今回は連休になったわけです。マレーシアでは、昔から中国正月にかつてつきものであった爆竹を数年前に全面禁止したので、もうあの音を聞くことは、違法承知でやっている人を除いて、まずありませんが、そこはタイ、まったく規制はないようで、大晦日から初日にかけ町のあちこちが爆竹の音に包まれたのです。朝から深夜までいいかげんにしてくれというほどうるさいのです。翻って言えば、それだけ商店主には華人が多い証拠です、それに多くの店舗が閉まっているのでとりわけ華人の存在が目立つのですね。普段は外から見ただけではタイ人の店か華人系タイ人の店かよくわかりませんが、中国正月に数日間店を閉めるのは華人に間違いありませんから。
ムスリムとタイ人多数社会に存在する華人社会のビジネス強さをここでも改めて印象付けられたのです。

マレー語ニュース番組にマレーシアでのタミール語ニュース番組を思い浮かべる

ヤラーはタイムスリム集中地方の中心地の1つでもありますから、ヤラーの地元放送局からムスリム向けの番組が毎日放送されています。時間数にすればわずかですが、中央集権の強いタイにすればやはり画期的なことにちがいありません。タイの全国テレビ局のうちの一つ、チャンネル11がその放送時間中の一部をこのヤラ放送局製作番組にあてています。もちろんタイ南部でしか受信できないはずで、バンコクでは見ることはできません。さらにヤラーラジオ放送局からの地方放送もあります。

ヤラー放送局が毎日送っているのはタイムスリム社会のニュースを伝える短いニュース番組です、トゥドゥン姿(スカーフで頭髪を隠す)の女性アナウンサーがタイ南部マレー語でニュースを映像とともに伝えるのを見ていてふと思いました。これマレーシアシアのインド人コミュニティー向けのタミール語放送とよく似ているなと。マレーシアのテレビはマレーシア語、中国語、英語番組がその放送時間のほとんどを占め、総人口の8%ほどのインド人向けのタミール語放送は夕方の30分のみです。ただし特別番組やヒンズー語映画上映番組はなどは除く。
マレーシアにおけるインド人はその人口割合と産業に占める占有率がずっと低く、且つインド人コミュニティー全てがタミール語に流暢でないこともあって、3大言語に比べてタミール語番組はずっと低い比率になっているのが現状です。

タイムスリムはその居住地域がほぼ南部タイに限られ、バンコクにもコミュニティーはあるしモスクもありますが、全国的にどこにでも住んでるわけではないし、総人口比にすれば1割ぐらいかな(詳しい数字が得られないのでものすごく大雑な見積もりです)、そして経済的にはタイ人、タイ華人にずっと遅れをとっています、ですから一見マレーシアにおけるインド人社会に似ています。もちろんタイのムスリムコミュニティーはインド人と違って移住者を先祖に持つわけではなく、先祖伝来の居住者でありますから、同一視はできませんが、似た面が多いのも否定できません。

マレーシアのインド人は周囲をイスラム社会に囲まれ、ムスリムのスルタン、国王を抱きながらその強烈なヒンズー教信奉を崩さずいやむしろ強め、ヒンズー社会をかたくなに保持しています、こういったことはタイプサンなどのヒンズー祭りだけでなく、普段のヒンズー寺院の参拝者などの姿に容易に見られますね。方やタイ深南部ムスリム社会は周りをタイ仏教社会といくばくかの華人道教コミュニティーに囲まれています、タイは言うまでもなく南方上座部仏教を国教とし、且つ絶対存在者としての国王をいだいた国ですから、タイ全体から言えばムスリムはマージナルな存在になります、しかし、タイムスリム社会の後ろだけにはイスラムを国教とし、同種の言語を話すマレーシアのマレー社会があるのです。タイムスリムはこの仏教社会のなかで何百年もその存在を際立たせ、ムスリムであることをタイ社会の中で守ってきたし、これからもムスリム社会を崩すことはありえません。

まこと宗教の力は強いものであり、且つこうした少数宗教コミュニティーはある種のファナティックな面を持っています。タイ南部ムスリムに時折、ベールで完全に顔を隠したり、いわゆるマレー風でなく擬似アラビア風のスタイルをした超保守的ムスリムの姿を見ます。周囲が他宗教であればあるほど、自分たちの存在を強調したくなるのかもしれないし、純粋に教義を追っていく集団も発生していくのでしょう。

ヤラー放送局からの短いタイムスリム向けテレビ番組が、どれくらいの視聴者を持っているかそれまでは調べられませんでしたが、多くのタイ深南部ムスリムがタイ語とのある程度のバイリンガルであることを考えると、それほど視聴率の高い番組とは考えられません。口語としてのタイムスリムマレー語、彼らはタイ語でパーサームラユつまりマレー語と自称している、を聞くと、筆者程度のマレー語力の者でもそれなりにわかります、マレーシア語とインドネシア語の差より小さいのは確かですね。

マレーシアのマレー語はマレーシア語として国語の地位を得た言葉ですが、タイ南部のマレー語はあくまでも口語としての言葉です、筆者はマレー語の出版物を探した方のですが、書店には1部1紙として見当たりませんでした。

3コミュニティーの存在を印象付けるハジャイ

ハジャイの町にもムスリムは当然多く、気をつけてみれば、ハジャイがムスリムコミュニティーとタイ仏教徒コミュニティーと華人コミュニティーに3分割されていることに気がつきます。ハジャイの華人は商売柄マレーシアから華人がたくさんやってくるので多少なりとも華語なり潮州語、広東語などを話す人の割合が他のタイ都市より高いのはまず間違いありませんし、筆者の経験からもそう確信します。

マレー女性とタイムスリム女性を比較してみる

マレーコミュニティーの姿はいくらでも目に入るし、例えば中央市場の食堂街はタイ食堂街とは完全に分かれており、ムスリムがつどんでいます。ハジャイは都会ですからムスリム女性の服装は垢抜けした服装が比較的目立ちますが、ヤラーあたりになればそれは地味になり、郡部の村で見る姿は、もう完全な田舎のムスリムのそれですね。マレーシアの都会のムスリム女性に比べると、ヤラーの町でさえ、ムスリム女性の服装の色彩度がぐっと地味になります。バジュクルンはそれなりにありますが、バジュクバヤはそれを着ている率はぐっと低くなりますね。これが所得水準の差、米ドル換算すればもちろんクアラルンプールのほうが倍ぐらい上でしょう、にあるのか、タイムスリム社会の傾向なのかは、筆者には判断できません。

タイムスリム女性の振る舞いとマレーシアの非都会のマレー女性の姿にそれほど違いを感じませんが、タイムスリムは若い女性がよくバイクに乗っています。女性があらゆる年代を通じてバイクに乗るのはタイ全土で極めて一般的な行動で、ムスリム女性もその例外でないことの現われですが、マレーシアでそういった女性を見るのは極めて極めて珍しい、田舎へ行くと自転車に乗っているムスリム女性はあっても、バイクに乗るのはほとんど全て男ですから。日ごろ彼女らの行動と振る舞いを眺めていると、マレーシアムスリム女性はどうも活発又は活動的でないなという印象を(偏見でなく)抱かざるを得ないのです、しかし同じムスリムコミュニティーでも、バイクで走っているタイムスリム女性の姿を見ると、やっぱりここはタイだなと感じさせます。

タイ深南部ムスリムコミュニティーを語るには、もちろんまだまだ筆者の知識と経験、タイ語力、マレー語力では不充分ですが、マレーシアの東海岸マレー社会との相違に興味を抱いている筆者はこれからもたまに訪れて観察を続けたいなと思っています。タイは微笑みと仏教と国王だけの社会ではないことを、より多くの人に知ってもらいたいのも筆者の願いです。



イスラム教に改宗した華人のこと


イスラム教は非ムスリムたる部外者には、まこと厳格な教義と排他的な性格を備えている宗教だと写ります。ムスリムに言わせればもちろんそうではなく、全能の神の下で人間らしく生きることのできる宗教であると、捉えているのですし、事実そうなんでしょう。

厳格な教義はイスラム教だけではありませんよね、仏教であれヒンズー教であれ、キリスト教であれ、本来の宗教とはそういうものかもしれません。ただ俗にいうと、酒を飲めないとか、ムスリム用の食物しか食べてはいけない、女性は肌をだしてはいけないとか、まこと現象面での制約が目に付くので、異教徒や無神論者(筆者の立場)にはイスラム教は厳格でとっつきにくいという印象を与えるのも事実です。

さてここでイスラム教を考察するつもりではありませんし、また筆者にはその能力もは十分にありませんから、イスラム教を論じるのでなくイスラム教が与える現象面に限ってみるだけです。 

イスラム教はマレーシアの国教であり、マレー人はムスリムに生まれる

マレーシアはイスラム教を国教と定めており、マレーシアでムスリムというのはある特権を得ているのは事実です、モスクへの公の膨大な補助とか、ブミプトラ(ムスリムだけではありませんがその中心である)優遇政策など。政府の中枢はムスリムであるし、地方自治体でもおなじなどですね。イスラム教が国の隅々までその教徒人口比以上に影響を及ぼしていることは事実です。

そこでムスリムであることが国のコントロールと干渉と監視を常に受け、一方ムスリム社会はそれを当然のことと受け入れています。与党のムスリムであれ反対党のムスリムであれ、これは同じです、イスラムはそもそも政教一致ですからね。マレー人はムスリムになるのでなく、ムスリムに生まれます。さらにムスリムは一度ムスリムになれば、マレーシア国民である限りそれを離脱することはほぼ不可能です。

こういう国風と国策を持つ国ですから、マレーシアでムスリムであることとそれに改宗することは、非ムスリム国で、例えば日本や米国で、ムスリムであること又はそれに改宗すること以上に、厳格であることはわかりますね。ある日簡単にムスリムに改宗するなんてことはマレーシアではできません。それなりに手続きを踏み、宗教当局に認めてもらわねばなりません。さらにムスリムはその定められた教義に従わなければ、反イスラム的行動だと非難されるだけでなく、ムスリム法廷で罰せられりことになります。 日本でムスリムが酒を飲んだからといって、宗教的非難は受けるのは当然として、当局から罰せられることはありませんよね。

ムスリムとの結婚は改宗が先

こうしたことから、マレーシアで非ムスリムがマレーシアムスリムと結婚する場合は、その人がマレーシア人であれ、外国人であれまずイスラム改宗が義務付けられています。外国人はマレーシア国籍なり、永住権をとらなければならないということではなく、宗教的に改宗しなければならないということです。ムスリムとの結婚は始めに改宗ありきです。

マレー人はほぼ100%ムスリムで且つレーシアムスリムの大多数を占めますので、ムスリムと結婚するといえば、だいたいがマレー人と結婚するということになりますね。その場合改宗対象者たる非ムスリムの多くを占めるのは、華人とサバ・サラワク州の非マレーブミプトラということになるでしょう。

さてその華人がムスリムに改宗すると改名もしなければならないし、これまでの華人慣習も相当程度あきらめなければなりません、人事ながらたいへんなことは想像できます。数としてはもちろん多くは無いので、筆者のみじかにはいませんが、これまでにそう言う人と口をきいたりしたことはありますが、詳しく話したことはありません。なかなかその姿を、知ることは難しいし、中国語紙であれ、英字紙であれその現状を伝えることは極めて極めてまれです。ですからある意味では目につきにくい存在です。

イスラム改宗した華人団体の記事から

1月16日付けのThe Star紙に珍しくこのことが特集されましたので、抜粋しながら訳してみます。筆者の全く手のと説かない範囲ですから、これを解説するなんてことはできません、読者の方のほとんども初めて知る珍しい事実もこれに現れていることでしょう。
以下記事より

クアラルンプールに本部を置くマレーシア華人ムスリム協会Macmaはムスリムに改宗した華人向けのコミュニティーサービスや相談にのっています。時には改宗したことで家を出なければならなくなった者への一時非難場所も提供。マレーシアの推定2万人と言われる華人ムスリムのうち500人がこの協会の会員です。またこの協会は一般向けのHalal中国食物も生み出して、一般人を含めて販売しています。中にはパコテーの鶏肉版のチクテーもあります。こういう食物の売上は協会の活動費にあてます。

「もしこのベンチャービジネスがうまくいけばフランチャイズします。」と幹部。ただ、今のところ華人ムスリムはMacma協会のことをよく知らないと言っています。協会の目的は、自己の力でコミュニティーセンター、学校、モスクを作ることです。

一般に宗教改宗は、イスラム教だでけなく他宗教へもですが、(改宗者の)家族の大反対を招きます。時には改宗者は家から追い出される、とこの幹部。改宗者のプレッシャーは大変大きいので、Macmaは設立されたのです。改宗者へのある種の精神的、感情的援助をするのが目的です。

マレーシアの華人ムスリムの地位はユニークです。マレー人からは彼らはブミプトラの地位を狙って改宗したと疑われ、華人社会からはマレー人になってしまったと扱われるのです。
この2重差別に打ち勝つため、華人ムスリムはこの地位を人々に説明しなければなりません。華人ムスリムは改宗後も中国正月や中秋節の中国行事に参加します、しかし神には祈りませんし、さらに先祖供養祭にも参加しません。 また彼らは太極拳、気功などの活動には参加してもいいのです。「イスラムに反しない限り、華人ムスリムは参加できるのです。」とMacma会長。

事実Macma本部で行なわれた今年のHariraya のBukaプアサ集会には、多くの中国料理が用意されました。チキンパウ、豆沙ビスケット、ニョニャ菓子、さらにサテ、ナシクニェ、カリーチキンもあります。

イスラムがある地方で実行されるとその地の慣習を取り入れると言う歴史的事実を示しているのです。しかし原則は曲げません。

ムスリム転向華人は時に便宜主義者と見られることがあります。これはなぜ生まれるかと言うと、これはムスリムが持つある種の特典つまりビジネスライセンス、経済援助が新しくムスリムに転向したものに約束されていること、さらに時として改宗に熱心すぎること、から誤解が生まれます。これでは華人改宗者は物質益から改宗したかのようです

ある改宗者学者は言います、「今日華人改宗者の多くは物質的利益を受けません。」「政府のこの政策はあまり成功していない」と。また続けて、「マレー人はイスラムとマレー伝統の間に違いを見出していない。」 だから「マレー人はマレー伝統にのっとっていないイスラム外観は受け入れられない。」と見るのです。マレー人にとってイスラムとマレー伝統は統合化したものなのです。同様に華人もマレー民族とイスラムに違いを見出しません。

ムスリムに転向した華人は時には差別、偏見に突き当たります。仕事場でその上司と同僚から、例えば華人の雇い主からは拒否され、マレー人雇い主からは、同情を求めていると思われるのです。マレー人の中には転向者がその華人両親の墓参りするのさえ宗教的罪だと考えるものさえいるのです。

マレーシアにおける華人のムスリム転向者の大多数は、マレー人と結婚する場合です。その職業は弁護士、銀行家からタクシー運転手、看護婦まで多岐にわたります。ある学者は転向者に対するイスラム宗教当局の係官は民族的偏見と疑いの感情を捨てるべきだと言っています。

成功裏に転向し、マレー人との結婚を続けているものも多い一方、それ以上に失望し、家族が別れ別れになった悲しいケースも多いと述べています。

以上記事より

こうしたことを読み知ると、人事ながら改宗はたいへんだなと感じます。もちろんそれをうまく乗り越えている人も、結婚のために便宜的に改宗しているマレーシア人、外国人もいるでしょうが、マレーシアで宗教の持つ重みは日本のそれに比してはるかに大きいことは、これからも否定できない事実ですね。



彼らの信条、よくわからないなあ


現代生活は現金がなくならないものの現金の役割をするカード類が増えてきました、そしてそれらが財布の中身を結構占めますよね。筆者の財布には、多少の現金と免許証や名刺、ミニカレンダーといったものの他に各種のカードが常時入っています。カードといても(めったにしか使わないので持ち歩かない)クレジットカードでなく、銀行のATMカード、公衆電話カード、そしてバスと高架電車LRTのプリペードカード3種です。バス用のプリペードカードとは多くの日本人的発想から言えば相当意外なことでしょうが、クアラルンプール生活していると、非常に都会生活そのものの面もあるのです。
(注:日本ではバスのプリペードカードはすでに普及していると指摘を受けましたが、東南アジアではシンガポールを除けば極めて珍しいはずです)

クアラルンプールのバス用カードは進んでます

クアラルンプールのバスの乗車料金支払い方式は相当進んでいるのです。今尚車掌と運転手の2人勤務バスはもう小数派になり、多数のバスはワンマンバスです、東京だと、乗車距離によって運賃計算するので降りる時に支払うバス会社もありますが、マレーシアのワンマンバスは全て乗る時に支払う方式です。現金を運転手横の小箱に入れるのはおなじみの光景ですが、プリペードカードを機械に差し入れると、1回分の料金が差し引かれたカードが戻ってくるのと共に切符がでてきます。

東京圏のバスにこういう方式はない(と思うのですが)ですから、このぺリペードカードは優れた方式ですね。、均一乗車料金90セント制をとる、クアラルンプール及び近郊地での最大のバス会社Intrakotaバスがこのプリペードカードを導入しています(写真の上)。カード1枚の価格は保証金を除いてRM18ですから、1枚で20回乗れます。

一々小銭を用意しなければならないことはない優れた方式なのに、筆者推定するに乗客の20人中19人までは未だに現金で払っているのが不思議です。それに Intrakotaバスはつり銭を支払わない方式なので、結構多くの人が小銭を持ち合わせてなくて、RM1硬貨を料金箱に入れているのです。
これを見ていると、一体マレーシア人乗客って賢いのか賢くないのか、と時々思わざるを得ません。

クアラルンプールの公共バス網でIntrakotaに並ぶ大手のCity Linerバスは、乗車区間で運賃を決めていますので、乗る時に現金箱に運賃を入れます。行き先の料金がわからなければ運転手に行き先を告げれば、料金を教えてくれます。運賃は60セントからRM2ぐらいの幅です。

でこのCitylinerバスは最も進んだプリペードカード方式を採用しているのです(写真の中)。日本のJR電車で使用しているイオカードみたいなプリペードカードでもっと厚いのですが、機械に入れるのでなく、カードの表面を機械の接触部分にタッチするだけで、自動的に料金計算が開始され、降りる時に降り口付近に取りつけられた機械にタッチすると乗った距離によって料金がカードから差し引かれます。Citylinerバス会社はこのカードをTouch ’n GOと呼んでいます。その呼び名のとおりの機能で、高速自動車ハイウエーの料金所でもこれと同じカードが料金計算に使用できます。

便利でも乗客は使いたがらないプリペイドカード

カードの残高はこの機械の表示部に表示されます。乗った距離によって計算される分だけIntrakotaaより高等なカード方式ですし、近距離ならIntrakotaより安くつくという面もあります。筆者はCity Linerにあまり乗らないのでしばらくプリペードカードを購入しませんでしたが、一度これを使い出すとその便利さに手離せなくなります。しかしこの便利なプリペードカードを使う乗客は極めて極めて珍しい、正確にはもちろんわかりまえせんが、まずこのカードを使う乗客に見ません、50人に1人もいないではないかな、ほとんどの乗客は今も小銭を用意し料金箱に入れているのです、しかもこのバスもつり銭はもらえませんから、結果として余分に払うことになる乗客もかならず出てきますね。

こんな便利なのになんで使わないの?と不思議です。一番の理由は、Touch 'n Goカードは保証金がRM15と高く、一番安いカードでも1枚RM35することなのは間違いないでしょうし、2番目の理由としてこのカードを入手できる場所が極めて限られていることがあります、クアラルンプールにわずか6,7箇所しかないです。しかしCity Linerで通勤しているとか日常的に使っている人は何千人何万人もいるのに、使う人を見ることが珍しいというのは解せません。マレーシア人はこういう便利で且つ無駄を省けるものに積極的に取り入れないなあ、とつくづく思います。
またこう思わざるを得ません、マレーシア人乗客って賢いのか賢くないのか、と。

このCityLinerバスは、いわゆる乗り放題カードたるTravelCardを最近発売開始しました。クアラルンプール及びその近郊の大抵のCityLinerバスが乗り放題で1週間有効がRM11、1ヶ月有効がRM40です。通用範囲を首都圏全体に広げると、1週間RM16, 1ヶ月RM60になります。これは頻繁にバスを使う人なら相当なる節約になりますし、旅行者も利用法次第では役立ちますね、が、まだまだ購買する人はごく少ないようです。

さらにもっとお得なプリペード式の1ヶ月間パスも発売されています。CityLinerバスのみならず、高架電車Putra-LRT路線とその駅周辺を走る周回バスの3種の交通機関に1ヶ月乗り放題というものです。 このカードMonthly PassはRM80です。尚マレーシアには日本でいう乗車定期券というものは学生用を除いて存在しません。
このTouch 'n Goカードを購入する場合、マレーシア人なら身分証明書、外国人はパスポートの番号をコンピューターに入力するのです。たかが交通プリペードカードなのに変なの、です。

プリペードカード普及にはまだまだ時間がかかりそう

こういう風に小銭用意の手間を省き且つ節約の可能性も十分ある便利で進んだ方式を採用しているものの、一向にこれを積極的に利用する乗客が増えないのもマレーシアの現状です。尚運賃が比較的高いので高架電車、Star-LRT とPutra-LRTの2社ある、はバスよりもプリペードカード利用者比が高いそうです。筆者はStar-LRTを時々利用するので、このプリペードカードを常時携帯してます(写真の下)。価格は1枚RM20から、こちらのカードは日本のJRが使用しているイオカードと同じ仕組みです。乗り降り時に改札口で自動的に料金がカードから差し引かれるのです。

ところで高架電車は、日本に比べればその路線数自体たいした数はないのに2社が運行しているので、おかげでプリペードカードも2種類購入しなければなりません。今建設中で2年後に出来上がるモノレールはまた別の会社が運営するので、さらにプリペードカードが増えそうです。たかが4路線しかないのだから、共通プリペードカード化を考えればいいのにね。

バス会社や高架電車会社はバス停、駅構内、バス内部にこの種のプリペードカード又は月パスの広告を目立つように掲げていますから、いつも乗っておれば気がつかないはずはないと思うのですが、それでも大多数の乗客は今尚毎回乗車時に小銭で払うのですね、朝夕や休みの日など窓口で列をつくることになるし、ワンマンバスならお釣りがもらえないし。わからないなあ、彼らの信条。


ある有名女性歌手の不祥事

「昨年10月運転免許を携帯せず且つ飲酒運転で捕まった悪い出来事以来、Watieは確実に困難な時期に陥っています、彼女はセクシーで人気ある女性グループEliteのメンバーです。この事件が大衆の興味を引くや否や、Eliteに影響させないよう Watieはずっと雑誌新聞記者の追っかけからから逃げていました。この恥ずかしい行為のためWatie所属するKRUレコード事務所からはっすでに警告を受け2ヶ月間Eliteの活動に参加することを禁止されました。」

これは ”ほぼ4ヶ月間隠れていました。「私はよくわかりました」Watie” と題したEliteのメンバーWatieとの独占インタビューを掲げたマレー芸能雑誌HAI、2月26日号の誌面の一部です。たまたま本屋でいろんな雑誌を立ち見していたら、この写真中心のマレー芸能誌の内容に目が止まったので、珍しく買ったのです、その中でこんな記事が目に付きました。

筆者はマレー芸能界にたいして興味はないし、マレーシア語辞書片手に読むのがどうもわずらわしくて日ごろマレー芸能誌は買いません。そのため、マレー芸能界について全然詳しくありませんが、このEliteという女性4人グループは人気あるようで、よくこの種のマレー芸能雑誌に載っています。ちなみに現在マレー芸能雑誌で誰が一番よく載るかと言えば、恐らく女性歌手人気と実力No1のSiti Nurhalizaでしょうね。

このEliteはマレー歌謡界で抜群の人気を誇る男性3人組グループKRUが運営するKRUレコード(プロダクション)に所属しているのです。確かKRUがこの女性グループをプロドュースしたと記憶してますが(間違っているかな?)、ちょっとセクシーな可愛い子ちゃんグループとして、成功しているようです。ようですというのは筆者がこの種の情報に疎いので断定できないからです。別にマレー芸能界を評論するつもりではありませんが、マレー芸能界を全く知らない読者がほとんどでしょうから、その予備知識として書いているだけです。

写真を見ていただければお分かりのようにこれがWatieです、美人と見るかかっこいい娘だなととるかは読者にお任せします。筆者の主題はそんなことではありませんよ。

甘えた言い訳を述べるのはマレーシアでも同じ

記事から適当に引用を続けます。尚記事本文はずっと長文です。
「多くの人に対して私は恥ずかしいことをしたと認めます。友人に対しても、いくつかの雑誌社がKRUプロダクションに要求することに対しても同様です。」 「この事件を起こして以来今日まで人々は私のことについての話を止めません。そのため私自身秘密を守ってきました。私はこれ以上私への作り話を聞くことが耐えられません。」 と彼女は語っています。

(どんな作り話があってそれに彼女がどう対応しなかったかはIntraasiaは知りません。)
彼女はこういううわさに対して、「私の精神を傷つけます。神に感謝するのは私がムスリムであることです。私がどうなるかたとえ知らなくても」

「人が私を罵り軽侮しても私自身何もできません。」 「私にカンバックの機会を与えてください。」

「実際問題、ムスリムに禁止された飲み物を飲むのは私の生活の一部でも習慣でもないんです。他人にWatieは飲兵衛だと思われたくありません。私がここではっきりと言いたいことは、私はそんな人間ではないということです。」

まあ一人の甘えた若い芸能人らしい言葉ですね、マレーシアも日本も芸能人の不祥事には甘いようで、多分彼女もカムバックするでしょうね。でこれからが本論です。

有名人が酒を飲んでいることがなぜその時話題にならないか

この彼女、マレー人ですから即ムスリムです、言うまでもなく酒類はイスラム教で完全にご法度ですね。イスラム教のことをほとんど知らない非ムスリムでも知っているぐらい有名で基本的な掟ですね。その掟を知っていながらこの歌手は以前から酒を飲んでいたのでしょう、彼女は人気グループのメンバーとしてそれなりに知られた有名人ですから、その彼女がパブなりビストロで酒を飲んでいれば当然周りは知っているしパブの従業員やバーテンも承知しているわけです。

クアラルンプールの都会の中流上流マレーシア人が集うことで知られたバンサやダマンサラの酒場・店にマレー人が現れることは、決して秘密でもなんでもありません。彼女もこういうところで夜酒を飲んだあと、運転して帰る時に警察の検問に引っかかったのでしょう。もしその夜彼女が警察に検問されなければ今も酒を飲んで帰宅しているかもしれません。なぜ酒を禁止されたムスリムがそんなことをしているのでしょうか、もちろん宗教関係者や当局は、それに保守的なムスリムはそれを絶対許しませんし、もっと厳しい取締りを訴える声もあるようです、例えばイスラム原理政党PASはバンサのパブ類の制限を訴えています。

しかし現実にムスリムが酒を飲める場にいるのも事実です。そして有名なその歌手はその飲酒行為を見逃されてきたのです、なぜならそれだけ顔の知られた彼女の飲酒行為を周りが知らないとは言えないからです(彼女のこのインタービュー記事の中で、どこへ出かけても皆が私の顔を見てささやくと訴えています)。なぜなのでしょう、芸能人だからか、場所がバンサやダマンサラだからか、それとも他にあるのかな。

ムスリム芸能人の行動は私の知ったことではありません、ただ不思議に思います

筆者は彼らが酒を飲もうと飲まないと別に関係ありませんし、第一はっきり言って私の知ったことではありません。ただ知ったことでないが、マレーシア観察者としてその奇妙な二重基準に興味あるのです。この歌手が酒を飲んでいたのは前から知られたことでしょう、それなのに問題が起きてから、テレビ局はEliteを出演禁止にし、所属のKRUプロダクションは彼女を数ヶ月グループ活動から除いたのです。現在ものようです。

彼女が飲酒運転で捕まらなければ現在もそのグループ活動を続けていたことでしょう、もちろんこれは推定ですが、相当なる可能性を持ってです。なぜ周りの者が知っていたであろう酒を飲むムスリム女性がもてはやされるのでしょうか、わからないなあ。芸能人ってそんなに特別の存在なんだろうか。

もう一度彼女の写真をご覧ください。これ一般的なムスリム女性の服装とはとても思えませんよね。一般のムスリム女性たちは、バジュクルンやバジュクバヤ姿でなくても、下はパンツルックでも上はたいてい長袖とかだし、こういう体の線を強調する姿はまず珍しいですね。それにWatieはトゥドゥン姿じゃないですね。テレビや映画などに出演する、芸能活動しているムスリム女性芸能人ってまずほとんどトゥドゥン姿でないつまりスカーフをかぶらず、体の線を強調する服装が非常に多いけど、マレー芸能人はなぜイスラムの定めた服装をしないのでしょうか。

多くのマレー芸能雑誌を見ればすぐ気がつくように、中にはタンクトップ姿の芸能人の写真も載っている。世のムスリム基準から言ってまこと不思議ですね、こんな服装を彼らがしていることがです。筆者はムスリム間における規律に対してとイスラム教自体には口出す気もないし、筆者にはどうでもいいことです、ただ単に不思議だなあ、と感じます。

マレー芸能界はこういう行動が許されると考えるなら、それを一般に訴えればいいのにね、トゥドゥンなどかぶらなくてもいいとか、タンクトップでもいいではないかと。でもそんなこと彼らは絶対に口にしません。まことおりこうさんですね。本当、よくわかりませんな、マレー芸能人の信条って。



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