「今週のマレーシア」 2010年1月から3月のトピックス


・クアラルンプールのBandar Tasik Selatanに建設中の南部方面バスターミナルの影響  ・外国人と日本人のマレーシア訪問者数を分析する
数字で見たマレーシアシリーズ - その34    ・マレーシア - タイ間を陸路出入国した小旅のお話
またタイ深南部のことを少し語りましょう   ・ 意外に知られていないマレーシアの一面
旧正月でも普段の休日風景とあまり変わらない地区と大きく変わる地区  ・マレーシア華人界の製作映画 大日子Woohoo は興行収入が好調
公益事業体の公共料金請求が巻き起こすトラブルは避けられない  ・ 官界も業界もマレーシア手工芸品を売り込む工夫がもっと必要だ



クアラルンプールのBandar Tasik Selatanに建設中の南部方面バスターミナルの影響


始めに、バスターミナル概論

中長距離バスターミナルは理想を言えば、乗り換えの便から1つだけの方が良いに決まっています。さらにできるだけ市内の中心部に近い方がいろんな面で便利であり、または郊外にあっても市内中心部との交通の便が良いことが必須ですね。半島部の州都で且つ中規模都市である、アロースター、マラッカ、ジョーホールバルでは中長距離バスターミナルは1つだけであり、且つ同じ敷地内から市内・近郊バスの発着便が十分にあります。 これは利用者の立場から非常に大事な点です。そうではない州都をあげますと、イポーは中長距離バスターミナルは1つだけですが、市内中心部を結ぶバス便がちょっと不充分且つ近郊バスの発着が他所にある、クアラトレンガヌは中長距離バスターミナルは1つだけでも、市内近郊バスターミナルと離れている、といった乗り換えを前提にしたバス交通の統合面で不満を感じる中規模都市もあります。

クアラルンプールは人口150万を超える大都市ですから、中長距離バスターミナルが1つだけというのは無理な願望と言えます。仮に1箇所にすべてのバス便を集中させたら、ただでさえ交通混雑のを起こしている市内をさらに悪化させることになりますからね。 ただ現在、輔弼的なバスターミナルの1箇所を含めると、4ケ所というのは多すぎますね。 クアラルンプールの数倍の都市規模であるバンコクには昔から方面別にバスターミナルが3箇所にあり、互いにかなり離れています。 クアラルンプールの都市規模であれば、2箇所が適当であると、Intraasia は思います。Pudu Raya の位置は市内中心部の混雑地にあるゆえに、便利な点はこの上ありませんが、都市の発展につれて道路の整備と拡張はすでに限界に来ていますから、混雑緩和のために中長距離バスを郊外へ移転させることは、仕方のないことだといえます。

Pudu Raya が建設されたのは1980年直前ごろだそうです。当時のクアラルンプールの発展度と21世紀の現在のクアラルンプールの状況を比べるのは、白黒テレビと液晶大型テレビを比べるようなものでしょう。Intraasia が Pudu Raya バスターミナルを初めて訪れたのは1981年1月です。それほど前にすでに足を踏み入れたことと90年代はまことに頻繁に利用したこともあって、あの暗くて暑くて排気ガス臭くて空気のどよんだ、さらにうるさかった Pudu Raya でも不思議に愛着を感じます。昔も今もPudu Rayaの位置の便利さは特筆ものです。しかし時代は変わりました。移転を受け入れるときが来たと思います。

長距離バス便の移転準備のためにPudu Rayaバスターミナルが変身中

1月3日の「新聞の記事から」にクアラルンプールのPudu Rayaバスターミナルが変身中である記事を載せました。その注で、「2010年中頃には中長距離バスの南部方面が Bandar Tasik Selatan駅横に移転します。【マレーシアみんなの写真アルバム】 に年末に撮った南部方面バスターミナルの写真を載せましたよ」 と書きましたから、マレーシアを自由旅行される方は写真をご覧になっておいてください。

Pudu Rayaバスターミナルの移転に関しては2004年に書いた「今週のマレーシア」第383回コラムで詳しく書きました。その後も折に触れて移転に関するニュースを載せ、コメントもしてきました。当時移転候補地であった PASARAKYATバスターミへの部分移転試みは全く成功しませんでした、まことに結構なことです。そして Jalan Duta バスターミナルは依然として輔弼的に使われていますが、あの不便な地が主たるバスターミナルにならなくてよかったと多くの利用者が思っているはずです。いずれも利用者のおかれた状況と都合を無視した、移転候補地の選択だと感じたIntraasia は当時酷評しました。実際、あのような不便または移動に余分な金のかかる地を候補地とする発想は、自分では中長距離バスをほとんど利用しない層の人たちの発想に違いありません。

南部方面バスターミナルはハイウエーに近い

さて建設中のバスターミナルは、当初Intraasia が推測したよりずっと大きく、写真でおわかりのように本格的なバスターミナルビルといえる大きさです。南北縦断ハイウエーの主要乗り口降り口である、Sungai Besi 料金所に至る道路に直接つながる専用道路も建設している様子がわかります。これは南部方面バス便の多さから賞賛することですね。さらに線路を挟んだ対面の場所を走る、クアラルンプール中環状道路(写真には写っていません)にも連絡すべく、自動車陸橋を架ける橋梁がすでに建っています。ターミナルビルはかなり出来上がっているので、当局発表の予定はともかく、今年半ばには使用開始になることでしょう、いやそれより多少早いかもしれません。

Bandar Tasik Selatan駅 は乗り換え便利な駅

Bandar Tasik Selatan駅 はLRT高架電車、ERL空港電車、Komuter電車の3交通機関が唯二交差する、乗り換え駅です。もう一つはクアラルンプールの交通ハブであるKL Sentral駅です。 Bandar Tasik Selatan駅での乗り換え便利度はかなりよく、現在の混雑状況はピーク時でもまあ我慢できる程度といえるぐらいです。しかし、ひとたびバスターミナルの使用が始まれば、かなりの本数の長距離バス便が発着することになり(毎日数百便)、結果として2つの駅での切符窓口及び改札口が常時混雑し、乗り換え通路の多くの部分が不充分な広さになることでしょう。なお乗客数の少なさから空港電車駅側だけは大して問題にはならないでしょう。

注: 旅行者ページの「KL Sentral駅と空港電車ERL」 にBandar Tasik Selatan駅の位置がわかる路線図を掲載しています。


Komuter 駅の切符販売はどこの駅でも非効率

空港電車駅と 高架電車駅に挟まれた位置にある、Komuter 電車駅で混雑状況になる状況を説明し、考えてみます。
Komuter 駅の切符売り場はいまでも非効率を絵に描いたように、長い列になっていることを見かけます。どこのKomuter 電車駅でもおなじみのこととして、Komuter用自動切符販売機は釣銭を必要とする紙幣を受け付けない場合が常態といえるほどであり、さらに反応が遅いといった非効率な販売機ですから、多くの利用者をいらだたせます。さらにマレーシア人は窓口で切符を買うのを好むにも関わらず、Bandar Tasik Selatan駅では窓口が1つしかないということから、乗客の多いときはいつも窓口前で列ができてしまうわけです。Komuter 駅は高架電車駅と空港電車駅に挟まれた位置にあることから、両側の駅からそれぞれ通路でつながっており、駅自体は外部に直接面していません。

Komuter 電車駅には、首都圏の電車網やハイウエーの支払いに利用できるお馴染みのプリペード式 Touch 'n Go カードを読み取れる改札機もあります。しかし、なにせTouch 'n Go カードを使用する乗客が圧倒的に少なく、1回1回窓口で切符を買うため、切符販売窓口の混雑緩和にほとんど貢献していないかのように見受けられます。

窓口と改札口が直面するデザインの高架電車駅

3つ並列に並んだ駅の外側といえる 高架電車駅は現在でもかなり乗降客の多い駅の一つです。駅舎前にある狭い周回バス乗降場にはいつも駅利用者の自家用車が侵入して来て、停車して人を乗り降りさせています。駅改札口と切符販売窓口が狭い同一場所にあるため、切符購買者の列が改札口出入り者と垂直に交差するようになってしまい、ピーク時にはそれなりの混雑を招いています。まあ、それでも我慢できる程度ではないでしょうか。 尚Bandar Tasik Selatan駅のように、切符窓口が改札口に直接面している配置のため、切符購買者の列が改札出入り者を邪魔することになってしまう駅は、他にもいくつかあります。例えば、非常に利用者の多い Plaza Rakyat 駅などです。こういう駅デザインをした設計士はいろんな地で電車を利用した経験のない人だと思いますね。

高架電車を運行する Rapid KLは乗客にRapid KL月定期の利用を以前から積極的に勧めており、そのおかでもあってそれなりの割合の乗客が定期を利用しています。ただ Intraasiaがいつも感じるのは、その非スマートさ(非賢明さ)です。なぜなら Rapid KL月定期は自動改札機を通さない方式であるため、乗客は自動改札機横の出入り口を利用し、その際駅係員に定期を提示する方式だからです。係員はその場に常駐していることになっていますが、現実はいない場合がよくあります。恐らくほとんどのマレーシア人のRapid KL月定期の利用者は Intraasia のような感覚を持っていないように感じますね。なおプリペード式 Touch 'n Go カードを読み取れる改札機もあります。

Bandar Tasik Selatan駅ができた頃バスターミナル計画はまったく机上になかった

空港電車駅は利用者数が少ないのでいいとして、Komuter電車駅と高架電車駅は現在の利用者数程度を想定して建設されたはずです。 なぜなら 3つの路線が会するBandar Tasik Selatan駅 の設計と建設時点では、バスターミナルの建設などという計画はもちろん、案さえもまったくなかったからです。 従って、年月と共に3つの電車の乗客数が徐々に漸増していくことは想定していたでしょうが、これほど大きなバスターミナル建設による利用者の一挙増加というシナリオはつい最近までまったく考えられていなかったと断言できます。

南部バス路線が全て新バスターミナルに移って来ることから、Bandar Tasik Selatan駅の利用者は一挙に飛躍的に増えます。つまり上記で指摘した、Komuter電車駅と高架電車駅において、それぞれの切符販売窓口と改札がぐっと混雑することは目に見えています。加えて Komuter電車駅と高架電車駅をつなぐ階段と通路の狭さが隘路になるでしょう。 間違いなく発生するであろうこの混雑問題を解決するには、切符窓口と改札の改良工事と、通路・階段の拡張工事しかないでしょう。 利用者に不便を強いることになる改良拡張工事をやるなら、バスターミナルのオープン前である現在が好時期のはずです。 しかしその気配は100% ありません。バスターミナル利用開始後の利用者がぐっと増えてからの工事は、遅かれ早かれ行うと仮定すれば、利用者により不便を強い且つ工期も長びくはずなのになあ、とIntraassia は思います。

いや、管轄当局と各電車会社はそんな心配などしていないのかもしれませんな。 なぜならこれまでマレーシアの公共交通機関・施設のデザインや運営のされ方を長年眺め、批評してきた立場として語れば、管轄当局と各電車会社は個々の建物や施設のデザインを重視する割には総合的な観点で眺める捉え方が欠けている、と判断しているからです。(仮称)Bandar Tasik Selatan 南部バスターミナルのオープンが果たして Intraasia の見方と批判を裏付けるかどうか、半年ほどたてばかなりの答えが出てくることでしょう。



外国人と日本人のマレーシア訪問者数を分析する


訪問者数に非常にこだわるマレーシア

マレーシアは外国人旅行者の訪問者数を非常に気にする国です。観光省の大臣だけでなく政府首脳の演説や談話、州首相の話しの中にしばしば、今期のまたは今年の外国人旅行者の訪問数目標は何万人だとか、実績はこれこれの数字でこれは前年同期比で何々になる、という表現がでて来ます。 マレーシアの旅行業界団体幹部の発言にも、国としての外国人旅行者の受入数を枕詞に掲げた発言がよくあります。 外国人旅行者に関してはまず何よりも数が重要であり、第2と第3がなくて第4に内容というところかのように感じます。 あまりの数重視なので、それじゃ人口小国は永久に多数訪問者国になれないんだからマレーシアはほとんど注目しないんだろうな、と皮肉の1つも言いたくなるぐらいです。

さて1月中旬に入る直前に 2009年の外国人旅行者のマレーシア訪問者数が発表されました。2008年の訪問者数を上回り、2364万人でした。本論に入る前に、まず言葉の意味をはっきりさせておきましょう。当サイトでは外国人旅行者の扱うニュースやこの今週のマレーシアでこれまでも説明したことがありますね。
定義: 旅行者(ツーリスト)とは1泊以上1年未満滞在の訪問者で、レジャー、ビジネス打ち合わせ、会議参加などを目的とし、商売や労働を目的としない訪問者。雇用パス、家族パスの保持者は当然含まれない。

旅行者の国籍別マレーシア訪問者数
国名
2008年
2009年
変化率
2009年多い順
シンガポール
11,003,492
12,733,082
15.7
1位
インドネシア
2,428,605
2,405,360
- 1.0
2位
タイ
1,493,789
1,449,262
- 3.0
3位
ブルネイ
1,085,115
1,061,357
- 2.2
4位
中国(香港、マカオを含む)
949,864
1,019,756
7.4
5位
インド
550,738
589,838
7.1
6位
オーストラリア
427,076
533,382
24.9
7位
フィリピン
397,884
447,470
12.5
8位
英国
370,591
435,091
17.4
9位
日本
433,462
395,746
- 8.7
10位
米国
223,249
228,571
2.4
11位
韓国
267,461
227,312
- 15.0
12位
その他国々
省略
省略
-
-
全世界からの訪問者総数
22,052,488人
23,645,785人
7.2 %
-


マレーシアの隣国よりも日本の方が多かった時代もあった

海峡橋のおかげで陸続きともいえる状態で気軽に訪れることのできる国はマレーシアしかない、そういう国シンガポールが毎年訪問者総数の 50%前後を占めています。ダントツの最多入国者数国であるシンガポールはいわば別格ですから、このコラムでの論評対象から外します。  

訪問者数100万人を超える インドネシアとタイとブルネイはマレーシアと陸続きであり、加えてインドネシアはマラッカ海峡を挟んだ隣国でもありますから、訪問者数が取りわけ多いのはある意味で当然といえます。ただ後で触れますが、90年代は日本人の入国者数の方がこの3カ国の2国より多かったのです。これに関して多少奇妙に感じる理由を語れば、旅行者(ツーリスト)の定義は1泊以上ですから、タイ、インドネシア、ブルネイからの日帰り訪問者はツーリストに含まれないからです。気軽に国境を越えて日帰り訪問するタイ人やブルネイ人が多数いるのは昔から事実ですね。

中国からの訪問者数の多さが何よりも目立つ

上の表を一覧して何よりも注目すべきは中国人の多さです。中国人のマレーシア訪問者数はこれまで100万人に近づいたことはありましたが、それを超えたのは2009年が初めてです。隣国以外で年間訪問者が100万を超える国は今後も中国以外に達成できそうにありませんから、いかに中国からの訪問者数が多いかがわかります。

中国人旅行者のマレーシア訪問者数の伸び(香港、マカオを含む)
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年2008年2009年
人数
16万
19万
50万1千
59万7千
67万4千
42万2千
63万2千
43万2千
53万3千
78万9千
94万9千
102万

注:1998年と1999年は香港とマカオからの訪問者を含んでいません。当時は別立てになっていました。
注:2003年はSARSウイルスの影響で、マレーシアの外国人訪問者受け入れ総数自体が激減した年です

中国からのマレーシア訪問者は、2000年に一挙に50万人台に増えた後、しばらく40万人台から60万人台という当時としては相当な多人数を維持していました。それが2007年以降はすごいという形容がふさわしいほどの勢いで増加したわけです。日本との比較で言えば、中国は2000年に日本を追い抜き、それ以降は日本人訪問者数を完全に引き離して、今では2.5倍ほどもの人数がマレーシアを訪問していますね。格安航空のAirAsia グループのこの数年の非常に積極的な中国路線開設と運行が、この数年の驚異的な訪問者数達成に大きな貢献をしている 1つだといえるでしょう。もちろん中国国民の所得の向上なども大きな要因であることはわかります。

インドとオーストラリアからの訪問者数を考える

次に、中国以外に2000年代半ば頃から訪問者が急増してきた国のことをみてみましょう。
2002年 ツーリストとしてのマレーシア訪問者数 トップ8カ国
国名シンガポールタイインドネシア中国日本ブルネイ英国台湾
人数
7,547,761
1,166,937
769,128
674,056
354,563
256,952
239,294
209,706

2004年 ツーリストとしてのマレーシア訪問者数 トップ8カ国
国名シンガポールタイインドネシア中国ブルネイ日本英国オーストラリア
人数
9,520,306
1,518,452
789,825
632,807
453,664
301,429
204,409
204,053

2006年 ツーリストとしてのマレーシア訪問者数 トップ8カ国
国名シンガポールタイインドネシアブルネイ中国日本インドオーストラリア
人数
9,656,251
1,891,921
1,217,0 24
784,446
532,914
354,213
279,046
277,125


インドとオーストラリアの近年の増え方は印象的です。インドもオーストラリアも2000年以前は日本人の訪問者数のよりずっと下回っており、2000年以降ゆっくりと増えてきました。上表のように 2004年の時点で日本はこの両国のどちらに対しても10万人以上多かったのです。2003年までインドは10万人台でしたが、2007年には42万人になって日本を追い抜いてしまい、2008年からはもう日本がとても追いつけない訪問者数になりましたね。 オーストラリアのこの数年の増え方は非常に目立ちます:2007年 32万人、2008年 42万7千人、2009年 53万3千人。 

注: 1月13日の新聞の記事から
Imigresen の出入国記録によれば、いわゆる観光ビザでマレーシアに入国したインド国籍のインド人の内、39000人もがビザ期間満了になっても出国していません、つまり行方がわかりません。ナジブ首相は Imigresen が2009年6月にまとめた報告書に基づいてこのことを明らかにしました、

100万人を超える国を第1グループとすれば、インドとオーストラリアの両国は今や 50万人を越える第2グループになったといえるでしょう。AirAsia グループの飛行便がこの両国の複数地点へ飛んでいます。今年1月時点でクアラルンプールと オーストラリア3都市との間にはいずれも毎日便があることを考えると、とりわけオーストラリアにとってAirAsia グループの路線開設と運行が訪問者数急増に多いに貢献していることでしょう。 AirAsia はインドへのフライトを2009年から開設しました。インド人のマレーシア訪問者は今後も増える可能性がかなりありそうですね。

日本の訪問者順位は下がり傾向である

さて本題ともいうべき日本人訪問者数について論じます。
90年代の終わり頃まではマレーシアにとって 日本は訪問者数のトップ 3に入る国でした。1998年はシンガポール、タイに次いで3位、1999年は 3位にインドネシアが入ったので日本は 4位でした。このことからおわかりのように、2,3の近隣国よりも日本人訪問者数は多かったという点は注目に値します。その後ゆっくりと順位が下がり始めました。2000年代初期はまだトップ5を維持していましたが、6位になり、7位になり、そして2009年は一気に 10位にまで下がってしまったことになります。別に訪問者数順位を競っているわけではないし、数だけに捉われるつもりはないのですが、この10年で4位から10位までに下がってしまった事実を見ると、マレーシア情報の発信者として正直言って残念な気持ちになります。

近隣国の訪問者数が日本人の訪問者数を追い越すのは特に不思議ではないし、中国が追い抜いたこともその人口が超大国であるゆえに受け入れますので、2000年代中頃までは順位が下がりながらも 5位、6位の位置を保っていたことはまあ納得いくところです。 しかしこの2年の内に、フィリピン、オーストラリア、英国にまで抜かれてしまったのは、残念さだけでなくいささか意外な気もしました。 遠く離れたオーストラリア、英国が90年代の訪問数に比べれてそれぞれ2倍以上に増えたことにちょっとした驚きを感じるのです。

フィリピンはその地理的且つ一部の民族との近似性からサバ州だけとの関係が極めて強いのですが、マレーシア全体とはそれほど関係の深い国ではありません。現に AirAsia が飛行している地はマニラだけです。フィリピンは2006年まではトップ8国に全く入ったことがありませんでしたが、2007年から急増してきて、2008年には日本を追い抜きました。

日本人の旅行者としてのマレーシア訪問者数  単位 人
訪問者
1998年
1999年
2000年
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
日本人の数
25万2千
286,940
455,981
397,639
354,563
213,527
301,429
340,027
354,213
367,567
433,462
395,746
全世界からの総数
555万
793万
1020万
1278万
1329万
1058万
1570万
1640万
1745万
2090万
2205万
2364万
国別での順位
3位
4位
5位
5位
5位
6位
6位
6位
6位
7位
7位
10位


日本人訪問者数はすでに頭打ちの状態

世界中からのマレーシア訪問者がぐっと減った2003年を除いて、日本人訪問者数はこの10年 年間30万人から40数万人の間を推移してきました。つまり日本人訪問者数はもうこの範囲を超えることはまずないだろうということがわかります。主としてマレーシア旅行を目的とした日本人のマレーシア訪問者は年間40数万人が壁だと言っても、恐らく間違いではないでしょう。これは単に日本とマレーシア間で運行される飛行路線数による限界ということだけにあるのではありません。 重要な要因を説明しましょう。

ある国を訪問しようと旅行者に決定させる最大の誘引は、その国の持つイメージ、正確に言えばその国対象に人工的に作り出されたイメージです。日本人の中にはそれが漠然としたものであれ、的外れなものであれ、多少当たっているものであれ、マレーシアのイメージがあります(イメージがわかないということは、それ自体ある種のイメージなのです)。そのイメージは一朝一夕のことで変わるものでもなくなるものでもありません。 従って、日本人一般が抱くマレーシアの虚像で且つ実像であるイメージが訪問者数の壁を作り出してしまいます。その壁は、この10数年の実績つまり訪問者数から演繹的に判断できるというわけです。

しかしながら訪問者数の壁に関して言えば、将来 AirAsia が日本の複数空港に路線を開設して積極的に日本路線を運行していくと仮定すれば、AirAsia の持つ東南アジア各国への豊富な路線状況を利用した東南アジア各国へのトランジット旅行者として、マレーシア訪問者が万人単位で増える可能性があると思います(空港に着いて数時間でトランジットしてしまう旅行者ばかりでなく、この際ついでに1泊か2泊マレーシアにも滞在してみようか、という旅行者もあるからです)。

マレーシアが受け入れた旅行訪問者総数が初めて1000万人台の大台を超えたのが、2000年です。ここで注目していただきたいのは、マレーシアの受け入れてきた総訪問者数において 2000年の1020万人が2007年以降はすでに倍以上に増えていることです。上表で計算しますと、日本人の訪問者数の全世界からの訪問者総数に占める割合が最も高かったのは、1998年と2000年で、約4.5%でした。全体に占める日本人訪問者比率は、その翌年以降からじりじりと下がってきました。それが2009年は 1.7% 弱 となり、最高時に比べて随分と下がったことが順位だけでなく割合の数字としてもわかります。 卑近な表現を使えば、マレーシアにとって日本人旅行者の存在感は90年代に比べれば、間違いなく減ったと言えます。このことは、近年マレーシアのマスコミが旅行産業について書いたり、発表する際に、日本人旅行者が話題にされる程度と頻度が明らかに減ったという実感からも裏づけられます。

マレーシアにとって日本人のマレーシア訪問者の存在感が減った兆候

2009年に日本を出国した日本人の数は 1540万人だそうですね。このうちの大部分が旅行・観光目的の出国でしょうが、そうではなく仕事などで長期滞在、長期留学、公用、相手国からビジネスビザ取得、海外在住者の一時帰国での出国、といった非旅行・観光目的の出国者の割合はどれくらいなのでしょうか? Intraasia には根拠ある推測がつきませんが、とりあえずざっと1割ぐらいと考えれば、旅行・観光目的の日本人出国者数 1400万人中、マレーシアを訪れた人は40万人弱ということになります。 この40万人という数字には、シンガポール経由とタイ経由、及びその他の国経由の入国も含まれていますが、とにかくマレーシアに入国して1泊以上滞在した人数です。

試みに 日本人旅行・観光出国者総数に対するマレーシア訪問者数の割合を計算すると、2.85% です。上記の数値(日本人の訪問者数が全世界からのマレーシア訪問者総数に占める割合である)1.7%弱 はこの数値 2.85%を 多少下回る率となります。このことは偶然ではなく、むしろマレーシアにとって日本人訪問者の存在感が減ったことを示す、別の兆候であると Intraasia は考えます。

こういったことを基にして、他国民はともかく日本人にとってのマレーシア訪問はもう数の時代ではなく、質の時代になっていって欲しいなと、Intraasia は願っています。



数字で見たマレーシアシリーズ - その34


これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。

【学校教育面の数字】

UPSR試験での都市部と田舎の比較

小学校において理数科目を英語を使って教育するつまり教科書と教師の使う言葉として英語を使う、という教育方針は、マハティール内閣の晩年である2003年1月の新学年から実施に移されました。一挙に全学年に適用するのではなく、毎年学年を増やしていくということです。
例 2003年:1年生だけ、 2004年:1年生と2年生、 2005年:1年生と2年生と3年生、 2006年:1年生と2年生と3年生と4年生、というようにです。 
よって2003年に第1陣として理数科目の英語媒介教育を受けた生徒は、2008年に UPSR 試験を受けた第1陣となったわけです。UPSR 試験は小学校6年生全員が修了前に受ける全国統一の試験です。

小学校のUPSR試験において、科目別及第率を都市部と田舎部で比較 数字は%


2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
英語科目都市部
72.7
75.0
75.7
73.6
71.8
75.0
76.4
-
田舎部
59.3
62.0
60.9
64.8
64.2
67.8
69.4
-
理科目都市部
83.4
84.9
85.6
86.8
83.7
85.1
82.5
-
田舎部
79.4
80.9
51.2
82.4
81.5
83.2
79.7
-
数学科目都市部
85.9
86.5
86.3
87.1
83.5
84.8
80.9
-
田舎部
80.3
80.9
79.7
80.8
79.5
80.9
77.0
-

注:ここでいう及第とは、A,B, C 等級を取った場合のことです。D等級以下は基準に達してないということ
注: 数字はそれぞれ及第した生徒の割合を示す

注目を受けた2008年UPSR試験の理数科目は、及第率が落ちました。同時に都市部と田舎部との格差は依然としてあります。

各小学校の全国生徒総数(全体に対する生徒割合) 2006年時点

国民小学校 230万人(75%)、 国民型華語小学校 63万6千人(21%)、 国民型タミール語小学校 10万人(3%)
このように華語小学校の生徒数は21%を占めるが、予算割り当ては全体の3%前後しか受けていません、とマレーシアの華語教育を司る華語教育組織の董教総は主張する。

独立中華中学

全国の独立中華中学校 61校への入学希望者が増えています。華文独立中華中学校の理事会の全国組織である董総が調査した最新の統計から、華文独立中華中学校の歴史で初めて生徒数6万人の壁を超したことがわかりました。 クアラルンプールの有名独立中華中学は(定員のために) 3桁数の入学希望者を受け入れることができませんでした。
2001年
2002年
2003年
2004年
2005年
2006年
2007年
2008年
2009年
総数
53635人
54048人
52850人
53005人
53402人
54755人
55818人
58212人
60481人

華文独立中華中学校は、ペルリス州、パハン州、トレンガヌ州を除く全国各州にあります。
多い州の校数と生徒数:  ジョーホール州 8校 18163人、 クアラルンプール 4校 10559人、 スランゴール州 4校 5316人、 サラワク州 14校 5367人、 サバ州 9校 6289人、ペラ州 9校 4892人

【人間に関する数字】

公務員のに占める華人の割合

国内の全公務員数 約120万人の内で、2009年9月時点で華人の数は 72,875人の過ぎません、これはたった 6%になるだけだ、と政府の事務局長官は語る。「この数年の政府の積極的な華人リクルート活動にもかかわらず、この数は5年前より増えていない。地方の華人団体の協力を得ているが、応募はかんばしくない」 2005年には華人公務員は 85,204人でした、2000年には 78,345人でした。

注:公務員に関して地方自治体が独自に給与体系を持つことはないので即国家公務員給与体系1本ということになります。この10年の国人口の増加にも関わらず、華人公務員は増えていない、つまり実質は減っているわけですね。誰の実感でも公務員はマレー人が圧倒的に多いことになります。人口の25%を占める華人界からの公務員がこれほど少ないことは、国のあり方から言ってもあまり良くないですね。しかしマレー人優位な公務員社会へ入っていこうとする華人がごく少ないのは、単に給与だけの問題ではないでしょうから、このアンバランスはこの先も解消されないでしょう。

マレーシアを去った国民の数

国会での議論で外務省副大臣が明らかにした数字です。 2008年3月から2009年8月までの1年半の間に、(旅行やビジネス旅を除いて)マレーシアから出て行った国民の数は 30万4千人になります。その理由はより良い教育を受けるため、職業機会を得るため、ビジネスを発展させるため、です。 また2007年1年間で他国に移住したマレーシア国民は14万人弱になります。 これらの数字は、マレーシアの外国にある公館に届けられた数に基づきます。
オーストラリアまたは英国へ移住していった人数はより多いとのことです。

住み込みメイドの数

2009年時点で国内で合法的に雇われている、家庭内住み込みメイドは約28万人です。その内 インドネシア人が90%以上を占めます。残りの内、フィリピン人が15000人、タイ人、ミャンマー人、カンボジア人、ベトナム人、がそれぞれ1000人から2000人です。

マレーシアに送り込まれるメイド1人に対してインドネシア代理業者がRM 5千から6千ほど料金を課しており、最終的にこれはマレーシア側の雇用主が負担しています。
メイド代理業者が雇用家庭に請求する手数料金
1990年代中頃 RM  2400、 2000年初期 RM 3800、 2000年代中頃 RM 4500、 2008年から RM 8000

【経済面の数字】

パームオイル原油

こうした数字を基にして推測すると、2010年のパーム原油輸出高は RM 650億ぐらいになりそうです。

製造業売上高

2009年上半期: 売上高 RM 2164億、 6月時点での従業員総数 93万3千人、 
2008年上半期: 売上高 RM 2919億、 6月時点での従業員総数 101万2千人、

クレジットカード利用

クレジットカード利用高を2007年と2008年の各月でみていくと、両年とも12月が最大の利用額です。 

マレーシア人保有者がカード利用回数と利用額が一番少ない月は両年とも2月です。

マレーシアにとって中国の重要さを示す数字

マレーシアの主たる貿易相手は、1980年代と90年代は米国と欧州と日本でした、しかし21世紀にはいって大きく変わりました。中国との貿易は一定して増えており、2008年は輸出面で 9.5%を占めました。
マレーシアからの輸出市場

注:シンガポールは中継取引地点なので、マレーシア輸出にとってシンガポールの占める割合は高くても他の地域とは同じような比較はできません。

観光業の面において、アセアン諸国を除いて、90年代は日本からが最多でしたが、今やそれは中国がとって替わりました。
外国人留学生を増やす政策を行っているマレーシアにとって、中国は2002年に最大送り出し国になりました。ただその後中国人留学生の数は減少しましたが、マレーシアにとって2番目に多い留学生送り出し国です。
マレーシアに留学している中国人学生数: 2002年 1万人強、 2008年 1万人弱、  少ない年でも7千人ほど

マレーシアにおける投資の状況 −マレーシア工業開発庁の統計

日本からの投資
日本はマレーシアにとって(引き続き)製造業分野での主要な外国投資を行う国であり、2009年は10月までに46のプロジェクトが認可され、投資申請認可額はRM 65億になります。2008年の日本の投資申請認可額はRM 56億、認可数 63プロジェクトでした。

マレーシアの電力発電は天然ガスと石炭の依存率が高い

2007年末における総電力時は 108000 ギガワット時、 その発電の源を分類:
ガス 62.6%、 石炭 28.4%、 水力 5.5%、 ディーゼル油 2.4%、 その他残り

2007年末における電力消費分野
家庭用 83.2%、 商業用 15.7%、 工業用 0.4% 残りその他

ギャンブル関連税より税収が少ない不動産取引利得税

国会での財務副大臣の答弁からです。 2008年国庫に収められたギャンブル関連の税金 RM 23億700万の内訳です。ゲンティングループ(ハイランド)からRM 9億5千万、以下はいずれもロッテリーと4Dくじ販売会社で Sports Toto から RM 5億、 Magnum からRM 4億、 Pan malaysia Pool からRM 2億7千万、 Pan Malaysia racing からRM 1億4千万。 

ロッテリート4Dくじの売り出しは毎週3回行われ、加えて特別くじ売出しが年間 72回もあるとのことで、これでは多すぎるとの野党議員の質問に、政府は回数削減を考慮すると副大臣は述べました。 また昨年はタバコ税と酒税による国庫収入は RM 44億でした。 不動産売買利益税から RM 5億です。

2010年度予算案で発表された不動産利得税に関して、ナジブ首相が言明しました、「不動産を取得して5年未満に売却した場合だけに、この不動産利得税を適用する。税率は 5%です。」 これは全国の華人団体の上部組織である華総 及びビジネス界からの要求を受け入れたものです。

【犯罪関連】

CD/VCD/DVD 類の違法コピー版に対する取り組み

国内取引と消費者省の取り締まり部隊は2004年から2008年までに、市場価格 RM 3億を超える違法コピー CD/VCD/DVD 類を押収しました。


密輸タバコが全体の3分の1も占めている

違法タバコ取引が増えて、全体の36%を占めるようになっています。現在国内で販売されるタバコにおいて、3箱の内1箱は密輸タバコだと言われています。昨年は4箱中1箱が密輸品でした。 この違法タバコの横行によって、政府は年間RM 15億の取るべき税金を失っていることになります。 

刑務所の受刑者の 40%は外国人

国内の全ての刑務所に収容されている受刑者 37242人中 40%強つまり 15279人強が外国人です。マレーシアは刑務所法を改正して、国内の刑務所の外国人受刑者がそれぞれの自国で刑期を終えられるようにする意向です、同時に外国で受刑しているマレーシア人がマレーシア国内の刑務所で刑期を終えられるようにします。現在受刑者交換プログラムを考案中です。」と内務大臣は説明します。「これによって刑務所の混雑緩和にも役立ちます。」

【保健面の数字】

マレーシア人の砂糖摂取量は20年間に倍増した

マレーシア人は十分に糖分摂取することを好みます、1日の砂糖摂取量はティースプーンで26匙、つまり 130gにもなります。
保健省とペナン消費者協会共同による全国健康と有病率調査の結果です:
1日当たりの砂糖摂取量 ティースプーン(1匙が 5g)に換算

30歳以上の成人における糖尿病の有病率


マレーシア国民の医療保険加入率は15%に過ぎない

中央銀行の調査によれば、マレーシア国民でなんらかの医療保険をかけている人の割合は15%です。その内の84%は45歳以下です。マレーシア一般保険協会の統計では、医療保険被保険者の納める保険料の総額は2007年で RM 4億8500万です。この額は国内の一般保険市場の総額の5%にしか過ぎません。

【その他の数字】

政府首脳、国会議員の給料

手当額及び随時経費としての請求額を含まない基本月給額
首相 RM 22、826、 副首相 RM 1,168、 大臣 RM 14,907、 副大臣 RM 10、847、 

国会議員の場合


衛星放送Astro の経営戦略

衛星放送Astro を受信契約している世帯数は現在 290万で、これは全世帯に対する比率で 48%とのことです。Astro はマレーシアで初となる高解像度放送 Astro B.yond を開始したばかりです。同社は 最終的に100万世帯からの契約を目指しており、今後1年半ぐらいの間にその半分を獲得したいと表明しました。

クアラルンプール市庁の2010年度予算

クアラルンプール市長は2010年度のクアラルンプール市庁の予算を発表しました。市長は、今回の予算では市庁の行政コストの削減も織り込んであると語ります。
予算総額 RM 21億、

収入源の最大である、不動産評価税は2010年度も税率を変えず15年固定であり、不動産評価税の収入額は RM 7億5千万。建設など許可などの収入額はRM 1億1千万、連邦政府から得る 5カ年計画配分収入 RM 2億4千万、など



マレーシア - タイ間を陸路出入国した小旅のお話


ものすごい駆け足でタイ深南部へ行って来ました(2010年1月後半)。クアラルンプール発の夜行バスでタイに入り、その日は深南部のホテルに泊まり、翌日はクランタン州に入ってから夜行列車でクアラルンプールに戻りました。せっかくタイ深南部へ行くのにこんな忙しい旅はしたくはないのですが、我が経済事情が許さないので仕方ありません。そこでマレーシア - タイ間を陸路交通手段を利用した模様を中心とした旅のお話を書いておきましょう。

マレーシア - タイ間を陸路移動する際の諸ルートを紹介

Intraasia がタイ深南部へ行く場合、一番多く取ってきた方法はクランタン州経由で直接深南部へ入る方法です。つまりマラヤ鉄道の東海岸線の夜行に乗って翌朝 Pasir Mas で降り、乗り合いバスで国境の町 Rantau Panjang へ行きます。、そこから歩いてタイ側の町 Sungai Golok へ渡り、タイ国鉄でヤラー県へ行くというルートです。またはその同じ夜行で終点Tumpatに着いた後、乗り合いバスでクランタン州最北のPengkalan Kubor へ行き、そこからボートでタイ深南部の町 Takbai へ渡る。そして深南部の県都の1つへ行くというルートです。 

一方マレーシアに戻る帰路で Intraasia が多く取ってきた方法は、深南部から大都市ハジャイへ出て、そこから(タイ鉄道に乗り入れている)マラヤ鉄道のランカウイ急行に乗り翌早朝クアラルンプールに着く、またはハジャイから(マレーシアのバス会社が運行する)長距離バスに乗ってクアラルンプールに戻るという方法です。前回はハジャイを朝遅く出発してクアラルンプールに夜遅く着くバスを使いました。バス利用の場合は必然的にタイ側 Sadao - マレーシア側 Bukit Kayu Hitamが出入国地点となります。

こういったルート以外にも、マレーシア側 ペラ州のPengkalan Hulu −タイ側 ナラティワット県のBetong町 ルート、マレーシア側ランカウイ島 −タイ側サトゥン県の州都サトゥーン 間をフェリーで渡るルート、及びマレーシア側 ペルリス州Kaki Bukit 村- タイ側 サトゥーン県の辺ぴな村 を徒歩で超えるルート、という3種のルートでの入出国を何回も経験しています。詳しくは当サイトでずっと以前から掲載している 「隣国との国境の超え方と情報」ページをご覧ください。 これはタイ - マレーシア間の越境情報を詳細に且つ網羅したもので、出版物とインターネット上を問わず1998年、99年当時これだけ詳しい情報はどこにもありませんでした。

夜行列車より乗車時間の短い夜行バスでハジャイへ向かった

さて、今回はものすごく久しぶりに、ハジャイへ行くのに夜行バスを利用しました。夜行バスはできれば乗りたくないし、且つ夜行列車に較べて眠り具合はずっと落ちることを経験上知っています。それでも夜行バスを利用したのは、今回タイ深南部で1泊しかしないため、少しでも朝早く深南部に着きたかったからです。マラヤ鉄道のランカウイ急行で行くと、ハジャイに着くのが翌朝10時前後(必ずといっていいぐらい到着は遅れる)です。そこでタイ国鉄の深南部路線に乗り換えてヤラー県へ入りますが、本数が少ないことから、首尾よく10時台の列車に乗れてもヤラー駅到着が午後1時近く、もしそれに乗れなければヤラー駅到着が3時前後になってなってしまうことを知っているからです。ハジャイからの乗り合いバス便はあまり本数が無く且つ鉄道より余計に時間がかかります。ロットトゥーと呼ばれるタイの乗り合いバンは時間的には早いけど一番料金が高い、それよりもロットトゥーは飛ばし走行なので安全面を考えると、選択としては一番最後の選択です。

マラヤ鉄道利用のクランタン州ルートで深南部へ入る場合も同様です。Pasir Mas からの移動時間と1時間の時差を考えると、スンガイゴロク発のタイ国鉄に乗るのが11時半の便となり、ヤラー駅に着くのが午後1時半頃になってしまいます。スンガイゴロク発の列車は本数がごく限られています。マレーシアからタイ深南部を訪れてきたこれまでの20年近い経験と手元にあるタイ時刻表を基にして予定を組んでいくと、今回は到着日の活動時間を多く取るためには、クアラルンプールから夜行バスでハジャイに入る方法を取ることにしました。そうすれば、ほぼ確実に正午前に宿泊予定地の県都ヤラーに到着できるはずだからです。

夜行バスの運不運は乗り合わせた乗客の質による

クアラルンプール-ハジャイ間を運行しているバス会社は数社あります。 Transnasional も Nice ももはやハジャイ便を運行していません。大手バス会社の1つである Konsortium バスにしました。ただ経験上 Konsortium バスは運転手によって当たり外れがでてきそうなことを予感していました。同社は夜 22時、23時台に3本のバスを出発させています。 Intraasia は運賃の安い、RM 45、普通車輛にしました。22時発のダブルデッカー車はRM 50です。普通車輛は1座席通路を挟んで2座席という配置で、計27座席です。まあ10年一昔前は2座席通路2座席という 30数座席の車輛が一般的だったことを思えば、確かに座席が広くなったものです。リクライニングもかなり深くできます。Intraasiaの乗ったバスはボロではないけどかなり使い込まれた車輛で、運転手は2人です。運転していない方の運転手は、最後部にカーテンで仕切って設けてあるコーナーで寝ています。

プドゥラヤバスターミナルを、意外にもほぼ定刻の22時半に出発しました。満席だったせいもあるのでしょう。プドゥラヤターミナルのバス会社各社はそのバス便で空席が多いと少しでも座席を埋めるため、10分や20分程度待つのは常態ですからね。バスはクアラルンプール郊外にある乗り口から南北縦断ハイウエーに入り、その後サービスエリアで2回ほどトイレ休憩をした以外は、ケダー州の北端まで一路北上しました。 

予期したとおり車内は強い冷房で寒い、バス側はあらかじめ乗客1人1人に小型の毛布を貸し出しました。いつ洗ったともわからない汚い毛布ですが、これがないと寒さにちょっと耐えられそうにありません。まあそれはいいとして、最後部にある我が座席の斜め前の位置に座った、若いインド人3人組が深夜12時過ぎてもお喋りしたり、持っている携帯電話で通話したり、その携帯画面で音楽ビデオなどを聴き眺めているのです。 バス旅の不運は、この種の自分勝手乗客と乗り合わせるか、乗り合わせないかに多いにかかっています。携帯電話の使用をあらゆる乗り物車中で一切規制していない、というより規制という発想自体が端からない、マレーシアですから、もうどうしようもありません。場所や時間帯によって携帯話者が声を落とすというような、マナー発想は10人中8, 9人の話者にありません。

市内近郊バスの運転手が乗客が少ない時間帯に運転中に携帯電話を使用する光景を時々みかけます。運転中の携帯使用は全ての自動車に共通の交通規則違反であっても、しょせんこの程度の守られ方です。 今回の夜行バスでは Intraasiaの座席は最後部でしたので、運転席の様子はまったくわかりませんでしたが、これまでの数多い長距離バス乗車において、運転手がハイウエー走行中携帯を使用する場面を何回も目撃しています。 昔のバス車輛は座席が狭くてリクライニングも角度が限られていましたけど、客や運転手の携帯使用はありませんでしたから、この面では昔がなつかしいですな(笑)。

長距離バス運転手の民間ドライブイン立ち寄りは今も変わらぬ慣行

ずっと南北縦断ハイウエーを走ってきたバスはハイウエーを降りて少し一般道路を走った後、午前4時20分ごろドライブイン休憩所に着きました。暗いので全く標識が見えませんが、ケダー州北端に近いChanglon の町辺りと思われます。かなり広い停車場を備えたこのドライブインには、ほとんどがハジャイ行きであろうバスが10数台も停車していました。1時間ほど停車している間にも出て行くバスあり、やって来るバスありと商売大繁盛です。

長距離バスがわざわざハイウエーを降りて民間のドライブイン休憩所を利用する慣行は、マレーシアバス界の昔から続く慣行です。 ハイウエーのサービスエリアを利用すれば、トイレは無料で且つはるかにきれいであり、飲食物を提供する店も複数あるので食事を含めた休憩ができるわけです。さらに飲食物の値段はドライブインより多少安いのが通例です。90年代は各バス会社のバス運転手は競ってというほどこのハイウエー外にある民間ドライブインを利用していました。2000年代に入る頃からそういうドライブインを利用しないバス会社が少しづつ増えてきました。それはバス会社の方針とサービスエリアの設備向上の両面からでしょう。しかしながら今尚ハイウエー外の民間ドライブインを利用しているバス便も少なくありません。 わざわざハイウエーを降りてドライブイン休憩所に立ち寄る理由は何か? それはドライブイン側から運転手にコミッションなり食事が無料で提供されるからです。 乗客側の都合ではまったくありません。これがマレーシアのバス界の今なお変わらない状況です。

深夜だからハイウエー内サービスエリアの店が営業してないからだ、という言い訳もあることでしょう。ハジャイへ行くバスが全て国境検問所手前辺りで民間ドライブインを利用してしまう以上、サービスエリアで店を開けてもバス運転手が利用しないだろう、だから店を開けない、といった悪循環になると思われます。

金曜日夜発ということもあったのでしょう、このドライブインに停車していたバスには定期運行便だけでなく、団体旅行者を乗せたハジャイ行きの観光バスも目立ちました。午前4時5時という時間なのにドライブイン内はかなり混雑しています。Intraasia はもちろんこの種の店で飲み食いなどしませんので、出発を気長に待っていただけです。1時間ほどしてようやく我々のバスはドライブインを出発しました。

バスはハイウエーに戻らず、少し一般道路を走ってからまた横道にそれて大きな家?建物?の前で停車しました。建物は電気が消えていたのですぐわかりませんでしたが、やがて電気がついて扉が開きました。いわゆる土産物屋です。未だ真っ暗の5時半ごろなのに、このバスの運転手はわざわざバスを寄り道させたわけです。このコラムの最初に 「経験上Konsortium バスは運転手によって当たり外れがでてきそうなことを予感していました」 と書きましたように、民間ドライブイン、さらに土産物屋までにも寄ることを決めるのは、そのバスの運転手次第なのです(もちろん店からもらえるコミッション目当てです)。こんな時間帯に買い物したい乗客はまずいないでしょうに。

ブキットカユヒタム国境検問所は数十台のバスが長蛇の列

その土産物屋を離れて数分後にバスは道路際に停車してしまいました。運転手が乗客に向かって、バスを降りて検問所へ行くようにと指示しました。これでようやく位置がわかりました。すでにBukit Kayu Hitamの国境検問所の至近地点に到着したのです。バスを降りて歩き出すと、道路には同じようなハジャイ行きの定期バスと観光バスが数珠繋ぎに停車しています。どのバスも先に乗客を降ろしています。連なったバスの数はざっと20, 30台にもなるでしょう。これを見ただけで、国境検問所を通過するのに少なくとも1時間はかかるだろうと実感しました。

Bukit kayu Hitam 国境検問所のバス及びバン乗客用検問窓口は文字通り長蛇の列です。こんな時間帯にこの検問所を利用する人の 99%はバス乗客だとわかります。検問所のバス用車線と停車場はすでに一杯なので、検問所手前の道路上で数珠繋ぎになったバス車輛が前進するのはまことに遅々としています。そこでパスポート検査を受けてマレーシア出国印を押してもらってからさらに30分ほど待って、ようやく我々のバスが停車場にやって来ました。要するにBukit Kayu Hitam 国境検問所で1時間半以上も過ごしたことになります。座り場所は全くありませんから、皆立ちん坊状態です。週末の土曜日未明ということもあるのでしょうが、運転手はこの時間帯はいつも混んでいると言っていました。

ところで、空港の出入国検査場では日本のパスポートのような種類のパスポートを読み取れる装置が机上に備え付けてあります。しかし、Bukit kayu Hitam 国境検問所では窓口の係官が番号や名前をコンピューターに全て手入力していました。こんな忙しい検問所なのに装置がないんだ、と思った次第です。

タイ側サダオの国境検問所の手狭さは長年お馴染み

マレーシア側の国境検問所から数百メートル離れただけの所にタイ側のSadao 国境検問所があります。正確な地名はDannok といいますが、町の名であるサダオを使ってSadao 検問所と呼ばれていますね。そこは昔からほとんど変わっていない手狭な検問所です。バス乗客用の検問小屋は3つしかなく且つ列を作って並ぶ場所が狭い。ということでここも我々出国者は長い列を作ってしばらく待ちましたが、バス自体は数珠繋ぎになることなく簡単に検問所脇の停車場に入って乗客の入国検査通過を待っていました。入国書類の目的地欄に ”ヤラーのホテル”と書いたので、係官が 「ヤラーへ行くのか?」 と意外な顔で私に尋ねました。わざわざ深南部へ行く旅行者は稀有だからでしょう。「トゥークピー ポンパイヤラー。マイミーコンユヤ ティーヤラー(毎年ヤラーへ行ってます。ヤラーは人が少ないですよ)」 と笑って答えてあげました。 
タイ側の検問所にいたのはマレーシア側での半分程度の40分ぐらいで、バスは出発しました。マレーシア時間で 8時、タイ時間で 7時でした(タイ時間はマレーシアより1時間遅れの時差があります)。

午前8時にハジャイに到着

こうして一路ハジャイに向かってバスは走り、ハジャイ市内の最終降車地に着いたのがタイ時間 8時でした。降車場所からすぐ徒歩でタイ国鉄のハジャイ駅へ行きました。幸運なことに 7時44分ハジャイ着スンガイゴロク行き鈍行がかなり遅れていたため、大して待つことなく8時半近くに到着したその列車に乗ることができました。タイ国鉄の鈍行は遅れが常態ですからね。とりわけ深南部路線は完全に単線なので、鈍行はいつも対抗列車を待つ運命にあります。ということで、降車駅のヤラー駅には10時40分頃に到着できました。 計画通り正午前にヤラーに着けてほっとしました。

帰路はまずスンガイゴロクまでタイ国鉄に乗った

さて帰路です。1泊した翌日ヤラー駅を12時半ごろ発の鈍行列車で終点のスンガイゴロク駅に着いたのが 15時近くでした。日曜日のためもあって途中まで結構混んでいました。スンガイゴロク駅構内には駅警備と列車に乗車して警備する軍隊兵士と警察官がたくさんいました。いずれも自動小銃を携帯し、多くが防弾チョッキを身に着けています。深南部ではどこでも警察官以上に軍隊兵士の存在が目に付きます。

マレーシア時間で言えば16時ですから、ゆっくりする間もなくバイクタクシーで国境まで行きました。スンガイゴロクではたくさんのバイクタクシーが走り廻っています。タイ側国境では前回通行した際に工事していた検問所兼税関ビルがほぼできあがっていましたが、まだオープンしていませんので、昔からの古ぼけた小屋式の検問所をまだ利用しています。新検問所兼税関ビルは現行の小屋式の国境検問所から至近距離に建っており、それとは月とスッポンの違いと言えるぐらい立派なビルです。今年いつ頃オープンするのだろうかなあ。 タイ側国境検問所は以前から武装兵士が常駐していますが、あまり厳しい警備状況とはいえません。

ランタウパンジャン-パシールマス間は乗り合いバス

タイ国境検問所で出国手続を済ませ、クランタン川にかかった橋をぶらぶら歩いて渡り、マレーシア側の町 Rantau Panjang の国境検問所ビルに入ります。時間帯のせいもあるのでしょう、歩行者よりもバイクや自動車の国境通行がずっと多い。 1つしか開いてない入国検査窓口での入国審査はいつものように簡単に終わり、検問所建物を出ました。 数百メートルほど離れた位置にある、Rantau Panjangバスターミナルの前付近で乗り合いバスを待ちます。 間もなくやって来たコタバル行きのバスに乗ったのが、16時40分です。運賃は RM 3.3。 Rantau Panjang −Pasir Mas 区間では国境警備隊員がバスに乗り込んできて乗客をチェックすることがよくあるのですが、今回はありませんでした。こうして30分でPasir Mas に着きました。

客がよく入っていた朽ちかけた大衆食堂でのナシゴレンは美味かった

数日前にマラヤ鉄道の e-ticket システムで購入しておいた、Wau急行クアラルンプール行きの Pasir Mas 駅発車時刻は 18時33分です。それまでにまだ多少時間があるのでゆっくり夕食を取ろうと思って、Pasir Mas 町の中心部をぶらぶら歩いて適当な店を探しました。クランタン川に面した一画が小さな遊歩道になっていました。そのチョコレート色に濁った水流とお世辞にも美景とはいえない風景にも関わらず、川の流れを広く見下ろせる場所はいいものですね。 しかしながら夕食はそこではなく、ミニスタジアムの前にある、朽ちかけた建物内に大衆食堂が並んでいる場所にしました。理由は地元人が多少早い時間にも関わらずいくつもテーブルを埋めていたからです。地元人がそれなりに入っておれば、まあ選択外れということにはならないでしょうからね。Nasi Goreng Kampung は美味しかった、値段 RM 3.5 です。" Kurang Kurang manis " と言いながら甘くしないようにと強く頼んだ Kopi が RM 1。クアランタン州は物価が安いという潜入観念があるため、クアラルンプールよりいずれもわずかに安いだけだったので、ちょっと意外でした。まあ美味しかったのでよしとしましょう。

新造されたパシールマス駅舎

驚いたのは、Pasir Mas 駅が見違えるほど現代的な作りの駅舎に変わっていたことです。マラヤ鉄道伝統の駅舎作りから離れた現代風の駅舎とプラットフォームです。斬新ではなく、利用しやすい作りだと感じました。Wau列車の車輛番号がプラットフォームにわかりやすく掲げてあるのは良い点です。乗客はそれぞれ乗る車両番号に従って、プラットフォームの指示位置で待てば、列車はそこに停車するということです。これまでマラヤ鉄道にはこの思考が欠けていたので、賞賛する次第です。

老舗の夜行急行Wau号は人気ある

始発Tumpat駅 18時発のWau急行は東海岸線しにせの夜行急行です。Intraasia はこれまでクアラルンプール発下り夜行を主に利用してきましたので、上り夜行は久しぶりです。 Intraasia は夜行列車の時はいつもいわゆる2等寝台車の上段席を取ります。今回も同様で、料金は RM 48 です。なお下段席であればRM 54です。 上段は乗り降りが面倒且つわずかに狭いこともあって、多少料金高でも常に下段から埋まっていきます。 e-ticket システムの利点は、早期に取ればほぼ好みの場所を取ることができることです。

列車はほぼ定刻に到着し、18時35分に Pasir Mas 駅を発車しました。Wau 急行は昔から結構人気よく、今回もクランタン州を出る前にほぼ寝台は満席になったみたいです。2等寝台は通路の両側に蚕棚式に上下2段に並んだ様式で、各寝台にはカーテンがあります。 寝台車も運が悪いとマナー感覚ゼロの乗客に出会いますが、今回はまあ普通程度の乗客ばかりでした。多人数連れ立ったグループ乗客が一番マナーが悪いと経験上言えますね。人間仲間がたくさん集まると、ふざけたり、騒いだりと、無礼行為をどうどうとするものです。

Intraasia は買うことはありませんが、弁当と飲み物程度の車内販売があります。車掌の検札は1回だけであり、e-ticketで印刷した切符にパンチします。Pasir Mas で買った新聞をゆっくリ読んでからカーテンを引いて寝ました。カーテンを引くと結構暗くなるのです。夜行バスほど寒くはありませんが、それでもちょっと涼しいぐらいです。2等寝台はシーツのみで、毛布はありません。未明に下車していく乗客もばらばらいるし、狭い2等寝台ですから熟睡はできませんが、それでもバスのリクライニング席よりずっと眠りやすいと、Intraasiaは昔から思っています。

クランタン州へ行く場合、鉄道はバスより走行距離がよりはるかに長くなる

東海岸線は半島部をずっと南下して、ヌグリスンビラン州とジョーホール州の州境町Gemas に着き(そこまで約500km)、この駅から今度は西海岸線に入って北上します。よって走行距離は夜行バスよりかなり長いことになり、遅い速度に加えてこの余分な走行距離ゆえに、所要時間が夜行バスより数時間は長くかかるわけです。とはいえ、それもまたマレー鉄道旅の楽しみとも捉えることができます。とりわけ下り夜行に乗りクランタン州の奥深いジャングル地帯を走る時の早朝風景はなかなかいいものです。
こうして終着駅のKL Sentral駅に定刻より30分遅れの 翌朝7時50分に到着しました。 乗車時間約 13時間の列車旅でした。

マレーシア −タイ間を移動するのにかかった交通費




またタイ深南部のことを少し語りましょう


Intraasia がタイ深南部に初めて足を踏み入れてすでに20数年が経ちます。これまでにもこの「今週のマレーシア」でいくつものタイ深南部に関するコラムを書いてきました。加えて「新聞の記事から」では外電報道されるタイ深南部でおきた事件をしばしば載せてきました。このようにIntraasia はタイ深南部を長年に渡って訪れてきた、且つ興味を持ち続けている稀有な日本人(のはず)です。

注:タイ深南部とはタイムスリムが圧倒的多数住民であるパッタニー県、ヤラー県、ナラティワット県のことを指し、ヤラー県、ナラティワット県は国境を挟んでマレーシアと接している。州都ナラティワットはバンコクから1150kmほども離れています。マレーシアのペルリス州に接している、西海岸側のサトゥーン県もムスリム人口の相当多い県ですが、歴史的経緯の違いがあって、深南部3県とは事情が違います。タイ国自身の分類に基ずくタイ南部というのは、チュムポーン県以南からマレーシア国境までの全て、計14県、という広い範囲です。南部にはプーケット県やナコンシタマラート県やソンクラー県のように比較的ムスリムが目立つ県もありますが、深南部3県はムスリム人口比率の高さ及び歴史的背景の両面から、他の南部とは事情が違います。マスコミや深南部の違いを理解してない、知らない人たちが深南部問題を伝える際に、”タイ南部で何々が起こった”といった表現で書いているのを目にしますが、こういう表現は非常に誤解を招く表現です。 


今回(2010年1月後半)は極めて短期でしたが、今年もタイ深南部3県を訪れました。利用したタイ国鉄の深南部路線はハジャイを出た後パッターニー県をかすめてからヤラー県とナラティワット県の両県を横断しています。1泊した県都ヤラーからは、おんぼろ乗り合いバスで1時間半かけてパッターニー県の海辺にあるムスリム漁村を訪れました。こういう乗り合いバスの乗客はいつもほぼ100% 地元住民です。

このコラムでは、深南部は不穏で危ないから行くべきではないということを強調したいのでも、特に危ないわけではないと否定する言を表明したいわけでもありません。危なかろうと危なくなかろうと、深南部の人たちは、変わらず暮らし、変わらず日々移動し、変わらず働いているのです。 

鈍行列車内で行われている武装兵士グループによる検査と警備

州都ヤラーでは荷台に銃を構えた複数の兵士を載せた警備車は相変わらず巡回しています。Intraasia が常宿にしているそのヤラー市のエコノミーホテルの前には夜間軍隊車輛が停車していました。パッターニー県の平和な漁村でもこの種の警備車の巡回を見かけました。

2回乗ったタイ国鉄の鈍行列車で目撃したことを書いておけば、4, 5名からなる武装兵士がグループとなって車内に乗り込んでおり、列車警備兼乗客の持ち物や棚や床の荷物を検査しています。 グループの2人は常時自動小銃の引き金に指をかけて構えています。 さすがに銃口は床を向いていますけどね。荷物検査はかなり真剣な様子で行われていることを感じました。この車内警備兵士はタイムスリム男性に対しては厳しくはないけどほとんど検査するかのように見て取れました。なお Intraasia の携帯していた小型カバンはまったく検査を受けませんでした。

兵士が同乗しているのはIntrasia が乗ったローカル鈍行列車だけではありません。単線のため対向列車待ちするとき、すれ違う対向列車の車内にも兵士の姿を見かけました。南部路線だけの運行であるローカル鈍行の乗客は、とりわけ地元住民がほとんどを占めているように思われました。一方急行列車は全てバンコク発またはバンコク行きですから、外国人旅行者を含めて深南部住民以外も乗っていますが、数はごく少ないですね。

ハジャイとスンガイゴロクを結ぶ深南部路線中、 ヤラー県に入ったあたりから兵士が警備する駅が増えます。ナラティワット県内の駅では小さな駅でも兵士が警備についていることを車窓から確認しました。駅舎内の一角にある警備兵士用の場所には土嚢を積んで囲ってある駅もあります。 銃を構えた兵士がぼんやり立っている駅もありました。 タイ国鉄深南部路線の駅と列車はこれまで度々銃撃や仕掛爆弾による妨害行為を受けてきた故に、確かにこの警備状況は納得できるところです。

そういった警備状況にも関わらず、鈍行列車は土曜日も日曜日もかなり混んでいました。深南部路線の主要駅では立ち客が発生するくらい大勢の乗客が乗り込んで来ました。なぜか知りませんが、南部路線では鈍行に限って運賃無料のサービスがこの数ヶ月続いていることを後で知りました。ヤラー駅の時刻表に”ドーイサン フリー(運賃無料)”と書いてあったので、窓口でなぜと聞いたら、「タイ人は無料」という返答でした。でもIntraasia は2回の乗車とも無料切符を窓口でもらいましたよ(笑)。なお鈍行列車ですから非冷房の古い 3等車輛だけが連結されており、マレー鉄道にはない、木製の対面式4人がけイス席が主体です。

タイムスリム女性の服装にマレー女性のそれとの違いを感じる

乗客の姿を眺めていると興味深いことに気がつきます。深南部ですから、乗客にタイムスリムが圧倒的に多いのは当然です。女性の場合、頭髪を覆ったトゥドゥン姿の方がやや多いでしょう。ただ同じトゥドゥンでもなんとなくその色合いの選択がマレーシアのマレー女性のそれとは違うのです。マレーシアのマレー女性の場合、列車やバスでの移動時に長袖シャツ姿にジーンズ姿はごく一般的ですが、バジュクルンやバジュクバヤ姿も年齢層が上がれば上がるほど目立ちます。深南部の列車やバス内で見かける、タイムスリム女性の場合、バジュクルンまたはバジュクバヤのどちらかを着た乗客はまずいません。 民族としては同じマレー女性ですが、国が違えば服装のセンスと選択範囲の広狭に違いが生まれるということでしょう。

人と場面で多いに差のあるマレー語とタイ語の二重使用状況

使用言語面ではさらに興味深いものを感じます。これまでの見聞から判断して、若い層ではタイ語(南部タイ語)で会話している10代、20代はかなりいます。中高齢者はどちらかといえばマレー語(マレー語タイ深南部方言、マレーシアのクランタン方言と同種)で話していますが、もっぱらマレー語で話している若い層ももちろんいます。学歴が高くなればなるほどタイ語で受ける教育年数が増えるわけですから、タイ語利用がより自然となっていくと思われます。 

深南部タイムスリムであれば、程度に差はあれどマレー語タイ深南部方言を話すはずですが、それも個人または場面によってかなり違いがあり、且つ場面によって言語を替えるという二重言語使用者が多いと思われます。漁民のような非高学歴のタイムスリム間では、ほとんどマレー語タイ深南部方言だけで話している、とこれまでの観察から言えそうです。タイ全土からみたら、圧倒的マイノリティーであるタイムスリムにとって、2種の言語から1つを選んで使用することは単なる便宜上の選択だけではないはずです。世界の多くのマイノリティー民族の間における、言語選択と使用の背景に共通したものがある、とIntraasia は捉えています。

不穏状況の奇妙な日常化

タイ深南部不穏化以来すでに7年目に入りました。武装反抗派、軍隊や警察や自衛団からならる治安部隊、一般市民 の 3者合わせて4千人近い死者が出ているそうです。仕掛爆弾や襲撃事件はもはや珍しいことではないのは確かでしょう。 ただ奇妙な現実として、この不穏状況の長期化によって、深南部の人たちはそれを日常として受け入れざるを得ない状況になっていると感じました。パッターニー県のムスリム漁村を訪れた際、屋台でスイートを食べながらおしゃべりした時(マレー語とタイ語)、その屋台主女性は淡々と話しており、状況を特に嘆いている様子はありませんでした。 その漁村に住む昔からの知り合い(タイムスリム)が、「ヤラー市ではよく事件が起こっている」 と言っていたように、ヤラー市は狙われている町・村の一つといえるでしょう。かつてIntraasia が訪れたその銀行やその市場で仕掛爆弾が破裂して何人もの死者が出ていることをニュースで知っています。

それでもヤラー市は数年前の状況より多少活気が戻ったかのように感じました。なぜなら、今回は店や路上に人の動きがかなり復活していたからです。数年前は夕方暗くなるとたちまち路上から人がぐっと少なくなったものでした。とはいえ、90年代の夜間の町の雰囲気には及びません。常宿のエコノミーホテルでテナント営業していたカラオケクラブや、そのホテル近くにあって夜間生バンドを入れて営業していたタイレストランはもうとっくに消えました。

万を超える軍隊を深南部につぎ込んでも一向に解決の光が見えない不穏化状況がこうも長引けば、上記で描写したように、住民の間における奇妙な雰囲気を外部の者が”ある種のあきらめ”と感じてもおかしくないかもしれません。それは不穏化状況の日常化という受け止め感覚です。今回の深南部訪問ではそんなことも感じました。

深南部では外国人対象のテロは全く起きていませんが、一般市民にも確実に被害が出るであろう仕掛爆弾が公共場所を含めて頻繁に起こっているので、運が悪ければ巻き込まれる可能性はあるというのが、Intraasia の捉え方です。ということで、読者の方に深南部訪問を勧めるような意図は全くないことは、いうまでもありません。タイ深南部を長年に渡って訪れてきた、且つ興味を持ち続けている日本人として、小さなコラムとして書き残しておこうというのがこの一文の意図です。



意外に知られていないマレーシアの一面


当サイトをいつもご覧になるようなマレーシアに強い興味をお持ち方やマレーシアを何回も訪問された方だけではなく、最近マレーシアに興味をお持ちになった方、マレーシア訪問歴がないとかごく少ない方に、よく知られていないまたはまだご存じないであろういろんなマレーシアの姿を紹介することも当サイトの目的です。ということで、今回は、多少雑学的なマレーシア案内です。

日本にかなり輸入されて使われているが、マレーシアで生産されたまたは産出したことがほとんど知られていない物品や原材料

まず始めに貿易の統計を見てみましょう。
マレーシアからの輸出市場として総輸出額に占める割合の多い順
2009年9ヶ月間  シンガポール:13.9%、  中国:11.9%   米国:11.1%   欧州連合:10.7%   日本:9.9%

シンガポールは中継貿易が主体なので、実際の輸出先国としてのトップ3は、中国、米国、日本となります。中国が飛躍的に成長する前は、日本は第2の輸出市場でした。このように、貿易面でマレーシアと日本のつながりは依然として緊密です。

電子電気製造業が伝統的にマレーシア進出の主たる担い手だったことを反映して、電子電気製品半製品が日本向け輸出の主たる品目の1つであることはかなり知られていることでしょう。昔から Sonyや Panasonic などがマレーシアに工場を持っているように、家電・オーディオ製品もマレーシアで製造されています。しかしある国でA部分、ある国でB部分というような製造方法が現代のあり方なので、全てがマレーシアで製造されて日本へ輸出されている家電・オーディオ製品は果たしてまだあるのだろうか?

一方日本人に案外知られていないマレーシアから日本への輸出品には次のような品目があります:

これはマレーシアで製造されている日本向け製品または部分品のわずかの例ですから、こまめに探せばまだまだありそうですね。以前 Intraasia がいくつかの日系企業で通訳の契約仕事をやったとき知ったこととして、例えば、ゴルフボールがマレーシア工場で製造されていました。

マレーシアで人気を得ている、日本製または日本を起源とする大衆文化、ファッション、流行品、及びそれらの関連商品

この分野は日本のかなりの得意分野ですから、マレーシアを含めた東南アジアでごく頻繁に目にすることができます。

日本のキャラクター商品: マレーシアを含めた東南アジア全体でハローキティーが何と言っても最大の人気キャラクター商品です。アニメまたはマンガの人気に乗じてその主人公や登場人物がキャラクター商品化されて、マレーシアなど東南アジアで人気を得ている構造は、日本のそれと同様です。マレーシア、タイ、シンガポールで頻繁に見かける、さらにインドネシア、カンボジア、ラオス、ベトナムでも出回っている、この種のキャラクター商品ですが、激安商品も多いのでどのくらいの割合が版権に基づいて製作されているのだろうか。

アニメとマンガ: 日本アニメとマンガは今や日本の最大の輸出大衆文化及びその商品ですから、東南アジアで人気ある日本アニメとマンガは数え切れないほどあります。その中でも歴史が古く且つ今尚一番人気を保っているのはドラエモンでしょう。 この種のアニメとマンガは吹き替えテレビ放送されることで裾野を広げています。ドラエモン以外の代表的なものは、ガンダム、ウルトラマンシリーズ、仮面ライダー、クレヨン新ちゃん、セーラームーン、ピカチューなど。 マンガは華語を筆頭に、英語、マレーシア語のどれか、多くは 2言語または3言語に訳されて、実に種類多く出版されています。恐らく版権無許可出版もかなりありそうだと、推測されます。

華語版の場合、90年代は香港や台湾で出版されたものを輸入または香港台湾版の複製が主体でしたが、今ではマレーシアで訳して出版が主流になったように思われます。マレーシアのアルバイトサイトで日本マンガの華語訳バイトを募集しているのを見かけたことがあります。そのめちゃ安といえる手間賃では質の良い訳ができるわけないのは当然です、つまり訳の精度は重要視されていません。読者がその訳が正確か不正確かを知ることはまず不可能であり、且つその正確さにこだわっていない以上、この種の非公認訳がかなりの比率を占めている風潮は今後も長く続くことでしょう。

コスプレ: アニメ文化の派生として、近年だんだんとファン層を増やしています。クアラルンプール圏を中心に時々コスプレ大会が開催されているニュースを読むと、今後も一定のファン層を掴んでいくことでしょう。

ファッション:若者向けファッション界では日本の若者流行ファッションを一部取り入れているようです、またそういう品を扱う専門店もあります。決して盛んではありませんが目にすることも珍しくはない、茶髪のファッションは日本から入ってきたと言えるのではないでしょうか。 日本好きの若者間では、渋谷とか原宿は知られている単語でしょう。服装と髪型のファッションに関しては疎いので、これ以上はIntraasia にはわかりません。

日本映画とテレビドラマ:最新作ではないが最近製作されたと思われる日本映画が、毎年何本か各地のシネプレックスで公開されています。数えたことはないので正確な数はわかりませんが、多くて年間 10本前後ではないだろうか。日本のテレビドラマは VCD/DVD の形で、専門店中心に実に種類多く売られています。日本で放送された数ヵ月後にはもう発売されるそうであり、華語か英語かマレーシア語の字幕入り。 日本人旅行者が土産に買っていく例もあるそうです。

日本テレビドラマと映画界、日本ポップ歌謡界の情報を載せるのは、以前から圧倒的に華語メディアが中心です。英語メディアとマレーシア語メディアは華語メディアに較べれば、ずっと量も頻度も少なくなります。 華語新聞は娯楽ページの中で毎週数回程度、日本のテレビドラマと映画界、日本ポップ歌謡界の話題を載せています。 Intraasiaの感覚では、載せる頻度と紙面量の面で現在よりもむしろ90年代後半の方が盛んであったと思います。華語の若者向け情報・娯楽雑誌もこれら日本のテレビドラマと映画、日本ポップ歌謡の話題を、多くはありませんが常時載せています。 

当コラムで10年ほど前に紹介した、マレーシア唯一の J ポップス紹介ラジオ番組(広東語放送)は1年ほど前に終了してしまいました。10年ほども続いていた長寿番組なので残念なことですが、マレーシアで90年代ほどJポップスが注目されなくなった反映とも言えるでしょう。

21世紀はインターネットの時代ですから、日本の大衆ポップ文化に興味あるマレーシアの若い世代は、民族に関わらず、インターネットで情報や流行を収集したり、情報交換をしていることと思われます。

電子電気製品と機械製品以外の人気ある日本製品

カー用品:消臭剤、アクセサリー、ワイパー、車用音響品などの日本製カー用品は広範囲に輸入されて、車用品店、スーパーマーケット、ディスカウントショップなどで売られています。

化粧・美容用品:ドラッグストアーなどで、日本の化粧・美容製品を見かけることは全然珍しくありませんし、有名ドラッグストアチェーンの広告に日本製化粧・美容用品がよく登場します。

つり製品、自転車とその用品にも日本製が結構あるそうですが、Intraasia はその分野に全く詳しくないので、具体的にはあげられません。

いわゆる日本食品と日本料理

廻る寿司: 廻る形式の寿司店はクアラルンプール圏に数あることから判断して、マレーシア人消費者にかなり人気あるように思われます。マレーシアで起業した日系会社の経営するチェーン店から日本から進出した会社のチェーン店が主流のようですが、さらには主として日本食を販売するマレーシア企業家の経営する大衆寿司店もあります。尚内容と味は全く知りません。

各種日本食品 :Jusco を筆頭として他のスーパーや比較的大きな食料品店でも売っています。中にはマレーシア風にしたたこ焼きコーナーもある。マレーシア人客を対象にしたお好み焼き店や鉄板焼き店がありますね。

注:Intraasia は長い海外滞在・旅行歴を通じてマレーシアだけでなくどこの国に滞在または旅行しようと、いわゆる日本食品と日本料理を一切口にしませんので、この分野についてはよく知りません。ですからこの分野に関してはごく限られた知識となります。


その他日本伝来の人気または流行

コラム掲載時に日本発祥の最も広範囲で最も人気あるものをうっかり書き落としました。それは、今や東アジアと東南アジアという範囲を超えた広がりをもつカラオケです。
カラオケ:各国によって文字は違えど、この単語のままで通用するカラオケは、東南アジアの隅々まで広がっているといえるほど各国の大衆文化に入っています。安価なビデオ再生機と無断コピー版VCD がカラオケを庶民の娯楽にしたのです。

自動車レース: 「頭文字はD」 という映画が公開されたことがまるできっかけとなったかのように、2000年代前半以後 ドリフトドライビングがモーターファンの一部に人気を得ています。マレーシアのドリフトドライブ競技会も開催されています。 

招き猫: ずっと以前から小物店や流行雑貨品店などで販売されています。いろんな小売商売店の店先に飾ってあることもあるくらいです。

マレーシア社会で使われる日本から入った言葉

ありがとう、さようなら、こんにちは、という挨拶言葉はずっと昔からマレーシアの語彙になっています。寿司、天ぷらといった日本料理の代表名もマレーシア語彙に入っています。近年最も目立った形で入って使われている言葉は、”つなみ”でしょう。
つなみ: アチェ大地震以後 ”つなみ”がマレーシアの語彙に取り入れられた。ものすごく大きな変化を言う時に使われている、例えば「政治的つなみ」 という用例がマスコミで使われています。

注意:日本語と偶然使い方と発音がよく似ているマレーシアのことば alamak 。この単語は驚いたり意外だと思ったときに使います。日本語の 「あらまー」とよく似た発音で且つ似た使用法ですが、日本語からの借用語ではありません。

マレーシアならではのユニークな法律体系

マレーシアは連邦憲法でイスラム教を国教と定めたイスラム国家です。しかしアラブ国家と違って、非ムスリムの人口比率が高いこと(国民の約6割がムスリムであり、約4割が仏教徒、キリスト教徒、道教徒、ヒンズー教徒などの非ムスリム)、且つ元英国植民地として英国法体系を広範囲に取り入れています。さらにイスラム法を取り入れた法律や罰則は西欧法体系には馴染まないことになります。そこで民法は国内に2種あります、すなわちムスリム用と非ムスリム用の2本立てです。 

その例:婚姻家族法では、ムスリムはイスラム法に従って4人まで妻が娶れる。しかし非ムスリムには西欧法体系に基づいた婚姻家族法が適用されるので、1980年初期以降は一夫一妻制です。財産分与とか相続などの面でも同様です。必然的に婚姻・家族や財産・相続に関する民法に基づいて審理する裁判所は2本立てであり、ムスリムはシャリア裁判所、非ムスリムは市民法に基づく裁判所に係属されます。

非ムスリムとムスリムの中間または両方に適用される民法は存在しない。なぜなら非ムスリムがムスリムと婚姻する場合は、事前にイスラム教に改宗することが絶対条件だからです。そしてムスリムがイスラム教から離脱することは国籍を変えない限り 99.99 % 不可能です。よってあるムスリム家庭において、親がムスリムで子供が非ムスリムというようなことは起き得ない(歴史的且つ民族的背景の違う、サラワク州を除く)。非ムスリムがムスリムと結婚する際にイスラム教に改宗する例は多いとはいえないが確実にあるので、こういう元非ムスリムが離婚した場合、イスラム教から離脱することが裁判所によって認められる場合がある、これが 0.01% ということです。しかしこれは権利ではないので、認められるかどうかは裁判所次第です。

注:非ムスリムの両親の片方がムスリムに改宗した際、未成年の子供を親の権利で同時に改宗させることができるかということに関しては解釈に違いがあり、裁判にもなっています。

刑法はムスリムと非ムスリム用に分かれておらず、1本立てです。マレーシア刑法では重犯罪者に鞭打ち刑を科す例が多い、例えば強盗、強姦、傷害のような罪状の有罪者には懲役に加えて鞭打ち刑が加わることがよくあります。

イスラム教の慣習や法律を見ていけば、ほとんどの日本人には珍しくまたは奇妙に映るのは不思議ではないでしょう。

世界でも珍しい君主任期制の慣行

マレーシアは立憲君主国家ですが、世界でも珍しい仕組みがあります。それは国王の5年任期交替制です。各州のスルタンが参加者であるスルタン会議で選出するという建前ですが、実際は各州のスルタンが交代で5年任期の国王職に就きます。 国王の誕生日は毎年6月第1土曜日に固定された全国祝日です。つまりその時点で地位に就いている国王の実際の誕生日とは関係ない祝日となっています。

特定民族に限定された、多少珍しいともいえる慣習の例

人口の4分の1を占める華人(中国人と呼ばないこと、マレーシア華人界において及び華語では中国人という呼称は中国大陸の人、中国籍の人を指します。こういう基本的なことは是非区別してほしいものです)の慣習に冥界婚というのがあります。これは結婚予定の2人が直前に死んでしまった後、その親たちが道教のしきたりに従って、この2人を婚姻させる儀式です。これは仏教とは関係ありません。華人はいうまでもなく中国伝来の慣習を受け継いでいるが、これは人と家庭によってその程度はかなり違うので、冥界婚のような例は一般的ではありません。 

マレーシア人口の 8% を占めるインド人はインド南部出身のタミール人がその多数派(4分の3ぐらい)であるため、タミール民族の慣習やしきたりが主体となっている。宗教面でみれば、もちろんヒンズー教徒がマレーシアインド人界の多数派です。よってほとんどの慣習や宗教的しきたりは、日本人には珍しいか奇妙に映ります。

都市部の街で悪慣習として横行している違法行為

本来駐車代を払う必要ない場所や時間に勝手に駐車代を”徴収”している輩を jaga kereta 、ジャガクレタと発音、と呼びます。道路際や空き地では常時、さらには公共駐車メーター付き道路駐車においては適用時間外である夜間と休日に、無職者や麻薬常習者らからなる Jaga kereta が勝手に場所を取り仕切って、駐車する者から”駐車代を徴収して”います。 たとえ近くに駐車場があっても少しでも目的地に近い手っ取り早い場所に駐車したいという、マレーシア人思考なので、この違法商売は決して廃れません。誰でも金は払いたくないのですが、金を払わないと駐車した車にいたずらなどされかねないので、皆一様に金を手渡しています。 警察はjaga kereta をまず取り締まりませんし、管轄の地方自治体がごくたまに取締りをしてもJaga kereta はその時いなくなるだけで、取締官が去ればJaga kereta はすぐに現場に戻って来てしまいますので、全然解決にはなりません。


以上のように、意外にまたはあまり知られていないマレーシアの姿と一面をあげてみました。 もちろん、ここに記した以外にもこの範疇に入ることはまだたくさんあるでしょう。当「今週のマレーシア」の全トピックスの目次ページをお開きになれば、これまでにIntraasia が書いたコラムの中に似た種のテーマが見つかりますよ。最後に少し紹介しておきましょう。

マレーシアに関する基礎知識または面白雑学知識をまとめたコラム
第226回 「続・マレーシア初心者のための入門教室」
第278回と279回 「初心者と中高校生のためのマレーシアに関する99の問答 前編と後編」

マレーシアに関する駄洒落をたくさん創作したり解説したコラム
第331回 「初笑い、駄洒落で覚えるマレーシア語の単語と地名と一口知識」
第461回 「旧正月即ち農歴新年即ち中国正月はいわば”シャレ”で持つ」

日本では考えられないマレーシア人の行動や習慣に関するコラム
第317回 「看護婦の白衣(制服)姿のまま通勤を考える」
第384回と385回 「日本の常識はマレーシアなど東南アジアの常識ではない」
第436回 「マレーシアの主要民族における産褥期(さんじょくき)のあり方とタブー」
第451回 「好奇心旺盛な読者の質問:出生届は容易か?ラブホテルはあるか?に答える」

意外に知られていないマレーシアの諸面を描いたコラム
第117回 「マレーシア人の姓名の付け方と表記法」
第146回 「マレーシアにありそうでないもの、なさそうであるもの」
第216回 「売春街とMak Nyah(おかま)に対するマレーシア社会の対応」
第548回 「落雷が世界でも有数に多い国 マレーシア」



旧正月でも普段の休日風景とあまり変わらない地区と大きく変わる地区


外国人労働者が集まる老舗といえるチョーキット

国内で働く合法と違法の外国人労働者が劇的に増えたこの 6, 7年、旧正月時期にクアラルンプール中心部の複数の特定地に彼らが大挙して集まってくることは、よく知られたできごとになっています。当サイトでは早くからこの現象に注目してコラムなどで扱ってきました。2007年の旧正月の日に万人単位の人数と思われる外国人労働者の集中状況を写した、たくさんの写真を「 みんなのマレーシア写真アルバム」に載せましたので、ご覧になった方もいらっしゃることでしょう。

今年も旧正月の初日、2日目あたりの特定地集中状況は変わっていないようです。 Intraasia は2日目つまり 2月15日午前に、チョーキットを訪れました。チョーキット地区はKLCC地区、セントラルマーケット・コタラヤ・Jalan Silang界隈とちょっと趣が違っています、つまり伝統的に普段からインドネシア人の集まる地区であり、これは旧正月時期も同じです。多少歩き回ったり、バス停で観察したところ、市場やスーパーや食堂にはマレー人が結構来ていました。マレー人にとっても少なくとも3連休ですからね。

外国人労働者としてはチョーキット地区ではあまり目立たない、インド人?バングラデシュ人?、ミャンマー人かネパール人と思われる外国人労働者をそこそこ見かけました。とはいえこの地では外国人労働者の多数派はやはりインドネシア人です。 朝から晩まで交通往来の激しい通りである Tuank Abdul Rahmanに面した、チョーキット市場に続く小路入り口辺りの様子を写した2枚の写真を、次に載せます。

  

ご覧のように人も車もバイクも集まって、賑わい状況を呈しています。Intraasia はその辺りへはこれまで何百回と足を運んできましたので、普段の状況と大して変わりません。この通りの歩道に面した音楽ショップ(右写真の右上部に写っている)はいつもインドネシア音楽VCDをがんがんとかけています。文字通りガンガンですよ。近くのスーパーは外に向けたスピーカーでマレーソングをこれまたガンガンかけています。 自動車の騒音に音楽騒音が加わって非常にうるさいのが、この一角の日常風景であり、15日の旧正月2日目も同様でした。 ざっと見た感じではチョーキット地区の様相は(結構な割合を占める)華人店・屋台が休んでいる点を除けば、普段の休日風景とあまり変わらないなと感じました。

右写真の場所から10メートルほど離れたバス停でベンチに座って、Tuank Abdul Rahman通りをクアラルンプール中心部のコタラヤ、JalanSilang 方面へ向かう乗り合いバスを見ていました、予想した通り乗客の圧倒的多数は外国人労働者のように見えます。外国人労働者はクアラルンプール郊外や近隣地方に多く住んでいますので、彼らにとって郊外バスが唯一の交通手段となります。マレーシア人、とりわけ華人はこの時期バスで市内中心部に入ってくるようなことはまずないはずです。乗客でチョーキットで下車するのはごく少数であり、ほとんどは終点となる コタラヤ、Jalan Silang辺りで下車するはずです。なぜならそこが外国人労働者の一大集合地だからです。

Intraasia はチョーキットへはモノレールで行き来しましたが、モノレールは市内だけを走行し郊外を結んでいないので、外国人旅行者やマレーシア人市民が乗客の多数を占めていました。郊外とクアラルンプールを結ぶ乗り合いバスとモノレールの乗客構成の際立った違いを感じたのです。

いつもながらチョーキットでは、とりわけその核の地区では白人旅行者の姿をほとんど見ません、いかにも旅行者風といった日本人や台湾人などのアジア系旅行者の姿もめったに見かけません。さらに近年増えたアラブ系旅行者もまずみかけません。この現象は旧正月時期も例外ではありませんでした。 この種の旅行者はチャイナタウンやブキットビンタン街ではごく当たり前の存在として実にたくさんの姿を見かけるのですけどね。 白人や日本人の旅行者がほとんど訪れないのは、ガイドブックにおけるチョーキット描写に多いに原因があることだと推定しています。そしてマレーシア人中流階級一般がチョーキットに対して持つイメージのせいで、定期的に買い物に来る一部の人たちを除いてマレーシア在住外国人もまず訪れないことになります。 

90年代と比べてかなり変わった現在の旧正月風景

クアラルンプールにおける旧正月風景は90年代前半や中頃と比べて様変わりしたことを、Intraasia はつくづく感じます。古い華人地区である我が地区は90年代前半は旧正月の初日と2日は、爆竹と獅子舞いの太鼓を除いて、まこと静かでした。華人用食堂である飲食店はごく数少なく開いてるだけでした。地元華人は自らの住居内で時間を過ごしたり、年賀廻りで出かけているため、地区の街頭・路上をぶらついている人は非常に少なかったものです。

それが 2010年の今年の例で言えば、元旦から路上を人が往来し、飲食店も少ないながらあちらでもこちらでも開いていました。2日目には人の往来だけでなく開いている飲食店の数もより増えました。 もう静かな旧正月風景は全くありません。その最大の理由は、我が地区と近隣地区に劇的に増えた外国人労働者と国連難民(これはミャンマー人のみ)の存在です。さらに我がアパートにはこういった外国人労働者と国連難民が多数住んでいるので、朝から夜までその仲間が大勢且つ頻繁に出入りしていました(その人数は3桁単位ですよ)。時代は変わり、住民構成も変わり、旧正月風景がその変化を見事に映し出していました。 

そういえば、毎年旧正月時に聞こえてきた爆竹の音を今年はほとんど聞きませんでした。マレーシアで爆竹は昔から禁止品に指定されていますが、我が地区では旧正月時に盛んに爆竹を響かせていたものです。

正月6日目、華人小商業住居混在地区は静かでした

今年の旧正月は元旦がきりの良い日曜日(14日)から始まったこともあって、華人会社・商店は大方が2月21日まで丸々1週間休みだと思われます。そこで旧正月の初六つまり6日目に近辺にある華人商業地区を主体にかなり歩き回りました。古びたショップハウス街のほとんどを華人の零細・小規模会社や物品販売業店舗が占めているという、典型的な華人商業地区であり、加えてその周囲には住居が集まった商住混在地区ともなっています。営業している会社または店はごく少数でした。推測したとおり、その週一杯はお休みのようです。 普段は車や人の往来でごちゃごちゃ活気あるのですが、かなり静かな雰囲気に旧正月らしさを感じました。 一方同じ華人地区でも我が地区は旧正月の静かさはとっくにありません。普段と同じく朝から人と車の往来が多く夜までざわついています。

その朝歩き回りを始める際に大きなショッピングセンターを通ったのですが、まだ正午前というのにシネプレックス前には長蛇の列ができていました。並んでいるのは10代かせいぜい20代前半ぐらいまでの若者男女ばかりです。 この理由は小中学校が旧正月の週は1週間休みだからですね。クアラルンプールは国民型華語小学校が多く、且つ国民中学校も華人比率の高い学校がある、ということで、そういう学校は丸1週間休みにしています。 そうではない国民小学校や中学校は、3連休の終わった17日から授業があるはずです。 数日間余分に旧正月期間を休む決定は生徒の民族構成を基にその学校の判断でできるそうであり、休んだ日は学期内の土曜日のやりくりで埋め合わせすることになります。 だから華人割合比の低い東海岸州などでは、1週間休む小中学校はより少ないことになります。

例年通り、旧正月の最初の数日、有名ホテルや有名ショッピングセンターでは獅子舞団を呼んで新年を祝ったところが多いようです。新聞にもそのニュースが載っていますし、Intraasia も取りすがらに見かけました。 獅子舞団の花形はなんといっても、高さ2mから3mの鉄柱上を行き来して舞う2人組みの獅子舞いです。旧正月時期のために彼らは1年中練習しているわけです。危険を伴うアクロバット舞ですから、普段の訓練が非常に大事だそうです。 獅子舞いはマレーシア華人界の旧正月風景にはなくてはならないものです。



マレーシア華人界の製作映画 大日子 Woohoo は興行収入が好調だった


今年の旧正月時期に向けてマレーシア華人界が100% 製作した華語・広東語映画がこの1月に公開されました。製作は Woohoo Pictures と衛星放送 Astro Shaw 、監督兼プロデューサーはAstro所属のマレーシア華人、主演者はAstro翼下にある My FM 中文ラジオ局所属の華人DJ 主体です。その他出演者もマレーシア人俳優で固めた映画です。この映画はクアンタンとクアラルンプールで2009年に撮影され、制作費は RM 200万とのことです。  

Intraasia は最初 Woohoo とは5匹の虎 と思っていたのですが、舞虎 のことでした(華語読み)。旧正月にちなんで虎舞いを復活させることをテーマにして、中文ラジオ My FM の人気 DJ が4,5人主演者となって製作されたコメディータッチの商業映画です。

マレーシア華人界製作の商業映画はごく少なく、これまでに5本ぐらいしかないはずで、Intrasia はそのほとんど全部をシネマで見ました。尚独立人士や小プロダクションが製作したマレーシア華人界製作といえる映画は 2桁数ありますが、いずれも劇場公開で稼ぐ目的というより、製作者の主張やアートを狙いとした映画であり、興行的価値はほとんど見込めない作品です。華語新聞には興行収入がどれもRM 10万にも満たなかったと書かれています。

Intraasia はこの”大日子 Woohoo ” を早く見たいと思ったのですが、シネマへ行くといつも空き席が少なく、ようやく2月の旧正月直前になって観ました。このため人気の良さを観る前から知りました。そして観終わって思いました、ごく少ないマレーシア華人の商業映画の中で、この”大日子 Woohoo ”はベストと言えるのではないだろうか。ロケ地の選択とテーマの良さに加えて、監督は上手に映画をまとめているなと思いました。そしてマレーシア的華語とマレーシア的広東語の台詞がとりわけマレーシア華人界らしさを現しています。こういった長所が、主演者の中で 1人を除いていずれも映画出演初めてという素人演技をカバーして余りあるものにしていると感じました。

”大日子 Woohoo ” は観客の入りが良いため、旧正月時期に入っても特定のシネマで公開を続行しています。華語新聞によれば、”大日子 Woohoo ” の旧正月直前までの興行収入はRM 370万に達しました。これはマレーシア華人界製作の中文映画の中でダントツの歴代第1位の成績となります。これまで 収入RM 100万を超えた華人界製作の中文映画はないとのことです。 追記:旧正月時期が終わって”大日子 Woohoo ” の興行総収入はRM 400万を超えたとのことです。

読者の皆さんには”大日子 Woohoo ” をご覧になる機会が無いのが残念です。次に掲げる URL をクリックしていただくと、YouTube で紹介ビデオ、Music Playerでテーマ音楽が聴けますよ: www.woohoo.my /

中国正月という呼称を変えた、外国発のニュースに思う


現象、できごと、行為などをどう呼ぶかは、結構重要なことであり、時にはある呼称に対して不満や反発を持つ人たちもでてきます。

今日の華語新聞を読んでいたら、米国ではこれまでの英文呼称 Chinese New Year  (華語呼称 中国年)を、2009年のオバマ政権誕生以後 英文呼称 Asian Lunar New Year (華語呼称 亜裔農暦新年)に改称したという記事に目が止まりました。 これは、世界少なからずの国で旧正月が祝われる中、米国では華人・中華民族以外にとりわけ韓国からの移民とその子孫、ベトナムからの移民とその子孫が旧正月を祝っています。 旧正月を Chinese New Year  (華語呼称 中国年)と呼ぶことに、韓国移民が取り分け強く反発していたとのことです。 そのため 旧暦正月を祝う移民族間の交渉によって、Asian Lunar New Year (華語呼称 亜裔農暦新年)と呼び始めるようになったとのことです。 そして最終的に米国政府の公的な旧正月呼称の変更につながった、という外電報道を紹介する記事です。

Intraasia は以前は 中国正月 という呼称を当サイトでも使っていましたが、近年 旧正月 という呼称に変えました。そこでこの記事に同感を覚えた次第です。マレーシアでは旧正月を祝うのは確かに華人界ですから、マレーシア語の呼称も Tahun Baru Cina 、タウンバルチナと発音、となっています。なお Cina であって決してChina ではありませんよ。 マレーシア語で "China" を使う場合は ”中国” を指します。Negara China 中国(という国) というようにです。 

韓国人子孫もベトナム人子孫もマレーシアを構成する民族ではないので、確かにほとんどのマレーシア人の間で Tahun Baru Cina、 Chinese New Year は違和感なく捉えられていると思います。 ですから、マレーシアも 中国正月という現呼称を変えるべきだなどと、主張するつもりはありません。ただ Intraasia は個人的にもっと中立的な呼称である 農暦新年を使いたいのですが、この用語は日本人にはほぼ馴染みないので、旧正月とわかりやすく使っている次第です。

その意味で Asian Lunar New Year (華語呼称 亜裔農暦新年) という呼称は優れた呼称だと思います。 日本語に直せば、「アジア人末裔の太陰暦新年」 とでもなるでしょう。
(この一文は最初ゲストブックに書きました)



公益事業体の公共料金請求が巻き起こすトラブルは避けられない


公益事業に関わるトラブルは実によく起こっている

マレーシア生活においていわゆる公益事業の公共料金に関するトラブルは避けられない、と言っても過言ではないでしょう。 これは、Intraasia の長いマレーシア生活を通じて、マスコミに現われる実に数多くの公共料金機関に対する苦情・不満を読んできたことと、自ら体験したいくつものトラブルから、かなり断定的に言えることです。公共料金に関するトラブルが Intraasia 自身に発生した回数は、大雑把に10回ぐらいかな、ざっと2年に1回ぐらいの割合でしょう。 トラブルがふりかかってきた公益事業体は電話、インターネット接続、電気、水道、です。このうち一番対応が遅く、不誠実な公益事業体は電話事業とインターネット接続事業ですね。

Intraasia は全てのトラブルを自分1人で交渉し、時には要望書(もちろんマレーシア語)を書いて担当部署に提出してきました。さらに知人の通訳を兼ねて付き添って公益事業体へ行ったことも複数回あります。皮肉な見方をすれば、この経験がマレーシアの公益事業体の体質を具体的に知るのに多いに役立ったと言えます。

料金請求トラブルの最たるものはTelekom Malaysia

マレーシアにおける電話事業は Telekom Malaysia がほぼ独占しています。 2000年前後からものすごく普及してきた携帯電話事業でも主要3社の1社を Telekom Malaysia グループの 1社が占めています。インターネットプロバイダー事業では、1990年代半ば頃からの創成期以来ほぼTelekom Malaysia が独占的にシェアを占めてきました。インターネット接続事業はTelekom Malaysia 系列会社、その後子会社化され最後には事業部門化されましたが、経営はTelekom Malaysia グループであるという実態は同じです。

電話の問題、それはすべからく使ってもいない料金が請求されることです。 90年代に数回、2000年代に入っても2回ぐらい起こりました。ロシア宛の電話など国際電話の多額料金請求から、国内長距離電話番号への通話など、身に覚えのない通話に基づく料金請求にはその都度驚き憤慨しました。それ以上に腹が立つのは、Telekom Malaysia の対応ですね。 具体的には、電話局つまりサービスセンターへ足を運んで、窓口で苦情兼請求書修正要求を出します。しかし係りのごく事務的態度と、調査するのでそれまでお待ちください、という簡単な対応に何回がっかりし、腹が立ったことかです。 調査するという言葉があってから返答は早くて数ヶ月後、長いときはなんと1年近くもかかったのです。あまりにも返答が遅いので再三再四と足を運ばずにはいられません。とにかくTelekom Malaysia の対応と調査には、不誠実、非迅速、不正確 という評価を与えておきます。

電話やメールで事が片付くことはまずない

トラブルに見舞われたからといって、電話や電子メールで事が片付くなんてことはまずありません。第一、問題が発生したからとお客様係りに電話しても、担当者につなげる、つながること自体が一苦労です。さらには全くつながらないこともあり、どこどこの営業所へ行って苦情届けを出してくださいと言われるのが落ちです。要するに、まずその公共事業体の支店か営業所へ行かねばなりません。しかもこの種の苦情を受け付ける支社・支店が特定されている事業体もあり、どの支店・営業所でもいいということには必ずしもなりません。

公共事業体の支店・営業所へ行くことからして手間と暇のかかる面倒ごとです。自家用車を持たない Intraasia はバスと電車を乗り継いで且つ徒歩でそこを訪れるわけです。クアラルンプールの地理とバス網に極めて通じている Intraasia でも、(近所の営業所では扱わないため)目的の事業体支社に到達するまでに軽く 1時間ぐらいはかかるし、時には2時間近くかかることも珍しくありません。 もしタクシーで行けば、余分な出費が増えるだけです。

手間暇かかる管轄の支社・営業所への訪問

こうして公共事業体の窓口で、間違い請求を指摘し、訂正を要求することになります。通常は備え付け用紙に必要事項を記入して提出し間違い請求書を見せます。電話代とインターネット接続代の間違い請求は一度たりともその場で訂正または取り消しの返事をもらったことがありません。 全ては「担当部署に回して調査します。」なのです。 こういう場で怒ってはいけません、担当者には低姿勢で訴え困っているということを強調すべきだと、何回かの交渉経験を経て体得しました。とにかく窓口女性では通常らちがあきませんので、できるだけスーパーバイザー的な職位にある上司に会わせてくれるように頼みます。その願いを聞いてくれる場合もあるし、聞いてくれない場合もありました。

インターネット接続時間の過剰請求に懲りて、プリペード式に変更した

電話事業体とインターネット接続事業は Telekom Malaysia ですから、基本的にこの会社の体質は同じです。いくら「そんな電話番号へは全くかけてない」、「そんなに多数時間インターネット接続をしていない」 と訴えても、「担当部署に回して調査します。」なのですから、あきれ憤慨し失望感を覚えます。 インターネット接続の過剰接続時間請求に関しては、Intraasia は半年間ぐらい訂正を要求し続け且つ料金は毎月の定額しか払いませんでした。最終的に過剰請求額の1割ほどを払えとなりました。いくらだったかは忘れましたが、このまま膠着状態を続けてもTelekom側はもう態度を変えないとわかったので、泣く泣くその1割分、数十リンギットかな、を払って幕引きとしました。

この腹立たしい2回目の身に覚えなのない多数時間接続料金を請求されたことから、Intraasia はインターネットダイアル接続において、それまで利用していた一定時間数まで定額である月額料金式契約を止めて、2000年代初期からは Telekomのダイアルアッププリペード方式に変更しました。こまめにプリペードカードを買う手間があったのですが、多額の身に覚えのない接続請求がもう来ないという安心感を得ました。なお 2007年後半からは現在の 月60時間接続で定額料金のADSL接続に切り替えました(60時間を越えれば追加払いが必要)。ADSL 契約に替えてからは、過剰請求は起こっていません。

電話の身に覚えのない通話代請求に対しては最後の手段を取った

電話においては、一昨年に何度目かの”身に覚えのない番号宛てに通話した”多額請求されたため(もちろんその分は払わずに訂正要求した)、1年ほど前から市外通話できない機能に変更しました。つまり利用者からの要求に基づき電話局側が設定することによって、我が家の固定電話からは市外通話はできません。これならもう身におぼえのない長距離電話をかけたなどと請求されることはありません。尚国際電話ができない機能処置にもその少し前からしてあります、これも電話局側の設定です。 カード番号をあらかじめ入力するため多少面倒ですが、いわゆるコールカード(インターネットプロトコル電話をするためのプリペードカード)を使用することで、市外通話と国際電話はちゃんとできます。それも固定電話の規定通話料金よりも安価になるため、Intraasia はずっと以前からコールカードを使っています。加えて携帯電話を使えば市外通話と国際通話は当然できますから、特に不利益は感じませんね。

携帯は最初からプリペード方式

携帯電話はTelekom グループではなくMaxis のサービスを利用していますが、過剰請求や”身に覚えのない番号宛て通話した”請求を防ぐために、最初からプリペード式にしています。 なおマレーシアでは携帯電話の個人利用者の8割から9割近くはプリペード利用者です。

参考:マレーシアの携帯電話利用者総数は(重複を含めて) 2009年末時点で3030万人です、これは人口に対する携帯電話普及率は106%になります。マレーシアコミュニケーションとマルチメディア委員会の発表によれば、プリペード利用者が 2400万人、後払い登録利用者が620万人となります。


アパート管理会社の水道メーター誤検針

我が住居はアパートのため、水道はアパート管理会社が管理しています。そこで各住居ユニットに取り付けてあるメーターは上水道供給会社ではなく、管理会社の係りが毎月読んで、その後水道代請求書を各住民の郵便箱に入れておく方式です。 その請求書の金額を管理会社の窓口で払います。水道メーター読み取りミスは我がアパートに関する限りあまりなかったのですが、去年のことです、かなり過大に読んだ数字で請求書が届きました。 そこで早速管理会社の窓口へ行って請求書の数字訂正を要求したら、修正はできない、来月メーター読み時に使用量がごく少なくなるので気にしないで、などという身勝手な返事が帰ってきました。Intraasia はほとんどの月が最低使用料金なので、来月時に調整してもちゃらにはなりません。最低使用料金 X 2ヶ月 はこの過剰読みメーター数字の料金より幾分少なくなるからです。 ここにもある、一事が万事 ”tak apa 我知ったことにあらず” 思考です。

電気メーターの誤検針数字に驚いた

2月最終週のことです。電気使用メーターは電力会社TNB の検針員が毎月読んで、その場で請求書を発行してドアに挟んで行きます。電力使用メーターはアパートのどの住居も外扉の内側に取り付けてあるので、係員に読みにくい場所になります。そこで5桁数字の下2桁の間違い読みはこれまで頻繁にありましたし、今後も必ずあるでしょう。十数キロワット時程度の読み間違いであれば、翌月の読み取りで調整されることになり、とりたてて気にしてきませんでした。しかし今回の2月のメーター検針では下3桁の百の位の数字が間違い読み取りされていました。 つまり メーター実表示の720キロワット時が 920キロワット時と請求書に記入されています。これは見逃せない200キロワット時も上乗せされた誤読であり、実使用量と合計すると、使用量が200キロワット時を超えてしまいます。下の計算式でお分かりのように、単価計算が上がって2月分料金は RM 100近くにもなってしまいます。 Intraasiaの電気代は通常 月RM 30前後なのにです。 

電気代: 家庭用月間料金計算法 使用量によって単位金額が違う。
  月間使用量が 400KWH までの場合

  月間使用量が 400 KWH を超える場合


電力会社のお客様係り電話は応答しないので、近所の営業所へ行った

そこで早速TNBの請求書裏側に書かれている問い合わせ電話番号にかけたのですが、何回電話しても誰も出ません。まだ4時過ぎですから営業時間のはずです。官庁や公益企業体のこの種の顧客サービス電話の実態は、これまでの長い体験からこんなものだと知っているので、あきらめました。そこで閉店までもう時間がないので、地元にある、TNBの料金支払いが主体の営業所へ急いで行きました。 窓口で開口一番、請求書の読み取り間違いなので、どうすればいいと聞きました(もちろんマレーシア語で)。窓口女性はここでは扱わないので、地区の支店へ行きなさいと、答えただけそれ以上は対応してくれません。もう1人の男性に再度読み取り訂正の手続を尋ねたら、同じように支店へ行けと、具体的な場所を教えてくれました。

Tun Razak 通りと カンポンバルに接する (Raja Muda Abdul Aziz) 通りが交差する場所に建つビルに TNB 支店があるということです。 その辺りの場所はこれまでにバスや車で数多く通っているので、そのビルの存在も知っています(徒歩数分の距離である、斜め目対面には国立図書館があります)。ただ電力会社TNB が入居しているとは知りませんでした。 その日はもう夕方なので、翌日の昼前に行きました。その地は高架電車路線からは全く外れているし、決してバス便の便利な場所ではないことを知っています。しかしタクシーを使えば費用が高くつくだけなので、バス1本で行けるルートを考え、そのバス停までとことこと歩いたわけです。

電力会社の支店でメーター誤読数字を訂正してもらい、料金を支払った

TNB支店に着いて、番号札を取り待ちました。すぐ番号が呼ばれて、窓口で請求書を見せながら、メーター数字読み取り間違いを訴えました。窓口女性はメーターの本来の数字はいくつだと尋ねてきたので、 「920ではなく 720 である」 と答えました。それならわかった、と彼女は窓口の奥へしばらく消えました。私は訂正してくれるのだろうか、と不安に思いながら待っていると、まもなく彼女は席に戻ってきて、新しくA4版の 2月分の請求書を印刷して、それを私に手渡しました。確かに2月の読み取り数字が 正しい価に訂正されています。じゃあ、これで訂正手続は終わったのかという問いに、そうだと彼女は答えました。ごく素早いそしてあっけない訂正手続完了にほっとしました。料金は隣の窓口で払えということで、早速 RM 32を払いました。 

電力メーター読み取り間違いはごく日常的に起こっているでしょうから、こうも簡単に訂正処理が終わったのかもしれません。 もし電力メータの正しい数値を読まずに窓口へ行っていたら、メーター検針係りの再訪問になってしまうはずで、それでは訂正がずっと先のことになることでしょう。

この種のトラブルはいずれ誰にでも降りかかってくるでしょう

今回の電力メーター誤検針はこれまでの公益企業体の間違い請求書事例の中で、最も簡単に片付いた1件でした。とはいうものの、被害者である消費者が数時間と労力を費やさなければならなかったわけです。 ところでマレーシアの企業体ですから、もちろん誤検針に対するお詫びなどはあり得ませんし、Intraasia も最初からそれを期待していません。 まず最初に謝る、謝ることが期待されている文化・慣習を持つ日本のあり方は、世界でも少数派であることは間違いないでしょう。

ここで描写しました、公益事業体の公共料金請求にまつわるトラブルは、地域、住居形式に関係なく起こりえるものです。マレーシアに住む以上、これぐらいのことは遅かれ早かれ起こりえると承知しておきましょう。



官界も業界もマレーシア手工芸品を売り込む工夫がもっと必要だ


はじめに

当サイトの巻頭ページの下段には、以前から 「マレーシア製品・産品の紹介」 という付録的な項目があります。 閲覧率は高くないでしょうから、ご覧になったことのない方は、とりあえずこの マレーシア製品・産品の紹介 をクリックしてざっとご覧になってください。 
マレーシア手工芸品と製品 −マレーシアの会社が製造・発売− というページ名下の各項目では Intraasia がマレーシア手工芸品展示会を訪れて写した、たくさんの写真を掲載しています。

マレーシア手工芸品展示会 Festival Kraf は Hari Kraf kebangsaan つまり国民(または国家)手工芸品の日を記念して、毎年2月から4月にかけて10日間ほどクアラルンプールの Kompleks Kraf (手工芸品センター)で開催されます。会場は常にそこに固定されており、年によって開催時期は前後しますが、今年2010年は2月24日から3月8日まで開催されました。Intraasia はこの時期マレーシアを留守にしない限り、毎年、多分もう 6,7年ぐらいは、この催しに行っています。 そのため手工芸品展示会 Festival Kraf の変化がよくわかります。
こういう説明をしてから以下の本論に入ります。

マレーシア手工芸品展示会 は公的施設での官主導の展示会

この展示会の主催は文化を管轄する省とマレーシア手工芸品発展公社であり、会場は国の予算で建てたつまり公的施設である Komleks Kraf ということから、 政府機構に属する官が司る展示会といえるでしょう。開催期間は当初は1週間ぐらいの日程でしたが、今年などは実に 2週間に設定されていました。 出展している手工芸品業者の多くはサバ州、サラワク州、半島部東海岸州など遠方からやって来てブースを開いているため、2週間の長丁場は人員の宿泊費用などが軽視できない額になることでしょう。なぜこんな感想を持つかといえば、週末はよく知りませんが平日は決して入りのよい展示会ではないことを、経験的に知っているからです。

各地のショッピングセンターの店舗やブース、観光地の店ではマレーシア製手工芸品を販売していますが、その扱い品目と種類はごく限られています。なおクアラルンプールのセントラルマーケットのテナントはマレーシア手工芸品よりも他国製品をずっと多く販売していますね。 マレーシア手工芸品発展公社は各地のショッピングセンター内で年間いくつかの小型の展示会を開催していますが、クアラルンプールのKompleks Kraf で開催する年1回の全国展示会とは比較できないくらいの小規模のようです。

ということから、Kompleks Kraf で開催される Hari Kraf Kebangsaan を記念した マレーシア手工芸品展示会は、マレーシア製手工芸品を広く見学する、品選びをする点で最良の展示会です。会場が公的な施設であるだけでなく、展示会に公的な予算もついていることから、マレー芸能を中心としたイベントも会期中毎日数回行われ、この数年は会場とクアラルンプール中心部にある複数の地点間で訪問者を無料送迎するバンも運行されています。例えば Bukit Bintang -Kompleks Kraf,  KLCC - Komleks keraf など。 

一般市民及び外国人旅行者の訪問者数が今一つ不足

このような利点にも関わらず、いま一つ不足していることは、訪問者の数です。開催期間が学校休み期間中に重なるとたくさんの生徒の姿を見かけます、若い世代にマレーシア手工芸品を紹介し、後世代を育てる芽にもなるということからそれはそれで結構なことです。ただマレーシア製品の販売という観点からは大して貢献はしてないことは間違いありません。

全国各地から手工芸品製作業者を呼んで、10日間から2週間にも渡ってクアラルンプールに滞在させる、Kompleks Kraf の敷地内に特設展示場を何棟も架設する、イベント用にマレーシア民族音楽グループを毎日出場させる、といったようにかなりの予算をかけていることがわかります。であるからこそ、せっかくの年1回の大展示会をマレーシア国民の興味ある人たちだけの訪問で終わらせるのはいかにももったいない、とIntraasia  は毎回感じてきました。 展示会場では時々外国人旅行者または在住者を見かけます。まさに時々であり、けっしてあちこちに目立つほどではありません。平日の日中を見る限り、上記で触れた無料バンの利用者が少ないことは、一般市民や外国人旅行者の間におけるこの展示会そのものの関心度の低さまたはよく知られていないことを反映したものだと、思わざるをえません。

普段から訪問者が多くないKompleks Kraf

手工芸品センターKompleks Kraf は普段から訪問者が多いとはとても言えないでしょう。その理由を推測すれば:
まず市内観光を催行するツアー業者がそのツアーコースからKompleks Kraf を外している場合が大多数だと思われることです。その一番の理由は、ツアー催行業者にとって観光客を Kompleks Kraf へ連れて行ってもコミッションが入らないことでしょう。クアラルンプール市内外の決して便利な場所ではない所とか意外な場所に、観光バスまたはバンで運んで行くツアーグループ専用の土産物店(複数地点)があることを Intraasiaは知っています。そういう店舗は観光バス・バンが到着した時だけ店を開き、店前に停車したバスから団体客が店に出入りする光景をよく見かけます。この種の店は、ほとんどが一般客を歓迎しないので、100%近いのではと思える団体ツアー客相手だけのビジネスをしていますね。 

ツアー業者や店舗ビジネス業者、つまり団体客相手の観光業者がこういうスタイルの観光ビジネスをしている限り、いくら手工芸品センターKompleks Kraf のような専門施設を設けても、団体ツアー客の大多数は訪れることがありません、というよりその存在さえ知ることなく終わってしまいます。

手工芸品センターKompleks Krafで見かける外国人観光客は、やはり欧米系の旅行者が多いように見えます。それは彼らの旅行スタイルが、観光バスで土産物屋に連れて行かれることが主流ではないことを反映したものでしょう。個人・カップル旅行者向けにクアラルンプール市内を周回している、ダブルデッカー車輛を使った KL Hop-On Hop-Off バスはKompleks Kraf をそのルートに含めています。車外から見る限りですが、その乗客層はやはり欧米系が多そうに見えます。 Kompleks Kraf へのその他訪問客を見ると自家用車を持っている地元の人や在住外国人が友人を連れてやってくる場合ですね。 Kompleks Krafの付近には電車・モノレール駅がなく、さらにバス停さえもないので、Intraasia のように徒歩で訪問する人はかなりの少数派といえるでしょう。

展示会成功に欠かせない3大要素

Kompleks Kraf は普段からこういう状況です。ですから 年1回のこの大展示会の場合でも、これまでほぼ毎年訪問してきた我が目からは、劇的に客層が変化することはないように思われます。 もちろん展示会ですから普段Kompleks Kraf を訪れない人たちがたくさん、さらに小中学校の生徒がグループとして訪問していることは確かです。それでも訪問者の民族構成を眺めるとマレー人が圧倒的に多いことがわかります。 これは他の官製展示会となんとなく傾向が似ていると感じるのです。

展示会を成功させるためには、展示品に魅力があること、場所が訪問者にできるだけ便利であること、そして適切なマーケティングが3大重要要素といえます。この点で、毎年あまり替り映えのしない展示品は、初訪問者にはいいかもしれませんが、リピーターにはいささか魅力に欠ける要因と映ります。これはマーケティングにも結びつくことです。

開催場所が、公共交通利用面での不便さはマイナスといえますが、 マレーシア手工芸品の本丸といえるKompleks Krafであることは、当然の選択でしょう。 クアラルンプールの有名展示会場を利用したほうが訪問者の数は増えるかもしれませんが、この Komleks Kraf を売り込むことにはつながりません。手工芸品センターKompleks Kraf は数年前にその敷地内に増築して、今では展示販売場、芸能ホール、画家の小屋、手工芸の小屋、博物館、研究棟、事務棟、食堂を備えた総合施設になりました。 

マーケティングが不充分で毎年同じような品が多すぎる

3大要素中の最後であるマーケティングに関して言えば、何よりもこの展示会に欠けるのは、このマーケッティングの不充分さと不適切さです。それを示す1つの証拠に、毎回訪れていてもバイヤーらしき姿をほとんどみかけないのです。 展示会は個人客の少々購買だけでは成功とはいえません、やはりバイヤーをいかに多く引き付けるかが大切でしょう。マレーシア家具業界が開催する年1回の国際大展示会では世界中から 4桁人数のバイヤーが訪れるそうです。手工芸品という分野からいってそこまで至ることは到底不可能ですが、それにしても多少でもいいからバイヤーの姿が目につくくらいになるように、この展示会の存在を多くの国の手工芸品販売会社・業者に知らせる工夫が必要だと、Intraasia は強く思います。

マレーシアの手工芸品はインドネシアのバリ島のような、人々の興味と関心がすでに確固としてある市場ではありません。現実として、例えば日本の海外手工芸品・民芸品を扱う店が、どの程度マレーシア手芸品を仕入れ対象にしているのだろう? 仕入れや品揃え優先順位でいけば、マレーシア手工芸品は東南アジア諸国中では下位にあるのではないだろうか?

手工芸品展示会を外国の人たちにより知らしめるためには、宣伝方法とマーケティングの工夫だけでなく、展示品の品揃えをもう少し他国人の興味を抱かせるデザインにする、そして非伝統品の開発も多いに必要ですね。 例えば、陶器、磁器といった焼き物手工芸品業者の出展が毎年何ブースもあるのですが、そこに並べてある品々の単調なデザインと水壷類が多すぎることにいつも気づきます。 水壷はいわば民族伝統手工芸品とも言え、もっぱらマレー人以外には興味を抱かせるのは難しそうです。こういう販売対象の狭い品々を多くの業者が製作展示しすぎであると、毎回訪れてきたIntraasia の目には感じられるのです。 


年1回全国各地から製作業者をKomleks Kraf に呼んで2週間にも渡って開催するマレーシア手工芸品展示会 は、これまでと同じあり方では、興味ある一部のマレーシア人が主体の展示会という枠を超えられそうにありません。マレーシアを応援する Intraasia としては、この展示会を主催する官の機関が民間の協力をより得ることでマーケティング手法を変え、手工芸品業者・団体は外の市場にもっとアピールする品を開発していく努力をして欲しいと願っています。 



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