「今週のマレーシア」 2009年11月と12月分のトピックス


・ AirAsiaはなぜ未だに日本路線を開設していないのか? 日本の空港当局と旅行業界はもっと熱心にAirAsiaを誘致しようではないか!
人気コミック雑誌 Gempakグループが主催した展示会イベントの模様 -前編    その後編
地球温暖化の中で、マレーシアの場合   ・それでもパームオイル産業はマレーシア経済に欠かせない
Intraasia の雑文集 −2009年下半期分  ・クアラルンプールのSegambut Dalam はMont Kiaraに隣接している



AirAsiaはなぜ未だに日本路線を開設していないのか? 日本の空港当局と旅行業界はもっと熱心にAirAsiaを誘致しようではないか!


AirAsia は既に東南アジア圏だけの格安航空会社ではない

マレーシアの格安航空会社である AirAsia グループは運賃の安さとインターネットを通した明確な価格付けスタイルによって大成功し且つ成長を続けており、すでに東南アジア圏だけでなく、今や英国、オーストラリア、中国、インドなどへも毎日数多くのフライトを飛ばしています。日本では航空ファンかまたは東南アジアで実際に利用された方を除いて、ほとんどその名前は知られていないことでしょう、ましてそのビジネススタイルとコンセプトはまず理解されていないと思います。

そこでまず現況を書いておきます。AirAsia (AirAsia Xを含めて)の本拠地クアラルンプール国際空港発着の便が飛行する都市名を国別にあげてみます(都市名はAirAsia の表記に基づきます)。
東南アジア路線
国名インドネシアタイベトナムカンボジアラオスフィリピンブルネイシンガポール
都市名ジャカルタバンコクハノイプノンペンビエンチャンクラークブルネイシンガポール
バリチェンマイホーチミンシティシエムリアップ



メダンプーケット





ジョグジャカルタクラビ





マカッサル






メナド






他にも7都市








東南アジア以外の路線
国名中国台湾スリランカバングラデシュインドアラブ首長国英国オーストラリア
都市名香港台北コロンボダッカコルカッタアブダビロンドンブリスベイン
マカオ


Kochi

メルボルン
杭州


Tiruchirapalli

パース
広州


Tribandrum



深セン







桂林







天津







成都







海口









以上は最多の路線数及び便数となる、KLIA(空港)を発着する国際便だけに絞りました。他にも路線数と便数はぐっと落ちるものの、ペナン、バンコク、シンガポール、ジャカルタなどを起点に AirAsia は国際便をそれぞれ飛ばしています。

どのくらいの低価格でこうした都市まで/から飛行できるかは、皆さんご自身で AirAsia のサイトで是非確認してください。 
www.airasia.com を開いて、まずマレーシアを選び、次に選択言語では英語をお選びになるのがわかりやすいでしょう。もちろんメニューにある他の国、他の言語を選択されても構いませんよ。 発着希望の都市名を選択し、未来の日付を選びます。あとは指示に従って途中まで進めば、切符代(必要な支払い総額)が表示されます。その下には通貨換算欄も表示されています。そこで進むことを止めれば、個人情報は全く入力する必要はありません。 行き先と日付を変えて何回かお試しください。

たった1機で発足した AirAsia は驚異的な成長を成し遂げた

2002年1月にたった1機の中古飛行機で運行を開始した AirAsia は矢継ぎ早に驚くべき低運賃実施と積極的な新ルート開拓を続けました。その後タイ次いでインドネシに現地資本との合弁で子会社航空会社を設立、さらに長距離専門のAirAsia Xを加えたアジアで最大の格安航空グループとなっています。その地位が揺るぐことはまずないでしょう。Intraasia はAirAsia 発足時にそのビジネススタイルに多いに興味を持ったことから最も早期からの AirAsia 観察者であり応援者であり、加えて時々利用する乗客の1人でもあります。

2009年7月14日の新聞の記事から
AirAsia は 2007年12月にAirbus 社の A320-200型を175機発注しました。注文機の配達は順次2014年まで行われます。2010年と2011年はそれぞれ24機づつの配達予定です。 AitAsiaの経営最高責任者は、このA320-200型の2010年配達分中、8機を後送りする計画だ、2011年も同様にするかもしれないと、明らかにしました。「来年は所有機を全て 320型にすることにします。リースしているB737型をリース元に返却します。」 2009年分の14機中5機はすでに受け取りました。

2009年6月時点でAirAsia が所有するA320型は61機であり、その内タイAirAsia とインドネシアAirAsia が使用している分は13機です。 加えてB737型を16機使用しています。


日本路線の開設希望は早々と表明されていた

さてAirAsia はそのグループ会社として長距離専門の格安航空を発足させてまず英国、オアーストラリアに続いて日本へのフライトを開始したいとすでに2007年ごろに明らかにしました。その当時の報道では、2008年終わりごろまでには日本便の運行が始まるかのような調子でした。確かに大体発表された声明通りに、英国とオーストラリアへの路線は開設されました。続いて中国の複数都市、マカオ、香港、台湾などの路線が開設されました。その後2008年になると、日本路線の就航は2009年末までには始まるでしょう、などとも報道されました。そうこうしている内に、南アジアのスリランカ、インド、バングラデシュへの路線も運行開始となり、さらに飛行していく中国の都市数が益々増えています。ごく最近はアブダビへの路線も開始発表され、まもなく実際に飛行が始まります。

それなのに、強調します、それなのに依然として日本路線への就航開始は具体的に発表されていません。相当早い時期に日本への路線を開設したいという希望が表明されていたにも関わらず、他国への路線がどんどん増えていく中、未だに AirAsia グループの飛行機は日本へ飛んでいく具体的な予定がなさそうです。一体何が障害となっているのでしょうか?

考えられる障害:

以上思いつく 4つの障害をあげてみました。他にもあるのだろうか?

日本の地方空港はそこを利用する航空会社の便数の少なさから、AirAsia であれどこの国の航空会社であれ、飛来して欲しいと願っているに違いありません。しかし現実として、例えば茨城空港や岡山空港では乗り換え便のなさと東京または大阪までの遠さから乗客に不便感を与え、結果として乗客数の伸びに支障をきたすという心配を外国の航空会社側に生むことでしょう。このため東京または大阪から中途半端に離れた都市の空港への路線開設にはAirAsia 側は二の足を踏むことは間違いないでしょう。

以前当サイトで実施した読者からのアンケート

「読者の皆さんからの声として、最もお勧めであるAirAsia の発着空港を投票の形で選んでみようと思いつきました。お1人につき一箇所を選んでください。発着利用料の高い成田空港、関西空港に就航する可能性はまずありませんので、選択項目に入れてありません。」 という方式で、 FC2の無料投票レンタルを利用して、「AirAsia-X の日本での発着空港はどこが最適でしょうか?」 というアンケートを 2008年の7月から8月にかけて行いました。覚えていらっしゃる方もいらっしゃることでしょう。投票数 149人の結果をここに引用しておきましょう。

首都圏の羽田空港と関西の神戸空港がダントツに多かったという結果です。でも地方の空港もそれなりに票を集めましたね。  


来年日本とマレーシア間の総座席枠が減ってしまうというニュース

日本から伝わるニュース(外電報道)によれば、日本航空の経営状況は益々悪化しており、政府の管理下に再建する計画とのことですね。日本航空の赤字はもう何年も続いており、その累積赤字額は巨額の一言に尽きるようです。 私はこれまで日本航空に一度も乗ったことがないので、なぜそんな状態に陥ったのか、実感としてはわかりませんが、いわゆる国の看板を背負ったナショナル航空会社の悪い面がこういうあきれたしかも再生不能に近い状態を生み出したことでしょう。

日本航空に関するニュースの中に、2010年半ばに関西空港 −クアラルンプール路線を廃止するというのを見て、がっかりしました。ずっと以前マレーシア航空はクアラルンプールとの間に名古屋路線や九州路線も飛ばしていましたが、当時の経営陣のずさん経営などもあってマレーシア航空本体が巨額な赤字に陥ったことでそういった路線は廃止されてしまいました。マレーシア航空が再生した2年ほど前からの成田と関西空港の2空港に限る日本路線は今後も変わることはなさそうです。全日空はとっくの前にマレーシア航空とのコードシェアリングまたは共同運航に乗り変えてしまい、独自の便をマレーシアに飛ばしていません。

日本経由で米国系航空会社はシンガポールまたはバンコクに複数便を就航させていますが、マレーシアには全く便を持っていません。これまでごくごく短期間を除いて、米国系航空会社がまったく就航していないマレーシアですから、今後もその可能性はなさそうです。

ということで、来年中頃以降は、関西空港路線がマレーシア航空のみになってしまいます。クアラルンプール-成田路線だけになる日本航空がその便数を減らす可能性はあっても増やす可能性はなさそうです。ということは、日本とマレーシア間の総座席枠が減る、つまり日本人のマレーシア訪問が減ることにつながる可能性が非常に高いということです。これはマレーシア観光当局だけでなく、マレーシア応援者として由々しき事態です。

だからこそ、格安航空 AirAsia の日本路線開設がいっそう切望されるわけです。もう普通の航空会社のありきたりのコスト削減法では日本とマレーシア間で成田以外の路線の黒字化は無理ではないでしょうか。 その意味でもAirAsia の路線開設が切望されるわけです。

追記 (11月19日記)

読者のチョコレートさんからメールが届きました。「羽田空港からマレーシアに定期便 − 2010年の国際線枠拡大で、だいたい1便/day だそうです。JAL は余裕なくて、MAS 側だけになるのでは・・」と推測も付け加えられています。 2010年に羽田空港が国際線を増やすというニュースは少し前に読みました、それにマレーシア路線も含まれているわけですね、それは結構なことです。ただマレーシア航空はその替わりに成田空港からの便を減らすことになるのではないだろうかとも思います。
いずれにしろ西日本からマレーシアに乗り換えなく飛行するフライトが減ってしまうのは残念なことです。 羽田空港路線開設があろうとも、通常航空会社ではない AirAsia の路線開設が待たれるところです。

日本人乗客は、格安航空とは低コスト航空であることを知らなければならない

圧倒的大多数の日本人乗客はAirAsia流の格安航空会社のビジネススタイルを知らないはずです。AirAsiaは低コスト航空会社と自称しているように、低コストだから格安にできるのです。 低コストは何もおんぼろの飛行機を使い、サービスゼロで不確かな運行スケジュールなんてことではありません。それでは21世紀の現在の厳しい航空会社間の競争に生き残れないでしょう。 AirAsia 機は運行開始後直後は別にして、その後は大多数が新型機、現在は全機に近いくらいの率だそうです、サービスは過剰でも過少でもない。運行スケジュールは他の航空会社に比べて特に悪いわけではないと、いつも公言し、ホームページで公表しています。

日本人乗客は至れり尽くせりのサービスを求める思考を改めるべきですね。格安航空である限り、必要最小限のサービスを提供すればよい、それ以外のサービスは全て有料というあり方を受け入れるべきです。  AirAsia の現行サービスのあり方は低コスト化に多いに貢献しているはずです。バスと同じで座席に座って目的地に安全に着く、それが必要最低限の条件ですね。飲料水であれ、ジュースであれ、ビールであれ、新聞であれ、座席位置であれ、その他全ては必要最低限の範疇から外れます。そういうサービスが欲しい人は金を払えばよい、この思想に尽きます。

ずっと昔から、飛行機内でビールをもらって飲んだり、20kgもの荷物を超過料金なく預ける乗客の姿を見てきて、 アルコール類は一切飲まず、荷物を預けたことは数えるほどの回数しかなく且つカバンの重さを含めて機内持ち込み荷物が10kgを超えることの全くない私はいつも不平等感を感じていました。 食事などいらないのでその分割り引いて欲しいと思っていました。そういう徹底した節約旅行者の私に、AirAsia のビジネス思想に多いに共感を感じてきました。 日本人乗客一般は、この種の非常なる格安を達成するために、徹底したコスト削減をする航空会社にお目にかかったことがないので、AirAsia ビジネスに不満をいだくかもしれません。現にマレーシアでも当初はこの種の不満がたくさんあった様子は報道からもわかります。しかし次第に低コストは格安につながる意味が理解されてきたのです。

格安航空としての基本原則

  1. 飛行機はまず安全に飛ぶこと、これは至上命令です。
  2. 次いで運行スケジュールにできるだけ正確であること。
  3. 十分快適である必要はなく適度に快適飛行であればよい。
  4. 乗客へのあらゆる種のサービスはそれが欲しい人だけに有料で提供する。
  5. 乗務員と地上係員に日本的な懇切丁寧、気配り十分な応対を期待しない、求めない。


空港も低コストでなければならない

飛行機と飛行だけにコスト削減を要求するのは片手落ちです。利用する空港も低コストでないといけません、航空会社はその費用を運賃に上乗せするからです。完全冷暖房完備で贅沢ともいえる内装や高級ホテルのロビー並の広い待合室、高級感あるトイレ、様々な免税店、待合室から直接飛行機に乗れるエアブリッジの使用、といった通常航空会社の利用と同じ条件を、低コストである格安航空会社に求めることはナンセンスですね。

その種の贅沢な空港はその使用料を着陸料とか空港利用料という形で当然利用航空会社に振りますし、乗客は高い空港利用税を払うことになりますよね、つまり贅沢な空港の費用は究極的には乗客が負担することになるわけです。 だからこそAirsia はその種のコストを逃れるために、低コスト航空会社専用ターミナルを要求し、それを利用し続けてきました。 AirAsia がKLIA空港のメインターミナルから移ることでオープンした当時の KLIA 低コスト航空専用ターミナル(LCCターミナル)の状況は、地方都市の空港程度の施設と広さでした。そこへ一挙に数万人にもの利用者が押しかけたため、混雑で施設不十分との不満が充満していました。しかし振り返ってみれば、あのように不充分なターミナルであっても、格安航空の乗客は減らずに増え続けてきたという事実です。 格安価格はまさにトランプのジョーカーなのです。

日本の航空・空港当局はかなりの贅沢さを備え快適性とサービス万点さを追及することで、必然的に空港のコストを上げているのではないでしょうか? もちろん、その背景には空港は多いに快適で十分なるサービスを提供し、贅沢さえも感じる必要があると考える、日本人乗客の無言と有言の要求があるからでしょう。日本人乗客と空港当局は低コスト化のためには何をあきらめなければならないのか、 格安航空とはどんな航空会社か、を知るべき時にきていると、Intraasia  は考えます。

日本人乗客に求められること

日本ではインターネットを通じた取引は既にごく一般化しており、多くの方が利用されていると聞いています。そういう下地があれば、 AirAsia の特徴で且つ利点であるインターネット予約購買が抵抗感なく受け入れられるはずです。ですから、この面での心配はありませんね。 要は日本人乗客がAirAsia 流の低コスト航空ビジネスをまず受け入れることです、そうなれば AirAsia が一度日本路線を開設すれば、その路線は間違いなく人気を呼んで成功することでしょう。

AirAsia をもっと熱心に誘致しよう

通常航空会社の日本航空やマレーシア航空などがいくらコスト削減しても販売できない、全て込み片道切符代 RM 299 などという格安運賃を常時提供できるのは、低コスト航空会社の AirAsia だけなのです。  日本とマレーシア間の総座席枠が減ってしまうことが現実となった今、日本の航空・空港当局、旅行業界、そして東南アジア好き旅行者は、 AirAsia の日本路線開設をもっと熱心に要望しようではありませんか!



人気コミック雑誌 Gempakグループが主催した展示会イベントの模様 -前編


はじめに

マレーシアのコミック・マンガ界は発展しているようです。 これはアニメとマンガが東南アジアで広く大衆文化に入っていることとつながっていると捉えても間違いないでしょう。

当サイトでは当初から大衆文化について 「今週のマレーシア」で何回も書いてきました、さらに 「ファッションとヤング文化と趣味」 ページでもその題材の1つとして写真を中心に掲載しています。古くは 1999年に第162回から 5回に渡って連載した【マレーシアでの現代日本ヤング文化の人気と浸透度を探る 】があります。
日本コミックとアニメ編その代表の1つともいえるコミック・マンガに関しては、2003年に書いた第 350回 【マレーマンガ雑誌界の人気トップと言われるGempak 誌の編集部に聞く】 及び 351回 【続編 Gempak誌の姉妹誌”漫画王”の編集者兼漫画家に聞く】 で詳しく書きました。マレーシアのコミック・マンガ界のトップ出版社である Art Square Group 社を訪れて、編集者兼漫画家にインタービューして書いたコラムです。当時、マレーシアのコミック・マンガ界の現場で活躍している人たちに実際に細かなインタビューをして書いた、日本語のマレーシア情報では稀有な記事だと思っています。

最近我が家にファックスが入りました。見ると Art Square Group 社 が2年に1回主催するイベントである "100% Gempak STARZ 2009" への招待ファックスでした。 6年前に訪れたその会社から初めて受けたイベント招待であり、2003年に訪れて以来何の連絡もなかったので驚きました。ということで、早速参加する旨の電子メールを送り、会期3日間の内の11月21日と22日に、会場であるクアラルンプール ブキットビンタン街の有名なショッピングセンター Sungei Wang Plaza を訪れました。

今回と次回のコラムはその会場を訪れた模様とその場でインタビューしたことを基にしています。

いろんなプログラムを用意した、2年に1回開催する人気のイベント

Art Square Group 社がマレーシアメディア用に用意した小冊子には次のような一節が書かれています、 「この "100% Gempak STARZ 2009" イベントはグループが現在(定期的に)発行する出版物: Gempak, Utopia, 漫画王、小班長、Elemen, Go Go Class 、Popcorn が共同で催します。 またこのイベントのパートナーは衛星放送ASTRO のAnimax チャンネルです。このイベントは2年に1回開催され、それゆえにマレーシア全土のコミックファンと読者はイベントのいろんなプログラムに興奮しワクワクされることでしょう。」

「(Art Square Group 社が行っている、コミック・イラストコンテストに応募して)予選を通過した 52人の作品を会場に3日間展示して、人々にご覧になってもらいます。この中から入賞と優勝の発表兼賞品授与式を22日に行います。このコンテストは可能性を秘めた多くのマンガ家候補にとって大きな踏み台となるものです。」

「今年のイベントでは、コミック仕事場の雰囲気を味わっていただくために、会場内に実際のコミック作成仕事場を設け、Art Square Group 社の漫画家とアシスタントがコミックを作り上げていくデモンストレーションを行います。 これを コミック教室スタジオと呼びます。」 下2枚の写真はその様子を写したものです。

     

「小さな子供たちのために、【ハッピー学習】コーナーを開設します。子供たちが楽しみながら学習できるコーナーです。子供たちは子供用教育雑誌である 小班長、Elemen, Go Go Class の漫画家からサインを書いてもらったり、ちょっとしたゲームが楽しめます。このコーナーでは英語または華語またはマレーシア語で書かれたこの3つの雑誌を販売します。」 下2枚の写真はその様子を写したもので、教育雑誌の表紙写真は下段に載せています。

  

「(コスプレグループ)Comic Fiesta によるコスプレ披露兼コンテストが会期の初日にあります。優勝者にはスポンサーからたくさんの賞品が用意されています。さらにGempak STARZからは優勝者に賞金を提供します。」

「16人の漫画家によるそれぞれのサイン会が設けてありますので、コミックファンは好みの漫画家に会ってサインをもらうことができます。2年に1回のことなので、コミックファンにはたいへん待ち遠しい機会です。」

「会場で展示販売されているArt Square Group 社の出版物をお買いになった方には、その書籍に組み込まれているクーポンを使って、Gempak Starz商品と引き換えることができます。 この会場で出版物や商品をRM 20以上お買い求めになった方対象に、もらった番号で当たり者を決めるラッキーくじを行います。」

共催したプログラムのコスプレは多いに観客の注目を引いた

というように、いろんなプログラムを用意してあることがわかります。 実際会場を訪れたら、どのコーナーもいつも人が集まっていました。コスプレは大変人気あるようで、舞台の見える場所には実に多くの観客が集まりました。携帯電話のカメラやデジカメで演者を写している人が多いことにもいささか驚きました。 このコスプレの模様は、コミック雑誌のイベント会場における、コスプレ披露 をクリックしてください。別ページで開きます。

Gempak グループは伸び続けてき

初日午後のコスプレ第1回目が終わった後、会場の舞台でArt Square Group 社を代表してイベント開会挨拶を行ったのが、編集者の Ayour こと Fakhrul Anour です(右の写真)。顔を見ても思い出せませんでしが、その名前は私が 6年前 Art Square Group 社のオフィスを訪れた際、案内し且つ細かなインタビューに答えてくれた人物です。 その演説の一部には次のような一節があります(案内小冊子から抜粋):

「自社のマンガコミックを展開するためのイベントをマレーシアコミックカーニバルと名づけて2001年に、クアラルンプールのSungei Wang Plaza で開始しました。このイベントはマレーシアでこの種のイベントとしては最大のものとなりました。そして2005年からは2年に1回のイベントに変更しました。」

「現在Gempak グループはマレーシア製コミックと外国のを翻訳したコミックを合わせて、200タイトル以上を出版しています、Art Square Group 社グループつまりGempak グループはマレーシアの同業出版社のどこよりも数多くのコミック・マンガ本を出版しているのです。 今後は マレーシアコミックカーニバルを 100% Gempak Starz と命名すると、公式に発表します。」

6年前にインタービューした編集者にまたインタビューできた

そういうことから、広報マネージャーにAyour と話をしたい旨を伝え、演説後の休憩時間に会場に隣り合ったカフェで( Art Square Group 社がメディア用に借りていた)彼と話をすることができました。

Art Square Group 社所属の漫画家が増えましたね、と私が言うと、彼はそうだと答えながらこの数年間の変化を語ってくれました。 実際先ほど舞台に並んだArt Square Group 社所属の漫画家を数えると20人ほどに増えていました。 以下はAyour の話に基づきます。

マレーコミック(マレーシア語の Gempak と 情報主体のUtopia )と中文コミック(華語の 漫画王)に加えて、その翻訳版である英語コミック (Popcorn) もつい最近の今年から出版を始めたとのことです。これは読者層をより広くするためです。マレーコミックを起点に発足し、中文コミックを加えて発展した Gemak グループは英語コミックも加えたということですね。尚最初から英語の漫画だけを描くということではないそうです。 

おことわり:各雑誌の表紙である、下の4枚の画像だけは www.gempakstarz.com からダウンロードしたものです。


近隣国での販売を通じて海外進出

Art Square Group 社は近隣諸国に進出を始めました。インドネシアではすでに昨年からインドネシアの会社と共同でコミックを発売しているとのこと、つまりArt Square Group 社から原稿をインドネシアの会社に、そこが印刷出版する形だそうです。シンガポールではすでに以前から販売されていたそうで、支社はすでに昨年に設立したようであり、今年中にさらにビジネスを進めるとのことです。具体的には聞きませんでしたが、マレーシア出版のコミック誌を代理店経由ではなく直接販売するということなのでしょうか?

この裏にはGempak 誌は以前からインドネシアやシンガポールからも需要があったということであり、 それを踏まえてインドネシアとシンガポールへ進出ということなんでしょう。Ayourの話しぶりから、インドネシアとシンガポールへの進出がさらに他国への販売または進出への橋頭堡にするというような意気込みを感じました。

マンガ版教育雑誌によって教育分野にも進出

会場の一角には小学生向けのマンガ版教育雑誌のコーナーがあります(下の写真4枚)。6年前にはこういった雑誌は全く出版されていませんでした。 そこで私はこの変化をAyour に伝えると、彼は雄弁になりました。 教育現場にもマンガを紹介していきたといったことを含めて、マレーシアのいろんな場にコミックマンガを普及させたいという希望をあれこれと語りました。 

  

小学生向けの教育雑誌には4種: 華語の ”小班長”、それを英語版にした ”Little Monitor”,  華語の ”Go Go Class”, マレーシア語の ”Elemem” あり、それぞれ 1部の価格はRM 2.5 またはRM3.0 です。 ざっと見てみたら、マンガを使って理科や歴史などをわかりやすく、とっつきやすく解説しているようです。 会場ではなんと1部RM1 の特別価格で販売されていましたので、私があまりの安さに驚くと、Ayour によれば、あくまでもこのイベント期間中の特別価格だとのことでした。

  

会場の一角では漫画家が交代で、ファンが買った会場販売のTシャツやバッグにマンガを描いてあげるコーナーも設けらています(右上写真)

Ayour によれば、こういったマンガ版教育雑誌を学校の教室内で使ってもらいたいが、教育界に反対があって実現してないとのことです。つまり小学生用マンガ版教育雑誌は親や子供が個人的に購入する雑誌ということだと理解しました。 

読者層は若い層に限られる

Gempak などのArt Square Group 社出版雑誌は情報省とは何ら問題はないのかという私の質問に、取立てて問題はないとのことでした。Ayour の言に寄れば、発行の際には必ずサンプルを情報省に提出しており、これまで2回ほど省から指示を受けたが、それは技術的な面に関してであった、とのことです。「ガイドラインに従っている」 と彼はさらっと語りました。マレーシアのあらゆる出版は、強力な”印刷と出版法”の適用を受け、情報省の監督下におかれているはずですから、私はこの質問をしたわけです。

Art Square Group 社出版のGempakなどのマンガコミック雑誌の読者層は下は10代前半から上は25歳ぐらいまでとのことです。マレーシアでは依然として、”いい大人がマンガ・コミックを愛読する”という風潮は根付いていません(もちろん例外はありますよ)。ですから、雑誌それぞれによって多少年代層の違いはあろうと、全体的な範囲はこの年代になるようです。

今回の"100% Gempak STARZ 2009"に、コスプレイベントがあることを話題にしたら、彼言うに、Gempak はコミックだけでなくいろんな青年向け情報を載せており、コスプレファンはコミック・マンガ愛読者に重なる面があるという解説でした。確かに、しろうと考えでも、コスプレは日本のマンガを基に発祥したでしょうから、コスプレファンはコミック・マンガやアニメ好きであり、その逆も十分ありえることだなと、思いました。

ところで今回Ayour と話していると、個人的な印象が6年前と違って感じられました。彼は今では Gempak グループ誌の編集者兼漫画家という枠を超えて、社外でも活躍していることが、"100% Gempak STARZ 2009" メディア用案内小冊子の人物紹介欄に書いてあります。例えば 「民放TV 3 の放送する番組のレギュラー出演者になった」とか  「”最も影響力を持ったマレーシア人青年50人”の1人に選ばれた」などと書かれています。 彼の自信ある話しぶりに、この6年の大いなる成長を感じたものです。



人気コミック雑誌 Gempakグループが主催した展示会イベントの模様 - 後編


華人漫画家が多数を占める

Gempak グループ誌の編集者兼漫画家 Ayour との会話の中でのことです。6年前のインタービューの際に、漫画家に女性が非常に少ないことを尋ねたことを思い出して現状を尋ねると、現在でも同じように非常に少ないとのことでした。確かに舞台上に上がったArt Square Group 社所属の漫画家はほとんどが男性です(下左の写真)。 後で小冊子の漫画家紹介ページを見て、紹介文と本名から判断して女性漫画家は3人いますね。さらに全体の3分の2が華人であり、マレー人漫画家は少数派です。マレーコミックを描くのは即マレー人だということではないということです。どんなコミック雑誌でもマンガページのペンネームからだけではあまり判断できませんから、コミック通でないとわからないでしょう。マレーコミックを描いている華人は少なくない、Gempak グループではむしろ華人の方が多いということです。

  

数少ない女性漫画家にインタビュー

Ayour と話した後、そのごく少ない女性漫画家の1人である Kaoru、これはもちろんペンネームであり、名刺には本名の華語姓名も書かれている、 にもインタビューしました(上右の写真)。 彼女を選んだ理由は、会場で販売している単行本とマンガイラスト集コーナーに置いてあった、この漫画家のイラスト集 Sugar Addict (砂糖の誘惑 と小さく日本語タイトルも書かれている) に興味を引かれたからです。そこで広報マネージャーに頼んで彼女にインタービューさせてもらいました。"Sugar Addict" の作者紹介欄にペラ州出身とあったので、彼女との会話は広東語で行いました。

コミックの単行本はB5版サイズですが、ごく最近の出版本だというこの本はA4サイズです。そのため見事なイラストがきれいな印刷となっており、デザインに関して素人目にも上手な絵だなあと感じます。彼女によれば、これまで描いたマンガから選んだいわば選集だそうです。定価 RM 36.9 と印刷されており、会場では特価としてRM 25で販売されています(上中の写真)。この下に掲げた9枚の写真は、贈呈としてもらった"Sugar Addict" のページを写したものです。

   

  

絵つまりイラストの中には、日本の様子や日本文字も描かれているので、そのことを尋ねたら日本へ行ったことがあるとのことでした。 Art Square Group 社が用意したメディア用案内小冊子の所属漫画家の略歴案内ページには、彼女はマンガの影響をもったコミックを描くマレーシアで初の女流漫画家だと紹介されています。 彼女はArt Square Group 社に10年ほど所属しており、初めの 3年ほどはアシスタントとして働き、その後一人前の漫画家になったとのことです。 人気ある様子は、20人の漫画家が1人1人司会に呼ばれて舞台に上がった時、ひときわ大きな拍手があったことからも推測されます。 

カレッジでデザイン画でも習ったのかとの質問に、学校ではそういうことを習ったことはないとのことでした。 これは Ayourも、「自分は理科系の大学を出ており、マンガとは縁のない学歴だが、ずっとマンガを描くことが好きだった」 と言っていたので、まずマンガ描くことが好きであるということが、何よりも大切だという証拠でしょう。
6年前に確認したことですが、マレーシアのマンガ界は誰々という有名漫画家の助手を務めて1人前の漫画家になるという徒弟制度ではないということです。

  

  

彼女はマンガは手書きで描いており、あり Art Square Group 社所属の漫画家は2人を除いて、いずれも手描きしているとのことです。2人だけはコンピュータグラフィックを使って描くそうです。 また彼女ら漫画家の描く原画サイズは A3 であり、それを縮小した形で印刷するそうです。 漫画連載について尋ねると、長いのは2年間ぐらいの連載となるそうです。その理由は、雑誌での割り当てが1人8ページまでなのでごく短期間では連載が終わらない、ということのようです。 Art Square Group 社の漫画雑誌は2週間に1回発行という理由もあるでしょう。 

なお例外はあるかもしれませんが、私の知る限りマレーシアの各種漫画雑誌で毎週発行というのはなさそうです。Gempak 雑誌を手に取ると、ページ数が多くて分厚いという印象は受けません。しかしコミックページ以外では小さな活字でびっしりと若者向け情報や記事が載せてあるので、その小型なサイズとページ数にも関わらず、全体的分量はけっこうあると感じますよ。

このごく少ない女性漫画家 kaoru との会話を通じて、私はその気さくな人柄を感じました。雑誌に連載されるマンガへの反応は最近ではFcebook によってすぐにあると、彼女は言う。電子メールでのファンレターなどもあるが、とにかく Facebook での反応が早くて多いとのことです。マンガコミック読者層はいわゆるWeb 2 世代でしょうから、こういう他人との交流型プログラムによる反応がごくごく当たり前になっているということなんでしょう。

出版するコミック・マンガ単行本に英語本が加わった

会場ではコミック・マンガの単行本が言語別にラックに分けて種類多く販売されています。 配っている一覧表を見ると、Art Square Group 社がこれまでに出版したコミック・マンガ本を網羅したもののようです。 価格はいずれも会場だけでの特価です。




会場でラックに入れて販売されていたコミックマンガ本の表紙の写真を撮りました。別ページで開きますので、人気ある Gempak グループのコミック・マンガ本 をクリックしてご覧ください。

会場の様子

  

この2枚の写真のように、期間中の土曜日曜の会場は、いつもたくさんのコミックマンガファンとものめずらしさで足を止めたであろう人たちで混んでいました。

さらに土曜日と日曜日は舞台でプログラムが行われました。 土曜日のコスプレや開会挨拶はすでに前編で掲載しましたね。日曜日は2つのメインプログラムがありました。1つは中文ラジオ局の人気広東語トーク番組DJ 2人が登場し、ファンと交流し且つ彼らのことを書いたコミック版本のサイン販売会です。これも非常に人気でした。もう1つは Gempak を初めとした4種の定期マンガ雑誌を発行している Art Square Group 社出版主催の コミック・イラストコンテスト です。自分で描いたコミックまたはイラストを送ってコンテストに参加した人の中から、まず52人が予選通過で選ばれて、全応募作品が会場のパネル板に掲示されています。上左の写真で会場訪問者が見入っているのが、その作品です。

たくさんの読者が参加したコミック・イラストコンテスト

コミック・イラストコンテストは Peroduan Bakat Baru Komik Malaysia 2009 2009年 直訳すればマレーシアコミック新しい才能者コンテスト といった意味です。「コミック産業に新しい才能を見つけることがこのコンテストの目的です」 との説明です。

4つの部門があります: 誰でも応募できるコミック描き部門、 18歳以下の者に限ったコミック描き部門、誰でも応募できる4コママンガ部門、イラスト部門 

案内小冊子に寄れば、 5月1日から7月末までの応募期間中 総応募者数は 2802人でした。 年代別に見ると、13歳から18歳の層と19歳から29歳の層が多い。 出身州別では、スランゴール州、ペナン州、ジョーホール州が多い。 事前審査で予選通過した応募者は各部門 13人づつの計52人です。 入選と優勝者に提供される賞金総額はRM 2万です。そして会場で各部門毎に1位、2位、3位が発表され、舞台上で賞授与式と記念撮影が行われました。下の写真で2位になった青年が手に持っているのは、受け取る賞金の小切手を模したものです。

 

応募者像からマレーシアのコミックマンガ界の読者像を思い浮かべる

2009年コミック・イラストコンテストの応募者像


誰でも応募できる
コミック描き部門
18歳以下に限った
コミック描き部門
誰でも応募できる
4コママンガ部門
イラスト部門
男子
454人   67%
440人   63%
483人  57%
387人   67%
女子
224人   33%
252人   36%
364人  43%
191人   33%


年齢層12歳以下
3 人
12人   2%
34人   4%
12人   2%
13歳-18歳
128人   19%
680人  97%
576人   68%
243人   42%
19歳-29歳
508人  75%
---
220人   26%
295人   51%
30歳以上
39人   6%
----
17人  人   2%
28人   5%


民族マレー人
434人   64%
489人   70%
618人   73%
301人   52%
華人
217人   32%
175人   25%
169人   20%
231人   40%
その他
27人   4%
28人    4%
60人   7%
46人   8 %

Intraasia注:合計して100%にならない項目がありますが、それは応募者の記入漏れが理由のようです。

この数字を見ると興味深いことがわかりますね。女性が大体3分の1を占めるということですね。女性漫画家は極めて少ないのですが、熱心な読者または描き好きには女性が少なくないということなんでしょう。 4コママンガは13歳-18歳の層が一番多いですね、なぜなんでしょう? 民族として最多のマレー人は人口比より多少上回っていますが、まあわかります。 華人は大体人口比に見合って(イラストは例外)比率を占めていますが、インド人を含めたその他民族がぐっと少ないです。 Art Square Group 社所属の漫画家にインド人が一人もいないことを示すかのように、コンテスト応募者にもインド人の率が大変少ないということです。 なぜなのか? 興味あるところです。

コンテスとへの過去の総応募者数
2007年: 2638人、  2005年 3361人、  2004年 2696人
平均して3千人近い人が応募するわけですから、かなりの数といえるのではないでしょうか。

最後に、会場に掲示された、2009年コミック・イラストコンテストの応募作品を適当に選んで写した写真を別ページに載せましたので、2009年コミック・イラストコンテストの応募作品 をクリックして覧ください。

書店や雑誌新聞販売キオスクではコミック雑誌やコミック・マンガ本はごく普通に並んでいます。もちろん日本マンガの翻訳本もたくさんあります。マレーシア訪問の際には、雑誌や単行本を是非手にとってご覧ください。 ついでにお土産にもどうぞ(笑)。 Intraasia はマンガ通では全くありませんので、マンガ好きの方からマレーシアで翻訳販売されている日本マンガ家の作品の傾向をお聞きしたいところです。



地球温暖化の中で、マレーシアの場合 


地球温暖化の流れの中でマレーシアもその例外ではありません。マレーシア気象庁発行の "マレーシアの気象変化のシナリオ −2001年から2009年まで" を参照した記事に寄れば、気象庁が全国に置いている観測所 36箇所の中で、その観測所での最高気温を記録したのが90年代またはそれ以降である観測所が31箇所になります。年間平均気温において1969年以降現在までに上昇した数値は半島部で 1.1度C、 サバ州で 1.2度C とサラワク州で0.6度C となります。 マレーシア全土で捉えると、この50年間に最低気温と最高気温がいずれも上昇しました。

The Star 新聞が12月1日付けで載せた、マレーシア国民大学の 熱帯気候変化システムのための研究所で長を務める、教授 Tangan 博士にインタビューした記事を抜粋翻訳します。この教授は気候学と海洋物理学が専門で、国際的な科学者の集まりである、気候変化に関する政府間委員会の委員も務めているとのことです。
以下は記事からです。

マレーシアの気温も一定して上昇している

マレーシアのほとんどの地域でこの40年間に気温は一定して上昇しています。これは地球規模でのそれに対応しています。地域によって差はありますが、気温上昇の範囲は 0.5度Cから1.5度Cになります。クアラルンプールのよう大都市では、気温上昇の速度は地球規模での平均より大きくなっています。 クアラルンプールを例にとれば、この40年間では 10年毎に0.4度C 上がっています。

21世紀中頃までにはマレーシアの平均気温は現在よりも1度Cから3度C高くなると予測されており、21世紀末には2度Cから5度C上昇すると、予測されています。

現行の二酸化炭素蓄積を基に考えれば、世界が二酸化炭素の排出を抑えなければ21世紀末までに気温の2度C上昇は非常に確率が高いことになる。
国際的な気候変化に関する政府間委員会が東南アジアに関して予測するところでは、今世紀末までにマレーシアの半島部は北東モンスーン期はより乾き、南西モンスーン期はより雨が多くなるだろうということです。これは低解像度の気象モデルを基にしたものです。

マレーシア国民大学の我々研究者はいろんな気象モデルの高分解能予測を行っています。研究によって、気象変化のもたらすマレーシアにおける雨量と天候パターンのより良い像を得ることになります。

気候変化に関する政府間委員会の予測は一般に、旱魃や洪水や熱波といった極端なできごとが将来はもっと頻繁に起こるであろうと示しがちです。しかしこれは地域ごとによって違うのです。最新の研究を基にした予測では、東南アジアの21世紀の旱魃は20世紀に比べて劇的に変化することはないだろうというものです。

マレーシア沿岸での侵食は今後悪化する

マレーシアにおける、雷雨や強風といった様々な気象上の発生事の変化を長期に見据えた具体的な研究はなされてきませんでした。この理由の一部は、長期に渡る気象記録が不足していることにあります。しかしながら私たちの研究が示しているのは、この40年間に南シナ海上空の気流が強まったということです。このことは、マレーシアの海域で波が高くなるということを示唆しています。 南シナ海上空の猛烈な天候の特徴もこの40年間に変化しました。こういった変化は半島部の東海岸に浸水や冠水が増えたことを引き起こしたのかもしれません。 高くなった海の水位上昇と相まって、これは気候変化に関する政府間委員会の第4回目の評価報告書で示唆しているように、東南アジア地域ではより高い方なんですが、マレーシアは沿岸地帯で深刻な侵食と土地沈没に面するかもしれません。実際、マレーシアの海岸では、とりわけ半島部の東海岸とサバ州サラワク西海岸部では深刻な侵食がすでに顕著なのです。

今後数十年間に、北極圏などの氷河の氷解のため水位の上昇が早まることが予測されているので、沿岸部の侵食は悪化するでしょう。最新の科学上の発見が暗示しているのは、気候変化に関する政府間委員会の第4回評価報告書が今世紀末までに世界の海は60cm上昇するだろうと予測していることは、過少評価だということです。これは氷河の氷解が東南アジアにどんな影響を及ばすかについて理解がまだ限られているからです。

妥当な予測は 1m以上というところでしょう。 従ってマレーシアのいくつかの地点では今後数十年の間に深刻な沿岸侵食が起こり、水位が上がることになります。局所的影響面での気象変化のシグナルの検知と帰属は容易ではありません。なぜなら変化は他の要因、例えば土地利用、によって影響を受けうるからです。従って当地のエコシステムや動物相や植物相における気象変化の影響の調査は簡単にはいきません。

実際、マレーシアにおける気象変化の影響を検知するために使える、エコシステム変化の長期に渡る記録または研究はあまり行われてきませんでした。しかしインド洋と南シナ海では他の海洋に比べて温度上昇の率が高い。このことがサンゴ礁のようなもろい海洋エコシステムに影響を与えたことでしょう。

エコシステム、植物相、動物相、水文地質学は恐らく気温と降雨量のパターン変化の影響を受けることでしょう。熱帯地域におけるエコシステムが気象変化でどのような影響を受けるかを知るために、更なる研究が必要です。

マレーシアの純炭酸ガス排出量は少量である

マレーシアは小さな発展途上国であり、我が国の自然森林が多量に炭酸ガスを沈めてしまうことを考えれば、純排出量は少量だと考えられます。しかし私たちが適応方法を戦略的に計画しなければ、マレーシアも気候変化にひどい影響を受けるでしょう

私たちはなんらかの適応方法を決めて実行していく前に、いろんな重要な分野で気候変化のリスクに関する知識を十分に持たねばなりません。これには高解像のモデル作りと気候の仕組みを理解することが必要です。 現在実施している研究を進めていくことで、今後2,3年以内にマレーシアと東南アジアにおける気候変化のより良い予測を得ることになるでしょう。
以上で記事翻訳終わり

地球温暖化に関して専門知識を持たない者でも、マレーシアも大なり小なり影響を受けることはわかります。この記事を読んでその意を強くしました。大なり小なりの違いはあってもどの国も影響を受けるからこそ、気象変化を食い止めることはもう無理でも、最大限に少なくさせる、遅らせるための努力は、全ての国が実行する責務だと思いますね。



それでもパームオイル産業はマレーシア経済に欠かせない


熱帯雨林を伐採してオイルパーム農園が作られる

さてマレーシアがこの問題で多いに関わるのは、熱帯雨林の減少につながるといえるオイルパーム樹農園の開発です。都市部の住宅開発のような狭い面積の開発ではなく、オイルパーム農園開発はまこと広大な面積を伴います、下記の数字をご覧ください。 それまでのゴム農園をオイルパーム樹農園に転換するという例もなきにしもあらずでしょうが、圧倒的大部分の面積は熱帯原生雨林を伐採して、そこにオイルパーム樹を植えて巨大農園に変えてしまいます。 その開発手段に対して、熱帯雨林を生活の糧と場にしてきた先住少数民族、その森林の周縁で暮らす零細な地域農民らが反対してきました。熱帯雨林が単作物の人造農園に変わってしまい、植生と動物相を壊してしまう、さらに炭酸ガスの発生源にもなっているという危惧から、都市部を中心とした環境保護論者が反対してきた、と理解していいでしょう。

オイルパーム農園は金を多いに稼いでくれる

熱帯雨林がなくなってしまい農園化することから、それまで何世代も熱帯雨林に依存して暮らしてきた先住少数民族が現実に追い出されてしまうというのは、別に専門知識はなくてもわかることです。熱帯雨林の地やその周辺地はもともと土地登記などの法的整備がされていなかった地であり、少数民族は代々先住民族の慣習的権利として、その森林に依存してきたわけです。その暮らしと暮らしから生み出すものが州や国の経済に貢献することはほとんどゼロに等しいぐらい低いと言っても間違いではないでしょう。

そこで現代経済の論理を前面に押し立てた、官民の開発勢力が登場し力を持つわけです。 森林を伐採することで木材産業に益をもたらし、さらにオイルパーム農園に転換させることで、その収穫物であるパームオイルは金の卵を産む鶏のごとくお金を稼ぎます。川上であるオイルパーム農園から川下であるパームオイル製品業界にまで、パームオイル産業は州と国に経済的に貢献するということです。確かにそれ自体は事実でしょう。

しかし人間の生活に経済的優越原理だけを適用されたら誰であれ、とりわけ弱者はたまりません。人間の倫理と経済原理を規制する論理は必須ですよね。このように、熱帯雨林のオイルパーム農園化は、経済的に非貢献な存在であってもそこに住む人間の生活をいかに守るかという、重要な面を持っています。

農園は国土面積の1割を超し、多数を雇っている

一方、オイルパーム農園は炭酸ガスをより発生させているのか? いやむしろ炭酸ガスを吸収し蓄積させているのか? これに関しては、我々素人ではわかりませんから、専門家の調査研究とその説得力ある説明を聞いて信用するしかないでしょう。そこで、熱帯雨林の一部である泥炭地に開発されるオイルパーム農園会社側の論理と、環境保護主義者側の論理を紹介した、The Star新聞の記事(12月8日付け)からまた抜粋翻訳してみます。

ところでマレーシア全土のおけるオイルパーム樹の植え付け総面積は現在約 450万ヘクタールです。パームオイル業界は約100万人の雇用を支えているそうで、現在のパームオイルとその製品の輸出総額はRM 650億になるそうです。
ただこの100万人という数字にどういう根拠があるのか、その内訳が書いてないのでよくわかりません。川上から川下までのあらゆるパームオイル業界という意味でしょうが、それでもいささか過剰に見積もっているように感じます。なおオイルパーム農園労働者の多数は外国人労働者ですから、彼らもこの100万人に含まれるばずです。

Intraasiaが植え付け面積の数字をわかりやすく直しましょう: 100ヘクタールが1平方キロメートルですから、植え付け総面積は 4.5万平方キロメートルということになり、国土総面積 33万平方キロメートルの1割を軽く越すということです。

オイルパーム栽培業界の主張

以下は記事からです。
パームオイル生産国として世界第1位がインドネシアで第2位がマレーシアです。

Intraasia 注:マレーシアの巨大なパームオイル農園会社の少なからずは以前から積極的にインドネシアに進出して農園開発を行っています。つまり確実な数字をを知りませんが、インドネシア産出のパームオイルにはマレーシア企業の産出分が無視できない割合で含まれているということです。

こういったパームオイル製造業界はしばしば次のように主張する、「泥炭地から排出される温室効果ガス排出に関するよく知られたデータは温暖な地域で集められたものです。さらなる科学的証明がなされないかぎり、熱帯の泥炭地におけるオイルパーム栽培活動は温帯地域と同じかそれ以上に汚染を生み出していると結論付けるのは、不公平である。」 さらに業界は、自然の泥炭地森林は、泥炭地に開発されたオイルパーム樹とサゴ樹農園からの排出と比べて、より多くの炭酸ガスを排出している、というサラワク州の研究を提示しています。

パームオイル産業を批判する側の主張

一方、地球に優しいパームオイルに関する円卓会議の作業グループのメンバーは反論する、「データが不確定だといういいがかりは正しくない。熱帯の泥炭層から排出される炭酸ガスはヘクタール当たり50トンであり、ヨーロッパのそれは30トンであるということは、いくつかの研究で証明されています。」 「泥炭地の森林は長い年月の中で炭ガスを蓄えてきた。一方オイルパーム農園では泥炭層が分解していく、これが酸化を生んでいく。明らかなことは、自然の泥炭湿原森林は炭酸ガス蓄積の面で世界のトップエコシステムであり、一方泥炭地におけるオイルパーム農園開発は気象変化を生み出すトップ要因の1つです。」

先月クアラルンプールで会議が行われる前に、地球に優しいパームオイルに関する円卓会議からメンバーが脱退するという噂がでていました。マレーシアパームオイル協会とインドネシアの同様な組織が共同で提出した決議案にはそれが見て取れます。世界のパームオイルの生産の90%を担っている業界を代表して、栽培者側は、パームオイル栽培の出す温室効果ガスをその栽培活動を証明をする基準として含めることに抵抗しました。さらに栽培者側は新しい栽培方法も拒否しました。

オイルパーム樹栽培国家、つまりマレーシアとインドネシアは、温室効果ガスの基準を、西欧自身が製造している食用油、例えば大豆油など、を保護するための非関税貿易障壁になぞらえています。

世界のたくさんの非政府組織は批判する、「食物と燃料のためのオイルパームの単作物方式は森林削減化と気象変化の主要な原因です。さらに何百万という小規模農家と先住少数民族の生計を破壊している。」
以上で記事翻訳終わり

存在自体が矛盾した産業ともいえるパームオイル業界

マレーシア政府とパームオイル業界は欧州連合の取り入れたパームオイルに対する厳しい姿勢を変えることに成功していません。マレーシアのパームオイルの大量輸入国は今や欧州ではなく、中国やインドに変わりつつあるのです。皮肉な見方をすれば、その方が好都合ともいえるでしょう。

注:マレーシアのパームオイルの輸出先 2008年    中国:24.1%   欧州連合:12.9%   パキスタン: 9.9%

パームオイル栽培とそれに関する産業は環境と発展の面でマレーシアの抱えるもっとも矛盾した産業だといえます。国土に占める農園の広さと(いささか誇大な数字かもしれない)百万人近いといわれる間接直接の雇用者を考慮すれば、オイルパーム栽培とパームオイル生産のスピードを弱めることは難しいでしょう。マレーシアの巨大企業の少なからずが、パームオイル産業を基盤としたり、発祥としています。 よってマレーシア政府はいうまでもなく野党陣営でさえもパームオイルが温室効果ガスの元凶の1つだというようなことを素直に認めることはありえないということです。

パームオイルは現代マレーシア経済に深く広く関わっている存在です。よってかなりの数の一般国民にも直接間接の影響が現れる産業です。事ほど左様に、パームオイル問題は多いに利害の絡んだ問題なのです。

マレーシア1国だけをとってもこうですから、デンマークで開かれている国連の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)で、各国がその国内矛盾を乗り越えて、さらに各国がそれぞれの対外国戦略を抑えて、自国の利益よりも国際協調に向かうなんてことは、とても期待できないと思いますね。まあ、人類は遅かれ早かれやって来る自滅の道を走るしかないですな。



Intraasia の雑文集 −2009年下半期分


はじめに

「ゲストブック」 には随時様々な題材で書き込んでいます。しかしその書き込みはいずれ消えてしまいます。そこで2009年第2四半期に Intraasia が書き込んだ中から主なものを抜粋して、コラムの1回分として収録しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。

【 中国辺境の地で起きた民族衝突に関する、マレーシアでの報道に感じたこと 】

中国の新jiang 自治区のウルムチででウイグル民族と漢民族の衝突が起きて、公式発表では少なくとも200人弱の死者が出たというニュースは世界的ニュースになっているようですね。新jiang 自治区は面積では中国の6分の1も占めるそうで、人口は2100万と新聞に載っていました。民族構成はウイグル族と漢族が拮抗しており、両民族合わせて9 割ほど占めるそうです。ウイグル民族はムスリムであり、民族的には隣接または近接した中央アジアの諸民族と姉妹関係にあるのは知られたことです。

さて大きな世界的ニュースのはずですから、マレーシアのマスコミは外電報道として華語紙も英語紙も毎日大なり小なり載せていますが、奇妙なことに独自の評論はありませんね。中国に絡んだことには率先して評論するはずの、華語紙No1 の星洲日報は外電報道を載せるだけであり、新jiang 自治区での民族衝突に関する編集委員らの独自評論を紙面で見かけません。毎日購読しているわけではないで、全くないとは言いませんよ。ただ少なくとも私の購買した今週の3日間の紙面には載っていませんでした。常日頃親中国姿勢の強い 星洲日報ですから、経営的判断か編集幹部の判断で自主的に評論は自粛しているのだろうか? もちろん真相はわかりませんから、Intraasia の邪推かもしれませんな(笑)。

マレーシアの与党政府はいつもながら、この種のできごとには反応が鈍いので、政府首脳の発言がないのは特に不思議ではありません。でも被害対象がムスリムなので、通常はUMNO党青年部などから強い糾弾の談話ぐらいが出るはずと思ったのですけど、それもないようです。 それとも多少はあったかもしれないけど、記事にしてないのかもしれません。 英語紙No.1 の The Star は外電報道の新jiang 自治区でのできごと報道記事ばかりです。この新聞は馬華公會(MCA)が筆頭株主として所有する新聞ですから、党の親中国姿勢を映して中国批判をするような独自の論評はまず読んだことがありませんね。 だから今回も外電報道に徹しているというこなんだろうか。 もちろん真相はわかりませんから、 Intraasia の邪推かもしれませんな(笑)。


【 外電報道で知る現代日本事情 】

いつも書いていますように、Intraasiaの現代日本知識の仕入先のほとんどは当地の新聞(英語紙、華語紙、マレーシア語紙)に載る外電報道です。つまりAPやAFP やReuters といった世界的通信社が世界の大多数の国に配信している、外国通信社の報道がその大部分を占めます(通信社外報以外の記事も多少ある)。残念ながらマレーシアのマスコミではまず共同通信社配信ニュースは見かけません。新聞社が契約していなければ載らないからですね。

さて昨日の新聞には AFP Tokyo発の 「寂しい人たちの間で結婚探し熱が日本を襲っている」と題した記事が載っていました。 職探し活動をもじった” コンカツ”が日本人の間で熱を呼んでいる、つまり理想の男性または理想の女性探しは適切な探し方ときちんとした計画が基本であるということです、と記事は説明しています。

今年日本は” コンカツ”熱に捉われており、雑誌や本やテレビに溢れている。神社は” コンカツ”祈願サービスをしており、北海道の野球チームは” コンカツ”用の座席を用意した、東京都庁はデート用にレストランなどを手配している、と書いてあります。  出会いのサイト Match.com は今年3月に国内で100万人の会員を獲得したとも書かれています。日本は米国に次ぐMatch.comの大市場だそうです。

ふむふむ、とちょっとした驚きをもって読みました。外電報道特有の、大したまたはそれほど一般的ではないことを、流行とか風潮だと決め付ける大げさな記事なのでしょうか?それとも紆余曲解な記事なんでしょうか? それともかなり事実を突いた記事なんでしょうか?

ところで、日本に住んでる人はもちろん、海外在住でも日本事情に詳しい人がほとんどでしょうから、Intraasia のこの種の雑コラムをお読みになって、時にはあきれる方もいらっしゃるかもしれません。ただこれは、逆の意味で興味を感じていただきたい狙いもあります。というのは、圧倒的大多数の外国人、ここではマレーシア人ですが、は日本事情に詳しいことはありえない、ゆえにいろんな新聞、華語紙であれ英語紙であれマレーシア語紙であれ、に載る外電報道はそれを読む人にある種の印象と”正誤の知識”を与えてしまうのです。日本に住んでる人にはごく当たり前のことでも、外国人にはその通りにまたはその背景がまたはその裏にある事情がほとんど伝わらない、と捉えるべきです。

マレーシアを長年伝えているIntraasia は逆も真なりであることはよく知っています。つまりこれまで膨大なニュース記事を発信してきましたが、日本人向けに訳し且つ注などを付けてもその内容が、背景があまり伝わっていないだろうな、理解されていないだろうな(能力がないということではなく、これはどんな外国報道にも付き物だということです)ということは、感じますから。

また元の話題に戻ります。
” コンカツ”という言葉があるということは、少なくとも現代日本である程度は流行っているということなんでしょう。推測すれば 婚姻活動 の省略形なんでしょうか? そうであれば、就職活動の応用形と捉えて間違いではないという気がします。 現代の就職はこの種の周到なる準備と計画、きちんとした場所の設定などが必須になったようですね。昔ももちろん就職に対して周到なる準備と計画の風潮はありましたが、現代ほど盛んではなかったはずです。まあそんなことをまったすることなく就職した、転職した、離職してきたIntraasia なので、この種の計画性と周到さからは離れた生き方です。

周到なる準備と計画、きちんとした場の設定を前提にした就職活動スタイルが、婚姻活動にも波及したということなんだろうな、と推測しています。 日本社会は益々プロトコルに従ったまたは重視する方向に変化してきている、というIntraasia の見方に合致するとも言えます。年月が流れ時代が移れば世の流行も風潮も変化する、まあ仕方のないことなんでしょう、と周到なる準備と計画もなく結婚したことのある Intraasia は思います。

試しにその Match.comの日本語サイトを見に行ってみました。 無料登録自体は誰でもできるが、それ以上先に進むにはつまり紹介してもらうとか細かい情報を見るには、有料になるようです。ほー、独身証明、住所証明、勤務先証明、所得証明書などがあるべきだとなっているではありませんか。 確かに、インターネットの匿名性を利用した悪意または騙し心を持った人を防ぐにはこういう方法が必要であり且つ望ましいのかもしれませんね。とはいえ、この種の証明の中にはほとんど不可能なものもあって、悪意も騙し心もないけど Intraasia がこれから先に進むのは無理なようですなあ(;´д` )。


【 面白いマレーシア語小話を1題 】

今日のマレーシア語紙 Kosmo! を見ていたら、なかなかさびの効いたまたは面白い小話(笑い話)が載っていましたので、紹介しておきましょう。この小話は読者から SMS 送信で投稿されたものだそうです。

Kenapa puntianak rambut panjang?
Jawapan: Sebab dia selalu keluar malam jadi kedai gunting rambut dah tutup.

女吸血鬼はどうして髪が長いんだろう?
答え: なぜなら彼女はいつも夜になって外出するからです、だから理髪店はもう閉まっています。

解説しておきましょう。
puntianak 女吸血鬼はマレー映画やインドネシア映画でよく題材になる存在ですね。 puntianak はマレーコミュニティーでのいわゆる亡霊存在です。マレー映画では恐怖映画が頻繁に製作されますけど、推測するに登場対象として puntianak がその最たるものではないだろうか? そのpuntianak は髪が非常に長い幽霊女性姿というのが一般の捉え方です。 幽霊、亡霊は常に夜間に出現する (selalu keluar malam) ので、髪切り屋 (kedai gunting rambut) はすでに閉まっている (tutup)、だから髪を切れない という落ちがこの小話の面白いところです。

このマレーシア語の構文は簡潔でわかりやすい一文です。 kenapa なぜ?どうして? という文句を覚えて使いましょう。


【 アポロ宇宙船の月面着陸40周年と プラハの春終焉40周年 】

新聞に、Appolo 11号が月面着陸して40周年を迎えた、と記事が載っています。そういえば、あの時はテレビで宇宙飛行士が歩く様子を見たことを覚えています。それが中継放送だったのか、録画放送だったかは覚えていませんが、とにかくマスコミあげての大ニュースであり、当時多くの日本人も多かれ少なかれ話題にしていたはずです。 超強大な国家、米国の威信をまざまざと見せ付ける光景ながら、若い世代には宇宙開発なり科学技術の発展を具体的に示すことで、ある種の夢を与える出来事であったともいえるでしょう。 当時の私がAppolo 11号の月面着陸に目だった影響を受けたとは全く思いませんが、でも月面着陸に関する事柄を否定的に捉えていなかったのも事実です。頻繁に報道された月面着陸の会話英語が、当時英語好きであった私に(現在のIntraasia からは考えられない思考ですな)刺激をもたらしたのは確かでしょう。

あれから40年か、と当時を振り返ると、1969年ごろに起こった日本国外での大きなできごとの中で、当時の私に影響を与えたのは、プラハの春の終焉だったはずです。パリ5月革命にも影響を受けた、というより大きな興味を抱いたのですが、それは1968年のできごとでした。プラハの春も1968年から始まったのですが、ごく短命に翌1969年に終焉してしまった。ソ連のチェコスロバキア軍事侵略というできごとの結果です。

チェコスロバキアという馴染みのない国ながら、その強烈なニュース性ゆえに日本でも大きなニュースとなりました。どんな隣国であれ外国など行ったこともないし、また行ける可能性も全くなかった当時の私にとって、ヨーロッパのできごとは月とあまり変わらないくらい遠く離れた世界で起きた、文字とテレビ映像でのみ得られる別世界に過ぎなかった。それでも奇妙なことにプラハの春の終焉は私の関心を深く捉えました。朝日ジャーナルなどを一生懸命読み始めた頃です。

このことが下敷きになって、その後70年代中頃から(米国から戻ってから)ものすごくヨーロッパ、とりわけ東欧圏に興味を深く持ち始めました。その興味心を追い求めた結果、1970年後半の初のヨーロッパ放浪と滞在に結びつきました。その後ヨーロッパとりわけ中東欧に強く強く引かれた私は、80年代初期まで中東欧に没頭しました、さらに引き続き80年代末までヨーロッパとは自分の中で深く関わりました。そんな発端が40年ほど前のプラハの春の終焉というできごとでしたね。

チェコスロバキアを初めて訪れたのは、1980年秋のこと、プラハの街を徘徊しながら、プラハの春の痕跡をしきりに探したものです。しかし当時は厳しい東西冷戦時代、そんな甘い期待をかなえてくれるような時代ではありませんでした。 ごく最近、当時からの知人である、プラハからそれほど遠くない地方に住むチェコ人に久しぶりにメールを送って、旧交を温めました。

東南アジアに没頭する前のIntraasia の若き時代の関心は、もっぱら中東欧、そして80年代半ばからは東南アジアがそれに加わりました(それ以外にも米国、オーストラリア、アフリカなども訪れていましたが、あくまでも興味の中心は中東欧とその後加わった東南アジアでした)。こうした変遷の回顧をそのうちに描きたいのですが、そのときまで果たしてIntraasia は生き延びられるのだろうかと、最近時々思います。 30年前、20年前、あの国、あの地を徘徊し滞在していた我が国外半生は、このマレーシアで終焉を迎えたのだろうか?もう変遷はできずただ終焉を待つしかなくなってしまったかもしれない。


【 ヤスミン監督のイバン語コマーシャルに思う 】

mimpiさんの先日の書き込みの中で、You Tube で見られるヤスミン監督製作のコマーシャル映像を紹介されています。
この映像を始めて見ました。台詞がイバン語だけだ(マレーシア語の字幕)ということで公開当時話題になったそうで、Intraasiaは是非一度見て見たいなと思っていたので、紹介に感謝です。

サラワク州には虎はいないないけど、虎にまつわるイバン族の伝統的信仰を軸に、あるイバン家族の過去と現在を映し出しています。そのイバン家の娘が外国から実家に電話する様子もあります。 映像の中にさりげなく マレーシア第1の銀行であるMaybank が現れますので、Maybank のコマーシャルだとわかりますが、映像の主題はあくまでも虎とイバン族です。なぜMaybank か、それはその銀行のトレードマークが虎だからです。

イバン語だけで製作された初のコマーシャルであり且つマレーシアのテレビ界で初の映像ですね。これ自体が画期的なことです。サラワク州最大の先住民族であるイバン族であれ、サバ州最大先住民族であるカダザンドゥスン族であれ、その言語が半島部の電波にのることは皆無です。本来はもっとこういう少数民族の言語のありようが電波で”自然に”映されるべきですが、半島部に関する限り全くなかったし、今後もありそうにない。イバン語やカダザン語を半島部の人は学ぶべきだなどということではなく、半島部と違ったありようの文化言語をもっと半島部に”自然に”紹介するべきではなかろうか、ということです。

英語崇拝やマレー語民族主義または華語信奉(大中華主義)に凝り固まった、人たちが目立つ中、少数民族の言語のありかたに触れることで言語の相対的な価値を少しでも感じて欲しいなというのが、言語相対主義者Intraasia の一貫した主張です。

ところでこのイバン族出演のコマーシャルを注意深く聞いていると、イバン語もやはりマライポリネシア語族に属する1つの言語なんだなと、なんとなく感じます。マライポリネシア語族の代表的言語であるマレー語と、音韻構造が似ており、さらに恐らく統辞構造も似ているかのように思えます(この映像を見ただけで断定はしませんが)。

この短いコマーシャルは、ほのぼのとした背景の中でイバン族の伝統観念の1つを映している、優れた映像ですね。


【 最近観たマレー映画と、シネプレックスでのビールコマーシャルのお話 】

今週久しぶりにマレー映画を観ました。 たまたま新聞で映画に関する記事が載っていた内容を読んで、それじゃ観てみようかなと思った次第です。 題名 Stem というコメディー映画です、入場料はRM 7でした。つい最近行われた 第22回マレーシア映画祭で、この映画ではなく別の ” Padadom” で最優秀映画賞と最優秀男優賞を得た Afdlin Shauki も主演の1人として出演しています。 Stem とは切手という意味です、切手を巡って物語が展開します。主たる登場人物に華人もインド人も助演の役割で出演しており、流暢なマレーシア語を話しています、さらに彼らの台詞の一部がタミール語、または広東語という点がマレーシアらしさを出しています。この華人とインド人の重要な役割が映画を面白くさせていましたね。映画を見る前は、またマレー映画によくある、過剰な表現が一杯のドタバタ喜劇かなと思ったのですが、意外や意外、なかなか楽しめる映画でした。見る機会があれば、またはVCDを買う機会があれば、どうぞと勧めておきます(尚英語字幕はついていません)。

ところでシネプレックスでは Stem の上映されるホールに、上映開始時間の10分後に入りました。通常シネプレックスで上映されるハリウッド映画、香港映画などは少なくとも15分、時には20分ほどは予告編と宣伝で潰されるので、私はいつもその時間を見計らって、ホールに入るのです。今回は多少早いけどいいやと思って、10分後にホールに入ったら、ちょうど Stem が始まったところでした。 一瞬、ええ、もう始まったの! と思いましたが、すぐに、これはマレー映画なんだと、思い直しました。

マレーシアのシネプレックスでは、本編上映開始前に延々と映される宣伝フィルムの半分以上がビールのコマーシャルフィルムです。Carlsberg と  GuinessAnchor の両メーカーが、宣伝するコマーシャルです。いつも感じるのは、その製作スタイルが全然マレーシア的でも東南アジア的でもなく、一体全体そのコマーシャルは欧州で100%製作されたもの? それとも多少でもマレーシアの広告会社が絡んで当地で製作しているの?と思える内容です。 なぜこんなスタイルのコマーシャルを毎回毎回映し続けているのか、私には不思議です。この種の業界で働くマレーシア人には英国やオーストラリア留学人が多いので、違和感さえ感じないのだろうか?

なぜIntraasia はこういう風に皮肉に捉えるかです。Intraasia はアルコール類はほとんど、とりわけビールは全く飲まないので何銘柄でも関係ありません。単なる宣伝・コマーシャルの面白さの観点からだけ眺めています。 タイではテレビで Changビール(象のマーク)の宣伝がよく流されています。そのコマーシャルはいかにもタイらしい雰囲気を感じさせますし、もちろんタイ語だけです。なぜ、マレーシアのビール宣伝はこうも欧州流なんだろうというのが、長年のシネマ通い者であるIntraasia の疑問です。なおマレーシアの一般テレビはムスリムも見る不特定多数の視聴者を対象にしているため、テレビでビール宣伝は放送できません(そのはず)。

ですから、シネマではビールコマーシャルがとりわけたくさん流されるように感じます。しかしなあ、その内容があまりにも非マレーシア的で・・・・・ というところです。

そこで前の話題に戻ります。映画 Stem がハリウッド映画や香港映画に比べて、本編上映開始が早く始まったのは、そのビールコマーシャルが映されないからだと、気が付きました。マレー映画を見るのが久しぶりで、つい忘れていました。マレー映画の観客は、Stem の場合も同様に、圧倒的にマレー人ばかりです。よって、こういう観客構成に対して、ビールコマーシャルを映せないのはわかります。 マレー人観客に混じって観ると、どういうところで観客が反応するかがわかっていい点があります。これはVCDで観ていてはわからないことですね。台詞は早口も混じった日常口語ですから、Intraasia によく聞き取れない場合も当然ありますが、流れの中で観ていればまあ理解はできます。

ということで、これまでにも主張したことのある、「マレーシアではシネプレックスで映画を観ませんか」 というお勧めも兼ねた、最近見たマレー映画のお話でした。


【 自動車運転免許証の更新 】

昨日運転免許証の更新をしました。 自家用車なんてもちろん持ってないし、もう長いこと車を運転することさえまったくないのに、免許証だけは90年代前半から所持しています(当時は自家用車がありましたからね)。まあ、一度取得した免許証を放棄してしまうのはもったいないし、免許証はいわば身分証替りにもなりますからね。

ということで、今年もRM 30 払って更新しました。何年かまとめて更新することももちろんできますけど、Intraasia は毎年行っています。街の郵便局(POS) で更新すると手数料がRM 2ぐらいかかるので、出かけたついでに、道路交通庁 通称 JPJ の支所または本部へ行って更新します。昨日は市内中心部のTuank Abdul Rahman 通りにあるショッピングセンター兼オフィスビルMaju Junction にある JPJ 支所へ行きました。

長年このJPJ支所はすぐ近くの Pertama Kompleks にあったので、最初そこへ行ったのですが、JPJ が見当たりません。しかたなく近くのテナント店の人に聞いたら、Maju Junctionに転居したと、教えてくれました。お知らせぐらい出して置けよと思いましたね。

Maju JunctionのJPJ 支所は広々としたオフィスに変わりました。待合椅子もたくさんあり、かなり空いています。クアラルンプール郊外にあるJPJ 本部の混雑状況とは随分違うなあと思いました。もっとも支所ですから、全部の取り扱い機能を備えていないでしょうけど、一般的な手続は全てそこでできるはずです。

その階にはJPJのオフィスが2つあったので、どちらのオフィスかなと思って案内掲示板を見ました。そこで Pembaharuan Lesen Memand (運転免許証更新)という単語が書いてあるほうのオフィスに入って、番号待ち紙片をもらいました。官庁ですからこの種の表示は全てマレーシア語だけです。待っている人が少なく数分待つだけで我が順番が来ました。窓口に備え付けの椅子に座って、現行免許証とRM 30を差し出し、5分もかからずに更新完了です。空いているというのは、まこと結構なことです。

マレーシアの運転免許更新は、なんら検査も講習も受ける必要はありません。普通の自家用車免許なら、窓口で年間RM 30を払うだけです。そしてパウチされた更新証明カード、免許証と同じ大きさ、が交付されます。だから更新証明カードの発行に限っては POS でも行えます。多くの人は元の免許証をなんら変更することなく更新するので、更新証明カードが増えていくことになります。更新カードには、何年何月何日から何年何月何日までとの日付が記入されています。

もちろん、小さな写真を持参して有効期限を新しくした免許証自体を発行してもらうこともできます(同料金)。その場合は免許証用の写真を免許証に貼ってパウチするだけの簡単な製法です(ただし、こういう簡易法ではない種類の運転免許証もあるかもしれません)。

マレーシアの運転免許証には永久登録番号というのがなく、発行番号が載っています。そこで更新証明カードに載っている番号も単なる発行番号です。よって更新証明カードの番号は全て違います。 免許証の記載住所につては、その住所を証明する書類を見せろと言われたことはありません、でもそういう書類を用意していてきた人も中にはいますけど。 数年前のこと、更新料支払い時に、写真を替えて免許証を新しくしました。その際 JPJ 本部の窓口女性が住所の1字を間違えてタイプしてパウチしました。私はその窓口を立ち去る前に見つけたので、その間違いをその係りに指摘して訂正してくれるように言いました。しかし間違いタイプした彼女は一言、「来年更新するときに、その間違い字を訂正してもらってください。」 と言い放ちました。

ということで、訂正までに1年間待ちました。誰の免許証であれ、免許証の記載住所の正確度はこの程度だということですな。


【 ベルリンの壁崩壊20周年に思うこと 】

11月9日は東ベルリンの壁崩壊が始まった日から20周年だと、この数日当地の新聞は外報ページと特集ページでそのことを載せています。ほとんどが外国マスコミ記事の特約掲載です。マレーシアにとってベルリンの壁崩壊とその後に続いた東ヨーロッパの瓦解は、それほど大きな意味と関連を持っていたとは思われませんし、99%以上のマレーシア人にとっても同じでしょう。

実は私にとって、ベルリンの壁崩壊とその後に続いた東ヨーロッパの瓦解は当時極めて大きな関心ごとであり且つ個人的に関連したことでした。あの頃私はヨーロッパ永住を決意してオーストリアに長期滞在しており、その日西ベルリン側から映していたテレビの生中継画面でできごとを知りました。オーストリアは地理的に東欧に食い込んだ形の最も隣接した国であり、且つドイツ語圏の国です。 壁崩壊のインパクトは日本でニュースを受け止めた場合よりもずっと重いものでした。

当サイトの中で以前ごく軽く且つごく短く触れたことがある程度で、常連読者でもご存じないでしょう、私の青春をかけて取り組んだ地域が冷戦時代の東欧だったのです。1970年代後半から80年代初期まで、つまり20代半ばから30代初め頃まで、私は(地理的な区分で言う)中東欧に没頭していました。 その後1980年代中頃から東南アジアに興味と関心が移りましたが、東欧への関心は事情あって1990年春にヨーロッパを最終的に去った時まで大なりなり小なり持ち続けていたのです。

ベルリンの壁崩壊が始まって数週間後、多分12月初めごろかな、私は西ベルリンから東ベルリンに入りました。壁崩壊が始まったとはいえ、長さ百数十km以上もある壁の大部分がまだ厳然と建っていました。まあ当時日本人としてかなり早期に東ベルリンに入った者だといえるでしょう。有名なCharlie 国境検問所には建物があり官吏もいましたが、何の検査も受けずに東ベルリンに入れました。ブランデンブルク門を間近に眺めて感激し、近くのメンサ(食堂)で食事をしたことを覚えています。 その後1990年になってから、東ドイツのドレスデンも訪れました。 その時たまたま東ドイツ市民の10万人大集会が行われ、私は興奮高まるその現場にいました。

東欧の回顧を書けば1冊の本になるほどあります。1970年代の東欧は政治的にも経済的にもそれはそれは厳しい時代でした。日本円がまだそれほど強くなく、日本で稼いだ金を節約に節約しながら東欧を歩き回っていたものです。情報の少なさは、21世紀の現代からは全く考えられない程度でした。現在20代、 30代の方には想像もできないでしょう。単にインターネットがないということではなく、政治体制ゆえにあらゆる情報が制限されており、いうまでもなくまともなガイドブックは皆無の時代です。典型的な経験を上げれば、チェコスロバキアから西ドイツへ行く国際列車切符1枚買うのに、大げさではなく1日仕事だったのです。そして冬の厳寒さとお粗末な大衆食の状況は、若さ真っ只中の私でも多いに苦しみました。そんな70年代後半の東欧の状況を体験した私には、 1989年秋から東欧が次第に瓦解していく様子は、まこと興味を持たせるできごとでした。

一方、苦労に苦労した東欧への打ち込みが後のIntraasia にとって、物の見方と人々の観察と街・町の歩き方の基礎を作ってくれました。それがあったからこそ、1990年代以降はIntraasia として書き続けることができるようになったと思っています。

そのちょうど20年後、私自身が瓦解のがけっぷちに立っており、ゆったりと回顧談を書いている気分にはとてもなれません。そこで、この歴史的記念日に全く触れないのも残念なので、ベルリンの壁崩壊20周年に思うこと、をこの場にごく短く書いておこうと思った次第です。


【 有名ショッピングセンターの手の込んだクリスマス装飾と展示 】

クリスマスシーズンですから、クアラルンプールのショッピングセンターの装飾はそれが中心になるのは例年のことです。我がアパートから歩いて行ける近さから Intraasia がしょっちゅう行く、というか通りすがりに立ち寄るといったほうが正確です、有名ショッピングセンターの3つとも白いクリスマスがテーマのようです。例年クリスマスツリーだけでなく、雪や氷はテーマになっていますが、今年はより主テーマになっているかのように感じました。熱帯の国ですから国民の間にはある種雪への憧れがあるのは自然ともいえるでしょう。そのために、クリスマスはあくまでも北国のイメージを模すことが多いに好まれます。

Berjaya Times Square の大装飾はまさに雪雪です。天井から綿でこしらえた”雪を激しく降らせて”います(紐で吊ることで雪降りを表現)。そして地面や小屋に積もった雪で広い展示場は真っ白です。 子供たちだけでなく、若者たち、家族連れがその積雪場で写真を撮りあっています。 民族は入り混じっており、ムスリムもごく普通に展示場で写真を撮っていますよ。 Sungei Wang Plaza の展示舞台には、ちょっと芸術的な氷と雪をイメージしたクリスマスデコレーションが飾られています。  広さではとてもBerjaya Times Square にはかなわない Sungei Wang Plaza ですが、訪れる人の多さは群を抜いていますから、まこと多くの人の目に入ることでしょう。

クアラルンプール中心部で最も高級なそしてまだピカピカの新しさを残す、Pavilion はその敷地内である遊歩道兼広場に、氷をイメージする材質でトナカイの群れが製作してあります。 観光客もマレーシア人訪問者もそのトナカイの前で写真を撮りあっています。一見ムスリムもごく普通にそれに加わっていますよ。

別にクアラルンプールの有名ショッピングセンターに限らないはずですが、マレーシアのショッピングンセンターのクリスマス装飾と手の込んだ展示は、宗教色を多いに薄めたあり方であり(キリストの像とかその置物類はまず目に付かない)、内外の観光客と訪問者を楽しませてショッピングにひきつける役割を狙っていると言えるでしょう。そして人々の反応を眺めていると、その狙いはほぼ当たっているとも感じますね。



クアラルンプールのSegambut Dalam はMont Kiaraに隣接している


このタイトルから地理が頭にすぐ浮かぶ方はまずいらっしゃらないでしょう。できれば地図を掲げたいのですが、スキャナーがないので残念ながら割愛です。 Mont Kiara という地名をご存知の方は、居住されている方はいうまでもなく、クアラルンプールの地理の知識がある程度お持ちの方なら珍しくないでしょう。しかしSegambut Dalamの地名と位置をご存知の方は皆無に近いはずだと思います。

Segambut Dalam はもっと広範囲な Segambut地区の中の一地域名・カンポン名です。クアラルンプール中心部の周囲に位置する広域地区には大きく分けると、10 前後あり、Segambut はその広域地区名の一つです。

Mont Kiara 、そうクアラルンプールの中で西欧人や日本人などのエクスパトリエイトが最も集中して住む地区の一つであり、最高級コンドミニアム郡がそびえ立つ地としてのイメージは響き渡っています。訪れたことはなくてもその高級イメージはクアラルンプール内外のマレーシア人なら多く人が持っているほどの、高級地区です。外からしか眺めたことのない私ですが、賃貸料月RM 5,000 クラスの最高級コンドミニアムがあちこちに建ち並び、インターナショナルスクールが複数校存在し、高級ビジネスビルが建ち、高級ショッピングセンターもある、大衆層にとってはある意味では隔絶した別世界です。

目的地名・停留所名で検索できない Rapid KL の公式サイト

ちょっと前のことです。そのMont Kiara 地区に用事ができたので、そこへ行くためにバス情報を探しました。というのもIntraasia がめったに訪れることのないMont Kiaraを最後に訪れたのは数年前のことでしたので、バス種類の記憶が薄れていたからです。

そこで例によって Rapid KL の公式サイト (www.rapidkl.com.my) で Mont Kiara へ行くまたは通るバスの番号を探しましたが、見つかりません。 Rapid KL のバス情報はある場所へ行くバスの番号がわかっているまたはそのバスはどの方面に分類されているかを確実に知っている人が探すように作られているため、漠然とどのバスがある場所を通るまたは行くのかな、という情報を捜すことができない仕組みになっています。

これはバス番号またはバス停留所名の検索機能としては非常に不十分、いやむしろ落第だといえます。 例えば Yという場所を通るバス番号を確実に知っている人は、いつもそのバスを利用する人を除いて、非常に少ないのが当然であり、だからこそ人は検索したいわけです。さらに Yという場所がどの方面にあるかを知らない人がその場所へ行くにはどのバスに乗ればいいかも調べることになりますよね。 よっていつもながら、Rapid KL サイトの構成には不満を感じるのです。そしてどうしてこんな基本的なことに、Rapid KL の経営陣は気がつかないまたはわからないのだろうと、思ってきました。

Mont Kiara という地名は、Rapid KL の公式サイト内で6種に分けてある Area のどれを見ても代表地名には載っていません。
Area 1: Kuala Lumpur City Center、  Area 2: Selayang - Kepong - Gombak、  Area 3: Keramat - Ampang - Pandan、   Area 4: Cheras - Kajang - Sg.Besi - Putrajaya、    Area 5:Klang - Shah Alam Selatan - Subang Jaya - Jln Klang Lama - Puchong、  Area 6:  Shah Alam Utara - Subang - Damansara - PJ Utara - Bangsar

この区分法でいけば Mont Kiaraがだいたいどの方面に入るかは Intraasia にはわかりますので、Area 2 を開いて Mont Kiaraへ行くまたは通るバス番号を確認しようと思いました。 Area 2方面の全てのバスバス番号を探しても、Mont Kiara という行き先名は見つかりませんでした。おかしいな、以前確か Segambut 行き Rapid KL バスで Mont Kiaraを訪れたことがあるのになあ、と思いました。そこで確認のために、 Rapid KL のお客様係りに電話して、Mont Kiara 行きのバス番号を尋ねてみました。

やはり Segambut Dalam 行きでした。そこでこのバス U7 をクリックしてその細かな停留所名を調べると確かに Mont Kiara という文字が1個だけ出てきます。実はこのU7バスは 行き先名のSegambut Dalamに着いた後、道路のルート上 Mont Kiaraの外周道路を廻ってまたSegambut Dalam に戻って来てからクアラルンプール中心部へ向かうルートになっています。 いずれにしろバスの出発地名兼行き先地名には Mont Kiara という地名は出てきませんし、表示されないわけです。

Rapid KLバスの公式サイトに停留所名検索機能がない以上、"Mont Kiara" という文字を入力しても バス番号は出てきません。つまり Segambut Dalam 行きのバスが Mont Kiaraを通るということを多少でも知ってないと、このバスを利用できないことになるでしょう。 またはArea 2に載っている全部のバス番号をクリックして細かに全ての停留所名を調べていけば、いつかは探しだせることでしょう。

しかしMnt Kiara がどの方面にあるか知らない多数の人にとっては、全てのArea で同じような作業が必要なので、これは極めて非効率的な探し方といえますね。
すべからく全てがこうなのです。 クアラルンプール圏のバス会社の公式サイトで一番まともである Rapid KL のバスでさえ、この程度の情報しか得られません。

Rapid KL のバスは 2009年11月からルート変更・新設・廃止を45の路線で行うという大きな時刻表改正を実施したのですが、このコラムを書いている12月末になってもこのルート変更・新設・廃止はお知らせページに載せてあるだけで、本来の 6エリア方面に分類したバス番号別行き先名表示ページには載っていません。2ヶ月経っても更新・変更されていないということです。 なお改正後 U7 バスは Chow Kit ではなく Lebuh Ampang − Segambut Dalam 間の運行になりました。

この改正に関して、Intraasia は11月の新聞の記事で次のように解説しておきました。
今回の改正で多くのRapid KL バスが KL中心部の Lebuh Ampang通り一帯( 含む Medan Pasar, Pasar Seni) に集まることになります。

バス評論家として批評しますと(笑)、Rapid KLバスの以前の路線体系により近づいたということです。Rapid KLは3年半ほど前に運行体系を完全なハブ方式に変える大改革を行いました。当時郊外からのUバスはクアラルンプール周辺の5つハブとの間だけの運行で、中心部内はBバスだけが運行する形でした。そのため乗り換えの不便さが声高くなり、その後数年間で数回の路線修正で次第に中心部へ直接乗り入れるUバスが多くなりました。今回はその仕上げともいえます。つまり4年ほど前の形に近づいたということです。 Rapid KLバスのハブ化で得したのは郊外と中心部間を運行するMetro バスです、この4年弱でMetro バスは多いに路線を増やしましたからね。クアラルンプールと郊外における公共バスのハブ化はこうして不成功という結果に終わったわけです。それは公民の両界におけるバス運行優先思想の欠如が最大の原因です。なおなんとか成功している例外は郊外の LRTの各駅を起点に巡回するTバスです。もちろん当局もRapid KL も公式にはそんなことは言いませんが、実態は失敗であったということです。

Metro バスもほぼ同じルートを走行しているが、Mont kiara 行きとは表示していない

実はRapid KL のU7 バスにほぼ似たルートを取る民間バスがあります。 民間バス最大手の Metoro バスの 37番です。しかし Metroバスにはバス情報を載せたホームページがありませんので、インターネットで情報を得ることは不可能と言えます。要するにこの37番バスに乗ってMont Kiara へ行く人は、 Metro Bus のSegambut Dalam行きは Mont Kiara も通ると知っている人に限られるということでしょう。

ただ現実には Mont Kiara へバスに乗っていくような人はごくごく限られているのです。なぜか? 今や高級コンドミニアムとビジネスビルがあちらにもこちらにも建ち並ぶ、クアラルンプール圏有数の高級地Mont Kiara に住む、働く、訪問する人は、まずバスなど利用しないということなのです。何年か前にKL Sentral から、どのバス会社かは忘れましたが 日にわずか数便のバス便をMont Kiara 間で運行していたことを覚えています。しかし1,2年程度で廃止されたところから考えれば、実に利用者が少なかったということでしょう。まあ1日に数便じゃ、実際利用するにも極めて不便ですけど。

ところでほんとに利用者が全くいないということではないはずです、ビルやコンドミニアムでの掃除などの肉体労働仕事で通う女性たちはこの種の乗り合いバスの利用者ですからね。なお Rapid KLバスの U7 とMetoro バスの 37番以外に、Mont Kiara 地域内を通らないが、その近辺に停車するバスはあるそうです。

益々発展するMont Kiara とはごく対照的な Segambut Dalam

さて数年ぶりに訪れたMont Kiaraはさらに建物群が広がっていました。数年前の記憶では隣接したSegambut Dalamに空き地、小さな林などの緩衝地帯がまだ残っていたのですが、今回訪れて驚いたのは、新たな高級コンドミニアム群がもうその緩衝地帯にも建っているかまたは現在建築中です。ほとんどが古ぼけた木造1,2階建ての住居群からなる、都会に残るカンポンである Segambut Dalamのまさにすぐ隣にまで 20階建てクラスの実に高級な大コンドミニアムが迫ってきたのです。両地域におけるその対照的な姿は、ものすごい違いと表現しても決しておかしくはないでしょう。

Segambut Dalamはもともとマレーカンポンであったと思うのですが、いつごろからか知りませんが、かなりの移住インドネシア人が住んでいます。以前その地域を歩いた時、崩れかけたような建物の飲食店や雑貨屋にインドネシア風メニュー・雰囲気が目立ち、人々の振る舞いにインドネシア人の存在の多さを感じました。 Segambut Dalamはなんとなく物憂げで、古びた感じのする地域です。そこに隣接した丘陵地が一大開発されてMont Kiara となり、見上げる高さの大コンドミニアムが建設し始められたのは90年代前半から中頃のことです。当時 Intraasia はこのあたりを自動車で走行したことを覚えています。 

その後 Mont Kiaraは急激に発展し且つ範囲も広がって、続々と高級コンドミニアム群やビジネスと商業施設が増えてきました。それが今やSegambut Dalamのすぐ隣に建つ状態にまでなったのです。しかしSegambut Dalamは90年代中頃と大して変わっていないかに見えます(変化がないことはないでしょうけど)。開発から取り残されたのではなく、開発とはあまり縁のない地域としてあり続けてきた、そして今後もそうあり続けるかのようです。

Mont Kiara の人たちは乗り合いバスを利用しない

Rapid KL のU7も Metro バスの 37番も、乗客はクアラルンプール中心部から来る場合はSegambut Dalamまででほとんどが降りてしまいます。そしてクアラルンプール中心部に向かう場合は Segambut Dalamからまたはそれを過ぎてから乗ってくる人が徐々に増えていくようです。Mont Kiara 地区の外周を走行しているこの両社のバスを見る限り、乗客は乗ってないかよくて数人程度ですね。この事実が如実に示していることから、Mont Kiaraの住人と勤め人はこのバスをまず使わないだろうと推測できます。 だから クアラルンプール中心部である Lebuh Ampang −Segambut Dalam間を運行する U7 も37番も 行き先は Segambut Dalamとしているのかな。Mont Kiaraは単なる付けたしに過ぎない、と言ってもいいでしょう。

Intraasia がこのコラム上段で、Mont Kiaraは大衆層にとってはある意味では隔絶した別世界であると評した主たる理由の1つに、その多数のコンドミニアム及びビジネスと商業施設の存在にも関わらず、公共交通手段の驚くべきともいえる貧弱さがまず第一に頭に浮かぶことがあります。確かに 高級地は概して公共交通手段が不便です、しかし例えば Bukit Tunk のような高級地にはビジネスと商業施設はありません。Mont Kiara にはこれほど多くのコンドミニアム及びビジネスと商業施設があるにもかかわらず、これほど乗り合いバス面で不便であるという高級地はクアラルンプール圏では珍しいのです。



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