・KLからペナンへ飛行機とバスで往復しホテルで1泊、総費用RM 100で済ます
・インドネシア スラウエシ島の小旅を題材にして、旅の3大要項 移・食・住を語る
・ブラウザーFirefoxのマレーシア語版製作が進行しない背景と状況を解説する ・落雷が世界でも有数に多い国 マレーシア
・初等教育における学校及び高等教育機関の学生数に関する近年の推移
・住み込みメイドを巡る論議とマレーシア中流家庭の一般的な捉え方 ・ Intraasia の雑文集 −2009年第2四半期分
インターネット時代ですから、旅行の仕方に昔とは大きな変化が起きて、それがもう根付いたかのように思われます。もちろん今後も引き続き変わっていくでしょうが、インターネットがなかった頃の80年代からインターネット利用が世の中でほぼ確立した2000年ごろにかけて起きた変化ほど大きな変化はもう起きないでしょう。 つまり、すでに有の時代における変化の程度は、決して無から有への時代変化ほど大きくなりえないということです。
旅行の仕方の中で変化の最たるものは、情報集め手段と予約・事前購買の方式の変化といえるでしょう。 旅行情報はかつては書籍を通じてまたは知人や代理店に尋ねることで得る情報がほとんど全てと言っても間違いではなかったはずです。しかし今ではインターネットで検索すれば、ほとんど尽きることのないほど多種多様従って玉石混合そして真偽あいまいといえる情報が得られます。 多量の情報があまりにも容易に得られることから、それ自体に振り回される旅行者が出るのも不思議ではありません。しかも今後はそういう人たちが益々増えていくことでしょう。
予約・事前購入の方式にも多大な変化が生まれました。もう代理店だけに頼る必要はなくなったわけで、旅行する個人が直接予約・事前購入できる機会が飛躍的に増えましたよね。直接交渉・購入方式は昔もありました、しかし電話またはファックスという手段がほとんどであり、あくまでも代理店ビジネスを補完する位置づけと見なせました。この位置づけに多いに変化をもたらしたのが、インターネットの飛躍的普及とブロードバンド化ですね。こうして旅行者自身による予約・事前購入がごく一般化したことは、旅行産業の発展に多いに貢献しているといえます。
さてその旅行者自身による予約・事前購入方式を取り入れた代表は、航空会社とホテル業界だといえるでしょう。マレーシアでいえば、その雄は格安航空会社AirAsia であることは衆目の一致するところです。 AirAsia はすでに数年前から東南アジア圏の航空会社と評しても全くおかしくない成長を遂げました。成功の第一の理由は航空運賃の安さとインターネットを通した明確な価格付けスタイルにあります。ペナン片道切符 RM 1.99、バンコク片道切符 RM 9.99 という広告は誰の目も引きますよね、たとえ空港税、燃料追加費、運営費などが上乗せされるので、片道切符代だけではその飛行便の総支払い価格にはならないことがわかっていてもです。
Intraasia はAirAsia が発足した直後の2002年初めからそのあり方に非常に興味を感じました。筋金入りの節約旅行者として、余分なことを省いてできるだけ安く且つわかりやすい値段付けスタイルに引かれたからです。Intraasia はずっと昔から、機内サービスなど一切要らないからその分安くしろ、缶ビールを飲む乗客とジュースしか飲まない乗客がなぜ一緒の運賃だ、荷物は全て 1kgいくらという料金付け体制にすべきだ、20kgも持ち込む乗客と カバン込み 6kg程度しか持ち込まない私のような乗客とが同じ料金範囲というのはおかしい、という主張をしている人間ですから、AirAsia の機内サービス全て有料化には多いに同感しました。座席の指定なし方式も多いに同感したのですが、残念ながら一部の乗客の身勝手行動のせいでこの座席指定なし方式が今年から廃止されてしまいましたね。バスと同じで、好みの席に座りたければ、搭乗時に先に並べばいいまたは座席指定料金を払えばいいのです。座席などどこでも空いてる席で私は構わない。
ということで、当サイトで当初からAirAsia を紹介するだけでなく、Intraasia 自身でも何回もAirAsia を利用してきました。なお今回一つ残念に感じる且つ姑息ともいえるAirAsia ビジネススタイルに出会ったことを下段に付け加えてあります。
さて4月初めにゲストブックに書きましたように、久しぶりにペナンへ行ってきました。といってもペナンにいた時間は20時間にも満たないという短時間でしたし、且つ運悪く左足首を痛めてしまったことから、まったくといっていいぐらい歩き回れず、予定していた調べごとはほとんどできませんでした。
2年近くもペナンを訪問していないので、なんとか総費用RM 100程度でペナン訪問をしたいなと前々から思っていました。 しかしこの予算では極めて難しいのです。ところが今年2月中旬にその機会が来ました。AirAsiaグループの格安ホテルチェーン Tune Hotels.com がペナン島に新規ホテルをオープンするという広告を見たからです。部屋代 RM 9.90という AirAsia でお馴染みの広告スタイルです。 そこで早速Tune Hotels.com のサイトで希望日の料金を調べました。税サービス料などを加えて宿泊料金はRM 13.87 となります。これはTune Hotels.com ペナンが提供する最低価格です。週末は高くなるので選択しませんが、平日の曜日にはこだわる必要はないので、どうせならオープン初日にしようと、4月1日泊を予約つまり事前購入しました。なおTune Hotels.comはAirAsia と同じく、予約即支払いが伴います。
Tune Hotels.comはサービスはすべて有料というAirAsia コンセプトなので、利用者はその人が必要と感じるサービスだけに追加料金を払う方式です。つまりエアコン使用料 12時間でRM 13.49、タオルと石鹸使用料 RM 5、 WiFi 24時間利用料 RM 12、ドライヤー使用料 RM1などとなっています。部屋には天井扇風機がついているとのことなので、Intraasia はエアコン代を払ってまで冷房にこだわりません、というのも自宅ではエアコンはごくまれにごく短時間しか使いませんから。 タオルはどんなのを使用しているのか試してみようということで、予約購買時にタオル石鹸使用料だけを追加払いしました。従って宿泊総額はRM 18.87 となりました。
ホテルは取ったので、次はペナンへの往復手段をどういう組み合わせにするかに取り掛かりました。なおペナン空港内及び空港とジョージタウン間のバス便を調べたかったので、片道はどうしても飛行機にすることにしました。
マレー鉄道は寝台を使わない限りバスより多少安く済みますが、なにせ時間が余計にかかる。
Ekspres Rakyat 号: クアラルンプール発1423 バタワース着2145、 バタワース発0700 クアラルンプール着1400、この時刻表では1日目も2日目もその日が街歩きに使えないので、選択肢にはなりません。 複数泊すれば選択に入るでしょう。
Langkawi号: クアラルンプール発2023 バタワース着0439、 バタワース発2024 クアラルンプール着0500、 4時半にバタワースに着くのでこれは早すぎる、3時間あまり時間をどうやてつぶすかです。 2等寝台上段で料金RM 38 バタワース発夜8時半では、歩き回った後疲れた身体でかなりの時間をどこかで潰すことになる。
なおクアラルンプール −バタワース間を週末だけ運行する列車便がありますが、これは最初から選択になりませんでした。なぜなら Tune Hotels.comの週末の宿泊料は平日の超格安である RM 20弱はまったく提供されていないからです。宿泊移動は平日に限るというのが、Intraasia 自身の経済的条件です。
ということで、列車の選択を落として、バスで行くまたは戻ることにしました。
航空会社はAirAsia とFirefly の2社が選択肢となります。 飛行料金総額だけをみれば、最安値同士を比較すると、AirAsia の方が 10数リンギットぐらいは安くなります。ただAirAsia の場合はKLIAの格安航空専用ターミナルまでのバス代がかります:RM 8または9. Firefly の場合はスバン空港発着なので、Rapid KLのバス運賃はRM 2と安く済みます。なお Intraasia は間違ってもタクシーなどは使いません。こうした所要総額で計算し且つ発着時刻をいろいろと比較した結果、AirAsia のKLIA発11時が一番最適だと判断しました。
そこでペナンで宿泊する日の朝クアラルンプールを発つ便の航空料金総額が RM 35.70 で確保できました。クアラルンプールからペナンへ飛ぶAirAsia 便の底値はRM 30ほどですから(その料金で確保できる便と日にちは非常に少ないし、4月1日という制限を考慮すれば)、まあまあの安さでしょう。RM 35.70の内、空港税はRM 6になります、つまり航空会社が乗客から実際に得る額はRM 29.70です。とはいえ内訳は利用者にとって重要ではありません、総額でいくらかが鍵なのです。
行きを飛行機にした経緯から、帰路はバスです。
中長距離バス運賃は昨年かなり値上がりました、運賃は据え置きでも燃料費追加代を加えるという例のありかたです。利用者にとって内訳などどうでもいいことであり、要は目的地までいくらかかるかですよね。だから実質値上がりです。バスターミナルで調べた結果ペナン行きは一番安いバス会社でRM 31強です。何社かはRM 35ほどです。Niceバスのような豪華バスは当然もっと高いので最初から選択になりません。
ペナン-クアラルンプール間を運行しているバス会社はたくさんありますが、ペナン発クアラルンプール行きのバス切符をクアラルンプールで販売しているのは、オンライン化している中大手バス会社だけであり、小規模会社では無理です。よってバス会社の選択は限られてきますが、こういう場合は国内最大の中長距離バス会社 Transnasional が一番無難でしょう。 ペナンからクアラルンプールに戻る場合、ペナン島の Sungai Nibong バスターミナル発と本土側のバタワースバスターミナル発の2ルートがあります。バタワース側の変化を調べるつもりだったので、4月2日バタワース発の切符を2月末前に購入しておきました。バス切符代は RM 31.3 です。
AirAsia のKLIA発がなんと 4時間も遅れてしまい、出発は結局 15時過ぎ、よってペナン空港に着いたのが 16時です。これでその日の街歩き計画はものすごく短縮されたことになります。加えて、KLIAのLCCターミナルで飛行機待ちしている間に空港外を歩いた際に痛めた左足首が益々激痛となってしまい、空港からバスに乗ってジョージタウン中心部のPrangi Mall に着き、そこから Burma通りにある Tune Hotels.comペナンまでなんとかたどりついたのが精一杯でした。こうしてその日の夕方と夜はもう街歩きどころでなくなりました。
翌日は痛みが半減したのでびっこひきひき歩くことはできましたが、それでも長歩きは難しい、ということで、ペナン警察署裏から Rapid ペナンバスで Weld Quay のJeti まで行きました。このように2日間で2本の Rapid ペナンバスに乗り、運賃合計はRM 3です。
そしてフェリーでバタワースに渡り(フェリー代は無料)、バス発着場からクアラルンプール行きの Transnasional バスに乗りました。
それではクアラルンプールからペナン1泊訪問にかかった費用をまとめてみましょう。
交通手段・ホテル | 内容 | 全て込みの料金・価格 |
Skybus | KL Sentral - 格安航空専用ターミナル | RM 9 |
AirAsia | KLIA空港 − ペナン空港 | RM 35.7 |
Rapid penang バス | ペナン島で2回乗車した | RM 3 |
Tune Hotels.com ペナン | 4月1日の宿泊(タオル利用料含む) | RM 18.9 |
Transnasional バス | バタワースからクアラルンプール Puduraya まで | RM 31.3 |
クアラルンプールでの交通機関 | 自宅から各バス発着場までの行き返り交通費 | RM 2.8 |
合計 | RM 100.7 |
ついでに、2路線だけ乗った Rapid Penang バスのことを書いておきます。
Rapid Penang バスという名前が示すように、Rapid KL がペナンに進出して展開しているバス網です。Rapid グループの親会社は経済省翼下にある持ち株会社ですので、Rapid Penang と Rapid KL はいわば公共企業体です。Rapid Penang バスと同じ車輛と車体カラーを使用していますね。 結論を先に言えば、3,4年前までのペナン州内の乗り合いバス各社の運行時に比べて、Rapid Penang バスの運航開始は間違いなく良い効果を与えていると思われます。言うまでもなく、もっとたくさん乗って結論付けるべきであることは承知していますよ。
Rapid Penang バスはペナン島で一般的である客待ちしながら走行するミニバス式の運行ではないことから、バスに乗っている時間が比較的短くなる、車内はきれいであり冷房車輛である、運賃が明瞭掲示されている、きちんと守られているかどうかは知りませんしかなり疑いますが、少なくとも運行間隔は Jeti バスターミナルに掲示されている、こういった点だけでも、従来のペナン州の乗り合いバスに比べれば向上しているといえます。もちろん、Rapid KL バスと同じで、定期的にいくつかの路線を利用すれば、その不満点がたくさん出てくると思われます。
ペナン空港に着いて、地上階である到着ロビーに出ました。そこは数年前(当サイトの旅行ページで写真付きで載せている)の様子とほとんど変わっていません。乗り合いバス便のお知らせは到着階と到着ロビーにまったく掲示されていませんでした。いやどこかに掲示されているのかもしれませんが、その場合でも到着客の目に入りにくいと言えます。つまり一般的なペナン空港到着旅行者は、空港乗り合いバスの存在に気が付くことはまずないでしょう(空港バスの発着は到着階ではない)。
そこでターミナル外に出て、駐車場を通って空港敷地外へと向かいました。乗り合いバスは昔から空港敷地内には入ってこずに、空港敷地から少し離れたところにある主要道路を走行しているからです。Intraasia はタクシーに高い金を払うつもりは毛頭ありませんので、痛い足を引きづりながらなんとかそこまで歩こうと思ったわけです。
そのときふとターミナルを振り向いたら、ターミナルビルの2階にあたる出発階のビル外側に、Rapid Penang バスが停車しているのが見えました。そこでさっそくターミナルビルまで戻りました。ちょうど Weld Quay 行き(Jeti 行き)のU401 番バスが乗客を乗せ始めたところでしたので、ほとんど待たずに空港を出発しました。 車内は混んでおらず、客層は空港で働くか用事で来たマレーシア人、外国人労働者風情の男といったところです。 あらかじめペナン空港の情報を収集しておかない限り、到着した内外の旅行者にはこのRapid Penang バスの存在に気がつく人はごくまれでしょう。 まあ、大多数の旅行者はタクシー代など気にしないかもしれませんが、Intraasia のような節約旅行者にはバス便は必須なのです。ですから、これまでのペナン空港利用時はいつも空港外まで歩いてバス停で気長に待ちました(ここまでやる人はまずいないでしょうけど)。
マレーシアの空港にはこの種の乗り合いバス便を敷地内に乗り入れさせたくないあり方または雰囲気が昔から多いにあります。例えば、スバン空港、ランカウイ空港、コタバル空港、クアラトレンガヌ空港、タワウ空港など(ジョーホールバル空港は例外といえるでしょう)。一番考えられる理由を推測すれば、空港を足場にしているタクシー業者の反対が最大のものでしょう。 ペナン州当局が製作配布に関与していると思われる、George Town World Heritage Site Map というなかなか優れた無料地図兼ミニガイド資料が手元にあります。2008年12月第1版ですから、最新情報ですね。 これにもペナン空港のバス便に関する情報は皆無です。Rapid Penang バスのU401E番は空港を経由するはずなのに、U401E番の行き先複数提示に空港の文字が欠けているのです。タクシー業者の圧力かどうかわかりませんが、到着階ロビーに乗り合いバスの情報さえ掲示しないのです。
ツーリズムマレーシアのペナン州観光パンフにはもちろん空港バスのことなど言及していません。
このように、印刷された公式情報からは見事にペナン空港発着の乗り合いバス情報が欠落しています。なお公式ウエッブではどうかは、まだ調べていません。 なぜこういう風になるか、ツーリズムマレーシアの見解を知りたいものですなあ。
バタワースでは立派なRapid Penang バス専用ターミナルが完成して、バスが発着していました。その場所は青空式の中長距離バス発着場のすぐ隣の敷地です。以前のペナン州乗り合いバス発着場は青空式できちんとした待合場所すらなかったことに比べれば、はるかに向上した施設です。
中長距離バスの切符売り場は相変わらず橋の下の薄暗い狭い場所です(誇張ではなく本当に陸橋の下なのです)、利用者をばかにした、このバス切符売り場が建設が予定されているという新ターミナルに移転するまでに、あと何年かかるのだろうか?
ペナン州には膨大な投資が行われてきました。その一方バタワースのバス発着場はもう7,8年も橋の下で切符を販売し、屋根のない広場でバス乗降するという方式を保持してきたのです。ことほど左様に、バス利用者は冷遇され軽視され続けています。
上記でAirAsia のフライト出発が4時間以上も遅れた、と書きました。 Intraasia が購入したフライトは4月1日午前11時発です。LCCターミナルに着いたら電光掲示板にそのフライト番号がないので、AirAsia のカウンターで尋ねたら、機体故障で急遽フライトが別の番号に変わり、出発は14時50分だとの説明を受け、搭乗券を発行してくれました。少し後で別のカウンターでもう一度同じ質問をしたら、今日該当フライトの変更が急遽行われたという、同様の返答でした。
従ってIntraasia は当初のフライトが4時間遅れだと捉えていました。実際に搭乗開始したのは15時です。尋ねたAirAsia カウンターの係りも、AirAsia 側の理由で2時間を越える出発の遅れだから、AsiaAsia の規定から料金払い戻し請求できると断言しました。AsiaAsia の規定では電子クレジットの形で利用者の口座に振りこまれることになっています。つまり現金ではなく次回にAirAsia航空券を買う際、そのクレジット額を総額から差し引きできるというものです。
自宅に戻った日(2日)の夜、メールを開いたら、1日付けでAirAsia から2通のフライト確認メールが届いていました。これはいつものことなので気にしませんでした。後で、添付されていたフライト確認PDFファイルを開いたら、Intraasia の当初購買したフライトはフライト番号変更とともに出発時刻が13時40分になっていました。ということは、実際の搭乗が15時ですから、2時間を越える遅れとはならないことになります。 即AirAsia宛てに問い合わせメールを送りました。
なぜなら、1日付けでAirAsia から届いていた2通のメールの時刻は1日0時30分と1日01時30分です。つまりフライト出発時刻の10時間ほど前の急遽変更通知メールです。こんな時間に送られて来たメールは当日朝早く家を出たので見ていませんでした。ほとんどのAirAsia利用者はこんな直前の変更メールには気がつかないことでしょうし、遠方からやって来る人はすでに前夜その家を出発している場合もあります。
AirAsiaはフライトの出発発時間の正確さを示す率をそのウエッブサイトに掲げています。フライトの正確さを誇ることは理解できますが、出発時間の24時間以内の変更は、フライト出発正確度の計算に含めるべきですね。そうでなければ、今回Intraasia が経験したように、空港に着いたら知らないうちにフライト自体が別番号に変わって出発時刻変更が行われていた、しかしそれは通知した変更なので、払い戻しの対象にしない、ということになってしまいます。これは、フェアーではない姑息なやり方といえるのではないでしょうか?
クアラルンプールは内陸部にある都市ですから、海岸はありません。さらに船が航行するような中規模以上の河川も流れていません(19世紀に物運びの船が運航されていたそうです)し、湖に接しているわけでもありません。よって海や川や湖の見える景色・風景とは縁遠い都市です。Intraasia はどちらかといえば山に囲まれた風景よりも水のある風景を好みます。つまり山間や盆地にある都市よりも海辺の都市、河口の都市、湖に接した都市の方がなんとなく好きですね。
マレーシアの都市ではジョージタウンがその海岸に面した好位置もあって多くの人をひきつけているのは周知の事実ですね。クアラトレンガヌとマラッカは河口にあり且つ海辺にも面して景色がいい町です。州都の中ではクアラルンプール型の水の風景のない都市がいくつかあります:イポー、アロースター、スレンバン、
コタキナバルは広範囲に海岸に接していることが売り物の一つといえるでしょう、水上家屋郡さえあります。クチンは内陸都市ですが、市内を流れる川は比較的水量多く遊覧船も航行しています。川辺の遊歩道は整備されており、なかなか気分良く歩けますよ。
さて私は4月下旬の5日間、インドネシアのスラウエシを訪れました。 インドネシアというと、バリ島しか行ったことがないまたはバリ島が真っ先に浮かんでしまう人が多いようですが、バリは、良い意味でも皮肉な意味でも、相当程度に非インドネシア的な島だといえます。加えてご存知のように、外国人旅行者が溢れた島ですね。それゆえにビジネスでもない限り Intraasia はバリ島へは行く気にはなりません。
さてインドネシアのどこにしようかと考えた中で今回はスラウエシ島を選びました。一番且つ最大の理由は AirAsia で非常なる低価格で航空券が購入できたからです。 クアラルンプール − 北スラウエシの主要都市 Manado 路線開通の広告知らせが載った当時の数ヶ月前に買っておいたもので、全て込みの往復料金で RM 100もしないという超格安でした。この路線はなにせ片道4時間も飛行するという マレーシア-インドネシア路線中の最遠距離ですよ。多分こんなに安く買えた機会は最初で最後でしょう。 2番目の理由が上に書いた、(きれいなという歌い文句の)海浜の町であることです。
インドネシアとの歴史的且つ民族的縁が深いマレーシアといえども、スラウエシ路線で毎日便を飛ばせるほど乗客数があるとは思えません(なおマレー人のごく一部にスラウエシからの移民の末裔がいることは知っています)。 実際週往復3便という運行頻度が示していますし、行き帰りとも、乗客の3, 4割ぐらいは非マレーシア人または非インドネシア人、つまり外国人旅行者でした。マレーシアと縁が深いのは、ジャカルタのあるジャワ島であり、次いで半島部に近接したスマトラ島です。マレーシアからどちらの島にも複数の都市に向けて飛行便が毎日飛んでいます。 スラウエシはといえば、AirAsia は確か1年以上前から スラウエシ南端の主要都市 Makassar との間に路線を運行しています。ただし毎日ではなく週 4往復便です。次いでスラウエシ北端に位置するManado 路線が数ヶ月前にオープンしました。なおマレーシア航空もインドネシアのどんな航空会社もマレーシア-スラウエシ間には路線を持っていません。この意味で新規路線を開拓した AirAsiaには拍手を送りたいところです。
ところで訪問者数自体はかなり少ないであろう日本人旅行者がスラウエシを訪れる場合は、ジャカルタ経由が大多数と断定しても間違いではないでしょう。ではどういう層の旅行者だろうかと推測するに、ダイバーが多数派ではないだろうか? その次はビジネス・仕事上での訪問者、インドネシア好きの旅行者、旧日本軍遺跡訪問者ではないかな?
スラウエシは決して小さな島ではありません、インドネシアで大きな面積を持つ主要島の1つです。その代表的都市は最南端のMakassar と最北端にある Manadoです。スラウエシと外国を結ぶ国際便がごく少数であることを今回実感しました。私がManado に到着した日、Manadoを出発した日、それぞれAirAsia が唯一の国際便でした。他に国際空路を持っているのはシンガポールの航空会社だそうで、加えてフィリピンの小航空会社のフライトが週1便程度あるかもしれません。つまり Manadoを結んでいる国際航空会社は2社程度なのです。 Makassar はManado より幾分国際度が高そうですが、それでもマレーシアから空路を持っているのはAirAsia だけです、 よってスラウエシ島自体が国際空路から外れているといえます。
国際線はごく少数とはいえ、Manado はインドネシアの主要都市の1つですから空路の往来はかなりあります。2億人という巨大な人口を持つインドネシアであることを考えれば、Manado空港は国内空港としてはそれなりの規模だと思いました。
Intraasia がインドネシアを初めて旅して以来すでに25年以上過ぎました。80年代初期に日本でインドネシア語を習ったのが、インドネシア旅へのきっかけでした。インドネシアの主要島の中で、私がこれまで訪れたのはジャワ島とスマトラ島ですので、スラウエシが3番目になります(比較的小さな島であるバリ島やロンボク島は除く)。25年の間に頻繁とはいえませんが、それでも10回前後はインドネシア各地を放浪旅しており、それなりにインドネシア旅の経験は積んでいます。さらに90年代になってからは、インドネシア語と姉妹語関係にあるマレーシア語が使えるようになっています。ですからスラウエシ初訪問とはいえ、その経験則を生かして、行動しました。
Manado の空港から市内までは、インドネシア特有の大衆乗り物 bemo を乗り継いで行きました。Intraasia の旅ではタクシーはよっぽどのことがないかぎり使いません。この種の安価な大衆乗り物は空港敷地内に乗り入れていない、乗り入れを禁じられているのが普通ですから、空港外までてくてく歩いていき、bemo を見つけて乗ったわけです。Manado 空港は初めて利用するので、もちろんどこらへんでbemo が拾えるかなどは知りませんでした。これまでのインドネシア旅の経験から、空港周りのどこかで拾えるはずだと確信していたからです。
なおスラウエシ北部ではこの bemoを Angkot と呼んでいることを知りました。国の西から東までその距離5千キロといわれる超広大なインドネシアでは同じような大衆乗り物の呼び名が違うことは不思議でありません。スマトラでは Angkotという呼び名が使われていないことは記憶上確実です。Angkotはバン型の軽自動車を乗り合い化させ、決められた一定ルートを走行し、Manado 市内では1回乗り 均一運賃の RP 2000 という安価な乗り物です。側部のドアは乗降の便宜のために取り払われており、ルート上であればどこでも乗れどこでも降りられます。
Angkotに乗り空港周辺からから30分ほど走って、Paal dua と呼ばれる、Angkot 兼近郊バスターミナルに着きました。この区間だけは比較的長いので運賃 はRp 2500です。 ターミナルと言っても屋根なしのオープン式のそれです。さて問題はそこから市内中心部へどうやっていくかです。その時点で私はまだManado の地図を入手していませんでした。到着時に空港内で観光案内カウンターを探したのですが見つかりませんでした。帰りの空港到着時に見つけたのですが、改装中と札がかけてあり、内部に人気はありませんでした。
このターミナルでは3桁台数の Angkot がエンジン音うるさく出入りして、しきりに客の呼び込みをしていますが、どの路線のAngkot に乗ればいいのか見当がつきません。しばし迷った末とにかく中心部へ行くだろうと思われた路線の車に乗りました。 降りたところはどうやら中心部ではなさそう、ということでまた別のAngkot に乗り、というように試行錯誤してようやく中心部らしき場所に着きました。こういった行動は東南アジア各国で何百回とやって来たとはいえ、やはり初めての都市では苦労します。とりわけ簡単な地図さえ手元にない場合はたいへんです。 Intraasia はガイドブックはめったに使いません、出発する前に多少インターネットで情報を探す程度、加えて観光局発行の無料の案内資料を参考にします。あとは現地で自分で情報を集めるあり方です。今回はインターネットで探して Manado情報(英文)で打ち出した、A4用紙表裏印刷した2枚が私の持っていた全てのManado情報でした。
印象として人口面積ともにかなりの都市であると思われる Manado級の都市を、手探りで乗り回り歩き回るのはかなりの労力と根気が必要です。なんとか地図を入手したいところです。数回目にAngkotを降りた場所が偶然大きな書店の入居したビルの前でした。その通りのたたずまいから市内中心部とわかったのですが、Toko Buku (書店)という文字を見つけたときはほっとしました。かなりの立派な書店です。ということこで早速Manado の属する ”北Minahasa 地方”地図を買いました。価格 Rp 3万。
ようやく自分がだいたいどこにいるかがわかりました。そこでまずホテル探しです。Manado情報(英文)に載っているエコノミーホテルがこれまた偶然にこの書店の対面でしたので、これは助かったと建物内に入り、レセプションで尋ねました。 一番安いスタンダード部屋がエアコン付きでRp 20万です。いささか高いけど仕方ないと思ったのですが、しかし本日満室とのことでした。それから延々と2時間近くホテル探しで街を歩き回りました。クアラルンプールよりやや暑くかなり湿気の高い天気の中ですから、全身汗まみれになってしまいました。
数日後にわかったことですが、Manado はかなりの面積と人口ある都市にも関わらず、その規模にちょっと不釣合いなホテルの少なさです。Intraasiaには全然縁のない、中高級ホテルもそれほど数あるようには思えませんでした。私のような節約旅行者にもっとも関係あるエコノミークラスのホテルがごく少ないのです。 ジャワなどではロスメンと呼ぶ、インドネシアの安宿がたくさんあるというほどでもないようです。
このため初日だけでなく2日目もホテル探しに多少歩き回りました。なぜなら2番目に訪れたエコノミーホテルはRp 25万と我が予算より確実に高かった、そこでクラスを安ホテルに落として探すことにしました。1軒目、満室でした。そこでその近くの安ホテルの場所を教えてもらい 2軒目を探して行ったけど、そこも満室、 3軒目も満室です。 いずれもレセプションのある薄暗い館内に足を踏み入れただけですでに汚なさが感じられる安ホテルですが、それでも満室とはどうして?と思いました。 その後またてくてく歩いて教えられたエコノミーホテルに着きました。一番安い部屋で Rp20万とのこと、 「うーん、 ちょっと高いなあ。初日からこの料金は払いたくない」と思ってそのエコノミーホテルを出ました。たまたまそのホテルの対面の路地を入った大衆住宅街の一画に安ホテルがありましたので、値段を尋ねた結果結局そこに決めました。
部屋代は、水浴び兼トイレとエアコン付き 窓あり Rp10万です。エアコン、シャワーなしの部屋ももちろんあります。こう書くと、インドネシア安宿事情を知らない、体験されたことのない読者は、おーそれは安い、と思われることでしょう。 確かに円換算すれば安いです。しかし質は粗悪ですよ。インドネシアの安宿はマレーシアとタイのそれよりかなり劣ります。この安宿は家族経営の小型のホテルで、大き目の住宅を改造したような宿です。泊り客用部屋は2階にあるだけです。住み込み家族経営なので態度の悪さは感じないのですが、部屋と手入れ程度はすべてインドネシア水準のそれです。
日本人の感覚から言えば、ほとんど部屋掃除はされていません。私の泊まった部屋も物置台の上にはたばこの灰が少し残っていましたし、部屋の隅々には埃がたまっています。インドネシア安宿では、水浴び兼トイレ室といってもシャワー設備はもちろんなく、水溜式です。私の泊まった部屋はバケツに水を貯めて手桶でその水を浴びる方式です。トイレはしゃがみ式がほとんどです。私の泊まった部屋は腰掛スタイルのトイレですが、水洗装置が多分10年位前に壊れたままでしょう、よって手桶で流す方式です。 水浴び兼トイレの床はほとんど粗いコンクリートそのままで、タイルの場合は珍しい、どうも足に触れる感覚が気分よくありません。 暗い電球が1個付いています。隅や天井にはよく蜘蛛の巣が張っており、ゴキブリの出現も決して珍しくありません。幸い今回はゴキブリは出てきませんでした。安宿ではタオル、石鹸、ペーパー類は一切サービスされませんので、こういう宿に泊まる場合は、客がその手のものを持参することが慣習となっています。もちろん私は今回それを予想して、カバンに携行して行きました(石鹸、ペーパーは常に携行します)。
安宿の部屋は年代物のベッドであり、スプリングが機能しない場合がほとんどです。私の寝たベッドは腰が20Cm ぐらい沈むひどいシングルベッドでした(シングルベッドが2つ)。 一般に小さな物書き机か物置台があります。電球は暗すぎて、夜間新聞などを読むのはかなり目が疲れます。 インドネシアの安宿では天井の扇風機は珍しく、通常はスタンド型の扇風機です。もしAC付き部屋なら、年代物の古いエアコンとなります。 そしてインドネシアの安宿に典型である、シーツ類を客が変わる毎に交換しない慣習があります。これには当サイトの読者のほぼ全員が拒否反応を示されることでしょう(笑)、もちろん私だってこのシーツ交換しないベッドは嫌いです。しかし泊まる以上受け入れざるを得ないわけです。宿側が汚くなったと判断した時点でシーツは交換されるのが普通です。といっても生地が黄ばんでしまった古シーツであり、洗い立てのすがすがしさなどゼロですよ。 宿によっては汚いタオルケットが置いてある場合もあります。私の泊まった部屋は何も身体にかけるものがなく、自分のバスタオルで代用しました。
今回泊まった安宿はエアコン付きなので暑くはなかったのですが、寝ている間にトイレ排水パイプからの悪習が部屋に充満してきて、臭気には閉口しました。窓を開ければ蚊が入ってくるのは目に見えているし、網戸なんて高級なものはもちろん装備されていません。なお虫除け塗り薬はいつも我が旅行バッグに入っています。
私の長い東南アジア旅の経験からはっきり言えるのは、インドネシア、カンボジア、ラオス、ベトナムの安宿は、マレーシアとタイのそれに比べると質が落ちます。タイとマレーシアの安宿は、古く汚い宿でも最低限シーツは交換しますし、水浴び時の水貯式はもうなくなりました。80年代はありましたけどね。
インドネシアで最後に安宿に泊まったのは、この「今週のマレーシア」でコラムにもした何年か前のスマトラ旅です。その前のアチェ旅では Rp 5万ぐらいの超安部屋にも泊まっていますが、この程度になるともう寝たいという気持ちには全然なりませんよ。他にほとんど選択がないので仕方なく、屋根付きの宿泊所を利用するという気持ちだけです。
インドネシアの安宿はこのように質はかなり落ちるのですが、ローカル色を体験する、地元人とおしゃべりするには向いています。泊まっているのはインドネシア人ばかりです。この種の安宿はいわゆるバックパッカー宿とは違いますので、白人旅行者にはまず出会いません。彼らは英語の通じないこの種の宿には泊まらないし、Loney Planet はこの種の安宿を紹介しないのでしょう。この日泊まった宿の人たちも地元人と思える人たちだけでしたし、宿主の家族らしき人たちもきさくな感じでした。ただ私はこの歳になってこの種の安宿に連泊するのはいかにもつらい、なぜなら身体が休まらないからです。ということで翌日の宿泊はクラスを上げました。前日値段を尋ねた、すぐ近くのエコノミーホテルで、スタンダード部屋 エアコン付き、温水シャワー、小型テレビ付き Rp20万です。まあ妥当な感じです。なおこのクラスになれば、バスタオルと石鹸とペーパーは部屋に用意されていますよ。
3日目と4日目は中心部から少し離れた地にあるエコノミーホテルに移りました。その前日郊外へ行った時に車窓からたまたま目にしたので、Anggot を降りて値段を尋ねておきました。そこで3日目は場所を変える意味合いもあり、そこに泊まりました。できて1年ほどのごく新しい建物だからということだけではなく、ホテル全体に全てがきれいに保たれており且つ快適なので、4日目も連泊してしまいました。 スタンダード部屋 寝心地の良いベッド、エアコン付き、温水シャワー、大型薄型フラット画面テレビ付きで Rp23万です。 多少予算オーバーですが、この値段でこれほど快適な部屋に泊まれるとは予想もしていなかっただけに大満足のホテルでした。
このコラムのタイトルに掲げましたように、旅では ”移食住” が3大要項となります、ここでいう”移”とは移動の 移です。”住”に関しては上記で述べましたので、次に”移”について語ってみましょう。 ”移”の基本はまず歩きです。街は歩かないとよくわかりません、車窓から眺めているだけでは現実はわからないものです。ただここで話題にしているのは、交通機関による移動なので、徒歩による移動は扱いません。
Manado での移動はまず、上記で触れた乗り合い軽四バンの Angkot が中心となります。Manado はマレーシアのようにバイクの多い町ではありませんし、市内バス・ミニバスは全くありませんので、Angkotが市民の足です。これが乗りこなせない外国人旅行者は非常に高いタクシー(車輛自体はかなり新車に見えました)を使うことになります。
私の記憶にある限り、ある程度以上のインドネシアの都市はどこもこういった民間の乗り合い軽自動車・バンが運行されていますね。都市によって使用されている車種も型も結構違いますし、時には呼称も違いますが、いずれも固定ルートを運賃均一で走行し、かなり過当競争気味に運行されています。 大抵はその都市に近接した町や村まで走行していく路線もあります。 インドネシア大衆層にも負担とならない安価で且つ朝早くから夜まで運行されているので、この種の bemo を使いこなせれば、旅行者の行動範囲がぐっと増します。逆の言い方をすれば、これが乗りこなせなければ、所詮いつまで経ってもインドネシア旅行術は向上しないということです。
Manado のAngkot はかなり程度ではなく、非常に過剰競争状態と言えます。もうめちゃくちゃ数が多い、同じ路線を何十台ものAngkotが走っているので、根気よく待つなどという必要は全然ありません。次から次と走ってきます。そこで、出来高払いであろう Angkot 運転手は1人でも多く客を拾おう、乗せようとして、人が道路際に立っているだけで、速度を落としたりその人の近くで停車するのです。若年労働力が溢れているインドネシアらしい一面を示す事象です。1回乗車料金 Rp 2000 は600cc入りのミネラルウオーター1本(Rp3000)も買えない価格です。
市内外れにある 近郊方面バス・バン兼Angkot ターミナルでは、Manado の近郊村・町へ行く Angkot も運行されています。こちらは走行距離が多少長いこともあって料金が少し高く 1回乗り均一 Rp5000でした。
bemo は都市によって車輛の表示方法が違い、最終的行き先を掲げていたり(Manadoの場合)、行き先ではなく路線番号を掲げていたり、または車体の一部の色が違っていることで路線の違いがわかるようになっています。この種の乗り物の路線運行図は地図類には全く掲載されていないので、いろんな路線に実際に乗らないと詳しい運行様子はわかりません。
市内ルート及び近郊村町間を運行する、こういった手軽な大衆乗り物はタイでは非常に盛んです。 軽4輪トラックまたはピックアップトラックの荷台に幌をかぶせて、長椅子を2つまたは3つ置いた形式である、 ソーンテーオがタイ全国の市町村いたるところで運行されています。 主要都市間を結ぶバン便もタイ中部と南部で盛んであり、こちらはロットトゥーと呼ばれています。
ソーンテーオはラオスのビエンチャンにもあります。これはタイの仕組みをとりいれたものでしょう。カンボジアではみかけませんでした。バイクタクシーはアセアン各国にあり、タイ、カンボジア、ベトナムで盛んです、ただごく近距離だけの走行です。 バイクタクシーはManado にもあり、 Ojek と呼ばれています。基本的にバイクタクシーは事故の際の危険度が極めて高いので、Intraasia はそれしか手段がないとき以外は乗りません。
さてこういうバン、軽四型バン、ピックアプトラックなどの車輛を固定ルート均一料金乗り物に変換させて運行する仕組みが、マレーシアにはまったくありません。このことはコラム第339回 「マレーシアとタイの一般向け乗り物・交通機間を解説し比較する」で詳細に説明しています。 マレーシアの郡部や田舎へ行くと、まず近郊バスの路線網の目が非常に粗く且つ本数が少ないことに気がつきます。そしてそのバス路線網から漏れる村は数多くあります。ですからそういった地方や郡部・田舎を移動するのはたいへん高くつくことになります。なぜなら、いつもいわゆる乗り合いタクシーを使わなければならないからです。乗り合いタクシーは行き先別に1台いくらで料金が決まっており、乗車客数で割ります。4人集まるまで待つのであれば、延々と何時間も待たねばなりませんから、現実的ではありません。結局1人で乗るということになり、たとえ近場でも最低RM 10近い料金を請求されます。 Angkot は1回 Rp2000 なので換算すればRM 0.70 程度ですね。
乗車人数自体の少なさからこういう地方と郡部・田舎におけるバスの運行は採算に乗らないことは当然でしょう。そうであるからミニバスの導入、さらにもっと運行費用が安くできる、タイのソーンテーオやインドネシアのベモ型の乗り物を取り入れるべきだと、Intraasia はいつも思ってきました。しかしサバ州の一部を除けば、マレーシアではこの種の手軽で安価な乗り物は導入されていませんし、今後もその可能性はないでしょう。
その理由を推測すると、 第1に、地元のタクシー業者とその運転手から、既得権益を犯すものは認めないという、この種の乗り物への強い反対でしょう。第2は、ソーンテーオやベモは安全性に欠けるという、当局の建前論でしょう。確かに後部なり、側部を常に開けて運行する、ソンテーオやベモはバスとタクシーに比べれば安全性では劣るといえるでしょう。しかし、マレーシアの地方・郡部でのバスタクシーの車輛整備状況と運転手の態度を考えれば、その安全性が欠ける論は目くそ鼻くそを笑う といっても可笑しくはないでしょう。
こういったことから、マレーシアの地方と郡部・田舎の住民で、自家用車を持てない層、バイクしか持てない層の人たちは行動がかなり制限されてしまうのは事実です。マレーシアでは女性のバイク運転は一般的ではありません、ましてや郡部田舎ではもっと非一般的です。この点はタイとは大違いです。よって妻や子供数人を乗せたバイクの相乗り光景は全然珍しくありません。自家用車またはバイクを自分で運転できない老人、子供や生徒、女性は誰かに車に乗せてもらわない限り、近所以外の外出は大変です。なお自転車を見かける頻度の少なさは強調しておきます。
ということで、節約旅行者にとってマレーシアの郡部と田舎は、徘徊する費用が高くつくことになるので1箇所程度でやめてしまうか、高いタクシー代をがまんしなければならないことになります。これは文字通りマレーシア各地を18年近くに渡って訪問してきたIntraasia がいつも嘆きたくなることです。
さて4日目には Manadoの郊外の近郊方面バス・バン兼Angkot ターミナルから、乗り合いバンで地方へ出かけました。行き先名を見たってわからないのでそのあたりにいた男に尋ねると、片道1時間半の距離、運賃 Rp1万とのことです。手元の地図で探すと行き先地が大体わかりましから、それでは行って見ようかということでそのバンに乗ったわけです。すでに正午を回っていたので、数時間の距離だとManada への戻り便がなくなる可能性を考えれば、片道2時間が限度に思いました。
本来のバン車輛の車内席列より1列増して座席を増やしてありますから、前後感覚がかなり狭くなっています、なおこの種のことはごく普通に行われています。バン便はきれいな海岸線をしばらく走ってから内陸の山間部を越えて、最終的に海岸部にある目的地の町に着きました。漁民のボートがたくさん停泊した、そしてゴミで汚れた海岸もあるその町を1時間ほど散策してから、また同じバン便で Manadoに戻りました。 訪れる地を特に何々町と決めずに、ちょと遠乗りしてどこか知らない町へ出かけることが、Intraasiaの旅ではよくあります。もちろん運賃が私でも負担できるほどの高料金ではない国だからです。このどこかの町や村まで適当に乗って往復する乗り物旅は、思いがけず楽しい体験やきれいな風景に出会うことが時々あります。これだから旅はやめられませんね。
それでは3番目の”食”に話題を変えましょう。
Manado の位置するスラウエシ北部地方はMinahasa人が多数派だと書かれています。Minahasa人の多くはクリスチャンとのことですが、ただしその割合がどの程度のものかは知りません。そのためでしょう、小サイズから中規模の教会まで至る所にその建物を見かけます。教会の数はモスクの数を圧倒的に凌駕していますので、実感としてもクリスチャンが多数派だということがわかります。ということで地元大衆食堂や大衆レストランのメニューは非ムスリム料理です。 しかしながら、数では劣るムスリム用食堂もあちこちにあって、ムスリム と小さく書かれています。
非ムスリム料理であるため、豚肉の料理が混じっていることに気がつきました。また Minahasa料理の特徴の1つとして、犬肉とか猫肉もあると書かれています。1軒それらしきレストランを見つけましたが、その種のレストランは高いので当然入っていませんから、実情はわかりませんね。
ダイビング地として有名なBunaken島などスラウエシ以北にある小列島への小船がでる波止場をぶらぶらしていた時、いくつか並んだ大衆食堂の中に、わざわざ Makanan Minahasan と張り紙がしてありました。どの食堂も同じような物をケースの中に並べていたので、どこでもよかったのですが、その張り紙の店の主人が "sepuluh ribu Rupia (1万ルピア)" と声をかけてきたので、その店で食べました。いわゆるさらに盛ったご飯におかずを載せた、経済飯です。魚と野菜各1品で、なかなか旨かった。水はテーブルにおいてある、水を飲みました。ほとんどどこの食堂でもテービル上には無料の水が置いてありますね。各店がそれぞれ購入している大きな蒸留水タンクから、小分けした飲料水と思われます。
Angkot兼郊外行きバンとバスのターミナルでは、その場に何軒も並んでいた大衆食堂の1つに入り、同じような感じで魚基盤おかずと野菜各1品とご飯を食べました。水はテーブル上の無料水です。値段はRp9000でした。 このように大衆的な場所の大衆食堂でおかず品種を抑えて控えめに食事すれば、Rp1万程度で済むことがわかりました。東南アジアのどこでも、往々にしてかなり汚い伝統的な市場の内外には、大衆食堂または飲食露店が営業しており、そういう店での値段はその町で最も安い部類に入ります。
初日の夜海岸際のショップ街でスープの店と書いてある店に入りました。Makassar スープと(マレーシアでも一般的なココナツ葉に包んだご飯)Ketupat 2個で、合計Rp1万5千でした。なかなかこくある美味しいスープです。こういうスープは他の場所の食堂でも時々見かけましたので、Manadoでの大衆料理メニューの1つなんでしょう。 別の日の夕方、市内中心部にあるショッピングセンターのセルフサービス食堂街で、Minahasa風お粥を食べました。 少量ですがまずまずの味、10%の消費税込みで Rp 9000です。 ショッピングセンターですから冷房が入っており、全て消費税が付加されます。その夜ごく普通の大食食堂に入り、食べたGado Gado(インドネシアでごく一般的な、ピーナツソース載せの野菜)がRp 1万でした。
4日目ホテル近くの大衆食堂で食べた、インドネシアでごく一般的な麺類 Mie Baksoは Rp 6000、 Gado Gadoは Rp 5000 でした。もっともこの店のGado Gadoはまずかった。Manado滞在中に食べた食事で一番お金をはずんだのは、焼き魚を売り物にしていたので入ってみた、海浜に近い掘っ立て小屋の大衆食堂での夕食です。注文時に全部でいくらになるかと尋ねておき、 炭火焼魚1匹と煮野菜と非常に辛い漬物 合計Rp 2万8千 でした。 この辛い漬物がMinahasan 風のようでした。
Intraasiaが昔から気がついていることです、一般にインドネシアでは食事代はあまり安く済みません。ただし日本円に換算しては実像が全然見えてきませんよ。マレーシアと比べて国民所得が数分の1の国で、大衆食堂・大衆レストランでの控えめな食事1回あたり料金をリンギットに換算すると、マレーシアのそれと同じくらいかやや上回る程度となります。 同じような状況設定でタイのそれと比べれば、インドネシアの方が高くつくのは確実です。 下層インドネシア人大衆にとってエンゲル係数が高くなるはずだと推測できます。
それではコーヒー代はどうか? Manado には食事向けの大衆店はかなりあるけど、食事を供さずコーヒー類とスナック類だけの店がごく少ないことがわかりました。たまたまお気に入りの茶店を見つけたので、毎日足を運びました。 インドネシアでは Kopi Susu と呼ぶごく普通のコーヒー、これをマレーシア半島部では Kopi と呼ぶ、が1杯 Rp4000 です。リンギット換算でRM1.4 ですから、まあ妥当なところでしょう。 典型的飲み物の値段は、コカコーラ瓶 Rp4000、 インドネシア製テー瓶 Rp 3000、600ccミネラルボトル Rp3000, といったところです。
食は毎日毎回のことですから、大衆にとって非常に重要なことはいうまでもありませんよね。私のような節約旅行者には食物価は大いなる影響を与えることであり、且つ食種類は関心事でもあります。高価な地元料理を食べるわけでも、高級レストランへ行くわけでも全くありませんが、旅における食は楽しみごとであり且つしばしば値段の面から悩み事にもなります(味には取り立ててこだわりませんが)。
外国人旅行者の数は非常に少ないと言えます。Angkot に乗って街並みを眺めていても、ショッピングセンター内を歩いていても、中心部を徘徊していても、郊外行きバンとバスのターミナルで車待ちしていても、外国人旅行者の姿をほとんど見かけません。空港のところで説明しましたように、もともと Manadoを訪れる外国人旅行者数自体がかなり少ないところにきて、その多くは多分ダイビング地へすぐ移動してしまうのでしょう。 よってManado の街を徘徊したり、ましてや近郊町へ足を運ぶ放浪的(笑)旅行者は極少数のように思えます。 バリやジョグジャカルタのように外国人旅行者が溢れている地、外国人向けに媚びた地・場所を好まないIntraasia には、きれいな海を持つスラウエシ北部はうれしい旅行地ですな。我が経済状況が許せば、またいつか訪れてみたいものです。
5月中旬の英語新聞の ”情報技術”特集ページの中で、ブラウザーFirefoxのマレーシア語版の製作に関する記事が載っていました。どんなプログラムであれマレーシア語版の存在に触れた記事はごく珍しいことです。記事の中で、ブラウザーFirefox の製作管理元である Mozilla Asia の開発部門の責任者が、マレーシア語を製作するためのボランティアがまったくといっていいぐらいいないと、嘆いていました。ブラウザーFirefox は世界のボランティアが金銭的見返りなしに参加して作り上げたブラウザーですから、確かにボランティアがいないことには話になりませんね。
そもそもこのマレーシア語版プロジェクトが始まったのは2005年だそうですが、計画は遅れに遅れ、未だベータ版状態とのことです。プロジェクトの責任者の言葉によれば、マレーシア語版製作プロジェクトに参加しているのは、たった1人であり、このほかに時々数人の限定的寄与者がでてくる程度だそうです。さらにその1人のボランティアもこの半年以上プロジェクトに参加してないので、マレーシア語版製作は完全に滞っているとのことです。
この記事を読んだ以上、長年マレーシアの言語事情を観察し論じてきた Intraasiaとしては、一言、いや二言三言(笑)書いておかねばならない気持ちになりました。ブラウザーFirefoxのマレーシア語版製作が前に進まないことを、Intraasia は全然意外に思いません。あらためて、これまでの我がマレーシア観察の正しさを確認しただけです。
皆さんはどんなブラウザーをお使いでしょうか? 多数派はバージョンに違いはあっても Internet Explorer でしょう。これはひとえに Windows に初期設定としてインストールされていることが多いに貢献しているといわれていますね。 Intraasia はInternet Explorer を初期から使っていますから、とりたてて使いにくいブラウザーだとは思いませんし、Internet Explorer を特に批判しているわけではありません。
ただ使い勝手の良さと軽さの面から2005年頃くらいからは、もっぱら Mozilla Firefox が我が主たるブラウザーです。現在は日本語版最新バージョン 3.0を使っています。このブラウザーは世界のオープンソース界が開発し、各言語化も進めている、無料ブラウザーであり、世界のブラウザー使用勢力図では NO. 2 を占めていることは既定の事実です。なおメーラーはMozillaの Thunder Bird を使っています。
Intraasia はOpera ブラウザーも使用しています。こちらはMozilla Firefox よりも古くから使用していますが、我が使用頻度では 2番目 です。そしてずっと離れた3番目がInternet Explorer となっています。軽いことで定評あるOperaブラウザーももちろん無料であり、メーラーと一体化しているという特徴があります。Intraasia はもう何年も使っているものの、正直言って使い勝手はいま一つよくありません。現在の最新バージョンは 9.6 です
さてMozilla Firefox に戻ります。このブラウザーは、オープンソースに賛同する世界中の人たちが種種の言語に翻訳して各言語版化を進めているのが特徴の1つだといえるでしょう。Intraasia はオープンソースに詳しいわけではありませんので、あくまでも印象ですが、数ある言語版の中でも日本語版はたちまち完成するように感じます。なぜか? それは日本の言語事情、他言語に対する態度・捉え方、及び日本の世界に誇る翻訳文化のせいだと断定しておきます。日本人一般の英語使用能力は、21世紀の今でも世界の低グループにあることは間違いないでしょう。一方日本語で学べる、そして世界の多種言語に渡って専門家の多いこと、専門書・辞書の多種類数さとその出版数の多さは世界の1,2位を争うと言っても間違いないでしょう。このユニークさが日本の特徴だといえます。
非英語(母語)国ながらその対極にあるともいえるのがマレーシアです。マレーシア人一般の英語使用能力は高いです。全体的にみれば、非英語国では世界の上位グループに属するのは間違いないでしょう。 それにもかかわらず、マレーシア国内では国民の英語力が昔に比べて落ちたという論が、英語崇拝層から絶え間なく且つ声高に唱えられています。それが正しい、正しくないはマレーシア人に任せておきます。
マレーシア人は英語力が高い反面、国内各民族の民族語・母語ではない他言語に対する態度は極めて無関心で消極的であり、それと平行してその他言語の専門家の種類と数が驚くほど少ない。(以後この場で用いる”その他言語”とは、国内各民族の民族語・母語ではない言語を指します)
こういう事実を反映して、一般向けのその他言語学習書・辞書はほとんど出版されていません。書店で見かけるそれらのほとんどは、英国か米国で出版されたものです。加えてその他言語学習書などの華語版として、中国で出版されたものが華語書籍店に多少並んでいます。
それではその他言語ではない、マレーシア語の場合はどうなっているのか? マレーシアの言語事情に関しては、この「今週のマレーシア」で、これまで2桁回数に渡って合計数十万字を費やして書いてきました。それだけで単行本数冊に匹敵する文章量です。言語に関するテーマはIntraasia のライフワークですから、単なる一過性の意見や観察ではありません。言語を論じるだけでなく、Intraasia は2桁数の言語を学習し且つ言語学も勉強してきました。この短い1回分だけのコラムの場で、マレーシア言語事情は正確に伝えられませんので、「今週のマレーシア」の関連コラムも後でお読みくだされば、より具体的にわかっていただけるものだと、願っています。
様々なマレー語の文法音韻語彙などを整え標準化した、いわば人工的な面もあるマレーシア語は、マレーシアの国語です。憲法にそう規定されていますし、これが変わることは100%ないはずです。 それにも関わらず、マレーシア語はビジネス分野、科学分野、高等教育分野、大衆文化面、情報技術・インターネット分野などにおいては英語にまったくまたは相当敵わない状態にあります。こうなってしまった根源はマレーシアの前身が半島部とボルネオ島の両方で英国の植民地であった歴史に由来します。植民地政府下に働く官僚、専門職層、交易人、貴族層は競って英語学校に学び、時には英国に留学し、高度の英語力を身につけることが、エリートや貴族層の条件であり同時に誇りでした。
この基本的な仕組みは21世紀の現在でも変わっていません。企業社会の中上層部に英語圏で高等教育を受けた人はごく普通にいます。法曹界、会計士などの専門職層も同様です。政治家はといえば、ナジブ首相を筆頭に英語圏で高等教育を全部または一部受けた人は、恐らく半数前後になるのではないでしょうか。政治家がその子供を英語圏の大学に留学させる例など、話題にするのがおかしいほどごく普通のできごとです。 マレー人社会の守護者である各州のスルタン一族は、決して反英語社会思考ではありません、多分ほとんどが英語圏で高等教育を大なり小なり受けているはずです。
社会の中上層階級がこういう状況であり、この状況は独立以来基本的に変わっていません。よって下層大衆層も少しでも上を目指す願望と経済的利益を追求する観点から、英語への崇拝が植え付けられることになります。 英語は社会階段を上るステップであるし、金儲けの手段としても多いに必要となります。
もちろんマレー民族主義者の間から、愛マレー語(愛マレーシア語ではないことに注目してください)非英語主義が強く且つ頻繁に主張されています。この人たちの主張は典型的且つ古典的な言語民族主義であり、その他言語を相対的に捉える思考はまず見られません。 ここにマレー民族主義者の訴える愛国語主義の限界があります。
政府与党主流層と経済界は、こういうマレーシア社会の英語依存と崇拝の歴史を基に、2003年から小学校で順次学年を上げながら理数科目を英語で教育するという、非常に重大な政策を取り入れました。これにはマレーシア大衆・下層社会からも支持の声があります、その理由は上記に書いたとおりです。理数科目を英語で教育するということは、マレーシア語で理数科目を勉強するのは労力の無駄ということを暗示しています、且つこのことはマレーシア語語彙がより通用力を減らすことにつながります:例 mangkin 触媒という単語の替わりに catalyst という英単語がより使われることになる。 ある言語の発展に語彙の多さと語彙の一般通用力の高さは必須です。
マレー人界のマレー民族主義者の一部と華人界の華語主義者からの強い反対の声にも関わらず、理数科目の英語媒介教育は続いてきました。マレーシアが先進国になるには、とりわけ理科系分野での英語教育を強化し英語により強くならねばならないという、推進勢力の大命題がそこにあります。英語媒介教育をしていない、世界の科学先進国、例えばドイツ、フランス、ロシア、フィンランド、日本、中国、台湾、韓国などの例を上げて反論しても、この種の英語崇拝者はまったく聴く耳を持ちません。こういう崇拝者は子供のときからその生活環境と学校環境と交友関係から英語崇拝思考が植えつけられており、英語は数ある中の1つの言語である、というごく基本的な思考にたてなくなっています。ちょうど、人類は地球に期限限定で存在する1つの生物に過ぎない という思考が、強度の宗教徒には通じないのと同じ理屈です。
マレーシアにおいて、マレー語及びマレーシア語が廃れるとか一般通用度が大きく減るというようなことは今後も起こりえません。なぜならマレーシア語は絶対に譲れない建前としての国語であり、マレー語は多数派民族マレー人の民族語であるからです。つまり初等中等教育の中核言語として、官庁公務員界の言語として、マレー人界の大衆文化・マスコミ言語及びマレーシアのムスリム界の公的な言語としてマレーシア語は使われ続け、マレー人界の口語として、マレー人と非マレー人との族際語として、マレー語は使われ続けていきます。この範疇から外れた分野と場では英語が引き続き権威ある且つ他言語の追随を許さない地位を持った言語なのです。
マレーシアでは、コンピュータ、インターネットといった情報技術分野において、絶対的な地位を占める言語は英語であり、マレーシア語と華語はそれを補完する立場に過ぎません。タミール語にいたってはその役割さえもありません。情報技術分野で英語以外の他言語を用いて開発するような発想は、マレーシアで情報技術分野に携わる人たちの間にないことは明々白々な事実です。そういう人たちは、英語で得られる情報と技術をなぜ、他言語に翻訳するのか、そんな回りくどい方法は”英語のできない”国のすることである。そうならないように、技術を取得するために英語に十分通じる必要がある、だからこそ理数科目の英語媒介は必須という思考法です。
国、官僚、ビジネス界の中上層部は子供のときから十分な英語学習を受け、少なからずの人たちが英語圏に留学していますから、この種の英語機軸論は容易に浸透し、英語ができないことを恥じる風潮ができあがっています。民族に関わらず政治家は二言目には英語力の強化を唱えます。しかしマレーシア社会はこの種の人たちだけで構成されているわけではありません。農村、山村、漁村、地方の小さな町、都会の下層階級の集まる地区、こうした人たちの生活に、全然とは言いませんが、英語は特に必要はないわけです。 たとえ必要であってもそれはごく基本的な英語で用が足るはずです。 中等教育をまともに終えていない人たち、またはなんとか終えたけど、英語がよくできない人、都会であれ地方であれ、周囲は自民族ばかりという単民族的な生活環境(こういう環境は日本と大して変わらない)でずっと暮らしてきた人たち、低学歴の年配高齢層、こうした人たちに中難度以上の英語は届きません。 まして情報技術というような縁遠くなりがちな分野の英語は、全くの外国語なのです。
この事実を国、官僚、ビジネス界の中上層部が知らないはずはありません。現在は社会内上昇したが、元はといえばそういう階層出身の人たちだって当然います。彼らはそういうことを知りながら、底辺の拡大策としてまずそして唯一の方策は英語力の向上であるとの命題に行き着いてしまうのです。英語崇拝者として、英語がよくできるものとして、英語を介さない技術文化の発展を呼びかけたり、主張したり、言い出すことは、恥とでも感じているのでしょう。
ここにマレーシア社会の乖離構造が広がる要因があります。唯一英語を前提にした情報技術文化広範化の中で、最初から追いつけない人々はますます取り残されてしまうという構造ですね。 この状況を非常ににがにがしく思っている、マレー民族主義者の間から、マレー語を国語の地位に見合った状態にすべきだとの主張は常にあります。しかしこの主張の根源は20世紀前半の愛・自民族言語主張と基本的に変わりません。なぜなら、その発想が伝統的な民族主義から出ているからです。これらの主張の有効性は20世紀中頃、つまり第2次世界大戦終了に伴う、世界中で植民地の終焉と独立国家の勃興に伴ってほぼ終わったのです。 21世紀の現在グローバル化が進む中で、ひたすら自民族語優越論を説くのは、狭量な自民族主義と同等なのです。マレー民族主義的愛マレー語優越論では、マレーシアの他民族の共感を得るのは非常に難しい。経済的益の少ないマレーシア語に力を入れるぐらいなら、経済的見返りの高い英語に力を注いだほうがよっぽどいい、という大衆心理に行き着いてしまいます。
物事の判断基準を全て経済的利益優先におけば、現代状況下ではどんな言語も英語に敵うわけありません。必要なことは、認識と価値観の修正ですね。
Intraasia が一貫して主張しているのは、言語を相対的に捉える思考とありかたです。ある1つの言語に唯一絶対的な地位をあたえれば、それを母語としない人々、言語学的に見て英語から比較的遠い距離にある言語の話者(例えば、日本語やタイ語やアラビア語など)は最初から大きなハンディを背負っています。 まして英語国に支配された植民地歴史のない国では民衆段階での英語運用能力は必然的に劣ります。日本やタイやベトナムを思い浮かべてください。
言語を相対的に捉えるとは、英語は1つの言語である、ラオ語もインドネシア語も、ネパール語もスワヒリ語も1つの言語であるという事実を偏見観なく認識することです。世界の各民族が建前として平等であるのと同じように、言語も基本的に平等である、少なくとも建前として。平等な権利を本来持つべきその他中小諸言語の話者にも平等な機会を与える努力をもっともっとすべきである、1つの言語が圧倒的に世界を支配するようなあり方は推進すべきではないし、抑制すべきであるということです。
コンピュータ技術の飛躍的発展によって、さらにインターネットの普及によって、翻訳効率の上昇、翻訳手段の多様化と迅速化、が進みました。これを活かさない手はありません。コンピュータ関連世界をより多言語化させ、エリート層、高学歴層、富裕層、英語国民が優先的に享受するあり方を変えていかねばなりません。 この発想に立てない人々は、それは19世紀と20世前半までの帝国主義者の思想となんら根本的に変わりありません。力を持つものが利益を独占する、そのためには強大な資本を蓄積することが他国に打ち勝つことにつながる、というこの思想を、「英語力を持つものがまず情報とそれから生まれる益を享受する、そのためには高度な英語力を取得することが鍵となる」。 そう、これはまさに”英語言語帝国主義”なのです。
Intraasia はずっと以前からマレーシア語の国語にふさわしい使われ方を説いてきました。ただしそれは決して Cinta Bahasa (国語を愛しましょう)という官製のプロパガンダに賛成してのものでも、マレー民族主義者の愛マレー語に共感してのものでもありません。 Intraasia は別にマレーシア語を愛してなどいません、私が愛するのは母語である日本語です。(しかし日本語が一番美しい言語であるなどというたわごとには到底賛成できません、ある言語の母語者がその言語を素直に美しい言葉であると思うことは、ごく自然です、しかしその言語が唯一美しいことにはならない)。マレーシア語に特に愛着が高いわけでもありません、愛着度から言えばタイ語の方がずっと高いです。 Intraasia にとってアジア語の中でマレーシア語が一番流暢だからということでもありません、一番流暢なのは広東語です。
Intraasia は常に言語相対主義的な立場と思考に立ちます。ラオスへ行けば、ラオ語推進と擁護に立ち、インドネシアへ行けばインドネシアの学習を訴えます。マレーシアに住み加えてマレーシア論を書いているからこそ、マレーシア語興隆を願っているのです。
ある言語の発展は、政府や指導層が好む愛言語プロパガンダ運動やスローガンなどによって発展するわけではありません。大衆の意欲と支持があること、教育界とビジネス界で使われること、言語研究者・専門家が造語努力を怠らないこと(絶えず生まれる新語をいかにその言語にふさわしく取り入れるかということ)、がある言語が発展するための3本柱です。
以上の解説と論をお読みになり、また考えていただいた上で、文頭に掲げたブラウザーFirefoxのマレーシア語版の製作が全然進まない問題に戻ります。
Mozilla Asia の責任者(名前から判断すると日本人だと思われます)がこの記事を書いた記者に語っています(記事自体は英語なので翻訳します)
Intraasia はマレーシア人が西欧人に比べてボランティア精神が多少劣るとは感じますが、欠けているとは思いません。マレーシア人の各民族宗教事に対するボランティア精神はかなりのものですし、ボランティア活動はそれなりにあります。要するに、マレーシア人をボランティア活動に駆り立てる対象と場が西欧人のそれとはかなり異なるということです。ブラウザー開発の面でその異なりを生み出す根源は、このコラムで延々と説明してきた、マレーシア人の言語観、すなわち中上流層、高学歴層、エリート層、経済界における英語崇拝主義にあります。ソフトウエアの開発は間違いなく高学歴層に依存しますからね。
ブラウザーFirefoxのマレーシア語版製作が前に進まないできごとは、Windows のマレーシア語版は2000年を目前にした頃になってようやく市場に現れたという事実と根は全く同じです。ボランティア精神うんぬんの与える要素は小さいといえるでしょう。 要するに、マレーシアでは情報技術界における英語一辺倒思考が堅固であること、及びコンピュータ、インターネット利用者層の多数派がマレーシア語化を切実に求めない、という背景にあります。 その背景を生み出したマレーシアの言語社会の状況をこの一文で分析し、解説しました。
多分10年ぐらい前かな、当サイトでマレーシアは世界でも有数の雷発生の多い国であるということを紹介しました。気象事象ですから10年前後の年月が経とうと、このことに大きな変化がないのはいうまでもないことでしょう。毎日とは言わなくても、平均すれば週に数日は、遠くでまたは近くで音の大小に関わらず、雷鳴が聞こえてきます。そこで、The Star 紙に5月下旬 2回に渡って掲載された、雷に関する特集記事から多々引用しながら、マレーシアにおける雷のお話です。
雷鳴の発生する回数は地方・地区によってかなり違いがあることが気象庁の統計からわかります。
半島部地名 | Kota Baru |
Kuala Kerai クランタン州 |
Kuala Teregganu | Kuantan | Mersing | Senai | Batu Pahat |
Cameron ハイランド |
Temeloh パハン州 |
日数 | 108 | 130 | 136 | 154 | 162 | 169 | 160 | 118 | 90 |
半島部地名 | ランカウイ島 | Alor Setar | Butterworth |
Bayan Lepas (ペナン島) | Ipoh | Subang | Petaling Jaya |
KLIA Sepang | Malacca |
日数 | 120 | 135 | 158 | 184 | 197 | 200 | 151 | 180 | 147 |
ボルネオ島部地名 | Tawau | Sabdakan | Kota Kinabalu | Labuan | Miri | Kapit | Bintulu | Kuching | Sibu |
日数 | 143 | 140 | 129 | 135 | 93 | 80 | 151 | 182 | 113 |
クアラルンプールの統計は載っていませんので、隣接したPetaling Jaya市を参照することにします。週平均 3日の雷日ですね。Intraasia は気象観測所の観測員ではないので、日々の雷音を注意深く気にしてませんが、それでも感覚的になんとなく、納得できる日数のように感じます。
それでは米国の国家雷安全研究所が採用しているという、別の指標 【ある土地 1平方キロに落雷することを計った落雷密度 】を見てみます。この落雷密度では、クアラルンプールは世界第5位の多さで、 48.3回となるそうです。
米国の国家雷安全研究所のまとめた、各国の雷日の記録では、日本 35日から40日、オーストラリア 10日から70日、欧州諸国 15日から40日となっているそうです。従ってマレーシアの各地方の雷日はかなり多い日数ということがわかります。確かに、日本で雷日の実数はほとんど誰も知らないでしょうけど、感覚的に年間100日もあるとは誰も感じていないはずです。それから見ればマレーシアの各地は100日以上から200日の間に偏在していますから、確かに多いといえます。
全体的に西海岸側の方が東海岸側よりも雷日の日数が多いことになります。全国気象予報センターの所長は語る、「地球温暖化現象は雷発生の厳しさと頻度を増すことになっているかもしれません。」 マレーシアも温暖化しており、この35年間における平均気温の上昇は0.8度C です: 26.5度Cから27.3度Cに上昇。
ところで上記の落雷密度においてクアラルンプールは48回ということは、7、8日に1回はある人が住む1平方キロの土地に落雷しているということなんでしょう? 落雷と言っても避雷針を通して落雷することも多いはずですから、すべて轟音を伴うことにはならないはずです。1平方キロの土地とはまさに自分のごく近所ですよね、その我が地区に 年間48回も落雷するとはかなり多い気がします。
国際電気技術委員会が落雷関連の安全工学に関する国際基準を定めることに貢献した、マレーシア人雷専門家であるHartono氏は語る、「1990年以来 落雷の被害を詳細に調査してきた結果言えることは、クアラルンプール圏の高層建築物の80%は落雷を受けていると推測できます。落雷後を見つけるのは簡単です。その建物の最上部にある隅や角を検査すると、コンクリートや石造のごく一部が欠けているのが見つかります。雷は露出したそういうコンクリートの角を打ちますが、深くは行きません。雷がコンクリート内部の鉄に達するとその力は金属を導電して地下に逃げていきます。」
彼は説明する、「避雷針として昔から世界中で使用されている棒状の避雷針(フランクリン型避雷針)は確立された避雷針です。」 しかしマレーシアで一部で使われている ESE避雷針は十分な効力がないとして反対を主張しています、「落雷防止に関する国際委員会は2005年にESE避雷針は公共安全を害すると宣言しました。」 ESE避雷針が使われる理由をHartono氏は語る、「通常の避雷針は1本 RM 50-100ですが、ESE避雷針は1個あたりRM 5000−15000する。その利益は当然大きくなる。さらにESE避雷針の場合、建設業者は避雷針設置の時間と労力を節約できる。このためビルに1個か2個のESE避雷針を設置するだけです。一方通常の避雷針はたくさん立てる必要がある。一見ESE避雷針はもっと進歩した避雷針かのように見える。」 しかし事実は、ESE避雷針は通常の避雷針ほど効果がないとのことです。
マレーシアにおける工業製品などの基準を設定する公的機関である SirimはESE避雷針を認定していません。しかし皮肉なことに、「シャーラムにある Sirimビルの屋上にはESE避雷針が用いられている。」とHartono氏は指摘する。
雷専門家が解説する、落雷に関する俗説・神話のいくつかを次に示します。
俗説・神話: 半島部に多い元錫鉱山跡は落雷を招き易い。
解説: 雷は大気の状態によって発生するのであり、地面の状況は関係ない。また元錫鉱山跡は砂地であり、ラテライト土地ほど導電がよくない。
俗説・神話: 落雷は同じ場所には2度落ちない。
解説: Subang Jayaのあるアパートに2004年に4回落雷した例を知っていると、マレーシアの落雷専門家は語る。
俗説・神話: 自動車のタイヤは乗車している人を落雷から守る。
解説: 雷が導電の悪い空気を何百メートルも通過してしまうことを考えれば、車のタイヤがどれほどの防御になりえようか? 米国の海洋と大気の国家機関は、落雷は2インチの厚さのゴムを問題としない説明しています。 タイヤではなく、扉を閉めた状態の車は金属で包んだ檻の状態を作り出しているらです。このことが車に乗っている人を落雷から守ることになります。ただし ゴルフカーとかフォークリフトのような車輛は乗っている人をちゃんと守ることにはなりません、たとえいくらタイヤのゴムが厚くてもだめです。
俗説・神話: 雷鳴がとどろいている中、野外で iPod のような電子機器を聴いていると落雷を受ける可能性が増える。
解説: iPod を聴いていて落雷を受けた者が2人でてニュースになったからでしょう。 電子機器が高い樹や避雷針と同じように落雷を招くようなことはない。その者に落雷したのは落ちるべくして落ちたのであり、雷が金属に接触すれば、それが導電体になるわけです。 落雷がある対象物から近くにいる人へジャンプすると、しばしば皮膚にフラッシュオーバーします。電子機器の金属部分、さらにポケットの硬貨でさえ、が接触やけどを起こすのです。
俗説・神話: 携帯電話が発する放射線が落雷を招く。
解説: 携帯電話の出す放射線は微量過ぎて空気をイオン化することができません。 仮にその放射線が空気をイオン化するようであれば、人が携帯電話を使うこと自体が危険になってしまいます。 この俗説は、野外で雷に遭った時、携帯電話の電源を切れば安全だと思ってしまう、誤解を生むことになってしまうと、専門家は警告します。
雷鳴が鳴っているときに、通常の電話を使用している人がいますが、これは非常に危険な行為です、とマレーシアの雷専門家は警告する、「建物内で落雷の影響で死亡する、怪我するケースの多くが、この通常電話利用している、または電線につながったパソコンなどを利用している時なのです。こういう場合は携帯電話での通話が安全です。」
雷の起こすあの落雷音はまこと不安な感じを多くの人に与えますよね。加えて稲妻の光り方も不気味さを増加させます。マレーシアで長年雷音を聞きながら生活してきたとはいえ、慣れっこになって雷など取り立てて気にならない、などとはなりません。広場にでもいない限り、落雷が直撃する心配は感じないとはいえ、落雷によって起こるサージ電圧などで、コンピュータ機器、電話機器が影響を受けるのではないかという心配は常にあります。
そこで我が家のコンピュータ機器、電話機器につながる配線の分配器具にはすべてサージプロテクターを使用しています。電話線につないだサージプロテクターが機能して通信を遮断した回数は、この10何年で10回前後ぐらいありますから、落雷による影響は我がアパートにも起こっているという事実を確認できます。クアラルンプールの落雷の頻繁さはこうした身近な例からもわかるのです。
マレーシアでは初等中等学校教育に用いる言語の選択が、独立以来現在に至るまで非常に重大で且つ不可欠な要素となっています。世界で多民族国家はごく普通の存在であり、韓国や日本のように少数民族がごく少ない国家の方が数では少ない。しかしながら多民族国家だから中初等学校教育に用いる言語も民族別に複数である、ということにはならないのも事実であり、むしろ単言語で、その多くはその国の国語となるでしょう、中初等学校教育を行っている多民族国家の方が多いのではないだろうか。
東南アジアはブルネイを除けばどの国も多民族国家ですが、多数派は単言語つまり国語による中初等学校教育ですね。タイではタイ語、ベトナムではベトナム語、カンボジアではクメール語、ラオスではラオ語というようにです。もっとも多様な民族構成であるインドネシアでは国語インドネシア語による単言語教育です。なおごく一部のエリート私立学校はどの国でも例外的存在なので、考慮に入れません。
複数言語で中初等学校教育を行っている代表とも言えるのが、マレーシアです。中等教育では独立中華中学校以外は全て国語マレーシア語を媒介にした教育ですから、複数言語教育の最たる場は初等教育となります。そこでマレーシアの初等教育を論ずる時は、いつも次表のような言語別小学校の統計に出会います。それではまず、最近の各言語別小学校の様相を示します。
学校種別 | 国民小学校 | 国民型華語小学校 | 国民型タミール語小学校 | 総合計 |
||||
小規模 | 総校数 | 小規模 | 総校数 | 小規模 | 総校数 | 小規模 | 総校数 |
|
ジョーホール州 | 136 | 600 | 91 | 215 | 47 | 70 | 274 | 885 |
マラッカ州 | 15 | 137 | 24 | 65 | 15 | 21 | 54 | 223 |
クアラルンプール | 12 | 139 | 0 | 41 | 3 | 15 | 15 | 195 |
スランゴール州 | 23 | 428 | 19 | 107 | 46 | 97 | 88 | 632 |
ペラ州 | 145 | 520 | 92 | 187 | 100 | 134 | 337 | 841 |
ペナン州 | 5 | 142 | 22 | 90 | 12 | 28 | 39 | 260 |
ケダー州 | 24 | 378 | 45 | 90 | 38 | 58 | 107 | 526 |
クランタン州 | 17 | 397 | 2 | 14 | 1 | 1 | 20 | 412 |
サラワク州 | 665 | 1039 | 119 | 219 | 0 | 0 | 784 | 1258 |
サバ州 | 465 | 979 | 30 | 83 | 0 | 0 | 495 | 1062 |
その他の州は省略 | 略 | 略 | 略 | 略 | 略 | 略 | 略 | 略 |
全国 | 1740 | 5785 | 537 | 1290 | 334 | 523 | 2611 | 7598 |
これまでのいくつかの教育関連コラムで詳しく説明しましたように、国民小学校と国民型小学校の間には 「型」の字があるかないかで大きな違いがあります。これはマレーシアの教育制度の大きな特徴となっています。
国民小学校も国民型小学校も教育省の決めたカリキュラムに従って教育するので、公教育の中の初等教育を担っていますが、違う点は国民学校はすべて政府の補助があり、国民型小学校には、教師は公務員で国から給料を受けるが、学校運営に対して政府からの補助がごく限られているということです。詳しい説明はこれまでいくつも書きました教育関連コラムをご覧ください。
国民小学校は100% 国の学校なので、校数が総数の 4分の3を占めるのはいわば当然といえるでしょう。国民型タミール語小学校の半数以上が小規模学校である理由は下段で説明しています。
では次に小規模学校の数を比較してみます。
1998年 | 2004年 | 2008年 |
|||||||
国民小 | 華語小 | タ語小 | 国民小 | 華語小 | タ語小 | 国民小 | 華語小 | タ語小 |
|
小規模校 | 1511 | 500 | 324 | 1571 | 518 | 325 | 1740 | 537 | 334 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
総学校数 | 5283 | 1283 | 530 | 5713 | 1288 | 528 | 5785 | 1290 | 523 |
その比率 | 28.6% | 38.9% | 61.1% | 27.5% | 40.3% | 61.5% | 30.0% | 41.6% | 63.8% |
国民小学校の生徒は、圧倒的多数のマレー人、多数の非マレー人ブミプトラ、国民型華語小学校に通わない華人、国民型タミール語小学校に通わないインド人から構成されます。
1998年から2008年までの10年間で国民小学校は数が 500校も増えていますが、国民型華語小学校は7校の微増、国民型タミール語小学校は7校の微減ですね。
タミール語小学校の生徒はほとんど全てインド人です。マレーシア三大民族という一般的な歌い文句とは裏腹に、インド人人口が総人口に占める割合はわずか 8%弱にすぎません。しかもボルネオ島部ではインド人は極少数なため学校はゼロ、半島部でもトレンガヌ州はゼロ、クランタン州は1校のみというように、インド人人口は半島部西海岸側に偏在しています。国民型タミール語小学校が最多であるペラ州の欄をご覧ください、134校中実に100校もが小規模学校なのです。この偏在と少数さのために、小規模学校で生徒がさらに減れば、閉校ということになってしまいます。
華人はインド人と違って、全国どの州であれある程度の華人人口があり、少ない州でも 州人口の 5%弱ほどの華人数があります。加えて華人界の経済力の強さから国民型華語小学校の維持力はインド人をずっと上回ります。こうしたことから、国民型華語小学校は全国津々浦々に存在するわけです。国民型華語小学校は華人が圧倒的多数なのは当然ですが、生徒数の 10%弱をマレー人、インド人、サバ州サラワク州のブミプトラが占める、という特色もあります。
国民型華語小学校の特色は、華人社会の支持と協力が非常に強いということであり、その中心が董教総です。 董教総とは、マレーシアにおける華語教育を一手に引き受ける華語教師の団体と華語学校の経営陣の団体を総称したものです。なおこのコラムで掲載している小学校の表は全て 董教総 の出典です。 華人界における華語教育愛着性向を詳細に分析し説明したコラムを2002年に書きました: 第314回 から始まる3回シリーズ 「華人コミュニティーにおける華語教育と華語への愛着度を探る」 を参考にご覧ください。
華人社会の居住傾向は都市部に集まる傾向があり、そのため都市部で華語小学校が常時不足となっています。 しかし国民型小学校は教育省の認可を得てから初めて設立することができるという条件の下、新規国民型華語小学校の設立は非常に難しいというのが現状です。 一方田舎や郡部での華人居住傾向の変化のために、田舎郡部の華語小学校は生徒が減る傾向が続いています。それが上記表に示された小規模学校が10年間で37校増えたという数字です。州の中ではペラ州が最多で、1991年に極小規模国民型華語小学校は59校でした、それが2008年には92校に増えました。
その小規模国民型華語学校 537校中で、生徒数 30人以下の極小規模学校が104校もあります。
華人生徒と非華人生徒の割合 | 学校数 |
非華人生徒がゼロの学校 | 24 |
非華人生徒が半数未満の学校 | 40 |
華人生徒と非華人生徒が互角の学校 | 2 |
非華人生徒が半数を上回る学校 | 35 |
その他・不明 | 3 |
全体 | 104校 |
次に高等教育面に目を転じます。なお表の出典は全て高等教育省の統計からです。
マレーシアの高等教育機関で学ぶ学生の数は国立と私立の両分野で一貫して増えてきました。なおこのページでは公立高等教育機関という単語は、大学、カレッジ、技術専門学校、コミュニティーカレッジを含みます。
2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年8月時点 |
|
公立 | 337,944 | 354,275 | 367,305 | 390,828 | 424,343 | 481,685 | 521,696人 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
私立 | 294,600 | 314,344 | 322,891 | 258,825 | 323,787 | 365,800 | 399,852人 |
2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | ||
大学 | 11 | 11 | 10 | 12 | 18 | |
---|---|---|---|---|---|---|
カレッジ大学 | 5 | 10 | 11 | 15 | 5 | |
通信大学 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | |
外国の大学の分校 | 4 | 5 | 5 | 5 | 4 | |
大学以外の高等教育機関 | 519 | 533 | 532 | 482 | 488 | |
合計校数 | 539 | 559 | 559 | 515 | 525 |
マレーシアではカレッジとユニバーシティーは同一の分類項目ではありません。大学以外の高等教育機関のかなりの数がカレッジだと推定されます。
高等教育といってもいくつもの種類がありますので、その内訳を示します。
課程 | 新入学生数 | 在籍学生数 | 卒業・修了生数 | |
公立高等教育機関 | マトリキュレーション | 6957 | 10242 | 4509 |
---|---|---|---|---|
Certificate | 25670 | 4899 | 19176 |
|
Diloma | 52278 | 139045 | 37660 |
|
学士課程 | 75127 | 270156 | 59844 |
|
修士課程 | 16158 | 36094 | 8655 |
|
博士課程 | 3644 | 12243 | 785 |
|
その他数種は省略 | 省略 | 省略 | 省略 |
|
合計 | 183,323 | 521,696 | 132,971 |
|
私立高等教育機関 | Certificate | 47875 | 60617 | 18269 |
Diloma | 91483 | 177773 | 32685 |
|
学士課程 | 43261 | 151591 | 26590 |
|
修士課程 | 2924 | 8540 | 962 |
|
博士課程 | 303 | 1331 | 55 |
|
合計 | 185,846 | 399,852 | 78,561 |
学士課程というのがいわゆる大学卒を生み出す課程であり、それに至らない課程はCertificate と Diloma に分かれます。 公立高等教育機関と私立高等教育機関の学生を合計すると92万人になります。これは現在の推定国民人口である約2700万に対して、3.4%にあたります。この比率をどう思われますか?
マレーシアは国策として外国人留学生を増やす方針を以前から掲げています。いくつかの私立カレッジやカレッジ大学の積極的な売り込みが功を奏したと思われ、留学生は増加傾向です。参考までに、マレーシアの高等教育機関に在学している、つまり外国人留学生の出身国上位を示します。
国/地域 | 中国 | インドネシア | ナイジェリア | 中近東諸国 | 南アジア | ボツワナ | その他 |
割合 | 12.7% | 11.6% | 10.0% | 21.2% | 12.3% | 4.6% | 省略 |
注 |
イラン、イエメン サウジアラビアなど |
インド、バングラデシュ、 パキスタン, スリランカ |
中華大衆食堂や夜店街なら華人主(あるじ)の屋台を観察していると、小柄なジーパン姿の女性が働いている姿をみかけることは珍しいことではありません。21世紀になったごろから、この小柄な女性の姿に加えて、ミャンマー人、ネパール人、バングラデシュ人、ベトナム人といったいくつかの国籍の外国人労働者が同じように下働き労働力に加わりました。しかしこの小柄な女性陣はずっと前から、マレーシアにおける中華大衆食堂や夜店街での貴重な労働力なのです。少なからずの大衆食堂主と屋台主にとって彼女たちは依然として不可欠の労働力と言っても間違いではないでしょう。
この小柄なジーパン姿の女性はほとんどがインドネシア人です。インドネシア人ですから当然普通の(専門語や書記言語としてではなく、日常口語としての)マレーシア語は問題なく理解します。よって決してマレーシア語に流暢ではない華人の大衆食堂主や屋台主でも容易にコミュニケーションは取れるわけです。こういった中華大衆食堂や夜店街では今でも、低賃金でよく働き且つコミュニケーションの取りやすいインドネシア人女性に対する需要は高いのです。
ところでマレーシアの出入国管理庁の規則上及び施行慣例から、こういった中華大衆食堂や夜店街で下働きさせるために、それ用に労働許可証を得た外国人労働者を雇うことは極めて難しいのが、昔からの状況です(個々の屋台は不可能ですが、屋台センターのような施設の運営者は雇えるようです)。それなのになぜあちこちの中華大衆食堂や夜店街で外国人労働者が昔も今も働いているのでしょうか? これは不思議といえば不思議、当たり前といえば当たり前のことなのです。 なぜ当たり前かって? マレーシアで外国人労働者に関する規則が100%そのまま生真面目に守られることはありえなかったし、これからもありえないことです。誤解を恐れずに言えば、ほとんどの外国人労働者を雇用する側は、多かれ少なかれ違反行為をしているのです。そしてそれはほとんど社会通念化しています。買春行為のような明らかに犯罪行為をすれば別ですが、合法外国人労働者を大衆食堂で働かさせているぐらいでは、雇い主は罰せられません。罰せられることがあっても軽い罰金程度ですね。
よって雇用者側はなんらかの形で外国人労働者を引っ張ってくる、見つけてくることになります。労働許可証を持たない、つまり違法外国人労働者を連れてきて働かせれば、それは即取り締まり対象になります。それでも雇っている人はもちろんいます。もう少し安全な方策として、元々は他業種で働いていたことで労働許可証を得た外国人労働者を雇うことです。それでもどこかの会社や工場で働く労働許可証ですから、違法外国人労働者ほどではなくても取り締まり対象になりやすい。そこで最も安全な策は、雇う食堂主や屋台主が自身で雇用主となれる、家庭内住み込みメイドを店、屋台で働かせることです。つまり表向きは家庭内住み込みメイドとして雇いながら、家庭だけではなく自分の店や屋台で下働きとして使うわけです。このメイド兼店下働き女性のほとんどはインドネシア人メイドと言えるでしょう。こういう事情から、中華大衆食堂や夜店街の華人主(あるじ)の屋台で働く小柄なジーパン姿の女性をよく見かけることになります。
マレーシア語で rumah pembantu と呼ばれる住み込みメイドは当然外国人労働者の範疇ですが、他の外国人労働者と大きく違う点が一つあります。それは雇用法上の保護を受けられない面があることです。新聞の記事からを再録しましょう
これでおわかりのように、メイドは週休制とか(たとえ最初の5ヶ月間だけであろうと)毎月給料を受け取るという、労働者としての基本的権利を与えられていないわけです。外国人メイド代理業者協会と雇用家庭は、現行制を擁護して次のように主張する、「メイドは家庭内住み込みなので必要なものは雇用家庭が供給するため、生活にお金はかからない、よって給料がなくても特にこまらない。週休制でメイドが外出するようになると、悪い同国人の友達などに悪影響を受ける恐れがある。 家庭がいつでも人手が欲しいからメイドを雇うのです、それなのに休まれてはメイドの意味がない。」
華語新聞がアンケートを取った、読者からの反応によれば、メイド雇用家庭の多くは、週休制や1日の労働時間に限度を設ける方針に反対を表明しているとのことです。
マレーシアでは全般的に労働運動や人権意識啓蒙活動が低調であることを反映して、マレーシア人一般に欠如しているのが、基本的権利を誰にでも平等に認めるという意識です。よってそれが典型的に現れているのが、メイド問題に対する捉え方と考え方です。メイドも被雇用者である、という捉え方ができないマレーシア人は多いですね。それゆえに香港や台湾で認めているというメイドの週休権利を、マレーシア人雇用者は容認できないわけです。今でもマレーシア人一般のメイドに対する捉え方は、召使いです。
こういう召使い意識が少なからずの雇用者家庭の中にあるからこそ、メイド虐待事件が度々起きてきたわけです。
またまたごく最近、ある母子家庭で雇われていたインドネシア人メイドが肉体的に残虐行為を受けていたと訴えて警察沙汰になり、社会ニュースになりました。雇用者は逮捕され、近く裁判が始まります。こういうメイド虐待事件が明るみに出ると、インドネシアではそのたびに大きく取り扱われているそうです。まあ、ある意味では当然でしょう。
メイド虐待事件を個人の起こす例外的事象だと軽視する風潮が頻繁に見られます。例えば
メイド虐待事件は特異な家庭が引き起こす例外的事件ではなく、メイドに対する一般的な捉え方を象徴する出来事なのです。
最後の代理業者のことばが典型的にマレーシア人意識を表していますね。世の中どこであれ良い人と悪い人がいるから残虐なケースが出るのも不思議ではないという発想は、メイドを一般労働者でなくその下に位置する労働者以下の存在だという思考が依然と変わっていないことを示しています。中には住み込みメイドは職住付だから低賃金労働者より待遇はいいはずだと、うそぶくマレーシア人もいます。しかしマレーシア人100人中の100人にとって、自分の娘や身内が住み込みメイドとして働くことなど到底容認できることではありません。なぜならメイドは単なる社会的評価の低い仕事の種類ではなく、身分の違い、つまり召使いを含意しているからです。
マレーシア人権グループとして知られた、Tenaganita は主張する、「まずやるべきことは、住み込みメイドを家庭内労働者として認識することです。現在マレーシアの法律では労働者として扱われておらず、保護されていない。」
統計に載った合法住み込みメイドの人数は現在約 30万人となっています。加えて違法なメイドがその数割から半数ぐらいはいると考えるのが一般的でしょう。ところで、マレーシアにやって来る住み込みメイドの数は減っています。新聞の記事からを参照しましょう:
インドネシア人メイドの受けている問題に関して、マレーシア側とインドネシア側の間で7月中旬に話し合いがもたれる予定です。
それでは住み込みメイドを雇う費用はどれほどかかるものでしょうか?
華語紙が記事の中で家庭内住み込みメイドを2年間雇用する場合の総費用を試算しています。 なおメイドの 90数パーセントはインドネシア人といわれています。
現実に多少の違いはあれど、この金額程度だからこそ、マレーシアの中流家庭にとって決して”たいへん高額な費用”とはなりません。多少負担のある初期費用を払ってしまえば、あとは毎月の負担はほとんど問題にならない金額でしょう。
恐らくマレーシアの実情をご存知のない読者のほとんどが、メイドは家庭のお手伝いさんとだけ捉えていらっしゃることでしょう。 現実のマレーシアでのメイドはその範疇を超えて働かされています。家庭内では家事や子守以外にも、主人が買い物時のお供、近くの市場やスーパーへちょっとした買い物に行かされる、小さな子供の幼稚園や小学校への送り迎え、 親が小学校へ子供を送迎する際の子供のかばん持ち、自家用車の洗車、一家外出時のお供して幼児の面度見や荷物持ちなどをしています。文字通り何でもさせます。中にはなんと家族の小旅行にも身の回りの用事をさせるためにメイドを連れて行く家庭もありますよ。
ここまでは推測できる方でも、その家庭の主が営む、大衆食堂や屋台や小さな自営業店でメイドをただ働き従業員として働かせている現実は、想像できないことでしょう。もちろんただ働き従業員として働かせている家庭はそうでない家庭よりずっと少ないですが、それでも決して稀な事例ではありません。いうまでもなくそれは非法なる行為なのですが、ごく普通に行われていることして捉えられています。つまり最上段で描きましたように、家庭では家事をさせ、日中や夜間は店で働かせる、というようにです。ただ働きという意味は、メイドとして月給RM 600弱を払っているので、店や屋台で働かせてもその分は支払わないということです。 こういう雇い主にとっては、家庭内住み込みメイドは一石二鳥の使用人なのです。
インドネシア側は当然こういった扱いを知っているはずです。しかしメイドとして外国へ働きに出たい、外国へ働きに行かざるを得ないインドネシア女性が多数いることは、インドネシアが昔から抱えた現実ですね。こういう事情の中、マレーシアとインドネシア間に存在する問題の一つに、インドネシア人メイドが受けるひどい扱いの件が加わってきました。
最近またまた起きたメイド虐待事件の結果、インドネシア側は7月のインドネシ大統領選挙もあって、自国民の受ける扱いに対して毅然とし対応を取る必要があるという解説もでています。まあそれは事実でしょう、しかしそういううがった見方を前面に出して、だからインドネシア側は高圧的だとマレーシア人家庭の封建的感覚を免罪する発想に立つことは、メイドにまつわる長年の問題を全く解決することになりません。そもそもメイドを雇用するマレーシア人家庭で本当に住み込みメイドの必要な家庭がどれくらいあるのか? 恐らく数割に過ぎないでしょう。多数派は安いから、楽賃だからメイドを雇うという発想でしょう。
こういう反論に対して必ず出てくるのが、インドネシア人メイドは仕事で稼ぐためにマレーシアに来るのだから、マレーシア雇用者側はインドネシア人を助けていることにもなる、という恩着せ論です。要するに、すべてを正当化したいメイド雇用家庭とメイド代理業者の発想ですな。メイドが逃亡する恐れがあるからパスポートをメイド自身に所持させないという慣行は、その時代遅れの召使い扱い意識を典型的に感じさせます。そもそも、そんなに信用できないメイドをなぜ雇うのだろう?
住み込みメイドはマレーシアの家庭の中に必要とする家庭が存在するという事実とインドネシア国民の中に海外へ出て稼ぎたいという希望者がある以上、近い将来供給がなくなるようなことも、需要がなくなるようなこともありません。 それであるからこそ、住み込みメイドを家庭内労働者として扱い、それを保証するマレーシア当局側の法的措置、及びマレーシア雇用者側がメイドの基本的労働権利を認める意識の向上が必要だと結論できます。
最後に、6月下旬に行った第3回「マレーシア 皆で投票」 <あなたなら家庭内住み込みメイドを雇いますか?> の投票結果を次に載せておきます。
投票者数 31人でした(二重投票不可の設定にしてあります)。
投票実施前にIntraasia は「雇わない。家庭内に見ず知らずの他人を住まわせたくない。言語、文化の違いからメイドを雇うのは不向きだ。メイドそのものが不要だ、自分たちだけでやるのが筋だ。」という項目への投票が半数を超すのではないだろうか、と推測しました。 合わせて15票という結果をみて納得した次第です。雇いたい派もそれなりの割合を占めたことは、メイドの便利さは捨てがたいものだと考えるのも不思議ではないということですね。少ない投票数とはいえ、日本人読者の示されたこの結果は、マレーシア中流家庭一般の捉え方と違う傾向を示していることがわかります。
ところで仮にですが、当サイトの 「喫茶ツイッター」を主催する Intraasia が家庭で住み込みメイドを雇えるようになったら、家事させる以外に店でも働かせようと思っています。お客さんにも若いメイドは喜ばれることでしょう。まあそうなったら、口だけは達者な熟女ウエートレスには暇を出すことにしましょう(笑)。
「ゲストブック」 には随時様々な題材で書き込んでいます。しかしその書き込みはいずれ消えてしまいます。そこで2009年第2四半期に Intraasia が書き込んだ中から主なものを抜粋して、コラムの1回分として収録しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。
このところタイでおきている反政府デモと衝突事件、ついには東アジアサミットが開催直前に中止されたという、タイ政界の不安定ニュースを、マレーシアの新聞は連日にぎやかに報じています。 それ事態は社会事件報道として当然だとい思いますし、むしろ隣国ニュースとしてもっと深く取り上げるべきだと感じます。しかしまことに残念ながら、マレーシアマスコミは西欧外電報道を丸載せし、タイで発行されている英字紙ばかりを引用しているありかたが依然として変わっていません。
隣国なのにマレーシアとタイは互いに特派員を駐在させていない、させようとしないというあり方は、いかにも悲しい現状だと思います。タイの英語紙なんて一般タイ人は誰も読みません、第一地方の町へ行ったら英語紙を売っている場所からしてごくわずかです。そんな新聞の論調に依存したり、西欧視点の外電報道を丸載せするというあり方に、東南アジア共同体という名前だけで、実質は政治家とエリートと官僚主導のあり方をいつも感じます。
タイ語が話し読める記者を育てて、それを土台にした上でタイ民衆視点のタイ報道ができないところに、英語依存視点または華語依存視点に捉われたマレーシア人記者・編集者の論調に Intraasia は違和感をいつも感じますね。パタヤの高級ホテルで起こったのはその場限りの襲撃であり、騒動は引き続きバンコク中心部で起こっているようですが、タイ全土に不穏な状況が広がっているわけではないし、そんな可能性はものすごく低いはずです。そういうことを知ってか知らずか、政治的対決だけを強調する報道は、マレーシアで以前政治不安が起こったときマレーシア政治家やマスコミが一部を捉えて全てを判断するなと訴えていたことと、まさに共通の根に基ずくことなのです。
Intraasia は25年前後タイと付き合ってきました。90年以降は地方の町を訪れ滞在することが非常に多く、ほとんどはごく普通のタイの町です。外国人旅行者が好むような地や場所は通り過ぎる程度で、できるだけそういう地には滞在しないようにしています(バンコクだけはどうしても滞在せざるをえない場合もでてきます)。こういう地方の雰囲気を長年肌で感じて来た者として、バンコクで起こっている騒乱やデモが地方つまり全国各地に伝染することはごくまれですね。バンコクでの騒動はタイの伝統ともいうべきもので、数十年来やってます。だからといってそれで地方までもが不穏状況になったというニュースはまず聞きませんし、私はこれまで遭遇したことはありません。(タイ深南部の問題はこれとは別の次元の問題であり、Intraasia が何回も詳細にリポートしてきたことです)
今後どう激化または鎮圧されるのか、もちろんわかりませんが、なにわともあれ、対抗グループ、軍と警察が行動を激化させずに流血だけは避けてほしいものであり、これに尽きます。
反政府派=タクシン支持層は北部と東北部の貧しいタイ人主体であり、反タクシン=政府支持派はバンコクや都市部の中流階層や高学歴層が主体であり、これがタイという国を二分していると、マレーシアマスコミは外電やタイ英字紙孫引きして解説しています。しかし本当にそんな単純に二分化できるのだろうか?そういう視点だけでこの抗争を捉えられるのだろうか? というのが私の素朴な疑問です。 といってタイ専門家ではないので、確信をもった反論はできませんけど。
いずれにしろバンコクの状況だけを捉えて、タイを判断する見方には賛同できません。仮に地方にまでもこの抗争が広がるようなことがあれば、それはタイ社会と国の両面で深刻で重大な局面になってしまいますが、そんなことにはまずならないのではと思いますし、そう願っています。
豚インフルエンザの感染者数が増え、且つ感染国が広がっていますね。つい1週間ほど前は小さなニュースであったはずですけど、現在では大国際ニュースといえるでしょう。旅先国のテレビでもよくこのニュースを放送していました。国際流行病になる日が刻々と近づいているかのようです。 ということはマレーシアでも日本でも憂慮すべき時が来ることを覚悟しなければならないということでしょう。
昨日(4月28日)利用したクアラルンプール国際空港のLCCターミナルでは、国際線到着客に対する保健検査は全く行われていませんでした。AirAsia の飛行地の1つが感染国になれば、当然保健係官が常駐し、対象国からの乗客を検査を開始することでしょう。
今日の新聞にたくさん載っている豚インフルエンザ関連ニュースの中に、世界保健機構のスポークスマン自身が語っている言葉を載せています、「空港での検査管理は機能しません。対象者検査は機能しないのです。ある人が感染したまたはウイルスに触れたとしても、空港に着いた時点で症状が現れているとは限らない。 2003年に世界で起きたSARS大発生の件は我々に大きな学びの経験になっています。」
素人考えでも、確かにそう思えます。空港に設置された体温感知装置で全ての感染者が検知されるとは思えませんよね、マレーシアに到着して数日後熱などが出ることだけ当然ありえるでしょうから。 もちろん、検査しないよりしたほうが良いのは当然ですから、無駄だということではありません。
さらにIntraasia の頭に浮かぶのは、国際空港だけで厳しく検査をしても感染の拡大は防げないという、簡単な事実です。長い国境線で隣国と接するマレーシア、タイ、インドネシア、などの東南アジア諸国では、人の往来は陸路、海路、河川路を介して行われる方が数は多いわけですから、いくら国際空港での監視を強めても、片手落ちになります。 Intraasiaは国境超えが好きですから、数十年来世界のあちこちで、陸路、海路、河川路での国境超えをやって来ました。
その経験を通して東南アジアの国境検問所の場合に当てはめれば、ほとんどの小規模検問所で、保健検査など実現不可能であるということです。マレーシアだけでも、空港以外の国境検問所は、サバ州サラワク州を入れれば20箇所を超えます。その全ての検問所に保健係官と装置を設置するのは不可能であることは明々白々です。さらにその相手国側で同じような検査がきちんと行われると想定することは極めて非現実的です。保健面で発展度が低い、ラオス、ミャンマー、カンボジアに、タイやマレーシア並みの保健戦力を期待できません。
この現実は鳥インフルエンザ発生の時と同じであり、多くの人はなんら検査されず国境を行き来していました。山と積まれて国境を越えていく中には生きた動物、肉食類なども含まれています。小国境を行き来する商売人や悪行を生業とする人たちが、係官の目こぼしを受けるのは日常茶飯事でしょう。こうした点を考慮すれば、小規模陸海国境検問所での保健検査の効果は、たとえ検査が行われたとしても、大して期待できません。
加えて、違法な密入出国が盛んな国も少なくありません。 マラッカ海峡の幅が狭いところでは、小さなボートでスマトラ島から渡ってこれますし、サラワク州とカリマンタンに横たわる千キロをはるかに超える国境線全線を見張るのは不可能だと当局自身が認めています。 東南アジア大河であるメコン川はミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムを横切りまたは国境となり数千キロを流れています。メコン川は人と物の移動場所となっています、そしてそれは国境検問所には限りません。
一度豚インフルエンザが東南アジアの国に、とりわけ郡部に到達したら、それを押さえ込むことは非常に難しいことを感じます。鳥インフルエンザがどうしても撲滅できず、突然ある地で発生している事実がこういったことを裏付けています。ただ豚の飼育は鳥ほど広範囲に及んでいないし数も鳥ほど多くはないこと、ムスリム地帯では飼育はありえないこと、これが豚インフルエンザの唯一の救いの点になるかもしれませんね。
なにはともあれ、この種の世界流行病の発生はまこと憂慮すべきだと感じます。人の移動が益々盛んになっている現代世界では、インターネット並みに”普及” していくかのようです。若い抵抗力の強い人でも死亡に至るそうですから、抵抗力の弱い幼児、中高齢者、身体弱者、には致死を呼ぶ源になりますよね。風邪をこじらせると気管支炎に悩みがちになる最近の Intraasia はインフルエンザはかなり不気味の病気です。 豚インフルエンザの感染拡大ニュースには目が離せなくなりました。
今日(5月6日)の「新聞の記事から」に掲載したニュースは日本に直接関係のある、しかも重要なまたは興味あるニュースです。ということで、1つの記事は全訳したわけです。
日本のODAのあり方に関する論議は昔からありますよね。私が日本でこの問題に多少興味を持っていくつかの関連書籍を読んだのが1980年代ですから、結構前のことです。今だにこの種の援助のあり方に論議が生まれるのは、国益と企業利益を密接な関係として捉えている、官僚と企業人の思考と行動がかなりの要因といえるでしょう。もちろんODAを受ける側の国の政治家、官僚、企業の意向と利害が多いに絡んでいるのは当然でしょう。 100%無償で無要求の援助というのは、人道的援助の場合ぐらいであり、ビジネス絡みの援助にこれを期待するのは、机上の空論と思います。
とはいえ21世紀のこの時代、あからさまな日本企業優遇は、援助受け入れ国側の一部に疑いや反発を生むことになるのは不思議ではありません。 それが、企業利益の面から発せられたものであれ、ナショナリズム的感情から発せられたものであれ、その表現がマスコミに載って流布すれば、マイナス効果を日本及び日本企業にもたらすことになりますよね。 世論は事柄の詳細を知ってから形成されるのではありません、見出しだけで世論が作られることがあるのは、いろんな事象に共通したことですね。
「新聞の記事から」のコメントに書きましたように、ある国でのODAの進め方は、いかに公正に公平に見えるようにさせるかという点にもっと配慮を払うべきでしょう。ビジネス主体のODAは 100%無要求の援助ではありません、どこの援助供与国だってこれは同じでしょう。そのとき、援助する側の国益をあからさまに出さないで、公平さを被援助国側に感じさせる工夫が必要だと思います。 21世紀のODAは1980年代型ODA から脱皮するべきではないでしょうか。
というのがIntraasia の、「パハン州からスランゴール州への水移送プロジェクト記事」に対する立場です。 こういうニュースはどれほど日本で紹介されるのでしょうか? または興味を持たれるのでしょうか?
もう1つの記事 「洗練された日本人男女をマレーシア旅行に呼び込みたい」は、なかなか興味を引くニュースです。 洗練された、都会的な、センスある日本人OLに、是非買い物旅行にマレーシアに来てください、と観光大臣が呼びかけているわけです。買い物と言っても、大臣が含蓄するのは、Kayaジャムやテータレ用の紅茶粉の買い物ではないのは明らかですな(笑)。高級なブランド物とか値のはるマレーシア手工芸品などを指しているはずです。 日本女性の20代 30代層は豊かに見えますから、衣服から宿泊ホテルまで、一クラス上のスタイルで滞在と行動できるんでしょう。 うらやましいことですなあ・・・
そうと見込まれた以上、期待に答えてくださるといいですね。ただし、ぼられたり、騙されたりしないように気をつけましょう。 東南アジアで、西欧女性相手にはできない男たちが、しつこく言い寄る対象は日本女性だというのが定説です。世の若い日本女性の皆さん、もっと毅然とした態度をとりましょうね。
男性にはゴルフやダイビングパッケージツアーと呼びかけ、年金生活者にはマレーシアマイセカンドホーム参加を勧めています。いうまでもなく、 Intraasia 流の節約旅行者のことは、観光大臣の頭には全然ないようです。まあ、常に傍流を行くIntraasia ですから、観光省の対象から外れようと特に気にしませんです。ホームステイの勧めは多いに同感ですね。つい最近、当サイト常連者の若者がトレンガヌ州でホームステイ体験された報告を寄せられました(旅行者ページをご覧ください)。 都会でない、海浜のリゾートでないマレーシア、とりわけマレーカンポンを身近に眺める貴重な機会だと思います。 Intraasia も多いにお勧めします。
観光省は、Intraasiaとあまり年代が違わないだろう引退者・年金生活者の方には、長期滞在を勧めています。確かにこれは一理あります。焦らずゆったりとマレーシア滞在してください。というより、その方が良いのではないかと Intraasiaも思います。もっともIntraasia はゆったりなどしている状況では全然ありませんが、願望としてゆったり暮らしをしたいものです。
Intraasiaは果物好きですから、果物価格が比較的安く且つ種類多く得られる、東南アジアはこの面でも好都合です。マレーシア生活では毎日なんらかの果物を食べています。もっとも中国産ふじりんごがその中心ですけど、これは近くのスーパーか市場で中または大サイズが常時安く買えるから、つまり大きさからいえばふじりんごがお徳だからです。経済的に許せば、もっと種類多く果物を食べたいのが本音ですな。
日本でもいろんな熱帯果物が買えるようですけど、いかんせん高すぎますね。何年か前のこと、日本へ行ったときダイエーのような大衆スーパーでマンゴを見つけて、その高価さに唖然としました、だって1個何百円もしたからです。あれじゃおいそれと食べられないのでは思ったのですけど・・・・ でもたいして気にせず買っていく人もいるんでしょうね。
そのマンゴを今日は市場でふじりんごと一緒に買いました。果物の中でマンゴは最も好きな種類の1つですから、このところマンゴが安くなっているのはうれしい。今日買った値段は 1Kg でRM 3です。言い方を変えると、大体 3リンギットで中サイズのマンゴが3個 買えます。もちろんもう少し質のよさそうなマンゴもありまして、それだと1Kg でRM 4。 他にもあったかな? 高い方は気にしてないので確認しませんでした。いわゆる伝統市場ですから、同じような品なら一般にスーパーより値段は多少安い、時には結構安いことが多いですね。この種のマンゴは恐らくタイ産のはずです。なおマンゴはたくさん種類があるそうですが、私に馴染みあるのはマレーシアでよく出回っている種類だけです。
マンゴをマレーシア語及びインドネシア語で mangga 、タイ語で マ・ムアン と呼びます。マンゴに似た名前の果物にマンゴスチーンというのがあります、でも形も味も全然違います。どうして似た音感の英語名なんでしょうかね? Intraasia は熱帯果物の中でマンゴスチーンを最も美味に思います。しかし東南アジア果物の中で単価辺りの量から言ったら最も高価な部類に入りますので、おいそれとは買えません。マンゴスチーンの最盛季節になって少量買う程度ですね。この果物は栽培が難しい、さらに運送中に傷つきやすい果物である、と専門書には書いてあります。それが高価な理由の1つかもしれません。
マンゴスチーンをマレーシア語及びインドネシア語で manggis と呼びます。この両種は全然似てないのに、どうして manggo と似た名前なんだろうと、以前から思っています。ところがタイ語では マンクット と呼んでおり、マ・ムアンとは全然似ていません。
マンゴスチーンは料理には全く用いられないはずですが、マンゴはサラダだけでなく料理の材料としても使われていますよ。マンゴは普通に皮を剥いて食べるだけだと、多くの方は思っていらっしゃることでしょう。マレーシアでもインドネシアもこの食べ方がすべてだと思います。
ところがタイでは剥いて食べるだけでなく、もち米に剥いてスライスしたマンゴを載せ、それにココナツミルクをかけて食べる方式もごく一般的です。 この料理を カーウニアウ マ・ムアン(声調が伴う)と呼びます。この料理は Intraasia の大好物でして、タイへ行った時にマンゴの季節にあたるといつも食べてます。市場で持ち帰り食にしてもらうのが一番安く、控えめに食べれば、最近では40 から50バーツでしょう。 もち米のため腹もふくれ、ちょっと酸っぱいマンゴにココナツミルクが混じってまこと美味しいのです。 ラオスではまだ調べてないので確定したことは言いませんが、これは恐らくタイだけの食べ物でしょう。カンボジアとベトナムでは見かけませんでした。
皆さん、マレーシア、タイ旅行されたら、是非マンゴ、さらにマンゴスチーンも味わってみませんか。スーパーか伝統的市場へ行って少量買い、ホテルの部屋で味わうのもいいではないでしょうか。
昨日のラジオで多少気が付いていたのですが、今日(5月26日)の新聞を見て驚いたのは、北朝鮮の核開発のニュースです。核開発用に地下で爆発させ、そのうえ短距離ミサイルを3発も発射したと、外電報道に載っています。韓国、日本、米国さらに欧州連合の首脳が批判の談話と国連の安全保障委員会の緊急開催、そして北朝鮮へのさらなる制裁措置のことが報じられています。
どの新聞も国際面ページの大きなニュース(のはず)ですけど、それ以上ではありません。つまり第一面で大きく報道するようなニュースではないのです。これが一般的なマレーシアの反応といってもいいでしょう。 マレーシア政府首脳が北朝鮮の行為に何か発言したのかどうかは、載っていないのでわかりません。多分首脳の一部は発言したかもしれませんが、載せるに値するほど重要な発言とは捉えられていないということです。 さらに与野党政党レベルでなんらかの表明は、あったのかなかったのかは、報道されていないのでわかりません。マレー政党はパレスチナ問題にはしきりにイスラエル糾弾し、米国大使館への申し入れ行動すらすることがあるのですが、他国の核開発には大して関心を示しません。今回も同じような反応に今のところは見えます。 NGOグループや識者の発言は現時点では、インターネット上は別にして、マスコミにはまだ現れていません。
マレーシア一般大衆にとって、北朝鮮がミサイルを発射しようと核開発しようと、特に気にするようなニュースでないことは間違いないでしょう。マレーシアと北朝鮮の関係は密接でなくても悪くはありません、なにしろ利害関係はありませんからね。 北朝鮮という存在はマレーシアの各民族及び各宗教とは何ら関係はないし、地理的にも離れているので、一般大衆の反応は無理もないところでしょう。さらに国民感情として、核に対する拒否感も且つ熱望感もありません。
どこの国または民族でも、他国で起こっても自民族や自国に直接関係する事件、同じ宗教徒に関する国際事件は、それなりに時には大きな関心を呼ぶといえます。それ以外の場合は、その国の民がいかに国際的興味を持ちやすいか、自民族・国の範疇を超えて興味心を抱くかにかかっていると思います。地球の温暖化などといった問題は、典型的な例ですね。
マレーシアには合計して数十万人と推定される、合法と違法及び国連難民の資格を持ったミャンマー人が働くまたは滞在しています。クアラルンプール圏の都市部でミャンマー人を見ないで暮らすのは不可能な状態といえるほど、ミャンマー人はあちらこちらにいます。ミャンマーは多民族ですから、ビルマ人だけに限りません。これほどミャンマー人がいわば身近にいても、アウンサンスーチー女史の幽閉に代表されるミャンマー軍事抑圧体制に対する、批判調のマレーシア世論があるようには全然感じません。 この世論を反映してかのように、マレーシア政府与党は伝統的に、ミャンマー問題は内政だとする、非干渉態度を依然として取っています。マレーシアを含めたアセアン全体はこの1、2年は以前に比べて多少ミャンマーに文句を言うようにはなっていますが、それでも極めて消極的なあり方という印象は否めません。
というように、国が変われば、民族が変われば、国際的できごとは非常に受けとめ方が違うということです。 日本を離れて久しい Intraasiaですが、今日のニュースを知ったことで、北朝鮮までの距離に関係なく、北朝鮮の行動に憂慮と憤慨を覚えましたので、この場で小文を書きました。
昨日の午後(6月8日)いつものように、ブキットビンタン街へちょっと出かけました。用事を済ましてから、スンガイワンの大衆食堂街で ”紅豆水”を食べて休憩しました。今週はまだ学校休暇のため、まあ、子供たちの多いこと、多いこと。小学生くらいの子供を連れた家族連れが、何組も食事しています。それ以上に目立つのは、中学生が主体と思われる子供グループの多さです。広い食堂街のたくさんのテーブルをこうした中学生グループが占領しています。顔は幼いけど、やることは青年層の真似です、特に食事するわけでもなく、仲間同士でつるんでいる様子がよくわかります。 こういう子供グループも、現代マレーシア社会を見事に反映しており、民族別になっています。つまりマレー人グループに華人またはインド人が混じるような構成はまず見られません。この時は華人子供グループはほとんど見かけず、マレー人子供グループが圧倒的に目に付きました。
”紅豆水”を食べ終わったので、ショッピングセンターを階下へ歩いて下りました。
スンガイワンは築30年以上を経た最も古いショッピングセンターであるにも関わらず(大きな改装は数回行われた)、現在でもクアラルンプール圏つまりマレーシアでトップクラスのショッピングセンターの地位を維持しています。大衆的なテナント構成と流行に機敏な経営方針、及び絶好の立地性のためです。そのため常時10代、20代の若年、青年層が非常に多く、さらに若いカップル、加えて観光客も目立ちます。
ショッピングセンター内で行き交う人たちの姿をいつも見て思うのは、若い世代のファション感覚が90年代前半頃に比べると、随分と変わったように感じます。とりわけ今は学校休暇時期ですから、子供たちの服装に時の流れと流行を追う潮流の強まりを強く感じますね。おしゃれな、恐らくそれが現在の流行であると思われる品を並べた、ヤング向けブティック、ファッション靴ショップ、アクセサリーショップはおおむねにぎわっています。 20代の社会人層だけでなく、明らかに10代に見える層もその種の店内を出たり入ったりしています。子供の立場とすれば、魅力的なこういう商品類に囲まれたら買いたくなるのは当然でしょうね、実際彼女たちの身に付けている姿が眺めれば、それを証明しています。 Intraasia は子供がいませんので切実な実感にはなりませんが、都会の親はたいへんだなあと思えてきます(笑)。
クアラルンプールのこの種の人気ショッピングセンターへ比較的容易に足を運べる地域、地区に住んでいる子供たちはこうして、流行と商業主義の雰囲気にいつもさらされています。しかしながらマレーシアはまだまだ都市部と田舎の格差の大きな国ですから、田舎ではまこと状況は違います。 スンガイワンはブキットビンタン街という中心地にあるゆえ、最も多くの場所から人が集まってくる傾向があります。でも別にスンガイワンだけに限りません。Berjaya Times Square の4階5階は若年層向けの流行ショップが固まっており、週末は10代層でにぎわっています。最近は足を運んでいない、MidValley 、One Utama, Sunway Pyramid などその地区毎にある人気ショッピングセンターへ行けば、都会若年層の現在潮流が感じられるはずです。
学校休暇時期の大都会はマレーシア青年・若年層の風景を顕著に目にする時でもあります。 マレーシア旅行の際もしそんな時期に重なったら、ちょっと観察してみるのも面白いと思いますよ。
そうそう今日はプロパンガスがほとんどなくなりかけたので、午後近所にあるプロパンガス取り扱い店へ行って、プロパンガスボンベを注文しました。こういう店がない地区では、雑貨食料品店などがプロパンガスを取り扱っています。 まもなくアパートまで配達してもらいました、というかこれが普通です。 通常サイズ(14kg入り)の配達込み料金は RM 26 です。プロパンガスは公定価格なのでどこでもほぼ同じはずです。
我が家ではボンベ1本あれば確実に半年持ちますので、燃料費としては安いといえます、月あたり RM 5未満ですからね。というのは、飲み水用、オートミール用、インスタントコーヒー紅茶用に毎日数回お湯を沸かすのと、時々インスタントラーメン作りに使うだけだからです。生涯料理知らず、料理できずの Intraasia ですので、プロパンガスは長持ちします。こう書くとどこかから、侮蔑の声が聞こえてきそうですなあ(笑)。
マレーシアは天然ガスの産出国で且つ輸出国でもあるのに、国内で天然ガスの配管が架設されているのは、ごくごく限られた地方だけです。クアラルンプールのごく一部、スランゴール州のごく一部でガス配管がなされていることは知っていますが、それ以外でガス配管があるのは、どの州のどの都市なんだろう? そのマレーシア産液化天然ガスの主たる輸入国が日本なのです。「新聞の記事から」では数回こういった記事を載せましたよ。 マレーシア産天然ガスを輸入しているのは、中部地方と関西地方のガス会社だと記憶しています。この雑文をお読みの、あなたの家のガスはマレーシア産かもしれませんよ。それがどうしたといわれても困りますけど。
天然ガス配管の極狭範囲ゆえに、一般家庭でも商業店でもプロパンガス利用が圧倒的多数となるわけです。よってプロパンガスボンベを積んだ小型トラックをあちこちで見かけます。住宅地などでは、バイクで配達するのもこれまた普通です。今回も我が家へ配達に来た若い男は外国人労働者でした。マレーシア語が一言もわからない様子で、黙ってボンベを交換して去っていきました。
私がいつも買うプロパンガス取り扱い店では2年ぐらい前から外国人労働者を使っています。 この種の労働にマレーシア人はもう従事しない典型例です。 商売人主としてプロパンガス取り扱い業を営んで配達している人たちを除いて、街で配達仕事に就いている男たちのほとんどは外国人労働者ではないだろうか、と思えてくるぐらいです。 多分その多くは違法労働でしょう。これも現代マレーシア社会にある外国人労働者依存のほんの一面です。
プロパンガスだけをとっても、このようにマレーシアの現在を知る小さな一助になる事実が浮かんできます: 天然ガス産出国なのに圧倒的大多数の家庭はプロパンガスを利用している、都市部では配達は今や外国人労働者が主体である。
まず当サイトの読者として新しい方は、Intraasiaの国境超え情報といいくつかの関連コラムをご存じないでしょうから、とりあえず 「今週のマレーシア」第514回 【陸路(河川を含む)国境越えの魅力にとりつかれて -東南アジアの陸路国境越え】をまずお読みください。
Intraasia はまさに国境超えの魅力に取り付かれてきました。そのため、この種の詳しい国境情報を集中的に掲載した、恐らく初の日本語サイトだと思っています。
例えば今ではごく当たり前の国境検問所になっている、タイとカンボジア間にある タイ湾に面したクロンヤイの検問所についていえば、今から10年ほど前のこと、この検問所がタイ人以外に初めて外国人にもオープンされるという期待で、外国人としての一番乗りを目指したこともあります。90年代後半タイとカンボジア間の開かれていない国境通過所を求めて、タイ人を装って地雷危険のマークのある山中を歩いたり、ミャンマーとの国境通過所を探して、マレー半島の一番細くなっている地点を探しまわりました。ありきたりの旅ではないこの種の旅好きには、外国人の溢れた人気国境検問所は何ら魅力がありません。
さてこの種の国境超えに時々ついて回るのが、検問所係官の要求する通行料、つまり裏金です。これを要求されたら渡すべきか、渡さぬべきか、誰でも多少は悩むことでしょう。基本は次のようにすべきです:
ミャンマーやカンボジアやラオスの国境検問所では通行料要求が横行しているようです。ただしこれも検問所により且つそこを通過する外国人の国籍によりますね。 しばらく前のこと、タイとカンボジアの一番にぎやかなPoipet検問所では、タイ係官は中国人旅行者には金を要求していました。正規に入国する日本人にはなんら要求されるいわれもないし、たとえ要求されても拒否すべきです。
ミャンマーとのある小さな国境だと、ミャンマー係官は誰であれ軒並みに要求していました。こういう場合は素直に払うしか手がありません。去年のラオス国境検問所でも、ラオス係官は誰彼となく通行料を要求しているように見えました。このときも素直に払うしかありませんでした。
相手の国籍を見て要求してくる検問所や係官がいます。 マラッカからマラカ海峡を船で渡るスマトラのドマイ出入国検問所でのことです。係官が私のパスポートを見て、ちょっと来いと別の部屋へ連れて行かれました。彼は、入国ブラックリストに載っているかもしれないので、調べると言って分厚いノートをめくっていました。薄暗い小さな部屋で2人だけにさせられいささか威圧感を感じました。私は彼の意図を十分知っていたので、どうぞ好きなだけ調べてくれと、マレーシア語で伝えて待ちました。5分ぐらいで彼は入国OK とパスポートにスタンプを押しました。金を払えとは言わないが、払えば直ちにスタンプを押してやるという魂胆が見え見えです。しかしIntraasia は80年代前半からインドネシア旅をしている人間ですから、この種の嫌がらせに譲歩するつもりはありません。なぜなら正規の入国者だからです。
インドネシアは現在は到着時有料ビザ取得制となりましたので、昔のようにパスポート検問係官の裏金請求が圧倒的に減ったはずです。昔はどうどうと請求してましたね。そういう時、金を渡してしまう日本人が結構いたことを知っています。そういうことをやればやるほど、日本人は「金」払いがいいということになってしまったのです。よって拒否すればいやがらせを受けることもおきます、でも正規でなんらやましいことなく入国する限り、なんら恐れる必要はないのです。
このインドネシアのケースとタイ国境検問所の場合は同じですね。タイ係官は相手の国籍を見て請求しているはずです。ミャンマー人やラオス人などは一番要求される国籍でしょう。欧州連合や日本国籍の旅行者はなんら心配なく入国できる扱いを受けることになっています。もちろん、過剰入出国回数がないこと、労働ビザなしで長期滞在した記録がないことなどのクリーンな入国者の場合が前提ですよ。
1980年代後半から数多くの陸路川路のタイ国境を通過してきた、Intraasia は裏金は一度も要求されてことはありません。タイ係官が日本人相手に、正規の領収書を出さない、いわゆる通行料請求をしているとは思いませんが、仮にタイ係官が日本人にその種の金を要求してきたら、断固拒否すべきです。今後に続く日本人旅行者のためにも、その種の金を渡さないようにしましょう。そのためには、入国になんらやましいまたは相手に弱みをつかれるような記録の載ったパスポートでないようにすべきです。 自分に弱みがあれば、裏金は拒めませんからね。
これは東南アジアのどの国境検問所でも同じですね。誰彼の区別なく、外国人すべてに金を要求しているような場合は、素直に従うしかないでしょう。抵抗してもしょせん勝ち目はありません。しかし相手の顔を見て国籍を見て要求してくるような場合は、きっぱりとしかし相手を怒らせないように拒否しましょう。これが後に続く仲間のためにもなります。