「今週のマレーシア」 2007年9月から11月分のトピックス


・待ち望まれたペナン州発展長期計画について概観する 
短編コラム4題 - 民放ラジオ局、三大民族、中長距離バス事故、日本首相来マ報道
新編 マレーシアで医者にかかる -専門医と国立病院− 及び肩腕痛に悩む記
”かじん”に憧れる Intraasia が啖呵を切らずに短歌を詠む - 前編 -   ・ その後編   ・2007年経済報告書から
左肩腕痛のために国立大学病院での受診記と病院観察記  ・数字で見たマレーシアシリーズ その32
ゲンティンハイランドの屋内娯楽遊戯施設の繁盛にあらためて驚いた



待ち望まれたペナン州発展長期計画について概観する


アブドゥラ首相はこの1年の間に2種類の巨大開発長期計画を発表しました。先に発表されたのが、ジョーホール州南部という比較的狭い地域を対象にし、諸外国からの大投資を多分に期待した都市型地域発展プロジェクトです。もう一つが7月に発表された、ペナン州など北部3州プラスペラ州の北部というかなり広い地域を対象にした、都市部と田舎(非都市部)の両方を対象にした開発プロジェクトです。

”半島部北部経済回廊” 長期発展計画

そこでまず、「新聞の記事から」に7月31日付けで載せた記事を再録して、このコラムの糸口とします。以下は記事。

アロースターで行われた数千人の招待者を集めた儀式行事において、アブドゥラ首相が”半島部北部経済回廊” 長期発展計画を、公式に発表して立ち上げを告げました。この長期発展計画は、ペルリス州、ケダー州、ペナン州、ペラ州からなる北部諸州に、2025年までの19年間で総額 RM 1770億の投資を予定する一大発展計画です。尚ペラ州は北部の4つの郡だけ(タイピン辺りまで)がこの”半島部北部経済回廊”に属し、イポーを含む南部は属しません。政府はこの”半島部北部経済回廊”に、当初RM 50億の投資をして社会経済環境を整えますと、アブドゥラ首相。 「ケダー州とペルリス州の世帯収入は全国平均より低い。こういった理由から、北部経済回廊 の目的はコミュニティーの社会経済変転換であり、ジョーホール州の Isandar 発展地域計画は都市型開発です。」

計画の一例を抜粋:
北部経済回廊2005年2012年2020年
農業部門輸出額RM 320億RM 481億RM 777億
1アール当りの米作高3トンから5トン8トン10トン

旅行者訪問地2005年2008年−12年
ペナン300万人1740万人
ランカウイ180万人1040万人
1人平均消費高RM 1890RM 2000
観光収入RM 91億RM 556億

北部州の前国会議員は語る、「これまでの地域発展計画は州の枠内にあった。”半島部北部経済回廊”概念は資源のより良い配分を意味する。」 (4つの州の州首相及びアブドゥラ首相さらに私企業SimeDarbyの社長、が壇上で腕を組んでいる象徴的な写真を新聞は掲げています)
ペルリス州には、RM4000万の先進的な種苗研究開発センターを設立します、これはSime darby会社が設立し、中国の農業科学アカデミーから中国人研究者がやって来て協力します。
以上


ペナン州が都市型開発の中心となる

この計画では3大部門である 農業部門と観光業部門と製造業部門で上記で一部紹介したように、目標値が設定されています。いささかばら色的計画に感じますが、”半島部北部経済回廊” 長期発展計画が半島北部の一大転機の源または触媒になっていくことは間違いないでしょう。それほど重要な長期発展計画とも言えます。

この”北部州経済回廊”長期開発計画は上で指摘しましたように、都市部と田舎(非都市部)の両方を対象にした開発計画です。この点がジョーホール州南部開発計画との大きな違いです。田舎を対象にした投資開発の主たる分野は農業です。この計画の対象となる4州の合計農業地に対する各州の占める比率は、ケダー州が圧倒的に多く61% を占め次いでペラ州の28% です。ペナン州はごく小さく5% に過ぎません。ちなみにケダー州の農業用地の4分の3は稲作水田です。各州の就業人口に占める農業従業者の比率はケダー州で19%、ペルリス州で22%、ペラ州 18% なのに対してペナン州はわずか1.4% に過ぎません。このようにペナン州の開発とはすべからく都市型開発になります。

この”半島部北部経済回廊”の中で都市型開発面に限れば、一番注目を浴びるのは、やはりペナン州の開発プロジェクトと言えるでしょう。そこでペナン州に限って、すでに発表された計画を見ていきましょう。

クアラルンプール圏の開発の10年間を振り返る

その前に参考として、クアラルンプール圏の発展を振り返って見ます。Intraasiaの記憶がかなりはっきりとしている 1992年ごろと 2002年ごろを比べてみると、この10年間の変遷と変化はものすごいものでした。1992年のクアラルンプールには、KLCC もKL Sentral も大ショッピングセンターもありませんでした。市内縦横に悪名高いミニバスが走り、公共交通手段はこのミニバスと何社もの小さな私営バスだけでした。当時のクアラルンプールは古き東南アジアの大都市そのものといえました(当時そこに私は魅力を感じたものです)。

それが10年後の2002年ごろまでには一大変遷しました。まず巨大建設として KLタワー(1996年)、KLCC 及びツインタワー(1997年)の完成があります。公共交通面では、近郊電車であるKomuterの運行開始(1994年)、市内外を運行する公共交通網として2種の高架電車: Star-LRT(1996年)、Putra-LRT (1998年) が開通、ミニバスが廃止されて(1998年)コンソーシアム後に政府が買収したIntrakota バス網の運行となり、KL Sentral 駅がオープンしました(2001年)。 そしてモノレールの運行開始(2003年)です。さらに、巨大ショッピングセンターが何箇所にも建設され、クアラルンプール中心部に複数のインテリジェントビルが出現し、Bukit Jalil 国立スポーツ競技場施設(1998年)が完成しました。このように、誰の目にも明らかなたくさんの発展が起きたのです。

全国のインフラ建設という面で特筆されるのは、それまで部分開通であった南北縦断ハイウエーが全面開通したのが1994年で、その後のはかりしれない経済効果を生むことにつながりました。クアラルンプールの外では、KLIA空港の開港(1998年) と新行政首都 Putrajayaのとりあえずのオープン(1999年)がありました。この2つはまさに巨大プロジェクトであり、マレーシアの面目躍如という面を持っています。

1992年ごろから2002年ごろまでの10年間の変化はマレーシア歴史上最大のインフラ発展と言っても間違いないでしょう。これは22年にものぼるマハティール政権の後半の10年間にほぼ一致しています。尚マハティール首相が退陣したのは、2003年秋です。

ペナンの大プロジェクトは1985年以後めぼしいものがない

この首都圏の開発と発展はまこと目に見える変化となりました。これに比べて、ペナンには90年代の目に見える大開発はなかったといっても言いすぎではないでしょう。ペナンの巨大プロジェクトが完成したのは90年代以前であり、Komtarビルが完成し次いでペナン大橋がオープンしたのは1985年でした。その後巨大開発は途切れました。この最上段で紹介した ”半島部北部経済回廊” 長期発展計画 はペナン州民、ペナン基盤の企業、ペナン基盤の政治家などが待ち望んだ、長期大発展プログラムがようやく起案され、実施に向かってスタートしたといえます。

ペナン州の予定プロジェクトを列記

”半島部北部経済回廊”長期経済計画の下で、ペナン州には何十億ものプロジェクトが目白押しです。これらが完成した頃にはペナンを活気に満ちた州に変転させるだけでなく、半島部北部の交通と流通のハブにもなる、と期待兼予想されています。
ペナン州におけるプロジェクトの列記


アブドゥラ首相の地元がペナン州本渡側であるからこういう”半島部北部経済回廊”が起案されたという見方は恐らく間違ではないでしょうが、しょせん政治の世界はすべからくそうであって、彼だけの特徴ではありません。といってアブドゥラ首相が退陣したらたちまち開発プロジェクトが消えてしまうようなことは考えられません。多少の修正はあるとしてもです。アブドゥラ政権はこの北部開発計画を発表するより前の2006年終わりには、ジョーホール州南部を巨大開発する Iskandar長期発展計画を発表しています。アブドゥラ首相は地元だけに力を入れるという見方は間違いといえます。尚 Iskandar長期発展計画については、ここでは触れません。

10年後の姿を予測するのは難しい

ここに列記したたくさんのプロジェクトは計画ですから、計画は狂うこともあるのは国家といえども同じですね。ただし次のようにも言えるはずです: 1992年当時、マレーシア人の誰がクアラルンプール圏の10年後の姿を予測できたでしょうか。1992年当時マレーシアで暮らしていた外国人(私を含めて)の誰もが、KLIA、 KLCC&ツインタワー、10箇所近い巨大ショッピングセンターの繁栄、高架電車とモノレールなどの現在の姿は想像できなかったというのが正直な告白だといえます。 ですから、これから10年後の2017年のペナン州が現在とはかなり違った姿を持つ可能性は十分あると思います。

開発など不要、ペナン州は今のままでいいというのは、ペナン州民のかなりの少数派であり、または単なるレトロ趣味で訪れる外国人旅行者の願望に過ぎないでしょう。ペナン州のような都会型の州発展は決して悪いことではない(注)。要はその発展の仕方であり、その過程で起こる不平等と汚職をいかに最小限に抑え且つどうしても取り残されてしまう少数派をいかに救うかなのです。それができない限り、富むものが益々富むだけの格差拡大開発となってしまうでしょう。

注:つまりサラワク州の熱帯雨林を開発するようなケースと違うということです。熱帯雨林のような貴重な自然地をどんどん開発することは、単にマレーシア的観点だけでなく地球規模観点から言って、一部の開発利益享受者を除いて、圧倒的大多数の人間と動物と植物にとって負の効果を生むだけですね。


”半島部北部経済回廊” 長期発展計画発表以前から、ペナン州ではすでにコンドミニアム建設と中上流階層向けの住宅建設は盛んだそうです。この”半島部北部経済回廊” 計画が進行していけば、当然住居開発も景気よく続行していくことでしょう。90年代と2000年代前半に、クアラルンプール圏に大きく”差をつけられた”ペナン州は ”半島部北部経済回廊” 長期発展計画によって、クアラルンプール圏と同じような発展の道をたどるのでしょうか? それともペナンらしい発展の形が現れてくるのでしょうか? 現時点ではわかりませんね。



短編コラム4題 - 民放ラジオ局、三大民族、中長距離バス事故、日本首相来マレーシア報道-


おことわり:ゲストブックに書いたものを多少手直しして掲載しました。

【 ラジオ人間の語る、マレーシア民放ラジオのお話 】


これまでにも何回か触れたことがあるように、私は全くのラジオ人間です。うちにいる時はラジオがずっとかかっています。つまり朝から夜寝るまでかけっぱなしです。外出から戻るとまず先にラジオのスイッチを入れますね。これはマレーシア生活に限らず、日本に住んでいたときも家(アパート)ではずっとラジオをかけていました。テレビは全く見ずラジオ一辺倒というこのスタイルは、若い時からほとんど変わっていません。マレーシアにおいてうちでテレビを見たのは、パートナーが見るので付き合って見ていた時くらいですね。それぐらい私はラジオ人間なので、テレビのことは語れなくてもラジオのことは一杯語れます。

新聞読みながら、本を読みながら、ホームページ更新作業しながら、パソコンで仕事しながらというように、何々しながら聞けるのがラジオの利点ですから、私にはたいへん向いています。ここ数年は、1週間を均せばマレーシア語局と華語・広東語局を大体半々ぐらいの比率で聞いています。朝マレー放送局なら午後は華語・広東語局にしたり、昨日は華語・広東語局ばかり聞いたので今日はマレーシア語局にするといったように、ダイアルを変えています。2種のラジオ放送を聴くのは、複数言語社会マレーシアに合わせるためであり、この2つの放送の違いが楽しめるからです。

マレー放送局と華語・広東語局はそれぞれ2つの民放ダイアルを聴きます。つまり合計 4放送局です。公営放送 RTM の局は何語であれ、聴いてて面白みがないのでめったに聴くことはありません。なぜか? 一番の理由は DJ が退屈なので番組に面白みをほとんど感じられないからです。どうしてRTM各局の DJ はこうもステレオタイプを感じさせる話ぶりなのか知りませんが、民放に比べてはるかに”のり”が少ないし、脱線もないし、話し方も下手ですね。尚マレーシアで民放ラジオ局が”解禁”された90年代の中ごろより以前は、RTM局ラジオを聴いていました。

民放ラジオ局は次第に増えて現在半島部だけで10数局はありますから、それを全部聴くことは相当手間がかかるし、そのつもりもありません、しかもタミール語局と英語局は全く聴きません。常にダイアルをあちこち変えていては面倒なので、気に入っている4つの放送局にほぼ絞っています。これでもダイアル合わせが多少は面倒ですけど。

長年マレーシアの民放ラジオ放送を聴いてきて、発見した、感じることはいくつかあります。まずコマーシャル時間とその種類が日本の民放ラジオに比してぐっと少ないということです。とりわけマレーシア語局は、華語・広東語局よりも少ない。この特徴は、マレーシア語新聞と華語新聞を比べた時の特徴に似ています。経済活動面で、人口比以上に強さを発揮する華人コミュニティーの特徴を、民放ラジオと新聞は体現しているとも言えるでしょう。

日本の大ラジオ局ほど、マレーシアのラジオ局は規模が大きくないので、この程度のコマーシャル収入でもビジネスを維持していけるのだろうと、推測しています。試しにマレー民放局をお聞きください、かなりコマーシャル放送時間が少ないですよ(そのためには最低限度のマレーシア語理解力は必要)。まあ聴取者の立場から言えば、コマーシャルが少ないのは良いことだとも言えますけど。

そのコマーシャル放送時間の少ない分、まず音楽がかかる時間が多いです。放送時間の4分の3ぐらい曲をかけている番組もあるし、例え DJのおしゃべり時間が多い番組であっても、曲のかかる時間は日本の民放のそれに比べれば、多いと言えます。かかる曲は第1楽章部分だけなんてことは珍しく、最後までフルでかけるのが普通です。もう一つ多い時間は、自ラジオ局の宣伝をしきりに流すことです。マレーシア語局でも華語・広東語局でも、1日中自ラジオ局の宣伝・歌い文句をスポットでしょっちゅう流しています。

マレー放送局にイスラム教講話の時間・番組があるのは不思議ではありません、でも民放はあっても極短時間ですね。民放華語・広東語局に宗教関連の番組はありません。ニュースの時間は公営であれ、民放であれ必ずあります。民放ラジオ局はどこも独自にニュース取材するほど規模は大きくないし、且つその要員も全くいないようなので、ニュースは全て新聞社提供か国営通信社Bernama のニュースを読み上げますね。華語・広東語局の場合は華語新聞社提供のニュースを読みあげます。


【人口統計を基にして、三大民族という枕言葉を考えてみる 】


マレーシア総人口最新統計 −2007年6月末時点


ブミプトラ
非ブミプトラ
非マレーシア人
総人口区分マレー人その他ブミプトラ華人インド人その他国民外国人・外労
2717万人人口
1377万人
290万人
630万人
188万人
32万人
191万人

割合
50.6%
10.7%
23.2%
6.9%
1.2%
7.0%

この統計庁の最新人口統計によれば、インド人人口はもはや外国人人口に抜かれました。長期経済計画下で数々のプロジェクトが実施されていくので、外国人数は今後も引き続き増加が見込まれています。2009年には外国人を含んだ総人口は2831万人になると推定されており、内200万人は外国人・外国人労働者が占めます。

ここに再録した、8月14日付けの「新聞の記事から」 に載せた『総人口統計』ニュースはかなり重要な意味合いと興味深い事実を含んでいます。ですから私はその場で短い注書きとして次のように書きました。

マレーシアの人口を見るとき、外国人人口を加えない統計もありますが、本当の姿を知るには含めるべきですね。 多民族国家として、民族別人口はたいへん意味があり且つ興味深いです。マレー人は過半数ぎりぎりということです、それでありながら政治と国家機構におけるマレー人の存在がいかに強いかがわかります。インド人はその人口比が少しづつ減っておりもはや第3勢力ではないのはとっくに明白ですが、植民地時代からの歴史的役割の大きさから政治に占める地位は人口比以上にありますね。ブミプトラの圧倒的部分はサバ州とサラワク州の先住民族です、全部合わせればもうずっと前からインド人人口を上回っています。出生率が一番低い華人人口比は一貫して下がっていますが、経済力の強さから人口比をはるかにしのぐ存在感ですね。特筆は外国人、とりわけ外国人労働者の多さであり、その数はまだまだ増えるのは確実です。ここでは違法滞在者を控えめに見積もっていますが、多めに見積もれば、外国人総数はその他ブミプトラの人数に近いのではないでしょうか。


マレーシアの民族構成を、マレーシア自身及びマレーシア国民自身が、三大民族 という言葉で表現している事例はかなりよくあります。例 1:多民族国家マレーシアはマレー人と華人とインド人などから構成され・・・・、  例 2:ブミプトラ、華人、インド人の三大民族に代表されるマレーシアは・・・・

注:ここでは触れませんが、華人を”中国人”とか”中国系マレーシア人”と書くのは単なる言葉使いの違いではなく、間違いです。マレーシア華人界でその種の表現は全く使われていません。華人と中国人の違いを当サイトではいつも説明していますね。

よって日本の書籍、案内文、パンフレット、などなどマレーシア紹介文でもこの種の表現は全然珍しくありませんね(という私もずっと以前はこの表現を使っていた)。でもホームページを始めてから、詳しくマレーシアを調べ、いろいろと考えるようになると、どうもこの三大民族という表現は似つかわしくないということに気がつきました。コラムの 「数字で見るマレーシアシリーズ」では時々マレーシアの民族構成のその時々の統計で紹介してきました。その都度確認し納得するのは、インド人の人口割合の低さです。非マレー系ブミプトラの人口の方がインド人よりも多いのはもう数十年前からのことです。それなのに、三大民族という枕言葉が使われやすいのは、上記の注で書いたように、インド人が半島部で占める歴史的役割の大きさと、背景にインドという大国の存在があることからでしょう。

さらにインド人は半島部の西海岸に偏在しています、つまりペナン州、ペラ州、スランゴール州、クアラルンプール、ヌグリスンビラン州、ジョーホール州といった州です(この内クアラルンプール以外はヒンズー教の祭典タイプサムを州の休日にしている)。外国人旅行者の訪問数が他の州よりも多い州、つまりペナン州、クアラルンプール、スランゴール州、ジョーホール州にインド人が固まっている事実から、旅行者の印象として 「マレーシアはインド人が多いなあ」 となるのは不思議ではありません。 しかし東海岸州、及びサバ州とサラワク州へ行くとインド人の姿はたいへん少ないので、目に入らないことが多いのです。とりわけサバ州、さらにもっとサラワク州はインド人極小数派となります。

旅行者の目に入る範囲の印象と実際の姿は当然違って当たり前ですが、このインド人を捉える観点はその典型的な例ですね。ですから、マレーシアの姿を印象と経験からだけでなく、数字と理屈を駆使して分析し解説するのも当サイトの特徴ですから、「新聞の記事から」 と 「今週のマレーシア」でこういう面を多少強調し、実際の姿を紹介することがよくあります。

インド人の人口がもはや外国人・外国人労働者総数に抜かれて、わずか 7%弱しか占めないから重要ではない、ということをここで主張しているのではありません、誤解なきように願います。人口比が少ないから重要視しないというのは、小数民族軽視につながり、マレーシア自身のあるべき姿からも外れてしまいます。私がこの場で言いたい、指摘したいのは、「マレー人、華人、インド人」、 または「ブミプトラ、華人、インド人」 という人口比に見合わない三大民族という表現を使ってマレーシアの民族構成を紹介する枕詞の使用(私自身も以前は使ったけど)はもはや不正確だということです。


【 連続する中長距離バス事故と当局の違反管理の非徹底さ 】


8月の「新聞記事から」には、中長距離バス事故とそのバスを管轄する当局に関するニュースが多くなっています。それというのも8月13日に発生した、マレーシアバス史上最悪といわれる22名の死者(即死20名+その後2名)を出した例のバス事故が発端ですね。中長距離バスの事故は別に珍しいことではなく、「新聞の記事から」で毎年数回は載せてきたはずです。ただ8月は事故規模と件数の多さで異常です。よって社会的関心も高まり、政府側の対応を含めて関連する監督官庁のニュースも新聞に増えています。

その報道の中で、なぜこれほどまでにバス会社とバス運転手への管理がずさんなのか、かなり明らかになりました。要するに官庁側の交通違反処理とデータ管理が抜け穴だらけということが、天下に周知されたわけです。昨日夜事故を起こしたバス車両は100枚近い交通違反切符を発行されながらも、まったく収めず且つ通常通り運行を続けていたのです。こういった内実も日々の関連ニュースから抜き出して「新聞の記事から」に載せましたので、マレーシアのバス事情をご存じない方でも、ある程度推測できると思います。

中長距離バスは極めて重要で且つ大衆的な交通機関です。マラヤ鉄道の運行路線の粗さと本数のごく少なさから、そしていくらAirAsiaが安いといっても、総合で言えばバス料金には適わないし、本数では取るに足らないことなどから、自家用車を持たない層にとっては、中長距離バスが主たる依存手段であり続けたきたし、これからも変わりません。私のような自由旅行者兼在住者にとっても、中長距離バスほとんど唯一の長距離の足であり、加えて私はマレーシア全州に渡って数え切れないほど数多く乗ってきました。よって事故は人事ではありません。

今回の事故であらためて確認したのは、夜行バスの事故は重大になりやすいということですね。もちろんこれまでにも日中バスで何人もの死者を出した事故はありますが、夜行バスの重大事故はより多く記憶にあります。夜行バスの安全度向上には根本的な改善策の必要に迫られています。

そしてこれまで私を含めて一般人に知られていなかった事実も明らかになりました。マレーシアの中長距離バスは、車体が弱いという事実です。現在の中長距離バス運行はVIP化が進んで、多くのバス会社が新型車両を導入しています。昔のちょっとこじんまりとして狭い座席のバスはかなり減りました。しかし外見は立派で座席は豪華でも、ボディーの強度が足りないのですね。これに関しては8月23日の「新聞の記事から」をお読みください。

早く言えば、事故で転覆してひっくり返ったら、車両上部は耐えられないということなんでしょう。車体上部がつぶれる、つまり乗客が大きな危害を受ける可能性が高いということですね。13日の事故車は車歴20年だったそうで、車体上部が、単に天井ではなく、完全になくなっていました。あの写真を見るとぞっとするひどさです。助かるほうが不思議ですよ。中長距離バスにはまだまだ古い車両は残っています、悪名高いバス会社や小規模会社が使っていますね。じゃあ、大手はどうか? 台数と路線数の多い Konsortiumバスが昨日夜事故を起こしています。まあ大手の中で例外的存在と思いたいです。

中長距離バス運行会社は100社をはるかに超えますから、中にはしっかりした会社も当然あることでしょう。しかし運悪く乗ったバスが札付き運転手だったり、管理がいい加減のバス会社である可能性もあるでしょう。とにかく、今月のこの一連の事故をきっかけに、当局の首尾一貫した取締りと違反管理体制が向上してそれがいつまでも続行すること、同時にバス会社側の安全意識向上も期待したいところです。


[ 日本首相のマレーシア訪問は事前にどれほど注目を浴びているか? ]

8月24日付けの当地新聞の中には、日本首相のマレーシア公式訪問を伝えている新聞もありました。
第一面で政府特別機から首相一行が下りてくる写真と見出しを大きく掲げたのが、華語紙No1 の星洲日報です。その他新聞はどの言語紙であれ一面ではまったく触れていません。

マレーシア語紙 Berita Harian(Utusan Malaysia と並ぶマレーシア語トップ2紙の1つ) と 英語紙No1の The Star は全頁を細かに見ていくと、あまり目立つとはいえない小さな記事の形で日本首相のマレーシア到着を報じています。華語紙の東方日報はいくら探しても日本首相の文字はどこにもありません。その他新聞は内部で触れているかどうかは買わない限り調べれられないのでわかりません。

星洲日報だけが大きく扱ったのはなぜでしょうか? それは以前の「今週のマレーシア」で詳しく書いたように、この新聞の持つ性格です。日本批判が激しかった2年前にその先鋒を切っていたのが星洲日報で、当時のコラムで私はそれを紹介し分析しました。星洲日報が日本のことを他紙よりも頻度多くまたは詳しく伝えているのは確かでしょう、単に政治経済面だけでなくいろんな面を伝えています。ただその星洲日報はその政治経済面での日本に対する主たる論調においてはかなりはっきりとした態度を取っています。ですから、星洲日報だけが、日本首相の到着を大きく報道した点にはある程度うなづけるものがあります。

マレーシア語紙 Berita Harianの記事、(かなり目立たない場所に載っている)

日本首相が昨晩マレーシアに到着しました。3日間の公式訪問です。政府特別機がKLIA の貴賓ビルに到着しました、妻と政府高官をビジネス代表団を伴っています。これはマレーシアと日本の50年の国交を記念する重要な訪問です。以下省略

といったBernama通信の配信記事をそのまま載せているだけです。英語紙 The Star の小さな記事と内容はほとんど同じようなものです。マレーシア滞在を終えた直後の記事が各紙でどうなるかは、現時点でもちろんわかりませんが、今日(8月24日)の時点で言えるのは、各紙の扱いから日本首相の到着はほとんど大したニュースではないというのは事実といえます。かなり丁寧に紙面を読まない限り、日本首相がマレーシアを訪問ということはわからないでしょうから。

私がここでこの小文を書いているのは、日本首相の到着をもう少し大きく紹介すべきだ、などと主張したいためではありません。私が言いたいのは:昨年の外国からのマレーシア投資でトップになったのは日本です、そして日本はマレーシアにとって常に第3位の貿易相手国です。こういう事実を踏まえた上で、マレーシアマスコミの日本首相訪問の捉え方は、訪問直前時点では、この程度であるということを、日本人(日本と在マレーシア)に知ってもらいたい、ということです。
尚訪問直後のマレーシアマスコミ報道がどうなるかはまた別のことです。



新編 マレーシアで医者にかかる -専門医と国立病院− 及び肩腕痛に悩む記


はじめに
99年7月8月に掲載した第153回 『マレーシアで医者と歯医者にかかる』 の新編という形です。
2000年に書いた第208回 『2つの医療初体験、高級大病院での検査と中医の診察』 も参考にしてください。

これまで数多くの医者に診てもらった

ずっと以前の第153回コラムでも書きましたが、自分にあった良い医師と出会う、または見つけるのは容易ではありません。私は長いマレーシア生活の中で、これまでに歯科医は10人くらい、医師には一般医と専門医を合計して20人前後くらい、加えて中医(中国医療の医者)には10人近くに診てもらったはずです。

歯科医に関しては、長い間いろんな歯科医に治療を受けた後、ようやく出会った、地元歯科医院のブミプトラ医師だけをこの5, 6年ぐらいかかりつけにしています。かかりつけになれば、私の治療記録がそろっているのは当然として、その歯科医はいつもきちんと且つ丁寧に治療してくれます。さらにうれしいことに、私の経済状況も多少考慮してくれるのです。こういう気に入った歯科医を見つけるまでに、10年を要したのです。もちろん歯科医にかかる必要がなければそれに越したことはありませんが、若い時から歯にはいつも悩んできた私は1年として歯科医なしには暮らしてはいけません。

一般内科医に関しては、5年ぐらい前からもっぱら地元の一般クリニックをかかりつけにしています。古い下町ゆえに一般クリニック自体は歩いて行ける範囲だけでも10軒くらいもあるので、探す必要もないくらいです。しかし要はその医者が自分に合うかどうかですね。下町ですから一般クリニックが水準外れの高料金を請求してくることはないはずです。その医者がどれくらい自分の症状をちゃんと診てくれるか、不要な量の薬を出したり、ろくに診もせずにすぐ薬だけを出す医者は、私の選択基準から外れます。もちろんそのためには実際に1回は診てもらわないとわかりませんね。こうして出会ったかかりつけの華人医師はまあちゃんと診てくれるし、余分な量の薬を出すこともありません。

専門医療となると一般内科探しよりもやっかいです。胃腸に問題を感じたら胃腸専門医にかかった方が良いのは言うまでもありませんよね、整形外科であれ耳鼻科であれそれぞれ専門医師は一般医師よりも数はぐっと少ないから、どうしても選択は狭くなります。加えてその診療兼治療費の高額さは、健康保険制度のないマレーシアでは大きな負担となります。低所得層が医療費において高負担できないのは当然のことなので、その救済策として政府クリニックと国立病院では定額の低料金制を導入しています。どういうことかというと、具体的にはこのコラム下段で説明しますが、政府負担で診療、治療、検査、入院に補助を出して私立病院の数分の1以下に抑えています。しかし反面負の面もあることはコラム下段で書きます。

尚マレーシアで政府クリニックというのは要するに国立と同じ意味です、公立病院は国立大学病院を含めてすべて国立で、全国に134病院ある。地方自治体立という医療施設はありません(建物だけは自治体の提供ということはあるでしょうが)。

さてこのコラムを書くことになった発端は、ゲストブックに書きました(掲載日:2007年 9月15日)次の一文です。

スマトラ沖地震よりはるかに心配な我が医療費  (ゲストブックから抜粋)

スマトラ島西岸の大きな地震に関した話題をさらに書こうと思ったですが、今週はどうも気持ちはわが身に向かってしまいます。実はこの数ヶ月ずっと左肩と右ひざ痛みに悩まされてきました。サロンパスを貼ったり、たまに Panadol ( 痛み止め)も飲んでみました。もう耐えられない段階に来たのでしかたなく、今週後半病院へ行きました。街のごく普通のクリニックで風邪の治療、下痢などで 1回かかると、数日分の薬と診療代で少なくとも RM 50 ぐらいはかかるでしょう。まあこれならがまんできますが、マレーシアで何々専門医院または病院の何々科専門医は医療費は決して安く済みません。専門とはマレーシア語で pakar と書いてある医者のことです。眼科、耳鼻科、胃腸部、外科、整形外科、皮膚科など全てが専門医です。

専門医に違いはあれど、診断費だけで少なくともRM 100前後と規定されているのが普通でしょう。プラス治療費と薬代などが当然必要です。よって最低でも1回診療してもらうだけで、RM 200 ぐらいはかかるのが普通でしょう。ですから病院に行きたくなくて延ばし延ばしにしていたのですが、仕方ありません。

私が以前からこれまでもいくつかの専門科に診てもらったことのある、でも今回は数年ぶりです、地元の歴史ある中規模の華人系病院を訪れ、整形外科医に診てもらいました。以前診てもらった医師はすでに退職しており、初めて診てもらう医師です。当りはずれがあるのでできればかかったことのある医師を望んだけれど選択はありませんでした、結果として私には不充分な診断だと感じました。 注射と薬と診察代で 約RM 300. 診察は肩とひざの両方対象です。このように医療費は、とりわけ専門医は何科であれ全て、つまり街の一般内科クリニックを除くと、マレーシア物価からはかなり高料金になります。民間保険のない、かけられない私にはものすごい負担です、同様に低所得者階層のマレーシア人も同様です。従って私立病院をあきらめて、長い待ち時間を覚悟し、バスや車で遠い国立病院へ行くしか手がないということになります。

一般国民向けに健康保険制度のないマレーシアでは、国立病院は国の補助によって、マレーシア国民には安価な医療サービスを提供しています。しかし国立病院では外国人は国民とは同料金ではなく割り増しを払う必要があります。私立病院は国民でも外国人でも料金はいっしょ(のはず)です。まあ医者が患者を値踏みすることはあるかもしれませんが。

ということでつくづく誰でも入れる保険が欲しいなと思いますね。私は歯医者にはよくかかるし、風邪などでたまに街医者にも診てもらいます、そして今回のようなちょっと重い症状にずっと悩まされてますので、この数年私は医療費の負担が頭を離れません。
以上 


病院で整形外科医の診察を受けた後も症状の向上は思わしくありません。期待したほどよくなりませんでした。そこでまたゲストブックに書きました(掲載日:2007年 9月19日)。この時は単に左肩腕の痛さを嘆くだけでなく、政府クリニックと国立病院を訪れた体験記の形で、マレーシア医療紹介の面を主としました。ほとんどの日本人が、在住者であれ旅行者であれ、医院または病院にかかる場合は圧倒的に私立の施設でしょう、それも外国人患者の好む特定の私立クリニック、または病院が多いはずです。ですから政府クリニックや国立病院での体験者は極めて少ないのではないでしょうか。そこでIntraasiaが政府クリニックと政府病院を訪れた体験は参考になると思います。

国立大学病院の体験記 −診察を受けるまでの道のりの長さ   (ゲストブックから抜粋し一部追加及び修正しました)

華人系私立病院の整形外科医に、肩関節周囲炎(いわゆる五十肩?)などと診断されて、注射治療を受けました。医師は肩治療用としての飲み薬は出しませんでした。確かに腕はなんとか上がるようになったのですが、依然として左肩全体というか左腕上部にも痛みが激しく走ります。シャツなどを着たり脱いだりする時腕の角度によって激痛となりますので、慎重にしなければなりません。困ったのは腕を動かさずに寝ていても軽いしびれ痛みがあることです。医師は神経うんぬんという言葉も多少示唆しましたので、神経の痛みなのだろうか?

一人でも苦しんでいても仕方ないので、今日(19日)また病院へ行きました。しかしもう私立病院の高料金は負担できませんので、国立病院にしました。クアラルンプールのちょっとはずれにあるBandar Tun Razak 地区にある、マレーシア国民大学病院(略称HUKM) です。見るからに立派な大総合病院です。我が地区からバス1本で行けますが、バス待ち時間は実に長いのです。

私はこのマレーシア国民大学病院でずっと以前診てもらったことが1回だけあります、それはコミュニティーサービスとしての一般向け無料成人病診断の機会でした。その時はたくさんの市民が来ていましたね。それ以来何年かぶりに訪れた今回は正式な診療を求めてです。整形外科へ行って、受付で診察を受けたいと伝えると、医者からの紹介状が必要だとの返事でした。国立病院ではこの医師からの紹介状方式があると聞いてはいたのですが、実際に通常診察を求めたのは今回が初めてですから、やはりいきなりの外来診療は受けつけないことを認識しました。

どこのクリニック、つまり私立クリニックでも政府クリニックでもいいから、必ず医師の紹介状が必要との条件です。仕方ありません、クリニックへ行って紹介状を得てからまた訪れるしかありません。地元へ戻っていきつけの私立クリニックへ行き、紹介状を書いてもらおうと思ったのですが、費用がいくらかかるのだろうと思い直しました。カウンターでいろいろ尋ねたところ、マレーシア国民大学病院直営の地域クリニックが、 Bandar Tasik Selatan 地区にあるとのことでしたので、同じ病院だからそこがいいと思って、私はそこへ向かいました。ここでまたその地区まで行くバス待ちが長いこと、長いこと、待つのはたいへんです。幸い私は首都圏各地区に詳しいので、Bandar Tasik Selatan 地区も知っています。

こうしてBandar Tasik Selatan 地区の、目指す国民大学病院直営クリニックへ着いたのは昼ちょっと過ぎでした。よって2時間の昼休みとなってしまいました。このクリニックはビルの複数階に分散しているけど、何人もの一般医師がいる大きなクリニックですね(専門医はいないみたい)。2時に受付が開いてまず登録です。その時点で初回登録料RM 60 を払います。マレーシア国民はRM 30 ですが、外国人はその倍です。尚再診料は一律にRM 5 です、ただし外国人は同じくその倍となります。

こうしてしばらく待ちようやく診療室に入りました。若いマレー女医でした。いきさつを説明して、とにかく紹介状が欲しいと訴えましたところ、紹介状はすぐ書いてくれました(それ自体は無料)。痛み止めを出すと言ってましたが、費用節約のために断りました。後で受付カウンターで薬代を聞くと、外国人はマレーシア国民の倍料金であるRM 20 とのことでした。壁には薬代は2週間分までは一律RM 10 と示してあります。ちょっと心配になったのは、その女医の語った、「国民大学病院の整形外科へ行っても、診てもらうには数ヶ月かかりますよ」 ということばでした。

また延々と気長にバスを待ち、Bandar Tun Razak 地区にある、マレーシア国民大学病院を再度訪ねました。時刻はすでに4時半近かったので、診察は終わっているのは確実ですが、予約だけしておきたかったからです。急いで整形外科へ行って、予約室に入って紹介状を見せて伝えたときの返事にはほんとがっかりさせられました。「医師に診てもらえるのは 3ヵ月後の12月です」 予約係りは予約ノートを見せて、こんなに患者が待っていると私に言いました。これにはお手上げです。3ヶ月も待てるなら、私は病院に行ってませんね。

国立病院の専門科には、初回登録料 RM 30、再診料 RM 5, 薬代も上限が RM 20 と表示されています(マレーシア語)。外国人はいずれもその倍額です。よって私立病院よりはるかに低額であり、且つ通常の診療治療では定額です。各種検査費も低額に抑えてあるようです。しかし専門医に診てもらうのに3ヵ月後では、いかにも長い、体調の悪い人にとってこれは待てる日数ではありませんね。尚急患だけは急患として診るとのことです。

尚マレーシア国民大学病院には、専門医センターという特別部門があることも知りました。今日の午前訪れた時、受付で勧められて見に行きました。同じ病院の 7階に位置する、いわば私立病院機能を持った医療センターです。どういうことかというと、国立病院の一流施設に使って同大学病院所属の専門科医師、大学教授が患者を診療します。その際専門病医師を患者が選択できるようにしているそうです。料金面では患者は補助なしの全費用、つまり高級私立病院並みの高料金を払うことになる。その専門科医師が患者の支払いの一部を受け取ることができる仕組みを取り入れています。確かに私立高級病院並みのゆったりとした待合室です。この医療センターなら予約してそれほど待たずにすぐ整形外科医に診てもらえるようですが、診察料を聞いただけでやめました:RM 100 から150. もちろん診察がその料金だけで終わることはないですからね。

尚特定の国立病院に、いわば私立型医療センターを併設している病院はこのマレーシア国民大学病院だけではありません。全国にいくつあるのか知りませんが数はまだ少ないようで、大型の国立病院内には設置されているようです。こういう私立型医療センターを併設している最大の理由は、国立病院の専門医(身分は公務員)が高給を享受できる私立病院に転職したり個人開業することを防ぐ目的だと、解説されています。

こうして、国立病院ならではの低料金を求めて、朝から夕方まで半日以上駆け回ったのに成果なしでがっかりです。おまけにマレーシア国民大学病院直営クリニックで払ったRM 60も無駄になったわけです。 ところで国立病院・政府クリニックの種種の窓口係りにはまことつっけんどな女性がいます、一方親切な人もいますね(会話は全てマレーシア語です)。
以上

5年前にも肩腕痛を経験した

ところで今回かなりしつこい左肩腕痛になったのですが、2002年半ばにほぼ同じような重症の右肩腕痛に見舞われました。左右が入れ替わった形でちょうど5年ぶりです。その時のことは、2002年7月8月分のコラム 310 回で 『Intraasiaの右肩・腕痛の治療記』 と題して掲載しています。そのコラムにあるように、右肩腕痛の治療を求めて、数ヶ月の間いろんな中医に診てもらいました:一時マレーシアの中医病院または中医クリニックで診療をしている中国の医科大学の教授ら中国人中医数人、及びマレーシア華人の中医数人です。鍼灸、吸盤法、マッサージ、漢方薬投与など中医学の種種の治療を受けました。結果として著しい向上が見られなかったので、最後に地元華人系病院の整形外科医を訪ねました。結果的にそれが良くて、短期間に著しく症状が良くなりました。ということで、左肩腕痛の今回は最初から西洋医学で診てもらおうと決めていました。

身体不調でも気分を暗くしてはいけませんね

そんな中、今回もモノローグの茶ウエはその顔に見合った(笑)冷厳なことばを書いてきました、「長年にわたる栄養の偏りのツケですからね。これからどんどん急激に不具合個所が出てくるでしょう。覚悟しておいた方がいいですよ。」 (そのまま引用)  私は今年春には風邪がこじれ長く苦しんだし、この1,2年毎回ちょっとした風邪が長引く傾向になっています。そして9月末の時点になっても依然として左肩腕は1日中痛く、こう着状態です。上記のように別の整形外科医に診てもらう展望もたたず暗然としています。加えてこの10日以上胃が痛く且つ咳・痰が止まらず、何年も健康診断してないのでこちらの方がより心配だなあ。茶ウエの言葉が当たっているかのようです。



”かじん”に憧れる Intraasia が啖呵を切らずに短歌を詠む - 前編 -


Intraasia は”華人”(華やかな人)でも”暇人”(休暇ばかりの人)でもありません。そしてまことに残念ながら今は”家人”のいない Intraasia は”佳人”が好きでして、実は”歌人”も好きなのです、だから”かじん”に憧れています。
このホームーページを1996年10月初めに開設して11年が過ぎました。そこで開設 11周年を記念して、今回と次回のコラムはいつもとぐっと違って”かじん”調のコラムで行きましょう。以下は全て、始めに短歌を掲げ次いで行を下げてその解説という形式です。声を出して詠んでくだされば、情景が浮かんで来ると思いますよ。


1. テータレの 甘さ控えて 飲む店で 
 テーブル上の クエに手が伸び

マレー大衆食堂・屋台やインド大衆食堂・屋台には、よくテーブル上にお菓子類(クエと呼びます)、バナナ、菓子パン類が置いてあります。テーブルに座った客が飲み物のついでについ食べてみたくなる気を起こさせるのが狙いですね。大衆食堂・屋台のテーやコピ類は甘すぎるのが常です、ですから甘さ控えてと注文時に伝える人は珍しくありません。でもテーブル上のクエを食べれば、糖分接摂取量が増えてしまいますよね。


2. ランチ時 おかず選びの 迷いあり
 持ち帰り食 下げて歩く人

昼食時に人気ある一つに、おかずを選んでご飯に載せる、いわゆる経済飯(マレー料理なら nasi campur と言います)があります。どのおかずにしようかなと誰もが迷います。そしてそのおかずとご飯をいっしょに発泡スチロールの容器に詰めてもらい持ち帰り食にして、オフィスや家に持ち帰って食事をする人もたくさんいます。


3. 焼きたての 油が香る ロティチャナイ
 指につまんで 熱さ確かめ

マレーシア大衆食の王様とも言えるロティチャナイです。これを食べずにして大衆食堂・屋台での食文化は語れません。客の目に見える場所で焼くこのロティチャナイが焼きあがると、皿に載せて客のテーブルに置かれます。それを口に運ぶ前に、熱いかなとまず指でつまんでちぎってみる光景を詠んだものです。もちろん指を使わずにフォークとスプーンを使って食べる人もたくさんいますよ。


4. コーヒーと 訳してしまい 見失う
 黒光りする コピの色味(いろあじ)

マレーシア大衆食堂と屋台で供されるのは、マレーシア製コーヒーつまり一般名称の コピ です。このコピの製法と味と色は、西洋コーヒーのそれとはかなり違い、味色とも濃く粘度があります。ですから、この飲み物は コピ とそのまま呼ぶべきですね。


5. サテ焼きが 炭火を扇ぐ(あおぐ) 団扇風(うちわかぜ)
 タレの替わりに ピーナツソース

串に刺したサテを炭火コンロに載せて、団扇であおいで焼く光景は情緒あっていいものです。サテの材料は鶏肉や羊肉です。焼き終わったサテを皿に載せて客に運んでくる時、ピーナツソースの小皿もいっしょに供されます。ピーナツソースをサテに浸けて焼くわけではありません。


6. 目にしみる 煙を上げて 炒めけり
 香り撒き散る チャオクワイティオ

チャオクワイティオを漢字で書けば 炒米果條 です(米編と果とは一つの漢字)。これを炒めていると油煙と臭いを撒き散らすので、簡易換気扇をつけている店があるほどです。出来上がったチャオクワイティオはその油っこさがなんとも美味ですね。


7. 指でこね さっとつまんで 口に入れ
 バナナの皮に カレーが似合う

インド料理の代表的な一つがバナナリーフカレーです。 店の者が客の目の前でテーブルの上にバナナの皮を敷き、その上にご飯とおかずと漬物を載せてくれます。この場合は指で食べるのが一般的です。本場のカレーを味わってください。


8. ナシルマの 旨さの秘密 辛さなり
 舌にピリピリ サンバルの刺激

国民食とも言えるナシルマです。内容物はごく簡単であり、手ごろな値段が多くの人を捉えています。その旨さの秘密はサンバルの作り出すちょっと複雑な辛さではないでしょうか。


9. ドアを開けて 行き先告げ お伺い
 行くも行かぬも 運転手次第

タクシーは運転手が王様です。タクシーメーターがしばしば有名無実化している都市部では、客が告げる行き先に運転手が同意し、且つその運転手の提示する運賃を客が受け入れることで初めてタクシーに乗ることになります。尚ドアは自動開閉ではないので、客が自分で開けます。


10. 観光地 車を止めて 鴨を待つ
 タクシー野郎 交渉仕切る

KLCCのようなクアラルンプール内外の有名地・観光地では、道路際などの非正規の場所でいつもタクシーが客待ちしています。この種のタクシー運転手は決してメーターを使わず、法外な料金をふっかけます。彼らは不慣れな外国人観光客という鴨を待っているのです。


11. カメラ片手に 観光バスを 降り立つや
 ツインタワーで ポーズを気取る

クアラルンプールのKLCCにそびえる ツインタワーはマレーシア有数の観光客を引きつけ場所です。KLCCの周辺には写真を写すには好場所がありますので、そういう所へは日中観光バス・バンがひっきりなしにやって来ます。観光客は車を降りるや、ツインタワーを背景に自分たちの記念写真を撮り始めます。


12. 一通無視 歩道走行 都会こそ
 バイク天国 歩行者地獄

マレーシアは都会におけるバイクの多さは特筆ものですね。交通法規の軽視または無視する多くのバイク乗りに対しては、昔からマレーシア社会でも糾弾の的です。バイク乗りの一方通行逆走や歩道走行は日常のごく普通のできごとです。


13. 信号機 色無視しても 怖くない
 赤信号を 1人で渡る 

その昔日本に 「赤信号 皆で渡れば 怖くない」 なんて戯れ言葉がありましたよね。マレーシアではそん言葉が広まることはありえません、車も来ないのに赤信号で待つというような、歩行者の意識は育ちませんからね。ある道路を自分が渡りたいと思えば、いつでも横断すればいいのです。もちろん危険も自己負担ですが。


14. 一時雨 前さえ見えぬ 激しさも
 走る車の 数減らぬけり

熱帯の一時豪雨は、それはすごいものです。本当に5メートル先が見えないくらいの強さで降ります。それなのに一時停止して豪雨が止むのを待つドライバーは少数派であり、ハイウエーであれ一般道路であれ豪雨を突いて走るのが大多数の車です。


15. 映画館 暗き座席に 声響く
 ラブシーンよりも 携帯電話

マレーシアでは他人の携帯電話使用に対して社会は異常なほどおおらかさですね。病院、銀行、乗り物内などどこであれ電話使用がほとんど黙認されます、というよりも携帯電話の使用は使用者の権利であるかのような捉え方です。その結果、シネマで上映中の際も、電話使用するふざけた観客の数は一向に減りません。


16. 歩道橋 屋根があるのに 日傘差す
 畳む手間さえ 惜しむおばさん

この10年ほどマレーシア人女性の日傘の使用が大きく増えました。若い女性も年齢のいった女性も日傘姿はごく一般的になりました。それはいいのですが、一部屋根付きになった歩道や全て屋根付である歩道橋を、その日傘を差したまま歩く非常識な女性に頻繁に出会います。この種の女性は一時傘を畳むことさえ面倒くさがる、他人の迷惑を顧みない自分勝手な人たちです。


17. ムルデカの 声満ち満ちた 2007年
 忘れ去られた マレーシアの日

今年2007年はマレーシアの前身マラヤ連邦が独立して50周年の節目の年です、よって8月31日をクライマックスにして国を挙げて盛大に祝いました。しかし、マレーシアという国が成立した1963年9月16日に由来する「マレーシアの日」は、少なくとも半島部では祝われることのない、ほとんど話題にすらされなかった日でした。


18. 英国が 残したものは 数あれど
 英語崇拝 優るものなし

1世紀半の英国植民地支配でマレー半島及びボルネオ島部に残した最大の遺産は、法制度、学制、官僚制などをしのいで英語であると言えます。マレーシア人上から下までその英語崇拝は信仰に近いものです。


19. 政党の 看板抜きに 議席なし
 市民運動家 議会入れず

国会と各州議会に、いわゆる市民運動や無党派層出身の議員は皆無です。マレーシア政治は完全に民族基盤の諸政党が牛耳っており、それ以外の候補者が当選する例はこの先もまず起こらないでしょう。


20. 早朝に モスクの祈り 聞こえ来て
 夕べに響く ヒンズーの鐘

古い華人地地区に位置する我がアパートでは、ごく近くにヒンズー教寺院があり毎日鐘の音が響いてきます。そして早朝の比較的静かな空気をついて、多少離れた場所にあるモスクから、スピーカーで流される祈りの声が聞こえてきます。いかにもマレーシアらしい風景ですよ。


21. 華人地区 歩道の脇に 供え物
 先祖供養の 線香が立つ

都会や町部ではアパートや集合住宅がごく普通です。そのため庭のない家庭が当たり前ということになります。そういう華人家庭では、餓鬼祭のような伝統的時期には先祖供養の供え物と線香を一般道路端や歩道端などで行っています。翌日歩道やちょっとした空き地の隅にお供え物と消えた線香の跡をよく見かけますよ。


22. モスクから イマームの声 流れ出る
 イスラム国の 金曜日午後

毎週金曜日の午後は、イスラム教の礼拝日です。ムスリムがこの礼拝を行えるように、官庁はいうまでもなく民間の会社や工場も昼休みを変更延長して、その便宜を提供します。モスクの外側に向いて取り付けられたスピーカーから礼拝の先導役を務めるイマームの声が聞こえてきます。


23. 人口の 8パーセント インド人
 それでも目立つ 医師と弁護士

マレーシア人口に占めるインド人の割合は8パーセント弱に過ぎませんが、医師と弁護士の分野では、伝統的にその比率をはるかにしのぐ率のインド人が職に就いています。医師または弁護士の子供は医師または弁護士という例が多いようです。


24. 制服の 取り締まり官 去った後
 すぐに現れる 海賊版屋

海賊版、つまり無断複製のVCD・DVDは大きなビジネスですから、 海賊版売り人はいろんな場所に出現します。それを取り締まるのが、国内取引と消費者省などの取り締まり官です。取り締まり部隊が現れれば海賊版屋はたちまち姿を隠します。クアラルンプールのチャイナタウンなど出店主体の繁華街ではこの種のいたちごっこが長年続いていますね。


25. 白バイに 停められたれば 渡そうか
 渡さぬべきか 財布に手をやる

交通警察官と違反者間で行われる賄賂行為の頻繁さは、警察庁幹部もマスコミで認める公前の秘密です。渡す側である一般市民の違反・罪意識の低さと受け取る側警官の強欲さによってこの悪習を一向に減少させていないところが、マレーシアの交通事故対策の泣き所ですね。


26.  4 を嫌い 8 を寵愛
 誕生日 4月4日は 最不幸者か

華人に代表される数字へのこだわりにはあきれます。発音上の偶然の一致ゆえに、死につながる”4”を非常に嫌い、金儲けや発展につながる”8”をものすごく好みます。それほどこだわるならば、どうしても避けられない”4”が付いたらどうするのかですな。


27. エレベータ 乗る人先と 飛び乗るが
 4階がなく 押す手が止まる

上の解説の続きです。"4" を嫌うビルオーナーなどは、オフィスビルなどから4階という字を消してしまい、"3A" などと奇妙な表記を付けています。ショッピングセンターでは4階をテナントの入居しない駐車場に宛てているところがたくさんあります。多くのマレーシア人には、エレベーターなどで降りる人を優先するという意識がごく薄いですね。




”かじん”に憧れる Intraasia が啖呵を切らずに短歌を詠む - 後編 -


28. 外労の 顔ばかり見る 休日の
 乗り合いバスは 繁栄映す

当地の華人の間では外国人労働者のことを 外労 と呼び 「ゴイロウ」 と発音します。マレーシアの発展を反映して膨大な数の、合法だけでもすでに200万人を超した外国人労働者が国内に滞留しています。そういう外国人労働者が休みの日には乗り合いバスに乗る数がぐっと増えているので、バス車内でその姿が非常に目立つのです。


29. テーブルを 片付けてとの ことばさえ
 理解できない 外労多し

飲食店・屋台ではたくさんの外国人労働者が働いています、その少なからずの割合は非法雇用です。伝統的に多かったインドネシア人の場合は当然マレーシア語を良く理解しますが、この何年かに急増したネパール人、ミャンマー人、バングラデシュ人、ベトナム人などは、簡単なマレーシア語さえわからない者が多くいます。よってこの歌の情景のようなことが起きるのです。


30. 空席に 釣られて乗った メトロバス
 発車待つ身の つらき長さよ

クアラルンプール圏を走行する民間乗り合いバスの最大手がメトロバスです。車掌がいてお釣りを渡すところはいいのですが、なにせ車内がある程度一杯になるまで発車しない運行スタイルなので、時には車内で延々と待つことになります。発車するしないを決めるのは、運転手次第です。


31. 販売機 紙幣使えぬ お釣りなし
 切符窓口 列に加わる

高架電車LRT、近郊電車 komuterでごく一般的な現象は、窓口近くにある切符販売機前はがらがら、しかし有人窓口は長蛇の列という光景です。切符自販機が低性能なこと、自販機に対するメンテナンスのお粗末さと釣銭補給をしないこと、紙幣が疲労していること、 この4つの主たる原因から、切符販売機の稼働率は非常に低いのがクアラルンプール圏電車網発足以来の変わらない現実です。


32. 街中で マンホール蓋 盗まれし
 ぽっかりと開く 深き穴かな

鉄製のマンホールの蓋は、古金属業者が高く買います。そこで麻薬常用者と推定される者たちがこの蓋を盗むことが各地で続発しました。所詮この種の鉄をこっそりと買う業者を駆逐できないし、盗人を現場逮捕するしかないので、最近は盗っても金にならない、つまり鉄製でない強化材質を使った蓋が増えています。


33. 頭には お洒落なトゥドゥン 身体線(からだせん)
 くっきりと出す バジュクルン着て

マレー女性の日常着兼晴れ着であるバジュクルンは、既製服を買って着るだけでなく多くの女性が仕立てます。そんな時、好みの色生地を選び身体にぴったりとするように仕立てる女性も珍しくありませんね。頭髪隠しのスカーフの着用はムスリム女性のシンボル的意味合いを持っています。マレーシアのトゥドゥンは首まですっぽりと覆うタイプであり、スカーフと訳すと知らない人には間違った想像を生みますので、そのまま使うべきです。


34. パタパタと サンダル音を 響かせて
 階段降りる バジュクルン群

マレー女性の民族衣装であるバジュクルンはごく普通の普段着でもあり、仕事着でもあり且つはれの着物でもあります。官庁やオフィスに勤めるマレー女性のバジュクルンの着用率はものすごい高率です。そのバジュクルン姿の多くはサンダル履きなので、建物や駅などの階段を降る時、いつもパタパタと音をたてます。歩くスピードは遅いし、そんな履物で仕事に行くなよと言いたくなりますな。


35. イスラムは 犬を好まず ムスリムの
 店に居つくは 猫ばかりなり

イスラム教では犬は嫌われものです。従ってと言ってもいいでしょう、ムスリムには猫がより好まれます。マレー大衆食堂などでは、猫を飼っているまたは野良猫が勝手に居ついている店がよくあります。さらに複数匹の猫がうろついている場合も珍しくありませんね。


36. こっそりと タイ深南部を 訪れて
 2人目の妻 登録済ます

良く知られているように、ムスリム男性は4人まで妻を娶ることが許されています。ただしその際には種種の条件を満たすことが必要とされています。そこでそういった施行規則の緩いタイ深南部を訪れて、複数人目の妻を娶るマレー人が少なからずいることは、昔から公然の秘密で、時にニュースにもなります。タイ深南部で婚姻が合法登録されれば、そのことに軽いとがめはあっても、その登録自体がマレーシアに戻って取り消されることはないからです。


37. シティ抜きに マレー歌謡は 語れない
 歌姫の声 聞こえぬ日なし

シティとはもちろん Siti Nurhaliza のことです。10年以上に渡ってマレー歌謡界のトップ歌手の座を保持する彼女は、人気と実力の両面を備え、加えてその美貌から多くのファンを持っています。


38. ダンドゥット マレー歌謡の 日陰もの
 人気根強く テレビを笑う

インドネシアでははるかに広く且つ強い人気があるといわれるダンドゥットです。マレーシアでも根強い人気がありファンも少なからずあります。でもラジオやテレビでダンドゥット曲が紹介されることはごく少なく、マスコミの表舞台にはでてきません。それはマレー界にあるダンドゥット一般への批判的見方のせいだと思われます。


39. 最近は 台湾よりも 中国だ
 雄飛を目指す 華人歌手たち

マレーシア歌人歌手の中には、国内市場の限定性のために以前から海外に活躍場所を目指す者がいました。そういう歌手にとってまず台湾がその第一の活躍場所です。それが最近は香港を含めて中国大陸に雄飛していく歌手が少しづつ増えているようです。


40. 飯を炊き 子供の世話し 掃除する
 主婦の仕事は メイドに渡す

1ヶ月にRM 500程度払えば住み込み外国人メイドを雇えるマレーシアです。これじゃ中流以上の家庭からのメイドの需要が減るわけありません。主婦の仕事をメイドに任せている女性は珍しくありません。メイドがいれば、夫としてもその家庭分担責任を放棄できて楽なことでしょう。


41. ゴミ捨て場 捨てたい時に 捨てられる
 集荷日なぞは 誰も知らない

町部には一応決められた場所にゴミ廃棄所が設けられています。巨大なゴミ箱が置いてある場所もありますが、単に場所が指定されているだけの場所も珍しくありません。共通するのは、集荷日のお知らせは一切ないことです。よって誰も集荷日など知りませんし、気にしません。捨てたい時に捨てるだけです。尚ゴミの分別という意識と仕組みは、都会のごく一部の地区を除いて、皆無です。


42. 華人界 日々のできごと 問題は
 華語新聞が 細かに伝え

各華語新聞は華語コミュニティーの話題・問題を実に詳細に伝えています。マレーシア語紙はいうまでもなく、英語紙も華人コミュニティーのことをこれほど細かに書きません。華人界のことを語るには、華語新聞は欠かせないメディアです。


43. 沖を行く タンカー映える 陽の光
 日本へ続く マラッカ海峡

日本が輸入する石油の大部分は、このマラッカ海峡経由で運ばれていることは周知の事実でしょう。海峡の見える海岸や高台に立って、沖を走行するタンカーを見ていると、感慨を覚えます。それは夕日の中であれば尚更ですよ。


44. 何のこと さっぱり解せぬ 方言の
 豊かさ誇る クランタン州

マレー語方言の中で、マレーシア語に比してもっとも違いが大きいのがクランタン州方言でしょう。発音と語彙の面でその違いは、半島部中部南部北部のマレー人でさえよくわからないと言われています。ましてやマレーシア語を習う我々外国人にはほとんど理解できません。それが方言の豊かさの一面でもありますね。


45. 福建語 幅を利かせる ペナン島
 旅行者乗せて シクロが走る

伝統的に外国人旅行者の好むペナン島ですから、客載せ3輪自転車屋(シクロ、ベチャまたはトライショーと呼ぶ)さんがたくさん商売していますね。 ペナン島は華人が過半数を占める島、そしてその多数派は福建語を母語とする福建人ですから、華人界の共通語は福建語となっています。


46. シパダンへ 通うダイバー 増えたけど
 素通りされる 半島部かな

サバ州への外国からの直行便が増えて、クアラルンプールを経由しない旅行者が増えつつあるようです。ダイバーはその典型ではないでしょうか。サバ州のシパダン島はダイビング島として世界的に有名ですね。


47. KL(ケイエル)の 夏に増えたり アラブ人
 街路表示に アラビア語付記

マレーシアの積極的な観光客誘致の成果もあって、この数年アラブ人旅行者の数が増えました。とりわけ夏季にクアラルンプール内外で目立ちます。そこでクアラルンプールの中心部ブキットビンタン街界隈には アラブ料理レストランやアラブ人相手の商売が増え、街路表示にアラビア語が付記されるようになりました。


48. 華人地区 中国女 連れ歩く
 中高年者 目立つこの頃

マレーシア訪問の中国人旅行者がこの4, 5 年激増して、今や日本人旅行者数をぐっと上回っています。さらに中国人のマレーシア留学生も増えつつあります。こういう事情からビザを悪用した違法滞在の中国人、とりわけ女性の姿が華人町と華人地区では目立ちます。その典型はカラオケやマッサージ店での労働であり、そして中国人女性を連れた華人中高年男性の姿が目に付くようになりました。


49. 延々と アブラ椰子園 続く道
 パームオイルは 国を潤す

地方の道路を走ってみればアブラヤシ(パーム椰子)のプランテーション農園の広大さに驚くことでしょう。行けども行けども農園が続きます。アブラヤシ(パーム椰子)から採れるパームオイルの生産では、マレーシアは世界最大産出国で、最大輸出国です。ただしインドネシアが肉薄しています。


50. サラワクと トレンガヌ州 海底の
 油田開発 国を支える

マレーシアは石油と天然ガスの産出国です、そして輸入分を差し引いても純石油輸出国でもあります。おかげで石油の国庫への貢献は最大割合を占めます。石油産出がぐっと少なければまたは仮にないとすれば、国の発展計画に大きな修正を余儀なくされてしまいます。


51. 愛らしき オランウータン 数が減り
 観光資源 という名で保護

ボルネオ島とスマトラ島にしか生息してないオランウータンも世の御多分にもれず、生息地減少・破壊の憂き目にあっています。そこでその保護のために動物との共存という崇高な概念は一般市民の心を捉えない以上、今や観光資源のためにという名目がもっとも効果的といえるでしょう。


52. ハリマオと 恐れ呼ばれし マレー虎
 今では人に 襲われ減りぬ

マレー半島に生息するマレー虎は減りも減って今では、生息数1千頭を下回ると推定されています。いうまでもなくその主たる原因は、人間の山野開発で生息地が奪われたことです。虎の天敵は人間なのです。


53. ハリラヤも 旧正月も 国民は
 帰郷ラッシュで 家族の絆

マレー人を主としたムスリムの祝うハリラヤ、華人の祝う旧正月、そのどちらも家族で祝祭するために帰郷ラッシュとなります。マレーシア社会は形の上では現代的に変化したとはいえ、伝統的家族観を保持した社会と言っても間違いではないでしょう。


54. 多民族 6つの宗教 多言語の
 国の舵取り 天秤掛けて

マレーシアはマレー人、華人、インド人だけの単純な構成ではありません、サバ州とサラワク州には数十の先住民族がいます。従って言語の数も何十ということになります。6つの宗教とは、イスラム教、キリスト教、ヒンズー教、シーク教、仏教、道教を指します。政権与党連合 Barisan Nasional (マレーシア語)のシンボルマークである”天秤”は国内至るところで目にし、国民にたいへんよく知られています。


以上全 54首、”かじん”に憧れる Intraasia が詠んだ マレーシア短歌でした。



2007年経済報告書から


毎年恒例のこととして、9月初めにアブドゥラ首相が国会で2008年度予算案を発表しました。その際、2007/8 年の経済報告書も明らかにされました。その中から目に付いた点を抜き出してここに引用し、それに関して私が捉えた特徴を上げてみます。

連邦政府 2007年度予算
内訳 歳入
RM 1575億
法人税及び
個人の所得税
借入れ
政府資産利用
非税金及び
その他税金
その他
間接税
輸出税輸入税
合計
比率
42.5%
12.9%
28.6%
13.1%
1.6%
1.3%
100%
内訳 歳出
RM 1575億
開発支出経済サービス社会サービス安全保障一般行政

合計
比率
10.6%
8.0%
3.7%
1.5%


100%
内訳運営支出給与 債務元利
未払い金費用
供給と
サービス
年金補助金その他支出
比率
21.4%
7.8%
15.1%
5.0%
6.1%
21.0%


連邦政府の収入源


収入合計額
直接税 49.8%
間接税 20.3%
非税金収入 29.9%
対GDP割合

法人税
石油収入税
個人所得税
物品税
販売税
免許・許可料
投資収入
2006年度実績
RM 1235億
21.4%
16.7%
8.3%
6.9%
5.3%
7.5%
20.1%
21.6%

直接税 49.5%
間接税 18.4%
非税金収入 32.2%
2007年度予測
RM 1418億
21.7%
15.9%
8.6%
6.0%
5.0%
6.5%
23.7%
22.7%


個人に対する直接税の薄さ

マレーシアの国税収入の特徴がよく見えますね。尚上記に示した税金は全て国税です。
個人所得税の比率が低いことに注目してください。これは個人に対する直接税の依存度が低いという税構造を良く示していると言えるでしょう。他にも例えば、相続税そのものがマレーシアには存在しない、不動産取引利益税は低率であり決して網羅したものではない(さらに2008年にはこれ自体が廃止されることが決定した)などが個人に対する直接税の”薄さ”を示しています。つまり裕福層、資産家層に対する直接税課税が相当薄いということです。

さらに税務当局の捕捉率が高くないことも推測されます。これを証明することとして、法人と個人に対する脱税事件の摘発の低さですね。犯罪組織を陰で操る親玉とか所得に見合わない不明瞭な財産を持つ者たちに対して、それを立証することが難しい場合、所得税法違反などの手を使えばいいと思いますが、めったにこの種の違反行為で起訴されませんね。

石油ガスからの国家収入依存度の高さ

収入源として石油収入税及び非税金収入内の受け取り配当金の合計の大きいことがあげれます。「Petronas からの配当金が多くを占める」ということは、石油・ガスからの収入ということです。よって石油ガス関連の収入が、法人税と個人所得税の合計よりも多いということがわかります。これはマレーシアの強みであり、且つ将来弱みにもなりかねないと言えるでしょう。強みとは、世界的石油価格高騰は数十年来の現象であり、産油国として多いに得することです。よって法人税を下げて国際競争力を増すことができ、個人所得税の少なさは購買力の上昇を意味します。一方将来の弱みとは、石油ガスの埋蔵が枯渇に近づいた時ということです。

貿易分野

輸出入統計 2006年上半期分


対象国または地域の全体に対する割合

総額米国日本シンガポール欧州連合アセアン中国西アジアインドアフリカその他
輸出先
RM 2830億
16.5%
9.3%
14.5%
13.1%
11.0%
8.1%
3.1%
3.2%
1.6%
27.8%
輸入元
RM 2394億
11.3%
13.1%
11.6%
12.0%
13.3%
12.2%
3.6%
1.2%
0.8%
33.1%

総輸出高の最大を占めるのは製造物品で、約8割を占めます。

重要な観光産業

外国人訪問者による観光業収入は大きな収入源となっています。外国からのマレーシア訪問者数は1974年の120万人から2006年には1750万人と大きく増えました。2006年には名目国内総生産高の 6.7%を占めました。これは今年2007年は 7.1%、そして2008年には7.2に伸びると期待されています。観光関連産業は2006年時点で 直接雇用で50万人弱の職を提供しています。

経済報告書には載ってないので参考として次に掲げておきます。

参考:マレーシア観光年の今年は、外国からのマレーシア観光訪問者数は7月までの時点で、昨年同期より23.9%増えて 12,404,377人でした。
訪問者数比較表  観光省調べ
国名2006年7月まで2007年7月まで増減率
シンガポール
5509191人
6160975人
11.8%
インドネシア
694639人
1081938人
55.8%
タイ
1191733人
925958人
-22.3%
ブルネイ
372921人
609576人
63.5%
中国
208474人
376064人
80.4%
インド
160460人
260271人
62.2%
 日本
193463人
211633人
9.4%
フィリピン
115793人
193998人
67.5%


労働力人口と構成

労働力人口は2006年が1150万人、2007年は1180万人です。その内サービス産業が最大であり 51.5%を占めます。次いで製造業が 29.3%、農業部門が 12.1%、建設産業が 6.7%です。

15歳から64歳までを労働力人口と見なす時、就業人口は67%になります。これを男女別で見ると、男性における就業割合は87% 、女性におけるそれは46%です。若年人口である15歳から24歳の層で見ると、24.6% で、これは2006年の 24.8%より微減しています。

マレーシアではまだ女性のパート就業が構造化していません。つまりパート就業という雇用方法はないことはないですが、全国どこであれ規模に関わらず多数の企業が、主婦層などを中心にパートをその人員構造に組み込む段階にまで至っていないということです。


2007年5月時点での、合法外国人就業者数は191万人でした。それがこの10月ナジブ副首相が内閣の外国人労働者委員会の後で明らかにした数字では、今年9月時点で202万に増えています。

この内外国人労働者が圧倒的多数を占めますが、日本人駐在者などエクスパトリエイトと分類される人たち、約4万人もこの外国人就業者範疇に含まれます。多数の非法・違法外国人労働者が国内に在留していることは周知の事実ですから、この人数を加えれば、二百数十万人から300万人弱の外国人就業者が国内にいることになります。よって合法外国人就業者だけをみても、就業人口の6人に1人は外国人ということになります。


アセアン諸国の実質国民総生産の伸び


インドネシアタイシンガポールフィリピンマレーシア
2006年
5.5%
5.05
7.9%
5.4%
5.9%
2007年予測
6.0%
4.5%
7.0%
5.8%
6.0%


国民の名目平均所得

名目国民総生産高を国民1人当たりで見ると、2007年は RM 22,345 の予測です。これを購買力の面から捉えた国民1人当たりの所得は2007年予測で RM 46,620 となります。もっとも実際の所得が1人当たりこんなに多いことはありえませんから(月収 RM 4,000にもなる!)、統計のマジックみたいなもので、現実を現していませんね。(仮に私にこれぐらいの所得があったらまともに生活できそうですなあ)

以上、公表された統計や数字を基にして、マレーシアの経済構造と労働構造を主体に眺めてみました。



左肩腕痛のために国立大学病院での受診記と病院観察記


コラム第 503回 「新編 マレーシアで医者にかかる -専門医と国立病院− 及び肩腕痛に悩む記」 の続きです。ゲストブックで断続的に書いたものを多少修正し、更に新たに追記して掲載します。マレーシアの医療事情、とりわけ日本人や西欧人はまず診てもらいには行かないであろう公立病院・国立大学病院における診療事情を自身の体験を通じて紹介する目的もあります。

いきさつ

503回のコラムで書きましたように、マレーシア国民大学病院の外科で診察を申し込んだ後、外科から診療予約日を知らせる郵便通知書が10月25日にようやく届きました。早速開けてみると、予約日12月21日 と書かれています(文面はすべてマレーシア語です)。なんとまだ 2ヶ月近くも待たなければならないではありませんか。

マレーシア国民大学病院翼下にある診療所の医師が9月の時私に語った、「どこの公立・国立大学病院へ行こうと、専門医に診てもらうには数ヶ月ぐらいは待つ必要がありますよ」 という言葉を実感しました。国民大学病院の外科予約受付係りの看護婦は、10月に私が申し込んだ時こともなげに、「少なくとも3ヶ月は必要だ」 と告げました。しばらく待っても通知書が届かないので、後日催促に行ったとき、私はそんなに待てないと予約受付の看護婦に再度訴えたら、「予約を決めるのは医師です。糖尿病患者など1年ぐらい待つ必要があります」 と彼女はこれまたあっさりと言い放ちました(国立病院ですから会話はどこの部署であれマレーシア語が主体です)。 

一般外科での診察予約通知が届かない

注:以下はゲストブックに10月23日に書いたものを多少修正・増補しています

左肩腕痛は依然として、というよりもこの10日間ほどは前よりも悪くなってしまい、1日24時間かなり痛みます。仕方なく毎日鎮痛剤の Panadol を飲んでいます。私は頭痛や歯痛でも昔から鎮痛剤を使うことはまずなく、鎮痛剤を常備したことは一度もありませんでした。しかし今回のこの肩腕痛にはもう薬なしには耐えられません、何もしなくても腕が軽くしびれる状態です。寝ていてもピリピリ痛いし、横になる角度次第で腕が痛いのです。鎮痛剤が多少は効いているはずですが、痛みが消えることは全くありませんね。

ということで先週末から病院に行こうかと迷っていました。2,3の私立病院または整形外科医院に電話して、どれくらい費用がかかるか聞いてみました。診断料だけでも軽く RM 100を超えるからRM 300ぐらいは用意しなさいという返答は スバンジャヤの有名病院、大体の費用を教えてくれという私の質問に即ガチャっと電話を切ったクアラルンプールの外科専門医院など。

前のコラムで描写しました、国立病院である マレーシア国民大学病院 からの診察予約通知書は(10月23日の時点では)依然として届きませんでした。これを説明しましょう:病院の要求する必須手続として約1ヶ月ほど前同病院の外科医局を訪ねて、政府クリニックで書いてもらった紹介状を手渡し、診察予約を求めました。係りの看護婦の説明では、後日同病院から診察日を知らせる手紙が私の住所宛てに送られるので、それを待ちなさいとのことでした。

1ヶ月経っても届かず、且つもう待てないのでしびれを切らしてその日(10月23日)午後同病院の外科医局をまた訪ねました。昼休みが終わっても一向に係りは診察予約扱い部屋に現れない、広い待合室に患者は結構いましたが、診療室に医師があまりいない状態のようで、患者診察順番番号はほとんど変わりません。ハリラヤが終わってもいつもこんな状態なのだろうか?

とにかく待ちなさいとの返答

ようやく現れた予約係りに用件を伝えて尋ねると、診察予約日程の手紙は2週間ほど前に送ったとのこと、そして私の予約日は 12月21日 だそうです。まだ2ヶ月も先です! そんなに待てるわけありません。ハリラヤ時期で郵便が遅れるとは経験上知っていますが、同じクアラルンプール市内で手紙が2週間も届かないのは解せない。まったくやれやれです。

その予約受付係りの話によれば、この種の専門外科医は日に1人ぐらいしか診察を担当しないので、とにかく順番待ちの日数はかかる、さらに初診は午前中だけだそうです。とにかく 「診察予約日まで待ちなさい」 これに尽きます。国民大学はマレーシア有数の医学部を擁する国立大学です。その大学病院はできてまだ確か10年も経っていないはずであり、建物内外は立派で広々とした病院です。

政府病院の料金体系は定額且つ低額性ですから、患者は多いですね。訪れる度に眺める広大な駐車場はいつも一杯です。外国人はマレーシア国民の払う各料金の全て2倍の料金と決められていますが、それでも私立病院よりはぐっと安くなるはずです(外国人の場合 初診登録料 RM 60、再診料は RM 10, 飲み薬代 RM20など)。ですからこそ、私はこれで3回目の足を運んだわけです。しかしまだ2ヶ月も先の予約ではもうどうしようもありません。マレーシア医療制度のこれは弱点と言ってもいいではないでしょうか。私立病院の高額さを負担できない低所得者層には、これはまことにつらい、わが身がこの立場になりひしひしと感じます。

しかたなく専門医センターで診察を申し込んだ

一般外来外科はもうあてにできないので、同病院の7階にある 国民大学専門医センターを訪ねました。国民大学専門医センターとは、国民大学の教授・医師陣が患者を診ますが、費用は私立病院並みとのふれこみであり、備え付けのパンフレットにもそう書いてあります。国民大学専門医センター自体が株式会社と成っており、事務所が7階にあるのです。7階には、専門医センター独自の10以上の診察室、複数の待合コーナー、入院室、薬局、会計所が設けてあり、マレーシア国民大学病院内にある ”別個の病院” という体裁です。専門医センターにもちゃんと産科があります。

受付でだいたいの費用、診察までにどれくらい待つ必要があるかと尋ねました。診察料はRM 80-150 という公式的な返事だけです。予約は1週間後になるとの返答でした(空きがあれば翌日でも診てもらえる)。階下の一般外来外科は1ヶ月待ってさらにまだ2ヶ月先ですから、それに比べれば抜群に短いことになります。もうこうなったら、医師に診察料を低い額にしてくれと頼むしかないと思って、とにかく予約帳に私の名前を加えてもらいました。実際に診察を受けるか、2,3日考えてみることにしました。どう自己希望的に考えても 最低 RM 200 はかかりそうだからです。

予約カードに書かれた医師名によれば同大医学部の助教授です。国民大学専門医センターの入り口に医師名と肩書きが全て掲げてあるのでわかりました。まあ誰でもいいです、今はこの痛みが早く消えて欲しいと思うのみです、もちろんできるだけ費用を抑えてです。

(以上はゲストブックに書いたものを多少修正・増補)

専門医センターで診察を受けた

その後1週間後の10月30日午前、マレーシア国民大学病院の専門医センターをまた訪れました。1週間前に指定された、その日午前10時が私の予約診療時間だからです。10時少し前に専門医センターに到着し、その受付で名前などを登録し、外科待合コーナーで待ちました。階下の一般外来外科の待合室よりずっとゆったりしたイスであり、一部にソファもあります。且つ待っている患者またはその付き添いも階下の一般診療待合に比べればはるかに少ない。専門医センターはゆったりとした配置で、テレビも置いた待合コーナーが複数あります。マレーシアらしく、携帯電話で大声で話している非常識人もいます。まったくこの ”他人の迷惑などしったことじゃない”症候群にはいやになります。

予約時間から遅れること40分ぐらいか、ようやく診察室へ呼ばれました。年配の小柄な医師です。肩書きは医学部外科の助教授です。まず簡単に診察してから、レントゲンを撮りますと医師は告げました。私は、えーまた何日か待つのですか?と尋ねたところ、院内のレントゲン室へ直ちに行って撮ります、写真は直ぐできるから、それを持ってまた診察室へ来なさいとのことです。このことばにほっとしました。私自身もレントゲン撮って欲しいなと思っていたからであり、小1時間ほどでレントゲン撮影は終わるようだからです。

ということで、看護婦の案内で病院内のレントゲン室へ行きました。レントゲン室は専門医センター専用はないので、一般病院内の施設です。3枚写真を撮ってもらい、それを持ってまた7階の専門医センターに戻りました。まもなく診察室に呼ばれると、 医学部助教授である医師は丁寧に説明してくれました。医学部学生に講義するみたいに? かなり丁寧な説明でした。肩の関節部分の骨がずれている、10mm程度とか。 それによって骨が腱にあたり、そのため腱と膜? を損傷させているとのことです。 病名は肩腱板損傷(断裂)です。その後、 とにかく肩の痛みを取るために、関節への注射を受けました。この注射は2ヶ月ほど前私立病院で受けたものと同じものなんでしょう。

急激に痛みはとれるはずだと、医師は語る。確かに傷みは少し取れたが、痛みが雲散霧消したわけではありません。医師は、もし痛みが取れなければ腱の損傷が大きいかもしれない、その場合は注射だけでは治らないと言いました。つまり関節内の内視鏡検査をして損傷程度を確認し、即手術が必要になると語りました。手術と聞いて、私はまさかそんな!としか実感がわいてきません。とにかくこの痛みがなくなってほしいという願いがまず先に立ちます。

こうして診察は終わりました。もし痛みが消えなければまた来なさいとのこと。そういわれなくても私は来ざるを得ません。薬はでませんでしたし、私も欲しいと要求しませんでした。

納得いく料金と明瞭会計、でもサービス面に難あり

受付近くにある会計所で料金を払いました。ものすごく心配だった料金は合計 RM 170弱。いやあ、ほっとしました。初診費を含んだ診察料 RM 150、注射代 はわずか RM 2.7、さらに使い捨て手袋使用料金と消毒使用料で RM 7.8と明記されています。そしてサービス料が RM 10.5 です。 このように会計は極めて明瞭です。9月の時私立病院では診療費は同じ額で、加えて同じ注射代は RM 80 も請求されていたことを思えば、この注射料は実費としか思えません。私は用意してきた Visa カードで支払いました。 

料金は適度であり且つ明朗な点は非常にいい点ですね。不満点を上げれば、受付や医療センターにはいつも何人かの数の女性と看護婦がいるけど、何を担当しているかよくわからない。ある人に聞けばちょっと待っての返事、といった役所みたいな状況が残っています。さらに登録時に私の氏名を2箇所も間違え、且つ国籍さえもマレーシア人にしてしまった、注意力のなさにはいささかあきれます。専門医センターは登録時にコンピューター入力していますが、すべてがオンライン化されておらず書類をもってあちこっちという状態です。さらに例えば、通常時間中に受付に電話しても誰も電話に出ないことがあるのです、まさにマレーシアの役所と似ていますね。

初めての専門医センターでの体験時点では診察と料金面ではかなり満足しましたが、一流しかし極めて高額な私立病院みたいなサービスと事務処理面での効率のよさが感じられませんでした(日本の旅行者保険が使えた昔は何回も有名私立病院で診てもらったことがあります)。

国民大学病院は産科が別棟になっている

マレーシア国民大学病院はまこと大きな病院です。院内はゆったりとした作りであり、産科だけが大きな別建物となっているところは、出生率の高いマレーシアらしいところでしょう。院内をぶらぶら見学しながら歩いてみた私ですが、さすがに産科ビルは足を踏み入れませんでしたよ。通常しろうとが考え付く専門科はほとんどあるのではないでしょうか。午前中に見て回ると混んでる科である、内科、外科、眼科などはぎっしりと待合室が埋まっています。あまり患者のいない、精神科診察病棟やガン診察病棟はがらんとしています。混んでいるということは、要するに医師に診てもらう自分の予約日が来るまでに月の単位で辛抱強く待たなければならないということですね。

大病院ですから、カフェや食堂と売店は複数あり、さらに警官詰め所もあります。国民大学病院はVIP患者も訪れるようですから、それ用の待合室もあるかもしれません。

独立した存在の急患用施設

じゃあ急患はどうするのか? ちゃんと急患診察用の施設が独立してあるのです。その急患診察施設内も、生命に危険ある急患用と通常の急患用に分かれています。急患診察施設だけは予約なしにその場で診てもらえることは、受付で確認しました。もちろん専門医を選んで診てもらうことはできません。診察も診療費支払いも薬局も全てこの急患診察施設内にあり、国民大学病院一般診療病棟とは全く独立した扱いになっているところが、おもしろいです。

公共バス網のお粗末なBandar Tun Razak 地区

ところでこのマレーシア国民大学病院のある場所は、マレー人多数である Bandar Tun Razak 地区の一画にあります。バス道路を挟んで病院敷地の斜め対面はクアラルンプールサッカースタジアムです。ほかにも2,3の公共施設があります。それなのにまこと納得いかないのが、クアラルンプール中心部とこの Bandar Tun Razak 地区を結ぶバス便は Rapid KL
バスの1路線しかないのです。いうまでもなく時刻表のない Rapid KLバスですから、いつくるともわからないバスを延々と待つことになります。待ち時間 30分, 40分はざらです。 あと1路線 Rapid KLバスがあるのですが、これは高架電車のTasik Selatan 駅 発で Bandar Tun Razak 地区を周回する便です。もちろんこれも頻度少なく且つ実質は不定期です(建前は違う)。

なぜこんな大きな病院のある地区を通るバスがこれほど本数少ないのか不思議です。確かに病院の駐車場はいつも自家用車で一杯ですが、自家用車のない者、タクシー代を負担できない者、そういった人たちにはバスしか交通手段はないはずです。こういう人たちであろう、患者や病院で働く人がバス停で辛抱強く待つ姿を毎回私は見ます。貧者のために公共バスはもっと頻繁にすべきだと、毎回長々とバスを待つ私は強く思います。

痛みは消えなかったので再診を受けた

さて肩の痛みは消えませんでした。正確には、肩の裏つまり背中側の痛みは明らかに軽減しましたが、肩から腕にかけての常時ある痛みとしびれは取れませんでした。加えて腕を動かす角度によって起こる、言葉も出なくなって身動きができなくなるほどの激痛は相変わらず起こります。常時ある痛みとしびれを軽減させるため、鎮痛薬は控えめな量にして毎日飲まざるを得ません。

そこで今度は電話で診察日の予約を得てから、11月6日午前再度 専門医センターを訪れました。もちろん医師は前回と同じ助教授です。専門医センターの入り口には大きく、登録医師人陣の氏名と専門科が掲げてあります。20人以上書いてあったかな、でもその医師陣が毎日診察に専門医センターに来ていることではないとのことです。大学の授業などが優先するからなのでしょう。例えば、私を診察してくれるその助教授は専門医センターでの勤務は月曜朝と火曜朝だけなのです。

結局手術しか治療法はないとのこと

さて診察室で私の訴えを聞いた後、その助教授医師は手術しか方法はないことを説明してくれました。肩腱板の損傷がひどくなっている、だから注射では痛みはあまりとれなかったということだそうです。だから今回はもう注射はしない、と医師。関節部の骨がずれているため今後も腱板と膜を損傷する可能性があるとのことで、いよいよ私は不安になりました。

前回説明がはっきりしなかったのか、私の聞き間違いか、内視鏡検査は別個に行うのではなく、内視鏡検査を手術の直前に行いその場で手術となるそうです。とにかく医師の診断結論は「手術しか方法はありません」 ということでした。多少そんな予感はしたものの実際にそうはっきりと言われたので愕然としました。手術そのものは大手術ではないので、2,3日だけ様子見のために入院する必要があります、まあ確かに安心のために病室で2,3日過ごしたほうがいいことは患者の立場からもいえます。病室料金はパンフレットによれば、最低料金クラスである2人用一般病室で1日 RM 125 です。これはなんとなるとしても、問題は万リンギットに近い手術料及び関連費用です。これは到底不可能な金額です。正確な費用の算出は頼みませんでした。現状では手術など受けられそうにないからです。

この2回目の診察料は再診料として RM 25 でした。専門医センターのパンフレットに明記された規定ではRM 25-50 とあるので、たいへん良心的な料金です。私立病院ならRM 100近く取られますからね。他に私の希望で市販とは違う鎮痛薬を少々もらいました。合わせてRM 40弱です。非常に納得いく金額です。街の一般内科医院で風邪などの際、診察料だけでも RM 30ぐらいはかかりますから、それよりも安いくらいです。

手術を受けられる日が来ることを願って

再診料の良心的料金は歓迎しましたが、私の問題としていつごろになったら手術を受けられるか見通しは全くたちません。そしてもし受けるならマレーシア国民大学病院にすべきか、それとも最近インターネットで日本には肩治療の専門医がいることを発見したので、そのような専門医師のいる日本の病院で手術を受けるべきだろうか・・・・・・

予算など全くない今、見通しの立たない今、そんなことに悩んでも仕方ありません。今は毎日市販の鎮痛薬 Panadol を飲みながら、痛みを軽減させて悪化しないことを願って暮らすしかないところです。といって悲観していてはことは何も好転しませんから、多少でも楽観的に過ごしていきたいと思っています。



数字で見たマレーシアシリーズ その32


これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。

経済成長率


2006年第4四半期2006年1年間2007年第1四半期
国内総生産高
5.7%
5.9%
5.3%
農業・漁業・林業
6.5%
6.4%
2.0%
鉱業・採石業
1.9%
-0.2%
-1.1%
製造業
4.3%
7.0%
1.7%
建設業
0.6%
-0.5%
4.0%
サービス業
7.0%
6.5%
9.6%


中央銀行Bank Negara が発表した経済成長率です。2000年時点での価格を基準として、年間変化をパーセント表示。
四半期毎伸び率 2007年第12007年第2
国内需要
8.7%
10.8%
消費
8.35
12.6%
民間部門
8.6%
13.1%
公共部門
7.1%
10.2%
資本形成
9.9%
6.6%
輸出
1.9%
3.0%
輸入
3.5%
1.4%
国内総生産高成長率
5.5%
5.7%


マレーシアの優良大企業

純利益が RM 10億を超えるマレーシア大企業の表 
企業名
主たる業種 少数株主持ち分を含む
単位はRM 10億
少数株主持ち分を含まない
単位はRM 10億
決算時期
Malaysian Banking Bhd銀行
3.25
3.18
2007年6月末
MISC Bhad海運
2.89
2.85
2007年3月末
Telekom Malaysia Bhd通信
2.30
2.01
2006年12月末
Genting Bhd娯楽・ホテル
2.24
1.50
2006年12月末
Tenaga Nasional Bhd電力
2.16
2.13
2006年8月末
YTL Corp Bhd商業など多業種
1.85
1.37
2006年6月末
Public Bank Bhd銀行
1.79
1.73
2006年12月末
IOI Corp Bhdパームオイル
1.65
1.48
2007年6月末
Bumiputura-Commerce Holding Bhd銀行
1.61
1.50
2006年12月末
Sime Darby Bhdパームオイル
1.60
1.51
2007年6月末
Plus Expressways Bhd高速道路
1.10
1.10
2006年12月末

注:Bhd(公開会社)が示しているように、全て上場企業です。尚Malaysian Banking Bhd のように政府資本が入った純粋な民間企業でない企業もこの表に多少入っています。

世帯の平均支出及び高齢者の収入統計

2004年−5年時点 (統計庁出典)
分野
品目
飲食物
(タバコ
含む)
衣料
履物
住居
水電気
燃料
家具
物品
装置
交通通信教育 保健
医療
娯楽
文化
ホテル
レスト
ラン
その
割合 %
21.9
3.0
22.0
4.2
16.1
5.3
1.9
1.4
4.7
10.9
8.6


高齢世帯の収入
次の表はUPM大学老年学研究所調査からです。
60歳以上の国民の月収 (給与、副収入、子供から、年金、福祉手当てなど全てを含む)
月収額
ゼロ
RM 1-510
RM 511 - 1020
RM 1021 - 3000
RM 3001 - 5000
RM 5001以上
割合
5.7%
60.4%
23.0%
10.1%
0.55
0.3%

60歳以上の国民の月収の構成で、最大を占めるのは子供からもらうです。
マレーシアは国連の定義である、国民の7%が65歳以上となるのは、2019年ごろであろうと予測されています。

被雇用者福祉基金の加入者平均残高

被雇用者福祉基金(EPF)に加入している労働者がその在職期間中にEPF に収めた総額の1人当り平均は、RM 106,000です。多くの人にとってそれが定年時の唯一の預金となっています。 ERF の幹部は明かにする、現在のところ加入者が、引出し可能年齢である55才に達すると、その99%の加入者は一挙に預金を引出します、と。EPFの調査では、引出した人の70%がその金を3年で使い切ってしまうとのことです。

新車販売台数が前年比減

新車販売台数が昨年同期より落ちました。このため今年は総販売台数は昨年の49万台より下がる予想です。
マレーシア自動車協会調べ

07年上半期06年上半期
乗用車200454228323
商用自動車2028523017
合計220739台251340台


外国資本のホテル買収

かなりの数の外国資本がマレーシアにやって来て、国内のホテルを買収しています。とりわけクアラルンプール圏です。昨年のホテル売買総額の85%は外国資本でした。2005年は44%でした。 昨年外国資本のマレーシアホテルへの投資は前年比64%伸び、クアラルンプールの4星と5星ホテルの所有者の42%は外国資本です。ホテル取引交渉役の会社であると自称する、Zerin Propertie会社は、観光産業面での強い伸びが、外国資本の強い興味を呼んでいるとのことです。

主要なホテル取引の例  Zerin Propertie会社調べ

ホテル名場所部屋数購入額
2006年Ferringhi Beach Hotelペナン
350
4300万
Holiday Villa 3箇所ランカウイ、ケダー、クアンタン
520
10700万
Midtown HOtelペナン
96
1200万
Crowun princesクアラルンプール
571
24000万
Westinクアラルンプール
452
45500万
Sheraton Sebangスバンジャヤ
502
14000万
Grand Centerpointクアラルンプール
100
1250万



2007年Foue Seansons Resortランカウイ
91
43500万
Hotel Midahクアラルンプール
198
2600万
Summit Hotelスバンジャヤ
333
???

改装も盛んであり、例えばShangri-La KL, Sheraton Imperial, The Regent などです。観光産業が好調で、5星ホテルの平均部屋代はこの2年で20%は上昇し、その他クラスホテルでは5%から10%上昇しました。客室充足率はクアラルンプール圏の場合、2年前の60%なかばから現在は70%に増えました。8月の場合、5星と4星は86%を記録し、平均部屋代はRM361に上がりました。

マレーシアの情報技術産業(IT産業)の統計

調査会社IDC 2007年報告書から

IT分野
支出額
ハード
ウエア
ソフト
ウエア
サービス小計 IT分野
寄与率
対DGP対税収 IT分野
雇用
雇用総数 ソフト分野
雇用数
2006年RM
94億
20億
38億
152億
2.8%
14.8%
39万人
12万5千人
2007年推測RM
104億
21億
42億
161億
2.9%
16.1%
41万人
13万人


マレーシアブランド

マレーシア認定広告代理業者協会が選んだ、 マレーシアの最も価値ある独自ブランドトップ30 から20位までを表にしました。
順位
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
ブランド名MaybankPublic bankMaxisGentingCelcomCIMBAstroHong LeongPeroduaDiGi
順位
11
23
13
14
15
16
17
18
19
20
ブランド名GaintMalaysia AirlinesSimeDarbyTV3PetronasYTLRHB BankAmbankAirAsiaThe Star


製造業中小企業におけるブミプトラ比率

国内の中小企業製造業 約37,000社の内、ブミプトラ会社はわずか 9,900社だけである、これは全体の27%にしかすぎないと、通産省副大臣(マレー人国会議員)は語る、「このことはブミプトラは他民族の企業に依然として遅れを取っていることである、中小企業製造業におけるブミプトラ比率の少なさはブミプトラコミュニティーの弱点を反映している、」。

マレーシア医療における医師と医学生

それぞれの職業者に対する国民の数
各1人に対して80年代末90年代末2005年末
医師
2638
1465
1237
歯科医師
12386
11897
9497
薬剤師
14831
9798
6512


高等教育省の長官が、今年度(07−08年)の国立大学新入生の数字を明かにしました。国立大学への新年度志願者は68000人ほどで、その内40116人が入学を認められました。昨年より100人ほど多いだけです。医学部の定員は925人で、歯学部の定員は205人、薬学部が280人です。

ブミプトラ華人インド人
人数
24924人
12745人
2447人
割合
62.1%
31.8%
6.1%

医師を育てる新規需要人数には国立大医学部の入学定員だけで足らないのは明らかです。国内の私立医科カレッジの定員はごく少ない。海外の10数カ国の大学医学部に毎年新規留学するマレーシア人学生の総数は、多分国立大医学部定員より多いのではないだろうか? マレーシアで毎年医師になる新任医師数は1200人ほどだそうです。

一般警察官の初任給

給料と手当て (RM)
階級基本給 サービス
手当て
奨励
手当て
住宅
手当て
生活地
手当て
見習
897
115
115-300
平巡査
897-1647
115
100
275
150-300
コーポラル(伍長)
824-2111
115
100
275
150-300
上級サージェント
1363-2477
115
100
300
150-300

年齢;18才から26才
学歴:SPM試験で基準以上の成績、マレーシア語合格必須
身体:身長160Cm以上、体重 48Kg以上
3年間勤務し、そのその勤務内容が満足のいける者は コーポラルに昇進できます、その時の基本開始給は RM 1386 です。

永住者の数

マレーシアで永住権を得た全ての永住者 約36万人は昨年から行っているように、新しい身分証明書 MyPR を年末までに入手しなければなりません。これまでに15万人がMyPR を申請して得ましたが、まだ21万人はまだ申請していません、そこで内務副大臣は警告する、MyPR を得ないと永住権を失うかもしれないと。MyPR は赤色で、その者の出自国も記載されています。
多くの永住者がMyPR を申請していません、その理由に所持していたパスポートがずっと前に失効している者がたくさんいるからとのことです。

「マレーシアは第2の我が家プログラム」の申請承認数

今年上半期に承認された、「マレーシアは第2の我が家プログラム」 の申請者数は約700人でした。国籍で見ると、英国、日本、バングラデシュ、韓国の4カ国が多数グループです。観光省は今年の承認人数を2500人に置いているとのことです。好まれる地はペナンとエコツーリズムの地だそうです。  「マレーシアは第2の我が家プログラム」はその前身時代から含めて、1996年からの承認総数は1万人強になり、その内2002年から改名された「マレーシアは第2の我が家プログラム」の下では8700人ほどになると、観光省は説明します。

マレーシア訪問者数

マレーシア観光年の今年は、外国からのマレーシア観光訪問者数は7月までの時点で、昨年同期より23.9%増えて 12,404,377人でした。
訪問者数比較表  観光省調べ
国名2006年7月まで2007年7月まで増減率
シンガポール
5509191人
6160975人
11.8%
インドネシア
694639人
1081938人
55.8%
タイ
1191733人
925958人
-22.3%
ブルネイ
372921人
609576人
63.5%
中国
208474人
376064人
80.4%
インド
160460人
260271人
62.2%
 日本
193463人
211633人
9.4%
フィリピン
115793人
193998人
67.5%

中東諸国からの合計訪問者数は前年同期比 43%増の 13万人弱でした。中東諸国からの訪問者実数はそれほど多くはないが、一般に中東人は海岸を好まずクアラルンプール圏に集中しがちです。従ってその姿が目立つことになる、中東人の消費能力は高く、他の旅行者の4倍くらいだと、と観光省副大臣は説明しています。

有料衛星放送 ASTROの現況

アジア有線と衛星放送協会の調べでは:
2002年から2006年までにASTROの世帯契約は146%増え、結果として世帯普及率は倍になりました。 2006年の契約世帯数 201万世帯、 世帯普及率は36%とのことです。ASTROは最近マレー世帯への普及を高めようとしています。
契約世帯別にみると、月収RM 2001以下が 37%、RM 2001から3000の世帯が 25%、RM 3001以上の世帯が 38%を占めます。

ラジオ聴取率

マレーシア商業ラジオ協会は、Nielsenが行ったラジオ聴取者調査の結果を発表しました。

広告全体の支出額に占めるラジオの割合は2006年で4%程度ですから、ラジオ広告自体が大きなパイを占めていないともいえますね。

中学校の各学年終了前に行う全国統一試験

中学校3年次の生徒が受験する全国統一試験 PMR が1週間の日程で実施されます。受験者数は 469,133 人です。内 437888人が公立学校の生徒、17771人が州または団体の補助を得ている学校の生徒、13095人が私立学校の生徒、その他1106人です。

中学校6年次終了間際に実施される統一試験 STPM が11月13日から始まり12月初めまで続きます。今年の受験者数は 66,000 人です。内訳は:公立学校の生徒 57395人、私立学校 2454人、個人受験 5534人、その他668人です。

一方同時期に行われている中学5年終了時の SPM試験の受験者は44万人です。こちらは12月6日まで続きます。



ゲンティンハイランドの屋内娯楽遊戯施設の繁盛にあらためて驚いた


ゲンティンハイランドは超優良企業

ゲンティンハイランドといえば、マレーシア唯一のカジノとして長年知られてきました。先日死去した有名な華人大企業家が、1960年代後期当時はそこにリゾート建設など誰も考え付かず且つ誰も建設に賛成しなかったという、山岳地の頂上付近にリゾートホテルを建設しカジノを加えたものです。もちろん当時のマレーシア政府首脳から許可を得てのカジノ建設でした。その後成功が成功を呼び、ホテルを増設し、レジャー施設その他を続々増設していき、ついには年間何百万人もの訪問者を呼び込む(正確な訪問者数は忘れましたが500万人を超すのでは?)、マレーシア最大の娯楽・行楽宿泊地兼カジノ地となりました。

ゲンティンハイランドは独自の浄水供給施設と電力供給施設を保有しており、いわば下界から隔絶した一大レジャー兼カジノ地とも言えそうです。現在ではゲンティンハイランドを所有し経営するグループは、マレーシアで10社ほどしかない利益 RM10億を達成する トップ優良企業です。もちろんムスリムを含め、数千人の従業員を雇用し、税金収めの面でも州経済と国庫に多大な貢献していることは、数字上からも明らかですね。だからこそ、イスラム教でムスリムに賭け事を禁じている政権党 UMNO もその貢献度を評価しているはずです。

近隣諸国と東アジアから客を引き付けている

90年代後半にカンボジアの国境隣接地に主としてタイ資本のカジノができるまで、ゲンティンハイランドが東南アジア唯一のカジノでした(フィリピンは知らない)。ゲンティンハイランドはマレーシア人とシンガポール人だけでなく、タイ人やインドネシアなど東南アジアの裕福層、台湾、香港などの中国人を引き付けてきたと言われています。もちろんマレーシア人が最大訪問者ですが、訪問者の相当の割合をシンガポール人が占めるそうです。これだけゲンティンハイランドが人気を呼ぶのは、単にカジノだけではないからですね、屋外の大型施設からなるレジャー施設と屋内の幅広い娯楽遊戯施設があるからであり、従って家族連れ、ムスリム、若者グループ、若いカップルも訪問するわけです。 さらに標高1000m地点にあるため、涼しく霧がよくかかるという気候要因も、熱帯の国の住民の心を捉えるようです。

私はマレーシアに来た当時数回、その後は数年に1回程度しかゲンティンハイランドを訪れていません。大抵はゲンティンハイランドへ行きたい人に付き合って行ったと言えるもので、積極的に訪れたい地では全然ありません。まず賭け事一般に興味のない私にはカジノには用はないし、屋外のレジャー施設にも用がないからです。ホテルに泊まってすごすなら、海浜の地をずっとずっと好むので、娯楽とカジノだけに囲まれたホテルに泊まりたいとは思いません。

ところでゲンティンハイランドについて、私がそこで観察するのとゲンティンハイランド自身の認めるのと合致しているのは、西欧人の姿が非常に少ないことです。日本人旅行者にとっても、カジノ好きを除いて、ゲンティンハイランドは決して上位の訪問希望地ではないはずです。この傾向は長年変わってないし、今でも同じでしょう。

最近友人に誘われて行った際気がついたこと

ごく最近続けて2回ゲンティンハイランドへ行く機会がありました。もちろんカジノで賭けるためでもレジャーのためでもありません(いずれも私には不可能です)。実はゲンティンハイランドの屋内で店舗を数箇所経営している友人(華人)が新店舗オープンを機に、行ってみないかと誘ってくれたからです。彼の店舗見回りにつきあった形です。彼が用事を済ましているまたはビジネス会合している数時間の間(2回に渡って)、屋内の娯楽施設のある場所で待っていました。これまでのゲンティンハイランド訪問で、屋内娯楽施設のある場所を通り道として歩いたことは何回もあったのですが、こんなにたくさんの時間をそこで過ごしたことはなかったので、ちょっと思いがけない発見をしました。

11月17日から年度末学校休暇が始まったとはいえ、平日なのにこんなに家族連れが多いとは意外でした。まずその遊戯・娯楽施設や装置の利用料の高いことに驚きました。クアラルンプールなどにくらべれば、倍から3倍もします。インターネットカフェなど料金が4,5倍もします。それでも多くの施設と装置はいつも人だかりです。シュミレーションゲーム機では子供や若者が遊び、メリーゴーランドなどでは若い親子連れがいつも列を作っています。 家族連れや若者グループは写真を互いに撮りあっているのをしばしば見かけます、まあこれはほほえましい光景ですね。しかし、こんなに各遊戯の料金が高いのによくこれだけ遊ぶ人がひきも切らず、ものすごく繁盛しているなあというのが、私の正直な感想でした。

クアラルンプールの倍から3倍の物価でも大繁盛

企業家の友人がいみじくも言ってました、「家族でゲンティンハイランドに遊びにきたら、宿泊代を除いて、遊行費と食費で1日数百リンギットはかかるだろう」 と。まことそうなんでしょう。コンビに売っている 500cc のミネラルボトルはRM 2.2 、一般小売店の倍の値段であり、スーパーなどに比べれば3倍近いです。すべてがこの調子です。夕食にと友人といっしょに入った中華レストレンでは、街の屋台よりまずい炒飯がRM 15もしました(もちろん友人のおごりです)。レストランなど飲食店舗の価格はクアラルンプールの倍だと、友人は語る。ゲンティンハイランドでは訪れる家族連れは中流でないととても楽しめないでしょうね。こどもにせがまれてゲンティンハイランドへ行楽に出かけた低所得層の家庭にはかなりつらい出費になるに違いありません。

そんなことを思いながら、私は屋内遊戯・娯楽施設の付近をぶらぶらしたり、長いすに腰を下ろして、人々を観察していました。ひっきりなしに次から次と人がやって来ます。その中でいかにも2000年以降のマレーシアを特徴つけるのが、中国人団体観光客の群れが頻繁に通り過ぎていくことです。彼ら彼女らの服装と聞こえてくる言葉から、中国人団体とすぐわかります。カジノ場へ向かうのか、それとも予約したレストランへ向かうのか知りませんが、どの団体も遊戯施設で遊ぶわけでは全くありません。 2000年代になって、中国人のマレーシア訪問者が急増しすでに日本人訪問者数を完全に抜いたことは、当サイトでも何回もお伝えしましたね。あまりにあちこちで中国人を見かけるので、中国人の姿がないのは多分エコツーリズムぐらいではないだろうか、そんな風に思えてきます。

思った通り、西欧人の姿はごくたまにしか見かけません。アラブ系旅行者もごく少ないです。これはアラブ系旅行者のマレーシア訪問ハイシーズンが北半球の夏季だという、せいもあるかもしれません。カジノ場へは1回も足を運びませんでしたが、こういった訪問者の姿をずっと眺めていてつくづく思ったのは、こんなに物価の高い場所なのにマレーシア人そして次いで多いシンガポール人ってなんてゲンティンハイランドが好きなんだろう、というあきれ感を含んだ驚きでした。もちろん、これは私自身のゲンティンハイランドに対する上記の捉え方が基になっています。ビジネスとはこのように、人々の嗜好性に合ったそして合わせることがいかに重要であるかをゲンティンハイランドは示していますね。だからこそゲンティングループはマレーシの超優良大企業となったといえるでしょう。



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