・待ち望まれたペナン州発展長期計画について概観する
・短編コラム4題 - 民放ラジオ局、三大民族、中長距離バス事故、日本首相来マ報道
・新編 マレーシアで医者にかかる -専門医と国立病院− 及び肩腕痛に悩む記
・”かじん”に憧れる Intraasia が啖呵を切らずに短歌を詠む - 前編 - ・ その後編 ・2007年経済報告書から
・左肩腕痛のために国立大学病院での受診記と病院観察記 ・数字で見たマレーシアシリーズ その32
・ゲンティンハイランドの屋内娯楽遊戯施設の繁盛にあらためて驚いた
アブドゥラ首相はこの1年の間に2種類の巨大開発長期計画を発表しました。先に発表されたのが、ジョーホール州南部という比較的狭い地域を対象にし、諸外国からの大投資を多分に期待した都市型地域発展プロジェクトです。もう一つが7月に発表された、ペナン州など北部3州プラスペラ州の北部というかなり広い地域を対象にした、都市部と田舎(非都市部)の両方を対象にした開発プロジェクトです。
そこでまず、「新聞の記事から」に7月31日付けで載せた記事を再録して、このコラムの糸口とします。以下は記事。
北部経済回廊 | 2005年 | 2012年 | 2020年 | |
農業部門輸出額 | RM 320億 | RM 481億 | RM 777億 | |
1アール当りの米作高 | 3トンから5トン | 8トン | 10トン |
旅行者訪問地 | 2005年 | 2008年−12年 |
ペナン | 300万人 | 1740万人 |
ランカウイ | 180万人 | 1040万人 |
1人平均消費高 | RM 1890 | RM 2000 |
観光収入 | RM 91億 | RM 556億 |
この計画では3大部門である 農業部門と観光業部門と製造業部門で上記で一部紹介したように、目標値が設定されています。いささかばら色的計画に感じますが、”半島部北部経済回廊” 長期発展計画が半島北部の一大転機の源または触媒になっていくことは間違いないでしょう。それほど重要な長期発展計画とも言えます。
この”北部州経済回廊”長期開発計画は上で指摘しましたように、都市部と田舎(非都市部)の両方を対象にした開発計画です。この点がジョーホール州南部開発計画との大きな違いです。田舎を対象にした投資開発の主たる分野は農業です。この計画の対象となる4州の合計農業地に対する各州の占める比率は、ケダー州が圧倒的に多く61% を占め次いでペラ州の28% です。ペナン州はごく小さく5% に過ぎません。ちなみにケダー州の農業用地の4分の3は稲作水田です。各州の就業人口に占める農業従業者の比率はケダー州で19%、ペルリス州で22%、ペラ州 18% なのに対してペナン州はわずか1.4% に過ぎません。このようにペナン州の開発とはすべからく都市型開発になります。
この”半島部北部経済回廊”の中で都市型開発面に限れば、一番注目を浴びるのは、やはりペナン州の開発プロジェクトと言えるでしょう。そこでペナン州に限って、すでに発表された計画を見ていきましょう。
その前に参考として、クアラルンプール圏の発展を振り返って見ます。Intraasiaの記憶がかなりはっきりとしている 1992年ごろと 2002年ごろを比べてみると、この10年間の変遷と変化はものすごいものでした。1992年のクアラルンプールには、KLCC もKL Sentral も大ショッピングセンターもありませんでした。市内縦横に悪名高いミニバスが走り、公共交通手段はこのミニバスと何社もの小さな私営バスだけでした。当時のクアラルンプールは古き東南アジアの大都市そのものといえました(当時そこに私は魅力を感じたものです)。
それが10年後の2002年ごろまでには一大変遷しました。まず巨大建設として KLタワー(1996年)、KLCC 及びツインタワー(1997年)の完成があります。公共交通面では、近郊電車であるKomuterの運行開始(1994年)、市内外を運行する公共交通網として2種の高架電車: Star-LRT(1996年)、Putra-LRT (1998年) が開通、ミニバスが廃止されて(1998年)コンソーシアム後に政府が買収したIntrakota バス網の運行となり、KL Sentral 駅がオープンしました(2001年)。 そしてモノレールの運行開始(2003年)です。さらに、巨大ショッピングセンターが何箇所にも建設され、クアラルンプール中心部に複数のインテリジェントビルが出現し、Bukit Jalil 国立スポーツ競技場施設(1998年)が完成しました。このように、誰の目にも明らかなたくさんの発展が起きたのです。
全国のインフラ建設という面で特筆されるのは、それまで部分開通であった南北縦断ハイウエーが全面開通したのが1994年で、その後のはかりしれない経済効果を生むことにつながりました。クアラルンプールの外では、KLIA空港の開港(1998年) と新行政首都 Putrajayaのとりあえずのオープン(1999年)がありました。この2つはまさに巨大プロジェクトであり、マレーシアの面目躍如という面を持っています。
1992年ごろから2002年ごろまでの10年間の変化はマレーシア歴史上最大のインフラ発展と言っても間違いないでしょう。これは22年にものぼるマハティール政権の後半の10年間にほぼ一致しています。尚マハティール首相が退陣したのは、2003年秋です。
この首都圏の開発と発展はまこと目に見える変化となりました。これに比べて、ペナンには90年代の目に見える大開発はなかったといっても言いすぎではないでしょう。ペナンの巨大プロジェクトが完成したのは90年代以前であり、Komtarビルが完成し次いでペナン大橋がオープンしたのは1985年でした。その後巨大開発は途切れました。この最上段で紹介した ”半島部北部経済回廊” 長期発展計画 はペナン州民、ペナン基盤の企業、ペナン基盤の政治家などが待ち望んだ、長期大発展プログラムがようやく起案され、実施に向かってスタートしたといえます。
”半島部北部経済回廊”長期経済計画の下で、ペナン州には何十億ものプロジェクトが目白押しです。これらが完成した頃にはペナンを活気に満ちた州に変転させるだけでなく、半島部北部の交通と流通のハブにもなる、と期待兼予想されています。
ペナン州におけるプロジェクトの列記
アブドゥラ首相の地元がペナン州本渡側であるからこういう”半島部北部経済回廊”が起案されたという見方は恐らく間違ではないでしょうが、しょせん政治の世界はすべからくそうであって、彼だけの特徴ではありません。といってアブドゥラ首相が退陣したらたちまち開発プロジェクトが消えてしまうようなことは考えられません。多少の修正はあるとしてもです。アブドゥラ政権はこの北部開発計画を発表するより前の2006年終わりには、ジョーホール州南部を巨大開発する Iskandar長期発展計画を発表しています。アブドゥラ首相は地元だけに力を入れるという見方は間違いといえます。尚 Iskandar長期発展計画については、ここでは触れません。
ここに列記したたくさんのプロジェクトは計画ですから、計画は狂うこともあるのは国家といえども同じですね。ただし次のようにも言えるはずです: 1992年当時、マレーシア人の誰がクアラルンプール圏の10年後の姿を予測できたでしょうか。1992年当時マレーシアで暮らしていた外国人(私を含めて)の誰もが、KLIA、 KLCC&ツインタワー、10箇所近い巨大ショッピングセンターの繁栄、高架電車とモノレールなどの現在の姿は想像できなかったというのが正直な告白だといえます。 ですから、これから10年後の2017年のペナン州が現在とはかなり違った姿を持つ可能性は十分あると思います。
開発など不要、ペナン州は今のままでいいというのは、ペナン州民のかなりの少数派であり、または単なるレトロ趣味で訪れる外国人旅行者の願望に過ぎないでしょう。ペナン州のような都会型の州発展は決して悪いことではない(注)。要はその発展の仕方であり、その過程で起こる不平等と汚職をいかに最小限に抑え且つどうしても取り残されてしまう少数派をいかに救うかなのです。それができない限り、富むものが益々富むだけの格差拡大開発となってしまうでしょう。
”半島部北部経済回廊” 長期発展計画発表以前から、ペナン州ではすでにコンドミニアム建設と中上流階層向けの住宅建設は盛んだそうです。この”半島部北部経済回廊” 計画が進行していけば、当然住居開発も景気よく続行していくことでしょう。90年代と2000年代前半に、クアラルンプール圏に大きく”差をつけられた”ペナン州は ”半島部北部経済回廊” 長期発展計画によって、クアラルンプール圏と同じような発展の道をたどるのでしょうか? それともペナンらしい発展の形が現れてくるのでしょうか? 現時点ではわかりませんね。
これまでにも何回か触れたことがあるように、私は全くのラジオ人間です。うちにいる時はラジオがずっとかかっています。つまり朝から夜寝るまでかけっぱなしです。外出から戻るとまず先にラジオのスイッチを入れますね。これはマレーシア生活に限らず、日本に住んでいたときも家(アパート)ではずっとラジオをかけていました。テレビは全く見ずラジオ一辺倒というこのスタイルは、若い時からほとんど変わっていません。マレーシアにおいてうちでテレビを見たのは、パートナーが見るので付き合って見ていた時くらいですね。それぐらい私はラジオ人間なので、テレビのことは語れなくてもラジオのことは一杯語れます。
新聞読みながら、本を読みながら、ホームページ更新作業しながら、パソコンで仕事しながらというように、何々しながら聞けるのがラジオの利点ですから、私にはたいへん向いています。ここ数年は、1週間を均せばマレーシア語局と華語・広東語局を大体半々ぐらいの比率で聞いています。朝マレー放送局なら午後は華語・広東語局にしたり、昨日は華語・広東語局ばかり聞いたので今日はマレーシア語局にするといったように、ダイアルを変えています。2種のラジオ放送を聴くのは、複数言語社会マレーシアに合わせるためであり、この2つの放送の違いが楽しめるからです。
マレー放送局と華語・広東語局はそれぞれ2つの民放ダイアルを聴きます。つまり合計 4放送局です。公営放送 RTM の局は何語であれ、聴いてて面白みがないのでめったに聴くことはありません。なぜか? 一番の理由は DJ が退屈なので番組に面白みをほとんど感じられないからです。どうしてRTM各局の DJ はこうもステレオタイプを感じさせる話ぶりなのか知りませんが、民放に比べてはるかに”のり”が少ないし、脱線もないし、話し方も下手ですね。尚マレーシアで民放ラジオ局が”解禁”された90年代の中ごろより以前は、RTM局ラジオを聴いていました。
民放ラジオ局は次第に増えて現在半島部だけで10数局はありますから、それを全部聴くことは相当手間がかかるし、そのつもりもありません、しかもタミール語局と英語局は全く聴きません。常にダイアルをあちこち変えていては面倒なので、気に入っている4つの放送局にほぼ絞っています。これでもダイアル合わせが多少は面倒ですけど。
長年マレーシアの民放ラジオ放送を聴いてきて、発見した、感じることはいくつかあります。まずコマーシャル時間とその種類が日本の民放ラジオに比してぐっと少ないということです。とりわけマレーシア語局は、華語・広東語局よりも少ない。この特徴は、マレーシア語新聞と華語新聞を比べた時の特徴に似ています。経済活動面で、人口比以上に強さを発揮する華人コミュニティーの特徴を、民放ラジオと新聞は体現しているとも言えるでしょう。
日本の大ラジオ局ほど、マレーシアのラジオ局は規模が大きくないので、この程度のコマーシャル収入でもビジネスを維持していけるのだろうと、推測しています。試しにマレー民放局をお聞きください、かなりコマーシャル放送時間が少ないですよ(そのためには最低限度のマレーシア語理解力は必要)。まあ聴取者の立場から言えば、コマーシャルが少ないのは良いことだとも言えますけど。
そのコマーシャル放送時間の少ない分、まず音楽がかかる時間が多いです。放送時間の4分の3ぐらい曲をかけている番組もあるし、例え DJのおしゃべり時間が多い番組であっても、曲のかかる時間は日本の民放のそれに比べれば、多いと言えます。かかる曲は第1楽章部分だけなんてことは珍しく、最後までフルでかけるのが普通です。もう一つ多い時間は、自ラジオ局の宣伝をしきりに流すことです。マレーシア語局でも華語・広東語局でも、1日中自ラジオ局の宣伝・歌い文句をスポットでしょっちゅう流しています。
マレー放送局にイスラム教講話の時間・番組があるのは不思議ではありません、でも民放はあっても極短時間ですね。民放華語・広東語局に宗教関連の番組はありません。ニュースの時間は公営であれ、民放であれ必ずあります。民放ラジオ局はどこも独自にニュース取材するほど規模は大きくないし、且つその要員も全くいないようなので、ニュースは全て新聞社提供か国営通信社Bernama のニュースを読み上げますね。華語・広東語局の場合は華語新聞社提供のニュースを読みあげます。
ブミプトラ | 非ブミプトラ | 非マレーシア人 | |||||
総人口 | 区分 | マレー人 | その他ブミプトラ | 華人 | インド人 | その他国民 | 外国人・外労 |
2717万人 | 人口 | 1377万人 | 290万人 | 630万人 | 188万人 | 32万人 | 191万人 |
割合 | 50.6% | 10.7% | 23.2% | 6.9% | 1.2% | 7.0% |
この統計庁の最新人口統計によれば、インド人人口はもはや外国人人口に抜かれました。長期経済計画下で数々のプロジェクトが実施されていくので、外国人数は今後も引き続き増加が見込まれています。2009年には外国人を含んだ総人口は2831万人になると推定されており、内200万人は外国人・外国人労働者が占めます。
ここに再録した、8月14日付けの「新聞の記事から」 に載せた『総人口統計』ニュースはかなり重要な意味合いと興味深い事実を含んでいます。ですから私はその場で短い注書きとして次のように書きました。
マレーシアの民族構成を、マレーシア自身及びマレーシア国民自身が、三大民族 という言葉で表現している事例はかなりよくあります。例 1:多民族国家マレーシアはマレー人と華人とインド人などから構成され・・・・、 例 2:ブミプトラ、華人、インド人の三大民族に代表されるマレーシアは・・・・
よって日本の書籍、案内文、パンフレット、などなどマレーシア紹介文でもこの種の表現は全然珍しくありませんね(という私もずっと以前はこの表現を使っていた)。でもホームページを始めてから、詳しくマレーシアを調べ、いろいろと考えるようになると、どうもこの三大民族という表現は似つかわしくないということに気がつきました。コラムの 「数字で見るマレーシアシリーズ」では時々マレーシアの民族構成のその時々の統計で紹介してきました。その都度確認し納得するのは、インド人の人口割合の低さです。非マレー系ブミプトラの人口の方がインド人よりも多いのはもう数十年前からのことです。それなのに、三大民族という枕言葉が使われやすいのは、上記の注で書いたように、インド人が半島部で占める歴史的役割の大きさと、背景にインドという大国の存在があることからでしょう。
さらにインド人は半島部の西海岸に偏在しています、つまりペナン州、ペラ州、スランゴール州、クアラルンプール、ヌグリスンビラン州、ジョーホール州といった州です(この内クアラルンプール以外はヒンズー教の祭典タイプサムを州の休日にしている)。外国人旅行者の訪問数が他の州よりも多い州、つまりペナン州、クアラルンプール、スランゴール州、ジョーホール州にインド人が固まっている事実から、旅行者の印象として 「マレーシアはインド人が多いなあ」 となるのは不思議ではありません。 しかし東海岸州、及びサバ州とサラワク州へ行くとインド人の姿はたいへん少ないので、目に入らないことが多いのです。とりわけサバ州、さらにもっとサラワク州はインド人極小数派となります。
旅行者の目に入る範囲の印象と実際の姿は当然違って当たり前ですが、このインド人を捉える観点はその典型的な例ですね。ですから、マレーシアの姿を印象と経験からだけでなく、数字と理屈を駆使して分析し解説するのも当サイトの特徴ですから、「新聞の記事から」 と 「今週のマレーシア」でこういう面を多少強調し、実際の姿を紹介することがよくあります。
インド人の人口がもはや外国人・外国人労働者総数に抜かれて、わずか 7%弱しか占めないから重要ではない、ということをここで主張しているのではありません、誤解なきように願います。人口比が少ないから重要視しないというのは、小数民族軽視につながり、マレーシア自身のあるべき姿からも外れてしまいます。私がこの場で言いたい、指摘したいのは、「マレー人、華人、インド人」、 または「ブミプトラ、華人、インド人」 という人口比に見合わない三大民族という表現を使ってマレーシアの民族構成を紹介する枕詞の使用(私自身も以前は使ったけど)はもはや不正確だということです。
8月の「新聞記事から」には、中長距離バス事故とそのバスを管轄する当局に関するニュースが多くなっています。それというのも8月13日に発生した、マレーシアバス史上最悪といわれる22名の死者(即死20名+その後2名)を出した例のバス事故が発端ですね。中長距離バスの事故は別に珍しいことではなく、「新聞の記事から」で毎年数回は載せてきたはずです。ただ8月は事故規模と件数の多さで異常です。よって社会的関心も高まり、政府側の対応を含めて関連する監督官庁のニュースも新聞に増えています。
その報道の中で、なぜこれほどまでにバス会社とバス運転手への管理がずさんなのか、かなり明らかになりました。要するに官庁側の交通違反処理とデータ管理が抜け穴だらけということが、天下に周知されたわけです。昨日夜事故を起こしたバス車両は100枚近い交通違反切符を発行されながらも、まったく収めず且つ通常通り運行を続けていたのです。こういった内実も日々の関連ニュースから抜き出して「新聞の記事から」に載せましたので、マレーシアのバス事情をご存じない方でも、ある程度推測できると思います。
中長距離バスは極めて重要で且つ大衆的な交通機関です。マラヤ鉄道の運行路線の粗さと本数のごく少なさから、そしていくらAirAsiaが安いといっても、総合で言えばバス料金には適わないし、本数では取るに足らないことなどから、自家用車を持たない層にとっては、中長距離バスが主たる依存手段であり続けたきたし、これからも変わりません。私のような自由旅行者兼在住者にとっても、中長距離バスほとんど唯一の長距離の足であり、加えて私はマレーシア全州に渡って数え切れないほど数多く乗ってきました。よって事故は人事ではありません。
今回の事故であらためて確認したのは、夜行バスの事故は重大になりやすいということですね。もちろんこれまでにも日中バスで何人もの死者を出した事故はありますが、夜行バスの重大事故はより多く記憶にあります。夜行バスの安全度向上には根本的な改善策の必要に迫られています。
そしてこれまで私を含めて一般人に知られていなかった事実も明らかになりました。マレーシアの中長距離バスは、車体が弱いという事実です。現在の中長距離バス運行はVIP化が進んで、多くのバス会社が新型車両を導入しています。昔のちょっとこじんまりとして狭い座席のバスはかなり減りました。しかし外見は立派で座席は豪華でも、ボディーの強度が足りないのですね。これに関しては8月23日の「新聞の記事から」をお読みください。
早く言えば、事故で転覆してひっくり返ったら、車両上部は耐えられないということなんでしょう。車体上部がつぶれる、つまり乗客が大きな危害を受ける可能性が高いということですね。13日の事故車は車歴20年だったそうで、車体上部が、単に天井ではなく、完全になくなっていました。あの写真を見るとぞっとするひどさです。助かるほうが不思議ですよ。中長距離バスにはまだまだ古い車両は残っています、悪名高いバス会社や小規模会社が使っていますね。じゃあ、大手はどうか? 台数と路線数の多い Konsortiumバスが昨日夜事故を起こしています。まあ大手の中で例外的存在と思いたいです。
中長距離バス運行会社は100社をはるかに超えますから、中にはしっかりした会社も当然あることでしょう。しかし運悪く乗ったバスが札付き運転手だったり、管理がいい加減のバス会社である可能性もあるでしょう。とにかく、今月のこの一連の事故をきっかけに、当局の首尾一貫した取締りと違反管理体制が向上してそれがいつまでも続行すること、同時にバス会社側の安全意識向上も期待したいところです。
8月24日付けの当地新聞の中には、日本首相のマレーシア公式訪問を伝えている新聞もありました。
第一面で政府特別機から首相一行が下りてくる写真と見出しを大きく掲げたのが、華語紙No1 の星洲日報です。その他新聞はどの言語紙であれ一面ではまったく触れていません。
マレーシア語紙 Berita Harian(Utusan Malaysia と並ぶマレーシア語トップ2紙の1つ) と 英語紙No1の The Star は全頁を細かに見ていくと、あまり目立つとはいえない小さな記事の形で日本首相のマレーシア到着を報じています。華語紙の東方日報はいくら探しても日本首相の文字はどこにもありません。その他新聞は内部で触れているかどうかは買わない限り調べれられないのでわかりません。
星洲日報だけが大きく扱ったのはなぜでしょうか? それは以前の「今週のマレーシア」で詳しく書いたように、この新聞の持つ性格です。日本批判が激しかった2年前にその先鋒を切っていたのが星洲日報で、当時のコラムで私はそれを紹介し分析しました。星洲日報が日本のことを他紙よりも頻度多くまたは詳しく伝えているのは確かでしょう、単に政治経済面だけでなくいろんな面を伝えています。ただその星洲日報はその政治経済面での日本に対する主たる論調においてはかなりはっきりとした態度を取っています。ですから、星洲日報だけが、日本首相の到着を大きく報道した点にはある程度うなづけるものがあります。
マレーシア語紙 Berita Harianの記事、(かなり目立たない場所に載っている)
といったBernama通信の配信記事をそのまま載せているだけです。英語紙 The Star の小さな記事と内容はほとんど同じようなものです。マレーシア滞在を終えた直後の記事が各紙でどうなるかは、現時点でもちろんわかりませんが、今日(8月24日)の時点で言えるのは、各紙の扱いから日本首相の到着はほとんど大したニュースではないというのは事実といえます。かなり丁寧に紙面を読まない限り、日本首相がマレーシアを訪問ということはわからないでしょうから。
私がここでこの小文を書いているのは、日本首相の到着をもう少し大きく紹介すべきだ、などと主張したいためではありません。私が言いたいのは:昨年の外国からのマレーシア投資でトップになったのは日本です、そして日本はマレーシアにとって常に第3位の貿易相手国です。こういう事実を踏まえた上で、マレーシアマスコミの日本首相訪問の捉え方は、訪問直前時点では、この程度であるということを、日本人(日本と在マレーシア)に知ってもらいたい、ということです。
尚訪問直後のマレーシアマスコミ報道がどうなるかはまた別のことです。
はじめに
99年7月8月に掲載した第153回 『マレーシアで医者と歯医者にかかる』 の新編という形です。
2000年に書いた第208回 『2つの医療初体験、高級大病院での検査と中医の診察』 も参考にしてください。
ずっと以前の第153回コラムでも書きましたが、自分にあった良い医師と出会う、または見つけるのは容易ではありません。私は長いマレーシア生活の中で、これまでに歯科医は10人くらい、医師には一般医と専門医を合計して20人前後くらい、加えて中医(中国医療の医者)には10人近くに診てもらったはずです。
歯科医に関しては、長い間いろんな歯科医に治療を受けた後、ようやく出会った、地元歯科医院のブミプトラ医師だけをこの5, 6年ぐらいかかりつけにしています。かかりつけになれば、私の治療記録がそろっているのは当然として、その歯科医はいつもきちんと且つ丁寧に治療してくれます。さらにうれしいことに、私の経済状況も多少考慮してくれるのです。こういう気に入った歯科医を見つけるまでに、10年を要したのです。もちろん歯科医にかかる必要がなければそれに越したことはありませんが、若い時から歯にはいつも悩んできた私は1年として歯科医なしには暮らしてはいけません。
一般内科医に関しては、5年ぐらい前からもっぱら地元の一般クリニックをかかりつけにしています。古い下町ゆえに一般クリニック自体は歩いて行ける範囲だけでも10軒くらいもあるので、探す必要もないくらいです。しかし要はその医者が自分に合うかどうかですね。下町ですから一般クリニックが水準外れの高料金を請求してくることはないはずです。その医者がどれくらい自分の症状をちゃんと診てくれるか、不要な量の薬を出したり、ろくに診もせずにすぐ薬だけを出す医者は、私の選択基準から外れます。もちろんそのためには実際に1回は診てもらわないとわかりませんね。こうして出会ったかかりつけの華人医師はまあちゃんと診てくれるし、余分な量の薬を出すこともありません。
専門医療となると一般内科探しよりもやっかいです。胃腸に問題を感じたら胃腸専門医にかかった方が良いのは言うまでもありませんよね、整形外科であれ耳鼻科であれそれぞれ専門医師は一般医師よりも数はぐっと少ないから、どうしても選択は狭くなります。加えてその診療兼治療費の高額さは、健康保険制度のないマレーシアでは大きな負担となります。低所得層が医療費において高負担できないのは当然のことなので、その救済策として政府クリニックと国立病院では定額の低料金制を導入しています。どういうことかというと、具体的にはこのコラム下段で説明しますが、政府負担で診療、治療、検査、入院に補助を出して私立病院の数分の1以下に抑えています。しかし反面負の面もあることはコラム下段で書きます。
尚マレーシアで政府クリニックというのは要するに国立と同じ意味です、公立病院は国立大学病院を含めてすべて国立で、全国に134病院ある。地方自治体立という医療施設はありません(建物だけは自治体の提供ということはあるでしょうが)。
さてこのコラムを書くことになった発端は、ゲストブックに書きました(掲載日:2007年 9月15日)次の一文です。
スマトラ島西岸の大きな地震に関した話題をさらに書こうと思ったですが、今週はどうも気持ちはわが身に向かってしまいます。実はこの数ヶ月ずっと左肩と右ひざ痛みに悩まされてきました。サロンパスを貼ったり、たまに Panadol ( 痛み止め)も飲んでみました。もう耐えられない段階に来たのでしかたなく、今週後半病院へ行きました。街のごく普通のクリニックで風邪の治療、下痢などで 1回かかると、数日分の薬と診療代で少なくとも RM 50 ぐらいはかかるでしょう。まあこれならがまんできますが、マレーシアで何々専門医院または病院の何々科専門医は医療費は決して安く済みません。専門とはマレーシア語で pakar と書いてある医者のことです。眼科、耳鼻科、胃腸部、外科、整形外科、皮膚科など全てが専門医です。
専門医に違いはあれど、診断費だけで少なくともRM 100前後と規定されているのが普通でしょう。プラス治療費と薬代などが当然必要です。よって最低でも1回診療してもらうだけで、RM 200 ぐらいはかかるのが普通でしょう。ですから病院に行きたくなくて延ばし延ばしにしていたのですが、仕方ありません。
私が以前からこれまでもいくつかの専門科に診てもらったことのある、でも今回は数年ぶりです、地元の歴史ある中規模の華人系病院を訪れ、整形外科医に診てもらいました。以前診てもらった医師はすでに退職しており、初めて診てもらう医師です。当りはずれがあるのでできればかかったことのある医師を望んだけれど選択はありませんでした、結果として私には不充分な診断だと感じました。 注射と薬と診察代で 約RM 300. 診察は肩とひざの両方対象です。このように医療費は、とりわけ専門医は何科であれ全て、つまり街の一般内科クリニックを除くと、マレーシア物価からはかなり高料金になります。民間保険のない、かけられない私にはものすごい負担です、同様に低所得者階層のマレーシア人も同様です。従って私立病院をあきらめて、長い待ち時間を覚悟し、バスや車で遠い国立病院へ行くしか手がないということになります。
一般国民向けに健康保険制度のないマレーシアでは、国立病院は国の補助によって、マレーシア国民には安価な医療サービスを提供しています。しかし国立病院では外国人は国民とは同料金ではなく割り増しを払う必要があります。私立病院は国民でも外国人でも料金はいっしょ(のはず)です。まあ医者が患者を値踏みすることはあるかもしれませんが。
ということでつくづく誰でも入れる保険が欲しいなと思いますね。私は歯医者にはよくかかるし、風邪などでたまに街医者にも診てもらいます、そして今回のようなちょっと重い症状にずっと悩まされてますので、この数年私は医療費の負担が頭を離れません。
以上
病院で整形外科医の診察を受けた後も症状の向上は思わしくありません。期待したほどよくなりませんでした。そこでまたゲストブックに書きました(掲載日:2007年 9月19日)。この時は単に左肩腕の痛さを嘆くだけでなく、政府クリニックと国立病院を訪れた体験記の形で、マレーシア医療紹介の面を主としました。ほとんどの日本人が、在住者であれ旅行者であれ、医院または病院にかかる場合は圧倒的に私立の施設でしょう、それも外国人患者の好む特定の私立クリニック、または病院が多いはずです。ですから政府クリニックや国立病院での体験者は極めて少ないのではないでしょうか。そこでIntraasiaが政府クリニックと政府病院を訪れた体験は参考になると思います。
華人系私立病院の整形外科医に、肩関節周囲炎(いわゆる五十肩?)などと診断されて、注射治療を受けました。医師は肩治療用としての飲み薬は出しませんでした。確かに腕はなんとか上がるようになったのですが、依然として左肩全体というか左腕上部にも痛みが激しく走ります。シャツなどを着たり脱いだりする時腕の角度によって激痛となりますので、慎重にしなければなりません。困ったのは腕を動かさずに寝ていても軽いしびれ痛みがあることです。医師は神経うんぬんという言葉も多少示唆しましたので、神経の痛みなのだろうか?
一人でも苦しんでいても仕方ないので、今日(19日)また病院へ行きました。しかしもう私立病院の高料金は負担できませんので、国立病院にしました。クアラルンプールのちょっとはずれにあるBandar Tun Razak 地区にある、マレーシア国民大学病院(略称HUKM) です。見るからに立派な大総合病院です。我が地区からバス1本で行けますが、バス待ち時間は実に長いのです。
私はこのマレーシア国民大学病院でずっと以前診てもらったことが1回だけあります、それはコミュニティーサービスとしての一般向け無料成人病診断の機会でした。その時はたくさんの市民が来ていましたね。それ以来何年かぶりに訪れた今回は正式な診療を求めてです。整形外科へ行って、受付で診察を受けたいと伝えると、医者からの紹介状が必要だとの返事でした。国立病院ではこの医師からの紹介状方式があると聞いてはいたのですが、実際に通常診察を求めたのは今回が初めてですから、やはりいきなりの外来診療は受けつけないことを認識しました。
どこのクリニック、つまり私立クリニックでも政府クリニックでもいいから、必ず医師の紹介状が必要との条件です。仕方ありません、クリニックへ行って紹介状を得てからまた訪れるしかありません。地元へ戻っていきつけの私立クリニックへ行き、紹介状を書いてもらおうと思ったのですが、費用がいくらかかるのだろうと思い直しました。カウンターでいろいろ尋ねたところ、マレーシア国民大学病院直営の地域クリニックが、 Bandar Tasik Selatan 地区にあるとのことでしたので、同じ病院だからそこがいいと思って、私はそこへ向かいました。ここでまたその地区まで行くバス待ちが長いこと、長いこと、待つのはたいへんです。幸い私は首都圏各地区に詳しいので、Bandar Tasik Selatan 地区も知っています。
こうしてBandar Tasik Selatan 地区の、目指す国民大学病院直営クリニックへ着いたのは昼ちょっと過ぎでした。よって2時間の昼休みとなってしまいました。このクリニックはビルの複数階に分散しているけど、何人もの一般医師がいる大きなクリニックですね(専門医はいないみたい)。2時に受付が開いてまず登録です。その時点で初回登録料RM 60 を払います。マレーシア国民はRM 30 ですが、外国人はその倍です。尚再診料は一律にRM 5 です、ただし外国人は同じくその倍となります。
こうしてしばらく待ちようやく診療室に入りました。若いマレー女医でした。いきさつを説明して、とにかく紹介状が欲しいと訴えましたところ、紹介状はすぐ書いてくれました(それ自体は無料)。痛み止めを出すと言ってましたが、費用節約のために断りました。後で受付カウンターで薬代を聞くと、外国人はマレーシア国民の倍料金であるRM 20 とのことでした。壁には薬代は2週間分までは一律RM 10 と示してあります。ちょっと心配になったのは、その女医の語った、「国民大学病院の整形外科へ行っても、診てもらうには数ヶ月かかりますよ」 ということばでした。
また延々と気長にバスを待ち、Bandar Tun Razak 地区にある、マレーシア国民大学病院を再度訪ねました。時刻はすでに4時半近かったので、診察は終わっているのは確実ですが、予約だけしておきたかったからです。急いで整形外科へ行って、予約室に入って紹介状を見せて伝えたときの返事にはほんとがっかりさせられました。「医師に診てもらえるのは 3ヵ月後の12月です」 予約係りは予約ノートを見せて、こんなに患者が待っていると私に言いました。これにはお手上げです。3ヶ月も待てるなら、私は病院に行ってませんね。
国立病院の専門科には、初回登録料 RM 30、再診料 RM 5, 薬代も上限が RM 20 と表示されています(マレーシア語)。外国人はいずれもその倍額です。よって私立病院よりはるかに低額であり、且つ通常の診療治療では定額です。各種検査費も低額に抑えてあるようです。しかし専門医に診てもらうのに3ヵ月後では、いかにも長い、体調の悪い人にとってこれは待てる日数ではありませんね。尚急患だけは急患として診るとのことです。
尚マレーシア国民大学病院には、専門医センターという特別部門があることも知りました。今日の午前訪れた時、受付で勧められて見に行きました。同じ病院の 7階に位置する、いわば私立病院機能を持った医療センターです。どういうことかというと、国立病院の一流施設に使って同大学病院所属の専門科医師、大学教授が患者を診療します。その際専門病医師を患者が選択できるようにしているそうです。料金面では患者は補助なしの全費用、つまり高級私立病院並みの高料金を払うことになる。その専門科医師が患者の支払いの一部を受け取ることができる仕組みを取り入れています。確かに私立高級病院並みのゆったりとした待合室です。この医療センターなら予約してそれほど待たずにすぐ整形外科医に診てもらえるようですが、診察料を聞いただけでやめました:RM 100 から150. もちろん診察がその料金だけで終わることはないですからね。
尚特定の国立病院に、いわば私立型医療センターを併設している病院はこのマレーシア国民大学病院だけではありません。全国にいくつあるのか知りませんが数はまだ少ないようで、大型の国立病院内には設置されているようです。こういう私立型医療センターを併設している最大の理由は、国立病院の専門医(身分は公務員)が高給を享受できる私立病院に転職したり個人開業することを防ぐ目的だと、解説されています。
こうして、国立病院ならではの低料金を求めて、朝から夕方まで半日以上駆け回ったのに成果なしでがっかりです。おまけにマレーシア国民大学病院直営クリニックで払ったRM 60も無駄になったわけです。 ところで国立病院・政府クリニックの種種の窓口係りにはまことつっけんどな女性がいます、一方親切な人もいますね(会話は全てマレーシア語です)。
以上
ところで今回かなりしつこい左肩腕痛になったのですが、2002年半ばにほぼ同じような重症の右肩腕痛に見舞われました。左右が入れ替わった形でちょうど5年ぶりです。その時のことは、2002年7月8月分のコラム 310 回で 『Intraasiaの右肩・腕痛の治療記』 と題して掲載しています。そのコラムにあるように、右肩腕痛の治療を求めて、数ヶ月の間いろんな中医に診てもらいました:一時マレーシアの中医病院または中医クリニックで診療をしている中国の医科大学の教授ら中国人中医数人、及びマレーシア華人の中医数人です。鍼灸、吸盤法、マッサージ、漢方薬投与など中医学の種種の治療を受けました。結果として著しい向上が見られなかったので、最後に地元華人系病院の整形外科医を訪ねました。結果的にそれが良くて、短期間に著しく症状が良くなりました。ということで、左肩腕痛の今回は最初から西洋医学で診てもらおうと決めていました。
そんな中、今回もモノローグの茶ウエはその顔に見合った(笑)冷厳なことばを書いてきました、「長年にわたる栄養の偏りのツケですからね。これからどんどん急激に不具合個所が出てくるでしょう。覚悟しておいた方がいいですよ。」 (そのまま引用) 私は今年春には風邪がこじれ長く苦しんだし、この1,2年毎回ちょっとした風邪が長引く傾向になっています。そして9月末の時点になっても依然として左肩腕は1日中痛く、こう着状態です。上記のように別の整形外科医に診てもらう展望もたたず暗然としています。加えてこの10日以上胃が痛く且つ咳・痰が止まらず、何年も健康診断してないのでこちらの方がより心配だなあ。茶ウエの言葉が当たっているかのようです。
Intraasia は”華人”(華やかな人)でも”暇人”(休暇ばかりの人)でもありません。そしてまことに残念ながら今は”家人”のいない Intraasia は”佳人”が好きでして、実は”歌人”も好きなのです、だから”かじん”に憧れています。
このホームーページを1996年10月初めに開設して11年が過ぎました。そこで開設 11周年を記念して、今回と次回のコラムはいつもとぐっと違って”かじん”調のコラムで行きましょう。以下は全て、始めに短歌を掲げ次いで行を下げてその解説という形式です。声を出して詠んでくだされば、情景が浮かんで来ると思いますよ。
1. テータレの 甘さ控えて 飲む店で
テーブル上の クエに手が伸び
2. ランチ時 おかず選びの 迷いあり
持ち帰り食 下げて歩く人
3. 焼きたての 油が香る ロティチャナイ
指につまんで 熱さ確かめ
4. コーヒーと 訳してしまい 見失う
黒光りする コピの色味(いろあじ)
5. サテ焼きが 炭火を扇ぐ(あおぐ) 団扇風(うちわかぜ)
タレの替わりに ピーナツソース
6. 目にしみる 煙を上げて 炒めけり
香り撒き散る チャオクワイティオ
7. 指でこね さっとつまんで 口に入れ
バナナの皮に カレーが似合う
8. ナシルマの 旨さの秘密 辛さなり
舌にピリピリ サンバルの刺激
9. ドアを開けて 行き先告げ お伺い
行くも行かぬも 運転手次第
10. 観光地 車を止めて 鴨を待つ
タクシー野郎 交渉仕切る
11. カメラ片手に 観光バスを 降り立つや
ツインタワーで ポーズを気取る
12. 一通無視 歩道走行 都会こそ
バイク天国 歩行者地獄
13. 信号機 色無視しても 怖くない
赤信号を 1人で渡る
14. 一時雨 前さえ見えぬ 激しさも
走る車の 数減らぬけり
15. 映画館 暗き座席に 声響く
ラブシーンよりも 携帯電話
16. 歩道橋 屋根があるのに 日傘差す
畳む手間さえ 惜しむおばさん
17. ムルデカの 声満ち満ちた 2007年
忘れ去られた マレーシアの日
18. 英国が 残したものは 数あれど
英語崇拝 優るものなし
19. 政党の 看板抜きに 議席なし
市民運動家 議会入れず
20. 早朝に モスクの祈り 聞こえ来て
夕べに響く ヒンズーの鐘
21. 華人地区 歩道の脇に 供え物
先祖供養の 線香が立つ
22. モスクから イマームの声 流れ出る
イスラム国の 金曜日午後
23. 人口の 8パーセント インド人
それでも目立つ 医師と弁護士
24. 制服の 取り締まり官 去った後
すぐに現れる 海賊版屋
25. 白バイに 停められたれば 渡そうか
渡さぬべきか 財布に手をやる
26. 4 を嫌い 8 を寵愛
誕生日 4月4日は 最不幸者か
27. エレベータ 乗る人先と 飛び乗るが
4階がなく 押す手が止まる
28. 外労の 顔ばかり見る 休日の
乗り合いバスは 繁栄映す
29. テーブルを 片付けてとの ことばさえ
理解できない 外労多し
30. 空席に 釣られて乗った メトロバス
発車待つ身の つらき長さよ
31. 販売機 紙幣使えぬ お釣りなし
切符窓口 列に加わる
32. 街中で マンホール蓋 盗まれし
ぽっかりと開く 深き穴かな
33. 頭には お洒落なトゥドゥン 身体線(からだせん)
くっきりと出す バジュクルン着て
34. パタパタと サンダル音を 響かせて
階段降りる バジュクルン群
35. イスラムは 犬を好まず ムスリムの
店に居つくは 猫ばかりなり
36. こっそりと タイ深南部を 訪れて
2人目の妻 登録済ます
37. シティ抜きに マレー歌謡は 語れない
歌姫の声 聞こえぬ日なし
38. ダンドゥット マレー歌謡の 日陰もの
人気根強く テレビを笑う
39. 最近は 台湾よりも 中国だ
雄飛を目指す 華人歌手たち
40. 飯を炊き 子供の世話し 掃除する
主婦の仕事は メイドに渡す
41. ゴミ捨て場 捨てたい時に 捨てられる
集荷日なぞは 誰も知らない
42. 華人界 日々のできごと 問題は
華語新聞が 細かに伝え
43. 沖を行く タンカー映える 陽の光
日本へ続く マラッカ海峡
44. 何のこと さっぱり解せぬ 方言の
豊かさ誇る クランタン州
45. 福建語 幅を利かせる ペナン島
旅行者乗せて シクロが走る
46. シパダンへ 通うダイバー 増えたけど
素通りされる 半島部かな
47. KL(ケイエル)の 夏に増えたり アラブ人
街路表示に アラビア語付記
48. 華人地区 中国女 連れ歩く
中高年者 目立つこの頃
49. 延々と アブラ椰子園 続く道
パームオイルは 国を潤す
50. サラワクと トレンガヌ州 海底の
油田開発 国を支える
51. 愛らしき オランウータン 数が減り
観光資源 という名で保護
52. ハリマオと 恐れ呼ばれし マレー虎
今では人に 襲われ減りぬ
53. ハリラヤも 旧正月も 国民は
帰郷ラッシュで 家族の絆
54. 多民族 6つの宗教 多言語の
国の舵取り 天秤掛けて
以上全 54首、”かじん”に憧れる Intraasia が詠んだ マレーシア短歌でした。
毎年恒例のこととして、9月初めにアブドゥラ首相が国会で2008年度予算案を発表しました。その際、2007/8 年の経済報告書も明らかにされました。その中から目に付いた点を抜き出してここに引用し、それに関して私が捉えた特徴を上げてみます。
内訳 |
歳入 RM 1575億 |
法人税及び 個人の所得税 |
借入れ 政府資産利用 |
非税金及び その他税金 |
その他 間接税 | 輸出税 | 輸入税 | 合計 | |
比率 | 42.5% | 12.9% | 28.6% | 13.1% | 1.6% | 1.3% | 100% |
||
内訳 |
歳出 RM 1575億 | 開発支出 | 経済サービス | 社会サービス | 安全保障 | 一般行政 | 合計 | ||
比率 | 10.6% | 8.0% | 3.7% | 1.5% | 100% |
||||
内訳 | 運営支出 | 給与 |
債務元利 未払い金費用 |
供給と サービス | 年金 | 補助金 | その他支出 | ||
比率 | 21.4% | 7.8% | 15.1% | 5.0% | 6.1% | 21.0% |
収入合計額 | 直接税 49.8% | 間接税 20.3% | 非税金収入 29.9% | 対GDP割合 |
|||||
法人税 | 石油収入税 | 個人所得税 | 物品税 | 販売税 | 免許・許可料 | 投資収入 | |||
2006年度実績 | RM 1235億 | 21.4% | 16.7% | 8.3% | 6.9% | 5.3% | 7.5% | 20.1% | 21.6% |
直接税 49.5% | 間接税 18.4% | 非税金収入 32.2% | |||||||
2007年度予測 | RM 1418億 | 21.7% | 15.9% | 8.6% | 6.0% | 5.0% | 6.5% | 23.7% | 22.7% |
マレーシアの国税収入の特徴がよく見えますね。尚上記に示した税金は全て国税です。
個人所得税の比率が低いことに注目してください。これは個人に対する直接税の依存度が低いという税構造を良く示していると言えるでしょう。他にも例えば、相続税そのものがマレーシアには存在しない、不動産取引利益税は低率であり決して網羅したものではない(さらに2008年にはこれ自体が廃止されることが決定した)などが個人に対する直接税の”薄さ”を示しています。つまり裕福層、資産家層に対する直接税課税が相当薄いということです。
さらに税務当局の捕捉率が高くないことも推測されます。これを証明することとして、法人と個人に対する脱税事件の摘発の低さですね。犯罪組織を陰で操る親玉とか所得に見合わない不明瞭な財産を持つ者たちに対して、それを立証することが難しい場合、所得税法違反などの手を使えばいいと思いますが、めったにこの種の違反行為で起訴されませんね。
収入源として石油収入税及び非税金収入内の受け取り配当金の合計の大きいことがあげれます。「Petronas からの配当金が多くを占める」ということは、石油・ガスからの収入ということです。よって石油ガス関連の収入が、法人税と個人所得税の合計よりも多いということがわかります。これはマレーシアの強みであり、且つ将来弱みにもなりかねないと言えるでしょう。強みとは、世界的石油価格高騰は数十年来の現象であり、産油国として多いに得することです。よって法人税を下げて国際競争力を増すことができ、個人所得税の少なさは購買力の上昇を意味します。一方将来の弱みとは、石油ガスの埋蔵が枯渇に近づいた時ということです。
対象国または地域の全体に対する割合 |
|||||||||||
総額 | 米国 | 日本 | シンガポール | 欧州連合 | アセアン | 中国 | 西アジア | インド | アフリカ | その他 | |
輸出先 | RM 2830億 | 16.5% | 9.3% | 14.5% | 13.1% | 11.0% | 8.1% | 3.1% | 3.2% | 1.6% | 27.8% |
輸入元 | RM 2394億 | 11.3% | 13.1% | 11.6% | 12.0% | 13.3% | 12.2% | 3.6% | 1.2% | 0.8% | 33.1% |
総輸出高の最大を占めるのは製造物品で、約8割を占めます。
外国人訪問者による観光業収入は大きな収入源となっています。外国からのマレーシア訪問者数は1974年の120万人から2006年には1750万人と大きく増えました。2006年には名目国内総生産高の 6.7%を占めました。これは今年2007年は 7.1%、そして2008年には7.2に伸びると期待されています。観光関連産業は2006年時点で 直接雇用で50万人弱の職を提供しています。
経済報告書には載ってないので参考として次に掲げておきます。
国名 | 2006年7月まで | 2007年7月まで | 増減率 |
シンガポール | 5509191人 | 6160975人 | 11.8% |
インドネシア | 694639人 | 1081938人 | 55.8% |
タイ | 1191733人 | 925958人 | -22.3% |
ブルネイ | 372921人 | 609576人 | 63.5% |
中国 | 208474人 | 376064人 | 80.4% |
インド | 160460人 | 260271人 | 62.2% |
日本 | 193463人 | 211633人 | 9.4% |
フィリピン | 115793人 | 193998人 | 67.5% |
労働力人口は2006年が1150万人、2007年は1180万人です。その内サービス産業が最大であり 51.5%を占めます。次いで製造業が 29.3%、農業部門が 12.1%、建設産業が 6.7%です。
15歳から64歳までを労働力人口と見なす時、就業人口は67%になります。これを男女別で見ると、男性における就業割合は87% 、女性におけるそれは46%です。若年人口である15歳から24歳の層で見ると、24.6% で、これは2006年の 24.8%より微減しています。
2007年5月時点での、合法外国人就業者数は191万人でした。それがこの10月ナジブ副首相が内閣の外国人労働者委員会の後で明らかにした数字では、今年9月時点で202万に増えています。
インドネシア | タイ | シンガポール | フィリピン | マレーシア | |
2006年 | 5.5% | 5.05 | 7.9% | 5.4% | 5.9% |
2007年予測 | 6.0% | 4.5% | 7.0% | 5.8% | 6.0% |
名目国民総生産高を国民1人当たりで見ると、2007年は RM 22,345 の予測です。これを購買力の面から捉えた国民1人当たりの所得は2007年予測で RM 46,620 となります。もっとも実際の所得が1人当たりこんなに多いことはありえませんから(月収 RM 4,000にもなる!)、統計のマジックみたいなもので、現実を現していませんね。(仮に私にこれぐらいの所得があったらまともに生活できそうですなあ)
以上、公表された統計や数字を基にして、マレーシアの経済構造と労働構造を主体に眺めてみました。
コラム第 503回 「新編 マレーシアで医者にかかる -専門医と国立病院− 及び肩腕痛に悩む記」 の続きです。ゲストブックで断続的に書いたものを多少修正し、更に新たに追記して掲載します。マレーシアの医療事情、とりわけ日本人や西欧人はまず診てもらいには行かないであろう公立病院・国立大学病院における診療事情を自身の体験を通じて紹介する目的もあります。
503回のコラムで書きましたように、マレーシア国民大学病院の外科で診察を申し込んだ後、外科から診療予約日を知らせる郵便通知書が10月25日にようやく届きました。早速開けてみると、予約日12月21日 と書かれています(文面はすべてマレーシア語です)。なんとまだ 2ヶ月近くも待たなければならないではありませんか。
マレーシア国民大学病院翼下にある診療所の医師が9月の時私に語った、「どこの公立・国立大学病院へ行こうと、専門医に診てもらうには数ヶ月ぐらいは待つ必要がありますよ」 という言葉を実感しました。国民大学病院の外科予約受付係りの看護婦は、10月に私が申し込んだ時こともなげに、「少なくとも3ヶ月は必要だ」 と告げました。しばらく待っても通知書が届かないので、後日催促に行ったとき、私はそんなに待てないと予約受付の看護婦に再度訴えたら、「予約を決めるのは医師です。糖尿病患者など1年ぐらい待つ必要があります」 と彼女はこれまたあっさりと言い放ちました(国立病院ですから会話はどこの部署であれマレーシア語が主体です)。
左肩腕痛は依然として、というよりもこの10日間ほどは前よりも悪くなってしまい、1日24時間かなり痛みます。仕方なく毎日鎮痛剤の Panadol を飲んでいます。私は頭痛や歯痛でも昔から鎮痛剤を使うことはまずなく、鎮痛剤を常備したことは一度もありませんでした。しかし今回のこの肩腕痛にはもう薬なしには耐えられません、何もしなくても腕が軽くしびれる状態です。寝ていてもピリピリ痛いし、横になる角度次第で腕が痛いのです。鎮痛剤が多少は効いているはずですが、痛みが消えることは全くありませんね。
ということで先週末から病院に行こうかと迷っていました。2,3の私立病院または整形外科医院に電話して、どれくらい費用がかかるか聞いてみました。診断料だけでも軽く RM 100を超えるからRM 300ぐらいは用意しなさいという返答は スバンジャヤの有名病院、大体の費用を教えてくれという私の質問に即ガチャっと電話を切ったクアラルンプールの外科専門医院など。
前のコラムで描写しました、国立病院である マレーシア国民大学病院 からの診察予約通知書は(10月23日の時点では)依然として届きませんでした。これを説明しましょう:病院の要求する必須手続として約1ヶ月ほど前同病院の外科医局を訪ねて、政府クリニックで書いてもらった紹介状を手渡し、診察予約を求めました。係りの看護婦の説明では、後日同病院から診察日を知らせる手紙が私の住所宛てに送られるので、それを待ちなさいとのことでした。
1ヶ月経っても届かず、且つもう待てないのでしびれを切らしてその日(10月23日)午後同病院の外科医局をまた訪ねました。昼休みが終わっても一向に係りは診察予約扱い部屋に現れない、広い待合室に患者は結構いましたが、診療室に医師があまりいない状態のようで、患者診察順番番号はほとんど変わりません。ハリラヤが終わってもいつもこんな状態なのだろうか?
ようやく現れた予約係りに用件を伝えて尋ねると、診察予約日程の手紙は2週間ほど前に送ったとのこと、そして私の予約日は 12月21日 だそうです。まだ2ヶ月も先です! そんなに待てるわけありません。ハリラヤ時期で郵便が遅れるとは経験上知っていますが、同じクアラルンプール市内で手紙が2週間も届かないのは解せない。まったくやれやれです。
その予約受付係りの話によれば、この種の専門外科医は日に1人ぐらいしか診察を担当しないので、とにかく順番待ちの日数はかかる、さらに初診は午前中だけだそうです。とにかく 「診察予約日まで待ちなさい」 これに尽きます。国民大学はマレーシア有数の医学部を擁する国立大学です。その大学病院はできてまだ確か10年も経っていないはずであり、建物内外は立派で広々とした病院です。
政府病院の料金体系は定額且つ低額性ですから、患者は多いですね。訪れる度に眺める広大な駐車場はいつも一杯です。外国人はマレーシア国民の払う各料金の全て2倍の料金と決められていますが、それでも私立病院よりはぐっと安くなるはずです(外国人の場合 初診登録料 RM 60、再診料は RM 10, 飲み薬代 RM20など)。ですからこそ、私はこれで3回目の足を運んだわけです。しかしまだ2ヶ月も先の予約ではもうどうしようもありません。マレーシア医療制度のこれは弱点と言ってもいいではないでしょうか。私立病院の高額さを負担できない低所得者層には、これはまことにつらい、わが身がこの立場になりひしひしと感じます。
一般外来外科はもうあてにできないので、同病院の7階にある 国民大学専門医センターを訪ねました。国民大学専門医センターとは、国民大学の教授・医師陣が患者を診ますが、費用は私立病院並みとのふれこみであり、備え付けのパンフレットにもそう書いてあります。国民大学専門医センター自体が株式会社と成っており、事務所が7階にあるのです。7階には、専門医センター独自の10以上の診察室、複数の待合コーナー、入院室、薬局、会計所が設けてあり、マレーシア国民大学病院内にある ”別個の病院” という体裁です。専門医センターにもちゃんと産科があります。
受付でだいたいの費用、診察までにどれくらい待つ必要があるかと尋ねました。診察料はRM 80-150 という公式的な返事だけです。予約は1週間後になるとの返答でした(空きがあれば翌日でも診てもらえる)。階下の一般外来外科は1ヶ月待ってさらにまだ2ヶ月先ですから、それに比べれば抜群に短いことになります。もうこうなったら、医師に診察料を低い額にしてくれと頼むしかないと思って、とにかく予約帳に私の名前を加えてもらいました。実際に診察を受けるか、2,3日考えてみることにしました。どう自己希望的に考えても 最低 RM 200 はかかりそうだからです。
予約カードに書かれた医師名によれば同大医学部の助教授です。国民大学専門医センターの入り口に医師名と肩書きが全て掲げてあるのでわかりました。まあ誰でもいいです、今はこの痛みが早く消えて欲しいと思うのみです、もちろんできるだけ費用を抑えてです。
その後1週間後の10月30日午前、マレーシア国民大学病院の専門医センターをまた訪れました。1週間前に指定された、その日午前10時が私の予約診療時間だからです。10時少し前に専門医センターに到着し、その受付で名前などを登録し、外科待合コーナーで待ちました。階下の一般外来外科の待合室よりずっとゆったりしたイスであり、一部にソファもあります。且つ待っている患者またはその付き添いも階下の一般診療待合に比べればはるかに少ない。専門医センターはゆったりとした配置で、テレビも置いた待合コーナーが複数あります。マレーシアらしく、携帯電話で大声で話している非常識人もいます。まったくこの ”他人の迷惑などしったことじゃない”症候群にはいやになります。
予約時間から遅れること40分ぐらいか、ようやく診察室へ呼ばれました。年配の小柄な医師です。肩書きは医学部外科の助教授です。まず簡単に診察してから、レントゲンを撮りますと医師は告げました。私は、えーまた何日か待つのですか?と尋ねたところ、院内のレントゲン室へ直ちに行って撮ります、写真は直ぐできるから、それを持ってまた診察室へ来なさいとのことです。このことばにほっとしました。私自身もレントゲン撮って欲しいなと思っていたからであり、小1時間ほどでレントゲン撮影は終わるようだからです。
ということで、看護婦の案内で病院内のレントゲン室へ行きました。レントゲン室は専門医センター専用はないので、一般病院内の施設です。3枚写真を撮ってもらい、それを持ってまた7階の専門医センターに戻りました。まもなく診察室に呼ばれると、 医学部助教授である医師は丁寧に説明してくれました。医学部学生に講義するみたいに? かなり丁寧な説明でした。肩の関節部分の骨がずれている、10mm程度とか。 それによって骨が腱にあたり、そのため腱と膜? を損傷させているとのことです。 病名は肩腱板損傷(断裂)です。その後、 とにかく肩の痛みを取るために、関節への注射を受けました。この注射は2ヶ月ほど前私立病院で受けたものと同じものなんでしょう。
急激に痛みはとれるはずだと、医師は語る。確かに傷みは少し取れたが、痛みが雲散霧消したわけではありません。医師は、もし痛みが取れなければ腱の損傷が大きいかもしれない、その場合は注射だけでは治らないと言いました。つまり関節内の内視鏡検査をして損傷程度を確認し、即手術が必要になると語りました。手術と聞いて、私はまさかそんな!としか実感がわいてきません。とにかくこの痛みがなくなってほしいという願いがまず先に立ちます。
こうして診察は終わりました。もし痛みが消えなければまた来なさいとのこと。そういわれなくても私は来ざるを得ません。薬はでませんでしたし、私も欲しいと要求しませんでした。
受付近くにある会計所で料金を払いました。ものすごく心配だった料金は合計 RM 170弱。いやあ、ほっとしました。初診費を含んだ診察料 RM 150、注射代 はわずか RM 2.7、さらに使い捨て手袋使用料金と消毒使用料で RM 7.8と明記されています。そしてサービス料が RM 10.5 です。 このように会計は極めて明瞭です。9月の時私立病院では診療費は同じ額で、加えて同じ注射代は RM 80 も請求されていたことを思えば、この注射料は実費としか思えません。私は用意してきた Visa カードで支払いました。
料金は適度であり且つ明朗な点は非常にいい点ですね。不満点を上げれば、受付や医療センターにはいつも何人かの数の女性と看護婦がいるけど、何を担当しているかよくわからない。ある人に聞けばちょっと待っての返事、といった役所みたいな状況が残っています。さらに登録時に私の氏名を2箇所も間違え、且つ国籍さえもマレーシア人にしてしまった、注意力のなさにはいささかあきれます。専門医センターは登録時にコンピューター入力していますが、すべてがオンライン化されておらず書類をもってあちこっちという状態です。さらに例えば、通常時間中に受付に電話しても誰も電話に出ないことがあるのです、まさにマレーシアの役所と似ていますね。
初めての専門医センターでの体験時点では診察と料金面ではかなり満足しましたが、一流しかし極めて高額な私立病院みたいなサービスと事務処理面での効率のよさが感じられませんでした(日本の旅行者保険が使えた昔は何回も有名私立病院で診てもらったことがあります)。
マレーシア国民大学病院はまこと大きな病院です。院内はゆったりとした作りであり、産科だけが大きな別建物となっているところは、出生率の高いマレーシアらしいところでしょう。院内をぶらぶら見学しながら歩いてみた私ですが、さすがに産科ビルは足を踏み入れませんでしたよ。通常しろうとが考え付く専門科はほとんどあるのではないでしょうか。午前中に見て回ると混んでる科である、内科、外科、眼科などはぎっしりと待合室が埋まっています。あまり患者のいない、精神科診察病棟やガン診察病棟はがらんとしています。混んでいるということは、要するに医師に診てもらう自分の予約日が来るまでに月の単位で辛抱強く待たなければならないということですね。
大病院ですから、カフェや食堂と売店は複数あり、さらに警官詰め所もあります。国民大学病院はVIP患者も訪れるようですから、それ用の待合室もあるかもしれません。
じゃあ急患はどうするのか? ちゃんと急患診察用の施設が独立してあるのです。その急患診察施設内も、生命に危険ある急患用と通常の急患用に分かれています。急患診察施設だけは予約なしにその場で診てもらえることは、受付で確認しました。もちろん専門医を選んで診てもらうことはできません。診察も診療費支払いも薬局も全てこの急患診察施設内にあり、国民大学病院一般診療病棟とは全く独立した扱いになっているところが、おもしろいです。
ところでこのマレーシア国民大学病院のある場所は、マレー人多数である Bandar Tun Razak 地区の一画にあります。バス道路を挟んで病院敷地の斜め対面はクアラルンプールサッカースタジアムです。ほかにも2,3の公共施設があります。それなのにまこと納得いかないのが、クアラルンプール中心部とこの Bandar Tun Razak 地区を結ぶバス便は Rapid KL
バスの1路線しかないのです。いうまでもなく時刻表のない Rapid KLバスですから、いつくるともわからないバスを延々と待つことになります。待ち時間 30分, 40分はざらです。 あと1路線 Rapid KLバスがあるのですが、これは高架電車のTasik Selatan 駅 発で Bandar Tun Razak 地区を周回する便です。もちろんこれも頻度少なく且つ実質は不定期です(建前は違う)。
なぜこんな大きな病院のある地区を通るバスがこれほど本数少ないのか不思議です。確かに病院の駐車場はいつも自家用車で一杯ですが、自家用車のない者、タクシー代を負担できない者、そういった人たちにはバスしか交通手段はないはずです。こういう人たちであろう、患者や病院で働く人がバス停で辛抱強く待つ姿を毎回私は見ます。貧者のために公共バスはもっと頻繁にすべきだと、毎回長々とバスを待つ私は強く思います。
さて肩の痛みは消えませんでした。正確には、肩の裏つまり背中側の痛みは明らかに軽減しましたが、肩から腕にかけての常時ある痛みとしびれは取れませんでした。加えて腕を動かす角度によって起こる、言葉も出なくなって身動きができなくなるほどの激痛は相変わらず起こります。常時ある痛みとしびれを軽減させるため、鎮痛薬は控えめな量にして毎日飲まざるを得ません。
そこで今度は電話で診察日の予約を得てから、11月6日午前再度 専門医センターを訪れました。もちろん医師は前回と同じ助教授です。専門医センターの入り口には大きく、登録医師人陣の氏名と専門科が掲げてあります。20人以上書いてあったかな、でもその医師陣が毎日診察に専門医センターに来ていることではないとのことです。大学の授業などが優先するからなのでしょう。例えば、私を診察してくれるその助教授は専門医センターでの勤務は月曜朝と火曜朝だけなのです。
さて診察室で私の訴えを聞いた後、その助教授医師は手術しか方法はないことを説明してくれました。肩腱板の損傷がひどくなっている、だから注射では痛みはあまりとれなかったということだそうです。だから今回はもう注射はしない、と医師。関節部の骨がずれているため今後も腱板と膜を損傷する可能性があるとのことで、いよいよ私は不安になりました。
前回説明がはっきりしなかったのか、私の聞き間違いか、内視鏡検査は別個に行うのではなく、内視鏡検査を手術の直前に行いその場で手術となるそうです。とにかく医師の診断結論は「手術しか方法はありません」 ということでした。多少そんな予感はしたものの実際にそうはっきりと言われたので愕然としました。手術そのものは大手術ではないので、2,3日だけ様子見のために入院する必要があります、まあ確かに安心のために病室で2,3日過ごしたほうがいいことは患者の立場からもいえます。病室料金はパンフレットによれば、最低料金クラスである2人用一般病室で1日 RM 125 です。これはなんとなるとしても、問題は万リンギットに近い手術料及び関連費用です。これは到底不可能な金額です。正確な費用の算出は頼みませんでした。現状では手術など受けられそうにないからです。
この2回目の診察料は再診料として RM 25 でした。専門医センターのパンフレットに明記された規定ではRM 25-50 とあるので、たいへん良心的な料金です。私立病院ならRM 100近く取られますからね。他に私の希望で市販とは違う鎮痛薬を少々もらいました。合わせてRM 40弱です。非常に納得いく金額です。街の一般内科医院で風邪などの際、診察料だけでも RM 30ぐらいはかかりますから、それよりも安いくらいです。
再診料の良心的料金は歓迎しましたが、私の問題としていつごろになったら手術を受けられるか見通しは全くたちません。そしてもし受けるならマレーシア国民大学病院にすべきか、それとも最近インターネットで日本には肩治療の専門医がいることを発見したので、そのような専門医師のいる日本の病院で手術を受けるべきだろうか・・・・・・
予算など全くない今、見通しの立たない今、そんなことに悩んでも仕方ありません。今は毎日市販の鎮痛薬 Panadol を飲みながら、痛みを軽減させて悪化しないことを願って暮らすしかないところです。といって悲観していてはことは何も好転しませんから、多少でも楽観的に過ごしていきたいと思っています。
これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。
2006年第4四半期 | 2006年1年間 | 2007年第1四半期 | |
国内総生産高 | 5.7% | 5.9% | 5.3% |
農業・漁業・林業 | 6.5% | 6.4% | 2.0% |
鉱業・採石業 | 1.9% | -0.2% | -1.1% |
製造業 | 4.3% | 7.0% | 1.7% |
建設業 | 0.6% | -0.5% | 4.0% |
サービス業 | 7.0% | 6.5% | 9.6% |
四半期毎伸び率 | 2007年第1 | 2007年第2 |
国内需要 | 8.7% | 10.8% |
消費 | 8.35 | 12.6% |
民間部門 | 8.6% | 13.1% |
公共部門 | 7.1% | 10.2% |
資本形成 | 9.9% | 6.6% |
輸出 | 1.9% | 3.0% |
輸入 | 3.5% | 1.4% |
国内総生産高成長率 | 5.5% | 5.7% |
企業名 | 主たる業種 |
少数株主持ち分を含む 単位はRM 10億 |
少数株主持ち分を含まない 単位はRM 10億 | 決算時期 |
Malaysian Banking Bhd | 銀行 | 3.25 | 3.18 | 2007年6月末 |
MISC Bhad | 海運 | 2.89 | 2.85 | 2007年3月末 |
Telekom Malaysia Bhd | 通信 | 2.30 | 2.01 | 2006年12月末 |
Genting Bhd | 娯楽・ホテル | 2.24 | 1.50 | 2006年12月末 |
Tenaga Nasional Bhd | 電力 | 2.16 | 2.13 | 2006年8月末 |
YTL Corp Bhd | 商業など多業種 | 1.85 | 1.37 | 2006年6月末 |
Public Bank Bhd | 銀行 | 1.79 | 1.73 | 2006年12月末 |
IOI Corp Bhd | パームオイル | 1.65 | 1.48 | 2007年6月末 |
Bumiputura-Commerce Holding Bhd | 銀行 | 1.61 | 1.50 | 2006年12月末 |
Sime Darby Bhd | パームオイル | 1.60 | 1.51 | 2007年6月末 |
Plus Expressways Bhd | 高速道路 | 1.10 | 1.10 | 2006年12月末 |
分野 品目 |
飲食物 (タバコ 含む) |
衣料 履物 |
住居 水電気 燃料 |
家具 物品 装置 | 交通 | 通信 | 教育 |
保健 医療 |
娯楽 文化 |
ホテル レスト ラン |
その 他 |
割合 % | 21.9 | 3.0 | 22.0 | 4.2 | 16.1 | 5.3 | 1.9 | 1.4 | 4.7 | 10.9 | 8.6 |
月収額 | ゼロ | RM 1-510 | RM 511 - 1020 | RM 1021 - 3000 | RM 3001 - 5000 | RM 5001以上 |
割合 | 5.7% | 60.4% | 23.0% | 10.1% | 0.55 | 0.3% |
被雇用者福祉基金(EPF)に加入している労働者がその在職期間中にEPF に収めた総額の1人当り平均は、RM 106,000です。多くの人にとってそれが定年時の唯一の預金となっています。 ERF の幹部は明かにする、現在のところ加入者が、引出し可能年齢である55才に達すると、その99%の加入者は一挙に預金を引出します、と。EPFの調査では、引出した人の70%がその金を3年で使い切ってしまうとのことです。
新車販売台数が昨年同期より落ちました。このため今年は総販売台数は昨年の49万台より下がる予想です。
07年上半期 | 06年上半期 | |
乗用車 | 200454 | 228323 |
商用自動車 | 20285 | 23017 |
合計 | 220739台 | 251340台 |
かなりの数の外国資本がマレーシアにやって来て、国内のホテルを買収しています。とりわけクアラルンプール圏です。昨年のホテル売買総額の85%は外国資本でした。2005年は44%でした。 昨年外国資本のマレーシアホテルへの投資は前年比64%伸び、クアラルンプールの4星と5星ホテルの所有者の42%は外国資本です。ホテル取引交渉役の会社であると自称する、Zerin Propertie会社は、観光産業面での強い伸びが、外国資本の強い興味を呼んでいるとのことです。
ホテル名 | 場所 | 部屋数 | 購入額 | |
2006年 | Ferringhi Beach Hotel | ペナン | 350 | 4300万 |
Holiday Villa 3箇所 | ランカウイ、ケダー、クアンタン | 520 | 10700万 |
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Midtown HOtel | ペナン | 96 | 1200万 |
|
Crowun princes | クアラルンプール | 571 | 24000万 |
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Westin | クアラルンプール | 452 | 45500万 |
|
Sheraton Sebang | スバンジャヤ | 502 | 14000万 |
|
Grand Centerpoint | クアラルンプール | 100 | 1250万 |
|
2007年 | Foue Seansons Resort | ランカウイ | 91 | 43500万 |
Hotel Midah | クアラルンプール | 198 | 2600万 |
|
Summit Hotel | スバンジャヤ | 333 | ??? |
IT分野 支出額 |
ハード ウエア |
ソフト ウエア | サービス | 小計 |
IT分野 寄与率 | 対DGP | 対税収 |
IT分野 雇用 | 雇用総数 |
ソフト分野 雇用数 |
|
2006年 | RM | 94億 | 20億 | 38億 | 152億 | 2.8% | 14.8% | 39万人 | 12万5千人 |
||
2007年推測 | RM | 104億 | 21億 | 42億 | 161億 | 2.9% | 16.1% | 41万人 | 13万人 |
マレーシア認定広告代理業者協会が選んだ、 マレーシアの最も価値ある独自ブランドトップ30 から20位までを表にしました。
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
ブランド名 | Maybank | Public bank | Maxis | Genting | Celcom | CIMB | Astro | Hong Leong | Perodua | DiGi |
順位 | 11 | 23 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
ブランド名 | Gaint | Malaysia Airlines | SimeDarby | TV3 | Petronas | YTL | RHB Bank | Ambank | AirAsia | The Star |
国内の中小企業製造業 約37,000社の内、ブミプトラ会社はわずか 9,900社だけである、これは全体の27%にしかすぎないと、通産省副大臣(マレー人国会議員)は語る、「このことはブミプトラは他民族の企業に依然として遅れを取っていることである、中小企業製造業におけるブミプトラ比率の少なさはブミプトラコミュニティーの弱点を反映している、」。
各1人に対して | 80年代末 | 90年代末 | 2005年末 |
医師 | 2638 | 1465 | 1237 |
歯科医師 | 12386 | 11897 | 9497 |
薬剤師 | 14831 | 9798 | 6512 |
ブミプトラ | 華人 | インド人 | |
人数 | 24924人 | 12745人 | 2447人 |
割合 | 62.1% | 31.8% | 6.1% |
階級 | 基本給 |
サービス 手当て |
奨励 手当て |
住宅 手当て |
生活地 手当て |
見習 | 897 | 115 | 115-300 |
||
平巡査 | 897-1647 | 115 | 100 | 275 | 150-300 |
コーポラル(伍長) | 824-2111 | 115 | 100 | 275 | 150-300 |
上級サージェント | 1363-2477 | 115 | 100 | 300 | 150-300 |
マレーシアで永住権を得た全ての永住者 約36万人は昨年から行っているように、新しい身分証明書 MyPR を年末までに入手しなければなりません。これまでに15万人がMyPR を申請して得ましたが、まだ21万人はまだ申請していません、そこで内務副大臣は警告する、MyPR を得ないと永住権を失うかもしれないと。MyPR は赤色で、その者の出自国も記載されています。
多くの永住者がMyPR を申請していません、その理由に所持していたパスポートがずっと前に失効している者がたくさんいるからとのことです。
今年上半期に承認された、「マレーシアは第2の我が家プログラム」 の申請者数は約700人でした。国籍で見ると、英国、日本、バングラデシュ、韓国の4カ国が多数グループです。観光省は今年の承認人数を2500人に置いているとのことです。好まれる地はペナンとエコツーリズムの地だそうです。 「マレーシアは第2の我が家プログラム」はその前身時代から含めて、1996年からの承認総数は1万人強になり、その内2002年から改名された「マレーシアは第2の我が家プログラム」の下では8700人ほどになると、観光省は説明します。
マレーシア観光年の今年は、外国からのマレーシア観光訪問者数は7月までの時点で、昨年同期より23.9%増えて 12,404,377人でした。
国名 | 2006年7月まで | 2007年7月まで | 増減率 |
シンガポール | 5509191人 | 6160975人 | 11.8% |
インドネシア | 694639人 | 1081938人 | 55.8% |
タイ | 1191733人 | 925958人 | -22.3% |
ブルネイ | 372921人 | 609576人 | 63.5% |
中国 | 208474人 | 376064人 | 80.4% |
インド | 160460人 | 260271人 | 62.2% |
日本 | 193463人 | 211633人 | 9.4% |
フィリピン | 115793人 | 193998人 | 67.5% |
アジア有線と衛星放送協会の調べでは:
2002年から2006年までにASTROの世帯契約は146%増え、結果として世帯普及率は倍になりました。 2006年の契約世帯数 201万世帯、 世帯普及率は36%とのことです。ASTROは最近マレー世帯への普及を高めようとしています。
契約世帯別にみると、月収RM 2001以下が 37%、RM 2001から3000の世帯が 25%、RM 3001以上の世帯が 38%を占めます。
マレーシア商業ラジオ協会は、Nielsenが行ったラジオ聴取者調査の結果を発表しました。
広告全体の支出額に占めるラジオの割合は2006年で4%程度ですから、ラジオ広告自体が大きなパイを占めていないともいえますね。
中学校3年次の生徒が受験する全国統一試験 PMR が1週間の日程で実施されます。受験者数は 469,133 人です。内 437888人が公立学校の生徒、17771人が州または団体の補助を得ている学校の生徒、13095人が私立学校の生徒、その他1106人です。
中学校6年次終了間際に実施される統一試験 STPM が11月13日から始まり12月初めまで続きます。今年の受験者数は 66,000 人です。内訳は:公立学校の生徒 57395人、私立学校 2454人、個人受験 5534人、その他668人です。
一方同時期に行われている中学5年終了時の SPM試験の受験者は44万人です。こちらは12月6日まで続きます。
ゲンティンハイランドといえば、マレーシア唯一のカジノとして長年知られてきました。先日死去した有名な華人大企業家が、1960年代後期当時はそこにリゾート建設など誰も考え付かず且つ誰も建設に賛成しなかったという、山岳地の頂上付近にリゾートホテルを建設しカジノを加えたものです。もちろん当時のマレーシア政府首脳から許可を得てのカジノ建設でした。その後成功が成功を呼び、ホテルを増設し、レジャー施設その他を続々増設していき、ついには年間何百万人もの訪問者を呼び込む(正確な訪問者数は忘れましたが500万人を超すのでは?)、マレーシア最大の娯楽・行楽宿泊地兼カジノ地となりました。
ゲンティンハイランドは独自の浄水供給施設と電力供給施設を保有しており、いわば下界から隔絶した一大レジャー兼カジノ地とも言えそうです。現在ではゲンティンハイランドを所有し経営するグループは、マレーシアで10社ほどしかない利益 RM10億を達成する トップ優良企業です。もちろんムスリムを含め、数千人の従業員を雇用し、税金収めの面でも州経済と国庫に多大な貢献していることは、数字上からも明らかですね。だからこそ、イスラム教でムスリムに賭け事を禁じている政権党 UMNO もその貢献度を評価しているはずです。
90年代後半にカンボジアの国境隣接地に主としてタイ資本のカジノができるまで、ゲンティンハイランドが東南アジア唯一のカジノでした(フィリピンは知らない)。ゲンティンハイランドはマレーシア人とシンガポール人だけでなく、タイ人やインドネシアなど東南アジアの裕福層、台湾、香港などの中国人を引き付けてきたと言われています。もちろんマレーシア人が最大訪問者ですが、訪問者の相当の割合をシンガポール人が占めるそうです。これだけゲンティンハイランドが人気を呼ぶのは、単にカジノだけではないからですね、屋外の大型施設からなるレジャー施設と屋内の幅広い娯楽遊戯施設があるからであり、従って家族連れ、ムスリム、若者グループ、若いカップルも訪問するわけです。 さらに標高1000m地点にあるため、涼しく霧がよくかかるという気候要因も、熱帯の国の住民の心を捉えるようです。
私はマレーシアに来た当時数回、その後は数年に1回程度しかゲンティンハイランドを訪れていません。大抵はゲンティンハイランドへ行きたい人に付き合って行ったと言えるもので、積極的に訪れたい地では全然ありません。まず賭け事一般に興味のない私にはカジノには用はないし、屋外のレジャー施設にも用がないからです。ホテルに泊まってすごすなら、海浜の地をずっとずっと好むので、娯楽とカジノだけに囲まれたホテルに泊まりたいとは思いません。
ところでゲンティンハイランドについて、私がそこで観察するのとゲンティンハイランド自身の認めるのと合致しているのは、西欧人の姿が非常に少ないことです。日本人旅行者にとっても、カジノ好きを除いて、ゲンティンハイランドは決して上位の訪問希望地ではないはずです。この傾向は長年変わってないし、今でも同じでしょう。
ごく最近続けて2回ゲンティンハイランドへ行く機会がありました。もちろんカジノで賭けるためでもレジャーのためでもありません(いずれも私には不可能です)。実はゲンティンハイランドの屋内で店舗を数箇所経営している友人(華人)が新店舗オープンを機に、行ってみないかと誘ってくれたからです。彼の店舗見回りにつきあった形です。彼が用事を済ましているまたはビジネス会合している数時間の間(2回に渡って)、屋内の娯楽施設のある場所で待っていました。これまでのゲンティンハイランド訪問で、屋内娯楽施設のある場所を通り道として歩いたことは何回もあったのですが、こんなにたくさんの時間をそこで過ごしたことはなかったので、ちょっと思いがけない発見をしました。
11月17日から年度末学校休暇が始まったとはいえ、平日なのにこんなに家族連れが多いとは意外でした。まずその遊戯・娯楽施設や装置の利用料の高いことに驚きました。クアラルンプールなどにくらべれば、倍から3倍もします。インターネットカフェなど料金が4,5倍もします。それでも多くの施設と装置はいつも人だかりです。シュミレーションゲーム機では子供や若者が遊び、メリーゴーランドなどでは若い親子連れがいつも列を作っています。 家族連れや若者グループは写真を互いに撮りあっているのをしばしば見かけます、まあこれはほほえましい光景ですね。しかし、こんなに各遊戯の料金が高いのによくこれだけ遊ぶ人がひきも切らず、ものすごく繁盛しているなあというのが、私の正直な感想でした。
企業家の友人がいみじくも言ってました、「家族でゲンティンハイランドに遊びにきたら、宿泊代を除いて、遊行費と食費で1日数百リンギットはかかるだろう」 と。まことそうなんでしょう。コンビに売っている 500cc のミネラルボトルはRM 2.2 、一般小売店の倍の値段であり、スーパーなどに比べれば3倍近いです。すべてがこの調子です。夕食にと友人といっしょに入った中華レストレンでは、街の屋台よりまずい炒飯がRM 15もしました(もちろん友人のおごりです)。レストランなど飲食店舗の価格はクアラルンプールの倍だと、友人は語る。ゲンティンハイランドでは訪れる家族連れは中流でないととても楽しめないでしょうね。こどもにせがまれてゲンティンハイランドへ行楽に出かけた低所得層の家庭にはかなりつらい出費になるに違いありません。
そんなことを思いながら、私は屋内遊戯・娯楽施設の付近をぶらぶらしたり、長いすに腰を下ろして、人々を観察していました。ひっきりなしに次から次と人がやって来ます。その中でいかにも2000年以降のマレーシアを特徴つけるのが、中国人団体観光客の群れが頻繁に通り過ぎていくことです。彼ら彼女らの服装と聞こえてくる言葉から、中国人団体とすぐわかります。カジノ場へ向かうのか、それとも予約したレストランへ向かうのか知りませんが、どの団体も遊戯施設で遊ぶわけでは全くありません。 2000年代になって、中国人のマレーシア訪問者が急増しすでに日本人訪問者数を完全に抜いたことは、当サイトでも何回もお伝えしましたね。あまりにあちこちで中国人を見かけるので、中国人の姿がないのは多分エコツーリズムぐらいではないだろうか、そんな風に思えてきます。
思った通り、西欧人の姿はごくたまにしか見かけません。アラブ系旅行者もごく少ないです。これはアラブ系旅行者のマレーシア訪問ハイシーズンが北半球の夏季だという、せいもあるかもしれません。カジノ場へは1回も足を運びませんでしたが、こういった訪問者の姿をずっと眺めていてつくづく思ったのは、こんなに物価の高い場所なのにマレーシア人そして次いで多いシンガポール人ってなんてゲンティンハイランドが好きなんだろう、というあきれ感を含んだ驚きでした。もちろん、これは私自身のゲンティンハイランドに対する上記の捉え方が基になっています。ビジネスとはこのように、人々の嗜好性に合ったそして合わせることがいかに重要であるかをゲンティンハイランドは示していますね。だからこそゲンティングループはマレーシの超優良大企業となったといえるでしょう。