・Intraasia の雑文集 −2006年前半分から抜粋
・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、その7 ・斜めに見たUMNO 党大会の会場外光景
・マレーシア独自のスーパーヒーロー映画”Cicak - Man”をご覧になりませんか
・数字で見たマレーシアシリーズ その30 ・オールドマラッカ地区の観光振興・開発策をめぐるできごと
ホームページ発足以来、「ゲストブック」 には随時あれこれと書き込んでいます。そこで2005年後半に 「ゲストブック」 に私が書き込んだ長短の書き込みから、主なものを抜粋してこのコラムの1編として残しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。
当地の華語表現では 農歴新年と呼ばれる旧正月(中国正月)がもう目の前ですね。数日前PuduRayaバスターミナルで大手バス会社中心にちょっと調べたとき、28日の除夕(大晦日のこと)とその前日である27日の北上便つまりペナンやケダー州方面へのバス便はすでにどの便も満席だとの返事でした、中には28日の深夜便はあるという会社もありました。正月元旦は空席十分あると言ってました。
クアラルンプールからの南下便は北上便より満席率は下がるはずですが、28日のジョーホールバル行きはどれもすでに空席なしでした。27日の便も相当満席率が高そうです。
バスは全会社調べるのは数が多すぎて不可能であり、大手会社だけに尋ねたのですが、満席空席の傾向は間違いなく同じだと思えます。
マレー鉄道の便についても、おととい KLSentral駅で調査しました。Langkawai急行はペナン方面の北上便も ケダー州などからのクアラルンプール行き南下便も 26日から29日まで満席表示です。シンガポールへ南下する便の場合はどの便にも空席がまだありました。
しかしシンガポールからクアラルンプールに向かう便はどれも27日と28日は満席表示でした。
これらのことから言えるのは、旧正月前後のマレーシア国民の移動方向の傾向です。クアラルンプールに働きに来ている、長年住んでいる、しかし旧正月には故郷へ帰るという人が、クアラルンプールからその他の地方へ行き働いている、長年住んでいる人より多いというのは、事実だと言っても間違いではないでしょう。これは私だけの推定ではなく,一般的な捉え方でもあります。
そこで華人はその伝統・慣習に、大晦日には離れていた家族が故郷に集まって皆揃って夕食事するというのがあります。これを華語で一般に 團年飯 と呼びます、他に 除夕團圓餐 ともいうそうです。文字通り 大晦日に家族集まって食事する という意味です。
このために多くの華人は故郷へ帰るのでしょう。もちろん故郷の親が都会の子供の家にやって来る例だってあるそうですが、数は比較すれば多くはないようです。さらにクアラルンプールやペナン、ジョーホールバルに自分の家と家族を持ち、旧正月前に故郷へ帰らない華人だってそりゃいますね。しかしこういう人たちよりは、はるばる故郷へ帰る人がずっと多いと言ってもいいのではないでしょうか。
長年華人社会を観察してきて、私は旧正月前の帰郷者の多さを感じます。これを数字的に何パーセントと示すのは極めて難しいし、これまで目にしたことはないのですが、華人界の旧正月伝統・慣習に従がう気持は強いと感じます。
日本でも少なくとも私の子供時代は、年末の帰省が圧倒的に多かったように記憶しています。もちろん現代でも帰省者は少ないなどと思いませんが、1960年代や70年代に比べて比率は落ちたのではないでしょうか。その理由は核家族化の進行と家族意識の変化だと思います。
といっても私自身が日本人のこういう面を分析するには全く向いてないのです、非伝統的人生・家族観を持ち実践してきたし、且つ長年日本に住んでないので、あくまでも推定ですね。華人社会の旧正月に対する伝統・慣習へのこだわりを毎年目にしていると、こんな風に日本人の新年観と華人の旧正月観のこだわりの違いを感じるのです。それが、もはや故郷というもの自体のない私だけの見方なんでしょうか、それとも同感される方もいらっしゃるのではないでしょうか?
明日の 除夕 を前にしてこんなことをあらためて感じました。
> 多言語化を早くから図っていたのはMacでした。
> 旧OSでも「Language Kit」を標準装備し、多言語による入力を可能にしており、WIndowsの同様の機能に比べ、費用面や簡単さで勝っていました。
「新聞の記事から」で私が注書きする場合、場所が限られているので時々舌足らずになりますし、主張を手短に書くので、これまでにも一部誤解も生まれていることを知っています。
さてWindows XP スターター版のマレーシア版発売の記事で、別に私はマイクロソフト自体を称賛しているのではありません。マイクロソフトを使っていてもその会社を擁護するする必要は私には全くないです。Linux もMac も出してない中で、マイクロソフトがマレーシア版を出すこと自体を称賛しているだけです、言いたいのはLinux もMac も早急にやるべきだということです。しかしこれはあくまでも、便宜的解決策であるべきです。
なぜなら”多言語利用ができる”ということの本質は、MAC がまたはMicrosoft がそれぞれ何言語版出しているかではありません。ある言語版がその言語母語者の自然な要求にみあったものであるか、もっと正確に言えば、ある言語版はその言語の音韻構造に最適化されたものであるか、ということが最重要です。
コンピューター技術はソフトとハードを含めて、ヨーロッパ言語、とりわけ英語を基にして生み出され発展してきましたし、現在も不幸なことにそれが続いています。そのために言語の入力と基準がまず英語になっています。これを1番如実に示しているのが、QWERTY キーボードと呼ばれる英語キーボードです。世界のコンピュータ使用者が皆、もちろん私も、使っている、そして皆さんの手元にあるキーボードですね。
コンピュータが1980年代初期のように、単バイトの文字しか扱えず、つまりアスキーコードの世界であった時代はこれでよかったのですが、その後2バイトの文字、すなわち日本語や中国漢字が読め書ける時代になると、入力法があれこれと工夫されたり、発明されました。つまり、ドイツ語キーボードのように英語キーボードとは配列を変えただけのキーボードにするということではありません。例を上げれば、英語キーボードのままで、華語(中国語)をどのように入力するのが効率的かという前提で、入力法の改良なり発明がありました。そうして pinyin 法、部首法など5、6種類生まれたはずです。
pinyin 法は1番とっつきやすいのですが、もう1回声調を選ばなければならず、それでも同音異義文字がずらずらと表示されて、選択に手間がかかるという欠点もあります。いくら慣れても原理は同じです。 pinyin はあくまでも中国漢字独自の発音記号ですので、これを英語27文字だけで入力代替するのには無理があります。部首法もかなり慣れないと早く入力できないようです。
要するにヨーロッパ言語、具体的には英語、という音韻体系を基準にしている英語キーボードで、全く音韻体系の違う文字体系を入力すること自体に無理があるのです。日本語はかながあるので、QWERTY キーボードを使う場合華語より変換に向いていますが、それでも漢字変換は正確度の向上が常に要求されますね。日本語の体系により向いているはずの、親指キーボードは、企業戦略に負けて普及しませんでしたね。
尚音韻体系の違う文字体系がすべてQWERTY キーボードに不向きとまでは断定できません。例えば、アラビア文字は文字数が確か40ちょっとぐらいだったかな、これを最適にQWERTY キーボードに割り振ればそれほど無理は出てこないはずです。なぜならアラビア語は母音が3つしかなく、この面で子音との組み合わせが簡単である、且つ声調言語ではないからです。
しかし多くの音韻体系の違う言語は、QWERTY キーボードには不向きのはずです。私に身近な言語で言えば、タイ語です。タイ語は子音文字が40数個、子音文字が30数個、特別文字が5、6個あります。しかも問題は、ある母音文字が1つの構成要素だけでできているわけではないことです。ある子音を右と上と左で取り囲むように、3要素でできてそれが母音の1発音を示す、または右と左の2要素で1発音を示す、下の1要素だけで母音1発音を示すなど、単純ではありません。要素毎に割り振ったキーを入力していたら本当に面倒です。
タイ語は複数の要素から成る母音文字を子音文字と組み合わせることで、声調が決まってきます、さらにそれを変化させる声調記号が4つあります。このように、タイ語の文字が英語の文字と全く異なっているだけでなく、音韻構造そのものが英語のそれとは根本的に違うのです、それが書記体系に現われています。
現在はこの完全に異なる音韻体系のタイ語文字を、QWERTY キーボードに割り振っているだけです。タイ人はそれしか方策がないので、もちろんQWERTY キーボードを使っています。ですからどう割り振ろうと入力は非効率です。本来英語の音韻構造に合わせてデザインされたQWERTY キーボードがタイ語音韻構造に合致するはずはありません。なぜなら母音と子音の組む合わせが複雑で、声調があり、且つ文字が複数要素でできているからです。
タイ語の最適入力にはタイ語の音韻構造に合致したキーボードそのものの考案が必要です。
これだけコンピュータ技術がハードとソフトの両面で発達した現在でも、言語入力の基準は今尚 英語基準の QWERTY キーボードということに皆さんは疑問がわきませんか? MicrosoftもMac も多言語化という努力は結構です。しかしコンピュータ世界を誰にも行き渡らせるのが究極の目標であるならば、どの言語の話者でも最適に読み書けることが非常に重要です。
MicrosoftもMac もUnix もなぜ入力の根本発想から換えないのか? 音韻体系に見合った英語キーボードとは非常に違うキーボードを利用できる環境をなぜ作らないのか?開発しようとしないか? そこにコンピュータ世界の発想が所詮英語環境であり、開発者も会社もそれを好むというビジネス上の限界があります。革命的開発の好きなコンピュータ界が本気で取り組めば、こういうことが不可能だとは思えません。
いくら音声認識ソフトが発展しても100%近い認識度のソフトが多言語現われるのは、まだまだ年月がかかるし、まして少数言語の音声認識などまだ研究もされてません。さらに音声不向きの場所が多いので、キーボードはなくなりませんね。
真の多言語利用化を進めるためには、音声入力よりも難度の低い手書き入力の完成度を高めること、もう一方で ある言語にはその音韻体系に最適な独自のキーボードを考案してどの市販コンピュータでも使えるようにすることが必要です。もちろんQWERTY キーボードを使いたい人はそのまま使えばよい。
例えばUNESCOのような機間が音頭をとって、Microsoft、Mac、Unix、Linux らが共同で非ヨーロッパ言語または非アルファベット言語が、その独自の音韻体系に最適なキーボードの接続ができるような環境を作り上げる努力をすべきですね。LAN などの技術的国際基準には機間がありますよね。それと同じように、コンピュータ世界での言語の平等化をはかる組織なり機間も必要です。
Microsoftが、Macが、それぞれ独自に、何語何語の入力ができるようになった、と自慢し合う時代はもう終わりにして、真の少数言語利用化に向けて、力を合わせて欲しいものです。
2月4日は、農歴新年(旧暦正月)になって7日目、つまり 「年初7」 です。この日は中国の古書に記述されている故事から 「人日」です。つまり 人皆の誕生日 という意味です。
この日はさらに伝統的に 粥を食べる日 としても知られていますね。粥を食べて衣食が足ることを知る ということを寓意していると解説されています。それは中国の古書に記述されているそうで、7種の惣菜を一緒に入れて煮た粥 つまり「七菜粥」を食べる、これは百病の除けにもなるとか。 この日広東人も粥を食べるが、その意味は 素 である、これは古代人の知恵を示している、正月の脂っこいたくさんの食事から離れてこの日は淡白な食物で胃腸を清める、とか。
以上は華語新聞の解説をかいつまんで訳しました。なんだ日本の七草粥と同じじゃないか、と思われる方がほとんどでしょう。日本の方がこの 「七菜粥」を取り入れたから基本的には同じなんでしょうね。ただ、正月7日は「人日」 であるという故事はご存知ない方も少なくないでしょう。私もマレーシアに来てしばらくしてからこれを知りました。
そこでマレーシア華人は、この「七菜粥」をどれくらい実行しているのでしょうか? 答えは難しいです、華人自体もこれに答えられないでしょう。伝統を重んじる家庭は行うでしょうが、その割合はわかりません。「七菜粥」を食べる家庭の割合がそれほど高いとは思えない気がします。少なくとも毎年この時期華語新聞にはこういう記事が出ますから、華語教育を受けた人や、老年世代は気にしていることは間違いないでしょうが、実効率はどれくらいなんだろう?
そこで、日本では太陽暦の正月7日、七草粥 を作って食される方、家庭は現在では珍しいのでしょうか?それとも珍しくない程度はある? 皆さんの中で今年食べたよ、というかた いらっしゃるでしょうか?
この種の伝統に疎い私は日本で食べた記憶はないです、料理全くしないのでもちろん作れません。マレーシアで 「七菜粥」を食べたことがあるかって?ないです。1度は食べたいなとは思ってますが、粥なども出す地元の中華大衆食堂はまだ閉まっているのです。それに旧正月期間、脂っこいご馳走など全然食べてないので、しいて「七菜粥」を食べることもないかな(笑)
デンマークの新聞が掲載したイスラム教の預言者ムハンマドを揶揄した風刺画が国際的に問題となっている件に関しては、マレーシアにもいくらか飛び火しているので、「新聞の記事から」で多少載せました。マレーシアの場合は、主としてサラワク州の地方紙が風刺画を転載したことによるもので、それ以外の”事件”が起っているわけでも、さらに”事件”になりそうなこともないでしょう。
ヨーロッパの新聞の風刺画掲載に対して、具体的には、PAS党がデンマーク大使館前で平穏に抗議集会したとか、UMNO青年部がこれもデンマーク大使館に対して、電話、手紙などで平穏里に抗議しようと呼びかけているそうです。
でここでは、このヨーロッパの新聞の風刺画掲載を直接論じませんし、その意図はありません。
ちょっと触れたいのは、それが間接的に起こしている”事件”に対する思いです。つまり、「何国人だから全て何々だ、何国人だからやっつけよう」という、極めて短絡的でよって危険な思考と風潮が少なからずの国に蔓延しているのではないかという危惧ですね。例えば今朝の新聞には、デンマーク大使館はインドネシアのデンマーク人が攻撃を受ける可能性が高いので国外退去勧告を出した、などと載っています。レバノンなどでは、デンマークやノルウエー大使館が焼き打ちされたなどと読みました。
去年中国で反日本批判が激しくなった時、在住日本人にも被害がでかねない状況だったそうですし、日本では右翼による中国人への脅迫も起ったなどと読みました。マレーシアでは、華語新聞とりわけ、星洲日報が連日反日本・日本論調の記事を掲載したので、その批判の内容ではなく、華語新聞が批判する背景とあり方に対する批判を、私は「今週のマレーシア」で精細に検証し書きました。
これら全てに共通しているのは、「何々人だから全て何々だ」と決めつける思考に走り、批判のみならず攻撃、時には迫害する行動にまで発展している風潮です。これはそういう批判が巻き起こっている外国に住む、何々国人にとっては極めて憂慮することです。何々国系の企業が不買運動を起こされる程度ではなく、何々国人の身体にも危険が及ぶので、ことが反デンマークであれ、反ムスリムであれ、反日であれ、まったく軽視できません。
何百万人、何千万人、何億人もいる、ある民族またはある国人またはある宗教徒をすべて同一視する思考とそれを扇動しあやつる勢力、権力に、最も注意しなければなりません。あるデンマーク人が、風刺画を載せたデンマークの新聞を必ずしも支持するわけではない、のは常識があればわかるはずです。インドネシアのムスリムが侮辱されたと怒りをその新聞らに向けるのは当然の権利であっても、関係ないデンマーク人を攻撃するのは、迫害ですね。
過去の歴史に鈍感な日本政府や政党の人間を中国が批判するのは当然と私は捉えるが、全ての日本人を一緒にして批判し、背後で反日感情を扇動するのはとても容認できませんね。
本来は正当な耳を傾けるべき根拠ある批判なのに、権力と影響力を持つ一部の層、時には少なからずの人たちが、それをある国・民族憎し、ある宗教徒憎しに転換してしまう。そしてその思考と流れが発達した現代マスコミ網とインターネットを通して,燎原の火のごとくあっという間に各国に飛び火するという、21世紀世界が抱える 危険な風潮 を、今回の風刺画問題に感じています
「今週のマレーシア」の最新コラムで、数字で見たマレーシアシリーズを掲載しました。その中に、昨年度のマレーシア映画の興行成績番付があります。マレーシア映画といっても99%はマレー映画で、この番付に載っている画も全てマレー映画です。Intraasia はハリウッド映画、香港映画だけでなくいろんな映画のファンですから、当サイトではこれまでもマレーシアの映画事情を時々お伝えしてきました。
マレー映画ははっきりいって、映画自体の自由闊達さに欠ける面を感じますし(だからマレー映画界は ”Sepet”を受け入れることができず、監督のYasmin を攻撃した)、娯楽なら娯楽に徹したという娯楽性にやや不充分な面があるのは否めない事実ですね。でも映画ファンとして、マレーシア情報の主催者として、私はマレー映画も時に見ます。
2005年映画興業番付トップ5、
Gangstar、 Senario XX、 Lady Boss、 KL Menjerit 1、 Anak Mami Kembali
この中で、私はSenario XX と Anak Mami Kembali を見ました。さらにLady Boss も同種の作品で、この3本とも典型的マレー映画であるコミカル調を前面に出した作品であり、マレー映画の圧倒的大多数の観客であるマレー人にはコミカルで軽い調子の作品が受ける傾向を、ここでも証明しています。
さらにこの3本には、この種の映画に常時出ているコメディアン Saifel Apek が主演しています。Apek は Senario シリーズの中心人物であり、こういう軽妙でわざとおかしく振舞うコメディー調映画には出ずっぱりという感じがします。よって私は、また彼かという感想になるぐらいです。もとはといえばテレビのコメディー番組があたったことから、映画にも進出した Sinario シリーズだそうで、主演のApek ら数人と題名のSenario は同じでも、内容はいつも違いますね。
Anak Mami Kembali は Anak Mami シリーズの1作ですね。といっても続作ではなく、同じような主題の映画と感じました。この Anak Mami シリーズの面白さの中には、ペナンが舞台になっていることから、北部マレー語の会話だというのがあります。Lady Boss は歌手のNin Baizura が主演の一人の軽コメディーですね(予告編でみた)。KL Menjerit 1 は何年か前の KL Menjerit の続編というタイトルです。その作品を私は見ました。路上バイク競争に取り付かれた若者像の映画でしたが、KL Menjerit 1 も同じような主題のポスターでした、でも詳しい内容は知りません。Gangstar はマレー男優のトップスター Rosiyam Nor の主演ですね。
そこでこの Gangstar が2005年の興業成績トップであり RM 290万 を稼いだのです。この金額は円に換算すれば 9000万円ほどですね。これを大きな稼ぎというのか、大したことないというのか、判断が難しいところです。マレー映画はRM100万ちょっとの稼ぎの映画が珍しくないので、その点からいえば、立派な興業成績、US$ 100万ドルにも満たない興業成績は、世界の基準から少ないとも言えるかもしれません。
シネマでの入場料は、シネマによって且つ 割引時間帯のRM 6 から 週末通常時間帯 RM 10 まで変化します。ここでは一応 RM 8 平均と考えれば、上記トップ映画の興業成績 約 RM 250万あたりの観客数は 30万人強です。この計算法が正しいのかは別にして、30万人が 上記のそれぞれの映画を見にシネマに足を運んだことになりますよね。でも実際のシネマの状況から考えてちょっと多いように感じます。
尚屋台街や夜市など、公然と売られている違法コピーのVCD にマレー映画の各作品は極めて一般的ですから、これらの作品も違法コピー版で出回っていました。よって実際にこれらの映画を見た人はずっとずっと多いのは紛れもない事実です。
マレーシア旅行の折には、どうぞシネプレックスに足を運ばれて、その中でマレー映画の1本ぐらいご覧になってください。この数年上映作が増えたので、ほぼ毎週1本ぐらいは何らかのマレー映画が上映されてますよ。ことばがわからないから退屈だろうって? まあそうかもしれませんが、それも体験の一つだと思いますよ。
先週もらった複数の読者からのメールに、テレビでTorinoオリンピックにかじりついてます、といったようなことがちょっと書いてありました。そうか、今は冬季オリンピックだな、と思ったぐらいで、私自身ほとんど興味が起きませんでした。よって1度も試合は見ていません。新聞での記事も流し目程度で、丁寧に読む気は起きません。
これは私だけではなく、マレーシア国民にとっても同じだといえるはずです。マレーシアの新聞は各スポーツページにおけるオリンピックの記事はごく控えめな掲載量です。英語紙はヨーロッパサッカーの方がはるかにはるかに大きく詳しく目立つ報道です。冬季オリンピック報道はテニス報道にもゴルフ報道にも適いません。昨日のNew Straits Times に至っては、オリンピックの記事すらなかった! 新聞の中で華語紙が比較的オリンピック記事が多いといえるでしょう。
こういうマスコミの冬季オリンピック報道の傾向は、当然マレーシア人の興味のあり方を反映したものです。冬季オリンピックに興味持つマレーシア人は都会のヒップな中流層以上の一部といっても間違いないでしょう。
尚私は昔スキーがそれなりに好きだったので、冬季スポーツそのものが嫌いということではないですよ。マレーシアに住んでいるともう興味が湧かないということです。さらに強いて言えば、冬季オリンピックはあまりにも(南北というわけ方をした場合の)北側諸国中心だという点もありますね。
で昨日たまたまオリンピック記事の載るページに目を移した時、「オーストリアが非常に好成績を上げている」 という見出しに目が止まりました。簡単に記事を読み、各国メダル獲得表を見ると、23日時点で オーストリアがなんとベスト5 に入っているではありませんか。ドイツ、ロシア、米国、カナダという冬季スポーツ大国と互角の成績を残しているんですね。
人口800万人程度の小規模国、地理的に言っても小国のオーストリアがこんな良い成績とは意外です。思わず Wunderbar ! (ドイツ語ですごい、素晴らしいの意味)と思いました。オーストリアはその半分ぐらいがアルプス山脈にありますから、冬季スポーツの盛んな国です、よって冬季オリンピックでいつもそれなりの成績は残しているのではと、推測されますが、並いる大国に互角というのは立派ですね。20年近いつきあいのオーストリア人友人にお祝いの手紙を出そうかなと考えてます。
実はオーストリアは私のヨーロッパ訪問・滞在国の中で、期間的面からいえば合計して一番長く滞在した国なのです(ウイーンではなく、小さな町にです)。そしてヨーロッパで Oesterreich ist ein einiger Staaten, die mir sehr gut gefallen. (かなり好きな国が若干あり、オーストリアがその一つです)。個人的には本来の呼び名である オスタライヒ と呼ぶのが好きです。
マレーシアでこれまでオーストリアのことを知る人に1度も出会ったことはありません(少なくともこれまで私が話した範囲では)。普通に国名を言えば、オーストラリア と勘違いされます。マレーシア人は ウイーン を知らずに Vienna と英語名で呼ぶ、嫌いだなあ。これは例えば パリをParis と呼び, プラハを Prag と全て英語名で読むあり方と同じで、虫唾が走ります。よってヨーロッパは英語だけを話す United Kingdam が中心だと思い込んでいる、元英国植民地下にあったマレーシア人と、ヨーロッパ論議する気に全然なれません。
私にとってヨーロッパのヨーロッパたるところ、ヨーロッパの一番好きなところは、それぞれの民族の文化と言語を大切にしている、中小国です。チェコ、ハンガリー、といった国は私が多いに引かれた国です。(いずれも人口一千万人程度)、加えてオランダも。その隣国であるオーストリアはヨーロッパに浸った時代の一時期、いわば仮の本拠みたいな感じでした。
そんなオーストリアが冬季オリンピックで非常なる好成績、ということで Wunderbar ! ということばが、自然に口に出ました。ヨーロッパアルプスの麓に位置する瀟洒な町の風景が頭に浮かびます。しかしヨーロッパは1990年を最後に、全てはもう懐かしき記憶になってしまった(長年離れていれば、嫌な面、粗が目立たなくなるものです)。もう1度アルプスの山々を眺められる時が果して私に来るのだろうか、この数年そう悲観しています。
今日の「新聞の記事から」に、今月23日から開港する KLIA の格安航空専用ターミナルへ連絡する足の便を巡って空港鉄道(ERL会社)がバス反対を主張しているとの、記事を載せました。まずご覧ください。
KLIA の格安航空専用ターミナル に付いては、当サイトの「KLIA空港の交通案内と施設情報」ページに先週載せました、こちらもご覧ください。
空港電車は KLIA Ekspres とTransit を運行しています、普通に乗ればRM 35 もする運賃としては安くない料金です。もちろんこんな価格 屁とも思わぬ人が少なくないことは事実でしょう。しかし世の中、そういう人間だけが飛行機に乗るのではありません。とりわけAirAsia を好んで選ぶ人間の中には、空港電車だけで RM 35 もかかることに苦痛を感じる人もまた少なからずいるでしょう。私もその一人で、RM10ぐらいはかかるからしかたないとして、なぜ余分に RM 25 も払わねばならぬ、冗談じゃないと思います。RM 25 を浮かすのがどれくらいたいへんか、傲慢な空港鉄道(ERL会社)の意思決定者には分らないだろう。私は1食にRM 3.50 以上かけることは月に1回あるかないかぐらいです。そういう人間にとってRM 25 の差は大きい。
私はこれまで、KLIA との行き来の多くは Airport Coach バスです。片道 RM10 です。ただしこのバスは発足当時から現在までひどいサービスで知られてますが、これしかないので仕方なく使ってきました。
格安ターミナルはたいへん不便な場所にあります。メインターミナルとの間にシャトルバスを運行するとのことです。これを使えば、待ち時間と走行時間を考えて余分に1時間弱ぐらいは見ておく必要があります。ですから、クアラルンプール ‐ KLIA −格安ターミナルというルートはきわめて時間がかかることになります。なぜならAirport Coach バスは1時間に1本だけだからです。
よって是非とも、格安ターミナル −クアラルンプール というバスがほしいところです。タクシー代など気にしない層はこの種の問題に全然興味を持たないですが、RM 10 程度を期待する層にとっては、この大衆的な足の便の問題は見過ごせません。
空港鉄道は、それにふさわしい客層が一杯いるではないか。だから安いバス便があろうと、電車の方がはるかに速く快適なのは当然ですから、ふさわしい客層は必ずや、電車を使うでしょう。空港鉄道は我我貧乏人が、電車にするかそれとも安いがあまり快適でなく時間かかるバスにするかの、選択できる権利を奪うべきではない。
KLIA 空港のことを考えると、私はいつもバンコクのドンムアン空港を思い浮かべます。東南アジアであの空港ほど、多層な人たちに選択を与える空港はないからです。金に困らない裕福旅行者たちは、空港リムジンタクシー、さらには空港に乗り入れているタクシーがあり、もう少し安く上げたければ外国人訪問者向けの 100/150 バーツの市内行き専用バスがある。
そういうことに金を使えない、使いたくない且つタイの旅行を十分知っているものであれば、空港外まで数分歩き、一般バス停で待ち、バンコク市内各地域のバスに乗れます。きれいな冷房バスでも30バーツ程度、冷房なしの乗合バスなら 8バーツ程度で、バンコクの中心部各場所までいけます。1980年代半ばからドンムアン空港(当時は旧ドンムアン空港)を利用してきた私は、もう数え切れないほどの回数冷房なしバスで市内に向かった。(80年代は2バーツ程度)
さらに空港から徒歩5分の所に、タイ鉄道のドンムアン駅があるので、鈍行の3等座席なら10バーツでバンコク中央駅まで行けます。これもたいへん使いやすい、ただ時間はかかる。(尚バンコクの新空港が今年移転すれば、ドンムアンの超便利さは減るでしょう。)
このように、空港に働く労働者層だけでなく、タイに通じた貧乏旅行者にもさまざまな選択を与えているドンムアン空港に比べて、KLIA はまこと選択がなく、便数が多くない。マレーシアの交通機間は全てが、タイの交通機間に比べてこういう傾向を持っているので、KLIAだけが特異ではありませんが、格安ターミナルの開港を機にして、多少でも選択を与える方策を取って欲しいと願っています。
3月16日付け「新聞の記事から」で載せた『マレー女性の価値観で最大を占めるもの』という記事へのコメントです。注のスペースでは長くなりすぎるのでこの場に書いておきます。
国際イスラム教大学の研究者らが行った、この調査はマレーシア社会を10数年中から見つめてきた、考えてきた者にとって極めて示唆に富んだものです。ですからこの場でコメントしておきます。
マレーコミュニティーの、子供へではなく、子供を持つことへの執着を、私はいつも強く強く感じてきましたから、この調査が示すものにはまずなるほどと思いました。この調査は包括的でも、十分なる多数サンプルに基づいた調査とはちょっと言い難いような感じがしますが、マレー女性一般を捉えてきた私の見方はこの調査結果によって裏づけられるかのような気持ちです。
いうまでもなく、マレー女性社会を捉える時、それはマレー男性社会への捉え方と表裏の関係にあります。この調査結果が明確に示しているマレー女性しいてはマレーコミュニティーの最も大きな価値観に関して言えば、「子供を持つ、持たないは 個人の自由と権利である、持ちたい人は持てばよい、持ちたくない人は持たなければよい、それは国家や民族主義から干渉されるべきではない」という私のような思想は、マレーコミュニティーでは端から拒否されるという事実です。
ところで、子供ができない女性が一定少数存在することは医学的に証明されている、しかし強大な社会意識がそれを”劣った”感覚に落とし入れてしまう、という問題は、個人の努力を超えています。 子供を持つことが強大に規範化された社会ではこのようなことに対処するのが極めて難しいですね。
人間は社会的存在であり、その社会のあり方(構造)がそこに生きるコミュニティーの持つ文化・慣習・意識を決定的なものにするという、いわば唯物論的な分析を基にすれば、この調査は見事にマレー女性社会、そしてマレーコミュニティーが本質的に持つ規範を示しています。
日本社会は第2次大戦後、とりわけ70年代以後急速に少子化に転じました。工業化と都市化による生活そのものの変化、意識の変化、社会構造の変化がその要因ですね。そこでマレーシアはこの20年間ほど、日本ほどではないにしても多いに工業化し都市化しています。本来は非都市住民が主体であるマレーコミュニティーも、華人コミュニティーほどではなくても、当然この変化の影響を受けています。しかし日本と同じような少子化現象は起きていませんし、今後も起きるとは思えません。その根拠がこの調査に示されているように、マレーコミュニティーの持つ規範意識は基本的に変わっていないし、変わりそうにないからです。
なぜ規範意識は変わらないのか? それは、上でちょっと触れた、「その社会のあり方(構造)がそこに生きるコミュニティーの持つ文化・慣習・意識を決定的なものにする」ということです。マレーコミュニティーは基本的に今尚社会のあり方(構造)が変わっていません。
数日前の「新聞の記事から」でお伝えしましたように、サラワク州では州議会が解散され、5月中旬に選挙が行われます。サラワク州政治のユニークさはここでは扱わないとして、このニュース記事を書いていて、あらためて驚いたのはサラワク州の人口密度の低さです。サラワク州の面積は半島部全体の面積よりわずかに小さい程度です。そんな広大な州なのに、州人口は200万人を多少越える程度、有権者はたった90万人に過ぎません。
このわずか90万人の有権者が面積12万4千平方キロ、つまり日本の総面積の3分の1にあたる! 広大な州内にちらばっているわけです。実際はクチン、ミリ、シブ、ビントゥルという人口10万を越える4つの市の都市部人口が半分以上を占めるので、郡部人口の散らばり方がいかにまばらか想像してください。
州議会71選挙区ある中で、最も広い選挙区はペルリス州よりもずっと広いとのこと。サラワク州の少なからずの内地は道路はつながっておらず川を走行するモーターボートが交通手段です。そして奥地への選挙運動の際ヘリコプターを使わざるをえない場合もあり、そういう僻地の有権者を町の投票所まで運ぶにはヘリコプターを州政府がチャーターしなければならないことになります。
こういうことを知るだけでも、半島部と比べた時のサラワク州のユニークさが多少感じられるのではないでしょうか。
以下はEPF幹部の説明をまとめたものです。
被雇用者福祉基金EPFに納付金を長年収めた被雇用者は、55才の退職時に複数の選択があります。
EPFにあるそれぞれ個人の口座にある金額に対して、毎年EPFが配当金という形で交付します。2005年の場合は年率5%でした。
広告看板は例え自分の店舗、ビルであっても勝手に掲げることはできません。さらに地方自治体ごとに広告看板に関する規則・条例が異なります。そこで広告看板を掲げようとする者は、その住所地の自治体役所へ赴いて、許可証を先に得なければなりません。
クアラルンプール市庁の看板に関する規則の場合
看板掲示の申請に必要なもの:
店舗の場合はテナント契約書、見取り図、看板を掲げる建物のある場所を示した簡単な地図、掲げる場所を写した写真、店舗内部の写真
中央銀行法1958年の第24条で次ぎのように定めています。
1セント、5セント、10セント、20セント硬貨のみで支払える限界はRM 2までです。50セントと 1リンギット硬貨のみで支払える限界はRM 10までです。
マレーシアで不動産の取引の際、または住宅や工場や店舗を建設する際に、その不動産が建つまたは建設される土地の権利について必ず明記されるのが、Freehold と Leashold の区分です。 この2つの単語はことほど重要な意味を持ちます。そこでその意味を マレーシア不動産業者協会 (MIEA) の説明から訳しておきます。
Leashold 定期不動産権
国家土地法にも定義されています。次ぎの期間として承諾された土地の賃貸借権です、@ 譲渡されたある土地の全体に関する場合は最長99年間、A その土地全体の一部分である場合は最長30年です。これを承諾するのは、各州当局です。
この意味は、その土地が賃貸借を前提にすることを認めれている、または個人または団体に期間限定で譲渡が認められているということです。その期間が満了すると、州当局はその土地を引き続き賃貸する、しないの選択権を持っています。その賃貸借が継続される場合は、個人または団体はその土地の賃借の更新を州当局に申請できることが認められるわけです、ただし賃借継続のための割増金を払うことになります。
Freehold 不動産の自由保有権
その土地が永代であるということです。つまり個人または団体に認められた土地には定まった期限が付いていないということです。本質的に個人または法人はその土地を永久に保有することになります。
マレーシアでは選挙で選出されるのは次ぎの2種類の議員のみです:国会の下院(Dewan Rakyat) 議員、 全国 13州にそれぞれある州議会( Dewan Undangan Negeri) 議員。
この2つ以外は全て、つまり州首相や自治体の首長であれ、クアラルンプールのような特別な市を含めた市町村評議会委員であれ、すべて任命制です。
そこで、州の下に位置する自治体に議会は存在しないことになります。その替わりに自治体評議会があり、それを構成する評議会委員が州当局から任命されます。マレーシア全国の自治体には 全部で144 の評議会があります。内訳:政令市評議会 11、市評議会 35、(郡レベルでの)町村評議会 98 。
地方自治体政府法 1976年に、評議会委員の数は、最少 8名から最多 24名 と定めてあります。そしてそれぞれの評議会には市長または評議会議長が1人、これも任命されます。政令市評議会の長だけが市長と呼ばれ、それ以外は評議会議長という呼称です。
評議会委員がその自治体の住民である必要はありませんので、その自治体外に居住している評議会委員も珍しくないそうです。現実傾向として、評議会委員は与党連合を構成する政党への割り振りという形が一般的なように思えます。といっても評議会委員の全員がその地域の政党要職者ということでもありません。さらに州議会議員が、ある自治体評議会の評議会委員を兼ねている例も珍しくありません。
11月13日から17日までクアラルンプールのプトゥラワールドトレードセンター(通称 PWTC)で、マレー人政権党 UMNOの第57回定期党大会が開催されました。UMNO党大会は、その時期は多少移動しようとも、毎年この建物を会場にして開かれる、恒例の一大行事です。UMNOはマレーシア政治の中核をしめる政党ですから、マレーシアという国の成り立ちとありかたから、UMNOの持つ比重は政党という枠を超えて、マレーシアの中で極めて大きな存在と影響力を示しています。
当サイトの新聞の記事からでは、党大会に関する記事を集中して載せましたね。私はこの場で政党評論するつもりではありませんし、マレーシア政治を論ずるわけではありません。政治は、私に取ってマレーシアの多面性を描く中のあくまで一部であり、それだけに大きな関心を抱くことはありません。
さて会期中のある日の午後PWTCを訪れてみました。これまでも過去何回か会期中にPWTCに足を運んだことがあります。だいたい2年に1回ぐらいの割合かな。ですからPWTC内での雰囲気はある程度わかります。もちろん代議員でもマスコミ関係者でもない私は、大会会場である大ホールには入れませんから、PWTC内をぶらぶら見学するだけです。もっとも、ぶらぶらといっても人出が多いのであくまでも比喩ですけど。
毎年地上階のコンコースには、会場内に入る資格のない一般人用に大きなプロジェクター画面が設置されて、会場内の光景、とりわけ演説者とその発言、を写し出しています。そのプロジェクター前の床は、これまた不思議なことにいつも同じ光景です。どういうことかというと、カーペットが敷かれた床にUMNO支持者または一般党員であろう女性陣が座り込んで画面を見るともなく眺めています。彼女たちは時に仲間とおしゃべり、物を食べたりと、まるでおとなしいピクニックみたいです。この座り組はいつもほとんどが、それほど若くない年配の女性が主体で男性はごくわずかです。せいぜい小さな男女の子供が傍らに座っているくらいです。
今回はそのコンコースに加えて、その脇にある広い催事用部屋が一般者参観者向けに解放されていました。大きなプロジェクターを2台設置し、たくさんのイスを並べてありましたので、最初私は座って眺めていてもいいのかなとちょっとひるみました。というのもPWTC内の人々の顔ぶれは数パーセントの例外を除いた程度の圧倒的マレー人の世界です。携帯電話屋ブースなどの非マレー人販売員とかなんらかの仕事でその場にいる、例えばマスコミ関係者らしきがこの例外に入ります。それほど非マレー系の顔は数少なくしか見かけません。
よってこの大きな部屋の観衆も100%近いマレー人ばかりに見えますから、非マレー人の私にはいささか場違いな思いを感じるのです。でも誰もそんなことに気を使ってないように感じましたので、私はその部屋でイスに腰掛けて、プロジェクターに写し出される代議員の演説を小1時間ほど聞きました。
ところでPWTCの建物内に入る前の路上の雰囲気から、UMNO大会が開催されていることがわかります。それを感じさせるのは2つあり、まず道路際にはUMNO大会を伝える何枚もの横断幕や立て幕が掲げてあるからです。そしてもう一つが、PWTC建物外にまでせり出した物売りブースの存在です。今年は、Putraバスターミナルに面した側のPWTCの玄関前一帯はまるでバザールの雰囲気です、というよりバザールそのものです。例年より外に出店しているブース(屋台)の数が多いのではないだろうか、と思いました。
カラフルなテントの下にはどれくらいの数のブース(屋台)かわかりませんが、もうびっしりと並んでいます、そしてブース間の狭い通路は人で一杯です。物売りブースPWTC建物内にももちろん続いており、通常小さな展示会場になるフロアだけでなく、通路にまでびっしりとブースが並んでいます。後で新聞の関連記事を読むと、その狭い場所に全部で320 !ほどもの臨時テナントが出店ブースを借りたそうです。道理であんなに出店の数が多かったのだと納得できました。
その記事に由れば、ブースの賃貸料はこの種のものとしてはきわめて高額であり、場所の位置と大きさによって違いはあるが、5日間通しでRM 7500、つまり1日あたり RM 1500になるとのことです。これはクアラルンプールの高級地として有名なバンサバルのヒップな店舗をテナント賃貸する時の月額 RM 15000 と比べても高い、と記事は書いていました。確かに、PWTC 内外のブース出店のこの賃貸料はすごく高いですね。こんなに高額でも、大会 5日間の日程中に利益が出ると見て、320ほどの臨時テナントは出店することにしているのでしょう。
この言わば”UMNO大会記念バザール”では一体どんな品物を販売しているのでしょうか。通常のバザールと同じような物、つまり貴金属を含めたアクセサリー、マレー人の伝統的または民族衣服(UMNO 記念のTシャツもあった)、ソンケットなど特産の高価な布、香水、化粧品、家庭または自動車用品、民衆医薬品、お菓子類、玩具、多くはないけど飲食品、その中には塩つけ魚まで並べてあります。いかにもUMNO大会だと感じさせる、UMNO指導者の写真バッジや飾り物、指導者の書籍も多くはないけどありました。
尚PWTCの2階では、大会参加者たちを第3者が撮った写真、その参加者がUMNO指導者と並んだところを第3者が撮った写真を、ずらーといくつものの机に並べて売っていました。価格は1枚で RM 4で、まとめて買えば安くなるようです。さらに大会の総裁や代議員などの演説を収めたVCD、価格RM 10、も並べてあります。これは出店テナントの商売ではなく、UMNO関係者が大会出席記念販売している写真です。こういった写真が売られるということは、党要職者といっしょに写った写真が大会出席者またはその支持者たちに好まれるからなんでしょう。これはマレー政治界のあり方を示す一端であり、マレー大衆層のUMNO及びその政治家を捉える意識構造も示しています。
尚政治家の演説がVCDとなって売られているのは、何もUMNO党に限りません。野党のPAS党の指導者たちの演説がVCDとして夜店の屋台街などで売られているのはずっと以前からの変わらない光景です。90年代後期、元副首相アンワルの演説もVCDになって人気を呼んだのです。この種の政治的なVCDはショッピングセンターやチャイナタウンなどではまず売っていませんよ。マレー人中心の屋台通り、金曜日の礼拝時にモスクの前に並ぶ屋台街などでいつも見かけます。
PWTC内外の出店ブースに戻りますと、驚くことに、Proton社販売代理店、NazaKia 販売代理店がそれぞれ何種類もの自動車を並べて、予約を受け付けているではないですか。展示されている車の中にはかなりの高級車もあります。そして大銀行 BumiputraCommerce がブースを出しており、高級なコンドミニアム売り出しのブースもいくつかあります。かなりの高額の買い物となるこのような種類の”商品”を扱うブースが、どうしてこの場で営業しているの?と思いました。新聞の関連記事の中である代議員が、「現今の出店ブースは、かつて昔のUMNO大会時にあった素朴なバザールの雰囲気はもうほとんどない」 との言葉を述べていました。ずっと昔は知らない私ですが、現今のこの”UMNO大会記念バザール”に素朴さはないと言っても過言ではないでしょう。
これらのブースに出店した店々の数の多さと商品の多様さと混雑具合を描写した私の記述をお読みになれば、読者の皆さんは、政党の党大会とバザールがなぜ並存しているのだと、不思議に思われることでしょう。そうです、不思議にお思いになっても全然おかしくないのです。私が初めてUMNO党大会を見に行ってから10年ぐらいは経ち、毎年ではないが何回か訪れました。最初の頃は、この並存が実に奇妙に感じたものです、いや今に至る今回でもいくらかの違和感は感じるのです。今回は新聞の記事にもあったように、例年を上回るバザールの規模だったそうですからね。確かに見に行く毎に、バザールが拡大しているかのような感じを抱きますが、具体的な規模・数などは覚えていないので漠然とした印象です。
そこで、党大会とバザールの並存はなぜずっと続いており、しかも拡大傾向なのでしょうか? 大会に出席する全国のUMNO支部、青年部、婦人部、若い女性部、を代表する代議員の数は、合わせて約2500人だそうです。それに加えて、家族を同伴している代議員もいるでしょう、全国からUMNO支持者が大会見物の名目?、目的でこの時期数多くやって来ます。さらに代議員の取り巻き連中もやって来るでしょう。ということでざっと見積もっても5日間の会期中、1万人前後ぐらいはPWTC及びその近辺にやって来るのではないでしょうか? 地方からやって来る人にとっては、地方にはない洗練されたクアラルンプールのショッピングセンターに並ぶ商品群に引かれる人も少なくないそうです、つまり買い物の好機でもあるようです。
地方からやってきた人にとって、大会の会場であるクアラルンプールに来た以上なんらかのお土産を買いたい、買わなければいけないという気持ち、義務感もあるのでしょう。とりわけめったにクアラルンプールに来る機会のない人にとって、PWTC内外に並ぶ出店ブースは手軽な買い物場所として捉えているのでしょう。
”PWTCのUMNO党大会記念バザール”に並ぶ商品に、洗練された高級ブランド品は見かけないのですが、それでも幅広い品揃えと各地の産品という数と種類の多さの強みが、大会参加者と見物人の気を引くとの分析があります。商売人はこの機会を逃してはなるものかと、PWTC内外に設けられる臨時ブースに高い賃貸料を払って出店することになります。
大会参観者・随行者の目的の一つに買い物もあるんだと、実感されるのがPWTC対面にあるショッピングセンター The Mall sです。ここは大会時期、いつも買い物客が増えるそうです。今回も大会用の正装と大きな代議員証を胸に下げた男女を、Mall 内の店やファーストフード店で少なからず見かけました。
ところで男性代議員には外見上は典型的なタイプが多い、つまり太った恰幅のよい男たちです。女性代議員つまりWanitaの女性にはなぜこうも太っている女性が多いのか、という素朴な感想を持ちます。UMNO党員正装に包まれた上品な外見とその栄養過多の体格からは、田舎の貧しいマレー人層、または経済面では華人界にいまだに引き離されたマレー人界の声を代弁する、という伝統的且つ典型的UMNO代議員という姿は、あまり感じられません。
PWTCのUMNO大会バザールの混雑ぶりと扱う商品類を眺めていると、経済的に今だ遅れを取ったマレー民族という唱え文句が、なにやらしらじらしく思えます。今大会の主要な議題に、『マレー人議題』 というのがありました。マレー民族が諸面で華人界に遅れを取った状況を正してあるべき地位に引き上げようという、1970−71年に立案された 『新経済政策』 の根幹主題を現在にまで保持しているのが、この『マレー人議題』です。マレー人の地位は政治的にはとっくにマレーシアの主人公となったが、一般に所得面と企業ビジネス面では以前として華人が主導権を握っている、また私立高等教育界でも依然として華人がマレー人を上回っている、などなどといった理由から、有名なブミプトラ政策の継続は引き続き必要である、ということになっています。
大会の会場内では多くの代議員の演説の中で『マレー人議題』が白熱して述べられたそうです。私が大プロジェクターを設置した部屋で聞いていた短い時間にも、演説者の口から ”Malay Agenda” という単語が発せられるのを何回も耳にしました。皮肉なことに、UMNO党大会に出席するような代議委員やその取り巻き連中の姿に、地位を引き上げるべき対象になるような姿のマレー人像はこれっぽちも感じられません、当然でしょう。多くの大会参観者の姿にも経済的格差をつけられた貧しいマレー人層というイメージは全く感じられません。だからこそ、”UMNO大会記念バザール”がこれほどにぎやかであり、並べられた商品に、高価なマレー民族布ソンケット、貴金属が目につき、自動車やコンドミニアムのブースまで並ぶのです。
いうまでもなく、出席者の外見や買い物行動だけで、政党の大会を評してはいけませんし、そういう皮相な見方を強調することは間違いだと思います。しかし、と私は注意書きも多少は加えたいのです、それがこの一文で描写した、現今の党大会会場外の光景なのです。本題から外れた会場外光景とはいえ、現今のマレー人界の状況の一端は示しているからです。
Cicak - Man というマレー映画が12月上旬公開されました。新聞の映画批評では前評判がなかなか良く、メディアでは盛んに宣伝されていました。公開後はそれを反映したかのように、好調な興業滑り出しをしています。こういったことから、少なくとも12月中はシネマで上映されることでしょう。 Intraasiaはこの映画を前から注目していたので、公開即見ました、もちろんいつものようにシネマでです。
批評は下段でするとして、まずこの映画を皆さんに紹介しなければなりませんね。そこでこのCicak - Man に関してまず問答式で説明しておきます。
質問:Cicak - Man ? なんて呼ぶのですか?
返答:「チチャック マン」 と発音します。ただしマレーシア語の音韻規則上、語末の 「ク」 は無声化します。
質問:Cicak - Man とはどういう意味ですか?
返答:ヤモリ男 という意味です。Cicak - Man はマレーシア語プラス英語というタイトルです。
質問:なにやらそのタイトルは、有名な米国コミックの”スパイダーマン”を連想させるのですけど?
返答:連想して当然でしょう。でもアイディアはスパイダーマンから借用したようですが、それ以外は全て純マレーシア映画です。
質問:すると Cicak - Man はスーパーヒーローが活躍するタイプの映画ですか?
返答:ある程度はそういう映画ですが、映画は喜劇調です。
質問:じゃあ Cicak - Manは面白い映画なんですね?
返答:マレー映画に特有なありかたで面白さを表現と強調した映画です。ハリウッド映画的なコミカルな作り方とは違います。香港映画のそれともまた違います。マレー映画をほとんどご覧になったことのない方には、想像が難しいですね。
質問:この映画の1番の売り物はなんですか?
返答:マレーシア映画史上初のCG映画、つまりコンピュータグラフィックを最大限に使用した映画であると、製作プロダクションは宣伝しています。監督の言葉を引用すると、「我々(KRUプロダクションのこと)は、マレーシアでこれまで製作されたことのない映画を作りたかった。その映画とはコンピュータグラフィックスを多用したものです。私は本当に何か違ったものを作りたかった。」
質問:どんな場面でCGが使われているのですか?
返答:ほとんどのシーンはロケではなく、Putrajaya でのスタジオ製作ということなので、背景の多くはCGに違いありません。CGで撮った500ショット近くが映画に取り入れられたそうです。もちろんCicak - ManのアクションにもCGは使われています。
質問:すると、Cicak - Man はハリウッド映画みたいな壮大または息を飲むようなアクションシーン満載なんですか?
返答:全然そういうことはありません。映画製作予算は RM 1700万 という通常のマレー映画とあまり変わらない予算ですから、ハリウッド映画のような超贅沢なCG使用は初めから無理です。
質問:そうすると、映画 スパイダーマンみたいなすごいCGアクションはほとんどないのですね?
返答:そうです、ないと言ってもいいでしょう。ハリウッド映画のCG を見慣れた目の観客にはものすごく物足りないアクションシーンです。アクション映画ではなく、あくまでもマレーコミック映画と捉えてください。
質問:Cicak - Manの主演者は有名俳優ですか?
返答:そうです、主演男優は3人ともマレー映画または芸能界でトップクラスの有名人ばかりです。Hairi 兼 Cicak - Manを務めるのは、マレー映画喜劇俳優No.1の Saiful Apek、 彼の親友で同僚 Danny を演じるのは、マレー歌謡界のベテランボーカルトリオ KRUの1人 Yusry で、この何年かはしばしば映画で主演を務めています。この2人に対する悪役 Klone 教授を務めるのは、マレー芸能界で長年トップパーソナリティーの地位を保つ Aznil Nawawi です。ヒロインを務める女優はFasha Sandha です。
質問:3人の名前を知りませんけど・・・・
返答:この3人の名前を知らずにマレー娯楽・芸能界は全く語れません。マレーシアに興味ある方であれば、名前ぐらいは知っておきましょう。
質問:監督は誰ですか?
返答:主役の一人を演じる Yusry が初の映画監督を務めています。
質問:製作はどこのプロダクション?または誰ですか?
返答:KRU Films つまりKRUグループのプロダクションが製作しています。よって製作者はKRUの長男で且つグループの社長であるNormanです。KRUのもう一人のメンバーEdry も製作陣営に加わっています。
質問:Cicak - Man はどんなあら筋ですか?
返答:映画の舞台はまったく架空の都市 Metrofulus で、季節が冬!です。よってマレーシアのPutrajayaでの撮影時に、冬衣装で行ったのがつらかったと、出演俳優の話しが記事に載っています。
スパイダーマンの筋みたいに、ある日突然 ヤモリの機能を得てしまった研究者の男が悪人をやっつける話しです。その筋中に、マレー映画的な恋物語も組み込んであります。つまり、同じ研究所で働く女性Tania を主人公 (Cicak - Manでもある) と彼の親友の両方が好きになってしまうという筋を絡めてありますが、このCicak - Man 映画ではロマンス場面はあまり重要ではないですね。映画はCicak - Man が最後に悪人に勝つのですが、あまりハッピーエンドという形にはなっていません。
質問:映画はわかりやすいですか?外国人でもわかりますか?
返答:わかり易いと言えます。マレー映画ですから台詞は全てマレーシア語です。英語の字幕がついています。他のいろんな映画と同じように、字幕ですから台詞の訳省略部分はたくさんありますね。複雑なあらすじでも、難解な作りでもない、軽い娯楽映画ですから、マレーシア語がわからない外国人でも、英語の字幕をある程度追えれば、映画は楽しめますよ。
質問:観客からの反応は良いのですか?
返答:私が目にした、公開直前の新聞の映画批評(複数)はなかなか好評でした。Cicak - Man は上映公開初日の12月7日に、第1日目の興業収入新記録 RM 35万をあげました。さらに11日の報道に由れば、上映3日間で興業収入 RM 115万、観客 15万人を記録したとのことです。
主演がマレーシア芸能界で最も人気ある芸能人に属する 3人 であり、スーパーヒーローが Cicak (ヤモリ)といユニークな発想が、マレーシア人観客の気を引くのではないでしょうか。 マレーシアのどんな住居・住宅にもまず必ず棲みついているといえる Cicak を主人公にするところが最良のアイディアです。プロデューサーのNormanは語る、「ヤモリはけっして怖くも薄気味悪い生き物ではありません。無害な生き物です」。 そう、確かにヤモリはマレーシア人にとって、というより東南アジアではどこでも極めて身近な生き物です。もちろん我アパートにも棲みついていますよ。
質問:日本人の観点から捉えた場合、この映画はどう感じますか?
返答:撮影は35日間だったが、その後のCG挿入、編集などに1年以上も月日をかけたそうです。しかしながら、ハリウッド映画と比較しがちな日本人の観点から言えば、CG効果はかなり物足りないと言えます。アクション映画として見るのではなく、マレーシア初のスーパーヒーロー映画、それもコメディータッチの映画としてご覧になってください。
マレー映画界のトップコメディアンである Saiful l Apek と、マレー娯楽界のトップパーソナリティーであるAznil Nawawi の演技自体は申し分なく感じます。2人の演技スタイルには誇張した表現が目立ちますが、これはマレー映画に特有のスタイルなので、馴染みのない方には馴染めない点があるかもしれません。Apek はいつもながらコミカルな演技ですが、ただ彼はあまりにも毎年何本もの喜劇超映画にでずっぱりなので、正直言って私には彼の演技臭がちょっと鼻につきます。できれば、別の俳優でCicak−Man を見たかったというのが私の正直な感想です。しかしこれは多いに個人差のあるところで、彼だからこそこのコメディー調映画に最適だという捉え方が少なくないでしょう。
もともと歌手である Yusry の演技は、これまでの彼の出演映画を見た記憶と変わらず、お世辞にも上手いとは言えません。彼は女性にもてるいい男役が似合ってますね。それよりもYusry はこの映画の監督を務めたことで、別の優れた才能が開花したといえます。
公開間もないながらも観客の反応が非常に良いことから推測して、Cicak - Manは興業的に大成功に向かっているようです。KRU Films には、Cicak - Manのロゴ付きまたはキャラクター商品製作の申し出がたくさん来ていることを KRU Films社長が明かにした、と新聞に載っています(12月11日付け)。
マレーシアで初のコンピュータグラフィックスを多用し、スーパーヒーローを生み出そうとしたこの映画 Cicak - Manを製作したことにおいて、企画と製作のKRUプロダクションを称賛してもいいのではないでしょか。兄弟ボーカルグループとして、マレー歌謡界ですでに10年以上の活躍するKRU はすでに芸能プロダクションだけではなく、いろんな事業に手を伸ばしているようです。そして新しくこの種の映画を製作しました。
映画におけるマレーシア初のスーパーヒーローというのは優れたアイディアと言えます。尚付け加えておけば、私はスーパーヒーロー映画、つまりハリウッドのスパイダーマン、バットマン、スーパーマン といった映画を特に好むものではありません、単に公開されるハリウッド映画の一つとして見た(見る)だけで、感慨を覚えた記憶はないですね。さらにウルトラマンのような日本製のスーパーヒーローにもほとんど興味は涌きません。子供の時も涌かなかった。なぜならウルトラマンは私の小学生時代後に誕生したはずで、その種のスーパーヒーローファンではなかった。もちろん今でもファンではありません。
マレーシア映画を応援する者として、映画が娯楽としてそれなりに面白くまたは楽しめて、その上マレーシア的なユニークさを備えておれば、これは紹介し応援したい気持ちになりますね、例え自分がスーパーヒーローに興奮しなくてもです。Cicak−Man はそんな映画ですよ。URL:www.cicakman.com
皆さん、マレーシア滞在中・旅行中に、マレーシア独自のスーパーヒーロー映画 Cicak - Man をご覧になりませんか? シネマ公開がまだ終ってないうちは、できればシネマでご覧になってください。なぜなら、マレー映画を見る時、マレーシア人、その大多数はマレー人、の反応を知ることができるからです。映画のどんなところが観客に受けるか、観客が画面にどのように気持ちを移入させるかなどを感じられます、それはシネマならではの経験です。さらに、上映中いかにマレーシア人観客の観劇マナーが悪いかも体験できますよ、子供の叫び声や話し声とそれを放置する親たち、携帯電話の会話など、いらつくことには事欠きませんからね。
2007年2月追記
ミュージックショップの棚に Cicak-man のDVDセットが並んでいるのを見ました。そのカバー表紙に、RM 520万達成 と印刷されています。これは興業成績として、マレーシア映画史上でダントツの最高額ですね。
これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。
1番基本的なマレーシアの姿です。
総人口 | 国民 | 国民の民族別 | 外国人 | ||||
ブミプトラ | 華人 | インド人 | その他 | ||||
2675万人 | 2436万人 | 1606万 | 615万人 | 183万人 | 32万人 | 239万人 | |
国民内での比率 | 100% | 65.9% | 25.3% | 7.5% | 1.3% | −−− | |
個人の生涯出生率 | 2.76% | 3.18% | 2.19% | 2.34% | |||
年齢層 | 0−14才 | 15−64才 | 65才以上 | 中央値 | |||
872万人 | 1688万人 | 115万人 | 23.3才 | ||||
総人口での比率 | 32.6% | 63.6% | 4.3% | ||||
都市・町部 | 田舎 | ||||||
人口地域分布 | 63% | 37% |
先日発表された2007年度予算案で、法人税を 2007年には27% 、2008年には26% に下げるとしています。マレーシアの法人税は1998年から28% を維持しています。法人税ではマレーシアはすでにアジアの中でも低いグループです。
2006年 | 2006年 | ||
中国 | 33% | マレーシア | 28% |
香港 | 17.5% | フィリピン | 35% |
インド | 33.7% | シンガポール | 20% |
インドネシア | 30% | 台湾 | 25% |
日本 | 40.7% | タイ | 30% |
韓国 | 35% | ベトナム | 28% |
国内総生産 | 物価上昇率 | 民間消費 | 小売り売上 | 失業率 | |
第1四半期 | 5.5 | 3.7 | 7.5 | 9.6 | 3.8 |
第2四半期 | 5.9 | 4.1 | 7.3 | 9.2 | 3.4 |
2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年予想 | |
GDP実質成長率 | 5.5% | 7.2% | 5.2% | 6.0% |
一人当りGDP | US$ 4152 | US$ 4631 | US$ 5005 | US$ 5547 |
失業率 | 3.6% | 3.6% | 3.6% | 3.5% |
対前年輸出額伸び率 | 11.6% | 20.5% | 11.4% | 13% |
対前年輸入額伸び率 | 4.8% | 25.9% | 8.9% | 15% |
GDPに占める当年予算額 | 12.8% | 12.6% | 15.2% | 14% |
全国で報告された犯罪の件数です。総数イコール指数となっています。
犯罪の分野 | 暴力・刑事事件 | 財産関係 | 商業関係 | 麻薬関係 | 犯罪総数 |
2005年1月−9月 | 30572 | 100061 | 4600 | 16211 | 151444 |
2006年1月−9月 | 36077 | 113939 | 5427 | 15038 | 170481 |
増加率 | 5.5% | 13.8% | 18.0% | 8.1% | 12.5% |
マレーシアコミュニケーションとマルチメディア委員会発表の統計数字からです。
固定電話
携帯電話
インタ−ネット利用者
クアラルンプール株式市場(Bursa Malaysia )に上場している全企業を対象に、2005年12月末時点における総発行株式の株価総額において、ブミプトラが保有している率は36.6 %である、経済省副大臣が国会の場で11月初旬に発表しました。次ぎの表を参照。
2005年12月末時点 | ブミプトラ保有 | 非ブミプトラ保有 | 外国人保有 | |
株価総額 | RM 2140億 | RM 1004億 | RM 352億 |
|
その比率 | 36.6% | 46.9% | 16.5% |
ということだそうです。
株価総額 単位 RM 百万 | 全体に対する割合 % | 年平均伸び率 | |||
所有者別 | 2000年 | 2004年 | 2000年 | 2004年 | |
ブミプトラ | 62,976.0 | 100,037.2 | 18.9 | 18.9 | 12.3 |
| 47,343.6 | 79,449.9 | 14.2 | 15.0 | 13.8 |
| 9,830.0 | 11,890.7 | 3.0 | 2.2 | 4.9 |
| 5,802.4 | 8,696.6 | 1.7 | 1.7 | 10.6 |
非ブミプトラ | 137,412.8 | 214,972.8 | 41.3 | 40.6 | 11.8 |
| 129,318.3 | 206,682.9 | 38.9 | 39.0 | 12.4 |
| 5,136.8 | 6,392.6 | 1.5 | 1.2 | 5.6 |
| 2,957.7 | 1,897.3 | 0.9 | 0.4 | -10.5 |
受取名義会社 | 28,119.4 | 42,479.1 | 8.5 | 8.0 | 10.9 |
外国人 | 103,909.4 | 172,279.6 | 31.3 | 32.5 | 13.5 |
合計 | 332,417.6 | 529,768.7 | 100% | 100% | 12.4% |
内務省副大臣が語りました、「統計が示しているように、非ムスリムのマレーシア人男性が外国人女性と結婚する数が増えている、彼等になぜ外国女性を好むかを尋ねたい。」
2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年上半期 |
3953人 | 4085人 | 4847人 | 5123人 | 5701人 | 7277人 | 3009人 |
2006年6月末時点で、
2005年の1年間で
2005年の時点で通算すると、
2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 |
|||||
GDP % | 支出% | GDP % | 支出% | GDP % | 支出% | GDP % | 支出% | |
マレーシア | 3.3 | 6.5 | 3.7 | 6.4 | 3.7 | 6.6 | 3.8 | 6.9 |
シンガポール | 3.6 | 6.7 | 4.3 | 7.0 | 4.3 | 6.6 | 4.5 | 7.7 |
タイ | 3.4 | 10.8 | 3.3 | 10.3 | 3.4 | 11.8 | 3.4 | 13.6 |
GDP % | 国内総生産高の対する保健医療費の割合をいう | |||||||
支出% | 政府の総支出額に対する保健医療費の割合をいう |
現在観光省に登録したツアーガイドは6181人おり、その内活動しているのは3562人であると、副大臣。その中で各言語別の流暢者の数は、マレーシア語が618人、華語が1398人、英語が1194人、タミール語が7人、そして日本語が234人、韓国語が4人、イタリア語が4人、アラビア語が10人、フランス語が20人、ドイツ語が33人、スペイン語が9人、その他言語が31人とのことです。
現在マレーシア国内には国立と私立の大学(及び大学に準じる機間)で学ぶ学生は約70万人です。外国人学生は約4万人で、この数は2010年には10万人に増えると期待されています。
私立大学・カレッジ | 人数 | 国立大学 | 人数 | |
1位 | Multimedia University | 1988 | 国際イスラム教大学 | 2042 |
2位 | Sunway University College | 1839 | マレーシアPutra大学 | 963 |
3位 | INTI College Malaysia | 1773 | マレーシア国民大学 | 945 |
4位 | LimKokWing University College | 1413 | マラヤ大学 | 884 |
5位 | HELP University College | 1151 | マレーシア北大学 | 501 |
これまで University College と呼ばれていた教育機間を、2007年1月初めより、University に格上げすると政府が発表しました。
対象になるのは次ぎの 6つの国立University College です:
Univewrsiti Malaysia Perlis, Universiti Malaysia Terengganu, Univewrsiti Malaysia Pahang, Universiti Teknikal Malaysia Malacca, Universiti Sains islam Malaysia, Universiti Teknologi Tun Hussein Onn
これで国立大学は合計して23校?、24校?ぐらいになるはずです。
マラッカ州を訪れるほとんどの人が、オールドマラッカ地区に自分で足を運ぶか、またはツアー会社に引率されてそこへ行きますよね。オールドマラッカについては、当サイトでも以前から 「旅行者のためになるページ」 で写真付きで載せていますし(該当ページをご覧ください)、いろんなマラッカ観光本では必ずといっていいほど紹介されているはずです。
オールドマラッカを大雑把に分類すると、海に流れ込むマラッカ川をはさんで、右側がババニョニャ様式を残すチャイナタウン的雰囲気の強い地区で、左側がかつてマラッカを支配した西欧諸国の建物と遺跡をたくさん残す地区に分けられます。
今日の新聞にたまたま、マラッカのこの西欧遺産を残している地区に関する記事が載っています。ちょっと気になる内容なので、その記事内容を紹介して論じて起きましょう。
以上のような前書きを付けてゲストブックに書き込んだ小文(投稿日:12月 3日、タイトル:オールドマラッカの通りの建物群の色塗り替えに思う )を以下にコピーして、このコラムの論点の一つとしておきます。
有名なStadthuys (当時のオランダ行政館)があるダッチスクエアーに続く通りは狭い、しかしバスを含めて自動車往来の多い一方通行路で、Jalan Laksamana と呼びます。
「この通り両側に並ぶ古い建物が赤基調で塗られました。」 しかし 「その前は、黄色と青と紫基調でした」と、記事は書く。「なぜ赤基調に塗り替えられたか、それは住民も観光客も赤基調を好むからです、その色はダッチスクエアーの建物の色と同じだからです。」
「マラッカ市長によれば、マラッカ市評議会はこの通りの商業建物の色に関して住民と観光客からの意見を聞いた、その結果赤が圧倒的に多かった。」 「しかし、赤は、1890年代にこの通りに建設された商業建物群のオリジナルな色ではありません。当時の建物の色は、黄色と青と紫基調だったのです。」 その後の長い間の経緯を私は知りませんが、「1980年代にこれらの商業建物群は1980年代後半に赤基調に塗りかえられました。」
その後 「これらの建物群対象に2004年10月に行われた修復作業の際、このオリジナルな赤基調色に塗られました。これはマラッカ博物館公社からの許可も当時得ました。」 とのことです。なんとそれがまた、「今年(2006年)の10月建物群の色を赤基調に塗り替わった。それを市長はこう説明する、赤基調であってもこのいったいの保存作業に影響はでません。必要なことは、塗り替えた色と年月を記録しておけばいいのです。」
この記事を読んで、一体オールドマラッカ地区の歴史保存の基本態度はどこにあるのだろうと、思いました。古いけど歴史的価値ある建物だから修復する、そのことは誰でも理解できますよね。その際建てた当時と100%の一致は無理だけど、できるだけ原形に近づけるような形で修復するのが、歴史的町並み保存の基本ではないでしょうか。全く同じ色とはならなくてもできるだけ近い色彩に塗る、色彩の材料を使う、近代的設備はなるべくその町並みに溶け込むように組み込む、そいうった手法が大事だと理解しています。
日本にも歴史的町並み保存の街が少なからずありますよね、そいうところではこの種の手法を使っていないのでしょうか、それとも当然そうしているのでしょうか?
ヨーロッパには無数の歴史的町並みがあります、だからといって、それを全部保存していることはありませんから、まったく現代風に改造してしまうケースだっていっぱいあるはずです。それがいけないということではありません、必要であればしかたないともいえます。ただそういうとき、それを歴史的町並みといえば、虚言ですね。
つまり、オールドマラッカのJalan Laksmana 通り両側の商業建物群を赤基調に塗っていけないということはないと思います。しかしそういう場合は、その通りを歴史的町並みと称するのは、虚言 ですね。観光客を呼ぶために、飲食でもっと金をつかわせるために、修復し色を塗る、それもまたひとつの観光振興策でしょうし、それも悪くはないでしょう。しかしそれは観光地であっても、歴史的保存地区として紹介するのは間違いだといえます。世のマラッカ観光本は、このことを今後付け加えておくべきですね。当サイトもそうしておきます。
以上はゲストブック書き込み分
偶然というにはおかしいのですが、この小さくてごく目立たない記事が現われる数日前の11月末に、オールドマラッカ地区の一画であるダッチスクエアーで進行中の工事現場で起きたニュースが、ずっと大きな扱いで報道されていました。この記事はその後断続的に報道されましたので、その中から12月4日の記事を抜粋します:
この壁・塀は占領支配していたポルトガル人が建設した Middelsburgh Bastion と呼ばれる要砦の城壁の一部だと、考古学者は推測しているとのことです。湾に入ってくる船を見張るべく建設されたこの要砦の城壁は、オールドマラッカ地区をぐるっと囲むように造られていたそうで、今回見つかったのはその内のマラッカ川に面した部分のごく一部です。
そこで問題は、回転展望塔を建設するために地中を掘っていたその場所に歴史的遺跡が埋まっているということです。この回転展望塔の建設を請け負っているのは Kumpulan Melaka 会社で、その会社をマラッカ州政府が100%保有しています。要するに、展望塔建設プロジェクトはマラッカ州政府プロジェクトということですね。このプロジェクトがどういう経緯で決定されて開始されたかは、私は知りませんし、ほとんどのマレーシア国民も知らないはずです。なぜならマレーシアで行われている、行われた多くのこの種の事業と同じで、展望塔建設プロジェクトも事前に公聴会を繰り返し開催したり、一般市民対象に細部を発表して市民の意見を広く問うたような事業ではない可能性が高いはずだからです。
そこで歴史的地区に似つかない回転展望塔を建設することを憂慮する、ごく一部のマレーシア市民がその憂慮感を表明していたことを、私は最近新聞の評論記事から知りました。
以下は The Star 紙 12月5日付けの 『マラッカにおける歴史の教訓』 と題した署名評論記事の抜粋です。
こうした評論を読むと、Jalan Laksamana 通りの建物類の色を昔の原色とは違う色に塗り替えた行為も、歴史的景観保存地区のど真ん中に鉄とコンクリートの回転展望塔を建設する発想も、遺跡のかけらを見つけながら3年経ってもその工事がほとんど進捗してない現状も、すべて根はひとつであることに気がつきます。それは、マレー民族とは直接関係ない歴史遺産の価値を理解し保存しようとする意識と行動は、観光開発・振興に向ける意識と行動ほど熱心ではない、積極的ではないということです。
マラッカの中心部からオールドマラッカ地区の道路は90年代半ばに比べればずっと整備され、ババニョニャ地区にあるそれ自体論議を呼んで設置された Jonker Walk と呼ぶ通りでは、州機間など公の肝いりの催しなども開かれているようです。マラッカ州は、半島部で最も優れたバスターミナル”マラッカセントラル”を建設し運営しています。マラッカ州はペナンと並ぶ観光用遺産の多い州ですね、よって観光開発と振興は慣れたことのはずです。
100mの展望タワー建設も、Merdeka広場のショッピングセンターも、Jalan Laksamana 通りの整備も、観光振興の面から言えば、州政府の積極さを称賛してしかるべきでしょう。一方、マラッカの貴重な歴史遺産を保護し且つ旅行者に歴史的保存地区であることを実感させるように地区をきちんと維持していくことは、マラッカ州の責務だと思います。なぜならそれがマラッカ州のマラッカ州たる存在意義の一つだからです。観光客全部とはもちろん言えませんが、少なからずの外国人旅行者は遺産を見学し体験しにマラッカに行くのです。そういう訪問者を落胆させない、観光振興方針を保持しないと、オールドマラッカがそのうちに、”昔そこでこれこれの歴史が起ったと歴史の本に書かれているだけの地区”に変節してしまいます。
通りをいくらきれいに色を塗り替えても、展望塔を建てても、遺産としての歴史を感じさせない地区では、少なくともここでその論調を引用紹介している記事、投書の書き手、歴史や遺跡に関心深い市民と内外の旅行者、そして私、にはオールドマラッカの魅力が半減してしまいます。
最後に、”マレーシアのオランダ人子孫プロジェクト” と自称する団体の代表の投書を抜粋して紹介しておきましょう。
このコラムを書いた、200年12月下旬の時点で報道されているニュースを読む限り、展望塔建設のプロジェクトは続行されるが、建設場所が Stadthuys (当時のオランダ行政館)のすぐ近辺から他の場所に移されることが決まったようです。しかし他のどの場所かはまだ決まってないとのことです。