・ある日本人のペナン街歩き印象を通してマレーシアの都会を考えてみる
・マレーシアの主要民族における産褥期(さんじょくき)のあり方とタブー
・Intraasia の雑文集 −2005年前半分から抜粋− ・ オランアスリ博物館を訪ねて
・数字で見たマレーシア、 その26 ・手工芸品センターで催された手工芸品販売促進会のありかた
・映画”Sepet"が優秀作である故、マレー映画界主流からの反発を起こした
・日本の原爆被災60周年行事を主要な華語紙と英語紙はどう扱ったか
・タミール語を使って携帯電話でSMS(文字通信サービス)
おことわり:7月は留守にしましたので、掲載数が少なくなっています。
このゴールデンウイークに十何回か目のマレーシア旅行した際ペナン島にもよって数泊したという、喫茶モノローグのまゆみウエートレスが、ペナンのジョージタウンについてこんな風に書いてきました。
「Tシャツ 短パン で これをつっかけてずーらずーら歩いていたら華人に見えるんじゃないサンダルとか、中略、をこちゃこちゃ買って満足しました。一部略
街歩きしながらここに住めるかなぁ と結構 真剣に考えてしまいました。 ゴミはちらかってるし舗装はでこぼこ、段差は大きい、車は排気ガス規制なんてしてないでしょうから歩いていると身体に悪そうだし 毎日屋台じゃ野菜不足になりそうだけどスーパーであまり 青い野菜 売ってなさそうですし (以下略) 」
この方は普段から自分の住む町の地域性俗語を連発されていますので、その”ずーらずーら” という意味のよくわからない表現(笑)は置いておいて、何やら”華人に見えるんじゃない”サンダルをつっかけて歩いたそうな、まゆみウエートレスの捉えたジョージタウンの街の印象に触れてみましょう。この印象は感じたままを素直に現しており且つ事実を突いている記述ですから、ここで紹介していっしょに考えてみる価値のある内容です。
まずジョージタウンに限らずマレーシアの都会は特徴を取り出せばどこでも似たようなものだといえます。クアラルンプールとその隣のベッドタウンともいえるペタリンジャヤを比べた場合、ペタリンジャヤの方が整っていますが都会としての特徴は程度の差はあれ同じです。例としてクアラルンプールを取り上げましょう。
発展形体上から3種類に分類できます:その中心地または中心地付近に散在するいくつかの古い下町、中心地から離れたしかし周辺とまではいえない多くの旧開発地区、その外側つまりクアラルンプールの周辺に広がるたくさんの新興開発地区。地域名を少しあげれば、 BandarTun Razak, Bandar Sri Damansara, Balakong, Imbi, Jinjang, Datuk Keramt, Kepong, Cheras, Gombak, Pandan Indah, Sri Kembagan, Setapak, Sentul, Segambut, Selayang, Salak Selatan, Pudu, Brickfields, Kampung Baru, Taman Melati, Wangsa Maju, などなどです。
この3種のいずれの地区も富裕層は住んでいるが大衆階層の多い地区であり、富裕層または上流階層が圧倒的に多いごく例外的な存在といえる地区ではありません。発展形体は違ってもこの地区には都会としての共通の特徴がありますので、それをこれから細かくみていきます。
どの地区をとっても、歩道が設けられた道路の歩道部分は舗装またはレンガ敷き舗装はよく波打っており、平らでない部分があり、さらに段差が目立ちます。これは歩道工事の終った時から見られるもので、数ヵ月も経たないうちに敷石・レンガがはがれたり、土台の土固めが不十分だったのでしょう、歩く地面が波打ってきます。なぜこういうことが起きるのか?それは、マレーシア人はレンガ敷き・積み、セメント塗り、道路工事できれいに舗装するようなことに代表されるこの種の労働または職人仕事を評価しませんから、低給料であり、職人や工事人の成り手がいない、そこで必然的に低技能でも仕事する者を雇うことになります。よって工事現場で働く人たちに外国人労働者が圧倒的に多いのです。
手仕事職人・労働者への評価が低いことは単に歩道工事だけでなく住宅やアパートの建設にも当然影響してきます。だから中程度のコンドミニアム(マンションのこと)でさえ、その部屋の壁塗りがお粗末であったり、ドアや窓の開閉がスムーズにいかない、なんとなく天井の色が不ぞろいである、部屋の隅とか床の隅にわずかに隙間があるなどといった不具合がよく見つかるのです。低所得者層向けの数万リンギット程度の家屋の質の悪さは頻繁に報道されてきました。
これもひとえに手仕事職人・労働者への評価の低さがもたらしていることですね。日本では佐官でも建て付け大工でも経験を積んで優れた職人さんは非常に稼ぎが良いものですし、普通の職人さんの稼ぎは悪くはないですよね、それだけその人たちへの評価が高いことと表裏の関係です。しかしマレーシアではこういう仕組みがなりたたない、賃金の安い外国人労働者を雇えばいいからという発想なので職人への評価が育ちようがない。よって手仕事職人や技術者は育たないし、全体的に技術もよくなりませんね。
マレーシアの学制では小学校からペーパーテストによる全国統一試験があり、その成績優秀者を単に親と学校が誇るだけではなく、マスコミが盛んに実名写真付きで称えます。こうしてすでに10才ぐらいの時から、ペーパーテストの成績だけに価値観がおかれる仕組みです。もちろんそれは社会の価値観を反映したものですね。手に職を付ける、手技術を習うのは成績が悪い者がなるのである、というような先入観が出来上がってしまいます。だからこの種の職業人を捉える目のあり方からマレーシア人はなりたがらない、そしてそんな職なら賃金が安く済む外国人労働者を雇えばいい、となってしまうのです。
ゴミの散らかり、これはもう至るところで目にします。道路端、橋の脇、空き地、川岸、空き地、サッカー広場の芝生周り、家々の周囲、公園、商店街の前、駐車場、ビルの裏口などはゴミで散らかっています。溝という溝はゴミが捨てられており、そのゴミの詰りによって、一時大雨の時に溝が氾濫して道路に冠水、さらには住宅、商店に床下浸水を起こしている一番の原因となっています。これは町の中であれ、町の外であれ同様です。自分の家の前の溝がゴミでいっぱいでも掃除しません、家の庭や家の前を掃除してそのゴミを平気で溝に捨てるぐらいですからね。
当コラムではその初期にマレーシア人のゴミに対する意識のなさを嘆き批判する一文を書きました。当時からもう7、8年も経ちましたが、マレーシア人のゴミ捨てポイ癖は一向にあらたまっていません。これは都会でも田舎でも同じです。田舎の道路、川と川岸、空き地がゴミで散らかった光景は簡単に目にできます。地域共同体意識の低い都会の新興地となればもっと顕著で、新興住宅商業地、昔からの古い開発地、下町、のどれを問わずゴミの散らかりは日常の光景です。地方自治体が立てている ”ここにゴミ捨てたらRM 500の 罰金に処する”と書いた立て札の足元にゴミの山の光景はお馴染みですね。
住宅地・商業地でよくある、ゴミ収集の不定期性も原因の一つですが、好きな時にゴミを出し、決められたところ以外にゴミをあちこちに捨てまくるという性癖を住民自身、屋台と大衆食堂の商売人、店舗の人たちと利用客があらためない限り、ゴミ収拾の効率を多少程度向上させてもそこら中に捨てまくられたゴミをきれいに片付けることは不可能です。収集する人の数より捨てる人の数の方が圧倒的に多いのですから、捨てる人が捨て方を自己管理しない限り、ゴミ収拾の向上努力が追いかないのは当然ですね。ここにも見られる意識は、ゴミ収集の人たちへの敬意のなさです。他人の仕事に多少でも思いやる心を持てば、ゴミ捨て用の大きな容器の外に無造作に山と積まれたり、容器外に散らばっているゴミ捨て光景はぐっと減ることでしょう。
溝にゴミを捨てれば、そのゴミが堆積して流れを妨げて道路や床下冠水を引き起こしているという、誰でも知っている全国各地で頻繁に発生している情況は、十年一日のごとく変わらない。 ゴミを溝や川に投げ込めば最終的に流れ込む川を汚すだけでなくこれまた冠水と床下浸水の原因になります、このごくごく基本的な環境意識の欠如は、これまた一向にあらたまっていない。
バイクの騒音と車の排気ガスの濃さによる大気の汚れは常時感じます。なぜならバイクは2サイクル車が多く、エンジンオイルを撒き散らしています。車の排気ガスの基準はもちろんありますが、大多数の車両対象にきちんとした検査と取締りは難しいので、排気ガス濃度は高くなってもおかしくはないでしょう。尚トラック、バスといった大型商業車両対象に当局が路上で取締り検査することがありますが、一般自動車が対象になることはまずありません。
長年この種の下町に住み、誰よりも数多くあちこち街歩きしてきたと自負する私は、まゆみウエートレスの感じる 「歩いていると身体に悪そうだし」 というのには、同感し且つ事実だと思います。ただ、1980年代のジャカルタ、バンコクを歩き回り、90年代のホーチミンシティーを歩き、10数年間マレーシアの都市も田舎も歩き回ってきた私としては、まあ東南アジアの都市とはこういうものさ、という達観意識がありますので、文句言いつつ相変わらず歩き回っているのです。
まゆみウエートレスはさらにこう書いています。
「ペナンも車の多い広い道路を1つ入ると静かな住宅街 というところが結構ありましたね。 中略。 日常 “日中 幹線道路沿いを歩く”なんて生活していないので、なんだかすごくまいっちゃったのです。“華人に見えないかなサンダル”で結構な距離を歩いたのもまいった要因だったのですが。しかし 住宅街にせよ あの歩きづらい でこぼこ&段差の歩道 と蓋(覆い)のない側溝は なんとかならないのでしょうか」
この方は今年の正月コラム(第 414回)の中で、足腰が衰えてもうダイビングできなくなったと発言していたので、読者の中には、足腰が衰えているのだから「すごくまいっちゃった」のは無理もないだろうと思われる方が少なからずいらっしゃることでしょう。まあ多少はそういう理由もあるでしょうが、蒸し暑い気候の下で、お世辞にも歩きやすいといえない歩道や道路端を 「結構な距離を」歩けば、彼女ならずとも誰でも相当まいってしまうのです。従業員思いの、喫茶モノローグのマスターとして、アンティの名誉のためにも弁護しておきます。
幹線道路は自動車とバイクがひっきりなしに飛ばして行き、当然朝夕は渋滞します。これはほとんどの国の都市の道路でも似たり寄ったりでしょう。マレーシアだけでなく他の東南アジアの都市の道路にも共通していえることですが、まず道路が騒音でたいへん煩いということです。前方の車と車の間隔が少しでも空いた時、強引に割り込もうとする、信号が青に変わって1秒でも発車が遅れる、そんな時はすぐ警笛を鳴らしまくります。さらにエンジンを必要以上に吹かしますから、とにかくより煩くなります。なんでそんなに不必要に煩くするの?と私はいつも思いますね。自動車類の通行が多ければ煩くなる、これは当然です、しかしマレーシアの都会ではそれを不必要によりうるさくしているのです。
本来サンダルやサンダルシューズで歩くのは気持よいものですが、上述したように”でこぼこ&段差の歩道”は避けようにも避けられませんので、歩きづらい原因の一つになってしまいますね。ただ”でこぼこ&段差の歩道”ばかりの方がいいなと思うときもあります。なぜかを次ぎに書きます。
ところで彼女は触れてませんが、都会の歩道や道路の片側はバイクのために、決して安心して歩けません。当コラムでも以前書きましたように、歩道をバイクが疾走し、一方通行を無視したバイクが道路の端を逆走行するのです。クアラルンプールの中心地帯を中心に10年前に比べれば、歩道は全体的に確かに良くなりました。しかしよくなった分バイク走行には都合がよくなり、スピードが出しやすくなりました。いくつかの地域でバイクの歩道走行は盛んですよ、とりわけ午前中と夕方です。
まゆみウエートレスは蓋(覆い)のない側溝がご不満の様子ですね。確かに一見覆いのない溝は危なそうだし、しかもマレーシアの側溝は深い、時には深さ1.5m以上もあります。この理由は熱帯の一時的大雨を一挙に流す必要があるからです。本来ならどんな溝にも蓋はあるべきだと私も思います。しかし現実を知るものとして、蓋はない方がいい場合がよくあるのです。なぜか?
溝の蓋は通常セメント・コンクリート製です。その一部が欠けて不安定になっていたり、溝の作り付けが悪く蓋がぴったりと溝の上に載っておらず歩くとがたがたすることに出会います、さらにある部分だけ突然蓋のなくなった場所もあります。つまり溝に蓋を設けても、最初から作りと組み合わせの悪いことがよくあります、そしてその維持管理活動が極めていい加減であるか、まったくなされないのです。蓋の上を歩いていて、足を載せた蓋が急にグラグラしたり、一瞬足が取られるような感覚を覚えることは珍しくありません。一瞬ひやっとしますし、気持よいものではありません。溝の上にしっかりと載っているべき蓋がグラグラするだけならまだしも、そのために溝に落ちてしまう、または足を取られてしまうことにもなりかねません。浅い溝でさえこれはけがに結び付く危険性が十分にありますから、深い溝の多いマレーシア都会なら、この危険性は骨折かそれ以上にもつながります。
街歩きが人より各段に多い私はこれまでもう数え切れないほど、蓋に乗せた足元がぐらりとした経験をしてきました。よって溝にかかった蓋の上を歩くときはいつも気をつけて歩きます。はっきりいって、溝に蓋など最初からない方がいいと時々思いいます。自動車交通が激しくなければ溝の淵を歩いたほうが安心して歩けますよ。
さらに歩道と溝の抱える問題は、そこに設けられたマンホールの蓋が盗まれることです。このマンホールの蓋盗難の件は、「新聞の記事から」でも、これまで何回か掲載しましたね。マレーシアのマンホールの蓋は通常、井桁状の鉄製です。通気用に井桁になっており且つ溝掃除用なのか開け易いようにつくられています。大きさは50、60Cm四方の小型な蓋から1.5mぐらいの大型の蓋までサイズさまざまです。サイズはともかくその材料が鉄製であることから、全国的に頻繁に、大げさでなく本当に頻繁に盗難対象となっています。
マンホールの蓋を外して古鉄金属商に持ち込めば、かなりの金額になるようです。よって麻薬常習者を筆頭にその盗難行為は昔からまったく止みません。ひとりではとても外せないような大型の蓋でさえ盗まれます。こういう盗品を平気で買い上げる古鉄金属商が全国に数いるという証拠ですが、捕まったというニュースはまず聞きませんね。ごくたまにマンホール蓋泥棒は捕まるようですが、この程度では懲役などにはなりませんから、しょせんいたちごっこです。
こうして都会であれ地方の町であれ、マンホールの蓋は盗難されるのです。例えば筆者の住む下町の例をあげれば、半径500メートルぐらいの区域を歩けば、数十のマンホール蓋盗難跡が目に入ります。取り去られた後、何も蓋が作りつけてなくぽっかりと穴が空いている状態もあれば、地元の住民が応急的に木の枠を穴に載せた場所もあります。最近自治体も多少工夫するようになって、材質が鉄ではないなんらかの材質で作った蓋を盗まれた後の場所に設けている場所も一部あります。この材質は銭にならないようで、これまで取られた形跡はありません。
マンホール蓋があるべき場所にないというのは、危険です。マンホールの位置は通常歩道の真中などに、ある間隔を置いて作られていますから、人がそのあたりを必ず歩くわけです。外灯のないとか電球の切れた外灯の立つ暗い夜道だけではなく、日中うっかりよそ見して歩いたりしていると、マンホールの穴に落ちかねません。これは誇張抜きに危険です。盗む奴も盗む奴ですが、盗品と知っていてそれを買い上げる商売人の倫理のなさに腹が立ちます。
ところで、上段でまゆみウエートレスはこう嘆いていましたね、「毎日屋台じゃ野菜不足になりそうだけどスーパーであまり 青い野菜 売ってなさそうですし」。いやいや、そうでもないのです。
一般にその気さえあれば、マレーシアの食生活で野菜不足にはあまりならないはずです。事実、料理は一切せずに(且つ料理ができないしその気もない)、昼食夕食ともに大衆食堂と屋台の料理で暮らしている私は、たいして野菜不足を感じません。大衆食堂と屋台のいわゆる経済食であれば、何種もの野菜オカズがありますから、私はもっぱら野菜オカズだけを選らんで食べます。肉と魚は野菜より単価が高いというのも大きな理由ですが、もともと私は野菜好きなので肉がなくてもたいして気になりませんし、魚は安価なイカンビリスのような雑魚交じりオカズで摂取できます。さらに私は(日本国外では)日本食・料理は一切口にしないので味付けにはこだわりません。
ただこの選択の多さは都会ゆえのことであり、小さな町の大衆食堂と屋台では料理自体の選択が少なくなりますので、確かに外食ばかりだと野菜欠乏症になるでしょうね。尚生野菜でなければ我慢できないという方には、確かにマレーシアの大衆食堂と屋台では生野菜はまず摂取できません。高級なレストランなら野菜メニューはありますね。まあ大衆食堂と屋台の料理は基本的に熱または火を通したものであるべきなので、生野菜をどうしても食べたい方は、スーパーか市場(いちば)で野菜を買って自宅で食べることですね。
都会のスーパーであれば、野菜はかなり豊富ですよ。地元産だけでなくたくさんのタイ産や中国産の野菜が並んでいます。これも小さな町となればスーパーもありませんから、食品雑貨屋の店先に並ぶ野菜種は少なくなります。しかし東南アジアらしさの最たる場所、そう生鮮市場(いちば)があるではありませんか。都会であれ地方の町であれ、市場(いちば)は必ずあります。クアラルンプールでは伝統的市場が市内のいくつかの地区にありますし、住宅街などで定期的に立つ夜市または朝市でも野菜は売られています。
伝統的市場はごみごみしており、暑く且つ一見汚いのですが、品は豊富であり値段は極めて大衆層向けです。百聞は一見にしかず、市場を訪れてご覧になれば、野菜など種類と量多く見つかります。「こちゃこちゃ買って満足」 するのがお好きな人は市場へ足を運びましょう。ただし日本のスーパーで買う野菜に求めるようなこと、つまり見たくれが悪い、曲がっているのは嫌だとか泥付きは嫌だという贅沢な要求を捨て去ることが必要ですね。
料理できる人であれば、市場は必須の場所となることでしょう。ですから市場はいつも朝から客でにぎわっており、今でもマレーシア人はスーパーよりも市場を好むと言われているぐらいです。
こうしてある日本人女性の捉えたマレーシアの都会の印象を細かく検証してみましたが、読者の皆さんはどう思われますか?それなら住んでみよう、住んでみたいがちょっと難しそうだな、とても住めそうにないな、と分かれることでしょう。
まあ住めば都ですね。自分が気に入った部分を大きく評価し気に入らない部分には深くこだわらない、ある種の諦めと適応性が生活には必要です、というのが、東南アジア徘徊・滞在歴 20数年の Intraasia の結論です。
人間の一生を巡るできごと:出生、子供時期、成年儀式、結婚、出産、育児、病気、老化、死去 に関する慣習、しきたり、伝統の面で、世界の国々と民族の間には実に様々な違いがあることを、人は具体的には知らなくても漠然と知っていますよね。この様々な違いを生み出すのは、これらできごとに対する捉え方(認識)に、民族間で、さらに同じ民族の間でも地域、時代、世代によって違いが起きるからです。この捉え方(認識)の違いが具体的に表出されるつまり目に見える形となることで、人は互いに慣習、しきたり、伝統の違いを知るのです。
慣習、しきたり、伝統を含め、いろんな民族、部族の個または集団としての文化的行動、あり方に眼を向ける文化人類学は、ものすごく範囲の広い且つ奥の深い学問ですね。学問までいかなくても、この方面は多くの人にちょっとした興味心を呼び起こします。例えば、博物館を訪問して展示物などを眺めると、興味心が起りますよね。この種の展示は人間の生活や行動を扱っているので、人に自然な興味を抱かせます。私は若い時一時期、この分野に心引かれたことがあります。日本の伝統的な学問に似たような分野しかし日本民族に限定したかのような民俗学がありますね。
さてマレーシアは多民族国家ですから、上記の人間の一生を巡るできごとにも、各民族、各部族の間で違いがあることを容易に目にすることができます。とはいえ、できごとによっては明確な違いがあまりない場合もあるし、顕著な違いがある場合もあります、さらに違いがあっても反対性または他民族にはよくわからないことがしばしばあります。この例としては、自民族または女性でないと踏み込めない分野である、女性のハレと穢れ(ケガレ)のできごとに関するものが典型的といえるでしょう。
そのよくわからない一つが出産及び出産にまつわる慣習、しきたり、伝統です。先日たまたま The Star紙 で、各民族の出産後の産褥期(さんじょくき)にまつわる慣習の違いを扱った記事を読みました。なかなか興味深い記事ですので、それから引用、参照して皆さんにも紹介しておきます。いうまでもなく私にこの種の知識はありませんので、例え記事内容に間違いがあっても私には発見できませんよ。
下記の文章中、説明に関する部分は全て 2005年5月29日付けの別刷り特集ページ "Fitforlife" に載った出産後保養に関する記事からです。
具体的には知らなくても、妊婦が出産後、身体の調子を元に戻すため、産褥期は保養生活をおくることは私もわかります。その際民族的な慣習、またはしきたり、または伝統に従がって、産婦は引きこもった生活を義務付けられることがあり、さらに産後保養生活には数々のタブーもあるようです。
華人の出産後の保養期間(産褥期)に関して、ある産後ケア−サービス会社の創始者(注:もちろん華人)はこう説明する、「昔中国では妻は厳しい生活を送っていた。日中は夫といっしょに田畑を耕し、家では家事も行ない家族の面倒を見る。その妻が子供を生んだ時、夫は日頃の苦労に報いるために、家で休養させなければならなかった。妻が出産後直ちに田畑に戻るとは期待してはいけません。」 こうして産後女性は1ヶ月間家の中に閉じこもるのです。この期間中に女性は休養し回復を待ちます。
なるほど、でも私は思うに、こういう厳しい生活は何も昔の中国だけでなく、日本だってさらに多くの国々でも同じだったはずです。100年ぐらい前までは一部の都市生活者を除けば、日本人成人女性の多くはこういう生活を送っていたことでしょう。よってこれは何も中国の民族に限らず多くの民族に共通の理由となりえるはずです。
マレーシアの三大民族の場合をみていきましょう。尚三大民族という言い方は、他のたくさんの少数民族をないがしろにしているかのようで、あまり好みませんが、慣用的なので仕方なく使います。
産後の保養期間(産褥期間)を dalam pantang といいます(注:忌む期間というような意味でしょう)。 身体が癒えるようにする重要な期間と捉えられている。「昔はこのdalam pantang は44日間でした、しかし現代では少なくとも20日間ぐらいで十分だと考えられている。」 とあるマレー産後ベビーシッターは語る。彼女の説明、「マレー人は出産すると神経が開いてしまうと考えています、そこで痛みと病気を防ぐためにこれを閉じさせなければならないのです。」
マレー人産後保養はいくつかの要素を繰り返します:血行を良くするためのマッサージ、熱い石(tuku という)療法、身体をぴっちりと包んで体形を取り戻す(barut という)、ハーブのバス、薬効ある滋養剤の摂取。
タブー
華人界ではこの産後保養期間を ”座月”と呼びます。文字上の意味から、座ってすごす月となりますね。
産後ケアーとサービス会社の華人代表は説明する、「女性の身体ホルモンは回復に日時を要する、それが30日間から45日間です。多くの華人に信じられていることとがあり、この ”座月”期間がきちんとなされないと、女性の子宮が引き締まっていかない、その結果たるんだ子宮になってしまう、というものです。
”座月”の重要なことの一つに、身体に”風”が入り込むことを防ぐことです。これが発生すると後年間関節に問題を起こすことになると考えられています。そこで悪名高いおかしな慣習として、産後女性は身体を洗ったり、髪を洗ってはいけない、となります。
”座月”期間中の食生活で推奨されることは、主として身体を暖める、血行をよくする、血液中から毒素を除く、子宮の引き締まりを促進させる、ということです。産後女性に奨励される食事内容は、古いショウガ、種油または酒で料理した肝臓と腎臓を肝を食べ、ハーブスープと滋養剤を飲むことです。それらが身体に活力を取り戻させるからというものです。
タブー
インド人のこの産後保養期間について、産後保養の面倒見を職業とするインド人女性は説明する、「女性が産後に保養しないと、後に身体に問題を起こします、例えば腰痛、膝痛です。」 インド人の産後保養も他民族のそれと同じく、子宮を元のように収縮させる、身体内の傷を正しく癒すということを軸に展開します。
血行を良くするため、疲れを減らすために種種の葉を用いたハーブバスを行なう。「香料の1種である omam を身体中にこすりつけます。それは肌を清め柔らかくさせるためであり、痛みを和らげるためである。」 とのことです。
推奨する食生活は、主として母乳の出を良くするためです。これに向いている食物に、緑野菜、サメの肉、ニンニク、黒いダール(インドカレー)のプディング、豆科のコロハを茹でた豆、などがあります。
インド人にはインド人式のマッサージとハーブを使っての身体包みがあり、これが産後女性の体形を回復させることに役立つと考えられています。
産後ケアーの面でユニークなことがあります、それは産後女性の産褥に直接関係するものではなく、産後女性の面倒を見る女性が提供するサービスに関係するものです。この面倒見女性が赤ん坊をマッサージする時、オリーブオイルを用いると、赤ん坊の肌の色ときめを良くすると考えられているのです。もう一つのユニークな行いに、新生児を調理済み米水に入れることで骨を強化し健康を強めるというのがあります。
タブー
なるほど、というものから、ほー、と言いたくなるような慣習、しきたりもありますね。現代の医学常識から言って、非医学者でも納得できない点もあります。そこでこの方面の専門家の見方と判断を紹介しておきます。
産褥期を医学的な観点から、ペナン州のある産婦人科が説明します。「産褥期であるこの6週間の間に、妊娠していた間に変化がおきた身体が次第に非妊娠状況に戻っていきます。900g にもなった子宮は妊娠する時のサイズである100g 以下に収縮します。胎盤が付いた所は自然に治癒します。身体の血液量は妊娠期には1.5倍に増加していたのが、通常量に戻ります。ホルモンの変化も起ります。これは授乳に備えるためであり、分娩後憂鬱や抜け毛が時に起きたりします。」
これは人間としての生物的特徴ですから何民族の女性でも同じですよね、詳しいことは医学書を開けば説明してあるでしょう。
「産褥期は赤ん坊に十分な栄養分を補給する基礎を築く大切な時期です。産褥期の母親の食生活は授乳することでより増えた必要性に答える必要がある」 といった、栄養学者の説明を聞くまでもなく、産後女性の食生活の重要さを我々は知っていますよね。
こうした産褥期の慣習、しきたり、伝統に関して、上述の産婦人科は、「科学的根拠はありません。西欧では産婦はこの種のハーブの助けなくまたはこの種の伝統的行ないをすることなく、回復して行きます。毎年患者から、違った種のしきたりの存在を知るのです。」 と語る。さらに、例えば、”メロン、茄子、ほうれん草のような”冷”と考えられているものを食べてはいけない”には、「全く医学的または健康面からの理由は見当たらない、反対に重要な栄養素を取れなくなってしまう。」 と同栄養学者はこの慣習を無視するようにアドバイスしています。
例えその行ないが害を及ぼさないものだとしても、いくつかの慣習的または伝統的行いには、十分気をつけて行うべきものがあります。医師の診断した例では、熱い石を使ったマレーマッサージ療法を不適切に行った結果、肌のやけど、子宮の内側に起きた炎症に苦しんでいる患者のケースがあります。華人の慣習である産婦は水を飲んでいけない、アルコール分を蒸発させた酒だけ飲むというものの場合は、むしろ危険性を含んでいます。似たように、他民族では水の摂取を制限するというのがあります。このしきたり・慣習を医師も栄養学者も疑問視しており、水摂取の制限は母乳の出を悪くする、さらに脱水症状をおこしかねず、この時期の産婦に危険な合併症に陥りやすくさせかねない、と警告しています。
まことそうでしょう。なぜ水分を制限しなければならないか、常識的には理解しがたいことではないでしょうか。しかし慣習、しきたり、伝統とは、実に根強いものであり、自主的にこういったことに従がうことに価値観を見出す人も少なくないでしょうし、周囲の圧力でそうせざるを得ない場合も珍しくないことでしょうね。
長い付き合いである友人(華人)の妻が、何年か前に数回出産をしました。その都度しばらく、多分1ヶ月間ぐらいは、その友人と会った時はもちろんその家を訪ねた時も彼の妻の姿をまったく見ませんでした。産後の慣習のためから部屋に閉じこもっているのだなと、私は推測しましたが、しいて友人に尋ねることはしませんでした。このように機会があれば、産褥期の慣習、しきたりをなんとなく知ることができますが、詳しく尋ねるのはどうも壁があって無理ですね。女性読者からの、この種の慣習、しきたりに関してマレーシアで知った、出くわした”発見”話にも期待しておきます。
発足以来、「ゲストブック」 には随時あれこれと書き込んでいます。ただこの「ゲストブック」は無料レンタル掲示板類ですから、100個の書き込みに制限されており、その数を超えた古いものから消えていきます。
そこで2005年前半に 「ゲストブック」 に私が書き込んだ長短の書き込みから、主なものを抜粋してこのコラムの1編として残しておきます。ごく一部の語句を修正した以外は、書き込み時のままです。
マレーシアの誇るAirAsia はタイに加えて昨年遅くインドネシアにも現地法人の格安航空を設立(買収して運営開始)しました。今年も業績を伸ばすと予測されているそうです。国内線での競争関係などの理由から、AirAsia とマレーシア航空の関係はあまりしっくりいってないようで、国内便の面で協力し合うとかいう提案もいつのまにか消えてしまいました。
ここにきて、まこと意外なニュースを知りましたので書いておきましょう。
その前にマレーシア航空のことです。多くの方はご存知ないようですが、マレーシア航空は飛行機を保有していません。その替わり Penerbangan Malaysia Berhad という会社から飛行機をリースして使用しているのです(数年前に経営が完全に替わった時点で保有機をその会社に買い上げてもらったのです、その後購入などもあって現在はいくらかは保有しているのかな?)。Penerbanganとは航空という意味で、この会社はマレーシア航空の株式を69%所有しているのです、つまり持ち株会社ですね。さらにこのPenerbangan Malaysia Berhad を100%所有しているのは、経済省(金融省)なのです。よって国がPenerbangan Malaysia Berhad という投資会社を通じてマレーシア航空をコントロールしているといえます。
さらに Penerbangan Malaysia Berhad は2年ほど前に、マレーシア航空の国内路線を引き継いだのです。国内路線はマレーシア航空のロゴを付け職員はMAS制服を着て運営されていても、持ち主はPenerbangan Malaysia Berhadなのです。つまり実質的にマレーシア航空は国際路線だけを持っているのであり、飛行機は(多分)全部リース機です。当時あらゆる固定負債から解放されたので、如何にマレーシア航空が身軽になったかおわかりですね。こうなった経緯は省きますが、一言で言えば、2000年前後の大累積赤字の結果、政府が買い上げて所有構造の大改造を行ったからです。
昨年の数字で行けば、マレーシア航空の総乗客数の半分は国内路線の乗客であり、しかし”人数Km” の式で収入に貢献している割合は、わずか11%だそうです。要するに国際路線に比べて、国内路線は利益効率がぐっと悪いということですね。国内路線の所有はPenerbangan Malaysia Berhadですから、Penerbangan Malaysia Berhadはこれを良くしたいということだと思われます。それがこれから述べるニュースの鍵です。
シンガポール航空の子会社で格安航空のTigerAirways というのがあります。TigerAirwaysはAirAsia よりはるかに小規模であり、マレーシアには飛んできていません。そのTigerAirways とPenerbangan Malaysia Berhadが組んで合弁会社を作る計画があるそうです。
そのメリットはPenerbangan Malaysia BerhadがTigerAirwaysに航空機をリースする、採算の悪い国内路線をTigerAirwaysに運営させる、一方TigerAirwaysはマレーシア市場に入り込める、というものだそうです。TigerAirways の親会社シンガポール航空の持ち主はシンガポール政府です。よってこの交渉には両国政府の意向が当然反映されることになりますね。
現代航空業界で躍進目覚しいのは格安航空ですよね、東南アジアの格安航空の代表は今のところAirAsiaですから、AirAsiaを巡るニュースは事欠きません。今回明らかにされたニュースはこれまでとはちょっと違った趣のニュースなので、へーと思いました。まだ交渉がまとまったわけではないので、この先このシナリオが完成するかはまだわかりません。それにしても興味深いニュースです。
「旅の掲示板」に、日本円の新デザイン札がマレーシアで両替えできますか?、という書き込みがありますね。それを見て、そうか、日本では新デザインの札が出回っているんだと、知らされました。確か去年だったかな、新聞に日本の新デザイン札の記事が載ったことを思い出しました。私の日本に関するニュースは当地の各種新聞に載るものだけですから、実物は見たことがないのですが、従来の札と相当違うのだろうか。
2000円札なるものの存在は知っていますが、もちろん見たことも触ったこともありません。随分と発行数が、従がって出回り数が少ないと聞いています。ということは、やはり日本では 2の倍数の札、コインは一般化しないだろう、と思います。
なぜそう思うか、それは200円で飯は食えないし、2000円で1食は高すぎる、2000円ぽっきりという物、サービスの種類は少ないではないでしょうか? 200円の場合、セルフサービスのコーヒーはそれぐらいの料金ですよね、でも200円でちょうど間に合う、という食品やサービスはこれまた少ないではないでしょうか、缶ジュース類は120円でしたよね?
つまり日常必需品、必需サービス、大衆食、身近な品物の分野で、2の倍数になるものが少ないということが、200円コイン、2000円札の需要を生んでないという推論です。
この推論はマレーシアの場合にも一部あてはまります。マレーシアでは、2の倍数のコインと札は 昔からあります。20セント硬貨は極めて流通が多く、ごく一般的です。でも20セントで買えるのは、ばら売り飴玉ぐらいですね。新聞1部は RM 1.20 と20セントが有用、といって 2.20、1.20 などという商品が多いわけでも、0.80 の品が多いというわけでもないので、マレーシアでは昔から20セントコインがあったので、その流れで今でもごく馴染みの高いコインなのでしょう。
一方2リンギット札はありますが、流通量は 1リンギット札や5リンギット札に比べてはるかに少ない。さらに4、5年前に流通が止まった20リンギット札は、全く流通面で伸びませんでした。現在の2リンギット札よりも当時出回っていなかった。だから中央銀行は発行廃止したのでしょう。
なぜ20リンギット札は流行らなかったか? それは日常必需品、必需サービス、大衆食、身近な品物の分野で 20リンギットぽっきりのものがほとんどなかったからでしょう。おつりは10リンギットと50リンギットの組み合わせで充分。 じゃあ、2リンギットの場合はどうか? うーん、2リンギットで飯はもう食えません。ロティチャナイとコピーの組み合わせなら2リンギットで間に合うが、これは軽いスナックです。麺類でも1杯が2リンギットで食べられたのは、10数年前の屋台ぐらいです。今では物価の安い東海岸でも、2リンギットで麺1杯は無理ですね。もし当時2リンギット札があれば、流行ったかもしれませんが、最近では 2リンギットぽっきりというものが、日常必需品、必需サービス、大衆食、身近な品物の分野にはないのです。
ところでタイでは20バーツ札が非常に流通しており、札の中では一番多いと言えます。その代り50バーツ札はごく流通が少ない。10バーツ札は今では10バーツ硬貨に替わった。タイでは昔から20バーツ札がたいへん馴染みある存在です。なぜだろうか?
それは多分、1食20バーツの食慣習が今でもごく一般的だからではないだろうか。もちろん物価の極めて高いバンコクではこの1食20バーツ慣習は、すでに10年以上前に消え去っていますが、地方の町や村ではまだこれが一般的です(昔バンコクで20バーツの頃は、10バーツ札1枚でした)。地方の町の大衆食堂では、ゲーン2種で20バーツ、つまりカレー味のおかずとご飯で20バーツ、各種麺類小碗で20バーツ、なのです。カオパットつまり焼き飯も20バーツです。
庶民の足である乗り合いピックアップトラックの料金は、5の倍数が多く、20バーツが最高ぐらい、コーラ2本で20バーツ、またバンコクの高級乗り合いバスは1回運賃20バーツですね。このように20ぽっきりみたいな設定が案外あるのです。これが20バーツ札の人気を支えていますね。
インドネシアでは2000ルピア札はない。2000ルピアでは飯は食えません、せいぜい新聞が1部買える程度です。2万ルピア札はあります。でも庶民に1食2万ルピアはずっと高価な食です。よって2万ルピア札は、日常の必需からは外れます。インドネシアでベチャに乗って1回2000ルピアはもう昔のことですね。よって2000ルピア1枚の世界はぐっと限られたものです。よって2000ルピア札発行の理由がない。5000ルピア札と1000ルピア札が、低所得階層の常時持つ札だと言えます。
とこのように、2000円札の流通の少なさから、2の倍数を基準にしたお札の点から東南アジア3カ国に目を向けてみました。
今日の新聞の投書欄に、KLIA空港での預けた手荷物の受取に関する投書が載っていました。
要旨:最近入国審査場での列の並び方が変わった。よって時間がかかるので、”紛失荷物”のケースが増えるであろう、とりわけ被害者は新方式で列を並び審査時間のかかる外国人となるであろう。なぜなら、マレーシア人の審査はごく短時間で済むからであり、外国人が審査をうけて入国スタンプを押してもらい、荷物引取り場に着く頃には、すでに荷物はとっくに回転コンベヤーに出てきているからです。
先日私(この投書主)が回転コンベヤーに着いたとき、誰かが私のスーツケースを持って行くのを発見して、急いで取り返した。その者は間違えて済まなかったとだけ言ったが、その者は明らかに盗んだのです、私のスーツケースは極めて目印の多いので間違えようがない。
現在麻薬などの持ち込み検査であろう、入国時の税関審査では荷物をX線検査機で調べています。その時係官が、荷物の持ち主に搭乗時の荷物預け半券を提示するように要求すれば、助かるのだが。預けた荷物が回転コンベヤーに着いて誰かに持ち去られても、その持ち主は 紛失荷物 と届け出るしかできないのです。以上
確かに最近KLIAの入国審査場の列並び方が変わりました。それまでは審査カウンター毎に並ぶ方式だったが、現在は10個近いカウンターを一つのブロックとしてロープを張った列の中をぐるぐると回りながら並ぶ方式。いくつかあるカウンターのどれかの審査が空けば列の先頭者が、そのカウンターの審査を受けることになり、私はこの方が良いと思います。あるカウンターで審査が長引くとその列だけが被害を受けますが、新方式ではそういうことは起りませんからね。
で預け荷物の盗難問題は、Imigresen の列の並び方などにあるのではないと思います。以前から私は気になっていたのは、その便の番号が記された回転テーブルの周りで乗客がそれぞれ預けた荷物を待っており、現れた荷物を勝手に持って行くように見えるからです。つまり乗客が搭乗時に手にした半券と荷物の半券を照合するような手続きは一才行われていませんよね。これはKLIAに限らず、バンコクの空港でもジャカルタの空港でも同じですね。成田では行われているのですか?
私自身は、搭乗時に荷物を預けるようなことはほとんどしません。預けるのは数年に1回程度です。なぜならどんな旅でも荷物を極限まで少なくする私は、小型で機内に持ち込めるサイズのカバンだからです(1ヶ月程度の旅行でもカバンの重さを入れて9kgを越すことは絶対にない)。だからあくまでも観察者としての視点です。つまり旅行に関してはいつもあれこれ観察しているので、回転コンベヤーから荷物を引き取る様子、状況を見ると、いつもあれでは盗む意図を持った者には対処できないなと、常に感じていたのです。
この投書を読んで、やはり同じことを心配している人がいるものだと納得しました。皆さんは心配されたことはありませんか
今週ある日のお昼頃、クアラルンプールのいわば古い繁華街であるJalan Tuank Abdul Rahman 通りとJalan Masjid India界隈 をふらっと歩いてみました。この一帯は、ブキットビンタン街、チャイナタウンとは一味違うマレーシアを感じさせる一帯ですから、時にふらっと訪れることを欠かせません。
この一帯に数軒あるマレー書籍及びイスラム書籍主体の本屋をたまたま覗いたら、店先に、「あれっ」という本が並べてありました。組織解散命令を受けたあのAl-Arquam の指導者(教組?)であった Ashaari Mohamad が著者である本が置いてあるのです。しかもその題名が Islam Hadhari なのです。
Islam Hadhari とはいうまでもなく、アブドゥラ首相が盛んに唱えているイスラム教の概念またはあり方であり、よってイスラム教政党やムスリムグループの話題になるだけでなく、時として主要マスコミもこの単語 Islam Hadhari を使うようになりました。
一時はマハティール首相にも挑戦的なことばを投げかけた、逸脱した教えを広める組織と見なされて、90年代中頃禁止された組織 Al-Arquam の教組であるAshaari は何年もの間拘束と住居地制限を受けています、または受けていました。そのAshaari が、よりによってアブドゥラ首相と同一みたいな意味合いがある Islam Hadhari に関して本を書き、それが出版されている、このことに私は驚いたのです。いや、私でなくてもこのことに多少知識のある者なら驚くはずです。なんでもJakim がこの本の内容を吟味しているとのニュースを読みました。
さらにこの店先の Islam Hadhariコーナーに並んでいる書籍に中には、PAS の Hadi Awang党首の著書もあります。タイトルが Hadhari Islamiah Bukan Islam Hadhari というものです。Hadi AwangはいうまでもなくPAS流の重鎮イスラム教学者兼政治家ですから、その著書は重みがあることでしょう。逸脱した教えの指導者Ashaari はこれまたかなり有名で、いまだに以前の組織員には影響力あるや否やといわれているそうです。方や、そのイスラム教知識の深さで敬意を集めるアブドゥラ首相、いずれもIslam Hadhari を語っているわけです。
イスラム教専門家でない私に、もちろんそれらの内容を論じることなどできませんし、そんな気持ちはありません。店先に並ぶのはB5版サイズの薄での本とはいえ、マレーシア語にアラビア語を散りばめたイスラム教解説本にはとても歯が立ちません。ペラペラとページをめくっただけです。
Jalan Masjid India で商売している VCD、カセット売り屋台の中には、政治関係のVCD、カセットを並べているところがあります。つまりPAS党やPKR党などの活動を録音した、映した VCDやカセットです。Anwar の演説風景集とか Nik Azizの演説集など、いわばイスラム政治の宣伝、啓蒙、広報 の媒体ですね。ムスリム地区やムスリム商売地区へ行けば、必ずや目に入る、売られているものです。いうまでもなく、ブキットビンタン街やチャイナタウンをいくら探してもこの種の VCDやカセット は売られていません。こういう屋台や夜店に並ぶ媒体をこまめに眺めると、ムスリム界でいま誰が人気ある指導者かがわかるそうです。私にはそこまでの知識はありませんが。
ということで、この短文はほとんどの日本人の方には縁のない話題であり、ご存知ない人名(敬称略)に触れましたが、マレーシアムスリム界を考える時には、これらは避けて通れないできごとと人名であります。Jalan Tuank Abdul Rahman 通りと Jalan Masjid India界隈はそんなことを気づかせてくれる街でもあります
28日深夜過ぎに起きた今回のスマトラ沖地震では、マレーシア西海岸では結構ゆれが感じられた地があったことが、今日の夜報(華語新聞の夜版のこと、夕刊とは違う)を読むとわかります。マレーシア気象庁の発表では、地震後29日午後2時過ぎまでに、余震が29回観測されたとあります。特に午後2時頃の余震は強く、首都圏でも揺れがでたと。津波警報はすぐ出され、ペナンやケダー州では避難、避難準備がなされましたが、ご存知のようにマレーシアでは全く津波は起きませんでした。よって警報はとっくに解除されました。
ペナン州、マラッカ州、スランゴール州などマラッカ海峡に面した州の場所によっては、地震と余震のために、建物から避難者がたくさんでました。しかし建築物に被害が出たという報告は全くないようで(ごくわずかにひびが入った程度)、且つ人身の被害はまったく報告されていません。なにはともあれ、被害がゼロということはよかったですね。
ところで、揺れに関して、クアラルンプールでも場所によって随分と違いがあるようです。ツインタワーのような超高級建築物は例外として、通常の建物は耐震構造になってませんよね。ですから皆同じくらいに揺れるかと思えば違うのです。私の住むアパートでは全く感じません、高級なコンドミニアムじゃなく単なるアパートです、10階にいてもまったく感じません。しかしオールドクランロードで、ダマンサラで、というように建物が揺れて深夜多くの住民が外に飛び出した場所も珍しくないようです。地盤のせいなんでしょうかね?
さらにマレーシア人は地震にまったく慣れていないので、多少の揺れでもものすごい揺れと感じる傾向があります。部屋においてあるテレビが揺れた、水槽の水が波打った、などという住民のことばが載っていますが、立っていられないような揺れでも、タンスが倒れるような揺れでもないのは明らかです。地震国日本ではこの程度の揺れで、居住者が大慌てで外に飛び出すようなことはないでしょう。
ということで、各地の中層アパートでは、住民が外に避難した様子です。しかしマレーシアのこの種の建物が耐震構造になっていないので、もし私のアパートが多少揺れれば、外に出るかもしれませんね。ですから避難したマレーシア人の行動も当然でしょう。
しかしスマトラ北部、つまりその大部分はアチェ地方です、はどこまで不幸だろうと思います。今回はほとんど津波被害は起らなかったようですが、震源地にほど近いNias 島では大半が倒壊、スマトラでは少なくとも1000から2000人ぐらいの死者の怖れ? という記事も出ています。12月の地震津波の被害時では、正確な死者数も行方不明者もとうとうわからずに終っています。もし辺境地が襲われたとすれば今回も正確な数はわからないでしょうね。
スマトラ北部の西海岸は12月の時は、救助の手が随分と遅れて入りましたよね。バンダアチェと違って、今でも状況はよくわかりません。今回はその西海岸に至近した沖の海中が震源地だそうです、するとまたスマトラ北部の西海岸は強烈な震度に見舞われたのだろうか?
Nias島そのものはアチェには属していません、行政的には北スマトラ州にはいるはずですが、島からアチェの西海岸はごく至近距離です。私が訪れたことのあるTapaktuan はNias 島へのボートも出ていたはずです。こうしてアチェの西海岸側はまた強烈地震の直近となった。北スマトラ州であれアチェ西海岸であれ、とにかくあのあたりの貧しさとインフラの悪さは、訪れたことのない方にはほとんど想像できない悪さです。貧しさの上に不幸が重なり、その上にまた不幸が重なってなければいいのですが。
中国では今日反日大集会・デモが行なわれたそうで、華語新聞各紙は夜報で一斉にそれを報じています。夜報とは夕刊のことではなく、毎晩19時過ぎくらいから発売する、翌朝刊の早刷り版のことで、英語紙、マレーシア語紙にはないマレーシア華語新聞だけの特徴です。
ほとんどの在住日本人には馴染みのないことでしょうから、主題に移る前に状況をちょっと説明しておきましょう。
私は古い華人下町の真中に長年住んでいます。住民のざっと7割強は華人です。日中たくさん働いているマレー人は、ほとんど住んでいません、つまり通いばかりです。インド人はマレー人より多く住んでおり1割弱ぐらいでしょう。なんと外国人労働者がマレー人プラスインド人よりも多く住んでおり、ミャンマー人、ネパール人、インドネシア人、中国人です。昔から白人及び(私以外の)日本人は1人も住んでいません。地元華人社会は華語と広東語の世界です。
私は出かけない時はほぼ毎晩どこかの屋台や屋台センターへ夕食に行きます。今晩は屋台センターへ行って、新聞を読んだり掲げてあるテレビをぼんやり見ながらゆっくり食事して1時間半ほど過ごしました。屋台センターの客は常時9割以上は華人です。
その間屋台センターへは毎晩のことながら、華人の夜報売りがいれかわり立ち代りやって来て、新聞が実によく売れます、いつ見ていても数十部は売れます。夜報でよく売れるのは、大衆路線の中国報のようで、次いで星州日報かな、南洋商報、光明日報もそれなりに売れているようです。今晩の夜報はどれも第1面で、中国の反日集会・デモの記事です。(明日のコラムで掲載しますが)この種の報道で突出している星州日報は全面つぶしてこれを報道しています。もちろんどの新聞も内部ページでも、写真を一杯載せて反日報道しているように見えます。
私の座るテーブルの後ろで、向うで、右で、左で、あちらで、そちらでと、もう至るところで、人々はこの夜報を眺めています。これまでの例からいって、日本人記者の書く記事などありませんから、ほとんどが中国発の外報電記事でしょう。東京発などの記事も少なくありますが、これらも外報電です。外報電はその新聞社の編集側によって”料理”されて記事となります。
こうして意図する意図せずの結果、華語紙はもう圧倒的に反日活動記事で埋まってしまいます。私は日本の教科書改竄を支持するわけでも、小泉・自民党内閣を支持するわけではないが、この圧倒的な、中国側視点が強そうともいえるような新聞記事の洪水、まさに洪水です、を眺めると、悲観的にならざるを得ません。
誤解なき用に付け加えれば、マレーシア華人社会は中国社会と違うので、たちまち反日・反日本人意識が広がる、日本製品ボイコットが広がるということではありませんよ。そんなことにはならないと思います。普段反日感情を示すような人はほんの一握りのはずです。しかし連日この種の報道を読んでいる華人の意識の中になんらかの変化が生まれることは推測できます。その変化は決して大きく素早いものではないでしょうが、中期的な目で見た時、決して日本及び日本人にプラスにならないでしょう。
今晩夕飯を食べながら私のテーブル回りに広がる、夜報の反日記事と写真を見ている華人たちの光景を眺めていると、こんな思いにとらわれました。
「旅の掲示板」で書き込んでいて、非常に残念に思いました。それは外国人訪問者である妊婦のマレーシア入国規制の件です。規制がある、ないということではなく、Jabatan Imigresen がそれに関する情報を公示・公開していないことです。
Jabatan Imigresen はその公式サイトを持っており、出入国条件、Pass、Visa、Malaysia My Second Homeなどなどに関するいろんな情報を載せています(マレーシア語と英語)。それ自体は結構なことですね。だったらなぜ、妊婦の入国に関する情報を掲載しないのだろう、海外の大使館へはなんらかの通達をしたのであろう、だから大使館は問い合わせに対してそれをまた伝えするだけで、文面としては訪問者には全く”見えないまたは現れていない”。
現代世界はますます人の移動は盛んであり、妊婦であり幼児であれどんどん海外を移動している。ある国が入国者にどういう要件を課しているかの情報は、明確にすべきですよね。せっかく公式サイトがありながら、それが抜けているのは残念です。
今日私がKLIAのImigresenに電話したら、妊婦に対する規則はある、と先日とは別の係官。じゃあ、シンガポールから陸路入国する場合は同じように要求されないのはなぜかという私の質問に、現場の責任者が決めることである、と係官は答えました。
わかったようでわからない説明でした。このように、明確な公示がないので、ある係官はこういう、別の係官はこういう、大使館はこういう、などと食い違ってきます。別に秘密にしなければならないことでもない、それどころか秘密にすれば困るのは外国人訪問者ですよね、Jabatan Imigresen には是非この種の情報は公示して欲しいものです。
華語紙各紙は広義の反日ニュースを多少または扱いの大小の差はあっても、4月はほぼ連日載せていましたが、さすがに5月に入るとほとんど目にすることはなくなりました。ただし華語紙中で最大部数を誇る 星洲日報 だけは、今日発行の時点でもそれ用にページを割いて載せ続けています。
というのは星洲日報は2週間ほど前に連載開始した 日哀・日怨シリーズという日中の100年の怨念の歴史解説を、別刷りページで丸々1面を充てて毎日載せているからです。10日は韓日民族恨 というタイトルで全1ページが写真付で埋まっています。このシリーズもどうやら終りに近づいたようです。
いつも言うように、歴史の事実を載せるのは別にとやかくいうつもりは全くありませんが、日本人をステレオタイプ化した捉え方と 星洲日報の隠れた意図を感じる報道スタイルには、違和感を感じ続けています。
私は日頃、日本語のメディアはまったく読みませんし、目にしませんので、日本の情報はマレーシアのマスコミが伝えるものがほとんどを占めます。そこで日本、日本人がどういう捉え方をされて、または編集側がどう料理して、紙面やテレビ画面に現われるかによく注意がいきます。今回の一連の反日報道では、これまであまり気がつかなかった星州日報の編集姿勢がよくわかりました。
連日の反日報道の内容に(報道すること自体ではない)に不満を感じていた私は、1人の日本人としての観点から綿々と綴った華語文をある華語紙に投稿しましたが、思った通り没になりました。載せる可能性は低いとわかっていましたが、連日の”偏重報道”に腹が立ったからです。強調しますが、反日ニュース自体に対してではありませんよ。
このようにどの外国であれ、日本のことを日本の新聞やテレビが伝えるようには伝えないのは当然のことであり、それ自体はし方のないことですね。私が願うのは、ある国(ここではマレーシア)のマスコミはどのように日本を捉えているか、または西欧有名通信社の発信する外電をどのように利用してまたは料理して、それを紙面に載せているか、ということを多少でも知っていただきたいということです。それが過去7年ほど毎日掲載している「新聞の記事から」の一部面でもあります。
マレーシアの新聞、テレビが日本を直接取材することはごく少ないので(ないとはいいません、特派員は常駐していない)、紙面に載る日本関係のニュースの大部分は、外国通信社の発する外電またはその翻訳です。
今日のStar紙 で、定期的にはさみ込まれる ”情報技術分野の別刷り特集”の中の約1ページが、日本のロボット開発に触れた記事です。タイトルに”大阪:世界のロボット首都”とあります。
書き出しの抜粋
日本の経済が低落した失われた10年の間、大阪はホームレスと失業と、カバンひったくりと電車での痴漢の先端であった。今や港をもつこの大阪は、その希望を高さ39Cmの人間に似たロボットにしっかりとあてている。その狙いはもっと価値ある評価を達成することであり、すなわち世界のロボット首都としてです。
以下略
こうして大阪と関西におけるロボット開発の現状と展望を細かく紹介している記事です。明らかに肯定的な評価の記事です。発信は Guardian Newspapers とあるので、欧州系新聞からの転載だと思われます。書き手は日本に駐在している西欧人記者かこういうメディアと契約している日本人のどちらかかはわかりません。
冒頭の描写が正しいのか違うのかは、たくさんいらっしゃるはずの大阪人の読者におまかせします。
マレーシアのマスコミに載る日本に関する記事は、UPI、AP、AFP,DATなどの発信が多く、その記事の書き方にいかにも西欧人を満足させるようなスタイルがよくあります。そういった記事を書いているのは必ずしも西欧人とは限らず、署名入り記事には日本人または日系人と思われる名前を目にすることも珍しくありません。編集側がそういう要求をしているのか、書き手がそれを見込んで書いているのかはしりませんが、強大な世界的通信網の発信するニュースは、多くの国々の人の目に触れ、知らず知らずのうちに影響力を与えるはずです。
私は長年外から、とりわけ東南アジアと中欧から、日本と日本人を眺めてきました。他国のマスコミは、日本マスコミが見るように日本人と日本を見ているわけではない、ことはよく知っていますが、それでも時に違和感を強く感じる場合があります。そんな例が、今回の反日ニュース報道のスタイルでしたね。
今年に入ってぐらいから前歯の2本ほどがずっと不快で、加えてその周りの歯茎が痛くて且つデンタルフロストで手入れすれば必ず出血することに悩んでいました。歯痛以上に歯茎不調に悩まされていたわけで、ほぼ毎月かかり付けの近所の歯医者で治療を受けていました。しかし毎晩丁寧に手入れするなどできることは全てやったし、もうこれ以上やってもよくならないだろうという医者の勧めと毎月の歯科治療費を考慮して、抜歯に同意して、今朝抜いてもらいました。抜歯代 RM 90.
この半年あまりで2回目の抜歯です。出血が止まらず物は食べられないで、今日の午後は寝て過ごしました。ほんと歯痛、歯茎病気はやっかいですね。月一回だけ通うとはいえ、乏しい我財政を直撃するし、この先まだ金がかかると思うと、歯がなくなるのはやはり残念ですが、もういいや抜こうとなってしまいます。抜けばその歯に関しての治療費はもうかかりませんからね。
このように私はマレーシア生活では医者と歯医者の縁は全く切れません。肩が動かなくなってしまったとか、転んで手首を強打したとか、目がなんとなくおかしいとかと、なんのかんのと毎年病院に行っています。風邪が直らずしかたなく、街の医院に行くこともあります。高級な病院は避けますが、それでも病院は一回 RM100近くかかり、長期保険にはいれない私には保険が切れてしまうことが多く、負担がたいへんです。
こういう時つくづく思う、そして大事なのは良い医者、歯医者に出会うことですね。良いという意味は、単に良い技術だけでなく自分に向いた医者だということです。ある人には不向きな医者でも別の人からの評価の高い場合があるのはマレーシアでも同じですね。
歯医者に関して言えば、これまでかかった歯医者の3分の1ぐらいは気に入りましたが、つまり10人近い歯医者にかかった内、いいなと何回も診てもらったのは現在かかり付けの歯科医を含めて3人だけです。街医者の内科医も何年間に数軒の街医者に診てもらった結果、この医者ならいいなと思った医者に固定しています。
これまで何カ国もで医者、歯医者にかかってきましたが、外国で初めての医者に診てもらうのは、いつもある種の不安感を感じます。その医者の技量とくせがわからないからです。もちろん料金も心配ですが、構えの立派でない病院なら、ぼられることはないでしょう。なにはともあれ、ひどい下痢状態に落ちた時など急性の病気では、あれこれ選んでいる余裕はありませんから、最初に診てもらう場合はもう運ですね。2年前タイの東北部で軽い食中毒みたいな状態になった時も、最初の医者にがまんできず、よく日同じ病院で別の医者を要求しました。
長く滞在すれば外国生活には医者との縁がついて周りますから、長期滞在される方はこんなお話しも参考にしてください
今日付けの 英語紙Star に、時々別刷りで挟み込まれる十代向け特集ページの中に、日本での交換留学プログラムで3週間のホームステーした、マレーシア華人女性徒の報告が載っています。何気なく読んでいて、この女性徒ならず私も驚いた部分があります。
多分16才前後ぐらいであろう、この女性徒は東京から新幹線で3時間離れた町で、日本家屋の家庭にホームステーして近くの高校に通ったとのことです。その経験を驚いた調子を混ぜて書いています。
公衆浴場に初めはとまだった、日本人はありがとうを連発しお辞儀ばかりしている、家のトイレにウオッシュレットが付いている、日本人は時間に正確で、例えば授業はいつも時間通りに始まったなど、とあります。これらは日本に慣れてない、初めてだ、といった外国人から一般的に聞く印象・感想であり、別に珍しいことではないでしょう。
マレーシアの女性徒はユニフォームのスカートの長さが十分あることに気を使うが、日本の女性徒は十分に短いことに気を使うと、ユーモアを交えた感想を書いてます。
彼女は続けてこう書く、「ある日、私はいつもより早く教室に着いた。そしたら教室内で同級生が髪の毛を器具を使って伸ばしていたので、ものすごくびっくりした。それだけでなく、女性徒は毎日学校へ化粧キットを持ってきて、化粧するのです。授業と授業の10分間の休憩時間に、女性徒がパウダーを付けブラッシングしているのを見るのはごく普通です。最初の日、私は驚きで見つめてしまった。
男子生徒も同じように自分のことをすごく気にかける、大きなノート大の鏡をいつも持参している。自分の外見に気をかけるのは、日本人生活の大きな一部である」
えー、今の女子高校生は、学校、教室で化粧などするんですか? 男子生徒はそんな大きな鏡をいつも持参する、ほんと? この記事の描写は、一部の例外的高校生のことなのだろうか?それとも現代高校生の一般的ありかたなのであろうか?
女性OLが会社のトイレや自分の机で休憩時間に化粧直しているのは昔からの光景ですよね、私もサラリーマン時代、あちこちの会社で見かけました。しかし私の時代に高校で、いや大学でさえそんな姿を見た記憶はない。21世紀の現代は、高校も会社並にファンション意識に重きをかけるようになったのですか?それともこれは小数派の高校でのできごとだろうか?
子供のいない私はそういうことまで知る機会がないので、このマレーシア華人女性徒の報告を読んで、彼女と同じように驚きました。私が知らないだけなのかなあ。
1999年のコラム第127回で、「オランアスリを知っていますか」 という小文を書きました。書いたといっても、私にこの分野での深い知識はありませんので新聞記事などを相当参考にしたものです。マレー半島の先住民族であるオランアスリをテーマにして今回書くのは、その時以来久しぶりのことです。
前から訪問したかった、クアラルンプール郊外にあるオランアスリ博物館を先日ようやく訪れました。オランアスリに関する施設としては国内唯一の専門博物館であり、興味深く見学できました。クアラルンプール市内にある国立博物館のように立派で大きな建物でも、常時訪問者が訪れる博物館でもありません(月平均の訪問者数は2500人だそうです)。博物館の場所はクアラルンプールの外となるスランゴール州Gombak Utara地区です。その地まではクアラルンプール中心部から1種類だけ運行されている乗合バスで、40分から50分というそれほど遠くない距離にも関わらず、外国人旅行者・在住者でその地を訪れる人はごく少ないでしょう。
マレーシア人でも、その地に知り合いがいたり、仕事の用事でもない限り、オランアスリ博物館のあるあたりへ足を伸ばすことはまずないはずです。Gombak には観光施設、大工場、大ショッピングセンター、高級コンドミニアム、外国企業の入居するようなビジネスビルはまったくないし、さらに奥ともいえるGombak Utara地区を通る一本道は田舎道なので、州外の地方へ行くために使うこともまずないからです(ハイウエーを使うのが普通です)。尚Gombak はマレー人多数地区として知られています。
オランアスリ博物館をグループの外国人旅行者が全く訪れないのは、観光バス・バンで市内ツアーを催行する旅行代理店がそこをプログラムにいれてないからです。オランアスリ博物館への道順は、この種の観光バス・バンでの市内ツアーがよく訪れるバツ洞窟への道筋と途中まで同じですので、20分ほど足を伸ばせば、交通面から訪れることは無理ではないのです。しかし、といって旅行代理店にそれを期待するのも酷です、なぜならオランアスリ博物館を訪れても金銭的見返りはゼロですから、コミッションに頼るツアーオペレーターがそうする動機が見当たらない、且つ外国人旅行者もオランアスリ博物館を訪れたいなどという人は皆無に近いはずですから、その訪問をプログラムに入れたら問題となってしまうことでしょう。
私は思うに、気乗りしないグループ旅行者はこういう博物館を訪れない方がいいという意見です、見学する者の邪魔になるからです。
外国人旅行者うんぬんという以前に、非オランアスリのマレーシア国民自体の中に、オランアスリへの理解と関心が極めて低いのは事実です。これは、一般日本人が日本の先住民族であるアイヌ人に寄せる関心と抱く知識のことを考えれば、似たようなものだと言えますね。アイヌ人及びアイヌの衣装などが北海道観光の売り物の一つとしては商業的に宣伝され知られていても、アイヌ人の伝統、言語、風俗などを、一般日本人が興味を持って知る、そういうものを残す努力に協力するという、行動はほとんどありません(個人やグループとしてあることを私は知っているので、ないとはいいませんよ)。
オランアスリの存在は当然学校でも教えるでしょうし、時々マスコミのニュースにあまり目出たくないニュース対象として紹介・登場しますから、マレーシア人でオランアスリの名前を聞いたことのない人はまずいないはずです。しかし、経済的には全く取るに足らない存在であるオランアスリが極めて少数民族であり、政治的にも地からを持たないとという事実を考慮すれば、一般マレーシア人のオランアスリに対する知識は限られており且つ偏ったものであると判断しても間違いではないでしょう。
よってこれらの現実から、オランアスリ博物館を訪れるのは、マレーシア人、外国人を問わず、あくまでも個人の興味と意思からオランアスリのことを多少で、も知りたいという人に限られます。これを証明するかのように、私が博物館とその敷地内にいた午後の2時間半ほど、一人として他の訪問者はありませんでした。数人の職員が暇そうに外でぶらぶらしていました。
さて館内の掲示資料と薄っぺらの無料パンフレット、さらに博物館付属の図書館でもらったオランアスリ問題庁発行のオランアスリコミュニティー向け配布と思われる誌(マレーシア語)から、オランアスリの分布と人口を書き出してみましょう。
最新のデータであろうと推定される2003年12月時点でのオランアスリの人口は、147、412人です。その時の総人口2500万人の1%にもはるかに満たない低比率ですね。この人口数ではとてもオランアスリ代表として国会下院議員に選出されることは無理です、そこでオランアスリの意見集約する代表として、選挙選出ではなく政府任命議員からなる上院に、オランアスリコミュニティーから1人が任命されています。
先住民族オランアスリは3つの部族に大別されます:Senoi セノイ、Melayu Proto プロトマレー、Negrito ヌグリトです。その下にそれぞれ6種の下位分類部族があります。
次ぎの表は2000年の国勢人口調査を基にして、オランアスリ問題庁がまとめたものです。
3民族 | Senoi | Melayu Proto | Negrito | 合計人数 |
それぞれ6つ ある下位の 部族名 |
Temiar, Semai, Semoq Beri, Mahmeri Che Wang, Jahut, |
Temuan, Semelai, Orang kanak, Jakun Orang kuala, Orang seletar |
Kensiu, Kintak, Lanoh, Bateq Jahai, Mendriq, | |
ジョーホール州 | 454 | 7620 | 200 | 8274 |
ケダー州 | 64 | 83 | 141 | 288 |
クランタン州 | 8469 | 144 | 859 | 9472 |
マラッカ州 | 101 | 991 | 15 | 1107 |
N. スンビラン州 | 194 | 6990 | 12 | 7196 |
パハン州 | 21232 | 25974 | 501 | 47707 |
ペナン州 | 81 | 416 | 15 | 542 |
ペラ州 | 37266 | 1282 | 1681 | 40229 |
ペルリス州 | 7 | 25 | 1 | 33 |
スランゴール州 | 4482 | 12001 | 377 | 16860 |
トレンガヌ州 | 338 | 25 | 256 | 619 |
クアラルンプール | 183 | 301 | 92 | 576 |
合計人数 | 72871 | 55852 | 4150 | 132873 |
現在のオランアスリ博物館はオランアスリ問題庁が旧博物館の全面的立替えとして建設したもので、1998年に完成しました。展示品と展示写真はそれなりに豊富ですが、オランアスリの今 という情報面では全く欠けています。博物館全体の展示、説明のあり方には満足を感じた私にとって、残念な点の一つがこの現在情報の欠落です。展示品と展示写真は、オランアスリの生活必需品、道具、衣装、アクセサリー、狩猟道具、手作り楽器、住居やボートのミニチュアなどたくさん展示されています。冠婚葬祭に関する説明もあります。
何十年か前に西欧人主体で撮影されたと思われるオランアスリの生活を示すビデオテープが2、3本あると、職員が教えてくれましたので、私は早速職員に頼んでテレビ受像機で1本見ることができました。確かに貴重な映像ですが、まさか現在でも同じ生活を続けている思われないので、あくまでも過去の生活を知る映像と理解しました。
上で触れたように、オランアスリ博物館には、オランアスリの今 を示す物、写真、資料 が全く不足しています。博物館だから過去の歴史を示すだけで十分ではないかと思われるかもしれませんが、そういう情報だけでは、”いまだにジャングルで自給自足生活を送っている現代文明に取り残された民族” という偏見を助長してしまう怖れがあるからです。もちろんこの”偏見”にある程度の事実があることを現状では認めなければならないでしょうが、そこで終ってはいけないと思います。
オランアスリ博物館のある地区には、オランアスリ問題庁(Jabatan Hal Ehwal Orang Asli) の支部建物、立派なオランアスリ問題庁病院があります。ただそのすぐ近辺にはオランアスリの集落はないそうです。博物館の敷地内には、オランアスリの民芸品販売をする建物もあります。売られている品と種類は決して多いとは言えませんが、オランアスリの下位部族の中ではよく知られた Mahmeri族の木彫り製品がいろいろと並んでいます。Mahmeri族といえば、すぐ木彫りというぐらいですから、そのユニークで見事な木彫り品は見る価値はありますよ。
先住民族の種類が数十に及び、人口も州の半分以上を占めるサラワク州は、半島部とは違った州独自の法律があります。その代表的ともいえるのが先住民族の土地などに関する慣習的権利を、(半島部よりは)比較的広く認めていることです。詳しいことは知りませんので、残念ながらこで解説はできませんが、慣習的権利の認める範囲と効力は半島部のそれより高いというのが、一般的知識です。
さてこれに関係するるニュースを最後に掲載しておきます。オランアスリがその先祖伝来の土地を収容された件で、当局を訴えた珍しい裁判のニュースを、2005年6月14日付け Star紙の記事から引用します。
オランアスリの件は、世界の多くの国々におけるそれぞれの少数派先住民族が面するまたは抱える問題と共通した根があり、似たような現象として現われているのだろう、と私は思います。要するに決して特異なまたは例外的問題ではないですね。
これまで断続的に掲載してきた 数字で見た シリーズです。マレーシアに関する様々な統計数字を掲載しています。ここでは、数字を視点にしてマレーシアの諸面を知ってください。
統計庁が発表した最新の人口推定です。
マレーシア国民 2430万人 | 非マレーシア国民 | ||||
マレー人(ブミプトラ) | 非マレー系ブミプトラ | 華人 | インド人 | その他民族 | 世界中の国から |
1310万人 | 280万人 | 610万人 | 180万人 | 31万人 | 180万人 |
年齢層 才 | 0-9 | 10-19 | 20-24 | 25-29 | 30-34 | 35-39 | 40-44 | 45-49 | 50以上 | |
人口 (万人) | 580 | 510 | 240 | 210 | 190 | 180 | 160 | 140 | 370 | 2600万 |
比率 | 22% | 20% | 9% | 8% | 7% | 7% | 6% | 5% | 14% | 100% |
2005年は経済好調が続いています。
農業 | 鉱業 | 建設業 | 製造業 | サービス業 | 実質GDP | |
2004年第1四半期 | 3.8 | 5.9 | 0.9 | 12.5 | 6.4 | 7.8% |
第2四半期 | 3.2 | 1.2 | -1.7 | 11.9 | 7.8 | 8.2% |
第3四半期 | 6.1 | 4.2 | -3.0 | 9.9 | 6.1 | 6.8 |
第4四半期 | 7.3 | 4.4 | -2.6 | 5.5 | 6.5 | 5.8 |
2004年年間 | 5.0 | 3.9 | -1.5 | 9.8 | 6.8 | 7.1% |
2005年第1四半期 | 6.0 | 3.3 | -2.4 | 5.6 | 6.0 | 5.7% |
民間会社では雇用者と被雇用者は毎月給料の一定割合を、被雇用者福祉基金(通称EPF)に納めなければなりません。つまりEPF納入者になります。EPFの統計によれば、定年退職時における被雇用者の口座の平均残高はRM 77,000 です。しかし低所得者層ではこの額は RM 33,000 になります。さらに悪いことに、EPF納入者の70%が退職時の55才で引出した額を3年以内に使いきってしまうのです。
観光省が発行している免許の発行数 −2005年3月の時点−
旅行代理業 | 旅行ガイド | 観光業関連の訓練学院 | 旅行jバス | 部門 |
2269 | 5876 | 62 | 3220 | 数 |
全国 平均 |
クアラ ルンプール | ケダー州 | ペナン州 | マラッカ州 |
ジョー ホール州 | クランタン州 | サバ州 | サラワク州 |
60.8% | 67.4% | 58.38% | 62.8% | 60.7% | 58.6% | 43.5% | 64.6% | 54.6% |
関係法の改正によって首相、大臣、副大臣、政務次官、両院の国会議員の歳費が1割引き上げられます。この歳費引き上げは今年1月に戻って実施されます。
職 | 首相 | 大臣 | 政務次官 | 院の議長 | 下院議員 | 上院議員 | 野党代表 |
歳費 RM | 22826 | 14907 | 7187 | 14219 | 6508 | 4112 | 3846 |
選挙で選出される下院議員の現行収入(引き上げ前) |
|||||||
名目 | 基本 | 特別費 | 運転手手当 | 通信手当 | 旅行手当 | 交際費 | |
額 RM | 5916 | 500 | 800 | 800 | 300 | 1500 |
マレーシア一般保険協会による昨年統計では、全国で1日平均73台の乗り物が盗難されました。車には自動車、バン、トラック、バイクが含まれます。これによって保険会社は総額RM 5億6000万を支払ったとのことです。保険のかかった車の盗難数は2003年が1936台だったので、2004年の26566台は3割以上増えたわけです。
一方警察の統計では、保険未加入車両も含まれているので盗難総数に違いがでてきます。警察庁幹部は昨年の被盗難車両数は65000台ほどだと語りました。
全国犯罪統計指数が昨年同期に比べて、4.3%減少しました。つまり、2004年1月から4月まで 52174件、2005年同期が49929件でした。マレーシア犯罪防止基金発表です。
重犯罪 | 殺人 |
殺人 未遂 |
集団 銃器 強盗 |
集団 強盗 |
銃器 強盗 | 強盗 | 強姦 | 暴行 | 合計 |
2004年 | 195 | 38 | 16 | 600 | 151 | 4566 | 581 | 1393 | 7540件 |
2005年 | 172 | 32 | 14 | 562 | 94 | 4303 | 568 | 1406 | 7151件 |
財産 犯罪 |
日中 家宅 侵入 |
夜間 家宅 侵入 |
トラック バン 盗難 |
自動車 盗難 |
バイク 盗難 |
ひった くり |
その他 盗難 | ||
2004年 | 2116 | 6033 | 1713 | 2839 | 16830 | 4511 | 10592 | 44634件 | |
2005年 | 2211 | 5658 | 1718 | 3083 | 15833 | 2897 | 11387 | 42778件 |
マレーシアの刑務所に収容されている囚人の内裁判中または罪状確定に関わらず、manslaughter (謀殺 murderに対して予謀のないもの)または殺人の罪で収容されている女性は31人です。一方男性は701人です。
刑法の302条で起訴された者は、有罪即死刑判決となります。304条で起訴されればmanslaughter となり、有罪の場合は最高懲役20年です。男性殺人者と違って、女性殺人者の被害者は、その女性の身近な者ばかりです。
マレーシアにおけるミッションスクールの歴史は古く、19世紀初期に聖教者によって最初のミッションスクール、例:Penang Free School 、が設立されたとのことです。クアラルンプールで最初にミッションスクールが設立されたのが19世紀末でした。こうして20世紀初期の英領マラヤでは、英語媒介教育の学校に通う生徒の4分の3がミッションスクールで学んでいました。
マラヤ独立とマレーシア成立などの教育機構改革を経て、1970年代初期に政府はミッションスクールを変化させました:教育省が教師と給料を提供し、さらに学校の基本的運営費用を負担する、スクール側は土地と建物を引き続き保有する。
小学校の数 | 中学校の数 | 合計校数 | |
半島部 | 83 | 144 | 227 |
マレーシア全土 | 338 | 124 | 462 |
教育段階 | 在籍 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 |
小学校 | 男子生徒比率 | 51.3% | 51.3% | 51.4% | |
女子生徒比率 | 48.7% | 48.7% | 48.6% | ||
男女生徒総数 | 2943827人 | 2989284人 | 3071121人 | ||
中学校 | 男子生徒比率 | 49.6% | 49.4% | 49.7% | |
女子生徒比率 | 50.4% | 50.4% | 50.3% | ||
男女生徒総数 | 1971947人 | 2933877人 | 1992109人 | ||
大学 (カレッジは含まず) | 男子学生比率 | 42.2% | 41.2% | 39.1% | |
女子学生比率 | 57.8% | 58.8% | 60.9% | ||
男女学生総数 | 245989人 | 283206人 | 283239人 |
中学6年終了前に行う、全国統一試験STPM の結果が発表されました。このSTPM の結果が、各学生が志願した国立各大学への入学資格を判定する基準となります。国立大学はそれまでの民族別割り当て制を2002年から能力別選抜制に変更しました。
民族 | 2005年 | 2004年 | 2003年 | 2002年 |
ブミプトラ | 62.4% | 63.8% | 62.6% | 68.9% |
華人 | 32% | 30.3% | 32.2% | 26.4% |
インド人 | 5.6% | 5.9% | 5.2% | 4.7% |
合計人数 | 39976人 | 38892人 | 37034人 | 32752人 |
尚KUIM, UIAM, UiTM の学生はこの数字に含まれていません |
ブミプトラ | 華人 | インド人 |
||||
課程 | 2004年 | 2005年 | 2004年 | 2005年 | 2004年 | 2005年 |
医学 | 439 | 544 | 297 | 321 | 43 | 45 |
歯学 | 123 | 115 | 79 | 62 | 7 | 13 |
薬学 | 89 | 135 | 174 | 143 | 7 | 6 |
電子工学 | 1113 | 1116 | 357 | 516 | 60 | 69 |
化学工学 | 489 | 494 | 259 | 346 | 24 | 41 |
Gunung (山)名 | Tahan | Korbu | Yong Belar | Gayong | Chamah |
標高 | 2190m | 2183m | 2181m | 2173m | 2171m |
Gunung (山)名 | YongYap | Ulu Sepat | Batu Putih | Irau | Benom |
標高 | 2168m | 2158m | 2131m | 2110m | 2107m |
調査会社のAGB Nielsen Media Resarch が衛星放送ASTROの視聴率調査の結果を発表しました。ASTROのチャンネルに関する視聴率調査は初めてのことで、半島部について調査しました。
チャンネル | TV3 |
公営 TV2 |
公営 TV1 | NTV 7 | 8TV |
Astroを含めない時のシェア | 30.5% | 14.7% | 7.5% | 7.0% | 3.3% |
Astroを含めた時のシェア | 34.7% | 16.1% | 8.3% | 8.0% | 3.9% |
12才以上の3000人を対象に Nielsen Media Researchが3月後半に行なったラジオ聴衆者調査の結果です。
人口の半分が複数局のラジオを聞く、42%が1局だけを聞いている、8%がラジオはまったく聞かない、という結果です。1局だけを聞いてる率が2003年に比して増えました。
ラジオ局の人気番付では、マレーシア語局 ERA が575万人、(確かマレーシア語、タミール語、英語番組の混在する)THR.fm が300万人、華語と広東語局の MyFM が200万人、マレーシア語局 Sinar FMが190万人、華語と広東語局の 988 が160万人でした。
クラス | プロジェクト建設高の規模 (RM) | 建設会社・業者の数 |
A | 1000万を超える | 1713 |
B | 500万を超え1000万以下 | 1841 |
C | 200万を超え500万以下 | 1658 |
D | 50万を超え200万以下 | 4948 |
E | 20万を超え50万以下 | 1320 |
F | 20万以下 | 35403 |
電車の種類 | Putraline(高架電車) | Starline(高架電車) | Komuter(近郊電車) |
2004年の年間乗客数 | 5770万人 | 4330万人 | 2730万人 |
HIV感染者 | AIDS患者 |
|||||
男性 | 女性 | 合計 | 男性 | 女性 | 合計 | |
2000年 | 4626 | 481 | 5107 | 1071 | 97 | 1168 |
2001年 | 5472 | 466 | 5938 | 1188 | 114 | 1302 |
2002年 | 6349 | 629 | 6978 | 1068 | 125 | 1193 |
2003年 | 6083 | 673 | 6756 | 939 | 137 | 1076 |
1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | |
在留邦人総数 | 11,144 | 11,485 | 11,726 | 11,545 | 11,625 | 11,653 | 11,237 | 10,769 | 10,208 |
対前年比増減数 | 778 | 341 | 241 | -181 | 80 | 28 | -416 | -468 | -561 |
2003年 | 2004年 |
対前年 増減 |
その内で各市 の在住者 | 2003年 | 2004年 |
対前年 増減 |
|
スランゴール州& クアラルンプール | 7026 | 6,605 | -421 |
クアラルンプール ペタリンジャヤ |
5,548 511 |
5,253 460 |
-295 -51 |
ヌグリスンビラン州 | 67 | 55 | -12 | ||||
マラッカ州 | 184 | 193 | 9 | マラッカ | 184 | 193 | 9 |
ジョーホール州 | 1217 | 1,169 | -48 | ジョーホールバル | 1,121 | 1,169 | 48 |
パハン州 | 49 | 63 | 14 | ||||
ペナン州 | 1293 | 1,237 | -56 | ペナン島 | 1,293 | 1,237 | -56 |
ケダ−州 | 157 | 129 | -28 | ||||
ペルリス州 | 24 | 17 | -7 | ||||
ペラ 州 | 206 | 208 | 2 | ||||
クランタン州 | 35 | 26 | -9 | ||||
トレンガヌ州 | 21 | 30 | 9 | ||||
サバ 州 | 293 | 285 | -8 | コタキナバル | 205 | 198 | -7 |
サラワク州 | 188 | 179 | -9 | クチン | 99 | 102 | 3 |
ラブアン | 9 | 12 | 3 | ||||
合計人数 | 10,769 | 10,208 | -561 | ||||
永住者 | 810 | 950 | 140 |
1999年 | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | |
日本人訪問者数 | 286,940 | 455,981 | 397,639 | 354,563 | 213,527 | 301,429 |
各国からの訪問者総数 | 793万 | 1022万 | 1278万 | 1329万 | 1058万 | 1570万 |
講評
日本人の場合2001年以降は、旅行者としての訪問者数と(企業の被雇用者及びその家族を多数派とするであろう)在住者数の両方で減少傾向を示していますね。旅行地・観光地としてのマレーシアに対しても、ビジネス・企業活動・投資の面としてのマレーシアに対しても、日本人一般の興味と関心はいわば飽和点に達しており、それがこの数字にも現われています。今後減少傾向が鈍るまたは止まることにはなろうが、さらには一時的に微増が起るかもしれないが、2000年ごろの飽和点を超えることは起らないだろうと、9年近くマレーシア専門ホームページを主催してきた経験と観点を加えて、私はそう推測します。
6月後半のある日何ヶ月かぶりに Komleks Kraf (手工芸品センター)を訪れました。Komleks Kraf は企業家発展省翼下であるマレーシア手工芸品発展公社が運営しており、国内各地の手工芸品メーカー(複数)が販売店テナントとして入居しています。さらに入場有料の手工芸品博物館が併設されています。さらに本館に近接して、複数の独立したバティック小屋があり、そこでは実演販売がなされ及び訪問者はバティック習いもできます。敷地内の”画家のコロニー” と呼ばれる場所には何軒かの小屋が建っています。それぞれの小屋には画家のアトリエがあり、訪問者はまじかにその様子を観察しながら、掲げてある絵画を鑑賞し、購入することができます。
館内や敷地内に時々変化が起るので、それを知るためにも私は毎年数回、不定期にこのKomleks Kraf を訪れてきました。
私の訪れるのがいつも平日ばかりであることも一つの理由でしょうが、いつ行っても訪問者で一杯のようなことはまずありません(全くないとまでは言いませんよ)。時々、旅行代理店のバンが外国人旅行者を連れ来ることに遭遇します。ごくたまにタクシーでやって来る外国人旅行者も見かけます。クアラルンプールの旅行代理店が催行している外国人旅行者向け市内ツアーのいかほどが、このKomleks Kraf を訪問地に組み入れているのだろうか? 推測するにその比率は相当低いはずです。独立広場周りにはいつも観光バスや観光バンが停車して、観光客がカメラ片手に歩いているのを見かけますよね、その数に比したら、Komleks Kraf 訪問の観光バスと観光バンの数は間違いなく少ないですね。旅行代理店は市内ツアー催行者側にコミッションの入らないような販売場所には好んで連れて行かないからだろう、と思わざるをえません。
その日訪れた時は、偶然 主建物の地下階全部を使った Promosi Kraf Nusantara 2005年 が5日間の会期で開かれており、その3日目でした。 日本語に訳せば、「マレー世界・群島の手工芸品セール 2005年」 とでもいう意味であり、国内各地、そのほとんどはクランタン州とトレンガヌ州から、及びインドネシアから、布製品、木製品、飾り物など手工芸品の製造者、製造メーカーが約 100ブース出展していました。
展示販売されている中で、見事なバティック布や、Songket 布が目を引きました。素人の私が見ても、これはすごいなというSongket 布が並べてあるブースで、織り手の女性に尋ねたら半年かかった、とのことでした。手工芸とは年期の要る技術ですね。
セールスに付随していくつかの小イベントがスケジュールに沿って行われているようです。こういった各地の零細から小規模の手工芸品製作者がこれだけ多く一堂に集まるのはあまりないことです。もちろん何らかの品を購入できればそれに超したことはないですが、私のように買えなくて単に見るだけの者にもこの種の工芸品に触れられる良い機会です。
だから道路端に立ててあった”Promosi Kraf Nusantara 2005年”を知らせる旗を見て会場を訪れたのですが、残念なのは、訪問客がたいへん少ないことです。私が館内にいた1時間半あまりの内、果して新にやってきた客は何人にいたのだろうか? 10人ちょっとかな、20人を超えたとは思えません、そんなものです。すでにいた客の3分の2くらいはマレー人です、せっかくの機会なのに外国人旅行者もちらほら程度でした。このPromosi Kraf Nusantara 2005年は、中間業者を排して、直接製造業者が出品し、並べてあった品数も種類も多いというにのに。
その日Promosi Kraf Nusantara 2005年の会場に訪問客が少なかったのは、なぜでしょうか?大さっぱにいって2つの理由が上げられるでしょう
確かにそれはいえますが、非常にわかり難い場所ではありません、Komleks Kraf のある通りJalan Conlay には5星ホテルの Prince Hotel とその斜め対面には良く知られたマレーレストラン Sri Melayu があり、ホテルから徒歩5分です。たいへん便利な場所とは言えなくても、ブキットビンタン街の K L Plaza または Regent Hotel あたりから徒歩10数分くらいで到達できる距離です。Komleks Kraf とブキットビンタン街の直線距離はずっと短いのですが、直接つながる道路がないので、大回りの形になる Prince Hotel 前を通る必要があります。いうまでもなく付近には高架電車の駅もバス停もありませんから、自由旅行者としては乗り物を使うならタクシーだけとなります。しかし、説明しましたようにこの距離程度は徒歩で歩き回れる街歩きの範囲といえますから、街歩きをいとわない方なら十分徒歩で到達できます。
英語紙でも華語紙でも広告を見なかったので、確かに主要媒体ではなされてなかったと言えます。Komleks Kraf から10分ほど離れた道路を歩いていて、道路際に立てた案内旗を見て私は気がつきました。このお知らせの旗はクアラルンプール中心部のごくごく一部の場所だけに立ててあったようで、他には見かけませんでした。もちろんツーリズムカレンダーには載っているでしょうが、それは一般旅行者の目に触れる確率はきわめて低い、ましてやマレーシア人一般市民がそれを見ることはまず期待できない。こういったことから広報面でまず不十分だったといっても間違いないでしょう。
Komleks Kraf の建物正面上方には”歓迎 芸術・文化・遺産省の副大臣誰々”という大きな幕が掲げてありました。さらに屋内ではあるが吹き抜け式構造になっている一画には、小さな舞台が設けられその日か翌日に行われるであろう、どこかのVIPのための歓迎食事宴用のテーブルが並べてありました。一方、Komleks Kraf の建物地下階に設けられた”Promosi Kraf Nusantara 2005年”の会場では、100ほどあるブースの多くでは出展者が新聞読んだり、同僚とおしゃべりしたり、弁当の昼食を食べたりと、所在なげに過ごしていたのです。
歓迎の幕は、初日に副大臣がやって来てオープン式典を行ったからでしょう。そして宴用にならべたたくさんのテーブルは、自分の意思ではなく組まれたスケジュールの中で招かれてやって来るVIPのためのものですね。大きく目立つ掲げ幕とVIP招待者宴用の数多くのテーブルを目にして、私は次ぎのように思わざるをえませんでした、「Promosi Kraf Nusantara の出展者にとって、副大臣やVIP一行はどれほど商売に結びつく人たちなのであろうか、つまり彼ら彼女たちが来ることでどれほど経済的利益が生まれるのであろうか?」
6月25日付け Star紙にこの Promosi Kraf Nusantara 2005年 に関しての次ぎのような記事が載っていました。抜粋して訳しますと:
(小見出し)マレーシアとインドネシアの手工芸品 販売促進
これは典型的なマレーシアの新聞記事です。ある催しに何々大臣または副大臣または州首相が主賓として出席して打ち上げ式を行った、するとその大臣を中心にした写真を必ず載せ、そこでなされた演説の言葉を細かく紹介し、加えてその催し主催のトップ陣の言葉も載せるのです。これが何々催しの記事の3分の2ぐらいの量を占めるのです。記事はまるで、大臣らが出席したことを写真付きで示してその演説で何を話したか、を紹介するのが中心であるかのような体裁です。一体全体催しの最大の目的はなんなのだろう? といつも思わざるをえません。
新聞、テレビがこの種の催しを報道する場合、ここではPromosi Kraf Nusantara 2005年に焦点をあてれば、一番必要なことは、マレーシア市民にこの手工芸品販売促進会のことを知ってもらい、さらに旅行業者、ついては外国人旅行者に手工芸品セールスが行われていることを伝えることである、はずです。なぜならこの種の手工芸品は少なからずの外国人旅行者の興味を引くはずですよね。出展している100ほどのブースの出展者にとって、副大臣が会場を訪問することがどのように売り上げに結び付くのであろうか?Komleks Kraf を訪れる、または訪れようと考える外国人旅行者にとって、大臣や副大臣が開会式に主賓として出席して何を語ろうと全く興味を呼ばないことです。ごく一部のこの種のことをありがたがる人たちを除いて、一般マレーシア市民にとってもまさに同じでしょう。
大事なことは、与党や与党政治家のご機嫌をとったり、彼らの宣伝になるような記事を載せることではなく、マレーシアの手工芸品を広める好機としてこの手工芸品セールを市民と外国人旅行者に知らしめ、ついては手工芸品の良さを市民と外国人旅行者に知ってもらうような記事を載せることではないでしょうか?
マレーシアの新聞は、言語、新聞社を問わず、催しなどを報道する際、本来の目的とは直接関係ない与党幹部や与党政治家の写真を大きく掲げ、彼らのご機嫌をとるようなまたは彼らを広報するのが大切な目的であるかのような記事内容を書きつづけています。もちろん、政治ニュース面での報道であればそれは仕方ないと言えます。しかし、文化催し、スポーツ大会、地域の催し、団体の諸活動、学校内の活動、などなど、多少間接的に関係はあろうと直接的に政治家とは関係ないことにまで 与党幹部や与党政治家を呼び、それを新聞が催し本来活動の紹介と同じくらいまたはそれ以上に報道するのです。”Promosi Kraf Nusantara 2005年”の1件は、私がこれまで何千何万と目にしてきたそういったスタイルの報道記事の一つにしか過ぎません。
10数年間、マレーシアの新聞を日々丁寧に読み続けてきた私は、この報道のあり方に強い強い違和感を感じ続けています。
まず最初に、マレーシアに関心を抱かれている方と、マレーシア在住の方にマレー映画を何本か見て下さいとお願いしたい気持です。そうでないと、これからこのコラムで書く内容の前提条件が実際にわかってもらえないからです。もちろん文面上で理解されることはできると思いますが、その前提条件を基にしたマレー映画人の根底に潜む”意識”理解が難しいからです。
この「今週のマレーシア」の今年3月の第424回コラム 「最優秀映画賞をあげたいマレーシア映画 ”Sepet”」 でマレーシア映画”Sepet”を紹介かたがた、それにまつわる話を書きましたよね、まだお読みになってない方は是非先に目を通してください。
映画“Sepet” は7月にクアラルンプールで開催された第18回マレーシア映画祭で最優秀映画賞に輝きました。輝いたという言葉を使うのは、この映画祭はマレーシア最大の国内映画祭だからです。大げさながらいわば、マレーシア映画界のアカデミー賞授与式 というところでしょう。この映画祭の開かれた7月、私はちょうどマレーシアを留守にしていたので、どのようなかたちで“Sepet”が最優秀賞を獲得し、それに対してマレーシア映画人の反応はどうであったという映画祭当時のニュースを残念ながら知りません。
8月初めにマレーシアに戻ってからそれを知ったとき、私はまず嬉しく思いました。この映画を優れた映画と感じた私は、そのコラムのタイトルに「最優秀映画賞をあげたいマレーシア映画 ”Sepet”」 と付けたぐらいですし、影ながらの応援を込めて日本人にも紹介したからです。続いて下記のようなニュースを読み、多少の驚きと同時に、なるほどありそうなことだな、と思いました(その理由は下段で述べます)。
”Sepet”はマレー人女流監督 Yasmin女史の作品で、マレーシアを舞台にしているある種のマレー映画ですが、私が3月のコラムでも描写していますように”マレーシア映画”と呼んだほうがずっとふさわしいといえます。ですから私は一貫して”マレーシア映画”と分類してきました。マレーシアマスコミも映画界もむしろ最初から Sepetはマレーシア映画 と呼称すべきだった、と言えます。
それがここにきて問題の根となっています。製作・監督がマレー人で、俳優全てがマレーシア人であり、脚本もマレーシア人、舞台もマレーシアの町ですから、100%近いマレーシアのはずです。その十分すぎるほどのマレーシア映画”Sepet”が、マレーシア映画界いやマレー映画界主流から快く思われていないということなのです。だから”Sepet”が最優秀映画賞を獲得したことに反感を持つ声が存在するそうです。
なぜマレー映画界主流は”Sepet”を快く思わないのか? いうまでもなく映画の題材と内容と描き方が マレー映画的ではないからです。さらに監督Yasmin女史がマレー映画界の本流ではないこともあるようですが、そのあたりは業界人ではない私にはわかりません。ここで冒頭に書きました、「マレー映画を何本か見てくださいとお願いしたい気持です」 に戻るのです。そうマレー映画がどんな映画か、実際にご存知ないと ”主流マレー映画的ではない” ということが実際にわかってこないのです。 別にマレー映画の通になる必要は全くありませんよ。マレー映画はある意味ではたいへん幅の狭い映画なので、違った監督のマレー映画作品を少なくとも 5、6本ほどご覧になれば、マレー映画のイメージが相当頭に浮かんできます。
そのイメージと”Sepet"を比べてみると、なるほど”Sepet"は毛色の随分違ったマレー映画だなと感じられることでしょう。 十分過ぎるほどマレー映画でありながら、これまたマレー映画の中で傍流に位置し、しかし映画的にはたいへん優れている名監督 U-Wei 製作の ”Jogho” と ”Buai Laju-Laju” とも、”Sepet”は違います。この両作についても以前の映画に関するコラムで少し触れましたよ。
極めてマレーシア的であり、結果としてマレー映画本流から外れた作品を、第18回マレーシア映画祭の審査員らがなぜ 最優秀映画賞に選んだのかは、私は知りません。推測するに、その新鮮な題材と内容と描き方に、映画としての優秀さを十分に感じたからでしょう。だからあえて非・主流マレー映画である”Sepet”をマレーシア映画祭の最優秀に選んだと私は思いたいです。タイトルがマレーシア映画祭である限り、非・主流マレー映画であっても最優秀作になってかまわないと、非映画人である映画ファンの私は思います。
しかしマレーシア映画界つまりマレー映画の本流はそうではないようです。ここが非常に難しいところです、そして残念ながらマレーシア映画界の狭量さを示す現実だと私は感じます。
非・マレー主流映画であるマレー映画、つまりマレーシア映画”Sepet"はまさに優秀作である故に、加えてYasmin女史の性格もあって、このように疎まれ、反発を受けているようです。脅迫じみたことを受ければ、ほとんどの人はびびりますし、気分よくなくなります。中には反発して反撃に出る人もいるでしょう。しかしことが、マレー社会の捉え方、映画表現のあり方、複数の民族感情の表現、などに関する、微妙な問題に及ぶため、単純に反発しても、良い結果は生まれないかもしれません。その辺を知っているYasmin女史は、非主流のままで結構、だからマレーシアを代表して国際映画に出品するようなことは避けよう、と考えたのかもしれません。
マレーシアの常で、映画祭であっても政治が関与します。この場合は映画をいわば管轄する文化・芸術・遺産省ですね。つまり政府与党の大臣の発言は、マレーシア社会で好むと好まずに関わらずいわば当然のごとく流れている、こういうマレーシア的文化の捉え方に基づくものであり、恐らくRais大臣でなくても何らかの関与発言はあるのではないでしょうか。
マレーシアではこの種の民族感情が絡む問題はまことに微妙であり、慎重に扱う必要があることは、私も相当程度同感です。しかし、たかが映画ではないか、映画人はもっと寛容で幅広い文化観に立つべきではないだろうか? いや、されど映画、映画といえどもマレーシア社会主流の発想と捉え方に逆らえない、のでしょうね。
8月6日の広島で行われた原爆被災60周年式典の模様をマレーシアの新聞も伝えました。英語紙で読者数トップである The Star (タブロイド版です)は通常の外報ページで1ページを費やして式典の写真(複数)と文章記事及び関連記事を載せました。ただ全てAPなどの外電報道をそのまま載せており、Star紙編集部独自の記事と写真はまったくありません。
上記以外に同紙は国内記事ページで
といった短い中程度の記事を一つ載せています。新聞社としてまたは編集委員の評論として、特に原爆被災件核廃絶運動のニュースを載せてはいません。日本の主要新聞が載せるマレーシア記事に比べれば、はるかに頻繁に数多く日本関連記事を載せるStar 紙であっても、特に日本通や日本への関心の強い記者はいないはずなので、原爆投下60周年とはいえこれぐらいの扱いだというのはうなづけるところです。
一方日本関連の記事を英語紙より、いうまでもなくマレーシア語紙より、ずっと頻繁に且つ大きく載せる華語紙を見てみましょう。その読者数トップである”星洲日報” (通常の新聞紙サイズです)は、第1面で広島の原爆被災60周年式典の写真を1枚大きく載せました。加えて本紙の外報ページ面では、丸1ページを割いて、複数の写真と記事を大きく載せています。さらに他のページでも1箇所で原爆関連の評論を掲載しています。日本記事を頻繁且つ多く載せる傾向、と言うより編集方針である ”星洲日報”ということを前提にすれば、驚くようなことはありません。
原爆関連記事中の最大の見出しを抜き出しますと、「数万人が地球から核を放棄するよう訴える」 というものです。爆発の瞬間を描写する被爆者の声や、爆弾投下の模様のイラストもあります。ほとんどの記事自体は外報電であり、星洲日報の独自記事ではありません。しかし英語紙にくらべれば扱いが大きく、種類も優ります。その中で扱いは小さいが目立つ記事は、朝日新聞が行った「原爆投下に米国人は贖罪の気持を抱くべきだ」という世論調査の記事を引用している部分です。
さて、以前もこのコラムで紹介しましたように、”星洲日報”がこういった素直な原爆被災記念式典報道だけで終わることはありません。外報ページではないページには、恐らく編集委員であろうと推測される記者の署名評論記事が1編載っています。その大部分を訳出します。(ごくごく一部の原文の解釈にちょと自信がない訳文をあてましたが、全体の論調に影響は全くありません)
「毎日時評」という定期評論スペースに 『原子爆弾の教訓は無駄になっている』 という見出しを掲げています。
以下その内容
(この書き手が、小説家 渡辺純一の作品を挙げて比喩を書いた部分は略します。日本人有名小説家の作品が台湾ではたくさん翻訳発行されているので、この書き手はそれを読んだのでしょう)
加害者と被害者の理解のあり方には天と地の開きがあるものである。
米国が2発の原子爆弾を用いて、日本の残虐な非人道的侵略戦争に終止をつけたとたん、日本人はこれをもって、”地球上で唯一の原爆被爆国である” と自任するようになる。本来日本は”侵略国”である身分をこれによって混濁しようと目論んでいる。米国でさえも日本の発動した太平洋戦争の被害国であるということさえ、もう少しで人は忘れるところだ。
60年前の8月6日と9日、米国は広島と長崎に2つの原爆を投下した。これによって戦争は終り、ついに日本を無条件降伏することに追いこんだ。ただし20万名を超える日本人生命が犠牲になり、さらに今日に至るまで、多くの人が原爆の後遺症の影の下で生活している。
しかし日本の中国侵略戦争中に虐殺し陵辱した中国人、さらに朝鮮半島で、東南アジア各地で皇軍が殺した人々は一体何千万人に及ぶのであろうか? 忘れてはいけません。一つだけあげれば広範囲に絶滅させた南京大虐殺、これだけでわずか1週間で30万人の中国人が殺された。これは原爆で死んだ日本人の数よりも多い。さらに細菌戦のことは言うまでもない、こういった大虐殺事件の数は尽きない!
我々は原爆が広島と長崎の民にあらゆる苦難と災害をもたらしたことは理解できます。しかしとことんまで追求すれば、こういった一切の苦難は、日本軍国主義の野心が源になっているのではないだろうか?
もし日本軍国主義者の野心が勃興しなければ、戦争は勃発しなかったであろう。もしこの2つの原爆がなかったら、日本はおとなしく降伏しなっかったであろうし、皇軍の血したたる暴行がいつ止まったのかもわからない。そして日本の刀によって殺された恨みを持った魂がどれくらい増えたことであろう?
人を遺憾に感じさせるのは、現在世界各地で挙行される反ファシスト戦争勝利60周年の各種記念活動の際、日本は反対に、過去の過ちはとがめずというのを選び取る“選択的記念”方式のようだ、つまり”被害を受けた”ことを記念し、”加害した”ことを記念しない。自分たちがかつて没落して”被害者”としての苦痛と損失をひたすら強調する、一方自分たちがまず”加害者”であった事実と責任を回避している。
小泉首相は広島での原爆60周年記念儀式に出席した、しかし”災いをもたらした元凶” −すなわち日本軍国主義 については口をつぐんで語らなかった。
さらに人を憂慮させるのは、小泉は口では全世界からの核武器廃絶を再三呼びかけるにも関わらず、実際日本自身、核武器を製造できるウラン原料を絶えず備蓄していることです。世界第1のウラン備蓄大国になろうとしている、世界最大の濃縮ウラン工場の一つをまさに建築着手している!
見たところ、60年前の2発の原子爆弾の教訓は無駄になったということです!
以上
いつもながら目立つのは、まるで全ての日本人は同じ意識を持ち、同じあり方である、そしてこのタイプの書き手が批判するような政治指導者を支持している、という論調です。反日本・日本人意識に凝り固まった、日本の諸面を知ろうとしない人物の論説ですね。日本はそして日本人は一枚岩でも、共産主義政権中国のように国家の政策が隅々まで公式に掲げられるような国ではないことを、この論者は知ろうとせずに、ひたすら反日本・日本人意識に固まった論調を書いています。”星洲日報”はこの種の論者の評論記事をまことに頻繁に掲げますね。
こういう人物は、マレーシアでは首相や与党幹部、政府批判の記事はもちろん、内閣の支持率調査さえできない、載せられない現実に目をつぶってか、あきらめてかしらないが、日本もそれと同じような情況であると決めつけているのだろうか。それとも日本人は戦争での加害者意識を感じない人間ばかりだと、中国の主張や公式論調をそのまま受け入れて信じて疑わないのだろうか。いずれにしろこの種の反日本・日本人思考の記者または編集委員が”星洲日報”には少なくないとみえ、この種の論調記事掲載の多さにはあきれます。英字紙ではまずお目にかかれない論調です、恐らくマレーシア語紙もこの種の論調は載せないはずです。
在住日本人とマレーシアに関心の高い日本人で、一体どのくらいの方が華語紙とりわけ”星洲日報”のこういう編集方針を知っているのでしょうか、私はいささか憂慮します。
なぜなら華語紙というのは、華人コミュニティー、とりわけ華語教育を受けた人たちに一番身近な存在の活字マスコミだからです。マレーシアの華語紙は、紙面を丹念に読んでいればわかるように、全国紙ではあってもコミュニティー新聞の性格を多分に備えているので、英語紙とマレーシア語紙が全く載せないような華人社会のできごとを事細かに報じます。さらにテレビは有料衛星放送以外には華語専門局はないこと、華語雑誌が百花繚乱のごとく出版されているわけでも出版部数が新聞を上回るほど多いわけではないこと、こういったことから、必然的に華語新聞の華人コミュニティーにおけるマスコミとしての役割はかなり大きいのです。
そこで、私はこの 『原子爆弾の教訓は無駄になっている』 という書き手ほど、反何々意識に凝り固まった、無知で一方的に決めつける人間ではないので、彼の論点全てを拒絶したり批判しているわけではないことも強調しておきますよ。
一般に日本人は中国・韓国・東南アジア侵略戦争において、受けた被害を強調しすぎて旧日本帝国が加害者であった事実と責任に疎い、というのは本当だと私は感じてきました。右翼国粋主義者はいうまでもなく、多くの保守主義者及びどっちつかずの層にもこの傾向が高いのは事実と言えるでしょう。日本人は一枚岩でないからこそ、この種のあり方と思考に私は違和感を長年抱き続けてきた。何も星洲日報の記者に言われなくても、多数派にはなれないが少なからずの日本人もこういう立場であるのです、保守化のすすんだ90年代以降の現代日本でもそうだと私は信じたい。
じゃあ、原爆を投下されて20数万の死亡者と多くの被爆者が生まれたことを、”星洲日報”のこの記者の言うように、日本と日本人は教訓にしていないのだろうか?まさかそんなことはありえない。そんな主張は原爆死した人と被爆者への冒涜ですね。この記者は本音のところで、旧日本軍は南京大虐殺に代表される多くの虐殺を起こしたのだから、いや虐殺された人の数のほうがむしろずっと多いのだから、加害者意識の足らない日本人の自業自得であると捉えていますが、旧日本軍の犯した数々の虐殺と米軍の原爆投下は、どちらも人間への犯罪なのです。
まともな論者であれば、虐殺の数と原爆死の数を比較して、どちららが多いからうんぬんなどという論には立ちません。ヒューマニズムの観点から両方を糾弾すべきであり、幾多の虐殺を命じた実行した指導者らと原爆投下を決定した指導者らの責任を問うはずです。私は、旧日本軍による虐殺はなかったと暴論を吐く一部の日本人に強い嫌悪感を抱いてきたように、この評論記事の書き手にも嫌悪感を抱きます。
マレーシアのマスコミによる、日本と日本人批判はそれ自体は結構です。彼らに批判する自由はあるし、批判の原因・根拠になる弱点を日本は内在していると私は思う。しかし中国の核武装とそれを背景にした超大国権威主義の現状、中国国内の言論行動の自由抑圧などの情況に口をつぐんで、それらを批判する記事や評論はまったくといっていいほど書かず載せずに、一面的な日本・日本人批判をこうも頻繁に載せ続けている”星洲日報”のありかたは一体なんなのだ、と私は失望と反感を感じます。
尚各華語紙は例年8月、太平洋戦争時代の東南アジアや中国で起きたことまたは戦争に起因することに関する記事を頻繁に載せてきました。今年は第2次世界大戦終了60周年なので、とりわけこの種の記事が増えたかのようにも感じます(具体的な分量までは私にはわかりません)。例えば”南洋商報”は、「抗戦勝利60周年」という記事を8月に入ってずっと連載しています。タイトルの文字通り、旧日本軍に対する中国などの抗戦の様子、いかに勝利したかを毎回記事で紹介しています。
このように華語紙はその性格として、旧日本軍と日本帝国から受けた広義の中国民族の被害と抵抗の歴史を決して忘れてはならないというあり方を持っており、紙面を通じてマレーシア華人層を啓蒙しようとしている、と見なしても間違いではないでしょう。被害を受けた側としてそれ自体、ある意味では当然のことだと思います、私はそれを批判するつもりはない。しかし上段で取り上げたようなある種の記事やいくらかの書き手のように、始めに反日・反日本人ありきでは単なる復讐心の展開になっているだけですね。必要なことはその伝え方と報道姿勢にあるのです。
このコラムのタイトルにした記事が、英語新聞の情報技術特集をした別刷りページに載りました。一般ニュースとしてではなく、情報技術特集別刷りページの中で扱われたことが、私の興味を別の意味から引きました。この記事を書いた人と編集者の狙いは推測するに、タミール語SMS を可能にしたマレーシア情報技術開発会社の活躍 といったような意味合いが込められたものです。それはそれで確かに賞賛に値することだと思います。しかしコンピューターでタミール語入力できるソフトは既に開発されており、タミール語のようなある言語のフォントはダウンロードすればその言語は表示できますね。ですから、マレーシアで携帯電話でタミール語SMSできるようになったことは画期的だ、とはとても言えないでしょう。
つまり私の興味を引いたのは、タミール語でSMS を送受信できるサービスがこれほど遅れて登場したことなのです。逆の言い方をすれば、マレーシアで公教育で使われる言語の一つでもあるタミール語でこれまで何年もの間SMSできなかったということなのです。英語と全く同じアルファベットを使用するマレーシア語のSMS ができるようになったのは、マレーシアでSMS サービスが始まった時からであり、華語はわずかに遅れたかもしれませんがほぼ同時期からできるようになったはずです。この3種の言語によるSMS に遅れに遅れて、ようやくタミール語のSMS ができるようになった。これは驚くべきことでしょうか? それとも特に驚くようなことではないでしょうか?これからこのコラムでそれを論じていきます。
タミール語でSMS ができるようになったというのは、タミール語紙であれば当然大きなニュースに違いありませんが、マレーシア語紙では恐らくほとんど載らないニュースであり、いうまでもなく華語紙ではまったく扱われないニュースのはずです。いまや2人に1人は使用していると言われる携帯電話で、SMSはきわめて盛んな使用法です。そのSMSになぜ今ごろになってようやくタミール語が加わったのか、このニュースを理解するには、次ぎに述べる背景や現実を知っている必要があります。
マレーシアの主要民族の一つにインド人が含まれることは、多少でもマレーシアに知識のある方ならご存知のことですよね。インドは人口10億の超巨大国家であり、多くの民族から成りますね。タミール人はインド南部の主要民族のひとつと言われており、その中心がタミールナドゥ州です。タミール人の言語タミール語はインドの連邦公用語 ヒンディー語とは系統の違う ドラヴィダ語族に属する言語で、書記文字もヒンディー語を綴る文字とは違います。
マレーシアに移ります。マレーシアに、というよりマレー半島及び、マレーシアの前身であるマラヤ連邦にインド人が移民してきた経緯やそれに基づく問題点を、コラム第264回 「タミール系インド人に現在も影を残す歴史的経緯」 で書きました。まず最初にそれをご覧ください。
さて下の表の数字を見ていただければ、”マレーシアの3大民族の一つ” という形容にも関わらず、インド人人口は国民人口の 7.4% にすぎないことがわかりますね。インド人は多民族構成ですが、マレーシアのインド人は南インドのタミールナドゥ州出身を先祖とするタミール人が多数派です。そこでざっといってタミール人は8割弱程度、よって140万人、つまり国民人口のわずか 6%弱ということになります。
マレーシア国民 2430万人 | 非マレーシア国民 | ||||
マレー人(ブミプトラ) | 非マレー系ブミプトラ | 華人 | インド人 | その他民族 | 世界中の国から |
1310万人 | 280万人 | 610万人 | 180万人 | 30数万人 | 180万人 |
重要な点です、タミール語はマレーシアの非タミール系のインド人の間では全く共通語にはなっていません、つまりタミール語はあくまでもタミール人の言語に限定されているのです。マレーシア華人界における華語の持つ役割とはこの点が決定的に違います。
この少数さでマレーシア社会の中で独自の言語文化を維持発展させていくことは、それほど容易ではありません(できないと言っているのではありませんよ)。その一番わかりやすい例が、国民型タミール語小学校がずっと直面している、抱えている問題です。
コラム第389回 「国民型タミール語小学校について」 の中で私は次のように書きました
2003年時点で小学生の総数は300万人でした、その内国民型タミール語小学校に通う生徒数はたった 3% なのです。つまり国民型タミール語小学校の生徒数は10万人にも足りません、2005年の時点でも当然ほぼ同じでしょう。上記で国民人口比に占めるタミール人の割合を6%と算出しましたね、それに比べて全小学生数に占める国民型タミール語小学校生徒数は3% と半分です、なぜか、それはタミール人家庭といえども半数近くは主としてマレーシア語教育の国民小学校、次いで国民型華文小学校に通わせているからなのです。
もちろんその大きな理由には、その家庭の通学できる範囲に国民型タミール語小学校がないということがあるでしょう。そこで仕方なく国民小学校に通わせる、または華語の経済的価値の高さから国民型華文小学校に通わせる。さらに国民型タミール語小学校の施設が、国民小学校、または国民型華文小学校に比べて劣るので、例え通学範囲にあっても、国民小学校、または国民型華文小学校のどちらかに通わせるという家庭も少なくないはずです。こうして、国民型タミール語小学校の生徒数はタミール人家庭の子供数に比べてほぼ半減しています。これは、インド人だから国民型タミール語小学校に通わせる義務はないから、ある意味では選択できるという健全な状況を示している、ともいえますね。
反面、タミール語で読書きできるタミール人がタミール人人口に見合って増えないというジレンマが生まれます。タミール人であれば、通常は母語であるはずのタミール語ですが、子供たちは必ずしもその母語タミール語で教育を受けることにならないのです。国民小学校、または国民型華文小学校に通えば、タミール語での教育は受けられません。こういうタミール人生徒の場合、母語のタミール語は家族友人間でのコミュニケーション口語に留まってしまいます。後年独学で、または家庭内でタミール語の読書きを習うという人もいないことはないでしょうが、比率は取るに足らない数でしょう。
尚国民小学校では、クラスが成立できる程度のタミール人が学年にいて且つ望めば、タミール語学習の授業時間を1週数回程度カリキュラムに入れることができます。しかしこの規則は、現実には学校側がタミール語教師を用意できるかといった問題があり、必ずしも理論通りにいってないのが現状だといわれています。重要な点です、この授業はタミール語を媒介として教育を受けるのではなく、タミール語を習う時間です。
こうした経緯がもう数十年も続いているため、タミール語を読書きできる人の数は決して大きく増えません。タミール語を母語とする人が即読み書きできる人の数にならないのはこれでおわかりですね。それどころかタミール語母語者の半分ちょっとぐらいではないでしょうか。さらにマレーシアの学制においてはタミール語での中等教育及び高等教育は制度として用意されていない、つまり受けられないこと、タミール語書籍の出版が極めて少ないこと、新聞販売店のタミール語日刊新聞を除けばタミール語書籍は一般書店ではまず売られていないこと、こういったことから、タミール語小学校の出身者でもその後の日常生活において、常時且つ多いにタミール語文字に接している人はぐっとぐっと少なくなります。尚はっきり知りませんが、輸入タミール映画VCD の字幕で目にする人の数は、タミール語新聞の読者数並かもしれません。
調査専門会社AC Nielsen による、2005年第2四半期の時点における、国内各新聞の読者数調査の結果から、タミール語新聞2紙を取り出してみますと、Tamil Nesan 紙 15万人、Malaysia Namban 紙 23万人です。この調査はどの言語紙の場合であれ、読み方を問わない読者数なのでいつも多めに数字が出ているうように思えます。つまり時々新聞の1面だけををざっと見ても読者に数えられているかのようです。まあそれはとして、この調査のいう38万人としても、タミール人全体の3割弱にということですね。
タミール語新聞の実販売数は両紙合わせても、10万部を超えるか越えないかでしょう。マレーシアにおいてタミール語新聞はタミール語が十分読める人が日常簡単に入手できる唯一のタミール語情報源だといってもいいくらいです、なぜなら数少なく発行されているタミール語雑誌とインドからの輸入雑誌は販売先がごく限られており、どこでも手軽に入手はできないからです。タミール語の一般書籍に至っては、それ以上に限られた場所でしか売られていません。クアラルンプールの2大書店、Kinokuniya と MPH、ですらタミール語書籍は置いてありません。
以上のような、マレーシアのタミール語を取り巻くこれら一連の事実は、マレーシアにおけるタミール人の少数さ、それがもたらすタミール語の経済的価値の相対的低さ(言語の価値そのものの低さではない)に直接つながっています。もちろん、マレーシアという国の教育政策及び言語政策と国民の持つ言語意識がこれに多いに関与する要因です。
それでは予備知識がお付きになったことと思いますので、このコラムタイトルに用いた記事を掲載して、この小文を終えます。引用は8月25日付け The Star 紙の In Tech ページ掲載記事 「タミール語を使って携帯電話でSMS(文字通信サービス)」 からです。
どうですか? 文章となった文字からは見えない、隠れた意味をこの記事から感じとっていただければなと思います。グローバリゼーションという”かっこいい、いかにも発展を賞賛する” 謡い文句の下で、ある言語は経済的価値のみによって判断されてしまい、広範な文字文化層を持たない言語はしばらく開発に値しないと判断されれば、ずっと後回しということになってしまいます、いや永久に開発さえされない言語もあるでしょう。この 「タミール語を使って携帯電話でSMS(文字通信サービス)」 という記事は、その現実の単なる一つの現われに過ぎないのです。