・英語依存症候社会の示した病状を診断し分析する ・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、その6
・インターネット利用者のすそ野拡大を考える ・マレーマンガ雑誌界の人気トップと言われるGempak 誌の編集部に聞く
・続編 Gempak誌の姉妹誌”漫画王”の編集者兼漫画家に聞く
・小さな旅を通じてバス旅行知識とちょっとした日常の姿を紹介−前編− ・その後編
・数字で見たマレーシア、 その18 ・ペナンのジョージタウンは州都なのになぜ”都市”の地位になれないのか
注:週の数よりコラム数が少ないのは、その期間マレーシアを留守にしたので掲載できませんでした。
大学の試験問題風に書くことで今回のコラムの口火を切ってみましょう。
命題:英語はいろんな面で重要な外国語である。これについて述べなさい。
Intraasiaの答え:現代世界では国際ビジネスと貿易、コンピュータなどの情報通信技術分野、科学などの学問分野で英語が第1言語として重要視されており、英語の知識は必須である。さらに旅行産業でも英語は多用されている。このように多方面に渡って英語は必要となっている。
命題:一般論として言えば、人は英語を勉強すべきである。これについて意見を述べなさい。
Intraasia答え:その通りである。一般論として、人は外国語としての英語をしっかり勉強すべきです。
命題:一般に英語は人に経済的利益をもたらすことが多い、その経済的利益を得ることが人が英語を学ぶ大きな要因の一つでもある。これについて意見を述べなさい。
Intraasia答え:その通りである。一般的に高等教育を受けるためまたはある種の職業に就くために英語力は必要である。高学歴と特定の職業は出世と重なって、所得の上位層への絶対保証ではないが有利な道でもある。出世や地位の上昇は結果として所得の向上に結び付く、つまり経済的利益に結びつくことになる。さらに市場経済に生きている以上、人は全てではないが相当なる経済的動物である、この経済的動物である人間が経済的利益を求めるのは当然であり、そこへ行きつく道として、英語取得は欠かせない手段の”一つ”であると考えられている。
以上の命題及び答えをよく覚えておいて下さいね。では話題を変えてこれから論を進めて行きます。
「水準を満たした学生だけを」 という5月8日の新聞記事から抜粋
外国の大学、とりわけロシアとウクライナの2カ国にある大学の医学部に入学しようとするマレーシア人学生がいますが、その中で水準以下の学生が増えていることを憂慮して、マレーシア医学協会は保健省と教育省と共同で、次ぎのように呼びかけています。マレーシア学生に対してその国の大学医学部に入学を認めるビザを発行する在マレーシア外国大使館は、学生が入学の基準を確かに満たしていることを確認するように、と。
(マレーシア国内の医師の職業団体兼総元締めである)マレーシア医学協会はこの問題に関して苦情受け付け委員会を設置するとしています。会長の説明に寄れば、現在SPM試験修了者の学生 268人が、ロシアとウクライナの大学で医学部準備課程またはマトリキュレーション課程を受講しているとのこと。これとは別の25人の学生は応募時に入学基準に満たないと大使館にはねられた、と。「マレーシア医学協会はこの2カ国で医学部準備課程に入っている学生全員の名前と水準を知らせてくれるように大使館に要請した、適切なチェックができれば基準以下の学生が医学を学んでいるという不安を和らげることになります。」
教育大臣もこうした措置は、水準以下の学生を排除するために必要だと考えていると答えています。「最近私はロシアを訪問したが、その際いくらかの大学が、学生の受けたSPM試験の結果を間違えて判断して入学させたケースがあることを知らされた。」 さらに、基準に満たない学生ですでにロシアとウクライナの大学に登録を済ませたものは引き続き学業を続けられることになる、と大臣は付け加えました。
外国の大学が(マレーシア国内の)新聞に掲載する募集広告で誤解を生じさせないようにしなさい、と当局はすでに警告していることを、マレーシア医学協会は述べています。現在公共サービス庁とマレーシア医学評議会が認証している医学部は,Moscow Medical Academy, Russian State Medical University, Volgograd State Medical Academy など5医学部と、ウクライナのCrimea State医大の医学部です。
以上
続いて 「教育省の許可が必要」 というて5月10日の記事から抜粋
ロシアとウクライナの大学の医学課程に進学するマレーシア学生は、まず教育省の許可が必要で、それから各大使館がビザを発給します。この許可は、学生がその医学部に入学することに異議はないとの手紙形式となり、学生がビザ発給を求めて当該大使館に提出する書類には必ず含まれなければなりません。
ロシア大使館の書記官は、申請書類が要項に合致していることとこの手紙が含まれていることを調べてからビザを発給します、と述べています。「昨年教育省がロシアの5大学を認定したことで、いろんな民間の学生募集エージェントが学生ビザ取得を大使館から代行してとれた、しかし今後はもうできません。」
以上
基準以下の学生がこれらの医学部に入学していくことが明るみに出、マレーシア医学協会などの憂慮感の表明もあり、急遽教育省は、抜け道が起こらないように手綱を引き締めたということのようです。まあそれは当然のことであり、結構なことです。
でこの記事をマレーシア事情を知らない方が読むと、なぜわざわざロシアやウクライナというマレーシアと馴染みのない国の大学にマレーシア学生が入学するのだろうと不思議に思われるでしょう。ロシアとウクライナの医学部を持つ大学なり医科カレッジがマレーシア人学生を誘う新聞広告が華語紙を含めて英語紙にこの1、2年しばしば掲載されており、各種新聞を丹念に読んでいる者には決して唐突なことではありません。ロシアとウクライナの大学またはそのマレーシア国内のエージェントがこの種の広告を載せるのは3年ほど前より以前には皆無でした、あくまでも新しい現象です。筆者の記憶している限り広告のほとんどは国内のエージェントが掲載主のはずです、いずれもその大学又はカレッジ認定のマレーシアにおけるエージェントだと明記しています。
マレーシアではForm5つまり中学5年生を終了しSPM試験で多くの”A”を獲得した生徒は、国内の大学の医学部を目指す道と、海外特に英語圏の大学医学部を目指す道にわかれます。国内の大学医学部入学する場合の多くは中学6年を履修後のSTPM試験の結果で決まります。留学組は、中学5年終了の生徒はその外国の大学の予科に入るか国内で大学準備教育を終えてから留学となります。英国、アイルランド、オーストラリア、ニュージーランドが医師を目ざす留学先として一般的(のはず)です。さらに米国とシンガポールもこれに加わりますね。これとはちょっと方向の違うインドの一部の大学医学部とインドネシアの一部の大学医学部に入学する学生も数は少ないがいます。
いずれもマレーシアの教育省または公共サービス(企業)省などが、その大学の医学課程を認定しています。つまりその大学の医学部を無事卒業すれば、マレーシアに帰国後医師としてマレーシアで働けるということです、同時にマレーシア医学協会のメンバーになるはずです。逆の言い方をすれば、マレーシアの教育省などの認定しない大学医学部を卒業しても、マレーシアでは医師として働けないということです。現実にこういう括弧付きの医師の卵は存在しており、問題になっています。
こういう背景の説明に続いて、ロシアとウクライナの大学医学部に入学を目指すマレーシア人学生の心情に触れてみましょう。この彼ら彼女らの大多数派は間違いなく国内の大学医学部または英連邦圏の大学医学部への進学の道がほぼ閉ざされたり、その道を得る可能性の低い学生です。その理由は主として2つ:英連邦圏への医学部留学は極めて費用がかかり低所得層家庭ではとても手が届かないし、成績もトップクラスを要求される。国内の国立大学医学部に入学するには、費用は他学部とほとんど変わらない低費用だがSTPM試験でとトップクラスの成績を残さなければならない、しかしそれに及ばなかったまたは最初からSTPM試験を受けていない、ということでしょう。この2つが主たる理由ですね。
これは単に筆者の推測ではなく、ロシア圏の医学部入学に関して以前も何回かマスコミなどで話題にされ、そこでもこういったことが説明されていました。ただ当時は入学申請する生徒の学力水準がそれほど真剣な話題にはならなかっただけです。当時話題になったのは、その大学医学部なり医科大学が水準に見合って適しているのか、入学生徒の募集や手続き代行するエージェントは信用に値するかといった点だと記憶しています。
でその当時掲載された、ロシアとウクライナの大学、またはカレッジの医学部入学を誘う広告は、今手元にないので訳してここに掲載できないのが残念です。そこで筆者の記憶に基づいて説明してみます。
ウクライナの大学の広告はまず見た記憶がありませんが、ロシアの大学カレッジの方は華語新聞を含めて何度も目にしました。その特徴は、3つの説明点が強調されていたことです。
どの広告もこれは必ず記入されていたはずです。その他住所とか必要試験成績・学歴などの項目はありましたが、上の3点に比べれば重要度はぐっと落ちますね。
マレーシアの教育省または公共サービス(企業)省という当局が認定している、これがなければ卒業してもマレーシアで医師として働けませんから絶対必要項目ですね。留学費用が総体として英国圏のそれよりもぐっと安くなる、これは富裕層でない家庭の学生には心引かれる文句ですね。そしてこの種の広告に絶対に欠かせない、いわば殺し文句が ”講義が英語で行われる” ということです。
講義がどれくらい十分なる英語で行われるか6年後でないと誰もわからないはずですが、応募する学生やその親はこの文句に引かれます。ロシア語の本場たるロシアとロシア語の兄弟言語であるウクライナ語を国語とするウクライナで、大学内とはいえ高度の英語話者がどれほどいるかは、私は知りませんし、もちろん応募する学生とその親は知るはずがない、さらには自称エージェントだってよく知らないでしょう。そこでこの募集宣伝文句を信じるしかないはずです。ただ一般常識として、大ロシア圏に英語話者は極めて少ない。
仮に在学する5、6年間を通して講義がすべてまたはほとんど英語で行われると信じましょう。しかしいくら講義が英語ですべて行われようと、医師の卵たる医学生は必ず医療実習を十分に経験し、その後インター医師として病院で一定期間働かなければなりませんよね。これは医学の常識というよりも必須の条件ですよね。教室の講義だけで学生を医師にさせる大学があればそれはいかさま大学であり、また実習もせずに医師になった医師に誰も診てもらいたいと思わないのは当然ですね。
で英語ですべてまたは大部分講義を受けたマレーシア学生が、医療実習の現場で接する患者はすべてロシア人なりウクライナ人です。当たり前のことですが、一般市民の英語力はまずほとんどないと考えるべきであり、患者が英語をよく理解しないのは100人中99人と考えてもおかしくないでしょう。まさか英語の話せる患者だけを選んで診ていては実習にはなりませんよね。つまり学生は絶対にロシア語またはウクライナ語の会話力を身につけなければならない、少なくとも中級以上の語学能力は必須です。医師たる者が患者とまともにコミュニケーションできずでは医師の役割を果たせません。
この大前提をはっきりと伝えずに明示せずに、募集広告に”英語ですべて講義する”と掲載してあるのが、これまでのこの種の医学部学生募集広告でした。どうしても医師になりたい、マレーシア国内では道が閉ざされた、英国圏留学では費用がかかりすぎるといった医師志望の学生をこの募集広告はうまく掴んだのです。なぜ?そこにこのコラムの本題があります。確認しておきますが、ここではロシアで医学を習うことの是非を論じているのではありませんよ。英語そのものをこよなく信奉し英語に強度に依存してきたマレーシア社会は、”ロシアの医大が英語ですべて講義する” ことがまるで自然のことであるかのような錯覚に陥り、ロシアという舞台とロシア語という装置にほとんど目が行きません。これは簡単に言えば、英語依存症候群が陥る病気の1種ですが、それを説明する前に、論理の仕組みを次ぎに解説しておきます。
あるできごとが起こります、その起こるという現象には4つの種類に分類できると考えられます。尚種類であって段階ではありません。
この分類の論点はこのコラムにおいては非常に大事ですので、次ぎにわかりやすく卑近な例を1から4まで順にあげておきます。
上で紹介した マレーシア人学生がロシアとウクライナの大学医学部を目指すというケースの場合は、この4つの分類のどれにあてはまると思われますか?
そう、分類の2番目にあたります。
冷静な目で見ればまたは冷静に判断すれば、ロシアまたはウクライナで医学を履修することは決してたやすいことではないことがわかります。ロシア圏の国々つまり旧ソ連圏はマレーシアとは極めて縁の薄い国々です。日本は旧ソ連時代からロシア文学やマルクスレーニン主義や対ソ連貿易などによって深い研究と長い関わりの伝統がありました。そのためロシア語は決して人気言語にはならなかったものの、水準の高い辞書や学習書が十分あります。NHKの語学講座に昔から加わっているように、大衆レベルでもロシア語を学ぶ人は一定数いつもいましたし、今も変わってないことでしょう。かくいう筆者も1970年代にソ連旅に備えて一時ロシア語をかじったことがあります。
一方マレーシアはといえば、ソ連とは互いにほとんど縁のない国であり、マレーシア人の興味範囲とはかけ離れた文化圏でしたし、現在もほとんどかわりませんね。ロシア語をマレーシアで学習するのはきわめて難しい、つまり教える所が皆無に近い。娯楽としてのロシア映画でさえ全く公開されないし、国内旅行代理店の広告にロシア団体旅行の広告を見た記憶はまずない。ウクライナとなればすべてゼロといってもいいでしょう。これほど縁の薄い国の大学医学部に学生を送り込むには、費用の安さと当局の認定だけでは不充分であり、絶対の殺し文句が必要です。それが”英語ですべて講義する”というものですね。この文句がないとごくごく少数のマレーシア学生しか応募しないのは間違いない、それでは代行エージェントとして利益がでない、海外からの学生を引きつけて外貨獲得に励むロシアとウクライナの大学にとっては、目的が十分に達成できないことになってしまうのです。
英語をこよなく信奉・崇拝しできるだけ依存しようとするマレーシア人とマレーシア社会において、このロシアとウクライナの医大の学生募集ケースで人々が陥った現象(つまり病状)は、4分類中の2番目 [ そのできごとは常に起きる発生するわけではないが、その状況下または環境下では起こり得るまたは可能性があるため、起こってもそれほど不思議ではない] なのです。
それでは分類の3番目に当るようなケースはあるのでしょうかまたは起こったのでしょうか?
今年から小学校1年生から数学と理科の両科目を英語で教えることがすでに実施に入っています。これは昨年年も押し詰まった頃決まったばかりですが、この政策を言出し且つ強引に施行させたのはほかでもなくマハティール首相本人です。堅固な英語信奉・崇拝者である彼は、華語教育界やマレーシア語学者、一部のマレー民族主義者などからの反対を無視し、言出してからわずか1年もたたない内にこれを実現させました。当コラムの326回 「かくして小学校1年から理科と数学を英語で教える政策が決定した」 で詳しく説明しましたのでそちらをお読みください。
この政策を実現させた言い分は、英語で数学と理科を小学校低学年から教えなければ、マレーシアは発展しないというむちゃくちゃな論理です。良識的な反論ももちろんありました、例えばほとんどの先進国:ドイツ、オランダ、フランス、北欧諸国、イタリア、韓国、台湾、もちろん日本も、では数学や理科をそんな低学年から英語で教えていない。教育で大事なことはまず数学の概念を理科の基本を子供に植えつけることであるという、教育者の至極当然なる反論も全く無視されました。一体どこからこんなむちゃくちゃな非論理が導かれるかはいくら考えても見出せませんでした。無理もありません、それは分類の3番目に当るからと後日気がつきました。3番目 [ その状況下または環境の下で、ある状態をどんどん押し進めて行けば究極的に発生するできごと・現象。生物学でいう定向進化ともいえる]
英語信奉と崇拝をどんどん推し進めて行けば、最後にはこういう非論理的結果に陥るということです。西欧の政治的ヘゲモニーと経済支配に常日頃反発を公然と示し、超大国米国の軍事横暴を強く批判しているマハティール首相は、まこと奇妙なことにある1つの言語の独占化現象には全く反対しません、それどころか自ら英語の独占化に積極的に手を差し伸べています。これは英語崇拝者と信奉者がもつ定向進化を証明していますね。
さてこのコラムの最初に書きました命題と答えをもう1度よく思い出していただけませんか。
英語を学習し取得することは、いうまでもなく英語を崇拝することとか信奉することとは別次元のことです。現代社会生活では多方面で自動車の運転免許が必要とされます、仕事、遊び、社会生活などの複数面で必要ですね。しかし一般に必要だからといって、一人残らず全員が取得するまでの必要はありませんし、それを強制するのもおかしいのであり、自動車免許を唯一絶対視することなど愚かですね。手段として必要である以上、その人その人の必要度に応じて自動車が運転できる程度でいいのであり、運転したくない人、運転不要な人は取らなくていいのです。誰かに運転してもらえばいいのです。中には国際A級ライセンスの必要な人もでてきます。運転免許を利用して金を稼ぐ人もたくさんいます(尚Intraasiaは通翻訳業もしていますので、英語で金を稼ぐ者の一部ともいえます)。このように運転免許(これを英語に置きかえてください)を取り巻く人間の事情は様々であり、それを巡る社会環境は一様ではありません。
結論的に再度言えば、英語は命題と答えで明記したように一般的には必要であり且つ習った方がいいのですが、それは英語の絶対視とは次元が全く違うことです。人々は英語を道具の一つとして見なせばいいのですが、一度道具に極度に依存したり絶対視してしまうともうそれなしには何もできない依存症候に陥り、時にはそのために発生する病状を示し、究極的には定向進化してしまうのです。
最後にあるシュミレーションをシナリオ風にして書き、このコラムを終えます。
場所:ある小学校の低学年クラス、社会科の授業中
教師:さあ、教科書の120ページの写真を見なさい、これを見て皆はどう思うかな?
生徒A: 先生、この写真の国 カンボジアってどこにあるんですか?
教師:タイの右隣だ。タイなら皆知っているだろう。地図ではマレーシアの上にあるぞ。
生徒B: この写真に写ってる文字、面白いなあ、丸かったりくねくねしてる。変なの!
生徒A:先生、カンボジアでは皆何語を話しているんですか?
教師:うーん、それはだなあ、カンボジア語かな?、いやカンボジア語だ。
生徒C:カンボジア語、なにそれ?カンボジアの人は英語は話さないんですか?英語できないなんて最低!
生徒B:この文字面白いから、そのカンボジア語とかいうの、習ってみたいなあ
教師:こらこら、英語は世界の共通語だからそんなことばに興味持たなくていい。君たちは英語さえ習ってればいいのです。
生徒B:でも、先生、カンボジアではカンボジア語で皆話してるんでしょ?
教師:こらB! そんなことばに興味持つのやめなさい。大きくなったらIntraasiaみたいになってしまうぞ!
文化、慣習、社会環境が違うと、他国や他民族の結婚、妊娠、中絶などに関する法律の内容に違いを確認するだけでなく、その背景そのものに違いを実感しますね。
刑法312条:流産を引き起こす
子供を身ごもった女性が流産に至ることを意図的に起こした者は罰せられます、その刑罰は最高3年の懲役、または罰金、またはその両方を科せられます。
説明
女性が自分自身で流産を引き起こした場合はこの(上の)定義に含まれます。
例外
この条項は、医学法1971年に基づいて登録してある医療者が次ぎの条件下で女性の妊娠を終了させた時には適用されません。条件とは、妊娠がこのまま続けば妊娠女性の生命に危険を及ぼす、またはその女性の精神的または身体的健康に害となる、そういった危険性がより高いと、その医療者が誠実に判断を下す場合です。
刑法314条:意図的に流産を起こす行為によって引き起こした死亡。 その行為が女性の同意なくなされた場合。
妊娠した女性に流産を引き起こす意図を持ち、その女性の死につながる行為を行った者は刑罰を科せられます。その刑罰は最高10年の懲役、さらに罰金も科せられます。加えてその行為がその女性の同意なく行われた場合は、刑罰として最高20年の懲役となります。
説明
この行為を行う者が行為によって死につながるかもしれないということを認識していることは、必ずしも必須のことではない。
堕胎が許される根拠
追加の必要事項
医療者である第3者が認めることが必要です。法的期間とは120日間であり、その女性の同意が必要です。
堕胎法1967年によって堕胎、妊娠の停止は違法となっています。ただ産婦人科医によれば、上記で説明したような状況下では堕胎が許されることになるとのことです。強姦または近親相姦の被害者が妊娠した場合、その女性が引き続き妊娠状態にあれば精神的に悪影響を受けると精神科医が判定すれば、堕胎は許されます、と産婦人科医は説明しています。
注意:コラム第93回の「中絶をマレーシアの各宗教はどう捉えているか」 も是非ご覧ください。尚当時そこに書いた懲役年数と上記に幾分違いがありますが、これは変更があったということなんでしょうか。しかしいずれにしろ法の内容に変化はでていませんね。
マラッカは15世紀以来しばらく、世界の商人が帰来する当時の国際港でした。そこの地元言語であったムラユ語つまりマレー語はいろんな言語から単語を取り入れました。またマラッカの中国人コミュニティー(現在は華人コミュニティー)つまりババは出身地である中国の福建語をマレー語と融合した独特のことばを長年使っていました。しかしこのBaba式マレー語は、マレー人社会に取りいれられることはほとんど起らなかった。
さてマラッカを最初に侵略して植民地化したのはポルトガルです。その植民地化された時代にポルトガル語がマレー語に入り、借用語として定着し、今日のマレーシアにおけるマレー語つまりマレーシア語に今尚使われています。
マカオの文化学院が出版した”マラッカとシンガポールに滞在したポルトガル人に関する書籍”の中で、ポルトガル起源のマレー語を選び出していますが、その書籍を紹介した華語紙 星洲日報は2002年12月1日付けの記事 「明日の遺書」の中で、上の説明と共に次ぎの25の代表的常用マレー語を載せていますので、ここに紹介しておきます。
マレーシア語 | その意味 | ポルトガル語 | ひとこと |
bendera | 旗 | bandeira | |
bola | 球、ボール | bola | |
bomba | ポンプ、消防 | bomba | 通常、消防署のこと |
bot | 小船 | bote | |
Doktor | 医者 | doutor | |
gula | 砂糖 | gula | |
kantin | 食堂 | cantina | |
Kapitan | その地の統治者 | capitao | |
kereta | 車両、乗り物 | carreta | |
meja | 机 | mesa | |
minggu | 日曜日、週 | domingo | |
muzik | 音楽 | musica | |
nanas | パイナップル | ananas | |
pasar | 市場 | bazar | |
pena | ペン | pena | |
puisi | 詩 | poesia | |
roda | 車輪 | roda | |
ronda | 見回る、パトロール | ronda | |
sabun | 石鹸 | sabao | 日本語でもシャボン |
sepatu | 靴 | sapato | |
sekola | 学校 | escola | |
tangki | タンク | tanque | |
tuala | タオル | toalha |
マレーシアでは会計士として認められるには次ぎの2つの要件を満たさなければなりません。
マレーシア会計士協会MIAは英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどの会計士協会の行う11種の会計士資格を認定しています。有名なところではACCA、CIMA、オーストラリアCPAなどの会計士協会(職業団体)があり、それぞれが資格試験を実施するので、それに合格すれば、必然的にマレーシア会計士協会MIAの認定する会計士となるのです。海外の会計士職業団体ではない、マレーシア独自の会計士職業団体をMICPAといい、これが行う試験に合格すれば、同様にマレーシア会計士協会MIAの認定する会計士となります。
またMIAは国内の7つの国立大学の会計学科で学士位を取得した者も卒業後3年の実務経験を積んでから会員資格者と認めています。
もし該当者がMIAが認めない他国の会計士資格を持っている場合は、マレーシア会計士協会が行う試験に合格しなければなりません。
4月24日に行われた、第10回Anugerah Industri Muzik (AIM) 2003 年の受賞結果をまとめてみました。AIMはマレーシア音楽界最大で最高の権威を持つ催しです。ただこのAIMにはマレーシア華人音楽界は参加していませんので、賞タイトルそのものが存在していません。
賞のタイトル | アーティスト | アルバム名 | 曲名 | 関連人名 |
最も前途有望なアーティスト | RuffEdge | Tiada Lagi Cinta | ||
最優秀新人歌手 | Sarah | Sarah | ||
最優秀ポップアルバム | Sarah | Sarah |
プロデューサー Aalva Jitab, Ajai |
|
最優秀男性ボーカルアルバム | Anuar Zain | Anuar Zain | ||
最優秀女性ボーカルアルバム | Siti Nurhaliza |
Konsert Live Untuk Mu Sudir Siti N | ||
最優秀グループボーカルアルバム | NowSeeHeart |
Berjalan, Melihat dan Mentafsir | ||
年間最優秀曲 | Anuar Zain |
Keabadian Cinta |
作曲 Azlan Abu Hassan |
|
最優秀エスニックポップアルバム | Yasin | Salsabila | ||
最優秀音楽アレンジ曲 | Siti Nurhaliza | Merisik Khabar |
アレンジャ− Ramli MS |
|
最優秀音楽ビデオ | KRU | Impak Maksima |
監督 Virginia Kennedy |
|
最優秀インドネシアアルバム | Sheila on 7 | 07 Des |
プロデューサー Jan Djuhana |
|
最優秀地元英語アルバム | Dave Andrew | Undertthe Influence |
プロデューサー Dave Andrew |
マレーシアでは華語新聞各紙に頻繁に掲載される葬儀サービス広告は、華語紙に特有なものです。英語紙にも華人対象に葬儀サービス広告はたまに載りますが、下記に記すような具体的なものではありません。当然ながらマレーシア語紙には載りえません。
華語紙に掲載されるこの種の葬儀サービス広告の特徴は、大または中スペースで写真付きである、時にカラー広告、サービス内容を具体的に明記している、棺桶にはクラスがあり必ず価格が表示される、などです。
そこである葬儀サービス社のカラー広告から紹介してみましょう。
以下は広告から
あなたが満足されることが私たちの目標です。
化粧棺桶の2種の写真: RM4888、RM3888
輸入した豪華な霊柩車と説明をつけた写真、
荘厳な霊堂と説明をつけた写真、
明細の列挙:
死亡及び埋葬証書の受領、遺体を確認して受け取ります、遺体への防腐と化粧施し、ドライアイス、吉祥化粧棺桶、火葬用吉祥棺桶、吉祥骨壷、荘厳な位牌、喪主家への道案内指示と提灯、専門のサービス員を1組派遣、死者を納棺、霊柩車1台、思い出のアルバム1冊
紹介の写真が4枚:アルバム、黄金色と赤色のろうそく、果物と精進料理、経かたびら、
仙境葬儀サービス社、とその住所、電話 (Intraasia注:仙境が社名)、及び支店の住所、電話
以上
こういう広告スタイルは、華人社会の死生観と慣習に基づいたものですから、他民族からみれば違和感を感じる面も出てくるかもしれません。日本では新聞で互助会などの広告はあっても、葬儀社がこれほど具体的な広告まではしないのが日本人の慣習でしょう。
自動車を新規に購入すれば必ずナンバープレートの登録手続きがついて回りますが、その記号と番号は各州の道路交通庁が割り振り且つ登録業務を司ります。縁起やかっこいい番号は入札で決められることは、以前のコラムで書きましたね。州毎に登録しますので、記号である英字の1番目または1番目と2番目はその州を示し、2番目又は3番目の英字記号が登録の最新度を示します。
州 |
クアラ ルンプール |
スランゴ ール州 |
ヌグリスン ビラン州 | マラッカ州 |
ジョーホー ル州 | ペルリス州 | ケダー州 | ランカウイ島 |
記号 | WKV | BGU | NBH | MAX | JGY | RF | KBJ | KV |
注 | 1文字 | 1文字 | 1文字 | 2文字 | ||||
州 | ペナン州 | ペラ州 | パハン州 | クランタン州 | トレンガヌ州 | サバ州 | サラワク州 | |
記号 | PFN | AEU | CBJ | DAN | TAE | SAA | QKU | |
注 | 1文字 |
マレーシアにおけるインターネット普及に関する話題を久しぶりに取り上げて、すそ野拡大の面を中心に考察してみましょう。
そこで、最近新聞に載った中に興味深い記事がありましたのでそれから抜粋翻訳してまとめた文章をまずはじめに。参照は2003年6月24日付けStar紙の別刷りIn.Tech特集の記事です。
国家情報技術評議会がマレーシア第2のプロバイダーJaringの親会社であるMIMOSと共同で実施した”2002年インターネット加入者研究”の結果が最近(6月)公式に発表されました。マレーシアにおけるインターネット利用に関するこの調査研究を国家情報技術評議会は先駆的なものであり、インターネット利用者の正確な輪郭を初めて明らかにしたものである、と評しています。調査時期は2001年4月から2002年2月までの10ヶ月間で、調査専門会社A.C.Nielsenがコンサルタントとして協力しました。
調査研究の結果、Jaring加入ユーザーの
国家情報技術評議会の書記長は、「情報ギャップを埋めるため、インターネット利用者の精細を知るために、この調査は開始された。この結果を基に我々が注意を向けなければならない経済セクターと社会コミュニティーに向けた政策の微調整を行うことができる。」と説明する。
マレーシアのコミュニケーションとインターネット産業を監督し方針を打ち出す役割を持った国家機構であるマレーシアコミュニケーションとマルチメディア委員会が、これまで基本的なデータは収集してきましたが、もっと包括的で最新のなデータ収集はほとんどなされていません。このためこの「2002年インターネット加入者研究」に関わったものは、包括的で定期的なデータ収集はなされてこなかった、と語り、反面この調査は5800人の個人と会社ユーザーを対象にした包括的なデータ収集したものだと。方法は郵便とインターネットの両方を使ってサンプル対象者からデータを集めました。
以上は記事参照分
6割が華人である、家庭の主婦と年金生活・定年者は極少数派であるなどという興味深い点が現れていますが、まずインターネット利用者の全体数を知る必要があります。2002年後半の時点でマレーシア総人口は2400万人と2500万人の間だと推定されます。
年(各年末) | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 |
2002 第U4半期 |
2002 第W4半期 |
登録者数(万人) | 6.4 | 20.5 | 40.5 | 66.8 | 169.5 | 211.5 | 229.7 | 261.4 |
利用者数(万人) | 19.2 | 61.5 | 121.5 | 200.4 | 497.7 | 634.5 | 689.1 | 784.2 |
ここでマレーシアのプロバイダー事情も知っておかねばなりません。
マレーシアのプロバイダーは、Telelom子会社であるTMnetと MIMOS子会社であるJaring の2大プロバイダーが市場を寡占しています。他にもTimeDotCom、Arcnetなど数社が一次プロバイダーとしてビジネスを展開していますが、登録者数の面では2大プロバイダーが全体の9割以上を占めているようです。さらにTmnetが全登録者数の過半数を占めるガリバー型市場構造です。もちろんこの構造が将来も変わらないという保証はないでしょうが、裕福ユーザーまたは先進ユーザーではないごく平均的及びそれ以下のインターネット利用者が簡単に加入して利用できるサービスを提供しているのはこの2大プロバイダーだけなので、2大プロバイダーの寡占状態が消えるには年月がかかりそうです。
2大プロバイダーがごく平均的及びそれ以下のユーザー市場を独占しているのは、住んでいる地方に関わらず電話線さえ架設されている地域であれば、下記の表に示しましたように、低所得者層でも負担できる料金で加入できるからです。他のプロバイダー、例えばTimeDotComは全国どこに住んでいても加入してそのサービスを利用できる、という普遍型ビジネスではなく、都市部のごく限られた裕福ユーザーまたは先進ユーザー対象のビジネスです。
サービス名 | 条件 |
1ヶ月の制限 使用時間 | 接続料金 | 登録料 |
年間 更新料 |
登録時 の支払い | 電話料金 | |
Jaring | Home Surf |
使用時間 に比例 | なし | 1セント/分 | RM25 | RM20 | RM45 | 1.5セント/分 |
Easy Surf |
1ヶ月RM30 の定額 | 50時間まで |
超えた場合 1セント/分 | RM25 | RM20 | RM85 | 1.5セント/分 | |
Leizure Surf |
1ヶ月RM50 の定額 | 160時間まで |
超えた場合 1セント/分 | RM25 | RM20 | RM125 | 1.5セント/分 | |
注:電話料金:ダイアルアップ専用電話番号につなぐ場合の料金 注:ISDN利用の場合、接続料金は1分間あたり4セントとなる |
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加入対象 | 条件 |
1ヶ月の制限 使用時間 | 接続料金 | 登録料 |
年間 更新料 |
登録時 の支払い | 電話料金 | |
TMnet |
学生、 身障者 |
使用時間 に比例 | なし |
1セント/分 3セント/分 |
RM10 RM25 | RM18 |
RM10 RM25 |
1.5セント/分 4セント/分 |
一般人 |
使用時間 に比例 | なし |
1セント/分 3セント/分 |
RM10 RM25 | RM24 |
RM10 RM25 |
1.5セント/分 4セント/分 |
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注:登録料:下段はISDNの場合 注:電話料金:ダイアルアップ専用電話番号につなぐ場合、下段はISDN専用番号につなぐ場合、 注:接続料はすべて後払い方式です、下段はISDNの場合 |
上記の表を基に具体的にインターネット利用費用を考えてみましょう。
1日1時間接続程度の低利用者が1ヶ月に必要な費用(Jaring、TMnetに共通の費用):
接続料金 1セントx 60 x 30 = RM18、電話代 1.5セントx 60 x 30 = RM27、合計RM45
でこのRM45が低所得者階層にどの程度の負担であるかが意味を持ちます。単身者でなく世帯を基準にします。
都市部の低所得者層である月収RM1200の層の場合、所得の4%弱となります。。わかりやすい比較をあげれば、屋台で食事すれば1人当りRM3はかかりますから5人家族で1回食事すれば最低RM15、つまりインターネット接続費用は3回分ほどの費用ということです。ですから、低所得者層の平均的家庭といえども、4%弱という数字から及び可処分所得の面からもそれほど大きな負担とは言えません。
都市部の極低所得者層である月収RM800に満たない層では、インターネット接続費用は所得の5%から10%近くになり、且つ可処分所得の少なさから、インターネット接続費用負担が相当重荷になるのは理解できます。
低所得者層でも1日2時間月60時間の利用となれば、TMnetの場合で
接続料金 1セントx 60 x 60 = RM36、電話代 1.5セントx 60 x 60 = RM54、合計RM90
世帯所得RM1200の8%弱となり、可処分所得を考慮すればこれが利用の限度近いと見なしていいでしょう。
非都市部では、全体的物価の安さから都市部と同額の世帯所得であれば、同じ所得階層の場合暮らしは幾分楽になるのは当然です。都市部に比べて屋台や大衆食堂の飲食物は2、3割は安く、通勤などにかかる公共交通費は少なく済む、家賃類はずっと低額である、娯楽費用などが場所の少なさからあまりかからないなどと、全体的に出費が少なく済むからです。
下記に階層別の平均月間世帯所得表を掲げておきます。データがちょっと古いのですが、2002年の時点では恐らくどの階層も幾分は所得が増えていると思いますが、表の根本を変えるほどの大きな変化はないとみなしてよいはずです。
ブミプトラ | 華人 | インド人 | その他 | 全体 | 都市部 | 非都市部 | ||
上位20% | 4855 | 8470 | 6456 | 3242 | 6268 | 7580 | 4124 | |
真中40% | 1810 | 3168 | 2460 | 1204 | 2204 | 2844 | 1577 | |
下位20% | 742 | 1271 | 1092 | 616 | 865 | 1155 | 670 |
ではインターネットする前提であるパソコンの価格を見てみましょう。
インターネット開始するにはまずパソコンを入手しなければなりません。パソコンを初めて買うとかとかごく古い機種を何年かぶりに買い換えるような人たちの場合は、パソコンショップでの購入がごく一般的で且つほとんどでしょう。
部品を買い集めて自作できるような人たちはパソコン利用入門者でも初級者でもありえないのでここでは関係ありません。
どのパソコンメーカーでも同一程度の性能であればたいして価格に違いはないでしょう。
最も積極的に宣伝しているDellの広告から
初心者レベル向きつまり低価格帯のデスクトップパソコンの例 価格RM2000
Pentium 4 2.2GHzのCPU、30GBのハードディスク、48倍速のCD-ROMドライブ、128MBの DDR-SDRAMメモリー、10/100 Ethernetカード内臓、15インチモニター、Windows XP Home edition(英語)インストール済み
Dell とマレーシアでのパソコン販売を争うトップメーカーのACERの広告から
多分一番普及レベルのデスクトップでしょう、その新モデル 価格RM2888
Pentium 4 2.6GHzのCPU、40GBのハードディスク、52倍速のCD-ROMドライブ、256MBのDDR-SDRAMメモリー、56Kの内臓モデム、16ビットのSoundBlaster、オーディオスピーカー、17インチモニター、Windows XP Home edition(英語)インストール済み
クアラルンプールのパソコンショップ街で営業するあるパソコンショップの販売パンフレットから
ほとんど無名のパソコンブランドCityComputerのお勧めディスクトップパソコン 価格:RM1588
Pentium 4 2.4GHzのCPU、40GBのハードディスク、52倍速のCD-ROMドライブ、256MBの DDR-RAMメモリー、56Kの内臓モデム、1200Wのスピーカー、17インチモニター
(Intraasia注:Windowsはインストールされていません。OSなしにパソコンは稼動しませんから必ず追加料金が必要ですね。XPのホーム版をインストールしてもらえば大体RM320ぐらい追加です)
パソコン購買には最低限これぐらいの費用が必要だということです。無名メーカー製であれば多少有名ブランドより安いでしょうが、入門者レベルのパソコンで少なくともRM2000程度かかることに変わりはありません。ブランドメーカーのパソコンの場合、OSはプレインストールですが、マイクロソフトのOfficeシリーズのプレインストールはこのレベルでは通常ありません。アップルコンピュータのMACパソコンは低価格帯ではありませんし、マレーシアでのマーケットシェアも数パーセントにも満たない程度で、入門者・初級者レベルが最初に購買を購入することを検討する対象にはまずなりえません。そもそもMacを扱う代理店自体を探すのが難しい。
さてこの低価格帯パソコンのRM2000が低所得階層世帯にどういう重みを持つかです。低所得階層の世帯平均である月収RM1200程度の家庭からみれば、パソコン価格が月収の2倍近くになります(プリンターを追加購入すれば2倍になる)。パソコンを買うのは何年かに1度だけの一時出費とはいえ、対月収比の面からそれほど気軽に購買を決定できないことはおわかりになるでしょう。そこで家電量販店などではパソコンをローン販売しています。この方式であれば2年間月支払い額RM100程度になりますから、一時負担の重みはなくなります。
こうしてパソコンを入手して低頻度のインターネット接続であれば、低所得世帯でも家庭でのインターネット利用は気楽にとまでは言えないがそれほど無理なくできるということです。しかし月収RM800に満たない極低所得世帯では、まずパソコンの購入自体が極めて難しいですね。低価格帯のパソコン価格が月収の3倍近くであり、もともと可処分所得に回す余裕のほとんどないこの階層で、パソコンに回す金は捻出できないと考えられますから。
ここで低所得階層に光を当てたのは、その購買力においてインターネット利用とその前提になるパソコン所持は可能かということを説明したかったからです。中位所得階層であればその平均であるRM2200ぐらいの所得世帯ならパソコン購入時の一時負担は別にしてインターネット利用は所得上は無理なくできるでしょう。RM3000前後であれば、特別事情がない限り、所得的にはほとんど問題ないでしょう。
所得上位層は当然として、中位階層においてもパソコン所有とインターネット利用が所得面では問題なくできる以上、この2つの層でのインターネット利用者比率の向上は教育とインターネット利用意識向上の植えつけ方に依存します。低所得階層でもこれは同様ですが、それ以前に所得上可能であるかが重大な要因ですね。マレーシアにおけるインターネット利用者の数と比率を上げる鍵は、相対人口比のぐっと少ない上位階層に目を向けるのではなく、中位階層における利用者数のより拡大と一番利用者比率の低い低所得階層における利用者の新規拡大です、つまり裾野を広げれば必然的にインターネット利用者比率が上昇することに結びつきます。
ただしこの理論が成立するには外的な条件いわばハード面だけでなく、ソフト面つまりパソコンの利用環境の変化も必要です。それに関しては当「今週のマレーシア」の過去のコラムで数回触れたように、利用環境の変化が望まれるところです。具体的には、日常的に英語利用生活を全くしてないような人々が、パソコン関連の英語説明と英語Windowsだけの世界にどうなじめるかといったマレーシアにおける根本的言語文化事情が影響してきます。
最上段にある、”家庭の主婦3.3% と年金生活・定年者1.6% は極少数派である”に目を向けてください。インターネット利用の裾野を広げるのは単に学生や若い層の利用者を増やすことではないのは当然ですよね。日本では家庭の主婦 と年金生活・定年者のインターネット利用者の比率がこれほど低いのでしょうか?私は確実な数字を知りませんのであくまでも推測ですが、これ以上の比率のはずでしょう。その前提には母語である日本語であらゆる事が済むという環境があります。マレーシアでは家庭の主婦であれ年金生活・定年者であれ、まずパソコン関連の英語説明と英語Windowsだけの世界に馴染まなければなりません。英語話者の多いマレーシア社会といえどもこれがいかに大変かは、読者の方がそれぞれの身の回りの人々の場合を想定していただければおわかりになるはずです。
この面に関しては過去のコラムですでに論じたので、ここでは単に指摘にとどめ再度論じることはしません。
加入ユーザの60%もが華人であるというのはなぜでしょうか。
華人人口の総人口に対する比率は約25%です、だからはるかに他民族に比して相対的インターネット利用比率が高いことになります。その第一の理由は華人の所得が相対的に多いということでしょう(ブミプトラ・民族別の月間世帯所得参照)。所得の多さはパソコンの保有率上昇に結び付くのは常識的にわかります。パソコン所有が多ければインターネット接続比率も上昇すると考えても差し支えないでしょう。第2の理由は、華人が他民族に比して英語利用生活者(必ずしも英語一辺倒である必要はない)の比率が多いという事実です。これはパソコン関連の英語説明と英語Windowsだけの世界に馴染みやすいことになります。
さらにその他の理由をあげれば、英語は別格としてインターネット世界での中文(中国語)情報は広義マレー語情報をはるかに凌駕するという面もあるでしょう。40才未満の華人の間では、小学校段階で中文(中国語)教育を受けた華人が大多数を占めるため、中文(中国語)情報の豊富さは華人のインターネットアクセスを増加させる要因の一つ(が決して最大の要因ではない)にもなっているはずです。
華人社会の一般的傾向として、マレー社会より”外への興味”が強いという面もあるでしょう。こういった諸点がインターネット加入者中で華人の比率が群を抜いて高いことに貢献しているのでしょう。
マレーシアにおける一般向けインターネット接続が開始されて以来、加入者と利用者の多数はクアラルンプール、ペナンなどの大都市在住者であり、年齢層は学生から青年層に遍在していると言われ続けているので、55%は年齢21才から35才の層、及びほぼ4分の3はクアラルンプールとペナン州とサラワク州の居住者、という2つの結果は既知の事実ですね。サラワク州という単語が唯一の意外です。
”2002年インターネット加入者研究”の上記で載せたごく簡単な結果以外の詳しい調査結果は、今のところ一般向けに発表されてないようです(そこまでの必要はないと判断されているのかもしれませんが)、または筆者の目には入っていません。そのためデータが限られているためこれ以上深い考察は無理なので、ここらで筆を置きます。
街の新聞雑誌販売店や書店へ行くと、いくつかの漫画・コミック雑誌と漫画単行本が並んでいます。尚台湾など外国からからの輸入マンガ雑誌はマレーシア産ではないのでこのコラムでは対象にしません。単行漫画本はひとまずおいておいて、漫画雑誌の中では種類、量ともマレーシア語漫画雑誌がずっと多く中文(中国語)漫画雑誌は2種のみです。ただ1タイトル1冊形式という香港製漫画専門のペラペラの厚さの中文漫画雑誌が毎週発売されていますが、これはこのコラムで話題にする”国産”総合漫画雑誌とは少しずれます。
このマレーコミック市場でこの数年目覚しく伸びてきた雑誌が、Gempak 誌 だといわれています。Ujan誌、 Gila Gila誌、 Apo誌 といったこれまでのマレー漫画の主流雑誌とはぐっと違った方向性を持ったマレー漫画雑誌ということは、毎号の愛読者にならなくても一通り目を通すだけで、違いがあることに気がつきます。
ごく最近筆者宛てに、日本のある漫画編集者とおっしゃる方からGempak誌のことを尋ねるメールが届きました。筆者は4年前に当コラムでマレーシアのマンガについて書いたコラムを載せました。相当手間暇かけて調べて書いたものですが、その時マレー漫画雑誌の編集部とはとうとう接触できず取材できませんでした。
大衆若者文化に関心ある筆者としては、いつかはマレー漫画・コミックのことも調べて見たいなと思っていましたが、コネのない筆者にはなかなか縁がありません。そこでこの質問に答えるためにも、マレー漫画・コミック界のことをもう1度調べて見ようと思い、前々から気になっていたGempak誌の編集部に電話をかけて、マレーコミックの話しをきかせてくれないかと、思いきって頼み込んだところ、思いがけず編集部まで来て下さいとの返事がありました(この時点では私が日本人であることを彼は知りません)。そこで6月末日、筆者は”Gempak誌掲載の住所を頼りに、高架電車に乗ってその地に行き編集部を訪れました。
筆者の取材に応じてくれたのは、電話時の応対時と同じく編集者のAyourさん、20代のマレー男性でした。筆者が目的と自己紹介した後、彼はあれこれの質問に快く答えてくれましたので、マレー漫画というよりGempak 誌に関する状況がよくわかりました。このコラムはそのインタビューを基にして書くものです。インタビューでの使用言語はマレーシア語で、筆者のマレーシア語力不足を補うために多少英語使用です。
雑誌名になっている”Gempak” は筆者の小型辞書にはその語自体が載ってないので、まずその意味を尋ねると、クールなことや異常なることや信じられないようなこと、素晴らしいこと、ワーという気持ちを抱くものなどに対する大きな驚きというような意味合いを持ったスラングであるとのことです。つまり雑誌そのものに驚きのマレー漫画雑誌という願いを込めているのですね。その願いを込めてGempak が創刊されたのは、1998年6月とのことですから、ちょうど5年前ですね。当初は月刊、反響がよくその後月2回刊行になりました。6月末時点での発売号数で87号です。
雑誌表紙の書名”Gempak”という文字の直上に Majalah Komik Generasi Baru と書かれています。この副タイトルに創刊の意気込みと狙いが込められています。それは Komik Generasi Baru 新世代のコミックということだからです。それまでのマレー漫画主流であるマレー流ユーモアを持ち味としたいくつかのマレー漫画雑誌と違ったスタイルのマンガと記事内容を持った”Gempak”は、新世代の漫画雑誌(Majalah とは雑誌の意)なのです。Gempak のホームページには、”内容からカバーまで違う漫画雑誌”ということばが使われています。さらに、その伝統的なことから離れてしまうとどんなことが起きるか会社の誰も確証はなかったが、幸運なことに我々の大きな賭けは成功した、と書いています。
このマレー漫画の新潮流を目指し且つ現在ではそれを持ち味ととしたマレー漫画雑誌として、”Gempak”は成功しこれからも伸びていくと、Ayourは語ってくれました。筆者はその彼のことばに自信がこもっていることを感じたぐらいです。
尚マレーシアで漫画出版は日本のように巨大な産業にはなっていませんし、将来も巨大産業になり得ないのは、長年マレーシアを観察してきたものとしてはっきり言えます。それはマレーシアの文化・言語・社会構造とそれを前提にした出版産業のあり方を知っているからです。
しかし巨大にはなりえなくても大きく伸びることはできます。Gemapk 誌は現在1回発行当り10万部近い発行部数だそうで、実販売数は7万部から8万部とAyourは明らかにしてくれました。さらに読者数は30万人です。この数字だけは”Gempak”を発行しているつまり出版元であるArt Square Creation 会社作成の資料に載っている数字であり、この資料はインタビュー後にもらいました。尚読者数が販売数より多いのは、漫画を回し読みするからですね。
このArt Square Creation会社は漫画雑誌3種:”Gempak” “Utopia” ”漫画王” を発行しており、社内に各編集部とその他部門が存在しそれぞれ所属の漫画家が社内勤務しています。編集プロダクションが介在する方式ではありませんし、一部の例外を除いて漫画家はArt Square Creation社発行の雑誌の専属であり、漫画を描く場所は会社内です。自宅などで描く漫画家は一部のフリーランス漫画家であり、ごく少ないとのことです。Art Square Creation 会社発行の3部の漫画雑誌に属して描く漫画家はその雇用形態がどうであれ、他雑誌に描くことはありません。さらにマレーシアではある漫画家がいくつかの会社の漫画雑誌に描くことはないと、Ayourは説明しています。
Gempak誌所属の漫画家は編集者Ayour を含めて10人を超えます、マレー人と華人から構成されていますとのこと。具体的な内訳は知りませんが、マレー漫画にも華人漫画家が半数近くはいるようです。”Gempak”7月1日号掲載のマンガは4コマ漫画を除いて10編ありますが、ある号に全部の漫画家が作品を書いているわけではありません。中には複数書いている漫画家もいるそうです。この社の漫画家の年齢層は20代ばかりという若い構成です。これはマレーシアの漫画家界に共通に言えるそうで、20代30代の漫画家ばかりだそうです。
女性漫画家は社内には1人だけで”Gempak”所属ですが、姉妹雑誌の”漫画王”にも発表するそうです。全般的にマレーシア、具体的にはマレー人の女性漫画家がごく少ないのはなぜかの私の質問に、Ayourgは次ぎのように説明しました。「文化的な面の理由が大きい。マレー社会では女性がマンガを描くようなことはあまり一般的と見られないし、そういう雰囲気にない。マレー社会はそれほどリベラルではない。だから女性漫画家は生まれないし育たない」と。
なるほど、マレー社会を外から眺めてきた筆者としてもまあ納得できますね。
”Gempak”の漫画家は外国マンガの影響は受けいているかの質問に、それはある、しかし日本だけというように特定国だけの漫画家の影響というより、香港マンガ、韓国マンガ、米国マンガなど複数国の漫画を参考にしますまたは見ます、とAyourは語る。Gempak誌掲載の漫画のタッチを見ると明らかに日本の漫画の影響を受けたであろうと推測できる漫画もあります。例えばほのぼのとした若者の恋愛心情をからませた漫画、日本の青年漫画誌で見たことあるような描き方の漫画です。尚編集部責任の情報ページの中で(この号だけでしょうが)韓国漫画の紹介が2ページ載っています。その説明活字に、”Korea Lawan Jepun” つまり韓国は日本に匹敵するとあります、もちろんそれが正しいのかどうかは漫画論門外漢の私には判断できません。
Gempak誌の漫画10編のほとんどが、1タイトル漫画当り6ページの割り振りなので、その理由を尋ねると、そういう方針だとのことでした。下の写真はGempak誌掲載の漫画からです。
読者層の質問に移りました。読者の主体は10代前半、1桁年齢の読者から20才前半までが読者層です。前述の資料の中の読者調査では、16才から19才の層が52%、13才から15才が40%となっていますが、この調査は2001年2月実施なので、今では多少年齢層が下がったのでしょうか。読者の男女の比率はAyourに寄れば、約4割だと意外に高い比率にちょっと驚きました。資料の数字では14%ですから、女性読者層が以前より伸びたということなんでしょう。民族別ではマレー人が全部ではなく華人もインド人もいる、ただ比率から言えばマレー人が8割以上だとのことです。Gempak誌がマレーコミックである以上、まあこれは納得できる点ですね。資料の数字では91%がマレー人となっています。
尚私の説明を加えれば、少ない割合とはいえ華人、インド人の子供たちがマレー漫画雑誌を読むのは、小学校からのマレーシア語教育のおかげであり、且つ漫画のマレーシア語は口語調で彼らにとってはわかりやすいことばだからでしょう。
読者の地理的な遍在は特にないとのことで、半島部の都市部にも田舎(カンポン)にも読者はいるとのことです。資料ではサバ州サラワク州の読者の比率が1割以下となっていますが、これはマレーシアの多くの面で見られる現象であり、特に珍しいものではありません。尚ごくわずかにシンガポールにも読者がいるのは、シンガポールでも販売されているからでしょう。
読者に人気ある漫画のタイプとしては、アクション物と幽霊・お化けの出るまたはオカルト現象のものだと、Ayourは説明する。「私はその種の漫画を描いています」と彼。どうりでGempak誌の10編中2編が幽霊・お化けがでてくる内容の漫画が載っているわけです。
Gempak誌の総ページ数約100ページ中で漫画部分は60数パーセントを占めますが、意外に多いのがPCゲーム、アニメ、PS2ゲームの情報・紹介ページで、全体の20%ほど占めます。さらにゲームに関するおもちゃなどの販売・広告ページが5%ほどあります。なぜ漫画雑誌にこれほど広い意味でのゲーム情報が多いと尋ねたところ、ゲームとアニメ好きの層と漫画好きの層は重なるという説明でした。Gempak誌は”Generasi Baru”の雑誌である、だからこの新しい漫画世代はPCゲーム、PS2ゲーム、アニメなどITエンターテイメント分野にも関心が高いのだという説明です。だから編集部に届く質問類にもこれらゲームに関する質問が多いとのことです。
Gempak誌には読者が応募として送ってきたひとこまマンガ作品を毎号掲載しています。具体的な数は教えてくれませんでしたが、毎号100人をはるかに超える数百の応募があり、その中心は10代とのことです。応募作品の中から編集部が選んだ作品が採点と共に2ページに渡って掲載されています。これとは別にこの社の年間最優秀新人漫画賞への応募作品募集説明のページが1ページあります。
Gempak誌の漫画は口語/スラングマレーシア語で書かれていますから、筆者程度の外国人としてのマレーシア語能力ではよくわからない、辞書を引いても載っていない単語があり、意味がよくわからない場合があります。せりふの中で一部が頻繁にボールド文字にしてあるのはなぜかと尋ねたら、それはボールド文字化によってスラング部分を強調しているのだという説明でした。
Gempak誌の定価RM3.90について適当だろうと彼は言っておりました。マレーシアの物価と、購買層が10代中心というところを考えれば、妥当なところでしょうし、競合他誌もこの価格帯です。ちなみに新聞は1部RM1.20が中心で、コーラ1本がRM1.50程度です。シネプレックスでの学割料金はRM5からRM8ぐらいです。漫画雑誌購買年齢層が勤労層でない以上、漫画雑誌の価格がぐっと値上りすることはありえないし、できないことですね。マレーシアの漫画市場に20代後半以上を対象にした大人向けの雑誌は存在しないし、純粋なる大人対象の漫画といえるのは新聞の4コマ漫画ぐらいでしょう。マレーシアの漫画雑誌市場は、マレーシア語漫画と中文(中国語)漫画市場に分かれてはいても、この意味で単層構造です。言うまでもなく輸入マンガ市場は除きます。
輸入漫画といえば、この数年日本漫画のマレーシア語翻訳が随分増えたようです。以前はほぼ単行本形式のみで日本漫画がマレーシアで出版されていましたが、今ではその種類がぐっと増え且つ翻訳日本漫画を主掲載漫画としたマレー漫画雑誌が出版されています。雑誌名"Kreko" といい、月2回刊と印刷されて7月初めの号で103号です。最初から2回刊かどうかは知りませんが、少なくともこの1年から1年半以内ぐらいに創刊された雑誌ですね。
117ページほどのこの雑誌の内容を見ていくと、Majalah INFO + MANGA と付けられた副タイトルのごとく、多少情報も載っていますが、9割は全部マレーシア語に翻訳された漫画という ”日本マンガ”雑誌です。版権がどうなっているのかは当然私にはわかりません。漫画家の名前を書き出します:きしもと まさし、まつうら ときひこ、たかはし かずみ、うめざわ はると、おおとも かつひこ、みねむら かずや、くぼのうち えいさく、ふじわらよしひで、ひぐち だいすけ、ふじわら かずひろ、しんどう じゅん、いとう じゅんじ、そだ まさひと、かみじよ あきみね、(漢字は使われていませんので、ひらがなに直しておきました)。
情報のページに日本語教室、日本ラーメンの説明、人気歌手近況といった日本情報があります。読者欄を見ると当然マレー人が多いようです。マレーシア語漫画雑誌ですが、編集スタイルや雰囲気から華人が相当関わっているかのような印象を抱きます(これはこれまでの経験に基づく私の推測です)。
前回コラムの続きです。
さてこのArt Square Creation社はごく最近の今年6月初に中文漫画雑誌を創刊しました。書名を”漫画王”といい、この6月末時点で第2号が発売されています。この雑誌のことは中文(中国語)メディアと華語・広東語ラジオ局で広告されていましたので筆者は気がついていましたし、書店でも見かけました。今回取材にあたってもGempak 誌だけでなくこの雑誌も買って一通り目を通しておきました。
この漫画王誌はいわばマレーマンガ雑誌Gempak の中文版(中国語版)という体裁です。といっても単なる翻訳版ではなく、独自の編集部が編集しており、記事掲載内容は結構違いますので、いわばコンセプトが同じだと見なしてよいでしょう。つまり漫画王誌も漫画だけでなく、ゲーム、アニメ、の情報をたくさん掲載し且つ華人娯楽界の情報も多少加えています。
”Gempak”編集者兼漫画家であるAyourとの話しが終ってから、彼に漫画王誌の編集者にも会わせてくれないかと頼んだところ、彼は快く編集者を別室から呼んで来てくれました。そこで”漫画王”の編集者兼漫画家であるKenny に話しを伺いました。チーフ編集という立場の彼は20代の華人です。以下はKennyとの会話取材を基にしたものです。尚今回の使用言語はほとんど広東語だけです。
Kennyは元々Gempak 誌の漫画家です。そして今でもGempak誌に描いています。そのGempak誌に連載として載せたマンガを中文に翻訳してGempak誌にも載せています。つまり漫画王に載っているのは彼がしばらく前にGempak用にに描いて載せた回の漫画だということです。改めて2誌のマンガを見比べるとそうですね。しかし漫画王の4コマ漫画を除いて8編の漫画中、Gempakに以前載せた漫画は2編のみです。漫画王誌に描いているのは元々Gempak誌に描いていた漫画家かまたはArt Square Creation社発行のもう一つのマレー雑誌”Utopia”の漫画家とのことです。
漫画王誌はGempak誌にない特徴として、1編の漫画だけですが、外国人漫画家の作品を掲載しています。具体的には、何でも香港では有名だという林祥*(最後の文字は日本漢字にない)という漫画家です。ですからあとの7編と4コマ漫画はすべてマレーシア人漫画家の作品です。7編の漫画中、連載でない1編は社外の漫画家の作品だそうです。
Gempak誌の読者層と漫画王誌の読者層の違いについて質問しました。漫画王誌は中文で書かれている以上、当然ながらマレー人は読めませんから読者は華人ばかりですが、読者層は似ているとの事です(注:中文とは日本でいう中国語のこと)。つまり10代中心で、PCゲーム、アニメ、PS2などが好きな層です。読者層の細かい調査統計はまだ2号の段階ですから資料として作成してないのは当然でしょう。
華人読者とマレー人読者との嗜好の違いを聞いたところ、傾向としては同じだが、華人読者層の方が目がうるさい、漫画を気にする水準が高いというのが、彼の返事でした。つまり絵の細かいタッチなどを気にする傾向がマレー人よりあるということです。それはマレーシアの中文漫画出版市場ににあふれる台湾または香港漫画の影響ということかもしれません。尚多くの台湾からの漫画本は日本漫画の翻訳です。
漫画王誌に描く漫画家は当然華人だけですが、内1人だけが21才のごく若い女性漫画家で、もちろんArt Square Creation社の社内漫画家です。マレーシアの中文漫画界も女性がぐっと少ないことはマレー人漫画界と似ているようです。華人向け漫画市場はマレー漫画市場と比べても小さな市場ですから、ここで少女漫画専門のような雑誌が出版されたり(輸入は別)、そういう漫画を専門に描く漫画家が出現するのは難しいでしょうね。ところでちょっとユーモラスな中高校生恋愛物語がこの号に載っています、日本の漫画雑誌でも見るようなタッチです。作者は女性かなと思ったら男性でした。
もう一つ別の掲載漫画で、あれ日本のどこかの一般週刊誌で見たなという漫画があります。登場人物の形体が虫または動物になぞらえてあるのです。記憶がはっきりしてないので、どの週刊誌連載漫画かは思い出せません。Kennyは、その漫画の作者は確かに日本のその漫画からアイディアなどの影響を受けていると言っていました。
中文新聞とか他の中文雑誌を見ていると、時々4コマ漫画が載っています。漫画王にもこの4コマ漫画が4ページ載っており、これはGempak誌の2倍ですね。総ページ数の4%にしかすぎませんが、一般的に中文娯楽雑誌界の方がマレー娯楽雑誌界よりも4コマ漫画が多いように思われます。Kennyもそうだと言ってましたが、この理由はよくわかりません。
漫画家になる方法を尋ねました。Kenny によれば漫画王の出版発行元であるArt Square Creation社の場合では、アシスタントから漫画家になったものもいるし、現在アシスタントとして漫画を描いている者もいるとのことでした。Art Square Creation社は昨年に続いて今年も年間最優秀新人漫画賞のコンテストを行っており、応募要項を3誌に掲げています。マレーシアではその市場の小ささと文化慣習の面から日本でいう(事情をよく知らない部外者の目には)徒弟制度的漫画家の育ち方はないようです。マレーシアではアシスタントであっても漫画家であってもその雑誌専属で漫画会社に所属形式が多いようです。ただKennyは、マレー漫画家のことは触れませんでしたが、華人漫画家の中には家で描いているフリーランスもいると言っていました。
漫画王は中文(中国語)での総合的漫画雑誌としては新参ですが、市場には別の社が発行する10年以上の歴史を誇る”漫画週刊”があります。こちらは伝統的に日本を中心とした海外漫画掲載が主体ですが、Kennyによれば、版権はないと言ってました、つまり海外漫画を版権面をあまり考慮せずに載せているということかな?
漫画王はマレー漫画誌Gempakと同じ会社の新発行雑誌ですから、そのあり方と目指す方向性はこれまでの中文漫画雑誌とは違った新世代漫画誌です。ですから、ほぼマレーシア華人漫画だけの作品であり、PCゲーム、アニメ、PS2の情報などのIT分野の情報がたくさん載っており、中文雑誌らしくアジア華人芸能界の情報とファッションの情報、IT製品情報が多少加わっています。この第2号では、編集部責任のページの内2ページを費やして、日本の若手有名マンガ家(だそうです、私は門外漢なので知りませんでした)3名:真島浩、尾田栄一郎、武井宏之を紹介しています。
Gempakと同じ厚さながら漫画本数が2編少ない分他情報が多いということですが、まだ2号の段階なので今後変わるかもしれませんね。尚漫画王誌の価格はRM3.50でGempak誌よりやや安い、値段について彼はこんなのが適当であろうと私に意見を求めたので、私も同感だと答えました。ところでArt Square Creation社発行の漫画雑誌3種:”Gempak” “Utopia” ”漫画王” のサイズはいずれも同サイズの18Cm X 25Cmです。マレーシアの他の国産マンガ雑誌もほとんどこのサイズですから、日本の一般的漫画・コミック雑誌より小さいサイズですね。
帰り際にお土産として(?)いただいたのが、Art Square Creation社出版の単行本漫画と同社のもう一つの雑誌”Utopia”です。この雑誌の創刊は2002年11月ですからまだ新しい雑誌です。副タイトルに Majalah Komik Hiburan と歌っています。つまり娯楽及びコミック雑誌という意味です。狙いは若者間の潮流と娯楽情報を紹介する漫画雑誌ということのようで、漫画ページ数は全体の5割りとそれほど多くありません。6月末の時点で13号、月2回刊です(下左の写真)。価格はRM3.90なのでGempak誌と同じですね。筆者はこの雑誌の編集者とは会いませんでした。
漫画雑誌3種:”Gempak” “Utopia” ”漫画王”を出版発行するArt Square Creation会社はそのホームページで書いています。「(1998年6月にGempak誌を創刊して以来)この2003年6月で合わせて100号の雑誌を出版発行した。そして我々はこれからもたくさん発行していくと約束します。感謝の記しとして、我々は読者のためにホームページを作成して1月に打ち上げた。」
この社のサイトアドレスは www.gempakstarz.com です、参考までにご覧ください。マレーシア語、英語、華語(中国語)の3バージョンに分かれていますよ。
取材が終って帰り際にKennyが社内の一部をざっと見せてくれました。見たところ皆若い、編集者2人の話しのようにこの会社に属する者たちは皆若いのです。新世代漫画雑誌を掲げてその路線を走っているArt Square Creation会社発行の3誌の漫画雑誌は今後どのように伸びていくのでしょうか、今後も時に興味を寄せてみましょう。読者の方でマレーシア旅行の折に、土産品とでもして1冊購入されるのもいいかもしれませんね。
ある中文新聞の掲載漫画や中文漫画の単行本において、”平旦漫画”というタイトルの漫画がその存在を知られています。私も何回か目にしています。ただ単行本は中文書籍専門店に行かないとまず見つかりません。この漫画の作者王徳志へのインタビュー記事が、7月6日付けの中文紙(中国語紙)「東方日報」に載っていますので、それから抜粋しておきます。
以下記事
「マレーシア国内に本当の職業としての華人漫画家は少ない、私を入れて10人そこそこです。」 これがすなわち彼(王徳志)が残念に感じることなのです、そしてこの10人ほどの華人漫画家の一部分はマレー漫画雑誌社で働いています。真正なる華人漫画家が一人もいないということが、マレーシアの漫画界の一面でもあります。
2001年1月以来彼の”平旦漫画”シリーズの3つのタイトルが単行本として出版され、全部で2万冊売れました。マレーシアにおいてこの量は絶後とはいえなくても空前とはいえます。その後4冊目5冊目6冊目ときて、最新は”再戦校園”です。彼は通常は4コマ漫画主体ですが、16コマ漫画も描いています。現在王徳志は自分の出版社を持ち”平旦漫画クラブ”を設立してファンを会員にしています。
以上
夜行バスは冷房がきつく且つ景色が楽しめないのであまり筆者の好みではありません。しかし、半島部の限られた地方にしか線路が走ってないマレー(マラヤ)鉄道では到達できない町や時間的に早く着きたい場合や出発及び到着時間の選択に余裕がない場合などは、もちろん夜行バスを利用することになります。同じ町へ行く場合でもバスのほうが列車よりずっと時間的に短くつきますし、バスの方が列車よりはるかに便数が多いからです。
今回(7月第2週)はケダー州の北部にある小さな町Jitraが最初の目的地だったので夜行バスを使いました。もちろんマレー鉄道の通称Langkawi急行に乗りアロースターで下車し、近郊バスで到達できることも知っていますが、この場合はクアラルンプールを夜早く出発しなければならないうえに、到着が遅く且つアロースターでバスターミナルまで行かなければならないからです。アロースターのバスターミナルShahab Perdanaは新しく大きくていいのですが、場所が市内から遠く離れた地区にあるので、市内バスでバスターミナルまで行く手間がかかります。尚バタワースとかスンガイプタニ行きなどのバスは市内中心部を通るのでバスターミナルまでわざわざ行く必要はない。
筆者の使ったバスはKonsortiumバスです。この会社は半島部で3番目の大手バス会社で、北部南部方面中心に路線数が多い。料金RM28の切符は2日前にPuduRayaバスターミナルですでに買い求めていました。PuduRaya出発が24時ですが、到着時刻に関してはいうまでもなく明示はありません。切符窓口の販売者もJitra まで6、7時間程度という返事です。こういった対応はほとんどのバス会社のほとんどのバス路線でも同じであり、到着時間を窓口に明示している長中距離バス会社、バス路線は例外的です。
列車の利点は寝台車であれば寝て行けられる、カーテンによってプライバシーが一応保てる、トイレがいつでも使える、さらに喫煙者はトイレ通路付近だけでタバコを吸える(一般車内は禁煙)ということでしょう。夜行バスはこの3点においては列車に全く適いません。通常どちらも冷房がきつく涼しすぎる、時には寒く感じることがよくあります。寝台は薄いシーツがあるので多少は寒さしのぎに役立ちますが、夜行バスは、一部の豪華バス便を除いて、通常毛布類の貸し出しはありませんので、乗客は自衛するしか手はありません。バスのトイレが使えない・使わせない理由は旅行情報ページの 「中・長距離バスの解説と運賃例」の項目で詳しく載せていますので、ご覧ください。
寒さしのぎにはセーターやジャケットを持参することですが、携行するカバンの小型さと徹底した軽量さを持ち味とする筆者には例え1枚のジャケットでも余分な荷物に感じるので、この面でも夜行バスは第1選択から外れます。が今回は仕方なくジャケット持参です。
ケダー州、ペルリス州行きのバス会社は複数ありそれらのバス便は夜行バスだけでも十数便以上はありますが、Jitraへ行くか通るのは確か数便だけです。その中でKonsortium バスを選んだのは大手のバス会社であり、座席数が25席だということからです。この4、5年マレーシア半島部の中長距離バスはどこのバス会社も車両を新しくして車内でのゆったりさを増やしました。ですから今では24、5座席のいわゆるVIPタイプのバスは全然珍しくなくなったのです。このため通常座席数のバスと20数席座席バスの運賃差はほとんどなくなってしまった(路線にもよるので、ないということではありません)。この座席数だと横列が1席通路2席という配列で、リクライニング度がぐっと大きくなります。通常の30数席のバスは2席通路2席という配列ですし、リクライニング度は大きくできません。
筆者のバスは24時発です。23時を過ぎればさしもののプドゥラヤターミナル内の混雑もぐっとなくなります、これは半島部各地への夜行バスの出発は21時から23時までが多いからです。切符に指定してある番号のプラットフォームに降りてみると、すでに23時過ぎにバスは到着していましたが、直前にならないと乗せてくれません。プラットフォーム自体があまり明るくないので行き先確認は目をこらします。乗るはずのKonsortium バスには”Sungai Petani / Alor Star”と表示がありますが、"Jitra" という文字はどこにも書いてありません。
このあたりがマレーシアのバス会社の情報提供の認識不充分さを典型的に示しており、バス行き先表示が不充分なことが時々あります。バス運転手と乗車前に乗客の切符をもぎる係員は当たり前に知っていることだから表示などする必要はないと考えているのでしょうが、初めてかめったにしかこの便を使わないような乗客は戸惑うことになります。このバスはAlorStarが主たる目的地ですが最終的にJitraまで行くことは乗り終わってみて初めてわかることなのです。筆者は切符もぎり係りにJitraまで行くのかと確認して乗りました。
切符窓口で切符売っている人たちも通常この種の乗客の立場にった視点はほとんどありませんというか、そんなことに注意をほとんど払いません。例えば各地の大小のバスターミナルや乗降場でよくあることですが、販売窓口・ブースに表示してあるバス発車時刻が変更されてもいつまでもそのままにしてあります。彼女ら・彼らにこういうことを指摘しても全くらちがあきません。
さて10分ほど遅れて出発、まあこの程度は普通です。筆者の乗った車両は冷房がそれほどきつくなかったのでラッキーと思いました。ただ実際はエアコンがよく働いてなかったからでしょう。つまりエアコンの整備不良です。外から見るときれいでゆったりしたバスが大半を占めていますが、実際乗ってみると床座席間の掃除が不充分であったり冷房があまり効かないバスが時々あります。エアコンは常に適切な整備が必要なのにそれをしてないからであり、そういうエアコン不整備車に日中当ると、車中暑いなあということになります。もちろん窓は開けられない構造です。
PuduRayaを出発して1時間半も経たない内にバスは休憩に入りました。全行程6から7時間ぐらいあるのになぜこんなに早いうちに休憩するか?それは南北ハイウエーを南下または北上する多くのバス便がTanjug Malimかな?そのあたりの街道休憩所で休憩を取るからです。この休憩所は南北ハイウエーのサービスエリア内ではなくハイウエーの外にあるのでインターチェンジの料金所で一旦降りなければなりません。それでも多くの中長距離バスは昼夜に関わらずこの”御休憩所”で休みます。それはいうまでもなきう運転手にメリットがあるからです。つまり”御休憩所”から受ける無料食事と何がしかのチップです。このため乗客の都合ではなく運転手の都合で、このトイレが汚く食事が高くてまずい”御休憩所”で休むのです。これを知っている筆者はこの手の”御休憩所”ではめったに飲食しません。
ハイウエーのサービスエリア内のトイレは掃除が行き届いていてきれいで無料です、屋内吹き抜け式食堂街のメニューは高くありません(深夜はほとんど閉まってるでしょうが)し、外見上の清潔度はまあまあです。それにも関わらずバス運転手は昔からこの種の休憩所で休憩します。この”指定”御休憩所は800Km近い南北ハイウエー沿いに数カ所にあり、大手のTransnasionalバス とPlusLinerバスを除いてほとんどのバス会社のバス便が利用していると思われます。尚南北ハイウエーを外れるルートの場合は、Transnasionalバス とPlusLinerバスもこの種の街道休憩所を利用しています。
つまりこれは中長距離バス業界の長年の慣行であり、運転手は安い給料のたしになる、”指定”御休憩所は商売になる、というそれぞれの言い分があります。乗客側の立場からの、”指定”御休憩所に寄るためにわざわざハイウエーを降り、高い飲食代を払い、汚い有料トイレを使わせられるはめになるという、言い分は力を持ちません。
さて筆者の乗ったKonsortium バスはこの休憩所で40、50分も勝手に休んだ後、最終目的地のJitraまで途中で客を降ろす以外は休憩なしで走行しました。尚休憩所に寄るバス便の運転手で、何分間休むとか何時に出発すると乗客にはっきりと知らせる運転手はまれです(いないとは言いません)。彼らはさっさと飯食いに行き、適当に休んで運転席に戻ります。発車前に乗客数を確かめるような運転手もこれまたまれです(いないとは言いません)。これがマレーシアの中長距離バスの常識ですから、乗客はそれを頭に置いて行動する必要があります。
さてうつらうつら寝ている間にバスはケダー州に入り、ハイウエーを降りてSungai Petaniで客を降ろし、またハイウエーに戻り、次いでAlor Starでハイウエーを降りて客を降ろしました。車中に残った乗客は筆者をいれて2人だけとなりました。朝まだ6時頃なので薄ぐらい景色から、ああここはアロースターかと自分で確認するしかありません、運転手はいちいちどこどこなどと客に告げませんからね。列車の場合だと、早朝に停車する駅から車中放送で何々駅と車中放送しますよ。
バスはまたハイウエーに戻って30分も走らないうちにハイウエーを降りました。そしてまもなく停車したので、多分そこがJitraだろうと思って運転手に確かめるとぶっきらぼうにそうだとの返事。そこがJitraのどこにあたるのかまったくわからないので、近郊バス乗降場まで連れて行ってくれと頼むと、運転手はすぐ近くだといいながらそこまで走りました。というか本来はその近辺が終点なのですが、ちょっと手前で客を降ろしただけなのです。一般にこういう運転手は特に意識してとか性格的に意地悪ではないのですが、知らない町なのでちょと二言三言尋ねるとまこと面倒臭そうにごく簡単に答えてくれます。ケダー方言の早口なので聞き取るのがたいへんです。これはその人たちの育ってきた、働いてきた環境と慣習のせいなので、それゆえサービス精神に欠けておりバス乗客のニーズということに理解がいかないのですね。
中長距離バスの運転手や関係者の9割ぐらいはマレー人ですから、筆者は常にマレーシア語で話しマレーシア的に振る舞います。そのためもあって私を外国人であると認識する人はめったにいません、マレーシア華人と思っています。さらに筆者は「私は日本人だ」などと自分から言出すことは皆無です(突っ込んで聞かれればそう答えますが)。つまりこれが彼らのごく普通の対応だということです。いうまでもなく、筆者の一貫した目的はマレーシア人一般の普通の行動、態度を知り観察し考えることであり、外国人に対する行動、態度を知るのは、特定の場合を除いて、主たる目的ではありません。
Jitraの町はこれまで長距離バスで何回か通り過ぎたことはありましたが、バスを降りたのは初めてです。朝6時40分頃でまだ少し薄暗い。近くに小さな市場があって人々が集まっていますが、その規模はクアラルンプールの市場(いちば)の数十分の一ですからたいしたことありません。そのあたりをぶらぶらと歩いてみましたが、商店街の飲食店はまったく店を開けていません。朝の遅い町だな、です。目的地のSintokへ行くバスはまだしばらくないようなので、近郊バス乗降場の近くでマレー屋台が2、3軒店を開けていましたから、そこで腹ごしらえです。
ロティとテーOで合わせてRM1です。クアラルンプールで同じような路地裏の汚い屋台で同じ物を飲食すれば、RM1.50ぐらいでしょうから、やはり地方町は安いのです、もっともジョーホール州だけは別です。またちょっと歩いてみると、どうやらだいたいそのあたりが町の商業活動の中心らしい。こういう小さな町の場合、町の概略図程度でもあれば充分なのですが、観光局発行のパンフレットにはもちろん載ってないし町案内図などどこにも掲示されてませんから、自分の足で歩き回るしかありません。
8時も近づいて通行人が幾分増えてきました。近郊バス乗降場でUUMのあるSintok行きのバスを待ちます。このバスはアロースター発だとバス会社の者が話してくれました。学生や勤め人なのでしょう、屋根なし待合所の長イスに腰掛けて20人くらいが各バスを待っています。バス乗降場の職員詰め小屋には、住所表示として Daerah Kubang Pasu (Kubang Pasu郡)と書いてあります。おー、ここはマハティール首相の選挙区だと気がつきました。
さて目的のバスがやって来ましたので乗りました。Changlun経由してUMMへ行くことがフロントの表示で分かります。筆者の目的はUMMつまりUniversiti Utara Malaysia (国立)マレーシア北大学 のキャンパスへ行くことです。筆者は途中のChangloon (Changlunとも綴る)でちょっと時間をつぶしましたが、そこは国境検問所のある地 Bukit Kayu Hitamから7、8Km離れただけの町です。つまりタイへ/からの主要通過地点なので、ハジャイからクアラルンプールなどへ向かうバスがよくこの地で食事休憩します。
Chanloonから内陸部へ入る形の道路をずっと行ったのがUMMへの道でした。ケダー州のはずれのいわば片田舎であるにもかかわらず立派な道路で4車線道路です。30分もたたない内にUMMの門をくぐってキャンパスに入りました。バスがそのままキャンパス内の道路を走る形です。後でわかったことですが、大体1時間に1本ある乗り合いバスが唯一外部とUMMを結ぶ公共交通機間であり、キャンパスをぐるりと一周してまたもと来た道をChanloonに向かって走ります。このキャンパス1周道路は8Kmほどあるそうです。
バスに乗車しておれば守衛所で行き先を尋ねれらることなく部外者でもなんら問題なくキャンパスに入れますね。バスはどんどん走りますが、さてどこで降りたらいいか、どうやら校舎が固まってたくさんあるのでキャンパスの中心地らしい、ということでそこのバス停で下車しました。大学門から数キロはあるでしょう。
UUMのキャンパスを訪れたのは、この大学の日本語講座で教員を務めるYさんにお会いするためでした。マレーシアの国立大学はこれまで数校訪れたことがありますが、UMMは初めて、当然どこに目指す校舎があるか学生に尋ねたりしてしばらく探しました。部外者が大学内をうろうろするのは目的でもないとしずらいものです。まもなくYさんとお会いしていろいろと話しを伺いました。
Yさんのお話しによると、UUM(マレーシア北大学)の日本語講座を受講している学生は約400人で、全校の学生約21000人の中で英語を除けば外国語の受講者としては最大グループです。さらに希望者は1000人を超えるが日本語教員の人数の関係で全部は受け入れられないとのことです。UUMの日本語講座の場合は、公費で日本留学するマレーシア人学生の留学前日本語事前教育という形ではなく、大学の履修単位としての講座です。それなので、筆者思うに、400人という数は結構人気あるということではないでしょうか。日本語講座の教員・講師は4人で、内日本人は3人とのことです。
何かと苦労が絶えないそうで、Yさんからあれこれと笑い話のような(Yさんの表現)苦労話を聞かせていただきましたが、内輪話しなので割愛します。さらに食堂へ行ったついでに図書館内も案内していただきました。最後に午後からの授業の一部を見学させてもらいました。見学したのは今学期つまり6月から新規に日本語を習い始めた入門コースの授業です。クラスの生徒は20人ほどで、1回90分授業が週2回あります。授業前に数人集まっていた学生と(マレーシア語で)少しおしゃべりしたところ、学生の出身州や在籍学年は色々混じっていました。タイ人が2人この講座を受講していたので、(タイ語で)ちょっと尋ねると全学で180人のタイ人学生がいると答えました。
UMMのある地はタイに近接しています、というか、キャンパス敷地の1辺がタイ国境と接しているほどです。もちろんそこは国境であっても検問所はありませんから、タイ人はBukit Kayu Hitam国境検問所を通ってマレーシア入国すること事になりますが、それでも相当近いわけです。ですから筆者は以前からタイ人がUUMでいくらか学んでいると聞いて知っていました、それにしてもこれほど多い人数とは驚きました。
この時の授業内容は自己紹介の仕方を学ぶ段階でしたが、一人一人黒板前に出て暗唱を披露するのを見ていて、すでにこの段階で筋の良さそうな子と覚えの悪い子がでていましたね(笑)。受講学生はざっと見て7割以上が女性です。Yさんの話しではどうしても語学講座は女性が多くなりがちです、とのことです。このクラスに限らずキャンパスを歩いている学生、食堂やカフェにいる学生、授業前に教室前でたむろしている学生のどれを見ても、女性が男性を圧倒しています。ざっと男1人に女2人というぐらいの比率です。
ブミプトラ | 華人 | インド人 | 合計 | ||
人数 | 23182 | 11921 | 1931 | 37034人 | |
比率 | 62.6% | 32.2% | 5.2% | 100% |
30分間ほど授業見学してからYさんにお礼を言って教室を後にし、バス停に向かいました。UUMはキャンパスの外にはほとんど人家がないのでほとんどの学生はキャンパス内に数ある学生寮(ホステル)に住んでいるとのことです。ですからそういうホステルとキャンパス内の各校舎ブロックを巡回する無料バスが運行されています。朝と夕はその頻度が多いようです、筆者が着いたのは朝でしたからたくさんのバスが次ぎ次と学生を運んできていました。帰りも同じようにバスが時折バス停に止まって学生を拾っていきます(下左の写真)。どのバスもピカピカの冷房バスなのがいかに国が国立大学に金を注いでいるかの一つの現れなんでしょう。
学生の服装を見ると多数派のマレー女性はほとんどBaju Kurung にTudung姿です(右上写真でおわかりになると思いますが、Tudungは単なるスカーフとは違います)。これは他の国立大学でも同様の姿のなのです。華人女性はTシャツにジーンズ姿が一般的です。スカート姿は極めて珍しい。あれっと思ったのは男子学生のネクタイ姿です。民族に関わらずUUMでは男子学生はネクタイ着用が規則です、とYさんが説明してくれました。
学生を眺めているとやはり食堂であれ、校舎のベンチであれ、キャンパスを歩く姿であれ、同じ民族同士の確率が非常に高い(上中の写真)。マレー女学生はマレー女学生同士、というようにです。政府指導層や教育界から同民族同士で固まる分極化傾向がはなはだしいとこれを憂慮する発言が以前からありますが、なにもこれは大学キャンパスだけの傾向ではなく、町で制服姿の中学生を見ていても、街を歩く若者をみていても同様に見られることであり、それを見慣れた目で見れば、UUMキャンパスの”分極化”傾向は意外でもなんでもありませんでした。
Jitraに戻る乗り合いバスに乗りました。バスはキャンパスの周回道路をぐるっと回って学外に出ます。窓から眺めたUUMキャンパスはまこと広大です、なんとゴルフ場もあるのです。さらに各学生寮(ホステル)なのでしょう、その名前にProton とかTenaga NasionalとかMAS などと付いている、その理由は現時点では知りません。
Jitraまで約1時間 料金RM2.60の行程で窓から眺める景色は、パームツリー農園、ゴム農園が続き、それが終れば豪華ではないがゆったりと豊かなつくりだなとと思わせる家々が目につく、しかも新しいそうに見える家も少なくない。これは発展途上国として豊かな面も多分に持つマレーシアの特徴でもありますね。
Jitraに着いてホテルをちょっと探しましたが1軒しか見つからない(筆者の歩いた範囲では)。その1軒はまだできて数年と思わせる新しさのエコノミークラスのホテルですが、外見と雰囲気からブミプトラ経営ホテルらしく、室料が意外に高い、平日でRM70、休日でRM100もする。このクラスのホテルにRM70も払う気になれないし、筆者の予算オーバーなので、夜行バスとその日ずっと歩き回って疲れた身体にも関わらず、他の町に行って探すことに決めました。
バス乗降場に戻ってアロースター行きのバスを待つことにした。ところがまもなくやって来たバスがペルリス州の州都カンガー行きバスだったので、まあカンガーでもいいやとそれに乗りました。筆者はこのようにその場で土壇場に行き先を変えたり計画を変えることが時々あります。
Jitraはケダー州北部の町ですからペルリス州まではごく近いはずです。州境の町Kodiang を通ってペルリス州に入り、Arauを経由して1時間後カンガー(Kangar)に着きました。運賃RM2.70です。このバスはアロースターとカンガーを結んでいるバスですが、1日の運行本数はぐっと少ないようです。こういう場合JitraからKodiang までは30分から1時間に1本ぐらいの割合でバスがあります。またKangar からKodinag も頻繁にあるようですので、2回乗り継げばアロースターとカンガー間を移動できます。州をまたいだ直通バスの頻度が少ない例は多いので、長時間待つのが嫌であれば臨機応変にこういう手を使えばいいのです。
Jitraからのバスから眺める景色は水田風景が多い。水田がずっと続く中に、ペルリス州の特徴である小さな岩山がぽつん、ぽつんと水田の中に”座っている”。パームツリー農園やゴム農園の単調さではなく、イネの作る緑のまたは黄色い平面の中にぽこと突き出た景色の妙はほぼペルリス州と一部のケダー州だけで見られるものです。
カンガー、確か3、4年ぶりの訪問です。ペルリス州自体が人口二十万を多少超える程度の州ですから、州都としてはカンガーは小規模な町です、が施設は整っています。安ホテルがある場所は覚えていましたので、バスターミナルでバスを下りてすぐそのあたりへ行き、チェックインしました。昔ながらの旅社タイプですが現在一部改装中で、改装なった冷房付き部屋はRM45とのこと、部屋を見せてもらった後でそれに決めました。水シャワーでテレビなしですが、部屋自体とベッドが新しく、マレーシアの安ホテル価格と程度水準として妥当なところでしょう。
夕食場所近くに以前はなかったホテルを見付けたので、夕食後フロントで尋ねたら、ルームチャージRM100近いのです。建物の一部をホテルに改造した新しいホテルですが、雰囲気と名前からこちらはブミプトラ経営でしょう。Jitraでもそうでしたが、ブミプトラ経営の比較的新しいエコノミークラスのホテルは、マレーシアの安ホテル価格と程度水準から言えば、どうしても割高になってしまいます。その理由は、安ホテルの主流である華人経営の昔ながらの旅社は何十年も前からその地に住んで営業している華人のオーナー経営なので、値段はぐっと抑えてあるし例え新築改造しても割安に抑えやすい。しかし新に建築開店したブミプトラオーナー経営のホテルはその投資回収のためにどうしても部屋料金を高めに設定せざるを得ない、だからマレーシアの安ホテル価格と程度水準としては割り高になってしまうのです。
カンガーの町はこれまで数回訪れているので記憶に残っている場所が結構ある。そこで夕食場所を求めてちょっと歩いてマレーホーカーセンターへ行きました。ところが、がらんとしていてほとんど客がいない。7時すぎぐらいだったので時間が早かったかもしれないが、それにしても少なすぎると思って、そこをあきらめぶらぶら歩くと、元映画館と思われる廃墟の裏でマレー屋台が店を開いて客も3組ほどいた。初めての町とかあまり馴染みのない町で屋台や大衆食堂に入る場合、客が全くいないとかほとんどいない所は避けています。どこが一応流行っているとかあそこはいつも客が少ないとかは地元の人がやはりよく知っていることですから、客のいない店はあまり流行っていないなと判断せざるを得ない。ただその時たまたま客がいなかったということも当然ありますから、あくまでも便宜的な選択法ですよ。宿の人に聞いてもいいが、聞かれた人の好みが中心になるので、あくまでも参考程度ですね。
その屋台では、Nasi Goreng Kampung とSateh を6本とAir suam を注文して、 のんびりと料理ができあがるのを待ちながら、客をや回りの風景を眺めていました。当然マレー人客ですが、務め帰りの中年女性や家族連れ、その後街の若者3人組みなどが後からやってきました。クアラルンプールに比べれば街のテンポが遅いので、このゆったりしたテンポが楽しめます。夕方なのでもう暑くないし、もともとそれほどない街の喧騒はとっくに静まって、何の変哲もない路上の屋台ながらほっとした一時が過ごせます。これが地方町の良さですね。
サテ−は値段の1串30セントに見合って、貧弱で味も並み以下でしたが、ナシゴレンカンポンは美味しかった。しめてRM4.3の夕食でした。夕食後、スーパーマーケットでミネラル水の買い物、Kuala Perlis には全国スーパーチェーンのStoreがあります。
食事といえば翌日の朝食は泊まったホテル対面のありきたりの中華大衆食堂で食べました。薄暗い店ですが先客が数人います。福建麺があったのでそれを注文、飲み物はTeh‐O。福建麺とはペナン州、ケダー州など半島北部での呼び名で、クアラルンプールなど半島中央部では蝦麺と呼ばれます。もちろん一般的にということで例外はどちらにもありますが、どこの中華屋台街、大衆食堂街にもたいていある福建麺または蝦麺が地域での呼び名が違うのは面白いところです。福建麺 RM1.50、Teh‐O RM0.50という価格はクアラルンプールの半額近かった。
朝遅くホテルをチェックアウトして、近郊バスターミナルへ行きました。クアラペルリスは中長距離バスターミナルと近郊バスターミナルが結構離れた場所にあるのです。人口の少ない町ですから近郊バスターミナルはのんびりとしたものです。バス会社の詰め所で、単なる情報収集のためにAlorStar行きのバスは何時に出るかと尋ねたら、車が壊れたのでわからない、との返事です。でそれ以上聞くのは止めました。(こういう時、本当に壊れたのか運転手が出勤してないのか、といったやぼな質問はしてはいけませんよ)
で次ぎの目的地であるKualaPerlis行きのバスがすでに停車していたので車中でしばらく待ちました。やがて運転手と車掌が乗り込んで来て発車です。いうまでもないことですが、この種のバスに時刻表はほとんどありません。乗客はバス発着場に行き先のバスが停車していたらそれに乗って気長に待つか、運転手がやって来るのをバス近くで見守るかです。Kuala Perlisまで運賃RM1.1 約20数分の乗車時間でした。
地方乗り合いバスの場合、多くの州でこの種のバスには車掌が乗っています(ワンマンもあります)。さらにひんぱんに検札があります。朝遅い時間ですから生徒も利用しないので、がらがらのバスです。通常地方乗り合いバスは午後になると小中学校の生徒の利用で混む場合がよくある。冷房なしバスですから窓からの風を浴びながらのんびりと街道風景を眺めているうちにKualaPerlisに着きました。
Kuala Perlisも数年ぶりです。ランカウイへのフェリーターミナルは町の中心部から500mぐらいは離れていますので、まず町をぶらぶらして、華語新聞を買いたくて探しましたが、見つからない。地方の町では新聞雑誌販売店でも華語新聞を置いてない店がよくあるのです。KualaPerlis町の商店街は華人店が多数派に見えるのですがみつからなかった。
それではランカウイへ行ってから買おうと、フェリーターミナルまで歩いていきました。久しぶりに見るフェリーターミナル自体は以前と変わっていませんでしたが、その対面にあるショップハウス街に変化が認められました。数年前はがらすきであったショップハウスの多くにテナントが入って、いくらかの活気が感じられます。ターミナルの斜め対面には小型のエコノミークラスのホテルが新しく建っていました。この様子から、Kuala Perlisを利用するランカウイ行きの旅行者が確実に増えたことがわかりました。結構なことですね。
ランカウイフェリーの発着場所としては、ケダー州のKuala Kedah の方がよく知られていますが、ケダー州北部、ペルリス州、一部の東海岸からの人であれば、Kuala Perlis利用の方が便利になりますね。日本人旅行者でタイから陸路入国してそのままランカウイへ行きたい人には、Kuala Perlisを利用するのがお勧めですよ、としておきます。
こうして正午頃発のフェリーに乗り込んで、ランカウイ島へ向けてKuala Perlisを出発しました。
終り
これまで断続的に掲載してきた数字で見たシリーズです。いろんな統計数字を知って考えてみるのも時には必要だと思います。
順位 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 |
銀行 | Maybank |
Commerce Asset Holding | RHB Capital | Public Bank | AMMB Holdings |
資産(億) | RM1580 | RM912 | RM663 | RM613 | RM567 |
順位 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
銀行 |
Hong Leong Bank | Affin Bank | EON Bank | Southern Bank | Alliance Bank |
非国産車上位 | Toyota | Nissan | Honda | Kia | Benz | 国産車合計 | 非国産車合計 | |
台数 | 3492 | 1381 | 1340 | 1286 | 805 | 72289 | 9039 |
マレーシアで行われた最初の肝臓移植は1995年で患者との血縁関係ある者からの移植でした。興味深いのは、解剖後の死体からの移植を認めるという法改正があったにも関わらず、マレーシアでは今でも生存者からの肝臓移植がほぼ唯一の移植とのことです。肝臓と心臓の移植成功は人の生命を救います。しかしマレーシアでは、臓器の必要な人と臓器の供給数の乖離はこの数十年開く一方です。マレーシアでは臓器提供は100万人当り1人を切ります、ちなみに米国は27人、英国は16人、オーストラリアは10人です。
マレーシア腎臓登録機間によれば2001年末時点で、腎臓透析中の7300人あまりの腎臓病患者の半数は腎臓移植に耐えられるが、腎臓提供者は年間20人ほどしかいません。
保健大臣が第1回国家ガン記録報告の科学会議でこの報告書を公表しました。以下はその特徴です。
昨年記録されたガンのケースは、半島部で26089件ですが、1万件以上が報告されていないと推測されています。この報告から言えるのは、ガン患者のパターンがオーストラリア、米国、シンガポールに似てきたので、先進国に近づいているということだそうです。
2003年4月の時点で、家庭で外国人メイドつまり家庭住みこみお手伝いさんを合法的に雇用している人(家庭の代表者)の数は177907人です。その内メイドを1名だけ雇用している人(家庭)は172198人、2名雇用している人は5449人、3名雇用者は214人、4人以上が46人です。
多分実数はこれより多少多いでしょうが、2名も雇用している家庭が5000も超えるというのは、複数雇用には条件があるとはいえ金さえあれば雇用が如何に容易かを示しているともいえますね。
マレーシア仏教僧協会によれば、国内には約1000人の僧がいるとのことで、その3割が外国人僧です。全体の4割が尼僧です。
外国人僧がこれほど多くの比率を占めているのですね。そのほとんどがタイ人、スリランカ人というところでしょうね。
州 | ペルリス | ケダー | ペナン | ペラ |
スラン ゴール |
クアラルン プール |
N. スンビラン | マラッカ |
施設数 | 3 | 19 | 15 | 29 | 30 | 3 | 26 | 13 |
身障者数 | 68 | 549 | 184 | 620 | 739 | 53 | 584 | 290 |
教師人数 | 8 | 45 | 21 | 60 | 88 | 7 | 53 | 31 |
州 |
ジョー ホール | パハン | トレンガヌ | クランタン | サバ | サラワク | ラブアン | 合計 |
施設数 | 42 | 22 | 25 | 22 | 14 | 10 | 1 | 274 |
身障者数 | 1031 | 451 | 430 | 379 | 444 | 387 | 20 | 6229 |
教師人数 | 90 | 52 | 60 | 38 | 34 | 25 | 3 | 615 |
虐待の 分類 | その他 | 身体的に虐待 | 性的暴行 | 粗略な扱い | 合計 |
性的暴行を受ける 男子対女子の比 |
2000年 | ** | 362件 | 258件 | 183件 | 934件 | 1対10 |
2001年 | ** | 287件 | 251件 | 303件 | 1036件 | 1対9 |
2002年 | ** | 1242件 | 1対14 |
インターネットブロードバンド接続はマレーシアではまだまだ揺籃期の段階であり、2002年末時点で、ブロードバンド登録者は推定2万人ほどでした。その多くオフィスユーザーでホームユーザーは少数だと見られています。
インターネットなど情報技術分野のリサーチ会社によれば、 Telekom Malaysiaが固定電話線ユーザーの90%強とブロードバンドユーザーの80%以上を占有しています(2003年前半)。 その他のブロードバンドプロバイダーは Maxis, Mimos, Timeなどですが、ホームユーザー向けではないですね。現在のマレーシアにおけるブロードバンド接続で得られる平均的スピードは、128Kbps から384Kbps だそうです。
メディアの種類 | テレビ | ラジオ | 新聞 | VCD/DVD/CD | 雑誌 | ビデオ | 映画 |
割合 | 85% | 51% | 50% | 46% | 26% | 13% | 3% |
エネルギー・コミュニケーション・マルチメディア省に寄れば、マレーシアの電力供給事情は充分である、そのため年間平均停電時間指数は134であるそうです。1996年の177より向上しています。この意味は一家庭で年間当り停電を経験するのは134分である。
この2時間あまりという数字は多いのかそれともこんなものか、判断が難しいですね。
キリスト教の種類 | Catholic | Methodist | Anglican | Brethren | Presbyterian | |
小学校の校数 | 91 | 38 | 11 | 2 | 2 | 144校 |
中学校の校数 | 54 | 24 | 4 | 1 | 0 | 83校 |
全国の17国立大学に入学を認められる全学生中のブミプトラ比率が、今年は62.2%で、これは昨年の68.7%より落ちました。今年の新入学生総数は37034人で、昨年の32752人より増えています。国立大学に応募した生徒数は88000人ほどでした。国立大学に新入生を受け入れる基準は、昨年からそれまでの民族別割り当て制から、能力選抜制に変わっています。入学を認められた生徒のほとんどは、STPM試験を受けたものか、マトリキュレーションを経たものです。
ブミプトラ | 華人 | インド人 | 合計 | ||
人数 | 23182 | 11921 | 1931 | 37034人 | |
比率 | 62.6% | 32.2% | 5.2% | 100% |
国内で学ぶ外国人学生36000人ほどの内、高等教育機間に在学しているのは28000人ほどです。外国人学生の最多グループは中国 1万人、インドネシア 5千人です。
この数字は教育省の説明から引用です。
人の住むある地域、行政的区分で言えば自治体、について、そこは都会・町なのか村・田舎なのかといったごく感覚的な分け方を人はしますよね。もう少し細かく、しかし厳密な分類でなく漠然と自治体を分類すれば、人口が多く施設もそれなりに整っていれば(大小の)市、人口がごく少ないか又は施設の劣る点を基準にして村、そして市と村の中間にあたる(大小の)町、というような形で区分することが多いでしょう。この市町村の分け方はまこと恣意的であり、市と町の区別は人にって相当違うはずですし、どこまでを村と呼びどの程度の村を町と呼ぶかも当然ごく大雑把な分類ですよね。国によってはこれらの区分は当然違うでしょうし、区分を法定している国もあれば、厳密な法律区分でなく慣習的または歴史的経緯から区分をつけている国もあることでしょう。
さてマレーシアの自治体を呼ぶとき、一般に法的区分を基準にして呼んでいる人は少ないでしょう。マレーシアで”都市”と言えるのは、ごくわずか全国で10にも満たない自治体ですから、もしそれを基準にすればそれ以外の大きな自治体は皆大きな町ということになってしまいます。例えばスランゴール州に属しクアラルンプールに隣接した(確か)人口40万人ほども擁するPetaling Jayaは、法定上の”都市”ではありません。でもPetaling Jayaの人口の多さと社会基盤のよさとあらゆる意味での都会らしさから、Petaling Jaya を町と呼ぶのは違和感を感じます。
人口や社会基盤やらしさの点から言えば、Petaling Jayaは州都のShah Alamシャーラムよりはるかに都会です。しかしシャーラムは法定の”都市”であり、Petaling Jayaは”都市”ではありません。なぜこういう現象が起きるかといえば、”都市”になる、”都市”である条件として、人口がほとんど基準になっていないことがその大きな理由でもあるでしょう。それ以上に主たる理由ははっきりとした明文によって、”都市”となる、”都市”であることが保証されていないからだと、推測されます。
このため誰が見ても都市であるといえそうな、ペナンのジョージタウンが”都市”でないという現象が起こっているのです。以前からこれに関して時々不満や疑問があることを筆者はマスコミ、特に華語マスコミで目にしました。先日華語新聞 「光華日報」で綿々とこれを論じた記事を読みました。ペナンがなぜ”都市”でないかといったことは、はでな扱いをされることはないし、時のニュースになるような問題ではないので、多くの日本人はご存じないことでしょう。そこで、その記事を訳してここに紹介しておきます。
以下はこの7月10日付け 光華日報 紙の「見仁見智」 という評論記事:見出し ”アロースターの都市昇格がジョージタウンのことを思い起こさせる” からです。翻訳に際してごく一部省略し、ちょっとはっきり意味が取れなかった部分は意訳しました。
以下は記事
ケダー州の州都アロースターがこの8月22日に”都市”に昇格します。ケダー州の州議会選挙区の一つであるアロースターから選出されている華人議員は、アロースター市議会の現在の質は劣るので”都市”に昇格する水準に満たないと語っています。さらに地元アロースター選出の国会議員で内務省の副大臣を務める華人議員は、選挙によらないで選出されているアロースター自治体の議会は行動が欠けている、対応が遅く責任を取らない。もしこれの現状サービスの質が向上しなければ、アロースターが”都市”に昇格しても、それは全国の”都市”の中で最低の”都市”政府になる恐れがある、とまで語っています。
この2人はいずれもアロースターを地盤とする議員です、2人は選挙区内の住民の考え・意見をよく掌握しており、それに基づいてアロースター市議会(評議会)への批評を表明しているのです。このようにアロースターの質・水準は本当のことを言えばちょっと満たないのですが、それにも関わらず”都市”に昇格できることになりました。このことがペナン州住民を羨ましがらせています。アロースターはケダー州としてはランカウイ島のKuah市についで2番目の”都市”に昇格することになるからです。
ランカウイ島のクアKuahは2001年3月24日に”都市”に昇格しました。Kuahが意気揚揚と我が国の旅行地の中心市になったことがペナン州住民に羨望の念を抱かせました。ペナン住民は心中でこう思った、本来ジョージタウンはマラヤ独立以前に当時の英国植民地政府によってCity即ち”都市”として昇格を宣布された。しかしこの“都市の地位がなぜ悄然と消え去ってしまったのであろうか?
最も早く”都市”に昇格しその地位が後に悄然と消えてしまったペナン州ジョージタウンの件を深く考えてみましょう。そのためにはまず約半世紀ほど遡って1950年代に戻る必要があります。1957年1月1日、これは我が国(マラヤ連邦)が独立する8ヶ月前にあたります。ジョージタウンは英国女王エリザベス2世の公布によって、”都市”に昇格しました。その管理機構の当時の正式名称は”City Council of Georgetown Penang ”でした、つまりペナン・ジョージタウン市議会です。
独立後は国語のマレーシア語で、" Dewan Bandaraya Gerogetown Plau Pinang" と綴るようになりました、その意味はペナン・ジョージタウン市議院または市政庁ということです。一般に華人界はこれを市議会と呼んでいます。さらにその首長を市長と呼んでいます、英語でMayor、マレーシア語でDatuk Bandar ですね。
この文字の字義をみれば、英語の”City”もマレーシア語の”Bandaraya”のどちらも大きな都市ということを意味しています。その当時のジョージタウンは我が国独立初期における唯一の”大都市”でした。その地位はたいへん高尚なもので、ジョージタウン市民は全国で唯一の”大都市”市民でした、そこで自然とそのおかげから光彩を放っていました。
時が経ち今やジョージタウン住民はランカウイ島Kuah市の住民に比べても適わないなと(意識の上で)がっかりするばかりです。
これらは年月の経った古いできごとですが、もしあなたが年齢を重ねたしかし忘れっぽくない方であれば、これらのことは記憶の中に留まっていることでしょう。年齢50歳以下でも現在の政治に活発に参加している官民の者であれば、必ずしも全然知らないことではないでしょう。
その当時のペナン島の地方自治体政府には、ジョージタウン市議会のほかに、もう1つ村議会"Rural District Council" 略称RDC がありました。これは後にマレーシア語を使って”Majlis Daerah Luar Bandar" 略称MDLB と呼ばれました。この2つの議会はそれぞれ住民の選挙を経た議員から構成され、現在のように州政府に委任された議員ではありません。 ジョージタウン議会は市政の問題を扱うだけでなく、水道供給、電気供給、消防などもその管轄下にありました。現在の水道供給ですが、水道局が管轄を引き継ぎその後水道局が民営化して水道供給会社が管理しています。電気供給は国家の電気供給庁が管理を引き継いだ後民営化された電力供給会社がその責を負っています。消防関係は連邦政府の住宅と地方自治体省の管理に入り、その後消防庁が管轄を引き継ぎました。
ペナン島の現市政局 Majlis Perbandaran Pulau Pinang (略称MPPP)はその昔のジョージタウン市議会と村議会が合併してできたものです。
どのような原因でまたどのような状況下でジョージタウン市議会と村議会が合併して一つのペナン島市政局(市庁)略称MPPPができたのでしょうか?これまた古いできごとです。これを深く語るには当時の政治状況を考慮する必要があるし、人的要素もあります。
1956年8月27日、当時の連盟政府(現在の与党連合Barisan Nasional の前身)が国会で地方自治体政府の改正法案を提出しました、これは当時行われていた自治体政府の選挙制を廃止する内容です。こうしてこの法案がその後承認され1961年1月から発効しました。法案が改正され、全国各地の自治体議会と州政府はこれを受け入れました。地方自治体(市や町段階)の議員の選出は州政府に委任することになりました。こうして10年の過渡期を経てから、ペナン島にあった2つの議会が70年代に合併して、ペナン市政局 MPPP となりました。ジョージタウンの”大都市”としての地位はそれ以来没落してしまいました。
数年前を思い出してください、当時の住宅と地方自治体省大臣が大都市として、クアラルンプール、イポー、ジョーホールバル、クチン南、クチン北、コタキナバルなどを”都市”に昇格させると宣布しました、しかしペナンのジョージタウンだけがこの大都市の列に入れてもらえず洩れてしまったのです。これがいくばくかのペナン政治家たちの間に論議を生みました。とりわけペナンの観光・文化・女性問題を管轄責任を持つ女性議員は大きな声で反駁して、誰もジョージタウンの”都市”の地位を剥奪できないはずだと強硬な声明を出しました。
そうではありますがしかしそれから数年して、ケダー州選出の副大臣と州議会議員によって水準に満たないと評されたアロースターが”都市”に昇格することになります。尚(反駁した)このペナンの女性議員がこれをどう語っているかは知りません。
ある州の州都が”都市”に昇格するのは単に州の栄誉だけでなく州民が自ずと誇れることでもあります。これはその州の発展が他の人々から認められて都市(すなわち”City”)の水準に達したということを反映したものです。これは同時に連邦政府からより多くの支出金を得られることともなりますから、その金によって市内の基本施設を改善し公務員をより多く雇えます。市政府(行政体)の質とサービス効率をより高めることができ、結果として市民も恵まれることになります。
ペナン州の都市と工業の発展は他の半島部北部各州を凌駕してきました。全国で第2の州として州民は勤労であり知識に満ちています。これまでにも少なからずの、想像もできない記録を国内で初めて成し遂げてきました。州民が初めて記録を破るようなことを成し遂げる毎に、州民はこぞって声高く叫びます、「ペナンは先頭を切っている、ペナンはトップである」と。喜びの感情がこれにあふれています。
ペナン州を率いる州首相の許博士は、ペナンがあることを初めて成し遂げたことを祝う集会で、人々を率先して次ぎのように叫ぶのが好きです、「ペナン州 Boleh(ペナン州はできるのです)」と。
さて今日、全国の州都は次第に都市に昇格しています。スランゴール州のシャーラムとマラッカ州のマラッカはすでに”都市”に昇格しました。続いて昇格基準に満たないといわれるアロースターがもうすぐ昇格します。どうしてジョージタウンはかつて保有していた”大都市”の地位を回復できないのでしょうか?さらに、もう一度新しく”都市”に昇格するというニュースも耳にしません。まさかジョージタウンの水準、状況がついに”Serba Tak Boleh (すべてがだめだ)”なんてことになったわけではないでしょう?
ペナン州政府はジョージタウンの”大都市”の地位復活にあまり熱心ではないように見えます。これまでに中央政府の住宅と地方自治体省に対して努力して実現させようとしたのかどうかは知りません。もし努力して実現させようとしたがこんなに遅々としてもまだ実現しないことを、ペナン州の権力を握っている上層部はいかに感じているのであろうか?ペナン住民としてくやしく思うことを別にして、(ジョージタウンが”都市”になれない)原因がどこにあるかをたいへん知りたいと思います。ただペナン州の上部層が我々の替わりに疑問を解いてくれたということにまだお目にかかっていません。
以上記事から
このコラム記事の主張は、いかにも華語新聞が載せる論調らしさが現れていますが、さらにペナンの華語新聞らしい面がそれに加わっていますね。ペナンはマレーシアで唯一州首相が華人である(相対的に)華人多数派の州であり、ジョージタウンは華人の町または市という面を多分に感じます。そういう背景もこの論調にはありますね。
マレーシアでは各言語紙にはその記事と内容に特徴があります。つまりある言語紙で強調する、細説するニュース、論説、記事内容を別の言語紙はさらっと流して伝えるだけといった特徴です。これはある言語紙の主たる読者層の興味と思考と慣習、利害関係の現れ方に基づいたものでしょうから、ごく自然なあり方といえます。もちろんこれは私の観察だけから言えるのではなく、複数の言語紙をこまめに購読すれば誰でも気がつくはずのことです。英語紙の The Star はその8月16日付けの他紙論評ページでたまたまこう書いていました、「マレー新聞では警察に関する記事は、警察の勇敢さと自負心を支持擁護しながら、一般に気分良く感じる事柄と男女警察官のことです。(あと省略)」。