・ 初笑い、駄洒落で覚えるマレーシア語の単語と地名と一口知識
・自然な海浜を求めて訪れる離島の代表 Redangルダン島は今 前編 ・Redang の後編
・数字で見たマレーシア、 その16・ 話題を呼んだインドネシア映画にマレー人若者の姿を二重写しにしてみる
・医療検査会社の検査結果には信頼性が欠けるとの報道に思う
場所:シャレーシア演芸場での新春寄席
出演:真打 洒落亭あじあ、 前座 洒落亭まゆみ、 座布団持ち 洒落亭ひでこ
ピーヒョロ、テンテケテン、ピーヒョロ、テンテケテンとおはやしが鳴って幕が開くと、高座にはすでに前座が上がって、座布団に座っている。
洒落亭まゆみ:幕が明(開)けまして、皆さんおめでとうございます。これをマレーシア語でスラマットタウンバル といいます。タウンといっても年のことで、英語のTown(町)ではありません。これをほんとの ”町”がい(間違い)といいます。わはは・・・・
客席:正月早々くだらないギャグを聞かされるなあ。
洒落亭まゆみ:えー、お正月ですから、どこの家でも子供たちにお年玉を配りますね。そういう場合あそこのうちの子供には幾ら、このうちの子供には幾ら、つまり何リンギットあげるか頭を悩ましすよね、だから我が家では”稟議(りんぎ)を開いてリンギット”を決めるのです。
客席:あーあ、またまたくだらない。面白くないなあ、おい座布団持ち、座布団をとっちゃえ!
座布団持ちの洒落亭ひでこが、洒落亭まゆみの座布団を取りあげる。
洒落亭まゆみ:あれー、座布団がなくなっちゃった。これじゃ足がカキ カキになっちゃいますよ。その代わり、お客さん、お年玉ください!モノローグの給料全部使っちゃって、お正月なのにうちの米びつに米がナシなんです。
客席:くだらないしゃれはやめろ。お前の顔を見るだけでムカつくぞ。前座は引っ込め。
常連客のイポー さん: そうだ、そうだ、発言削除すべきだ。真打、はやく登場してください。
洒落亭まゆみ:ウワーン、ウワーン、お金欲しいよ、お金欲しいよ (と、わめきながら高座を降りる)
座布団持ちが高座に座布団”2枚”を用意する。まもなく大きな拍手が沸き起こって、”2枚”目の師匠洒落亭あじあが高座に登場。
洒落亭あじあ:新年明けましておめでとうございます。ようこそお越しくださいまして、まことにありがとうございます。お正月のお忙しい中、わざわざお越しになったお客さまにはクエをご馳走しましょう。さあ、お正月のお菓子を食え食え。
座布団持ちがたくさんのクエを客席に配る。お客さんから、”菓子”をもらって 「トゥリマ”カシ”」 と感謝の言葉が聞こえてきます。
洒落亭あじあ:どういたしまして、お客様、サマサマです。毎年のことですが、1年が速く過ぎますね。ほんと 目をマタたく 間に過ぎ去る感じです。マタはマタハリにも使います、マタハリがサンサン(sun sun ) と輝くのが、熱帯マレーシアのお正月ですね。お正月ですから、当演芸場には福を呼び込むように招き猫を飾ってあります。
客席:(パチパチパチ)さすが、真打は違うなあ。おい、座布団持ち、師匠に座布団1枚追加しなさい。
洒落亭あじあ:猫といえば、マレーシアの猫はクチン クチンとくしゃみします。クシュンじゃないのです。華人は犬好きな人が結構いまして、住宅に犬を飼っている人がよくいます。空き巣が多いので犬を飼うのは防犯も兼ねているわけです、人がオラン時でも犬がいるからアンジンだ、と考えているようです。
客席:わああ(と歓声があがる)、すごい一挙に3つもだ。(ここで常連客のToshi さんが興奮して RM100札を高座に投げ込む、どういうわけかRP5万札もいっしょだ)。座布団持ち、ぼけっとしてないで、師匠に座布団1枚追加しなさい。
洒落亭あじあ:おお、まるで歌謡スターになったみたいですね。招き猫のおかげかな。ところでマレーシアで芸能スターが一番多い出身町ってどこか、皆さんをご存知ですか?
客席:わからねなあー、どこだろう?(誰もわからないようだ)
洒落亭ひでこ:クアラルンプールじゃないですか?だってブキットビンタン街があるもの。(と芸能マニアを発揮して、思わず高座脇から声を出す)
洒落亭あじあ:こらこら、でも、ほーなかなかいい推量ですね。しかし実は町全体でのスターの産地はアロー”スター”なんですよ。 ところで、マレーシアの特産物の一つにバティック布がありまして、クランタン州とトレンガヌ州が主産地です。バティック布でこしらえたネクタイをマレーシア土産にどうぞ。ネクタイといえばネクタイピンがつき物ですよね、一番の産地はどこでしょう?
洒落亭あじあ:それはペラ州のタイピンなんです。タイピンに寄ってタイピンを買ってくださいね。
客席:うーん、勉強になるなあ、楽しみながら地名まで覚えられて、ここは一石二鳥寄席だ。
常連客のやえこさん:こんなにためになるんだったら、うちの娘いっしょに連れてくるんでした、ああ残念。
洒落亭あじあ:はは、マレーシアで最も有名な地の一つ、マラッカは多くの観光客の訪れる町ですね。この町は15世紀頃からマレー半島随一の港町した。当時は世界のあちこちから帆船が寄港して、取引や中継貿易をしていたのです。港では人々が次ぎの船が早く到着しないかなあ、といつも待ち遠しく過ごしていたのです。「船はまだか?船はまだか?船はまらか?」 そこでついに名前が”マラカ”となったのです。
客席:本当ですかあ?(ちょっと納得いかない客が多い)
常連客のぴっぴさん:後で何でも伝言板で質問しようっと。
洒落亭あじあ:マレーシアにはいろんないわれのある町がありますよ。猫踏んじゃった曲の発祥の地 クチン、昔カンガルーが生息していた町 カンガール、名前がものすごく小さいのに実際はたいへん大きな町が ミリです。果物がたわわに実る町 タワウ、美人でない女性がマレーシアで一番多い町 ブスッ、何でもうちの座布団持ちはそこの出身だそうですよ。マレーシアの会社が必ず支部を置く シブ、おいしい弁当で知られた ベントン、町の予算がすべて募金活動でまかなわれている町 カンパー なんてのがあります。
観客席:すごーい、一挙に7つも8つも連発だ!(パチパチパチパチとしばらく拍手が絶えない)。座布団持ちのネイチャン、師匠に2枚あげなさい。(座布団持ちは”ブスッ”とした表情で座布団2枚を師匠に手渡す)
客席:すごい駄洒落だなあ、師匠は最高だ!(パチパチパチ)、座布団持ち、師匠に1枚追加しなさい。
洒落亭あじあ:ところでマレーシアで屋台や大衆食堂に入って飲み物注文する時、コーヒーは「コーフィーcoffee」 と言うのでなく、「コピ」 と注文します。紅茶は「ティーtea」 と注文するのではなく「テー」と言います。うちの座布団持ち ひでこは喫茶モノローグでの仕事の初日、お客に「テー」と注文されて自分の”手”を差し出したんですよ。
客席:わはははは、それにしても可笑しいなあ(笑い声がしばらく絶えない)。
洒落亭あじあ:ははは、そうだ、歯はギギと言います。歯科で歯をギギッと削られるのは痛いですね。キャンディーをなめすぎると歯がグラグラになるから、注意しましょう。さて歯を抜くと傷口から血がダラッと流れますね。 そこで水で洗ったら服がバサと濡れてしまいました。水は"air " と綴りますが、空気のことではありません。
客席:うーん、保健面にまで及んでいる、幅広いなあ。(パチパチパチ)。こんな素晴らしい正月を迎えることができて、今年は絶対に良い年になるぞ(そうだ、そうだの声が響く)。座布団持ち、1枚追加だ。
洒落亭あじあ:綴りから推測する意味が違う単語だけでなく、綴りとは反対の意味の単語がありますよ。 あいつは”好か”んと言ってもスカは反対の意味で好きだということなんです。一般に女性は指輪が好きですよね。で、指輪はチンチンですから、例えば前座の マユミ スカ チンチン のように言えますな。
客席:わあー(皆洒落亭まゆみを目で探しながら、どっと歓声をあげる)、きわどいなあ。ふー、座布団持ち、喜んでないで1枚追加だ。
洒落亭あじあ:当”シャレーシア”演芸場では品位を特に大切にしております。
常連客のGamaHoim さん:おー、師匠の座布団がたくさんたまったな。座布団持ち、数えてあげなさい。
洒落亭ひでこ:えー、私 計算苦手なので、キラは嫌いです。でも努力して数えてみます。(といってゆっくり数える) サトゥ、ドゥア、ティガ、ウンパット、リマ、えーと、次ぎは何と言ったかな、あ、ウナム、トゥジュ、ラパン、スンビラン、現在9枚です。師匠、あと1枚でーす。
洒落亭あじあ:ほー、そうですか、それでは締めといきましょう。明日は明日の風が吹く、あんたはアンダのやり方があるさ。お客さんが車をクレタらおお嬉しい。座布団10枚になっておお嬉しい。
客席:わああー、締めがまた傑作だ(パチパチパチと拍手が鳴りやまない)。座布団持ち、最後の10枚目を師匠に差し上げなさい。
座布団持ちが10枚目の座布団を洒落亭あじあに手渡すと、ひときわ高く拍手が沸き起こる。
洒落亭あじあ:えー、お後がよろしいようで。
前座の洒落亭まゆみと座布団持ちの洒落亭ひでこが洒落亭あじあの横に並び、3人声をそろえて「ありがとうございました。当寄席をご覧になった皆さんは、今年は必ず良い年になりますよ。」 と、テンテンテンテンと太鼓が響きながら、高座に幕が降りる。
記憶しやすいように、マレーシア語単語とその意味を含んだ文、または句には下線を引いてありますので、そのままひとまとめで暗証して覚えてくださいね。
通常一つの単語には複数の語義がありますが、この場で用いたのは最も代表的な意味です。単語の使用例は口語的な基本スタイルであり、書記する場合は変化形を用いる場合がでてきます。発音のカタカナ表記はあくまで便宜的なものであり、音声学上の正確な発音とは幾分ずれますが、使用にそれほど問題はでてきません。正確な発音を解説するのはこのコラムの目的ではありません。
筆者がRedang島を訪れたのはもう何年も前の確か94年のことでした。トレンガヌ州のMerangから小さなボートで島の船着き場に着いたとき、そこの海水の透明さと砂浜の美しさに私も(当時の)パートナーも驚き大喜びしたことを覚えています。それ以来残念ながらもうRedang島へ行くことができなくなってしまいましたが、現在では島の知名度は当時よりずっと上がり、Redang島2泊3日のようなパッケージツアー広告もよく見かけます。島へ行ったことなくてもその名前を聞いたことのあるマレーシア人は増えたはずです。しかしこういった自然環境の良さを売り物にする離島は有名になればなるほど、その自然が侵されていくことは、自然保護の専門家ならずとも容易に推測がつきますね。
1997年7月掲載の第46回 「Redang島を愁える」で、当時すでにルダン島の自然環境に影響が現れていることを伝えるコラムを書きました。それから5年以上たった現在、状況はどうなっているか、とりあえずこのコラムで引用した次ぎの記事を読んでくだされば、ある程度はおわかりになることと思います。
巨大な金が注ぎこまれている典型的官製開発の島ランカウイや、古くから住民が居住し最近免税の島に加わったばかりのティオマン島と違って、Redang島はマレーシアの自然旅行面において代表的離島たる面をまだまだ充分に持っています。その貴重な海洋環境を売り物にしたRedang島が開発によってその貴重さを失っていくのは、マレーシアの自然旅行(ネイチャーツーリズム)の損失を象徴的に示すことになるはずです。そういう意味を感じて、筆者はこのコラムで長々と記事を引用翻訳していこうと思いました。
{以下は記事です}
来年3月(注:この記事が書かれた時点は2002年です)Redang島で雨季が明けて観光シーズンが再開する時、以前島を訪れたことのある者なら島の景観の劇的な変化に気がつくことでしょう。まず第1に、滑走路が完成して島で飛行機が離陸している。島で一番美しく長い海岸であるPasir Panjangでは、環境に組み込まれた形でない、新しいリゾートが不調和に建っていることでしょう、それは212室を有するLaguna Redang Islandリゾートです。この新リゾートに負けるものかと、海岸にある他のリゾートも拡張しています。雨季シーズン中に部屋や食堂を増やしているのです。
Redang島の北の海岸Teluk Dalamでは、Berjaya Redang Beachリゾートが崖っぷちの場所に部屋を増設しました。島の海洋公園の美しさが知られるにつれて観光客が増加し、船が増え、リゾートが増えてきたのです。11年前にこの島にはリゾートは1軒もありませんでした。訪問者はキャンプしなければならなかった。好まれた海岸はTeluk Kalong Kecil, Teluk Kalong Besar, Pasir Panjang でした。今ではこれらの海岸は13のリゾートが建ち混んでいる、そして人で混んでいる。今年Redang島を訪れたのは6万3千人, 1995年のそれの2倍です。しかし実際の数はもっと多いと信じられています、なぜなら多くの訪問者は海洋公園の訪問者センターで登録していかないからです。人がいる所にはゴミ、汚水が出て、環境悪化が起るのです。
Redang島はゆっくりとその輝きを失っています。リゾートオーナーでさえ心配しています。何年もの間彼らオーナーは部屋が埋まることだけに興味を注いだ。しかし今や更なる群集、特にPasirPanjang海岸の群集が、黄金の卵を生む鶏を殺すことに気がつき始めました。ピークシーズンには群集の数は3千人にも達するのです。
確かに初めての訪問者はその透明な海の水、砂浜、きれいなサンゴ礁にわっと驚く。しかしRedang島を10年前に訪れた者は言う、浅瀬礁はずっと劣化してきていると。「間違いなく以前ほど色とりどりではない。魚も減っている。」 とクアラトレンガヌにある科学技術カレッジ、略称Kustem、で働く海洋学者Lew氏は述べる。
いくつかのダイビング地点では水の透明度は落ちている。Batu Isa と呼ばれる浅瀬礁はその色とりどりの良さでかつて私の好きなポイントであったが、最近のダイビングでわかったことは、死んだサンゴが点点となっていた、多くは藻で覆われていた。もっともひどい荒廃状態はより浅い浅瀬に起きている。何百人ものシュノーケルする人たちが浅瀬゙礁の小さな一画で飛び跳ねているのを見るのは珍しくない。浅瀬゙礁はサンゴの上で跳ねるシュノーケルする人たちによって崩れ減っていく。「多くのシュノーケル地点がなくなった。どこへ観光客を連れて行ったらいいか我我さえもわからない。」 とAyu Mayang リゾートのマネージャーは告白する。「我々は以前蚊の心配はなかった、しかし3月から6月の間今では蚊に食われることもでてきた。多分カエルが減ったからかもしれない。」
ゴミが海岸と浅瀬゙礁に散乱している。(環境NGOである)マレーシアネイチャーソサイエティーの係官がある日の午後Pasir Panjang海岸を400m歩いたら、35個のアルミ缶、6個のプラスチックボトル、12個のガラスボトルを拾った。シーズンオフである10月半ばでさえこうなのです。壊れたサンゴ礁、ゴミはRedang島の抱える数多くの問題の一つに過ぎない。可能性としてもっと害があるのは、沿海海水の富栄養化です。汚水または洗剤から出るリン酸肥料が海水に排出されるからです。これが藻を増やすことにつながり、その藻がサンゴ礁に付着し最終的にはサンゴを殺すのです。藻の繁殖は海底の植物に必要な太陽の光をさえぎります。Redan島のほとんどのリゾートは簡単な汚水処理タンクに頼っている。ハイシーズン中リゾートは一杯になり、排水が処理能力を超える可能性は高い、とトレンガヌ海洋公園の長Rahim氏は語る。「処理装置に入っていく物は何でも充分に処理されずに海に流される。」
リゾートの排水が流れ出る所にさらされているサンゴ礁は、リゾートのない属島であるLima島 のサンゴ礁ほど生き生きしてないことはまったく不思議ではありません。これはトレンガヌ州環境庁に拠れば、Redang島沖の海水の質はこの何年もの間に低下しています。最も一般的な汚染物は油とグリースです。多分旅行者用ボートの増加のせいかもしれません。
Redang島がその能力一杯の段階に達した、いやすでに超えてしまったという証拠を示す兆候がいくつかあります。それとは別にこれを強く示すものは水不足です。浄水が本土から40Kmの海底パイプで給水されていますが、これは島の村人とBerjayaリゾートだけのためです。皮肉なことに浄水は海を越えて供給されているが、島の東海岸へ山越えしての供給はされていないのです。
海岸の中にはきれいな清水に恵まれる所もあるが、Pasir Panjang海岸はそうではありません。そこのリゾート群は地下井戸水に頼っています。訪問者の数が増え、供給される水が不足することになる。昨年これがほとんどおこりかけた。「私の所の地下井戸の水位は地上下8mに下がった。かつては地下2mであったのに。」 とRedang Holiday Beach VillaオーナーのTan氏は語る。彼はもうすぐ完成する212室の新リゾートの水供給によって影響を受けるのではないかと心配している。
何年もの間にいくつかの場所では井戸水が塩気を帯びてきた、これは恐らく水の汲み上げ過ぎによるものであるだろう。「水の塩素臭が益々強くなった。」 と島を定期的に訪れている訪問者は明らかにする。「何年もの間海岸のリゾートはゴミを焼き土に埋めてきた。」 多分このためかもしれない、乾季には地下から汲み上げる水に悪臭を感じるのです、と海洋公園の長Rahim氏は語る。リゾートオーナーの中には、ピークシーズンは本土から飲み水を運んできて、地下水は洗い物だけに使うところがあります。海底パイプで真水を島にもっと供給する案は新しい問題を生みます、と海洋学者Liew氏は説明する、「さらなる排水が海に流されることになる、その排水は排水管から直接出ていくのです。」 「排水の質が違う、これがサンゴ礁に悪影響を与えかねない。」
1997年世界自然保護基金WWFはPasir Panjang沖と Pinag島波止場の海水の汚染を取りあげた報告書を発表した。91年から96年に集めたデータは沈殿、汚水、ゴミ、油、重金属、洗剤による汚染を示しています。そこではさらに小さなリゾートも数集まれば大きなリゾートと同様に環境に被害を与えていることも明らかにしている。WWFはその後監視を中止した、しかし開発が進んだので汚染はさらに悪化したことでしょう。漁業省は島をどのように開発するかについては発言権がない、その権限は島を取り巻く2海里の海に限られているからです。その海域のみが海洋公園として法定化されています。Regdan島そのものはトレンガヌ州に属しており、州はRedang島を第2のランカウイ、ティオマンと見なしています。
島の土地に起こることは海に影響を及ぼすので、土地開発は最小限にするか最大限の注意を払って行うべきです。しかし政府の機関は島の開発を精細に調べていません。計画はばらばらであり、取締りに欠ける。いつも同じようないいわけが聞こえてくる、いわく人手が足りない、環境問題に理解がない、他にやることが一杯あるといったようなだ。実際 Redang島は長い間無人の島であった。島がクアラトレンガンヌ自治体評議会の管轄下にあると宣言される1994年まで、評議会は島に管轄権を持っていなかった。
さらにプロジェクトに関する許認可は、土地、水、汚水、州経済、町計画、環境に対して持つそれぞれの管轄権に従がっていくつかの省庁に分かれている。他の省庁が留保しているのにある省庁が認可するという、お粗末な調整が起きます。島が本土から離れていることが助けにはならない。 「遠い。我省庁には船がない。」 とトレンガヌ州環境部長官。現実に今では高速ボートが出現して島まで1時間ほどで到着するのです。こういった結果からリゾートのオーナーらは自由にできることになる。消息筋に拠れば、建物の計画が認可される以前にすでに建物の形が出来上がっている。島のリゾート中わずか1軒のみ建物使用許可証(注:通称CFという)が交付されていた。ほとんどのリゾートは環境影響評価せずに建築された。ただそれらのリゾートも環境庁の命令で環境影響評価を実施したが、しかしむなしい行為である、だってリゾートがすでに出来上がっているからだ。
この結果はこうです:廃棄物の処理、建物の並び方、排水と浄水の供給をほとんど考えずのいきあたりばったりの開発です。シャレーがごく小さな場所に固まっている現象も起っている。世の中を離れた静かな休暇を期待する人に、Redang島はもはや向いていない。夕方から海岸でパーティを挙行し、カラオケやダンスパーティを行う。リゾート間に適切な緩衝がないゆえ、騒音はよりひどくなった。Ayu Mayangリゾートのオーナーは語る、隣のリゾートから聞こえてくるマージャンの騒音のために真夜中にチェックアウトした客がいた、と。
悲しいことに、島の発展に関する指針はちゃんとあるのです。町と国土の発展庁はこの指針に関しての小冊子と報告書を出している。96年当時の州首相は指針に従がうことになるだろうと述べていた。不幸にも現在のRedang島に示されているように、指針は紙の上にあるだけと思われる。建築物は波打ち際から60m陸に入った場所に建てることとの指針があるにも関わらず、岩場に建設されている。リゾートは0.4ヘクタール当り5室と決められているにもかかわらず、これを超えている。高さ9mと決められているがあるリゾートはそれを超えているなどなど。
今月砂浜で建設用に砂をならしているブルドーザーを見かけた、これも指針に違反している。「リゾートオーナーはほとんどあらゆる法律に違反している。」 と環境庁の幹部は認める。そういったリゾートを閉鎖させることはもちろんできない、なぜならリゾートは州経済に貢献しているからだ。次善の策はリゾートの活動を精細に調べて、島のさらなるプロジェクトを抑えることでしょう。多くの方面の人が認めるのは、今やRedang島の開発を見直す時だということです。「事実として海洋の質が落ちている、水の供給が問題になっている。これが意味するのはPasir Panjang海岸はすでに混み過ぎているということだ。」 と環境庁の係官は言う。
1996年当時の州政府はRedang島の開発はこれ以上認めないと公に告げた、しかしもちろんこれは守られていない。憂慮するリゾートオーナーのYap氏とTan氏は新リゾートの完成と現存リゾートの拡張によって、Redang島は1日に5000人もの訪問者を収容することになるとしています。この数字にはリゾートで働く人の数は含まれていません。1986年のUPM大学の研究では島の収容は350人を超えるべきでないとしていました。面白いことに町と国土の発展計画庁の出した報告では、その数字を46200人としています。しかしこの数字は物理的施設から割り出した数字であり、海洋エコロジーの面からの数字ではありません。Kustemの学者Liew氏は島の収容できる人数を研究することが急いで必要だと語っています、「研究が済むまでさらなる発展にストップをかけるべきです。」
心配するには理由がある。BerjayaはTeluk Dalam Besar海岸に別の20ヘクタールの土地を持つ。Laguna Redang Islandリゾートは別に4.4ヘクタールを持つ。リゾートにおいては常にこっそりとことが行われるので当局は警戒を怠れない。昨年Redang島の属島であるEkor Tebu島では新しいリゾートがほとんど出来上がったのです。そのリゾートが海洋公園を侵食する地にコンクリートの船着場を建設したので、環境庁はようやくそのリゾート建設を中止させることができた。もし船着場が作られなければ客はリゾートにたどり着けないからです。しかしそのオーナーはあきらめなかった、別の地であるTeluk Kalong Besarにリゾートを建設したのです。
Redang島はその水質、訪問者数、船の行動、発展の種類に対するマスター計画がものすごく緊要である。残念なことに、島開発に起因する問題はすでに10年前環境庁が作った運営プランに現れているのです。しかしそのプランは一度も実行されなかった。環境庁はそのほかにもいくつかの調査を提案付きで主宰した。NGOのマレーシアネイチャーソサエティーは1990年にRedang島州公園に関するガイドラインを作成した、その中では目的毎に区割りすることなどを提案し、土地使用の環境影響評価なども含んでいました。世界自然保護基金マレーシアは1994年に海洋公園の基本的計画で同様の提案をしています。しかしこれらは全て無視されてきました。
状況は落胆する状態ですが、完全に希望がなくなったとまではいえない。州政府は島の海岸と海洋公園に責任を持つ委員会をよみがえらせました。クアラトレンガヌ自治体評議会はリゾートオーナーに建設計画に関する質問書に3ヶ月以内に答えるように伝えました。さらにリゾートオーナーにゴミを本土に運ぶために下請け業者のサービスを利用するように伝えました。ゴミ運び船は2日おきにやって来て、その集荷費用はリゾートの持つ部屋数によって決められています、例えば60室のリゾートは月RM2000です。環境庁は3月までにリゾートのし尿施設をより上の基準に合うように向上させる旨指示しました。処理した排水を海に流さないようにとも伝えました。昨年Berjayaは環境庁の提案をいれて、処理済み排水を池に貯めて、それを庭に利用するようにしました。
リゾートオーナーらはRedang 運営者協会を設立し、18のリゾートオーナーのうち12が参加に同意しています。オーナーらが何年もあれこれを無視してきたのに、急に海洋保全に気を使い出したことに、おかしいと思う人もいるでしょう。彼らの心配は保護を真剣に願っていることなのでしょうか?それとも新リゾートからの競争を心配しているからでしょうか?それとも既得権を守るためでしょうか? どのような理由であれ、協会の設立は良い行動です。オーナーらがある程度の自主規制をして、島を、海の遺産を保護することに関わる時がもはや来ているのです。
Redang島の浅瀬礁を守るために、訪問者は皆”保護”という言葉を聞かされる必要があります。多くの旅行者が言うことに、リゾートの者から海洋公園でやってはいけないこととやってもよいことの説明を受けていない、というのがある。例えばサンゴを踏んではいけない、サンゴを採取してはいけないなどです。ところが実際多くのリゾートがサンゴを(敷地内に)展示しているのです。
究極的にいえば、健康なサンゴ礁と健全な観光産業は互いに依存している。幸運にもリゾートオーナーらはそれに気がついたように思われる。「もし今後5年何も手が打たれなければ、ただ我々の夢のみが残ることになる。」 とRedang Holiday Beach Resortの Tan氏は言う。 Redang島はすでにいくらかの常連客を失った。質の低下を上昇に変えなければならない、そうでなければRedang島はそれ自身の美の犠牲者になってしまう、そして単なるもう一つの免税の島に変わってしまうであろう。
{以上は記事から}
2002年11月19日付けThe Star紙の環境特集ページに載ったTan Cheng Li記者の本記事" Victim of its own beauty" をほぼ全訳しました(ごく一部だけ省略)。日本人の方にも是非読んでいただく価値ある優れたリポートだと筆者Intraasiaは信じてこれを載せました。次週の後編は、関連記事とBerjayaの反論を載せ、筆者の観点を加えます。
前編を先にお読みください。
まだまだ知名度の低かった当時、筆者はそのRedang島にゴルフ場があることを知って、海水の質と自然環境を特に大切にしなければならない南海の離島になぜゴルフ場があるの?と思ったものです。あえて島にゴルフ場を建設しなければならない理由は全くない、ゴルフ場建設用の土地など本土側にいくらでもあるはずです。ゴルフそのものに反対するのではありません、島の自然と回りの海の環境保護の重要さに理解力を持てば、無理して離島にゴルフ場を作る考えは浮かばないということです。その時筆者はBerjayaグループのあり方に疑問を持ちました。
最近Redang島を取材したStar紙の記者Tan Cheng Li は副記事の中で次のように書いています(11月19日付け)。それに対して、Berjayaのプロジェクト経営陣を代表して、専務取締役Chock氏が、11月26日付けの同紙に反論を寄せています。
{以下は抜粋引用して翻訳}
現在建設中の3つのプロジェクト中で、Berjayaグループが建設中の飛行機の滑走路建設が最も憂慮することだと、複数の批判者はいう。それは島で唯一のマングローブ地帯に影響を与えるからです。Berjayaが1991年にマングローブ地帯を切り開いてゴルフ場を建設した時、強い抗議がありました。
批判者はさらにこう言う、環境に敏感な島にゴルフ場は不適当だ、ゴルフは人気を呼ばないだろう、旅行者は海岸とサンゴ礁を求めて海洋公園に行くのだ、ゴルフしに行くのではないのだ、と。批判者は正しかった、ゴルフ場は人気を呼ばず、現在ゴルフ場が滑走路に変換されつつある。
滑走路用に充分な土地を得るために、Berjayaは2.6ヘクタールのマングローブ地帯を切り開いた。しかしこれは航空庁の定める、滑走路に近い場所は(飛行機のために)マングローブの木々を低く切らなければならなくなる可能性を生み出した。
これは歴史を繰り返しているように思える。つまり、1991年を振り返って見ると、Berjayaはゴルフ場建設のために35ヘクタールに及ぶマングローブ地帯の2.8ヘクタールだけを伐採してもよいとの許可を得た。しかし実際にはその2倍の6ヘクタールを伐採した。切り開いた面を裸のままにしておいたので、川口も沈泥させてしまった。
Berjayaは雨季にも観光客をRedang島に呼べるようにするためにずっと島に滑走路を望んでいた。実際島で雨季の10月から3月までずっと通してオープンしているのはBerjayaのみである。数年前、荒い海のためにBerjayaのリゾートで観光客が数日足止めされたことがある。1990年代の初期、Berjayaは島の山岳地に滑走路を作ることを狙ったが、これは許可されなかった。
現在のゴルフ場がある場所は多くの人には許せない場所だ。漁業省は滑走路の建設に反対し、滑走路建設の影響を計る3つの独立した調査を主宰した。この3つとも、滑走路の建設は島のマングローブ林と浅瀬礁に不利益になりうるとしています。しかしBerjayaからはすべて無視されたのです。建設プロジェクトは昨年末始まり、現場の労働者に拠れば来年3月には出来上がるだろうとのことです。
「世界自然保護基金WWFマレーシアはこの滑走路建設を快く捉えていません、それはマングローブ林を埋めたててしまうからです。さらに丘を切り開くことにもなるので、これは土地の侵食を助け、サンゴ礁にも影響を与えるからです。マングローブ林の埋めたてはサンゴ礁魚の生息地を破壊する。」 「浅瀬に生息する魚の中にはその一生のサイクルの中でマングローブ林でも過ごすという研究がある」 とかつて漁業省で海洋公園部門の責任者を務め、現在はWWFの取締役を務めるKevin氏は語る。
河に並んだ土地はそれまでのフェアウエーから今や舗装された滑走路になっている、とマレーシアネイチャーソサイエティーのSebastian係官は語る。流れ出る水がたちまちマングローブ林に注ぐ、それが生息環境に影響を与えることになる。「我々は長い目で見た影響を心配している。」
マングローブの重要さを強調するこうした、加えて他の専門家の意見にもかかわらず、建設に対する環境影響評価では、魚を養う場所として(マングローブ林は)欠かせない場所であるとの役割を訴えることができなかった。
{以上記事から}
まだまだ記事は続きます。いずれもこの島で実施されている3つの新プロジェクトが島の環境に及ぶ影響を専門家が憂慮する内容です。しかしこれらの憂慮はほとんど考慮されなかったことを、現行のプロジェクト進行は物語っていると捉えて間違いではないでしょう。
一方Berjayaの専務はその反論のまとめで次ぎのように書いています。
こういった記事を目にして、筆者の頭に浮かぶのは、発展途上国における開発発展か環境保護かの古くて新しい論議は、現実には決して”論議”にならないという事実ですね。マレーシアは進んだ産業国家たる面を充分持ちながらもいまだ”発展途上国”と呼ばれるのは、開発か保護かの論議を”論議にできない”性格を変えていないことが、その理由の一つでもありますね。やみくもな開発に反対する専門家や環境団体は厳と存在する、しかしそれが市民に広がりを持った運動にならない、直接利害関係のない市民の興味をほとんど呼ばない、批判する勢力がその事において成功するしないは別にして、反対の根拠を広く訴えることができない(ビラ配布、街頭啓蒙活動などは一切禁止であり、屋内集会でさえ極めて許可されにくい、反対活動がテレビ・ラジオで報道されることはありえない)、などの点です。
こうしてこのゴルフ場や滑走路の建設に見られるように、有力企業、企業グループは計画をほぼ思い通りに進めていきます。上のBerjayaの反論にあるように、Berjayaのような大有力企業は決してへまをしません、全て合法的手続きによって行った、と主張できる根拠を確保しておきます。
そしてお決まりの、開発による経済的恩恵論を主張して、地域経済貢献と国家目標への寄与を誇ります。それ自体はビジネスを通じて利益をあげるのが至高の目的である企業にとって当然の行為ですから、別に不思議ではありませんし、筆者もそのことに関しては疑問をはさみません。問題はこの企業活動を必要時にはいかにコントロールできるかが、政府、市民、政治家・政党に課された課題なのです。
いうまでもなくマレーシア政界に環境を第1に掲げる政党はもちろん、1人の政治家さえもいない。民族別及び宗教別に分かれた政党構造は、環境問題に極めて反応が鈍いと、何年もマレーシアを観察してきた筆者は感じます。政治家はその政治的信条は信条として持ちながら、時に政党の枠を超えて環境を愁う意見を表明したり行動できない仕組みが、マレーシア政界にはあるのではないでしょうか。
開発を進めなければ先進工業技術国家になれない、この大命題のもとに、例え環境・自然に深い知識を持った専門家が反対を唱えようと、多少の化粧直し程度の修正開発はあるが、開発は必要であるという前提は決して引き下げません。こうして開発か保護かの論議は起らず、”開発か一部修正開発か”で論議は終ってしまいます。これはマレーシアのように相当程度の工業化を遂げたが、西欧的思想の市民革命を経ていない、経る可能性のない国家としての恐らく永久に変わらないありかただと、私は捉えています。
筆者はマレーシアのたくさんある離島も訪れてその美と自然と人々の姿に触れ、文章に書いてみたいとずっと思ってきました。半島部の町や地方や田舎とはまた違ったマレーシアを感じるからです。しかしバスで気軽に行けるわけではありません、島を往復するボート代は極めて高い、離島に滞在するのは個人旅行者の場合いくら安いロッジに泊まろうと町の安宿に泊まるより高い。屋台街があるわけでもスーパーがあるわけでもないので、旅行者には食費面でも高くつくのです。この経済的理由から、まことに残念ながらIntraasiaには離島は全く手が出せません。
東南アジアの離島、リゾート紹介などといったきれいな写真や美辞麗句をちりばめただけの旅行ガイド雑誌・単行本は数あるようですが、それらは現実を知らない、知ろうとしないライターや編集者が作っているので、所詮深いことは何もわかりません。旅行ガイド雑誌類には書かれていない、書けないそんなRedang島、その他離島の姿を描いてくれる若者が1人でも現れてくれることを、Intraasiaは願っています。
これまで断続的に掲載してきた数字で見たシリーズです。いろんな統計数字を知って考えてみるのも時には必要だと思います。
マレー人 | 華人 | その他のブミプトラ | インド人 | 全体平均 | |
男(才) | 27.9 | 30.8 | 25.8 | 28.8 | 28.6 |
女(才) | 24.8 | 27.0 | 23.1 | 25.4 | 25.1 |
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | |
心臓疾患 | 血液感染 | ガン | 中風 | 自動車事故 | 妊娠時の併発 | 胃腸疾患 | 肺炎 | 腎臓疾患 | その他 |
15.8% | 13.7% | 9.3% | 9.3% | 7.9% | 6.0% | 4.7% | 4.7% | 3.7% | 2.6% |
性欲なし |
性的快感を 感じない |
オルガスムスに 達しない | 痛く感じる | 勃起しない | 潤わない | |
男性 | 48.4% | 24.8% | 37.8% | 16.7% | 27.3% | |
女性 | 60.4% | 42.5% | 19.4% | 32.8% | 42.5% |
観光産業はマレーシアの外貨稼ぎ高において、現在では第2に達しています。1位は製造業。Affin−UOB証券会会社に寄れば、2001年の国内総生産の7%ほどにあたるそうです。
でマレーシアを訪れるツーリスト(旅行者)数の表を掲げておきます。尚これは、国家の5ヵ年計画であるMalaysia Plan, 観光行政の官庁Tourism Malaysia発表の数字に基づく。
1990年 | 1995年 | 2001年 | |
旅行者の入国数 | 750万人 | 750万人 | 1270万人 |
旅行者の使った金(RM) | 45億 | 92億 | 242億 |
平均滞在日数 | 4.5日 | 4.8日 | 6.1日 |
ホテルの総数 | 989 | 1220 | 1492 |
ホテルの平均満室率 | 72.9% | 65.5% | 58.6% |
ホテル産業の雇用者数 | 4万人 | 6万7千人 | 7万8千人 |
翻ってタイを訪れるマレーシア人は100万人を多少超す程度ですから、これが意味するのは、タイにとって全体の訪問者数におけるマレーシア人の比率は極端に多くないということでしょう。タイの他の隣国であるミャンマー、ラオス、カンボジアからのツーリスト数がそれぞれが100万人を越すようなことは絶対ありえませんね。タイの受けるツーリスト総数はマレーシアのそれを多少下回る程度だそうなので、つまりタイの方が訪問者数の多様さではマレーシアをはるかに上回るということですね。こういう内情を知れば、タイの方がはるかに世界のツーリストを多く受け入れているという一般的印象にあっています。
2002年のツーリスト訪問者数は現時点ではまだ推定値であり、1300万人ぐらいだそうです。11月時点での出入国管理庁Imigresen発表のツーリスト訪問者番付を眺めていて、残念な数字に気がつきました。
シンガポール | タイ | インドネシア | 中国 | 日本 | 英国 | |
2002年1月から10月 | 567万 | 86万 | 58万 | 43万5千 | 27万3千 | 19万 |
2001年1月から10月 | 591万 | 91万 | 65万 | 40万 | 36万6千 | 24万 |
変化 | -4.1% | -5.5% | -11% | 8.6% | -25.4% | -20% |
1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 | |
国 |
シンガ ポール | タイ | インドネシア | 中国 | 日本 | ブルネイ | 英国 | 台湾 |
オースト ラリア | インド |
人数 | 755万 | 117万 | 77万 | 56万 | 35万 | 26万 | 24万 | 21万 | 19万 | 18万 |
1年間 | 2000年 | 2001年 | 2002年 |
日本人の受け入れ人数 | 455,981人 | 397,639人 | 354,563人 |
全世界からの受け入れ人数 | 1022万 | 1277万 | 1330万 |
マレーシア経済は第3四半期が順調で、2002年の経済成長率は4から5%を達成するであろうと、中央銀行BankNegara総裁が発表。第3四半期は国内需要が強く成長率5.6%でした。第1W半期が1.1%、第2W半期が3.9%でした。第4W半期も第3期のこの調子でいくであろうと、総裁。
W半期 | 農業 | 鉱業 | 製造業 | 建設業 | サービス業 | 実質GDP | 名目GDP |
2001年通年 | 1.8 | 1.6 | -6.2 | 2.3 | 5.7 | 0.4 | *** |
2002年第1 | -5.0 | 1.4 | -2.3 | 2.9 | 4.4 | 1.1 | -2.9 |
2002年第2 | -1.6 | -1.4 | 5.6 | 3.4 | 4.2 | 3.9 | 4.0 |
2002年第3 | 5.4 | 7.2 | 7.3 | 2.3 | 3.4 | 5.6 | 3.4 |
マレーシアからの輸出 単位はRM |
アセアン 諸国 |
中国 含む香港 | 日本 | 米国 |
ヨーロッパ ユニオン |
2000年 | 978億 | 283億 | 487億 | 765億 | 510億 |
2001年 | 831億 | 298億 | 445億 | 676億 | 454億 |
その変化 | -15% | +5% | -9% | -12% | -11% |
輸出総額に占める割合 | 25% | 9% | 13% | 20% | 13% |
クアラルンプール株式取引所の第1部市場での株価指数を決める主要100会社の中で最高の比率を占める3大会社は Malayan Banking, Tenagan Nasional, Telekom Malaysia, でこの3社で実に比重の4分の1を占めます。表に示したのがその主要大会社です
順位 | 会社名 | 比重の割合 |
1 | Malayan Banking Bhd | 9.5% |
2 | Tenaga Nasional Bhd | 8.8% |
3 | Telekom Malaysia Bhd | 7.9% |
4 | Malaysia Internasional Shipping Corp. Bhd. | 4.9% |
5 | Maxis Communications Bhd | 4.3% |
6 | Petronas Gas Bhd | 4.1% |
7 | Sime Darby Bhd | 4.1% |
8 | Public Bank | 3.9% |
9 | British American Tobaco Malaysia Bhd | 3.6% |
10 | Genting Bhd | 3.4% |
11 | Plus Expressway Bhd | 3.3% |
12 | Commerce Asset Holding Bhd | 3.0% |
年 | 1991 | 1992 | 1993 | 1994 | 1995 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 | 2002 |
年利 | 7.93% | 7.85% | 6.37% | 5.27% | 6.64% | 7.21% | 9.06% | 5.83% | 3.33% | 3.47% | 3.21% | 3.20% |
年 | 1996 | 1997 | 1998 | 1999 | 2000 | 2001 |
大学(University) | なし | なし | なし | 15981 | 22480 | 27060 |
カレッジ(College) | 133199 | 143803 | 168489 | 199613 | 209589 | 243844 |
合計(人) | 133199 | 143803 | 168489 | 215594 | 232069 | 270904 |
公立(国立)大学11校の学生数は2001年で約246000人なので、公立大学と私立大学の学生数は拮抗しているといえます。
課程別の学生 | 1995年 | 2000年 | 2002年現在の機間区分 | 数 | |
学士(Degree)課程 | 75709 | 170794 | カレッジ | 517 | |
Diploma課程 | 46480 | 92304 | 大学 | 11 | |
Certificate課程 | 13556 | 28154 | 大学支部キャンパスなど | 8 | |
合計人数 | 135745人 | 291252人 | 合計 | 536校 |
2002年PMR試験を受験した中学校3年生は全国で、42万人でした。その内、91.6%の生徒は政府の中学校、4.1%が州立中学校、4%が私立中学校、残りはその他個人参加でした。つまり中学校の段階では公立学校の生徒が、全生徒数の95%以上を占めるということと理解しても間違いないです。
世界で雷の活動が盛んな地帯に位置する唯一のモダンな都市がクアラルンプールです。雷活動を計る手段の一つに年間何回雷の日があるかを調べる方法があり、クアラルンプールが最高で250回です。次いでシンガポールの190回、マイアミは80回、バンコクは60回、ローマが40回、東京とロンドンはそれぞれ20回です。
以上は、雷コンサルタント会社Lightning Resarch の会長の説明です。この会社は空港や鉄道の雷被害に対する可能性を評価している会社だそうです。
この数字は雷の発生した日数であり、自分の住む近くの場所に落雷した日数ということではありませんね。
インドネシア | マレーシア | マラッカ海峡 | フィリピン | タイ | |
乗船された | 52 | 7 | 1 | 3 | 1 |
ハイジャックされた | 5 | 1 | 8 |
ちょっと前から話題になっていたインドネシア映画”Ada Apa Dengan Cinta?"が1月半ば一般公開されたので、公開初日に早速シネプレックスで見ました。この映画とその主演俳優2人のことが英語紙でさえ数回も話題に取り上げました、その内1回は数ページを費やしたンタービュー兼ニュース記事としたたぐらいです。何が珍しいといえば、インドネシア映画がマレーシアでそれも有名シネプレックスを含めた複数のシネプレックスで公開された、なんと主演俳優2人を呼んでプレミア公開をMidValleyシネプレックスで行いマレーシアの若いファンがどっとつめかけた、マレー芸能マスコミだけでなく一般紙でさえもこの映画を話題に取り上げた、ということがあげられます。
マレーシアでインドネシア映画が映画館公開されるということは稀有のことです。筆者の知る限りこの10年間で初めてかそれに近いぐらいのできごとのはずです。インドネシア製テレビドラマと映画はマレー人・インドネシア人客主体のVCDショップで販売されているものと相場が決まっています(5、6年前までははビデオテープ形式でした)。ハリウッド映画のVCDはどんなVCDショップにも必ずあるし、香港映画次いでボリウッド映画のVCDは大抵のVCD・ミュージックショップに置いてあります。しかしインドネシア映画・ドラマVCDとなると限られたVCDショップしかないはずですし、違法コピーVCD屋台でもマレー・インドネシア人の多い地区でしか売らないはずです。
このようにインドネシア映画、ドラマはマレーシアで極めてマイナーな存在です。表現を変えて言えば、対象人口の数から販売数はそれなりにあるかもしれませんが、少なくとも多種の人の目に触れることはない存在です。そのインドネシア映画が脚光を浴びたということ自体がニュースであり、そうであれば筆者としても見逃すことはできません。
ですから公開されてすぐKLCCスリアショッピングセンター内のシネプレックスへ見に行きました。場内の観客はざっと見たところマレー若者数十人といったところでした。いうまでもなく、若くない華人客がこういった映画を見ることはありえませんから、そういう姿は全くありません。インドネシア映画ですから、字幕にマレーシア語だけが付いています。インドネシア語とマレーシア語の発音・アクセントの違いは大きいし、語彙も結構違うので、筆者程度のマレーシア語力では字幕ナシで追っていくのは至難の技です。ただ複雑な筋書きではないので、時々マレーシア語の字幕を追うことで、話題にはついていけました。
映画が始まってちょっと驚いたのはスクリーンに映し出された画像の質の悪さです(映画の内容ではない)、フィルムが荒れていることが観客にもわかるぐらいです。まあそれはおいて、映画は高校生たちの日常生活に起こるたわいもない出来事を描いた青春恋愛物語です。もう少し詳しく書けば、インドネシアジャカルタの中流家庭の子供が通う高校を舞台にその高校生特に女高生仲良しグループに属する主役が同一高校の男子生徒、もう1人の主役、と好き嫌い好き関係になる過程を自然な感じで映した10代青春映画です。
ですから映画のテーマと舞台と筋書きにはなんら特別の映画らしさはありません。インドネシアではこの映画が最近のインドネシア映画史上で記録的にヒットしたと伝えられていたので、何がそんなに多くのインドネシア人若者を映画に駆り立て且つマレー人若者にも前人気を呼んでいるのだろうと、筆者には興味津々だったのです。しかしその意味ではちょっとがっかりの平凡な青春恋愛映画でした。しかし見ているうちにマレー映画との違いをつくづくと感じ、その自然な描き方にうれしい発見をしました。
高校生の恋愛映画といってもハリウッド映画のそれとは全く違って、性描写を匂わすようなシーンは皆無ですし、荒い暴力シーンがあるわけでもありません。この面ではマレー青春映画とほぼ同じですね。しかしマレー映画とは一味違うのです。高校生男女の描写がたいへん自然な姿に見えるのです。もちろん主役の女男優2人が20才前後であり、共演者もほぼ実際の高校生に近い年齢層であったこともその一因でしょうが、映画の映し出す高校生群像が実際の高校生の日常を自然に映し出しているみたいと観客に感じさせました。
映画なのだからそういうことは不思議ではないと思われる読者が多いかもしれませんが、この ”実際の高校生の日常を自然に映し出しているみたい” という感想をマレー青春映画にまず感じないからこそ、このインドネシア映画に筆者は新鮮味を感じたのです。きっと前評判にそそのかされてこの映画を見たマレー人若者観客も同じ感想を抱いたのではないだろうかと、筆者は推測しています。
例をあげましょう。主役の女性徒、彼女の名前がCintaです、は豊かな家庭の一人娘であり、ボーイフレンドの男子生徒、彼の名前はRanggaです、の家をある日1人で訪れるシーンがあります。これまた経済的に豊かな知識人である父親と2人暮らしをしているその男子生徒といっしょに部屋で歓談し、その後台所で2人でいっしょに食事を作り、父親を入れた3人で食事するシーンがあります。ホームドラマとして別に変わったシーンではありませんが、マレー映画にこんなシーンはありえないでしょう。10代の高校生の女性徒が1人で男子生徒の家を訪ねていっしょに食事作りする、マレーシアでも都会の中流家庭であればなきにしもあらずのことかもしれませんが、マレーコミュニティーの建前としてこんなことはあってはならないことに違いありません。だからこういう場面を撮るのはマレー映画ではありえないでしょう。よって私も見た記憶がない。
インドネシアだって田舎ではこんなシーンは絶対に起こりえないでしょうが、映画の設定はジャカルタの瀟洒な地域に住み、経済的に豊かな家庭で何不自由ない暮らしをしている中流、それも中の上クラスの家庭子女たちです。インドネシアの貧富の差はそれはもう想像を超える激しさであり、仕事を求めてマラッカ海峡を命がけで渡ってマレーシアに密航してくる多数のインドネシア人がいる一方、子供が自動車を乗り回すように物質的には何の不自由しない都会の中流以上の家庭の存在も目立ちます。巨大な人口を抱えるインドネシアですから、その中流以上の全体に占める割合がごく低くても、総数では膨大な数になります。ですから一人当りの所得平均はマレーシアのそれよりずっと少なくても、経済的豊かさではマレーシアの中流マレー人並かそれ以上のインドネシア人は数多いはずですね。
その豊かなインドネシア人若者が、学校の放課後男女ペアでファーストフード店に入ってデートしたり、夜間いっしょに生演奏音楽喫茶(パブ?)で時間を過ごすシーンなど、都会の中流層ならインドネシアでは恐らくそれほど不思議でないであろう光景が描かれています(筆者は90年代のジャカルタを訪れてないので知りませんが、スマトラの都会では何回も目撃してます)。夜音楽喫茶に高校生のマレー男女が出入りするのはマレーシアではちょっと珍しいでしょうが、町のショッピングセンターやファーストフード店でデートなり談笑しているマレー高校生の姿はたいして珍しくもありません、つまりもマレーシアのマレー10代コミュニティーでもこの程度は日常光景です。しかしこの日常光景を描かないのが、マレー映画なのです。
この映画の制作者で脚本を書いたインドネシア人女性は、「ジャカルタの高校ならどこでも見られるであろうが、ジャカルタの若者が何を好み、どのようにふるまい、考え、暮らしているかを、この映画制作に関わった者は皆世界に紹介したいという役割を持っている。」 「この映画の出現とその内容にちょっとショックを受けるかもしれない人々もいるでしょう。その内容といえばたいへんポップで現代的だからです。人々は重要な伝統的要素をもった通常の映画を期待しているからです。」 と英語紙のインタビュー、1月20日付けStar紙、でその映画に込めたメッセージを説明しています。
この発言はマレー映画界のそれとは大分違うなとの印象を筆者は持ちました。ありきたりの10代青春群像を正面から見据えてなぜ描かないのか、これが筆者のマレー映画に対する大きな疑問の一つです。
最近のマレー映画で多いのは「ロマンチックコメディー、ロマンチック物語、コメディータッチの映画で、これらはその映画に出資した製作者が見返りを期待できると感じるのです。」 「映画製作者が利益を第1に考えていると批判するのはあまり公平でないと思う、なぜなら最終的に投資した金が回収できないという重荷を負うのは彼らであるからです。」 と マレー芸能界に関するコラムを毎週英字紙に書いている芸能コラミストSeri Bintang 氏(ペンネーム)は1月17日のStar新聞に書いています。筆者は別にマレー映画マニアではないので、多くのマレー映画を見てきたわけではありませんが、ロマンティック調とコメディータッチが極めて多いと感じていました。この筆者の推測はマレー芸能界専門家がここで説明してくれたように正しかったわけです。
マレー映画の平均的制作費がRM100万程度ということから、大セットを組んだ映画、外国や困難なロケ地での撮影、施設・仕掛けに金のかかる映画、エキストラを何千人も使うような規模の映画、高度なコンピュータグラフィックを多用した映画、こういった映画製作が全く無理なことは素人でも容易に推測がつきます。マレー映画はこういったことから、簡単な撮影場で簡単なセットを組んでとか、金のかからないショッピングセンター、オフィス、住宅地、仕事場、家屋をロケ舞台にした小人数登場人物映画になりがちです。
枠組みとしての経済的制限枠の中で、マレー人観客の嗜好を反映した軽いコメディータッチと恋物語をからませる基本に、映画によってどちらかに比重をかけた映画が多くなるのでしょう。この製作姿勢においては、現実社会の矛盾を突くような姿勢の映画はいうまでもなく、それを潜ませた映画はまこと稀少です。さらに現実社会を見据えたリアリズム性が欠けることを筆者は以前のマレー映画に関するコラムで指摘しましたね。
マレー映画に限らずシネマへ足を運んで映画を見る観客の大多数は10代半ばから30才前ぐらいまでです。約10年間、毎年何十回も様々なシネマに足を運んできたきた筆者の観客層に対する観察に間違いはないはずです。そういう時10代と20代の観客に受ける受けないは映画の興行成績に一番大きな影響を与えます。マレー映画は、ハリウッドはいうまもなくそれよりも小型だがマレー映画よりはるかに大予算の香港映画とボリウッド映画に全く適わない低予算映画であることは誰も知っているので、10代と20代の観客がマレー映画に期待するのは、小粒でもできるロマンチック物語、コメディー物語なのでしょう。
ご存知のようにハリウッド映画は10代の学生青春群像を描いた映画を時に製作しますよね、香港映画も時に描き公開されます。しかしマレー映画では稀有です。なぜ10代の青春映像を描かないのだろう?10代観客の期待する映像を描けないからか、描くのが困難だからか、収益が見込まれないのか、その理由は筆者にはわかりません。
一方このインドネシア映画”Ada Apa Dengan Cinta?"は、裕福な家庭子女が主要登場人物兼舞台ではあるが、10代の日常と恋を正面から描いた映画として捉えることができるしょう。インドネシアでこの種の映画が一般的な作品なのかどうかを筆者は全く知りません。しかし映画としての脚色は当然あるが現実と全くかけ離れた脚色とまでは思えない活き活きとした筋運びの中で、10代の男女の姿を正直に描いている面と製作者と監督の目のつけどころは賞賛に値します。
この映画の制作費はマレーシアリンギット換算でRM150万だそうです。つまりこの程度の予算の映画ならマレー映画には普通にあることになります。その低予算にもかかわらず、昨年公開されたインドネシアでそれまでの記録を破る大ヒット作となり、Titanic号映画すらも上回ったと新聞記事には書かれています。
インドネシア映画でこの映画で見せた手法が一般的なのか、それとも珍しいのかは筆者に批評はできませんが、少なくともマレー映画を見慣れた眼からは極めて新鮮に写ります。ここでもまた湧く疑問は、マレー映画になぜ10代の恋物語を正面から見据えた映画がないのだろう? なぜそういう映画を撮らないのだろう? ということです。シネマに足を運ぶ観客の半分以上は10代半ばから20代半ばであるはずにも関わらずです。
この映画の監督、31才のインドネシア人、は語る、「私は自分のよく知るテーマを選んで監督した、それは10代の若者についてです。これは私が一番確信ある感情を持てます。さらにインドネシア映画界がまだ未開発の市場だ、映画を見に足を運ぶ観客の90%は10代なのです。」 この映画の最後のシーンである、空港での別れの場面で主役の2人が軽いキスをしたことが話題になっており、インドネシア映画では画期的出来事だそうです。監督は語る、「私が見たジャカルタの若者の間で起こっていることを単に描いているだけです。今やインドネシアの10代はずっと自由精神を持ち、セクシーに着飾り、公衆の面前で愛情を表現することをはずかしがらないのです。10年前にはそれはなかった。」 と監督はマレーシア英語紙のインタビュー記事、1月18日付け、で語っています。
このインドネシア人若者の行動を描写する発言を読んで筆者は、それはクアラルンプールやペナンやジョーホールバルのような都会のマレー人若者の一部と変わらないのではと思いました。まさにそうです、上で描写したような行動を取る都会のマレー人若者を見かけるのは珍しいことではありません、例えば10代が手をつないで歩いていたり、2人だけで腰を降ろして話している、ボディコン服装の女の子、そんな光景は探さなくても目に入ります。公衆の面前で愛情を表現することに恥ずかしがらない、こういうマレー人若者も増えているようです。
しかしこういう行動にマレー権威層・保守層からは猛烈な批判が出ています。それを具体化したのが例えば、高架電車LRT内に現れた、”車内、ホームでいちゃつくな”警告表示です。飲食行為や喫煙行為と並んで、身体接触のあるいちゃつく行為は禁止とイラストで掲示されています。これはそういう”いちゃつく行為”に晒された高架電車の利用者から批判が相次いだため、高架電車会社が禁止行為に加えたものです。もちろん何をもって”いちゃつく行為”と考えるかは、批判者側の基準が取り入れられていますね。
インドネシアでもこの映画の唯一のキスシーン、空港の出発ゲート前で主役の2人が最初で最後に交わしたもの、にセンセーショナルな騒ぎを巻き起こしたそうです、しかしそれはインドネシア社会における変化に関する論議を呼び起こしたからだと記事は書いています。この監督にとって、そういったことは抵抗できない社会の発展だと捉えているそうで、インドネシア当局がこのキス場面をカットしなかったことにほっとしたと、彼は語っています。さらに一般観客も現代社会の現実として受け入れたと。「それは官能的なキスでも性的なキスでもない、深い感情を描写するものであり、この映画のクライマックスであるのです。インドネシアでこれは検閲カットされるだろうと我々は思った、しかしそうではなかった。」
マレー映画に10代の登場人物のキスシーンが映されることは絶対にありえないでしょうが、キスシーンはこの映画の象徴であり、映画そのものはあくまでも都会の中流家庭高校生群像と恋物語です。マレー映画はキスシーンあるなしに関わらず、このような都会の中流家庭高校生群像と恋物語を描けるのだろうか? できないでしょう。現代マレー社会の状況を考えれば、できないという意味は製作者及び監督はそういった映画の製作に踏み切らないであろうという思いです。
10代半ばから後半、つまりいわゆるティーンエイジャー世代に恋は大きな話題と関心を占めるのは、不思議でも何でもないことですよね。学校の勉強に邪魔になるから、年齢的に早過ぎるから、などと世の規範的な大人はこうして子供の行動と意向を抑圧しがちですが、これはまあ程度の差はあれどこの国でも民族でも一般的な大人の考えからいえば、あまり責められないことともいえますね。しかしその後に違いが出てきます。ティーンエイジャー世代に恋を奨励はしないがその現実を直視して、それを否定するのでなくいっしょの気持ちになって取り上げていくのか、それともマレー保守界に典型的である一言のもとに批判してしまう、究極的に未成年者のあらゆる男女交際はimmoral行為(不道徳行為)だなどという論理で否定してしまう、という対応で大きな違いが出てきます。
マレーコミュニティーの保守層、宗教界の言動に筆者がいつも感じるのは、この映画で描写しているように現実を許容したり直視せずに、あるべきムスリムのあり方から外れる、堕落行為である、だからそうした行動、発想はうむを言わさずだめだと否定しまう姿勢ですね。
この否定型の例として、最近典型的な出来事がありました。マレー人が絶対多数を占めるペルリス州の州首相が、青少年の規律を正し社会悪を防止するために、州内の18歳以下の青少年に対して夜間10時以降の外出禁止例を施行したい、旨を公言しました。州首相のいう社会悪とは何かと言えば、夜カラオケやビデオゲームセンターで時間を過ごしたりコンビニでうろついたりすることであり、若者が仲間同士で意味なく集まってうろついたりする行為(これをlepak という)を抑制して規律をもたらすという目的です。これにはさすがに内閣の法律担当大臣、与党の一部政治家を含めて他州の知識人や団体からも批判が出ました。いわく州政府には夜間外出禁止例を施行するそんな権限はない、禁止するだけでものごとは解決しない、といったのが主たる批判です。
これで州首相はその案を引っ込めるかと思ったら、それどころか州議会に法を改正する案を提出することを考えている、実施を検討したいと、批判派を反批判しているぐらいです。10代の半ばから後半の子供たちが夜遅く出歩いたり、仲間でつるんだりするのは確かに奨励すべきことではないでしょうが、かといってそれを法令で禁止し違反すれば罰則を与えるような発想は、とてもなじまないもののはずです。これは単に日本人的発想からだけでなく、マレーシア人の間にもこういう意見があることはマスコミとミニコミに現れていました。しかしマレーシア社会は極めて権威主義的社会です。政府与党政治家と宗教界の意向は極めて重要視され力を発揮します。
マレーシア社会には子供たちの意向に耳を傾けるような社会的システムはできあがっていません。こうして力を持った為政者の意向と宗教界の論理は、社会機構にいずれ何らかの形で適用されてしまうのが一般的です。10代の青少年は仲間同士で大して目的もなく集まって楽しい時間を過ごしたいのだ、彼ら彼女らが異性に興味持つのは当然だ、という現実は、倫理観と宗教意識の欠如と見なされてしまい、その欠如をいかに防ぐかに観点が置かれてしまいます。
こうして高校生やティーンエージャーの恋やその悩みを正面から見据えたマレー映画は極めて生まれにくい土壌がマレー社会にはあると、筆者は判断しています。マレーシアでも話題を呼んだ一篇のインドネシア映画をシネマで見て、筆者はこの思いを改めて感じたのです。たかが一篇の青春映画でないか、とマレーシアの為政者はもちろん、読者の中にも思われる方がいらっしゃるかもしれません。そうたかが一篇の青春映画で数ヶ月もすれば話題は消え去るでしょう。しかし10代の若者にとってその青春とは仲間と無邪気に戯れ、大人ぶり、恋し恋に悩み、芸能人に憧れる面が大きな部分を占めるのです、そういった青春群像を直視しないのはいかにも不充分ではないでしょうか?
人間誰でも病気になるし、時に怪我もします。これは人間のいわば宿命であり誰も避けられないことですね。絶対に医者にかからないという方も中にはいらっしゃいますから100%にはなりませんが、病気、怪我になった時に医者にかかることは99%以上の人に共通の現象といえます。しかしこれは世界の中進国以上の民衆にはしごく当然の現象であっても、極貧国では少数の豊かな層を除けば、医療に手が届く、または医療が手が届く範囲にあることは珍しくなります。この意味においても世界はまことに不平等であり、医療サービスが誰にでも簡単に受けられ且つある程度の医療サービスまでは低所得者層でも負担できるという面で、日本人として幸せであると言えます(日本人万歳ということではありませんよ)。
これは世界の極貧国を何回も眼のあたりにしてきた経験から、皮肉でもおごりでもうぬぼれでも差別感でも優越感からでもなく心からそう思います。例えば、ものごとが全てまともに機能してないサハラ砂漠の周辺の村、電気水道など一切ないバングラデシュの村、たどり着くのさえ困難なインドネシアのスマトラ山間僻地、などなど、筆者がこれまで訪れた”現代医療”がほとんど存在しない地を頭に浮かべると、日本のような”先進国”に生まれたことは、この面においてはまこと幸運だと思いました。
何もこれは日本だけでなく、東南アジアに絞ってもシンガポールはいうまでもなく、マレーシアとタイでは身近な町医者から高度の設備を持った大病院まで様々な医療サービスが得られることはうれしいことであり、誇るべきことだと思います。山間も僻地も全くないごく小さな都市国家シンガポールは別として、タイもマレーシアも広い面積を誇る国であり、且つ国民間における富と所得の乖離がはなはだしい国ですから、皆平等に満足のいける高度医療サービスを受けられるまでとはいきませんが、基本的な現代医療は政府病院・医院で低所得者層に手の届く料金で受けられます。サラワク州の山間僻地に住む人は政府病院のある町まで最低数時間はかかるようですが、現実問題としてあらゆる村や部落に公立病院・医院を設置するのはほぼ不可能ですから、この面だけを捉えてマレーシアの医療は遅れていると決めつけるのはおかしいでしょう。
マレーシアは地方の小さな町でも基本的現代医療は、政府系医療施設であれば低料金でうけることができます。国として保健制度がないため、政府系医療施設は政府の補助が入っており、そのため診察、検査、薬代が私立医療施設に比べてぐっと低く抑えられているからです(例えば診察代のみは十数リンギット程度)。もっともそのため待ち時間は長く、設備は古いという状況になっている医療施設も多いそうで、これは観察する者の目にもわかります。
しかし物事にはすべて両面ありますから、マレーシアの医療も、誇るべきことばかりではありません。これはマレーシア社会を前提にマレーシア人の物の捉え方からみても不充分、不満だとういうことです。日本における医療を日本人の期待感から見た場合、当然正と負の評価が出てくるようにです。
マレーシアの医療の負の面はいくつかありますが、その中で最近話題になった医療検査における信頼性の問題をここで見てみましょう。2月15日の新聞の記事からを以下に再録します。
最近我々ペナン消費者協会が行った調査によれば、医療検査がいかに不正確かを示しています。この調査において、同一人物の血液と尿をペナンと半島部にある5つの検査所に送りました。その中には同じ医学検査会社の別別の支店も含まれています。我々が発見したことは誰をも嫌な気持ちにさせるに足ります、それは同一検査対象に同じ検査を施したもかかわらず、それぞれの医学検査所から得た検査結果に信じられないほどの違いがあったことです。
医学検査機関が行った全部で153の検査(項目)中、たった12検査だけ数値が一致しただけです。他は非常なる違いを示していました。たとえばHDLコレステロース(善玉)検査では、同一血液なのに5つの検査所が全部違った数値を示しました、その変化量は1.4-2.1mml/l 。この大きな変化量は(他の被検査人物)のLDPコレストロール検査でも見られ、5つの検査期間中の数値の変化は1.4-2.4mmol/l でした。
数値が一致しない例は尿酸検査でもあり、5つの検査所間の差は同一人物において433-600mmol/l でした。5つの検査所からえた様々な検査からの検査結果の差はとても受け入れる事ができない、なぜなら医学検査における許容量±3% を明らかに超えているからです。ペナン消費者協会が発見したことは、我が国の医学検査所・会社の質には何か重大な問題があるということを意味しているのであり、我々はそういった検査所・会社の検査結果を信用できません。
これは直ちに対処する必要のある重大なことです、医師は患者の診断、検診、病名確定、治療、さらに手術でさえ、においてしばしばこの種の検査結果にもっぱら頼るからです。多くの場合、血液検査が診断の決め手になる。医師の診断における唯一の手段の場合もある。
ペナン消費者協会の調査はさらに、医学検査に関わる医師と病院による患者に対する衝撃的搾取を明らかにしています。調査では、医師と病院はこの種の検査において非常なる高額料金を課しています、実際医師と病院の利益マージンは、検査所よりも高いということになりえるのです。
調査の示すところ、医師は医学検査所から72%から125%のコミッションを得ます。例として、15項目検査のパッケージで被検査者が払うのはRM180です。よって医師、病院はRM100からRM114のマージンをもらいます。現実のケースとしてはもっとひどい。医師、病院は通常もっと高く課すからです。 私立病院や医師が病気に悩む患者に傷に塩を塗るような行為は恥ずべきことです。
付け加えて検査結果の不正確性で、消費者はある種の検査には危険なリスクも受けるのです。尿検査は麻薬類には意味がない、定期的血液検査は不必要な心配と費用を生む、子宮ガン検査は高い不正確性を持っている、HIV検査はその信頼性のなさで有名だ。MRIという電磁波画像検査装置は不正確ともなりえる。この装置によるスキャンはたいへん影響を受けやすい、時にまったく重要でないことを取り上げてしまう。ガン検査も間違いを起こす。
こういったことにも関わらずこの種の医学検査所は保健省に登録されていない、さらに統制されてもいません。元保健省の長官は、利益目当ての現在の私立医学検査所はその質に疑問があり、野放しにされている、もっとも悪ければ危険でさえある、と語っている。警告すべきは何千人ものマレーシア人がこの不正確な検査結果の犠牲者になっているかもしれないのだ、間違った病名診断にもつながる。
ペナン消費者協会はこの医学の一分野を厳しく規制することで一般大衆を守るように訴えるのである。長く待ち望まれた提案された医学検査所法1999年はさらなる遅延なく施行されるべきです。
以上抜粋翻訳
医学(または医療)検査所・会社と上記で訳しておきましたが、華語では健康検査と表記されています。マレーシアは日本とはちょっと違った仕組みのため、同種の検査会社が日本にはほとんど存在しない(かまたはごく珍しい)のでここで説明しておきます。マレーシアでは人の血液検査を実施する民間の検査会社が、都市中心に店舗を構えています。つまり大衆は病院、医院に行かなくても、10数項目だけの最低限血液と尿検査から、多種の血液検査項目に加えて尿検査項目の追加、梅毒、子宮ガン、前立腺、肝炎、腎臓機能検査などの選択項目を増やしていき最高50項目を超える医療検査をこの種の店舗で受けることができます。
手続きとしては、検査を受けたい人が医師がいないこの種の店舗を訪れて採血と検尿を受け、1週間後ぐらいにその店を再度訪れて検査結果表を受領するという仕組みです。検査結果を告げるのは医師でも検査専門技師でもありません、ただの事務員です。つまり検査表の数値と印刷された簡単な説明文句がすべてということです。
この検査所または店舗で検査を受ける場合、被検査者自身はまったく医師の目に触れないことになります。検査会社には病理学専攻の医師が顧問としていると、パンフレットなどには記述されている。店舗で採血された血液などはその店舗で分析されるのでなく、本社または検査センターへ送られてそこで分析されるのでしょう。ある検査会社の全ての店舗が高価な検査装置を備えていることはありえませんから、血液検査はほとんど本社またはその州の中心検査センターで行なわれるものと推測しています。どこの店舗でもできるのはせいぜい簡単な検尿程度だけではないでしょうか。
この医療検査会社は何社もあり、よく知られたPathlab などは多くの州に店舗を有しています。例えば別の大手B.P.Clinicalのパンフレットを見ると、全国に30以上の店舗を有しており、3箇所に主要センターがあります。こういった検査専門会社は、店舗を訪れる個人客対象の検査と、医院病院のから依頼された同種の検査を営業項目にしていると推測されます。
中大型病院なら当然その病院内に独自の検査施設を備えているはずですし、裕福層の患者を対象にした都市部の一部の医院・専門クリニックなら設備負担に耐えられるだけの資金と患者に恵まれ、独自の検査装置を持つことができるでしょうが、大多数の個人医院や小規模クリニックではとてもその設備を負担することはできないでしょう。従って個人医院や小規模クリニックでは血液と尿採取の後は、検査をこの種の医療検査機関に依頼することになります。というか、個人医院などは医療検査会社の代理取り扱いを兼ねているような面も持っています。
なぜかというと個人医院などにはよく医療検査機関の検査項目解説兼検査お勧めのパンフレットが置いてあるからです。そこの個人医院が契約している医学検査会社のパンフレットですね。医院の壁には何項目検査でいくら、追加項目検査はいくらなどと料金表が貼ってある場合もあります。先日筆者が訪れた地元のある個人医院は、しつこくない程度に筆者に検査を受けるように勧めました。上記の消費者協会の主張にも書かれているように、患者から検査と称して血液尿を採取して検査会社に送れば、それに見合ったマージンが医院に払われることは当然推測できます。その時しいてその必要を感じなかったので筆者は断りましたが、まあ医院経営もビジネス、セールス活動も必要でしょうからこの程度のことに文句を言うつもりはありません。
重要なことは、検査そのものをどこでやるかでなく、検査結果の正確さに尽きると思います。いくら検査に見合った料金であれ安く感じようと、検査結果の精度が低ければ検査自体に意味がなくなってしまうことは誰でもわかりますし、精度の低い検査結果が誤診を生む原因になってそれこそ取り返しのつかないことにもなりかねませんからね。
ところでなぜマレーシアでこの種の検査会社が一般大衆を直接対象にビジネスとしてできるかといえば、日本のように献血制度の仕組みが全国津々浦々に確立してないからです。都市部であれば献血はできます。方法としては:国家血液センターまたは赤三日月(赤十字)の委託を受けた政府系病院の献血部門へ自ら赴く、赤三日月がしばしば行っている一般向け献血会場へ出かけて献血する、私立の有名病院で登録し献血する、というのが主な方法でしょう。献血すれば後日基本的検査結果が献血者に無料通知されますから、これが一種の自主的な血液検査になるのは日本と同じです。ただいわゆる成分献血は、国立血液センターとか大都市の限られた大病院でないとできないそうなので、ほとんどの献血は伝統的な全血献血でしょう。
献血活動がものすごく盛んな日本は盛り場のビルや駅前に駐車した移動献血車で献血を呼びかけていますが、マレーシアでそういうことはまずありませんし起こり得ません。尚献血のお知らせ程度の広報とおとなしい呼びかけ行為はあります。病院の存在しない田舎で献血は町まで出かけなければならないのは当然ですが、町でも献血自体の広報と周知が盛んでないので、献血する人の率はぐっと低いとのことです。
多民族国家らしくマレーシアでは民族間で献血への捉え方が違います。献血者数の過半数を占めるのが、その人口比(25%)に比してずっと高い献血者数を記録している華人であり、ぐっと低いのがマレー人です。人口の半数強を占めるマレー人が献血への参加が人口比に比べて少ないことが、結果として献血率の低さに通じています。非都市部・田舎ではマレー人の人口が圧倒的に高いことから、献血車がそういうマレーカンポンを回ることはまず考えられません。例え都市部であっても多くのマレー人が集まるモスク前で献血活動というのも、筆者は聞いたことがありませんし、現実的ではないでしょう。このようにマレーコミュニティーは献血への心理的抵抗感が強いというのが定説です。これは各種の臓器移植についても同様で、マレーシア国内で行われる臓器移植の提供者の過半数は華人であり、マレー人は人口比に比してはるかに少ないのです。この現象の基底はマレーコミュニティーの抱く世界観、死後観、慣習に基づくものですから、近い将来マレーコミュニティーからの献血や臓器提供が急増することは期待できないはずです。
こういった事情から、マレーシアでは血液・尿検査の民間検査会社がビジネスとして成り立つわけです。それゆえ、なおさら上記のペナン消費者協会の指摘した点は重要です。その指摘が100%正しいという証明は難しいでしょうし、当然ながらマレーシア私立医学検査所協会から反論もでています。
反論者が認めるように、血液と尿はちょっとしたことで検査結果に違いが出るとのことですから、検査会社・所が被検査者から採取した血液と尿をその検査センターへ運ぶことが違いが出てくる要因にもなると推測することさえできます。つまり全国に数ある検査受け付け店舗で採取されたサンプル血液はそういう可能性を初めから持っているのです。さらに検査会社の検査機器の誤差、検査技術者の腕など別の要因も当然検査の結果に影響を及ぼすことでしょう。
こういったことを論じ合っていても問題解決にはなりませんよね。以前から度々マスコミでも明らかになっていた医療(医学)検査所・会社間における検査結果の食い違いの問題を公然と批判した点を賞賛し、これをきっかけに問題点を解決する方向に早く進んでいって欲しいなと思います。