「今週のマレーシア」 2002年9月と10月分のトピックス

・マレーシア華人コミュニティーの言語地図  ・華人コミュニティーの華語教育と華語への愛着度を探る−前編−
評論家という肩書きを持つ人が極めて少ない国  ・自動車のナンバープレート番号は金力と権力を暗示する
看護婦の白衣(制服)姿のまま通勤を考える  ・華人コミュニティーの華語教育と華語への愛着度を探る-中編−
マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、その4
華人コミュニティーの華語教育と華語への愛着度を探る−後編−  ・数字で見たマレーシア、 その15
マレーシアでトップ級の書店チェーンが丸ごと買い取られる背景を考える



マレーシア華人コミュニティーの言語地図


今回から今月と来月数回に渡って掲載する華人コミュニティーに関するコラムは、題名は違いますがいずれも有機的に関わり合っています。どれが欠けても互いのコラムの内容理解と私の主張に影響を及ぼすことになります。

出身別にグループを作る伝統

マレーシアの華人社会には世界どこの華人社会にもあるように、漢語に属するいくつかの言語グループが存在します。また母語を同じくした人たちがそれぞれ先祖の出身地毎に同郷団体を構成しています。この同郷団体がいくつも集まってさらに上部団体も組織しています。

注意:一般的には、同郷であれば同じ母語集団と見なしてよいが、必ずしも同郷皆同言語とまではいえない。
尚当サイトでは時々強調していますが、母語は母国語と似て非なるものであり、国とは直接関係ありません。

この同じことばを話す人たちを言語名に関連つけて集合的に呼びます、それが福建人、客家人、広東人、潮洲人、海南人、広西人などのことです。マレーシアではこの何々人のグループのうち、主要グループを7大郷団というそうです。そしてこの何々人の組織(郷団)はそれぞれ州と地方に翼下組織があり、それがまとまって福建社団連合会、広東会館連合総会、潮洲公会連合会、海南会館連合会、広西総会、客家公会連合会、三江総会という7大郷団の全国団体を組織しています。 

注:中国人社会はこの漢語に属する諸言語を、言語学的分類を無視して、伝統的に”方言”と呼び慣わしてきました、その影響を受けた(中国大陸外の)華人社会もその呼称に固執しています。それは、極めて政治的狙いが強く且つ中華思想の影響を受けているからです。なぜ彼らがそう呼ぶのかを、ずっと以前の第122回と123回のコラムで詳しく解説しましたので、それをお読みください。

後注:三江 とは、江蘇省、江西省、浙江省 の人を言う。上海人と近い関係にあるそうです。


マレーシの華人界に現在も続くこの(漢語に属する)複数の言語グループは、主として19世紀から20世紀前半にかけてマレーシア(当時はマラヤとボルネ島)にやって来た華人の先祖の出身地と緊密に結びついています。18世紀以前にやって来た数は、19世紀以降に比すればずっと少ない。例えば、その先祖が福建省出身なら大多数が福建人と分類され、広東省出身なら大多数が広東人になります、しかしあくまでも大多数であり全員ではありません。客家人の居住と出身は中国大陸のいくつかの省にまたがっていますし、潮洲人は広東省出身が多いようです。

何々人という自覚

さてマレーシア華人社会には上で解説したように、主要な言語別に7つの言語グループがあります。そのうち、4つの多数派が、福建人(160万人)、客家人(120万人)、広東人(100万人)、潮洲人(60万人)、続いて3つの少数派、海南人、広西人、San Kiang(三江)人。かっこ内の数字はそれぞれの言語団体がなどが推定している単なる推測の数字です、というのは現在では全国の華人を何々人に分類する調査結果は発表されていないので、正確な数はもう得られません。だからこういう分野に詳しい華語紙の記事でも書き手によって 広東人の方が客家人より多いとしている場合も見かけたことがあります。

この何々人と分ける際の基準は、上に書いたように先祖が何々人であったつまり祖先の籍(祖籍という)によればが福建人であり広東人であるということです。だから現代マレーシア華人が、「自分は広東人」 と言う時は、その人の数代前の先祖が広東人だということです、中にはこういうアイデンティティーを好まない華人もいますし、ほとんど気にしない華人も少なくありません、一方非常に大事にする人も結構いるようです。

自分の母語である漢語諸語を話すだけでなく共通のことばも話す

さらに例えば、客家人だから客家語だけを話すかといえば、そういう例は地方に住む老年世代を別にすれば珍しく、通常はその華人が主として生まれ育った地方の華人界の共通言語を多かれ少なかれ話します。例えば、シンガポール華人界の影響が強いジョーホール州の華人は日常的に華語ばかりを話すし、福建人が多数派を占めるペナンであれば、福建人でなくても福建語を話すのが普通です。下記注を参照のこと。客家人が州内華人の多数派を占めるサバ州の、特にコタキナバル、華人界では客家語が主流(のはず)です。

注:サバ州の華人コミュニティーの特徴
ボルネオに中国からの初の移民が到着したのはすでに16世紀でしたが、中国人のサバへの移民がぐっと増えたのはNorth Borneo Chartered Company の設立である1881年以降です。19世紀末サバに移住してきた中国人は7000人ほどでした、それが1911年には28000人近くに増えました。そして第二次世界大戦前には6万人に増えました。
中国人はその数がサバにおいて比較的小数であったにも関わらず発展において大きな役割を果たしました。
サバ州の華人コミュニティーは半島部の華人コミュニティーに比べてユニークです。その点をあげれば:
この注はマラヤ大学で歴史を講義するWong Tze-Ken氏が2002年4月1日付けStar紙に書いた記事から訳出しました。


これを分りやすく示した例を取り上げておきます。半島部の南部、ジョーホール州とマラッカ州はそのシンガポールとの地理的近さから、シンガポールの影響を免れられません。ここでは華人コミュニティーに限れば、圧倒的に華人の多い社会であるシンガポール社会から広い意味での文化的影響を受けてきました。その例がテレビラジオの視聴傾向です。マレーシアテレビの公営局と民営局は、90年代以降は華語・広東語番組放送が増えたとはいえ局当り1日3時間ほどの放送時間です。これに比してシンガポール華語放送局は朝から晩まで華語放送を流していますから、地理的近接からジョーホール州とマラッカ州南部ではそのシンガポールテレビ番組が映ります。そこで華人コミュニティーは無料で映るそのテレビの視聴に傾いてきたのです。

注:2002年7月21日付け星洲日報の「好きなテレビ・ラジオ番組」 という記事から抜粋翻訳
現代ではジョーホール州とマラッカ州の華人の若い世代は、シンガポールテレビ局とラジオ局を視聴しながら育ってきたとも言えます。彼らはシンガポール制作テレビを見られますから、少しづつシンガポールテレビ市場に向かって行ったのです。90年代以前でもシンガポールの国営ラジオの3局の様々な放送を聞けました、そしてこの5年ほどマレーシアの民放ラジオの華語・広東語局である2つの局の参入で、ラジオ番組は百花繚乱状態です。華語のテレビ番組においては、ジョーホール州とマラッカ州華人は、70年代以降様々な内容のシンガポールテレビ番組をみることができました、これは香港テレビドラマと娯楽番組しか見る機会のなかったマレーシア国内の他の地方とは違う点です。(Intraasia注:マレーシアテレビ局が、中文番組として香港から輸入した広東語番組に偏重していたことを揶揄している)。

こうしてシンガポールのラジオ・テレビの影響の下、ジョーホール州とマラッカ州華人コミュニティーでは華語が普及し始めました。80年代以降シンガポール政府が、”華語を話そう”運動を開始し、シンガポールのマスメディアは強力にそれを進めました。その結果シンガポール華人の”方言”しゃべりの慣習を変えただけでなく、例えばジョーホールバルのような潮州人コミュニティーにも影響を与え、コミュニケーションに用いる言語がゆっくりと潮州語から華語へと替わっていったのです。華語を話し華語の番組を見る習慣は、相互関係にあります。30数年来華語番組に慣れてきたことから、現代のジョーホール州とマラッカ州の華人は、華人のためのテレビ番組は広東語を用いないとだめだ、さもなければ娯楽性と軽妙さを表現できない、という誤った観念を持っている他の地方の華人とは違います。

Intraasia注:この記事の書き手は典型的な華語権威論者のようで、”方言”を卑下する思考がこの記事に見え隠れしています。華人コミュニティーには、華語は正当で権威あることばであり、その他の漢語諸語は”方言”であるから用いるのを減らすべきだという、華語権威論者がよくいます。言語そのものが劣ったことばとか権威を持ったことばなどという性格を持っているわけではありません、政治的にあることばを正式な中央のことばと決めればそのことばが権威を持つだけである、ということに無知な人がよくこういう発想に陥ります。

クアラルンプールでは広東語の流通度が高い

こうした中で、広東語が華人界の日常生活における共通語並になっている首都クアラルンプールとその周辺では、非広東人の華人でも、好むと好まずに関わらず多少なりとも広東語を話すわけです。このため全国華人社会で決して第一でも第二グループでもない広東人ですが、その言語である広東語が民放中文ラジオでは華語に匹敵するほど頻繁に使われるほど、華人の大衆生活と商業面では強い通用力を持っています。

注:民放華語・広東語ラジオ局は半島部に2局あり、どちらもほぼ華語と広東語の番組を半々ぐらいに放送している。福建語、客家語、潮州語などの放送はほぼゼロに近い。公営放送RTMには全国放送している華語局の第5局があり、福建語、広東語、潮州語などで放送する10分程度の定時ニュース番組を除いて、すべて華語放送です。

さらに広東語の本場である香港の歌謡と映画・テレビ番組がマレーシアの華人社会一般にたいへん人気あることも、広東語流通に貢献する大きな要因です。芸能界・人の人気の高さ、影響力は決して無視できないのです。こうしたことから、広東語の通用力は多分にその経済価値と娯楽面にあり、”正式な言語”である華語とは使い分けられるのが普通です。つまり公的な会合や集会ではもっぱら、そして中文教育界では全て華語が用いられます。
尚英語指向の極めて高い一部華人グループの中には、広東語のような”方言”を嫌う、見下す人もいます。

注:広東語は経済価値があると上で書きましたが、それは他の”方言”である客家語や福建語などに比してということです。”公式言語“である華語は当然広東語以上にあります。だから華語新聞はどの新聞も数々の公告で埋まっているし、民放テレビも華語番組や華語コマーシャルをよく流している。華語広告も華語コマーシャルも、対象者がある程度の華語を理解すればいい訳であり、何も高度の華語能力を必要としないので、全国の華人に満遍なく届くという利点があります。華人コミュニティーの他民族に比しての豊かさを如実に示すのは、華語新聞はマレーシア語新聞より5倍以上くらい広告が多いという事実ですね。


華語以外はすべて”方言”との認識

華人社会における何々人の分布は州境に従っているわけではありませんから、ある州では福建語が主流だとか広東語が主流だとかの傾向はあっても、州内の華人コミュニティーの全部に当てはまることはありません。例をあげれば、スランゴール州のペタリンジャヤではクアラルンプールに隣接していることあって広東語が主流ですが、同州のクランへ行くとそこはもう福建語の社会です。サラワク州のSibuとその周辺では、マレーシアで最大の純粋な福州人コミュニティーがあり、珍しい福州華人が他の言語集団華人を圧倒しています。

福建語、広東語、客家語のような言語は、マレーシアでは口語としてのみ話されて存在しています。福建人多数派社会の台湾では福建語の書記が行われているそうですし、香港では広東語は書記言語としても存在するのと対照的です。そこでマレーシア華人社会では華語が漢語の中での唯一の書記言語であり、それゆえ教育に用いられる”正当性”を兼ね備えた言語です。書記体を持たない、学校教育で使われない他の漢語(福建語、広東語、客家語など)は、単なる”方言”であり、“正当性”では華語にはるかに劣るとの理解です。しかし、だからといってシンガポールのように、”方言”を話すのを止めて華語を話そう、というふざけた官製のキャンペーンが起らないのはマレーシア華人コミュニティーの誇る点ですね。

注:このことが関連コラムで述べた、マレーシアにおける華語教育を考える大きな鍵の一つなのです。自分たちの話す母語を”方言”と呼び見下させられていることに、ほとんどの華人は気付いてはいません。


華語も漢語の中の一言語にすぎませんが、伝統的に中国の書記体として用いられてきたことと、中国の国語(普通語と呼ぶ)であることから、華語が他の漢語諸語を圧倒して、唯一且つ最高の地位を占めているわけです。

注:漢語とは漢民族の言葉の意味が強い。中国は漢民族が大多数派を占めるが、公式にもその他の民族は60族ほどある。尚華語イコール北京語ではない。華語は北京官話を基にして整えられた言語でその歴史は漢語の歴史の中ではごく新しいともいえる。日本の高校で習う漢文は、現代の華語ではない、日本人にとっての古文と同じようなものです。


自動車の運転が上手だからといって自動車工学に通じていることにはならない

マレーシアの華人とここで述べたような話題について話しても、大多数の人は言語学的面についてはほとんど知りません。無理もない、こういうことは学校で教えないし、さらに言語学のような人文科学はマレーシアでは極めて人気ないし冷遇されているからでしょう。例えば福建語と潮洲語は言語学上は同一下位グループに属する近い兄弟語ですが、一般華人は互いに”別の方言”と認識しています。まあ彼らにとってそんなことはどうでもいいことなので、詳しく説明するのも無駄になってしまいますから、私もあえて彼らに説得するようなことはしません。

例をあげれば、ある人が自動車の運転がたいへん上手にできるからといって、自動車の構造と自動車工学の知識に長けていることとは全く関連がないことと同じで、ある人にとって”XYZ”ということばが母語だからといて、そのことばの言語学的知識とそのことばに帯びさせられた政治的意味合いに通じている必要性はまったくないということです。しかしある分野に疎い者がナンと言おうと思うおうと、学問の成果は尊ぶべきであり、間違った戯れ言を私は認めることはできませんし、ここで書くわけにもいきません。



マレーシア華人コミュニティーにおける華語教育と華語への愛着度を探る−前編−


出身地毎の集団作りを大事にした中国人移住者

19世紀初期頃からマラヤ半島とボルネオ島部に渡ってきたまたは移住してきた当時の中国人は出身地域と母語に基づく集団を形成し、その庇護のもとで暮らし職に就きまたは商売していました。

注:マラヤ半島には19世紀以前にも中国人は渡ってきており、その代表的存在がマラッカ次いでペナンのババ・ニョニャ(Baba Nyonya)コミュニティーですが、ここでは歴史解説が目的ではないので、それには触れません。

注:母語と母国語は似て非なるものです。世界では、この2つの言葉が違う人は、同一である人と同じ位かむしろ多いくらいではないだろうか。

それぞれの郷土集団(言語グループ)が出来あがるにつれて、英国植民地とスルタン制の枠組みの中で、中国人社会は独自に自治権を付されており、その長をKapitanCinaカピタンチナと呼んでいました(19世紀のクアラルンプールのYap Ah Loyが有名)。当時から中国人社会は教育に熱心であり、郷土集団(言語グループ)が独自に学校を建設して運営していたわけです。こうせざるをえないのは国からの保護も資金の提供もないからであり、中国人コミュニティーを維持発展させていくためには当然の選択でもありました。

ここでこういった中国人コミュニティーの発展ぶりと自治の様子を伝える例を次ぎにあげましょう。

ジョーホール州の潮州人コミュニティー

以下は記事
ジョーホール州華人コミュニティーでは潮州人コミュニティーが最大グループだったそうです。潮州人は州内のコショウと(医薬品・染料・製革に用いる)ガンビールの農園で働く労働者として、まず19世紀に中国からもたらされた、と中国からの各民族研究者で南方カレッジの講師であるOnn huann Jan氏は説明しています。2001年にジョーホール州の11の潮州人の協会から調査を依託されたOnn氏は語る、「潮州人はかつてジョーホール州の最大言語グループでした。彼らは多くのユニークな伝統、価値観を持っています。」 

ジョーホール州の潮州人グループはkangchu システム(港主制度と中文で書く)の導入に源をたどれます。このシステムのよって州内のコショウ(胡椒)とガンビール(甘密)の19世紀の栽培が開始されたのです。kangchu はマレー支配者からコショウとガンビール栽培のための書式の許可証を得た人々のことを指します。Kangchuは税を徴収し、法と秩序に責任を持つ事も許されました。そのKangchuの半数は潮州人だったのです。 その中に潮州人秘密結社があり、それがジョーホール州スルタンの公認の下で1919年まで華人コミュニティーを治めたのです。 もちろんすべての潮州人が豊かであったわけではありません。多くのクーリー(肉体労働者)が存在していました。中国から契約で連れてこられたクーリーは、過酷な状況の中でジャングルを切り開いて農園を建設したのです、その過程で多くの死亡者が発生しています。

Kangchu時代が終ると潮州人の経済的優位性は落ち始めました、それは彼らが不動産を将来の繁栄に結びつけられなかったことが大きな原因だそうです。文化面で潮州人は非常に重要視し、中国劇、芸術に関わりました。潮州人による文化公演は州内では寺院の集まり時と中国正月時期には一般的に行われます。
以上は2002年5月26日Star紙の記事を訳したもの。尚kangchu システムは港主制度と中文で表記し、コショウは胡椒、ガンビールは甘密と表記する。

海外中国人といえど中国本土の影響は強く受けた

さて時代は進み20世紀にはいり、新にマラヤ、ボルネオ島に渡ってくる中国人は増えますが、一方それまでに移住した中国人社会も2代目、3代目が増えてきます。それにともなってて中国人社会内での融合も起きます。次第に中国人社会での共通語の必要性が生まれてき、その時中国大陸に起った革命の影響で、清王朝は倒れ中華民国の成立、政治の中心は北京に移り、中国の公的な言語に北京で使われることばがより力をもつことになります。こうして北京官話はそれまでの伝統的書記言語として以上により中国社会で主流になったわけです。海外の中国人・華僑社会といえども中国の変革の影響は強く受けます。書記言語として且つ中国の中心地の言語としての北京官話は影響力をより加えていきます。

マラヤ連邦の独立で中国人から華人への変化

1941年末に旧日本軍がマラヤとボルネオを攻撃占領して、英国殖民政府は一時撤退して、旧日本軍が軍政を敷きます。敗戦によって約4年間の旧日本軍支配は終り、また英国政府がマラヤの地に戻ってきて、植民地支配を再開します。旧日本軍によって一時閉鎖された・抑えつけられた華人の学校は存続しており、やがて1957年マラヤ連邦の独立によって、中国人は華人と変化していきます。なぜならマラヤ連邦政府の方針で、それまで中国籍を保持していた中国人のマラヤ連邦国民化を一挙に計ったからです。この結果、正確な数は知りませんが、確か100万人近い中国籍中国人がマラヤ籍を得たのです。
この措置で華僑であった中国人は華裔となります。つまり法的身分がマラヤ連邦国民となったわけで、もう華僑ではありません。

注:マレーシアで華語マスコミ、華語教育機間はマレーシア華人を”華裔”と書記上で自称します。これが一番ふさわしい呼称ですが、”華裔”ということばは日本語ではありませんので、この意味あいに一番近い華人という言葉を使います。華人という単語もマレーシア華人界ではたいへんよく用いられる単語です。尚中国人という言葉は、間違いとまでは言いませんが、マレーシア社会を描写する観点から言っても不正確です。マレーシアの華語マスコミ界、華語教育界では、中国人は中国大陸さらに時に台湾も含めての人間を指す、または世界の漢民族という意味合いで使う。
もちろんこういうことに鈍感で、自身を中国人と呼ぶマレーシア華人もいないとはいいません。

注:この時点ではまだマレーシアは存在していません。サバとサラワクさらにシンガポールを加えたマレーシアの成立は1963年9月です。シンガポールは1965年8月マレーシアから離脱する。


漢語(中文)教育には昔から力を入れてきた

こういった歴史的経緯の中で、中国人コミュニティーそしてその後を継ぐ華人コミュニティーは、民族としてのアイデンティティとして漢語(中国語)諸語を話し且つ子供の教育として中文教育に力を注いできたのです。しかしこういうあり方はその土地の先住民族や為政者から反感を生む場合も出てきます。反感まではいかなくても批判的に見る者もでてくるでしょう。世界のいろんな土地でのあり方を見ると、その土地に移住してきた民族が土地の先住民族より圧倒的に少数または弱小経済的力しか持っていなければ、先住民族に脅威も影響も大して与えないので、移住民族が独自に民族語教育などしてもほとんど問題とはみなされないでしょう。しかし移住民族が先住民族に匹敵する人数または経済的力を持てば、当然先住民族から批判的反応または反発を受けますね。

マラヤ連邦の中国人コミュニティー、後には華人コミュニティーは、マレー人コミュニティーに対して数の面ではとても軽視できない多さであり、経済面ではむしろ凌駕するほどの存在でした。マラヤ連邦が独立した1957年当時は、マラヤ連邦国民の3人に1人強は華人だったのです。つまり華人の比率は現在よりずっと高かった。しかしその後マレー人の人口増加率の高さなどの理由から華人人口比はだんだんと下がって行きます。

注:1957年の総人口628万人中、マレー人中心のブミプトラが312万人(50%)、華人が233万人(37%)、インド人が69万人(11%)とその他でした。1970年時点でも半島部だけでは、マレー人 53%、華人 35%、 インド人 10%であった。これらの出典は統計庁の数字を孫引用。

注:漢語とは一般に言う中国語のことだが、言語学的にはこの呼称が一番正しい。漢語には、北京語や福建語や広東語などいくつかの兄弟言語が属する。マレーシアではこれら福建語や広東語を”方言”と呼び見下しているが、その理由が極めて政治的であることを、コラム第122回の「マレーシアにおける中国語と「方言」の作られ方」 で説明しています。


当時の為政者の言語教育の展望

マラヤ連邦は独立前からその言語政策も模索していたように、筆者には思えます。例えばEducation Ordinance 1952という法令の解説をあげてみます。

1952年の教育法令では民族語による教育する権利の面はあまり注目されていなかった。教育する時の媒介言語として母語を使う学校を”民族学校”と分類しています。この法令(Education Ordinance 1952)の2条で、民族小学校とは、国民学校でなく、且つ教育に使う主要媒介言語に民族の言語を使う学校である、と定義されている。


もう一つの例として、有名なラザックリポート(Razak Report 1956)から抜粋します。

わが国における教育政策の最終的目標は、一つの国家教育システムの下であらゆる民族の子供たちをいっしょに(教育)しなければならないということだと我々は固く信じている。そこでは国語が教育に用いる主言語である、しかしこのゴールに向かって行くことは慌ててはいけない、徐々にしなければならないことも、我々は認識している。

これは後の1970年に第2代首相に就任するアブドゥル・ラザックが、当時のマラヤ連邦の中期的教育制度を展望して調査報告したもので、そこではこのうように国語つまりマレーシア語が教育における唯一の媒介言語となるという目標が述べられています。

初等中等教育面に現れた1969年以降の大きな変化

華人コミュニティーは1963年9月のマレーシア成立以後も独自の華語教育運動を進めていきます。こうして問題の1969年5月を迎えます。この5月暴動以後、マレーシアの政治地図と勢力関係は大きく変わります。アブドゥル・ラーマン内閣を引き継いだラザック内閣はブミプトラ政策を前面に打ち出し、その政策の一環として国語マレーシア語の一層の国語化を図ります。数年をかけて徐々にですが、英語を媒介言語にしたいわゆる英語学校をマレーシア語教育の小・中学校に衣替えさせ、結果として英語で教える学校は80年以降はなくなりました。同様に、華語教育の華語中学校も次ぎに述べるようにマレーシア語教育の学校に転換させていきました。

注:ブミプトラ政策は、1971年から実施された新経済政策NEPの中で、最も重大な政策として実施される

この変化の中で、華語教育の華語小学校はそのまま存在し続けますが、中学校でも華語教育していた華語中学校は、マレーシア語教育の国民中学校に全面的に転換させられました。尚マラヤ連邦の独立当時、華語中学校は全国で80校近くあったそうです。変換の道を選ばなかった中学校はその時点で独立中華中学校として、マレーシア政府からの補助を全く受けない完全な私立の学校としての存在になりました。尚独立中華中学(華文独立中学)を卒業しても、そのままではマレーシアの公立大学には入学できません、それは独立中華学校が統一して行う試験は教育省から認定を得られないからです。現在独立中華中学校(華文独立中学)は全国に60校存在します。尚インド人界はこういった独立した中学校は持っていない。

こうして現在でも依然として、全国の小学校はマレーシア語教育の国民小学校と華語教育の国民型華文小学校とタミール語教育の国民型タミール語小学校に分かれて共存しています。インド人生徒がほどんと全てを占める国民型タミール語小学校と違って、華文小学校はマレー人とインド人の生徒をわずかに含んでいます。2000年ごろで全体生徒数の5%程度です。

注:国民小学校も国民型小学校も教育省の決めたカリキュラムに従って教育するので、公教育の中の初等教育を担っていますが、違う点は国民学校はすべて政府の補助があり、国民型小学校には、教師は公務員で国から給料を受けるが、学校運営に対して政府からの補助がごく限られているということです。


1968年から2000年までの各小学校の変化 (董教総提供の数字)

1968年
2000年
32年間の増減数

学校数生徒数%学校数生徒数%学校数生徒数
国民小学校2,770666,38956 5,407 2,218,74776 + 2,637 + 1,552,358
国民型華文小学校1,332434,91437 1,284 622,82021 - 48 + 187,906
国民型タ語小学校 67081,428
526 90,280
- 144 + 8,852
合計4,7721,182,731
7,2172,931,847
2,4451,749,116

注:小学校の呼び名に用いられている”華文”という単語は”華語”と同意味と捉えてよい。もっと普遍的な単語としては”中文”という単語がある。表で、国民型タ語小学校を国民型タミール語小学校の略としたのは、単にスペースの関係からです。


中編に続く



評論家という肩書きを持つ人が極めて少ない国


日本は放送と出版の両分野においてマスコミ活動がものすごく盛んな国ですから、それを反映した様々な現象、出来事が生まれてきますね。その具体的な一つに、マスコミに生きる又はマスコミを利用して生活する人がまことたくさん存在することです。テレビで主として活動するお笑い芸人や、ワイドショーの司会陣、テレビのアナウンサーとラジオのアナウンサー兼DJなどはその花形ですよね。

日本ではあまたいる評論家

このマスコミで活躍する職業の一つに、何々評論家という職業があります。思いつくままにあげて見ましょう。スポーツ面では野球評論家、サッカー評論家、相撲評論家、娯楽面では芸能評論家、映画評論家、テレビ評論家、ジャズ評論家、歌舞伎評論家、落語評論家など、政治経済面なら政治評論家、経済評論家、金融評論家、軍事評論家、国際政治評論家、株式評論家、投資評論家など、文化面なら美術評論家、クラシック音楽評論家、芸術評論家、文芸評論家などです。その他評論家はまだまだ種類たくさんありますよね、家事評論家、服飾評論家、生活評論家、医事評論家、園芸評論家、釣り評論家、パソコン評論家、福祉評論家などなど。他にもまだまだあることでしょう。中には海外生活評論家などという肩書きがありますが、そんなのに限ってごく少ない国の知識と経験しかない人間が知ったかぶりで書いていますね。ところでホームページ評論家というのも生まれたのでしょうか?

日本ではまことたくさんの分野で且つ大勢の評論家又は評論家もどきがマスコミに登場しています。これらの評論家の圧倒的多数派は、ある組織つまり会社にに属するのでなく独立した個人事業主でしょうから、それだけ多くの評論家を養うだけのマスコミ活動が日本では盛んであるという、逆の証明にもなっていますね。

イスラム教評論家は存在しえない

翻ってマレーシアのマスコミ界を眺めてみましょう。結論を先に言えば、評論家という職業が成立するのは、ものすごく限られた分野であり且つものすごく限られた数だとはっきり言えます。マレーシアで見かける肩書きで評論家といえるのは、広い意味での政治評論家でしょう、ただ数はすごく少ないはずです。例えば、政治評論を主として新聞や書籍に書いて発表したり講演したりしている、それなりに知られたKarimLuslanのような人物はこういった評論家と言えるでしょう、彼はイスラム教にもしばしば触れているようです。

イスラム国家だからイスラム教評論家というのがあるのだろうと思われるでしょうが、そういう肩書きは見かけた記憶がありません。真の意味でイスラム教を評論するという行為はありえません、なぜならイスラム教を批判することは絶対にできないからです。いうまでもなく評論には批判するという行為が含まれますよね。その替わり、イスラム教の教義を解説したりムスリムのあるべき姿を説いたり、イスラム教の観点から視聴者に答えるようなテレビ番組はあります。そういう番組の出演者は、イスラム教学者、イスラム庁の高官、大学のイスラム学専門の教授、有名モスクの高位のImamなどのイスラム教関係者ばかりで、時にイスラム教に知識の深い政治家も出演するようです。

経済評論家という肩書きにもお目にかかりませんね。経済・金融に関して発言して、新聞などに名前が載るのは、経済研究機間や銀行の経済・金融分析専門家、証券会社のアナリスト、などといった組織に属する専門家ばかりです。さらに大学の学者ももちろんいますが、個人事業主として経済評論一本で食べている人は果たしているのでしょうか?

スポーツ評論家も芸能評論家もいない

プロスポーツの貧弱なマレーシアで、果たして評論家という職業が成り立つであろうか? マレーシアのほぼ唯一のプロスポーツはサッカーですが、どうみても国民的スポーツとは言えません。そのためでもあるからか、サッカー評論で生計は成り立たないでしょう。新聞社なり雑誌社などに属するまたは社外契約記者ぐらいしかありえないといえます。テレビや新聞にはスポーツ担当の記者がもちろんいますし、テレビニュースの一部としてスポーツ番組案内するアナウンサーはいますが、独立してスポーツ評論家になるという下地はマレーシアにはないでしょう。

芸能活動のマスコミ上での盛んさは圧倒的にマレー芸能界に偏っています。華人歌手や華人作曲家、華人俳優はもちろん存在しますが、マレーシアの華人芸能界は極めて規模が小さく、華やかさの少ない世界なので、それを主対象として評論しても生活はできませんね。華語紙には芸能記者がいますが、もちろん評論活動などしていません。

マレー芸能界は対象がマレー人に相当偏っているとはいえ国最大の華やかな世界なので、マレー芸能雑誌は数あるし、マレーシア語紙では必ずマレー芸能界情報を伝えています。従って、マレー芸能評論家という肩書きはなくても、それに類するマレー芸能界の評論を雑誌や新聞に書いているフリーランスライターはいますね。でも彼らがテレビでマレー芸能ニュースを語るなどということはないはずです。基本的に芸能ニュースを専門に伝えるような番組は存在しないからです。

マレーシアのテレビ・ラジオ放送界が、極めて官製的な公営放送は当然として、権威主義的発想を感じさせ自由な発言を制限している以上、そこで製作される番組はそれを反映したものになります。おふざけどは極めて少ないし、宗教と民族を筆頭に好き勝手に政治や芸能や社会を評するなどということは、到底できません(そうぜざるを得ない国内事情もある程度は理解する必要がありますよ)。従ってそういうことをいわば持ち味とする評論家というような職業は生まれてこない、または例え数少なくあっても放送マスコミに出る機会はまず生まれてこないでしょう。

料理研究家はいても料理評論家は生まれない

趣味の分野、例えば釣り、旅行、園芸、魚飼育、料理、ファッションなどの雑誌は各種発行されています(といっても日本とは比べるという段階以前の段階であり、マレーシア国内出版は貧弱です)。だからそういう雑誌に契約ライターとして専門分野の記事を書いている人たちは結構いますが、彼らはライターであって評論家ではないです。だから釣り、旅行、園芸、魚飼育、料理、評論家などという職業は極めて極めて生まれにくいのです。ファッション評論家はいるはずですが、出版メディア専門でしょう。

テレビでは料理番組があるので、料理評論家が出演と思いきやそうではありません。有名なShef Wanみたいな知られた料理研究家が出演するのが一般的でしょう。彼ら彼女たちは、自身で料理の仕方本も出版していますが、料理自体の評論を書いているわけではないのです。各地の有名な料理を紹介する、グルメの高級レストランを紹介する、芸能人が食べ歩きする、そういったようなテレビ番組はマレーシアには存在しません。よって料理やレストラン自体の評論活動はものすごく生まれにくいのです。

3大言語に分かれたメディア事情も原因の一つ

趣味の分野と芸能分野は特にそうですが、マレーシア語、英語、華語に3大別された印刷メディアのために、どの言語の雑誌にでも書く、評論するというライターは極めて例外的でしょう。民族によって嗜好が違うということもあって、どうしても1言語専門評論になる率が多いはずです。テレビ番組になれば、この傾向はさらに高くなる。こうしたことも、ある分野に限ってはオールランドに活躍するような評論家を生み出しにくい理由の一つです。

このようにマレーシアの放送と印刷の両メディアの状況と制約から、今後もマレーシアで評論家が増えていく、新に新分野で生まれてくるということはあまり考えられません。評論家が掃いて捨てるほどいるであろう日本とは随分違うということが、おわかりになっていただけたでしょうか?
こういったコラムを書いた契機に、筆者は”マレーシア評論家”と自称しようかな(笑)。あっ、でも個人事業主として存在し得ないので、無駄な出費になる名刺は作りません。



自動車のナンバープレート番号は金力と権力を暗示する


マレーシア人は富みと権力をできるだけ顕示しようとする国民です。”控えめ”などという発想と態度はまったく受けませんし、好みません。従って与党政治家、国、州、地方自治体の高級官僚、大中小に関わらず企業経営者、はその富みと力をいかに人に見せつけるかに注意を払うのです。言語に関わらず各新聞はこういった人たちの写真と記事が毎日あふれています。どういうことかというと、私的と公的会合などと、各種催し物には必ずといっていいほど有力政治家もしくは高級官僚を招待し、その招待された人の写真と記事が本来の催しや会合などと同じぐらいの重要度を持って報じられるのです。

あほらしい例に次ぎのようなのがあります。官公の機関や民間の会社が、そのホームページを製作して公開発表する際に、なんとわざわざ有力政治家を呼んで式を催し、それをまた印刷メディア特に新聞が報道するのです。ホームページを公開する方はマスコミで扱われるべく政治家を呼ぶのであり、政治家はそれを利用してマスコミに登場することを期待するのでしょう。それがわかっていながら、こういうただの内輪の私事を新聞の紙面でニュースとして報道する、マレーシアジャーナリズムの残念な姿勢ですね。

Putrajayaが連邦領になった記念の車登録番号

さてこういう予備知識を頭にいれていただいてから、本題である自動車のナンバープレート(登録番号)の話題に移ります。
近い将来の行政首都であるPutrajayaで初の自動車登録番号の登録が開始されています。PutrajayaとはクアラルンプールとKLIA空港の中間に位置する人工都市で、すでに首相官邸を含めていくつかの官庁が移転しました。これに伴って、スランゴール州から分離して、連邦直轄領になったのです。でそこで道路交通庁がプトラジャヤ登録の自動車番号を開始すると先月発表し、今月はその登録入札!期間です。

注:この一文をゲストブックに書いたのは2001年中頃の時点なので、こういった表現のままにしておきます。


マレーシアは各州毎に自動車の登録番号の頭英文字が決められており、クアラルンプールなら”W”ですね。記号は小さい州は2文字で、大きな州は3文字で、続いて4桁の数字です。例:WED 1357

さて今回プトラジャヤで登録開始されるのは”PUTRAJAYA 数字”という形です。そこでこの数字が上記の権力者と金権者を引きつけるのです、なぜなら次に書くような数字は、単に縁起が良いというだけでなく、金力を示すからです。1から9999までの数字に対して、今月中はその入札期間です。入札できる資格はPutrajayaに住んでいるか、働いているかです。それを証明するのは水道や電気の請求書など住所証明する書類を提示すればいいので、要するに親戚、友人、知人がそのどちらかに当てはまれば、住んでいなくても働いていなくても、番号の入札と取得はできるそうです。ですから登録部の責任者によれば、自動車番号に多大の興味を示すマレーシア人からの反応は上々だそうです。

自動車登録番号の取得は入札制

道路交通庁は9999種ある数字の内、好まれる数字を3グループに分けています。最上位はゴールデン番号といい、1から10までの数字です。次のグループは11から19までと、22, 28, 33, 38, 55, 66, 77, 88, 99, 111, 222, 333, 555, 666, 777, 888, 999, 3333, 5555, 6666, 7777, 8888, 9999 です。
その下のグループは、20, 21, 23, 100から1000までの100の位の数字、さらに華人の好む128, 138, 168, 188, 1188, 1199, 2020, 2288, 2828, 3388, 6868, 9898, 9988 です。

注:Putrajayaでなく他の州の道路交通庁JPJで、新しい登録番号の入札のお知らせを見たとき気がついたのですが、ある種のごく少ない番号はあらかじめ入札から外されていました。つまり入札以前にすでにどこかに”行き先”が決まっているのでしょう。

さてこれらの数字を含めて、自分の取りたい番号に金額を上乗せして入札し、最高額者に数字の権利が与えられます。入札料は最低RM200ですが、上記のような数字がRM200で取得できることはありえません。何千から何万リンギットの入札が必要でしょう。以前マラッカ州で”MAT 1”がRM3万1千で落札されたそうです。行政首都の記念すべき初の登録番号だから、きっと相当高額の入札額になるでしょうね。なにせ人気大の番号の車であれば、その持ち主のステータスが明示されますからね。

番号への執心はマレーシア社会をまこと暗示する

例えば1桁の番号の車が、国産軽自動車のKancilなどということはまずありえません。それじゃ車の価格と自動車番号の入札が同じ位になってしまいます。当然ながら、人気の高い番号ほど、ベンツの高クラスのような最高級乗用車になります。数十万リンギットの車を持てる層が、数千から数万リンギットの登録番号を”買える”のです。これが富みと権力を誇示するマレーシア社会のあり方なのです。

"Putrajaua 1" は首相車に、"Putrajaya 2"は副首相車にいくであろうと予想されていますが、登録部の責任者は、資格ある人全員に公開していますと、華語新聞で語っています。華人は特にこういう数字にこだわるので、このプトラジャヤ登録番号に関する記事を大きく扱っていました。尚公開入札者は入札資格があると共に、身分証明書の番号を書かねばならないので、例えば未成年の子供の名前は使えませんね。入札番号を取得した人は、最も遅くても6ヶ月以内に実際に自動車を購入して、それに入札番号を登録申請しなければなりません。

ナンバープレートはたかが自動車の登録番号にすぎないと考えてはいけないのです。縁起担ぎ以上に金と力を誇示する大事な手段だと知って、街を走る車の姿を眺めましょう。



看護婦の白衣(制服)姿のまま通勤を考える


ずっと昔バンコクのバスで気付いたこと

1980年代前期のことである。筆者は当時バンコクに魅せられて、足げな訪問を始めていた頃です。その当時普通の市バス運賃は、たったの1バーツでしたから、その安さと町への興味から文字通り乗りまくっていた市バスの中でしばしば見かけたのが、タイでは有名なデパートRobinsonの店員・販売員です。なぜそれが分かるかって?それは彼女たちはいつもデパートの制服のまま市バスに乗って、通勤していたからです。何もRobinsonデパートだけに限らず、Sogoデパートだって、さらに有名な小売ショップ中にだって、それぞれ販売店員が制服のままバス通勤していたはずですが、どういうわけか筆者の脳裏に克明に残っているのは、Robinsonデパートの制服着た彼女たちです。タイとバンコクにまだ知識と経験の少なかった当時、デパートガールはなんで制服着て通勤するのと不思議に思ったものでした。

その後クアラルンプールのバスでも気がついた

さて時はたって、90年代初期、当時サラリーマンであった筆者はこの地クアラルンプールに住むことになりました(自分でそれを希望して入社して出向となった)。その直前から1、2度出張ベースで滞在していたのですが、筆者のいつものスタイルである市内のミニバスと路線バスに乗りまくって町と街を知るという行動を始めていました。当時はミニバスの全盛時です、客を客扱いせずに狭い車体に詰め込み、交通法規無視の横暴運転し、街を我が物顔に走っていました。ミニバスだけでなく通常の路線バスも旧型車両のオンボロバスであり、ミニバスほどではないにしても、運転は荒いし詰め込むわと、決して乗り心地よいバスではありませんでした。だからといって筆者がバス乗りをちゅうちょするようなことはありませんでしたよ。

でこの車中でしばしば目にしたのが、看護婦なのです。なぜ看護婦ってわかるかって? それは彼女たちが看護婦の制服(白衣)のまま乗っているからです。マレーシアの看護婦の制服は日本に比べれば大人しい調子の白衣とは言えますが、看護婦の制服って目立ちますから、バス乗りの中でその存在にすぐ気がついた記憶が残っています。マレーシアでは看護制服は、白基調がほとんどで、薄いピンク調又は薄い黄緑・青調も時に見かけますが、いずれもパンツルックです。スカート姿の看護婦は私立の高級病院や医院には一杯いますが、公立病院と公立医院では皆無又は皆無に近いはずですし、通常の私立クリニックでもパンツルックが多数派です。なぜ看護婦はパンツルックが多数派かは、いうまでもなくイスラム教の観点でしょう。だからマレー人看護婦の圧倒的に多い公立病院・医院はほぼ全員パンツルックだと推定します(調べに調べたわけではないので断定はしません)。

白衣にTudung姿は目立つ

でバスで見かけた看護婦はそのパンツルック白衣にTudung姿が多かったように記憶しています、というか今でも当然同じで、見かける看護婦姿は、非ムスリム看護婦を除いて、そのパンツルック白衣にTudung姿が多いです。Tudung姿といっても、通常のムスリム女性の首から両肩全体までをゆったり覆ったTudung姿でなく、首上部分にまでしっかりと巻くが肩部分には全くかからないTudung姿です。ちょうどマレーシア軍隊の女性兵士のTudung姿に似ていると、部外者には思えます、(厳密に言えば違うかも知れないが、私には同じみたいに見える)。これは女性兵士や看護婦の仕事上の性格から、動きやすさを奪わないようなTudung に力点が置かれているからなのでしょう。

注:Tudungは髪だけを覆う単なるスカーフとは違って、顔の前面だけが露出している。

看護婦をバス車中で見かけるのは、国立クアラルンプール病院や私立の大きな病院の近くを通る路線バスの車内が当然多くなりますが、それ以外の路線の車内でも昔も今も時折見かけます。彼女たちは街の医院や私立病院に勤める看護婦でしょう。

更衣室がないのだろうか?

でなぜ彼女たちは白衣のまま通勤するのだろうか?一番考えられる理由は、病院、医院に更衣室が全くない又はあっても極めて不充分なので、着替える場所がないからということでしょう。ちょっとした規模の病院なら職員用の個人私有物を収めるロッカー室(当然男女別)があるはずですが、そこが更衣室兼用にならないのだろうか、残念ながらこの疑問を解くすべがありません。小さな医院なら別に女性ロッカー室などなくても、看護婦にその気さえあれば医院内のどこかで着替えることは充分可能です。看護婦が何百人もいる大病院では、この方法はもちろん使えませんが。

注:こういうことを知るのはたいへん難しい。例えば病院で、女性職員の更衣室はないのですか?などという質問はできませんよ、いうまでもなくそんな質問をすれば変な目で見られますからね。


社会通念があげられる

そこで次ぎの理由が浮かんできます。看護婦が制服姿(白衣)のままバスで通勤しても誰もおかしく思わない、といマレーシア社会上の通念です。結論を先に言えば、基本的に筆者はこれを主たる理由と考えています。

看護婦が白衣姿でバスに乗り込んできても、または彼女たちがすでに乗っているところへ後から乗ってきた乗客が、その存在をしげしげと眺めるような光景を見た記憶がありません。つまりバス車中、さらにこの3、4年前からはLRT高架電車もバスに加わって、公共乗り物の車中で制服姿の看護婦は極めて日常的光景だと言えます。社会通念がそうであれば、看護婦は無理して病院や医院内で着替えなくてもよいことになります。特に同じ女性間でも非ムスリムには肌を見せたくない、見せるべきでないと考えているであろうムスリム女性にとっては、白衣のままで通勤するほうが都合がいいのかもしれません。都合が良いとまでは考えないが、強いて病院・医院内で着替えるまでもないだろう、白衣のまま通勤したって別に問題ないと考える看護婦が多いであろうことが、車中のこういった光景から推定できます。

社会通念として看護婦の制服(白衣)のまま通勤が自然に受けいられている以上、大中の病院で全看護婦が着替えるできるような場所を提供すべきだとか、そういった場所を設置しようというような発想も要求もまず生まれてこないですね。看護婦がその制服で通勤すれば衛生的であるべき白衣が汚染される可能性が生まれてくる、それでは医療施設としていけない、従って看護婦は制服で通勤すべきでない、という考え方を持つことは日本的思考から言えば充分ありえますが、それをマレーシアに適用するのは無理ということなのです。

看護婦の白衣だけでない制服姿

この社会通念理論を補強する事実はまだあります。看護婦の制服だけでなく、あるスーパーマーケットの制服、有名ショップの制服のままバス通勤したり、バイクの後席に乗っている女性を見かけるのは、それほど珍しいことではありません。例えばマレーシア最大の旅行代理店R社の女性社員はほとんどが、制服のまま通勤しています、バスであろうと自家用車であろうとです。大きな代理店なので従業員の数もそれなりにあるので筆者もその制服姿からすぐ認識できます。

ショッピングセンターのテナントや有名ショップ街の店の中で制服ありの店で働く女性の制服姿を、それ以外の場所で見かけることは珍しいことではありません、具体的には通勤途上の歩行やバス車中、自家用車内においてです。断っておきますが、制服ありの店や会社の女性のほとんど全員が制服のまま通勤すると主張しているのではありませんし、そういうことはありえませんが、制服のまま通勤比率は日本のそれよりはるかに高いとは言えます。日本で例えば、スーパーの社員、パート社員が、制服姿のまま通勤するとは考えづらいし会社規則上許されないでしょうが、マレーシアでは例えば地方町のスーパーの付近で、制服でバイクの後ろに乗って通勤しいる女性社員の姿を極めて普通に眺められます。

工業地帯では制服通勤は極めて普通

この制服通勤好みは販売店とか旅行会社のような対面商売の業界だけでなく、工業界にも同様に言えますね。いやその嗜好率ははるかに高いです。例えば工場地帯であるスランゴール州のシャーラムでは、多くの男女工員が制服のまま通勤しいてます。日本でも自家用、バイク通勤なら工場制服のまま通勤する場合もあるのでしょうが、マレーシアでは自家用車やバイク通勤、バス通勤、女性工員に多いバイクの後ろ座席に乗せてもらっての通勤の際、制服のまま通勤している労働者の数は半数をはるかに超えます。日系企業にお勤めの在住者なら日常見かける光景ですよね。

こういう工業地帯で操業するマレーシアの企業の大多数は、もちろん日系企業も含めて、工場送り迎えバスを運行していますが、そういうバスの座席に座っている工員はほぼ全員近くが制服姿です。会社に出勤してから着替えることを省く意識が極めて一般的であり、雇用社側もそれを当然と捉えていることがこの光景からわかります。尚他社の社員が紛れ込まないように制服で見分けるという考えも成り立つが、ごく末梢的理由ですね。

社会通念プラスα

こうしてマレーシア社会においては、制服を本来の着用場所以外でも着て通勤するということに、社会通念上の抵抗感が極めて少ないと推定できます。ここに看護婦の白衣(制服)通勤の第1の理由があると筆者は分析しています。さらに看護婦という職業の持つ社会概念上の尊敬の意味合いも多少は含まれていると思います。

冒頭に書いたバンコクのRobinsonデパートガールの制服通勤は、マレーシアと同じくタイ社会の持つ女性の制服通勤への違和感の少なさが一番の理由だったはずですが、それに加えた理由もあったのです、ちょうどマレーシアにおける看護婦の副次的理由みたいなものです。それは当時Robinsonはタイ有数のデパートであり、そこに勤めているのがちょっと自慢げに思っていたであろうデパートガールのある種の誇示意識も含まれていたはずです。尚現在もそれがあるのかはもう知りませんよ。


日本社会は極めて几帳面な世界ですから、出勤したら制服に着替え、退社時には私服に着替えなおすというのが、一般的あり方ですよね。銀行などその典型ですが、マレーシアの銀行で女性銀行員が制服着用している例はないはず、たとえあってもすごく例外的です。日本でも地方の工場勤めなどの場合では、社員が仕事着でそのまま通勤している光景はもちろんありますが、都会でこういう光景はごく少ないですよね。まして看護婦が白衣姿でバス・電車に乗って通勤する、まずありえないと思います(自家用車で通勤ならありえるかな?)。
国が違えば、社会通念も違う例を、今回は看護婦の制服通勤に取り上げてみました。尚日本滞在がごく少なくなった筆者の日本記憶にもし間違いがあれば指摘してくださいね。



マレーシア華人コミュニティーにおける華語教育と華語への愛着度を探る −中編−


前編を読んでからご覧ください。

圧倒的多数の華人は華文小学校を選ぶ

一方国民小学校に通う華人生徒は極めて少なく、国民小学校総生徒数のわずか5%以下です。この5%華人の多くは、マレー地区に居住で、通学できる範囲に華文小学校がないということだろうと推測されます。この数字が示すのは、華人は近くに華文小学校があれば、華文小学校に子供を通わせる、通わせたいという事実です。

しかしことは簡単ではありません。なぜなら都会の新興発展地つまり90年代以降ぐらいに開発された住宅地区を主として、決定的に華文小学校が不足しているからです。上記の表(前編に載せた)で華文小学校数が減っているのは、都会部でなく郡部で華人生徒数が激減したため閉鎖した学校のことを示すと推定されます。こういう話題をしょっちゅう取り上げて報道しているのは華語紙ですが、それによれば新興発展地区で華語小学校の新たな建設が認められることは珍しいのです。つまり華文小学校は新規に建設が極めて制限されています、このことは上に掲げた「1968年から2000年までの各小学校の変化」表に明らかなように、国民小学校が倍増しているにも関わらず華語小学校数は減っていますね。

注:タミール語小学校の場合も減っている点では同じですが、国民の8%弱という人口の少ないインド人が比較的多い地区はごく限られており、タミール語小学校の新規建設が話題になることはまずない。タミール語小学校の問題は別の問題を抱えています、それはタミール語小学校の7割がプランテーション農園内に存在しているということです。そのため学校運営と維持において資金的に非常に困難な状況にあるわけです。なぜなら私有地にある学校に対しては政府から部分的補助金しか受けられません、つまり学校に通う父兄に負担がかかってきます。さらにプランテーション労働者層はマレーシア労働者層の最低所得層に属するからです。


国の予算は圧倒的に国民小学校に注がれる

経済計画の教育部門に沿って小学校に配分した金額 (董教総提供の数字)

1991―95年 第6次経済計画1996−2000年 第7次経済計画

生徒数 配分額
(単位はRM千)
生徒数 配分額
(単位はRM千)
国民小学校 1,847,721 (73.01%) 1,133,076 (89.72%)2,128,227(75.30%) 1,027,167(96.54%)
国民型華語小学校583,218 (23.04%)102,726 (8.14%)595,451 (21.07%) 25,970
(2.44%)
国民型タミール語小学校99,876(3.95%) 27,042 (2.14%) 102,679 (3.63%)10,902 (1.02%)
合計2,530,815 (100%) 1,262,844 (100%) 2,826,357 (100%) 1,064,039 (100%)


この表に明らかなように、国の資金は圧倒的に国民小学校に注ぎ込まれています。華人コミュニティーは学校施設の増改築または設備向上のためにしばしば寄付金、義捐金活動を行って、資金に充てています。比較的豊かな華人コミュニティーと華人意識のなせることでしょう。インド人コミュニティーはこの両面でとても華人コミュニティーにかないません。表の現実にも関わらず華人はなぜ国民小学校を避けたいかはごくたまにその理由らしきが言及されますが、ここでは割愛します。

例えばクアラルンプールに近接したスバンジャヤ・USJ地区は華人中流階層が圧倒的に多い典型的な新興地区ですが、その華人人口が約10万人を数えるにもかかわらず、国民型華文小学校はわずか数校しかなく、決定的に不足しています。尚国民小学校は不足していないそうです。しかし華人コミュニティーの度重なる要求にも関わらず新規に国民型華文小学校の建設はいまだに認められていません。ただ政府の進めるVision学校というパイロットプロジェクト下で国内初の華語小学校が設立され、華人がそれなり子供を通わせているとのことです。こうしたことが下記のような事件が発生する遠因になっています。

注:これを数字的に示している華語新聞の記事を抜粋しておきます。
このスバンジャヤ・USJ地区を含めたPetaling Districtはスランゴール州の中で最も発展が著しい地方で、人口が毎年1割近く増加しています。華人人口比が高い地区でもあり、華人人口も毎年9%伸びています。そのため著しく華語小学校が長期に渡って不足しているのですが、ほとんど新校の建設が認められていません。Petaling District発展華語小学校工委員会の調査によれば、域内の華語小学校16校に通う児童数は32000名です(その内96%が華人)。2006年には生徒数5万人に達すると推測されています。現在の1校当りの平均生徒数は2000人という多勢な数です。この数は全国の華語小学校平均生徒数である490名の4倍にも当ります。16校中の4校が生徒数3000人を超える巨大校です。
以上は7月28日付け星洲日報の記事より


華語小学校入学登録で父母に混乱発生

以下は記事。
ジョーホールバルのある国民型華文小学校で、小学校入学児童の事前登録をする際に混乱が起き、20人の警察予備隊が呼び込まれました。これは200人の徹夜組みを含めて600人余りの父母が詰めかけ、子供を登録しようとした際、イスなどを投げる混乱に落ちたからです。80人の教師が朝8時からの登録事務にあたりましたが、たくさんの父母が前夜6時から集まったのです。学校当局は父母に落ち着くように訴えました。この児童登録は1998年に生まれた子供を2005年入学できるようにするためのものです。

ジョーホールバル華語小学校発展会議の議長は、その地区Ulu Tiramの華語小学校が極めて限られているので混乱が起きたと説明しています。「Ulu Tiram地区には42の住宅地区がある、しかし華語小学校は唯一です。生徒数は3000人に達している。ジョーホールバルの北東部には華語小学校が非常なる不足状態です。」 「今年10Km離れたTaman Johor Jayaに華語小学校が設立されたが、その小学校でも需要にとても追いつかない。」 ジョーホールバルの北東地区と北西地区にはそれぞれ8校の華語小学校が現在あります。
以上は5月25日付けの新聞の記事から。

注:華人人口の多い都市部の住宅新興地は、首都圏であれペナンであれ華語小学校不足に見まわれています。ですからどこでも華人父母は子供をできるだけ近くの華語小学校に確実に入学させようと、数年も前から登録するのです。その際登録日前から徹夜することも珍しくなく華語新聞には時々紹介されます。このケースもなんと2005年入学の登録ですよ。


数字から見た華語教育への熱度

この例のように華人コミュニティーは華語小学校に子供を入学させることに非常に強い希望を持っていますが、その背景は必ずしも子供に華語を充分教育させたいということではないのです。その証拠に国民中学校の時点で、学習科目に華語を外す華人生徒が案外いることです。小学校の6年間習っただけでは当然華語の能力は不充分です。国民中学校は言語科目を除いてすべてマレーシア語を媒介にして授業を行い、且つマレー人も華人もインド人も一つ屋根の校舎で学ぶわけですから、華語能力が自然に身に付くようなことはありません。

注:中学校3年時の終了間際に行う全国一斉の統一試験PMR において、華文科目を試験科目に選ぶ生徒(当然ほぼ全員近くが華人でしょう)の数が、1998年の8万2千人から99年は5万7千人、2000年が6万千人に減った(数字は教育省のまとめたもの)。科目を受ける民族毎の数字は発表されていませんが、大体華人生徒の6割が華語科目を受験すると、全国華文教師連絡委員会は分析しています。

華人生徒は1学年に10万人ぐらいですから、華語を科目に受けない生徒の存在がよくわかりますね。つまり華文小学校で6年間華語を勉強してきた華人生徒で、中学入学後は華語を科目として勉強しないかあまり力をいれてない生徒が4割ぐらいいるということです。この大きな理由の一つとして、中学校で華語を教える教師の不足と一部教師の資格不足を、華語教育界は指摘しています。

これが中学6年次の最後に受ける、国立入学資格的な意味合いを持つSTPM試験での華文科目の選択になると、大激減して1999年でわずか1100人ほどです。このSTPM試験は一番難しい試験といわれている試験ですから、華語能力においても相当なる高度の学力が求められるはずです。つまりそれぐらい高度の華語能力を持って受験する華人生徒は年に1000人ちょっとという驚くべき少なさです。これに加えて、華語教育の独立中華中学校(華文独立中学)の生徒が毎年7000人前後卒業していきますから、実際はこんなに少なくはないのですが、それでも毎年中等教育段階で高度の華語能力を持って中等教育を終える華人生徒は、多く見積もっても1万人にも達しないということです。

注:独立中華中学校(華文独立中学)の生徒は毎年7000人前後卒業するが、そのうち5000人ほどが内外の高等教育機関へ進学する。例えば2000年は、台湾の大学へ700人ほど、シンガポールの大学へは500人ほど進学した。中文文化圏だけに進学するのでなく、西欧の大学・カレッジへの進学、もちろん国内のカレッジへの進学もある。

注:STPM試験は毎年受験者数が減って2000年では総受験者数4万1千名強、その内華語を試験科目に選んだ者はなんとたった597人でした。2001年は受験者総数4万人強、その内華語科目受験者は500人にしかすぎませんでした。華語教育関係者はこの現象を憂慮しているそうです。この大きな原因はSTPM試験に向けて勉学する中学6年過程における華語を教える教師の絶対的不足があると、関係者の説明です。

ただそこまで高度ではないが、中等教育の最後でもある中学校5年時の最後に受験するSPM試験の華語科目で合格成績を収めるものが数万人はいるはずですから、この数を加えたとしても4万人か多くて5万人ですね。この数字は華人人口570万から580万人のマレーシアにおいて相当少ない割合ですね。例年まあまあの程度の華語能力を持って中等教育を終える華人の割合は華人人口の1%にも満たない人数だということです。年配者で華語能力に長けた人は減っていきます(死亡)。こうして充分な華語能力を持った華人の純増加は極めて少ないことが推定されます。

華語能力を充分に高める事に熱心なグループは少数派

上で分析したことを基にして言えば、華人コミュニティー一般として、子供に華語をある程度身につけさせたいとうのは極めて自然なありかたでしょう、しかしその華語を中等教育で充分に高める、さらにその高めた華語の能力を基にして高等教育まで受けさせようという親は少数派に属します。その少数派の華人家庭で華語を充分に教育させる方策として、上記であげた独立中華中学校に入学させる方策があります。または国民中学校で学ぶ場合も華語を主科目の一つに選択して、SPM試験、STPM試験に華語を選択するような場合です。

後編に続く



マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その4


お断り:この中で2つの項目は以前「ゲストブック」に書いたものですが、多少手を加えてコラムに収録しておきます。

イスラム宗教学校

イスラムの国マレーシアには宗教学校があります。それには3種あるのです: 教育省下の宗教学校、州政府下の宗教学校、人民宗教学校(SARs すなわちsekolah agama rakyatの略)

教育省下の宗教学校、州政府下の宗教学校は一般中高校と同じレベルですので、sekolah menengah kebangsaan agama 国民中等教育宗教学校と呼ばれ、教育内容は一般の国民中高学校SMKと大体同じで、それにイスラム教育が加わります。この2種の宗教学校の運営と教員の条件はほぼ一般のSMKと同じです。

注:SMKとはsekolah menengah kebangsaanの略で、5年制プラス1年の国民中学校のことです

3番目の人民宗教学校SARs は運営を連邦政府又は州政府に完全に頼っているものと州政府に部分的に頼ってっているものに分かれます。クランタン州には72校のSARsがあり、そこで学ぶ生徒は13,000人を数えます。教育の柱は2本で、宗教教育カリキュラムとと国民学校カリキュラムです。

さて1.2年前のことですが、連邦政府がその運営を引き取ると提案したのはこのSARsで、その提案を拒否したクランタン州政府は政府とあつれきを起しています。他の州では賛意を示しているところとと口を閉ざしているところに分かれるようです。

さて宗教学校ではないが宗教教育の場が村にはあります。 pondok institutionと呼ばれる村のイスラム学校です。このpondok institutionはカンポンスタイルの建物に入っており政府から一切の援助を受けていないのです。


ボモと集団ヒステリー状態へ陥る事例に関して

Bomohボモとはマレー社会に伝統的に存在する呪術医兼祈祷師みたいな人の呼び名です。この種の 呪術医兼祈祷師は、多くの民族と国に現在でも存在し続けていますから、呼び名は違えど、本質的にその性格とあり方は同じでしょう。マレーシアでも華人社会には祈祷師がおり、そういった”師”に病気を診てもらったり、あれこれと占ってもらう人は少なからずいることは事実です。時にはその”師”に騙されたと華語新聞でニュースになるくらいです。

マレーカンポンから都会や地方の大きな町にある工場に働きに来た若い青年男女が時にamok 状態に陥り、それが回りの同僚に伝染する状態が発生することがある、と言われています。私自身はそういう状況を見た経験はありませんが、伝えられる、又は読み知った状況に拠れば、いわゆる集団ヒステリー状況に陥るようです。

これを癒すために、その地で知られたマレーBomohを呼んで祈祷してもらうという癒し策が一般的に取られているようです。なぜカンポン出身者を主体とした地方出身の青年男女に発生するかは、急激な社会環境の違いに対応できない心理状況がその一因だと言われています。確かにマレーカンポンの環境と、能率性重視と品質追求と時間管理に追われた工場環境は極端に違うので、この説には納得いくものがあります。

しかしこれだけの理由で若い女性工員がamok 状況に陥り、それが回りに伝染していくわけではないでしょう。彼女たちの持つ社会観、宗教観が影響しているはずです。これは彼女たちに限らず祈祷師に頼る人たち一般の心理に共通するものがあります。工場で集団ヒステリー状況に陥る彼女彼らはほとんどがマレー人であり(インド人が含まれるかどうかは知りません)、生まれて以来ずっとマレーカンポンで育って来た人たちが大多数だといわれています。

そこで、マレーカンポンだけでなく都市部の一部マレーコミュニティーも含んで、そういうマレー社会ではBomohが果たすであろう又は果たしている役割を信じているからこそ、集団ヒステリー状況に陥る彼女彼らにBomohが有効性を持つのです。反対に、Bomohが果たす又は果たしている役割を信じていないマレー人にはBomohは有効性を持たないでしょう。マレーBomoh は極めて民族性が高いので、華人には例えその華人が祈祷師を信じるタイプであってもマレーBomoh の有効性は限りなく薄くなるはずです。

彼女たちが育つ過程の中で養い持つに至った社会観、宗教観が影響している、この出来事に決定的な予防法と癒し策はないと、私は思います。もちろんカンポン出身のマレーヤングが皆こういう症候に陥るなどと主張しているわけでも思っているわけでもありませんよ、誤解なきように。彼女彼らの中には、こういう症状に陥る可能性がある人もいるということです。それが環境の急激変化の中で突然症候として表出したものだと、私は捉えています。ですから、可能性のある人が突然症候に陥らないように、環境変化への慣れをゆっくりと組み入れて行く予防的方策はあるでしょう、しかし上で書いたように、その予防法を取れば絶対に発生が防げるという意味での”決定的方策”はないと思います。


各州の長と州首相と行政評議会のあり方の説明

マレーシアには13の州があります。尚ここでは連邦直轄領は直接関係ないので省く。各州には州の長であるHead of State, 州行政のトップである州首相、州最高の行政責任者から構成されるつまりいわば州内閣にあたる、行政評議会があります。そして州首相はその行政評議会のメンバーであり長なのです。行政評議会の長はとはすなわち州首相のことであり、その呼び名が下の表のように2種類あります。州首相を任命するのはHead of Stateです。州首相の要件、行政評議会の人数などは各州の州憲法に定められています。尚大枠として連邦憲法でこれらのことが定めてあります、例えば行政評議会議員の数は10名以下などと。

ここでややこやしいのは、Head of State、州首相、州の行政評議会の名称が州によって違うということです。Head of State には2種類あって、世襲貴族階級であるSultanと Ynag Dipertuan Besarと Raja (of Perlis) からなる9つの州のHead of State をRuler と呼びます。この9つの州のRulerだけが国王を務めることができます。国王は5年任期で各Rulerの互選であることは、以前の「マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう」で説明しましたね。

もう1種のHead of StateはいずれもYnag Dipertua Negeri と呼ばれ、世襲制でなく原則として国王の任命で任期が何年と決まっています。この州一覧からおわかりのように、英国植民地時代の海峡植民地つまりペナン、マラッカ(それにシンガポールが加わる)と、サバ州とサラワク州には、世襲制のSultan又はそれと同等が存在しないということです。

州名Head of State州首相州首相の制限州の行政評議会
PerlisRaja (of Perlis)Menteri BesarMalay & MuslimState Exective Council
Kedah SultanMenteri BesarMalay & MuslimState Exective Council
KelantanSultanMenteri Besar
State Exective Council
TerengganuSultanMenteri Besar
State Exective Council
Pinang Ynag Dipertua NegeriChief Minister
State Exective Council
PerakSultanMenteri Besar
State Exective Council
PahangSultanMenteri Besar
State Exective Council
SelangorSultanMenteri Besar
State Exective Council
Negri SembilanYnag Dipertuan BesarMenteri BesarMalay & MuslimState Exective Council
MelakaYnag Dipertua NegeriChief Minister
State Exective Council
Johor SultanMentri Besar
State Exective Council
SabahYang Dipertua NegeriChief Minister
State Cabinet
SarawakYang Dipertua NegeriChief Minister
State Cabinet

注:読者の視的に拠れば、Dipertua は法規上は“di-Pertua”の表記になるとのこと

州首相に2種類の名前があるのは上表の通りですが、その呼び分けの理由ははっきり知りませんが、Ruler の州がMenteri Besarを取り入れている事に気がつきます。大事なことは、州のHead of Stateが州議会の議員中から行政評議会の長すなわち州首相を任命するということです。そして州行政評議会の評議員いわば州内閣のメンバーは州議会の議員の中から州首相が選んでHead of Stateが認証するという形です。州議会議員はマレーシアで唯2つ行われる住民による直接選挙によって選出されます。もう1つは国会議員選挙。

このように州首相は選挙で選ばれるのでなく、Head of Stateの任命ですが、単なる名目だけでなくそれなりに権力を持ったRuler が好き勝手に選んで州首相に任命することはないはずです、つまり州議会で多数を占めた会派・政党の意向を踏まえて州首相を任命するはずです。ですから現在連邦政府与党連合であるBarisan Nasional構成政党の党員が州首相でないのは、クランタン州とトレンガヌス州ですね。これは両州はPAS党が絶対的にも相対的にも多数政党だからです。

その他の州は全てBarisan Nasionalの構成政党が州議会で多数会派ですから、州首相はその会派政党から選出されます。マレー政党UMNO党員でない州首相が職に付いている州は現在、サラワク州とサバ州と半島部のペナン州です。ボルネオ島部は半島部と歴史的にも大きく事情が違うのでUMNO党員が州首相でないのもそれほど不思議ではないでしょう。でペナン州はといえば、各州の中で華人の州内での比率が一番高いこと、歴史的に独立以来華人が州首相をずっと占めてきたという点、州憲法に州首相はMalay & Muslimでなければならないという記述がないことなどからでしょう、華人の州首相です。具体的にはGerakan党出身です。

さてBarisa Nasional与党連合が多数派を占める州でも、当然形式上はその州のHead of State が州首相任命しますが、実質的には与党連合Barisan Nasionalの議長兼UMNOの総裁が、つまり連邦政府の長たるマハティール首相が各州首相を指名しています。その州の構成政党の希望と諸事情を組んで誰を指名するかをマハティール首相が決めるのでしょうが、時にはものすごく思いがけない指名もあるのです、例えば現スランゴール州首相の場合のようにです。具体的には、上表のRulerがHead of Stateの州とマラッカ州はUMNO党員が伝統的に州首相を勤めています。サバ州はたまにマレー人も州首相の職についてきた。この連邦政府の首相が州首相を指名し、Head of Stategaが任命するというあり方の例から見ても、連邦政府首相の権力は絶大なものがあることが感じられます。

以上マレーシアの州行政の任命とあり方は、日本の県議会と知事からなる仕組みと相当違うことがおわかりになったことでしょう。
尚こういったことに関する説明本はなかなか見つかりませので、ここで述べたことは法律書などの記述を参考とした筆者の理解とこれまでの知識を基にしました。大筋では間違いないはずですが、もし細部に間違いがあれば指摘してください。


マレーシア人はキャメロンハイランドに米人シンプソンを絡めない

読者がゲストブックに書き込まれたBOH Teaに関連した話題の中で、BOH Teaの栽培地でもあるキャメロンハイランドに触れた小説が日本で出版されたニュースを書いていらっしゃいました。私は小説類には疎いので、ほーと思いましたが、その小説ではキャメロンハイランドに関連して米国人トンプソンのことも書いているそうです。そこで筆者は今回もあることを感じました。それは、キャメロンハイランドに米人ジム・トンプソンを絡める点です。筆者は以前から不思議だなと思っているのですが、日本人はどうしてキャメロンハイランドに米人ジム・トンプソンを絡めるのが好きだろうかということです。

10年以上に渡って私は、マレーシア発・出版の様々なマスコミ、旅行資料、インターネットミニコミなどに接してきました、キャメロンハイランドに関するそういった記事、ニュース、説明の中で米人ジム・トンプソンに触れた記事類の記憶がまずありません。あったかもしれませんが、ごく例外的なことでしょう。試みに手元にあるマレーシア観光省翼下の公的組織で、マレーシア観光を内外に売り込む機間である通称Tourism Mlaysia発行又はパハン州観光部発行のキャメロンハイランドに関する英文公式パンフレット3種を再度調べて見ましたが、当然ながら米人ジム・トンプソンにはまったく触れていません。同じ外国人でも、19世紀に英国人のCameronはこの地を測量してその後のヒルリゾートの開発の基になったうんぬんの解説やBOH Tea農園の紹介の項目は当然あります。

この3種のうち、最も細かくキャメロンハイランドを説明しているのが、Tourism Mlaysia発行の”マレーシアのHIll Resort”と題する公式パンフレットですが、7ページも解説に充てていても米人ジム・トンプソンのことには全く触れていません。いうまでもなく、マレーシアのキャメロンハイランド紹介にとって米人ジム・トンプソンは全く不要且つ関係ない存在だからです。

一般マレーシア人がキャメロンハイランドを語るとき、米人ジム・トンプソンのできごとを知っている人はまず珍しいでしょう。キャメロンハイランド地元の観光業に携わるもので、日本人やタイ人や米国人との接触のためそういうことを知識として知った、知っている人は当然いるでしょうし、一部の外国人向けの観光資料の中にはジム・トンプソンに触れているのもあるかもしれませんが、一般マレーシア人の漠然としたキャメロンハイランド知識の中に米人ジム・トンプソンが含まれていることはないと断言してもいいでしょう。

私も日本での旅行雑誌とパンフレットなどにキャメロンハイランドと米人ジム・トンプソンを絡めた記述があることを見た、読んだ記憶があります。恐らく推量するに、昔日本でキャメロンハイランドを話題にした時、そういう出版物の書き手又は編集者がマレーシアからの直接発祥された情報でなく、タイ経由の情報に主として頼ったからではないでしょうか? そしてそれがいつのまにか、キャメロンハイランドとジム・トンプソンがセットであるかのように日本では広まってしまった、と推量します。そうでなければなぜ日本でキャメロンハイランドを話題にする時、しばしばジム・シンプソンを絡めるかの説明にならないのですね。タイではよく知られたタイシルクの関係から米人ジム・トンプソンは確かに多少は話題にされる人物でしょう (といって観光産業に全く関係しない一般タイ人がその名前を知ってるとは思えない)。

このようにマレーシアではほとんど話題にもされない人物が、日本語におけるキャメロンハイランドに触れた書籍、パンフレットなどにしばしば登場するのは面白い現象だと、私は感じています。



マレーシア華人コミュニティーにおける華語教育と華語への愛着度を探る−後編−


お断り:コラムの掲載内容に変化をつけるために、前編と中編とこの後編を間隔あけて掲載しましたが、3編をまとめて読んでいただければ、より理解が進むと思います。

華人社会に見られる華語能力の2分化現象

一般的にいって、華人若者の華語能力は高度な華語がこなせる層と、日常的生活に困らない程度の華語は話せても複雑な論議はできない、華語マスコミの広告や雑記事などは理解できるがそれ以上は望まない、従って華語はよく書けない難しい文章は読めないという層に2分化しています。これは上記のような教育過程によるのです。このためある程度以上の華語をこなせる層は一定割合以上に増えないわけであり、国内での華語出版物の発行数とその種類が、華人人口に比して驚くほど貧弱であり且つこれからも延びる可能性がほとんどないのは、こういったことが大きな背景と理由になっています。華語新聞の購読層を眺めるとよくわかりますが、華語新聞を読んでいる青年層を見かけることは実に少ないのです、圧倒的に中高年・成年層が中心ですね。

注:マレーシアの華語出版業界の規模は、学校で使う教科書・参考書類を除くと、年間1500万から2000万米ドルです(わずか20数億円程度にしかならない!日本でごく普通の1冊千数百円の単行本が50万部売れればそれだけですでに7、8億円はいきますね)。マレーシア全体で各種言語出版物の総種類は年約5500種、そのうち教科書と参考書類が実に7割りを占める。言語別ではマレーシア語出版物が6割、英語出版物が2割5分、華語出版物が1割、残りその他です。
で華語出版物の内、教科書と参考書類を除くと、子供向け出版がトップ、国外から版権を得た通俗小説類と料理関係書がその次を占めます。経済、レジャー、漫画、文学書などの分野でのマレーシア独自出版の一般華語書籍の出版はわずか100種ほどです。その他各種財団や団体の関係者用書籍とか自費出版が60種ある。
以上は2001年4月22日付け 星洲日報の記事から抜粋、これを書いたのはよく知られたマレーシア華語出版社兼書店の社長です。

注追加:よく知られたと、私は書きましたが、華語専門の出版社兼書店はマレーシアにはたった数社しかなく、あとは極小規模出版社です。数少ない好場所にある店舗を除けば、40店舗ほどの書店を擁するこの社の経営する店を含めて一般書店は、通常の書籍出版だけで書店経営はほぼ不可能でしょう。ましてや華語書籍だけ扱う書店経営は尚更不可能なので、どこも文具と学校参考書を主体にしています。出版点数を見ただけでマレーシア華語出版の微弱さがわかります。マレーシアで唯2の大型書店で且つ双璧でもあるMPH書店と紀伊国屋書店の華語書籍コーナーに並ぶ書籍の4分の3以上は国外出版の華語書籍です。別に大型書店に限らず、華語雑誌・本を販売する書店のすべては、香港、台湾、中国、さらにシンガポール発行の華語書籍を地元華語書籍以上に並べている。
いずれにしろマレーシアで華語新聞を除いて一般華語出版物が発行・出版数10万部を超えるなんてことは絶対にありえません。1万部を超えるマレーシア独自の華語単行出版物は、雑誌を除いてどれくらいあるのだろうか?

さらに国内のコンピューターの世界では、圧倒的に英語プログラムと書籍が幅を利かせており、華語を第一にしてコンピュータを使いこなしている層は極めて少ないことが推定されます。違法海賊版の中文Windowsはあちらこちらで売られているが、正式中文Windowsを販売したり、中文Windowsをインストールしたパソコンを販売している販売店を見つけるのは、極めて極めて難しいこともこれを証明していますね。

華語指向でない親が華文小学校に子供を入学させる背景

この背景は小学校の段階で華語小学校への入学熱が極めて高いにも関わらず、本来の理由は国民小学校を避けたいという消極的理由で華文小学校を選択する親が少なからずいると思われることです。こういう親は英語指向が極めて高い親であり、こういう層にとって華語は華人としての単なる教養程度であるということです。つまり華語を基にして高等教育を受けさせるという目標は最初からありません(だからといって華人意識が少ないということではありません)。尚ここではあまり関係ないですが、華語小学校生徒の5から6%はマレー人です。

華人だから華語に強い愛着を抱く、とは必ずしもならない

このため最重要度を英語に置く、マレーシア語は初等中等教育段階の必須語なので当然一生懸命勉強する(マレーシア語で及第点を取れなければ上級学校への進路自体が狭まる)、しかしマレーシア語への愛着は意外なほど低い、華語は華人としての教養程度として勉強する、これが英語志向の華人家庭像ですね。こういう家庭出身の華人若者は、華語を話してもそれで積極的に読み書きしません。華語はよく読めない、読みたいとも思わないと平然と語る華人若者に筆者は何回も出会いました。
別の例もあげておきましょう。筆者の友人である華人夫婦は2人とも英国圏の大学で修士号を取得した高学歴の持ち主で且つ高度の華語能力を有すのですが、それでも小学生の子供2人には英語を母語にさせています。こういう例を都会の中上流華人家庭に見つけるのは難しくありません。

注:このコラムでは華人界に話題を絞っているので、ここではマレー人コミュニティーの一部にある英語指向状況は割愛します。


理数科目を英語で教える決定を歓迎する層も華人にある

ですから最近話題になっている、2003年から小学校段階で数理科目の授業を英語で行うという政府の決定に積極的に賛成という立場を取る親たちは、この英語指向グループに属することはまず間違いないでしょう。もともとこういう層が以前から、小学校段階での英語教育の増加なり英語で教えることを希望していたわけです。
この点を見事に示した発言を引用しておきましょう。7月3日付け Star紙の投書ページに掲載された”すべての小学校で理数科目を英語で教えよう”という投書を全文翻訳しました。
以下投書分

小中学校の全学年で来年から理数科目を英語で教えるという、マハティール首相の決断はまこと賢い事です。そこで私(投書主)は、すべての国民型小学校(民族語小学校のこと)もこの決定に含まれることを望みます。最近の報道に寄れば、華文小学校は引き続き理数科目を華語で教えていく意向のようにみえます。華語教育に関する総元締め団体である 教総やその他華語教育関係者がそういった行動を働きかけているとしたら、私(投書主)の答えは一つ:熱心すぎないようにしてください、ということです。

彼らの行動は子供たちに害を及ぼしているだけではないのです。生徒に6年間も理数科目を華語で強制的に習わせるのでなく、生徒に小学校の1年に入学したその時から理数科目を英語で習う機会を与えてほしい。6年間華語で教育することは、華文小学校の生徒が中学校にあがる際、1年間の予備学習クラスで学ばざるをえないことに結びついているのです。
(Intraasia注:小学校最終統一試験で基準以上のマレーシア語学力がない民族語小学校の生徒は中学校入学前に1年間予備学級でマレーシア語中心の学習をすることになります。ですから全員がこの予備学級に参加するわけではありません)

6年間華語で習った理数科目が1年間の予備学級で効果的になり得ますか?言語の学力は時間をかけて常に練習することからくることを我々は知っています。(生徒が)6年間英語にさらされれば、間違いなく1年間よりも効果的です。
華文小学校に子供を通わせる多くの親は、主として子供にもう一つの言葉を学ばせたいから、そうするのです。この目的を達するために充分なる科目が華語で教えられています。もうひとつのことばすなわち英語を向上させることを犠牲にして、どうして華語にそれほど固執するのでしょうか?
現代社会では英語で充分話し書きできることの重要性を私たちは皆知っています。華文小学校は、単に華語1つだけでなく他の面で流暢で有能な生徒を養い生み出すことができるのです。子供の機会を奪わないで欲しい。
クアラルンプールの住人より

以上投書分。

上の投書主は間違いなく華人のはずですが、この投書主の論点のようなことはごく一部の華人だけが唱えているのではありません。華人コミュニティーの何割といったはっきりとしたことは専門家でもわかりませんが、数割いや5割りくらいはこういう考えの持ち主がいるのではないでしょうか。英語紙にはこの種の投書や論調があふれていますので、しょっちゅう目にします。

華語教育界の抱く危機感

この理数科目を英語で教えると決定は、華人コミュニティー、特に華語教育界にも大きな波紋を呼んでいます。これが国民小学校だけでなく華文小学校にも適用されることになれば、華文小学校の最も基本的原則に抵触するからでもあるからでしょう。華語教育の総元締めである”董教総”は当然ながら反対を即表明しています。董教総は、教育省、究極的には政府の文教政策に常日頃批判的な団体です。下に示したのは、華語教育界の危機感を示した事例です。

華人教師の元締め団体である教総(董教総の構成団体)反対論 7月1日付け”星州日報” の記事より翻訳
この問題に関して教総の議長は、華人コミュニティーは政府のいう学生の英語力を高めるという方針を支持します。しかし華文小学校で英語能力を高めるために理数科目を英語で教えるということには支持できません。華人コミュニティーは華文小学校で英語による教育をして、生徒に数理科目をよく理解させるということには強く反対する、と主張しています。

英語の重要性は否定しない、しかし英語を用いて数理科目を教えることが必ずしも生徒の英語水準を高めることにはならない。なぜならその他の方法で生徒の英語能力を高める方法があるからです。もしある日政府が生徒のマレーシア語能力を高めるために華文小学校でマレーシア語を用いて数理科目を教えるようにと決定したら、華文小学校の将来はどうなるのだろうか、と華人社会は思いめぐらすようにとこの議長は訴えています。

董教総ではないが、華語教育を受けた人たちの団体も反対を明確にしています。

華文小学校は華語で数理科目を教える 7月1日付け”星州日報” の華人団体のニュースページから翻訳
華語学校で華語教育を受けた人々の団体であるマレーシア校校友会連合会総会は、華文小学校において理数科目は引き続き華語を媒介にして教えていく、且つ理数科目の試験も華語を用いて実施する、との決議を定例会員代表大会で全会一致で議決しました。

華文小学校は設立以来ずっと理数科目を含めて華語を媒介にして教えてきた、政府の行う全国統一試験UPSRで、華文小学校の生徒の成績は非常に優れていることを示している。このことをもっても理数科目は引き続き華語を用いて教えていき、且つ試験は華語で実施することを堅持します。
当会は次ぎの立場を堅持する:政府の提案している小学校で理数科目を英語で教えるという計画は、生徒の英語水準を高めることにはならない。そのための有効な方法とは、教材、授業設備、教え方、教師の質などの面を改善又は強める過程を通していくことです。

校友会連合会総会の副会長はこう語る、「生徒が一番通じたことばすなわち母語を授業での媒介語に用いている、これによって華文小学校の生徒に理数科目を充分把握させることができる、このため優秀な成績を収められるのです。」 「華文小学校でも理数科目を英語で教えるという政府の方針は、華文小学校は絶対に受け入れられない。」 「政府が生徒の英語力を向上させる必要があると考えるならば、他の方法でそれを実行できる、例えば英会話の時間を増やしたり、英語を使う機会を増やす事によってです。」 「華語小学校が華語で教育するのは最後の防衛線にあたります。政府が華語小学校に華語以外の言語を用いて教育させるのは、とても許すことはできません。」


華語教育界には、華語小学校の生徒はマレー人、インド人よりずっとよい成績を保ってきたという自負があります。確かにそれは数字的にも証明されています。 下に示した表から明らかのように、ずっと華語教育を続けてきた華語小学校の生徒のUPSR試験での成績は他の種の学校のそれを引き離しています。UPSR とは小学校6年次に全国統一で実施する試験で全員が受けることになっています。

UPSR試験での合格率(The Education Ministry教育省公表)

国民小学校国民型華語小学校国民型タミール語小学校
科目2000年2001年2000年2001年2000年2001年
数学75%7691907474
理科78%7884857483
英語57%5863624652
マ語書きとり
84
57
40
マ語理解
88
66
55

注:マ語とはマレーシア語の略です。Aマークが一番よく、DマークとEマークは不合格となります

国民小学校国民型華語小学校国民型タミール語小学校

ABCの% DEの%ABCの% DEの%ABCの% DEの%
英語56.743.4 63.236.845.6 54.4
数学75.224.891.28.873.9 26.1
理科77.522.583.8 16.273.826.2


理数科目を英語で教える決定がさらに華語指向派と英語指向派の溝を深める

2003年度から小中学校で理数科目を英語で教えるという政府決定は、マレーコミュニティーだけでなく、このように華人コミュニティー内にも、言語観の分裂を明示する状況を生み出しています。もちろんこれまでにもそれぞれの民族コミュニティー内にある英語指向派と民族語指向派(マレー語尊重派なり華語尊重派)の間の違いは常に大きなものがありました。ですから最近急に現れたものでは決してありません。

注:マレー人界にはマレー民族主義的心情から、小中学校で理数科目を英語で教える政策に強く反対する動きがあるようだが、ここでは関係ないので触れません。

上に書きましたように、華人だからという理由で華語に固執する、強い愛着を抱く層は意外なほど多くはありません。こういうことはいうまでもなく地域差と親の学歴、職業などによる違いは大きく、都市部と田舎を比べれば当然違いはでてきますし、都市部の中でもクアラルンプール内外の中上流階層地区と、筆者の住むような古くからの華人地区では当然違ってきます。一方強く強く華語に執着し、華語教育の発展を願う層も存在します。
こういったことがマレーシア華人の特徴であります。



数字で見たマレーシア、 その15


非定期的に掲載している数字で見たシリーズです。こういう数字はマレーシア観察に結構重要なヒントと知識を与えてくれるのです。

2003年の予算規模

マレーシアの2003年度予算が9月後半発表されました。下の表はその歳入と歳出の項目毎パーセント表示です。
歳入がRM1067億
項目所得税非税金及びその他収入直接税借款と政府資産輸出入税不明
割合45%15.6%19.4%15.9%1.6%2.5%

歳出額もRM1067億
項目 社会
サービス
経済
サービス
公務員ら
の給与
年金類 負債
費用
供給と
サービス
その他
出費
一般
行政費
その他
割合15.1%11.9%18.5%4.1%8.3%13.3%20.6%2.9%2.7%


通貨リンギットの為替交換率の変化

マレーシアは通貨リンギットを米ドルに固定する対ドル固定為替相場制を1997年9月からしいています。その後における主要通貨に対しての為替変化を次ぎの表に示します。
外国通貨のリンギットに対する為替交換率

Singapore$1Thai Baht100Japan\100Britain PondUS$1
1997年末2.328.232.996.443.88
1998年末2.2910.363.316.333.80
1999年末2.2810.13.716.143.80
2000年末2.198.83.315.673.80
2001年末2.168.62.905.523.80
2002年8月2.179.03.225.883.80

やはり対日本円の変化はまことに大きいことがわかりますね。99年末には円に対する価値が随分と下がりましたが、2001年末には逆にぐっと価値が上昇しました。今年末はどうなるでしょうか。

被雇用者とそのための福祉基金

2001年における被雇用者総数953万人の内訳

第1次産業第2次産業
第3次産業

合計
業界 農業・林業
漁業
鉱業製造業建設業サービス業 サービス業内
公務員のみ
サービス業内
卸し小売のみ


割合14.7%0.5%26.7%8.1%50.0%(10.5%)(17.3%)
100%


マレーシアの民間で働く被雇用者のための唯一の社会福祉基金であるEPF被歩雇用者福祉基金は、その資産が2002年前半の時点で、RM1920億という国内最大の資産を誇ります。そしてそのEPFの加入者は2000年の997万人から2001年は1018万人に増えました。加入している雇用者数も増え、2001年は328270事業所です。
EPFの加入者数の偏移

1998年1999年2000年2001年
雇用者数297792301191318218328270
名目加入者数916万人954万人997万人1018万人
実質的加入者465万人478万人503万人504万人

この表は一度加入しても継続的に納付金を収めてない被雇用者が多いことを示していますね。ただ独立して屋台業のような個人事業主になったり家庭の主婦になったりすると収めることはできません。つまりEPFは国民皆保険制度とは違います。

でこのEPFは加入員が基金に収めた納入金を投資運用していますが、その額はRM1920億にも達します。資金を株式、通貨市場、不動産、金融貸し出しなどに投資運用しています。その内の株式市場への投資運用先を眺めると興味深いのです。
EPFの投資先会社 持ち株率最大12社のリスト 2001年12月末の時点

投資先会社名ひとことその会社におけるEPFの所有比率
1Malaysia Building Society Bhd
63% (小数点以下は四捨五入)
2Cycle & Carriage Bintag Bhdベンツ販売もしている会社21%
3SAP Holding Bhd
17%
4KFC Holding Bhdケンタッキーフライドチキン15%
5Sistem Televisyen Malaysia BhdTV3局14%
6Malaysian Airlines System Bhdマレーシア航空14%
7Malakoff Bhd
14%
8Land General Bhd
14%
9Konsortium Logistik Bhd大ブミプトラ会社14%
10Edaran Otomobil Nasional BhdProton自動車販売13.5%
11Diperdana Holding Bhd
13%

New Straits Times Press Bhd英字紙発行13%


社会経済指標


大学生数医師1人当りの人数インターネット利用者数1000人当りのPC台数貧困家庭比率
1997年116,3791,521人20万人478.7%
2001年245,9891,474人210万人1264.5%

マレーシア全体で医師1人対する国民の数は約1200人です。しかし全国の地域差は非常に大きくて、クアラルンプールでは1対400です。ボルネオ島部では劇的に低く1対3000以上です。「マレーシアの医師の問題は医学学校の数ではなくて、国内間における医師の遍在です。」とマラヤ大学の副学長が説明してます。

教育省の民間教育部に登録している国内の民間教育施設(学校)

公立学校はこの表に現れていません。尚この部署に登録していない民間(私立)学校は違法ということになります。

高等教育機関
種類マレーシアの私立大学大学カレッジ外国大学のマレーシア支校私立カレッジ合計
学校数1214616633校

小中学校段階
種類私立小学校私立中学校宗教小学校宗教中学校独立中華中学校
学校数4887171460
種類 インターナショナル
スクール
外国人用学校
(例:日本人学校)
特別教育
学校
遠距離教育
学校
幼稚園
学校数2912732864

上記以外に、語学学校 134校、コンピューター学校 329校、補習塾 1190校などが存在しています

英国に留学するマレーシア学生の数

マレーシアのBritish Council が調査した結果に寄れば、97年のアジア経済停滞以来落ち込んでいた、英国の高等教育機関へ向かうマレーシア人学生の数が4年ぶりに増加に転じました。英国の高等教育機関で学ぶマレーシア人学生の数は1997年/98年の学年度が17000人、98年/99年学年度は12500人に落ちました。そして99年/2000年学年度は10500人、2000年/01年学年度が9800人でした。しかし今年2002年には上昇に転じ1万人を記録しています。

調査はさらに、マレーシア学生に人気ある学問分野は、工学、技術、ビジネスと経営、薬学、歯学、数学、コンピューター、であると。British Council の係官は、「いくつかの英国大学はマレーシアに分校を設立した。また(多くの大学が地元のカレッジに提供実施している)3+0 Degree取得プログラムもある。これによってマレーシア学生はマレーシアを離れずにDegreeを取得できます。」 調査では、現在20000万人のマレーシア人学生がこの方式で学んでいる、さらに(会計学を学ぶような専門職業になるための)ACCA, CIMA などのコースで45000人が学んでいる。」 英国製の教育はその品質の良さと評価の高さからマレーシア人学生には常に人気があります。

Intraasia注:国内の国立と私立の大学生総数が訳17万人で、国内のカレッジの学生が20万人です。英国に向かう大学生の数の多さがわかります。ここではオーストラリアやニュージーランドなどの英語圏で学ぶマレーシア人の数は表れていません。

米国留学生は減少傾向

9月11日のワールドセンターテロ事件以来、米国がムスリム国26カ国からの出入国審査を厳しくしましたが、それにマレーシアも含まれます。このリストの合理性は疑問が投げかけられていますが、こういうこともあって、マレーシア人学生の米国留学はさらに減少して2001年で7、8千人だとしていますいます。教育交換に関するマレーシア・アメリカ委員会の理事長の統計に寄れば、80年代はマレーシア人留学生はずっと多く、1984年には24000人もいたが、その後ずっと減少傾向が続いていることを、明らかにしています。
今年は米国からの留学ビザの発行の遅れによって、相当数のマレーシア人学生が期限までにビザを入手できない、と彼は説明しています。

中国への留学生

マレーシアにおける華語と中文文化教育の元締め董教総の調べでは、中国に留学するマレーシア人の数は1992年以来少しづつ増えてきて、現在600人ほどです。これは決して多い数ではなく、台湾に留学しているマレーシア人学生の数は毎年500から600人を数えます。

この数字をみて気がつくのは、中国で学ぶ日本人の方がはるかにマレーシア人より多いのは間違いないでしょう。

国内の医学教育機間

医学部を持つ国立大学:UM, UKM, USM, UPM, UM Sarawak, UM Sabah, IIU
私立大学又はカレッジInternational Medical University, Melaka-Manipal Medical College, Penang Medical College, Perak Medical College, Asian Institute of Medicine Science &Technology

社会的に差別される患者


HIV/AIDS 患者の変遷数

HIV/AIDS の1986年から2001年まで新規に登録された人数を年齢別に%表示
年齢別2才未満2−12才13−19才20−29才30−39才40−49才50才以上不明合計
HIV感染者0.20.51.837.943.212.72.21.544208人
AIDS患者0.31.43.320.945.321.470.45981人

注:例えば2001年には、新にHIVが5868人、AIDSが1258人登録されました。上の合計は各年に登録された数の合計人数ということです。

麻薬中毒者の数

国家薬物庁の副く長官によれば、全国で毎日50人、月に1490人の新たな麻薬患者が発生していると語っています。一般に麻薬患者の98.7%は男性であり、年齢20才から29才の層で、且つ85%が単純肉体労働者です。友人関係の影響が中毒になる一番の要因です。民族別ではマレー人が最大を占め68%です。
今年前半の麻薬患者数はペナン州が最多で3033人、ケダー州2867人、ペラ州1561人、クアラルンプール1498人、クランタン州1346人でした。

各種雑統計から

小学生の栄養調査

国民大学UKM の栄養食物学部とスポンサーNestleの共同で昨年栄養調査を実施しました。これは半島部マレーシアでこれまでに行われたこの種の調査の中で最も総合的調査であり、対象は4つの地方で主要民族を含んだ小学生12000人です、よって完成に1年間要しました。この調査の目的は小学生7歳から12歳の栄養状況と食傾向を探る事です。地域は半島部の北部、東部、中部、南部からそれぞれ選びました。

調査で分かったこと:全体の25%の小学生が体重面で問題ある、その内13%は痩せすぎ、12%が肥満です。年齢があがるにつれて体重に問題ある生徒が増える傾向。
ファーストフードを毎日食べる生徒は15%いました。朝食を抜く生徒は30%。 毎日の夕食を家族と一緒は68%のみです。スナックを取るのが増えて家族一緒にが減っている。
76%の生徒は定期的に運動をせずに、テレビ、テレビゲーム、パソコンゲームを好む。この運動不足が体重問題に影響を与えている。
以上
子供の肥満はその親と家庭の環境と多いに関係あるように思えます。もちろんそれ以外にも民族として肥満体をどう捉えるかといった大きな枠組みでの環境もありますね。大雑把な印象として、太った子供が結構いるなというのが正直なところです。



マレーシアでトップ級の書店チェーンが丸ごと買い取られる背景を考える

- 第74回&75回 「マレーシア出版事情と読者」の続編 -


もう何年も前の98年1月分と2月分に収録したトピックスである 「マレーシア出版事情と読者 」前編と後編で、マレーシアにおける出版事情とその背景を詳しく描きました。当時より筆者の知識が増え、そこで書いた内容のごく一部に訂正なり追加の必要も感じますが、基本的且つ大部分においてその2編のコラムで書いたことに、現在も変更・修正の必要はありません。

人口に比べて自国出版産業の低調さ

マレーシアは人口面からは2300万人を擁する中規模であり、発展度も中度の国なのに、自国出版産業の規模と盛況さはその国の規模には見合わない低調さであることは事実ですね。人口面で比較したヨーロッパの小国の自国出版産業はマレーシアよりはるかに盛んだと記憶しています。その以前のコラムでも指摘したように、マレーシアは多民族国家ということから日常使用言語が複数存在している、元英国植民地であることからの英語依存体質、出版プレス面で極めて厳しい法律が施行されて自由な出版の意識を削いでいる、国民の読書熱がそれほど高くないなどの要因が、自国出版産業の低調さの背景でしょう。

注:”印刷報道と出版法” という法律があり、これによって全ての出版物や報道を規制できる。内務省などがこの法律の条項に違反したことを理由に雑誌を含むあらゆる書籍と各種新聞を出版禁止にできますし、実際時々それが適用されて報道されます。報道されない事例も当然あるでしょう。新聞などは発行免許を停止されたり翌年の更新を拒否される可能性があるので、いわゆる自主検閲・規制が働くことになります。

中でも大きな要因は英語依存体質と思考にあるので、イスラム教、マレー小説、マレー又は中国料理解説、マレーシア語辞書などの数少ない分野を除いて専門書、学術書、文学書、教養書、趣味・レジャー書などのハードカバー本つまり単行本は、書の厚さ薄さと書サイズの大小に関わらず比較大多数が国外の出版社発行の書籍です。英語出版でない、つまりマレーシア語出版又は中文(中国語)出版だと国内で独自にこういった分野で単行本を出版しても、ごく一部を除いて、とても採算が取れないでしょう。これを確かめるのは極めて簡単です。町のある程度規模以上の書店へ足を運んで、そこに並んでいる書籍の出版元を見てみればよくわかります。もっとも町の書店では、ほとんどどこも小中学校向けの学習書と教材がその書店面積の半分ぐらいを占め、一般向けの書籍の棚が押しやられていることもわかりますよ。

国内の2大書店を見ればマレーシアの出版界が想像できる

代表的で且つマレーシア唯2の大書店であるMPH Midvalley店と KLCC SuriaにあるKinokuniya書店の展示在庫書をご覧ください。マレーシア出版のハードカバー本・単行本がどれほど少ないかをまざまざと実感できます。さらにこの2店では一体どこにマレーシア語の書籍があるのというぐらいマレーシア語の書籍の展示在庫が量と種類の両面で少ない。あるマレーシア語タイトルの単行本が数十冊積んであるというような光景はありません。

マレーシア語の書籍は実際は、この両書店で見られるほど少なくはないのですが、出版分野が遍在し且つ全民族をその読者・購買対象にしてないという決定的弱点を持っているので、都会の一般向け書店に驚くほどマレーシア語書籍(雑誌を除く)が少ないのです。マレーシア語書籍を探すなら、国立国語研究所兼出版事業所にあたるDewan Dan Pustakaの本支店か、マレー公団などのビルに入居しているマレー書籍中心の書店にいかないとそれなりの種類と量が在庫してありません。それでも日本の駅前の小さな書店並の在庫量です。

マレーシア語出版を貧弱にしている例

マレーシア語での出版が貧弱な典型的な例を一つあげましょう

10月11日付けの新聞によれば、"Man-eating Crocodiles of Boneo" というタイトルの118ページの英語本が、サラワク州の地元出版社によって出版されました。この本は(名前から判断して多分外国人の)ジャーナリストと地元のワニ養殖家の共著です。この地元出版社社長はサラワクの民話と自然に関する本の出版に興味があっていろいろと、例えばNational Parks of Sarawak などの本、出版してきました。現在"Doragonflies of Borneo" という書籍を準備中です、とのこと。

このようにサラワク州とサバ州では、その自然や多くの先住民族に関したきれいなカラー写真掲載の書籍が種種出版されています。書店で見る限り、その多くはサバ州又はサラワク州を地元とする小出版社のようですが、ほとんどの書籍は英語出版です。つまり国語のマレーシア語による出版ではないのです。国内で大部数売れることは期待できないが英語出版であれば国内販売以上に国外の英語圏でも販売に活路が開ける、ということだと理解して間違いないでしょう。さらにもしマレーシア語で出版してもほとんど売れないのは確実、つまりマレーシア語出版物の読者層はこういった分野に興味を持たないという理由も相当大きいでしょう。ここにも見られるのは、分野による出版の”すみわけ”です。

地元出版界ではだからこういう分野に限らず、マレーシア語書籍に集中した分野と中文書籍の得意分野を除けば、英語出版の方が幅広い傾向をもっているように見えます。

国内最大級の書店チェーンの買収ニュース

さてここで触れたマレーシア唯2の大書店の一つである MPH Midvalley店が属しているMPH書店チェーンがそっくり売り渡されるというニュースが最近報道されました。えーと、筆者は驚きました。

10月1日付けの新聞の記事から
マレーシア最大級の書店チェーンブランドであるMPHの全小売店舗網と書籍卸し運営をマレーシア企業のJalinan Inspirasi会社に売り渡す予定だと、MRH会社が発表しました。MPH社の会長は、買主の希望金額S$4600万(RM9800万)は適度である、としています。シンガポール企業であるMPH社は現在シンガポールに6店舗、マレーシアに25店舗、インドネシアに1店舗所有しています。
MPH社は店舗を売り払った後社名を変えて、出版、メディア産業に方向転換する意向です。店舗の販売と共にそのトレードマーク件もJalinan Inspirasi会社に売り渡します。


このニュースは大企業の売買収や合併のような華やかさはないので、その面では経済ニュース価値としては落ちるのでしょう。だから新聞の経済ページでの扱いは地味でした。多分多くのマレーシア人にとっても耳目を引く程度は少ないことでしょう。しかしマレーシアを考える筆者には、大きな意味合いを与えてくれる記事でした。

このニュースはマレーシアの出版文化を反映する

なぜならこのMPH書店チェーンの丸ごと買収はマレーシアの出版文化状況を見事に示す一端であると捉えることができるからです。出版事業と書籍販売は、ビジネス活動ながら文化活動の意味合いを含んでいることは誰しも同意されるところでしょう。一口に出版といっても芸術分野、学術分野、娯楽分野、雑誌専門など多種多様ですが、それが文化の一部を構成していますね。その出版された書籍を販売する組織、具体的には販売会社書店がなければ出版事業はまず成り立ちませんから、書籍販売会社と書店は広い意味での出版文化事業に含まれますね。この数年インターネットで書籍販売が増えているとはいえ、まだまだ書店にはるかにかなわないし、ましてマレーシアでその影響は微微たるもののはずです。

注:MPH社は書店網を売り渡した後は、これまでの出版事業をより拡大させるとしています。同社の出版物には、雑誌Female, Seventeen , Torque, 女友 などがあります。MPH社はシンガポール株式市場の上場企業であり、シンガポールとマレーシアで出版産業と書籍販売産業の両方で業界有数の企業です。書籍販売事業ではこの何年かは大した利益はあげていなかったそうです。


出版・書籍販売に全く縁のない有名実業家が入手

でなぜ今回のMPH書店グループの売り渡しがマレーシアにおける文化状況を示す一面かといえば、このMPH書店チェーンを買い入れたのが、これまでこういった出版及び書籍販売産業に全く縁も経験もないよく知られたブミプトラ企業家だったからです。この事業家はこれまで主としてインフラ関係、建設業、施設業中心に大きく投資してきた実業家だそうで、投資アナリストも今回の書店産業の買収の意図を推し計りねていると、ニュースは伝えています。

注:(ビジネス界では)よく知られたこの実業家は、小売業界にも投資しているとのことで、その支配下企業を通じて、各種ファッション製品ショップとして有名なPadini Holding会社の株式の4分の1を所有しているそうです。しかしこれらのファッション小売ビジネスが書籍販売とどうつながるか見極めるのが難しい、と経済専門ページの新聞記者は書いています。またビジネスリサーチ会社のアナリストは、この実業家の資金力からいって、書店チェーンの買収金額程度はたいして問題ではないだろう、と書いています(10月5日付け Star紙のBisWeek)

書籍業界と全く別分野の企業・実業家が書籍販売店を買収する? そんなの日本だって起りえるし、これまでにもあった、とおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。しかしマレーシアの出版と販売事業の規模は日本のそれの数十分の1、多分数パーセントの規模にしか過ぎないのです。その小さな小さな出版販売産業界において最大で且つわずか数社しかない全国書店チェーンである書籍小売網のMPH書店チェーンを、書籍販売事業に全く経験も関係ない大事業家が丸ごと買い取ってしまうということなのです。

これは日本にたとえて言えば、三省堂や紀伊国屋といった老舗で全国有数の大型書店チェーンを、出版及び書籍販売事業に全く関係ない分野の事業家または企業がそっくり買い取るということです。それは日本ではありえないですね。日本でありえるのは、書籍販売では傍流の漫画本専門とか中古本専門のようなチェーン店を展開するために他業界から参入する場合でしょうが、ごく小規模のマレーシアに主流も傍流もないのです。地元書籍販売産業の小ささを物語るのは、マレーシア国内唯2の最大書店 MPH Midvalley店と KLCC SuriaにあるKinokuniya書店の両店とも、本々マレーシア資本でなく外国資本の書店だという悲しき事実です。

さらにその買い上げる総額がわずかRM9800万つまり邦貨に換算すれば約30億円に過ぎないのです。これはシンガポールに6店舗、マレーシアに3階建てビル付き1店舗を含めた25店舗(Midvally店はその一つ)、インドネシアに1店舗ある全店舗とそれに付随するる書籍卸し業、これら書店内での文具販売業の一切合財です。ほとんどの店舗はテナントとしての存在だとはいえ、全在庫本を含めて総数約30店舗の大書店チェーン全体が、わずか30億円とはいかに書籍販売業の評価価値が低いかを示していますね。筆者は最初、RM9億8千万の1桁間違いではないかと見直したぐらいです。

注:規模のごく小さいつまり多読読書人口が極めて少ないマレーシアで、国内だけを対象にしたインターネット書籍販売がビジネスとして成功する可能性はまずない。さらに、飾り程度に書籍のインターネット販売をしているサイトはあっても、それが大手書店並の書揃えと販売量を誇ることは全く考えられません。従って他業界の会社又は全くの独立企業家がインターネット書籍ビジネスに今後力を注いだとしても、現行の書店チェーンに書籍販売で並ぶとかそれを上回るようなことは、マレーシアでは非現実的ですね。


マレーシアの出版産業の規模と特徴

マレーシアの出版産業全体の規模は米ドル換算で総額18億ドルだそうです。邦貨にして2000億円ぐらいですか。マレーシア全体で各種言語出版物の総種類は年約5500種、そのうち教科書と参考書類が実に7割りを占める。言語別では全体でマレーシア語出版物が6割、英語出版物が2割5分、華語出版物が1割、残りその他です。ということは教科書と参考書類を除いた一般書籍(当然雑誌を含む)の規模はわずか5億5000万米ドル、つまり600億円程度です。これは日本の大出版社なら数社で売り上げる数字ではないでしょうか。この数字を見ただけで、マレーシアの出版産業が日本のそれの数十分の1から数%に過ぎないことがわかります。

書店に並ぶ書籍を眺めるとこの数字以上に書籍の多さを感じるのは、英語書籍なら英国と米国を中心とした海外からの輸入書籍が大多数を占め、華語書籍なら台湾、香港、中国、シンガポールで出版された書籍が大多数を占めるからです。マレーシア出版物中心の書店にしたら、MPH Midvalley店と KLCC SuriaのKinokuniya店の書棚は空棚ばかりになってしまいます。

さらにマレーシアの出版面では日本の新書、文庫といった分野がほとんど存在しません(新書サイズの書籍が全くないという意味ではありませんよ)。これがないためにハードカバーの単行本か薄っぺらな単行本又は小型サイズの雑誌まがいの本だけということになります。よく売れるハードカバー本が販売部数がかなり多くなることはありえないので、それを文庫本化する発想も出てこないし、読者層の薄さから初めから文庫・新書化してより安価な価格でより多くの読者を対象にする、つまり薄利多売という戦略も出てきません。所詮何をやろうと、マレーシア地元の書籍出版で1冊の本が数十万部も売れることは絶対に起り得ないし、初めから数万部ぐらいは確実に売れるだろうと見込めるようなタイトルの単行本はごくごく少ないことでしょう。

ですからこそ、シンガポール資本といえ国内で第1、2を争う大書店チェーンが丸ごと、全くの他業界の大実業家に買い取られるというのは、ある意味では極めてマレーシア的文化状況だといえましょう。



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