「今週のマレーシア」 2002年5月と6月分のトピックス

・タイとの国境で見るマレーコミュニティーとタイムスリムコミュニティーのつながり ・数字で見たマレーシア、その13
カンボジアに見つけたマレーシアの姿とそれなのに存在感のないマレーシア−前編−
あなたの”マレーシア通”度を試す100の問題 −今週のマレーシア300回記念の特別企画−
サバ州のダイビングアイランドの統治権を主張し合うマレーシアとインドネシア  ・「100の問題」の解答と講評
被雇用者福祉基金EPFの解説とその預金引き出し方にみる人生観の違い−前編  ・その後編 
カンボジアに見つけたマレーシアの姿とそれなのに存在感のないマレーシア−後編−



タイとの国境で見るマレーコミュニティーとタイムスリムコミュニティーのつながり


タイとの関わりを持った北部州と東海岸州

マレーシアとの隣国タイは当然ながら国という歴史が始まって以来国境を接してきた古い古い間柄です。20世紀初期又は半ば頃まではマレーシアでなくマラヤでありタイでなくシャムであったし、国境線も現在と多少違っていましたが、関係がより密接であったのです。マレーシア最少の州であるペルリス州は1842年まではケダー州の一部であり且つ当時はケダーもシャムの隷属下にありました。その後1909年の英・シャム協定で、ペルリス州、ケダー州、クランタン州、トレンガヌ州は実質的にイギリス植民地に組み入れられたのです。

19世紀以前には東海岸のクランタン州とトレンガヌ州はシャムの王朝に朝貢していたそうです。こうしたことからケダー州にはタイ寺院がいくつかあり、州都アロースターのタイ仏教寺院はまことりっぱで大きな建造物です。タイ仏教寺院は一時タイ領であったペルリス州は当然としてタイと国境を接しているペラ州の最北部にもあることは、以前当コラムの第212回で報告しました。さらにタイ寺院は数と規模からいえば、クランタン州が一番多いと思います。何といってもクランタン州はタイと関係が深い、それは単に接しているからだけではないことを、このコラムで明らかにしていきます。

クランタン州の国境に近い地域にはタイ仏教寺院が何箇所にも建っていることが目につきます。その内の数箇所を訪れて報告したのがコラム第214回です。そのコラムで紹介した以外にも、例えばTumpatの町の入り口辺りには大きなタイ寺院があります。そういうタイ寺院にはタイ人僧侶もいるのですが、参拝者はなにもタイ系マレーシア人だけではなくマレーシア華人も多いのです。だから大きなタイ仏教寺院が維持できるのでしょう。

さてマレーシア側にタイ仏教寺院があるということはタイ人が中心になって建てた物だと見なしていいでしょうから、民族出自としてのタイ人がマレーシアに住んでいるわけです。この人たちつまりタイ系マレーシア人は一般に仏教徒であり、タイムスリムの割合はごく低いように思われます。タイ系マレーシア人自体の人数は決して多くなく、確か6万人にも満たないはずで、一番多く住んでいるのはクランタン州だそうです。

マレーシアに残る、目につく存在としてのタイ風景のほとんどは仏教徒としてのタイ系マレーシア人の姿とその建築物です。それを報告したコラムが上記の212回と214回です。もちろんタイ人が外国人労働者として一時存在としての風景はありますが、それはこのコラムでは直接関係ないので省きます。

マレーシア国内では目立たない存在であるタイムスリム

一方イスラム教を軸にして見ていくと、マレーシアで見られるタイムスリムの姿は仏教徒タイ人の姿に比べてあまり目立たない。当然ながらマレー社会に同化してしまえば見分けがつかなくなります。半島部の東海岸州と北部州のマレー人がタイ南部へ出かける方が、マレーシアにやって来るタイ深南部出身のタイムスリムより多くなります。タイ人はムスリムであろうとなかろうとマレーシアにもちろんやって来ますが、観光旅行とビジネス目的を別にすれば、労働者としての姿が多くなるでしょう。タイムスリムの場合はこれにマレー知人・親戚を訪ねたりの訪問が加わることでしょう。数は少ないが、マレーシアの大学に留学しているタイムスリムの若者姿もあるそうです。

注:タイ深南部とはナラティーワット県、ヤラー県、パッタニー県を指します、さらにソンクラー県及びタイの最南西部にありペルリス州とケダー州を国境を接するサトゥーン県を入れてこれら5県はタイムスリムの人口比率が半数以上もある。且つ日常的にタイ南部マレー語を話している人の数も多い。


国境を往来する人々にその地の特徴を見つける

マレー人特に半島部東海岸州と北部州のマレー人であれば、タイ深南部にムスリムである知人と親戚を有していることは決して珍しいこととではありません。加えて親戚とか知人関係のないマレー人も国境を気軽に超えてタイ側に遊びに行く、休暇を過ごしに行く、買い物に行くという行動をしますから、マレーシア人側のタイへの出超になります。タイの南部ではないバンコクを除けば、マレーシア人は一般に、タイ南部ではプーケット、ハジャイ、ソンクラーへ娯楽と行楽で訪れますから、陸路に限ればマレーシア人の出入りする国境検問所中ではBukit Kayu Hitamでの通行が圧倒的に多くなります。なぜなら半島部南北縦断ハイウエーの終点がそこであり、Bukit Kayu Hitamはハジャイまで自動車で1時間の近距離だからです。さらにタイ側の国境町Sadaoはこれぞ歓楽の町といえる様相を示して、マレーシア人を引きつけているからです。

国境を超えるマレー鉄道の乗車数はごく少ないので、鉄路も交差する国境Padang Besarは一般マレーシア人の利用はぐっと少なくなります。(この列車で国境を超える乗客の少なからずの割合は外国人旅行者ですね)。尚Padang Besarはタイ側の町でもそういう呼び名です、もちろんタイ文字で綴りますが。両方のPadang Besar国境を行き来するのは地元のマレー人と、交易のトラックや自動車が多く、旅行者は少ないのです。

ペラ州からタイの町Betonへの国境Pengkalan Huluの利用者には結構華人が多いですね。その理由にはペラ州は比較的華人人口が多く且つタイのBetonが華人好みの町であるからかもしれません。ただ国境検問所の賑わいはBukit Kayu Hitamにははるかに及びません。東海岸側で最もにぎやかな国境はRantau Panjang とタイ側 Sungai Golok間の検問所です。Sungai Golokという町名自体がマレー語ですから、この町自体のマレー社会とのつながりがわかります。

国境越えが好きであり、そこを行き来する人間に興味を抱く筆者はマレーシアとタイとの国境を全部訪れて、そのほとんどで越境してきました。1回だけ利用した国境検問所もあるし両国サイドから何回も何回も通りぬけた国境検問所もあります。そういう目で数多く国境の往来を見てきたのです。両国間のどの国境でも共通するのは、国境付近に住む両側の住民はしょっちゅう行き来しているということです。特にムスリムの共同体としての同胞意識の共有化からでしょう、国境付近のマレー人のタイ側の町への訪問は極めて頻繁で多いのです。

隣町へ出かける気分で往来する地元のマレー人

最大の国境通過地点であるBukit Kayu Hitamはいうまでもなく、中程度の国境通過地点であるRantau Panjang とペラ州Pengkalan Huluは旅行者も比較的多いので、地元マレー人の往来の多さが多少目立たなく感じますが、小国境であるクランタン州のPengkalan Kuborは典型的に地元マレー人の往来する国境です。筆者は以前からこういう国境を生活国境と呼んでいます。

Pengkalan Kuborは半島部の最北端の小さな河口の町です。幅100メートルほどの河口の対岸はタイの町Takbaiで、人の動きもはっきりと見える近さです。両国の国境境検問所を結ぶ20人乗りほどのボートが川を頻繁に行き来しており、タイ側からやって来るタイ人が通常手にしているのはパスポートでなく1枚の紙である国境通行証です。これにスタンプを押してもらえば、彼らは国境の町に上陸できます、知人を訪ねたり日帰りの労働目的が主なんでしょう。この通行証の有功範囲はこの町及び周辺内に限られていますので、そこから出ることは許されていません。

一方この国境検問所を利用するのはマレーシア人のほとんどが地元のマレー人です。手続きはパスポートにスタンプを押してもらい出国する通常の手続きですから、Takbaiの町を離れて他のタイの地方へ行くことももちろんできます。でもこれまでの観察から言えるのは、他地域へ出かけるマレー人はぐっと少なく、ほとんどはこの町で買い物又は食事が目的なのです。クランタン州のスンガイゴロックと違ってTakbaiは娯楽の町ではありませんから、1,2の安宿はあってもホテルはありませんし、ナイトライフのための娯楽の場もありません。この町はマレー人が好んで買出しする市場のあるムスリム主体の町なのです、まさしく生活国境の町です。

なぜ地元のマレー人は買い物食事にTakbaiへ出かけて行くのか?それは、市場に並んだ品はマレーシアの同等品より数割以上安く、農産物水産物さらに衣服靴日常品も種類豊富だからでしょう。そのため小さな町の規模以上に市場と商店街は盛なのです。タイムスリムの町であるため、筆者の調べた限りでは、タイ語とマレー語クランタン方言の両方が十分に通用しています。

注:マレーシア語でなくあえてマレー語クランタン方言と書いておきます。


この小さな町がいかにマレー人の買出し町となっているかを見事に示すのが、対岸であるPengkalan Kuborからタイ人運行の小さなボートでやってくるマレー人の多いことです。この人たちは対岸にあるマレーシアの国境検問所を通らず且つ着いた船着場至近にあるタイ側の国境検問所も全く通りません。つまりPengkalan Kuborのマレー人は隣町へ買い物食事に行く程度の感覚で、タイ人運行のボートでTakbaiを訪れるのです。法律的にはもちろん違法ですが、昔からの地元民慣行兼特権だからでしょう、両国の出入国管理事務所は全くの黙認ですね。ただしあくまでも対岸の町Pengkalan Kuborの地元住民の買い物と食事に限られるはずですから、彼らでもTakbaiの町を離れれば当然問題が出てくるはずです、パスポートに入国スタンプが押されていませんからね。さらに地元マレー人でないマレーシア人がそうい行為をして見つかればこれはマレーシアとタイ両国の官憲の取締りにあうことになります。いうまでもなく外国人がやれば密入出国の罪で逮捕されますね。(この国境を利用する一般外国人はごくごく少ない)

昔からこうして河口をまたいで行われてきた交易の現代版と言えるでしょう。検問を受けないのでタイ側で買った品には当然税金などかかりません。タイ側の船着場で行き交うボートを見ていると小さなボートに一杯物を積んで対岸に帰っていくマレー人がいます。子供連れ家族でやって来るマレー家族もいます。ボートは数十艘はあるので、行き来に不自由はしません。現代に残る国境対岸交易であり、マレー人とタイムスリムの人的と意識的つながりがここに叙述に見られます。

スンガイゴロックからマレーシアに通学するタイムスリムの生徒

さて両国間の国境になっているこのゴロック川をずっと上流に上れば、といって川を走行する一般向けのボートは運行されていません、クランタン州とタイ国間の最大国境となります。マレーシア側Rantau Panjang とタイ側のSungai Golok を隔てているのが幅数十メートル程度のゴロック川で、その川にかけられた橋の両側にそれぞれの国境検問所があります。こちらの国境は生活国境の面を残しながら相当程度一般国境です。それでも一般外国人旅行者の通行割合はBukit Kayu Hitamに比べればぐっと低いとの印象を私は持っています。

こちらの国境では地元のマレー人といえども検問所と通らずに川を渡航することはもう今では許されていません。マレーシア側の川岸には国境警備の警察隊が常時監視しており、一定距離毎に常駐している様子がわかります。ただ面白い事に、対岸のSungai Golokの町からタイ人が検問所を通らずに川を手こぎボートで渡ってRantau Panjang に頻繁にやって来ます。なぜ?まずタイムスリムの子どもが毎朝マレーシアの小中学校に通うためです。その数は10人20人という数ではなく100人を超えるであろう大勢な数ですよ。

なぜタイムスリムがマレーシアの学校に通うのか?それがタイムスリムと地元マレー人の持つ共同体意識の共有からなのでしょう。民族的に双方ともマレー人であり且つムスリムである、さらに日常的にマレー語クランタン方言を又はタイ南部マレー語を話している。尚この2つの言葉はほぼ同じだそうです。タイの学校はいうまでもなく仏教が土台になっている、そこでタイムスリムとしては教育に使用する言葉も理解でき、土台になる宗教は同じであるマレーシアの公立小中学校に入学させるということになります。マレーシア側の小中学校は昔からタイムスリムを受け入れてきた、そこで今更受け入れを拒否する理由はない、とうところだそうです。

子供たちの通学だけでなく、タイ人が野菜などの産品をボートで運んできます。地元の小商い人がそれを買い路上などで小商いしています。多量に運んでくるわけではなさそうですが、それでも検問所を通さない商いですね。ところでRantau Panjang の市場に並ぶ生鮮品、その他食品、雑貨品などは相当な割合でタイから入ってきた物と思われますが、どの程度ボートで運ばれてきたものかは調べられないのでわかりません。さらにRantau Panjangに日帰り労働に来るタイ人もこうしたボートの利用者でしょう。尚物価はマレーシア側の方が幾分高いのでタイ人が大挙して物を買いにくるとか食事にくることにはなりえません。

この検問所を通らないタイ人のRantau Panjangへの訪問に対してマレーシア当局は不快感を持っているようで、岸際にはマレーシア語とタイ語で違法渡航訪問をしてはいけない、罪になる、と書かれた立て札が立ててあります。でもそれをしり目にタイ人は今日も渡ってくるのです。ここにもあるタイムスリムとマレー人の民族的、宗教的、歴史的つながりの強さですね。尚筆者がこの渡航の様子をうっかり写真に撮ったら国境警備警察官に危うく逮捕されそうになった苦い経験談は以前のコラムに書きましたね。間違っても渡航ボートにむやみに近づいたり写真に撮らないようにね。

この国境から上流はずっと検問所がありませんし、町も存在しません。そのためでしょう、タイからの密輸上陸地点になるので、常時国境警備隊が監視しているようです。タイからの密輸は麻薬のような禁制品だけでなく、マレーシアで評価の高いタイ米、安価な生鮮品、日用品、さらに食用の蛇類などもあると、時々ニュースに載ります。

半島部西側のペルリス州とケダー州はタイとの国境部分が険しい山岳地帯が多く、国境の付近の地元民の行き来は半島部東側であるクランタン州の方がずっと盛んであるというのが、筆者のこれまでの観察結果です。且つクランタン方言と相当なる相似性を持つタイ南部マレー語が日常的に話されることもあって、タイ深南部4州の田舎を歩いていると感覚的にもクランタン州との近似性が感じられるほどです。国は違えど民族として、ムスリムとしてのつながりは強いものがあるなとつくづく思います。

あとがき

コラム156 & 157回の「タイ深南部のムスリム社会とマレー人のつながり 」で筆者はタイ深南部のタイムスリムのあらましを紹介しました、その後178回で「タイ深南部のムスリム社会とマレー社会の相違を探る試み」を書きました。今回は国境を舞台にしたマレーコミュニティーとタイムスリムのつながりの強さを示す出来事を書いてみました。

以前のコラムの1節を抜き出します: 「この5県では各県人口、数十万から百数十万程度、の半数以上がムスリムなのです。そんなにムスリムが多いのか、と驚かれる方もいらっしゃるでしょう、タイは仏教と微笑みと国王だけの国ではありませんよ。タイ観光局や日本の観光雑誌、旅行代理店のパンフレットや広告だけを見ている限りこういう印象が植え付けられても無理もないですが。まあ旅行代理店の観光パンフとかいくつかの旅行雑誌にとって本質なんてどうでもいいでしょうから、それを責めても始まりません。

タイ深南部のムスリムは当然ながらタイの主流社会ではありませんが、そうといっても、少数民族が多数派のビルマ族と戦いまでしているミャンマーとか、常に迫害の対象になるインドネシアの華人社会のようなことはありません。さらにタイ北部のいくつかの少数民族のように”見世物としての対象”になることもありません。タイムスリム社会はタイ主流仏教社会と平和裏に共存ししかし厳然とその生活スタイルと文化を守っているのです。」

このようにタイ深南部はタイ中央政府の積極的な観光開発の恩恵も浴びないし、日本人を含めた外国人の興味もまず引かないのですが、マレーシアを考え論じ、マレー人社会を観察するIntraasiaにはたいへん興味ある地域です。マレーシアにいくらか関係することであれば、例え日本人が全く興味を持たなくても書くのが筆者のあり方ですから、これからもタイ深南部を訪れ観察して発表していくつもりです。



数字で見たマレーシア、その13


国土の面積

全国の面積と州別の面積(ラブアン島は極小なので示していません)
州名ジョーホール州ケダー州クランタン州マラッカ州ヌグリスンビラン州パハン州ペラ州
平方Km18,9879,42515,0241,6526,64435,96521,005
大きい順586111034

ペルリス州ペナン州サバ州サラワク州スランゴール州トレンガヌ州クアラルンプール合計
7951,03173,619124,4507,96012,955243329,847
131229714

連邦領であるラブアン島は極小なので、この表に示していません。ただし合計には含まれている。
サラワク州が如何に広大かを示す数字がこの表から導き出せます。つまり半島部の全面積はサラワク州面積より約6%ほど広いだけなのです。

携帯電話網の利用者数

政府は電話・携帯電話網運営会社の数を現在の5社から、経済的により安定しテレコミュニケーションの全サービスを提供できる3社ほどに減らすことを希望しています。中程度国家として、5社は多すぎるということでしょう。
業界で推定されている、2002年始め頃の各社別利用者数
携帯電話網名CelcomGSMDiGiMaxis MobileTM TouchTimeCel
登録者数220万人140万人210万人130万人60万人


インターネット利用者数

エネルギー・コミュニケ^ション・マルチメディア省発表の数字(2001年末)
国内にはインターネットプロバイダー契約者数が240万人で、その半数がクアラルンプール及びスランゴール州です。ジョーホール州とペナン州が各11%ほどで、残りの州全部で残りの28%を占めている。
利用者がいかに西海岸側に偏重しているかが、この数字からもわかりますね。尚この数字は月日とともに増えていますので、現時点ではもっと上でしょう。

自動車販売台数

昨年の国内自動車販売数は2000年より16%伸びて、396381台でした。この伸びは主要アセアン国家内で最高だとのこと。これまでの最高は97年の40万台です。乗用車内で国産車が占める割合は93%。数字はマレーシア自動車連盟発表

単位は台乗用車内Proton車商用車4輪駆動車合計台数
国産車303222208746623113758
非国産車24225
3139217553
合計327447
3762331311396381


交通事故率の低下

車両1万台当りの交通事故率は、1994年が8.4でしたが、2001年は5.2に下がりました。バイク利用者の交通事故率が高く、自動車の運転者に比べて、交通事故死亡率は17倍も高い、とのこと。以上は運輸大臣の発表した数字です。

中央銀行の2001年年次報告から

中央銀行Bank Negaraが毎年発表するマレーシア経済全般に関する2001年・年次報告書の最新版です。

産業部門別国内総生産高 (統計庁、中央銀行の数字)
産業部門農業鉱業製造業建設サービス実質GDP伸び率
2001年2.5%0.2%-5.1%2.3%4.9%0.4%
2002年予測1.0%3.0%4.2%2.4%3.8%3.5%


2001年の経常収支は大きな黒字RM274億であり、これは国民総生産高GNPの8.9%を占めます。世界景気の影響で製造業品と産物の両方で輸出高の下落を記録しました、総輸出高の伸び率は前年比10%落ちましたがそれでも1987年以来ずっとプラスの伸び率です。

消費者物価上昇率は1.4%でした、2000年は1.6%です。失業率は2000年の3.1%から上昇して3.7%で、失業者数は36万人ほどです。しかしこの失業率が正確な国内労働市場の状況を現しているとはとても思えません、というのは雇用保険制度がないし、失業した人が必ず労働事務所に届ける慣習がないからです。

外国人の訪問者数

2001年の外国からの(宿泊を伴う)旅行者訪問数が、2000年比 25%増えて1280万人でした。これとは別の範疇である日帰り訪問者数も前年比40%以上の伸びで、2001年は1020万人でした。この旅行者数の増加は、国の会計に好影響を及ぼしており、サービス会計の赤字を25%減らしています。

KLIA空港の乗客総数は昨年1460万人でした、2000年は1470万人でした。その内中東からの到着乗客数は昨年が11万人で今年は25万人を予想しています。この数字は外国人とマレーシア人の合計です。

対外債務

マレーシアの外国に負っている対外債務総額は、前年比7.6%上昇して2001年末でRM1698億でした、これは国民総生産額に対する比率も上昇して55.4%です。この対外債務中、政府の債務分は14%のみで、民間部門の債務分が5割り近くを占めます。

マレーシアの私立高等教育機間

私立カレッジの州別校数(教育省発表の数字から抜粋)
スランゴールクアラルンプールジョーホールペラペナンその他の州合計
校数12080464132省略459校

教育省発表によれば、1月末の時点で移民局(出入国管理)が私立カレッジの外国人学生に学生ビザを発行した数は13400人ほどです。

相変わらず供給過多が収まらない不動産市場

供給過剰の不動産を項目別に表示

2000年6月
2001年6月

ユニット又は面積価格RM割合ユニット又は面積価格RM割合
住居用4570563億22%3520349億18%
工業用23986億2%329514億5%
小売販売店用598919億7%791722億9%
ショッピングセンター1538万平方フィート127億44%1559万平方フィート93億35%
オフィス用2390万平方フィート74億25%2720万平方フィート88億33%
合計
289億100%
266億100%

ショッピングセンターとオフィスがいかに供給過剰かがわかりますが、これは実感からも言えることです。1997年のアジア経済危機以来、この供給過剰状況はまだ続いています。

なぜ被害者にマレー人ヤング・子供女性の比が高いのか

警察の発表によれば、近親相姦として警察に届けられた件数が1998年から2001年の4年間で1369件ありました。この内容のマレーシア語新聞などが問題にしました、というのは被害者総数の7割が16才以下のマレー女性だったからです。人口比からいえば相当高い数字です。現在この近親相姦をいかに抑えるかが、政界やマスコミで論議を呼んでいます。

永住権獲得者の数

(移住、出入国を管理する庁の本締めである)内務省副大臣が国会の答弁で明らかにした数字です。過去5年間に外国人が、マレーシアの永住権を得た人数は、2970人でした。その内訳は、無国籍者が694人、(以後多い順に国籍を示すと)シンガポール人が576人、インドネシア人が568人、台湾人が363人、タイ人が211人、インド人 185人、英国人 65人、オーストラリア人 31人、パキスタン人 22人、日本人 20人、バングラデシュ人 15人、ドイツ人 14人、スリランカ人 11人、ブルネイ人 10人、その他省略です。

生活の質はこの10年間で上昇

内閣府直属の経済計画ユニットが調査した、マレーシア生活の質・報告書2002年によれば、1990年から2000年の間に、国民の所得は上がり、生活水準、交通とコミュニケーション施設、健康、教育などは充分に向上したことになります。しかし環境と公共安全面では、悪化しました。経済計画ユニットは生活の質指数を設定して、調査発表したのです。この指数によれば、1990年の100が2000年は108に上昇しました。

環境面で指数が下がったのは河川の汚染な度により、きれいな河の率が1990年の53%から2000年は28%に落ちました。公共安全面で、市民1000人当りの犯罪発生件数は1990年が3.8 で2000年は7.1に上昇、車両1000台当りの交通事故数は1990年が19.4で2000年が21に増えました。

交通事故は現実問題として、マレーシアで”一番危険なこと”だと、この数字からも言えます。強盗や暴力沙汰の被害者になるよりも、交通事故の被害者になる方が、マレーシア人も外国人もはるかに高いはずです。

解雇者統計数字の信頼性

人的資源省が統計した昨年2001年間の全国での解雇者数は38116人でした。2000年は24000人弱でしたので、37%増加したことになります。
しかしこの数字は実態を表してないことが容易にわかりますね。全国で年間たった4万人弱とは考えられませんから。法律上は雇用会社は、従業員を解雇または整理する前に管轄地域内の労働事務所に1ヶ月以上前に届けなければなりません。しかし労働組合のない中小企業、零細企業、個人商店などでは、わざわざ労働事務所に届けずに、従業員に規定の1ヶ月分ぐらいの給料を払って退職させる場合が相当多いと推定されます。マレーシアに失業給付のような仕組みは存在しませんから、労働者としても大きな不満などのない限り、労働事務所に届け出るメリットも薄いこともあります。
こうして、労働行政基締めの人的資源省の、解雇者数字は実態をよく表していないとみなされます。



カンボジアに見つけたマレーシアの姿とそれなのに存在感のないマレーシア−前編−


はじめにいきさつの説明

今回(5月前半)の旅ではカンボジアを訪れました。陸路タイとの国境地点からカンボジア入国し、また陸路別のタイとの国境地点からカンボジア出国しました。筆者には4年前のカンボジア入国に続く2回目の訪問ですが、前回はタイとの国境の町Poipetだけだったのに比べ、今回はプノンペンを含めいくつかの都市と町を訪れてできるだけうろつきました。そこでこのコラムでは、カンボジアをマレーシアに絡めて旅人の視点から描いてみます。

余談:ちょうど4年前私はタイからカンボジア入国を目指して4箇所ほどの地点からカンボジア入国を試みました。その中には当時クメールルージュの最後の拠点であったAnlong Vengに続くルートもあったのです。国境の10Kmほど手前でタイ警官に近くまで見に行きたいと訴えたら、カンボジア側は地雷原があり立ち入り禁止地帯になっているのに近づけるわけがないだろう、と注意されたものです。さらにそこから100Km以上離れた別地点である山中の国境近くの場所では、タイ人を装ってタイ側軍事検問ポストのある地点を通りすぎたのですが、草むらの中に続く人1人分歩くだけの細い山道を目の前にして、地雷が頭に浮かび怖くなってすぐ引き返しました。結局その当時正式に外国人に開かれていた唯一の国境検問所のあるPoipetからしか入国できませんでした。(というようなお話をこの旅の後、日本のある旅行雑誌に書きました)


マレーシアとのつながりが深いとは決して言えない

マレーシアとカンボジアってどんなつながりがあるのだろう?といっても東南アジア諸国の一員としてのつながりを別にすれば、歴史的にも宗教的にも政治的にも取りたてたつながりがあるわけではありません。現在カンボジアにとってマレーシアは5本指に入るカンボジアへの大投資国なのですが、これを知る人はまずいない。マレーシアとカンボジア間の往復貿易高は、普通の貿易統計表には示されていません。通常この種の統計は、3大貿易相手国の一つであるシンガポールを除いた、東南アジア諸国としてくくられてしまっていますからね。マレーシアと地理的且つ歴史的に縁の深いタイ、インドネシア、フィリピンに比べれば、カンボジアとの往復貿易高ははるかに少ないはずです。

経済的、貿易的つながりがマレーシア側から見れば低いのはわかりますが、それでは人的つながりはどうでしょう。これも地理的歴史的に極めてマレーシアと縁の深いタイ、インドネシア、フィリピン、ブルネイに比べれば、カンボジアははるかにはるかに薄いでしょう。マレー半島とボルネオ島部にタイ人、インドネシア人、フィリピン人及ぶそれらの子孫が数十万の単位で居住しています。マレーシアはインドネシアを筆頭にタイとフィリピンからは外国人労働者として彼らを受け入れていますから、この3カ国からの人間の存在はまこと身近にあります。ブルネイは反対にマレーシア人が働きに出かけています。シンガポールとマレーシアの人的と経済的の両面における緊密な関係は今更ここで述べるまでもありませんね。

これら5カ国に比べれば、カンボジアはマレーシア人にとってずっと縁遠い存在です。ごく少ないナショナル航空会社として、マレーシア航空がプノンペンとの間にほぼ毎日定期便を持っていますが、そのどれくらいの割合がマレーシア人の乗客なのだろうか?知りたいものです。英語紙と華語紙に毎日たくさん掲載される各社のパッケージ旅行広告に、カンボジア旅行の項目を見つけるのは珍しいことです(ないとは言いません)。ベトナムパッケージ旅行はよく掲載されているのですが、それより確実に少ない。

筆者は毎年クアラルンプールで開催される、マレーシア旅行業界の年次展覧会を毎回見に行っていますが、カンボジアのブースの存在に出会ったことはありません。一方タイやシンガポールやオーストラリアや中国の大きなブースは常にあります。旅行展示会でカンボジア旅行を積極的に売り込んでいる旅行社に出会ったことがありません。
こうして回りのマレーシア人の中でカンボジアを訪れたことのある人を探すのはかなりたいへんな作業だと言っても間違いないでしょう。

こういった事実をつなぎ合わせていけば、マレーシア人にとってカンボジアは、訪れたいまたは訪れたことのある旅行先として第3クラスよりも下の第4クラスでしょう。ちなみに第1クラスは、シンガポール、タイ、オーストラリア、英国、中国、香港でしょう、第2クラスはニュージーランド、米国、日本、ヨーロッパの主要国、台湾、(インド系マレーシア人には)インドでしょう、第3クラスはベトナム、フィリピン、エジプトなどでしょう。

注:ムスリムのメッカへのハジ旅行は除く


カンボジアのムスリム少数民族Cham

ここでマレーシアとカンボジアのつながりの薄さの中で数少ない例外を述べておきます。それはカンボジア人の中には数十万人程度のChamと呼ばれるムスリムのコミュニティーがあり、そのCham人をカンボジア混乱時代にマレーシアは難民または移住者としていくらか引きうけたということがあります。いうまでもなくイスラム教のつながりからでしょう。以前マレーシア語紙でこのChamに関する記事を見た記憶がうっすらあります。

私がクアラルンプールのカンボジア大使館へビザを取りに行った時に、偶然Cham人に出会いました。残念ながらどれほどのChamがマレーシアに現在住んでいるのかはわかりませんし、その数字を入手するのはきわめて難しい。なお以前クランタン州へ行っとき、朝市の物売りにカンボジア人がいると聞き、探したのですが、外見上からは他のマレー人と見分けがつきませんでした。同じムスリム衣装姿ですから無理もないでしょう、つまりそのカンボジア人とはChamのことに間違いありません。

さらに例外を挙げます。
カンボジアには東南アジアの例に漏れず華人も居住していますが、カンボジア華人界とマレーシア華人界に緊密な関係があるような記事を華語紙で読んだ記憶がありません。もちろん華人コミュニティー間のつながりが、その薄さにもかかわらずあることは当然ですが、その緊密度がタイのそれよりも、シンガポールのそれよりも、薄いのはいうまでもないでしょう。しかしカンボジア華人界とマレーシア華人界に決して太いとは言えないつながりしかこれまで存在しなかったにも関わらず、両国華人間に新しいつながりが発展して、それが現在目に見える形であることを、このコラムの後編で明らかにします。

タイ国境に近い町はバーツ経済

さて日本の半分の面積であるカンボジアの現在の人口は1千百万人を多少超える程度だそうです、つまりマレーシアの人口のちょうど半分ぐらいです。少数民族構成は多い準にベトナム人、Cham, 華人などでその少数民族合計の割合が約1割だそうです、つまり約9割がクメール人である民族純度の高い国ですね。

カンボジアは西をタイと接し東でベトナムに接するという地理的位置から、東南アジアの両大国に挟まれているわけです。ですからこの両国の存在または両国人の存在は国内各地で感じます。タイとの国境の町はいうまでもなくタイの影響をまともに受けています。その町の通用通貨がタイバーツなのです。例えばKoh Kong とかPoipetですね。客商売をしている者たち相手には、タイ語で大体用が足ります(その地区のカンボジア人が皆タイ語をそれなりに話すということではない)。タイの影響が強いことは知っていたものの、タイバーツ経済にはまず意外感を持ちました。

国内は米ドル経済が主流

そしてタイ国境に近い地方以外では、国内の基本的通用通貨は米ドルです。もちろんカンボジア通貨リエルも通用していますが、それは小口現金での段階であり、5米ドルぐらい以上の場合はカンボジア人同士での扱いでもほとんど米ドル紙幣で決済です。これは独立した一国としては悲しい状況だと言えますね。一国の貨幣がそこまで信用されていない、通貨価値の下落の影響を今も引いているということでしょう。尚ベトナムもまだ中口売買では米ドル決済が多いのですが、カンボジアよりずっとベトナム通貨ドンが流通していますね。

この一部地域のタイバーツ経済と大多数の地域での米ドル経済をみただけで、カンボジアの置かれた状況がわかってきます。同じ東南アジア国のマレーシアと比べるには気が引けるほど、国家としての自立経済がまだ根付いていないということです。ある国がその国内で交わされる小額の交易・売買においてさえ自国通貨で決済できないというのは、いかにその国の通貨が弱いかを示していますからね。

インフラの劣悪さが物語るもの

カンボジアの経済がまだ発展の初期段階に留まっていることは、国内を陸路移動していてよくわかりました。道路から見える範囲にほとんど工場らしきが目に入ってこないのです。首都プノンペンの近郊に近づいてうようやくいくつかの工場が目に入ってきただけで、その他の町の中にもその近郊にもまったく工場らしきがありません。たまにあっても手仕事程度の仕事場建物で、とても工場と呼べる規模ではありません。工場がなければその製品を販売する、それに付随するサービスを行う会社も生まれてきません。

この理由には道路整備、電力供給状況、上水道整備、電話線架線などのインフラが極めて整備されていないということが大きな理由の一つであるのは間違いないでしょう。この結果膨大な数の労働人口を非固定収入職業または半失業状態においていることになります。町にあふれるバイクタクシーの群れ、日中から薄ぐらいVCD喫茶に集まって画質の悪いビデオに見入っている青年男子の多いこと、ある種のサービス業につく若年女性の数が多いこと、などがそれを如実に物語っていますね。

タイとの国境すぐ内側に建っているカジノホテル

さらに国境の町Poipetでは、ストリートチルドレンらの物乞いとあくどい小遣い稼ぎ者があちこちに徘徊しています、ポン引きもいる、ひったくり泥もいるでしょう。各地へ行くピックアップトラックの客引きがうるさく、ひっきりなしにタイ側から物が運ばれてくるという混乱の町です。Poipetの町で目にしたこの姿は、4年前より悪化しているとの感想を持ちました。なにせ4年前にはなかった大きなカジノホテルが数軒もカンボジア側国境を数十メートル入っただけの地点に建っているのです。4年前にはすでに売春の宿で知られていたこの町に、今では加えてカジノの町にもなってしまったのです。もちろん主たる客はタイ人であり、タイに遊びに来た外国人でしょう。1日の稼ぎ数米ドルの貧しいカンボジア人労働者の群れの中に、1晩数百から数千米ドルもの金を賭けてカジノで遊ぶであろう外国人がたくさん出入りしておればその町がどうなるかです、Poipetはその典型的な町です。

さらに、Poipet に次いで外国人に門戸を開いたタイとの国境地区、こちらはまだ相当静かですが、にもこの数年カジノホテルが建ちました。このカジノホテルもカンボジア側の出入国検査建物から至近距離にあります(筆者は外から見ただけです)。タイ人ならパスポートなしでカジノに遊びに行けるのです。訪問者が金を使い地元人に雇用機会を提供するカジノホテル自体が悪いとはいいませんが、それに付随する、それがもたらす出来事が、ある層に属する貧しいカンボジア人の心を病ませていくのではないかと思います。しかし国家の論理はそんな倫理を無視するのが常です。公式にはカジノのような賭け事が禁止されているタイからタイ人を主体とした客をどんどん呼び込もうというのが、もちろんその狙いでしょう。カジノの水揚げの一定割合は当然国庫に入りますからね。

カジノホテルにはマレーシア資本もある

カジノといえばこれがたいへんマレーシアに関係あるのです。それはカンボジア第二の都市シアヌークビルには、マレーシア企業が建てて運営しているカジノホテルがあるからです。シアヌークビルには3つのカジノホテルがあるようですが、その内マレーシア資本のものは1軒なのか2軒なのか、残念ながらわかりません。数年前そのカジノホテル運営に関わるマレーシア人数人が、現地のカンボジア人に襲われて何日か連れ去られた事件が、マレーシアの新聞で報道されました。被害者の身体に被害はなかったようですが、内部の揉めごとからなのか、単なる金目当ての犯行だったのかなどのいきさつとこの事件の結末はほとんど覚えていません。はっきりしているのは、同じ東南アジア人だから犯罪に撒き込まれれにくいなんてことはありえないということです。

ゲンティングループのバス会社が中距離バス網を運行

シアヌークビルにはもう一つマレーシアの姿があります。それはプノンペンとの間を結ぶバス会社の3社中の1社がHo Wah Genting Bus会社なのです。Ho Wah Genting? そうゲンティンハイランドでマレーシア唯一且つ巨大なカジノを運営している例のGenting(雲頂)グループに属する社なのです。Gentingグループの中心会社がHo Wah Gening Berhadであり、マレーシア株式市場の有名な上場会社です。Ho Wah Genting Bus はそのHo Wah Gening Berhadがカンボジアに設立し運営ししている会社でしょうが、親会社が何パーセント所有しているかは知りません。バスの車体のロゴはGentingグループのロゴと同一であり、その車体カラーはクアラルンプールとゲンティンハイランド麓間を運行している乗り合いバスの以前のカラーとほぼ同じなので、そういうことに通じている私にはすぐわかり、多少の感慨を感じました。といってもカンボジア人にはそんな感慨は全くわかないでしょうし、ましてシアヌークビルの町でよく見かける白人旅行者はまったく知らないことですね。

このHo Wah Genting Busに乗って、筆者はシアヌークビルからプノンペンに向かいましたが、予定通りの4時間で終点に着いたことがいささか意外でした。もっと遅れると思っていたのです。しかし非常にスムーズな運行であり、それは多分にカンボジア国内道路網で例外的に良い道路と言われる国道4号線のおかげであったことでしょう。バス車両はカンボジア道路交通に合わせて左ハンドル車ですが、シートの配置や色合いから推察して車両そのものはマレーシアの中古車でないかとの印象を持ちました。

注:自動車右通行の国カンボジアの各地では、日本や韓国やタイから入れた中古車が右ハンドルのままたくさん走行している。このためただでさえ道が悪いのに、無理な追い越しの危険性はよけいに高い。


プノンペンの中心市場至近距離にあるHo Wah Genting Busの発着場は狭くてごちゃごちゃしていながらも、、カンボジア水準からいけばわかりやすく表示されており、この発着所から同バスは他にも中近距離の3ルートを運行しています。つまりHo Wah Genting Busはカンボジア有数の整備された乗り合い中近距離バス会社だといえるでしょう。もっともカンボジアに乗り合い中近距離バス会社のそのものがごく数少ないですから、複数路線を持つバス会社としては多分唯一でしょう。

マレーシア人社員がいたら一言言葉を交わそうと、Ho Wah Genting Busのシアヌークビルの営業所でカンボジア人従業員に、マレーシア人が働いているかと聞いたのですが、よく知らないがプノンペンにはいるかもしれないとの返事だったので、プノンペンのそのバス発着所の事務所に期待したのですが、その日はたまたま日曜日、たとえいても休みだろうと探すのは止めました。

大通りの目立つ場所に構えるマレーシア航空のオフィス

プノンペンに到着した後、そのバス発着場のある中央市場からほど近くを走っているプノンペン有数の大通りMonivong通りを、その日泊まるホテルを探そうと歩き出すと、そのMonivong通りに面したまあそれなりに立派なビルの1階がマレーシア航空の営業所ではありませんか。大きな宣伝文字でマレーシア航空と書かれ、ロゴも描かれている、ここにもマレーシアの姿を見つけたのです。カンボジアに直行便を持っている国のナショナル航空は極めて少ない中で、マレーシア航空は以前からフライトを運行しています。(飛行機でひょいっと飛んでその国の都市に降り立つというのは面白みがないので、私は好みませんが)

余談:バスである町に着きそこから泊まるホテルを歩いて探すスタイルは、筆者が25年以上世界の至る所で常に行ってきたことで、別にカンボジアに限りません。地図ぐらいは手元にある場合もあるし、何もなく感覚で歩き回る場合もある。カンボジアでの宿泊予算は1泊10米ドルまでと決めていました。


タイ湾沿岸を航行するスピードボートはマレーシア製中古

このマレーシアの姿、特に交通機関における姿は、今回筆者がカンボジア入国した国境の町Koh Kong とシアヌークビラを運行するスピードボート便に最初の姿を見つけました。そのスピードボートは、まず間違いないと思いますが、サラワク州の奥地から沿岸部に流れ出す河を航行しているボートのお古なのです。とうもろこし形のボートの姿はそれにそっくりであり、且つ座席のヘッド部分のビニールカバーの広告文字にサラワク、Sibuの文字が書かれていました。さらに船内に書かれた1、2の文字列からもこう判断できました。約150人乗りの冷房ボートは、この地で再利用されているわけで、荷物を船体屋根に山積みして、カンボジアのタイ湾に面した沿岸を航行しているのです。尚このボート航行は(外国人は)運賃15米ドルで約4時間かかる。

Koh Kongとは、タイ最西南端にあり且つタイ湾に面した小さな村から陸路歩いてカンボジア入国し、そこからバイクタクシーで10分ほど走った地方の唯一の町です。タイバーツ経済化された僻地の町で、マレーシア製の古ボートを見つけそれに乗ったのは、知らない土地でぱったりと旧友に出会った気分になったものです。ところで国境検問所からこのKoh Kongの町に入る手前の大きな河に、まっさらの立派な橋が架けられています。回りの環境に似つかないほどの立派さです。渡り終ったバイクタクシーの荷台から標識を見ると、2002年4月竣工、日本カンボジア友好による橋と記されているのではありませんか、これにも多少の感慨を覚えたものです。

余談:このKoh Kongへ入るルートは筆者には因縁のルートで、4年前筆者が訪れた時、現在はタイ人だけに許されているがあと10数日で一般外国人向けにも開通するとの通知が出ている、とタイ側の国境検問官が教えてくれました。珍しい入国ルートを狙っていた私は、とてもそんなには待てないので、外国人初の入カンボジアの機会を逃す無念さを抱えながらその地を去ったのです。今ではタイからカンボジア入国できる2地点の一つとして、旅行者は少ないながらも白人バックパッカーらが利用しています。


交通機関、カジノホテル、それ以外にどんなマレーシアの姿があるだろうか

こうしてスピードボート、中距離バス、さらにマレーシア航空と、3種の乗り物にマレーシアの姿を見つけたのです。さらに上記で紹介したシアヌークビルのカジノホテルがあります。マレーシアに関してはそれ以外には何があるのでしょうか?尚未確認ですが、マレーシアの木材木企業がカンボジアで伐採所業を行っているそうです。

それは思いがけない発見でした、カンボジア地元発行の華語新聞の一つが”カンボジア星洲日報 ”という名の新聞だったのです。この新聞名は、マレーシアNo1の華語紙”星洲日報”の資本が入っている新聞に間違いありません。そこで筆者は店頭でそれを見てすぐ買い求めたのです。
この新聞のことに触れるにはまずカンボジアにおける華人社会に触れなければなりません、後編はそこから始めます。



あなたの”マレーシア通”度を試す100の問題 −今週のマレーシア300回記念の特別企画−


はじめに

数少ない分野でのうんちくをみるのではなく、できるだけ幅広いマレーシア知識を試せるようにと、20に及ぶ分野での知識を問うことができるように問題を作成しました。ごく基本的な知識を問う問題から、かなり専門的知識を問う問題まで散りばめてあります。各分野から5つの問題で合計100の問題に挑戦されて、あなたの ”マレーシア通” 度を試されてはいかがでしょうか?
全問の最低半分正解つまり最低50点取れば、あなたは”マレーシア通”ですよ。

ステップ

  1.  まずこの問題集の載ったページを印刷する
  2.  ア、イ、ウ、から答えを選んで、その記号に丸をつける
  3.  制限時間50分、何も参照せずに正直にお答えください
  4.  解答をコラム301回の付録に載せますので、自己採点してください


”マレーシア通”問題集 全100問 (制限時間50分)


基本的数字に関する知識

1.半島部とボルネオ島部からなるマレーシアの国土面積は日本の面積と比べて
ア、15%ほど日本より小さい   イ、ほぼ同じ面積   ウ、15%ほど日本より大きい

2.マレーシアの総人口はどれくらいあるでしょうか?(2008年時点)
ア、約1500万人   イ、約2700万人   ウ、約3500万人

3.マレーシアは州制をしいていますが、州の数はいくつありますか?
ア、11州   イ、12州   ウ、13州

4.マレー人が総人口に占める割合はどれくらいでしょうか
ア、5割をやや超える程度   イ、6割をやや超える程度   ウ、7割をやや超える程度

5.華人が総人口に占める割合はどれくらいでしょうか?
ア、15%ぐらい、  イ、20%ぐらい   ウ、25%ぐらい

動植物に関する知識

6.半島部には象が生息していますが、ではボルネオ島部ではどうでしょうか?
ア、現在でも生息している   イ、昔は生息していたが今では絶滅した   ウ、元来生息していない

7、マレーのトラといわれるように半島部にはトラが生息しています。しかしトラの生息数は昔に比べればずっと減っており、現在では一般に専門家は何頭ぐらい生息していると推定しているでしょうか?
ア、3桁頭数の範囲つまり千頭にも満たない   イ、2千から3千頭の範囲   ウ、5千頭を多少超える程度

8.世界一の巨大花ラフレッシアが咲いているのは
ア、ボルネオ島部だけ   イ、半島部だけ   ウ、ボルネオ島部と半島部の両方

9.マレーシアの国花はどの花でしょうか?
ア、ハイビスカス   イ、オーキッド   ウ.ラフレッシア

10. マレー民間強壮剤として昔からよく知られたトンカット・アリは植物のどの部分のエキスを集めて調剤するのでしょうか?
ア、ある種の植物の葉の部分  イ、ある種の植物の根の部分  ウ、ある種の植物の実の部分

産業に関する知識

11.マレーシア国内で昨年2001年に販売された自動車台数はどれぐらいでしょうか?
ア、約20万台   イ、約30万台   ウ、約40万台

12.マレーシア最大の産業は何でしょうか?
ア、錫を中心とした鉱山産業   イ、電子・電気産業   ウ、森林伐採・木材加工産業

13.マレーシア産の農産物で一番輸出高が多いのは?
ア、ゴム及び生ゴム   イ、木材・丸太類   ウ、パームオイル

14.マラヤ半島はゴム栽培で有名ですが、現在ではマレーシアの生ゴム産出量は世界で何番目でしょうか?
ア、依然として第一位   イ、第二位   ウ、第三位

15. マレーシアは石油産出国ですが、ではその石油の輸出入状況は
ア、もっぱら輸入している  イ、輸入する一方輸出もしている  ウ、もっぱら輸出している

大衆食・屋台に関する知識

16.テータリックはマレーまたはインド大衆レストラン・屋台ならほとんどどこでも飲めますが、コピータレはどうでしょうか?
ア、テータレが飲めればまず飲める   イ、コピータレが飲める店・屋台は極めて少ない   ウ、店・屋台によって違う

17.バナナリーフカレーを食べ終わった後、バナナリーフの上端を自分の方に向けて織り返しておく意味は
ア、美味しかったとの意味   イ、まずかったの意味   ウ、そういう意味合いはなく単なる習慣

18.マレー大衆食堂・屋台の中には、テーブル上に小さなやかんのような物がおいてある店があります。これは何に使うのでしょうか?
ア、ムスリムが食事前にお祈りに使う   イ、食べ終わった後口をすすぐため   ウ、食事に用いる、用いた指先を洗うため

19.ムスリムの中には指で食事する人が多いのですが、この時の決まりは?
ア、右手だけを使う   イ、左手だけを使う   ウ、その人の利き腕に限られる

20.代表的マレー料理であるサテは動物の肉を焼き鳥風にしたものですが、そのサテに用いない肉はどれでしょうか?
ア、山羊   イ、小鳥   ウ、牛

犯罪に関する知識

21.マレーシアでは重犯罪、性犯罪などを起こして有罪と判決された者には、懲役に加えて鞭打ち刑が科されます。その対象とは
ア、すべての男性犯罪者   イ、60才以下の男性犯罪者   ウ、50才以下の男性犯罪者

22.マレーシアでは麻薬犯罪には死刑が判決され且つ執行されていますが、その対象とは?
ア、多少の量に関わらず麻薬を所持していた者すべて   イ、一定量以上の麻薬所持者に対してのみ   ウ、麻薬常習者または慢性的中毒者に対してのみ

23.ムスリムに関する裁判はシャリア法定で裁かれるまたはそこに訴えます。ではその裁かれるまたは訴える範囲は?
ア、家族、親族、財産、遺産、結婚離婚などの分野に限られる   イ、アの分野に加えて刑事犯罪の一部も含まれる   ウ、民事刑事に関わらずムスリムの犯したほとんどの犯罪に及ぶ

24.マレーシア国内で交通事故死する人の数は平均して年間大体何人くらいでしょうか?
ア、約6000人   イ、約9000人   ウ、約12,000人

25.事件、被害などの際に警察に届け出る時、訴える時必ず記入することになるPolice Reportは何語で書かなければならないでしょうか
ア、マレーシア語のみ   イ、マレーシア語または英語   ウ、マレーシア語または英語または華語

マレーシアの華語に関する知識

26.華語マスコミはマレーシアの地名を当然華語で表記します。次ぎの単語"新山”は頻繁に出てくる地名の一つです、どこのことでしょうか?
ア、アロースター   イ、コタバル   ウ、ジョーホールバル

27.同じく有名な島名の華語表記です、”檳城”とはどこのことでしょうか?
ア、ペナン   イ、ランカウイ   ウ、ティオマン

28.華人の屋台・大衆食堂の料理名にはよく ”粉” という字が書いてあります。これは何を意味するのでしょうか?
ア、餅のように粉をこねた食品   イ、麺類の別名   ウ、お汁粉のような甘味食物をいう

29.マレーシア特有の華語表現も頻繁に使われます。次ぎの単語 ”羅厘” とは何を意味していますか?
ア、トラック   イ、タクシー   ウ、バス

30.”大馬” とは華語新聞に頻繁に現れるマレーシア華語らしい表現です、何の意味でしょうか?
ア、マハティール首相の略呼称   イ、大きな馬のこと   ウ、マレーシアの自称

マレーシア語に関する知識

31.”aku” はマレーシア語の口語表現に最もよく使われる単語の一つです。意味は何でしょうか?
ア、英語の”not" の意味   イ、”私”の意味   ウ、”したい”という欲求を示すことば

32."Sama sama”という表現は、どのような決まり言葉を言われた時に返すことばでしょうか?
ア、ありがとう   イ、さようなら   ウ、ごめんなさい

33.サラワク州の州都クチンはある動物のマレー語名でもあります、その動物とは
ア、猫   イ、犬   ウ、ワニ

34.日本語の数え方は、11が十と一、12が十と二、13が十と三、以下同じです。英語は11がeleven、12が twelveのように十と関係ない単語ですが、13からはthirteenのように十と三の方式となります。それではマレーシア語の11から19の数え方は?
ア、英語式   イ、日本語式   ウ、そのどちらでもないその他の方式

35. マレーシア語は英語、アラビア語、サンスクリット語などからの借用語が目立ちます。次ぎのうちどれが英語からの借用語ではない単語でしょうか?
ア、stesen   イ、masjid   ウ、poskad 

マレー文化、イスラム教に関する知識

36.マレー語は昔アラビア文字を使用して綴られていました。現在でもマレー人は学校で習いますが、これを何と呼びますか?
ア、ジャバラ  イ、ジグリ  ウ、ジャウイ

37. マレー人を主としてムスリムの大多数は、その名前の中に"bin" "binti" という単語が混じっています。この意味は
ア、bin は父誰の息子、bintiは父誰の娘を示す  イ、binti は父誰の息子、binは父誰の娘を示す ウ、binは長男または長女、 binti は末っ子を示す

38. ムスリムは1日何回お祈りをささげるべきだとされていますか(強制ではない)?
ア、3回   イ、4回   ウ、5回

39.マレーコミュニティー最大の祭礼・祝祭日は、一般にハリラヤプアサと呼ばれます。このハリラヤプアサとは
ア、ラマダーン月明けの祝祭   イ、イスラム歴の正月   ウ、ムスリムがメッカ巡礼を祝う祝祭

40.飲食物によく”Halal”と表示が書かれていますが、この意味は何でしょうか?
ア、菜食主義者向けという意味   イ、ムスリム専用の飲食物との意味  ウ、ムスリムにとって飲食することが許されているとの意味

政治に関する知識

41.次ぎの政党中で1党だけ現在は与党連合BNの構成政党になりました、それはどの党でしょうか?
ア、DAP   イ、PBS   ウ、Keadilan Nasional

42.マレーシアの国会は2院制です。議員が国民による選挙を経て選ばれるのは?
ア、Dewan Rakyat   イ、Dewan Negara   ウ、Dewan Rakyat とDewan Negaraの両院

43.マハティール首相はマラヤ連邦が独立した1957年以来何代目の首相ですか?
ア、4代目   イ 5代目   ウ、6代目

44.支配政党のUMNOは全国に組織があり、その州政治の中枢を握っていますが、例外はPAS党支配の州です。与党連合が州政権を握りながらもUMNOの組織がない州がひとつだけあります。その州とはどこでしょうか?
ア、サバ州   イ、サラワク州   ウ、マラッカ州

45.PAS党が州政権を握っていない州はどこでしょうか?
ア、クランタン州   イ、トレンガヌ州   ウ ぺルリス州 

テレビ、ラジオ、新聞などマスコミに関する知識

46.タミール語とボリウッドミュージックの放送で知られた民放ラジオ局といえばどこでしょうか?
ア、Mix FM局   イ、MyFM局   ウ、THR局
 
47.マレーシアの公営テレビRTMのチャンネル数はいくつあるでしょうか?
ア、1チャンネルだけ   イ、2チャンネルある   ウ、3チャンネル

48.民放ラジオ局中常に聴取者数No1のラジオ局といえば?
ア、My FM局、  イ、hitz.fm局   ウ、ERA局

49.マレーシア新聞界で最大発行部数を誇るのは?
ア、Utusan Malaysia   イ、 The Star   ウ、 Berita Harian

50.マレーシアで一番古い華語新聞であり、今尚ペナンなど北部州で発行されている新聞名は?
ア、光明日報   イ、光華日報   ウ、星洲日報

マレーシア旅行に関する知識

51.半島部からサバ州またはサラワク州行きの乗客用フェリー航路はあるでしょうか?
ア、乗客用航路はない   イ、 マレーシアの大祝祭時期だけ運行される   ウ、毎週1便だけある

52.シンガポールからクアラルンプールを経由してバンコクまで鉄道の旅をする場合(もしくはその逆コース)、最低何回の乗り換えが必要でしょうか?
ア、乗り換えは要らない   イ、最低1回は必要   ウ、最低2回は必要

53.国内路線の低価格運賃で知られる航空会社はどの社でしょうか?
ア、Berjaya Airways   イ、Air Asia    ウ、Pelangi Air

54.ペナン島にある、豪華なリゾートがたくさん立ち並び外国人観光客に一番好まれる海岸を何と呼びますか?
ア、バトゥフェリンギ海岸   イ、バトゥパハット海岸   ウ、バトゥペナン海岸

55.マレーシアでは多くのホテルで部屋内の天井に矢印(kiblat)が描かれています、これは何の意味でしょうか?
ア、非常口の方向   イ、ムスリムがお祈りをささげる方向を示す   ウ、土地・建物占いによる風水の意味合いから描かれている

マレーシアの中の日本に関する知識

56.マレーシアには日本の人気食文化が移入されて専門店として商売繁盛しています。次ぎの中で全く見かけない食べ物専門店はどれでしょうか?
ア、回るまたは回転する寿司   イ、お好み焼き   ウ、牛丼

57.マレーシアには日本の大スーパーマーケットの現地法人が成功裏に商売を展開しています。次ぎの内どのスーパーでしょうか?
ア、ダイエー   イ、ジャスコ   ウ、イトーヨーカードー

58.マレーシアには日本人学校が数校あります。それがない州は次ぎのどの州でしょうか?
ア、サバ州   イ、ジョーホール州   ウ、マラッカ州

59.日本人のマレーシア訪問者は年間どれぐらいでしょうか(日帰り訪問者は除く)?
ア、15万から20万人ぐらい   イ、25万から30万人ぐらい   ウ、35万から40万人ぐらい

60.日本人でマレーシア永住権を認められ人の数は、年平均何人ぐらいでしょうか?
ア、4、5人   イ、 20人前後   ウ、100人近い

一般生活に関する知識

61.マレーシアの一般家庭の電圧は何ボルトでしょうか?
ア、100V   イ、110V   ウ、220V

62.救急車を呼ぶ電話番号は何番ですか?(ただし全国どこでも救急車がその現場に向かうのでなく、限られた地区と場所です)
ア、119   イ、910   ウ、999

63.道路交通での自動車はどちら側通行ですか?
ア、右側通行   イ、左側通行   ウ、半島部とボルネオ島部では通行側が違っている

64.マレーシアのトイレの個室の方には、便器の隣によく蛇口があってそれにホースがつけてあります。これは何のため?
1ア、排泄器官を洗うため   イ、水洗の力が弱い時これで汚物を流すため   ウ、手を洗うため

65.コンドームは一般に薬局、ドラッグストアで入手できますが、次ぎの内コンドームが全く買えないのはどれでしょうか?
ア、自動販売機   イ、セブンイレブンのようなコンビニ   ウ、スーパーマーケット

芸能事情に関する

66.ボリウッド映画と音楽はマレーシアではたいへん人気があります。新聞はこれに関して多少に関わらず定期的にニュースを載せていますが、めったにそういたニュースを載せないのはどれでしょうか?
ア、華語紙   イ、英語紙   ウ、マレーシア語紙

67.マレー映画界で最も有名な俳優であり監督であり且つ歌手でもあった者といえば
ア、S.M.Salim   イ、Sedirman   ウ、P. Ramlee

68.ルダン島とマラッカでほとんどロケ撮影して話題になった香港映画に、マレーシア華人音楽界のNo1である阿牛が初めて映画出演しましたが、その映画には同じく人気あるマレーシア華人歌手も出演しました。それは誰でしょうか?
ア、品冠   イ、光良   ウ、静茹

69.マレー民族芸能の故郷ともいえるクランタン州では2,3のマレー民族芸能が一般向け公開を禁止されています。それは次ぎのどれでしょうか?
ア、Wayang Kulit    イ、Dikir Barat    ウ、Wau揚げ

70.現在のマレー映画界の女王と言えば誰でしょうか?
ア、Erra Fazira   イ、Siti Nurhaliza   ウ、Juliana Banos 

隣国との関係に関する知識

71.マレーシアの自家用車がシンガポールに入国する場合、平日は1台いくらの通行税をシンガポール当局に納めなければなりません。ではシンガポールの自動車がマレーシアに入国する場合はどうでしょうか?
ア、平日だけ税を払わなければならない   イ、曜日に関わらず税を支払わなければならない   ウ、曜日に関わらず税を支払うことはない

72.マレーシアは北部の4州がタイと国境を接しています。国境の陸路検問所の箇所が一番多いのはクランタン州ですが、次ぎの州の内複数の検問所箇所を持つ州はどこでしょうか?
ア、ぺルリス州   イ、ケダー州   ウ、ペラ州

73.マレーシアの半島部の港からインドネシアのスマトラ島へは定期フェリー便が運行されています。次ぎの州のうち、そのフェリー便が運行されている波止場がない州はどれでしょうか?
ア、ペラ州   イ、スランゴール州   ウ、マラッカ州

74.サバ州の小島Sipadan島付近は世界的にも有名なダイビングスポットです。Sipadan島はその地理的位置からある国が領有権を主張して、国際司法裁判所に訴えています。その国とは?
ア、フィリピン   イ、インドネシア   ウ、フィリピンとインドネシアの両国

75.シンガポールがマレーシアから分離独立したのは何年でしたか?
ア、1963年   イ、1965年   ウ、1969年

食と飲に関する知識

76.マレーシアでは米が主食ですが、米は自給できているのでしょうか?
ア、相当程度輸入に頼っている   イ、ほぼ自給できる状態   ウ、あまり気味なので輸出もしている

77.マレーシアで最大のビールシェアを持つブランド名は何でしょうか?
ア、Tigerビール   イ、Carlsbergビール   ウ、Anchorビール

78.マレーシアで最多数のチェーン店を展開するファーストフーズ店はどこでしょうか?
ア、ケンタッキーフライドチキン   イ、マクドナルド   ウ、Shakey's

79.ナシダガンは主としてどの州の地場料理でしょうか?
ア、ペルリス州   イ、パハン州   ウ、クランタン州

80.マレー料理に欠かせないベースまたは材料とはいえないものはどれですか?
ア、チリ  イ、バナナの実   ウ、ココナツミルク

民族に関する知識

81.人口全部合わせても10万人ほどで、かつてはさらに今でも多くの人は、採取・狩猟生活や沿岸漁業生活をしており、その生活条件の向上が望まれているマレー半島の先住民族を通常何と呼びますか?
ア、オラン フタン   イ、オラン アスリ   ウ、オラン ムラユ

82.マレーシアのインド人各コミュニティーの中で最大の民族コミュニティーは何人でしょうか?
ア、ベンガル人   イ、タミール人   ウ、パンジャビ人

83.カダザン・ドゥスン人はどこの先住民族でしょうか?
ア、サラワク州   イ、サバ州   ウ、ケダー州

84.スマトラ島のミナンカバウ民族を先祖に持つ人々が主として居住している州はどこでしょうか?
ア、スランゴール州   イ、ヌグリスンビラン州   ウ、マラッカ州

85.マレーシアの華人コミュニティーで最大の言語グループは何人でしょうか?
ア、福建人   イ、広東人   ウ、客家人

経済に関する知識

86.現在マレーシア通貨リンギットは米ドルに対して固定為替相場制を採用しています。そこで1米ドルは何リンギットでしょうか?
ア、RM 3.5   イ、RM 3.8   ウ、RM 4.1

87.現在、マレーシア国民1人当りの国民総生産高はいくらぐらいでしょうか?
ア、約RM7,000   イ、約 RM10,000   ウ、約 RM13,000

88.マレーシアにとって最大の貿易相手国とはどの国でしょうか?
ア、シンガポール   イ、日本   ウ、米国

89.マレーシアの国内総生産高における昨年の経済成長率は
ア、わずかなマイナス成長   イ、ゼロ成長   ウ、わずかなプラス成長

90.過剰供給状況が未だに解消できない業界といえば
ア、不動産業界   イ、プランテーション農業界   ウ、ゴム製品製造業界

マレーシア英語に関する知識

91.マレーシア英語の表現にしばしば出てくる単語です。”Mat Salleh” とは何の意味でしょうか?
ア、中国人   イ、白人   ウ、日本人

92.”Don't you know how to go to Isetan? ” と尋ねたら、”Yes" と相手は答えました。このマレーシア語英語の意味は?
ア、イセタンへの行き方を知らない  イ、イセタンへの行き方を知っている   ウ、あいまいな返事で相手をまどわかしている

93.Outstation という表現をよく聞きますが、どういう意味でしょうか?
ア、いつも生活・働いている町・市を留守にして出かけていること   イ、郊外にある駅のこと   ウ、駅の外で、という場所を示す

94.起源は違ってもいずれもマレーシア英語の世界で使われる相手への呼びかけ語ですが、こう呼ばれて中には不愉快に思う人が出てくる可能性がある語はどれでしょうか?
ア、towkay   イ、auntie    ウ、Datuk

95. 発音が日本語の「あらまー」に似ているよく使われる感嘆語があります。この由縁は
ア、旧日本軍占領時代の日本語がマレーシア人の言語生活に残った   イ、純粋なマレー語であるが、たまたま発音が日本語に似ているだけ   ウ、アラビア語の単語Allah にマレー単語がくっついた表現

雑学に関する知識

96. マレーシア航空の尾翼などの機体に描かれているロゴ・マークは何を示しているのでしょうか?
ア、マレー織物中の有名な柄   イ、マレー凧   ウ、マレー楽器

97. ドリアンを食べた直後にしてはいけないと、一般に言われていることがあります。それはどんなことでしょうか?
ア、セックスをする   イ、酒類を飲む   ウ、 寝てしまう

98. 庶民にたいへん人気ある4Dくじですが、そのくじの形式はどういう風でしょうか?
ア、購買者が数字を自由に決めることができる   イ、くじに数字が印刷されているので購買者がそれを選ぶことはできる   ウ、購買者は数字の組み合わせ自体に全く選択権はない

99.ペトロナスツインタワーは何階まで階があるでしょうか?
ア、77階   イ、88階   ウ、99階

100.イスラム歴と中国歴(農歴とも呼ぶ)は両方とも大陰暦ですが、両歴の新年が合致するのは30数年に1回だけです。その理由は
ア、イスラム歴の方が多少長いから  イ、中国歴の方が多少長いから   ウ、中国歴には閏月があって1年の長さを調整しているから

以上。
それでは”マレーシア通”を目指して、多く方が半分正解つまり50点取れますように。
問題作成及び出題はIntraasia Info Net



サバ州のダイビングアイランドの統治権を主張し合うマレーシアとインドネシア


シパダンは一般大衆には縁の遠い島

サバ州の東海岸地方の南部の沖にぽこっと浮かぶ小島Sipadan、ダイビングアイランドとしてその名は世界中のダイビング愛好家の間に響いているそうですが、マレーシア人にとって、とりわけ半島部とサラワク州のマレーシア人にとって、シパダン島は心理的に英国よりもりも遠い島であり且つ全く縁のない島でしょう。この島に縁があるかまたは興味を持つマレーシア人は、地元の人を除けば、一部の裕福なダイバーとダイビングビジネス関係者とウミガメなどの野生動物保護関係者であり、通常のマレーシア人大衆観光客が島を訪れることはないといっても過言ではないでしょう。

注:これを裏付けるように、過去17年間に13万人以上の観光客が島を訪れたがその大多数は外国人です、と国際司法裁判所の陳述でマレーシアの大使が陳述しています。


地理的位置では、スルー海とスラウエシ海が出会うあたりの位置にあり、インドネシアのカリマンタンまでは数十キロの距離でしょう。島または島へ渡る唯一の港町Sempornaへは半島部からの直行飛行便はありませんから、コタキナバルで別便に乗り換えサンダカンかTawauで降り、そこから陸路到達となります。こうしてSipadan島は距離的にも交通便の面でも半島部とサラワク州の民には相当縁遠い地方です。かくいう筆者も、何年か前のサバ州一週の旅ではサンダカンからTawauへ陸路移動したのですが、Sipadanに渡る港町Sempornaには寄りませでした。筆者はダイビングしないので、行こうか迷ったのですが結局立ち寄るのを止めてしまいました。

フィリピンゲリラの人質事件で一般大衆にもその名が知られた

そのSipadan島が多くの人の注目を浴び且つそのおかげで名前が知れ渡り、その位置も覚えられたきっかけは、2000年に発生した、南フィリピンの反政府イスラムゲリラ組織によるSipadan 島観光客10数人の人質連れ去り事件です。この不幸な事件の発生時には大きく国内外でも報道されましたから、多くの国民がその位置と名前を初めて知ったことでしょう。さらに事件解決までに約半年もかかり、その間に第2の人質連れ去り事件が発生したので、シパダン島の名はさらに国民に広まったのです。シパダンで働いていたフィリピン人1人を除いて人質全員のマレーシア帰国またはそれぞれの自国への帰国という事件の一件落着によって、もうシパダンの名がマスコミに踊ることは全くなくなりました。

もちろん小さな活字でシパダンは新聞にはたまに現れますが、その内容は常にフィリピンやインドネシア人違法入国者の通過点としてのサバ州東海岸、または違法外国人の多いSandakanやTawauの話題が載る際にからめてシパダンの近海の治安警備の話しですから、一部を除いてほとんどのマレーシア人には興味ないことでしょう。

オランダの国際司法裁判所に両国が訴えた

このシパダンに関わるニュースが最近新聞に数回続けて載っています。なぜ?事件でもあったのでしょうか?いや事件ではなく、国際司法裁判に関する記事です。ということで多くのマレーシア人にまた興味をかきたてるようなものでは全くありません。地味なニュースなのですが、国家という機構から見ると重大なニュースです。なぜならそれはSipadan島とその付近に浮かぶLigitan島の帰属を争う裁判だからです。この裁判はオランダのデンハーグの国際司法裁判所で6月初旬に開始されたばかりです。Sipadan島とLigitan島の帰属を争うのは、マレーシアとインドネシアです。両国は以前からこの両島に対してそれぞれ統治権を主張しており、1992年から96年まで両国間で話し合いを持ったのですが合意に達せず、そこでそれを平穏裏に解決するために国際司法裁判所に訴え、その公開陳述とされに続く仲裁が始まったわけです。

注:以下このコラムで、両島とはSipadan島とLigitan島を指します。


インドネシアはこう主張する

歴史的に見て両島はインドネシアに属す。それはイングランドとオランダ間で1891年に結ばれたアングロ・ダッチ国際協定にも記されている。1969年に両国に対する統治権で論争が起き、両国は互いに相手の主張を尊重して国際司法裁判所にゆだねることに同意した。そのため両国がこの両島の近海で日本の会社(複数)に石油とガスの調査採掘のための免許を認めた時、両国はその当時の現状を認めて、免許がダブらないようにした。1969年に至るまで両国は無人の島であった、両国の漁民の避難所程度に使われていただけであった、と。

しかし1979年になってマレーシアが互いに現状維持というその態度を変え、いくつかの一方的な手段を取り始めた、まず地図に両島がマレーシア領であると記し、ついでSipadan島にいくつかの旅行者用施設を建設した。

またインドネシアがその立場を裏付けるために呼んだ英国の学者は、オランダとイングランドが協定を結ぶ以前、この両島に関する所有をフィリピンのSuluスルタン領とインドネシアのBulunganスルタン領が主張していた、との見方を提示しています。植民地勢力のイングランドとオランダがこの地方の植民地支配を確立しボルネオの分割支配に同意した時、1891年の協定でこの両スルタン領の主張も片付けたそうです。そしてその当時作成された地図にはオランダの統治下に両島は描かれている、その地図はオランダとイングランドの議会に提出されたが何ら反対は起らなかった、とこの学者は説明しています。この地図に引かれた境界線である北緯4度10分の南に、両島は位置している、だからオランダの統治si下に入っているのである、と。

さらに当時のサバ州を統治した英国北ボルネオ会社の作成した地図も両島の帰属を認めていたし、マレーシアは1969年の時点ではこれを認めていた、とインドネシアは主張しています。

マレーシアはこう主張する

Suluのスルタンが両島を所有していたので、オランダとイングランドの間で両島の所有を移すことはできなかったはずだ。インドネシアの主張する歴史的根拠を疑う、特に1891年のアングロ・ダッチ国際協定のインドネシア解釈をだ。両島がインドネシアのBulunganスルタン国に属していたという証拠はない。19世紀には、両島はフィリピンのSuluスルタン領の統治下にあった、その支配を(サバ州を植民地支配していた)英国北ボルネオ会社に譲った。そして1878年以降は英国北ボルネオ会社が両島を行政下においた。さらにフィリピンを植民地支配していた当時のスペインはこれに反対しなかった。さらにインドネシアを植民地化していたオランダもこれに反対しなかった。そして(スペインに取って替わった)米国も1903年にこの事実を認めていました。

両島を英国北ボルネオ会社が行政支配する時代を経て、1946年に英国が北ボルネオを全面的統治するように替わったので、両島も必然的にそれに含まれています。そして英国北ボルネオは1963年マレーシアのサバ州となり、両島も現在のマレーシアの統治権下に移ったのです。

1891年のこの協定で、両島がオランダの支配下であると認めているとの証拠はない。両島は1969年に至るまで、オランダの行政下にあったことも所有下にあったこともない、それにそのことを示す物もない。1891年のこの協定は地上の領土に関する協定であり、海域に関しては配分しあってはいない。
Sipadan島を含んだLigitan諸島への英国北ボルネオ会社の統治権は、英国と米国間で1907年と1930年に結ばれた協定の結果、それが確認されました。

両島の浮かぶ海域には鉱物資源が眠っている?

ということで、両国の主張は真っ向から対立しています。デンハーグの司法裁判所で始まったこの裁判は今年中に審判がくだるそうです、がそれを両国が素直に受け入れるのであろうか、現在の時点では筆者はいうまもでなく、両国関係者にも確とはわからないでしょう。

面積としては取るに足らないほど小さな両島がなぜこれほど両国政府が重要視するのでしょうか? この司法裁判でインドネシア外相は次のように述べたそうです、この海域では石油と天然ガスの調査が集中的に行われている、と。つまりこれも両国の主張の背景を解く鍵になるようです。しかし石油が眠っているという調査結果はまだ出てないそうですし、マレーシア側はこの要因を否定しているそうです。万が一多量の石油が埋もれているというような結果が出れば、それはダイビング関連業からもたらされる利益の程度に比べれば、石油とガスのもたらす利益の程度は桁が違うでしょう。

マレーシアと近隣国家が領有を争っている他の事例

マレーシアは、このSipadan海域とはまったく別の地域である南シナ海の孤島Spratly群島の領有を主張する国々の一つでもあります。こちらはものすごい領の石油埋蔵が期待されている海域ですから、所有を主張する国は6ヶ国にものぼります、その国とは中国、ブルネイ、フィリピン、ベトナム、台湾そしてマレーシアですね。ある国が隣国との境目にある島や土地・領土の帰属を主張するのは当然中の当然のことですから、6カ国もの国が主張し且つ軍事ポストまで作られたそうなSpratly群島の所有問題に片が付くことなど、しろうと考えでもありえないでしょう。これに比べれば、平穏裏に国際司法裁判所に両国同意して訴え、裁判所の仲裁をある程度受け入れる可能性も考えられるSipadan島とLigitan島のケースは、ずっと紳士的解決策のように思えますね。

マレーシアが近隣国とその土地または島の帰属を訴え合っているのはこの2件だけではありません。タイと国境に近いJeli地区をタイが自国領土であると主張し、さらにジョーホール海峡の小島Batu Putehの帰属をシンガポールと間で論争しています。サラワク州のLimbangの一部をブルネイが自国領土と主張しているそうです。そして対象地が最も広域に渡っており且つマレーシアとしては絶対に受け入れられない主張をフィリピンがしています。それは、サバ州の東北部全体は歴史的にSuluスルタン領に深い関係があった、従って現在はフィリピン領になるというものです。この主張をマレーシアが受け入れる可能性は1億分の1もないし、ほとんど非現実的主張ですね。でも国家としては取り下げられないということなんでしょう。

余談ですが、多分そういう背景からなのでしょう、南フィリピン人が違法合法を問わず50万人を超えるであろうと見られているサバ州にフィリピン領事館を設置してくれるようにというマレーシア側の希望は、いまだに実現していません。自国領だと主張するフィリピンにとって領事館をそこに設置するのは、外国だと認めることにつながるからかもしれませんね。

日本を含めて隣国との領土主張論争は、時には紛争も、世界で極めて一般的ですから、マレーシアもその例に漏れないという単純な事実をここに紹介した事例は示しています。

注:このコラムで書きました事実関係に関する部分は、英語紙Star紙に載ったいくつかの記事(2000年2月と2002年6月)から訳出したものです、それ以外は筆者の分析・意見として書きました。



付録:コラム第300回で掲載した「あなたの”マレーシア通”度を試す100の問題」の解答と講評


問題の解答表 (上段が問題番号でそのすぐ下が解答です)
1234567891011121314151617181920
2122232425262728293031323334353637383940
4142434445464748495051525354555657585960
6162636465666768697071727374757677787980
81828384858687888990919293949596979899100


正解数:   点、  これを下記の表に照らし合わせてください。


正解数等級Intraasiaの講評と手前味噌なアドバイス 喫茶モノローグ
から副賞提供
0−9等外 講評する以前の段階です。中学校の教科書を再読し、毎日新聞に
目を通された方がよろしいのではないでしょうか。
なし
10−24E マレーシアに興味を持つ層としてはちょっと知識不足ですね。当サイト
をこれから毎日訪問されることをお勧めします。
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65―84A 立派な成績です。あなたは中級マレーシア通 としてどこにでても自慢
してください。今後も当サイトを御愛読くださいね。
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85−99超A すごい成績です。何もいうことありません。マレーシア通としての最高級
を認定し、そのお名前を当サイトで紹介して栄誉を称えましょう。
半年間有効の
無料飲食パス
100--全問正解者がまさかいらっしゃるとは思えません。ありえないなあ。その時考えます

以上



被雇用者福祉基金EPFの解説とその預金引き出し方にみる人生観の違い−前編


国民皆加入ではないが被雇用者の多数に関係するEPF

国が設立して国の外郭団体として運営されている被雇用者福祉基金(マレーシア語でKWSP)という非営利の基金組織があります。この基金は通称英語名の頭文字を取って EPF と呼ばれますが、被雇用者であるマレーシア国民はその雇用者・社を通じて加入することが義務付けられています。ただ後で触れますが、この加入義務づけから漏れる被雇用者と零細な自営業者、農漁民の数は数百万人の単位なので、国民皆保障という国民福祉の目的からは相当はずれます。この点が日本などの福祉年金体系とは大きく違う点です。

注:日本の年金制度は国民年金中の基礎年金として、勤め人でない自営業者も農漁民も加入することになっていますし主婦も加入します、ですから国民年金と呼ばれているのでしょう。被雇用者はいうまでもなく厚生年金加入ですね。


ただEPFはマレーシアの国民福祉体系の中で唯一且つ加入者数がたいへん多い、従って規模が大きいので、その影響は国民の多くに及びます。雇用者つまり会社は被雇用者の月給からその月給に見合った額を天引きし、それに雇用者分負担分を加えて、毎月被雇用者基金に金を振り込まなければなりません。中にはこれを怠る悪徳企業があるので、時に新聞種になります。尚掛け金の料率は下段で説明しますが、雇用者分と被雇用者分で率は違うが一率に定められており、給料額によって率が変わるわけではない。

この被雇用者福祉基金は、在住日本人の大多数を占める会社勤めの被雇用者、一般にExpatriateと呼ばれる、にも関係あります。Expatriateの場合EPF加入は義務付けられていませんが、勤める企業によっては加入の道を選んでいる会社も中にはあるからです。加入員となればその職位に関係なく月給額に基づいて、毎月天引きされます。Expatriateがその本国へ帰l国する場合は、全額引き出せることになっている(はずです)。

被雇用者福祉基金EPFの最大の目的は、加入者が55歳になって定年退職・引退した後の一時金または年金をその加入者に賦与することです。しかしEPF自体にもまた加入者にもそれぞれ問題があるようで、よく議論になります。55才という年齢は、マレーシアの平均年齢と体力年齢から見てもちょっと早いように思えますが、これを後ろにずらすつまり数年遅らすという議論に筆者は出会ったことがありません。

ここで被雇用者福祉基金EPFの抱える問題を詳しく書いた新聞記事から抜粋翻訳して、その問題点を見てみましょう。以下は2002年5月27日付けThe Starの特集記事抜粋翻訳分です。

EPF加入者が納めた預金の平均

もしあなたが被雇用者福祉基金EPFに納めた預金で、引退・退職後の人生を享受することができるだろうと思っているなら、次ぎに示す統計はあなたの高い期待を打ち崩すでしょう。被雇用者一人当りの平均預金額は RM77,000である、また民間セクターと年金の得られない部門の公的セクターの被雇用者で、月間収入RM2000以下である多数派の平均預金額でいえばRM50、000しかないのです。

この金額ではこの時代、現代的アパートを買うことも、Proton Perdana車を買うこともできません。こういった数字を明らかにした、EPF評議会の議長は語る、EPF加入者の7割は退職後3年以内に、そのEPFから受領する金を使い果たしてしまう、と。 「EPFは加入員にその引退後のEPF引き出し金をどのように使うかを教育する必要性を感じている、なぜならマレーシア人の平均寿命は今や男73才で、女75才であり、2020年までにこれが大幅に伸びる事が期待されていますから。」 

被雇用者福祉基金EPFは、特別口座である毎月引き出し口座を設置しているが、ほとんどの加入員は退職時に預金を全部引き出してしまいます。(公務員のような)年金生活者は政府からの年金を毎月受領し、死ぬまで(政府系病院では)無料医療を受けられますが、そうでない退職者はEPFが彼らの唯一の退職貯蓄であり、それで老後の医療費を払わなければならない。さらにEPF加入者でない、自営業者、農民、漁民、屋台商売人、主婦、日雇い労働者などの場合はどうなるのでしょうか?

加入者が納めた掛け金総額つまり預金額の1人当り平均を54才の時点で示した表
その人の月収RM500以下RM501-1000RM1001−2000RM2001-3000RM3000以上全体平均
EPF預金総額RM17,549RM28,573RM\51,463RM86,271RM225,692RM77,272
2001年12月末での数字、被雇用者福祉基金EPF発表

このことにはいくつかの引き出し手段があることも寄与しています。EPFの口座には複数あります。まず、口座No1はEPF掛け金総額の6割りを占めますが、これは退職目的です。口座No2は総額の3割を占め、加入者が50才になった時点で住宅と教育目的に引き下せます。口座No3は、残り1割を占め、重病になった場合に引き下せる口座です。1994年まではEPF口座は1種類しかなく、加入者は50才の時点で納めた額の3分の1だけ引き降ろせました。現在EPF加入者は1000万人ほどですが、その半数が定期的に掛け金を納めている加入者です。

Intraasia注:つまり半数は掛け金を収めていない休眠加入者ということですね。
マレーシアには住宅金融公庫みたいな組織がないので、住宅購入の場合は銀行ローンか、EPFから金を引き下して購入資金にあてることになります。住宅購入のためにEPFから早く引き出したいという要求が強いそうです。


EPFの歴史と掛け金試算

1952年に発足した当時は、被雇用者の月給に対する掛け金率は、雇用者が5%、被雇用者も5%でした。1975年に多少この率を上昇させ、1980年には雇用者11%、被雇用者11%にしました。さらに調整され、1996年から雇用者が12%、被雇用者が11%です。こうして現在は被雇用者1人は月給の合計23%にあたる掛け金を、EPFに納めていることになり、最近引退した加入者より実納め額の合計は将来多くなります。

EPF幹部に拠る試算でいけば、初任給RM530で勤め始めた事務員が20年間勤め給料が倍増した場合の合計掛け金納め額は、RM134,000になるとのこと。これは年利率3%の配当金も含まれています。中間層の月給生活者の場合の試算ですと、初任給RM1071で20年後の給料がRM2975の人の場合、納めた合計額はRM200、000に達しています。「これらの試算に用いた給料の伸びと配当金は控え目に計算したものです」とのこと。

「EPFとして、労使合計して給料の23%を掛け金として納めるという現状は、加入者に基本的な貯蓄を用意するという面では充分なものであるとみています。我々の最大の心配点は、加入者がEPFを定年退職した時の貯蓄計画だとみなしていないことで、そのためにあれこれと定年前の引き出しを要求することです。」 とEPFの幹部は語る。「政府はEPF加入者にいくつかの引き出し選択を認めています。しかし加入者は本当に必要でなければ引き出さないでください。特に老後の資金をEPFだけに頼る人はです。例えば、コンピュータを購入する場合に認められているRM3500ほどの引き出しは、加入者が何年もかかって納めた掛け金に相当します。どんな引き下しであれ、それは定年後の最終的総額を激減させるのです。ただ加入者が住宅を購入する場合は、引き出しは問題ありません。」

EPF加入者で定年後も他の収入の道がある少数の者は、定年後すぐの引き出しはせずに、本当に必要になったときだけに引き出します、とはEPF幹部の説明です。

以上は記事の翻訳。

コンピューターを買うためにEPFから引き出してもよいとの政府の指令

このコンピュターを購入する場合に引き出せる特例に関してですが、”1家に1台コンピューター計画” に沿って、EPF加入者はコンピューターを1台購入する際にEPFから引き出して購入してもよい、と1年半ほど前に政府が決定しました。簡単に言えば、コンピューターを所持していない家庭は、EPFに納めた預金口座から金を降ろしてコンピュータを買いなさい、と政府が国民全体に勧めているのです。この政府のお墨付きを得た加入者は競ってコンピューターの購入に向かったかといえば、必ずしもそうではなく、コンピュ−ター購入の名目でその金額分をEPFの口座から引き出しました。尚加入者は自分の口座であっても通常はそういった名目で引き出せないことは、EPFの目的から明らかです。

その手口はというと、”1家に1台コンピューター計画”に参加を認められたパソコンショップが領収書だけを発行する、それを基に加入者はEPFから金を引き出したのです。金を引き出すEPF加入者はパソコンショップに領収書発行手数料を数百リンギットも払っていたことも明るみに出ました。これがあまりにも目だったので、政府は引き出しを申し込む者はパソコンショップを経由するが、金はEPFの事務所経由に流れるように変更しました。しかしそれでも、あれこれの手段で目的外引き出しが一向に減らなかったようで、その後申請手続きを少し変更しました。しかしこの措置も結局コンピューター購買目的以外の引き出しを完全に防げず、さらに申し込んでもコンピュータ入手まで月日がかかりすぎる事例がたくさん明るみに出たのです。そこでEPF当局は5月終わり頃、申請受け付けを一時停止すると発表しました。ですからこのコラム書いてる時点では、まだ暫定的停止中です。

パソコンのために老後資金を崩す

最初筆者は政府のこの決定を聞いて、唖然としました。たかがコンピューター購入のために大事な定年後の退職貯蓄を使うなんて、と思いました。本当に家にパソコンが欲しければ、他の消費支出や娯楽支出を切り詰めてでも買えばいいのに、と。コンピューターを買わずに娯楽や消費支出のために引き出す人が一杯いるというその後のニュースは、言葉は悪いですが、こういうマレーシア人加入者ってばかじゃないか、としか筆者には思えませんでした。老後の資金は資産の充分ある金持ち以外はまさに貴重なもののはずです。ましてやその貴重なEPF掛け金として納めた分をわざわざ崩してコンピューターを購入する層は、間違いなく低所得層中心でしょう。なぜなら中流層以上ならEPF引き出しプログラム開始以前にすでに家庭にパソコンを保有しているでしょうし、またはEPFから引き出さなくても毎月の支出を多少捻出してコンピューターを購入できるからです。

このEPF引き出しでパソコン買わずニュースは知られた出来事になりましたが、こういったニュースを読むたびに筆者は、マレーシア人の人生観に己のそれとの違いを感じます。マレーシア人の人生観は恐らく多くの日本人のそれとも違うと思います。もちろんここで話題にする場合は、一般的ということであり、その一般論の中での違いを話題にしているのです。同じまたはよく似ている部分も多いことは強調しておきます



被雇用者福祉基金EPFの解説とその預金引き出し方にみる人生観の違い−後編−


低所得層にとっての引き出した金の重さ

EPFから引き出した金を許された本来の目的であるコンピュータ購入以外に使う人たち、その多くは低所得者層でしょうが、老後の金とは何を意味するのでしょうか?子供が多いから成年して働いている子供に頼るからEPFの金など大して意味がないという人も中にはいるでしょう。しかしそれはあくまでも少数であり、多くの低所得層にとって老後は子供に頼る部分とEPFの一時金または年金に頼る部分と定年後も自分で働いて稼ぐ金の3つの部分から構成されると推定されます。

そうするとEPF加入者の月収別平均預金額を示した上記の表から、月RM501からRM1000の層をご覧ください。54才の時点での納めた合計平均はわずかRM28,500です、この人たちにとって、引き出したRM3500前後の金は、ものすごく重い重みを持っています。その上の収入層である月RM1001からRM2000の層でも納めた合計平均額はRM51,000にすぎません。コンピューター購入のための引き出し金額が決して小さな金ではないことがおわかりになるでしょう。読者の皆さんには、この例からコンピューター購入として引き出した金の価値の重さを知っていただきたいと思います。さらにこういう層に属する人は、東海岸州の郡部や田舎の一般工場労働者だけではなく、都会の郊外や周辺町の低所得者層の多い地区に固まって居住しています。決してごく少数の取るに足らない人数ではないのです。

注:低所得層に属する一家5、6人の平均的家族が1カ月RM1000以下で暮らしていくのは、相当なる窮乏生活に耐えなければなりません。労働組合の全国上部団体であるマレーシア労働組合会議MTUCは、国内の労働者数を800万人、その内200万人を低所得者グループと見なしています。


それなのになぜEPFを引き出して別のことに使うのか

こういう人たちにとってEPFの毎月の掛け金は納めたくない金に属するのかもしれません、しかし国家の社会福祉の観点と老後の経済的安定性への貢献のために、強制的にでも毎月金を納めさせる必要があることは当然でしょう。低所得者層の加入者の多くにとって、給料生活者として暮らせなくなった時の、唯一の確実な保証がEPFであると認識されていないのだろうか? 子供に頼る?それは数々の事例が示しているように、時として頼れない場合が出てくる。定年後の職は見つけにくいし、まして低学歴層に属するこの方たちが定年前の月給生活時代より高給で再就職できる可能性は限りなく低いのです。これだけの条件が見えてくるにも関わらず、大事なEPF預金を引き出してしまう、しかも許された対象であるコンピューターを買わずに別の物・ことに費やしてしまう。このニュースを前にして、筆者はそこに彼我の人生観の違いを感じずにはいられませんでした。

人生観の違いの例

人生観の違いに関してわかりやすい別の例をあげてみます。
低所得者層で子供が5人前後あるマレー人やインド人家庭をみるのは珍しいことではありません。教育には金がかかります。都会の家庭は補習という名の塾に子供を小学校時代から通わせています。もちろんこれは子供の衣食遊の費用に追加するものであり、5人なら1人の5倍の費用がかかるのは自明の論理ですね。ものすごい学歴社会であるマレーシアは、学歴による初任給の差は4倍前後もあります。低学歴者に企業社会の中で意思決定できる段階に上がる可能性は相当ゼロに近い。つまり大学卒の初任給程度以上に給料が上がる可能性はない。所得面で上を望むなら独立して商売するしか道はない。

マレーシア社会は構造面でたいへん柔軟性に欠けるクラス社会です。このためある人の学歴は極めて大きな価値観を持つ。そこで子供に教育投資する必要がある。学歴は資力に基ずく部分が結構多いのはどこの国でも同じでしょう(もちろん本人の能力とやる気が一番ですが)。そういう時、少産にして少ない子供に投資すべきである低所得階層が多産では、子供の教育に充分な金を注げる中流以上の豊かな階層には当然適いません。

こうして社会の固定化は強まる、つまり下からの上昇が少なくなり中流は常に中流以上を占め、下層階層はいつまでも下層に暮らす。世界の発展途上国に普遍的でもあるこの法則は、その程度が比較的低いとはいえマレーシアにも見られるのです。学歴重視それは単にテストの成績によるものにしか過ぎないのです、他にもいくつかの人物評価法と能力評価法があるにも関わらず、それができない、しようとしないのです。例えば日本で広がりつつあるような点数評価に基ずかないつまり人物評価による大学入試は、マレーシアではほぼその実施は無理でしょう。なぜならそういう人による恣意的評価は縁故主義や民族的軋轢につながりやすい。少数派の華人は徹底した点数主義を好む、それがブミプトラの壁を乗り越えていく唯一の方策だと捉えているからです。非点数的評価は華人には不利に働く、と。

これを証明する例に、高卒程度の全国統一試験の結果で最上得点を取ったのに国立大学の選抜に洩れた訴える学生の例が時々紹介されますが、そのほとんどは華人です。公務員に華人の割合が絶対的に低い、確か全体の5%程度です、それは公務員の民間一般に比べての低給料制度もありますが、公務員社会での恣意的評価を嫌ってのことでしょう。さらに大学だけでなく社会においても、マレーシア人は人物の評価に職人技術力や手工技術の面を過少評価します。学歴や出自・出身に基づく称号を極めて大事にし誇る、こういう面が強ければ強いほど、学歴や出自・出身で劣るものはどんな優れた技術や腕を持っていても、社会的評価の面では上昇できませんね。

こうした現実を前にしても、多産主義は収まらない、なぜか?子供が好きだから、老後は子供に頼るしかないから、これらもその理由でしょうが、やはり大きな理由は、彼らの抱く人生観だと筆者は捉えています。

EPF加入者の大半が一気に預金を引き出してしまう

上記の新聞記事に戻って、また翻訳を続けます。以下はその翻訳。
「ほとんどの加入者が定年後にその納めた金を一気に引き出してしまうので、EPFの預金分(つまり何年もかかって納めた分)は老後のための資金である、定年後の計画を立てる必要があるとのとの意識を、我々は大衆のなかに作り上げなければならない。」 「一気に全部引き出しはその金をうまく運用できない人たちに問題を起こしています。多くの定年退職者は、家のローンを払う、子供の教育費を払うなどで退職後3年以内に金を使い切ってしまう。そういう人はその金で自分たちの老後をまかなわなければならないとの認識が欠ける。」 とこのEPF幹部は説明する。

EPFには定期的支払いというプログラムがあり、これは加入者が55才以後、自分のEPF口座に少なくともRM12000残っておれば、一度に引き出さずに毎月支払いを受けられるというものです。この毎月受けるEPFからの支払い額に関しては、最低RM200で最低年数5年という条件に同意しなければなりません。 「EPFは定年退職に必要な基本的金額しか提供しない、だから加入者は保険とか他の投資といった手段を考える必要がある。」 とはEPFの幹部の言葉です。

労働組合の主張

(全国組織である)マレーシア労働組合会議の書記長は主張する、「EPFが試算しているモデル預金額(つまり掛け金の合計)は多くの低所得労働者の状況を反映していない。例えばプランテーション農園の労働者の場合、極めて低額だ。彼らは1日RM11.5の日給、それに26日を掛け算すれば月収になる。月わずかRM350だ。彼らの毎月の掛け金は労使合計で23%、つまりRM80であり、年額はRM960にすぎない。」

Intraasia注:これもマレーシアの現実の一面です。マレーシアは世界最大のパームオイル産出兼輸出国であり、生ゴム生産高世界3位を誇るのですが、それを産出する働力であるプランテーション農園労働者の所得は極めて低レベルであるのです。この低レベルのためにいまやプランテーション農園は外国人労働者なしにはとてもやっていけないと言われています。マレーシア労働組合会議MTUCは農園プランテーション労働者の数を、外国人労働者を含めて25万人 としています。


こういったプランテーション農園労働者にとって、35年間EPFを収めた後で引き出せる額は、年配当率が5%の場合で、RM65,000にしかならないと、マレーシア労働組合会議の書記長は訴える。これで低所得向け住宅を買ったら大部分は消えてしまう、と。年金の形で毎月受領する場合は月RM250にしかならない、この金で現在暮らしていくのは極めて大変だ、これから35年後の生活は尚更難しいであろう、と。

注こういう層にとって、定年後のEPF預金は大きな収入源であるにも関わらず、その額ははるかに不充分であることをこの数字は示していますね。

マレーシア労働組合会議MTUCは訴える、「EPF預金の平均額の少なさも我々労働組合が、最低賃金制を要求している理由の一つです。」MUTCは最低賃金として月RM900の法定をを何年も政府に要求しています。(またこれとは関係なく)年配市民の全国会議 という団体も最低賃金制の必要を主張し、その額を月RM1000に置いています。

雇用者団体の主張

一方雇用者側の団体であるマレーシア雇用者連合は、もちろんこの最低賃金制に反対し、その専務理事はさらにこう付け加える、「55才の定年年齢は据え置くべきです。産業の中には肉体労働を必要とする産業もある、そういった場合55才以上は不向きである。」

以上で新聞記事の翻訳分は終り。

EPFは日本の公的年金とは違う

このコラムは労使の主張紹介が目的ではありませんが、EPE預金に多いに関係するので紹介しました。なぜなら、EPFの掛け金そしてそれが貯まったものが定年後に手にするEPF預金になるわけですから、預金総額はある加入者の賃金額に直結していることになります、つまり月収の23%が数十年に渡って貯まったものだということです。(それに毎年幾分かの配当が上乗せされる)。

マレーシアの被雇用者福祉基金EPFは、日本の厚生年金や国民年金のような複雑な計算式でその人の引き出し額が決定されるわけではないように捉えることができます。基本的に若い世代が定年後世代を養う日本型の年金制度というより、簡易保険型のように自分の収めた掛け金の合計プラス配当金というのが、マレーシアのEPFにおける預金のあり方ですね。これを預金と呼ぶのがふさわしいのか年金と呼ぶべきかですが、預金のようにいつでも引き出せるわけではない、また年金のように一括ひきおろしではなく一定年齢以後死亡までずっと受領できる仕組みとも違います。ですからどちらの語を使ってもある程度誤解が生まれますが、このコラムで説明した内容から、EPF預金のあらましはわかっていただけたことだろうと思います。

そしてその貴重なEPF預金を定年後一気に全額引き出したり、コンピューターを購入せずに他の物・ことに使ってしまうという、EPF加入者特にその中の低所得者層の、思考と行動に筆者はやはり違和感を抱きます。その思考と行動は、マレーシア人の家族観と人生観に大きく基づいていることは間違いありません。だからこれが短期間に大きく変わることは考えられません。まとめとして言えば、筆者自身が属する同じ低所得者でありながら彼我の人生観、似ているようで似ていない、と言えますね。



カンボジアに見つけたマレーシアの姿とそれなのに存在感のないマレーシア−後編−


299回に掲載しました前編から先にお読みください。

東南アジア諸国における華人コミュニティーの違い

筆者はカンボジアの細かい歴史や国内事情を示す数字には疎く、カンボジアに関しては一般的な東南アジア知識の一つとしてぐらいしか、現在の時点では持ち得ていません。東南アジアの一般的な例に漏れず、カンボジアの地にも華人がそれなりに居住していることは常識だといってもいいでしょうし、そう予想していました。ただ華人コミュニティーの密度と数と力がどれくらいかは、現地でいろいろと調べ且つ経験しなければわかりません。

華人の都市国家と呼んでもいいぐらい華人の力と存在が圧倒的に大きいシンガポールをこの場では除いて論じます。東南アジアで一番華人コミュニティーの姿が顕在し且つ国内経済力に与える力が強くさらに独自の政党を組織して政府に加わっているほど政治力があるのはマレーシアだけだと断定してもいいでしょう。東南アジアの主要国の華人コミュニティーを眺めると、華人人口が絶対数的には東南アジア最多でも、政治的に抑えつけられてきたしその姿を顕在させられないインドネシアの華人コミュニティー、華人人口はそれなりにあり経済力も強いがタイ人との融和が区別がつきにくいほど進み、華語のできる人口が極めて少ないタイの華人コミュニティー、ホーチミン(サイゴン)などには華人地区を有し経済力もあるが、政治力はまったくなく且つ人口比も主流民族のベト(金)族にずっと少ないベトナムの華人コミュニティー、のような状況です。

東南アジア華人コミュニティーにおけるマレーシアのユニークさ

東南アジアでは、ある国で発行されている華語の新聞を手にするとその国華人コミュニティーの状況がどんなものかある程度推測できます。タイは華人人口自体は多く裕福層も多いものの、華語が読めない話せない華人が圧倒的に多く、タイ発行の華語紙は数紙あるにも関わらずも、ごく発行部数の少ない貧弱な内容の新聞ばかりです。ベトナムでも華語紙は発行されているが、華人地区以外では入手が難しく、発行部数もごく少ないと推測されます。インドネシアはつい1、2年前まで華語の使用自体が公的に禁止されてきた国です。ラオスに華語紙があるかどうか知りませんが、ラオスは人口600万から700万人程度の小人口であり、経済力は弱小でタイの足元にも及びませんから、華語の面ではほとんど期待できません。一方マレーシアでは華語紙は主要紙だけで4紙もあり、さらにサバ州とサラワク州では独自の華語紙が発行されています。何よりもユニークなのは、華語を教えるだけでなく華語で全てを教える小学校教育を保持し、華人の9割以上がこの中文小学校に子供を通わせていることです。

でカンボジアではどうだろう?それについて筆者は興味心を持っていました。観察からの結論をいえば、現時点では旅人の観測に過ぎませんが、少なくとも筆者の訪れた都市と町のどこも華人コミュニティーが厳然と存在し、華語を教える私立学校が運営されています。ただし華語の運用能力はマレーシア華人よりもずっと落ちることは100%間違いありません。なぜなら日常生活はほとんどカンボジア語でしており、華語を中心に使っているのは極めて小数の華人だと判断しました。

新聞自体の流通が極めて少ない

そんな状況の中で、プノンペンで泊まった安ホテルでは華語紙をとっていましたので、それを入手しようとプノンペンの華人地区をうろついて探しました。雑誌新聞販売屋台と中国薬局の店先でようやく華語紙を見つけたのですが、プノンペンの中心地帯にある大きな市場の周辺のにぎやかな地区でさえ、雑誌新聞を入手するのは容易ではありません。それほど活字出版物を売る店と屋台が少ないのです。カンボジア第2の都市であるシアヌークビルでは新聞雑誌店・屋台はわずかに見かけましたが、華語紙は全く売られていませんでした。だから筆者はプノンペンで華語紙に出会うまで、カンボジアに華語紙があるとは知りませんでした。地方町に行けば行くほど尚更活字出版物を入手することの容易度は落ち、まして華語紙など入手自体が無理でしょう。

この理由は多分に、道路事情が悪く新聞輸送が大変である、カンボジア語の識字率が悪く確か5割を切る、庶民段階の活字への熱望感が薄い、ことなどが考えられます。物価面からいうと、一般新聞は売価1000リエルぐらいです、1000リエルでは路上のフランスパンサンドイッチが買える程度で、麺類は1食が2000リエルぐらいです。

マレーシアの華語紙”星洲日報”の姉妹紙が発行されている

でそのプノンペンで売られていた3種の華語新聞の一つが”カンボジア星洲日報”なのです。”星洲日報”はマレーシアの華語紙中の最大発行部数を持ち、筆者がマレーシアで時々読んでいる新聞です。”カンボジア星洲日報”は一部売価1000リエルつまり米ドル換算で25セントで、タブロイド版わずか10ページほどの薄っぺら新聞です。従って内容は充分とはとてもいえませんが、この値段では致し方ないとも言えます。しかし、本家マレーシアの”星洲日報”は米ドル換算で35セントで通常紙面の60ページを超す量ですから、やはり値段的に見てもカンボジアの”星洲日報”は全く不充分です。

注:この新聞名は中文でカンボジアと書かれていますが、日本漢字にない文字なので便宜的にカタカナで表示します。さらに小さな活字で、CAMBODIA SIN CHEW DAILY 且つクメール文字でもシンチューデイリーと併記されています。紙面はすべて中文(中国語)活字です。マレーシアに戻って”星洲日報”本社に電話して確認したところ、2000年末頃に発行開始したと答えてくれました。

その理由はいうまでもなく販売部数の差が両国では極端に違うからでしょう。マレーシア半島部の華人層に満遍なく読者層を持ち数十万部の発行数を持つ本家”星洲日報”は、まこと広告の多い新聞です。それだけ華人界の経済力を示している証拠であり、ジャーナリズムとしての内容はとにかく、様々な記事を上手く盛り込み読みやすいとい点ではさすがだと思わせる編集です。

一方カンボジアの分家は10ページから12ページの紙面中地元カンボジアに関するの記事がわずか数ページしかなく、後は外国のニュースと地元の広告です。外国のニュースには明らかにマレーシアの”星洲日報”から配信されたと思われるマレーシア華人界のニュースがいくつかあり、その他中国のニュースなども大きく扱われています。娯楽家庭面も他国の記事、多分これもマレーシアから配信されたものでしょう、を載せています。こうしてこの薄っぺらい新聞を読んでみると、いかに読者層が少ないか、記事が不充分であるか、さらに取材人材面が貧弱であるかが推測されますが、これもカンボジアさらにカンボジア華人コミュニティーの状況を考えれば、いたし方のないことだと思うべきでしょう。

案外あるカンボジア華人の華語理解度

筆者はもう1紙の華語新聞も買って読みましたが、記事構成はマレーシア関係のニュースを除けば同じようで、地元カンボジアのニュースが極端に少ない。外国の新聞の記事を間接引用しているものが多すぎるのです。全体的な構成は”カンボジア星洲日報”の方がずっと読みやすくできています。この新聞はさらに薄く、読者層の細さを物語っています。ただ感心したのはタイの華語紙よりも内容はマスコミ然としており、紙面と活字もきれいなことです。タイよりはるかに小国で人口の少ないカンボジアの華語紙がタイの華語紙よりもよく見えるのです。

これはカンボジア華人の方がタイ華人よりも華語に通じている率が高いのか、それともカンボジアのカンボジア語紙への不満足さのために華語紙に代替を期待するのであろうか、私の推測は前者です。筆者の回った都市と町で華人相手に試した会話から考えてカンボジア華人の方が華語を理解する率はタイより高いと判断しました。もちろん日数の少ない滞在ですから、これは現時点での推測です。

ホテルは軒並み華語併記

カンボジアの首都プノンペンの2つの市場近くから大通りに面したいくつかのホテル、別の市場近くに散らばるいくつかのホテル、いずれも華人経営が圧倒的ですね。ホテル名に中国語名が大きく併記してあります。これらホテルの周囲にあるつまり主要通りの商店も、華人経営が多いのではないかと推定されます。特に市場の周辺は華人店と家屋が固まっています。店の品揃えから判断できる場合もある、門札の張り紙に華語が貼ってありますし、祭壇も時に見えるのです。

注:この市場近くに自転車ショップが数軒あった。店先に数百台の新品自転車を並べていたので、見ると全て中国製である。探せば中国の姿はもっと見つかるのであろう。

第2の都市シアヌークビル、中心部はずっと歩き回りましたが、エコノミーホテルはもうほとんどといっていいほど華人経営、商店にも華人経営が多い。これもホテル名の華語併記、住居兼店の軒先に貼ってある華語の文句などからわかります。ホテルで働いているのはクメール人であるが、オーナーは華人だというのがほとんどのようで、ホテルを何軒か尋ね回ってこう判断しました。

地方の町の中心部にも華人の存在

都市に属するこの2つの町だけでなく、地方の町、例えばアンコールワット観光の起点町であるSiem Reap、この小さな町にはもうめちゃくちゃたくさんあると形容するほど安ホテルとゲストハウスが多いのであるが、その多くは華人経営でしょう。なぜなら多くはホテル名に華語が併記されていたり、軒先に華語の表記が貼ってあるからです。筆者はさらに地方のある別の町に滞在したのですが、その町では商店などの他にまあちゃんとした家の多くの軒先には、”平安出入” などと華語張り紙が貼ってあるのです。その家は間違いなく華人のものでしょう。

筆者は相手が確かに華人だと判断した時は、まず華語で話してみるかまたはすぐ華語に切換えてみました。そうすると年配層では非常なる率で華語が返ってきます、筆者の華語よりずっと流暢に感じました。短い会話なのでそれ以上を判断する事はできませんが。若者だとやはり華語運用能力は落ちるようですが、それなりに流暢であろうと思える者にも出会いました。筆者の華語は読むためのものなので会話は進みません、そういう時には広東語に切り替えてみましたが、さすがに広東語は、プノンペンの一部華人を除いては、ほとんど通じませんでした。

カンボジアにも感じた華人コミュニティーの経済的優位

こうしていくつかの都市、町、村をうろついた結果、その少ない経験の範囲を前提にして言えることは、どこもその中心部の商店やホテル経営には圧倒的に華人が多いことを実感しました。何の事はない、マレーシアの多くの町や村に見られる現象ではないですか。マレーシアだって華人皆が豊かではありません、貧しいまたは虐げられた状況の華人ももちろんいますが、コミュニティー全体でみれば、所得水準としては他民族を圧倒しています。この傾向はカンボジアでも同じではないだろうかと、思いました。なぜなら東南アジアの華人コミュニティーはやはり町型または小商いの民が主流であり、そうなれば必然的に金銭面ではその地元の民族より優位に立ちます。

カンボジアの農村や僻地はもう恐ろしく貧しい状況です。これはバスやバンで郡部を走って見れば厳然と目の前にその存在がつきつけられます。電気水道のない家々は全然珍しくなく、家そのものが掘っ立て小屋の域を出ない。川に架かる橋はいまにも落ちそうに古く自動車通行に向いていないぐらい小型であり、道はでこぼこ道が延々と続く、こうしたインフラの悪さは、マレーシアのそれと比べるのもおこがましいほどです。そんな状況の中で、華人が経済的に力を持っているのを強く感じたのです。ただ筆者の脳裏に浮かんだのは、少数者の経済力が強すぎるとそれがいつかクメール人の不満の対象になりかねないのではないだろうか、という一隅の憂慮感です。

こういう下地があるからなのでしょう、マレーシアの華語紙”星洲日報”は、カンボジア、というより現状ではプノンペンだけでしょうが、で華語紙発行に乗り出したのではないかと、推測します。これが華人と華語を目安にしてカンボジアにマレーシアの姿を見い出した例です。

マレーシア製ビスケットはちょっと高かった

その他カンボジアに見つけた、出会ったマレーシアは、町の雑貨店や市場の食品店のお菓子売り棚に並べられていた中に何点かのマレーシアビスケット類を見つけたことです。きれいに包装されたビスケット類やキャンデー類はタイ製かベトナム製かマレーシア製かという選択でした。尚マレーシア製のビスケットは米ドル換算でマレーシア国内より高かった。ビスケットやキャンデー類のように比較的小規模で済む食品工業もまだ育っていないのがカンボジアの現況といってもいいでしょう。

タイ製品は当然ながら多種多様であちこちに見られますが、ベトナム製品もよく目に付きます。マレーシア製品はビスケットと一部食品以外に目につかなかったのですが、それは筆者の滞在が短かったためで、もっと時間があってたくさんの場所と商品を見て回れば、マレーシア製品も種種見つかることでしょう。

カンボジア人一般の持つマレーシア像は、ない

交通機関の面では目に見える形でマレーシアの姿があり、ビスケットのような大衆食品にもマレーシア製品があった、読者数はごく限られているとはいえマレーシア華語紙の姉妹紙が発行されている、マレーシアは同じ東南アジアの国である、こういったことから一般カンボジア人にとてマレーシアにはどんな印象を持ち、どういう像を浮かべているのだろうか、これが筆者の知りたいところでした。

先に答えを書いておけば、一般カンボジア人にとってマレーシアは姿の浮かばない国、存在感を持つ以前の知らない国だということです。華人の一部はマレーシアにある種のイメージを持っていましたが、それは多分に華語で話しかけた私のことを華人だと思い込んだからでしょう。ある安ホテル主は、「我門 是 華人」といって同朋感をあからさまに筆者に示したぐらいです。

なぜこういう推定を下したかを説明していきましょう。筆者はカンボジアに限らず東南アジアどこへ行っても、どこから来たか?と尋ねられれば、マレーシアと答えてきました。こう答えれば、相手の考えるマレーシアへの反応が多少わかるからです。マレーシア像を全く持たない者はほとんどが話しがそこで終るか、別の話題に移ります。そしてその傾向が高いのは中部以北のタイでありベトナムです。インドネシア人はさすがに多少なりともマレーシア像を持たない者はまずいません。

尚こういった場合、筆者はどこであれまず英語で答えることは滅多にしません、ほとんどは、相当不自由であれまあこなせる程度であれ、その国の言語で答えます。または相手が華人であると確実に判断できた時だけは華語で答えます。通常は尋ねてくる相手が片言の英語で尋ねてきますが、私は断固相手の言語で返事します。こうして相手の筆者へのつまり日本人であろうという思い込みを取り除きます。いうまでもなく東南アジアを個人旅行しているような中国系の顔をした人間の多くは日本人であるので、質問者や物売りとして寄ってくる者たちが私を日本人だろうと先入観を持つのは当然でしょう。まして私はいかにも日本人的顔つきですからね。

注:英語で答えないのは、英語の独占支配に反対するからです。英語を使わなければならないとかそれしか方法がなければ、もちろん英語を話します。筆者の飯の糧の一つが英語通訳ですからね。

しかしそういう先入観でこられるのは筆者は極めて嫌いである。大体マレーシアからと答えておけば、知識人でない限り彼らのマレーシアへの知識はほとんどないのが普通なので、先入観の持ちようがない、従って筆者には都合が良いのです。こうして今回のカンボジア旅でももちろん、「ピー スロック マレーシア」 とクメール語で答えました。

注:カンビジア旅に備えて、3週間カンボジア語(クメール語)を独習していきました。いうまでもなく、たかが3週間程度である言語が使えるようになるわけありませんが、全然知らないよりずっとましであり、特に数を数えたり、何人である、どこかに行きたいなどの表現は知っている知っていないとでは行動面とコミュニケーション面での違いに結びつきます。クメール語文字はタイ語文字と似ていますが、相当発音が違っており且つ極めて面倒くさい規則があります。タイ語の知識ではどうにもならないことが、独習していてわかりました。尚タイ語とクメール語は別系統の言語です。

こうして何十人というカンボジア人に、「私はマレーシアから来た」と答えましたが、マレーシアについて話が進んだのは、華人の一部とであり、クメール人はほとんど皆そこで話しが止まったかまたは別の話題になったのです。つまり大多数のカンボジア人にとってマレーシアと聞いても像が浮かばないのです。浮かばない像に関して話しは通常は進みません。もちろんこれは彼らの不自由な初級程度の英語力と筆者のごく初歩的なカンボジア語能力のせいでもありますが、この経験は興味ある結果を示していたと筆者は捉えています。

さらにタイ国境近くの町ではタイ語のわかるカンボジア人がままいるので、そういう時はタイ語で会話しましたが、それでもタイの話しやカンボジアの話しになってもマレーシアの話には進みません。やはりマレーシアについては像が浮かばないのです。カンボジア人なら行ったことがなくても、タイとベトナムの像は間違いなくあります。その像が正しい正しくないということでなく、日頃見聞きするからタイについては像を持っているわけです。一般にカンボジア人はベトナム嫌いといわれているそうですが、それはカンボジア人にとってのベトナム像があるからです。像のない国に嫌いも好きも感じませんね。

カンボジア人は日本、日本人には像を抱いている

カンボジア人の抱く日本と日本人への像は、どこにでもある自動車や電気製品を通し、さらにやって来る日本人旅行者を通じて当然あるでしょう。個人旅行者で日本人は歩いていても、マレーシア人が歩いていることはまず考えられません。アンコールワットの起点町SiemReapには日本料理のレストランも見かけたし、アンコールワット巡りのバンとバスの何台かの車体には日本語でツアー名または旅行社名が大書してある。アンコールワット見物のアジア人中の一大グループは日本人に間違いない、ついで韓国人かタイ人か? だからバイクタクシーでふらふらと一人アンコールワット一帯の見物していた私には、必ず日本人に間違いないとの先入観で聞いてくるか、「こんにちわ」などと話しかけてくるのです。

アンコールワットの公式ガイド協会の所属は、英語ガイド、フランス語ガイド、日本語ガイド、タイ語ガイド、華語(中国語)ガイドがいますと、パンフレットに書かれています。元フランス植民地としてフランス語ガイドがいるのは不思議でないし、中国からの訪問者は先ずないだろうが台湾と東南アジアの華人コミュニティーからの訪問者向けに華語ガイド、カンボジア隣国の大国として訪問者も多いタイ語ガイドがいるのはわかりますね。そしてアンコールワット訪問の国別最大グループに入るであろう日本語ガイドがいるのは当然でしょう。

マレー語ガイドが生まれる可能性はない

マレーシア語ガイドまたはよく似た兄弟言語であるインドネシア語ガイドがいることは考えられませんし、これからもその可能性はありえないでしょう。大体マレーシア語だけを解するマレー人は、旅行面では極めて保守的でアジアの遺跡を見て歩くような行動はしないし、まして仏教とヒンヅー教遺跡であるアンコールワット一帯を訪れる数はすずめの涙程度でしょう。これはマレー人というよりムスリム一般に通じることであり、その例として豊かなアラビア圏からのムスリム訪問者向けにアラビア語ガイドはいないし、今後もそれは考えられませんね。

SiemReapとアンコールワットを通じて、そこにマレーシアの姿を見出すことはできませんでした。もちろんマレーシア人はごく少数であれ訪れてきたのでしょうが、カンボジア人にとってはその他あまたの国の一つであり、アイデンティティを持った国としてのマレーシアを知るカンボジア人に出会うのは難しいでしょう。

筆者に数分間つきまとっていた若いカンボジア人男が英語で尋ねてきた、”Where are you from?"。 またかと思って少しひねって筆者は答えた、”From one of the Southeast Asia countries" , " Thailand?",  "No",  "Singapore?",  "No",  "Philipines?",  "No"。 彼はそれ以上質問するのをあきらめました。

大きな投資国でありながらカンボジア人には”像が浮かんでこない”

このようにカンボジアにおけるマレーシアは現実にその姿がカンボジア国内にある、見い出せるにもにもかかわらず、極めて薄い存在です。カンボジアとマレーシアは国境を接していないことがその大きな理由でしょう。マレーシアがムスリム多数の国であり、意識的に縁遠いことも多少なりその理由でしょう。カンボジアが今緊要とする観光客としてマレーシア人が少ないことも理由の一つでしょう。カンボジアに目に見える形で投資している日本や韓国や中国ほどにマレーシアは目に見えないのでしょう。カンボジア人にとって旅行者とは西欧からの白人であり、日本人であり、韓国人なのかもしれません。

何よりも大きな理由は東南アジアの同朋意識の薄さです。これは逆のケース、つまりマレーシアにおいてカンボジアとかラオスとかベトナムをどうみているかに如実に現れています。マレーシア人とこれらの国の文化、政治、国民、言語に関して話そうとしても全く進まない、なぜなら知らない、行ったことがない、興味ない、遅れた国だ、これにつきます。ASEAN10カ国がニュースになるのは単に政治家の会合の時に過ぎません。”ASEAN 10” なんて所詮その程度のものなのです。ヨーロッパユニオンEC内のヨーロッパ人同朋意識とは相当に違いますね。

よってカンボジア人にとってマレーシアの像が抱けないのは、マレーシア人のカンボジアに対する興味の薄さの表裏の関係にあります。例外は華人コミュニティー同士のつながり、それが新聞発行であり、カジノホテルの運営に結びついたと考えるべきであり、もう一つがマレー人のカンボジアムスリムへのいくばくかの興味でしょう。



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