・実践 よくわかる屋台・大衆中華料理の解説とその注文の仕方−前編− ・−その中編− ・−その後編−
・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、 その3 ・ 多くの人に関係あるポリスリポートの解説
・マレーシア航空日本支店発行の時刻表の間違いを批判する、及びその他2編の小コラム
・イスラム教解釈と志向に大きな違いを持つマレー政界の2大潮流−マレーシア事情中級者のために−
・クアラルンプールの電車網の完成とそれが示す明と暗
・在野のムスリムグループの発言を制限する動きに反対する側の主張
筆者は東南アジアではどの国へ旅しようと住もうと、屋台と大衆食堂で常時食事します。蝶ネクタイのウエーター、制服のウエートレスがかしこまってサービスする中級以上のレストランを利用することは際めて極めて稀です、街の普通の冷房レストランやファーストフードレストランで食事することもずっと数少ないのです。住んでいる場合は朝は家でシリアルかパンを食べますが、旅に出れば文字通り朝から晩まで大衆食堂か屋台で食事、休憩、します。これは初めて東南アジアに足を踏み入れた1981年以来一環として変わりません。
いうまでもなくその一番大きな理由は、筆者が昔も今も貧乏旅行者又は貧乏居住者であるので、金を節約するためですが、それと並ぶほど大きな理由は、屋台や大衆食堂の味と雰囲気が好きなことです。次いで自分の味にこだわらないことです。これはどういうことかというと、こういう味でないと満足できないというこだわりがほとんどないことです、だから日本料理はまったく口にしませんし自分で料理もしません(料理できないので料理の深い知識が身につかないし、当然グルメには全く縁遠いです)。その上前パートナーは筆者並に料理ができなかった。
屋台・大衆食堂はどこの国であれ当然ながら衛生面が相当妥協又は無視されがちです、これは筆者も同意します。いや案外と衛生的だ、などと強弁をいうつもりは全然ありません。しかしだからといって屋台・大衆食堂で食べるのを減らした、止めようと思ったかといえばまったくそうではありません。約20年間変わらず屋台・大衆食堂で食事、休憩しているのです。
なぜ20年間も東南アジア各国の屋台・大衆食堂で食事をし続けてきたかといえば、安いからです、好きだからです、それなりに美味しいと感じるからです、そして衛生面はニの次ぎと考えているからです。この大きな理由は、最初に本格的に旅したインドネシアのジャワ島での経験と80年代中頃のタイでの経験が下地になったと思っています。当時のインドネシアは、今でも相当衛生状態がいいとはお世辞にも言えない、それよりもはるかに衛生程度の悪い状態でした、そういうジャワ島をうろつきながら、いろんな屋台で食事したので、その後いろんな場所で食事しても心理的に免疫意識ができていたことでしょう。しかし病気に免疫ができるわけではないので、これまで下痢は数多く、さらに軽い食中毒になったことが数回あります。
さらに80年代中頃一時はまったタイで、屋台・大衆食堂の味の美味さと安さにはまったことです。インドネシアの大衆料理は今でも心から美味いと思ったことはありませんが、タイの大衆料理は心から美味いと思いました。タイ語を習いながらそれを試す場でもあったタイの屋台・大衆食堂は、筆者の東南アジアへののめり込みのきっかけでもありました。タイの屋台・大衆食堂にのめり込むのは何も筆者だけではありません、タイ物で著名な前川健一氏、アジアの職と麺類を追求している森枝卓士氏、出版にも関わっている下川裕二氏のアジア関係の著作で知られたライター諸氏は、彼らの本から判断する限りいずれもタイがその起点になっているはずです。(偶然というか必然的というか、彼らと筆者はほぼ同年代で同じ頃から旅を始めたのですが、筆者の出発点は彼らと違って東南アジアではありません、他の地域です)
80年代初期中期の東南アジアの地方は旅マニアの世界でした、現代のようにあらゆる細かい情報を載せたガイドブック、旅雑誌、ムックはほとんどない、ましてホームページなど存在すらしない時代、そういう時代に筆者みたいな貧乏旅行マニアが、安宿に泊まって徘徊していた時代です。別に書籍を参考にして食事した記憶もないし、日本語で説明を読んだ記憶もありません。すべて現地の人の食べる、注文する、のを見よう見真似で覚えて、時々は尋ねて、食べていただけです。思えばまこと楽しい旅時代でした、なぜなら情報がない分、あれこれに惑わされることはなかったからです。情報がありすぎて情報に降りまわされている現代の”自由旅行者”を見るとつくづく思います。
過ぎ去りし日々を懐かしむのは、自分が年を取った証拠でもあります。当然ながら80年代初期中期のような気持ちと考えでの旅は、年を重ねた筆者はいうまでもなく、どんな若者でももうできません、なぜなら時代が変わったからです、東南アジアを取り巻く環境も変わったからです。ですから書き手もそれに合わせて書かなければなりません。(だから筆者も、原則は棄てないが、できるだけそうしようとしています)
それはともかく、筆者のようなきままで貧乏でしかしまじめに旅していた旅人にとって、80年代の東南アジアはまこと貴き時代と場所でした。(東南アジアだけではありませんが、ここでは他の地域は関係ないので触れません)
さて前書きはこのくらいにして本題へ入りましょう。
ずっと以前のことになりますが、98年のコラム第107回で「よくわかる実践マレー料理注文の仕方」 というマレー大衆料理に絞ってその注文法をちょっとおもしろくおかしく紹介したコラムを書きました。マレーシアの大衆料理一般の概説を載せたのが99年のコラム第137回 「料理法知らずのマレーシア料理案内と勧め」です。次いで107回とは別の角度からコラム第138回で 「一夜漬けで覚えるマレー料理の注文法」 を書きました。一般的なマレー料理の注文法に関してはこの3つのコラムをじっくり読んで知識を仕入れ、料理名を覚えていただければ、まあなんとか注文できると思います。もちろん完璧にできるわけではないですよ。この3つのコラムをまとめて、旅行ページの「飲食物・料理・果物の話題」内に項目として掲載していますので、マレー料理・飲み物に関してはそちらをご覧ください。
そこで今回から3回にわけて、大衆中国料理に関して概略を説明し簡便な注文方法を皆さんに伝授しようと、第して 「実践 よくわかる屋台・大衆中国料理の解説とその注文の仕方」を書きました。題名につけたように、これは実践のためのコラムですから、読者の皆さんに是非屋台・大衆中国料理を味わっていただきたいと思います。
一般に日本人は、看板などに漢字で料理名が書いてある大衆中華料理の方が大衆マレー料理より注文しやすいと思われるかもしれませんが、あにはからんや、そうでもないのです。マレーシア語はまあ初心者が書かれた通りに発音してもマレー人らに通じる率は高いので、マレー屋台の時はマレーシア語の発音を表記しましたね(尚聞き取りは発音の何十倍も時間がかかるので、一夜漬けでできるわけありませんよ)
中国漢字の意味は日本漢字と違う場合が往々にしてあります。そのいい例が”粉”という漢字です。これは中文(日本語でいう中国語のこと)では、広い意味での麺類の意味ですから、決して粉(こな)そのものではありません。例えば、地元華人はよくこういう言い方をします、「今晩の晩御は飯 [fan] にしようか?それとも粉[fan] にしようか?」 この表現のローマ字表記ではいずれも同じ”fan”ですが、声調が違うので意味が違うのです、この意味は 「ご飯物にしようか、それとも麺類にしようか?」 ということなのです。
屋台・大衆中国料理は大きく分けて、飯類、粉類(めん類)、粥類、湯類、肉・海産物類などの独立した料理、甜品類、その他 でしょう。このうち最も一般的でどんな屋台街と大衆食堂のメニューにもあるのが飯類と粉類の2種類です。尚飲み物類は当然どこにもあり、食べ物とは別の屋台が扱っています。
屋台はそれぞれ1種類から関連ある数種類の料理に少品種特化しています。つまり蝦麺を売る屋台人がその同じ屋台で炒飯を調理して売ることはありえません。板麺と伊麺をいっしょに調理して売ることはありますが、豬肉粉と魚滑粉の組み合わせは極めて少ないはずです。まして廣府炒と雲呑麺をいっしょに売る屋台はないでしょう。
大衆食堂、一般にこれをコーヒーショップとかマレーシア語でKopi Tiamと呼びます。こういうコーヒーショップの看板には店名として何々という屋号に続いて茶店、茶室、餐廳、茶餐室、飯店、餐館と書かれています。時々それに添え書きする形で何々Restaurantなどと書かれています。これらの語句:茶店、茶室、餐廳、茶餐室、飯店 に本来は違いがあったはずですが、現在では少なくともマレーシアでは実質的にほとんど違いはありません。(台湾、香港では違いがあるかもしれない)
またたくさんの屋台を一箇所に集めた屋根付き吹き抜け式の建物があります。こういうのをホーカーセンターHawker Centre とかフードコートFood court とマレーシアでは呼びますが、華語(中文)ではよく「美食中心」と表記しています。これを真似て大衆食堂が屋号の次ぎに何々美食中心と書く場合もあります。このように店の呼び方はその店主の好みで好き好きにつけているのです。
ホーカーセンター又はフードコートという呼称はショッピングセンターの食堂階・コーナーの意味でも使います。ビジネスビルでは小規模のホーカーセンターがあり、Kantin(キャンティーンのこと)とも呼びます。これらは建物形態はそれぞれ違いますが商売形式としていずれも同じなのです。いずれも屋台商売人が、屋台分のスペースを借りて商売しているからです。
そこでこの大衆食堂つまりコーヒーショップの仕組みを説明しておきましょう。屋主が店内の場所を屋台商売人に貸し出しています。屋台商売人(華語では小販という)はそれぞれアルミ製できた調理台(屋台街で使う物と全く同じ形)を店の内外に持ち込んで、それぞれの得意の料理を調理販売するわけです。この商売法とあり方は街頭の屋台と同じです、つまり屋台が屋外又はホーカーセンター(半屋内の場所に多くの屋台を集合させた所)で商売するありかたと同じです。フードコートの場合、地域の自治体が場所と建物を提供している場合が多いです。尚大衆食堂や小さな屋台街では、同じ料理を売る屋台は原則として営業しないようになっています、共倒れを避けるために当然ですね。
1軒1軒の屋台がそれぞれ小品特化した料理をメニューとして、その料理を売った屋台が自分で客から直接料金を徴収するあり方です。ある大衆食堂の中の一画で商売している何々料理コーナーの販売人は、その店のスペースを借りているだけなのです。調理用のプロパンガスも自分で払っていますよ。尚マレーシアで都市ガスの供給されている地区は全国の中の極めて極めて限られた地区だけで、大衆食堂が都市ガスを利用している現場を見た記憶がありません。
大衆食堂はその呼び名であるコーヒーショップの名の通り、コーヒー、紅茶の飲み物も提供しています。尚飲み物は飲み物専門の屋台が担当します。例外はありますが、これはどこの屋台街、フードコート、大衆食堂でも同じで、通常は飲み物は食べ物と別払いです。
コーヒーは地元コーヒーであるKopiで、紅茶は地元スタイルのTehですね、ですから地元スタイルのコーヒーの場合はKopi 「コピ」と、紅茶がTeh 「テー」と発音して注文してください。華語ができるからといて、「珈琲」などと華語で注文するとおかしな顔をされますよ、なぜならマレーシアの大衆食堂で供されるのは、西欧風のCoffee ではなく Kopi だからです。だから華人の大衆食堂でも"Kopi, Teh" と注文するのです。ただし中級以上のレストランなら"Coffee" と注文してもおかしくはありません。Kopi を好まない方ならインスタントコーヒーを、「ネスカフェ」 といって注文してください。ネスカフェは極めて普通の飲み物ですよ。その他 Milo「マイロ」も一般的です。
氷を入れたアイス何々にする場合は"Kopi Ais" "Milo Ais" などのように品物名に「アイス」を加えるだけです。正式には「ビン」と声調をつけて発音します。ミネラルウオーターはそのまま"Mineral Water" と注文すれば、通常は500mlのミネラルボトルがでてきます。
食事時に一番多く注文され安いのが、グラス1杯の「唐茶」です。読者の方は”Chinese Tea" と注文すればいいのです。氷を入れた方がよければ"Chinese tea ice" です、華語では「雪茶」と表記されている。こうして出てくるのは、グラスに注がれた色がついた程度のお茶です。安っぽいハーブ茶もよくメニューに加わっています、「涼茶」と書かれているので、"ハーブティー”とでも言って下さい。
清涼飲料水ならCoke 「コーク」と発音、100PLUS 「ハンドレッドプラス」と発音、などはどこにもあります、この種の清涼飲料水は、「汽水」 とまとめて表記されている場合もあります。豆奨水とは豆乳のことで、豆 +女偏に乃 と書くこともあり、どの屋台にも店にもあります。読者の皆さんが注文する場合、例えばこの広東語発音は"Daochiyongsui" と声調が非常に難しい単語なので、"Soya bean" と英語で注文してください。マレーシア人の好きな飲み物の一つに"Barley”がありまして、「草冠に意 +米」 と2字で表記されます、はと麦のことです。サトウキビ水は 「甘庶水」と表記されていますので、"Sugar cane" と言ってください。大衆食堂ではこの場合、缶入り又は紙パックのSugar caneがでてくるはずです。屋台などでは実際のサトウキビを絞った「甘庶水」が一般的です。
缶飲料の例:「菊花茶」、「芒果」はマンゴのこと、「鳳梨」はパイナップルのことです。Cincauチンカウと発音する 「涼粉」は粉ではありません。
もっと別の飲み物が試したい方は、大衆食堂の冷蔵庫には各種缶飲料類が入れてあるので、冷蔵ショーケースに近づいて行って "This one" と指差して伝えれば一番確実ですね。氷が欲しければ”Ice”の一言で通じるでしょう。
生ジュースが飲みたければ," Fresh orange, fresh apple" などと注文します。通常はこの他にスイカ"Watermelon"、スターフルーツ、ニンジン"Carrot" など数種類の生ジュースが提供されますので、飲み物屋台の所へ行って、ガラス容器の中に飾ってある果物から好きな物を指差せばいいのです。大きな椰子の実を置いてある屋台もありますよ。その場合はもちろん「ココナッツ」で通じます。大きなココナツが丸ごとでてきて、安価に味わえるのはまさに熱帯国での楽しみです。"No ice" と付け加えれば、氷なしの生ジュースになります。
急須で供される中国茶は、華人大衆食堂、華人主体フードコートですから当然あります、が路上の屋台にはありません。一般的に烏龍茶、水仙、鉄観音などが主なところです。烏龍茶なら「ウーロン」で通じるでしょう、あとは日本語で発音してもまず通じないはずです。そういう場合は仕方ない、紙片にでも書いて店の人に見せてください。この急須茶は複数の人で飲めるという利点があります。急須の湯がなくなったら蓋を半分ずらして待っておればよいという話しがありますが、それは高級レストランのお話です。大衆食堂などでは、手を振って"Hot water" と催促する必要があります。
おっと、ビールなしでは食べた気がしないという方は、次のように注文してください。"Anchor, Tiger, Carlsberg、Guiness" と銘柄を指定します。ついでに"small" 又は"big" と言うのもお忘れなく。大衆食堂でビールを日中から飲んでも誰も文句は言いいませんが、日中に飲んでる客はやはり少ないです。
ちょっと大きな店やフードコート(美食中心)では夜になると、ビールメーカーと契約して働いているビールガールが登場する所がありますので、そういう時は彼女の方から特定銘柄のビールを勧めてきます。尚彼女たちはホステスではないので、座って酌などしませんよ。日本のビールが置いてあるような店は外国人を主として相手又はそれを狙ったちょっと高級な店であり、地元人相手の屋台、店に日本ビールは置いてありません。
それでは食べ物屋台に入りましょう。
クアラルンプール及びその周辺であれば、広東語又は華語で、ペナンであれば福建語で、ジョーホール州であれば華語で、とその土地の華人社会で一番使われることばで注文するのが一番ふさわしく細かい要求まで的確に注文できますが、それを読者の方に説明しても無駄ですし、短期間に取得を期待しても不可能です。そこでこのコラムでは誰でもできる注文の仕方として、看板によく併記されている英語呼称を混ぜたマレーシア英語的非標準英語と指差し法で書きます。これでも必要な事は伝わりますから、覚えてぜひ実際に使ってくださいね。
1の解説
雲呑麺なら日本語でワンタンミンといっても恐らく通じるはずですが、蝦麺、板麺などを日本語読みしても当然だめです。ですから屋台のガラス又は看板に書いてある漢字を指差して注文するのが、読者向きです。蝦麺は時にPrawn Meeと英語で添え書きしてありますが、下手な発音で言ってもよく伝わらない事もあるでしょうし、彼らはマレーシア英語を当然のこととしているので英米人並の流暢すぎる英語でもよく伝わらないこともありますよ。料理の内容がどんなのかわからなければ、数分間料理するところを眺めておればいいのです。おかしな顔をされたらにこっとしながら" I want to see before order" とでも言えばいいでしょう。
2の解説
麺の種類には黄色い麺、米粉、麺線、Kuwai Tiow、冬粉、河粉など種類たくさんあります。ものすごく一般的な"Kuwai Tiow" が日本漢字で表せないので残念ですが 「米偏に果と書き + 條」 と表記します。小さな麺類屋台でも通常は数種の麺を揃えており、麺の種類を選択できるので、客はどの麺かを指定するわけです。この時例えば黄色い麺と米粉を半々にしてもらうことも極めて普通です。1種類であれば その麺を指差して,"This only" といえば通じるでしょう。2種の麺を混ぜる場合は、" This one and this one, mixed" とでも言えば通じるでしょう。又はマレーシア語の単語を入れて" This one and this one , Campur(チャンプー)“と言っても通じるでしょう。
黄色い色をした麺は広東語で[min] 華語では[mian]と発音しますが、この場合は麺類の総称の意味ではないのです、麺類の種類の1つなのです。「麺」という漢字にはめん類という意味ももちろんあります。米粉はビーフンのことですね。板麺は麺の種類がそのまま料理名になっているので麺の選択はありません。
また雲呑麺は麺は最初から決まってますが、碗の中にスープと麺をいっしょに入れる通常の麺スープタイプと、皿に麺だけを盛り、スープは小鉢で別にするタイプの2種類があります。ですから雲呑麺に限っては、スープ入り麺なら "Wantanmen soup" と、スープなしタイプなら"Wantanmen dry" と注文してください。ごくごくたまに、乾撈と書かれてる場合もありますがこれはDry の意味です。
3の解説
特別の注文とは麺を特にやわらかにしてくれとか、シイタケをいれないでくれとかという個人的好みの注文のことです。初めての者がこういうことをくどくど言うと嫌がられますので、その屋台の通常の調理に任しておくのが無難です。
料理つまり碗のサイズを指定します。看板や麺のケースに 大(Big)RM3.50 小(Small) RM3.00 などと書かれているのが通常ですので、これは簡単ですね。普通サイズなら"Small" と言えばいいですし、ちょっと多めが希望なら"Big" と英語でいえば間違いなく通じます。小と書かれていてもそれはその屋台の普通サイズの量ということです。大 中 小 と3段階に分けて売っている屋台も少ないけどあります。
4の解説
ごく数の少ない屋台街、小さな大衆食堂であれば、注文者がどのテーブルに座っているかを伝えなくても、その屋台人は注文者の顔を見ればすぐわかるので、席の位置を伝える必要はありません。それ以外の場合ははっきりと伝えないと、いつまでも注文したのが届かないなんてことになります。大きなホーカーセンターではテーブル数が100を超えるつまり数百人の客を収容できる所がありますので、そういう時はテーブルの番号を伝えるか、位置を指差して" Over there" とはっきり言うことです。
それではめん類の個別解説に移りましょう。「粉」がめん類であることは、前編ですでに説明しましたね。
めん料理に入れる物からついた名で麺料理を区別する場合
「豬肉丸粉」は選択できる麺に小さな豚肉をこねたボール状の物を加えたものです。この豚肉ボールの替わりに魚肉を使えば「魚丸粉」という種類の麺料理になる。「西刀魚丸粉」というのが有名です。 いずれも"Fish" "Pork" で区別注文できるはずです。「雲呑麺」は文字通りワンタンが入ってますが、追加オーダーとして「水餃」とか「蝦餃」を加えることができる場合が多い。文字を指差して、" add this one" で通じるでしょう。
豚肉の部位から取った骨付き肉を入れた「排骨麺」、 牛肉を加える牛Nam麺 (Namは月編に南と書く)、牛汁麺、ペナンでは「福建麺」 と呼ばれる「蝦麺」は辛いスープに文字通り蝦が入っています、時に「生蝦麺」と書かれても内容に変わりはありません。これらは英語が添え書きされていなければ、いずれも看板の文字を指差す指差し法がいいでしょう。「鶏脚麺」 は鶏の足の部分がそのままの形で麺の中に入っています、シイタケの加わった 「冬茹鶏脚麺」という場合が多い。 「豬脚麺」はもうおわかりですね。
麺の種類でも区別
麺の種類に「河粉」があるがこれを使った料理は「鶏絲河粉」と 「沙河粉」がよく知られている。「米粉」では「魚頭米粉」が有名です。「板麺」には、道具で平たく伸ばしたタイプと麺の基を料理人が手で細かくちぎって鍋にほうり込むタイプの2種類ある。「老鼠粉」 というマカロニみたいな麺がありますが、これはスープ麺として食べるより乾撈(Dry)で食べる方が一般的でしょう。「河粉」は"ho fan" と発音しますが、指差し法で十分です。
インスタントラーメンの麺みたいな麺を「伊麺」と呼びます。" イ mian "と発音すればいいでしょう。この麺はよく土鍋で料理した 「瓦pou伊麺」の料理名となっています。瓦pouではなく鉄板に載せて料理した麺が、「鐵板麺」です、これは分りやすいですね。ラクサは下記で説明。
スープ味で区別
麺のスープのタイプでその料理の特有のスープ味でなく、すまし汁のように味付けしないタイプのスープを「清湯」と書きます。だからある種のめん類では麺を選択し、ついでスープ味を選択できることになります。例:めんを米粉にしてスープを清湯にすれば、「清湯米粉」ですね。「加厘麺」は文字通りカレー味の麺類です、カレーの意である加厘は両方の字に口編が付きますが、日本漢字にない字です。トムヤムスープのように辛いスープ味を「辣湯」と書きます。タイ料理のトムヤム味を「東炎」と表記しますが、「トムヤム」で通じるでしょう。
スープを麺といっしょにせずに別の小碗にするタイプの麺を「乾撈」と表記します。
ラクサには、亞三"Assam" 叨沙" Laksa" と呼ばれるペナンラクサとカレーラクサの2種類が普通です。ラクサの中国漢字は口編にカと書き、サは沙と書きます。ペナンを「檳城」と中文では表記し、ラクサはペナン名物なので「檳城叨沙」 とよく書かれています。料理名に地名を付け加えたタイプです。発音は「アッサム(又はペナン)ラクサ」、 加厘叨沙は「カリーラクサ」で通じます。
炒めた麺類でよく知られたのがまず "炒?條 Kuwai Tiow"です、これはどこにでもあります。次いで 「廣府炒」と 「福建炒」です。「廣府炒」は揚げ麺を使用し、「福建炒」は福建麺を使います。その他にも「炒老鼠粉」、「炒冬粉」 「炒米粉」などがありますが、こちらの方はどこの屋台でもあるわけではありません。「福建炒」の場合は「フッケン」、「廣府炒」の場合は「コンフー」と言えば通じるかもしれませんが、声調が難しいので、看板の文字を指差すのが無難でしょう。これらの炒め麺類は、チリとか青辛子は小皿で提供されるので、辛さは食べる人が加減できます。
その他まだいろいろあります、"Lu mian"と呼ばれる「鹵麺」 は肉卵を加えた醤油味のめん類です。魚の小さな頭を入れたビーフンの「魚頭米粉」などもよく見かけることでしょう。「淋麺」という料理もあります。いずれも看板の文字を指差してください。
手打ちスタイルの麺を売り物にした屋台もたまにはありまして、そういう場合は「手工麺」 と表記されており、その屋台のめん類はすべて手打ちということです。
一般に華人の屋台、大衆食堂、ホーカーセンターでは、料理が運ばれてきた時に料金を払います。マレー人のつまりマレー料理の屋台、大衆食堂とはこの点で違います(もちろん一般論なので例外はどちらにもある)。そこで運んできた者に, "How much?" と聞いて、答えに基づいて金を払います。屋台の看板に料理の代金が書いてあるのが一般的ですから、普通の料理を注文した場合なら、料金代も知っていることも多いですから、料理が届いたらだまって金を渡してもいいです。おつりが必要な場合はその運んだできた者が屋台まで戻っておつりを持ってきます。尚屋台で 5リンギット以下の代金なのに50リンギット札などを渡せば嫌な顔されるのは、お分かりですよね。
数人で料理を注文して、誰かがまとめて払う場合は、”All together, How much? " とでも尋ねればいいのです。1人1人が別々に払う場合は、その料理を指差して、”Not all together, this one how much?" で十分でしょう。
飲み物は料理とは別の屋台で注文するのが一般的ですから、飲み物に関してもこれは同じです。
何はともあれこういう屋台料理は、客の注文によって一品一品炒めたり煮たり蒸したりする注文料理を提供するタイプの屋台・大衆食堂とは違って、食べる前に払うので明瞭会計ということになります。料金は食べてからでもいいよという屋台、店も中にはありますが、そういう時でも旅行者や初心者はできるだけ食べる前に払う方式を取った方が無難です。
めしを食べないと食べた気がしないという方、お待たせしました。飯類の屋台に入りましょう
飯類の代表はいずれも同じ意味である、経済飯、汁飯、経済雑飯と書かれた屋台です。最低10種類以上のおかずがアルミの容器に入れられて保温式台の上に並んでいます。最初にその場で食べるのか持ちかえりにするかを告げます。
その場で食べる場合は"Eat here" と言えば、店の人が皿にご飯を盛ってくれます。ご飯を減らして欲しければ、”Small rice“ と言えばいいでしょう。そしてめいめいの客が大きなスプーン、つかみ器で好みのおかずをアルミ容器から取り、それを自分のご飯皿に加えます。つまりご飯の上におかずを載せるのです。何種類載せようとそれは個人の好き好きです。グループで経済飯、汁飯、経済雑飯を食べる時は、めいめいのご飯の皿とは別におかずを小皿に盛ってもらう場合もありますが、1人2人だとあまりこういうことをしません。たくさんおかずをよそりたい人は小皿を要求して、"Small plate, please" とでも言えばいいのです。
経済飯、汁飯、経済雑飯の屋台の中には、粥 "porridge" をメニューに加えている所もあります。その場合はご飯の替わりに粥の碗になるわけです。この場合は当然おかずは小皿に盛ります。尚屋台、店によっては客におかずを勝手に盛らせない所もよくありますが、こういう所はあまり好まれませんね。自分でおかずを盛りたいのが客の心理ですから。
さておかずを盛り終わったらそのご飯とおかずを盛った皿を店の人に示して、”How much?" と尋ねます。その場ですぐ金を払う場合が通常ですが、値段だけ聞いて食べ終わって払う場合も少ないながらあります。このコラムの読者は食べる前に払うことにした方が無難です。"I want to pay now" と伝えましょう。
飯類で人気あるためほとんどの屋台にあるのが鶏飯ですね。「鶏」の鳥偏の部分が通常は「誰」の右側旁の部分になっていますが、意味は同じでニワトリです。よく看板に「海南鶏飯」と書かれてますが、鶏飯を発祥・発展させたのが、中国海南島出身の海南人だからです。といって現在ではその看板を出している商売人が全て海南人ということではありません。
この鶏飯のメニューには「焼鶏」とよく表示してありますが、これはマレーシアでごく一般的な鶏飯の種類で、こげ茶色に焼き仕上げた鶏です。[siugai] と広東語ではいいますが、あえてそれを言わなくても単に”Chicken rice one ”とでも注文しておけばいいでしょう。それに叉焼を追加して欲しければ、「チャーシュー チキンライス」 で通じます。大盛りならもちろん"Big" と付け加えます。
鶏飯の鳥には3種類ほどあって、一番多いのが通常のこげ茶色の鶏、次いで「白鶏」 と呼ぶ白い鶏です。注文する場合”White” を単語に追加すればいいでしょう。数は少ないですが、地卵ならぬ地鶏を提供している屋台店もあります。そういう場合は、「家郷鶏」 と書いてあります。怡保(イポー)が白鶏の有名地なので 「怡保鶏飯」というのがありまして、もやしが載ったちょっと別の味付け鶏飯です。「家郷鶏」 と「怡保鶏飯」の屋台は通常それだけ販売してますので、あえて区別して注文する必要はありません。
さらに「鶏飯」の屋台の中には、アヒル肉をメニューに加えている所もあり、「鴨飯」 又は「焼鴨」と表記されています。その時は"Duck rice" と注文してください。華人はアヒル肉が案外好きなのです。尚ここでは、空を飛ぶカモの意味ではありませんよ。「鴨飯」に叉焼を追加するのはおかしくありませんが、「鴨飯」 と 「鴨飯」を1つの飯皿に盛るのはちょっとおかしなことです。そういう時は、チキンとダックを盛った皿と、ご飯の皿が別で供されます。
鶏飯ですがちょっと料理法の違った鶏飯が、「瓦pou鶏飯」 というのがあります。pou の漢字は保の下に火と書きます。これは土鍋にライスと鶏の肉を入れて炊いたご飯です。本格的な屋台では今でも炭火で炊くのです。1、2人用の小さな瓦pou から4人ぐらい用の大きな瓦pouまで3種ほどあるのが普通で、それが 大”Big”, 中”Medium”, 小”Small” の違いになります。注文は、"Claypot chicken rice" と言ってサイズを伝えます。「瓦pou鶏飯」にはスープ小碗が付いてくる場合がよくあります(付かない店もある)。
その他鶏に関係ある飯料理では、「鹽火局鶏」 という塩辛い鶏飯の店もごくたまにあります。”火局”で1漢字です。
その他飯類には中国風焼き飯である「炒飯」 "Fried rice"と発音、 「揚州炒飯」と名打っている時もある。この「炒飯」の種類に、パイナップルを真っ二つに切って中を空にして、それを皿替わりに用いて炒飯を盛った"Pinapple Fried Rice" をメニューに入れた店にであったら、その読者は幸運ですよ。パイナップル味が炒飯と調和してたいへん美味しいのです(筆者の好物です−余談)。
屋台、大衆食堂では飯類はめん類に比べて種類が少ないのが一般的です。「火敦飯」と表記された(火敦で1字)”Steam Rice”を各種売る屋台がもしあれば、それは珍しいことです。
スープ専門の「豬汁湯」 と看板に掲げた屋台ではそのスープの追加注文としてお碗盛りのご飯を用意していますので、その場合は"Rice" で通じます。「豬汁湯」 とは豚肉ベースのスープです。筆者は英語で注文したことがないので何というか知りませんが、読者の方は文字を指差して注文すれば十分分ってもらえるでしょう。「湯」とはこの場合はスープの意味です。例えば、「海鮮湯」、「ABC湯」などいくつか種類があります。
ご飯といっしょに食べる料理物としていわゆる精進料理があり、「齋」 又は「素食」という表示を出した専門屋台、店が商売しています。多くの人が好む大衆的な「齋」 「素食」ですので、日本での精進料理とはちょっと違いますが、材料に肉や魚はもちろん使いません。齋 のスタイルは経済飯と同じく、ご飯に齋おかずを盛るタイプです。代金は経済飯と同じかむしろ多少安いのが普通です。
ご飯ではないがその親戚として「粥」があります。粥専門店はよく「潮州粥」 と看板を掲げてますが、これは中国南方出身の潮州人がこの料理で有名だからです。「潮州粥」の場合は、客がおかずを選んで小皿に盛るスタイルです。これとは別のスタイルである粥専門屋台だと、はじめから粥の碗に魚、鶏絲などが混じっており、その内容物の名を取って、「豬汁粥」、「魚粥」、「鶏絲粥」、「田鶏」(カエルの意)などの種類がある。この場合は"Chicken porridge" "Fish porridge" "Pork porridge" などと言うか、指差し法がいいでしょう。
「豬腸粉」 というのがある、これはめん類ではなく、中身にあれこれ材料を包んで蒸し焼く軽い料理で、平皿に載せて供します。羅白gao(gao は米偏に羊と書く)、これらは英語で言うのはほとんど馴染まないのですが、看板に英語綴りが書いてあればそれ風に発音するか、指差し法で注文してください。尚「豬腸粉」などは数を伝えて注文しますので、例えば" two, three "で十分でしょう。「薄餅」はいわゆる「ポーピア」のことです。これも数を指定して注文します。
さらにいろんな種類の品からなる 「鹵肉」と表記された料理があります、発音は"lobak" です。「羅口也」というインド料理起源のメニューもあります。「口也」はこれで1漢字で、合わせて「ロジャ」 と発音します。鶏の翼を火で照り焼きしながら売っていたらそれは「焼鶏翼」です、たくさんくしに刺し売っていますから、" one, two" などと数を言って買えばいいのです。
「讓豆腐」は”Yong Tau Foo ヨンタオフー” と発音し、観光客にも案外知られた料理ですね。「肉骨茶」と同じく、屋台だけでなく独立した専門店も時々あり、「客家讓豆腐」などと看板を出しています。客家とは客家人のことです。「讓豆腐」は種類たくさんある品が1個いくらという値段のつけ方ですから、指差し法で ”How much this one?"と尋ねましょう。通常は1個40セントから60セントぐらいでしょう。
「讓豆腐」はたいていお碗盛りの白飯を用意していますよ、ですからおかずとして食べられます。飯が要らなければ" No rice" と伝えて、讓豆腐を別注文しためん類のおかずのようにして食べればよいのです。また「讓豆腐」といっしょにめん類をメニューにしている屋台もありますから、まず「讓豆腐」をいくつか選んでそれから麺を選びます。
魚の頭を辛いカレー汁に入れて煮込んだのが 「加厘魚頭」です。英語では"Fish head curry" という決まった呼び名があります。通常は「瓦pou」で供される形が多く、相当辛いのが一般的です。ハンカチでは足りないほど汗が出ますよ(笑)。
海産物は一般に「海鮮」と表記します。例えば海産物を具にしためん類は、「海鮮麺」と書かれています。
「海鮮」の代表的一品料理は、魚を鉄板上でバナナの皮に包んで焼く「焼魚」です、日本の焼き魚とは相当趣が違う。通称"Sotong"と一般に呼ばれるイカ焼きがあります、イカは烏賊ではなく 「魚尤魚」 (中国漢字で魚尤は1字です)と書いてあります。「鮮蛤」と書いてあれば貝を意味します。牡蠣を卵といっしょに炒めた料理が 「hao煎」です。haoは虫偏に豪と書きます。魚、イカはガラスケースの中に数々の種類とサイズの物が氷付けされていますので、好きなのを選んで指差して注文します。その時あらかじめ "How much is this fish?" と値段を必ず尋ねておきましょう。細かい料理注文をしようとすればできない事はないのですが、それはあきらめてください。
茶と書かれていてもいうまでもなくお茶ではありません、台湾や香港にもないマレーシア華人独特の料理がこの「パコッテー」です。豚肉の各部位をハーブスープで煮込んだ料理で、腹に持つ料理です。「肉骨茶」には2種類あって、一人又は数人用に土鍋で煮込んで作るタイプの「瓦pou肉骨茶」 と店側が大きな鍋であらかじめ完全に煮込んだものを小碗に盛って供する通常のタイプです。いずれも白ご飯が付きます。「肉骨茶」の発祥と最も有名な地がスランゴール州Kelang なので、その中文地名表示である巴生を頭につけて「巴生肉骨茶」 と看板を出している店もあります。巴生までわざわざ出かけて行って「肉骨茶」を食べるのもちょっと贅沢な食旅行ですよ。
「肉骨茶」の細かい注文は易しくありません、なぜなら各部位の名前を華語などで覚えておかねばならないからです。そこで一般的な注文法である、特別なリクエストをしない、「パコテー、ミックス Please」 とか「Normal パコッテー」 程度で我慢しましょう。これは一通りの部位を入れた一般的な「肉骨茶」です。この料理には中国茶が付きものですので、前編の飲み物の箇所を参考にして茶の種類を指定します。通常サイドオーダーとして茹で野菜、通称 「油菜」、を勧められますので、欲しければ「レタス」 とか「カイラン」 などと野菜名を告げてください。ただし上手く伝わるかは保証しませんよ。他人のテーブル上の料理を指差して、"same vegetabel" とするのが賢明でしょう。
この料理ぐらいになると、ブロークン英語や指差し方だけでは限界はありますが、料理自体を楽しめないということではありませんから、気にせずに注文してください。「肉骨茶」はマレーシアで是非味わって欲しい料理の一つですよ。
いわゆるステーキとかスパゲティーとかフライドポテト付きのフライドチキンなどの料理を 「西餐」と呼びます。意味はウエスタンフードということです。昔から屋台料理としてもありましたが、この数年そういう屋台に人気が出てきて数が増えたようです。この「西餐」屋台の看板にはまず間違いなく、中国漢字名と英語名が併記されていますから、その英語名で注文するのがいいでしょう。参考までに、「牛八」はビーフステーキ、「鶏八」はチキンチョップ、「豬八」はポークチョップ、「魚八」はフィッシュ&チップスのことです。ただしどれも味と肉を高級レストランのステーキ風だと期待してはいけませんよ。「八」の部分は「手偏に八」と表記しますが、日本語フォントにはないので「八」としてあります。
最後にデザートを紹介しておきます。これらは時には飲み物屋台に関連することなのですが、デザートのようなものを一般に「甜品」 といいます。尚「甜品」はある規模以上のホーカーセンターなどにならないと専門屋台が営業しないのが一般的です。この数年ショッピングセンターなどの一画に「珍珠女偏に乃 茶」 と書かれた看板を掲げたしゃれた飲み物売り場が人気を呼んであちこちに増えました。通常の屋台街や大衆食堂にはありませんが、大きな規模のフードコートなら、あるかもしれません。この「珍珠女偏に乃 茶」は台湾からもたらされたそうで、Bubble Teaなどと訳されています。
で最後に、デザートとして一般的な物を多少あげておきます。豆乳を固めた物を「豆腐花」 と表記します。“Soya bean curd"と注文。かき氷は「汁雪」 「雑雪」 「ABC」と表記されているので、「エービーシー」と言ってください、雪はここではかき氷のことです。 おしるこのように甘い液体を 「糖水」と表記します。この「糖水」には、「紅豆水」 「糯米」 「花生糊」 「芝麻糊」 などの種類があります。これらは通常英語名は載っていないか、載っていても英語で注文することは稀ですので、いずれも指差し方で注文してください。他にも多少のかき氷とココナツミルクベースに南国特有の材料を加えた「摩摩渣渣」 (ボーボーチャチャ)、「西米露」(サゴ)などの冷たいデザートがあります。甘党でない方も一度は試食されるのがいいですよ。
以上このコラムで触れた料理だけでも数十種類に及ぶ屋台・大衆中国料理を紹介しました。一地方限定とか珍しい大衆料理は除いて、一般的な屋台・大衆中国料理はほとんど網羅したつもりです。食べ終ったらこう言いましょう、「ハオチー!」(美味しい という華語の表現です)。
当コラムはグルメのための文章ではありません、マレーシアの屋台・大衆中国料理の仕組みとあらましを知っていただき、その上で実際に注文するための手引きなのです。ですからタイトルに書いたように「実践」なのです。旅行者、在住者に関わらず、多くの読者の方が、外国人旅行者向けとおぼしき屋台・大衆レストランだけではなく、地元民相手のごく普通の屋台街、ホーカーセンター、大衆食堂でも実際に屋台・大衆中国料理を味わっていただきたいなと思っています。もちろん筆者のように毎日毎食利用しなさいということではなく、せっかくマレーシアを旅行する又は住んでいるのだから、時々は利用されたらいかが、ということですね。
ペナンには大きなインド人コミュニティーが昔から存在しています。このコミュニティーは単一体ではなく、インド自体が様様な民族コミュニティーを抱えていることの影響を受けて、複数のグループが混じりあったものです。英国がペナン島を割譲された1786年以前に、すでにインド人がこの島に到着して開拓をはじめていた記録があります、とペナンにあるAsia Centre of Penag の代表者が語る、「ペナン島にやって来た最初の南アジア人グループにタミール人がいました。」
英国が領有したペナン島に貿易港を設けた後、英国東インド会社は新植民地開発のために南インドからヒンズー教徒の労働者を移入したのですが、その主体がタミール人ですね。それ以外にも貿易者としてペナンにやって来たインド人もいます。
ベンガル地方から来たPunjabis人の足跡はLeithStreetでの1803年のベンガリモスク建設までたどる事ができるのです。パンジャビ人の確かなる来ペナンは アングロ・シークの戦いの影響でペナンに渡って来た1840年代です。ただ大多数の北部インド人の来ペナンは1930年以降です。その頃彼らはマレー連合州 と海峡植民地(ペナン、シンガポール、マラッカからなる) に渡ってきたわけです。
新しくやって来たインド人は、Tmail, Malayalees, Punjabis, Pathans, Sindhis, Gujaratis, Marathis, Bangali, Biharis, などです。
少数コミュニティーとして厳然と存在するMalayalee人の場合、初期にペナンに移住したのはムスリムが多く、彼らは地元のマレー社会と通婚を通して混ざり合って独自のアイデンティティを失ってしまったので、現在その精細を発掘するのが難しいそうです。しかしその後やって来たMalayalee人はヒンヅー教徒が大多数だったので、地元マレー社会と通婚することもごく少なくそのユニークなアイデンティティを残しているとのことです。
インド人の中で確固とした割合を占めるムスリムインド人コミュニティーはペナンの各コミュニティーの中で注目する地位を持っています。今日その確固とした存在はムスリムインド人が誇りを持って自分立ちのアイデンティティーを保持している事です。しかしこの経済発展と社会の変化である種のアイデンティティー危機にも面している、そうです。
タミール人は1800年代の早い時期からマラヤにやって来て、灌漑、電気、機会、畜産、運輸、恐恐土木などの分野に就きました。独立前の英領マラヤ時代には、こういった分野で労働者としてタミール人が圧倒していました。中にはTanjung TokongやTelok Bahangで漁業に従事しタミール人もいました。
この項目はThe Star紙の記事を主として翻訳したものです。
ゴムの樹が始めてこの地域にもたらされたのは1887年にシンガポールの植物園へですが、マレー半島部つまりマラヤで大規模に栽培されるようになったのは1900年代のことです。これは米国でのフォード車の大量生産が始まった頃でもあるのです。当時の世界の金融中心はロンドン、そこのいくつかのヨーロッパ代理商がゴム農園プランテーションに金を注ぎ込んできたのです。そして1910年にはゴムはブームになりました。
ゴムプランテーション農園では生ゴム採取労働力の増強が緊要となり、英国人経営陣は中国人よりインド人労働者を好みました、マラヤの地へやって来たのはインド人の大多数がタミール人です。彼らは奉公契約によってインドとスリランカから連れてこられたのです。その条件は厳しく低賃金でした。
マラヤにおけるゴム農園の面積は1900年から1921年の間に250倍にも増加して、60万ヘクタールに達しました。1930年代にはマラヤのゴム生産量は世界の半分を占めたのです。全てのゴム生産が英国人代理商のコントロール下にあったわけではありません。19世紀の終りにマラッカの中国人はマラッカにゴム会社を設立しています。さらに当時の中国人とマレー人はゴムブームを利用して、各地に小規模のゴム園を作りました。
大恐慌で1930年代は世界的にゴム需要が激減しました。その後第2次世界大戦中に合成ゴムの出現で、生ゴムの競争相手になりました。1950年代にはマラヤはすでに世界のゴム生産1位の地位をインドネシアに譲ったのです。現在ではゴム輸出額はマレーシアの全輸出額の1%強にすぎません。しかし20世紀の長い間に渡って、ゴムはマラヤの王者であったのです。
以上1月28日付け Star紙の生ゴム生産の歴史記事を参照しました。
ご存知のようにムスリムはイスラム教に基づいた法律であるシャリア法によって一夫多妻制が認められてきました。もちろんこれは現代マレーシアでも同様です。それでは非ムスリムの代表である華人とインド人の場合はどうでしょうか? かつては慣習として一夫多妻制を持っていた中国とインドからマラヤの地にやってきた中国人とインド人は、その当時は実質的に一夫多妻をすることが認められていた且つ存在したのです。つまり19世紀20世紀と通して(マレーシアの成立する前の)マラヤの地では非ムスリムも一夫多妻であったのです、もちろん全員ということではないですが。
その一夫多妻制が最終的にマレーシアの地で非合法化されたのは、まだそれほど古くない1982年です、それは”結婚と離婚法 1976年”の法改正 の施行が開始されたからで、これによって非ムスリムが複数の妻を持つのは非合法化されたのです。
しかしこれに適用を受けないのはムスリムだけではないのです。サバ州とサラワク州の先住民族及び半島部のオランアスリもこの適用外です。ただしこの先住民族に属する者がこの法律の基で結婚するか一夫一婦制を規定する法律下で結婚すれば、以後一夫多妻を行う事は違法になるそうです。
子供の出生届を以前は親が子供の出世時に政府系病院、警察署でもできたのですが、1998年以後は国家登録庁だけでのみ、親が出生を届け出て庁が受けつけることに変わりました。庁は全国的に登録業務などをコンピュータ化したので、出生届時に子供の名前も決定して届けなければなりません。私も奇妙に感ずるのですが、以前はとりあえず届け後日決定することも認められていたとのことです。
マレーシア人は出生した子供を14日以内に届けなければなりません。
こうしてその子供には出生証明証が発行されます。この出生証明証に基づいてマレーシア国民は成長したあかつきには身分証明証が発行されるので、出生証明証は非常に重要です。尚親が決められた期日中に届けないと科料に処せられます。
また出生証明証は小学校入学のための必須書類ですので、これがないとその子供は小学校にあがれないことになります。毎年40人、50人の捨て子が発生しますが、そういう場合は福祉事務所が裁判所によって養育権を得て最終的に市民権を与えられるとのことです。
例えばミャンマーからのムスリム難民で現在推定1万人といわれるRohingya人は、ミャンマーがその国籍を認める書類を発行していないので、自身で国籍を証明できません。ですからその間に生まれた子供も出生を届けられないわけです。こうしてこの子供たちは教育を受けられずに育っていきます
出生証明証があれば自動的にその子供のマレーシア国籍が取得することにはなりません。子供の国籍は親の国籍に基づきます。親が合法的に結婚していれば、どちらかの親の国籍を得ます。もし法律上は結婚していなければ、子供は母親の国籍に従わざるをえないのです。非嫡出子を生んだ母親は恥ずかしさから出生の登録に来ない事がよくある、とのことです。
国家登録庁によれば、出世を国家登録庁に届けなかった子供が全国に1万人を超える子供がいるそうです。このためこの子供たちは小学校教育もうけられないことになります。「この子供たちは基本的教育なしでは、将来職を得るのに非常に困難に面します。彼らは”存在しない者”として扱われているのが、非常に憂慮するところです。」と子供を守るマレーシア協会の議長であるSham Kasim博士は語る。
ムスリム女性の先鋭的NGO団体であるSisters in Islamは訴える、「マレーシアのイスラム法は非嫡出として生まれた子供を認めない、父親の名前なくしてその子供たちは出生を登録することができないのです。未婚の母親たちは結婚前の性行為をしたということで罰せられるかもしれないと怖れて、子供の出生登録するのを心配しています。未婚の女性が出生した子供を登録できるように手続きを改正すべきです。」 「当局はこう述べる、若い大人が非嫡出の子供を持つのを奨励したくない、と。しかし彼女たちを罰しても何も解決にならない。我々は若者のセックスと人間関係の教育をずべきです。若者を助けるのは罰則より教育です。」
以上 2002年1月21日付け The Star 紙の特集記事より
日本がアジア各国に供与している公的援助の表です、数字は海外協力のための銀行であるJapan Bank for International Cooperation (略称JBICですが、日本語名は国際協力銀行 だそうです) のものだそうです。
インドネシア | 中国 | タイ | フィリピン | マレーシア | ベトナム | ||
ODA | 3兆588億 | 2兆7330億 | 1兆8980億 | 1兆8240億 | 8530億 | 6800億 | |
IFO | 4兆2170億 | 3兆4290億 | 2兆2400億 | 1兆3530億 | 9339億 | 670億 | |
合計 | 7兆8050億 | 6兆1620億 | 4兆1380億 | 3兆1770億 | 1兆7860億 | 7470億 |
マレーシアでは様々な機会において通称 Police report を提出する、又は提出しなければならない、ことがでてきます。これはマレーシア国民だけでなくマレーシアに住む外国人、さらには旅行者も同様です。例えば、強盗、傷害、強姦、殺人というような重犯罪の時はいうまでもなく、空き巣、ひったくり、盗難、詐欺、暴行、脅しのような中軽犯罪をこうむった時、大小に関わらず交通事故に遭った又は起こした時、家族、知人が行方不明になった時、そして近所の迷惑行為とかはっきりしないが何らかの被害を受けた時もPolice Reportを提出します。さらに免許証、パスポート、財布、クレジットカードなどを紛失したなどというのは、旅行者にも多いに関係することですね、この場合もPolice reportを提出することになります。
通常この行為を"Lodge a police report” といいますが、和訳すれば警察に報告書を提出するということです。しかし報告書を提出するという日本語訳では、その本来の意味からずれますので、Police reportを出す又は提出するとしておきます。Police report用紙はマレーシア語で項目と指示が印刷されており、マレーシア語で記入することになっています。しかし外国人は、そしてマレーシア人も望めば、英語で記入する事が認められていますので、旅行者、在住者の方で必要に迫られて提出される時に英語で記入すること自体に問題はありません。
マレーシア語がさらに英語も十分書けない人はどうするかといいますと、これまで見てきた経験から言えば、友人、知人、家族などと一緒に警察署に赴いて、その友人、知人、家族が代筆しているようです。さらにPolice report を十分に書けない者が口述したものを、応対する警察官がその用紙に書き留めていくことも決して珍しいことではないでしょう。もちろんこういう両方の場合でも、署名だけは本人がするはずですし、しなければいけないでしょう。
このようにPolice reportを出すのはきわめて普通の行為なのですが、これまで一般市民向けにわかりやすく解説した文を目にしたことがありませんでした。たまたま新聞にこういう解説記事を目にしましたので、それを筆者が訳してまとめ、このコラムにしました。
以下翻訳主体です。
誰でもPolice Reportを時間と場所に関わらず出せますが、通常は警察署又は警察駐在所です、ただし時には連邦警察本部、様々な警察施設、地方警察本部、移動交番でもPolice reportを出せます。緊急時には警察宛てに電話して、そこで勤務中の警官が受けた情報に基づいてPolice reportを作成します。
ひとたびPolice reportがなされれば、それに番号が割り振られます。Police reportを出した者が知っておくべきことは、交通に関するケースを除いて、警察署の名前が数字に先行します、その数字は事件の起こった地区を示します。例をいえば、Damansara警察署にSEA Park地区で起った事件を報告した場合、Police reportの番号は警察署名そして Sea Parkの数字に続いて割り振られた数字となります。報告を出した者はそのPolice reportの番号をその後のために覚えておくことが適切でしょう。尚Police reportの報告者はその提出したPolice reportのコピーを警察署で購入できます。
しかし自動車事故関係だけは、Police reportの番号は警察署の名前で始まりません、交通事故関係は分類上別だからです。これに関する報告の場合は警察署の調査官(IO)又は調査官補(AIO)にゆだねられます。
交通事故以外のPolice Reportが出された後、警察はそれを内容に従って分類します。その種類は;
NODの例として、重要な個人書類がなくなった場合です。これは当局が重要書類を再発行する前に、Police reportを出しなさいという必要事項にしていることが多い。つまり旅行者がパスポートを紛失したような場合ですね。
NFAの例:違反行為があまりにもささいなのでこれ以上の処置を取るメリットがないという場合。多くの場合傷や失った物が取るに足らないばかりでなく、誰がそういうことを生じさせたかも明らかでないのです。
犯罪が起ったことを知らせるPolice Reportの場合、警察はそのケースが拘束を伴うか拘束を伴わないかを決定します。刑事手続き法では、拘束すべき犯罪は警官が書状なく通常逮捕できる犯罪とされています、一方拘束を伴わない犯罪では警察はそうできないとされています。現行に従えば、拘束を伴わない犯罪と分類されれば、Magistrate裁判所にゆだねられます、そうなれば警察は捜査はいたしません。Police report報告者がMagistrateへ行って次ぎの行動をできるべく、警察はその場合書類を報告者に発行します。
もし警察が拘束を伴わないケースを調査必要だと判断すれば、捜査開始前に検察官又は副検察官から捜査命令を得なければなりません。しかしそうだからといって警察はその件を調査する別の方法を実施できないという事ではありません。特別調査権を持つのはSergent以上の階級の警官又は警察署の責任官のみです。この特別調査権には、証人を呼ぶ、陳述を記録する、捜査を実施する、容疑者の拘束を申請する、があります。
逮捕に関する限り、逮捕状によってのみ実行できます。しかし拘束を伴わないケースでは、状況が正当化しない限り、逮捕したりすることは通常起りません。
拘束を伴わない違反の例です:刑法の323条によるけがを負わせたケースです。この場合時々あるのは、Police reportを提出した者が、警察が直ちに対処しないとか容疑者を逮捕しないといった疑問を呈することです。
拘束を伴う違反行為の場合、Sergent以上の階級の警察官又は警察署の責任官が全ての特別捜査件を駆使して、逮捕状なしで容疑者を逮捕できます。通常Police Reportの報告がなされると、Inspector階級の捜査官又はSergent階級の捜査官補がその報告者に対応する事になります。
行方不明人を届けるPolice reportは犯罪行為に付属することではありませんが、それにも関わらず警察は調査を実施します。火事の報告それ自体のPolice reportも犯罪になりません、しかし警察はその原因を確定するために調査を実施します。ある人が疑わしい状況下で死亡した場合は、Police reportは捜査を開始するために、突然の死と分類されます。他の機間に関する事であるとされた場合は、そのPolice reportは関係当局の更なる対処にゆだねられます。
以上はChief Inspectorの階級にある現職警察官で、ペタリンジャヤ警察署の起訴官を務める現職警察官が、3月25日付けThe Star紙に寄せたPolice Reportに関する解説記事を、筆者が訳してまとめたものです。
3月27日の新聞報道によれば、市民がPolice reportを出す場合、今後郵便、電話でもできるようになったとのことです。といっても”Police report システム”の第一段階として4つの州の限定地域で開始されたばかりで、これが全国的に施行されているわけでも、すぐ全国的施行になるわけでもありません。この4州とはジョーホール州、ヌグリスンビラン州、マラッカ州そしてクアラルンプールです。報告をした者は、その後でその警察署に赴いて、Police reportに署名しそのコピーを入手する必要があります。コピーは報告を出した警察署でそ当日に入手できるとのこと。いくら情報手段が進歩しても、こういった最終手続きは当然のことですね、最後は自分で確認し署名するというのは非常に重要な行為ですから。
現行のシステムだと、例えば強盗被害者はその強盗事件が発生した警察署へ赴いてPolice reportを出さなければなりませんが、新しく導入する”Police report システム”はオンラインなので、他の管轄警察署でも報告を出すことができるということです。警察庁長官は、「警察はこの新システム導入で多少の混乱が起るとは思うが、3ヶ月経てば新システムは大した問題なく適用される事でしょう。」と語っています。
このPolice report システム”が最後の適用段階である半島部の残り全てとサバ州サラワク州にまで広がるのは2003年末になる、との見とおしを長官は語っており、その際には電子メールでも Police reportが出せるようになるそうです。
この新システムの下で調査官はラップトップコンピュ−ターを持って現場へ駆けつけて陳述を得られるうになるなどと、一挙にコンピュータ化が進むようですが、これが全国津津々浦々に広がるのはまだまだ相当年月がかかるのではないでしょうか。なにせ現在でもクアラルンプールなどの警察署でPolice reportを出す場合、提出者はまず応対の警官からReport用紙をもらいそれに手書きしていますし、代筆する警官もreportに手書きします。そしてそれに基づいて必要であれば、上司の調査官が手動のタイプライターでパチパチと書類を作成するのです。
筆者はこれまで一度もパソコンでPolice report書類を作るところを目にしたことがありません。しかしあとしばらく年月が経てば、Police reportの書類作りがどの警察署でもコンピューター利用になるということですね。
2004年10月に追記
はじめに
この小文は、3月終わり頃巻頭ページに掲載したものです。短い文ですが、そのまま消えてしまうのは残念ですので、増補してコラムの一つに加えておきます。短いので、全く別の事柄を扱った小コラム2編を加えて、今回は小コラム集としました。
先日ひょっとしたことからマレーシア航空日本支店発行の冬季時刻表(Time Table)を入手しました。約50ページほどのその薄っぺらな時刻表のページを何気なくめくっていたら、マレーシアの出入国書類の書き方が説明してあるページを見て非常に気になったので、ここで書いておきます。そのページには、飛行機内や国境検問所で外国人に手渡される入出国カードの一部の記入例と項目の和訳が載せてあります。皆さん、手もとのパスポートをご覧ください。1990年ごろだったかな、パスポートのデザイン変更以来、氏名は”姓そして名”という日本人本来の順序で記載されていますね。これはそれまでの”名そして姓”というふざけた順所を改めたもので、評価すべき変更でした。
マレーシアの入出国カードには、英文で 「パスポートに記載されたように(氏名を書きなさい)」 とはっきり明記してあるのにもかかわらず、このマレーシア航空の日本語パンフレットには、名・姓の順序で例が載せてあるのです。この書類を翻訳しそれをパンフレットに載せた者たちは英語がよくできないか、又は世界の全ての国と民族の氏名は西欧に見習ってすべて名・姓の順序にしなければならない、と未だにこんな愚かな考えを抱いているかの、どちらかでしょう。例えば、中国、台湾、韓国、タイ、ベトナムなどは姓・名の順序であり、わざわざこれをひっくり返しませんよ。
世の中には米国、英国で英語を勉強してきたから英語がよくできると思っている自信過剰者が時にいますが、ある国の文化、社会、民族状況などに依存した文書、書類、文献類を翻訳するには、英米国だけで勉強しただけでは全く不充分ですし、西欧のスタイルと思考をそのまま翻訳時に適用してもダメなことを、こういう人たちは知らないのですね。この出入国カードを翻訳した者と校閲した者は、こういった知識と常識と英語力が欠けています。それを示す例はまだあって、署名欄の年月日の記入の仕方です。記載例では、月、日、年の順序という米国式です、もちろんこれは間違いではありませんよ。しかしマレーシアの出入国書類の記載例としてあげるには不適当です、なぜならマレーシアは”日、月、年”の形式が正式であり且つ一般に用いられているからです。
筆者は時にビジネスとしても通訳、翻訳する人間ですから推測して言えば、こういう種類の文書は通常外部の翻訳者・会社に依頼して作成することが多いはずです。マレーシア航空日本支店よ、もっとまともな翻訳者・社に依頼するか、パンフレットをちゃんと校閲すべきではないか。それがマレーシアを代表する航空会社としての責任だと思うのです。尚当サイトでは、入出国書類の書き方を旅行ページの「通貨と両替えの情報・出入国の説明」で説明していますよ。
姓名の順序はある民族のまたは国民の基本的慣習であり、民族としての固有文化の現れです。公的な面とマスコミで扱われる際に、これを勝手に変えたり、どうでもいいと思う考えとあり方と風潮に、筆者は強く反対し批判します。もちろん世の中には、名を先に呼ばれたい、表記されたい人もいるし、苗字だけを呼ばれたい、表記されたい人もいる、または英語風に呼ばれたい人もいるでしょう、それは個人個人の好き好きであり、それ自体をどうのこうの言ってるのではありません。ただしそれはあくまでも個人の嗜好であり私的な選択なのです。ですから私生活である人が自分の名を、姓を、ニックネームを、どう使おうと個人の権利であるのはいうまでもありません。お好きなように、です。
ここで私が問題にしているのは、公的書類である出入国カードのような分野で、勝手に、つまりマレーシア出入国書類に指示もないのにも関わらず、ある民族の姓名、氏名、呼称を西欧風にしてしまうという、”悲しき植民地思考”を批判しているのです。ある民族がたまたま日本人であっただけで、これは韓国人にも中国人にもベトナム人にもその他同様な立場に置かれる民族も対象になります。そして、反対に日本に来る外国人、例えば英国籍の白人に、日本では彼らの姓名の書き方を全て姓・名の順序にしなさいと強制するようなことがもしあると仮定するなら、その行為も当然批判すべきです。この根本的理由は、筆者はできるだけ相対文化主義に立つからです。
世界の民族のどの民族が姓・名で、どの民族が名・姓で、どの民族が名だけで、どの民族が名プラス父親の名前などといったことをすべて覚えている人などいませんし、皆がそれを知っておくべきだなどと期待するのも愚かなことです。各民族様々であり、それが人間社会なのです。だから出入国管理の役所のような所では、それを知る手段として 姓に線を引きなさいとか、姓を大文字にしなさいとか、姓を最初に書きなさいと、指示するのは極めて当然ですね。それはあくまでも入国を受け入れる国家としての管理の立場だからです。そう書いてあれば入国者としてそれに従うのも当然でしょう。しかしながら名・姓の順序にしなさいといった特別の指示も書いてないのに、わざわざ西欧風に姓名をひっくり返す行動は、愚かな行為という以外に言葉が浮かびません。
国際化とは英語化することでない。互いの民族がそして国々が相手の慣習などをできるだけ受け入れる、もちろん全部は無理です、ことなのです。しかし単なる一方通行であれば、それは国際化でなく新しい型の植民化ですね。こういった基本的且つ根本的理解が全く欠けている、このマレーシア航空日本支店発行の時刻表の出入国カードの解説例とそういったふざけた文書を発行しているマレーシア航空日本支店を、だから私は批判するのです。
数ヶ月前からマレーシアに中文マスコミで話題になっていたことの一つに、台湾の前女性政治家のセックススキャンダルの件があります。この30才半ばの女性Chu Mei Fengは台湾では人気ある若手政治家だったそうで、台北市の評議会議員も勤めていました。しかし幾人かいるそうな相手の内妻子ある台湾人ビジネスマンとの性行為が(彼女自身の)友人に盗撮されたそうです。そこで、それを話題にした台湾の雑誌がトウ盗撮をVCDにして雑誌の無料おまけとして配布した事から、大きなスキャンダルになって、台湾のみならず中文・華人圏に一挙に広まったのです。
そんなわけで東南アジアで有数の華人人口を抱えるマレーシアにも華語マスコミを介して、その話題が広まりました。当地の華語新聞は娯楽版で娯楽雑誌は表紙写真にまでして話題にしていました。写真を見ると可愛いタイプの女性ですね。この台湾雑誌は結局マレーシアでVCD頒布はできなかったそうですが、海賊版コピー天国のマレーシアVCD業者は早速それをVCDにして夜店などで売ったそうです。
これがこの小コラムを書く上でのごく簡単な背景説明です。話題の人物がマレーシア華人でないから関係ない、さらにそんなセックススキャンダルなどとりたてて興味ない、と筆者はこれまで一切当サイトでも話題にしませんでした。日本人としての感覚から言えば、セックスVCDの販売やセックス情報の氾濫など別に驚くべきことでも何でもないですからね。見たい買いたいと思えばインターネット上でいくらでも見つかるし、日本では簡単に入手できますよね。密会でも密セックスでもやりたい男と女は、政治家であろうと芸能人であろうと好きにやればいい、個人の勝手だ、というのが筆者の根本的立場です。
ところが政治家活動をあきらめることになった彼女は、なんと個人コンサートを行うと発表して、その開催国にシンガポールとマレーシアを候補地にあげたのです。ここから自体ががぜんマレーシアにも関係してきました。この女性は元ニュースキャスターでその後政治家になったそうですが、いつから歌手活動をしていたのか、どれぐらい歌えるのか、それを筆者は知りませんし興味ありません。シンガポールで3月20日頃コンサートを行い、23日にクアラルンプールで24日にペナンでコンサートを開きたいと、彼女のプロモーターは発表し、それぞれ会場の予約と出入国管理庁への芸能ビザの申請に入ったのです。
シンガポールは最終的にコンサート開催を許可し、彼女は3日間公演を行いました。マレーシアは当局の大臣らが否定的な談話を発表し、出入国管理庁はビザ発行を拒否しました。この時点でマレーシア華人政党MCAなどは強硬にこの女性Chu Mei Feng のコンサート開催に反対を表明しました。特に彼女のシンガポールのプロモーターがMCA党本部のホールをコンサート候補地に挙げたのが、火に油を注いだようです。その拒否理由が、彼女はスキャンダルの被害者かもしれないが華人社会の若者の模範になるような人物ではないから、というものです。
筆者はこのおかしな理由付けをニュースで知って、この段階でくだらない話しだが、ひとことコラムで触れておくべきだなと判断したわけです。
まず彼女とプロモータはこのコンサートをチャリティーコンサートという名目にして売り上げの一部を開催国の施設に寄付する意向だそうです。この女性が何をたくらんでいるのか知りませんが、要するにコンサートで金儲けをしたいはずです、それなら見栄見栄のチャリティーなどという見え透いた言葉を掲げずに最初から個人コンサートに徹すればばいいのになと思いました。芸能人なら開催するコンサートはりっぱなビジネス活動であり、それに多くの人に来てもらって金を稼ぐのが彼らまたは彼女らのあり方であり、それ自体誰も文句をつけるうような活動ではありませんね。
でそのコンサート開催地にマレーシアも選んだのであれば、当局はこれまでの台湾や香港芸能人の例と同じで、取りたてて拒否する理由はないはずです。彼女はセックススキャンダルで有名になったのですが、何も犯罪行為をしたわけでも、犯罪嫌疑をかけられているわけでもないのです、さらに過去に犯罪歴や麻薬歴があるのでもないそうです。ましてマレーシアで問題を起こしたような経歴は全くないとのことです。単なる性スキャンダルの当事者であり且つ被害者であり且つおかげでより有名になったという受益者でもあります。
しかしどういういきさつがあったのかは知りませんが、当局から公演ビザは結局おりませんでした。その拒否理由として、彼女はモラルに劣るということを、政府の幹部が談話の形で語っていました。モラルに劣るから芸能人の公演ビザが下りないなら、例えばプロ女性とのセックス現場を盗撮影されたという香港の人気男性スターなどはマレーシアで公演できないはずですが、現実に彼ら、彼女らはいつもマレーシアで公演しています。大体芸能人が私生活で、犯罪行為と政治活動でない限り何をしようと筆者には知ったことではないし、当局もそうあるべきだと考えるのですが、マレーシア社会の支配層と市民の一部にはそういう発想が通じない事を、今回改めて感じました。
マレーシアの官庁とさらに女性団体を含めて市民でさえこういう女性のプライベート生活にまで、ビザ許可や芸能活動に倫理基準を当てはめるのですね。芸能人の私生活のあり方を公的手続きに絡める発想自体が筆者には理解できませんが、彼女のマレーシア公演に強硬に反対した中に、与党華人政党の女性部があったというのが、まことマレーシア社会像を象徴していました。
反対するしないはもちろん各団体や個人の自由であり且つ権利です、しかし芸能人の私生活の乱れを理由に当局は公演ビザを出すなと主張する、この発想がいかにも権力依存的ですね。公演に反対なら、ファン層にコンサートに行かないように呼びかけ、コンサート公演会場前で堂々と反対活動をすればいいのだ。そういう市民的発想ではなく、当局はビザを認めるべきではないと訴える背景に、”倫理”に劣るものには権力を持って押さえ込むという思考法が、マレーシア社会に強く強く流れていることを、筆者は今回も感じたのです。
始めはどうでもいいと思っていた、スキャンダル台湾女性のマレーシア・コンサート公演申請問題は、このようにマレーシア社会の一面を見事に示してくれたのです。
3月末の土曜日、「あれ、今晩のブキットビンタン街は通行止めになってないよ。」という友人からの電話がかかってきました。私は、「えー、おかしいな、そんなニュースは全く聞いていないし、どうしてだろう」と答えました。
翌3月31日の「新聞の記事から」に”ブキットビンタン街の週末自動車通行止めは廃止”と題した記事を掲げましたように(下記)、このプロジェクトは突然且つあっけなく中止されたのです。
記
クアラルンプールのブキットビンタン街の週末自動車交通止めの施行を取り消すように、内閣が決定しました。担当大臣は、「ブキットビンタン街の週末歩行者天国化は2年間研究した後実行に移したが、多くの大衆と商売人たちの反対が起きた。市当局は最大の努力を図って交通止めによる渋滞を解決しようとした、それでも多くのものからの賛同はえられなかった。最終的には内閣の決定で、この自動車通行止め策を廃止する。」
以上
ブキットビンタン街は単にクアラルンプールの中心街の一つという事実だけではなく、マレーシアの誇る観光客を最もひきつけるモダンな街として、その重みはたいへん大きいのです。
このブキットビンタン街の週末歩行者天国化を推進してきた市庁のコメントはまったく載っていなかったし、推進の中心人物たる市長は記者会見も開かなかったようです。歩行者天国は実質3月弱で幕を閉じました。数日後ある新聞が、市庁はこの計画の準備と整備に多くの金を使ったとも書いていました。確かに立て札を立てたり、舗装をきれいにしたりと費用はかかったでしょうが、それよりもやはりこれだけ大騒ぎし且つ地元小売商売、ホテル・レストン業者らの反対を押し切って進めた計画が、内閣の一片の決定で中止になるところがまことマレーシア的ですね。
クアラルンプールは連邦直轄領です、従って内閣府の担当大臣がクアラルンプールの重要事項に目を光らせています。もちろん市長はいますが、マレーシアで自治体長の選挙はありませんから、これも国の任命です。こうしてブキットビンタン街の週末自動車通行止めプロジェクトの中止は、最終的には内閣の決定に基づいたようです。
マスコミ報道から判断すると、このプロジェクトを積極的に進めたのは、今年新しく市長に任命された新市長ですが、このやりかたがこれまた相当マレーシア的で、ものすごいトップダウン式だと外部からはみえます。事実影響を一番受ける地元の小売業界やホテル・レストラン業界はほとんど蚊帳の外の扱いであり、一方的に週末自動車通行止めを知らされたと、マスコミはその不満を引用報道していました。
これだけ大騒ぎし、金を使った計画がなぜ失敗したかの原因は複数あるでしょうが、それはここでは触れません。私にそれ以上の興味を抱かせたのは、こういったことを決定し推進していくのに、その地元の関係者や住民に周知もほとんど相談もなく、市庁幹部が一方的に進めていくのだなということを改めて実感させました。さらに問題が起ると地元の政治家と与党の幹部を交えた打診や会合が行われましたが、最後まで一般の商売人や市民の意見を聞くというプロセスはほとんどありませんでした。
地方自治体選挙が全くないからこういうことがまかりとおるのか、住民・地域商売業者運動のような意識が全く育っていないから仕方ないのか(伝統的に華人の業者団体はあるがここでは関係ない)、屋内の反対的集会にさえ警察の許可が必須なので住民・ビジネス界の意見表明さえ安易にできないからか、地元の政治家と与党の幹部は”ボス交渉”スタイルを臨むのか、といったいくつか理由はあるでしょうが、結末が市庁の狙った全く反対方向になったのは意外なことでした。
ブキットビンタン街の週末自動車通行止めプロジェクトは、こうしてあっけなく中止されたのです。筆者は外部から眺めていただけで、当然利害関係もないし、歩行者天国であれ自動車天国であれどっちでもいいのですが、筆者のまず抱いた感想は、これぞ典型的マレーシア政策の例だなというものでした。マレーシアの政策立案過程は、市民の反応をあらかじめ調査する、意見を聞くというプロセスがまこと少ないのですね。歩行者天国化立案の過程でどれくらいの関係市民、ビジネス界が知らされたいたのだろう?
一般にマレーシア国民が好むのは有力政治家を表に立てて交渉するあり方ですが、このブキットビンタン街は野党DAPが国会に議席を持つ選挙区でもあり、野党議員と市庁との連絡は密でないことは部外者でも推測できます。さらに任命されたばかりの新市長の最初の大仕事、こういったいくつかの間接要因も重なって、プロジェクトを強引にスターとさせたように見えます。
クアラルンプール市庁は今後チャイナタウン、マスジットインディア通り、チョーキット界隈と続けざまに美化と再開発化を進める意向を表明しています。いずれも市の有数の且つ歴史ある繁華街です。これらのプロジェクトがどれくらいスムーズに進むかは興味あるところです。
マレー政界には大きな2つの潮流があり、一つは政権党のUMNO、もう一つは70年代の一時期を除いて、ずっと中央政界では野党であるPAS党です。どちらもマラヤ連邦時代末期にその起源を持つ政党です。この2つの政党を分け隔てる最大のものは、イスラム教をどう捉え、それをどのようにマレ−社会且つ究極的にはマレーシア社会に適用していくかというものです。
両党間の違いが単なる指導者層の性格の違いであったり、経済的、権力的な利益関係に基づいたものであれば、それはある時突然氷解したり、時間をかけて融和することができますが、違いがマレー社会の土台且つ屋台骨であるイスラム教解釈とムスリムのあるべきあり方に基づくため、両党間には大きな隔たりがあり、これを埋める努力は限りなく難しいものでしょう。
この問題を深く論ずるには、イスラム教の十分な知識が当然必要ですし、両党の歴史も細かく知らなければなりません。しかしこれは、いわば大学の研究者の分野であって、筆者の手におえることではありません。そこで筆者のアプローチの仕方は、現実に現れる事象を題材にして、両党の思想とあり方に迫っていくというものです。この小コラムでは、最近ニュースに現れた両党の最高指導者の発言を紹介して、両党の性格を映し出していくという試みです。
PAS党は50年代末期から70年代中期まで、そして90年以降ずっとクランタン州の州政権を握っています。一番最近の99年の総選挙では州選出の国会と州議会のほぼ全議席を獲得しました(UMNOは国会の1議席のみ獲得)。クランタン州はまさにPAS党の牙城です(現在はそれにトレンガヌ州が加わった)。そのクランタン州の州首相を務めるのは、PAS党の3人の最高指導者の1人であるNik Aziz氏です。この名前を知らずにマレー政界とイスラム界を論じる事はできない重要人物です。彼はカリスマ的人気のあるイスラム学者(Ulama)で、その質素な私生活で知られており、UMNO政治家につきものの金と汚職のうわさには全く縁のない政治家であることは、与党を含めて誰も認めるところだそうです。
彼のイスラム教解釈と実践は、部外者の観点から言えば、たいへん厳格なものに写ります。(正しいとか正しくないという解釈は非ムスリムの関わることではないので、それをここで述べる事はしません)
クランタン州では州スルタンの52回目の誕生日記念祝いとして、今月半ばにパレードが行われますが、このパレードの主催者が、クランタン州の神話に出てくるというPetalawatiという鳥のレプリカを行列に加えて、これをスルタンに贈ると発表しました。尚一番最後にこの神話鳥のレプリカが作られたのは70年も前の事だそうです。今回スルタンに贈るために、タイから職人を呼んで費用RM25000をかけて高さ9メートルの大きなレプリカを製作しました。パレード隊はこのレプリカを交えて、タイ国境に接した町からコタバルのスルタン宮まで半日かけてパレードします。さらにその夜スルタン宮で、3万人を招待して大夕食会を開催する計画です。
一方PAS党州政府はこのパレード行事を批判しています。「州政府は、イスラム教の必要とされることに反しない限り、スルタンの誕生日を祝うこと自体には反対しない。州政府はこういった年中行事の一部を応援してきた。しかし、ファンタジーと精神的崇拝の要素を含むようなできごとをこの行事に加えることには反対します、それが今回のPetalawati鳥のレプリカです。」 と州首相は記者会見で述べたのです。
つまりその理由として、イスラム教はムスリムがアラーの神以外のものを崇拝する、賞賛する事を禁じているからだと説明しています。「Petalawati鳥は空想とファンタジーによる間違った崇拝の産物です。」 「クランタン州が影絵劇のWayang Kulit の公演を(何年か前に)禁じたのも同じ理由からです。今回のパレードは、こういったいまわしい行いが実施されていた時代にクランタン州を戻そうということです。」このようにNik Aziz氏はきっぱりと今回のスルタン誕生日パレードを批判しています。PAS党のあり方から言えば、パレードは明確な宗教的違反行為を含むということでしょう。
タイ深南部のマレーコミュニティーとクランタン州で昔から行われてきたというWayang Kulitですが、素人が見てもその影絵劇には非イスラム要素が含まれている事がわかりますし、ヒンズー教の影響も感じられますね。しかしWayang Kulitは一部のマレー民族の伝統芸能である面も持っています。だからタイ深南部では今でも演じられていますし、クランタン州出身のWayang Kulit演者は、外国人旅行者向けの博物館かクアラルンプールの文化祭のような場でのみ演じていますが、庶民の中で演じる機会は失いました。当然この禁止処置を批判する人々は、民俗文化擁護者だけでなくUMNO与党関係者にもいます。筆者も、民俗芸能を禁ずるあり方に疑問を持つ者です。
私はこのPetalawati鳥がどれくらいクランタン州の民話なり神話に沁み込んでいるのかはもちろん知りません。東海岸のマレー人の民俗伝統であってもイスラム教に反する要素は受け入れないという姿勢は、Nik Aziz氏らPAS党幹部の公式な姿勢です。といってクランタン州のマレー人の生活から、”非又は反イスラム教的要素”を全て取り除く事は誰が考えても不可能なことです、PAS党幹部でもそれは当然知っていることでしょう。
でなぜ今回のPetalawati鳥への反対が大きく表面化したかです。それはスルタン誕生祝の主催者グループはUMNO州幹部が中心的役割を果たし、非PAS党支持者中心であり、且つこのパレードが政治的意味合いを持っているからでしょう。クランタン州は半島部でも最もスルタンの影響力が強い州の一つに考えられています。州スルタンはこれまで、時にUMNOと親密になり時にUMNOと距離を置くような立場をとってきたそうです。クランタン州がユニークなのはスルタン性の強さという封建的性格と厳格なイスラム教解釈を掲げるPAS党の支配が、時にあつれきを生みながら共存している点です。
さてUMNO党の総裁はマハティール首相で、総裁になって20年を超えました。マハティール首相はイスム教学者でもイスラム教を専門に修めた人物でもありませんが、この数年とみに、彼流のイスラム教解釈を発表して、PAS党及び伝統的イスラム教学者・指導者層をあからさまに批判しています。
例えば4月5日の発言です。「過去(マレー人主体の)ムスリム社会には統一があった、しかしPAS党が結党されて以来、様ざまなキャンペーンを使ってマレー社会に分裂を生み出してきた。PAS党を支持する者は宗教的罪を犯している、なぜなら宗教を冒涜するPASに加わったからだ。」とマハティール首相は語り、さらに「Nik Aziz州首相をイスラム教やマホメットより上に見たがる者を私は理解できない」とまで言っています。
マレーコミュニティー間での統一がないのはPAS党のせいだというのは、マハティール首相のしきりに説くところです。がことはそれほど単純だとは思えません。確かに一因であることは間違いないでしょうが、時代が複雑化すれば、ムスリム社会にも経済的乖離、教育的乖離、表現と自由に関する捉え方の違い、都市と田舎の格差などによって、コミュニティー内の開きを大きくしますから、一枚岩のムスリムコミュニティーを築くのは容易ではないでしょう。
「UMNOは知識と生活水準を引き上げることでイスラム教とマレー人を擁護している、それによってマレー人はイスラムを守ることができるのです。」 「もしマレー人がいつまでも貧乏であれば、その宗教を守る事ができないだろう。」と語るマハティール首相はさらに、PAS党指導部がその政治的目的を達するためにマレー文化を破壊している、と批判しています。
マレー社会全体の所得と教育の向上を強く狙って取り入れたのがブミプトラ政策ですが、それを一番推進してきたのはUMNOであるとの自負と責任から、マハティール首相はいわば”開発と独善”スタイルの政治を強硬に進めてきました。独善という言葉がふさわしいかふさわしくないか、さらに発展途上国としてそういうあり方が必要であるか必要でないか、という論議にはここでは立ち入りません。しかし、その根本的スタイルは世界の発展途上国にほぼ共通的ないわゆる開発と独裁型を踏襲していることは、さまざまな事実が示していますね。
開発なくして何がムスリムコミュニティーの繁栄あろうか、というマハティール首相の信念は、国内の敵であるPASに対してだけでなく、国外のフォーラム、会議などでイスラム教、ムスリム社会一般に触れた演説時に、世界のイスラム社会の技術的後進性とまとまりの弱さを嘆く言葉に見えます。
技術分野と工業分野の中で世界の先端を行くイスラム国がないのは事実ですし、アフガン問題に見られるように、超貧困のイスラム国のインフラ整備や保健、教育援助に手を差し伸べている中心は、日本を含めた西欧諸国ですよね。こういったことで西欧の後塵を拝しているイスラム諸国は、技術工業の面でまず発展を成し遂げなければならない、そうしない限り力をつけられないとの思想が、マハティール首相には強くあります。私は、彼を開発型新イスラム民族主義者と私は捉えています。
ですからマハティール首相にとって、開発を犠牲にしてまでイスラム教解釈の厳密さを表に立てより純粋なムスリム社会の建設を目指すPAS党のあり方は、我慢ができないというところでしょう。ですから、ムスリムとして開発を積極的に進めていかなければならないのに、それを妨げるような行動をしているPAS党がマレーコミュニティ−を分裂させている、と批判することになるわけでしょう。
昨年マハティール首相は「マレーシアはイスラム国家である」と唐突に宣言しました。UMNOは党内で深い論議もせずにその発言を踏襲していますが、正式に党決議したわけではありません。非マレーの与党各党はいわば黙認でした。少なくとも建前上は、マレーシアはイスラム国ではないとこれまで支持者に説明してきた非マレー与党、特に華人政党、がなぜ黙認したかを考察していくと、マレーシア政界ではどういうふうに与党連合が構成されて機能しているかにつながる、つまりマレーシア政治と社会の土台につきあたります。この土台を揺るがせないために、非マレー与党は黙認したのでしょう。
でこの首相の”マレーシアはすでにイスラム国家である宣言”に真っ向から挑戦したのが、PAS党です。シャリア法も十分に施行されていないマレーシアがイスラム国であるはずがないとの理由です。PAS党の解釈するイスラム国とは、現在のマレーシアでないのは明らかです。だからPASは、PAS流のイスラム国家化に向かって政治活動と宗教活動をしているわけです。その政党名にイスラムを掲げるPAS党にとってここまでが政治活動で、そこからは宗教活動と線をきれいに線を引くことは難しいはずです。これはUMNOにとっても同じようなものでしょうが。イスラム教自体が宗教と政治を明確に区別しているわけではありませんからね。
UMNOはイスラム教政党ですが、創始者Onn, 初代首相Tunk Abdul Rahman、2代目 Tun Abdul Razak, 3代目Tun Hussein Onn、そして4代目である現マハティール首相を見てもわかるように、イスラム教学者Ulamaが党の最高指導者及び準最高指導者に就いたことは一度もありません。Ulama(ウラマーと発音、イスラム教学者)が指導部に混じることはありますが、UlamaがUMNOの最高指導者になることはこれからも考えられないでしょう。
一方PASは現最高指導者の3人とも、党首のFadzil Noor、クランタン首相のNik Aziz、トレンガヌ州首相のHadi Awang、すべてUlamaです。過去の指導者にもUlamaが並んでいます。ここにも見られるPAS党とUMNO党の大きな性格の違いです。
PAS党の誕生にUMNOが関わったそうですが、それはマラヤ連邦の独立前の出来事であり、当時はマレー政党と政治運動の黎明期ですね。だから、種種の政治的又は宗教的勢力が寄り集まっていたとしても不思議ではありません。こういう状況を考慮すれば、創世期のPAS党の幹部がUMNO出身者であったことも理解できます、その後PAS党内の変化があり、UMNO出身者は指導層からいなくなったとのことです。(この部分も中田教授の論文参照)
こうしていく他の変遷をへてPAS党は、いわゆる”イスラム原理主義”的な政党としての地位を確立してきたのです。マレー人の政党としてその理念は当然イスラム政党ですが、イスラム教至上主義を表面上は持っていないこともあり且つ充分に”俗”な面を持っているUMNO党と ”イスラム原理主義”的なPAS党の間には、党の理念、指導層の出身階層、支持層、女性の地位に関する立場、産業政策など、幾多の面に大きな違いがあります。同じマレー政党として比較的共通な面をしいて上げれば、マレー民族主義の立場を両党とも兼ね備えているということでしょう。
マレーシア人ジャーナリストの分析に拠れば、UMNO自体も当然一枚岩ではないそうで、非PAS支持のウラマから、伝統的マレー民族主義者、マレービジネス界、さらに金権力に浸かれた権力亡者などが上部を構成しています。ただ全体としてPAS流のイスラム教解釈とあり方とは一線を画した人々の政党だとみなしてよいでしょう。UMNOとPASの政治闘争は、単に政策による戦いや支持者集めだけではありません、イスラム教を通じた政闘なのです。ここに非ムスリム政党との違いが明らかに見られます。
4月14日に、空港とクアラルンプールを結ぶ鉄道がExpress Rail Link がついにオープンしましたね。この鉄道は、マレーシアの国家の威信をかけたKLIA空港プロジェクトに付随するものですから、国としての面子もあって早く完成させたかったことでしょう。なにせ空港がオープンした98年6月当時から空港内にいくつか設置された案内図・表示には既に、地上階Level1 は鉄道駅だと記されていました。エレベータの押ボタン表示も1階は鉄道駅だと記載されていたのです。開港当時はもちろんそれ以後2000年に入るぐらいまでは、駅建設も鉄道建設もまったく進んでいなかったにもかかわらずです。
97年秋以降のアジア経済危機の発生によって、それ以降様々なプロジェクトが滞った、放棄された中で、この空港鉄道建設プロジェクトも一時ほとんど停まってしまいました。その後2000年以降少しづつ再開されていたようですが、最終的にはドイツ銀行団の金融保証がもたらされたことにより、20001年ごろから急速に建設が進み、予定より遅れたもののついに今年完成し、先日の正式オープンにこぎつけたものです。
何はともあれ、空港鉄道の正式開通を祝い歓迎しましょう。
さてここでマレーシアの1990年代以降の電車網の建設を振りかえって見ましょう。クアラルンプール及びその近郊地における電車網の整備は90年代初期から始まり徐々に進んできました。最初に建設に入り、予定より遅れに遅れて90年代半ばに完成したのが、マラヤ(マレー)鉄道の運営する近郊電車路線である KTM Komuter です。この近郊電車網は、首都圏近郊の旧マレー鉄道の路線を複線電化して建設したものです。路線は、スランゴール州のRawang からクアラルンプール駅を経由してヌグリスンビラン州のSerembanまでと クアラルンプールのSentulからスランゴール州のPort Klnag までの2路線あり、クアラルンプール駅あたりで3つの駅間の線路では両路線が重なっていますので、乗り換えは容易です。KL Sentral 駅が完成した2001年以後はこの駅から路線が分岐することになったのです。
このKTM Komuterが開通したことによって、それまでディーゼル列車路線しかなかったマレーシアにも電車時代が幕開けたのです。ただそのスピードの遅さと運行時間の不正確さは誰でも感じるところですから、サービス面の向上が望まれるところです。Komuterは都市内電車というより近郊電車です。
従って、本格的な都市の電車網は、高架電車網であるLRTが建設されたことによって始まったと言ってもいいでしょう。LRT(Light Rail Transit) をその形体から高架電車網と呼ぶのが一番ふさわしいと筆者は考えます。車両自体は日本の都市私鉄の車両より小型で連結車両数も少なく、軽車両といったところです。優れた点の一つに、全路線を通じて、地上で道路交通と交差する箇所が1箇所もありません。
まず96年10月頃にSTAR-LRTの一部路線が開通し、それが少しづつ伸びて、途中で分岐するY字型の2路線を持つSTAR-LRTは完成しました。路線の一方は、マレーシアの誇るBukit Jalil国立スポーツ施設まで伸びていますが、現実の乗客数はAmpang地区 までの路線に偏重していることでしょう。連結車両6両程度なので、朝の通勤時でも大きな混雑は今のところまだありません。
Starより2年近く遅れてペタリンジャヤからクアラルンプールを横断して、郊外のGombak までの路線となるPUTRA-LRTが98年8月にまず半分ほど開通しました。PUTRA-LRTはクアラルンプール中心部を横断するため、5つの駅が地下に位置する地下路線をこの区間だけ持っていますが、基本的には高架電車網です。この電車の最大の特徴は、無人運転だということでしょう。STAR-LRT、PUTRA-LRTの両電車に共通して、駅構内はたいへんきれいに保たれています。
その後この2電車網の全路線が開通して、すでに数年たちました。クアラルンプール及び隣接市内を運行する電車網の最後の建設となるのが今年2002年8月頃開通予定のモノレール網です。このモノレール路線は97年の経済危機とその影響で、3種の都市電車網の中で一番影響を受けた電車網であり、数年も工事が停まっていたぐらいです。最終的に路線をKL Sentral駅を始発兼終点とするように路線短縮することとなり、現在は開通に向けて最終局面です。この路線の特徴は、クアラルンプールの中心街Bukit Bintangを通って市中心部をつき抜ける形になることでしょう。
空港鉄道ERLは都市電車網と呼ぶにはちょっと不適当ですので、都市内電車網は、STAR-LRT、PUTRA-LRT、そてKLモノレールの3社です。
世界の大都市に比べた時、クアラルンプールはマレーシア第一の都市とはいえ決して超大都市とは呼べないでしょう。周辺市人口を入れても人口200万人程度のクアラルンプールの電車網ですが、その電車網はそれぞれ別会社つまり3社が別々に建設して運営しているのです(モノレールの場合は建設し運営する予定です)。ここにちょっとっした間違いがあったのではないかと私は見ています。報道に拠れば、STAR-LRTも、PUTRA-LRTも、運賃収入のよって運行を維持することはなんとかできるそうですが、建設をまかなった多額の借款を返済するまでにはとても足らないのです、従って両社とも巨額の負債を抱えています。
この3社の電車線路には、車両がそれぞれ違うメーカー製であり形の類似さえない、モノレールはいうまでもなく線路自体の形体が違う、PUTRA-LRTだけは無人運転というように運行システムに全く互換性がない、駅舎の類似性もない、さらに切符とプリペードカードもそれぞれ独自のものを発行している、このように3社間には機械的運行システムから切符に至るまですべてに共通性・互換性がありません。建設会社も違う、車両製造会社も違うのです。さらにプラットフォームの形式、切符とプリペードカードそのもの、切符の自動販売機、自動改札機、などなどもうあらゆる面と部分で共通点がありません。当然切符とプリペードカードは、他社の路線では使えませんから、乗り継ぎ切符は発行されていません。
たった2社、全運行距離が確か50Kmを超える程度の路線にまったく互換性のない電車を2社が別々に運行しており、あと数ヶ月たてば運行距離10km にもみたないKLモノレールが、全く独自のシステムで運行開始します。この少ない路線数と短い運行距離なのに3社も存在するという非効率さが、クアラルンプール電車網整備プロジェクトにおける大きな疑問点です。シンガポールのMRTはクアラルンプールの3社の電車網より運行距離はずっと長いにもかかわらず、シンガポールの公営企業体運営のある種の公営電車ですね。当然どの路線でも切符は同じで車両も多分ほぼ同じのはずです。
開通以来現在までPUTRA-LRTは、1便がたった2両で走行しており、朝夕の混雑が問題になっていますが、増車したくても車両がすぐ入手できないという問題に面していますが、STAR電車から借りるわけにもいきません。線路も車両も互換性ゼロですから。利用者の面から言えば、路線は大して長くもないのに、乗り継ぐには会社毎に別々に切符又はプリペードカードを購入しなければなりません。モノレールが開通すればればまた1種切符とプリペードカードが増えるわけです。
バス、電車を日常的に利用している筆者は、市内バス会社用と電車2社用のプリペードカードを保有しているのです。利用者の立場から言えば面倒で利用者本位でない、企業の立場で言えば投資の非効率性。一体プロジェクトを始める前になぜこういう重大なことが議論されなかったのか、そこが不思議です。わざわざ別のコンソーシアムが建設し運営しているその裏の原因を探ってみるのは、興味ある仕事だと思います。
こういった非効率さが原因でもあって、報道によれば、毎日の運営による収支はまあまあであるが、建設時に必要とした借款の返済はとてもできない、といって運賃を急激に値上げするわけにもいかない、こうしたことからPutra-LRTと Star-LRTの2社は巨額の借り入れ負債解決の方策がなくなり、ついに政府経済省の翼下会社が、両社の負債を肩代わりし経営権も握ることになりました。
日本の都市で各私鉄は電車運行以外に沿線各地で関連のビジネスをしているが、クアラルンプールの両電車会社はただ客を運ぶだけであるため、営業外収入がほとんどないことはすぐわかります。市民の自家用車とバイク依存意識をまだ変えられないことと電車駅からの交通手段の不便さからくる充分な乗客数の不足、例えばがらがらの時間帯が多い、が収入計画にも響いていることでしょう。さらに路線建設地区選定のおかしさ、例えばPutra-LRTはMidvalleyショッピングセンター近くを通りながら駅がないとかStar-LRTは住宅商業中心地であるPandang Indahを外している、などの点です。
こうしたことからSTAR-LRT、PUTRA-LRTの両社は開通以来、建設に伴った巨大な負債が解消できなかったのです。いくつかの欠点はありますが、クアラルンプールの電車網自体はすばらしいプロジェクトです。市民の車依存意識は5年程度で変わるものではありませんから、もう少し長い目で見るべきだとも思います。より多くの市民が電車利用者になり、さらなる電車網の整備を期待したいものです。
第294回のコラム 「イスラム教解釈と志向に大きな違いを持つマレー政界の2大潮流」で、ムスリム政界、具体的にはマレー政界、に流れる政治潮流について書きましたので、今回はそのどちらにも属さない、在野のイスラム教グループの主張の一端を紹介しておきます。この在野のイスラム教グループには、人権や権利などを前面に打ち出して発言しているイスラム学者やムスリムライター、ムスリム学生と青年層対象にイスラム教のあるべき姿を追求しているムスリム青年運動団体、ムスリム女性の権利擁護と確立の立場から果敢にイスラム保守界に対して批判と運動を進めているグループなどがあるようです。
在野のムスリム女性団体の代表といえばもちろんSisters in Islam です。最近在野のイスラム教グループの主張と行動を脅かしかねないイスラム教当局の動きが報じられていますが(下の注参照)、そのSisters in Islam がこの動きに対して、声明を発表しました。
そこで4月22日付けThe Star紙に発表されたその声明を全訳することで、そのSisters in Islamの主張を紹介します。これをお読みになれば、彼女等のグループの考えるイスラム教のあり方を知る一助にできるのではないかと思います。筆者はSisters in Islamのような主張と活動に共感を感じる者ですが、いうまでもなくこの声明の内容は筆者の見方とは関係ありません。絶対無宗教者である筆者とムスリムの抱く世界観、宗教観が全面的近くまで一致することはありえない、ということも記しておきます。
国家イスラム教発展庁(Intraasia注:マレーシア語の頭文字をとって通称JAKIMという)が、イスラム教の”深い知識”を持たないムスリムがイスラム教に関する事柄で公に意見を発表するのを禁止することを計画しているという報道に、Sisteres in Islam はショックを受けた。
こういった動きは、イスラム教においてある特別の観点に同意する人々だけのために、宗教当局がマレーシアにおけるイスラム教に関して論ずることを独占するする試みのように思えます。
マレーシアにおいてイスラム教は法律と公共政策の源泉として用いられ、それが民主主義国家の市民の生活に広範囲の影響を与えています、そういう時、イスラム教に”深い知識”だけを持つであろう人々だけがイスラム教について書けるように制限する試みは、理論的独裁の支配に等しい。
マレーシアの実に多くのイスラム学者と聖職者の間で、今日尚女性に対して差別し且つひどい不正義を永続させることをはびこらせている、そういうイスラム教における支配的な見方が広がっている時、これは尚更憂慮することなのです。
ムスリム学者が新聞のコラムの中で困難に面した状況にある女性に次のようにアドバイスをする:女性はその夫から離婚する権利はない、女性が女性と握手するより泥に転がっているブタに触った方がましだ、地獄は女性に満ちているなぜなら女性は夫に従わないからだ、女性はその父親が危篤になっていても夫の許可なく父親を訪ねる権利を持たない、例えその父親が階上の寝室から最後の息で娘を呼んでいる時であってもだ、などと。こういった状況をみれば、神のメッセージをそのようにゆがめていることに反論しないままでいることはできません。
イスラム教学で学位を持つある種のムスリムが他のムスリムをKafirs であると公開で非難する、その理由は、例えばイスラム国家、Hudud 法、表現の自由、信教の自由、といった問題で意見が分かれるからですが、非難される者と、そういった寛容性のなさと極端な見方の影響を心配する者は、単にその者たちはイスラム教の”深い知識”が欠けていると判定されたという事からだけで、その声を人に聞いてもらうための公の場所を否定されてしまいます、これは危険なことです。
新聞のコラム、ラジオとテレビ、集会、モスク、礼拝所、人の家などで不寛容と女性不信のイスラム教を言い続けていることによって、公共の場をすでに独占しているイスラム教学者と聖職者がいますが、そういったイスラム教学者と聖職者に同意しないマレーシア人が関わり論議するための公的な分野があらねばなりません。
不正義と差別と不寛容と極端主義を堂々と説くことがどうして彼らの権利なのでしょうか?一方では正義と公平と寛容と尊敬と穏健なイスラム教を市民が説く権利が否定されているのです。
憎むことと女性不信を教え説いている彼らの資格がなぜ決して問われないのでしょうか?その反面、イスラム教について語り書くという我々の資格が常に疑問視されるのはなぜでしょうか?我々の前にあるのこの厳しい事実は、イスラム教について語る権利を誰が有するかということではありません。それは、イスラム教における様々な事柄についてその者がとる立場は何か、ということなのです。
ある者が背教又は棄教に対して死刑を支持する、Hudu法とイスラム国家を支持するならば、その者は、例え米国の大学の工学科卒であっても、イスラム教について語る自由と場を享受するであろう。しかし、ある者が(エジプトのイスラム学で有名な)Al Azhar大学卒のGrand Sheik(の称号)であっても、イスラム教での背教又は棄教は死刑に処すとということを信じないとか無実の人々を自爆攻撃で殺す権利を信じない立場をとるのであれば、その者はマレーシアでは仲間のUlamahから責められるのです。
これは、そのGrand Sheikが取る立場が、自分たちの動機のために大衆からの支持を取りつける手段としてイスラム教を用いる人々の政治的目的に合致しないからです。ムスリムとして我々はイスラム教の教えに従って生活を送ることを期待されている、そしてイスラム教の教義に背けば、法律によって我々を、石投げで死に至らしめる、100回から80回の鞭打ちを与える、手足を切断する、刑務所に送る、罰金を課す、というように定めている、そういう時我々の民主的憲法の枠内で、我々にとってイスラム教とは何を意味するのか、イスラム教が我々の生活をいかに支配するかを、定義する権利を我々は持つのです。
マレーシア人口の4分の3を女性と非ムスリムが占めるとき、その4分の3が、クランタン州議会が取り入れたようなHudud施行法においては証人となる権利を否定されることになるのです、その結果その非常なる非正義と差別の結果に苦しむであるのは我々自身である時、我々が声を上げずに黙っているとどうして期待しえようか?
マレーシアにおけるイスラム教の悲劇は次ぎの事実から成るのです、つまりこの種の非寛容と女性不信のイスラム教を支持しないイスラム学者が、問題を含んだ議論にまたは仲間から反イスラム教と責められることに撒き込まれることを怖れて、しばしばあまりにもしぶって公の場で声を上げられないことです。
その他の人たちはただ超然としてしていることを好み、優遇され保護された生活を送って象牙の塔にこもっている。そのため公共の場を要求し、平等、正義、自由、尊厳の原則を掲げた宗教としてイスラム教の代替の観点を提供する権利を要求する、そういったことが、女性グループとしろうとムスリム学者と活動家に残されるのです。
この人たちはイスラム教の知識を持っていないとしばしば非難されるグループである、例えこの人たちがイスラム教の深い研究と調査を済ませ、高度の資格を備えたイスラム教学者に相談した後で、代替の観点を提供しようと努力しているにも関わらずです。
Sisters in Islamは JAKIM(イスラム教発展庁)長官との間で先週2時間半の議論をしたが、その時ライターやコラムニストの発言を封じるようなことは何も言及されなかった。Sisters in Islamは新聞報道で使われた”呼び出される”という言葉に異議を唱えます、我々は呼び出されたのではありません。我々はJAKIMとのたいへん敬意のある道理にかなった意見交換をするために招待されたのです。PUM(注:ウラマの協会)の覚え書きに答えるためそしてスルタン会議へライター側からの対抗提出のために、JAKIMに我々の意見を聞いてもらうことによって、Jakimがスルタン会議に見聞の広いバランスの取れた報告を伝えることに役立つようにするためです。
実際、イスラム教における女性の権利をマレーシア大衆に教育し、さらにムスリム女性の地位と権利に関してイスラム法と政策、モスクの講話と集会の影響について、宗教当局にその反応を提供しているSisters in Islamの果たしている役割を、JAKIM長官は歓迎しました。
長官はさらに、Sisters in Islamの活動のDakwa影響、効果を歓迎しました。Sisters in Islamの活動よって、宗教当局と夫と付き合う中でイスラム教は不公平な宗教だとの思い込むにいたった経験を持つ多くのムスリム女性の宗教心を強めてきました。
神の明らかにした言葉と人間の解釈する神のはてしないメッセージとの間には違いがあるというSisters in IslamISの主張が、不正義と抑圧を広めているのは神ではなく、父権的世界で男の支配を永続させたい男である、と多くの女性に悟らせるにいたっています。
Sisters in Islamは首相と内閣に対して、政府勢力と野党勢力の両方で宗教権威に属する人たちによって推し進められているこの軽率な傾向が理論的独裁に落ちないように押しとどめる、そういう強い立場を取るように訴えるものです。
以上
マレーシアは宗教勢力とその影響が何教に関わらず極めて強い国であり、社会もそれを望んでいます。非宗教的であることは全く奨励されず、”善”であると見なされていません、これは民族に関わらず、程度に違いはあれど、大同小異だと言えます。政界官界の支配層の言論と表現の自由への管理が厳しいことはよく知られたことであり、当サイトでもこれまでもその様子を紹介してきましたね。今回ここで話題にした、ムスリムライターを沈黙させるJAKIMの動きは、こういったマレーシア社会の基底を知っておればそれほど唐突なことではありません。だからといって、ムスリムライターを沈黙させる動きに、筆者が賛意を抱くなんてことではありませんよ。宗教的であることを社会が望んでいる、そういう国マレーシアは、宗教のくびきから永久に逃れられないが、それも国民の選択なのであろう、だから筆者はそのこと自体に意義をはさまない、というのが筆者の立場です。
余談ですが、いつもながらSisters in Islamの発表する文章の冗長な表現に満ちた難解な文章には悩まされます。もう少し平易に書くべきではないかと思うのです。