・マハティール首相の引退表明とその報道ぶりを考える ・数字で見たマレーシア、その14
・英語紙に掲載された、日本の英語状況と学習状況を一方的に揶揄する記事に反論する
・小中学校で理数科目を英語を使って教えるとの政府決定を考える
・旧日本軍のマラヤ占領時代を舞台にしたマレー映画EMBUNを見て評する ・Intraasiaの右肩・腕痛の治療記
・マレー人多数派にとってセックスってなぜそんなにいけないことなのだろうか?
・虎と人間の遭遇が増え、虎が激減している
6月22日のUMNO定期大会の最終日の締め演説の最後に、マハティール首相が述べたことばがそれ以来マレーシア政治を覆っています。尚、話すはずであった内容を全部は伝えられなかった、と首相自身後日語っています。そう、マハティール首相による引退意向の発表の件ですね。どこの国でも国の最高権力者が引退又は下野を発表すれば、大きなニュースであり且つその国の政界に相当影響を与えますが、権力と政治の仕組みが極めてある特定の政党と個人に傾きがちなマレーシアでは、この影響は多大なものといえます。
なにせマハティール首相は1971年に政権党UMNOの総裁の地位に就任して以来満21年間その地位にあり、且つ必然的に首相の座にも21年間あるわけです。マレーシアは議院内閣制を敷いている国ですから、国民による直接選挙での大統領選出は仕組みからして存在しません。首相は議会の多数派から選出されるわけですから、1957年のマラヤ連邦独立以来政権を握っている与党連合Barisan Nasional が首相を出します。すなわち与党連合Barisan Nasionalの中核であるマレー政党UMNOの総裁が首相に就任してきましたし、これからもこれが変わることはまずありえないでしょう。(野党が近い将来政権を取る可能性はものすごく低いからです)
そこで1981年にその時の総裁Tun Hussein Onnから総裁の地位を引き継いだマハティールは、すぐ第4代首相に任命されたわけです。これがマハティール政治の始まりです。こうして2002年半ばの現在まで2回の大波は受けたものの、マハティール政治は厳然と続いてきました。最初に受けた大波は、1987年UMNO党の総裁選挙によって党内闘争が激化し、総裁選挙でマハティール総裁に破れたTengku Razaleighグループが離党して多くのUMNO党員が参加した46年精神党を結成した時、いわば党内が分裂した時です。2回目の大波とは1997年マハティール首相が時の副総裁兼副首相のAnwar Ibrahimを解任したため、アンワル支持派が街頭行動などでUMNO主流派に対抗し、続いて政党Keadilan Nasional党を結成した件です。
この2つの大波のうち、最初の大波は次第におさまり、90年代後期になって”46年精神”党は自主的に解党しその党員の多くはUMNOに(再)加入しました。2番目のアンワル支持派を中心として結成したKeadilan Nasional党は現在も存続し、現在有力野党として野党陣営の一画を占めています。構成員にUMNO出身者が多いため、党の基本的あり方にUMNOとの大きな違いはあまりないとも言われています、反面マレー人だけでなく華人とインド人政治家の参加もみており、多民族政党としての性格も備えているとも言われています。
こうして21年間を為政者として生きぬいてきたマハティール首相の退陣話しは時にはうわさされていたようですが、それが現実味を帯びてニュースになったことも、首相自身もしくはUMNO幹部の口から明瞭な形で公表されたことは一度もありませんでした。マレーシアの政治体形と歴史から言えば、ごく限られた数のUMNO幹部政治家だけが首相と副首相に就く可能性と機会を独占しています。つまりUMNO最高幹部5、6人ほどにしかその可能性はないということです。Barisan Nasional は全国の政党14党から構成される与党連合で、サバ州とサラワク州のそれぞれの地場政党が数で言えば半数以上を占めます。しかしこれらの政党はその地場政党という性格から全国政治界という広い場で果たす役割はどうしても限られてきます。例えばその党首が内閣の最重要職を占めることもありません。
Barisan Nasional内で華人コミュニティーを代表する華人政党として且つ華人議員数ではトップのMCA党の党首らが、内閣の首班と副首相に選ばれることは、理論的にはありえても現実には起りえません。国民人口の8%にも満たないインド人政党のMICは全国政党とはいえ、その人口比の少なさから、内閣トップにはなりえません。こうしてBarisan Nasional内で首相と副首相はマレー政党からが不問律の原則です。この不問律の原則は野党陣営にも通ずることでしょうし、国民の間でも、好むと好まずに関わらず、自明の理として存在するはずです。
このようなマレーシア政治の現実と国民意識を基にした時、強大な統率力と基盤を持ったままマハティール総裁兼首相が辞任するとなれば、UMNO党内に深刻な党内闘争を生みかねない状況になりえる可能性もでてくるでしょう。もちろんそうはならない場合だって充分ありえます。政治状況を100%確実に読めないのはどんな政治記者や政治学者でもできないのはどこの国でも同じことですね。
そこでそのUMNO党内混乱を心配したであろうマハティール首相は、着々と後継者確定とそれを規定事実化させてきました。アンワル解任以後の党大会で自らアブドラーを副総裁に選んだ後、マハティール首相が彼の政治舵取りに見守り且つ毎年長期休暇を取ってその間はアブドラ副総裁兼副首相に留守中の国政をまかせてきました。つまり首相はアブドラ副首相に徐々に内閣運営の一部又は相当部分を任せてきたように見えます。ただしこれまでは首相の長期期間中といえども、アブドラー副首相を首相代理に任じたことはありませんでした。
なぜマハティール首相はアブドラーを副総裁に選んだかは、もちろんマハティール首相自身だけが真の理由を知っているはずですが、報道などを基に推測すれば、野心の少ないと言われる、穏健なスタイルの政治家であるアブドラーならマハティール首相が行ってきた政策と政治の方向を大きく変えることはないだろうと、確信したのでしょう。もちろんUMNO党内のアブドラーへの支持が以前からそれなりにあったこともその一因ですね。いくらマハティール首相が後継にしたいといっても、UMNO最高幹部クラス以外から後継者を選ぶことは党内に不和感を生み出すことになりますからね。なにせマハティール首相は90年代中期に一度後継者として自ら指名したアンワルとその後確執を経験したという苦い思いがあるからでしょう。
時のアンワル副総裁兼副首相がなぜごく短期間の間に解任に追い込まれ、次いでUMNOから追放になったかは、数多くの解説記事が書かれそれに関した書籍が出版されたぐらい、外国にまで伝わる大きなニュースになりましたね。公的にはアンワルは汚職と不道徳行為を行ったという理由で裁判にかけられて有罪となり、彼は現在受刑中です。本当のところは現在でもよくわからないというのが筆者の正直な感想です。Keadilan党やアンワル支持者、他の野党、さらに政府に批判的な立場を取る者たちなどは、一連のアンワル裁判を政治裁判と批判していますが、(もしあるとしても)隠された事実は当分いや永久に明るみに出ないかもしれません。こういったことはニュース価値としては大きいのですが、マレーシアを語る者としてそれだけに焦点をあてるつもりはありませんので、この件はここではこれ以上触れません。
マハティール首相の党大会での突然の辞任表明は、党員に大ショックを与えたのは事実のようで、党大会は混乱したことをマスコミはこぞって伝えました。さらに各界からも驚いた、辞任しないでほしいとの声が上がった様子をマスコミは数日間競って伝えました。
こうした空気を反映して首相は辞意撤回したようにマスコミでは伝えられ、首相は休養名目で国を10日間離れました。その間に国内の雰囲気は益々マハティール首相継続支持論が強まっているように、マスコミは伝えました。そしてUMNO最高会議が、首相の意向を反映した公式説明を発表しました。
最後のアブドラー副首相の発言部分は、マスコミの伝えるアブドラー像にふさわしい内容ですね。
こうしてシナリオはほぼ出来上がったというところでしょう。政治に100%確実なシナリオはないとはいえ、確率の高いシナリオとは言えるでしょう。それを説明するのが、7月初めマレーシアに帰国したマハティール首相の記者会見での以下の発言です。尚この中でマハティール首相は以前からの彼のスタイルと持論である、総裁や副総裁の争いなき選出を強く指示しています。政党の幹部の座を互いに争わせないように、と度々訴えているのがこの数年マハティール首相の特徴です。人の上に立ちたがる性癖を持つ政治家に、上に立つ座を公然と争わせないというのは、興味深い思考ですね。
以上はマハティール首相辞任表明顛末を伝える、マスコミに現れたものを基にした解説と分析が主体です。上記で何回も”マスコミ”と筆者が強調しましたのは、マレーシアのマスコミの特徴を踏まえてのことだからです。マスコミ論調に基づいて分析する際、新聞の投書欄といえども、マハティール首相はさっさと退陣すべきだ、などといった内容は絶対に載らないことは知っておくべきですね。
マスコミに現れるマハティール首相辞任発表への野党側の反応はごく少なく小さな扱いながらももちろん載りました。ただテレビではまず報道されない。分りやすく且つそれなりに納得いくであろう一つの意見として、次の見方を紹介しておきます。
ある国で、次期大統領選挙に出馬しないことが確実な現職大統領が、16ヶ月後のシナリオを発表するのとは政治形体と状況が違いますので、筆者のような非マレーシア人にとっては、16ヶ月は長いように感じてもおかしくないと思います。でもマレーシア人多数がそれを望めば、それを受け入れれば、それは非マレーシア国民の口を挟むことではないでしょう。
しかしどうしてもはっきりとわからないことがあります。それは、マレーシア国民はそれでもマハティール首相の指導者としての存在と政治続投を望んでいるのだろうか? それともマレーシア国民はもうマハティール首相の存在と政治にさよならする時だと感じ始めているのだろうか? ということです。マスコミの伝える像と報道だけで判断することはできませんが、それを無視するのも愚かなことです。
日本のような国であれば、新聞社などの世論調査によって、時の首相の支持率が度々発表されますから、相当程度はそれを判断材料に使えますね。しかしマレーシアでは、マスコミによってであれ、私立の機関によってであれ、グループによってであれ、首相の支持率調査などといったことは一度も行われたことはありません(少なくとも70年以降は)し、今後も行われる可能性は限りなく薄いでしょう。なぜこの種の世論調査が行われないのか、実施してはいけないのかは、また別の興味ある問題ですが、ないものはないのです。よって首相支持を検証するための確度の高い検証方法としては、次回の総選挙を待つしかないことになります。それでも総選挙の結果は政党毎に議席獲得数と得票率によって示されますから、間接的マハティール首相支持の検証にはなっても直接の検証にはなりませんね。
こうして永久にマハティール首相とその政治への支持率又は支持度は直接的な数字としては示されません。それもまたマレーシア的だといえることです。何はともあれ、2003年10月までマハティール首相はマレーシアの最高権力者として国を司る、ということですね。
(文章内では敬称略)
クアラルンプール株式市場KLSEに上場している企業700社強はマレーシアの大企業であることは誰でも知っています。しかしこの700社あまりがマレーシア企業トップ1000社番付に全部載っているかというと、そうではないそうです。というのは非上場の大企業が数多く存在し、それらの企業の中には、KLSE上場のよく知られた企業よりも大きいのがあるからだそうです。
下に掲げた番付を発表したのはRAM-DP Information Services Sdn Bhdです。番付に現れた大企業の多くは技術部門の会社で且つ外国資本の会社である、との説明がついていました。
順位 | 上売高による番付 | 順位 | 純利益による番付 | |
1 | Sony Technology Malaysia S/B | 1 | Petronas Carrigali S/B | |
2 | Motorola Malaysia S/B | 2 | Motorola Malaysia S/B | |
3 | Petronas Carrigali S/B | 3 | Intel Technology S/B | |
4 | Western Digital (m) S/B | 4 | Chunghwa Picture Tubes (M) S/B | |
5 | Felada Holdings S/B | 5 | Western Digital (m) S/B | |
6 | Felda Palm Industries S/B | 6 | Felada Holdings S/B | |
7 | Hualon Corp(M) S/B | 7 | Sony Technology Malaysia S/B | |
8 | Perusahaan Otomobil Kedua S/B | 8 | Felda Palm Industries S/B | |
9 | Perodua Sales S/B | 9 | kuok Brothers S/B | |
10 | Chunghwa Picture Tubes (M) S/B | 10 | Texas Instruments Malaysia S/B |
参考までに、最大の売上高企業は、上場企業であるPetronas Bhdであり、上場と非上場を含めたトップ112社が売上高RM10億を超えます。純利益面での最大企業は同じくPetronas Bhdで、上場と非上場企業を含めたトップ91社が、純利益RM1億を超えます。
2001年のマレーシアの主用貿易相手国を、マレーシアの総貿易全体に占める国別輸出入高の割合でみると、1位が米国(18.3%)、2位が日本(16%)、3位がシンガポール(15%)でした。工業開発庁MIDA発表の数字より。
経済面ではどんな意味からいっても、日本はマレーシアにとって主要な取り引き且つ投資国であることは依然としてかわっていませんね。
マレーシアに製造業分野で投資するヨーロッパ各国の中の大投資国は4カ国あります。順位と数字は、1996年から2001年3月までの累積投資の認可額です。
1位 オランダ RM58億、 2位 ドイツ RM41億、 3位 スイス RM29億、 4位 英国 RM20億
5位以下の国は額がぐっと少なくなります。
日本 | 韓国 | 台湾 | シンガポール | マレーシア | タイ | インドネシア | |
対GDPとの比 | 55 | 57 | 62 | 40 | 47 | 56 | 67 |
15歳未満 | 14.4 | 20.8 | 21.4 | 21.9 | 34.1 | 26.7 | 30.8 |
15才から64才 | 67.7 | 68.2 | 70.1 | 67.6 | 59.3 | 65.2 | 61.6 |
65才以上 | 18 | 11.0 | 8.6 | 10.6 | 6.6 | 8.1 | 7.6 |
マレーシアの大学教育はその揺籃期めから国立大学として発展してきました。大学の数は非常に少なく1970年の時点ではたった3大学:UMマラヤ大学、UKM国民大学、USM理科大学 だけでした。これが90年以降ぐっと増え、現在では17の国立大学とそれに準ずる学校が存在し、総大学生数は17万人ほどです。一方私立の高等教育機関は数多くあり、そのほとんどがカレッジで600校近くにもなります。私立の高等教育機関における学生数は20万人ほどと見積もられています。
マレーシアにおいて、大学とカレッジは明確な定義上の違いがあります。
国内の私立アカレッジに留学する外国人学生の数が急増して、2000年は15000人に達したとのこと。1996年の時点ではわずか1300人でした。外国人中最大グループは中国人で4700人ほど、インドネシア人が3500人、米国が740人、などです。国立大学に留学する外国人は5000人弱ですが、ほとんどが修士課程以上に在籍します。これらの数字は教育省の発表したもの。
マレーシアは身分制社会の形跡をまだ残しています。さらに称号とか勲章を極めて重視し、それを授けられた者は姓名に必ずそれを添付して公私の社会生活を行います。つまり称号は氏名の一部とみなされているので、称号を外して呼ぶ、記すことは非常なる侮蔑である、との社会意識が広く存在しています。
国王からDatukなどの称号を与えられる人の数は年間2000人ほどだと、国会の質疑で数字が発表されました。現在までに54000人が称号を得ました。尚これとは別に各州のスルタンが授与する称号もありますね。
自動車事故の総数が2000年の265175件から2001年は280417件に増加しました。しかし、死者数は2000年の6035人から2001年は5849人に減少しました。「2001年は車1万台につき事故死者数5.17人で、これは東南アジアではシンガポールの4.3人に次いで低い数だ。タイは8.4人です。」 「マレーシアの交通事故死率はイタリアやベルギー並です。」 とこのように運輸省の副大臣が語っています。
人口2300万人弱の国で、交通事故死者数が5849人を多いと感じるか、こんなものだろうと感じるかは、マレーシアの交通状況とマレーシア国民の交通道徳意識をどう捉えるかによりますね。皆さんはこの数字をどう判断されるのでしょうか?
2001年にマレーシアを訪れた外国人訪問者1227万人中で最も多いのは、いうまでもなく毎年全体数の6割前後も占めるシンガポール人で695万人です。2番目は人数ではぐっと少なくなってタイ人の約102万人、3番目はインドネシア人で約78万人、この3カ国は隣国ですから、当然といえば当然といえますね。4番目は日本人を抜いた中国人(台湾人は含まない)で約45万人です。残念ながら5番目に下がってしまった日本人の月別内訳を下の表に示します。
尚ここで引用している数字は、出入国管理庁の2001年の出入国統計を基にしてマレーシア観光発展機構が公表している数字です。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | ||
訪問者数 | 46,448 | 43,542 | 44,826 | 39,721 | 28,662 | 33,003 | ||
月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 2001年合計 | 2000年合計 |
訪問者数 | 43,246 | 47,518 | 26,352 | 13,310 | 15,742 | 15,269 | 397,639 | 455,981 |
8月が一番多いのはうなづけますが、1月から3月は7月並かそれ以上に多いのですね。寒い季節は熱帯の国へという意識がこれに影響しているのでしょうか? ゴールデンウイークの5月が4月または6月よりも少ないというのは、まこと意外です。昨年は9月の米国テロ発生の影響で、世界中で旅行者が減った影響はマレーシアも受けており、当然日本人訪問者数の動向もこの表に現われていますね。
日本人訪問者数は全訪問者総数の3%にあたります。異常に多いシンガポール人を除いた訪問者総数に対する比率ならば約7%にあたります。これを、まあそんなものだろうと捉えるか、意外に多いと捉えるかは、人に拠るでしょう。この数年急増してきた中国人旅行者に数では追いぬかれた日本人旅行者は、もう数では適わないでしょうね。でも旅行の質と幅広さでは、はるかに中国人はもちろんインドネシア人やタイ人を抜いている、と私は確信しています。なぜなら中国人はほとんどが定食型の団体旅行者であり、都会の決められた場所で買い物、食事、宿泊するだけの旅行者です。日本人の場合は例えパック旅行であっても、ダイビングする、離島のリゾートで過ごす、鉄道に乗ってみる、田舎にホームステーする、自然を訪ねるプログラムが組まれている、などといった幅広さが目立つし、個人とグループの自由旅行者が多いのはいうまでもありませんからね。
先日クアラルンプールにある大使館を訪れた時に在住者などの調査結果をまとめた用紙を入手しました。
日本人の長期在住者はその国にある公館つまり日本大使館などに届け出を出すことになっていますね。これを基にして、日本大使館が2001年3月にまとめた統計です。以下はすべてこの統計発表紙に載っていた数字を基にしたものです。
1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 | 2000年 | 割合 | 2001年 | |
クアラルンプール | 5619 | 5902 | 5912 | 5735 | 5701 | 65% | |
スランゴール州 | 1728 | 1634 | 1726 | 1829 | 1849 | ||
ヌグリスンビラン州 | 77 | 83 | 111 | 43 | 82 | ||
マラッカ州 | 258 | 282 | 259 | 208 | 212 | ||
ジョーホール州 | 950 | 1073 | 1167 | 1243 | 1362 | 12%弱 | |
パハン州 | 17 | 22 | 41 | 78 | 95 | ||
ペナン州 | 1341 | 1375 | 1498 | 1432 | 1400 | 12% | |
ケダー州 | 192 | 187 | 172 | 143 | 130 | ||
ペルリス州 | 11 | 23 | 15 | 16 | 21 | ||
ペラ州 | 238 | 266 | 229 | 200 | 217 | ||
クランタン州 | 34 | 34 | 46 | 42 | 36 | ||
トレンガヌ州 | 89 | 53 | 63 | 148 | 66 | ||
サバ州 | 301 | 296 | 249 | 204 | 231 | ||
サラワク州 | 282 | 248 | 230 | 220 | 219 | ||
全国合計の人数 | 11144 | 11485 | 11726 | 11545 | 11625 | 100% |
在住者届を出さない滞在者も当然いるはずですから、実数はこれよりも数割は、いやもっとかな、多いと推定されます。ただ統計発表と傾向は変わらないでしょう。この5年間の在住者の合計数はほとんど変わっていないというのは、興味ある点です。
首都圏(クアラルンプールとスランゴール州)で全体の65%を占め、これにジョーホール州とペナン州を加えると、全在住者の8割を占めますから、集中度がよくわかります。この3地区とコタキナバルには日本人学校が設立されていますが、サバ州とほぼ同数の在住者のいるサラワク州クチンには日本人学校がありませんよね。
ここには載せませんでしたが、都市別の人口を見ると、クアラルンプール、その隣接であるペタリンジャヤが微減なのに、ジョーホールバルが10数%、(数そのものは少ないが)クチンが50%以上増えているのは、興味深い点です。尚ペナン州は州とその都市に分けてないので、傾向が読み取れません。
在マレーシアの日系企業に対するごく簡単な調査結果も載っています。
業種 |
農林 水産 | 鉱業 |
建設 プラント | 製造 |
運輸 倉庫 |
サー ビス | 商業 |
金融 保険 |
その 他 | 合計 |
1999年 | 9 | 2 | 113 | 828 | 67 | 97 | 219 | 45 | 39 | 1419 |
2000年 | 8 | 5 | 112 | 852 | 72 | 111 | 233 | 40 | 36 | 1469 |
7月の初め頃のことです、筆者が毎日読んでいる英語紙TheStarの、去年から常設されている英語を論じるページの中で、日本における英語の状況と英語教育・学習熱の状況を揶揄する記事が載りました。これまでにもそのページの記事中で、ごくたまに日本の又は日本人の英語が触れられたことはありますが、あくまでも単なる言及であり、紙面の3分の2を占める分量の記事の全部が日本における英語と英語学習熱の状況についての記事は、筆者の知る限り初めてでした(そのページを毎日丁寧に読んでいるわけではないので気がつかないこともありえる)。
日本又は日本人に関する比較的まとまった記事は、この英語紙に限らずというより華語紙ではさらに頻繁に載るので、別にそれ自体は珍しいことでもないし、筆者はいちいちそういった記事に反応するわけでは全くありません。中には水準以下の記事もあるし、なかなかよく観察、解説しているなと思う記事もあります。この種の日本記事は、ごく少ないが自社記者も書いている華語紙と違って、英語紙の場合はそのほとんどが、AP, Reuters, AFP などの外国通信社の配信する記事ですから、書き手は日本に滞在しているとか日本をしばしば訪れていれているだろうと推測される、英語で書く契約ジャーナリストのように思えます。つまり書き手のほとんどが西欧人又は英語圏で教育を受けたアジア人又は日本人ですね。今回ここで取り上げたReuters配信記事の著者も、名前から推定して西欧人であり、マレーシアのマスコミとは全く関係ない書き手です。
この記事を何気なく読んでいて筆者はあきれを通り越して怒りを感じました。日本の状況のお粗末な把握だけならまだしも、一部の自分に都合のよい事象と一部の英語崇拝人間だけのことばを引用して、日本の英語状況と英語学習熱はこうであると決めつけ、他の外国語学習状況を完全に無視しているからです。大きな題名を掲げたこの記事を読むマレーシア人読者は、その英語依存と志向意識から、このふざけた記事内容を真に受けて信じてしまう可能性が高いのではと、筆者は憂慮しました。The Star紙は英語紙中で一番発行部数が多い新聞であり、且つマレーシアにおける人々の英語依存状況を考えると、この記事内容を無視することはできないと思ったのです。
こういう背景をまず知っていただいた上で、この記事文章をまずご覧ください。 "Japan falling behind in English " をクリックすると、別ウインドー画面が開きます。英文ですが、とりあえず読んで下さい。一々訳しませんが大要は下記で説明します。
記事内容が100%間違いだとはいいません、それなりに一面を突いている部分もあります。一番の問題は間違っている点ではなく、その記事の書き手が伝えようと狙っている意図と且つその背景にある英語独占思想、及びこの記事を掲載した新聞編集者の非英語文化圏に対する無理解に強い憤りと反発を筆者は感じました。筆者はこれを読んだその日、反論と日本の英語及び外国語に関する状況を伝える手紙を一気に、しかし時間をかけて、書きあげました(下段に全文収録)。英語紙が、しかもマレーシア人の英語志向を日々鼓舞しているこの紙面の編集者が、筆者の手紙を取り上げる可能性は”限りなくゼロ”であることは、もちろん知っているにも関わらずです。
尚筆者はめったに新聞に投書しません、投書内容によっては絶対に掲載されないマレーシアのマスコミ体質を知っているからです。つまり街のゴミ回収の欠陥を責めたり、交通事故の多さを嘆く投書やバス便をなくすなという投書(これを訴えた筆者の投書はある英語紙が載せた)は載っても、マハティール首相・政権を批判したり、マレーシア人の根幹に触れるような内容の投書は絶対に掲載されない、ということをです。
この”Japan falling behind in English "記事の筆者は、「他のアジア各国では、政府は真剣に英語教育を後押ししている、それはその国民が国際的になり、世界的業務で活動できるようにしようとです。」 などと米国帰りの日本人英語教師に発言させています。こういう人物は時々みかけますね、米国体験をこれ以上に素晴らしいことはないほど最大限に考え、英語を通して物事を見る人物ですよね。さらに著者はこれから米国のMBAコースに留学するという、同じようなタイプの人間のことばを引用しています、「英語がネイティブのように話せたら英語はその人の職業成功・出世に役立ちます。でも学校で習う英語はほとんど役にたたない。」 と。こういったタイプの人間は、英語を英米人のように話すのが、最も素晴らしいと信じて疑わない人間であり、アジアやアフリカで一般的な”なまり英語”を卑下する思考の持ち主たちですね。
さらに記事の筆者は続けて、「日本は経済大国なのにその英語の番付では中国と韓国のはるか後塵を拝する。日本は最近アフガニスタンと北朝鮮にも抜かれた。」と書いています。あまりのあほな記述にまともにこういう書き手の記事を批判するのもばからしいですが、TheStar紙のページ紙面をでかでかと占めた記事である以上、無視もできないのです。
日本で出版される雑誌やポスターの英語文句や英語広告にミスが目立つことを揶揄して、この記事の筆者はこういったミスを集めたホームページが存在する、とそれを紹介しています。私は、そのミスどうのこうの言う前に過剰な英語文句や英語広告使用自体にもともと批判的ですから、それほどそのことを揶揄する気持ちにはなれません、もちろん英語を使う以上ミスが少ないに超したことはないのは当然です。ただこういうミスはマレーシアでも一杯目立つので、何も日本に限ったことでないことを、この記事の筆者は知らないだけですね。
私を決定的に憤慨させたのは記事筆者の次の言葉です、「日本が外国語を教える面で成功してないのはミステリーである。時におしゃべりに顔をしかめる文化のせいにする場合もあるし、英語の必要性の理解に欠けることのせいにする場合もある。」。多くの国を訪ね少なからずの国に滞在してきた筆者の知る限りいや事実として、日本人は世界でも稀有の外国語学習好き民族です、それは単に英語だけを習うという意味ではなく、幅広く外国のことばに興味を持つという点においてです。もちろん、単言語環境なのでこのこのことによって外国語がすぐに上達するとか、べらべらと話せる流暢さにはつながりません。
しかし少なくとも、日本人ほど数多くの外国語を習おうとする、興味を持つ民族はまずいないのでないでしょうか。それを典型的に示す例として、日本の書店へ行けばそこにたくさんの種類と数を占めて並ぶ外国語学習書コーナまたは棚がありますよね。その書籍の種類の多さと幅広さは、他のどんな国の書店でもお目にかかれません。
記事の筆者は多摩大学教授とかいう外国人のことばを引用する、「日本は単言語社会です。他の言語を学習する動機、刺激がほとんどない。」 そう日本はいわゆる単言語社会です、これは事実ですね。だからといってそれを責めても始まらない、それよりもこの”外国人”教授は日本人の少数言語を含めた様々な外国語への関心を知らないかわざと無視している。日本社会は日常生活で他言語の必要がない単言語社会故に、日本語以外の言語に流暢な人間をたくさん生み出せないのはある意味では当然なのです。
しかし流暢でないにも関わらず、これほど多くの日本人が英語以外の他言語への関心を示しているではないか。米国へ行って観察してごらん、英国人はどうか、世界で最も英語国民である彼らは、学者や研究者を除いて、英語の上にふんぞり返って他言語に対して徹底的無関心であり傲慢であるではないか。尚英国と米国発行の英語によるいろんな言語の入門書と辞典が他言語のそれより多いのは、それらの書と辞書が世界の英語圏での販売を予定しているからですね。
記事の筆者は書く、「文部省は語る、ほとんどの教師が英語を上手に話せなかった時代から英語教育ははるばる長い道のりを経てきた、と。学校での改革は現在行われつつある、初めて小学校で英語を教えることになった。中学校では文法での練習だけでなく英語でのコミュニケーションが教えられている、とこのように文部省は説明する。」 「しかし変化は遅く、官僚主義によって妨げられている」 との、前述の米国帰り英語教師の発言を記事の筆者は紹介しています。
米国式の教育と非英語国における英語教育の質的違いとその必要性を知らない米国かぶれに意見を代表させながら、こうして記事の筆者は論を進める。「(英語の)公教育に対する不満と、ビジネス英語に対する需要増加のために、膨大な数の私立学院のビジネスが生み出されている」 確かにそれは事実でしょう。しかしこれは英語教育に限らず、コンピューター教育でも簿記教育でも同じだ。大体塾とか予備校での教育は英語を含めた多くの科目に渡っているではないか。私は、小中学校での教育の過去と現在のあり方を手放しで誉めたり、たいへん素晴らしいなどと夢にも思わないが、実業界・ビジネス界の要求にぴったり合致するのが公教育ではない。それでは職業学校ではないか。公教育の不足を補うのが私的ビジネスによる塾であり英語学院・学校なのです。この種の英語塾、学院はマレーシアにだって一杯ある。一般的に日本より英語力のはるかに高いマレーシアにでも、この種の英語塾、学院があることを、こういう記事の論者は知らないのだ。
記事は続く、「日本で最大級の英語学院チェーンであるNOVAは生徒数が伸び続けており、昨年の30万人から今年は35万にも生徒数が伸びた。」 「大人が英語を習っている。英語を習うのは単にファッショナブルではなく職探しに役立つかまたは昇進に結びつきます。」 と別の英語学校チェーンであるShane英語学校の取締役のことばを、記事の筆者は引用します。 こうして記事の著者は英語学校経営者の見方を紹介し続ける。私はその見方全てを否定する意向はありません。確かに記事に書かれたそういう面はありえるとも思う、もちろん全面賛成ではないが。最後に、「日本では日々英語を必要としない。日本を閉ざされた社会にしないためにもっともっと英語が必要になりつつある。」 というShane英語学校幹部のことばで、この記事の著者は記事を結んでいます。
「日本を閉ざされた社会にしないためにもっともっと英語が必要になりつつある」 という思考は、典型的英語を通して世の中を見る人間のことばであり、こういう人間の目には、英語を日常的に使わない非英語国は全て閉ざされたまたは遅れた国、と写るのでしょう。世界には英語で日々生活を送らない国は送る国よりずっと多いし、人口の数はさらに多い。英語を日々話す、使うことが開かれた社会の基準であるならば、フランスは、ロシアは、ドイツは、イタリアは、などなどとほとんどのヨーロッパ国はすべて閉ざされた国であり、ベトナムやタイなど限りなく未来のない国になってしまう。そして世界のフランス語圏は南米のスペイン語圏はすべて、閉ざされた圏になる。こういう考えを、”英語のリトマス試験紙思考”と私は呼んでいます。こういう”英語リトマス試験紙”思考人間は、なんて他言語に極めて許容感のない、少数言語無視の、非常に閉ざされた思考の持ち主なんだろう、と私はいつも思い、同時に強い強い反発と怒りを感じざるを得ません。
それでは、The Starの英語を論じる常設ページである”Mind Our English ”に宛てて書き、郵送した投稿の全文をここに掲載します。和訳しませんが、読んでいただければと願っておきます。尚お断りしておきますが、記事に対する反論が主なので、英語論一般ということではありません。マレーシアにおける英語に関するテーマでこれまでにも 「今週のマレーシア」で数編発表してきました。
以下投稿手紙の全文。
Mind Our English
The Star, Level 3A, Menara Star
15 Jalan 16/11, 46350 Petaling Jaya
13 July 2002
Dear Editor,
With reference to the article " Japan falling behind in English" on the page of " Mind Our English" dated 12 of July 2002 in the Star, I'd like to condemn the writer for her poor grasp of the scene in Japan and express strong disappointment at the editor as well.
The story appeared in this page is written from so one-sided view that any non-Japanese who reads this article must have an impression that the Japanese are very reluctant to learn foreign language(s) and so bad in studying foreign language(s). This is absolutely wrong perception.
The writer and all the quoted persons in this story have too much English-dependency minds. No wonder that this writer interviewed or quoted only the persons who were all for only English language and had no doubt about the abuses of English language monopoly in the world. Most of the interviewed persons are doing business in teaching English.
The right attitude of the writer should reflect various opinions and observe actual situations. This writer picks out only the matters that strengthen her viewpoint. I know there are many this kind of English speaking westerners who criticize the Japanese for their disappointing command of English and meddle in how the Japanese learn English. Of course, they can express their opinions whatever they like, however, they always fail to or can not recognize facts that Japanese is one of the very few nations in the world that likes to learn foreign languages other than English.
In Japan there are several (specialized in) Foreign language universities among major public universities that count about one hundred. Those foreign language universities produce a few thousand undergraduates whose majors are non-English language every year. This is not very small number Their major languages are really rich in variety: Of the Asian languages, Thai, Vietnam, Pilipino(Tagalog), Bahasa Indonesia, Bahasa Malaysia, Tibet, Nepalese, Burmese, Hindu and etc besides Chinese and Korea which are traditionally learned by the Japanese. Of the European languages, for instance Portuguese, Danish, Swedish, Finnish, Italian, Serobo-Croatian, Dutch, Hungarian, Czech, Polish and etc besides French, German, Russian, Spanish which are traditionally learned by Japanese.
In addition to these language groups, there are not so small number students whose major is Arabic or Turkish or Persian or Hebrew. Even some African languages such as Swahili, Afrikaans are also taken as a major.
Please be informed that students whose major in Bahasa Malaysia graduate universities counts a several dozens every year besides Bahasa Indonesian course students. The number of students whose major is Thai or Vietnamese or Bahasa Indonesia is larger than those in Bahasa Malaysia.
The number of foreign languages taught in foreign universities is more than 50 languages.
Other public Universities and private universities offer also various foreign language courses for undergraduates as a major or a sub major. The kinds of languages are not so variety as Foreign language universities offer, however, the kinds easily exceed 20 languages. Every year more than ten or twenty thousand of undergraduates whose major are non-English language leave universities.
In Japan anybody can see or listen to the language lessons programs provided by the public broadcasting company NHK. There are currently broadcasts of 8 foreign language lessons:English, Chinese, Korean, French, German, Spanish, Russian, Italian. Each program lasts half an hour and presents 5 times a week and twice a day on TV and like on TV, another lesson programs of 8 languages are also broadcasted everyday over the radio. Among those lesson programs, of course, English lesson programs are more variety in kind and have longer airtime than other 7 languages programs and attracts several million learners. However, near a million people also learn other non-English languages every day through TV and radio in Japan. Monthly published textbooks for these lesson programs are easy available at the bookstores throughout the country..
Yes, there are thousands of English teaching schools(non-academic) regardless of size and quality in Japan. Yes, it is true a lot of people want to learn English more or brush up their school taught English. I agree that there is tendency for the young generation and young ladies to prefer to go to the USA, Australia, Canada or UK in order to level up their English.
On the other hands, the number of schools teaching non-English languages counts several hundreds in the country. Among preferred languages by learners are Chinese, French, Italian, Korean, German, Thai and so on. Can you imagine the learner of Thai language in Japan now exceeds 10 thousand?
The readers of the Star would be surprised at the fact that the Japanese is the biggest learner group among Asian nations in learning French in France, learning German in Germany, learning Italian in Italy, learning Spanish in Spain, learning Thai in Thailand, learning Vietnamese in Vietnam, Bahasa Indonesia in Indonesia, Chinese in China and Taiwan, and of course Bahasa Malaysia in Malaysia. This is just an example, you may easily find the Japanese students of learning local language in many countries. They learn even considered very minor languages such as Albanian, Lao, Mongol, Slovenia and etc.
If you go to Bangkok, and visit several Thai language schools, you definitely find many Japanese, and no Malaysian. Even when go to Vietnam, this phenomenon is same.
In Japan you can learn more than 60 kinds of foreign languages by self taught books or going to language schools. Excluding English, there has been selling several hundreds(!) kinds of foreign language lesson books or self taught books with cassette or CD. Since these books are not published meant to be used in universities, it is very easy to purchase at major bookshops. Not only big bookstores sell this kind of language learning books, but also small bookstores sell some of them. As non-Japanese people may misunderstand this situation, I have to stress that all these books are written in Japanese and published in Japan. All these books are not translated version of English-written textbooks, but Japanese authors or some Japanese speaking foreign experts write these learning books.
I give the readers other facts so that non-Japanese people can know the situation a little better where the Japanese like to learn foreign languages. There are about 20 kinds of foreign language dictionaries that are thick like the Longman's Contemporary English Dictionary. If including wordbooks of foreign language, the number of foreign language publication easily exceeds 60 or so. All the dictionaries and wordbooks are written in Japanese, that is ,an object language is explained in Japanese These are no English translated dictionaries. Publishing a dictionary costs lots of money and time consuming, All the publisher are private publishing companies and have received any monetary aid from the government. They still manage to publish about 20 kinds of Foreign language-Japanese dictionary. If the circulation counts merely a few thousand copies, no company would publish a dictionary as a business.
By the way, I don't mind the title of this article "Japan falling behind in English", it may be true or exaggerate too much. What important to me and the Japanese in general, the Japanese has been showing much broader interest in foreign languages than many other nations such as Malaysians. The Japanese society is more or less monolingual, however or I say therefore, people shows broader interest over foreign cultures and languages. I am proud of this attitude, for the Japanese has not fallen into English dependency. As I am not a language- nationalist, I wish as many Japanese as possible acquire a foreign language that is not necessarily English.
The Japanese do not think mathematics and science are taught in English at schools. With very little knowledge of English, the Japanese pupils and students can learn those subjects until entering the universities. At universities most undergraduates are not necessarily be conversant in English because most of the textbook are written in Japanese.
I agree that Japan has been falling behind in English when compared to Malaysia or Singapore, not compared to Thailand or Vietnam, however it does not mean Japan has been falling behind in various areas including science, culture, art, sports and etc. I agree that English is the most important language in the current world and people should learn English. I am not against learning English nor English itself. But importance does not necessarily mean that English language is allowed to dominate or monopolize over other languages in the world. People with low knowledge of English can innovate, produce various industrial products, perform research and development, live above average and enjoy their life. This has been done and will be same in the many parts of the non-English world.
The more a country like Malaysia become English dependency, the less the nation of the country can get out this syndrome. English dependency people therefore, prefer to use the English ability of other people as litmus paper when gauge the other nation. This kind of attitude is very disgusting. Non- English nations have been exceeding in many areas and will continue to exceed, not dominate, with limited English ability. For English is one of important factors, not a sole factor.
Regards,
手紙に記入した私の名前住所などはここでは省略
上の方で「この紙面の編集者が、筆者の手紙を取り上げる可能性は”限りなくゼロ”であることは、もちろん知っているにも関わらず」と書きました。ところが、なんとその反論・批判文が7月29日のThe Starの該当紙面に掲載されたのです。ただ投稿した文が半分くらいに短かくされ、且つ一部ですが言いまわしが変わっています。主張の重要な点があれこれ落ちていることになりますが、まあこれは仕方ないとしておきます。新聞であれ雑誌であれ、投稿分がそのまま載る事はあまり期待できないからです。
なにはともあれ、私の反論と批判をThe Star紙が紹介したこと自体は、歓迎することです。なぜならこの反論文はマレーシア人に当てて書いたものですから、まずマレーシア人の目に触れることが大切ですね。
興味ある方のために、TheStar紙のインターネットサイトの該当箇所を紹介しておきます。私の上記原文がどのくらい省略されているかが分ります。
http://www.thestar.com.my/english/
別ウインドーで開きますので、July 29: Lopsided viewpoint(偏った見方) という所をクリックして下さい
- マレーシア語の国語としての”実”の地位からの転落を象徴する事象 -
小中学校で来年から理数科目を英語を用いて教える、という政府の最終決定とその導入スケジュールが7月20日に発表されました。国民小学校ではない、華語小学校とタミール語小学校はとりあえず現行通りそれぞれの民族語で教えるということですが、英語で授業を行う方向への圧力は相当強そうです。理数科目の英語化に関してタミール語小学校界に華語小学校界ほどの堅固な意思と反対勢力はなさそうなので、政府の狙う全国の民族小学校でも理数科目の英語教育に大きな障害の筆頭は華語教育界ということになります。さらにこれとは別の背景をもった、国民小学校と中学校における英語での授業反対勢力があります。それは華語教育界とは思想を異にするマレー民族主義者からの反対であり、この2つが理数科目の英語化に対する2大障害だといえます。
そもそも理数科目をなぜ英語で教える必要があると推進派は考えるのか?簡単に言えば、小学校から英語で教えれば理数がより伸びる、科学、工業など国の発展面において世界の水準に達するためには理数を英語で教えなければならない、という推進派の人々の信じる2つの理由からです。
理数科目の英語授業政策に関するこれまでのいきさつは「新聞の記事から」の6月分と7月分で時々載せましたので、そちらを参考にしてください。
7月中旬発表された各段階での理数科目の英語授業化スケジュールを示しておきます。
小1 | 小2 | 小3 | 小4 | 小5 |
小6 UPSR | 準備学級 | 中1 | 中2 |
中3 PMR | 中4 |
中5 SPM |
|
2003 | 始 |
英語で 行う | 始 | |||||||||
2004 | 始 | 始 | ||||||||||
2005 | 始 | 始 | ||||||||||
2006 | 始 | 始 | ||||||||||
2007 | 始 | 始 | ||||||||||
2008 | 始 |
中6前期 |
中6後期 STPM |
マトリキュレーション (大学予科) | ポリテクニック | 国立大学 | |
2003 | 始 | ||||
2004 | 始 | 始 | |||
2005 | 始 | ||||
2006 | |||||
2007 | |||||
2008 | 始 |
私はこの一連のニュースをずっと追ってきましたが、この正式政府決定の発表についてはっきり言えることは、国語であるマレーシア語の”名実”の内の ”実”の決定的な没落を象徴するできごとだということです。憲法にも規定しているマレーシア語の国語の地位はもちろん影響をうけませんし、そんなことはマレーシアという国が存続する限り起りえません。つまり”名”としてのマレーシア語は永久に国語であり、他からその地位を脅かされることはありません。どんな政治家も教育関係者も必ず口にするのは、様々な政策で英語化を推進しようとそれに賛意を示そうと、「国語としてのマレーシア語の地位に変化はない」、という枕詞又は締めのことばです。そのことばが彼らのマレーシアの政治を、教育を、司どれる証だからです。
しかし”名”がどうであれ、一般人は”実”を取るのが普通です、なぜなら多くの一般市民は建前の世界に生きているわけではないからです。その”実”とは、経済的価値観が主に働きますから、経済的価値が一番高い言語つまり英語に擦り寄ることなのです。具体的に言えば、英語能力が高ければ職を選べる範囲が広がる、商売につながる、海外英語圏での高等教育を受けたい、民間官界を問わず出世に必要だ、ということです。他にもいろんな英語書籍が読める、ハリウッド映画や西欧ポップスがより楽しめるなどの理由もありますが、これらは2次的動機ですね。こうして社会が英語化に傾けば傾くほど英語が自己増殖作用を起こして強大になり、マレーシアはもうとっくに英語なしには経済が、私立高等教育が機能しない社会になっています。
英語化社会に抵抗する最後の砦が、初等と中等公教育におけるマレーシア語での教育です。小学校は華語とタミール語で教える2種の民族語小学校が存続していますが、中学校はすべてマレーシア語教育です。この最後の砦の内堀を埋めたのが、今回の理数科目は英語で教える決定です。教育理論からいっても学習者の一番身近な言語で教え習うのが、小中学校での最大の効果の高い且つ良い教育ですね。ましてや小学校で数の概念や基本的理科現象を、英語を母語としない多数派の子供たちに英語で教えて理解させるのは、ものすごくたいへんな作業です。今回の政府決定はこのごく当たり前の常識を否定しまうのです。
クアラルンプール、ジョージタウン、ジョーホールバルなどの都会だけがマレーシアではありません。国の半分以上は非都会の人口であり、マレーカンポンやプランテーション農園に居住するインド人コミュニティーは単言語社会です、その意味では日本の地方とたいして変わらない。
都会の恵まれた環境に住むマレーシア人だけ相手に教育するのが公教育ではありません。都会なら塾や家庭教師を探すのは容易であり、現に多くの家庭が子供をそういう所に通わせている。中流以上の家庭なら非英語家庭でも子供の英語教育に金と時間をかけられる、しかしマレーカンポン、プランテーション農園のインド人、都会から離れた華人の村、サバ州とサラワク州の奥地・僻地などでは同じようにするのは無理です。都会の周辺地に居住する低所得地域の住民でも、英語教育という面からいえば決して恵まれた環境ではありません。だからどんなに頑張っても英語は全国津々浦々で人々が日々の生活の中で主として使う言語にはなりえません。日本人ならこのことは、現実知識としてわからなくても想像はできることと思います。
こうした状況をよく考慮すれば、理数科目の英語教育はどういう子供が有利になり、どういう子供が不利な立場になるか一目瞭然です。今回の理数科英語教育は、簡単なことばで言えば、できる生徒をより伸ばし増やすための切捨て教育です。私はこのニュースを悲しみを持って受けとめました。もちろん有利な立場の家庭でも、将来の出世機会の増加を期待して英語教育に賛成する人もあるし、恵まれない家庭の子供でも優等生は出現するし、英語のよくできる生徒も出てくる、一方都会の豊かな家庭の子供なのに英語のできない生徒もありえます。ここで私が描写しているのは一般論ですよ。
でなぜ切り捨てか? それは、大学でマレーシア語で教えていては効率が悪いし、それでは世界の水準についていけない、だから小中学校から英語で教育して、英語能力の高い子供を増やし、そういう子供たちだけに高等教育を与えようという発想ですね。現実問題として教科書も教えることばも英語、試験も英語で出題されますから、理数ができる前にまず英語ができないと良い成績は残せません。結果として、英語がよくできないものにとって高等教育への道は限りなく狭くなります。
確かに高等教育を受ける生徒の身になれば、小中学校から英語で理数を習った方がずっといいに決まっている。カレッジや大学で一々理数の英単語を覚えなおす手間も省けるし、最初から英語の表現で理数を習う方が効率が良い。英語圏へ子供を留学させたいような親はいうまでもなく、国内の大学へ進学する意向の生徒でも理数の英語教育には賛成でしょう。そうなる大きな原因の一つはマレーシア語及びマレーシア語書籍の科学面での不充分さがあるからです。
しかし子供全員が高等教育を受けるわけではありません、高等教育を受けるのは同年代の約20%前後だけです。残りの大多数はしいて英語で理数を習う必要性などありません。子供にとって一番理解しやすい民族語そして国語のマレーシア語で習う現行の方が、基礎教育には向いているのは言うまでもないでしょう。初等中等教育の一番大事で必要なことは、できるだけ多くの子供にちゃんとした理数の基礎知識を小中学校で身につけさせることですよね、これは世界どこの国だって同じはずです。
理数科目の英語教育の結果、英語がよくできなくて理数科目がよく理解ができない子が出てくるのは間違いないでしょう。教育関係者も為政者はもちろんこんなことは知っています。が華人教育界の一部を除いて公言はほとんどしていません。マスコミに載る反対論や懐疑論は賛成論と推進論に比べれば圧倒的に少ない(ないとはいいません)、マレーシアのマスコミのあり方からいえばいわば当然の記事掲載法ですね。
Young Professional Chamber of Malaysia(マレーシア青年専門職人会議)という団体の幹事が、The Star紙に毎週挟み込まれる教育特集ページ7月21日付け に投稿しています。内容から推測するとマレー人の又はマレー人中心の会員構成のようです。その主張は、政府決定を手放しで誉める論でもなく、といってマレー民族主義を前面に出してマレー人の琴線に訴えた反・理数科目英語教育論でもありません。なかなか常識をもった主張であり(私がその内容に全面的に賛成ということではありませんよ)且つマスコミにほとんど紹介されない主張ですので、ここで抜粋翻訳しておきます。
以下記事から抜粋翻訳分(注の部分のみIntraasiaのコメンとです)
Young Professional Chamber of Malaysiaの会員は政府に対して、全科目を英語で教えるような英語学校を再導入する又は理数科目を英語で教えるという方針を注意深く再考慮するように訴えます。しかしながらYoung Professional Chamber of Malaysiaは学生の間、特に学校やコミュニティーが単言語環境であり他民族との交じり合いがほとんどないことから英語を話す環境を奪われている学生の間、における英語能力の低下を抑えるために早急な対策の必要があることには、心から同意します。
これは、会員数約1000人からなる我組織の中から適当に50人を選んで調査した結果からの幅広いコンセンサスでした。我々の会員は、金融、法律、技術、メディア、医療、民間教育、などの広い分野に携わる職業での若い専門家から構成されます。
政府の決定に関しての調査が会員の間で真剣に交わされた論議に発展しました。主たる問題点が明らかになり、関心あるも者たちがそれを文章にまとめました。その問題点とは:
Intraasia注:まさに私の憂慮する点と同じことを言ってますね。いくら英語の授業が増えたって全ての生徒が英語が得意になるわけでも好きになるわけでもないのは、日本人ならよく実感できることだと思います。そういう生徒が数理の分野で伸びる機会を奪ってしまうのです。注終り
そこで我Young Professional Chamber of Malaysiaからの提案です。
Intraasia注:大学・カレッジでは多くの参考文献が英語文献であるという事実が英語講義を受け入れる下地にもなっているので、大学では英語で教えるというならば、まだこの方が抵抗感が少ないでしょう。現に国内の多くの私立カレッジでは英語で授業を行っている。マレーシアの高等教育はマレーシア語だけでは充分に行えないという、事実がそこにあります。注終り
Intraasia注:この主張は私が常に思っており、主張していることとぴっとりと一致します。外国語を自国語に翻訳する文化がマレーシアにない、育てようとしていないことが、マレーシアの英語依存症候の元凶の一つです。日本は翻訳文化の国です、ですからあらゆることがらが日本語に翻訳されて、読む気さえ買う気さえあれば誰にでも、内容をよく理解できるできないは別にして、読むことができるのです。これが広範な文化の裾野を作っています。
日本語で教育を受け育ちその恩恵を受けながら英語をあがめている日本の英語信奉論者よ、あなたたちが今日その教育と教養と知識をまがりなりにも充分に取得できたのは、この日本の翻訳文化のおかげなのですよ。
マレーシアは英語が相当できなければ、専門書と学術書だけでなく教養書も実用書も各種小説もエッセイも娯楽書もその選択が極めて極めて限られてしまい、結局読みたい本が見つからないのです。だからこそ先ず英語能力を高めろ、という論理になります。鶏が先か卵が先ではなくて、とりあえず両方とも育てながら、次第に翻訳を増やしていく方法しかないでしょう。それが誰にでもあらゆる分野の書籍に出会えるチャンスを与えることに結びつきます。日本がもし翻訳文化の国でなかったら、マレーシアと同じとは言いませんがかなり似た現象が起っていることでしょう。注終り
Intraasia注:正論であり、私ももちろん同感です。ある国語がその国で発展していくためには、こうでなければなりませんから、この主張に反対する点は全くありません。しかし残念ながら、誠に残念ながら、マレーシアでは”翻訳された書籍には充分大きな市場”が生まれないでしょう。それはビジネス界や教育界そして多くのインテリの中に驚くべき堅固に存在する英語信仰と、マレーシア政府、宗教界を含めた当局さらに国民の一部にもある言論出版の自由規制志向とその歓迎思考です。
どんな内容の本を翻訳するか選択することと、それを出版することの両面において、極めて強い規制と自己規制があるため、翻訳本の出現は限られてしまうのです。つまりポルノ完全禁止は言うまでもなく小説でも芸術でも当局の意向に沿った内容の本でなけれな出版できない、宗教批判書は完全に当然だめ、政府与党の批判書も制限がある、非国家的で個人の自由を解くような書はだめ、マレーシアの文化に合わない内容の書はだめ、これもだめあれもだめ、というような状況では、翻訳者と出版社は萎縮していまいます。あたりさわりのない学術書や教養書、健康読本やビジネス解説書、内容に論議を呼ばない小説ぐらいが無難な出版物ということになりますね。これじゃ、読者層は広がりませんし、種類の少なさから読書好きに翻訳本への不満足感を呼び起こすだけです。こうしてマレーシアには翻訳文化は生まれて来ない、育たないのです。注終り
(先日発表されて問題になった)国内の大学を卒業しても職の見つからない大卒の94%はマレー人であった、という件についていえば、その全てがマレー人の間における英語能力の不足のせいだとは、我々の会員は思いません。その状況はそういう職の見つからない大卒生の専攻が雇用者からの需要の低い分野であるか、雇用者が彼らを訓練したくないと考えたからでしょう。
大卒がその専攻に関係なく職に応募する時、政府と民間はもっと広い心で対応すべきだと我々は考えます。大卒は多くの先進諸国で採用されているようなその指導力と知性で判断されるべきだと考えます。
以上記事翻訳分終り
政府与党、教育関係者、産業界、は常に理科系の高等教育修了者の増加とその質の向上を願い、期待し、その奨励策を取ってきました。それが国を発展させる鍵だと信じているからです。一般市民の中にもそういう考えはもちろんあります。そこで理数科目は英語と並んで教科中の最重要科目と見なされています。その重要な理数科目をマレーシア語で教えていては、要するにだめだ と英語授業推進派は考えるわけです、だからこそ以前から英語教育を訴えていましたが、最近のマハティール首相の強烈な主導でそれが実現することになったのです。
国の発展の運命を握るぐらい重要であると考えられている理数科目を、国語のマレーシア語でなく英語で教えるということは、つまり国語マレーシア語はその最重要な役割を担えない言語であると、主張していることと同じです。もちろん誰もそんなことは公言しませんが。私がこのコラムの初めの方で書きましたように、この政策決定はマレーシア語の国語としての没落を”実”の面で象徴する事柄だという意味が皆さんにもわかっていただけたことと思います。
こういう文章を書いたり主張すると時に私の意図を誤解してお読みになる方がいらっしゃいますので、最後にはっきりと書いておきます。
私が、マレーシア語を愛するから、又は英語を排斥したいからこのコラムを書いたわけでないことを、当サイトの多くの読者はおわかりになっていただけると思っています。私はマレーシア語を愛することはない(といって嫌いということではない)、愛するのは母語である日本語です、さらに英語そのものを排斥する意図はない、英語は私が長年使っている言語です。そういった何々語が好き嫌いの感情論ではなく、多少でも言語の平等に向かう方向を常日頃訴える者として英語の独占支配に強く反対し、ある国の国語の発展を、少数言語の保護を心から願う立場に立つからです。それがたまたまマレーシア語であるのです。タイであれベトナムであれこういう政治状況に面すれば、私はタイ語のベトナム語の擁護論を必ず書きます。
映画を見る時、その映画を見る前から流れとか結末にある程度の推測がつく場合がありますよね。といってそれにこだわっていては面白くないし、興が削がれますから、できるだけこだわらないようにして私は見ます。
今年ハリウッドの新作映画で2本の戦争映画を見ました、1本はタイトルをはっきり覚えてませんが、"We are Soldier" かな?、メルギブソン主演でベトナム戦争初期を舞台にしたもの、もう1本はニコラスケージ主演で舞台は太平洋戦争中に米軍と旧日本軍との激しい戦闘のあった島、確か硫黄島だったかな、での出来事を描いた"Windtalkers"です。どちらも米国視点の映画なことは見なくてもわかっていましたが、映画好きとしてまあどんなものか見てみましょうということで映画館に行ったのです。そして予想とおり2作とも駄作でした。ハリウッド映画におけるベトナム戦争の描写は常にというぐらいほとんど同じで、ベトナムが侵略を受けた被害者として描写されることはないし、これまでいくつか見た日本相手の戦争映画では、旧日本軍の内実まで踏み込んだ描写はまったくないですね。あくまでも米国俳優の活躍の相手又は舞台としての描写です。
ヨーロッパを舞台にした第2次大戦の戦争映画でもこういった傾向は同じですから、戦争・占領映画はハリウッド映画の中でも筋書きや結末が読みやすいことは間違いありません。これは何もハリウッドに限らず、ソ連時代のソ連戦争映画、フランスの戦争映画、中国の日本相手の戦争映画、などは皆愛国主義宣撫をはっきり感じますから、一部の個人心理の描写にこだわるような作品を別にすれば、戦争・占領映画はこういうものだとの先入観を持ってしまいます。
さて話題になっているマレー映画”Embun"が8月1日に公開されましたので、早速映画館に足を運びました。なぜ話題かというと、政府の機間であるFilm Negara Malaysia(マレーシア国映画)と Perbadaan Kemajuan Filem Nasional Malaysia(国家映画発展公社)が共同製作し予算も出資していること、監督が映画界でその評価に議論のある女性監督のErma Fatima だということ、映画製作の予算が通常マレー映画予算であるRM100万の3倍にも及ぶRM300万もかけていること、さらに旧日本軍のマラヤ占領時代を舞台にしたもの、といったことでしょう。
映画人の養成や施設を提供したりすることでマレーシアの映画及び映画産業の発展目的に設立されている国家映画発展公社が製作に直接関わり且つ政府の金が直接つぎ込まれていることから、この映画に対して先入観を持つなといっても、それは到底無理なことですね。まして舞台が旧日本軍のマラヤ占領時代のマレー人の抵抗に絡めたものとの筋書きは、映画を見なくても、その映画に愛国主義の宣撫が多かれ少なかれ込められていることは100%確実だと予想して見たところ、事実そうでした。だからといって、愛国主義宣撫それ自体が即悪いと言っているのではないですよ。
さて登場人物は半島北部、多分ケダー州か、のマレー村人と旧日本軍人の2組のみで、華人もインド人もまったく現れません。日本人俳優が得られなかったとのことで、脇役を含めて、日本軍人役は全員マレー人俳優が演じています。日本人が見れば奇妙に感じるのは当然ですが、欧米人が見てその違いを判断できるかどうかはわかりません。
マレー人俳優に無理に日本語を話させる場面が多いので、ひどい日本語又は日本語もどきが耳につきます。しかしハリウッド映画でもドイツ軍人が英語を話す映画がほとんどなので、この点はとりたてて珍しいことではないし、文句をつけるには至らないでしょう。尚マレー俳優が日本語?を話す場面にはマレーシア語の字幕が現れます。
旧日本軍の描写と日本軍人の行動描写はむちゃくちゃです。司令官が部下に向かってどうぞ座って下さいと言ったり(軍隊内でそんなことばを吐くわけない)、敬礼せずに互いにお辞儀する場面(上官が部下にお辞儀などありえない)、マレー人捕虜が牢内に入ってきた下士官を殴りつける、慰安婦にさせられたマレー女性を下士官が解放して村まで車で送っていく、などなどそのむちゃくちゃで荒唐無稽な場面を数えて行けばキリがないくらいです。しかしこういったことはこのマレー映画製作陣にとってどうでもいいことなのでしょう。どうせ観衆である現代マレー人にこの間違いを判断できるものはごく限られているだろうし、製作者の狙いとは大して関係ないことだろうからです。
さて旧日本軍の残虐行為の場面、それほどたくさんあるわけではないです。しかもマレー映画に典型的である”リアリズムの欠如”から、私にはなんだこんな程度としか感じられない程度です。ハリウッド流や香港映画流のリアルに又は残虐性を強調した演出に比べれば、まことおとなしく控えめなものです、しかし付け加えておけば、マレー映画にしてはこういう場面をまがりなりにも描くのは珍しいことであるとは思います。なぜこういう描写を入れたか、もちろんそういう残虐行為があったことは隠せない事実であるともに、上記の戦争映画製作の狙いの常であるうんぬんの所に書いたとおりの理由からでしょう。
映画は、旧日本軍とマレー民族独立を示唆して日本軍に秘密に抵抗しようとするマレー村人、という大きな枠組みの中で、主演女性のEmbunと日本軍人内の良識下士官との絡みを筋書きにして展開していきます。悪徳下士官の指揮する残虐行為に良識下士官が反対し且つ対抗策を打ち出し、マレー農民のために働くという流れの中で、いくつかの残虐行為とおぼしきシーンがあります。日本軍人がマレー女性を車に乗せたり、夜呼び出して会うなどの荒唐無稽なシーンがありますが、それはこの映画に恋愛筋を絡ませているからであり、ハリウッドでも戦争題材の映画に必ず女性を絡ませるように、まあこれは娯楽映画として仕方のないことではあるとは言えます。しかし、荒唐無稽の筋書きであることにかわりはありません。
最終的にはマレー村人の秘密の反抗組織は日本軍にあえなく壊滅され、その時主演女優と逃げた良識下士官は悪徳下士官の部隊に捕らわれます。川辺の場所で主演のEmbunもこの良識下士官も、悪者下士官に殺されます。がEmbunの最後の一突きでこの悪徳下士官も殺され、3人全てが死んでしまう場面で終わりになります。
こうしたことからこのマレー映画Embunを戦争映画として分類するのは、相当気がひけます。旧日本軍占領を舞台にしてマレー人の抵抗と恋物語を絡めた映画の中に、大きなテーマとして愛国主義特にマレー愛国主義が組み込まれた映画といえます。公開開始が8月1日というのがいかにも示唆的です、なぜなら8月はマレーシアの前身であるマラヤ連邦の独立を記念する独立月間であり、全国的に愛国主義精神がしきりに高揚される月だからです。
戦争して占領するという枠組みの中で、軍隊という組織の取る方針やあり方に幅広い選択などないのは常識であり、まして下士官程度にその選択などありえないことは誰でもわかります。しかし映画の常、ありえない事も創らないといけませんから、こうして旧日本軍内の悪徳下士官と良識下士官という図式を設定し、その中で若いきれいなマレー女性Embunがマレー民族のためにと果敢に行動させます。そこで良識下士官はこのマレー女性に引かれていきし、最後にはいっしょに逃げ延びるというお涙頂戴ストーリーも組まれています。
こういう創作物語の中で、占領した日本軍人に父親を殺され自身は強姦されますが、その後も旧日本軍に対して果敢に抵抗意識を示して行動する若いマレー女性の姿を観客に訴えています。マレー村人のせりふの中にマレー民族のためにということばがしばしば出てきます。荒唐無稽の筋は別にして、占領を受けたマラヤの地の民として旧日本軍に抵抗感を持ってマレー民族団結を示すのは自然なことであり、こういう意識を持つこと自体は当然のことですね。これらはマレーシア国民、特にマレー人に向けたメッセージなんでしょう。事実34才の女性監督はインタビューにこう語っています(8月1日付けTheStar紙の記事から抜粋翻訳)。
「Embunは国の若い人たち全員に見て欲しい。私たちの父祖が植民地勢力から母国を自由にするために味わった厳しさを彼らに知って欲しいのです。私は若い世代に愛国主義の精神を植えつけてもらいたいしこの国を愛して欲しい、現在の若い人たちにはこれが欠けていると私は思います。」
この監督はこれまでPermpuan Melayu Terahirなど数本のマレー映画を監督したと説明が書いてあります。さて映画評論がこのコラムの目的ではないのでここらできりあげます。
まとめをかいておきましょう。
私は第2次大戦中の旧日本軍の残虐行為を描くことに別に反対ではありません、しかもどうせ描くならもっと事実に沿って描くべきだと考えます。しかし、表現の自由とはいえその行為だけを強調してもナンセンスであり、その背景をきちんと描写しない限り意義が薄れます。そしてこれと同程度に重要だと考えることは、国家の推しつける愛国主義を背景にしたプロパガンダ戦争・占領映画は、内容如何に関わらず映画としてはとてもA級とは言えないということです。本当に戦争や占領を主題した映画を撮りたければ、しっかりとした個人の史観を持って資料と取り組み、人道主義や抵抗主義を念頭において、国家のプロパガンダとは無縁の映画を撮るべきだと思います。世界で数多く製作されつづけてきたいろんな戦争や占領を描いた映画の中で、国の補助など受けない独立プロの作る作品にはこういう映画があることを知っています。
さて、このFilm Negara Malaysia(マレーシア国映画)と Perbadaan Kemajuan Filem Nasional Malaysia(国家映画発展公社)が共同プロデュースしているマレー映画 Embunへの私の評価は、A級:優秀作、B級:良作、C級:凡作、D級:駄作 に分ければC級です。
8月1日公開されたマレー映画Embunについて、公開後すぐ見て「今週のマレーシア」第309回で評しましたが、当サイトでは全然反応はありませんでしたね。まあ日本人の中でマレー映画自体を見る方がごく少ないことと、さらにお世辞にも面白い又は楽しめる映画ではないので、この映画をご覧になった方が極端に少ないことだろうと思っておきます。
マレーシア旅行される機会がある方なら、街のVCD屋でこの映画EmbunのVCDを買い求めて、日本へ持ちかえって見ることができますね。是非買い求める価値があるとまでは申しません、マレー愛国プロパガンダをどのように表現したマレー映画かということを知るには、向いている映画とは言えます。
さてこの映画Embunに対して手放しの評価でなく、学者らしいきちんとした観点の評が、8月24日付けのTheStar紙に載っていましたので、参考までに抜粋翻訳しておきます。この評を書いたのは、マレーシアと東南アジア史を専門とする元大学準教授のCheah Boon Kheng氏と紹介が付いています。
以下抜粋分
映画Embunの監督Erma Fatimaは愛国の熱情のために歴史性を犠牲にしてしまった。しかしこの映画を救っているのは、若い女性Embunの繊細でフェミニスト的な描写です。
マレー民族主義プロパガンダが映画一杯に広がり、妥協し、筋を弱めている。この映画は希望なきまで悲劇的で過激なマレー民族主義者の苦闘の意外な転回と変遷を見せることがができていない。マレー民族主義者の戦いは当時の日本人の好感を得たし、それは日本軍政権下でインドネシアの枠内で独立をもくろんだというものです。
映画の中で描写されているように、戦争中マレー人が困難と苦しみを経験したというのは否定できないであろうが、歴史的にみて、マレーコミュニティーは大規模な虐殺と拷問を経験していません。
マラヤの中国人に対する日本の方針は過酷なもので、特に占領期の最初の2年間はそうでした。一方マレー人とインド人に対する日本の方針はもっと穏やかでした。日本は先住民族(マレー人ら)により同情的であり、軍隊に雇い入れてインド解放という日本の計画のために支持を得ようと狙ったインド人に対しても同情的でした。
日本軍の残虐行為の被害者を奉る中国人の慰霊碑がペナン州とヌグリスンビラン州とマラッカ州とジョーホール州に建てられていますが、マレー人とインド人の慰霊碑は存在しません。
映画Embunは青年マレー連合(Kesatuan Melayu Muda)に指導されたマレー人地下抵抗運動を軸に展開していますが、この青年マレー連合は1941年に日本軍が英国支配するマラヤを征服するのに最初協力したのです、彼らは独立インドネシアと同盟を結んで大インドネシアを形成することを目指していたのです。
日本軍がシンガポールのチャンギ刑務所から過激な青年マレー連合の指導者と構成員を解放した場面を撮らなかったのは残念です。彼らは英雄扱いを受けたのです。
ただ1942年までに幻滅と約束破りが起き、1942年に日本はマレー民族主義の燃え上がりを恐れて青年マレー連合を禁止しました。その活動は残りの日本軍占領中抑圧されたのです。
ここで監督は日本のずるさと策略を撮って示す機会だったのです。しかし監督は日本軍の残虐性と、マレー民族のレトリックとプロパガンダに頼ってしまったのです。青年マレー連合指導部をなぐさめるため、日本はその構成員の一部を宣伝部と軍事機構に組入れたのです。青年マレー連合の議長は日本軍の中佐に任命されマレー義勇軍を設立するように命令されました。
(Intraasia注:こういったこと以外にもあれこれとこの筆者は歴史的事実の観点から、映画に現れなかったできごとや映画の事実性の軽視を書いています。そして最後にこの筆者は次のようにまとめています)
歴史的出来事にもっと沿った描写すれば、日本から独立を果たすことができなかった過激なマレー民族主義を引き立たせることができたはずです。そうすればその後保守的な貴族階級が指導したマレー民族主義者グループ、つまりUMNO、によってマラヤの独立がなぜ成功したかの深い理解に結びついたでしょう。
以上抜粋翻訳分
アカデミックな観点の映画評ですね。その意味では参考になりましたので、ここで掲載したわけです。この時期の歴史に詳しくない私でも、映画Embunを見たとき、相当事実が無視された映画だなと思って、それをコラムで吐露しましたね。例えば「どうせ描くならもっと事実に沿って描くべきだと考えます。」と。
商業映画というのは相当程度事実を脚色して製作されるのがまあいわば宿命みたいなもので、それ自体を私は責めません。ただ歴史的事実を強調して撮った映画である、と広告されるような映画であれば、その映画内容と事実との乖離又は矛盾を突いて批判すべきだと思います。
いずれにしろこの映画Embunは、マレー民族主義鼓舞のプロパガンダに満ち満ちた映画なので、真剣に映画内容を批評しても徒労に終ると私はみています。旧日本軍のマラヤ占領をどんな観点からどのように脚色して、このマレー映画は製作されたのだろうか、という気持ちで見ればいいのではないでしょうか。
私の肩・腕痛の治療記です。中医に診てもらう日本人在住者、旅行者はごく少ないようですから、参考にと書いておきましょう。
6月初めに痛みを感じてそれが強度に達した段階でゲストブックで思わず嘆いた、右肩と上腕の痛みは減りましたが依然として消えていません。こういう病気?怪我?による痛みはすぐには消えない、つまり簡単なことでは完治しないであろうと、一般知識としては知っていましたが、事実まことやっかいなものですね。それ以来医者に通ってはいるものの一進一退のように感じます。
7月4日のゲストブックで痛みと右腕の使えない不便さを嘆いた直後、「マスターの右肩も歳のせいですよ、四十肩ってやつです ツライでしょ、ふふふ」 という、今年夏のボーナスを支給しなかったマスターへのうらみをはらす(笑)メールを送ってきた”喫茶モノローグ”の茶ウエのような方もいる一方、「(知っている)伝統鍼灸医に聞いて、確かなところをお伝えしようと思いました。」というような心温かいメールを送っていただいた読者の方もいらっしゃいます。人様々ですなあ。
というような雑談はさておいて、私は7月中旬以来中医にかかっています。中医とは、華語で中国医療またはその医師のことを指し、西洋医療つまり西医に対する対語です。5年ほど前までは私は西洋医療一辺倒でした、それは全然中医を信じてなかったということでなく、なんとなく踏ん切りがつかなかったためです。あるきっかけで住居地にある有名な中医(マレーシア華人)に診てもらって以来、時に病気または症状に照らし合わせて中医にかかっています。主として風邪にかかわるような症状のときですが、今では中医もなかなかいいなと思っています。つまりどちらがいいかでなく、病気と症状と予算に合わせて西洋医か中医かを選べばいいのではないかと思っています。要するに治ればどちらでもいいのです。でも貧乏な私ゆえ且つ保険制度のないマレーシアですから、自分の予算がどこまで許せるかが医師と医院の選択の第1要因になってしまいます。
さてこの肩と上腕の痛みを診断治療してもらうべく数日間居住区などを探し迷った末、近くに昔からある、しかし初めて足を踏み入れた中医診療所に行きました。7月10日の事です。診療所なので各種の中医が曜日毎に交代をしながら常駐しています。掲示板とパンフレットによれば、骨傷・針灸科の医師、眼病医師、小児内科の医師、婦人科医師、糖尿と心血管の医師など10近い専門医が所属しているそうです。全員が中国からの中国人医師です(つまり、マレーシア華人ではない)。名前と経歴の掲示に寄れば、各医師の出身は、中国西部の陝西州の中医学院の教授、または天津中医院の講師、または中国山東中医学院副教授など、と書いてあります。
まず診療費を尋ねると、1回数十リンギットだとのこと、それならばここで診てもらおうと決心しました。掲示板(華語のみ)を読み、受け付けに尋ね、その中から私の症状に向いているだろうと判断した、天津中医院卒でそこの付属医院で医師を務めるとの経歴を持つ骨傷・針灸科の医師にかかりました。狭い治療室は数人の男女患者がそれぞれベッドなりイスで治療を受けており、付き添い人とおしゃべりしています。患者1人が1室又は1つの治療コーナー式でないのでちょっと面食らいましたが、まあ慣れればこんなものと思えばいいでしょう。数回通った結果患者は恐らく100%地元の華人だと推定できます。
この医師の治療法は電気熱ランプによる温め法ともみあげる治療法です。1回の治療がしめて40、50分ぐらい、いいのか悪いのか、私にはよくわかりません。中薬も飲めと、1週間分を渡されました。私が症状をよく伝えられる広東語を医師はほとんど解さない、一方読めてもよく話せない私の華語では細かいことはほとんど伝わらず、まどろっこしいのですが、痛いところとかの指摘はできます。彼は私の症状を五十肩だと診断しましたが、まあ病名はなんでもいいです、早く治ってくれれば。2回目の時に、医師は真空にしたプラスチック容器を複数個肌にくっつて行う真空治療法を背と肩に施しました。路上のマレー人偽治療師が客にやっているところを診たことがありますが、それを自分で実際に施されるとはびっくりしました。
この治療は皮膚がひきつってまこと痛かった、それよりも問題は皮膚に残ったあざが消えるのに2週間もかかったのです。あれは2度とごめんですね。こうしてこの医者に2、3日毎に3回通ったのですが(総費用は最初の薬代を入れて約RM130)、一向によくなった気がしないので、別の中医を探すべく同善医院へ行ってみました。
同善医院とはクアラルンプール内外の華人界向け医療施設としては最大の病院で、設立以来100年を超える伝統ある民間病院です。その立地場所がPudu Rayaの近くにあるため交通面では便利であり、建物もまありっぱ病院です。筆者はこれまでその同善医院の西医病院部門で数科に渡って何回か診てもらったことがあります。この病院の敷地内には西洋医療を施す大きな10階建ての診察棟兼病棟(西医部)と、中国医療を施す小型の古い建物(中医部)があり、両部は完全に分離しています。つまり受け付けなども全く別個に行うのです。
これまでその中医部には足さえ踏み入れたことがなかったのですが、存在だけは知っていましたので、今回訪れてみたのです。その日7月17日は情報収集目的だけで診てもらうつもりはなかったのですが、成り行きで診てもらうことになってしまいました。この中医の面白いところは、地元マレーシア華人医師(所属医師として7人の名前が書いてある)が診察治療する部門、中国北京にある中国中医研究員から客員医師として4人の医師が常駐する北京中医部門(北京専科センター)、中国南京中医薬大学の医師4人が常駐する南京中医部(南京専科センター)、の3部門に分かれており、診察治療場所だけでなく受け付けも会計も別別に行います。
初めて訪れて仕組みを知らず且つ中医のことがよく分らないので、まず地元華人医師部門の受け付けで、「初めて来てよくわからないので、どの部門がいいでしょうか?」と広東語で尋ねたら、「どこが良いとはいわない、自分で決めろ」とそっけない返事が返ってきました。こういうそっけないところがいかにもマレーシアの病院の受け付けらしいところです。尚地元医師は全員が毎日勤務しているわけではありません。
で掲示板に張ってある経歴と説明文(華語のみ)をあれこれ読み比べて、南京部門をとりあえず訪ねました。そこの受け付けで費用を尋ねたところ1回大体RM50ぐらいとのこと、予算超過なので迷いましたが受け付けが診てもらえというので、その場で診てもらうことになったのです。主体性のないことですね。その前に針灸医師と骨傷推拿科医師のどちらがいいかなと迷いましたが、これは張り紙してある経歴と専門を参考に、骨傷推拿科医師に決めました。その他2人の医師の専攻は経歴書に寄れば、男性病専科と婦人病専科です。
このようにすべてはとにかく診てもらってから判断するという状況でした。この医師の施す治療法はマッサージに似た推拿を10分ほど受け、その後電気治療を20分ほど受けるものです。この場でもこういう治療法が向いているのか向いてないかは、私には当然判断がつきません。しかし推拿中にも患部に痛さを感じるのでとにかく我慢して治療をうけるしかありません。医師は中薬を出すといいましたが、RM50に加えて薬代では私の予算完全オーバーなので断りました。今でも分らないけど、中薬は摂取した方がいいのでしょうね?。
南京中医部の医師は皆南京中医薬大学出身で且つそこの教員なのです。私の受診している医師は肩書きが副教授となっています。南京中医薬大学と同善病院の契約で派遣されて来ているのでしょう。中医建物内の数箇所にそれぞれの医師の経歴書が張られていますので、それによればこの副教授は、著書もあり30編の論文も発表していると書かれています。でそれがどうした、とも言えるし、ほー、すごいなと捉えることもできます。要するに経歴はりっぱです。別にそれにひかれたわけではないですが、何となく数日前まで治療を受けた医師より私の症状には向いてる気がしたので、続いて2、3日後また同南京中医部を訪れました。そして同じ治療法を受けました。治療費は毎回同じのRM50です。
患者がいつも順番を待っているので、1時間半から2時間ほども待たなければならないのです。つまり人気はそれなりによさそうです。首、肩、腰、足首、腕、膝などに問題ある人が診てもらっています。見る限りどの患者も推拿に加えて電気治療又は針又は真空治療法を混ぜて受けています。これまで出会った患者は全員華人であり、マレー人が来院するとは考えづらいですね。治療室には2つのベッドと2つほどのイスがあり、男女患者を常時数人治療室に入れて治療する方式です。これだけ見ても、マレー患者には向いてない方式ですね。
医師は全然広東語を話さないので、またまた詳しい伝達コミュニケーションはあきらめざるを得ません。とにかく尋ねた私の質問に医師の見立ては神経痛とのことです、まあ五十肩も神経痛の一種だから、病名は重要ではないですね。毎回よくできない華語で症状をごく簡単に伝えるか又は広東語で看護婦経由で伝えますが、医師がほとんど説明してくれないのが残念な点です。この医師はあまり患者と話さないタイプのようで、他の患者にもほとんど説明してないし、さらに私に話しても分らないだろうと思っているのかもしれません。
私はその日以来8月2日まで、毎週2回づつ南京中医部を訪れました。毎回推拿というマッサージ兼指圧のような治療法を受け、その前後に患部に対して電気治療又は電気針治療を20分ほど受けるのです。後電気治療と電気針治療を交互に受けたので、6回目の時どちらが向いているのかと尋ねたら、どちらでもいいという返事です。そんなものなのかなあ。 推拿、電池治療、電気針のいずれを受けているときでも、肩と腕の患部部分に常に痛みを感じますので、この痛みに我慢して耐えながら、早くなってくれないかなと思うしかありません。6回目の時、真空療法、つまり竹の筒を一瞬真空にしてそれを患部の皮膚にくっつけて10分ほど吸引に耐える療法です。あれー、またあざが2個もできてしまったのです。この治療法は、体内の気を取る、というのか逃がすというらしいですが、このあたりの中医の理論ははよくわかりませんね。
こうして、7月中旬頃あった激痛は確かに減りましたが、腕と肩の動かし方によってはぎくっという痛みが時々腕に走り、まだまだ肩と腕の重い感じが残っています。夜寝る時ベッドの上で寝転がる角度によっても腕に負担がかかると少し痛いのです。ですから、この文章を書き終わった8月6日現在(これまで7回通った)、右肩と上腕の症状は、1ヶ月前の重症時に比べれば確かに良くなってきたと思いますが、まだまだ完治への道は遠いように感じます。私の訴えに医師は、「神経痛だから」とあっさりと答えています。何年か前に痛めていまだに多少残る腰痛に加えて肩痛にもなるなんて、とわが身体に衰えが来たのだろうか?年齢を重ねたせいだろうか?いつまで出費が続くのだろう?と金の負担と身体の不調さにため息をつかざるをえません。「マスターの右肩も歳のせいですよ」 というAuntieこと茶ウエの突き放したことば(笑)が身にしみるこの頃です。
筆者はずっと前からマレーシアのあるニュースグループに加入というかそれを購読していますので、毎日何通か時には十数通ものニュースグループメールが届きます。ニュースグループのメンバーの中には他のニュースグループのメール内容を紹介したりいろんな発信場所からのニュースを転送投稿する人がいるので、マレーシア国外発信の記事・ニュースもよく載ります。その中でたまたまタイトルに目が行って読んだメールに載っていた、論説文の一部分が次の文です。難度の高い英文ですので翻訳しておきます。
タイトル:Muslim Women as Symbols and Pawns (シンボルとしてまた人質としてのムスリム女性)
近代主義に関する思想的戦いが西欧化のシンボルとしての解放されたムスリム女性に焦点をあてた一方、本当のイスラム的生活の無欠完全な状態への脅威としても焦点をあてた。
ムスリム世界では、この件に関する説明・見方は何回も繰り返し演じられてきた、そして女性を見る観点の違いが西洋と東洋間における争いにまさしくほかならないということを意味することになった。 西洋世界はそのイスラム教描写における女性の立場を抑圧的で退歩しているものとして集中させることで、こういった理解に貢献したのである。
By RINA AMIRI ( senior associate for research with the Women Waging Peace Initiative at Harvard's Kennedy School of Government)
この論説の中で世界を西洋と東洋に2分割して(原文ではbetween East and West) トルコから東を全てEast と片付けるやり方、区別法はいかにも米国の学者らしい見方ですね。西欧以外をすべて東と片付けられては、インドやアラブ世界とは全く別世界を構成する日本や中国や韓国の東アジア世界はたまったものではありませんからね。
そしてこの文の中で述べられている 「女性を見る観点の違いが西洋と東洋間における争いにまさしくほかならない」という表現において、この論説の筆者は暗に文明の衝突論を肯定しているのかもしれませんが、女性を見る観点は何も”西と東”の間で違っているだけでなく、インド世界と東アジアの間でも相当違っているし、東アジアの中でも20世紀初頭と21世紀初の現在では雲泥の差であります。女性をみる観点の違いを文明の衝突に結びつけるのはナンセンスな論点だと思いますが、百歩譲ってキリスト教社会を基底とした西欧とイスラム世界に文明の衝突があるとする、でイスラム世界と東アジアの間に文明の衝突が起るのであろうか又はすでに起っているのであろうか?答えは否定ですよね。
東南アジアの代表的なイスラム国であるマレーシアでムスリムと非ムスリム間に衝突は起っていませんが、両者間の考え方と行動の違いは時には大きな隔たりと溝を生んできましたし、現に生んでいます。複数の宗教信者からなる多民族が国民を構成しておれば、当然行動、思考、文化、食慣習、使用言語に違いは出てきて当然であり、時には自民族以外には通用しない論理を振り回します。しかしそれだからといって即衝突に結びついていない、なぜかそれはそれぞれが違うということが人間社会の特徴であり、その違いを前提として多民族社会では生きていかねばならないからです。
それぞれの民族間に考え方と行動の違いが生まれるのは単に宗教上の違いからだけでなく、その民族の養ってきた歴史と文化と価値観に基づく面があるのです、さらに大きな要因は経済発展度の違いですね。これらの違いが時として宗教の仮面をかぶって表面化するのです。ですからいさかいや衝突の原因を宗教のせい”だけ”に結びつける見方がいかに表層的かがわかると思います。マルクス主義はこういったいさかいや衝突を階級発展度の違いの面から分析して労働者階級による革命の必然性を説いたのですが、そこに欠如していたのが民族性である固有文化や宗教や言語、価値観の違いを軽視したことだと筆者は捉えています。一方最近また話題になっている文明の衝突論議は、宗教の違いへの過大なる依存に基づく分析ではないでしょうか?
現れた(る)現象を単一の座標軸のみで評価してしまうことは避けなければなりません、しかし分析する主たる座標軸を決めることは必要です、それがないと何を基準に分析していいかわからなくなり漠然としてしまいますから。こういった観点を持っているのが、筆者のマレーシア分析の手法なのです。
長い前論になりましたが、論議上必要な説明です。本題にはいりましょう。
上記で描写したような状況にあるマレーシアで一人の住民として暮らせば、必然的に民族間の価値観と行動と思考の違いに気づき、時にはそれを楽しむこともあるし時にはそれに憤慨することもあります。
マレーシア観察者として筆者はできるだけマレーシア人、今回のコラムではマレー人を中心としたムスリムを対象ですが、を理解するように務めてきました。しかしそれでもどうしても彼らの意識と考えが理解できない事柄、それが時には憤慨に結びつく、もでてきます。尚ここでいう理解できないとは、考えはわかるが意見には反対だということではなく、意見にはもちろん反対だし、その考え自体がよくわからない、だから憤慨するということです。
この代表的事柄にセックスに関することがあります。筆者はマレーシアのムスリム(の一部に)向かって、「一体あなたたちはセックスが嫌いで嫌いで、セックスという言葉を思い浮かべるだけでも嫌な気持ちになるのですか?」 とか 「セックスが大嫌いだが、単に子供作りのために仕方なく一生に10回程度しかセックスしないのですか?」 と聞きたい気持ちになります。
なぜなら、このばからしい質問をせざるをえないほどあきれた思考法に時として出会うのです。そこでその例として、少し前ニュースになった出来事を2001年12月7日付けの新聞記事から掲げてみます。
スランゴール州はコンドームの販売を薬局と医院だけに制限することを考慮中です。州首相は、スーパーマーケットなどで販売されているコンドーム販売をやめるように、というスランゴール州青年会議の提案に基本的に賛成である、と述べています。「宗教体はこの青年会議の提案を支持すると決定した。セックス行為に容易に影響を受けてしまう若者に、特に10代の若者、オープンにコンドームを売るのは悪い影響を与えるということに同感です。」 と州首相。
以上
コンドームの宣伝さえも許されていないマレーシアでコンドームがオープンに売られているなどと、通常は誰も思わないでしょうが、現状程度でも一部の保守主義者や宗教人には我慢できないということでしょう。コンドームが重要な防疫用具であるとしているエイズ協会はもちろんこういった動きに反対です。しかしこういう宗教的思想を背景にした動きはゆっくりと強まっていますね。筆者はこの記事を読んで、すぐそんなことを感じました。
このニュースに対する市民の反論は後日新聞の投書欄にもいくつか載っていました。まさに当然と言える反応です。その中で一番要点を得ておりさすがだと思わせたのは、これまでもたまに当コラムで紹介してきた マレーシアエイズ協会の会長(議長)であるMarina Mahathir 女史の発言です。それがコラムの形で12月12日付けThe Star紙に載りましたので、抜粋して紹介しておきます。
前半略
コンドームを禁止するのが結婚前のセックスの問題を解決すると主張するのは、浅薄な思考の典型的な例です。誰もセックスをするためにコンドームを必要としなかったとする、その結果、AIDS/HIVを含めたあらゆる性病にかかる人が出てくる、それに望まない妊娠をしてしまう人も出てくる。コンドームは容易に入手できる、しかしそれでも、我々はこういった(病気、望まぬ妊娠)問題を抱えている。これは明らかにコンドームが使われなかったからです。
理由は簡単です。コンドームを使うのは罰当たり,または邪悪であると考える人が多いのです。この人たちは罪深いであろうことをしていながらでさえ、そう考えるのです。相談の秘密をばらさないと信用されているカウンセラーはしばしば次のように報告している、「結婚外でのセックスに活動的であると認めている人たちがいるが、その人たちはコンドームを使わない、なぜならコンドームを使うのは罪深いことだと考えているからです」。彼らはこの2つの間(婚外セックスと婚内セックス)になぜ相違をつけるのか、十分に研究に値します。しかし一般に人々はコンドームを使わずにセックスをするという事実は残ります。コンドームを使おうという人たちでさえ、使いません、なぜなら必要な時に入手するのが難しいからです。
コンドームは相手を選ばないセックス行為を招くという言い方は、決して証明されたことのないものすごく古くからある議論です。しかしその反対(コンドームは不特定相手のセックスを招かない)はすでに何回も証明されているのです。
全国家族発展評議会は青年と性的関心に関する研究を数年前に実施し、そこで発見したことは、性的に活動的だと認めている青年のうち、わずか5%だけがコンドームを使っていたということです。この研究はコンドームが人々の性的性的行動に違いを生まない事を証明しているだけでなく、安全でないセックスが頻繁に行われているということをも示しているのです。
コンドームは結婚しているカップルとHIV陽性の者だけ対象にして且つ処方せんに基づいて売るべきであると主張するのは、あまりにもばかげた提案で、暗黒の時代のそれであって、21世紀のそれではない。自分たちの性的行動またはHIVであることを他人に伝えることなく、処方せんを入手できる人は一体どれくらいいるだろうか?HIV感染者から特にその妻に対して責任を持つ行動するための手段を取り上げておいて、HIV感染者が責任ある行動すると、我々は期待できるのであろうか? 現在でもすでにそうだが、妻たちはHIV感染の夫から感染されないために夫にコンドームを使うように説得するのが十分手間がかかるのです。(こういう提案によって)彼女らの生活をなぜさらに困難にするのであろうか?
これらは社会問題に対して、あまりにも単純で理屈になってない、そして懲罰的な2つの例です(Intraasia注:一つはこのコンドーム販売制限提案で、もう一つはここでは省いた麻薬患者の隔離問題の件)。問題はです、こういった提案が(それを発表した当局の)面子を失うことなくなったときに、これらが大衆向けに発表されることです。しかしもっと道理にかなった方法を取っておけば、こういったことは防げるのです。
後略
以上
この記事が載った後日である12月13日付けの新聞に次の記事が載りました。スランゴール州州首相は明らかにその調子を緩めましたので、この発言だけを読むと、コンドームに対して一見理解に至ったかのように見えますが、基本的な発想は当然まったく変わっておりません、実際の思考は上に掲げたところにあります。こういう思考はまた近い将来形を変えて表出されてくることでしょう。
(先にコンドーム販売制限を提案していた)スランゴール州州首相は再度(説明内容を少し変更して)語っています。州政府はコンドーム販売を制限するつもりはないが、しかしコンビニ、スーパー、薬局などで行われているようにカウンターにどうどうと展示して販売してはいけないと提案しています。「キャンデー、チョコレート類と並べてコンドームを堂々と展示するのは店主として不適当である、こうすると子供や10代の青少年から不必要な注意を引くことにつながりかねない。」
「この件に関して実際以上に深刻なものとして捉えられてしまった。我々はコンドーム販売の制限を提案しなかった。コンドームは大人が使うものであるから、それをキャンデーみたいに堂々と展示させるべきではないと言ったのです。」 これは州首相が先日支持を述べたコンドーム販売制限への批判に答えたものです。
この販売制限提案に批判した中には、女性と家族発展省の女性大臣、NGOのエイズ協会などがいました。州首相は今回付け加えて、衛生的に行うようにまたはエイズ予防のためにコンドームを使うのは支持するが、コンドームがカウンターで簡単に買えるようなことは反対だとしています。「コンドームを店が売るのは間違いではないが、そういった物は控えめな場所に置いておくべきです。」
以上
ニュースグループでのNGOの発言や新聞の投書を見ても制限への反対論が掲載されていました。まあごく当然の反応ですが、こういうコンドームへの販売制限を言い出すのは、何も都会に全く関係なく田舎(kampong)でずっと暮らす人や年配者とか宗教者だけではないのです。この州首相は30代後半の若い政治家で、本来の職業は歯科医なのです。つまりこの思考法の背景にイスラム教は当然あるが、しかしそれだけではない、もっと複合的な背景から出てきた発言及び思考ですね。マレーカンポン時代から続く守旧主義にイスラム教をまぶせた非近代主義の発想がこもっていることに筆者は気がつきます。非近代主義?一番上で引用した米国の学者の一節にもありましたね。しかし内実は違います。
なぜか?それを説明しましょう。
コンドームのような合理的手段の使用は近代主義の最たるものの一つですが、コンドームの使用やおおぴらな宣伝に反対するムスリムはすべて反近代主義者かというと、それは違うのです。コンドーム販売制限者、使用反対者が、コンピューターを駆使し携帯電話を駆使する極めて現代的ムスリムである場合も多いのです。つまり近代主義に抵抗するイスラム教とその信者という図式では理解できません。マレー民族の持つ基層的生殖観と守旧主義に固執した思考がイスラム教に影響を受けた結果が、コンドーム使用やセックス観に現れていると筆者は見ています。つまりイスラム教という座標だけでこのコンドーム使用・販売制限思考を分析するのは不充分だと、筆者は思います。
とにかく、筆者を含めて当サイトの読者ならこういう思考の持ち主とは絶対に且つ永久に溝が埋まることはないでしょうが、文化相対主義者の筆者としては、溝に橋をかけて時々そちらへ見学しに行くことも必要です。ただもう一度橋を渡って我領土に戻れば、コンドーム販売と宣伝奨励、セックス好き人間にまた戻りますよ。
この数ヶ月虎のニュースが時々新聞種になります。それは主としてクランタン州で人が虎に襲われた出来事が今年4回も起こり、3人は重体又は死亡となったからで、さらに人を襲った虎の射殺命令をクランタン州州首相が8月中旬に出したことに対する反対論も頻繁に現れています。
虎は、華語(中文)では老虎、英語ではTiger なので、余談ですが華語紙では有名なプロゴルファーのTigerWoodsを"老虎"と表記します、ここらが中国漢字の面白さですね(老は老いたという意味ではありません)。虎をマレーシア語ではHarimau といいます。ハリマオ? そうです、あの有名なハリマオは虎のマレー語(当時はマレーシア語ではない)をその呼び名につけた又はつけられたわけです。ハリマオは太平洋戦争時代中の旧日本軍の諜報機関員だったそうで、彼の物語は映画などでは脚色されているそうですね(実際に見たことはありませんし、興味もないので詳しいことは知りません)。
筆者にとってハリマオは、スパイなんかではなく、ずっと昔のテレビの子供向け番組名且つその中の主人公でした。その白黒テレビ番組が人気を呼んでいたのは、確か筆者の小学校高学年時代か中学校低学年だったはずだから1960年代中期でしょう。誰が主役を務めていたか覚えていませんが、その主題歌の1節とメロディーを今でも覚えており、そこに「南の島」ということばが出てくるようにそのテレビ番組”怪傑ハリマオ”は、南国が舞台でした。ハリマオが虎だとも、南国がマラヤ(現在のマレーシアの前身)だとも当時の筆者は当然知らずに毎週そのテレビ番組を見ていたことでしょう。
それから37,8年近くたった今ハリマオの話題をここに書くのは奇遇なことですね。といっても動物の虎の話題ですよ。
マレー半島に大昔から生息している虎の生息数は、1950年代当時英国植民地政府の役人の推定で5000頭だったそうです、これがどのくらい科学的根拠を持って調べた数字か知りませんが、はっきり言えることは虎が数千の単位で当時は生息していたということでしょう。野生動物の保護をその任務にする野生動物保護と国立公園庁、通常Perhillitanとマレーシア語の頭文字で呼ばれる、が1997年に推定した虎の生息数は、600頭から650頭だそうです。この半世紀マレー虎が減ってきて今では絶滅にひんした種に指定されているぐらいです。誰の目にも明らかなのは、半島部の開発によって虎の生息地が減っているとことでしょうし、今後この傾向がすぐ収まることは難しいと思われますね。
虎による人への襲撃が起ったのはクランタン州のJeli地方とTanah Merah地方であり、もちろんコタバルのような都市部ではありません。JeliもTanah Merahもそれぞれの地方の中心町の名ですが、そこをとりまく郡部・山間部は想像するにジャングル地の多い地方なんでしょう。虎に襲われたのはいずれもゴム農園で働くゴム採取労働者です。
一番の原因は虎の生息地を狭める形で開発が進んでいることだといわれています。ゴム農園であれパームオイル農園であれ、それは自然のジャングルを切り開いて人工的な植林をした地帯です。ここでは開発といっても住宅団地を建設するという意味ではなく(そんなところに住宅団地を造成しても住む人はいない)プランテーション農園を造成するということです。そして当然そういう開発によって、虎のようなジャングルの動物は生息地を追われ又は狭められますね。その結果十分な行動領域や生息地を失った虎や象が、餌を求めて人間の働く農園に出没してくるというのが、ジャングル動物と人間の遭遇に結びついていると、専門家は説明しています。
このジャングル動物と人間の遭遇に際して、人間側で被害を受けるのは、決まって農園労働者や農園に住むその家族、ジャングルを行動と住居にするオランアスリの人々です。農園労働者は社会の下層労働者の代表的存在です。虎と人間の遭遇において二重に悲劇であるのは、被害者になるのは開発を進める企業や経営層、開発を許可した役人ではなく、その末端で働く下層労働者かオランアスリである、という構図が見えてくることです。襲われる可能性があるこの方たちが、野生動物庁に虎を射殺して欲しいと要求するのはまこと当然のことですね、それに答えて州首相は射殺命令にOKを出したのでしょう。
8月20日付The Star新聞の「共存を見つける道」と題した記事は書く。
以下記事から抜粋して訳す
州首相の決定は多くの反対を呼んでいる。まず第1に、虎は絶滅に瀕した種であることを州首相は無視している。第2に、野生動物法の下で虎は保護されている。第3に、この決定はうまく機能しないだろう、ということです。世界自然保護基金マレーシアの虎保護の専門家は説明する、「ある虎をある生息地から抹殺しても、それは短期間だけの解決策です。それは虎には支配領域を持った行動癖があるからです。虎はそれぞれ支配領域をもっている。もしその支配地域が取り除かれると、その空いた地域を別の虎が支配する事になるのです。ですから虎を射殺しても問題解決にはなりません。無実の虎がさらに殺されるだけなのです。」と。
実際クランタン州に限らず他の州に生息する虎は、人間に具体的に危険を与えていないにもかかわらず、射殺されてきました、それは虎が人間を餌食にすると考えられたからです。「数週間前にJeli地方で射殺された虎は間違って殺された」 というのは、この虎はゴム採取女性を襲って殺した虎ではなかったことが、射殺後の検死でわかたのです。
この専門家は考える、虎と人間の衝突の長期的な解決策は、虎のいる森林を乗りきっていくことではなく、虎と人間がそれぞれ生きる空間を持ち合うことを許すような対策を尽くすことである、と。虎は通常人間を避けるのでこれは可能です。「虎は人間の行動によって人食い虎にさせられたのです。土地を切り開いていくことで虎と虎の獲物がその生息地から追い払われて行きます。」
さらに農園の人に、農園周囲に生い茂らせている下草は虎が人間の居住地に近づく時虎が隠れるのに好都合になっている、とこの専門家は説明します。トレンガヌ州のDungun地方などでは放飼いにされた家畜が森林開発で生き場を狭められたであろう虎の餌食になっている、という調査結果もでています。
(こうした生息地を奪う)開発や野生動物の密猟や人間との遭遇によって虎の生息数は将来さらに減って行くことが心配されています。「半島部には森林が残っているまあまあの地域がいくつかある。しかしこうした保護地は互いに離された位置にある。もしある虎が他のトラの集団から離れた位置で生息しておれば、長い目で見れば生存の確率は悪化していく。」
虎を見つけ次第殺すのは解決策ではない。虎を生け捕りしてもこれまた別の問題を起こすだけである。これまで生け捕りされた虎は全てマラッカ動物園へ送られた。しかし動物園で繁殖させた虎は1982年に始まり、この10年間に成功裏に100匹を数えた。連邦政府からの予算は限られている。虎を送られる動物園は限られているし、成長したトラ1匹の飼育は年間RM24000もかかるのです。繁殖させた虎をジャングルに放すのは全く問題外である、そういう虎は新しい環境に適応できないからです。
こういった問題を解決する策を半島部で施行しようとして、世界自然保護基金マレーシアとPerhilitanは共同で働いています。理想的な方法は人間と虎の隣人としての共存です。そのためには、ジャングルとプランテーション農園の間に存在する緩衝地としての森林を増やすことであり、虎生息地近くに住む人たちに虎との遭遇を避けるような教育をすることであり、農園と森林開発に制限を設けることです、と。
以上
筆者はとりたてて自然動物保護運動家でも毛皮廃絶主義者でもありませんが(毛皮など最初から持っていません)、売られている動物の剥製を見たり、中国医薬局や観光客向け土産物ショップに時に並べてある虎の身体部分から成る精力薬を見ると、首をかしげたくなります。エキゾチックな動物の剥製を飾る気分にはなれませんし(例え金銭的に買えたとしても)、そんな精力剤を使ってみたいという気分にもなりません(例え使う必要があったとしても)。これらの動物製品は単なる動物虐待の姿にすぎないと思います。日本はいまだに象牙や虎の身体部分の輸入国だそうですので、その種の物を買いたがる、ありがたがる日本人も批判しなければ、マレーシアの虎生息地を奪うような開発を批判するだけでは手落ちになりますね。
マレー半島部の広大なジャングルに虎がもう600匹ほどぐらいしか生息してないというのは、しろうと考えでも少ないと感じます。たった600匹、これじゃ虎同士が遭遇する機会は限りなく少なくなっていくのでしょうね。人事いや虎事とはいえ、まこと可愛そうな気がします。筆者にとって虎は特に好きな動物でも興味ある動物でもありませんが、最近の虎のニュースにちょっと気になったので、今回コラムに取り上げてみました。ところで、筆者は虎年生まれではありませんよ。