・初心者と中高校生のためのマレーシアに関する99の問答 (前編) ・99の問答その後編
・2000年全国人口調査の統計報告書を読む 前編 ・小泉首相のマレーシア訪問に際して華語紙の論と感想
・マレーシア社会を巡って読者との意見交換 ・2000年全国人口調査の統計報告書を読む -中編-
・マレーシア語新聞にみるシャリア法廷での離婚裁判例 ・マレーシアのいろんな事柄と雑学に知識を増やそう、その2
・2000年全国人口調査の統計報告書を読む 後編 ・マレーシアのテレビ番組事情−タイのテレビ番組との比較を主として
質問1:総人口はどれぐらいですか?
答え:2010年中頃時点で2,825万人です。その内92%がマレーシア国民です。
質問2: 国歌はマレーシア語ですか?
答え:そうです。題名を Negaraku といい、マレーシア語でわが国という意味です。この歌はペラ州の州歌を基にしたもので、1957年のマラヤ連邦独立時に国歌に選定されたのです。
質問3:イスラム教は国教ですか?
答え:そうです、国教はイスラム教だと憲法に書かれています。ただ非ムスリムには宗教の自由が認められています。
質問4:ということはムスリムはイスラム教から離脱または他の宗教へ改宗できないのですか?
答え:現実として認められていません。
質問5:国花は何の花ですか?
答え:マレーシアの国花はハイビスカスです。マレーシア語でbunga raya といいます。
質問6:マレーシアはいくつの州から構成されていますか?
答え:半島部に11の州、ボルネオ島部に2つの州、合計13の州です。且つ連邦直轄領というのがあります。
質問7:その連邦直轄領とはなんですか?
答え:その統括権が州でなく国に属する自治体のことで、具体的にはクアラルンプールとラブアン島とPutra Jayaの3自治体です。
質問8:マレーシアが独立したのは1957年ですよね?
答え:正確に言えば、違います。マラヤ連邦が独立したのが1957年8月で、現在のサバ州とサラワク州は当時マラヤ連邦には属していません。マレーシアという現在の国体ができあがったのは、1963年9月です。従って、一般に言われる”マレーシアが独立したのは1957年”というのはあまり正しくないのです。
質問9: マレーシアは君主制ですか?
答え:そうです。立憲君主制で、国王が元首になります。
質問10:国王は世襲制ですか?
答え:違います。半島部にある9つの州のスルタンから互選(実質は輪番制)で5年任期の国王を選出します。
質問11: マレー人とインド人は手で食事するのですか?
答え:一部正しく一部間違いです。まず手ではなく、右手の指を使って食物を口に運びます。この食べ方は場所と食事内容と且つ個人の好みで相当違いますので、指で食べる人は多いが、そうしない人と場もたくさんあるということです。
質問12: マレー料理って辛いんですよね?
答え:一般にその通りです。いろんな料理にはチリを混ぜることが多く、さらにカレー粉を多用するからです。
質問13: マレー料理に豚肉使っていいのですか?
答え:もちろん使いませんし、使えません。イスラム教で禁じられている豚肉がマレー料理に加わることはありえません。
質問14: 屋台などでの大衆中華料理に餃子を見かけませんが、なぜですか?
答え:マレーシアの華人の先祖は中国大陸の南方出身の人たちがほとんど全部を占めます。従って大陸北方の料理は大衆料理としては珍しいのです(例外はある)
質問15:”Halal" という文字をよく見かけますが、これはなんのことですか?
答え:イスラム教で食することが許されている、という意味です。
質問16:ということはムスリムが食べてはいけない飲食物や料理があるんですね?
答え:もちろんです。一般に中国・中華料理は、大衆料理店であれ高級レストランであれ、Halal料理ではありません。そこで供される(中国・中華)料理・食事が Halalの場合だけ、Halaal と書いてあるのが普通です。
質問17:日本でいう弁当とかランチボックスってマレーシアでも店で売られているんですか?
答え:コンビニで弁当類は売られていませんが、その替わりに大衆食堂と屋台では、発泡スチロールなどの容器に料理を詰めてもらって持ちかえる方式が、ものすごく一般的です。これをbungkus といい、この方式は朝から夜まで時を選ばず盛んです。
質問18:インド料理で皿の替わりにバナナの皮に載せて食べるカレーご飯って相当辛いのでしょうか?
答え:バナナリーフカレーですね。結構カレーと香料がきついですよ。カレー汁の種類によって辛さに違いが随分あります。
質問19:肉骨茶というのは茶ですか、それとも料理ですか?
答え:各種ハーブを加えて煮こんだスープに豚肉の各部位と野菜などを加えた料理です。福建人の始めたマレーシア華人料理といわれています。スープの味がその肉骨茶の味と人気を決めるほど重要ですね。
質問20:お勧めマレー大衆料理は何ですか?
答え:人とそれぞれ好き好きなのでこれは絶対という答えが出ません。ただ筆者はナシダガンかナシルマをお勧めします。
質問21:バイク乗りが上着の背中部分を身体の前面にして着ていますよね、つまりエプロンみたいに上着を着るスタイルであり且つ背中部分でボタンやジッパーを締めない人も多いですね。なぜあんな奇妙な着方をバイク乗りはするのでしょうか?
答え:まず上着を普通に着ると、走行中に背中部分に風が入って身体の後ろ部分が膨らむから、その状態をマレーシア人のバイク乗りは好まないのです。もともとゆったりとした服装の好きなマレーシア人は上着もゆったりとしているので、風のふくらみはさらに大きくなります。2番目の理由は、皆がやるからそれを真似しているだけのバイク乗りも結構いると思います。
質問22:自動車には強制保険がかかっていますよね
答え:そうです、毎年支払わなければならない道路交通税を支払う時に、自動車強制保険の加入又は更新して保険料支払い済みが条件になっています。
質問23:一般に自動車はウインカーを出さずに右左折しますが、あれって違法ではないのですか?
答え:もちろん道路交通法上は違法です。しかしその程度で交通違反で捕まることはありません。だから半分ぐらいの車はウインカーを出さずに曲がります。
質問24:歩道橋があっても渡らない人が、特に若い子でも多いのはどうしてでしょうか?
答え:学校で交通安全思想の教育が十分なされていないので、そういう行為が平気で行われるのです。
質問25:歩行者用信号は大都市の人通りの多い限られた交差点にしかないのですね?
答え:そうです。一般道路にはごくごく少ないです。歩行者用信号が設置されている場合は、大都市の有名繁華街の交差点と交通の激しい道路に面した学校がある場所がほとんだと言えるでしょう。
質問26:国産自動車のProton車は同じクラスの車よりどの程度安いのですか?
答え:排気量はいっしょでも車のブランドで評価が違いますから比較が難しいのですが、Protonの1600ccの新型車でRM6万ぐらい、カローラの新車でRM10万強といったところです。
質問27:一般に道路の最高時速は何Kmですか?
答え:市内地では時速 60km、市街地を外れれば時速90Km になります。高速道路では最高時速 110Kmです。しかしいずれの場合も、場所と時期によって最高時速がそれ以下の速度に制限されます。
質問28:救急自動車を呼ぶ電話は何番ですか?
答え:999です。しかしこれは全国どこでも通用するとはとても言えません。なぜなら全国津々浦々に至って救急自動車網が出来上がっていないからです。
質問29:バイク乗りは一方通行道路を逆走行する、双方向通行の道路でも片側の端を逆に走る、歩道上を走るといったように、交通法規無視して走行していますが、なぜ警官は捕まえないのですか?
答え:もちろんそういった走行は違法です。しかし相当高速で逆送したり歩道を高速で走らない限り、まず交通警官は違反行為で取り締まりません。だから交通警官の目の前でもそういう走行は全く減らないのです。
参考:バイク乗りの交通事故死者の高さ(警察発表の数字から)
1996年から2000年までに交通事故で死亡した人数は30175人でした。うち17876人がバイク乗り及びその同乗者です。歩行者の死亡数は2971人です。交通事故死者数の全体の4割弱が若者です。
質問30:自動車の外側に時々大きなPの文字が張られているのですが、あれは何ですか?
答え:日本で言えば初心者マークにあたるとも言えますが、違いがあります。"P"とは probationary つまり試用という意味なので、"P"を掲げなければならない2年間は試用免許期間ということです。その間に事故や違反を起こしたことで減点数が規定の点数に達しなければ、手続きを経ることで通常免許に格上げされる。
質問31:マレーシアで一番盛んなスポーツは何ですか?
答え:バドミントンです。
質問32:ではマレーシアがスポーツ種目の中で世界的に強い種目は何ですか?
答え:これもバドミントンです。そのために国民的に人気があり選手も多いのです。
質問33:マレーシアにプロサッカーリーグはあるのですか?
答え:あります。マレーシアスポーツ界唯一のプロリーグです。各州別にチームを構成しています。
質問34:マレーシアのサッカーは世界の中でどの程度の実力でしょうか?
答え:国際サッカー連盟が発表した2001年8月の世界各国サッカー番付で、マレーシアは109位、東南アジア中でも中クラスです。
質問35:陸上とか水泳で世界的に有名な選手はいるのでしょうか?
答え:いません。昔々確か一人ぐらいメダルを獲得した人はいたようですが(未確認)、80年代以降オリンピックでメダルを獲得するような選手は一人もいません。
質問36:若い選手を育てる英才教育はないんでしょうか?
答え:スポーツ専門大学はありません。ただスポーツ専門の中学校、つまり12才から17才までの生徒を対象にした中高学校が全国に2校あります。
質問37:英国人がもたらしたスポーツは今でも人気ですか?
答え:クリケットやポロはスポーツ種目として行う人の数からいえば極少数であり、大衆的に人気あるとはとても言えません。
質問38:寒い国でのスポーツ、例えばスキーとかスケートはスポーツとして存在していますか?
答え:スケートは大都市の有名ショッピングセンターの中にごくわずかですが屋内スケート場を設置している所があるので、一部の都会人にスケートは娯楽スポーツとして存在してます。しかしスキーは屋内スキー場がないので、どんな形でも存在していません。
質問39:ボーリングは人気ありますか?
答え:ショッピングセンターの中にはボーリング場を併設している所が案外多いので、手軽なスポーツとしてそれなりに人気があります。
質問40:スポーツ選手が芸能界デビューするようなことはありますか?
答え:少なくとも国のトップレベルであった選手が芸能界に転出した又はそうして成功した例はありません。
質問41:マレーシア人の一番こだわる果物は何でしょうか?
答え:マレーシア産、タイ産に関わらず、ドリアンでしょう。個人の嗜好によりますから、大好きな人も多い一方ほとんど食べない人も中にはいます。一般にマレーシア人はドリアンが好きと言っても間違いではありません。
質問42: マレーシア産で容易に買える果物にどんな種類があるのでしょうか?
答え:パイナップル、メロン、パパイア、スターフルーツ、ドリアン、バナナ、マンゴ、スイカ、ジャックフルーツ、ランブターン、ポメロ、などです。
質問43:ドリアンはホテルに持ち込めないって聞いたのですが、旅行者はどうやって食べればいいのですか?
答え:ドリアンの季節には路上のドリアン屋がいろんな場所に出現するので、そういう屋台店の中にはその場で食べる場を設けた店もあります。さらにスーパーでは中身だけをサランラップに包んで売っていますので、それをホテルに持ち帰ればいいのです。
質問44:マレーシアで採れない果物も一般的によく売られていますか?
答え:もちろんです。ニュージーランドのキイウイ、米国やフランスのりんご、中国のナシ、タイのロンガンなどごく普通に安価に販売されています。
質問45:路上の屋台で果物を油で揚げているのをみかけますが、あれは御菓子ですか?
答え:そう一種の御菓子またはデザートですね。有名なのがバナナを揚げたPisang Gorengです。3切れ1リンギットぐらいが平均的な価格です。
質46:椰子の実をまるまる1個飲んでみたいです、どこでできますか?
答え:レストランでは瀟洒なタイプの椰子の実をメニューに載せている店もあります。また大衆食堂では大きな椰子の実をそのまま売っている店もあります。一番安いのは路上の椰子の実屋ですね。
質問47:果物を市場で買いたいのですが、誰でも買えますか?
答え:ごく一部の市場を例外として、伝統的な市場は一般消費者対象に果物、野菜、魚、肉などを販売しています。
質問48:果物ジュース好きですが、お店で簡単に飲めますか?
答え:大衆食堂や屋台街には生果物ジュースもメニューに加わっていますよ。
質問49:行楽としてミカン狩りとかイチゴ狩りのような概念はあるのですか?
答え:キャメロンハイランドでイチゴ狩りの看板を見たことはありますが、日本的な意味合いで多くの行楽客が参加するような果物狩りはありません。
質問50:ドリアンを除いて、日本ではまず食す機会のない果物の中で、誰でも美味に感じるだろう果物は何でしょうか?
答え:マンゴスチーンでしょうね。
質問51:マレーシアの初等と中等教育は何年間ですか?
答え: 6年間の小学校、5年間の中高校 というのが基本です。ただ中高校で5年間を終えた後、主として国立大学に入るための資格試験準備教育として1年半の第6学年があります、しかし第6学年に進むのは5年生の約1割に過ぎません。5年で卒業してなんらかの高等教育機関へ進学するありかたはごく普通です。
注:中と高が分れていないのでここでは便宜上 中高校と表記しておきますが、実際は”中学校”という呼称です。
質問52:生徒の評価は試験制主体ですか、それとも何らかの課外活動など試験以外の評価もある程度の比重を占めているのですか?
答え:小学校の6年次、中高校の3年次と5年次の終りにそれぞれ全国統一試験があるように、徹底的にペーパーテストの点数で生徒を評価します。これがマレーシア教育制度での大きな特徴の1つです。
質問53: ブミプトラプ割り当制ってどういうことですか?
答え:国立大学で、新入生の入学定員の 55%をブミプトラ生徒に割り当てることです。そのため非ブミプトラの生徒が試験上の結果ブミプトラ生徒より上位にいてもその希望の国立大学に入学できない場合がでてきます。
質問54:小学校からすべてマレーシア語教育ですか?
答え:小学校には大きく分けて2タイプあり、親はどちらに子供を送るかを選択できます。マレーシア語教育の国民小学校、及び華語で教育する国民型華語小学校またはタミール語で教育する国民型タミール語小学校です。 ”型”があるかないかで大きく違います。
質問55:では中学校ではどうなりますか?
答え:基本的にはマレーシア語教育の国民中学校のみです(多少のバリエーションはある)。例外的に華語で教育する独立中華中学校があります。しかしこの独立中華中学校は教育省から援助などを一才受けられない私立というあり方です。
質問56:小学校は何才から入学しますか?
答え:1月1日時点で満 6才になっておれば、その年に入学資格があります。
質問57:小学校が2部制になっているのはどうしてですか?
答え:生徒数に比して都会では学校が足らないので、1つの建物を午前と午後に分けて、2部制にしている小学校がたくさんあります。しかし全国の小学校が全部2部制ということではなく、数からいえば一部制の方がずっと多い。
質問58:全国に大学は何校ありますか?
返答:国立大学が 20校、私立大学は2000年以降かなり増えて 20数校ある。カレッジは大学とは分類されていませんが、ユニバーシティカレッジという分類が近年作られた、これも20数校になるとのこと。
質問59:国内の大学に入れないまたは入りたくない学生は留学するしかないのですか?
答え:国内には数百のカレッジがあります。そういうカレッジには英国圏の大学と提携しているカレッジが多数あり、学士(Degree) を授与できるカリキュラムを組んでいる所が少なくありません。
質問60:小学校・中学校では制服がありますか?
答え:公立校は全国に共通の制服があり、生徒は着用しなければなりません。私立校の制服も公立学校の制服と同じではないが似たデザインであり、全く独自デザインの制服は見かけたことがない。
質問61:マレーシアにはテレビチャンネルがいくつありますか?
答え:公営放送 RTM が2チャンネル、民放が4チャンネルです。衛星放送の Astro (同時に有料放送でもある)が 2011年時点で300万世帯数の契約数を持つほど普及している。
従ってマレーシアの全テレビ放送視聴率の面で 民放放送が49%、Astro が第2位の 38%を占め、残りを 13%を公共放送のRTM となります。
質問62:衛星放送なら世界中の放送が楽しめますか?
答え:マレーシアの衛星放送会社 ASTROが提供するチャンネルに限られています。その中に NHK国際が入っています。許可されたサイズ以上の衛星アンテナを設置してはいけません。
質問63: テレビ放送は何語ですか?
答え:公営放送ではマレーシア語の放送が一番時間数は多いです、次いで英語が多い。3番目が華語放送でタミール語が一番少ない。民放を含めて通常、マレーシア語以外のドラマとか映画番組にはマレーシア語の字幕がつきます。
質問64:お笑い芸人っているんですか?
答え:お笑い芸人はもちろんいますしお笑い番組もありますが、多くはありません。とりわけ演芸ホールや演芸場は存在しませんので、お笑い芸だけで生活はできる芸人はごく限られた数のはずです。
質問65:ラジオでマレー歌謡がかからないのですが、どうしてですかですか?
答え:マレーシアのラジオ局は言語別になっています、つまりマレーシア語局、華語・広東語局、英語局、タミール語局に分かれています。ですからマレーシア語局にダイアルを合わせれば、1日中マレー歌謡がかかっていますよ。サバ州とサラワク州は半島部と多少違いがある。
質問66:日本や西欧にないタイプの歌手はいますか?
答え:ボーカルグループRaihanに代表される Nasyidグループはマレーシアならではの歌手・グループでしょう。イスラム教に基づいたNasyidソングを歌い、ステージ衣装も典型的ムスリム服装です。
質問67:マレー映画って年間何本くらい公開されますか?
答え:90年代は10本を多少超える程度でしたが、2011年は40本近いマレー映画が公開されるまでに興隆しています。
質問68:インドのボリウッド映画が人気だと聞いたのですが、本当ですか?
答え:そうです。マレーシアのインド人だけでなくマレー人も一般にボリウッド映画が好きで、大きなファン層です。
質問69:マレーシアのテレビや映画の検閲は厳しいですか?
答え:その面では厳しい国として知られており、ハリウッド映画は公開作品でも相当カットがあります。且つ国内製作ドラマなどは製作者側が自主的に自己規制しているようです。
質問70:マレーシア華人歌手の中には国外で活動している人がいるのですか?
答え:人気あるよく知られた華人歌手の多くはもっぱら国外で活動しています。例えば、光良、梁静茹、品冠、戴Penny、阿牛などです。彼ら彼女らは、台湾または中国または香港を拠点にしています。
質問71:マレーシアの通貨呼称はドルですか?
答え:違います。正式名をリンギット・マレーシアと呼び、記号は RM です。未だにマレーシア・ドルと呼ぶ人がいますが、こういう植民地時代の呼称は止めましょう。
質問72:リンギットは外国で両替できないと聞きましたが、本当ですか?
答え:1997年のアジア経済危機後、政府の方針で、US$1 = RM 3.80 に固定させました。そのためリンギットの持ちだしと持ち込みに制限を設け、外国の銀行はリンギットとの両替を中止しました。しかしそれはとっくに過去のことであり、2000年代半ば以降外国の銀行はリンギット両替を行っています。
質問73:利子が日本より高いので銀行に預金したいのですが、できますか?
答え:観光客が入国時にパスポートに捺される社会訪問パスでは銀行に口座を開設できません。マレーシアマイセカンドホームプログラムに参加すれば、もちろん口座開設して預金ができます。
質問74:外国人でも不動産を購入できますか?
答え:工場を建てるから土地を購入するような場合は別にして、一般に外国人が土地だけを買うことはできません。住宅であれば、購入価格RM 50万以上の物件は、マレーシア在住者でなくても購入できます。(少数の例外措置はある)
質問75:マレーシアの物価は安定していますか?
答え:安定していますよ。年上昇率数パーセントです。極端なインフレはまったく経験していません。
質問76:マレーシアの1人当たり国民所得はどれぐらいになりますか?
答え:2010年は RM 26,174 に増えました。当時の為替レートで換算すれば US$7,985です。
質問77:マレーシアにとって日本との貿易はどのような重みを持っていますか?
答え:マレーシアの主たる貿易相手は、1980年代と90年代は米国と欧州と日本でした、しかし21世紀にはいって大きく変わりました。中国との貿易は一定して増えており、2008年は輸出面で 9.5%を占めました。
マレーシアからの輸出市場
1990年: 米国:16.9% 欧州連合:14.9% 日本:15.3% 中国:2.1%
2000年 : 米国:20.5% 欧州連合:13.7% 日本:13.1% 中国:3.1%
2011年: 中国:13.1% シンガポール 12.7% 日本:11.5% 米国:8.3%
( シンガポールは中継貿易地点なので、マレーシア輸出にとってシンガポールの占める割合は高くても他の地域とは同じような比較はできません。)
質問78:クレジットカードは普及していますか?
答え:たいへん普及しています。勤め人であればクレジットカードの申請はあまり難しい事ではないでしょう。
質問79:チップは必要ですか?
答え:外国人が主として対象になる高級ホテルや高級レストラン、サービスなどは別にして、市中のレストランやエコノミーホテル、一般タクシーなどはチップは必要ではありません。もちろん釣り銭の一部をそのまま置いてくる人も中にはいます。
質問80:消費税はありますか?
答え:通常の商品売買にかかる消費税は導入されていません。ただし、一定規模以上の飲食店では売上税5%を、駐車場のようなサービス業ではサービス税5%を消費者に課す事が法定されています。
質問81: 10代の若者の男女交際はどの程度認められていますか?
答え:答えが難しいです。建前上は結婚前の性交渉はすべきでないとの社会通念が依然として強い。尚ムスリムの場合は、建前でなくムスリムとしてそれは許されない行為です、つまり宗教上の罪になります。
質問82:学校で性教育って行われているのですか?
答え:そういう名称での正規カリキュラムとしては存在しないそうです。
質問83:では若者はそういう知識はどこで得るのでしょうか?
答え:口コミは当然として、若者向けの雑誌には、言語に関わらずこういった話題がよく質問や相談形式で載っています。現代はインターネット時代ですから、誰でもその気になればいくらでも探せることでしょう。
質問84:アダルトビデオやVCDは買えますか?
返答:その種のものはすべて違法です。しかし夜市の屋台、露店などでは少し前までは堂々と売られていましたが、今では常連客向けに隠して売っています。
質問85:非ムスリムがムスリムの異性と交際できますか?
答え:もちろんできます。ただしそういう例はやはり少ないですね。
質問86:それでは非ムスリムとムスリムの間で結婚できますか?
答え:できません。非ムスリムは結婚する前に必ずイスラム教に入信しなければなりません。これは絶対条件なので、非ムスリムがムスリムと結婚することは法律上許されませんし、どんな形であれ認められません。
質問87:ムスリム男性は4人まで妻をもてるというのはマレーシアでも同じですか?
答え:原則として同じです。しかし認める基準はイスラム国家によって違いがあるそうです。現実としてマレーシアで4人も妻を持つムスリム男性は極めて極めて少数です。しかし2人妻を持つムスリム男性の話しなら、多数ではなくても珍しいことではないと言えます。
質問88:マレーシアにラブホテルってあるんですか?
答え:ラブホテルのようにけばけばしい外観や内部作りのまたは明らかにそれとわかる掲示・宣伝文句を掲げたホテルは存在しません。しかし実質的にはラブホテルであるような安ホテルは数あります。もちろん普通のホテルをラブホテル的に使う人も当然いるでしょう。
質問89: コンドームはどこで買えますか?
答え:薬局、ドラッグストアー及び多くのコンビニエンストアとスーパーマーケットです。コンドーム販売機のようなものは当然ありません。
質問90:インドのカースト制度はマレーシアのインド人コミュニティーにも残っていますか?
答え:カーストの影響は皆無ではないそうですが、多くのマレーシアインド人の間ではごく薄いと言われています。
質問91:マレー鉄道でシンガポールからバンコクまでマレー半島縦断旅行したいのですが?
答え:マレー鉄道だけではできません。数百メートルほどのシンガポール内線路とマレーシア国内全線、つまりタイとの国境の町パダンブサールまでがマレー鉄道です。それ以北はタイ国鉄です。日本の旅行マスコミの歌い文句は大間違いなので、イントラアジアは90年代の昔から批判しています。
質問92:マレーシア航空と Air Asia 以外に乗客用国内航空会社はあるんですか?
答え:あります。 Berjaya Air、Firefly の2航空会社があります。Firefly はマレーシア航空の子会社であり、Berjaya Air はごく小規模な会社です。さらにサバ州とサラワク州だけで主に僻地運行に特化したマレーシア航空の子会社がある。
質問93:11月頃から3月頃まで東海岸の離島の島々は閉鎖するんですか?
答え:モンスーンシーズンのため、雨の降る日が多く波が高くなるので、一時的に閉鎖する宿が多くあります。ただ全部が閉鎖するわけではありません。
質問94:タマンヌガラは1年中オープンしていますか?
答え:もちろん年中無休です。
質問95:クアラルンプールとKLIA空港を結んでいる空港鉄道は KLIA2 まで延びるのですか?
答え:建設中の新格安航空専用ターミナルKLIA2 は2013年4月頃オープンする計画です、そこで空港電車もそれに合わせて延長されます。
質問96:マレー半島からサバ州またはサラワク州を結ぶフェリー航路はありますか?
答え:乗客用としては全くありません。かつてそんな話もささやかれたが、実現可能性はありません。
質問97:半島部にオランウータンの保護区はあるんですか?
答え:半島部にオランウータンの生息地はありませんので、存在しません。オランウータンのいる動物園と動物園もどきはあります。
質問98:マレー虎はまだジャングルに生息していますか?
答え:harimau つまりマレー虎は今では数がぐっと減って、保護動物に指定されています。従って狩猟も捕獲も禁じられています。
質問99:世界一の巨大花ラフレシアをボルネオ島部でなく、半島部でも観察できますか?
答え:キャメロンハイランドの山中でできます。さらにもっと奥深いジャングルであるペラ州最北部にあるBelum渓谷でもできます。いずれもプロのガイドに連れていってもらう必要があるはずです。
質問1: 「旅行者と在住者のためになるページ」 の情報は主に誰が書いていますか?
答え:99.9%はIntraasiaが足で調べて書いたものです。
質問2:「今週のマレーシア」 って内容が硬いことがよくあるので、読んでいると頭が痛くなります、どうしたらいいでしょうか?
答え:そういう方は鎮痛剤を傍らにおいてお読みください。当サイトの喫茶モノローグの年長ウエートレスさんはビール飲みながら読むとか、また若妻ウエートレスさんは缶チューハイ片手に読むそうですよ。
質問3:「新聞の記事から」 はよく”てにおは”が間違っていますけど、なんとかなりませんか?
答え:すみません、時間がなくて急いだり、眠い目をこすりながら書くこともあり、見なおさない時があります。気をつけます。
質問4:「ビジネス編」 ですけど、全く更新されませんが更新するつもりはあるんですか?
答え:ないことはないのですが、情報提供者・社を探してないので更新できないのです。
質問5:「自己紹介」 と書いてあるページにはIntraasiaに関する個人情報があまり載っていませんね、もっと増やさないのですか?
答え:現在世の中では個人のプライバシー保護が重視され、個人情報開示に慎重な態度が望まれております。そこで、ご意見は十分に検討して前向きに対処するように努力していく次第です。
質問6:「マレーシア何でも伝言板」 ってマレーシアに少しでも関係あるなら、恋人募集 なんて書き込んでもいいのですか?
答え:はい、そうです。あれこれ面白い書き込みやいろんな書き込みがあって人気がいいですよ。
質問7:「マレーシア旅の掲示板」 ですけど、検索できないから不便です、索引機能つける予定はないのですか?
答え:私もそうあればいいなと常に思ってはいるのです。ただこのレンタル掲示板は何年にも渡ってたいへん安定しており、そのため別の掲示板を新しく借りるのはしのびないのです。これからも使い続けていくつもりです。
質問8:「ゲストブック」 なのにゲストの書き込みが少ないですよ、もっと書いてもらうようにすべきではないでしょうか?
答え:ゲストという呼称がいけないかもしれませんね。訪問帳とでも改名したら書き込みが増えるかなあ。
質問9:「チャットルーム」 はいつ開いても他人と出会ったことがないのです、チャットしたいのですが?
答え:人と出会わないから、または他人と出会わないようにという意味を込めて、”個室風喫茶モノローグ”と店名につけています。
その後チャットルームは廃止して、2009年にツイッター喫茶をオープンしました。
2000年7月全国一斉に実施された”2000年全国人口と住宅調査”の人口面に関する統計結果の最終報告が、2001年11月頃発表されました。この調査に関しては、その時当コラムの第199回でも取り上げて調査項目を解説しましたね。”全国人口と住宅調査”は全国民対象であり、各種調査の中で最も大規模なものですから、日本のそれとは項目と内容が相当違うとはいえ、いわば国政調査です。
全国人口と住宅調査の第1回は1970年、1980年、19991年とほぼ十年毎に行われきましたから、2000年が第4回にあたりました。
「この調査は広範囲な人口学的特徴と共に、多数の個人と世帯に関する情報を提供している」 と、”2000年全国人口と住宅調査”の報告書である ”人口分布と基本的な人口学的特徴”と題した統計庁発行の公式報告書の前書きにあります。
それでは報告書の中から興味ある点を取り上げて、紹介、解説してみましょう。尚特に明示してない場合の数字は、すべて調査時である2000年7月時点のもの。
総人口は 2327万人。1991年の調査では1838万人だったので、10年間で489万人の増加、つまり年平均2.6%の増加率ですが、これは1980年から1991年の10年間の年平均増加率と同じです。 この数字には非マレーシア国民も含まれています。
マレーシアは人口増加率が抜群に高いわけでもないけど、低いとも言えませんね。この伸率がこれからも大きく変わる事はないだろうと、専門家にはみているそうです。日本よりずっと伸び率が高いので、以前は日本の7分の1だった人口が今では6分の1強ですね、これが5分の1になることもそんな遠い先のことではないでしょう。
州別人口を分析した項目 | 1位 | 2位 | 3位 |
州人口の多い順 | スランゴール州:419万人 | ジョーホール州:274万人 | サバ州:260万人 |
年平均増加率の高い順 | スランゴール州:6.1% | サバ州:4.0% | クアラルンプール:3.6% |
人口密度の高い順 | クアラルンプール:5676人 | ペナン州:1274人 | ラブアン島:827人 |
都市化人口率の高い順 | クアラルンプール:100% | スランゴール州:87.6% | ペナン州:80.1% |
人口密度は1キロ平方メートル当り 71人です。1991年では56人 /平方Kmでした。
人口密度の最も低い州は、サラワク州がわずか17人、サバ州が35人です。5700人近いクアラルンプールの密度と比べて見れば、いかにその差が極端かがわかるでしょう。
総人口を都市を含めた町部と非町部に分けると、町部が62%で、これは1991年の50.7%から相当上昇しています。
国の発展に伴って、都市人口が増加するのは当然ですが、極端な都市化現象とはいえないと思います。まだまだマレーシアでは非町部と都市部の間におけるインフラ面と経済面と医療教育などの公共サービス面に、各段の差が残っている地方も多いからです。
15歳未満 | 65才以上 | 年齢中央値 | |
1991年 | 36.7% | 3.7% | 21.9才 |
2000年 | 33.3% | 3.9% | 23.6才 |
1番目 | 2番目 | 3番目 | |
15才未満人口の割合が少ない州 | クアラルンプール:25.6% | ペナン州:26.9% | スランゴール州:30.5% |
15歳未満人口の割合が多い州 | クランタン州:41.5% | トレンガヌ州:40.3% | サバ州:38.4% |
平均年齢の高い州 | ペナン州:27才 | クアラルンプール:26.6才 |
総人口の内、男性が1185万人で女性が1142万人。
そこで総人口における男女比は、女性100人に対して男性104人になる。1991年の時は男性103人でした。男女比において女性がぐっと高くなるのは、60才以上からです。つまりここでも女性は男性より長生きということですね。
ほとんどの州は男性比が高い、高い順では女性100人に対してパハン州 110人、ジョーホール州 107人、サバ州 107人だが、ペルリス州、ペナン州、ケダー州は男女比では女性の方が多少高い。
結婚年齢が遅れてきた傾向が明らかだと、報告書は分析しています。
20才から34才の層で、まだ結婚したことがないという人の割合が1991年の43.2%から2000年は48.1%に増えました。未婚の人の割合を女性の20才から24才の層でみると、1991年は60.2%が2000年は68.5%に増えた。結婚していない男性の比率は20才から34才では48.12% (1991年は43.2%)、女性の同年層でも、未婚者の割合は1991年に比べて増えている。
これを裏付けて、男性の平均初婚年齢がわずかに上昇して、1991年の28.2歳から28.6才になり、女性の場合は1991年の24.7才から25.1才になりました。
尚この調査での結婚とは、被調査者の自己申告なので、結婚登記庁に届けてなくても被調査者が自身は結婚していると見なしている状態も含んでいます。
日本の初婚は現在どれぐらいなんでしょうか?初婚年齢は日本より幾分早いと思いますが、すごくともいえないはずです。
民族別 | ブミプトラ | マレー人 | 華人 | インド人 | その他 |
1991年 | 60.6% | 28.1% | 7.9% | わずか | |
2000年 | 65.1% | 53.5% | 26.0% | 7.7% | 1.2% |
マレー人の比率が8割以上 | トレンガヌ州 | クランタン州 | ペルリス州 | |
6割以上8割未満 | パハン州 | ケダー州 | マラッカ州 | |
5割以上6割未満 | ジョーホール州 | ヌグリスンビラン州 | スランゴール州 | ペラ州 |
4割を多少超える程度 | ペナン州 | クアラルンプール |
最大民族 | 2番目 | 3番目 | 4番目 | 全ブミプトラ | |
サラワク州 | イバン族 30.1% | 華人 26.7% | マレー人 23% | ビダユ族 8.3% | 73% |
サバ州 | カダザンドゥスン族 18.4% | バジャウ族 17.3% | マレー人 15.3% | 華人13.2% | 80% |
調査対象になった又は調査に答えた外国人つまり非マレーシア国民が、総人口中に138万人含まれており、その割合は1991年の4.4%から5.9%に増加した。ただこの138万人というのは、マレーシアで働く、に住む外国人の全部を網羅してないことは明らかです、数十万人から100万人近い違法又は密入国の外国人がいると推定されていますから。でこの138万人中、44%がサバ州在住の外国人です。この数は61万人強にもなり、サバ州総人口の24%にもあたるのです。
統計対象になった外国人とは、マレーシアに6ヶ月以上住んでいるか又はその予定である外国人を意味します。ですから在住日本人もその対象に含まれています。
総人口に占めるムスリムの割合は1991年の58.6%から多少増加して60.4%です。しかしマレーシア国民だけに限れば、ムスリムは59%で6割をわずかに切ります。ブミプトラの割合が国民人口の65%なのにムスリムがその数字より少ないこの割合なのは、非マレー系ブミプトラ中にはムスリムでない人々が多いからです。そういう人々は主として広義のクリスチャンですね。マレー人は100%ムスリムです。
他の宗教徒を見ると国民中、仏教徒が20.2%、キリスト教徒は9.0%、ヒンヅー教徒が6.5%、儒教・道教・伝統中国宗教の混合が2.8%などとなっています。
1月の第2週小泉首相がその東南アジア訪問5か国旅の1カ国として、マレーシアを1日訪問しました。この訪問に関するニュースと評論・主張を各紙載せましたが、やはり華語紙の扱いが一番紙面を割いたように見えます(全部調べたわけではないのであくまで推量です)。その中からある主要華語紙の社説を全訳して「新聞の記事から」に載せました。マレーシアの日本に対する政治的見方の代表例なので、皆さんに是非読んでいただきたいこともありここにそれを再録します、さらに小泉マレーシア訪問に関して筆者はゲストブックに小コメントを書きましたので、それもこのコラムに再録しておきます。
日本の小泉首相のマレーシア1日訪問はすでに終った。彼はマハティール首相と会談して、両国関係の願いをさらに強めることを語っていた。
東南アジア諸国中、マレーシアと日本の関係は大変密接である。この密接な関係は初代首相トゥンク アブドゥラーマンが築き、そしてマハティール首相が1981年に就任以来、一層マレーシアと日本関係の発展させようと積極的に推進してきた。例えばマハティール首相がその職に就任以来、日本は訪問した回数の最も多い国である。
マハティール首相が1982年に提案したルックイースト政策は、わが国発展戦略の一部分になっている。その主要なる部分は、日本人の労働倫理観を学び東アジアの精神を敬う事です:具体的な措置としてマレーシア人を日本に送って学ばせる、日本人を招いて工業分野で要職に就かせ、わが国の高職者を訓練してもらう。ただこれらの戦略が本来の目的を完全に達したとはいえないようである。その主なことに、わが国の労働者の態度が散漫で積極さに欠けることがある。
日本は米国に次いで世界第2位の経済体である、しかしその政治影響力は限られたものだ、わが国と日本の関係の主要な部分も経済と技術転移の面である。日本はわが国にとって主要な貿易パートーナーである。日本の投資、援助、借款が主な資源だ。例えば、2001年ではマレーシアの対外貿易の17%が日本とのそれである、輸入高の21%が日本からであり、輸出高の13%は日本向けである。日本は米国に次いで第2番目のマレーシアへの大投資国である。2001年1月から10月までだけをとっても、マレーシアが承認した日本からの投資は134件あり、(申告)投資額は30億リンギットにのぼる。経済援助面で、日本は海外発展援助を通してわが国に援助を与えてきた。わが国も日本から多額の借款を受けている、つまり技術面である。わが国は日本の技術を利用して国産車を製造しているのがその典型的な例である。
小泉首相とマハティール首相の会談中、3つの新概念を提出した。1つは、この東南アジア地区での繁栄を重ねてはかっていくこと、2つはこの地区での安定化を確保していくこと、3つは共同して将来の協力を展開していくこと、である。もしこの3つの目標を実現させるつもりであれば、日本は東南アジア諸国との経済貿易協力と安全協力面においてのそれを強めていく必要がある。後者(安全面)の概念と小泉首相が就任以来刻々と日本の軍事力を強めていることには関係がある。
この数ヶ月、日本当局は日本円の対米ドル下落をなるがままにさせている。この種の通貨価値下落の結果はこの東南アジア地域の通貨安定に影響を与えている。例えば、中国人民元はマレーシアリンギットと同様に米ドルとは、固定為替率に設定しているが、その価値が上昇させられたと感じるに至っている。これによって、人民元が通貨切り下げに踏み切る可能性を排除できない。
このことはわが国も巻き添えにする。マハティール首相は表明しています、もし人民元が切り下げに踏み切れば、わが国も現在の対米ドル固定レートの見なおしを検討しなければならない、と。これはわが国の経済にある程度の衝撃を与えることになる。こういったことから、もし日本が近隣諸国との経済関係を本当に重視しているならば、日本円の下落を防止しなければならない。
マハティール首相がかつて提案した東南アジア諸国10カ国プラス1の自由貿易地帯は、東アジアの経済グループ化の概念に相似している。すなわち首相はこれを1990年に東アジア経済共同体として提案した、内容は日本と中国と東南アジア諸国のグループ化であり、その目標の一つに白人国家のこの東南アジア地域への影響力を弱める事であった。これには米国、オーストラリア、ニュージーランドを参加させないことであった。日本の経済実力を持ってすれば、この経済グループ化が実現の日の目を見た時には、日本は竜頭になったであろう。しかし日本は米国の圧力の下でこれへの加入を拒否した、東アジア経済共同体の概念は胎児のまま死んでしまった。日本も領袖になる機会を失ったのである。
中国の東南アジア地域に対する影響が日増しに強くなっていることを我々は目にしている、日本の国際的影響力を拡大しようとする小泉首相の心理にはあせりが感じられる。それがためこ、れを取り返す措置を取るのです。すなわちこれが今回の5カ国訪問で、これによって中国の東南アジア地域への影響に抵抗する意味がある。とりわけアセアンとその自由貿易条約に参画する意味でだが、それは全面的貿易条約に似ている。日本と東南アジア諸国連合間の経済貿易関係を強めることで、中国を疎遠にさせるのです。
以上
以下の文章はこの社説記事とは直接関係ありませんが、小泉訪マレーシア直後にゲストブックに書いた筆者の感想です。通常のコラムにするほどまとまった内容と分量ではないのでゲストブックに書きましたが、ゲストブックの内容はそのうち消えてしまうので、ここに再録して残しておきます。
マレーシアは対日感情の比較的良い東南アジアの中でも、その面では上位に入る国であるのは間違いないでしょう。もちろんもろ手を挙げて日本と日本人歓迎ということではありませんが、日本人に全く無関心とか敵意を示される場合は極めて少ないはずです。マレーシアの伝統的支配層とエリート層の多くは英国流の高等教育又はその影響を受けた、あるいはイスラム教聖職者としての教育を受けた層であり、日本で又は日本語で高等教育を受けた層は極めて極めて少数です。しかしマハティール首相提唱のルックイースト政策のおかげで、マレーシア人が伝統的高等教育を受けることを好む英国圏にはるかに及ばないものの、毎年数千人が日本で長短期の勉強又は研修をしているのです。
伝統的に英語指向の極めて高いマレーシアで、日本語で高等教育・訓練を受ける(た)人たちが少なからず存在すという面だけ取っても、ルックイーストのおかげは確かにあります(もちろんそのためだけではないのは言うまでもありませんよ)。マレーシア人はこのように良い対日感情を持ち、日本への興味もそれなりにある国民ですが、翻って日本人一般のマレーシアに対する興味は東南アジア諸国の中でも決して高いとはいえない、ことは多くの人が認めるところでしょう。なぜか?それは外国に対する捉え方・見方はイメージが作り上げるものだからです。マレーシアはどうしてもイメージの面でシンガポールやタイに次ぐ2番手になってしまいますね、そして人気面では今やベトナムに追われる立場ですか?
国の玄関であるKLIA空港やKL Sentral駅に日本語の表示まである国は世界でも稀有のはずです。マレーシア国民である華人社会の中に、表示に華語を一才付け加えずにどうして日本語を添記しているのか、という不満の声があるのですが、為政者の強い方針で、この2大玄関口には日本語が、主表示であるマレーシア語と英語に加えて添記されているのです。
こうしたマレーシア側の気配りにも関わらず、昨年外国人のマレーシア訪問者数において、日本人はついに中国人に抜かれてしまいました。
中国の影響は貿易や工業投資の面だけでなくこういった面でも東南アジアに及んでいるのです。今回の小泉訪問もその中国の東南アジアへの影響を頭においていたことでしょう。大日本民族主義者では決してない、むしろ”反”である筆者でも、日本の影が東南アジアから多少薄れて行くのは何か寂しい気がします。もっと多くの方がマレーシアに興味を持っていただけたらなと願っております。
今回の小泉訪問で、彼は、というより外務省などの高級官僚や主要政治家は、何を本当の目的にしていたのでしょうか?それは日本のマスコミが詳しく報道、解説している(いた)ことでしょう。私はそういったことでなく、東南アジア、特にマレーシアから見た日本首脳の訪問の意味を伝え解説しています。
1週間で東南アジア5カ国を回るのは、訪問することに意味がある、以上でも以下でもないのは言うまでもありませんね。だから何も特に期待していない、と私は数日前このゲストブックに書きました。その訪問することに意味があるからこそ、訪問の仕方に気を配って欲しかった、というのが私の感想です。小泉訪問の最終地はシンガポールだそうですが、そこで東南アジア訪問打ち上げのような記者会見でもするのでしょうか?
しかし、なぜシンガポール?というのが率直な思いです。日本からの累積投資額が一番多い国はインドネシア、伝統的に日本との友好関係を持つタイ、そして唯一日本に多大なる関心を抱く首相を持ち(彼の訪日回数は私の訪日回数より多い!)ルックイースト政策などいう他国に例を見ない政策を取り続けるマレーシアをさしおいて、なぜシンガポールなの? シンガポールの首脳陣に日本を向いた人など誰もいませんし、東南アジアの超裕福国であるシンガポールは極めて東南アジア的でないのです。だから、本当の東南アジア的暮らしや旅行ではなく、擬似的東南アジアを好むタイプの日本人にシンガポールは人気が高いのです。
マレーシアのことなど何も知らないであろう小泉首相に期待しても無理ですが、基本方針を立案・推進する高級官僚や主要政治家に、なぜマレーシアを最終訪問地に選んで、そこで日本外交の新・東南アジア政策の骨子を発表するぐらいのアイディアが浮かばないのであろうか?気遣いは日本人の得意な面ではないのか? 国の玄関であるKLIA空港やKL Sentral駅に日本語の表示までして、日本人訪問者に気遣っている国を、ルックイースト政策を取り続けている国を、高級官僚や主要政治家はなぜもっと気遣わないのだろう?それとも彼らは単に書物の上でルックイースト政策の存在を知っているだけかもしれない、お供付きでないと歩けない彼らは空港の日本語表示にも気がつかないのかもしれない。
10年近く前、マハティール首相が唱えた日本を含めたしかし米国を除いた東アジア経済委員会のアイディアを、米国の反対ゆえか、全く関心を示さずむしろ反対していた日本外交方針は、今回中国の東南アジア影響力の拡大にあわてて、同じような経済グループ化設立を表明している。経済影響力絶頂期に同様のアイディアを断り、経済低迷期の現在今度はそれを推進する側に回っている、まこと皮肉なことでありますね。
どうせころころ変わる首相の座ですから(それが日本の良い面だと私は思う、マレーシアのように20年間も1人の人間が座を占めたらその負の面はものすごく大きくなる)、次の首相に新しい訪問スタイルを期待しましょう。
以上
ここに掲げた文章は、以前マレーシアで日系会社に勤務され現在は日本にお住まいである、当サイトの読者からのメール手紙に応答したものです。ただ読者Zさんの書かれた一文一文にその都度筆者がコメントを付けたものではなく、Zさんの長文のメールに対して一気にまとめてコメントしたものです。筆者はこの返答メールを送る際に、このやりとりは興味深い点を含んでいるので、固有名詞などは削除・変更した上でコラム「今週のマレーシア」に掲載したいのですが、いかがでしょうか? とのお願いをメール末に付け加えました。
その後届いたメールでZさんは快く了承を伝えてくださいました。そこで今回このコラムに掲載するにあたり、固有名詞などはすべて削るか変更し、プライバシーがわかるような部分も削除しました。そうして表現を直しコラム用に仕上げた全文をあらかじめZさんにメールして、最終的な確認を得てから掲載しています。
Zさんとはメールで意見を送られてきた読者の***さんを示し(イニシャルにあらず)、コメントとした部分はすべて筆者(Intraasia)の書き込みです。読みやすいように小見出しを付けています。以下そのメールの内容になります。
Zさん:本題です マレーシアには大きな組織社会や法やルールに依る組織運営の伝統が無かったように思います。
コメント:英国はマラヤ半島に本格的に進出してきた18世紀末頃から、少しずつ領土を増やしたわけです。そして19世紀半ばには完全に植民化したのですが、そこでは英国流の統治の仕組みを持ち込んでいるのは当然ですね。だからマラヤに、自前ではないとはいえ、大きな組織による組織運営の経験がないとは言えないと思います。しかしそのことを持って組織運営の伝統がある、ともいえないでしょう。
さらに各州にはスルタン制があって農業共同体を統治していたようですが、これは封建的支配であり、人口もずっと少なかったから小規模統治だったといえるはずです。さらにマレー社会はアダットと呼ばれる慣習法の世界を持っていました。
従ってこういう面から考察すれば、大きな社会組織や成文法による組織運営はなかったといえますね。
Zさん:血縁や地縁の村落共同体までの小さな社会での自給自足経済で商品の需要も少なく生産や流通のプロが生まれなかったのではないでしょうか。職人の伝統が無いので高学歴者が現場を嫌い事務所のそれも役職を望む傾向が強いのではないのでしょうか。
コメント:マラヤ、マレーシア成立以前をこう呼びますが、は封建的農村共同体社会であった時代から、優れた手工芸品技術が育っていたとはいえないでしょう。博物館などの展示に見る限りこういった手工芸品の展示は決して多くない。もちろんスルタン家の装飾品や短剣Keris、錫製品などにそれは多少うかがわれるが、あくまでも限られた分野での少量生産であり、庶民層にまで多種の手工芸品が行き渡っていたわけではないでしょう。中国の白青磁器のような有名な工芸品はないですね。
ところで中国から各種陶磁器や織物や家具などを輸入し、インドからまた別の品というように、古くからいわゆる中継貿易地であったのがマラッカです。輸出していたマラヤの手工芸品といったら何があるのか、私は知りません。1511年のポルトガルのマラッカ領有以降マラッカの開発主はポルトガル、次いでオランダ、そして英国と変わりましたが、生産積み出し基地でなく中継基地であることは変わりませんでした。
その後ペナン、シンガポールが英国の開発した貿易港町として加わり、そこがアジア地区の重要な中継貿易港になりました(この3箇所を海峡植民地と呼ぶ)。こういう中継貿易で活躍したのが有名な英国東インド会社とオランダの東インド会社ですね。19世紀のペナンの開発に伴って様様な外国人がペナンに渡ってきて、貿易や商業や手工芸品生産に従事しました、中国人、インド人、ジャワ人、アチェ人、アラブ人などです、日本人もいたことはジョージタウンにある博物館の展示に明らかですね。
マレー支配階級はこういった外国人に交易を含めて流通を任せていたし、その街の統治さえ中国人の言語または出身地毎に組織していた中国人グループに依存していました(その親分をCapitan Cinaと呼ぶ)。そらに自前の手工業の発展はほとんど起こらなかったといえるのではないでしょうか。
従って当然ながら、西欧に起きた、遅くは日本にも起きた、近代の産業革命は起りませんでした。産業革命は単に産業面だけでなく、その国の社会全体に大きな影響を与え、社会の仕組みを変える原動力になります。時には市民革命と結びつきます。マラヤの地にはこれらが一才起らず、英国植民地支配の下で、植民地支配に支障をきたさない封建性が相当程度そのまま残ったわけです。それが現代のマレーシアにも残存しているのは、政体や市民の意識にも明らかです。
つまりこのことが 「近代的な効率に基づいた資本主義社会の発展を妨げた一因」 と私は判断します。いうまでもなくマラヤが19世紀中旬以降英国の植民地に組み入れらていったことが、あらゆる意味でマラヤそして現在のマレーシアに影響を及ぼしています。英国流の差別して支配するあり方が、片方で封建性を残しながら、植民地経営に都合のいいようにマラヤを単一産物経済に仕上げていったのです。それが有名な錫採掘と生ゴム生産のマラヤですね。
Zさん:また学力も生産に必要とされる知識を軽視する傾向があり、これは工学系の大学卒業者でもおなじで、パソコンの操作は出来ても自身の力で金型一つ作れません。製造機械は輸入しても自分たちの手で作ろうとしません。
コメント:シンガポールのことはさておきます。
でマレーシアの場合ですが、国土の広さと人口の両面から、多くの面で裾野から山頂まで自力でまかなえる国になるべきだし、すべきだと思います。しかし現状ではそこまでとてもなっていないし、そのための正しい教育方針とは思えません。私が度々コラムでも批判してきた、マレーシアの教育制度と社会の受け方の両面における狭い範囲の知育の強調しすぎです。
小学校の6年段階から大学入学までに全国統一の学力試験を4回も行い、テストエリートを養成しています。マスコミはテスト結果の良い生徒と学校を写真付きでもてはやすというあり方です。これらの生徒の評価は、完全にテストの点数だけを基準にしています。これでは手に技術を持った人を育てるあり方ではまったくありませんね。
その上社会自体に職人や技能者を軽視する風潮がある。例えば、コンドミニアムの内装の技能者はインドネシア人、歩道の敷石もインドネシア人が敷く、屋根葺き職人はバングラデシュ人などと、技能面で外国人労働者に大きく依存している。単純労働はもちろん外国人労働者に完全依存です。
Zさん:マハチール首相も同じでITには力を入れても産業基盤を育成しませんね。私がマレーシアで困ったことは材料の仕入れができない、計測器具が買えない、工具がない、建前はともかく現実には規格がばらばらで、品質には誰も意に介さない。余談ですが現地調達のネジの品質の劣悪さには参りました。1回しか使用できません。
コメント:大学やカレッジの設立には非常に熱心ですが、技能学校と職業訓練学校の設備、強化や新設には極めて予算が渋いですね。ランカウイへの投資やプトラジャヤの大規模開発に比べて、こういう地味な職業教育にどれくらい金が使われているかですね。日本はこの面で予算と人を提供していると思いますよ。
さて昔マレーシアに来た当時、私はこういう職業訓練学校をいくつか見学して、その設備の古さに驚きました。IKMなどの技術訓練学校は、所詮テスト成績の悪い生徒が行く所、との誤った概念が大衆にも染み付いている、これでは技能教育に実がはいらないし、生徒もそう見なされていることを知っているはずです。
マハティール首相がマレーシア産業基盤の裾野のもろさを踏まえていたから、伝統的産業基盤とあまり関係なく発展できるIT推進に異常ともいえるほど強調し金を使っているのか、それとも単にITが将来の国の発展の原動力だと思ったからIT推進にまい進しているのか、私には判断できません。
がいずれにしろ、国民の思考に、手技術・技能の尊重が薄く且つ身体を動かす仕事への蔑視観が根強い現状では、地道な技能職人の養成は無理でしょう。ジョーホール州の家具産地であるMuarではマレーシア人が家具製造工場で働きたがらないので、外国人労働者に頼っている、との記事を私は昨年のコラムで紹介しました。
こういう中小規模の家具製造工場での技術を持った労働者の不足は単に家具製造業だけでなく、住宅家屋、ビルなどの建設業、塗装業などの多くの裾野産業分野で外国人労働者に頼っている事が、技術者、技能者不足を証明しています。
Zさん:結論として、マレーシアへは技術移転ではなく工場移転でマレーシア人には労働力として手足さえあれば良いとなるのです。マレーシアの誇る建造物ツイン・タワーやKLIAはマレーシア人の設計でマレーシア製の素材でマレーシア製の機械器具でマレーシア人の職人の手で建造されたのでしょうか。多分すべて外人まかせでしょう。
コメント:ツインタワーのオリジナルデザインは外国人建築家ですね。まあ現代は外国人アーキテクトが各国でデザインを競う時代ですから、それはいいと思います。しかしタワーの1本は日本の建設会社が請け負い、もう1本を韓国の建設会社が引き受けて建設しました。もちろん圧倒的多数の建築労働者はいうまでもなく外国人労働者でした。
KLIA空港の場合、基本デザインは黒川紀章(この漢字かな?)ですね。空港施設はコンソーシアムがまとめて引き受け、それをいくつかの国の建築・建設会社がそれぞれ場所毎に請け負い建設しました。例えば屋根は日本の屋根建設会社が請け負いました。要するにマレーシアの建設会社はその一部に過ぎなかったのです。もちろん労働者はエンジニアを含めて数十カ国から来ていたそうです。
Zさん:大阪の隣尼崎市の繁華街中央商店街で出会う人10人に1人は社長だと言はれます。皆町工場か商店を経営しているのです。又ハイテクで有名な東大阪市の町工場の社長は皆さん職人さんです。この人達が日本の製造技術を創り大企業を支えています。今マレーシアが必要としているのはオフイスの個室やステータスシンボルの豪華な椅子を欲しがる高学歴の技術者ではなく自力で物を作れる職人ではないでしょうか。
コメント:全く同感です。マレーシアの給料体系はホワイトカラーに偏重しすぎだと常々思っています。太陽の下で働く低技術の労働者より、事務所で働く特別に技術のないOLの給料がなぜ高い? コンピュータを多少扱える若い営業員の給料が、きれいにドアを作りつけたり、レンガを積み上げる技能労働者よりなぜ高い? 大学出身の若い30才ぐらいのマネージャーが、現場で機械をいじり工作するベテラン工員の給料の3倍以上というばかげた給料体系。こういった体系を打ち破らない限り、いつまでたっても実際の手仕事ができないが学歴だけ高い人間が上に立つ現状維持を続けることになり、結果として熟練労働者の勤労意欲を削ぎます。
Zさん:私の友人で長年インドネシアでプレス加工の技術指導をされた方、ボルネオの山奥で電気工事に携わった人も職人で彼らも同意見です。アメリカを見てください、ロケットやシャトルの部品のハンダ付け作業の女性の名人芸、自分の手のサイズに合わせたキーボードを特注して使っているパソコンのオペレータ、これらの人達の考え方がアメリカのハイテクを支えているのです。
コメント:技能を持った人間に報いるというシステムが社会にない。職場の地位として大学卒のホワイトカラーが上部にたつのはいいでしょう、日本でもまあ同じだ。しかし給料差はマレーシアほど極端にではない。マレーシアは職位差による給料差が極端である。
これは会社内だけの評価ではないのです。マレーシア社会はスルタンからの勲章位をありがたがる且つ誇る封建意識の残る社会ですが、この授位において、例えば船大工とかKuris職人が、Datuk などの称号をもらったという話をまず聞いたことがない。位を授けられるのは、与党政治家、高級役人、大学関係者、法曹界、企業家ばかりです。こういう面からも伝統職人、高度技能者を大切にしない社会です。
Zさん:日本では、戦国時代鉄砲の伝来を受け直ちに国産化し数年間で何万丁の鉄砲が生産しました。また幕末時欧米諸国の近代兵器や工業設備をみて驚嘆し、国産化に努め日露戦には軍艦、砲、弾丸など自前の兵器で戦えるまでになりました。名刀正宗は鎌倉時代の作ですがマレーシアのパランとの品質の差は歴然としています。
ここで疑問です。何故マレーシアでは手工業の職人が生まれなかったのでしょう。手工業の職人の技術の積み重ねが近代工業の礎になると思います。
コメント:先に述べましたように手工業の十分な発展がないまま現代に入ってしまった。錫とゴムの単一製品生産地としての植民地にされたことが、現代にも響いてますね。植民地化の影響は人々の意識にまで影響を与える。英国の法制、学制、会計制度、統治支配スタイル、それらを受け入れた、もちろん現在はマレーシア流に変えているが、そしてそれを現代に引き継いでいる。
大きな影響を与えたのは言語面です。日本は翻訳文化の国です、19世紀の終わり頃から20世紀初頭にかけてドイツやイギリスやフランスの文献・技術書を持ち込み、それらを全てを翻訳する事で誰にでも技術が習える環境を整えた。学制も日本独自に作り、もちろん100%日本語教育。こうして裾野を広くし、エリート主義に依存することなくできた。
方やマラヤはあくまでもエリート主義に依存した。選ばれた者と豊かな者と貴族が英語学校で学び、さらに優れた者は留学させて英国の技術を学ばせた。一般大衆は華語とマレー語教育の小学校で教育を終えた。これでは高度の技術を取得できる前段階で終ってしまう事になる。これが典型的な英国植民地の差別して支配する形式ですね。
21世紀の現在でもマレーシア国民の意識深く残るのは、英語が発展の鍵を握るという思考ですね。独自に自分らで作り上げようというのではなく、英語をマスターすれば世界に追いつけ発展できるという、独自の開発思考ではなく開発を持ち込むには英語が必要だという依存症候ですね。
「手工業の職人の技術の積み重ねが近代工業の礎になる」というご指摘にはまこと同感です。でなぜマレーシアにそういう伝統が生まれなかったのでしょうか?
それは日本の江戸時代にはすでに手工業が育っていたのですが、それに当る封建マラヤには手工業が発展しておらず、さらにポルトガルが次いでオランダが進出してきて最終的には英国の植民地化を招いてしまった。ですから手工業の発展を経験せずにいきなり当時の先進国の支配化に置かれたことになる。当然ながら英国の植民地運営は、その被植民地国・地域の発展など念頭にありません、念頭にあるのはマラヤを如何に英国にとって都合のよい国に仕立て上げるかに力を入れることでした。それが上で述べたように、錫と生ゴムだけを産出する単一産品産出国化なのです。
Zさん:何故原材料の錫やゴムを輸出しても製品化の発想が生まれなかったのでしょうか。何故英人が汽車を持ち込んで来た時、真似事でもマレーシア人の手で作ろうと好奇心が起きなかったのでしょうか。
コメント:その疑問は、「何故マレーシアでは手工業の職人が生まれなかったのでしょうか」 と表裏一体の関係ですね。上で書きましたように、マラヤは単なる錫と生ゴムの生産地であり、その労働力確保のためにインド人と中国人が移入された。中国人はやがて物流を握っていったし手工業技術者もマラヤの地に渡ってきたが、西欧並の工業生産技術をもっていなかった。マレー人は一部のエリートは官僚に登用されたが技術者とはならなかった。多くのマレー人はカンポンで生活し、町の主人公ではなかった、当時の町は圧倒的に華人が多い。
Zさん:英人に邪魔されたのでしょうか。DNAか先祖伝来の生活環境の違いからくる体質でしょうか。マレーシアでは河川沿いのカンポンでの農耕生活が主流であったと思います。昔日のKLは人口のみ多い町で日本の江戸のような都市機能はなかったのでしょうか。また江戸時代の大名の参勤交代制のような全国的な情報交換のシステムはなかったのでしょうか。
コメント:徳川幕府のようにマラヤを全支配するスルタンは生まれていません。北部と東海岸の州はシャム(現在のタイ)の影響下にあり、ある種の朝貢をしていた。各州ではスルタンがその州に君臨したわけですが、その支配は絶対封建支配性ではなく脆弱さを持っていた。その脆弱な支配形態を英国に利用されて、またたくまにマラヤは英国植民地に組み込まれたわけです。クアラルンプールはまだ出来上がって100年ちょっとの比較的新しい町であり、当時は人口数万人程度の小さな町です。しかもこの町を発展させたのは中国人です。中国人は出身地毎に組織した”パン”を基にいわば自治組織を作り上げ、クアラルンプールを握っていたのです。
Zさん:多民族社会でありながら、アメリカのような各民族共通の制度やルールに基づく運営方法がなぜうまれなかったのでしょうか。すべてがマニュアル化され、これを尊重する各民族共通の土俵がないのが不思議です。
コメント:アメリカ社会は先住民族を徹底的に侵略抑圧することによって後からの移民がしやすいように仕上げた移民社会です。一方マラヤはマレー人の地に英国によって外国から人が移入されたわけですが、マレー人を徹底的に侵略抑圧して移入させやすくしたわけではありません。加えて英国が大枠として法と経済をコントロールしたので、各民族に共通した上部機構といえばそれは英国の息のかかった官僚制であり、支配者の言語であったはずです。
それと各民族に共通した制度が生まれなかった大きな大きな要因は宗教の違いですね。キリスト教社会が当時そして今も主流のアメリカとイスラム教がマレー社会の柱であるマラヤとを同一視することは無理です。
当時は異教徒間の婚姻も比較的簡単であり、現代のような世界的イスラム復興現象は起っていなかったので、イスラム教の枠組みはずっとゆるやかなものであったはずですが、それでもイスラム教という枠組みは、非ムスリムには壁であったことは間違いありません、同様にマレー人にとってイスラム教はアイデンティティーの要でもあるのです。
Zさん:マレーシアへの技術移転は先ず受け入れの下地作りが緊急の重要課題と思います。ならばどうする?・・・・です。先ず過度の多民族の文化尊重の弊害を除去しマレーシア国民として一体化する為、すべての分野がマニュアルに基ずく必要があり、反面マニュアル化による社会の劣化を防ぐ教育訓練が必要と思います。
コメント:「過度の多民族の文化尊重の弊害を除去しマレーシア国民として一体化する為」 は不可能です。各民族がぞれぞれの文化を保持しそれを保証されているところが、マレーシアの存在価値であり、且つ華人やインド人社会にとってイスラム化への圧力をかわす盾にもなっているのです。これを取り外すことは華人やインド人社会にとって自殺行為を意味します。もちろんマレー社会がイスラム教を薄めることはありえません。ですから、マレーシア国民というのは、マレー人を中心として、あくまでも華人があって、カダザンドゥスン人があって、インド人があって、その上にマレーシア国民があるのです。
この大原則をくずすことはマレーシアの不安定化に即つながります。ですからマレー人性を残し、華人性を残し、その上でマレーシア国民としての一体感を醸成していくしかないのです。
Zさん:マハチール首相のようなIT分野のオイシイところだけに力を入れ基盤をおろそかにする拙速主義は社会や産業基盤の空洞化を招きIT分野そのものもマレーシアに定着しないで崩壊すると思います。工場移転と同じで外国資本が逃げれば後に何が残るでしょう。
コメント:同感です。知的所有権に極めて理解の低い国民がIT発展にどれほどまい進できるのか、いささか疑問でもあります。
Zさん:私は日本の近代化は製鉄および造船が出発点であり、その技術を基盤に蒸気機関車や橋梁、建築、石油プラント、化学プラント、原子力発電などの技術に発展したと思います。これらの産業を発展させた職人の教育水準ですが私の先輩達は小学4年から最高でも高等小学校2年卒業です。大きく分けて明治期は小学4年、大正期は小学6年、昭和初期は高小2年卒、戦後は旧制工業又は工業高校卒です。低学歴ですが技能技術を学ぶことにより高収入が保証され、出世していきました。
コメント;これは当時の日本ではできたのであって、現代の日本ではもう通用しないと思います。20世紀前半から終戦前までに生まれ育った世代では、優秀な人でも教育の機会に恵まれなかった人たちが多かった、だから才能と努力があれば、経済界でも政界でも労働界でも上部への道があった。しかしもはや成熟した社会の現代日本ではこれは無理ですね。
ましてや技能技術への評価が薄いマレーシアでは数十年前でさえ不可能なことだったことでしょう。
Zさん:有名企業の創業者には職人出身が多いです。私の知るある会社の創業者も学歴は小学卒ですが特許を取得された製造機械と高度な生産技術で戦後日本の工業発展に大きく寄与されました。
マレーシアでは生産技能者の社会的地位が低く、評価されない。工場ワーカーの給料が安く、事務所スタッフとの格差がありすぎる。これは人件費を押さえたい日系企業の思惑も関係あるようです。米系企業フイリップモーリスなどは完全に能力給のようでした。
コメント:生産技能者の社会的地位が低く、評価されない。工場の現場労働者の給料が安く、事務所スタッフとの格差がありすぎる。まことそうです。これを根本的に改めない限り、技能労働者の地位向上はないでしょう。この傾向とあり方は、単に日系企業だけではなくマレーシア社会に通ずる出来事です。日系企業は単にそれに従っているだけですね。
Zさん:以下ある会社の給与の概略です。マネージャークラスはRM3000〜RM4500、オフイサークラスはRM2000〜RM3000、クラーク及び工場ワーカーは平均RM650。なおオフィサー以上(日系駐在員及び華人系)は住居、乗用車は会社貸与です。
学歴重視の身分制社会であることと、華人系が優遇されていることが良くわかりますね。日本人マネージャーのお好みが華人、マレー、インドの順ですから当然給与に反映されます。
コメント;イスラム教になんとなく違和感を抱く日本人が華人好みになるのはある面では仕方ないとは思いますが、もちろん好みがない方がいいに決まってます、その程度が過剰だと思います。さらに日本人の他言語取得努力の不充分さもそうなる原因の一つだと思います。いろんな工場を訪れたり通訳した経験から言えば、日本人中間管理層が混み入ったコミュニケーションができないので、複数言語話者である華人に頼りがちだとの観察観を私は持っています。特に(英語をほとんど解さない)マレー人低職位の者たちとのコミュニケーションが日本人は非常に苦手である。
こういった結果から人物、仕事評価などで、コミュニケーションの取りやすい華人を上に選んでしまう。インド人は数自体が少ないので、一般化させていうのは難しいです。
Zさん:一応給与の査定基準はあるのですが資格の判定基準が大雑把ですからマネージャーの御心次第になります。またワーカーの技能レベルの1ランクの給料差はRM50です。3段階ですから熟練工になっても給料はRM100上がるだけです。もっと現業を優遇しないと技術習得も労働意欲も湧きませんね。
コメント:まこと同感です。技能職位と現場熟練労働職位にもっと厚遇すべきだと思います。工場の品質は最終的に工員の質にかかっているのではないでしょうか。いくらISO規格をとったって、真の品質向上・改善にはならないのではないでしょうか?
後略
以上
筆者(Intraasia)はマラヤの歴史について決して詳しくはありませんので、手工業発展の見方に一部間違った理解があるかもしれませんが、これまでの知識と見聞を基に意見を書きました。マレーシアで、特に工場などで、仕事された方に興味ある題材をこのコラムは含んでいると思います。最後に掲載を了承していただいたZさんにお礼を記しておきます。
2000年7月全国一斉に実施された”2000年全国人口と住宅調査”の人口面に関する統計の最終報告が、2001年11月頃発表されたことを受けて、前編では統計の概略を示す表を示しながら、その特徴を解説しました。そこでこの中編では各州別に細かく統項目を示していきます。数字は2000年7月時点のもの。
年齢による統計 | 未婚比率 | ||||||||
州名/ 統計項目 | 人口 |
人口 密度 |
州人口 比率 |
町人口 割合 |
中央値 (才) |
14才 以下 |
依存度 (%) | 男 | 女 |
ジョーホール州 | 274万 | 144 | 11.8% | 65.2% | 24.5 | 31.7% | 55.2 | 40.8 | 31.0 |
ケダー州 | 165万 | 175 | 7.1% | 39.3% | 23.1 | 34.8 | 65.9 | 35.3 | 28.1 |
クランタン州 | 131万 | 87 | 5.6% | 34.2% | 18.8 | 41.5 | 86.3 | 36.1 | 27.2 |
マラッカ州 | 64万 | 385 | 2.7% | 67.2% | 24.3 | 32.0 | 58.9 | 39.1 | 31.5 |
N.スンビラン州 | 86万 | 129 | 3.7% | 53.4% | 23.9 | 32.2 | 58.1 | 40.5 | 30.2 |
パハン州 | 129万 | 36 | 5.5% | 42.0% | 22.2 | 35.6 | 63.3 | 38.7 | 28.7 |
ペラ州 | 205万 | 98 | 8.8% | 58.7% | 25.1 | 32.6 | 62.4 | 37.2 | 28.4 |
ペルリス州 | 20万 | 257 | 0.9% | 34.3% | 23.9 | 33.8 | 66.1 | 31.3 | 26.1 |
ペナン州 | 131万 | 1274 | 5.6% | 80.1% | 27.0 | 26.9 | 46.8 | 40.6 | 34.3 |
サバ州 | 260万 | 35 | 11.2% | 48.0% | 20.1 | 38.4 | 68.8 | 39.7 | 31.0 |
サラワク州 | 207万 | 17 | 8.9% | 48.1% | 23.6 | 34.3 | 62.8 | 36.2 | 28.4 |
スランゴール州 | 419万 | 526 | 18% | 87.6% | 24.5 | 30.5 | 49.7 | 41.9 | 34.7 |
トレンガヌ州 | 90万 | 69 | 3.9% | 48.7% | 19.3 | 40.3 | 78.9 | 39.7 | 30.1 |
クアラルンプール | 138万 | 5676 | 5.9% | 100% | 26.6 | 25.6 | 40.4 | 44.3 | 39.1 |
合計/平均 | 2327万人 | 71人 | 100% | 62% | 23.6才 | 33.3% | 59.2% | 39.5% | 31.3% |
人口密度の低さと高集中度の違いの大きさに驚きますね。サラワク州とサバ州パハン州はその密度の低さの極である一方、クアラルンプールとペナン州が高集中の極ですね。特にクアラルンプールは如何に都会化しているかがわかると思います。
クランタン州とトレンガヌ州は半島部の他の州と比べて常にそのユニークさを言われますが、この表からもそれがうかがわれるのです。年齢の中央値がこの2州のみ20才以下の18才と19才であり且つ14才以下人口がこの2州のみ40%を超えています。従って依存度がクランタン州でなんと86%、トレンガヌ州で79%という圧倒的な高率ですね。簡単に言えば労働人口に比して子供人口がものすごく多い、低所得州ということです。
なぜこんなが現象が起るかは、両州特にクランタン州ではまともな工業が存在しないことと世帯当りの子供数が多いことが、主たる要因でしょう。クランタン州は農業漁業林業の第1次産業だけに偏重しているわけで、工業面で労働供給市場を生み出せず、このため労働人口中で州外へ移住して働きに出ている人口が多いのが特徴です。トレンガヌ州は、石油と天然ガスが産出されるのでそれに関わる大企業と関連する小企業が操業していますが、それ以外に目立つ工業はありません。こうしてトレンガヌ州も、石油産業を例外として第1次産業に依存しているのです。
未婚比率におおいて各州間に極端な違いはありませんが、男がすべて5%から10%ほど女性より低いのは、どうしてなんでしょうね?総人口において男女の差は男が40万人ほど多いだけなのに、なぜこの開きがでてくるのだろう?
結婚年齢が遅れてきた傾向が明らかだと、報告書は分析しています。これを裏付けて、男性の平均初婚年齢がわずかに上昇して、1991年の28.2歳から28.6才になり、女性の場合は1991年の24.7才から25.1才になりました(前編)。
20才から34才の層で、まだ結婚したことがないという人の割合が1991年の43.2%から2000年は48.1%に増えました。そのうちこの20才から34才の範囲で男性の場合では57%、女性の場合は38.5%である。男性と女性の間で実に20%近い率の開きがあるのはどうしてでしょうか?男性の方が多少晩婚である、ムスリムの場合一夫多妻の人もいるが数はごく少ないので、男女の未婚率に極端な開きの原因になるとは思えない、男性の方が全体的に多少独身が多い、などの理由は浮かびますが、20%もの開きになるとは思えません。筆者には明確な原因・理由が思いつきません。
国内でも初婚年齢が遅いのはクアラルンプールで、男性が30才で女性が27.1才です。次いでペナンで、男性29.3才で女性が26.3才です。スランゴール州では、男性29.1才 女性26.3才です。初婚年齢が早いのは、ペルリス州 男性が27.2才 女性 23.8です、サラワク州 男性が27.3才 女性が23.5才です。傾向として、町人口比の高い州つまり都会化の高い州が町人口比の低い州より初婚年齢が遅いのは、日本でもそうでしょうから、理解できますね。
年齢層 | その総数 | 未婚 | 結婚 |
配偶者 と死別 |
離婚又 永別 |
10才から14才 | 249万2千人 | 99.6% | 0.4% | 235人 | 77人 |
15才から19才 | 236万7千人 | 97% | 2.9% | 755人 | 888人 |
20才から24才 | 208万7千人 | 78.4% | 21.2% | 0.1% | 0.2% |
25才から29才 | 192万1千人 | 42.5% | 56.7% | 0.3% | 0.5% |
30才から34才 | 180万人 | 18.8% | 79.7% | 0.7% | 0.9% |
35才赤39才 | 170万5千人 | 10.1% | 87.7% | 1.2% | 1% |
全年齢層合計 | 2327万5千人 | 1324万人 | 922万6千人 |
67万9千人 (7.4%) |
12万5千人 (1.4%) |
表に示したように、なんと10才から14才の層ですでに結婚した者が数は少ないとはいえあるのです。この層の総数である250万人中約1万人が結婚していると答えている、もちろんこの人たちは結婚登記庁に結婚登記した数ではなく、慣習的なり実質的に結婚しているということでしょう。ですから法律に基づかないと結婚登記できない結婚登記庁の数と違っている可能性が十分あります。で、この1万人中の男女比は、男が4割、女が6割です。さらにもっと驚くのは、配偶者と死別が235人、離婚(?)が77人いることです。10才から14才で配偶者と死別!又は離婚・永別!
10才から14才の層ですでに結婚した者が圧倒的に多いのがサバ州で2000人弱、サラワク州で1000人強、クアラルンプールで626人います。試みにサバ州の10才から14才の層の総数を見ると31万人ですから、約0.6%にあてはまりますね。先住少数民族の間での慣習という面があるのでしょうか?それとも別の原因なのでしょうか、筆者にはよくわかりません。
全国の離婚・永別者数12万5千人を見ると、男1に対して女性3の比率であり、なぜ離婚男女の数にこれほど差があるのでしょうか?
クアラルンプールを例にとってみます。その総人口138万人ほどのうち、未婚が77万5千人、既婚が56万人、配偶者をなくした者 3万5千人、離婚・永別者9千人。結婚している年齢層は30才から39才の層が一番多い18万5千人、20才から29才では9万人だけです。離婚となると40才から49才の層が最多で2900人、30才から39才で2600人。離婚しても調査時点で再婚しておれば、既婚に含まれますが、既婚者56万人に対して離婚・永別が9千人というのは、決して大きい数とは言えませんね、2%にも達しませんからね。
10代で結婚している(10才から19才)人数は2532人で、そのうち男子35%、女子が65%です。が既婚者全数の56万人から見てこれを多いというのか少ないと言うのか、筆者にはちょっと判断がつきません。
人口418万8千人ほどのスランゴール州で見ると、未婚が239万4千人、既婚が168万3千、配偶者との死別が9万5千人、離婚が1万6千人です。10才から14才までで結婚した人数は、男が792人で女が943人の合計1735人です。10才から19才の10代で結婚した数は、7848人です。
スランゴール州で結婚最多の年齢層は35才から39才です、30万6千人、ついで30才から34才で29万5千人です。離婚の多い年齢層は30才代と40才代でそれぞれ5千人強です。
スランゴール州の離婚分析で興味深い結果がでていますので紹介しておきましょう
男女合わせて16658人のうち、女性が圧倒的に多く12960人、男性が3698人です。スランゴール州はこの男女比が全国平均より高いことになります。
サバ州を見ると、州人口260万人中既婚数は97万1千人で男性と女性の既婚数はほぼ同数です、ただ男性の方が州人口中で9万人ほど多いので、やはり女性の既婚率が高いことを証明しています。離婚面では、総数4万8千人で男性1に対して女性3の割合ですから、全国比に似ています。
ペナン州では州人口131万人中既婚数は54万8千人、ここでも女性の既婚者数は多く、男性より7万人多いのです。離婚者数は6800人ほどで、男1人に対して女性は2.6人の割合です。
一般に離婚率は年々増加しているそうで、女性の離婚率が男性より高いのは上でも書きました。でもクアラルンプールで離婚者数は既婚者数の2%弱、サバ州で1.6%、ペナン州、スランゴール州で1%程度ですから、世界の国の中で高いとまで言えるのでしょうか?いえないように思いますね。
マレーシアでは非ムスリム対象の裁判所(下級から上級まで)とは別に、ムスリムの家庭、結婚・離婚、財産、相続など民事と家庭事件に関する裁判は、それ専門の法律によって裁く法廷つまりシャリア裁判所(下級から上級まで)があります。ムスリムと非ムスリムが結婚する事は認められていないので、両方にまたがる例は出てこないはずです。なぜなら、非ムスリムはムスリムと結婚する前に、イスラム教に改宗か入信の義務がありますから、これに従わなければ結婚そのものが最初から成立しません。ムスリム夫婦間に生まれた子供は100%ムスリムになりますし、さらにマレーシアでは、マレー人のように生来のムスリムがイスラム教から離脱することは全く認められていないからです。
尚ムスリムの離婚に関するシャリア法の説明をずっと以前である第54回コラム ”ムスリム女性の離婚“ で書きました。今回のコラムの背景を知るために是非必要な事柄を載せていますので、このコラムをお読みになる前又は後で、目次から「97年9月と10月分」のファイルを開いてお読みください。
そこでシャリア法廷ではどんなケースが裁かれているのでしょうか、非ムスリムには非常にわかりづらい且つ知り難いことです。そこでそれを窺い知るための一助として、例えば次のような裁判例を、マレーシア語紙Harian Metro の2001年10月10日付け記事から訳出してみました。
クアラルンプール下級シャリア裁判所に対して、ある女性が法定に出廷しようとしない夫を捕まえてくる令状を発行してくれように申し入れました。原告のRahaya(妻)は裁判所に次のように知らせました、被告のKadir(夫)は原告が提出した法定離婚の申請に関する件のために裁判所に出廷しようとしない、と。
裁判官はこれに答えて次のように語った、原告に拠れば、原告は被告に法定に出るようにと説得した、「私は夫に出廷するようにあきるほど伝えている。それに昨晩Bukit Intanの家で彼に会ったのです。」
原告は法定に同時にこうも伝えました、夫への召喚状を以前法定に知らせた住所に替えて新しい住所宛てにもう一度送ってくれるようにお願いします、と。さらに原告の妻は、この法定離婚に証拠を示す過程において、それを支持するための証人はいませんと述べています。
このため法廷は、夫を召喚するための令状を発行するという原告の申し入れを拒否しました。
以上
原告側に証人がいないから、裁判官は原告の申し入れを拒否したのでしょう。記事には書かれていませんでしたが、筆者(Intraasia)はそう理解しました。ムスリムでない者にとって、つまりほとんどの日本人にとってムスリムに関する家庭、結婚・離婚、財産、相続などのイスラム法つまりシャリア法の知識はごく薄いものですよね。マレーシアのムスリムであってもこのシャリア法に通じているのは専門家や聖職者であり、一般ムスリムの皆がこういったことによく通じているとはとても考えられません。もちろん日本人一般の知識よりはるかに上なのはいうまでもありませんが。
そこで今回のコラムでは、このムスリムの主として離婚ケースを裁くシャリア下級法定の様子を伝える新聞記事を数個和訳して、読者の皆さんにムスリム特にマレー人の離婚裁判の模様を紹介してみます。尚こういった記事は当然マレーシア語紙だけが載せますので、有名人の離婚裁判でも行われない限り英語紙と華語紙に現れる事はまずありません。
そこでマレーシア語新聞の内タブロイド版新聞であるHarian Metro の法廷模様ページから選びました。Harian Metro紙は日刊のマレーシア語紙3種中の大衆紙で、記事と内容が比較的読みやすいのが特徴です。尚マレーシア語紙には週間と旬間新聞をいれれば種類はまあたくさんありますが、全国的日刊紙は、このHarian Metro以外には、綜合2大紙であるUtusan Malaysia, Berita Harian の2紙のみです。
Harian Metroはその紙面の中で定期的にシャリア法廷の模様を伝える記事を載せています。下記に和訳した中には、時々こなれない訳語と言いまわしががありますが、筆者のマレーシア語実力はそれほど上級ではないので、そのあたりはご勘弁ください。
次ぎは2002年1月31日の記事からです。
クアラルンプール・シャリア下級裁判所における裁判で昨日、ある女性が申し立て理由を述べる中で 「私の家庭をじゃましないでください、とショートメッセージサービス(SMS)を使って伝えた」と語りました。その女性Norsalmah Abdul Salamは夫Abdul Razak Miskam が彼女に対して離婚を宣言した原因を伝える事でこのことを説明しました。
彼女の説明に拠れば、出来事が発生したのは昨年12月18日の朝8時半ごろでした。「その時はハリラヤの3日目で、私はいつものようにチェラス地区にある我が家の整理整頓をしていました。夫の携帯電話が鳴ったのですが、夫はまだ寝ていました。私は携帯電話の画面でかけて来たその番号と名前LinSayang (夫の女友達)を見ました。夫が他人と関係があることを私はちゃんと知っています。その後で私はその電話をかけて来た相手に、私の家庭をじゃましないでくださいというSMSを発信したのです。」 とこの女性は説明しました。
この裁判はMohd Nasir Abdul Majidシャリア裁判官のもとで行われました。原告の彼女は続ける、そして朝9時ごろ夫が起きてきて、いつものように家から出かけました。「私は彼がどこか別の場所で電話する事を知っています。夫が戻ってきた時私は台所にいましたが、夫は私に向かって、Azam、イスラム教の定めによって離婚すると1回宣言する(talaq)ことでお前を離婚する、と告げたのです。その理由は夫言うに、私がこういった行動するのが好きでないとのことです。Azamとは私の愛称です。」
裁判官:この出来事より以前に離婚宣言はあったのか?
原告:ありません。夫が離婚を宣言した後で、私はすぐにありがとう、と言いました。
裁判官:離婚の宣言を撤回することはあったか?
原告:ありません
裁判官:離婚の宣言があった時、あなたは生理期間中でしたか、神聖な時期でしたか?
原告:神聖な時期です
裁判官:(注:ここに現れた単語の意味がわからないので空白にします)
原告:いいえ
裁判官:被告は陳述をしなさい
被告:朝9時半頃です、私はすでに起きており、そして電話が1回かかってきました。私の友人が、彼の父親がなくなったと伝えてきました。その友人は、そのことを私に伝えたかったのにどうしてこんなSMSを受けたのだろうと、私に尋ねました。彼は私を罵り侮辱しました。私は腹を立てて家に帰り、「Azam、イスラム教の定めによって1回離婚宣言する事(talaq)でお前を離婚する」 と離婚を彼女に伝えたのです。
裁判官:Azamとは誰の事を指しているのか?
被告:私の妻です
裁判官:あなたが離婚と発言することを強制させるような者がいますか?
被告:いません
裁判官:何時ごろ離婚は発生したのか?
被告:午前11時です
裁判官:あなたがこれを発言した時誰か一緒でしたか?
被告:誰もいません
これを裁く過程で裁判官Mohd Nasirは、原告と被告の間でなされたイスラム教に定められた夫から妻への離婚宣言(talaq)は決定すると裁定しました。
離婚は裁判所の許可なく裁判所の外でも起ります。
以上
短いこの記事内容だけで推定すれば、妻がこのSMSを送信したのが離婚決定の一番の理由ということなのでしょう。ところで裁判官の「離婚の宣言があった時、あなたは生理期間中でしたか、神聖な時期でしたか?」という質問は、民俗学でいういわゆる”ハレと穢れ”の意味合いを持つのであろうか?離婚裁判にどういう意味合いを持たせているのか筆者にはわかりません。
次ぎもこのHarian Metro紙の2002年1月31日の記事からです。あまり日常語でなさそうな難しい単語を羅列した記事で、適訳語を選ぶのに苦労しましたが、内容に間違いはないはずです。
昨日クアラルンプール・下級シャリア裁判所の法廷で、夫が別の女性と秘密の関係を持っており生活費をくれないので、その夫との離婚を認めてくれるようにという、一人の妻からの訴えがありました。この法廷の裁判官はMohd Nasir Abdul Majidシャリア裁判官です。原告女性のNoraisha Omar は代理人であるシャリア弁護士のAmil Embongを通じて、Mohidin Ariffin とのFasakh離婚を申し立てました。
被告は弁護士Dr. Mohd Razuan Ibrahimが代理を務めます。 原告はその訴え公示の中で、次のように陳述しました、被告は無責任である、被告は宗教的実践を励行しない、被告は虐待する、と。
原告側弁護士はその申し立て中で、口論又は何らかの思わしくないことが起きるかもしれないという心配から、被告が夫妻の家族の家へ戻る事を禁止する命令を裁判所に申しいれました。「私はここで口述申請をしたい、それはこの裁判ケースが終るまで被告がその家族の家へ戻る事を防ぐ暫定命令です。」 「これはこの夫妻がまだ一つ屋根の下に住んでいるという議論につながるかもしれないという心配からです。もし被告が家族の家へ自由に戻ってもよいとなれば原告にとって災難をもたらすからです、なぜなら問題は非常に厳しい事でありさらに争いにも結びつくからです。」
原告弁護士Amilに拠れば、原告を支持するための証拠は家に保存されている、もし被告が禁止されないとその証拠は被告によって破壊されてしまうかもしれません。
裁判官Mohd Nasirはこう告げた、原告側の説明するようであると仮に判断すれば、被告はこの反論陳述に入ってはいけません。もし議論しあってこの件を長引けさせれば、法廷の時間を浪費することになる、と。「もし双方がこのケースを良い形で解決したいと願うならば、法廷はそれを許します。法廷はこのケースが良い形で解決される事を望む、なぜならそれが一番いい形だからです。」
裁判所はこの件を次回は4月2日にすると通知しました。
以上
俗な言葉で言えば、夫が他所に女を作って家に金を入れないということでしょう。こういった問題から裁判に訴える例はどこの国でもどの宗教信者でもありがちな出来事ですね。まあ妻側が他所に男を作るという例だって、少ないとはいえマレーシアでもあるでしょうが、その場合家に金を入れないというのはほとんど起りえなさそうですね。夫が夫婦のその家に戻るのを暫定的に禁止するという命令は日本の裁判ではあまり聞かないことのように思われますが、どうなんでしょう?
このケースでは、双方間で話し合いをつけたほうがよいと裁判長は促しています。ですから結論も判決もまだ出てないわけです。
このコラムでは3つのケースを紹介しました。日本人の感覚から言えば、ちょっと納得できないような”その2”の場合もありますが、シャリア法廷といえどまあ同意できそうな”その3”の場合などもありますから、シャリア法廷のすべてが非ムスリムの観念、感覚とは違う裁判ともいえないと思います。たったこれだけの例で決めつけてはいけませんから、もっとたくさんのケースを読めばその辺がだんだんと明確になりそうです。またいつか紹介しましょう。
タイトル通り、種種の事柄にうんちくを傾けた豆知識のコラム第2回目です。
しばらく空席であったCourt of Appeal(控訴裁判所)の長官を国王が任命書を与えたことで、2001年9月1日付けでその職に新任者が着きました。連邦憲法によれば、国王は、首相の(誰を候補にするかの)忠告に基づいてスルタン会議に図った後、控訴裁判所の長官を指名します。尚誰を候補にするかについて首相はChief Justice と協議する事が義務つけらえています。
また今回の控訴裁判所の長任命と同時に、Chief Judge of Malayaも任命しました。
マレーシア司法制度では、Federal Court (連邦裁判所)が最上級になり、その下が Court of Appeal (控訴裁判所)です、その下が各州にあるHigh Court (高等裁判所) となります。連邦裁判所の裁判官のトップをChief Justice と呼び、 控訴裁判所の長官は司法制度ではNo2になるのです。
半島部の全高等裁判所を管轄する長をChief Judge of the High Court in Malaya と呼びます。マラヤという名前が残っている事に注してください。サバ州とサラワク州の高等裁判所を管轄する長をChief Judge of the High Court in Sabah and Sarawak と呼びます。このように歴史的経緯から、高等裁判所は半島部とボルネオ島部に管轄が分れています。しかしその上級である控訴裁判所は1つであり、連邦裁判所が頂点になります。尚控訴裁判所は比較的最近の1994年に設立されました。
高等裁判所は死刑を伴う裁判判決ができるので、そういった裁判は下級裁判所から移ります。下級裁判所にはほとんどの州都にあるSession裁判所、 さらにMagistrates裁判所があります。
訴え金額RM5000を超えない、小さな争いを裁く裁判所としてSmall Claim 裁判所があります。この裁判所では関係する当事者のみが出席し、弁護士を同席させない裁判を行います。
マレーシアの司法制度の中にあるが対象をムスリムに絞った裁判組織があります。ムスリムの家庭、結婚・離婚、財産、相続など民事事件に関する裁判は、それ専門の法律に従ってシャリア法廷つまりシャリア裁判所各種で行います。ですから上記の各種裁判所で審判されません。ムスリムと非ムスリムが結婚する事は認められていないので、両方にまたがる例は出てこないはずです。なぜなら、非ムスリムはムスリムと結婚する前に、イスラム教に改宗か入信の義務がありますから、これに従わなければ結婚そのものが成立しません。さらにマレーシアではムスリムがイスラム教から離脱することは認められていないからです。
連邦憲法160条で定めるマレー人の要件には4つあり、この4つをすべて満たさないとマレー人の範疇になりません
第4の要件中の後半部分の意味は、単にマレー人の血統では不充分であり、少なくとも片親がマラヤ連邦又はシンガポールで生まれたことが条件であるということです。子孫であるというのは、独立当時マレー人の範疇に入った者の子供、孫などということですから、独立以後マレーシアの地でマレー人の間に生まれた者であれば自然にここでいう子孫にはいるのです。
さらにこの160条で規定している中で注目すべきは、マラヤ連邦と記されているので、1963年にマレーシア結成参画したサバ州とサラワク州のマレー人は連邦憲法定義上ではマレー人範疇から抜け落ちている事になります。厳密に言えば、サバ州とサラワク州のマレー人はそれぞれの州の先住民族つまりブミプトラということです。
法律の中には、ブミプトラという単語をサバ州とサラワク州の先住民族を指すとしている法律がある。また半島部のマレー人を意味するためにブミプトラという言葉が広く使われているが、しかしこれは法律文で定義されているわけではない。要するにブミプトラという単語は政治的造語であり、それを法的に裏付ける定義はどこにもないのです。
このことばの有効性は、憲法153条で特権を付与するという点において柔軟で現実的であることを許すという面にあります。つまり憲法160条ではマレー人の範疇に入れないインドネシア出身のマレー人やオランアスリを考慮に入れるという自由裁量を、このブミプトラという言葉には持っているのです。
連邦憲法下では次のように定める:
これを説明して、「連邦憲法の下でマレー人であるためには、必ずしもマレー民族である必要はない。反対にマレー民族であってもイスラム教を信仰しなければマレー人ではないことになる。」 ということだそうです。もっとも現在マレー人がイスラム教を離脱又は他宗教に改宗する事は認められていませんから、マレー人は国籍を離脱しない限り、マレー人でなくなることはできないのです。
憲法下でマレー人とならないのは、
マラッカ州とペナン州を除いた全州には、マレー保留地を定める法律があります。マラッカ州はこの間隙を埋めるために、慣習的土地を認めています。さてこのマレー保留地を取得するために、各州にはそれぞれマレー人の定義があり、これらは連邦憲法の定義と少しづつ違っているのです。全ての州は宗教、言語、民族を強調はしているのですが、差異は出てきます、例えばケダー州とペルリス州ではタイ出自のマレー人もマレー保留地を取得できるのです。ジョーホール州ではムスリムであれば、マレー人でなくてもマレー保留地を取得できる事になっています。
さらにどの州の定義でもマレー保留地を取得するのに、マラヤ連邦又はシンガポールにルーツを持たねばならないと要求してないので、マレーシア国籍を持たないマレー民族出身がマレー保留地を取得できる現状に結びついているのです。
ただこの違いは国の方針で統一化させることになるでしょうとのことです、いずれにしろ華人やインド人はマレー保留地を取得できないということにかわりはありません。
マレーシアは2重国籍を認めていない国です。まずこれを知っておいてください。
英領マラヤ連邦が独立した1957年8月31日を境にして、マラヤ連邦憲法に従って多くの移民者、中国人やインド人が主体ですね、がマラヤ連邦の国籍を与えられました。これによってマラヤ連邦の国民人口はほぼ倍増したぐらいだと言われています。
この国籍授与決定はまことに政治的判断からなされたことですが、独立以後はマラヤ連邦は法律上他国籍者に国籍を授与する事に厳しく対処してきました。憲法の国籍に関する条項の改訂には、国会で3分の2以上の賛成とスルタン会議での同意及びサバ州とサラワク州の長の同意が必要であると定めてあり、これはたいへん厳重な規定です。
国籍の取得には4つの道があります:出生、血統・出自、登録、帰化。さらにものすごく特別ケースとして新領土を得た事により取得する、があります。ここで一般外国人がマレーシア国籍を得る場合は、出生と出自・血統は関係ないですね。
登録
登録とは次の申請が成功裏に受けつけられた時をいう。
国籍取得を申請できる4つの方法
憲法19条に基づく。21才以上の者が申請の直前の12年間に少なくとも10年間はマレーシアに住んでいる(いた)こと、且つ品行方正でマレー語の十分な知識があること、これらを満たせば帰化申請できる。
上記でわかるように国籍に関するマレーシア法は性差別がみられる。さらに2001年中頃国会で議決された、女性差別のある面を改めるという憲法8条の改正の影響はうけない。
国籍取得における決定的な法の弱点は2つあり、まず1つ目はマレーシア男性の子孫であることを要求している点です。マレーシア女性の子孫であるという点は考慮されません。2つ目はマレーシア人男性が外国人女性と結婚する場合には、その外国人妻が国籍を取得できる特典はあるが、マレーシア女性が外国人男性と結婚した場合、その外国人夫が国籍を取得できる特典はないのです。彼は最低12年間は申請まで待たねばならない。
2000年7月全国一斉に実施された”2000年全国人口と住宅調査”の人口面に関する統計の最終報告が、2001年11月頃発表されたことを受けて、前編では統計の概略を示す表を示しながら、その特徴を解説しました。そして中編では各州別に細かく統計項目を示して解説しました。最後の後編では、宗教面に限って統計数字を示して解説します。数字は2000年7月時点のもの。
マレーシア社会で、宗教の占める位置と持つ力はものすごく大きいものがあります。
イスラム教は単純に政治と宗教と社会を分けられる、境目を明確にできる宗教ではありませんね、むしろ政・教・社会一体型の宗教だと言ってもいいでしょう。マレーシアではイスラム教が国教ですから、イスラム教の持つ重みは相当なものであることは、例えば各地に建つ立派なモスクの姿を眺めてみれば、皆さんにも推測できることと思います。
インド人コミュニティーの多数派にとってヒンズー教は、彼らの生活面を規範するといってもいいほどの意味合いをもっているようです。マレー人にとってのイスラム教と同じような意味合いでしょう。ヒンズー教の祝祭時などに多くのヒンズー教徒の行動を眺めると、如何に宗教が彼らの中で大きな思考と意味合いを持っているかが感じられます。
華人は一般に混交宗教徒ですから、一部の真の仏教徒とかクリスチャンを除けば、道教、儒教を含めて中国の先祖信仰宗教も信仰しています。つまり普段は家庭内に先祖を祭る祭壇を飾り、時に道教寺院に参拝する、一方ペナンへ行ったおりには仏教寺院にも参拝する、といった混交型宗教徒が多数ですね。日本人の宗教信仰に似ている面があります。ムスリムが絶対に他宗教の寺院・廟で信仰行為をしないのとは明確な対照を示します。それ以前にムスリムがそういう他宗教の施設を訪問すること自体珍しいことです。
宗教はあくまでも個人の選択と内面に限るべきだとの立場にたつ絶対無神論者の筆者ですが、それを訴えたり述べるのはこのコラムの目的ではありませんから触れません。ここではマレーシアにおける民族と宗教の占める割合を示して、マレーシア社会を知る、考える一助にしていただきたいということです。
総人口 2327.4万人 |
総人 口比 |
マレーシア 国民のみ | マレー人 |
非マレー系 ブミプトラ | 華人 | インド人 |
その他 民族 |
非マレー シア国民 |
各民族の人口 | 2188.9万 | 1168.0万 | 256.7万 | 569.1万 | 168万 | 26.9万 | 138.4万 | |
イスラム教 | 60.4% | 59.0% | 100% | 36.3% | 0.1% | 0.4% | 64.8% | 82.0% |
キリスト教 | 9.1% | 9.0% | 49.7% | 9.5% | 7.8% | 13.2% | 10.5% | |
ヒンズー教 | 6.3% | 6.5% | 0% | 0.3% | 84.1% | 0% | 1.8% | |
仏教 | 19.2% | 20.2% | 0.8% | 76.0% | 1.2% | 19.4% | 3.5% | |
中国伝統 儒教・道教 | 2.6% | 2.8% | 0% | 10.7% | 0% | 0.2% | 0.3% | |
民俗宗教 | 0.8% | 0.9% | 7.3% | 0.1% | 0% | 0% | 0% | |
その他宗教 | 0.4% | 0.4% | 1.4% | 0.2% | 2.2% | 0.3% | 0.3% | |
無宗教 | 0.8% | 0.8% | 3.7% | 1.6% | 0% | 0.5% | 0.7% | |
合計 | 約100% | 約100% | 100% | 約100% | 約100% | 約100% | 約100% | 約100% |
マレー人は全員ムスリムであることがこの表から確認できますね。マレー人はムスリムになるのでなくムスリムに生まれムスリムのまま一生をおくるのです、これは是非知っておいていただきたいことです。蛇足ですが、シンガポールのマレー人は一部ムスリムでない者も存在しますね。
表から言えるのは、キリスト教徒が意外に多いなということです。マレーシア社会を眺める時、祭日などの面でそれなりに注目を浴びるヒンズー教徒より数パーセントも多い。これに寄与しているのは、華人の1割がキリスト教徒ということですが、それよりも大きいのが非マレー系ブミプトラの半数がキリスト教徒だという数ですね。このほとんどはサラワク州とサバ州の先住民族になります、だから半島部ではキリスト教徒が9%を占めることが、なかなか実感できないということにもつながります。
ヒンヅー教徒は国民のわずか6.5%という少数派ですが、それに比してヒンヅー寺院の多さはよく目立ちますね。ヒンヅー教徒の信仰深さを反映して各地に数多くのヒンヅー寺院があることを示していると思います。インド人のマレーシア(当時はマラヤ)における歴史的経緯の関わりの深さと与党インド人政党MICの政治力強さで、インド人はその存在感を人口比以上にマレーシア社会に強く示していますね。インド人の中の0.4%がムスリムというのは、伝統的にインド人ムスリムはマラヤ時代から存在しますから、これを示したものでしょう。
華人の4人に3人までが仏経徒と答えているのはまあ理解できるところでしょう。ただこれは上記に書いたように道教寺院参拝や先祖信仰も同様に行うという混交型の人が多数でしょう。華人の1割弱がキリスト教徒で、実感に合っていますね。ところで華人社会においてさえも無宗教徒が2%に満たないという極少数であるのは、マレーシア社会がまこと宗教心の強い各コミュニティーから構成されていることを示す一面でもあります。
非マレー系ブミプトラ内ではムスリムが約3人に1人という数字は、ボルネオ島部でイスラム教の影響力を微妙に示している数字のように思えます。
非マレーシア国民に関しては、あくまでも参考というところですね。このうちどれほどがマレーシア永住権を持っているのかわかりませんし、長期滞在の多くは外国人労働者でありインドネシア人の割合が高いが、そのうち何割が調査対象になったかもはっきりつかめないでしょう。
民族別の構成比(合計100%) | 宗教別の構成比(合計100%) | ||||||||||
州名/ 統計項目 |
ブミプ トラ(マレ) | 華人 |
イン ド人 |
其他 民族 |
イスラ ム教 |
キリス ト教 |
ヒンズ ー教 | 仏教 |
中国 儒教 |
民俗 宗教 |
無 宗教 |
ジョーホール州 | 57.1(55.7) | 35.4 | 6.9 | 0.6 | 58.8 | 2.2 | 5.9 | 28.7 | 3.2 | 0.4 | 0.4 |
ケダー州 | 76.6 | 14.9 | 7.1 | 1.4 | 76.9 | 0.8 | 6.5 | 13.5 | 2.0 | 0.1 | 0.1 |
クランタン州 | 95.0 | 3.8 | 0.3 | 0.9 | 94.5 | 0.2 | 0.2 | 4.4 | 0.1 | 0.5 | 0.0 |
マラッカ州 | 63.8 | 29.1 | 6.5 | 0.6 | 64.2 | 3.9 | 5.6 | 24.1 | 1.5 | 0.2 | 0.4 |
N.スンビラン州 | 57.9 | 25.6 | 16.0 | 0.5 | 58.6 | 2.7 | 13.9 | 20.3 | 3.0 | 0.9 | 0.5 |
パハン州 | 76.8 | 17.7 | 5.0 | 0.5 | 73.8 | 1.2 | 4.4 | 13.7 | 2.5 | 3.6 | 0.8 |
ペラ州 | 54.7(52.4) | 32.0 | 13.0 | 0.3 | 53.9 | 3.1 | 11.0 | 24.0 | 5.9 | 1.2 | 0.8 |
ペルリス州 | 85.5 | 10.3 | 1.3 | 2.9 | 85.4 | 0.5 | 1.0 | 11.4 | 1.4 | 0.1 | 0.1 |
ペナン州 | 42.5(42.1) | 46.5 | 10.6 | 0.4 | 44.2 | 3.6 | 8.7 | 33.7 | 8.8 | 0.3 | 0.4 |
サバ州 | 80.5(15.3) | 13.2 | 0.5 | 5.8 | 63.7 | 27.8 | 0.1 | 6.4 | 0.4 | 0.3 | 1.0 |
サラワク州 | 72.9(23.0) | 26.7 | 0.2 | 0.2 | 31.3 | 42.6 | 0.1 | 12.0 | 2.6 | 6.5 | 3.9 |
スランゴール州 | 53.5(52.1) | 30.7 | 14.6 | 1.1 | 55.7 | 4.3 | 12.1 | 24.4 | 2.0 | 0.7 | 0.5 |
トレンガヌ州 | 96.8 | 2.8 | 0.2 | 0.2 | 96.9 | 0.3 | 0.2 | 2.4 | 0.1 | 0.0 | 0.1 |
クアラルンプール | 43.6(42.7) | 43.5 | 11.4 | 1.5 | 46.2 | 5.6 | 8.4 | 34.2 | 2.7 | 0.7 | 0.9 |
全体平均 | 65.1%(53.4) | 26.0% | 7.7% | 1.2% | 60.4% | 9.1% | 6.3% | 19.2% | 2.6% | 1.2% | 0.8% |
サバ州とサラワク州を除いて、左側の民族別構成比が大体右側の宗教別構成比に反映していますね。
ヒンズー教徒の割合が比較的ある州だけが、現在タイプサムを州の祝祭日に指定していることがわかります、ペラ州、ペナン州、スランゴール州、ヌグリスンビラン州、ジョーホール州の5州です。
サバ州とサラワク州の状況は宗教徒の面でも半島部との違いを叙述に示しています。両州ともブミプトラ比率よりムスリム構成比が少ないのですが、サバ州の場合は非マレー系ブミプトラの間にキリスト教徒よりムスリムが幾分多いことを示しています、だから合計ではムスリムが州人口の3分の2ほどを占めていますね。一方サラワク州はムスリム比率が 3人に1人という全国一低い率ですが、これは非マレー系ブミプトラの多数がキリスト教徒であることを示しています。
ペナン州とクアラルンプールでムスリム比率が5割を切っているのは、どちらも華人数がわずかにマレー人数を上回るから当然の結果ですね。東海岸のクランタン州とトレンガヌ州では95%前後もがムスリムであることは、両州の性格に叙述に反映されていると筆者は捉えます。
こうして人口2300万人強である中程度サイズの国家マレーシアでも、宗教徒の分布は州によって大分違いがあることがおわかりになったことでしょう。この人口調査の結果は多民族で複数宗教を信仰するマレーシア社会らしさをよく現しています。
2月中旬タイ南部をうろついた際、数軒のエコノミーホテルに泊まって、日中は歩き回り夜と朝はしばしテレビを見ていました。筆者はずっと昔から日本を含めたどの国で暮らそうと、日頃テレビはほとんど見ないのですが(筆者は大のラジオ派です)、こうして旅に出ると案外テレビを見る時間が増えます。今回どのホテルも衛星放送テレビが備わっていましたから、タイテレビ局はもちろんどこでも全部映りましたが、映る外国テレビ局の種類と数は泊まったホテル毎に多少違ったのです。
そこで、筆者には滅多に見る機会のないフランスTV5などの珍しい衛星放送もあったので、チャンネルをあちこちと変えて、いろんなテレビ局を数日間見比べていました。外国局としてマレーシアのテレビ局も1局から3局映りましたので、他のテレビ局となんとなく比較の意味合いを込めて多少気をつけて見ました。そこで今回改めて感じたのは、やっぱりマレーシアのテレビ番組は退屈だなということです。
Discoveryチャンネルの知的好奇心を満たす興味深さ、HBOチャンネルの映画に特化した娯楽性、スポーツ放送専門のESPN局、音楽ビデオ専門のMTVチャンネル、世界各国のニュースを伝えるBBCWorldの豊富なニュース内容(もちろんその報道視点は西欧視点である事を周知の上であり手放しで賞賛などするつもりはありませんよ)など、(タイテレビに映る)西欧衛星放送の提供するバラエティーの豊富さと専門度の高さにマレーシアテレビ局が適わないのはいうまでもありません。ただ、どのホテルでも映った中国の放送局CCTVの方がマレーシアテレビより番組構成ではバラエティに富んでいるなと感じました。CCTVを初めて見たからかもしれませんが、これはちょっと意外でした。
タイのテレビ局は6、7局あり、合計4局のマレーシアより5割ほどチャンネル数は多い。タイは人口がマレーシアの3倍ほどありますので、局数が多いのは不思議ではありません。で問題はその放送内容です。筆者のタイ語能力は1980年代後期の一時期勉強して以来全く磨いてないので相当衰えてしまったため、日常行動できる程度の会話力とタイ文字認識能力はあっても、テレビ番組の内容を十分把握できることなどとてもできません。しかしそこはテレビです、放送発言内容は十分わからなくても、内容が面白いか興味深いかなどは映像による助けがあるため、相当程度判断できると思います。
タイテレビ局の放送内容と構成はマレーシアテレビ局のそれに似ている面と似ていない面があります。
似ている面から言えば、国王賛美に飾られ且つ愛国タイの度重なる放映は、マレーシアのほぼ番組毎に放送される愛国マレーシアを強調した放映とまあ同じようなものでしょう。さらにニュース番組で政府与党の活動ばかりを放送する面も似ています。タクシン首相の活動を長々と写す様子は、マハティール首相のその日の行動をあれこれと写す様子と同じです。マレーシアのニュース番組は、首相を初めとした主要大臣のインタビューと彼らが何々展示会、オープン式、会議に出席して演説している様子を常に映すのですが、タイテレビも似たりよったりですね。マレーシアテレビのニュースを見ていると、この国に野党は存在しないかのような錯覚に陥ります。なぜなら選挙時の多少の映像を除けばほとんどといっていいほど野党の活動は放送されませんし、野党政治家のインタビューが放送されることもありませんから。
マレーシアテレビはまこと大臣やお偉い方の発言を紹介するのが好きなので、スポーツニュースでさえまず担当大臣やスポーツ協会の長へのインタビューを放送することがよくあります。スポーツニュースなのだからさっさとスポーツを映せばいいのにと思うのは筆者だけではないでしょう。こういったことから感じられるのは、公営テレビ、民放テレビに関わらず徹底した政府与党よりの姿勢であり、ニュース番組は政府与党のいわば広報機間と化しているといっても過言ではないでしょう。なぜこう書くかといえば、ニュースなのだから、中立の立場などありえないにしても、もう少し公平に報道するのがマスコミではないだろうかという素朴な疑問ですね。
マレーシアとタイのテレビに似ている面にとしてさらに、ニュース番組で警察幹部が出てきて事件を説明する場面がよくあることです。その幹部の名前がテロップで大きく出て、幹部が事件を説明しますが、両国とも警察のマスコミ登場は非常に頻繁であることを叙述に示す一面です。一方例えば環境破壊問題などで、環境保護団体へのインタビューなどは少なくとも筆者はマレーシアテレビで見た記憶がありません、あるかもしれませんがごく少ないことは間違いありません。尚タイテレビではどうかは知りません。
マレーシアテレビの公営局では朝夕とイスラム聖職者又はイスラム学者などが出演して、イスラム教とムスリムのあり方を説く番組がほぼ毎日放送されています。この際出演したイスラム聖職者らの間で討論の形になることもあるし、司会者がインタビューする形式もありますが、いずれもムスリムはこうあるべきだ調の番組と見なしてもいいでしょう。TV1局は夜のゴールデンアワーでさえこういった番組を放送しています。
タイテレビでは仏教の高僧がスタジオ出演して仏教を語る又はテレビ局スタッフが高僧の寺を訪ねてインタビューなどする番組を見た記憶がこれまでたくさんあります。また仏教に関わる各地で行われる行事では必ず僧が中心として映されますね。これらは仏教国タイとしては極めて当然のあり方といえるのでしょう。ですからイスラム国マレーシアでイスラム聖職者がテレビ番組において頻繁にその教義、あり方を語るのは当然とも捉えることができますね。
ただタイテレビで夜間に高僧らが出演して仏教を語る番組はマレーシアより少ないと筆者は記憶しています、この点はマレーシアテレビとは多少違う点ですね。
このように政治と宗教を扱う場面のあり方と番組内容では、国教と政情が違うにも関わらずよく似ている面があるのです。
その他番組についてですが、クイズ番組は両国で放送されています。マレーシアでは、世界各国で放送されているという”誰が百万長者になるか”クイズ番組のマレーシア語版にたいへん人気があるそうです。日本でちょっと前に人気あった連続ドラマがマレーシアに輸入されて放映されています。これが始まった頃は台湾経由の華語吹き替え版でしたが、最近は日本語音のまま放送しマレーシア語の字幕をつけたものに変わったようです。タイでも日本の連続ドラマは放送されているそうですが、内容と頻度は知りません、尚日本ドラマも当然タイ語吹き替えのはずです。
歌謡番組は両国でそれぞれ人気あることでしょう。少なくともタイの歌手の方がマレー歌手よりスタイル衣装の面で自由度が高いのはわかります。尚マレーシアの歌謡番組のほとんどはマレー歌謡であり、華人の歌謡番組はごく少ないながらあります。タイはもちろん100%タイ歌謡ですね。感覚的にはタイの方が全番組中で歌謡番組の比率が高いように思います。
タイのスポーツ中継はサッカー好きを示してサッカー中継がマレーシアより多いように感じました。マレーシアのサッカー中継対象は英国プレミアリーグに代表されるヨーロッパサッカーです。タイならではのタイボクシング中継が必ずあるのはまさにタイらしいところです。格闘技国家でないマレーシアは、マレー人ヤングに大人気のWWFプロレス中継が恐らく唯一の定時格闘技番組です。
次ぎに、似てない面をあげてみましょう。
イスラム教ではムスリムの務めとして1日5回お祈りすることがあるべき姿とされていますから、公営、民放に関わらずお祈り時間にはそのお知らせを兼ねてコーランのいくつかの節を読誦する番組が数分間放送されます。その番組の背景はほとんどが有名モスクであり、画面テロップにアラビア語とそのマレーシア語訳が流れます。尚イスラム教ではコーランを唱えるのはアラビア語でなければなりません。
これはタイテレビではありえないことです。仏教的催しの際などに番組内で高僧が仏典を読誦することはあっても、毎日決まった時間にそれを読誦する番組はないはずですから。
似てない特徴の第1を上げるとすれば、タイテレビは娯楽性への傾斜がマレーシアテレビよりずっと強いことですね。マレーシアテレビでもタイテレビでも朝はいわゆるモーニングショースタイルの番組がありますが、タイテレビのモーニングショーの方が幅広さで優っていますね。タイのモーニングショーは女性キャスターが多いように見うけられ、扱うトピックス面とトピックスの”さばき方”の面でマレーシアのそれよりも親しみやすい感じを受けます。マレーシアモーニングショーはどこどことのとか何々の権威者をスタジオに呼んできて司会者とお喋りするスタイルが普通ですが、これがまことに堅い調子なのです。その点タイのモーニングショーは親しみやすい。
夜の番組になるとマレーシアテレビとタイテレビの特徴の違いがもっとはっきりします。主要時間帯である夜7時から9時の間にはニュース番組中心ですが、このニュース番組のアナウンサーはマレーシアの場合まさにニュース原稿読みアナウンサーに徹していますが、タイの場合番組によってはいわゆるキャスタータイプのアナウンサーも現れます。さらにタイのニュース番組は地方の出来事の様子を映す場面がマレーシアのそれより多いことでしょう。
一般に午後6時前までと8時、9時ごろを過ぎるとドラマ放映が目立ちます。両国とも自国製作するドラマでは中流階層中心の美男美女俳優が主演する愛を絡めたドラマが多いように感じますが、はっきり統計を取ったわけではないので、あくまでもこれは筆者の漠然とした捉え方です。
ドラマというと、マレーシアでは社会派ドラマは極めて少ない、なぜならマレーシアでは警察や与党幹部への批判は公的にはタブーに近いので、例え架空の出来事であれ警察官の汚職や政治家の汚職を突くような鋭いドラマは制作されえません。他国ではよくある社会批判のドラマは、とてもマレーシアで育たないのは製作する側が目に見えない検閲を意識しての自己規制することと当局が放送局の生殺与奪を握る権力を持っているからでしょう。
マレーシアでもタイでも夕方や夜間に香港製作の連続ドラマが放映され、人気あるようです。華人人口比の高いマレーシアの方が全体に占める割合が多いはずです。この香港ドラマ放映における一番の違いは、タイは完全にタイ語に吹き替えますが、マレーシアでは広東語のまま放映し字幕としてマレーシア語を付け加えることです。日本製アニメはタイでもマレーシアでも放映されていますが、アニメの場合はタイはいうまでもなくマレーシアでも吹き替えるのが主流のようです。なおマレーシアの番組はマレーシア語の番組とか生放送でない限り、ほとんどすべての番組にマレーシア語の字幕が義務つけられています。
で地元製作のドラマに戻ると、その大部分を占めるマレードラマの筋の流れと場面展開はまことにゆったりとしています、これは数回ドラマを見れば恐らく誰でも感じることでしょう。精密な表現ではないのですが、何てテンポがのろいんだろうという気持ちになります。恋愛ドラマを見るとそこではマレーコミュニティーの捉える恋愛像がよくわかります。これはマレー映画でも同様ですが、あるべき家庭像、カップル像を示唆するあり方ですね。ムスリムとしてのモラルから外れる描写は極めて少ないように思えます。つまりあら筋構成だけでなく、描写面でいえばベッドシーンのようなのは論外で、キスするような直接的交渉場面は避けられるのが普通でしょう。
タイドラマは昔つまり80年代のそれに比べて随分と直接的描写になったというのが、筆者の見方です。もっとも筆者はタイドラマを長年丁寧に見比べてきたのではないのであくまでも筆者の知る範囲ではということですよ。
バラエティー番組を見てみると、これはもう圧倒的にタイテレビの方が、遊び度、ふざけ度、ばかさ加減、どたばた調子などが強い、つまり娯楽性に富んでいます。おかまは堂々と且つ常時出演していますし、バラエティー内容が豊富です。マレーシアの地元製作バラエティー番組は、といってもほとんど全部マレー番組のはずですが、言葉や振る舞いのバラエティ中心で、遊び度、ふざけ度、ばかさ加減はずっと抑えてありますね。ごくたまにですが、これらのバラエティー番組を見ていると、あるべき枠から離れることを許さないいかにもマレーシアらしいことを感じさせます。
映画の放映は各テレビ局が行っており、日中に多いのがヒンヅー語又はタミール語のBollywood映画です。香港映画も時々日中、夜に放送されますが、一番多いのはハリウッド映画ですね。ほぼ毎日夜はどこかの局がハリウッド映画を放送しています。TV1局ではアラビア語の映画も放送していますが数は多くないようです。マレー映画の旧作もTV1やTV2で時々放送されます。上で述べたように、外国製映画はマレーシア語の字幕を必ずつけてオリジナル言語のまま放送されます、尚カットは相当あることはいうまでもありません。タイテレビは吹き替えです。
以上がテレビを習慣的に見ない、非テレビ人間である筆者の捉えたマレーシアのテレビ番組あれこれです。最後にマレーシアテレビの最大の特徴をあげましょう。
1.マレーシア語を国語とする複数言語国家として、当局は放送局に対してマレーシア語での放送時間の最低割合を義務付けています。何割だったかをはっきり記憶してませんので書けませんが(3、4割かな?)、これに従ってどの放送局もマレーシア語の番組とニュ−ス番組は必ず持っています。圧倒的にマレーシア語番組編成であるTV1を除いて、他の3局は英語放送が割合多く次いで華語または広東語放送の3言語番組編成を敷いています。TV2局のみ夕方30分間のタミール語ニュース番組を放送していますが、他に定時のタミール語番組はないはずです。
このようにマレーシアテレビの最大の特徴は、2.複数言語番組編成であり、マレーシア語以外の番組はそのオリジナル言語で放送するがマレーシア語の字幕を付けることが原則だ、3.さらに特に公営放送に顕著だがイスラム教のお知らせ、コーランの読誦などを定時的に放送している、というこの3点です。
番組内容の性格をあげれば、全体的に遊びの精神を強調しない、娯楽に徹することを抑えて教養性を時に強調する、決められた枠の中からはみ出すあり方を許さないことです。これが筆者が冒頭で述べた、「やっぱりマレーシアのテレビ番組は退屈だな」ということにつながりますね。マレーシアのテレビ放送はそれを含めたマスコミ全体のあり方として、意外性を感じさせない性格を常に持っています。俗な言葉で言えば、マレーシアテレビ番組は良い子又は良い子であるべきなのです。