こういうことご存知ですか?うんちくを傾ける ・ タイ深南部のムスリム社会とマレー人のつながり −前編 −
タイ深南部のムスリム社会とマレー人のつながり −後編 − ・ マレーシアの映画・映画館事情
高齢者への社会福祉と保障をちらっと見てみる ・ マレーシアは犯罪ゼロの理想郷ではない、日本と同じだ!
数字で見たマレーシア その5 ・ マレーシアでの現代日本ヤング文化の人気と浸透度を探る、その1
これまでにもコラムで南タイのことにふれたことはありますが、二言三言のごくごく簡単な触れ方でした。いつかは多少それを題材にしたコラムを書きたいとは思っていましたが、筆者の知識不足で筆が進みませんでした。先日タイ深南部を1週間ばかり訪れましたのでその報告を兼ねて、不十分なことを承知の上、あえて多少書いてみましょう。
南タイといってもここではタイ深南部に限りますが、ほとんどの方にとってこの地域は全くなじみのない地域であり、タイの旅行ガイドブックや各種あるタイ本でもわずかしか触れられていませんよね。その主な理由に、観光開発に積極的なタイ政府自体もタイ深南部を積極的に売り込もうとしてないように見えますし、一般旅行代理店にとってもバンコクや中部タイと北部タイと違って魅力にかける地域と映っているのでしょう。なぜなら深南部がタイ主流の仏教徒社会とは違ったムスリム主体の社会という面が強いということがあります。
興味深い事実を一つ挙げておきましょう。ソンクラー市内に国立博物館があります、その建物と展示品の両面から是非訪れる価値ある所ですが、南タイにおけるムスリムに関する展示説明が見事に欠けています。ソンクラーの位置する場所からいったらイスラム教との関わりを述べないのは誠に奇妙なのですけど。ところでソンクラーなら間違いなく旅行ガイドブックにも載っているでしょうが、こういう視点を加えて説明しているのかな。
さて南タイの観光地は超有名なプーケットとその周辺、南タイ随一の都市ハジャイ、それにバックパッカーの多いコーサムイ島ぐらいに限られており、その他はマレー半島を陸路タイからマレーシアに抜ける又はその逆方向の自由旅行者が数泊する程度でしょう。事実タイ深南部の町々、村村で外国人旅行者を見かけるのは、タイ中部や北部で見かけるよりはるかに少ないのです。
白人バックパーカーは南タイの両岸、つまりアンダマン海とタイ湾、に幾つかある離島でつるんでいますが、そういうところは白人向けの安ロッジ・コッテジが必ずあるのです、彼らはタイ南部にきてもそこを旅するのが目的でなく、南部両海岸のそういう離島の安ロッジに滞在するのが目的なのです。たまに日本人も見掛けますが圧倒的に白人バックパッカーが多いですね。
筆者は静かで誠にきれいなそういう離島自体は好きですが、白人好みにした安ロッジは好きではありません、彼ら白人バックパッカーの態度をよく知っていますから、できればそういう所は避けたい。欧米流のスタイルを一切崩さず、東南アジア文化を理解しようとせずに、ただ離島で安く過ごせるからだけでやってくる彼らと同宿するのは不愉快そのものですからね。
こういう所では英語を多少話せる、白人にこびるタイ人がよく働いており、白人と持ちつ持たれずの関係を形成しています。もちろん産業のない離島では相手が安バックパッカーとはいえ金になるからです。(断っておきますが、筆者は反白人・主義者ではありませんよ、筆者が東南アジアと並ぶほどかつて打ち込んだ地域は中東欧ですしね)
こういう地勢及び経済構造を見ずに、離島に滞在してタイ社会を語ってもなんら本当の姿が見えてきません。
さて南タイ(タイ南部)とはマレー半島が一番くびれたあたり、ちょうどミャンマーの南端と接するあたりからマレーシア国境までの広い地域を指しますが、筆者がここで言うタイ深南部とはマレーシア国境に接するかごく近い、ナラティーワット県、パタニー県、ヤラー県の3県を指します。ムスリム人口の多いソンクラー県、それにアンダマン海側のサトゥーン県は深南部には入りませんが、似た特徴を有している面も少なからずあります。(といっても読者にはまったく場所が頭に浮んでこないでしょうね、スキャナーがないので地図を示せないのが残念です)。
この5県では各県人口、数十万から百数十万程度、の半数以上がムスリムなのです。そんなにムスリムが多いのか、と驚かれる方もいらっしゃるでしょう、タイは仏教と微笑みと国王だけの国ではありませんよ。タイ観光局や日本の観光雑誌、旅行代理店のパンフレットや広告だけを見ている限りこういう印象が植え付けられても無理もないですが。まあ旅行代理店の観光パンフとかいくつかの旅行雑誌にとって本質なんてどうでもいいでしょうから、それを責めても始まりません。
タイ深南部のムスリムは当然ながらタイの主流社会ではありませんが、そうといっても、少数民族が多数派のビルマ族と戦いまでしているミャンマーとか、常に迫害の対象になるインドネシアの華人社会のようなことはありません。さらにタイ北部のいくつかの少数民族のように”見世物としての対象”になることもありません。タイムスリム社会はタイ主流仏教社会と平和裏に共存ししかし厳然とその生活スタイルと文化を守っているのです。
注:ものすごくマイナーな反タイ政府組織があることは知られているがここでは問題にしません。
でなぜマレーシア情報を歌う Intraasiaがこのタイ深南部のムスリム社会に触れるかです。それはマレーシアのマレー社会と大なり小なりの関係を持っているからです。中世のイスラム教の伝播当時はタイ(当時シャム)とマレー半島の諸封建領主国間に、現在のようにきっかりとした国境はなかったし、イスラム教の拡大にマレー語が用いられたといわれています。ですからイスラム教とマレー文化の拡大という面もあるそうです。
その後の歴史的をみると、ケダー州とペルリス州(当時はケダー州の一部)は19世紀から20世紀初頭までタイ領でした。ケダー州とクランタン州はその頃一時期タイに占領されました。そんなこともあってタイと国境を接するクランタン州やケダー州北部、ペルリス州の住民にはタイ深南部に親類を保持している人達も結構いるのです。逆に6万人ほどのタイ系マレーシア人の多くはこの3州に居住しています。尚タイ系マレーシア人はブミプトラと分類されています。
参考:ケダー州の住民とタイ深南部とのつながりに触れた部分を、日本語書籍から少し引用しておきます。
「クダーは同じ古い伝統を持つ半島東海岸部の(シャムの)イスラーム侯国パタニとも関係が深い。クダー川を遡る川沿いの道は、(ケダー州の)クアラヌランから国境の山岳地帯にあるドリアンプルンを経て、現在タイの一部であるパタニ領に至る。クダーからタイ領に至る道は歴史的にいくつか存在し、後は略。
中略
その向こうには隣国パタニがあり、かつて親戚付きあいした人々が住んでいるのである。」
以上「 」 内は、アジア読本 マレーシア、河出書房新社刊 の187ぺーじより。
この部分をお書きになった黒田景子さんは南タイの研究者と紹介されてますが、上記のパタニがケダー州と境を接する地域は、今ではソンクラー県及びヤラー県になっている事にも言及されるべきでしたね。
最近範囲が拡大されたようですが、越境パス、パスポートでなく一種の身分証明証、があれば北部州のマレー人はタイ深南部の県を訪れることができます。例えばクランタン州のランタウパンジャンの住民なら川を手こぎボートで1分渡ればタイ側スンガイコロックに渡れるし、同州のプンカランクブールから川口対岸のタクバイまで渡しボート数分です。
タイ側から毎日国境を渡ってくる労働者もいるし、これはパダンブサールなど眺めることができます、反対に買い物にちょっと国境を越えて行くマレー住民も多いのです。世界中多くの陸続きの国境を接する国でごく一般的に見られる居住地からその国の首都への物理的心理的距離よりも、数十キロ時には数キロ先の隣国のほうが関係深い例がこの北部州の一部とタイ深南部の関係にも見られるのです。(マレーシアでも例えばサバ州の一部民族にとってはフィリピンの島々のほうがずっとみじかな存在です)
この国境を越えた関係が一層緊密に感じられるのは、イスラム教という共通のきずながあるからです。タイ全体では少数派のムスリムではあるが、すぐ隣にはムスリム絶対多数のクランタン州、ケダー州、ペルリス州があるという心理的宗教的一体感がタイ深南部ムスリムにはあるのではないかと筆者は見ています。
タイ深南部を歩けば至るところでモスクが目に入りますが、しかしその規模の大きさと立派さはやはりマレーシア北部州のそれにはかないません、テレビを見ていても仏教高層の説話はよく流れているが、ムスリム導師の話は筆者はほとんど見たことがありません。あくまでもテレビはタイ主流社会向けであり、そのため国王、仏教、軍隊の映像のオンパレードです、イスラムモスクからの礼拝のお祈りがテレビから流れることは、ごく一部を除いてありません。たくさんのタイのテレビドラマを筆者はこれまで見るともなく眺めてきましたが、ムスリム社会を扱ったドラマを記憶していません。
尚ヤラーからムスリム向けのニュース番組が一部放送されてはいますが、その時間はごくごくわずかです。タイ深南部のラジオ局からマレー語の放送が流れているのを聞いたことがありますが、その放送時間もごく少ないようです。
筆者はタイと初めて関わったのは80年代中頃からですから、すでに15年以上タイに多かれ少なかれ興味を持ってきましたし、訪れた市町村はタイ全土百個所を楽に越えます。筆者はマレーシアに住む以前にも南部タイを数回通り過ぎましたが、やはりよく訪ねるようになったのはマレーシアに住むようになってからですね。なにせ安価にバスで簡単に又フェリーでも往復できますからね。まして昔取ったきねづか、ある程度会話できタイ語文字の識別できる筆者にとってはたいへん気楽に行けれる場所です。
マレーシアを深く知る観察するようになってから、タイ深南部をしばしば訪れる度にそれまで気がつかなかったタイ深南部の特徴が少しずつ見えてきたのです、いや少なくともそう感じてきました。それは次第にタイムスリム社会に興味がわくようになったせいもあるのでしょう。
市場での行動を見ているとタイムスリムの行動と身なりはまことマレーシア北部のマレー人を思い起こさせます。マレーシアの市場のように厳然とここからムスリムコーナーのように分かれてないのですが、それでも何となくムスリムの店だなとわかるのですね。
タイムスリムとして一目で分かるマレー風衣装を身につける男女が結構いますが、この比率はタイ深南部県でも大分変化します。市で言えばヤラー、パッタニーなどでは高比率に見えますしハジャイはそれほど高くないように思えます、所によって微妙に変化するようです。同じムスリム多数地区でもパッタニー、ヤラーでは多くの女性がスカーフ姿ですが、サトゥンではそれほど多くない様に感じるのですね。
ところで使用言語をものさしにするとこれがたいへん興味深いのです。もちろんタイ深南部といえ公用語は唯一タイ語ですが、ムスリム社会では所によってタイ南部マレー語が母語(注 :母語と母国語は似て非なるもの)として存在しているため、マレーシア語が比較的よく通じる場合があるのです。もちろん相手がタイムスリムの場合で、非ムスリムタイ人や華人系タイ人にマレーシア語を使ってもまったくだめですよ。
ただマレー語といってもこのタイ深南部で話されるマレー語はクランタン州のマレーシア語方言とほぼおなじと言われていますので、彼ら同士で話しているとほとんど筆者には理解できません。クランタン方言は標準マレーシア語と発音と語彙に相当違いがあるので、筆者程度のマレーシア語実力ではとても歯が立ちません。例えて言えば、地元の老人が強度の東北弁か熊本弁で会話しているのを横で聞いてるような感じです。
タイ深南部のムスリムはその彼らの言葉を時にパーサー カンタン(タイ語でクランタン語という意味)などといいますが、この同じ言語を話すということがクランタン州のマレー社会との一体感を抱くことにつながっても不思議ではないでしょう。
クランタン州などのマレー人がタイ語を解することは、商売で行き来しているような極少数を別にして、全くありませんが、その彼らがタイ深南部を訪れるといともかんたにムスリム同士ではコミュニケーションできるわけです、もちろん場所によってその年代によって違いはあることは当たり前です。南タイも深南部を出て北上すると、相手がタイムスリムでももうマレー語は極めて通じにくくなります。
ずっと以前ナラティーワットの茶店でお茶を飲んでいた時、筆者は店に出入りしているムスリム生徒たちがこのクランタン語で話しているのに面食らいました。それまでクランタン語を日常的に使うのは年配層だけだと思っていた認識を改めさせられたわけです。ただこれもタイ深南部のどこでもというわけではなく、ハジャイのあるソンクラー県ではそういうことはないようです。サトゥーン県でもそういう場に出会ったことはありません。
このコラムを書き上げてから、ホームページ掲載前の9月8日にたまたまKLCCの Suriaデパートへ行くことがあったので、日本語書籍店によって ガイドブック ”地球の歩き方タイ編” をちらっと立ち見してみました。(なぜ”地球の歩き方タイ編” だけを手にしたか、それはガイドブックの代名詞的存在だからであり、別に”地球の歩き方”を敵視しているわけでも嫌いなわけでもありません)
もちろんそれを買うつもりでなく、どれぐらい南タイに触れてるか見たかっただけです。予想とおり、プーケットとハジャイなど数個所を除けば、ほとんど南タイに関しては満足に載っていません、それはいいでしょう、所詮日本人に興味ない地域でしょうから。
しかし一点驚いたことがあります。「南タイでは会話もマレー語方言の方が中心になるため」なんて意味のことが堂々と書かれていました。そのマレー語方言がどういう種のものかには全く触れられていません。きっと違い自体がわからないのでしょう。
この記述を見ただけで、これを書いた取材者又はタイ編の編集者の知識がどの程度でどういう取材をしたかが容易に想像できます。この間違いは単なる言語記述のミスではありません(単なる思い違いぐらいだったら筆者は目くじら立てません、よく知りもしないことを知ったかぶりで書くことを筆者は問題にするのです)、人々の語る言葉の背景が理解できなくて、どうして南タイを書き表せましょう。筆者が上記で説明したように、南タイは所によってマレー語がよく通じる所もあるが、全体ではまず当然タイ語の世界です。
これを書いた取材者又は編集者の取材能力不足とタイ旅行の経験不足がこういうおざなり記事になります。ガイドブックにこの種のおざなり記事又は間違いを見つけるのは、別に”地球の歩き方タイ編”に限りません。(いつかこの点を掘り下げてみるつもりです)
書いた編集した者はタイのプロでなくても少なくてもセミプロライターなのでしょう。しかしこの程度の知識と歩き方不足では悲しくなりますね。単にどこにホテルがあり、人気ある見所はどこかだけを書くならしろうとでもできます。”地球の歩き方”は初級旅行者が旅行記を書いたものではありません、ガイドブックなのです。それがこの程度ではがっかりし、あきれてきますね。もう少し取材力、語学力、歩く意欲を持ったライターなり編集者を使うべきだと、筆者は人ごとながら、思わざるを得ませんでした。
今回筆者はパッタニーも訪れましたが、夜食事に行った町中の屋台街の空き地で、思いがけずワヤンクリット(人形影絵芝居)の演に遭遇しました。演といても観光客向けのそれではなくて、草ぼうぼうの空き地の一画に建てた小さな舞台で地元の人向け用に演ずるまことに庶民的なワヤンクリットです。興味ある人は誰でもご覧ください式の無料の庶民民俗芸能なのです。
眺めていた人たちに尋ねると、月1回ほどヤラーから演団がやって来て演ずるとのこと、思いもかけずタイのワヤクリット見物ができた幸運を筆者は喜びました、これだからふらふら旅は止められませんな。旅行者向けでない本当の庶民民俗芸能の醍醐味を楽しみました。舞台裏の幕間から演者の様子を眺めていても文句を言われることもありませんから、タバコを吹かしながの楽器演奏者の様子や口上師の語りと人形操作の様子をじっくり眺めることができたのです。
このワヤンクリットは夜の8時半頃から演技前のガムラン音楽が始まり、9時過ぎから本番の影絵が開始となり延々と11時過ぎまで続いたのです、立ち見の辛さから筆者は11時でその場を後にしたのですが、初め10数人に満たなかった観客も帰る頃には百人をはるかに超えていました。
何が興味深いかといえばもちろんワヤンクリット(タイ語ではナンタールンという)そのものもですが、その語られる歌われる台詞がすべてタイ南部マレー語、つまりクランタン語であったことです、そしてほとんどの観衆がそれを理解しているかのように思えたことです、なぜならおかしな台詞や落ちのところでは一斉に笑い声が立つからです。観客の数人にマレーシア語で尋ねてもクランタン語の返事が返ってきましたしね。観衆はすべてムスリムでしょう、しかもその9割五分までは男性で若者が多数です。そこがいかにもムスリム社会らしいですね。
タイ深南部とはいえ学校での教育はすべてタイ語ですし公文書や新聞はすべてタイ語で書かれてます(タイではマレー語の新聞、雑誌は一般に発行されていない、あったとしても書店などでは入手できない)、彼らはタイ南部マレー語を母語として習得し且つムスリムの共通語としてマレー語を宗教塾で学習するわけです。公用語であろうとなかろうとその晩のワヤンクリットの場で見られるように、多くのムスリム若者がマレー語劇を理解するということは、その地方では日常的に使っている証拠でもあります。
筆者はワヤンクリットについてはぜんぜん詳しくないので、本場のインドネシアのそれと何となく違うことを感じますが、残念ながらそれ以上はよくわかりません。それにあの人形そのものは素人には全く同じように見えます。筆者はクランタン州とトレンガヌ州で行われるワヤンクリットと南タイのワヤクリットは題材、語りともよく似ていると何かで読んだ記憶があるのですが、それもどこまでが同じでどこが違うのかは筆者にはまったく分かりません。つまり勉強不足です。
ワヤンクリットを全くご存じない方には説明の形容が難しいのですが、講談と人形芝居を足して二で割ったような影絵芝居です、とでも言っておきましょう。
参考: ワヤンは10世紀のジャワにおいて発生したと考えられている。しかし現在見られる影絵形式のワヤンが盛んになったのは、15,6世紀、ジャワにイスラム教をもたらした伝道者たちが、これを教化に利用して以降といわれる。ワヤンの演目は、インドの古典マハーバーラタ、ラーマーヤナのジャワ語への翻案である。(講談社刊 「東南アジア世界の形成」139ページの解説から)
その晩は前半と後半で合計二人の演者が台詞と人形を操作し、あと5,6人の男たちがガムランを演奏していました。一人の演者が1時間以上も休みなく台詞と歌を延々と語るわけです。
こういう下町民俗芸能は南タイの一部の町や村で時に行われているようですから、こまめに歩いていて運がよければワヤクリット見物できるかもしれません。でもこれを事前に知るのは至難のことですよ。
クランタン州にはマヨン、ディキルバラットという伝統民俗芸能があることが知られています(筆者は残念ながら実際に見た事がない)。南タイ文化の影響の強いものだそうです。当然これらはイスラム的ではありません。ですからイスラム原理主義政党PASが州政権を握るクランタン州では、現在マヨンの上演が、観光客用としてはあるかもしれませんが、禁止されています(以前「新聞の記事から」でもお伝えしましたね)。
このように伝統芸能分野でもクランタン州及びトレンガヌ州とケダー州の一部マレー社会と、タイ深南部の伝統芸能はつながりを持っているのです。
翌日筆者はパタニー県のある海岸、パナレー村にある、を訪ねました。タイ観光局発行のパンフレットにきれいな海岸とちらっと載っていたのでふらっと訪ねてみたくなったわけです。いろいろ尋ねた結果そこへはパタニーから直通バスも乗合いバンもないので、仕方なく地図を頼りに乗り継いで行きました。(筆者はタクシーを使わない主義です)
しかしその苦労の甲斐が報われたのです。ここでも思いがけずにタイ深南部ムスリム社会の興味深い一面を観察できたからです。
この海岸はそのきれいな砂浜もさる事ながらなにが珍しかった良かったかといえば、ほぼ完全なるムスリム漁村だったことです。タイ旅行なのでカメラを携帯してないため、写真でお見せできないのが誠に残念ですが、伝統的造りのコーレボートという色彩豊かな数人乗りの漁船が百そうを超えて砂浜に引き上げてありました。筆者がそこを訪れたのは11時ごろで、漁は昼間前に終えるのでほとんどの漁船が浜に引き上げられていたのです。
ただ何そうかが浜に引き上げられる最中でした、筆者はしばらくそれをまじかに眺めていましたが、漁師たちの会話はすべてタイ南部マレー語つまりクランタン語です。
女子供や若者は砂浜に上げられた漁の網から獲物を丁寧に1匹ずつ取り除いています。まこと気長な作業です。1そうの漁船には網を6つほど積み込むとか、漁師の生活って誠に重労働だなとそれらを眺めているだけでも感じてきます。筆者が近づいて彼らの仕事の様子を眺めていると、時には話しかけてきますし筆者も話しかけます、初めタイ語を使ったのですが彼らのタイ語はよくわからない、それよりもマレーシア語で話したほうがずっとコミュニケーションが取れるのです。
後でわかったのですが、ここはほぼ完全なムスリム漁村で生活もほとんどタイ南部マレー語で行われているようです。どこから来たかのお決まりの質問に始まり、筆者はマレーシアだと答え、且つマレー語で話すので親しみを持たれるのですが、何せ彼らのタイ南部マレー語を理解するのは難しい、会話が続かないのが残念でした。
クランタン州の田舎で老人などと話すとこういう事があるのですが、クランタン州の場合は少なくとも筆者のマレーシア語を理解してくれますが、このパタニー県のムスリム部落の人たちは筆者のマレーシア語を時には理解できないのです。なぜなら彼らの母語はタイ南部マレー語とはいえ、それはあくまでも口語として使われておりマレーシアのように学校教育でマレー語を習うことがないので、標準マレーシア語とは言えわからない場合もでてくることもあるようです。
こうして南部タイの社会に厳然と点在するこのムスリム社会は、方やマレー語とイスラムのきずなでマレー社会と精神的と地理的につながり、方やタイという国内で仏教タイ社会と平和共存していくという立場にあります。ヤラーやナラティワットからならマレーシアは日帰り圏です、バンコクは誠に遠い、陸と陸でつながった国の境界近くに住む住民にとって求心力はどちらが強いか考えてみるのは興味深いことでもありますよ。
こんな風に筆者は約1週間、観光ルートから外れた所を主にタイ深南部のいくつかの地方をふらつきました。南タイのムスリム社会の一面を観察できたいい機会でもありました。クアラルンプールに戻って手元にある観光局資料や日本語の本をざっと見たのですが、マレーシア北部・東部特にクランタン州のマレー社会とタイ深南部ムスリム社会の関係に触れたのがほとんどありません。なぜ何だろうという疑問が湧いてきました。
日本語で書かれたマレーシアの歴史本では西欧特にイギリスに占領侵略された歴史の部分は非常にこと細かく書かれているのですが、タイに占領された地域・時代のところはほとんど精述がありません。一般向けタイの歴史本でもアユタヤ王朝などの中北部タイに関しては詳しいけど、マレー半島南部との関わりは少ないとは、筆者の昔読んだ記憶です。
筆者は研究者ではないので、研究書とか原典にあたるなんてことはできませんので、一般的な知識としてのタイ深南部とマレー社会との関わりを知りたかったのですが、一般向けに書かれたその種の参考図書の極少さから難しいそうです。でもそんなことには関係なく、マレー人はタイ深南部を訪れ、深南部のムスリムタイ人と交際しているわけですけどね。
- マレーシア旅行の際シネプレックスで映画を見よう -
マレーシアの映画事情については前にも少し書いた事があります、第76回で「伝統的映画館の廃業」 さらにこのコラムを書き始めたごく初期の「クアラルンプールの映画館事情」 です。参考に見ておいてくださいね。
さて今回は少し違った面からです。映画となると筆者は青年時代からずっと映画好きだったのです、一番見た20代は数だけは結構見たものです。ほとんど毎年100本前後見ていたはずです。といっても洋画がほとんどでしたが。
戦後日本映画の代表的なものも結構見たはずです。ただ筆者は、映画論を論じ、雑誌”キネマ旬報”や”シナリオ”(今もあるかどうかは知りませんが)を熱心に読むなどという映画青年タイプでなく、単純に映画を楽しむタイプです。今でも単に映画の世界が好きなので見続けています。もちろん100%近く映画館でです。映画館では見られない種の映画を除いて、テレビ、ビデオで映画を自分から見ようとしてみた事は一度もありません。これまで合計して何千本見たか記憶にありませんが、全てが映画館か公会ホールでの鑑賞です。
さらに映画俳優に魅せられて映画を見るのでなく純粋に映画の世界が好きなだけです、ですから20代の頃は見てない映画が上映されていれば見るという何でも見るスタイルでした。当時東京池袋の文芸座や渋谷全線座など都内あちこちのいわゆる名画映画館を回ったものです。今は知りませんが、封切りでないこういう映画館は2本立てが主でしたから、低料金1回で2本見えるという良さがありました。
マレーシアの映画館はほとんど封切り館又は2次封切り館ばかりで、名画映画館がないのです。上映する各言語映画にかかわらず上映は1回につき1本のみです。
ただ入場1回に付き1本の上映というのは、筆者の知る限りほとんどの国がこういう方式ですね。名画座というアイデアはたいへんいいものですが、マレーシアでは興行的になりたたないのかもしれません、それにビデオ次いでレーザーディスクとVCDの発達で、古い映画も手軽に家庭で見られるようになったからでしょう。
筆者は各国を回ってよくその国の映画館にはいってきました、上映されている映画が例えハリウッド映画でそのふき替えられた言葉がわからなくてもいいのです、雰囲気が好きですから。もちろんその国の映画も試しに見てみるのが面白いと感じるのですね。
パリはミニの映画館があってしゃれたフランス映画をよく上映してるので何回も足を運びましたし、ベトナムでは他で見られないどろくさいベトナム映画を見ました。はるか昔米国ではノーカットのXXXカテゴリー映画をどきどきしながら見たものです。日本にはアダルトビデオなんかなかった時代ですよ。
映画はやっぱり吹き替えなしのオリジナル言語のよほうがずっといいですね。余談ですが、この吹き替えということで面白い経験があります。80年頃かな、ポーランドの映画館に入った時の事です、ハリウッド映画をそのまま上映しながら、ポーランド語で上にかぶせるのです。スクリーンからは英語が聞こえながら、映画館のスピーカーからポーランド語がそれ以上の音量で聞こえてくるというまことに奇妙な映画鑑賞した事を思い出します。
マレーシアの映画は子供向けのごく例外を除けばすべてオリジナル言語上映で、英語映画では字幕にマレーシア語が必ずついています、中国語の字幕がそれに加わることもあります。英語映画についで多い(今では多かったと過去形)香港映画ならマレーシア語に加え英語の字幕も大抵はつきますさらに中国語の字幕もつくので3言語字幕なんてことになります(英語と中国語字幕は香港での制作時に付けているのが多い)。マレー映画だと英語字幕は普通ありませんし、中国語字幕のついたマレー映画は見た事がありません。インド映画はほとんど見ないので確実な事は言えませんが、マレーシア語の字幕のみのようです(間違ってたらごめんなさい)。
この字幕のありかたはマレーシアの複数言語世界を象徴していますね。もちろん公開される映画自体からして多言語上映です、まずハリウッド製の英語映画が半数以上を占め、次いでインド映画のヒンヅー語映画とタミール映画、3番目が数年前まで2番目の位置であった香港映画、すなわち広東語映画、この3種で9割5部近くを占めます。その他ごくたまに台湾映画、中国映画、シンガポール製の中国語映画がその上映に加わり、バングラデシュ人の労働者の増大に合わせて珍しいベンガルご映画も公開されることがあります。純粋の英国映画はものすごく少なく数年に1回ぐらいかな。
その他の国の映画、映画で有名なフランス映画はこれまでに筆者の知る限り1回だけ公開がありました。ソ連映画なんて一度もなし、ロシアになっても公開された事はありません。イタリア映画もスペイン映画も一般公開された事は、筆者の知る限り、ありません(文化活動として、英国、仏国などの文化センターだけで上映される場合は除く)
近隣のAsean諸国の映画はというとまことに見事に全く公開されません。日本では不定期に幾つか公開されてるようですが、いまやアセアン映画は日本が中心でしょう、マレーシアという国は国民の嗜好の偏重が激しい国で、アセアン文化に対してほとんど興味を持たない国民ですから、これも不思議でありません。まあタイでもマレーシア映画なんて公開されませんからお互いさまですね。ただインドネシア映画がマレーシアで公開されないのはちょっと不思議でもあります。(文化際とか文花センターで上映される場合を除く)
さてマレー映画は毎週公開されているわけではありません、なぜなら毎週公開されるほど、制作本数がないからです、年間20本前後でなかったかな。毎週公開されているのはもちろんハリウッド映画で観客数と本数で他言語映画を圧倒しています。世界共通のできごとですから、これはどうしようもない所です、事実総合的な面白さでは他をよせつけませんからね。
マレー映画はほとんどが低予算映画です、観客がほぼマレー人主体に限られているから、国民的ヒット映画とはなりえない、輸出市場もまずないというところでしょう。そのため大予算映画は製作が難しいと思います。マレー映画対象にして国家映画発展公社FINASという組織があって、マレー映画振興、資金援助や映画各賞の選考にあたっています。
その他の言語映画の製作はありません、華語と広東語のテレビ用ドラマの制作は結構盛んですが、映画館公開用としては制作されていません、さらにカダザン語とかイバン語の映画はもちろんありません。
確か96年まで毎週公開されていた香港映画は、その香港映画そのものの衰退でマレーシアに入ってくる香港映画が次第に減り、98年からがた減りしています。おかげで香港映画主体に上映していたクアラルンプールの古い映画館は軒並みに廃業してしまいました(コラム第76回参照)。筆者の居住区が華人地区であるため、それに香港映画に魅せられてマレーシアに来た最初の3年間ほどは圧倒的に香港映画ばかり見ていた、香港映画だけで年間60本近く、筆者にはまことに残念なことでしたが、映画そのもの衰退では致し方ありませんね。
現在でも香港映画封切りされれば以前ほど何でもということはなくなりましたが、大抵は見ます。日本ではごく最近になって香港有名俳優や歌手主演の映画が数少なく公開されているようですが、マレーシアは東南アジアでも有数の華人の多い国、しかも広東語理解者がざっと見て華人の3分の1ぐらいはいますから、香港映画はたくさん封切られ且つ人気がいいのです。ジャッキーチャン映画だけが香港映画ではありませんよ。
インド映画はその主体がもちろんインド系マレーシア人ですが、数十万人を数える南アジアからの外国人労働者、バングラデシュ人主体にも人気がいいようです。インド映画はいわゆるインド娯楽文化圏の花形ですね。インド映画の多くは世界第二の映画生産国であるボリウッド映画です。ボリウッドとはボンベイにハリウッドをかけた呼び名です。
インド映画の特徴はラブストーリーを絡ませた勧善懲悪のストリーに映画の途中で俳優が突然ミュージカル風に歌い踊り出すという、ハリウッド映画や香港映画になれたものにはまこと奇妙な制作スタイルです。ミュージカル映画ではありませんよ、それにその踊る歌う背景が時々筋とはまったく関係ない場所でなされるのもこれまた面白いのです。でもこれがインド映画ファンにはたまらないらしく、タミル映画はタミール系インド人の最大の娯楽であるそうです。インド人政党MIC幹部が、インド人はくだらないタミール映画を見過ぎると嘆いた事があるくらいです。尚この場合はビデオですが。
いずれにしろインド映画には美男俳優とグラマーな女優が必ずでてくるみたいで、インドの有名俳優、例えばShah Rukh KhanやSalamn Kahnなどはマレーシアでもインド人には大人気です、ちょうど香港の歌手兼俳優の黎明や劉徳華が華人に人気あるようなものでしょう。
インド映画のファン層に華人はまずいないといって間違いないと思いますが、案外マレー人もいるようです、人気あるインド映画の場合上映館前で開館待ちしている客層によくマレー人を見ますしね。でも華人はまったくいません。筆者がそういう映画館の前でポスター眺めていると場違いな感じを抱くほどです。
事実先日Shahrukh Khanの主演最新映画 ”Baad Shaw”をKLCCのスリア内のシネプレックス映画館へ見に行った時、驚いたのですが、客のほとんどが若いマレー男女でした。トゥドゥン(スカーフ)姿の女性連れも多いのです。しかし華人は一人として観客にいませんでした。有名俳優の出るインド映画はマレー人にも人気あるが、華人は全く興味を示さないというのも興味深い事です。
筆者とマレー映画の出会いは、東京渋谷のアセアンセンターで90年頃見た”アリババ”だったと記憶してます、それがマレー人というよりマレーシアの誇る不世出の芸能人P.Ramleeを見た最初です。P.Ramleeは50年代から70年代初期にかけて活躍した映画俳優兼監督、そしてシンガーソングライターでもあります。40代で亡くなったので、その後の活躍はすべてビデオ、今ではCD,VCDの世界になりますが、マレーVCDを扱っている店なら必ず置いてあるでしょうし、そのカセットも音楽ショップならまずどこでも売っているはずです。
これだけ有名で今尚愛されているP.Ramleeの作品は映画館で上映される事はありません、テレビではよく放送されます。また最近記念切手にもなりましたね。
専門家に言わせるとマレー映画はP.Ramlee以後それを超えてはいないそうですが、娯楽の少なかった時代と現代とではなかなか比べられないことを考慮しても、マレー映画が国民的注目や感心の的に成る事はないですし、これからもないでしょう。マレーシアの言語状況と文化状況を鑑みると仕方のないことでもありますね。
ところでP.Ramleeの映画を見ると、マレー人がイスラム化に力を入れ出す前又はその途中の時代ですので、その当時のマレーシアの様子がわかります。以前P.Ramleeの映画を見るともなくテレビで眺めていた時、ラムリーが競馬場で遊んでいた状況が出てきました、恐らく現代のマレー映画ではこういうシーンを撮る事はもう不可能でしょうね(あらゆる賭け事はムスリムには禁止されている)
マレーシアの映画嗜好状況は、どの民族にも人気のいいハリウッド映画を別にして、民俗別に嗜好が分かれます。上記で示しましたようにマレー人はマレー映画、華人は香港映画、インド人はインド映画というようにです。このあり方はこれからも変わる事はまずないでしょう。第一に国内で制作される映画はマレー映画しかない事、そのマレー映画自体の本数がずっと少なく、マレー人自体を満足させるには不十分である事、第二に映画製作への予算的表現的束縛があることから、現代ハリウッドの映画にはかなわない事です。第三は他国から、つまり香港とインドから華人とインド人向けに絶えず映画が供給されてくる事です。
筆者はサバ州とサラワク州の状況に疎いので、カダザン・ドゥスン人やイバン人がどの程度マレー映画に興味を示すか知りません。
この数年大都市では急激にシネプレックスが増え、1本だけ上映の伝統的映画館はしだいに廃業しています。きれいだけでなく座る居心地のよいゆったりとした軟らかな椅子で、前の座席の人の頭を気にせず見られるのですから、人気がシネプレックスに移ったのもうなずけます。どの民族でもそうですが、アベックのデート場所には最適な所の一つでしょう。適当に暗いから人にじゃまされないし冷房が心地いい、ですからどこのシネプレックスもカップルが多いですね。まあ私も(今は相手がいないけど)デート場所にシネプレックスを選びますね。
シネプレックスになって前のように映画鑑賞中に大声で携帯電話で話したり、タバコ吸っている観客はほとんど見られなくなりましたが、伝統的映画館にはこういう自己中心主義者があふれてます。休みとなれば子供連れで来た親の子供が通路を走り回る、時にはゴキブリやねずみが足元を走りまわるような場末の映画館はもう大都市では過去のものになりかけてます。地方都市にはまだまだこのタイプが多いでしょう。
インド映画専門公開館はミニ映画館ばかりですが、インド人人口の多いクアラルンプールには数館あり、インド人の比較的多い地方都市にもあるのが、インド映画の人気の強さを物語っていますね。
ところでマレーシアの観客は一般にできるだけ後ろの座席を好むのです。後ろなんて画面は多少小さくなるし、それに観客は多いのにそれでも後部座席から埋まっていきます。前座席はがらがら真ん中にもいくらでも空き座席があるというのに、シネプレックスであれ伝統的映画館であれ後部座席から埋まっていくのですね。変なの、なぜなのか今だによくわかりません。隣、前後に人がいない方がゆったり見れるのにね。筆者は真ん中から前を好むので、こういうマレーシア人の嗜好のおかげで座席に苦労する事はほとんどありません。
さてシネプレックスは中型以上のショッピングセンターに必ずといっていいほどあり、大抵はその上階に位置します。大きなシネプレックスは同時10本近くの映画を上映している所もありますよ。マレーシアでは映画興行会社が寡占状態で、大手は数社しかあません。 Golden Screen Cinemasと Tanjung Golden Villageの大手2社にSmile Theatresグループです。それにインド映画公開のStarグループかな。
ただ伝統的映画館では中小の興行映画会社がまだあるようですが、はっきりとは知りません。
シネプレックスの料金は大人RM9、所によってはRM8ですが、火曜日は女性デーとか、週前半はRM2割引とかの割引料金を昨年から適用しています。平均RM7として、これは朝刊紙の6日分ほど、屋台での昼飯代2回分ほどにあたります。筆者は日本の映画館の料金をこの間聞いてびっくりしたものです。
尚単本上映の映画館はシネプレックスよりRM2ほど安く設定してありますが、こちらも曜日割引をしているグループが多いようです。
マイナーな映画を鑑賞するカフェ兼ミニミニシアターがクアラルンプールに1,2年前一個所できました。場所は日本大使館の比較的近くですね。でもほとんど夜上映だし、一般交通機関が通ってない所なので、これじゃ車を持たない者には行く事が非常に難しいですね。深夜歩いて帰る羽目になりそうです。
Filmnet Cafe(03−2415323)といいます。
さて大抵の大型ショッピングセンターにはシネプレックスがありますから、旅行者でも気軽に「一つ映画でも見ようか」ということができますよ。シネプレックスのあるショッピングセンターをあげると、クアラルンプールならスンガイワン、セントラルマーケット、Sogo隣のプルタマコンプレックス、Sunway Pyramid、KLCCのスリア などです。ペナンなら Island Plaza, Bukit Jambul など、マラッカならMakhota Parade、イポーならKinta Cityなどです。
西海岸の大きな町なら他にもありますが、東海岸となるとずっと映画館の数は少なくなります。Kuantanを除いて、シネプレックスはありませんし、クアラトレンガヌなど州都なのに今では 1軒しか映画館がないのです。それからランカウイには映画館がありませんね。映画館は完全なる西高東低です。
通常ハリウッド映画の公開は日本より早いし比較的低料金ですから、マレーシア旅行の際には、上記の大都市にあるゆったり座席のシネプレックスでいろんな映画を楽しんでみるのもいいではないでしょうか。その際厳しい検閲であちこちカットされていることはあきらめてくださいね。
社会保障と福祉という概念は西欧から来たものですよね。これは日本ではたいへん尊重されている考えとありかたですから、ちょっとみに考えると世界の普遍的なもののように感じますが、実体はそうではないでしょう。
巨大人口の国インドで、例えば児童手当とか失業手当てを全体に給付する事は、まあ無理ではないかと思えてきますし、マレーシア隣の大国インドネシアでも同じ、大体失業と言う概念自体が捉えにくいので、何を持って失業という定義自体が日本とは違ってくる事です。潜在失業者というか不安定被雇用者及び個人零細商売人(例、屋台人)が何百万人いや数千万人もいるインドネシアで、失業手当を平等に支給する事はまず不可能です。どうやって判断し登録するかの手続きさえも難しいですね。以上ほんの一例で、社会福祉と保障はけっして世界の普遍的概念にはなっていないでしょう。
でマレーシアに移ります。「政府はしばしば国民に伝えています、我国は決して福祉国家にはなりません、と。民間会社とNGOが、増える老人人口が必要とするものに答えていくことを期待されています。定年退職者と個人のボランティアがその経験などで寄与するべく奨励されています。一方子供がその親の面倒をみることを期待されています。要するに高齢者の必要なものは、こういうグループの慈善の心と親切心をあてにしなければならないのです」 (新聞記事から引用)
という言葉が叙述にマレーシアの現状と目指す方向を現しています。社会福祉と保障が大きなテーマになることはあまりありませんし、これからも多分ないでしょう。なぜなら、マレーシアが発展途上国だからでなく、マレーシアがそういうありかたを積極的に目指していないからです。IT技術国家を目指そうとか貿易立国を目指そうとかの論議は盛んですが、総合福祉の方向性を求めてというようなテーマはまったく受けませんし、さかんになりません。
単に政府だけでなく多くの国民も社会福祉と保障に大きな期待をしていないように見えます、正確に言えば西欧や日本ほどに望んでいないと思えてきます。それはなぜかといえば、国のあり方と国民の家族観と生活観が西欧と違うという事につきるでしょう。国家が税の聴取により、それを不幸な方高齢な方に配分し、若者はその費用を負担するのが義務だという思想が根づいていませんし、根づかせようとはしていません。イスラム教のザカート思想は似ているが、福祉概念とは違ったものでしょうし、それはムスリムだけの概念ですね。
伝統的家族観から家族の姓にこだわる華人は男側の姓を守っていきますから、子供が親を次ぐ、つまり子供が親の面倒を見る事が前提になっていますね。マレー社会は個人主義的傾向がたかいと言われています、たしかに家を守るというような意識は薄いでしょう、第一家という概念がマレー社会一般にはない、でも子沢山社会の常で子供に老後を頼る事と親を尊重する文化がマレー社会に強いと見えますから、これも社会保障によってでなく老人の世話をみるのは子供です。インド人社会、これも子沢山社会です。ヒンヅー教での詳しい家族間を筆者は知りませんので、この部分は触れられません。サバ州サラワク州の少数民族社会は共同体社会ですから、国家が老人や身障者の面倒をみるという考え自体ほとんど成り立ちません。
さらに次のようなことも知っておいて欲しいのです、いい意味でも悪い意味でもマレーシア社会は非常な保守的な社会です。問えばシングルマザーという存在は”悪”だとみなされていますから、それへの保障を堂々と要求する事ははばかられます。もちろんシングルマザーへの援助を要求しているNGOはいくつかありますが、それもシングルマザーは一つの選択であり、個人の自由であるという思想からでなく、かわいそうだから助けるべきだという発想に基づいています。
また個人の自由、例えば結婚するしない自由、子供を持つ待たないの自由ということがオープンに議論されないし、できない社会です。結婚すれば子供を持つ事が強大な社会的圧力になっていますから、子供を持たない自由もあるんだとう発想自体が理解されません。この子供を持たない自由は筆者も実際によく経験した事です。ちょうど宗教を信じない自由を尊重する発想が全く、強調しますが、全くないということと同じようなものです。人である限り、イスラム教であれ道教であれヒンヅー教であれキリスト教であれ宗教を信じる事が当然で人の道であるという発想ですね。無宗教がコミュニズムに通するという発想はナンセンスで、これも説明しなければならないのも面倒くさい事です。
この面では筆者のような絶対無宗教主義者には暮らしにくい社会でもあります。(誤解のなきように断っておきますが、筆者は無宗教を勧めているわけではありません、信じる自由と同等に信じない自由を尊べといいたいのです)
この例、マレーシアの調査とかある種の申し込み用紙には宗教欄があって、イスラム教、仏教、ヒンヅーなどの他にその他(Lain−lain)というものしか書かれていません。なし(Tidak ada)という項目はないのですね。
このような家族観と社会観に基づいているマレーシア社会では、社会保障と福祉につぎ込む国家予算は決して大きくない事は想像できるますね。もちろん政府にそこまでの予算がないこともないではないでしょうが、国として福祉国家をもとから目指してないからです。さらに国民もそれを強く要求してないからです、こういうことを頭においてマレーシアを見ていかなければなりません。単なる数字だけで見ては実体と方向が見えてこないのです。
さてごくたまにマレーシアの福祉・社会保障に興味をお持ちの方がいらっしゃいます。それに答えるようなコラムを書ければいいのですが、残念ながら筆者はその方面に詳しくありません。そこでとりあえず新聞の記事を抜粋して翻訳しておきます。これでもある程度の面はおわかりになることと思います。
99年9月30日付けのThe Starの「将来を見詰めて」記事から、Intraasiaが抜粋翻訳しました。
老人福祉に関して、政府はいくつかの事をしてきた、例えば、97年にスレンバン病院に、今年マラヤ大学病院に老人病棟を設け、92年以来老人のためのデイセンターを設けた。数年以内に老人病棟は全州に設けられるであろう。2年前公務員に対する医療保証はその両親にまで範囲を広げた。
デイセンターを設置したのは、政府とNGOと民間です。3年以内に合計80個所のデイセンター設置を目標にしています、と前社会福祉庁長官は述べています。
尚、デイセンターとは行動に参加できる健康な高齢者のための施設で、デイケアーセンターは他人の介護が必要な人達のための施設です。
政府は9個所のデイセンターを建設をすすめる所ですが、福祉協議会センターというNGOはすでに3個所を運営しています。「政府は我々がもっとデイセンターを作るのを望んでいます。各センターにRM30万の援助があります。」と前社会福祉庁長官。
社会保障庁に寄れば、その予算の2割が高齢者用に割り当てられます。内訳 貧しいものへの手当て補助RM1000万、政府運営のRumah Sejahteraという養老院にRM800万、その他です。
福祉協議会センターのデイセンター3個所は、いずれも高齢者の活動施設で、クアラルンプールとサバックブレナムとマラッカ州にあります。
ただ不十分なのは専門スタッフの揃った適当なデイケアセンターが不足している事です。前社会福祉庁長官は、来年政府が資金を出せば福祉協議会センターのデイセンターがデイケアセンターを併設することになるでしょう、と言ってます。
しかし高齢者の経済的自立に関してはまったく保障されていないことも認めています。
中略
ある基金の会長は言っています。「政府の高齢者への”高齢者政策への行動計画は”は大きな努力を示している、そしてそれを実行するのは皆の責任です。」
「しかしその予算のわずか 1%足らずを社会福祉活動に割り当てているだけです。」と。
高齢市民の組織の全国協議会会長は、政府からのお金RM10万では事務所の賃貸料にしかならない、と不満を示し、「我々は所得税控除を申し込んだが、1年後の今も返事はない。」マレーシアの高齢者はフィリピンや韓国ほど政府からサポートを受けていません、と不満を伝えている。
中略
マレーシアで現在の社会保障の枠組みは充分ではありません。老人の3割弱しか、年金、又は被雇用者基金EPFか社会保障基金SOCSOからの給付金、又は生命保険からの給付金を受領していません。そして受領者の多くは正式な企業や公務員であったものです、とUM大学のある教授が説明しています。
97年において貧者の32%は老人であったそうです。「大多数の高齢者は彼ら自身で独立して生活する資金を持たない、家族に、特に子供たちに頼らねばならない。」と前述のある教授です。「マレーシアは将来、老人に社会保障を与える方向に行かなければならない。」
(筆者注: 家族に頼る、それを認めているそれを当然視しているのも国民ですから、この方向性が成功するのは難しいですね)
元マレーシア労働界の指導者がこう言っています。「高齢者問題を政治化してはいけない。」「家族が老人の面倒をみるべきだろうか?政府は、子供が親の面倒を見れるものかどうか、老人はどこに住みたいかの調査を行うべきです。社会に結論を導き出させましょう。我々は彼らの必要な事を考慮する際柔軟であるべきです。」
子供が親の面倒を見るのは理想であるが、若いものが次第に親と住まなくなっている。だから子供たちがどうやって暮らしたいかと、親が望む事の間に大きな食い違いある。」とこの労働運動指導者は訴えています。
後略
以上抜粋翻訳。
マレーシアは日本などと比べれば、老人人口の春かに少ない社会、60歳以上が人口に占める割合は6%ほど、ですが、2020年までには老齢化国家の仲間入りするだろうと予想されています。
このコラムはマレーシアの老人福祉と保障の全体を概観したものではなく、一部の面に絞ってみたものです。全体を見渡す事は筆者の知識では少し無理があるので、”ちらっと見てみる”と題した由です。それでもなんとなくマレーシアの福祉と保障の姿が感じられたのではないかなと思ってます。
「ラブジェネレーションが人気あるんですよ、」とコミック販売会社の若い男社員、「何ですか、それ?」と、筆者は反対に聞き返さねばならなかったのです。これは今回のコラムを書く際あちこちの本屋、出版社、CDとVCDショップ、キャラクターショップを回り、時にはそこの店員や経営者、さらには居合わせた客と口を交わした際のできごとです(経営者も店員も客もほとんど華人です、ですから取材はほとんど広東語で通しましたので一部聞き間違いがあるかもしれません、がそれが一番自然に相手とおしゃべりできるからです)。
GTOというコミックとVCDは特に人気だそうで、その際に聞いた言葉が巻頭の言葉です。
店によっては日本ヤングアイドルのいろんなポスターが掲げてある所もあります。Fujiwara Norika, Sakai Noriko などと写真の上に書かれてます。名前から日本人とわかりますが、筆者にはどういう娘かはまったく知りません。
筆者は、マレーシア出版の各中国語新聞、中国語娯楽雑誌をたまに買って目を通す(といって全部理解できるわけではない)ので、それに載っている記事と写真から、日本人ヤングスターの写真や記事があることを何年も前から知っていましたが、日本人ヤングスターにたいしてというかほとんど興味ないので別に気に留めませんでした。今回改めていろいろと調べてみると、まことに多いですね、そういう記事と写真。
さらにこの数年、特に今年になってから急激に増えたのが日本コミックの店とキャラクターショップです、特にスンガイワンでは何軒もそういう店がある。さらに日本風ファッションを扱うブティック店もいくつかできました。クアラルンプールの華人居住地区の小規模本屋、もちろん日本書籍店ではなく地元の小資本の店です、でも日本コミックをたくさん置いています。
マレーシアのヤング華人間における大衆文化は、クアラルンプールはブキットビンタン街の中心であるSungei Wang Plazaとチャイナタウの一部から始まると言ってもそれほど大きな間違いはないと思います。そしてそれに多少遅れてクアラルンプール内外の華人地区、他都市に広がっていくのです。今回これを調べてそう発見したのです。今日本若者文化が続々とマレーシアへやって来ているのです。ただそれは台湾・香港という華語文化圏を経由してという面が大部分です、書籍・物の流れと情報の伝わり方の両面です。ですからこの流行の担い手は間違いなく都会のヤング華人と言う事になりますね。
新聞雑誌類は、地元出版の中国語紙・誌を購買を含めていろいろと目を通しました。
以下店舗の調査対象にしたのはすべて、ブキットビンタン街、チャイナタウン、と華人地区の店舗、書店、漫画販売と出版会社、それとスレンバン、さらにジョージタウンのコムタとチャイナタウンです。つまり在住日本人がほとんど行かない大衆ショッピングセンターや普通のマレーシア人消費者相手の店ばかりです。もちろんこういうところで日本VCDやコミックを在住者が買うことはできるが、中国語が相当できない限り楽しめないので、私は客層に日本人を見た事ないし、店の人もコミック販売会社の人もそれを全く期待していない。
Jaya Jusco、Sogo,Isetanなどにある日系ショップでなく、一般マレーシアヤングがもっとも多く集うショッピングセンターと店舗で、且つ各種中国語出版メディアを通して、今日本大衆ヤング文化・ファッションがどのようにマレーシアヤングに受け入れられ人気を呼んでいるかを筆者は調べたかったし、約1ヶ月間半の調査の結果、それをある程度検証したと思います。全体は相当長文です、そこで4テーマに区切って、今回から5回に渡ってお送りします。
筆者は現代日本のヤングファッションや人気スターとコミックに関してはほとんど知識がありませんでした。ですからここに書いたスター名、コミック題名とかファッションに関してそんなの時代遅れですとか綴り・名前が間違っている、と言われることもおきるかもしれません、しかしこのコラムの目的はどれくらいマレーシアヤングが日本のヤング文化に興味を持っているかの紹介なので、そのあたりはご了承ください。尚間違いは指摘して下さい。(掲載後指摘によってすでに幾つか訂正しました)
”画像あり”としたのは、旅行者・在住者のためのページにある「ファッションとヤング文化」内の該当ページに写真だけ載せていることを示しています(クリックすると開きます)。このコラムに載せるとページが重くなるので、別ページ立てにしたわけです。そちらも参照して下さい。
日本の若い人気歌手と俳優の少なからず数がマレーシアに紹介されて知られており、その内の何人かはすでに有名人とまでなっています。日本歌手・俳優に興味を持つ層はもちろんヤングですが、それも華人に相当偏っております。理由はやはり日本人との民族的親近感があるのでしょうが、それよりも大きいのは香港と台湾の芸能・ファッション文化が中国語出版物を通じて、マレーシアに直接且つ相当程度流れ込んでくるからです。
香港と台湾で発行されている日本人歌手・俳優やファッションを載せた雑誌類はもう山ほどあり、香港と台湾ではほとんど日本と同時人気を持っているのではと思えるほどです。
マレーシアは東南アジアで最大の中国語人口を抱える国ですから、香港と台湾の出版物はどんな分野にも限らずすごく多い。(華人人口だけを見ればインドネシアが圧倒的に多いが、インドネシア華人は中国語を使う自由が制限されており、中国語を読み書きできない人ばかりです、タイの華人も中国語読み書きできる人はごく少ない)
それらの雑誌類が多くは古本の形で多少時期をずらしてマレーシアに輸入されています、新本ももちろん入ってきますが、新本では多少値段が若者には高いからでしょう。そこでいくらかの時間差はでますが、日本の若い人気芸能人のニュースと消息は興味さえあれば容易に知ることができるのです。
注:ここでいうヤング華人は中国語教育を受けた層をいいます。少なからずいる中国語つまり華語を読めない話せない華人層つまり英語教育を主に受けた華人層は、恐らく日本ヤング文化への興味は薄いと思います。重要な情報源である中国語雑誌や日本コミックを読めませんからね。これを検証することはできませんでしたが、筆者の推測は間違ってはいないはずです。
さらにマレーシア発行の中国語雑誌、特に芸能兼音楽兼テレビ番組と映画紹介雑誌はほとんど日本芸能界の消息を伝えています。
例 9月26日発行の週刊誌「生活電視」価格 RM3には、次の若手芸能人が最近の消息とともに写真付きで載っています(写真あり)。どういうことが書かれているか簡単に抜き出してみましょう。
奥菜恵が写真集Escapeの写真集を出してサイン会には多くのファンが集まった、滝沢秀明は来年春公開の映画を撮っている、観月ありさがサッカー界スター三浦知良とデートした、反町隆史は主演のCheap Loveでもたいへん受けがよい、これは昔の山口百恵の ”泥だらけの純情”に似ているなど、安室奈美恵はSamと結婚後カンバックしたが以前ほどでない、宇多田ヒカルが先を行っている、日本少女アイドル鈴木あみが1日交通安全警察官を務めた、日本音楽の教父小室哲哉下のグループGlobeのボーカルKeikoが新しいコマーシャルソングを歌っている、そして最新映画の話題として「催眠」では主演俳優の消息、「Sapce Traveller」では金城武、安藤政信、池内博之などの消息です。
尚金城武は台湾出身で香港映画に何本も出演しているので、マレーシアではすでに数年前から知られていました。もうすぐ話題の香港映画”心動”がマレーシアで公開されるので、このコラム掲載j時には公開されてる、主演俳優金城武 (一般にGun Mo Shin と呼ばれる)は中国語ラジオ局で毎日その名が言及されているぐらい、マレーシアヤング華人には知られている日本人?スターです。上記のうちで筆者が名前を知っているのは金城武、筆者は香港映画をよく見るから、と安室奈美恵だけでした。
この雑誌に挟み込まれた大型ポスターの写真はKinki Kids の2人の男で、題名にジェットコースター・ロマンスとカタカナが載ってます。筆者には全くの初めての顔と名前でこの人たちはどういう人かさえわかりませんでしたが、同誌のオリコンヒット番付を見ると歌手なんですね。この雑誌、刊行して15年よく売れてますよ、だけでなく、オリコンヒット番付は、中国語・広東語ラジオ局”麗的FM”が週1回夜8時から放送する日本ポップス紹介2時間番組の中でも毎週紹介されています。
その番組の人気DJに話を聞きたかったのですが、出した手紙に対する反応をしばらく待っているところです。運よくインタビューできたら後日この場でその内容を追加収録しましょう。
10月3日付けの週刊誌「生活電視」では、新作ドラマTeamの紹介と出演した草なぎ剛や黒木瞳の話題、藤原紀香がブライダル衣装でチョコレートCMに出演した話、鈴木あみのヘアスタイルの編み方、題名がよくわからないが角川映画 ”真夜中にベルがなる?”と出演者木村佳乃、仲間由紀恵らの話題、江口洋介が映画で刑事の役をすることと妻の森高千里の健康がよくない話題、TBS秋の新話題番組 Cheap Loveで鶴田真由と反町隆史が姉弟の役で主役を務める話など、細かに日本芸能界の話題を伝えています。
10月2日付けのマレーシア発行週刊漫画雑誌 ”漫画周刊” RM3.50を見ると、第一ページに色刷りで日本スターPuffy と安室奈美恵の記事が載ってます(写真あり)、その他コミック以外にPlay Stationなどテレビオゲームの解説記事もあります。
Puffyが渋谷のNHKホールでコンサート行ったその様子とごく簡単なインタビュー、安室が舞台に復帰して千葉Marina スタジアムで”最後の夏の夢”コンサートに出演した様子、とそこでのSpeed、Da Pumpの歌った曲の話などが書かれています。(グループ名と曲名が英語ばかりだけど日本ではこうなんですか?)
さらにこの雑誌の広告欄には、1ページ全面を使って、Jenny 人形のTakaraが協賛している99年Jenny Doll全国子供歌唱選手権のお知らせが載っています。日本人形はここにも進出しているのです。
中国語新聞に移りましょう。どの紙にも毎日娯楽のページがあり、香港と台湾のスターの話題が常に地元華人歌手・俳優の話題を上回っています。さらにどれも毎日ではないが頻繁に、多少に関わらず日本人スターの話題を伝えています。時々大きく報道することもあります。ほとんどは台湾・香港の娯楽マスコミの孫引きと思われますが、以前と比べて最近マレーシア発の日本人スターの話題が増えたように感じます。
例です。10月17日付け”星洲日報” 紙の娯楽面のほぼ1ページ丸々日本人スター・番組の話題を報じています。(写真あり) 反町隆史の主演 GTOが上映されて以来、日本では鬼塚教師的魅力が益々増している、芸能界での彼のアイドルとしての人気はすごいものだ。女性主演の松嶋奈奈子は反町ほどには及ばないが知名度は高い、などと解説されています。
この記事に寄れば、GTOの女性教師版 番組”何とか女教師 NAOMI”では日本3代美女女優の藤原紀香、佐藤藍子、RYOが主演している、それぞれ綴りは違うが発音は同じ”なおみ”が私立晴天学園でおりなすエピソードのドラマであるとのこと、細かなドラマの解説、主演3女優のこれまでの経歴と性格の描写のなかで、藤原紀香扮するなおみはこれまで26回も解雇された問題教師でセクシーな教師でもある、佐藤藍子は目と口と耳の大きな国民的美少女だ、りょうはNon−Noのモデル出身だ、などなど(写真あり)。こういう記事を丹念に読んでいれば、日本のスポーツ新聞はもう読む必要なくなるのではと思えるほどです。
さらに”日本テレビ番組今週の人気ベスト10” 表も掲げられています(写真あり)。もちろん中国語字幕のVCD版のことですが、以前はこういう番付表は見ませんでしたね。写真では字が小さく見にくいですが、こういうことに詳しい方なら、中国語の番組み名でも主演者名から推測がつかれることでしょう、私はさっぱりわかりませんが。
写真ではきれてしまいましたが、この娯楽ページの最下段には日本音楽の情報として、人気ある台湾編成CDの紹介が3つあります。 TRFが歌っている2つのテレビ番組の主題歌を収めたCD、Japan Now Hit Mania 99では多分台湾歌手が歌う日本人気歌謡曲の紹介CD、さらに20万部は売れたという 日本テレビドラマの主題歌シリーズ No.2のCDです。
別の中国語紙”中国報” 10月23日の娯楽ページの内、1ページ全面を金城武に割いています(写真あり)。話題の映画”心動”が公開されたばかりということもあるでしょうが、彼の詳しい履歴と現在の状況が好意的に解説してあります。「日台の混血であることと複数言語話者、これまでの恵まれた環境、その容貌の良さの3つが揃って、金城が国際スターとして人気が出ないはずがない」などとこの記事の記者は書いてます。
もう 1誌華人ヤング向けの雑誌から例をあげておきます。”青春”という書名で、価格RM3、ただこの値段から厚い雑誌を期待するのは無理ですよ、80ページほどです(写真あり)。何年も前から発行されている雑誌で、どちらかというと女性向です、香港スターの話題はもちろん美容と健康、ファッション、男女関係、占いのページも適度に混ぜて載せてあり、ほどよく各種のテーマを扱っていますね。70人近くも住所付きで載ってる友達探しの投稿欄もあり、これを見ると、女性がやや多いようで、年齢が14才から25才、中心は20才前後です。日本人スターの話題、もちろん載っています。
10月前半号を見てみましょう。
まず青春Idolとして、香取慎吾の写真のいくつかを1ページカラーで載せており、Men's Non−Noに21世紀的ファッションで登場したと紹介されてます(写真あり)。森田剛も青春Idolとして1ページカラーで載っています。彼はV6の一因としてすでに4年、当時に比べてずっと成熟してきた、常にクールとみなされ表情は厳粛だと紹介し、彼の子供時時代の話し、恋愛観が紹介されています。「現在剛は自己を喜ばすことをしていくつもりだ、それが将来後悔を減らすことになるのだ」ど太字で書かれてます(写真あり)。
日劇つまり日本テレビドラマ情報として1ページ割かれています。この号で紹介されているのは、”小さなダブルベッド、教授とモデルの苦い恋(筆者の理解する題名で日本題名はわかりません。追記 セミダブルと指摘あり)” です。収録されたVCDの12枚まである各枚の内容が簡単に説明されているのです。出演者名が書かれており、稲森いずみ、仲井貫一、大竹しのぶ、吉沢悠などです、香港スターの徐若?も出演しているのですね、(ふーん、香港スターも日劇出演か、近頃日本のTVに香港台湾スターのCMがあるとは聞いてましたが、ドラマにも出てるのですね)
別のぺーじにある新作映画案内のページでは、栗山千明、夏川結衣らの”死国”、稲垣吾郎、菅野美穂らの”催眠”の紹介が載っています。
この雑誌以外にも、”偶像(アイドルという意味)”というヤング向け週刊雑誌がよく売れています。これもずっと以前からある雑誌で、もちろん日本人スターの話題も少ないながら載っています。さらにこれは地元出版でなく香港出版ですが、マレーシアの中国語系雑誌のコーナーでは必ずといっていいほど小型の雑誌 YESを見かけます。たいていが号落ちなので、1冊RM4ほどと安くなっているせいかよく売れているようです。日本芸能界情報が結構載っています。こうしてマレーシア華人ヤングは日本人スターの話題になじんでいくのでしょう。
その他マレーシアの中国芸能雑誌・新聞の芸能欄によく取り上げられる名前を書き出せば、上記以外にも木村拓哉、小室哲也、香取慎吾、広末涼子、滝沢秀明、Beach Boy、まだまだあってとても書き切れません。
日本の人気テレビドラマ番組を録音して台湾で中国語の字幕を付けたビデオがあり、それを総代理店がマレーシアに輸入している、だから日本語のせりふのままです。
スンガイワンの2Fのショップでは1巻RM8で売っている。別の店ならこれより多少高いかも知れません。恐らく近い将来はVCDに取って換わられるでしょう。
VCD(一部はDVDもある)
ほとんど台湾製と思われる。上記のビデオと同じような番組で日本語音声そのままに中国語字幕付き。10数枚組みとなっている。今ではビデオより種類が多くこれがすでに本流になっていると見られる。価格:1番組でRM80からRM120.輸入ルートははっきりしないが、マレーシアに数軒の総輸入代理店があるようだ。
主なタイトル:Love Generation, 神様もう少しだけ、リップスティック、ハッピーマニア、鬼の住む家、魔女の条件、一つ屋根の下、イヴ、妹よ、聖者の行進、東京大学物語、GTO,おいしい関係、めぐりあい、じんべえ、Over Time,ママはアイドル、バージンロード、あすなろ白書、眠れる森、ボーイハント、白衣の天使、最高の恋人、おいしい関係、東京ラブストーリ、星の金貨、ナオミ、タブロイド、恋はあせらず, Long Vacation、ときめきメモリアル、アンドロメダ、躍る大走査線、ラブand ピース、成田離婚など(筆者の知るのは一つもなし)
日本の人気ヤング歌手をまとめて収録したCDとVCDのセットも売られています。
98年度人気男歌手コレクションには反町隆史、福山雅治、少年隊、Aska などを収録、98年度人気女歌手コレクションには、松たか子、酒井法子、広松涼子、華原朋美、竹内まりあ、工藤静香など収録、98年度人気グループコレクションには、Speed, Mr.Children, kinki Kids, Glayなど(英名ばかりだけど日本でもこう綴るのかな?), ごく最近発売されたと思われる ’99 HITMANIA には10曲収録されている。また金曜ドラマ「めぐりあい」のサウンドトラック版なんてのもあります、RM40。
ブキットビンタン街の Imbi Plaza、 Sungei Wang Plazaに多いが、そこだけでなくてもちょとしたCDとVCDショップならいくつかの台湾製日本テレビドラマVCDが並べてある。華人居住地区なら置いているそのVCDの種類が多くなるでしょう。ブキットビンタン街のTower Recordを覗いて見たが、わずか数種しか置いてなかった。客層が違ういい例です。
ミュージックショップで音楽CDを見ると、日本ヤング歌手のCDが数は少ないが直輸入されて並んでいます。1枚RM50からRM60というところか、又台湾で編集制作した版だともう少し安くRM40ぐらいになる、この値段も歌手によって幅があるようです。
カセット、CD、VCD、ビデオ類の海賊版が豊富に且つ多種売られている事で知られたチャイナタウンですが、上記で説明した日本テレビ番組のVCDはそれほどめだちません。ないことはないですが、VCDに関してはやはりハリウッド映画と香港映画が圧倒的に多く、日本テレビ番組VCDを扱っている店は多くないし、種類も豊富でない。日本歌謡曲のCDもあるが、台湾製で数が少ない。やはりチャイナタウンの客層は観光客も多い事ですし、日本VCDを求める客層とちょっと違うということですね。
10月にLow Yat Plazaにオープンしたばかりという日本のVCD、CDと漫画専門店”潮流一族”店で若い店主に話を聞きました(写真あり)。
マレーシアには数社の台湾製品の卸し輸入会社があってそういうところから、購入しているとのこと、ヤングは台湾と香港の芸能雑誌で、日本の番組スターの情報を知り、それを基にVCDなどを買うとのことです。これは筆者の推測どうりでした。
また、たまたまそこへVCDを買いに来ていた女学生に聞くと、友達どうしで日本人スターの話もするとのことです。「日本人スターで誰が好きですか?」と聞いたら、「滝沢が好きです」と彼女、滝沢って誰なんでしょう。(追記:秀明ですと指摘あり)
街のレンタルビデオ屋では、こういう日本番組のVCDが1枚 RM2程度でレンタルされているそうです。筆者はVCDプレーヤーを持っていませんので、実際に借りて見ることはできませんが、ショッピングセンターの店頭でVCD屋が映しているのを見た事は何十回もあります。
10月中旬ペナンのジョージタウンへ行って、状況を調べました。やはり華人の絶対的に多い町ですから、Komtar内の音楽ショップ及びチャイナタウンの夜店でも、上で触れた日本番組などのVCD、CDは売られています。ただその量と種類はクアラルンプールのスンガイワン、IMbi PlazaやS&M Plaza内のショップほど、今のところ多くはありませんでした。尚日本のアダルトビデオの海賊版VCDも売られてますよ(もちろんクアラルンプールでも場所に因るが、VCD屋台で売られてます)。ジョージタウンの各地を調べた訳ではありませんので、はっきりしたことは言えませんが、日本物CVD、CDに関してはクアラルンプールの方が盛んであると感じました。
その他の町、スレンバンのショッピングセンターでもこういうVCDは売られています。こういうことから、華人ヤングが多い町、地区なら、おそらくどの都市、町でも多かれ少なかれ売られているのでしょう。
この推測はジョーホール州内陸部の町Kluangでも証明されました。Kluangは華人の多い町で、商店街には中国語の看板が目立ちます。中心部の商店街とショッピングセンターをぐるっと回って調べた結果、ミュージックショップのいくつかでは、種類と数は少ないものの日本テレビドラマVCDを置いていました。Kluangのような地方町にもやはりあったのです。
この数年香港・台湾スターが日本市場を目指しているようですが、日本人ヤングスターも香港・台湾市場にその人気を広げているでしょうし、彼ら彼女らはそのことを当然知っているでしょう。だから香港・台湾へ出かけていく日本人スターもいるのかな、そのあたりは筆者はまったく知りませんが。
でそういう日本人ヤングスターで、マレーシアで自分の人気がどれほどか知ってる人はまずいないでしょう。「反町君、安室さんら日本人スターの方々、マレーシアにも華人ヤングにあなたたちのファンがたくさんいるのですよ!ポスターも売られてるしVCDは出回ってるしね。」 万が一スター所属のプロダクションの方か芸能マスコミの方がこのコラムをご覧になっておられたら、まあありえないでしょうが、是非これを教えてあげて下さいな。
なに、マレーシア華人のファンがいくらたくさんいても(スターの)稼ぎは変わらない?、それは筆者の関知することではありませんね。