よくわかる99年マレーシア総選挙の解説と結果分析及び各政党のお話
地球の歩き方マレーシア編との関わりとガイドブックのあるべき姿を求めて −前編
地球の歩き方マレーシア編との関わりとガイドブックのあるべき姿を求めて - 後編 ・地方自治体行政府と評議会のこと
「ゲストブック」と 「新聞の記事から」に選挙前に書いた物を一つにまとめ、それにごく一部の訂正と追加もしました。さらに発表された選挙結果とそれに基づいた筆者の分析と解説も書き加えてあります。
総選挙に関連して、マレーシアの政治状況を述べたいのですが、これを伝えるのは非常に難しいところです、なぜなら読者の側で相当程度マレーシア国民の住民意識、政治風土の知識をお持ちでないと、単なる政党名と数字の羅列になってしまうからです。
そこでマレーシアの選挙の基本的な仕組みと各政党について解説しながら総選挙についていろいろと書いてみました。ただ申し訳ないですが、ある程度はマレーシアの知識があるということを前提にしています。ですから政党名に一々注釈はつけません。
11月20日に国会及び各州議会(ボルネオ島部の州議会は選挙時期が違う)選挙への立候補受付と締め切りがありました。
政党又連合名 |
BN |
PAS |
KEADILAN |
DAP |
PBS |
MDP |
STAR |
PRM |
その他 |
無所属 |
国会 への立候補 |
193 |
62 |
63 |
44 |
17 |
12 |
5 |
4 |
2 |
27 |
当選数 | ||||||||||
州議会へ立候補 |
394 |
236 |
69 |
86 |
-- |
13 |
--- |
--- |
1 |
13 |
当選数 |
マレーシアにはマレーシアの選挙制度がありますから、日本と違う点があっても当然です。例えば国会議員(下院のこと)と州議会議員を兼ねることができるのです。ですから両方の選挙区に出馬する人も出てきます。野党のDAPにもいるし、確かサバ州でもそういう野党PBSの国会議員がいますね。ただ与党連合BNでは、どちらか1議席に限ると内規を定めているようです。
尚国会から州議会に移る人も出てきますし、その反対も当然あります。
一口知識
選挙に立候補できない要件: マレーシア国民でない者、21才に満たない者、二重国籍者、破産した者など
マレーシアの議会選挙はこの2つだけで、州の下の自治体、つまり群とか市町村段階での首長と議員選挙はなく、それぞれの首長が任命します。その首長は、州首相であれば実質的には首相が指名します。つまりマレーシアの首相は絶大な権力を持っている例です。その他の地方自治体首長は州首相や州評議会がその選出に深く関わっているようです。
マレーシアの行政の垂直構造は3段階になっており、上から連邦政府、次に州政府、その下が地方自治体政府です。つまり日本でいう群や市町村にあたる第三段階の行政機構です。クアラルンプールは首都として連邦直轄領で特別な地位です。尚ラブアン島も似た地位にある。
マレーシアの与党政党には与党連合 Barisan Nasional(以下BNと省略)に属する政党が14ほどあって、半島部は UMNO、MCA、MIC、Gerakanの4つだけでわかりやすいのですが、ボルネオ島部はちょっと違います。
サバ州は小さな与党政党(SAPP, LDP 、Upkoなど)がいくつかあり、且つその合従連衡が割合あり、私もその名前を聞いただけではピンときません。尚上記4党はボルネオ島部にも組織を持っているところがある。
サバ州は各民族基盤の政党が多いということも言えますが、それだけではなさそうです。なぜサバ州は今だにカダザンドゥスン族基盤の野党PBSが強いか、興味有るところです。
サラワク州は少数民族の数は抜群に多いのですが、その各民族がそれぞれ政党を持っているわけではなく、イバン族基盤とマレー人基盤というように政党数は4,5党のみです(SUPP,PBDS,PBB、SNAPなど)。サラワク州はBNが圧倒的に強く、UMNOが唯一組織を持っていないのが、サラワク州です。
さて野党側の主なところは、今回野党連合の Barisan Alternatifを結成した次の4党が中心です。DAP,PAS,Keadilan、PRM。これとは別に独自路線を掲げた、DAPの離党者が新しく結党したMDPというのもあります。この野党連合の4党ともボルネオ島部に組織を持ってはいるようですが、DAPを除いてこれまでの成果はほとんどありません。半島部のマレー人に強い影響を持つPASですが、ボルネオ島部ではまったくなすすべがありません。
サバ州では半島部には全く基盤を持たないPBSが超有力な野党です。野党連合4党とは一線を画して独自に選挙戦を進めます。サラワク州にはこれといったサラワク州独自の野党がありません(ないことはないが、あまり影響をもたなさそう)。
マレーシアの政党はそのほとんどが、支持と基盤を特定民族別に頼っており、理念として全民族政党と掲げていても、実態はある民族に傾いた政党ばかりです。これは宗教的な面が強く絡むので、相当仕方のないことでもありますね。PRMは比較的複数民族から構成された政党のように見えますが、これまでに一度も議席を得たことはありません。
また中にはUMNOのようにブミプトラだけが党員になれる、と定めている政党もあります。
注: stepanさんからブミプトラ非ムスリムでも党員になれるとの指摘ありました。(そうですね、非ムスリムブミも党員になれますね、そこで上記のように訂正しておきました)
さてこのように民族別且つ半島部とボルネオ島部に大きく分かれた政治風土なので、一部の地域だけを眺めてもマレーシアの政治状況は捉えられません。都市の中上流階層が中心のクアラルンプールはバンサやダマンサラ当たりの政治意識と状況は、マレーシア全土から見れば、極めて特別な地区でもありますね。
私自身、サバサラワクの状況と政治意識には極めて疎くこれを論ずることはできません。そこで半島部のそれにしぼります。
マレーシア与党連合BNの要は主要3党 UMNO,MCA、MICですが(それにGerakanを入れてもよい)、そのいずれも民族別に組織されています。そこでマレー人の場合を見てみましょう。UMNOはマレー人だけの政党といってもまず間違いはありません。独立以来現在のマハティールまで4代の首相はすべてマレー人ですし、UMNOが一貫してマレーシア政治の中心です。これはこれからも変わることはありえないでしょう。
ですからマレーシアの政治状況を考える時にまずマレー人の動向を第一すべきでしょう。マレー人は総人口の約5割ですから、数からいっても最重要素です。そのマレー人が支持する政党はほぼ2つで、与党UMNOと野党PASの2党がこの数十年攻防を繰り返してきました。その間に数年前に解党した Semangat 46とか現在のKEADILANなどのマレー政党も生れてますが、どちらもUMNOの分裂又は元UMNOの党員が多数を占める政党です。
つまりUMNOの流れを汲む政党です。KEADILANはアンワル一辺倒政党と陰口をささやかれるくらいアンワルの影が強い政党です。アンワルとはもちろん前副首相でUMNOから追放され、現在受刑中の彼のことですね。党首はアンワルの妻です。政党幹部に華人、インド人も混じってますが、支持者の多くはほとんどこれまでの伝統的UMNOの支持者かPASの支持者です。
そのショックな失脚経緯から外国に紹介されることの多いアンワルイコールKeadilanは、今回の選挙では相当多くの立候補者を立てます。一見相当なる基盤があるように見えますが、実態は違うはずです(少なくとも私はこれまでの見聞からそう思います)。
なぜかそれは上に述べたように、Keadilan自体がUMNOの性格と支持者を引きずっているからです。UMNOを支持してきた民衆がアンワル支持というだけで、つまり反マハティールという感情だけで、実態はたいして違わないが権力を持たない野党 Keadilanにその支持の大多数を移すとは思えないからです。
私は以前コラムの中でUMNOの本当の敵はPASであると書きました。それは今でも変わりません。UMNOも今回の主戦場はマレー人絶対多数の4州、ケダー、ペルリス、クランタン、トレンガヌだと言ってます、特にPASが州政権を握るクランタン州奪回を強く目指しています。
なぜUMNOの敵はPASなのか?それはマレー人がムスリムであり、ムスリムであることを誇っていますから、そのマレー人政党はよりムスリム的であることを生活、思想の両面で常に歌い且つ人々に印象づけていかなければならない宿命を背負っています。
その時、イスラム原理主義政党であるPASはイスラム教がイスラム教である政治・宗教の一体化を実践し、イスラム国家の樹立を理念として掲げているのです。もちろんUMNOは、PASのあり方と行き方は極端主義で複数民族・複数宗教国家のマレーシアにはふさわしくない、と強く反論してます。しかしこのUMNOの反論がすべてのマレー人に通じない又は届かないからこそ、PASはその強さをずっと保っているのです。
55年の選挙時から候補者を擁立してきた(当時はPan-Malayan Islamic Party)PASは、74年の選挙でBNに参加した時を除いて、総選挙では常に一定の議席を有し、得票率では数割を得ているのです。さらに90年以来その牙城であるクランタン州を握り、州首相のNik Azizの名を知らない半島部のマレーシア人はもぐりでしょう。
PASはUMNOと違って中央政府を握ってもいないし産業界とは決して仲良しではありませんから、いわゆる汚職などの噂とは無縁の政党です(ですからPASはUMNOを汚職とか私腹肥やしが多いと非難してますね)。その支持者の熱意は相当なるものです。北部州と東海岸州を旅すると、州内の至る街道やちょっとした建物にPASの緑丸党旗が掲げてあるのが、いやがおうでも目に入ります。これは今回の選挙にはいるずっと前から、もう選挙であろうとなかろうと関係なく掲げてあるのです。PASの党旗は今やクランタン風物といっても間違いではありません。
東海岸州では、それに北部州でも相当程度ですが、単に党旗を掲げるのでなくPASはceramah と呼ばれる政治集会を連夜何百個所もで行ってきたそうで、その党機関紙Harakahは、一般マレーシア語紙並みに売られています。単に売られているだけでなくこれを読んでいる人を見掛けるのは極めて日常です。東海岸州の大衆食堂や屋台で観察していれば、Harakahを読む人、PAS支持を明らかにした服装をした人などの存在にたちまち気がつきます。
クランタン州やトレンガヌ州の地方の町や田舎では英字紙は極めて入手しにくいのですが、Harakahなら簡単に買えます。尚中国語紙はその町に華人がある程度いなければ入手できない。
先日トレンガヌ州を筆者はうろついてきたのですが、選挙前の熱はいよいよ上昇しており、PASの旗は一層増えていました。もちろんUMNO側も掲げ始めてました。川を航行する渡し船、木の上、屋根の上、砂浜にポールをたててなどと、田舎では都市と違ってとっくに選挙戦は始まっており、街を歩けば党旗、Ceramahのお知らせなどが簡単に目に入ります。一方クアラルンプールの中心では公示日数日前になってようやく旗が見え出したという状況です。
このようにPASはマレー人民衆層に根強い支持者を持っており、簡単にその支持者が減らないことは歴史が証明しています。一時期又はある選挙ではUMNOの投票しても次ではPASに投票するというように、境目の人が多数いるそうで、この層を如何に自分等の陣営に投票してもらうかが、選挙戦の要です。つまりPAS支持者は潜在的に大きく減ることは考えられないのです。理由は上で既に述べたように、マレー人がムスリムであることです。
さて華人はマレーシアでの第二の多数民族、総人口の約27,8%、ですから、その動向が選挙のいくえを決める相当大きな要素です。華人の支持政党は伝統的に与党のMCA、Gerakan そして野党のDAPということになります。その他の政党に投票しないということではないですが、以上が支持政党の主要3党ということです。
華人政党の雄はMCAです。独立前の55年の全国選挙時からUMNOと共闘つまりAllianceを組んでいた政党で(実際は52年から)、この共闘がその後現在のBarisan Nasionalに発展したのです。
MCAは馬華公会という名前からして完全な華人政党ですが、GerakanとDAPは理念としての多数民族政党つまり華人だけの政党でないことを掲げており、確かに幹部や選挙立候補者に華人以外の名前がままあります、それでも華人ベースの政党というようにみなされています。なぜならDAPとGerakanが候補者を立てるのは、華人がその半数近く以上の華人多数選挙区がほとんどだからです。
Gerakanはペナン州とクアラルンプールが中心でぺラ州、ジョーホール州などに多少立候補者を立てます。Gerakanはその牙城がペナン州で、ペナン州首相は歴代Gerakanからでています。尚マレーシア全州で華人の州首相は、サバ州の多少の例外はあるものの、ペナン州のみです。GerakanはMCAに比べて、全国政党というにはちょっと力量不足です。
でDAPに目を移します。結党以来一貫して野党として30年以上の歴史を誇り、マレー人間のPASと並ぶ、マレーシア野党の代表です。牙城はペナン州とクアラルンプール、スランゴール州かな、ペラ州マラッカ州などの華人の多い地区でも割合強く、半島部を含めて全国に組織を持っています。
華人間の非ブミ意識(反ではない)に乗っている面が多分にあります。歴代の選挙では常にある程度の議席を確保してきました。BNの産業界との癒着状態、言論統制政策に強い批判を常に投げつけ、より自由な言論政策、汚職の追放などを大きなテーマに掲げています。マレーシア人のマレーシアというのが有名なスローガンです。
しかし党首でMr.野党でもあるLim Kit Siangが20年以上も党首の地位に有り、彼に反対する者は次々と党から追放されてきたという負の面も隠せません。それが昨年からの幹部の大量離党除籍騒ぎに結びつき、新野党MDPの結成を見ました。MDPは今回国会・州に合わせて数十の候補者を立てました。ただその実力は誰もよくわからないようですが。尚DAPの離党者の中にはKeadilanに参加した人もいます。
華人の浮動層は時にMCAを支持したり時にDAPを支持したりと、揺れています。華人は非常に実利的ですから、商売繁盛に結びつくならMCAだけど、反対にBNつまりMCAが強くなりすぎても困るという期待感もあるかもしれません。
マレーコミュニティーとあまり関係なく暮らせる都市部の華人には比較的DAPの支持者が多いのも、興味深いところです。例えば、クアラルンプールの次の3つの国会議員選挙区、Kepong, Cheras, Seputeh, は華人の有権者の割合が実に9割前後という華人超集中地区です。いずれもDAPがずっと議席を確保しています。
さらに筆者の住む地区はクアラルンプール真ん中に位置するブキットビンタン選挙区に入りますが、有権者の4分の3までが華人です、マレー人はわずか15%ほど。お金持ちから貧者、外国人労働者まで混在したごちゃごちゃの街です。華人の多さからでしょう、伝統的にDAPの非常に強い選挙区です。
今回の選挙で大きな争点であるのが、”マレーシア人のマレーシア”を掲げるDAPが”イスラム国家の樹立”を目指すPASと野党連合を組んでいるということです。DAPの理念からいったら絶対にPASの理念とは一致しませんが、Lim Kit SiangはBNの国会3分の2以上の議席支配を打ち破るためには、野党連合が必要だと訴えています。しかし彼自身このPASとの共闘は両刃の剣であると認めているくらいで、MCAやMDPからの批判はもちろん党内にも反発の声があるそうです。
与党MCAは英領マラヤ独立前、つまりマレーシア成立前から結成された政党で、マレー人のUMNOと最初からつまりAllianceの時代から友好関係を保っている華人の老舗政党です。サラワク州を除く全州に組織を持ち、内閣にも3,4人の大臣を送り込んでいます。
BNの構成政党間に有力な選挙区の議席を配分するあり方です。つまりBNの候補者が1つの選挙区に複数出馬することはありません。
UMNOの割り当て数、MCAの割り当て数、MICの割り当て数などは選挙毎ではほとんど変化しません。時に構成政党間で選挙区のスワップが有るのですが、ある政党の割り当て数は変わらないというありかたです。このために全選挙区中インド人が多数の選挙区は1つもなくても、MICの候補者は議席を得る、前回は確か7議席、ことができるわけです。
一連の割り当てなどの最終権限はBN議長でもあるマハティール首相が握っており、ここにも彼の絶大な権力基盤が示されています。各州首相の指名も実質的にはマハティール首相の手中にありますよ。
一口知識:主要政党のホームページのURLです
UMNO www.umno.org.my/
MCA (Malaysian Chinese Association) www.mca.org.my/mca/
MCI (Malaysian Indian Congress) www.mic.malaysia.org/
Gerakan (Parti Gerakan Rakyat Malaysia) www.gerakan.org.my/gerakan/
DAP (Democratic Action Party) www.malaysia.net/dap/
PAS (Parti Islam SeMalaysia) parti-pas.org/
Keadilan (Parti Keadilan Nasional) www.keadilan.org/
PRM (Parti Rakyat Malaysia) www.prm.tsx.org/
PPP (People's Progressive Party of Malaysia) www.jaring.my/ppp
インド人に目を移しましょう。インド系マレーシア人は総人口の1割を切っており、且つ居住地が偏在しているので、ある地域ではたいへんよく目立つが、まったく見かけない地域も多いのです。半島部に比べてボルネオ島部はインド人の人口がずっと少なく、国会に議席を持っていません。
インド人の政党はまず与党のMICです。与党連合BNの結成時からの構成政党で、インド人間に一番組織を持っています。マレーシアの政党のご多分にもれず、党首Samy Valluが長年実権を握っています。そのためかMICといえば、(Mr.)Samy Valluというぐらい党首の個性が強い政党のようで、彼以外のMIC党幹部の名前を知っている他民族の人はそれほどいないでしょう。
こういう個性の強い党首ですから当然ワンマンだそうで、それに反発して離党がよくあり、そういう人達が中心になって結成した政党にPPPがあります(ずっと以前からある)。ただPPPは与党連合支持ですが、BNに入れてもらえず今回の選挙でも、州と国に一つの座席割り当てがありませんでした。
野党としてのインド人政党はあることはあるのです、名前に自信がないですが確かIFPという、がほとんどマスコミにも登場しない極小政党です。与党は別にして、インド人は野党として活躍するのでなく、有力野党の幹部として活躍しています。例えばDAPの最高幹部と候補者としても何人かいますし、Keadilanの副党首もそうです。さらに労働組合の幹部はインド人の比率が相当高いですね。
MICのスタンスは基本的にMACと同じでしょう。マレー主流派と連携・強調していくことでインド人の権益を守り高めていくということです。ただインド人は華人と比べてずっと小数ですから、社会の全ての面に影響力を持っていません、特に産業界ではごく限られた分野にしかインド人資本の大会社はありませんし、大臣の割り当ても MIC党首1人だけです。経済と政治を握るマレー人社会と華人社会の中で、小数派としていかにそのアイデンティティーを守り権益をアピールしていくかが、与党政党の役目でしょう。
民族に基盤を置いた政党は、サバ州とサラワク州の方が数が多いのです。それは民族数が多いからしかたのないことでもあるでしょう。ボルネオ島部で民族基盤の政党といえば、なんといってもサバ州のPBSです。カダザンドゥスン族基盤ですが、華人と非ムスリムブミプトラの各少数民族にも支持者があるようです。
PBSはサバナショナリズムというかカダザンドゥスン族イズムというか、サバ地域主義に徹した政党に見えますので、半島部からその様子がほとんどわかりません。カダザンドゥスン族の主流はキリスト教徒で、ムスリムのマレー人とは一線を画しているようです。そのためマレー人多数地区ではあまり強くないようです。ただしPBSの政治家には華人も混じっていますね。PBSは90年代に一時期州政権を握ったこともあり、前回の総選挙でも議席の4割獲得した有力政党です。今回も8割の選挙区に立候補しました。
サバサラワク州に関して、筆者は単にニュース記事としての知識はあっても、実態とその意識がわからないのでこれ以上触れません。
参考: サバ在住の stepanさんがゲストブックに、サバの状況について書き込まれましたので、それをここに収録させていただきます。
せっかくなのでこの機会をお借りしてサバの政党を簡単に説明してみます。
まず1980年代後半の状況ですが、州与党のPBSと州野党のUSNOによる実質的な2大政党制で、他に名目上の政党として1980年代末に結成されたLDP(華人主体)とAKAR(カダザン・ドゥスン人主体)がありました。
PBSが民族の差を越えた全サバ人政党を標榜していたのに対し、USNOはムスリム・ブミプトラ中心の政党であり、1991年にUMNOがサバに進出するとUSNOは吸収合併される形で解消します。さらにUMNOはLDPやAKARと連合してサバBNを結成します。
(なお、UMNOはそれ以前にもムスリムでなくてもブミプトラなら加入できると表明しており、タイ系やポルトガル系の非ムスリムの党員がいたのですが、サバ進出に際して非ムスリムでもブミプトラなら加入できることを改めて確認しました。)
こうして、民族の区別をしないPBSに対して民族ごとの政党の連合体であるBNが州政権の奪回をかけて挑戦したのが1994年の州議会選挙だったのです。
1994年の州議会選挙では、投票の結果としてはPBSが過半数を押さえたものの、投票の前後にPBSから大量の離党がおこり、それぞれBNに加入したためにBNによる政権が誕生しました。
ムスリムはUMNOに加わり、華人はLDPに加わるもの、新党SAPPを結成してBNに加わるもの、そして半島部からサバに進出していたMCAやGerakanに加入するものがおり、カダザン・ドゥスン人も同様に、AKARへの加入を通じてか、あるいは新党PDS(後にUPKOに改称)を結成したり新党PBRSを結成したりして、それらを通じてBNに加わりました。
これを民族別に見てみれば、サバのBNはムスリム・ブミプトラを中心とするUMNO、カダザン・ドゥスン人を中心とするUPKO、華人を中心とするSAPPの順に勢力が強く、それ以外のAKAR、PBRS、LDP、MCA、Gerakanなどの政党は州議会に1議席あるかないかといったところです。
1994年以来野党となったPBSは依然として全サバ人の政党であると掲げ、華人にもムスリムにもある程度の支持者がいるのですが、草の根レベルでの支持は圧倒的にカダザン・ドゥスン人によるものとなっており、一般的に「キリスト教徒のカダザン・ドゥスン人政党」と見なされています。
注:以上すべて投稿の記事のままです。
選挙の見所は、国会選挙で言えば、野党連合がBNの3分の2の多数支配を切り崩せるかです。BNが過半数を取るのは明らかですから。野党連合は初めは政権奪取を訴えてましたが、現実的にいって、BNを打ち破る力は全くありませんから、次第にBNの3分の2の多数支配打破に論調を変えてきました。
サバ州は野党連合の力はたいしたことがないそうなので、PBSがどれくらい議席をとれるかでしょう。
次に野党連合を組んだDAPが持てる力を発揮できるかですね。DAPは野党連合を組むつまりPASと同盟を組むという”大ばくち”に出ています。MCAとGerakanとそれに野党のMDPはこれを逆手にとって、DAPはイスラム国家樹立を目指すPASに手を貸すものだとの論法で、強く批判してます。これは華人にはたしかに説得力のある論法で、華人浮動層が今回のDAPにあいそをつかす可能性もあるのです。もしそうなると常に華人全体の少なくとも約3分の1ぐらいの得票を得てきたDAPは大敗ということに成ってしまいます。
どのような華人にとってもPASの掲げるイスラム国家というのはとても受け入れられる理念ではありません。PASは単にスローガンを掲げているだけのようなやわな政党ではありません。彼らは本気ですし、クランタン州ではそれをやろうとしています。中央政府の反対でそれはかないませんが。
これをみても、本来の理念が全く違うマレー人政党のPASと名目はともかく実態は華人政党のDAPが手を組むのは極めて理解に苦しむところです。DAPいうに、敵の敵は味方という論法ですが、真のDAP支持者以外にこの論理が通じるかですね。さらにアンワル問題が華人間に大きなインパクトを与えるとは思えません。多くの華人にとって、アンワル問題はマハティール派とアンワル派のマレー人間での闘争で、華人に直接関係ないとのスタンスでしょう。
次の見所は、PASの牙城クランタン州をBNがつまりUMNOが奪回できるかです。UMNOは数年前に解党したマレー政党 Semangat46の前党首だったRazaleighを州BNの議長にすえ、州政権奪回に望んでます。PASは半島部のマレー人多数地区ならどこでも一定の支持者を持っていますが、クランタンでの強さは別格です。尚RazaleighはかつてUMNO党首の座をめぐってマハティール首相に挑戦し、その後支持者を多数連れて離党してSemangat46を結党し、10年近く独自の活動をしました。彼はその政党を解党しUMNO復党後、最近マハティール首相と再友好関係を結んでいます。
PASはマレー人全体の3,4割は獲得しますから、議席に結びつかなくてもその影響力は相当なものです。アンワル追放・逮捕を批判してますが、本当の狙いはそんなところにあるのではありません。
次はKeadilanがどれくらい議席を得られるか、かな。選挙予想なんて、あと1週間もすれば結果がわかるので、私自身くだらないと思うしそんなことは目的ではありませんが、こういったことを書いている手前、しかたなくここに書いておきました。
Keadilanはほとんど議席を得られないでしょう。なぜか、Reformasi運動は地方の草の根のマレー人に届かない共感を得られないからです。ですからKeadilanは首都圏に力を入れているようです。アンワルを追放したマハティールに嫌悪感を抱くマレー人は主にPASにいくでしょう。マハティール首相に反感を持った華人がストレートにマレー主体でアンワル一辺倒のKeadilan支持に行くとは、専門家は誰もみてないでしょう。ましてPASにいくことはありえません。
すると華人の反ハティール感情は普通ならDAPへ行くのでしょうが、今回DAPはPASと同盟を組んでいる、じゃあ行き場がない、そんなところです。
Keadilanを皮肉に捉えた見方があります。UMNOの一員として長年政府与党の立場にあったKeadilanのマレー幹部たちが、いつまでも冷や飯の野党の立場にいられるわけがない、選挙に負けたらさっさとUMNOに復帰するさ、というものです。私もこれは当らずとも遠からずだと思います。上に書いたように、Keadilanの多くは、全部ではない、元UMNOです、その思想と行動に大きな違いはありませんからね。
後は29日の投票の結果を待ちましょう。
一口知識
マレーシアの選挙区と候補者の関係は日本のそれより薄いようで、時々直前になって候補者が別の選挙区に移ったり、州議会から国会に又は国会から州議会に移ったりします。今回も候補者リストの確定発表が公示のわずか3日前で、立候補選挙区を突然移らせられた候補者もいます。)
一口知識
国会議員に立候補する保証金RM5,000、州議会議員はRM3,000.獲得投票不十分な場合は保証金没収です。選挙運動資金は国会議員候補者でRM50,000 州議会議員候補者でRM30,000。
一口知識
各政党はそれぞれの政党シンボルを使いますが、無所属の立候補者は、選挙管理委員会の決めた20ほどのシンボルから1つ選べるそうです。そのシンボルには: 鍵、バス、タイプライター、かみそり、魚、飛行機、椅子、雨傘、電話、トラの顔、などがあります。
投票時には候補者の名前を書くのでなく、投票用紙に印刷された候補者のシンボルの欄に”X"をつけます。
街の選挙風景を写した写真は「'99年マレーシア総選挙 の風景から」でご覧ください。
選挙結果がほぼ確定したようです。今朝の新聞報道ではまだ幾つかの選挙区の最終結果が残っていますが、大勢は決まりました。この特徴を書いておきます(この部分は30日にゲストブックに書いた分に多少訂正加えた)
1.与党連合BNはまあ予想通りに、国会の3分の2以上を確保しましたが、前回より18数議席減らした。州議会は数十議席減らした
2.PASがその強さを十二分に発揮して、クランタン州の確保のみならずトレンガヌ州を奪った。両州の州議会はPASが9割前後も占める圧倒的勝利です。さらにケダー州でも国会と州の議席をずっと増やし、深マレー州だけでの勢力はUMNOを上回っている。
3.DAPは敗北を喫した。議席獲得数だけみれば国、州とも大体前回と同じ数だが、党首ら最高幹部3人が落選、さらにベテラン幹部が数人落選で全体的にふるわなかた。ただクアラルンプールだけはいい成績でした。
4.Keadilanは国会当選議席数は5、州議会の当選議席数も5で、なんとか勢力としての影響は残した。
5.サバ州でPBSが惨敗、BNの圧勝。
こんなところでしょう。
何といってもこの選挙の重要なことは、PASが東海岸州2州を握り、マハティール首相のお膝元ケダー州でもUMNOに互した力を示したということです。マレー人社会に厳然と流れるイスラム回帰の潮流が示されています。単なる発展指向だけでは、マレー人の心をつかめないという現われでもあります。今後のUMNO政治つまりマハティール政治に大きな影響を与えるでしょう。
華人野党DAPの敗北は、華人社会のある意味では悲劇でもあります。なぜなら、DAPがPASと共闘を組んだことがその大きな原因でしょうが、華人社会に一定の役割をずっと果たしてきたDAPがその影響度を減らしてしまったからです。MCAが好調であったのはいいが、PASの勢力超拡大にいささかの不気味感をいだく、そういう華人もいることでしょう。
99年総選挙及び各州議会選挙の結果
政党又連合名 |
BN |
PAS |
KEADILAN |
DAP |
PBS |
MDP |
STAR |
PRM |
その他 |
無所属 |
国会 への立候補 |
193 |
63 |
59 |
47 |
17 |
11 |
5 |
4 |
2 |
27 |
当選数(合計193) |
148 |
27 |
5 |
10 |
3 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
参考 95年選挙 |
162 |
7 |
-- |
9 |
8 |
-- |
--- |
0 |
S46が6 | |
州議会へ立候補 |
394 |
235 |
69 |
89 |
-- |
9 |
--- |
3 |
1 |
13 |
当選数(合計394) |
280 |
99 |
5 |
11 |
0 |
0 |
0 |
0 |
州別の当選者数
州名 |
国会 定数 |
BN 候補 |
BN 当選 |
野党 候補 |
野党 当選 |
州議会 定数 |
BN 候補 |
BN 当選 |
野党 候補 |
野党 当選 |
Perlis |
3 |
3 |
3 |
3 |
0 |
15 |
15 |
11 |
15 |
4 |
Kedah |
15 |
15 |
7 |
15 |
8 |
36 |
36 |
14 |
39 |
12 |
Kelantan |
14 |
14 |
1 |
16 |
13 |
43 |
43 |
2 |
44 |
41 |
Terengganu |
8 |
8 |
0 |
9 |
8 |
32 |
32 |
4 |
34 |
28 |
Penang |
11 |
11 |
6 |
12 |
5 |
33 |
33 |
30 |
35 |
3 |
Perak |
23 |
23 |
20 |
30 |
3 |
52 |
52 |
44 |
59 |
8 |
Pahang |
11 |
11 |
11 |
11 |
0 |
38 |
38 |
30 |
41 |
8 |
Selangor |
17 |
17 |
17 |
21 |
0 |
48 |
48 |
42 |
53 |
6 |
Kualan Lumpur |
10 |
10 |
6 |
14 |
4 |
0 |
- |
- | ||
Labuan |
1 |
1 |
1 |
2 |
0 |
0 |
- |
- | ||
Negri sembilan |
7 |
7 |
7 |
7 |
0 |
32 |
32 |
32 |
35 |
0 |
Malacca |
5 |
5 |
4 |
5 |
1 |
25 |
25 |
21 |
25 |
4 |
Johor |
20 |
20 |
20 |
20 |
0 |
40 |
40 |
40 |
40 |
0 |
Sabah |
20 |
20 |
17 |
34 |
3 |
なし | ||||
Sarawak |
28 |
28 |
28 |
37 |
0 |
なし | ||||
合計 |
193 |
193 |
148 |
236 |
45 |
394 |
394 |
280 |
420 |
113 |
上記の選挙結果概観をもう少し分析してみます。
PASのクランタン州とトレンガヌ州におけるその圧倒的勝利は次の数字からよくわかります。クランタン州、国会にPASは11人立てて10人当選、BNは14人立てて1人のみ当選(BNの州議長Razaleigh)、州議会でPASは41人立てて全員当選、BNは43人立ててわずか2人当選だけです。
トレンガヌ州、国会にPASは7人立てて全員当選、BNは8人立てて全員落選、州議会にPASは32人立てて28人当選、BNは32人立てて4人のみ当選です。
さらにケダー州、国会にBNは15人たてて7人当選、PASは10人立てて8人当選、州議会にBNは36人立てて24人当選、PASは32人立てて12人当選です。
その他極小のペルリス州でもPASは3人の州議会当選者を得ましたし、ペラ州でもPASは国会に2人、州議会に3人パハン州で州議会に6人当選させています。
半島南部3州とボルネオ島部では国会と州に一人の当選者も出せなかったのと極めて対照的に、東部州と北部州では、このようにすごい力をPASは示したのです。東部と北部はペナンを除いて深マレー州で、伝統的にPASが潜在力を持っていますし、選挙前からPASの躍進はある程度予想されていました。しかしここまでPASが躍進するとは多くの人には驚きでしょう。事実新聞の論調もいささかの意外感を伝えてます。
PASの草の根の強さを東海岸州と北部州で何回も目の当たりにしてきた筆者は、選挙前の解説(上記)で「UMNOの真の敵はPASである」と書きましたように、PASが好成績を上げるとは思っていましたが、トレンガヌ州まで奪うとは驚きでした。
これがマレーシア政治に、特にUMNO政治にどういうことをもたらすかといえば、UMNOはこれからどうPASに対していくか党内で割れるでしょうね。PASがなぜこれほどまでに得票を集めたか、もちろんアンワル追放にみるマハティール政治への反発もあるでしょうが、それだけではありません。私は選挙前にこう書きました、「それはマレー人がムスリムであり、ムスリムであることを誇っていますから、そのマレー人政党はよりムスリム的であることを生活、思想の両面で常に歌い且つ人々に印象づけていかなければならない宿命を背負っています。」と。
PASはこれを充分に利用し、さらにマレー人間の反UMNO主流派つまり反マハティール感情をうまく自陣営に引きつけたわけです。そうなるとUMNOはアンワル問題では妥協は絶対にできませんから、残るはというより一番しなければならないことは、よりイスラム的であることをマレー人に印象づける必要に迫られることになるでしょう。つまりPASは極端急進すぎる、あれは本当のイスラムではない、とだけ訴えていては不足なのです。急進イスラム主義はムスリム若者を引き付けやすいのは知られたことですが、PAS支持者はそういう若者が中心でなく、地方の一般大衆が主なのです。
クランタン州やトレンガヌ州の田舎を注意して歩けば、普通のおじさんおばさんがPASの支持者であること、そして熱心な青年壮年層のPAS運動員が多いことに気がつきます。(観光地で英語のできるマレー人相手に話したぐらいではわかりませんよ。)PASの絶対支持層は別にして、PASとUMNOの間を行き来するマレー浮動層を如何にUMNOに引き戻すか、それはやはりマレー人の特別の地位つまりブミプトラ優遇策を維持し、且つイスラム的政策をより強調していくことになるのではないでしょうか。
Keadilanについて言いますと、外国には外国系マスコミを通じてPASよりもずっと知られているし、若い学生層の支持があるのでニュースになりやすいのですが、たいしてというか真の力はないですね。議席獲得数は筆者の予想に近いものでした。この選挙で当選したKeadilanの数そのものもごく少ないし当選率は国、州とも1割に満たない、また当選者の大半は共闘のPASが候補者を立てずにKeadilanにまわしたPASの強い地区です。自力で当選したペナン州での党首のWAn Azizah(アンワルの妻)の場合は例外でしょう。Keadilanは、支持者が多いと見て力を入れたクアラルンプールとスランゴール州ではわずか州議会に1人当選させただけです。KeadilanはPASあっての党ですね。
Keadilanを論じると、アンワル報道をした当時の外国マスコミがいかに核心をつけないかの見本みたいなことを思い起こさせます。Keadilanはその結党経緯とアンワルの影響力でマスコミに載る率は高いですが、私は大きな評価はしてこなかったのです(その思想に反対、賛成とか好き、嫌いとは別問題)、なぜならどうみても一般大衆に影響力を持っているとは見えなかったからです。アンワル支持マハティール批判感情が素直にKeadilanに行かずPASに行く、そこがマレー社会の重要な点です。華人社会はもともとアンワル問題では一歩下がった立場ですから。
さらに今回、外電APの選挙報道をちらっと読みましたが、マレーシアマスコミ特にテレビの政府プロパガンダ放送と、各新聞のおける与党連合BNの広告の多さを批判していました。それには筆者も同意します。あからさまなプロパガンダと選挙期間中連日でかでかと何ページも載せたBNの圧倒的意見広告は、とても公正なものとは言えません。野党側の意見広告などBNの10分の1にも満たないのです。もちろん放送分野では野党が政府与党に適うものではないことはいうまでもありません。
しかしこのAP報道に決定的に欠けていたことは、それでありながらBNというよりUMNOは深マレー州でなぜ敗北を喫したか、です。クランタン州やトレンガヌ州はクアラルンプールやペナンと違って娯楽施設はほとんどないのです、憩いにぶらつく中型ショッピングセンターさえもない、必然的に人々の娯楽と余暇に占めるテレビの重要度は都会よりもずっと高いのです。テレビ見るといっても、東海岸州で衛星放送など契約している人はかぎられてますから、見られるのは公営のTV1,TV2と民営のTV3ぐらいです。まさにテレビを点ければプロパガンダが直接届くコミュニティーが、東海岸州なのです。それなのに東海岸州の民、つまりその95%ほどを占めるマレー人はUMNOでなくPASに軍配を上げたのです。なぜか?
彼らが読む新聞はマレーシア語紙がほとんどですが、主要全国2紙は内容がちょっと硬くてインテリ向けです、そういうのにいくら BNの広告をでかでかと載せても、農漁村のPAS潜在支持者にはほとんど影響ないでしょう。あからさまに且つ徹底的にUMNO批判している”庶民”的Harakah(PASの機関紙)が、一般紙並みに売れている状況を頭に置かねばなりません。
こういう民の側の状況と捉え方を知った踏まえた上で報道するのが、優れた報道記者ではないでしょうか?日本の新聞が今回のマレーシアの選挙をどう報道したか知りませんが、APのような生半可な報道でないことと期待してます。
Intraasiaは何のバックも持たない個人ホームページですから、知名度では日本マスコミや地元日本語紙にはとてもかないませんが、マレーシア社会を見る伝える内容では決して劣らないと、そう少なくとも自分では思っています、ですから時にはそういう多数派と違った見方分析をすることもありますよ。
さて華人層に目を向けると、何といってもDAPの敗北です。ペナンでとクアラルンプールで国会にそれぞれ4議席確保したとはいえ、全体的にふるわず、それよりもDAPにとって最大のショックは党首で30年来Mr.野党として知られたLim Kit Siangが国会と州議会の両方に落選したことでしょう、さらに同じペナン州では党内No2の副党首がこれも両議会で、ヌグリスンビラン州で党議長が落選したことです。何と党の最高幹部3人が全員落選ということで、今後DAPはどういう方向で立ち直っていくか興味あるところです。まさかまたPASと共闘するなんてことはないでしょう。華人層から見事に今回の方針を拒否されましたからね。
尚DAPの活動は英語紙では、マレーシア語紙はいうまでもないが、あまり報道されませんが、中国語各紙では常にしかも写真付きで報道されています。それだけ華人には重要で影響の大きな党だということです。
私はゲストブックのコメントに、「DAPの敗北はある意味では華人の悲劇です」 と書きましたように、華人層の中の非ブミ意識とリベラルな思考をもった層がちょっと行き場を失ってしまったことがあります。MCA的なBNとの協力関係に反対する華人層は、特に都会の華人層には、多いですからね。それを示したのがクアラルンプールで国会10議席中、DAPは4議席当選です、いずれも華人多数地区です。
ただ全体的に言えることは、華人層はMCA支持つまりBN支持から離れず、大きな変化を嫌ったということが言えましょう。PAS支持に大きく流れた東部北部マレー人層とはダイブ違いますね。このあたりが今回BNの勝利にMCAを通じて華人からの支持が大きく寄与したと言われる由縁です。
BNはとにかく国会の3分の2以上の絶対多数を引き続き確保したので、マレーシア政治が急展開することは当面はないでしょう。アンワル問題が致命傷にはならなかったことは確かです。それを裏付けるのが、伝統的BNの牙城である南部諸州(マラッカ州を除く)とサラワク州での完全勝利とスランゴール州での圧勝、さらにサバ州でのPBSに対する圧勝です。マハティール首相は全体的には信任された、しかし地元ケダー州を含めて深マレー州ではほぼ不信任が突きつけられたということでしょう。90年代に入ってからずっと続いていたその強固な政治基盤と手腕に多少の疑問符が点ったということですね。
旅行する前に、どこへ行こうかな、どのホテルに泊ろうかな、あの有名レストランでの食事代どれくらいするかな、鉄道に乗ってみたいけど時刻表見たいな、といったこのような調べ事される方は多いことでしょう。旅行代理店とかそこへ行った友人、知り合いに尋ねる手段もありますが、何といっても最大の情報源は旅行ガイドブックなるでしょう。今ではその種の情報はインターネットにあふれていますが、インターネットがこれほど盛んになる97年頃ぐらいまでは、そういう時のそして最後の頼みの綱はガイドブックであったと思います。
書店に行けばアフリカ・南米のほとんどなじみのない国から米国、中国まで旅行ガイドブックの種類の多さときれいなデザインに驚かされます。筆者の知る限り、これほど多種多様な旅行ガイドブックが自国で出版されている国は日本をおいてないと断言できます。発行国のみでなく世界の英語人口を相手にする英語のガイドブックと違って日本語のガイドブックは、マーケットが日本人に限定されているにもかかわらず、国別地域別旅行ガイドブック発行数と種類の多さではまず世界一ではないでしょうか。
世界一旅行する国民だといわれるドイツでは、筆者の記憶にある限り、これほどガイドブックは発行されていません。英語の有名ガイドブックのLonly Planetは発行がオーストラリアですが、相当なる情報量とその記述スタイルから一般旅行者向けというよりも自由旅行者、バックパッカー向けです。簡単に言うと日本的スタイルのビジュアル性よりも内容の豊富さと取材者の主観に重きが置かれています。
25年来世界を歩いてきた筆者は旅行ガイドブックに頼る方ではありませんので(このあたりのことは「今週のマレーシア第149回」のコラムをお読みください)、それほど多くのガイドブックを購入した、使ったわけではありません。相当程度本屋の立ち見の情報とその記憶からです。
その経験と記憶から、日本語のガイドブックはとにかくまずビジュアル性に優れている、という印象を筆者は持っています。これはガイドブックに限らず日本の出版事情をみれば明らかで、雑誌、文庫、単行本とまことに種類と内容が豊かですね。自国内だけの消費であるにもかかわらず、これほど豊かな出版文化と産業を持っていることは日本人として誇りに思います。世界各国を回って何百という書店に入りましたが、自国だけのマーケットを相手にしながらこれほど多種多様な書籍を目にするのは日本だと言えます。
中国とロシアは出版数は非常に多いようですが、本造りの見立てとかデザインではまことに”やぼったい”し、英語出版は世界をマーケットにしているせいか、細かなニーズに合わせた面がかけているように見えます。この点日本の出版産業界は読者の細かな興味やニーズにこたえる繊細さと機敏性に優れており、次から次へと差異化を図った書籍と雑誌を出版していますね。筆者はたまにしか日本へ行かないのですが、その時の楽しみは書店であれこれと本を立ち見することです(価格が高くて手がでないよー)
マレーシアの出版事情は、「今週のマレーシア第74回」 で触れました様に、多種多様さと量の両面で日本と比べれば大人と赤ん坊の差で、今後も急激な発展はとても望めません。これに関しての分析は上記の私のコラムをよくお読みください。旅行ガイドブックに至っては、マレーシア独自の出版はほぼ皆無といっていいでしょう。(尚薄っぺらな旅行雑誌はある)
さて日本の旅行ガイドブックに戻ります。現在のようにこれほどガイドブックが多種多様化した原因は、まず上記で述べた日本の出版文化に基づくのですが、次は旅行者の急激な増大ですね(もちろんそのためには、旅行にまわすに充分な所得を得るようになったことが前提になります)そして3番目がその旅行者増大にこたえる日本語情報への需要増大です。
この3つが相まって80年以降旅行ガイドブックの出版が少しずつ増えてきたようです。それが急激に増えたのはやはり90年以降ではないでしょうか。当地の日系書店でさえこんなにあるのかというほどたくさんの旅行ガイドブックと旅行雑誌が並んでいます。日本の大規模書店ならもうすべての旅行ガイドブックと旅行雑誌をみるのは不可能といえるほど多いですね。
これほど多種多様になった旅行ガイドブックと旅行雑誌は一体どうやって作られているのでしょうか。ホームページで情報を発する立場になった筆者はそちらにも興味を持つようになりました。98年から筆者はある旅行雑誌に断続的に原稿を書いてますが、インターネットとは違った面での情報提供のあり方に考えさせられるのです。
思えば筆者が旅を始めた70年代中期、旅行ガイドコーナーには、当時は書店のそういうコーナーはものすごく小さかったが、自由旅行者にはほとんど役に立たないブルーガイド社の各国案内ぐらいが並んでいたものです。そんな時出会ったのが、自由旅行マニア向けの手書き(!)の雑誌”オデッセイ”でした。これは現在40代以上の方でないと御存じないでしょうが、当時世界を歩いていた旅人たちが寄稿したりしていた、これぞ歩き方の元祖ともいうべき不定期発行の薄っぺらな雑誌でした。もうとっくの昔に廃刊になったようです。
余談ですが、これに時折登場していたのがタイ物で有名な前川健一氏です。彼は私の好きな旅ライターでもあり、タイに関する限り彼に並ぶ人は今後もでないと筆者は思います。この雑誌は旅をこよなく愛する旅人たちが手づくりしていたので、筆者のような旅人には誠に刺激的かつ有用でした。世界のマイナーな地域旅を中心に、当時はタイもまだマイナーと考えられていた!、あれこれと自分で歩くための情報が載っていました。
これと同じような方向性を持って現れたのが、ご存知”地球の歩き方”です。確か80年代初期に最初のシリーズが刊行されたと記憶してますが、筆者が始めてこれを使ったのは80年代初期のオーストラリア編でした。あまりよく覚えてませんが、初めてのオーストラリア旅にはそれなりに参考になったはずです。
大手出版のダイヤモンド社が発行元ですから、宣伝と見やすさはお手のものでしょう、その後あれよあれよという間に、旅行ガイドブックの代名詞的存在の地位を占めるまでになったことは読者の方もご存知でしょう。たしかにその本作りのうまさと宣伝のうまさは、プロ出版ですね。ですから”オデッセイ”のような素人旅雑誌が淘汰されたのは無理もないでしょう。
本造りの素人集団から本造りのプロに主導権が移ったあと、地球の歩き方は若者の自由旅行熱を盛り上げ、同時に一つの文化を作り上げたと筆者は見ています。初期の地球の歩き方は確かに斬新でした。
80年中期から90年初期にかけて筆者が使った”歩き方”シリーズは、タイ、北アフリカ、ベトナム、ぐらいかな、その程度です。ガイドブックに頼らない主義の筆者にも参考になったことは確かです。ただ70年代後期から80年代中期にかけて筆者の得意且つ最興味地域であった中東欧に関しては一度も使いませんでした。「俺のほうが詳しい」という自負がありましたから。余談ですが、東欧は筆者の旅と地域追求の原点みたいな所でした。
さてこの”地球の歩き方”との付き合いは90年以降も増えることも全くなくなることもありませんでした、マレーシアに来る前マレーシア編も一度買ったのですが、ほとんど見ませんでした、ミャンマー編を使ったけど不十分であまり参考になりませんでした。
そうしているうちにホームページを開設して(96年10月、ただし本格的には97年5月から)自分から情報を発するようになったのです、旅行ガイドブックは筆者にとって、目指す目標でも競合するものでもありません。「旅行者・在住者のためになるページ」にずっと前からはっきりと掲げているように、ガイドブックは併用していただくものとの認識で始めたのです。これは今でも変わりませんよ。
なぜかといえば、インターネットで提供する情報がガイドブック提供とは全く違う種類のものだということではなく、筆者の目指す方向性と対象がガイドブックとは事なるからです。
例をあげましょう。
ガイドブックでは、このリゾートの施設はこれこれで、おいしい料理はこれです。水上スポーツはこういうことに注意してくださいなどと書かれてます。こういう情報は筆者には提供が非常に難しい情報なのです。予算がないからリゾートに泊れるわけがないので、(ランカウイで幾つか載せてるがあれを取材するのはものすごくたいへんであった)筆者はホームページを始めた頃はこういう情報提供を考えてませんでした。しかし後にこれは修正し、今はこういう情報もできることならなるべく加えたい。ですからこの種の情報は読者が掲示板に書いていただけるのを切に願っております。
筆者本来の旅は、例えば”サバ州1周の旅”とか”国境のこえかたシリーズ”などに見られる非定型の自由スタイルなので、優雅にリゾート滞在、高価なレストランで食事派には絶対向いてません。ですから去年まで旅行面で読者数を伸ばすにはこれが障壁になったのは間違いありませんな。
また別の例です。
ガイドブックではバスの乗り方を示しています。Pudu Rayaバスターミナルからクアンタン行きが、何時、どのプラットフォームから出発、切符の価格はいくらで、バスはこうして乗るのですよと、親切丁寧に書いてあります。最初筆者はここまで提供する必要ないとの認識でした。
なぜといえば、クランタンへ自分でバスに乗って出かけるぐらいの層であれば、当然その人があらかじめPudu Rayaバスターミナルへ行って、下調べするであろうからバスの発車時刻だのプラットフォーム番号など自分で調べるべきだとの考えでした。そうしてこそ自由旅行者であると筆者は考えているわけです。
そういう汗を流して調べることをせずに、ガイドブックに書かれたことを鵜呑みして旅するような自由旅行者になって欲しくないというのが筆者の希望です。だから筆者の提供する情報はクランタン行きのバスがあるかどうかぐらいで十分だとの考えです。自分で汗を流すことができない、したくない旅行者は自分でクランタンへ行くことなど考えるべきでないとの考えです。
しかし後にこの方針も相当程度修正せざるを得なくなりました。なぜか?それは、多くの読者の旅というものに関する基本的認識が筆者と大きく違うことをホームページを続けていく中で学んだからです。現代は自分で全てをやってみる旅でなく、書かれた与えられた情報を疑似体験して行くスタイルなんだな、と悟ったわけです。
あるところで筆者は次のようなことを書きました。「時代が変わった。筆者の理想とする旅は自分の中に秘めておいて、ホームページで発表する情報は多くの人の求めるスタイルに合わせていこう。」と。要するに自分のスタイルだけをホームページで説いていても、それを最初から望んでいない方とはすれ違いが残り、いつまでも溝は埋まりませんからね。自己の原則は断固として崩さないが応用は柔軟に、これが私のモットーですから、幅広い読者層を狙っているホームーページ主催者として、柔軟に情報を送っていこうと思いなおしたわけです。そうしたからといって筆者自身の旅スタイルを本質的に変える必要はありませんからね。
筆者の旅行ページの熱心な読者でいらっしゃれば、今年3月以降に載せた旅行記事のなかに、以前とは違ったスタイルが現れていることに気がつかれたかもしれません。その理由はこれから述べることにもなります。
旅行はする人がそれぞれ好きなスタイルで楽しんで行えばいいのであって、筆者の考えを押し付ける気はありません。もちろん尋ねられれば、こうしたほうがいいのではありませんかというアドバイスはしますし、旅を人生の一部にし物を書いて発表しているものとして自分の意見は打ち出します、これは当たり前です、それをしなければ単なるしろうとの旅行記やマレーシア案内記になってしまいますからね。
ですから筆者は、このホームページの旅行関係ページでは押し付けにならない程度に自分の考えを主張します。しかしそれは読者もある程度期待していらっしゃることでしょうから、許されることだと筆者は理解しています。筆者の主張がすべて受け入れられるとはもちろん考えてませんが、それを読んでいただけるとは期待しています。こういうあり方がきらいな方は二度と当サイトを訪れることはないでしょう。それも致し方ありません。
これはこの旅行に関するページだけでなく、Intraasiaのほかのページにも大体共通するあり方です。筆者はホームページを通じて単に旅行情報を提供するだけでなく、日本人のマレーシア観に誠に微力ながらもある種の影響を与える存在を目指したいと願っています。ですから、様々なマレーシアを伝えるのはこの私だという強い気持ちと、様々な地を歩いてきた旅人としての目を活かしたマレーシア旅行案内をするんだという自負を持ってホームページを続けています。
論の展開上、初めての方は前週分を先にお読みください。
さてこういう風にホームページを続けているなかで、いろんな方からメールをもらいまた相互リンクしてきました。いくつかのの雑誌でも当サイトを取り上げてくれたようです。そのメールでたまに意見を交わしてきた中にサバ在住でマレーシア研究者のStepanさんがいらっしゃいます。尚 Stepanさんのホームページ「ボルネオへのいざない」 は当サイトの「マレーシア発の気になるページ」で以前から紹介しています。
そのStepanさんのところに昨年(98年)11月地球の歩き方マレーシア編の編集部からメールが届いたそうです。そしてサバ州などを担当される件での話し合いの中で、半島部での取材をしてくれる人を探しているならとStepanさんがIntraasiaを編集部に紹介してくださったのです。このため12月初めに筆者のところに地球の歩き方編集部からメールが入りました。これによって、このコラムの題名にした”地球の歩き方マレーシア編との関わり”が始まったのです。
以後この8月中頃まで筆者は、始めは断続的にそして次第に連続的に関わりました。かれこれ9ヶ月間近く関わったことになりますが、2月後半から7月までは(そのうち5月はマレーシアを留守にしていた)相当集中してかかわったのです。その評価は、この9月中旬から店頭に並んでいる”地球の歩き方 マレーシア・ブルネイ編 2000年〜2001年版”を買う、読む、使う方にお任せしましょう。
この新版地球の歩き方マレーシア・ブルネイ編には、Stepanさんとそして筆者が単に担当地域を越えて大きく関わりました。Stepanさんと筆者は編集部とものすごい数のメールをやりとりしましたし、数多くの原稿を送りました。こういうことを通じてそれぞれのマレーシア感を編集部に主張したわけです、これはStepanさんと筆者の共同作業ではなく、それぞれが別個に主張し書き、時には議論するという形でした。必ずしも同じマレーシア感を持たないものが同じような目的のために別個に書いて送り、それを相当程度載せた今回の地球の歩き方マレーシア編は、類似ガイドブックにない強みを持ったと筆者は思いますし、stepanさんもご自分のホームページでそのようなことを書かれています。
これに対して編集部は途中から一人だけが私たちの相手をされるということになりました、彼我の期待と方針に幾多の食い違いを乗り超えてようやく最終校正をチェックしたのが8月半ばでした。その後は出版された新版を手にするまで内容が、書いて校正した原稿は除く、実際どうなるか筆者もStepanさんもわかりませんでした。そして見本が届いたのが9月初めでした。こうして編集部及び地球の歩き方との関わりは完全に終わりを告げたのです。もちろん書いた原稿など内容への関わりは消えることはありません。筆者が書いた内容に間違いを発見した場合は、地球の歩き方編集部に知らせますし、当サイトの旅行者ページに 「地球の歩き方新版の訂正」として今回載せました。
ただ多くの取材原稿を書き且つ技術編などもチェック、コメントしたにも関わらず、Stepanさんも筆者も”新編地球の歩き方”の巻末には寄稿者の欄に載せられています。それはおかしい、われわれは寄稿者でなく取材・執筆者である、と筆者は編集部に次ぎのような疑問のメールを送りました。
「一般的通念から言えば、寄稿とはあくまでも取材・執筆が主でなく、1つ2つの記事を書いた場合をいうと思います。もし私が巻末の2編のコラムだけ担当したならそうでしょうが、各地の取材と執筆に相当な日数をかけましたから、やはりちょっと実感から外れます。」 というような意味の内容です。
これに関する納得のいく返事はもらえませんでしたが、まあ本質的な事でないのでそれ以上深追いはしませんでした。しかしここではっきりと再度書いておきますが、我々は寄稿者ではありません!
またこの取材ということに付け加えておきます。筆者は歩いた訪ねた7ヶ月間一度たりとも”地球の歩き方”の取材をしているんだということを取材対象者に言っておりませんし伝えていません。いろいろ尋ねたり写真撮り、きょろきょろ調べているのでおかしく思われたときまたはそう思われないように、旅行雑誌・本又はインターネットホームページの取材をしているようなことは時には伝えましたが、それでも、ごく例外を除いて日本の本・雑誌だのようなことは言いませんでした。筆者の相手をしてくれた人で、筆者が日本人だと気がついた人は多くないはずです(筆者はできるだけ相手の言語に合わせて会話します)。
なぜこういうスタイルを筆者は好み且つそうするかといえば、「どこどこから取材にきました」と言って、相手にかしこまった態度で聞くのでなく、対象にするその店、ホテル、人々の自然なありかたを筆者は知りたいからです。もちろんそれが通じない場合もあります、例えば高級リゾート、高級店とかの場合、そうしないと情報が取れない場合は、日本人だが情報教えて欲しいとは言いました、つまり状況に合わせてあくまで臨機応変にということです。これだけが唯一の方法だというつもりはありません。
こういう取材スタイルは、普段ホームページの情報を取る時とそれほど変わりません。こうしていると時々相手の本音が見えてくる事があります。例えば、露骨にマレーシア人はお断りのような態度を示す安宿があります(筆者をマレーシア人と思っているからです)。どこかで日本人はいい客でです、と紹介されていたペナンやクアラルンプールの安宿、実際の対応はひどいもの、金持ち日本人ならいいが、マレーシア人ならお断りなのか、この表裏ある態度。こういう宿ってなんなの、外国人ばかりで傷なめあって宿泊しているこのナンセンスさ、それを好むバックパッカー、こういう安宿に、多くはないですが、出会いました。
アパートの中に勝手にバックパッカー用の宿を作って、筆者に自慢下に「うちはLonly Planetなど欧米のガイドブックにまた日本のガイドブックでも紹介されている」とうそぶいていた宿主、宿泊業をアパートの中でやるのは違法行為なのです。「以前この宿を載せていた取材担当者よ(名前は伏せておく)、あなたのアパートの隣に不特定多数の人間が出入りするようになったら迷惑に感じないのか。」こういう常識を欠いた、それが見抜けないひどい取材者。もちろん筆者はこういう宿は例えそこが知られた所であれ原稿には入れませんでした。
また歩き方の編集部の1人はペナン取材の件で、私にタクシーを借り切ってもいいから規定期間内で取材して下さい、と指示してきました。これを聞いただけでこの編集者兼取材者の態度がわかります。だいたい”地球の歩き方”の取材なのにタクシーを借り切って取材者を回るその発想自体がいかにおざなりかを示しています。街を汗を流して実際に歩く、公共交通機関を使って回ってみる、そういうことをしなくて取材者がタクシー取材していてどうやって”歩き方”の原稿を書けようか。
読者がタクシーに載って街を回るのはそれは勝手ですが、物を書く取材者がそれでは、書かれた原稿は単なる聞き書きか、孫引きですね。この取材者は後日ペナン編集を離れて新版でも別の地域を取材担当したようだが、記述に不十分さが目立つ、まあむべなるかですね。
さてStepanさんからの目から捉えた歩き方編集部との一連の出来事と顛末を、Stepanさんが御自分のホームページの中で発表されています。筆者はその作製に協力したわけでも全てに同意見を持つわけではありませんが、その公開に先立って筆者のメール内容を引用することを承諾しており且つ筆者はそこでの重要な登場人物にもなりますので、興味ある方に、特に「地球の歩き方マレーシア・ブルネイ編2001年新版」を買う使う読む方に、その存在をここで紹介しておきます。
相当なる量とガイドブックのあり方の根本に触れる内容を多く含んでいますので、あとでじっくりお読みになられたほうがいいでしょう。ただ編集部サイドのコメントは載っていません。Stepanさんのそのページ「地球の歩き方との10ヶ月」のURLはこのコラム最下段に記しました。
その中には Intrasasiaが熱心に且つ真面目に様々なことを書いたメールがいくつか引用されています。ガイドブックのあり方、地球の歩き方に期待すること、失望したこと、批判、賛意など筆者はそしてもちろんStepanさんも本音をそして歩き方への期待を忌憚なく書いています。その過程で編集部に失望した面もありますが、とにかく完成させるんだと最後まで投げ出さなかったことは、3者とも誇ってもいいと思います。単なる裏話とかではなく、ガイドブックのあり方を見据えたたいへん知的好奇心に富む内容ですから、地球の歩き方を使わなくてもガイドブックというものに興味のある方も目を通していただければなと思います。
さて旅行ガイドブックといっても様々ですね。「地球の歩き方」 のようにその草分けで代名詞的存在から最近出版゚されているカタログみたいなガイドブックまで、それなりにそれぞれの読者層を狙っているのでしょう。カタログみたいなガイドブックでは歩き方族には全く不向きですし、パック旅行で高級レストランとブランド指向の方なら、カタログガイドブックで充分でしょうしそちらが向いてることになりますね。尚ここでカタログ調というのは、店や品物が写真入でずらっと並べてあり、ありきたりの説明が中心のガイドブックをいいいます、別の言い方をすれば、内容は薄いがデザインとビジュアル性にその分優れていると。
しかし厳密で細かい説明や表現がそれほど求められないカタログ調ガイドブックだからといって、くだらない間違いは許されるべきではありません。ここで間違いというものには4種類ある事を指摘しておきます。
一つはいわゆるうっかりミス、不注意ミスです。ないに超したことはありませんが人間である以上絶対になしにするのはほぼ不可能ですよね。ごく少なければこれを筆者は責めるつもりはありません。第一筆者もよくやりますしね。例: Aショッピングセンターの右側に Cレストランがある(実際は左側なのに右側とすっかり思い込んでいてしまって、そのミスに気がつかなかった)、例2: 駅から Xホテルまでは100mほどある。(1000mのところ不注意に100mと書いた)
2つめの間違いは、ガイドブックの宿命である取材して書いた時点と読者が実際にそれを持って訪れた時の時間差から生じる食い違い、つまり書いた時点から時が過ぎてその地点・場所に変化が起こった故の間違いなので、これは防ぎようがない。例: Y ホテルの地下には有名なインド料理店があります(取材時には実際あったのだが、ガイドブックが出版された頃別の地域へ引っ越し、現在は日本料理店がそこに入居しているなどの事例)。 例2:バトゥケーブ行きのバス停はB銀行の前にある(その当時はそれで正しかったが、つい最近市庁舎の指示でバス停が移動した)
3つめ、これは糾弾すべき間違いです。取材者又は編集者の無知又はいい加減さから生ずる間違い。筆者はこういう間違いは旅行ガイドブックに結構あるのではないかと推測しています。その地域に素人の取材者を日本から送り込んで来て、表面をさらっとなでただけか、さらっとしかなでられない未熟な取材者を使っている編集部、または現地をよく知らない在住者を頼り自分でよく取材しないいい加減な取材者、日本人だからこうだという間違った先入観を持った現地代理店に頼りきってその意見を鵜呑みにする取材者と編集部など、こういうことから生じた間違いです。
一例です。別に選んだわけではありませんが、たまたま人からもらったので手元に「地球の歩き方、リゾート編マレーシアの島々 ペナン・ランカウイ 改訂第2版」 がありますので、これから例を拾ってみましょう: 「 」 はそのページからの引用です。
「1786年、英国人フランシスライトがペナン島を発見した時から(同29ページ) 」 ペナン島を英国人ライトが発見したって、ばかなことを書くなと言いたい、とっくの昔から現在のペナン島はマレー半島人やスマトラの人に知られていたのです,バタワースとペナン島の距離は数キロです、よく晴れた日でなくてもすぐ目の前に見える距離です。
筆者は決してマレーシアの歴史に詳しくありませんが、こんなこと常識でわかる、基本的なマレーシアの歴史の本ぐらい手元において置けといいたい。ペナン博物館の展示説明文からも少し引用しておきましょう。「英国人がペナン島に上陸する前少なくとも90年以上前に、マレーカンポンがDatuk Kramat地区に存在していた」のように説明が書かれています。
次の例: 「チュリア通りは東南アジアでも有数の格安航空券購入のメッカだ。なぜそうなったかというとジョージタウンには元来多くの華人が済んでいたからである、うんぬん(同34ページの囲み記事)」
これを書いた本人は東南アジアのど素人といっていいだろう、ペナンが航空券のメッカなんて聞いたことないし、特別に安いことなどないと断言できます。
筆者はクアラルンプールとペナンの航空券を調べ比較し且つ数軒の旅行代理店にも確かめてみました。もちろんペナンが安い場合もあるそれはペナン発のプーケット、バンコク行きとかでクアラルンプールに寄らない場合、しかしペナン発の国際便は極めて少ないのだ、要するにペナンがマレーシアで一番航空券が安いなんて大うその大間違い。こういうことは取材者が少なからず東南アジアを歩いており且つちゃんと調べれば防ぐことのできる間違いです。
余談だけどこの”地球の歩き方 マレーシアの島々リゾート編”の取材者と編集者はマレーシアに関する素人集団なのは間違いなし、探せばいくらでもこういうおそまつな間違いが出てきそうです。まあ素人でもいいけど、それを自覚してない、知ったかぶりをしているのが問題です。
4つ目、尋ねた相手の答え、参考にした資料の内容そのものが間違っていた場合です。この間違いを発見するのはなかなか難しいです。知らないから聞いたり探しだして読んだのに、その答え自体が間違っていたからです。その間違いを発見するのは偶然他の手段で知ったからとか、さらに別のルートで尋ねたら矛盾した答えだったので、再度調べた結果正しい答えが分かったという場合です。
この種の間違いを防ぐのは、不可能とは言いませんが相当なる努力が必要になる場合があります。
例:マレー鉄道の外国人旅行者向けの30日間乗り放題切符の値段を尋ねたら、係りは130米ドルと答えたので、筆者はそれを原稿に書きました。しかし数ヶ月後正しくは120米ドルと判明。
ところでサーチエンジンのYahoo 日本は登録依頼した各種の何千何万のさまざまなホームページを勝手に格付けなどしてますが、書いてる内容をどうやってチェックできるのかな常々疑問に思っています。例えば上記の3つめのような例がたくさん書かれたホームページの内容をYahoo Japanのスタッフがチェックできっこありません。それほどマレーシアに知識を持ったスタッフがYahooにいるとは考えられませんからね。
また例えば、豚の心臓移植に関する研究のような内容のホームページがあったとする、しろうとにはものすごく立派に見えることが精細に書かれているが、専門学者に言わせればミスばかりというようなこともありえます。これをその道のしろうとがどうやって吟味見極めるのでしょうか。
世界のあらゆる地域、あらゆる分野に精通したスタッフを抱えて日夜ホームページをチェックでもしない限り、彼らがホームページの内容をチェックするのは不可能です。それなのにYahoo Japanは「当スタッフがチェックします」とうそぶいているわけです。そして内容をよくチェックできもしないのにお勧めページなのだといってマーク付けしてる傲慢さに腹がたちます。
誤解のないようにはっきり断っておきますが、筆者は彼らが格付けすること自体に反対してるわけではありません、例えば、デザイン性に優れているとか、各種の高級なインターネット技術を組み込んだページであるとか、または最も人気あるサイトである(人気があるから優れているに即つながらないのはいうまでもありませんね)ということに関する格付けなら、筆者は反対しません、どうぞおやりください。それは客観的に相当程度できるからです。
こういうYahoo Japanの態度は上記”地球の歩き方 マレーシアの島々リゾート編”編集部の態度に共通するものがあります(尚リゾート編とマレーシア・ブルネイ編とは関係ない)。できもしないことを権威でごまかす又はできもしない知らないということ自体を自覚できないという、力を持った有名な会社の傲慢さですね。
さて脇道にそれましたが、筆者は以前はこの手(上記の4種)の間違いを笑って見逃していました、なぜなら前にもコラムで又上記にも書いたように、ガイドブックに頼る気がないので、まあいいやとあまり気にしていなかったからです。しかし、ガイドブックの仕事をした以上、3番目の間違いについて素人取材者や編集者の無知だから仕方ないと見過ごすわけにはいきません。まず編集部はなぜこういういい加減な取材者を選んだのかという点、そしてそれを見過ごした編集部の責任は責められてしかるべきです。
現在世には旅行ガイドブックや旅行雑誌があふれているので、それを書くプロ、セミプロ、アルバイトライターは文字通り5万といることでしょう。しかし皆さんに知っていただきたいことは、一人のライターがカバーできる範囲なんて限られているということです。1月は東アフリカを取材し4月には南米のアンデスを語り、そして今月はタイを語るなんてことは、金又は仕事の機会さえあればもちろんできます。しかしその内容に深いことを到底期待できません、行った見た食べた程度のものでしょう。もちろんそういうことを目的にした旅行雑誌なら問題ありませんしそうあるべきですが、深い内容を求められるガイドブックで同じスタイルを取ってはいけませんよね。
、考えてみれば当たり前です、東アフリカでスワヒリ語で取材し南米でスペイン語で語りタイでタイ語の文献を読むそういう図抜けたライターが日本に何人いるかです。全てを英語でやったから不可能ではないといわれれば、もうそれだけで内容は読まなくても想像できますね、本多勝一じゃあるまいしこんな短期間に各国の各民族と文化と社会の知識をどうやってため込むか不思議です、万が一できるとしたらその方はきっと天才なのでしょう。筆者は本多さん並みに尊敬しますね。
日本の旅行関係出版産業の隆盛はまことにうれしいものですし誇りに思うものです、しかし一方こういうガイドブックの状況を垣間みると手放しで喜んでばかりはいられなくなります。書き手も編集者ももう少しその地域の国の民族の社会の知識をため込む必要があるのではないでしょうか。編集者にはどこでも仕事さえあれば書くような熱意のないい加減な無原則ライターを使わないように望みたいし、予備軍の方にはそういうライターにならないで欲しいなと思います。
読者の立場から言えば、何でもいいから面白い人目をひくことを連ねている雑誌ならそれなりの期待感でけっこうですし、それはそれで存在価値があり読んで楽しくていいのです(筆者もそういう雑誌に書く時はその期待に合わせるようにしています)。でもガイドブックならそれ以上の内容の深さと正確さを求める事も期待すべきではないでしょうか。
筆者は今回の新版地球の歩き方との関わりを通していくつかのことを学んだし、またマレーシアの知識を深めるいい機会でもありました。原稿を書いた後でもあそこはもっと深く書けたなと反省する点や、ちょっと間違えたかなと後悔する点もありますし、まあそれなりによく書けたと思う点もあります。大きな間違いや変更点は気がつき次第ホームページの旅行欄で触れていきます。
新版地球の歩き方マレーシア編では、筆者は技術編を含めていくつかの地域を担当しましたが、どの地域とどの部分をIntraasiaが担当し書いたかはしいて述べません、署名記事もいくつかありますが、ほとんどは署名なしの取材記事や技術編です、筆者の視点とスタイルに慣れていらっしゃる方なら気がつかれるページもあるはずです。また当たり前且つ了解済のことですが、書いて送った原稿がすべて活字にはなりませんでしたので、その多くを(全部ではない)ホームページにすでに掲載してあります。
こんなところが”歩き方”に関わった結果から得た読者への報告であり、筆者の主張というところです。地球の歩き方マレーシア編2000年 - 2001年版を手にされる事がありましたら(もちろん執筆者として推薦はしますが)、このコラムで書いたこと、Stepanさんの主張と編集部の立場(Stepanさんのホームページで一部わかりますが、編集部からの反論がないので全部でない事は知っておいてください)など多少思い起こしてくだされば、ガイドブックがより有益なものになることと思います。
参考:
Stepanさん作製の 「地球の歩き方との10ヶ月」
マレーシアの行政組織は三段階になっています。上から連邦政府、各州政府、そして地方自治体行政府です。連邦と各州段階ではそれを構成する議会の選挙がありますが、地方自治体段階では選挙はその長を含めて一切ありません。なお州首相は選挙でなく、連邦政府の長つまり首相が指名します。そこで今回はわかりにくい地方自治体行政府について、筆者の理解に基づく解説を試みてみます。
地方自治体の行政府は英語だとLocal Councilというので、筆者は地方自治体行政府と訳ます、その最高決定機関を評議会と訳します(評議会を構成するのは指名された Councillor評議員で、選挙で選ばれた議員である必要はありません。ですから議会と訳すと間違ったイメージが強くなるのでその語は避けます。)
Local Authority (pihak berkuas tempatan又はPenguasa Tempatan)地方自治体当局ともいうようですが、ここではLocal Councilで統一します。このLocal Councilが行政の仕事として、街計画をたてそれを実行し、建物検査し、街路、信号機を設置し、さらに日常の決まった仕事、つまりゴミ収集し下水を掃除したりするわけです。日本の市町村役場と同様の役割、完全に一致はしませんが、を果たしていると言ってもいいでしょう。
このLocal Councilには3種類あります。District Council (majlis daerah)、Municipal Council (majlis perbandaran),そして全国に確か5、6しかない City Council (majlis bandaraya)です。(カッコ内はマレーシア語)
District CouncilとMunicipal Councilを設置する権限は各州政府にあります、しかしCity Councilは下記で述べるように単純に設置できません。
District CouncilはあるDistrict内にある町に設けられ、上記3種の中で数が一番多いのです。ややこしいのは、このDistrict Councilが治める範囲は必ずしもそのDistrictの範囲と一致するのではなく、Districtの範囲より狭いことが多いそうです。
あるDistrictに一つしか町がなければDistrict Councilは1つですむが、町が幾つかあればDistrict Councilは複数になる、と筆者は理解してます。
例 Majlis Daerah Kumaman(トレンガヌ州)、Majlis Daerah Gombak(スランゴール州)でよく省略形のMDK、MDGなどと呼ばれる。
Districtとはある州内の地域で、例えばスランゴール州なら Hulu Langat、Gombak,Petaling, Sepangなど9つのDistrictから成ります、日本の郡のように考えてもいいでしょう。
Municipal Councilはまずある州の州都に設置されます、さらにあるDistrict内の大きな町がMunicipal Councilを持つこともあります。例 Majlis Perbandaran Petaling Jaya(スランゴール州)この省略形 MPPJは Petaling District内にあるのですが、大きな町なのでMunicipal Councilを持っているのです。Petaling DistrictにはさらにMPSJ(Subang JayaのMuniciapal Council)もあります。
City Councilは大きな町が正式に市と認められた場合にだけ設置されるので、全国に5,6つしかありません。例 Majlis Bandaraya Kuching Utara(サラワク州)。その長を市長つまりDatuk Bandarと呼びます。
クアラルンプールだけは特別でDewan Bandaraya Kuala Lumpur 短縮形DBKLと呼ばれます。
上で述べたように、地方自治体の行政府又は評議会の評議員はすべて選挙で選ばれません。つまり自治体選挙はないのです。
尚こういう地方自治体の行政府が活動していく資金は、国からの交付金と地方自治体独自の財源からなります。不動産を所有する住民がその地方自治体に税金を納めます。これをマレーシアでは、Assessment rate (cukai taksiran) と呼ぶ。その他にも自治体の施設を使用する利用料や免許発行代などが資金になるのはおわかりですね。
Council評議会のメンバー(Councillor)はその長を含めて州政府が選出し、儀式を経て任命します。定数は8人から24人で、任期は3年だそうですが、再任ももちろんできます。Councillorの条件はそのCouncilが置かれている地域に住んでいることとか、地方行政に見識、経験があることが要件になっていますが、これがすべて守られているとは言えないようで、やはり政治的選択が多いとのことです。
このCouncilを主催するのが、District Council、Municipal Council), City Councilの各Councillor長つまり President又は Mayorになるのです。
さてこの評議会が途方自治体の行政執行体とすれば、日常の業務をする事務局が必要になります。つまりこの事務局に働く人は地方自治体に雇われた被雇用者になります。その長がSecretary of the Council事務局長になるのです。
以上、マレーシアの地方行政機構を簡単に解説してみました。具体的な行政体の役割と権限に関しては、筆者にもよくわからないことが多く、それらについてはまた機会を改めて書いてみましょう。