アンケート 「私は今週のマレーシアにこう思う」 ・ マレーシア中を震撼させた2つの大ニュース
自然とあまり戯れないマレーシア人 ・ マレーシアスポーツ事情 ・ アンワル逮捕とマレーシア的自由
マレーシア社会を見る目 ・ よくわかる実践マレー料理注文の仕方 ・ マレーシアの女性農民を見る
マレーシア社会を報道する外国メディアとされるマハティール首相の論理
ここに掲載したものはアンケート期間中に届いた順番に並べました。
Iken: "100回記念"おめでとうございます。 マイペースなホームページで、これからもお願いします。
YTL社の株購入と知人の会社があることから、マレーシアに興味を持ちこちらのホームページにたどり着きました。
外国語がからきしの小生には、うれしいホームページです。
Marina女史の鋭い視点」では、マレーシアに限らず耳の痛い話でしょう。・・・あ、目か。
Q1: kanip
Q2: 男
Q3: 30代
Iken: 100本 到達 おめでとうございます。 毎週楽しみに あるいは 苦しんで 読んでおります。
難しい話題の時は内容を理解するのに必死ですし、軽いお話のときは マレーシア、KLや東海岸あるいはサバを 思い浮かべながら読ませていただいております。このコラムが本HPの特徴でもあり真骨頂でもありますので これからもずっと続けてくださるようお願い申し上げます。掲載ある限り読み続けることをお約束いたします。
Q1: 木田 真弓
Q2: 女
Q3: 30代
Iken: 97年11月と12月の大気汚染のページを拝見しました。マレーシアの大気汚染について調べておりますが、なかなか情報が得られませんでした。「今週のマレーシア」では現地に住んでいる方ならではの情報と意見が掲載してあり、うれしかったやら驚いたやら。私的なホームページにありがちな、旅の話やグルメの話にうんざりしている私にとっては、胸のすく思いでした。
先日、仕事でマレーシアを訪れました。驚いたのはインフラ整備ができていないこと。舗道を歩けば大きな穴が空いていて、あやうく落ちそうになりました。市内の川には生活排水で泡がたっていました。そんな状況下で、世界一の高層ビルが立ち、スポーツイベントのための巨大なドームの建設が進められていました。日本の高度成長期も同じでしたが、国の思わくと生活基盤レベルはあまりにもかけ離れて見えました。これから、モノレールや低公害車の生産やら、環境に配慮した交通システムが出来上がるとのことですが、アジアの中でお手本になるような都市づくりを目指してほしいと思います。マレーシアの意見になってしまいましたが、「今週のマレーシア」どうぞこれからも肌で感じた、生?,u毆)きた情報を発信して下さい。心よりw)応援しています。
Q1: 杉浦弘子
Q2: 女
Q3: 40代
コラム100回おめでとうございます。
マレーシアに一度も行った事のない私ですが、1年半前に当サイトを知って以来、毎週あなたの骨のあるコラム楽しみなんです。
これからも、末永く続けて下さい。
名前:ひでこ、女性
年齢:20代
Iken: 100回記念号を楽しみにいたしております。丁度Merdeka Dayあたりに100号が発表となりそうですが、内容はなにかそれに関係あることでしょうか。
とにかく、期待しております。
Q1: PJ18
Q2: 女
Q3: 30代
Iken: 1.これだけの情報をディリーに発信し続けるエネルギーに感服します。 2.海外進出企業の研修教材にも成りうると思います。 3.筆者のものの見方が個人的に好きです。 4.仕事上も、大変参考になっています。 5.今後も、期待しています。声だけになりますが応援します。 6.イントラアジアさんとは、実際どんな方か知りたい。(顔写真を期待しているわけではありませんよ。一度屋台でメシでも喰ってみたい。)
Q1: マジポラン
Q2: 男
Q3: 30代
Iken: 時々ですが、拝見させてもらっております。日本にいるだけだと、現地の情報は本当に微々たるものです。
私は これまでマレーシアに行ったことはないですが、東南アジア地域全体に興味を持っており、現地のいろいろな情報を知りたいと思っております。そういった中で、貴殿のホームページは、現地のいろいろな情報が盛り込まれており まして、毎回大変楽しみに見させてもらっております。ただ、2‐3週間に1ぺんしか目を通さないので、読むのが 大変ですがゥ黷рCですね。
今後とも、マレーシアのさまざまな情報のご提供をよろしくお願いいたします。
それでは。
Q1: Zoo
Q2: 男
Q3: 20代
Iken: その土地で生活すると言うことは、全ての面を見る事になる。
旅行者の視点では、10年通っても生活者の1年分にも満たないと感じます。
このページは両者を合わせ持つ貴重な存在ですのでこれからも長く続けて ください。継続は力なり。
Q1: kaz
Q2: 男
Q3: 50代以上
Iken: たまに覗きに来ます。「今週のマレーシア」は、やっぱりこのサイトの目玉だと思いますよ。
日本に住み、数年に一度氏か行けないくせにマレーシアが好きな私にとっては、とても参考になっています。勉強させてもらってます。
今後もぜひ続けて下さい。
Q1: テツ
Q2: 男
Q3: 30代
アンケートに答えていただいた方、どうもありがとうございました。
先月筆者はあるエコツアーに参加しました。多分にレジャー的な象の保護区へ象見物兼乗りにいくツアーなので、それ自体はとりたててとっぴなことではありませんが、思った通り参加者が白人ばかりでした。大体8割がたです。主催者のUBATの話でも、どのくらいの割合で多いか詳しくは語ってくれませんでしたが、いつも白人が多いと言ってます。(この象保護区へのツアーとUBATに関しては、旅行者と在住者のためになるページの「都会を離れた活動」項目をご覧ください)
白人参加者が多いというのは、こういうレジャー的なツアーだけでなく、ジャングルトレッキングのようなもっと本格的なエコツアーでも同じ傾向でしょう。見せてもらった何十枚もの写真のほとんどが白人参加者だけが写っておりましたから。
マレーシアは自然の宝庫ですから、半島部にはTaman Negara国立公園を始めとして、Tasik Kenyir湖、Tasik Cini湖、Endau Rompin公園などのジャングルに包まれた湖や公園をいくつかあげることができます。またそういう所へのツアーや訪問者は次第に増えているそうです。
ところがそういうジャングルの公園・湖の訪問者には白人がたいへん多いのです。もちろんもっと一般になじみの深いキャメロンハイランドとかフレーザーヒルのような高原はマレーシア人の姿が多く見られますが、Taman Negaraなどはずっと白人の姿が増えます。簡単にいえば、自然度未開度が増せば、白人旅行者の比が増すという法則がありますね。
白人はマレーシアの人口比からいったら取るに足らない数、白人の居住者は1%にも満たないのに、そういうエコツアーに占める白人の比率はものすごく高いのです。もちろんその中には外国からの旅行者としての白人がある程度の割合を占めているでしょうが、マレーシアへの訪問者数はアジア人の方が多いのです。去年Taman Negaraを訪れた際も、マレーシア人はそこで出会った人の数割ぐらいでした。尚ここでいう白人とは欧米とオーストラリア等の白人を指します。
半島部でなくもっと自然を売り物にしているサバ・サラワク州のハイライトは、例えばMulu Caveだの Kinabatangan Rain Forestですが、そういう場所への訪問者は間違いなく外国人つまり白人が多いことでしょう。なぜ外国人、ここでは白人になりますが、の方がこういうエコツアーにより興味を持つのでしょうか。
これは筆者の以前からの疑問です。マレーシアは熱帯雨林に恵まれ且世界どこよりもその至近距離に居ながら、地元のTaman Negaraを訪れたことのあるマレーシア人を探すのは決して容易ではありません、タイのハジャイやシンガポールへの訪問者は掃いて捨てるほどいますけどね。
俗説に、いつも熱帯地帯に住んでいるからそういう熱帯の自然に興味を持たないというのがありますが、山間僻地や離島に住む人は別ですが、少なくとも都会の住人や出身者では熱帯のジャングルに触れるチャンスは日常生活の中にはまったくありません。クアラルンプール、ジョーホールバル、ペナンあたりの生活のどこに熱帯の自然と接触があるのでしょうか。もちろん気候は熱帯性気候ですから、草木や虫類が熱帯の種はいますが、それだからといって、ジャングルとは比較にならないほど樹木種も虫類も少ないです。郊外に比較的樹木が多いといっても、それはジャングルとは呼びません。この程度の樹木の多さは世界いたるところにあります、何もマレーシアだけに特徴的なことではありません。
ですからこの俗説はまったく正しくないことがお分かりですね。
次の俗説です。マレーシア国民ならずともどこの国でも旅行者は他の国の物、地域により興味を示すから、マレーシアないの自然に対してあまり興味ないのだ、というものです。これも簡単に崩せます。
筆者は長年東南アジアを歩いてますが、自然目当ての旅行者で抜群に多いのは常に白人です。マレーシアの隣国タイ・インドネシアにも豊かな自然が残されています、例えばスマトラなど手付かずのままの所がいっぱいあります。でそういう所、ほとんどは離島とか人里離れた山村部落なのですが、で出会う、見るのはほとんど白人のバックパッカーばかりです。ずっと少ないアジア人のなかでは日本人が間違いなく一番多いのですが、その数は白人の比ではありません。残念ながらマレーシア人に出会った記憶がありません。アジア系の顔を見ても米国のとかオーストラリアのアジア人なのです。
尚ここでいう離島とはプーケット島、バリ島、ランカウイ島などのリゾートアイランドではありません、それほど開発が進んでいなくて商業化程度の低い僻地や離島をいいいます。
タイの有名なコーサムイ島、もう相当程度に商業化された島ですが、ここですら一番近い国マレーシアからの旅行者を見つけるのはたやすいことではないでしょう。タイ人でその島で旅行に関わっている者達は、マレーシア人には一般にそれほど興味など示しません、もちろん例外はあるしあくまでも比較の問題ですよ。島を訪れるマレーシア人の数がとるに足らないほど少ないし、滞在も短いからでしょう。それに悲しきアジア一般の現象、白人一般への”憧れ”と”変な劣等感”もあるでしょう。
この現象はタイのもっと北へいけば、だいたいバンコク以北、もうずっと顕著です。筆者は今年、カンボジアにほど近いタイ湾に浮かぶコーチャン島を訪れました、まだまだ開発されてなくて、道路の舗装も一部しかないほどですが、そういう所にある安バンガローでうろついている短長期滞在者は決まって白人です。
筆者は東南アジアを旅する時、よくどこから来たかと聞かれますので、いつも「マレーシアから」と答えますから(何人と聞かれれば日本人と答えます)、彼らの反応はよく知っています。マレーシアからといってもその反応は大抵が調子抜けするほど簡単なものです。このコーチャン島で泊ったバンガローの従業員など、マレーシアがどこにあるかも知らないようでした。
これはそこだけでのごく例外的な出来事ではありません。タイなどの多くの地域を旅していて、マレーシアのムスリムと関係深い南部タイと東南アジア各地に住む華人との会話を除いて、マレーシアといって話しが進んだことは少ないのです。日本人だと知るととたんに話題、それは決まりきった話題ですから筆者は好きではありません、が増えます。(筆者のタイ語の能力は衰えたとはいえ、ある程度のコミュニケーションはできます)
先月8月のスマトラ北部旅でも、距離的にはぐっと近いマレーシアからの旅行者など、メダンのような所は少ないながらもいますが、筆者の回ったAceh地方ではまったくいません。皆無だと断言してもいいでしょう。もっともマレーシア人だけでなく外国人旅行者そのものがいないのですが。それでもスマトラ北部の離島 Weh島には白人バックパッカーが、タイやマレーシアの離島に比べればはるかに少ないものの、集まっていました、全部合わせても100人もいかないでしょう。マレーシア人?いるわけありません、第一アジア系の顔をした旅行者は地元インドネシア人の観光客を除いて、私と偶然会った日本人カップル1組しかいませんでしたから。
こういう経験を通してはっきり言えるのは、マレーシア人はエコツアーに興味が低くこういう不便だけど自然が一杯の離島で休暇過ごしたり旅したりしないことです。彼らはそういうことを好まないと言っても言い過ぎではないでしょう。そういうエコツアーなり離島滞在ができないからではありません、マレーシアより多少物価が安く白人達の国からに比べれば至近の所にあるタイの離島に、マレーシア人が経済的に行けないことはありません、ただ長期滞在できないのは、休暇日数が白人に比して少ないからそれはわかりますが。ましてや旅行地としてのスマトラなど、金銭的に見ればシンガポールの5分の1ぐらいで済みます。それでもマレーシア人はいない。
マレーシア人が青い海と白い浜辺が嫌いなわけではありません、ランカウイはマレーシア人のリゾート滞在の主要地でもあるし、プーケット島へのツアーはいつも宣伝されており人気は高そうです。ティオマン島、ルダン島は外国人の比率が相当高いとはいえマレーシア人シンガポール人は大きな比率を占めます。
しかしそれがもう少し不便で開発度の低い反面自然度の高い Perhentian島だのTaman Negaraになると、マレーシア人の比率はぐっと下がります。そしてタイやインドネシアの離島ではそれがゼロになります。
本来食や慣習に対して東南アジア人からもっとも距離があり、その受容度の低い白人ばかりが、そういう離島のバンガローで過ごしているのを見るのは、おかしなものです。彼ら白人は東南アジアのどこへ行こうとも、自分たちの食慣習と服装慣習と思考方法を持ち込み、傲慢に振る舞っています。(断っておきますが、筆者は反白人思想の持ち主ではありません、ヨーロッパは私の旅の原点であり、今でもMitteleuropaつまり中欧は大好きです)
マレーシアのマレー人の方がずっとインドネシアの離島では食や慣習に対して近接度が高いはずです。しかしタイでは、食がハラル(イスラム教徒が食べてもよい料理)でないからマレー人には障害になりますね、ムスリムを自由旅から遠ざけている一つの理由にこれがあることは容易に想像できます。でもマレーシア国内とか同じムスリム国であるインドネシアなら食の面ではまったく問題ないはずです。
やろうと思えば経済的に可能、距離的にはずっと近い、滞在可能日数では白人に到底かなわないけど短期間なら可能、と条件は揃っています。それでもマレーシア人は離島やジャングルツアーに参加する人がずっと少ないです。これは経済的理由でも好みの問題でもなく、もう文化の違いに起因するとしか考えられません。ムスリムにとってはそれに宗教が加わります。
マレーシア人は、その各種民族の種に関わらず、自然と戯れることに興味を持たない民族なのですね。カダザン族なりイバン族なりムルット族なりバジャウ族なりジャングルや農耕や海浜を生活の場として生きてきた、その中で調和して暮らしてきた民族でも、そのジャングル生活、離島生活が彼らの娯楽にはなり得なかったし、現在も余暇娯楽の対象ではないでしょう。
経済発展が進めば余裕ができて娯楽余暇にまわす時間が増えます、しかしマレーシア人はその経済成長ほどに見合ったエコツアーや離島旅に興味を示しておりません。数はたしか1万人にはるかに満たない程度しかいないダイバーも、それにダイビング会社もいくつかもちろんありますが、マレーシア人だけのダイバーで存続できるダイビング会社もマレーシア人だけを相手にしているエコツアー会社もほとんどないはずです。それほどこの分野では外国人旅行者、つまり白人、に期待する部分が多いのですね。
ちょっと付け加えておきますが、例えばマレーシアネイチャーソサイエティーなどの自然保護団体、世界自然保護基金のマレーシア事務所、ウミガメの産卵保護活動をしている人々など、自然保護や自然に興味を持った人の団体はもちろんありますし、積極的に活動していることは筆者も知っています。例えばマラッカのTanjung Tuanの開発に反対の声を上げてそれを成功させました。そういう一面ももちろん筆者は評価しています。
ただ筆者がここで展開している論は一般的な傾向、絶対的な多数派の旅行スタイルについてです。
尚ここで論じたことはマレーシア人だけでなく一般に東南アジア人全般にあたります、白人先進国並みに豊かなシンガポール人でさえ、彼らは白人のような旅はしません。彼らを見ると、マレーシア人やタイ人がさらに経済的に豊かになっても、行動がそれほど変わらないのではないかという筆者の考えを補強してくれます。
日本人は豊かであるせいだけでなく、こういう面ではあきらかに東南アジア人とは違いますね。白人ほど率は高くはないとはいえ、エコツアーと離島旅に参加する日本人は多いですから。豪華で優雅な旅行される方ほど多くはないが、もちろん白人だってそういう旅行者のほうが数から言えば絶対的に多い、不便な島や田舎へわざわざ旅したり、南海の島々へダイビングに出かける、ジャングル探索するそういう若者、時には中年もよく見かけます。それにこれほど一つの言語でかかれたそういう類の旅のガイドブックが多いのも、英語を除けば日本語しかないでしょう。日本人は自然と戯れることが好きな民族なんですね、そして単に豪華と快適さだけを求めない民族文化を持っているのではないでしょうか。
先日の金環日食の際インターネットで同時中継するため、マレーシアのジョーホール州の離島Dayang島へ日本人天文愛好家がグループで訪れ、NHKも観測放送隊を派遣したそうですね。地元英語紙The Starが驚きをもって伝えています。
「彼らは皆アマチュア天文家なんです。それよりももっと驚くべきことは、(このインターネット中継のための)費用はすべて自分もちなのです。一人当たりの費用はRM5,800もかかる、それには観測機のリース費などは含まれてない!」
彼ら日本人アマチュア観測家は単に好きでやってきたのであり、それに日食を多くの人に見てもらいたいだけであったのでしょう。この当りの考えがマレーシア人一般にはちょっと理解できない所でしょう、自分のためだけでなく人のためにも金をかけて、わざわざマレーシアの不便な離島まで日食観測に来るなんて、というところでしょう。マレーシア人にはこのいわゆる遊びの精神が理解できないのです。
これはエコツアーにも通じる考えです、マレーシア人に言わせれば、せっかくの休暇をわざわざ不便な離島や快適でないジャングルなどで過ごすなんて、それに自然保護だのどうの思想をからめるなんてというところでしょうか。
この英字紙のリポートにはおちがあり、ある日本人観測員にインタービューしました、その答えの一つに、「 (前回の他地域の日食の時と同じように)ここへやってきました。終われば日本へ戻ります、もうお金がありません。」 本当に金がなくてそんなことはできるわけがありませんから、答えた人は愛敬のつもりでしょうが、平均的マレーシア人労働者の4,5ヶ月分もの給料に値する費用を自己負担して観測に来る日本人は、マレーシア人には金もちとしてだけでなく不思議な存在に写ったことでしょう。
もちろんマレーシアでも金環日食はその時はまあまあの話題になりましたが、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。金環日食なんて科学者の科学観測は別にして、単なるお楽しみですが、そういうことに夢中になる思考、行動がマレーシア人には少ない欠けているように感じました。これも自然と戯れる思想がマレーシア人には育ってない、いや多分将来もあまり育たないのではないかと思います。なぜならそれは上記で説明したように、経済的発展度の問題でなく文化そして宗教の捉え方に基づいているからと、筆者は考えます。
20日夜、前副首相兼UMNO副総裁であったアンワルが自宅で記者会見中警察に逮捕されました。その日の午後彼はクアラルンプール市内で無届けの集会とデモ行進を催していましたから、これが直接の逮捕理由になったようです。詳しくは「新聞の記事から」の一連の記事を読んで下さい。この件で日本でもマスコミが報道しているそうで、読者からもその連絡が入りました。ただ残念なことにどうも報道内容が的をついてないようなので、ひとことここに書かざるを得ません。
アンワルが開催したここ10日間ほどの各地での集会は数万規模の参加者を集めた、と当地のマスコミは報じています。そして日曜午後は初めて機動隊が放水、催涙弾を使用しました。これだけをみてマレーシア社会に緊張が増していると判断するのは、非常におかしいので、私の見方を記しておきます。
アンワルはつい3週間前まではマハティール首相に次ぐ国の第二の指導者でありました。それが劇的且つ突然解任追放とされたから、おそらく数十万人はいるでしょうその支持者が不満を持っているのは、しごく当然なことです。それにことが全部明らかになっていないので、一体何事が起こっているのかと興味を持つマレーシア人も多いはずです。当然、新聞は連日大きな見出しで報道しています。
つまり民主国家という面から考えれば、こういう行動が発生すること自体決して非難すべきことではないはずです。西欧諸国はよくマレーシアを言論規制で非難しますし、私もある意味ではそれに同意します。しかし一度こういう事件が発生すると、今度は社会不安だ、混乱していると安直に非難するわけです。ここにマレーシアを外からだけしか見てない判断の基準がありますね。私はアンワル解任の時デモ一つないと皮肉な意味を込めて「今週のマレーシア」に書いたのですが、ここ数日の動きを見てある意味ではほっとしました。民衆がその表現をできるからです。そのデモがいいとか悪いということでなく、ですよ。
誤解されるといけませんから付け加えます。現在の時点でことの内容、背景は相当奇々怪々且つ不明確ですし、外国人である私がどちらを支持するとかいうことでなくて、マレーシアに住むものとしてことの動きを追い、それが生れる内在するマレーシア社会を考えているわけです。あくまでも政治はマレーシア人が決めるのです。
もう一つ日本のマスコミ報道に注文したいのは、今回の出来事はマレーシア社会の民族問題に根を発したものでない、ことを強調していただきたいのです。これはあくまでも政権党UMNOつまり多数派マレー人の問題であり、他の民族は絡んでいません。ですから中国語紙はものすごく盛んに報道しています。華人はある種の傍観者的立場を現在の時点では取り得るのです。こういうことを強調しないと、マレーシア事情に通じてない方は、インドネシア"暴動”と同一視してしまいます。そしてマレーシアも”危険”だと短絡的になりがちです。
抑圧されて表面は何事も起きないけど一発触発の危険をはらんでいる社会か、多少の不安定さはあるが民衆の意見表示がある程度できる社会なのか、こういう点から今回の事件を見て欲しいのです。もちろん今後どのように自体が展開していくか、誰もはっきりとはわからないでしょうが、アンワル支持者に民族を超えた支持が集まっている段階ではありませんし、彼の罪状によってはことが急転することもなきにしにあらずです。
とりあえず現時点(9月21日午後)でのIntraasiaからの報告と訴えです。
今夜つまり21日夜私は独立広場当りを昨晩(20日)に引き続いて訪れてみました。機動隊の車が10数台、しかし数十人の機動隊は広場の片隅で休んでいるだけで、それ以外の独立広場はいつもの静かな夜とたいしてかわりません。この広場で今日午後デモ、混乱があったとは思えないほどで、マレー人若者やアベックが広場をうろついていました。
その後クアラルンプール中心街をいろいろ歩いてみましたが、まったく普通の夜です。警官の姿も独立広場付近を除けば、いつもと同じでした。
本日(21日)のことの始まりは、アンワルとUMNO青年部長その他5名ほどが、国内保安法を適用されて逮捕されたことです(尚この法律は万能の治安法です)。一方昼頃アンワル支持者が独立広場と裁判所付近に集まり、そこで警官隊に放水と催涙弾で規制、蹴散らされたわけです。逮捕者も50名ぐらいでたと新聞は伝えています。
私がことを知ったのは夜版の中国語新聞でだったので、昼間の混乱状態は残念ながら見ておりません。しかし新聞の報道状況や街の様子から、混乱は極一部の地域に起きたのみでクアラルンプール自体が混乱してるなんてまったくありません。
繰り返しますがこれに民族暴動はまったく絡んでいません。もしこれに各民族が巻き込まれれば、それは危険になりかねませんが、そんなことは起こらないでしょう。マレーシアでは珍しい中規模デモと無届け集会のため、ものすごく大きく報道されていますが、ことの規模自体は決して大きいとはいえません。インドネシアの暴動やタイのデモに比べればかわいいものです。筆者など70年前後の日本の状況を経験した者には、全くのこぜりあいとしか写りません。アンワル支持派は何も手にしていませんし、警官隊に襲いかかるような勢力でも状態でもありません。
アンワル支持派はアンワルをはじめとして指導者クラスを軒並み逮捕されてしまい、組織的反抗・行動は難しくなりそうです。ただマレーシアはクアラルンプールだけではありませんから、首都だけの状況をみてすべて判断することは避けなければなりません。アンワル支持者にはイスラム原理派や青年運動家に信奉者が多いので、そういう人たちが今後地方でそして田舎でどういう動きをしていくか注目しなければなりません。
しかしこれを観察する予測するのは筆者のような都会に住む外国人には不可能です。もちろん日本を含めて外国マスコミがそんな状況を的確に伝えることは期待できません。ですからどうしても跡追い報道にならざるを得ません。
私が推量するに、この数日の一連の自体は恐らくマハティール首相の読みを少し超えてしまったことでしょう、なぜなら英連邦スポーツ大会の閉会前に起きたからです。マハティール首相は時期を計って(スポーツ大会中は国民の関心も分散されてしまう)アンワル解任追放に踏み切ったはずで、多少の混乱は覚悟していたと私は思います。
しかしこんなことは外国人にはどうでもいいことでしょうし、問題はそんなことではありません。しかしデモ混乱の状況だけが強調されるのは少し残念なのですね。なぜこういうことが起こり、起こったことがマレーシアにとってどういう意味を持つかのほうがずっとずっと重要です。
マハティール首相一人でことが運ぶはずはありません。マレーシア社会特にマレー人社会に根づく何かがあるはずです。方やアンワルはついこの間まで政府のトップ指導者であったのです、そしてイスラム原理的傾向の強い人気ある政治家なのです。これを忘れて単にこれがマハティール首相に対する民主化運動と捉えるのはまったく当を得ていません。目の前の現象にとらわれすぎないようにしましょう。
アンワル解任追放が政治的陰謀かアンワルのホモ行為ゆえか、それも今の時点では両者言い分が完全に食い違い市民にはまったく真相はわかりません。この時点でどちらかとそれを決め付けるのは外国人として避けるべきです。
繰り返します、私はどちらを支持するものでもありません、状況がはっきりしないからもありますが、この事件はマレーシア社会特にマレー社会に起因する部分が大きいと考えるからです。一人マハティール首相を批判しても又はアンワルを批判してもことの本質は見えてきませんし、解決に向かうものでもありません。
また日本人の方々に強調したいことの一つに、マレーシアがそれなりに民主的であればデモなり集会が起こって当りまえということを、知っていただきたいのです。混乱、デモが起こるから、マレーシアは危険だと考えないで下さい。それが必要な場合もあるのです。
またいずれこの続報を書いていきます。「新聞の記事から」を参照して下さい。さらにマレーシア社会に対する分析は幾度かコラム「今週のマレーシア」で書いています。
ここまでは、22日午前0時に書いて一部を巻頭で発表しました。
以下はその後の加筆分です。
アンワルは予想された、彼自身も期待していた?、ように21日にその逮捕理由が国内保安法に切り替わりました。彼の仲間といわれる支持者層の幹部クラス12名も同様に国内保安法で逮捕されました。当然これに対して外国マスコミは非民主的・強権だと非難するでしょうし、していることでしょう。
マレーシアはここ数十年暴動も大きなデモも経験していない穏健な国なので、たかがあの程度の群集集会とデモで治安法が適用されるとは、私も予想はしていましたが、がっかりです。
残念ながら、マレーシアは政治的大衆運動にあまりにも敏感なので、少しでも社会不安定の要因があれば芽のうちから摘み取ってしまいます。多民族複数宗教の国家であるから敏感であること自体は理解できますが、今回のできごとがそれほど国家安全に脅威をもたらしたかは、見る人の立場のよって意見の分かれるところではないでしょうか。確かに交通渋滞と商売には影響を与えましたが。
アンワル支持運動は各民族の垣根を越えていませんし、マレー人の多数派をもまだつかんでいません。もちろん警察はその性格上、少しでも社会の安寧が乱れれば規制に入りますが、その運動がUMNO指導層が危機感を持つ状態にまで至っていたのでしょうか。それに一網打尽してしまえばそれで片付く問題とは思えません。
私はここであまりにもマレーシア政治状況に触れることはしたくありません、これを読んでいただくほとんどの方はマレーシア政治状況はご存知ないでしょうし、また興味もないでしょう。興味の点は、マレーシアで暴動が起こって前副首相ら逮捕者がでたということでしょう。そこでこの状況を説明するために最小限必要なことだけを簡単に書きます。
マレーシアの政治はマレー人政党UMNOが独立以来政権を握っていますが、他民族の政党と連立・連携の形なのです。その中心は華人政党のMCAとインド人政党のMIA、さらに比較的華人の多いGerakan、サバ・サラワクでは各民族政党、で与党連合Barisan Nasionalを形成しています。もちろんUMNOが一番力をもっており、歴代首相副首相もUMNOからです。といってUMNOだけでことが行われているわけではありませんよ。MCAとかMCIは大きな政治力を持っています。
一方反対政党は華人のDAP とマレー人のPASです。尚サバ州のPBSについては触れません。DAPは華人の多いペナン州、クアラルンプールとスランゴール州、マラッカ州で強く、PASはイスラム至上主義を掲げ、クランタン州で州政権を握るほか、トレンガヌ、ケダー、スランゴール州などでもその勢力はあなどれません。
アンワルはその解任と党からの追放で、PASに入党かとうわさされるぐらいイスラム原理主義の強い政治家です。PASもそれを完全に否定していませんが、アンワルが自身の改革運動を建ちあげたため、今はすこし距離を置いているようです。
DATは華人中心で且つUMNOに真っ向から対立している政党なので、なかにはアンワルに心情的支持を送る人がいるかもしれませんが、表立ってアンワルを支持することはできっこありません。万が一それをやると、この事件に民族がからみ、それは”危険”につながります。
私がマレーシア事情に疎い外国マスコミに訴えたいのは、これに民族をからめてはいけないということです。それをやるとマレーシア自身の不幸につながります。高みの見物で心情的にアンワルを応援するのは勝手ですが、アンワル自身や支持者の思想が西欧思想と相容れないということを知ってからにすべきですし、もしそれに民族を絡めたら、とんでもない結果に結びつくという危険性を認識すべきです。民族と宗教問題は理想論で考えるほど簡単なものではないのです。マレーシアでは30年ほど前民族騒乱があったのですよ。
ですから華人は傍観者の立場を取っているのです。中国語各紙はアンワル報道をマレーシア語や英語の新聞よりもずっと大きくこと細かに伝えていますが、その姿勢は多少政府よりで傍観者的です。だからそれほど大々的に報道できるのです
アンワルもDAPにエコーを送ればそれは彼の本来の支持者、イスラム原理的傾向の強いマレー人とUMNO内に残る支持者の両方、を失うことを知っています。またPASと手を結べばPAS支持者を得るかもしれませんが、UMNO内の支持者を失うでしょう。ですから彼はその時点まではどちらに対しても働きかけていませんでした、彼の出身母体であるイスラム青年運動とかUMNO青年部の一部支持層、NGOの一部が彼の支持層であったでしょう。
UMNOといってもすべて一枚岩ではないですから、その中には伝統的UMNO支持層もいるし、マハティール首相に批判者もいるし、(11年前マハティール反対派が離党して作ったが)昨年解党して出戻った Semangat46政党のグループもいます。またPAS支持層と心情的につながる原理主義者もいます、またビジネスに都合がいいからメンバーになってる人もけっこういるそうです。
しかしすべてに共通するのはブミプトラでイスラム教徒であることです。これがマレーシアの支配政党であることの証であり誇りなのです。ですからアンワルもUMNO自体の批判はできませんし、しないのです、あくまでも改革運動を掲げているのです。なにせかれ自身16年間UMNOの党員でありしかもずっと指導部の一員でありました、最後は近い将来の首相になる期待を含んだ副総裁でした。その彼がUMNO自体を批判すること自体ナンセンスです。
マレーシアの政党状況は烏合離散が簡単にできる日本の政党状況とは全く違います。UMNOを離脱して別の政党を作って成功した例はありませんし、その事態もわずか数回です。PASはもともとUMNOとは別に結成された政党で生い立ちと思想を異にしています。
アンワルがマハティールを非難するのはそれが権力闘争ならば当たり前で、別に奇妙なことではありません、所詮政治家は昨日の友は今日の敵でしょうから。ただ今回の件は、単なるマハティールとアンワルの権力闘争だけが原因なのか、現時点でははっきりしていません。なぜならアンワル追放理由が彼の性的不道徳行為だからです。これはイスラムの世界では単に政治的スキャンダルでなく、その人自身のムスリムのあり方とみなされますから、もし本当であればアンワルの政治的死を意味するだけでなく、ムスリム指導者としての死を意味します。イスラム教はもともと世俗と宗教が同一なのです。
このことを捉えてイスラムそのものを批判しても、それは宗教論として意味はあっても(それはそれとして尊重すべきですが)、マレーシア社会をよくすることにはなりません。なぜならマレー人はムスリムであり、ムスリムを批判することはそれを否定することにつながり、結果は不毛の戦いに落ち着きます。十字軍の時代から西欧はイスラムを敵視して攻撃してきましたが、克服はできませんでした。ムスリム原理派が力を復活させた現代も同じ、西欧文化がイスラムを蔑視していても、片やイスラム国家が西欧国家を敵視していても解決はありえません、しょせん共存しか道はないのです。マレーシアがテロと民族紛争の国になってもかまわないという人は別ですが。
アンワル事件をとおして、マレーシアは今どこまで自由度をその国の仕組みに取り入れていくことができるかが試されていると思います。イスラム国だから自由などありえないと短絡的に決め付ける人には何を言っても無理でしょうが、つまりマレーシアがどのように現代の高度な情報化社会且つ資本主義社会である先進国に追いつける並んでやっていけるかは、このアンワル事件をどうやって解決していくかに関係しているのではないでしょうか。
8月の初め頃でしたかちょうど私がスマトラへ行ってる間に、インターネット上で、クアラルンプールの一地域でインドネシア人が暴動を起している、という捏造記事がばらまかれ、それが人のうわさになってある種のパニックを一時引き起こしたそうです。実態は、労働ビザ切れでインドネシアへ帰らねばならないインドネシア人が何万人もいるということを種にした、たわいのない作り事ですが、この程度のことが真実味を持って大衆に受け入れられる”根”がマレーシア社会にはあるのです。
この背景には、(マレーシアのマスコミはこの点をつかなかったが)マレーシア人のインドネシア労働者への蔑視意識つまり ”あいつらならそんなことやりかねない”という意識があり、もう一つに、マレーシアのマスコミは本当のことを書かないからと思い込んでいてついうわさを信じたくなる、という2つがあります。
前者については私は数回当コラムで論じましたからここでは省きます。後者についてです。マレーシア政府・指導層はマレーシアの暗い面ネガティブな面が報道されることを極端に嫌います、そして報道規制を口にします。ただそれを支持する人も決して少なくないことも事実です、ですから民衆はどうせ国に都合の悪いニュースは報道されっこないから、テレビなどに現れないことが実際は起こっているかもしれない、となんとなく思い込んでしまい、うわさが流れるとそれを信じやすくなってしまうのです。マレーシア社会にまだ残る人の口を介して情報が流れるというある種のカンポン意識の現われという面もあります。
このパニックはほどなく収まったそうですが、後日警察はインターネットでうわさを作り出した4人を国内保安法で逮捕しました。政府がこういうことにどれだけ敏感且つ真剣になっているかの現われですが、うわさを作り出す者をいくら取り締まっても、それを信じてしまう大衆の意識までかえることはできません。
国内を取り締まることはできますが、インターネットに国境はありませんから、いつまたこの種のうわさが流されてくるかそしてそれが絶対広まらないという保証はありません。マレーシアはマルティメディアスーパー回廊プロジェクトをはじめとして、情報化社会を目指しているのです。イランやサウジアラビアのように西側世界からの情報をシャットアウトする国策を掲げているわけではありません。いわば開かれたムスリム国家であります。ですからこそそういううわさに打ち勝つだけの体力をつける、つまり情報の自由度を保証しないと高度情報化社会への道が絵に描いた餅になりかねないと思います。好むと好まざるを得ず現在世界では情報の発信元は圧倒的に西側世界からですからね。
一見つながってはいないかのように見えるアンワル事件とインターネットによるパニック騒動にもこのような共通の”根”を見出すことができます。ですから上記であのように書いたのです。
さてこのコラムを書いている9月24日の時点でもことの背景がダイブ明らかになりつつあるとはいえ、まだ断定できるほどには至っていません。ですからもしアンワル事件が権力闘争であれば権力闘争であることを明確にし闘争すべきですし、ムスリム内の思想又は行動の問題であればムスリム内で解決すべきです、と思います。望むべくは今回の出来事は、政治的捏造でアンワルを追い落とすことではないということです。もし万が一アンワルが政治的陰謀で抹殺されるということであれば、筆者はもうマレーシアをここで批評する意欲を失いかねませんね。
事件の節目がありましたらその時点でこの続編を書きます。
筆者には屋台やコーヒーショップ/ハススと呼ばれる大衆食堂で食事するのが生活の一部なので、今更こういうことに悩むことはありませんが、マレーシア語が全くできない居住者とか、旅行者には思うように飲食物を注文できないことは想像に難くありません。長年世界を歩いてきた筆者もまったく初めての国へ行きそういう大衆店に入ると、まずどうやって注文するかよく悩むものですから。指差して、「これ、あれ」だけでは誠不十分ですね。
そこで今回はインド系を含むマレー系の大衆食堂と屋台での料理、飲物注文法をわかりやすく書いてみました。対象がレストランでないのでごく大衆的な料理と飲物であり、値段は高くても1品 RM5、6ぐらいまででしょう。インド系の大衆食堂・屋台もインド専門料理を歌ってない限り、メニューと注文スタイルはマレー系に似ており、マレーシア語がたいへんよく通じます。
マレー系の店は、華人の中国屋台・大衆食堂より話し言葉の面ではやさしいと言えます。なぜなら華語(中国語)なり広東語、福建語は話し聞きする面ではマレーシア語よりはるかに難しいですから。掲げてある品書きに中国語が書いてありますからある程度想像できるとはいえ、中国語を話せなければ所詮指差し注文程度に終わってしまいます。そこで中国屋台・大衆食堂での注文法はいつかまたということにして、マレーとインド系の店対象の題して「よくわかる実践マレー料理注文の仕方」の開講です。
講師紹介:「Teh Tarikを飲みながらチャットしよう」のマスター。店の売り上げが悪くて今年レストランで食事したことが1回しかなく、いつも屋台・大衆食堂ばかり。
生徒紹介: 店のウエートレスMさん、珊瑚礁の海の魚の名前はよく知っているが、店の品物名を今だによく覚えていない。 常連客のPさん, この間までマレーシアに住んでいたがマレーシア語がわからない、味にはうるさい。 常連客のHさん、マレーシアに一度も行ったことがない、ヤング専業主婦らしく一応料理はできるようだ。
受講料: 無料です。但しこの講義を読まれた方は1週間以内に「Teh Tarikを飲みながらチャットしよう」店で実地練習をしてください。
生徒H:何を注文したらいいでしょうか、たくさんあってわかりません。Nasi Goreng, Nasi Goreng Ayam, Mi Goreng, Mi Rebus, Mi Sup, Bee Hun Goreng, Kueh Teow Goreng, Maggi Goreng, Maggi Sup, Roja どれがいいかな。
生徒P: それじゃ Nasi Goreng Ayam にしよう、”Nasi Goreng Ayam、 Satu”
生徒M: あれ、ビールないのかな?
講師:普通、店なら壁に、屋台なら屋根から釣り下げられた板、プラスチックに、メニューが値段とともに大書してあります。これは条例で決められていますよ。テーブル上にメニューが飾ってあるのはレストランになりますし、またいわゆる広げてみるメニューはもちろんありません。そこで上記に書き出した料理名の見方を説明しましょう。
大衆食堂・屋台のマレーシア語で書かれたメニューは比較的簡単ですから、マレーシア語の仕組みをちょっとばかり知った上で、主な食物の単語を覚えれば注文は難しくありません。 マレーシア語では名詞の修飾語が後ろに来ます。その修飾語は名詞でも形容詞でもいいのです。動詞が後ろから修飾するのは普通は許されませんがこの場合はいいようです。
{覚える形式} 名詞 A + 名詞 B 又は形容詞という形です。Orang Putih つまり 人+ 白い = 白人、Kereta Jepun つまり 車+日本=日本車。こういう修飾語後置の言語は世界にたくさんあります、例フランス語、タイ語など。
生徒M: 先生、Nasiはご飯のことですか、そうするとご飯は Nasiでも”なし”ではありませんね。
講師:そう、Nasi は飯、ご飯です。Mさん、へたな駄洒落はやめなさい。 Gorengというのは炒めるということ、ですから Nasi Goreng 飯 炒める つまり炒めたご飯ということですから「チャーハン」ですね。もっともマレー風チャーハンですよ。Nasi Goreng Ayam はチャーハンに Ayam つまり「焼いた鶏肉が載せてあるチャーハン」です。
生徒P: それぐらいは私でも知っています。だから先ほど注文しました。
講師: Mi Sup、MiはMeeと綴る場合も多く麺の意です、ならスープのある Mi つまり「スープ麺」。スープのないほうが Mi Goreng 炒めた麺「マレー風焼きそば」ですね。それじゃ Mee Rebus なら 麺と茹でるですから「カレーソース味の茹で麺」です。Bee Hun Goreng は「ビーフン麺を炒めたもの」 です。
生徒H: 先生、私面食いなので麺類が好きなんです、ケースの中にインスタントラーメンが置いてあるのですけどどうしてですか?
講師: よく気がつきましたね。面白いのはインスタントヌードルもメニューに入っていることです。即席麺の代名詞である Maggiを使って、Maggi Goreng 「インスタント麺の焼きそば」、Maggi Sup なら普通の「スープタイプのインスタントヌードル」です。そのスープ麺に卵を入れて欲しければ ”Mau Telur 卵入れて” と言えばいいのです。
生徒P: 麺類以外を知りたいのですけど。
講師: Sayur Gorengはわかりますか? Sayurは野菜ですから、そう「野菜炒め」です。Sup Ayam は「鶏肉のスープ」ですね、Kambingは山羊ですから Sup Kambingはもうおわかりですね。Pさん、発音してご覧なさい。
生徒P: スープカンベン、うまく発音できません、勘弁してほしいな(本人駄洒落のつもり)。
講師:違うな、スップカンビンです。
{覚える発音} 語尾のNGは鼻音ですから Nになってはいけません。日本語で元気の ’げん’という時の発音。
生徒M: 私、ロティが好きなんです。説明して下さい。
講師: マレーシアの朝食とスナックの代表であるRotiがメニューにありましたら、次のことを覚えておいて注文して下さい。
ロティRoti の本来の意味はパンですが Roti Canaiと言う時はパンという意味から離れて、小麦粉を練って薄く延ばし、お好み焼きのように鉄板で焼いたもの総称ですが、口で説明するのは難しいので勘弁して下さい。実物を食べればすぐそのおいしさに納得しますよ。(写真はロティチャナイを焼いているお店です)
Canai はチャナイと発音、マレーシア語の”C”はch の発音です。Canaiとは小麦粉を延ばすという意味です。Roti Canaiを焼いている店なら必ずある種類がRoti Kosongです、 Kosongとはからとか何もないという意ですから 「何も入ってないRoti」ということです。要するに具の入ってない Rotiですね。何も入ってなくても大丈夫、食べる時には必ずカレーが小皿で供されます。
Roti Telur は卵Telur(トゥルールと発音)をベースに混ぜて焼きます、「卵入りRoti」です。Roti Planta はRotiにマーガリンPlantaを混ぜて焼き上げたもの、この3つはどんなRoti Canaiコーナーにもあります。その他 よくあるRotiに、Roti Sardin、いわしSardin入りです。Roti Pisang はバナナPisang入りです。
生徒P: Pisangといえば私 Goreng Pisangが好きですよ。
講師: Pisangというマレー軽食・おやつで一番手軽な Pisang Goreng がありますね。ちょっと青いバナナ材料にした 「揚げたバナナ」ですが、地元でも間違って Goreng Pisangと言ってる人がいます。Pisang Gorengは揚げたてのちょっと熱いくらいが一番おいしいのです。それではちょっと休憩にしてPisang Gorengを食べましょう。
{覚える発音}Eの発音は”エ” というのと”ウとエの中間のあいまい母音”の2種類あります。クアラルンプールの有名地 Bangsa はバングサでなくバンサと発音しますよ。
生徒M: ライスにおかずを載せるタイプの料理はなんというんですか?おかずが選べてこちらの方がいいや。
講師: マレー大衆食堂でもインド大衆食堂でも一番多いタイプが Nasi Campur タイプです。Campurは混ぜるの意です。白いご飯 Nasi Putihを皿にもり、その上に自分の好きなおかずをめいめいに載せていくスタイルなので、載せるおかずの名前がわからなくても困りませんね。客でなく店の人がよそる所もありませが、そういう時は欲しい料理を”これ Ini” いって指差せばいいのです。(Ini はイニと発音します)
生徒H: ライスがちょっと多いんですけど。私ちょっと太り気味で・・・・・
講師: ご飯が足らないと思ったらTambah Nasi (タンバナシと発音)「飯を増やして」と言って下さい、反対にご飯が多すぎたら、Kurang Nasi 「ご飯を減らして」、と言えばいいのです。
生徒P: それぞれの盛りケースのおかず、カレー汁にまみれて何かはっきり見えないんですけど?
講師: 慣れればわかります。でもケースの品がよくわからない時に尋ねる言葉ぐらいは覚えておきましょう。
Daging Lembu 牛肉、 Ikan 魚、 さかなはイカンと覚えましょう。
生徒全員:さすが先生、駄洒落がお上手ですね。
講師: そう、Ikanは焼いたものなら 見ればわかりますが、煮魚だとなんだかよく判断できないこともあります。Udang 海老 これは見ればわかりますけどね。その他 Sotong イカ、Daging Rendang 牛肉をココナツミルクで煮たものなど。それから豚肉はまちがってもありませんので、覚える必要なし。
生徒H: 先生、私甘ちゃんなので辛いものだめなんです。
講師: そういう人はおかずなどを指差しながら、”Ini Pedas-kah これ辛いですか?”と尋ねればいいのですよ。
覚える形式: 疑問形 何何ですか?は語尾を少し上げる、例えば、Pedas? 辛い?と言えば通じる。名詞にKah をつける方が多少はよい。例、魚ですか? Ini Ikan-kah?。これなんですか Ini Apa?という質問は簡単ですけど、答えを聞き取れませんから言ってもむだでしょう。
生徒M: 飲物はどうやってオーダーするのですか?
講師: 心配することはありません、食べ始める前に店の者が何を飲むか 必ず聞きます、” Minum Apa?” 「飲物 何?」 ということです。答え方は簡単、欲しい飲物名を言うだけですよ。
Coke、Fanta、本物の果物ジュースが飲みたければ Minuman Buah-Buahan(ミヌマンブアブアハンと発音)言って、ケースに飾ってある果物を指差せばいいでしょう。もちろん果物名を覚えればその方がいいですけど。冷たいものなら Soya bean又はSusu Kacang Soya 豆乳、Sirap Limau ライムジュース、Jus Oren オレンジジュース、などなどいろいろあります。
生徒H: 私 Teh Tarik飲んだことないからそれにしようかな、それともお茶にしようかな。
講師: 一般的なコーヒー、紅茶なら、Kopi Ais (コピアイスと発音)アイスコーヒー、Teh Panas (テーパナス)紅茶 熱い つまり 熱い紅茶、Teh Tarik などと注文します。いずれも砂糖を入れるのでなくコンデンスミルクをあらかじめ加えてあります。当然ですが、Chinese Teaは置いてありませんよ。
生徒P: 私も体重がちょっと気になって、あんまり甘いのはいやなんです。
講師: マレーシア人は異常に甘いのが好きなので、Kurang Manis (クランマニス)という言葉を覚えておきましょう、「甘くしないで」という意味です。付け加えておきますけど、Manis は甘いですが、マスターは女性に甘いと言う時には使えませんよ。それから一番安い のがAis Kosong 何もないアイスつまり氷水です。Air suam は温かいお湯をグラスに欲しい時に使います。
生徒M: 私はビールがいいな、アンカービール1本ください。
講師: ビールがマレー系の店に置いてあるわけありません。インド系の店なら置いている所もありますけど。Mさんはのん兵衛だからな。ビール注文する場合は銘柄名を言います、例えばタイガーとかアンカーとかです。
瓶タイプのコーラなら Coke Botol、缶タイプのスプライトなら Tin Sprite、もしそれといっしょに供されるグラスに氷が要らなければ、Tampa Ais (タンパアイスと発音)「氷ナシで」といいます。
生徒H: 私デザートも食べてみたいのですけど。
講師: デザートはAis Kacang アズキ氷、Kacang は豆ですがこの場合はアズキを意味します。ABC 混ぜかき氷など4,5種類あります、あとは各自好きなデザートを注文して、少しずつ覚えていって下さい。ここで休憩。マスターはAis Kachangが好きだな。なんてたって性格が”まめ”だから。
生徒PとH: ああ、おいしかった。いくらかな。
講師:さて食べ終わったら支払いですね。「お会計」は Kira(キラと発音)と言うか又は、飲食した品数がぐっと少なければBerapa (ブラパと発音)「いくらですか」と聞きます。ただし店の人がいう数字を聞き分けなければなりませんから、会計の過程はすこし難しいですが、がんばってマレーシア語の数を覚えて下さい。
{覚える数}数え方を知らなければ何も始まりません、最低限1から10までは暗記して下さい。3日あれば絶対に覚えられます。
1 satu, 2 dua. 3 tiga, 4 empat(ウンパット あいまいのE), 5 lima, 6 enam(ウナム あいまいのE), 7 tujuh, 8 lapan, 9 sembilan(スムビラン あいまいのE), 10 sepuluh (スプル あいまいのE)
生徒M: わー、覚えられるかな。最近物覚えが悪くなっちゃって。仕事の合間に書いて覚えましょう。
講師: これぐらい単語が言えれば何とか注文できるでしょう、それじゃ生徒も読者の皆さんも、少しずつ覚えて来週からマレー系又はインド系の屋台か大衆食堂で実践して下さいね。どんな外国の言語でも、聞き取りは自分で話すより時間はかかりますけど、あきらめないでね。それでは講義終わり。
生徒全員: 先生、ありがとうございました。これ私たちの心尽くしです。(といって謝礼を先生に渡す)
以前このコラムでマレーシアの田舎に触れて、よくわからないと無念さを述べたことがあります。その田舎といってもいろいろありますが、農村はもちろんその分からない一つです。筆者が農村出身でないばかりなく、農業一般の知識がないからです(農家出身でなくても、知識ある人はいますよね)。その農村でも女性農業従事者についてはどうかといえば、筆者にとって、これはもう宇宙のことみたいでまるっきり捉えようがありません。
このことは一般マレーシア人にとっても同じようで、新聞の女性農民特集で ”彼女たちは我々の食卓に上る作物を植え、刈り入れ、生育させている。でもその彼女たちの国の食物生産への貢献にもかかわらず、マレーシアの女性農民はたいへん空想的な存在で、ほとんど理解されたり評価されていない” と前書きで述べています。
そこで今回は新聞の女性農民特集記事から翻訳してお送りします。筆者にはこれを論評するほど知識と経験がありませんからね。以下はIntraasiaが翻訳したものです。
スランゴール州にあるUPM大学のJariah Masud教授(女性)とその仲間は、90年代初期にヌグリスンビラン州の農村女性に関して行った調査を通して、国の農村女性の情報がいかに不足しているか実感しました。「女性がさまざまの作物を育成する仕事に関する書かれたデータが必要です。女性農民は長い間見えない存在に置かれてきました。女性農民の必要なことと問題は関連する役所と政治家に聞いてもらう必要があります。」 と調査者はそのリポートに書きました。
その調査が公表されてから7年たっても、状況はほとんど変わっていません。女性農民への一般的なロマンチックなイメージはこうです、とんがり帽子をかぶり腰を深く曲げ、水田に足首深く突っ込んでいる。一つのイメージ、それは農業に携わる女性をほとんど伝えていない。
第一次産業部門(作物生産、漁業、森林業)に携わる40万人以上の女性労働力の一部として、女性農民が自身をみているかどうか、我々にはわかりません。学者やさまざまな役所の役人と話した結果、その印象は、マレーシアの女性農民は大部分扶養農民であり、夫とともに働き、稲、野菜、果物を栽培している、ということです。
政府の奨励によって、田舎の女性も食物加工ビジネス、水耕法、園芸学、養殖に参入しています。マレーシアの女性農民の大多数は多くの第三世界のそれほど貧しくはないといえる一方、男性農民よりも長時間労働をしなければならないという不幸な運命も持っています。彼女たちはよく水田から台所へ直行しなければならないのです。
このようなことを述べるにもかかわらず、経済的社会的グループとしての女性農民に関する量的と質的精細な分析は全く不十分であるという事実も一方にある。
女性農民が最もかかわる作物はなんでしょう?彼女たちの日々の仕事は何であり、毎日何時間ぐらい働くのでしょうか?彼女たちの農業技術面での知識程度はいかほど?他の分野で働く女性に比べて女性農民の教育程度、健康状態はどうなんでしょう?女性農民で自分の土地を所有しているのはどれぐらいいるでしょうか?自営女性農民はどれぐらいいるのでしょうか?
これら質問に満足いく答えはまだありません。そのため女性農民を援助する政策と計画を練り上げる人達はそれらをどうやって効果的にやっているのかと、不思議に思わざるを得ません。
問題は何を優先するかに欠如があるからです。「ほとんどの政府計画は、家庭における女性の役割を強めることに向けています。」と Jariah教授。
教授の意味するのは、例えばコミュニティー発展庁が行っているプログラムような女性プログラムのこと言っています。そこでは田舎の女性に上手な裁縫、パン焼き、子供の世話などを教えているのです。
そして、政府の政策は生産現場の裏にいる人々よりも生産高アップすることを常に動機にしてきた、という事実があります。「その考えはこうです、生産性を高めればその分野の人々の生活水準は自然に向上するというものです。」とマラヤ大学農業経済学のFadzima教授は言います。
他の国の田舎女性に関する数え切れない研究からわかることは、田舎の所得の全体的な上昇は、富と仕事の男女間での平等な分配にそのままつながらないのです。我々の集めるデータを向上させる以外にも、この国で女性農民の生活を向上させる確かな方法がいくつかあるのです。
これらの目的を促進できる既存の女性グループがあります。農業庁のKumpulan Pengembangan Wanita とか農民組織のKumpulan Peladang Wanitaです。現在そういうグループの仕事は主に地方化しています。国家レベルで調整することはほとんどありません。
前述のことに取り組む以外にも、農業部門で前進していく女性を妨げる主な障害は、女性が文化的にあらかじめ決められた役割をしなければならないことです。その役割に女性はしいて順応せざるを得ないのです。
農業庁の企業家サービス部門の長がこう言っています。「マレーシアでは田舎にある組織とそのサービスにコンタクトすることは難しくない。それらは誰にでも開かれているのです。しかし多くの女性は、もしその夫がその会員であれば、そういう組織などに参加しないことを選ぶのです。」 「それは伝統的意思決定の信念に基づくのです。その信念とは、男が一家の長であり重要な決定はすべてするということです。」とこの部門長(女性)述べています。
歴史的にマレーシア女性農民と言う時に、一つの圧倒的な傾向が知られています。70年代初期、水田からペナン州の自由貿易地区へまたスランゴール州のシャーラムへと、女性移住者が大量に移っていきました。理由はさまざまでした。「かつて農民家庭の中心にあった伝統的稲作システムが、70年代の世界銀行の農業プロジェクトの導入で破壊されました。この広大な集中化土地計画と機械化の結果、女性は稲作において疎外化された存在になってしまった。」とUSM大学の女性研究学部のWazir Jahan教授(女性)は語っています。
大体同じ頃、別の社会経済的変化が起こっていました。それは将来の田舎の女性を形作る、主に教育の普及と工業化への政府の力入れですが、変化です。この混乱の中で、職業としての農業は田舎の人には威信・評価が欠如している、とますますみなされることになったのです。
マレー人の中でもっと教育を受けた女性は教師や事務員になることを奨励される一方、より教育を受けてないものはある面での魅力的な賃金に引きつられて工場の生産ラインに入ったのです。これによって農業部門の女性の数が減ることに結びつきました。1970年には女性の 61%が農業に従事していたが、1995年にはそれが20%を割りました。
女性の雇用構造中の変化に、Wazir 教授は入り交じった見方をしています。彼女の信念では、田舎の女性は土地へのつながりを捨てるべきではないということと、女性は食品生産と土地保有面でもっと管理権を持つべきだということです。彼女の弁によれば、その両方とも70,80年代に侵食されてしまったのです。
その上、工場の仕事をすることで貧困から間違いなく抜け出した女性がいる一方、多くはその学歴の無さから、低レベルの生産職に貼り付けられてしまった。
「回顧すると、田舎の女性は現代農民になるため農業に固執していたほうがより幸福であったかも知れない。彼女たちは土地の管理を維持できたかもしれないし、土地で働くことかそれを貸し出すことで良い収入を得ることができたかもしれない。」 と教授は付け加えています。
「土地の様式と農業所有を研究する者であれば、その人は疑いもなく、現代農業セクターは圧倒的に男性に支配されていると、発見することでしょう。」
それにもかかわらず、ある種の進歩が女性農民の地位に進歩をもたらしていると言わなければなりません。
手始めとして、農業庁はその職員250名に他の省庁からの職員と同じように、性差に敏感な訓練を施すことを目指しています。それは彼らが農業で働く・暮らす女性の問題と必要性にもっと責任あるべくようにする努力なのです。
また80年代中期から農業庁の女性拡大グループは、それまでの家庭経済から農村女性企業家の発展と中小の農業ベースの産業を作り出すことに、そのエネルギーを方向転換させはじめています。昨年農業庁の女性が運営する1500の極小企業計画が、それは国中に広がっていますが、RM1450万の利益を生み出しました。
一方農業庁は女性代表の重要さをより受け入れ的になりました。すべての農民組織の取締役の最低1つは女性に与えるようにと、庁は指令を出しました。
このようなこと全部が約束されたスタートになります。我がマレーシア女性農民のより完全な像を我々がもし手に入れることさえできれば、それは我々が正しい道を歩んでいることになるでしょう。なぜなら、厳しい現実と数字の根拠に基づくのであれば、女性農民のための強い政策が発展させられるのです。
以上は10月16日付けThe Star紙の”A look at our women farmers"を全訳したものです。
翻訳ですのでちょっと文体が硬くて読みづらい面もありますが、内容はおわかりになったことと思います。こういう分野は、研究者とか農業従事者・専門家でない限り、ほとんどわからないことですから、都会や町に住む外国人はいうまでもなく一般マレーシア人もほとんど興味を抱かないものです。
筆者もごくたまにこういう記事を読むことで、少ないながらもその知識と理解を増やしたいと思っています。それを読者の方にも多少は共有していただきたく願い、そこで全訳という形で紹介しました。
この記事を読むと、たとえイスラム社会が根強いと思われるマレー農村でも、女性農民問題の解決は単にイスラム思想の”正しい普及だけ”で解決できるとは思えません。所詮どんな社会であろうと、宗教で全てが片付くとはいえませんからね。
9月に起こった前副首相兼財務大臣兼UMNO副総裁アンワルの解任と党からの追放、さらに国内保安法による逮捕、その結果今も続いているアンワル支持者と一部の野党によるアンワル支持運動と反政府運動はマレーシアに、とくに政治面に結構大きな衝撃を与えています(のように見える)。
しかし、今回はこれを伝える解説するのでなく、この”反・マハティール政府運動”、あまり正しい表現ではありませんが仮にそう呼んでおきます、が巻き起こした現象を報道した側とされた側の論理を見てみます。何年もマレーシアで起こったことのなかった数百人数千人規模の集会、時にはデモも、がそれ以来行われています。新聞の伝えるところによれば、クアラルンプール以外にもマラッカ州、ジョーホール州、クランタン州などで集会があったとのことです。
首都では毎週のように小規模時には中規模の集会が行われ、イスラム教のモスクでUMNO主流を批判する言動も教示されることがあるとか。さらに10月24日の集会デモはこれまでより抵抗方が激しくなったそうです。これらの動きは「新聞の記事から」と当コラムなどでも随時報告してきましたね。
さてこの”反・マハティール政府運動”は一般マレーシア社会にどの程度影響を与えたのでしょうか。はっきりいってわかりません。なぜなら大多数の人、都会であれ田舎であれ、の日々の社会生活が変わったとはまったく思えませんしそう見えませんから。現象だけを見ればクアラルンプールの中心街の一部で、時に集会などで交通が妨げられることはあってもそれ以上でもそれ以下でもありません。もちろんデモ集会参加者の一部数百人がこれまでに逮捕されましたから、そういう人にとっては生活のものすごい変化です。
目に見える現象だけでなく、表に現れない何かを発見する又はそれを嗅ぎ付けるのが鋭いジャーナリズムだから、Intraasiaはそれができないだけだ、という批判には素直に、「残念ですがそうかもしれませんね、それに私はジャーナリストではありませんし」と、とりあえずお答えしておきます。
正直いって残念ながら筆者の行動能力では、地方や田舎の住民の日常生活の変化をいちいち調べにいくことはできませんし、都会の住民の生活行動変化でさえ限られた行動と見聞と交友の範囲でしか察知できませんから。
筆者は知り合いに政治運動の現場にいる人はいませんし、ビジネス界宗教界とつながりがあるわけでもありません、地元ジャーナリストを知っている訳でもありません。まこと普通の交際範囲の広くない市民です。市民と書いたのは、私の生活スタイルが住んでいる地域に埋没していて、外国人的生活をしていないのでそう使いました。
ですからマレーシア社会に変革が起きているだの、マレーシアは不透明な方向に向かっているだの、”反・マハティール政府運動”でマレーシア政治は地殻変動がおきているだのといった、外国マスコミが好んで使いたがる表現は筆者にはとても書けません。
つくづく思うのは、そういう記事を書く外国ジャーナリストの”鋭い目”ですな。その”鋭い観察力”でマレーシア政治のみならず、市民生活までも洞察することができるのですね。都会から田舎とマレーシア中を歩き回り、マレー人から華人、インド人、カダザン人など多民族と交わり、さらに政治家、経済界指導層から一般市民まで幅広い交際関係をお持ちなんですね。英語だけ話しながら、マレーシア語、中国語、広東語、タミール語などを日常の生活言語にしている街の小商売人、工場労働者、農民など市民と深く交わっているのでしょう。どんなところに住んでいらっしゃるか知りませんが、きっと下町か外国人のあまりいない地域にお住まいのことでしょう。
外国人ジャーナリストは仕事も忙しいので、時にはかいつもかは知りませんが近隣諸国もその”守備範囲”に持ち、クアラルンプールには常駐されてない方もいらっしゃいます。アンワル解任劇をマニラから解説論評した毎日新聞の特派員とか普段はシンガポールにいて何か事件があるとマレーシアに飛んでいらっしゃるそういうジャーナリストも多いとか。
筆者はそういう外国人ジャーナリスト、日本人白人を含めてです、に憧れと尊敬をいだきます。ごく少ない滞在にもかかわらず多民族の多階層に幅広く交友を持ち、マレーシア社会のさまざまな面の知識豊富なそういう方には、通算7年近く滞在し諸言語を使いながらマレーシア社会を定住観察している筆者では、とても及びませんからね。筆者にはとてもマレーシア社会の地殻変動を見据えるようなことは書けませんから、いつかそういうすばらしい洞察力を持った外国人ジャーナリストに多少でも教示を頂きたいと願っております。
こういう”すばらしい能力”をお持ちの外国人ジャーナリストは、今回の”反・マハティール政府運動”をいろいろと報道されたようで、特に映像という強力な武器をお持ちの方は八面六臂の活躍をされたようです。その結果次のようなことがマレーシアに起こっているそうです。
外国メディアが最近の出来事、つまりデモ集会を誇張して伝えたので、外国からの旅行団体のいくつかが旅行自体をキャンセルしたと、首都圏の旅行社が訴えました。例えばGem 旅行社は、「英国からの3団体がツアーを取り消しました。我々は海外のエージェントにマレーシアの本当の状況を説明しているが、それを受け入れるエージェントもあるがないのもいる。」
ある旅行ガイドは、「ショッピングセンター、タクシー、レストランなどに影響が及んだ。こういうデモなどをしている人に言いたいことは、その影響は低所得者層に及ぶことを理解すべきだ。」
Land旅行社の幹部は、「キャンセル自体はたいしたことない。しかしデモが外国人に心配を引き起こした。外国の旅行社がテレビで見たのは、マレーシアのいたるところでデモが起こっているかのようであったので、本当の状況を知りたく尋ねてきた。」 別の旅行社は、「オーストラリアと南アフリカから、それぞれ30人のツアー団体取り消しを受けた。その他いくつかのキャンセルはいずれも英連邦諸国からです」
この記事内容でも推測できるように、地元新聞は概して外国メディア報道に批判的です。マレーシアの報道機関としてマレーシアを知るのは我々だと言う自負と、愛する国を外国メディアが恣意的に伝えてくれてはたまらないということでしょうから、それは理解できます。筆者は報道機関に”中立なんていうありえない立場”を求めていませんから、それはそれでいいのですが、こういう見出し自体がもうデモ集会をどう捉えているかを示していますね。
注:報道機関は中立というのは神話であります。世の中の森羅万象の出来事からあるいくつかのニュースを選び出すこと自体からそれがその人、その社の立場を示していますからね。
つまり、外国メディアの誇張した報道を非難的立場で論評するのは当然でしょうが、見出しの付け方が、デモ集会自体は民主国家の証の一つでもあることをあまり理解してるようには感じられませんね。記事内の発言者に集会の批判者を選んでいることからもそれは推測できます。マレーシアのメディアはデモ集会を擁護するとそれが”反・マハティール政府運動”を擁護してると捉えられるのを恐れているのでしょうか、それとも本気でデモ集会に批判的なのででしょうか、筆者にはわかりません。
ところで、この記事もそうですが、外国メディアの”偏見と誇張報道” を批判する論調は地元新聞によく現れますが、この記事にも現れている西欧先進諸国の白人が抱く”東南アジアそのものへの偏見”になぜ反対の論を強くしないのでしょうか。
この英国とかオーストラリアなどからの旅行団体は、マレーシアで反政府デモ集会が起こっていると、メディアを通じて知りというより思い込み、マレーシア旅行を取り消した訳ですね。そのデモ自体は筆者がお伝えしたように深刻な規模と言うにははるかに小さなものでしたが、それでも確かにデモと集会はあり警察が規制しました。この英国とかオーストラリアなどからの旅行団体を始めとしてそういう西欧先進諸国の人は、東南アジアの発展途上国で、ここではマレーシアですが、デモ集会が発生すると、例えCNNなどが誇張報道するとはいえ、かくも容易に且つ疑問も無くその国は社会不安に陥っていて危険だと思い込むのですね。
筆者は彼らの判断基準と思い込みにまことあきれます。西欧先進国たとえば英国、オーストラリアなど国内でしょっちゅうデモやってるではありませんか。その規模と頻度はマレーシアなど問題にならない大きく多いのです。フランスなどその激しいデモと多さでヨーロッパでも知られており、ドイツでも米国でも過激な衝突がよく起こっていますよね。それだからといって、西欧先進国の白人旅行者がフランス旅行を延期しようとするのでしょうか、英国訪問を中止するのでしょうか。そういう人は極めて極めて少ないでしょう(爆弾テロが起こった直後は別です)。
それなのにです、白人にとって自国とか同列の西欧諸国のデモはほとんど気にならないが、東南アジアの国でそういうのが起こると急に不安になるのでしょうね。残念ながら一部の日本人の方もこの範疇です。
”遅れた途上国”でデモや集会が起こったら危険だ、そんな思い込みが見え見えです。デモ集会の自由を擁護しおう歌している国の民でありながら、いざそれが発展途上国に起きるととたんに批判的又は危険視する、まこと身勝手な発想です。これを偏見といわずにおられましょうか。
マレーシアのメディアは、単に誇張報道に反対するだけでなく、この点をもっと突く必要があるのではないでしょうか。地元メディアは頼りないからといって欧米メディアの英語報道だけに頼るマレーシア人も、西欧諸国に残るこういう偏見の目を決して忘れてはいけないと思います。
ところでマハティール首相はこの西欧先進国メディアといっても英米メディアのことでしょうが、を敵視しておりいつも批判しています(しかし発禁には一切していない)、もちろん彼がしょっちゅう批判されるからその反批判でもありす。そこで今回も、アンワル支持者による”反・マハティール政府運動”を、英米マスコミは偏見とある意図をもって報じている、と彼は英米マスコミに反発しつづけています。
例えば、「マレーシアは悪意の報道を受け続けている、特に外国メディアといわゆる外国人オブザーバーがアンワルの裁判をマレーシア政府を裁くことにことを転じてしまった時には。」 「アンワルが有罪であるか無罪であるかは外国メディアは関心を抱いていない、彼らはマレーシアの政府又は裁判所そのものを罪ありとしたいのだ。」
マハティール首相の論理では、マレーシアがアンワル支持者の活動を規制すると、外国メディアはそれを表現と政治的自由の抑圧だと批判する、しかしそれは内政干渉だ、ということです。彼は、マレーシア国内でデモ集会などで起こるとそれが外国勢力の思うつぼになり、一部の外国勢力はマレーシア現政府の崩壊を望んでいる、だから反政府運動はそういう勢力に手をかしているのだ、というようなことを言っています。
マレーシアは民主国家だから選挙の投票を通して反政府活動すればいいのであって、デモ集会などはマレーシアでやってはいけない、違法だという論理です。ここに西欧先進諸国の思想とは絶対に相容れない溝があります。民主国家はデモ集会の自由を基本的に認めるというのが西欧思想ですからね。
ところで、デモ集会の自由は西欧先進諸国に特権のものなのでしょうか。日本や韓国、台湾、フィリピンなど東アジアの国ではそれが広く認めていられるのですけどね。マレーシアは多民族多宗教の国だからこれと全く同一には論じられない、ということを理解するとしてもです。
不思議に思うのは、マハティール首相はなぜ次の論理で切り込まないのでしょうか: 西欧先進国は自国や同列国でデモ集会が起こるのを非難しないのに、なぜマレーシアにひとたびデモ集会が起こるとそれを特別して問題にするのか、という論理です。
マレーシアの今回のデモ集会に対するオーストラリア、米国政府の姿勢はまさに偏見に満ちたものであったのだから、その外国マスコミ報道姿勢を非難するのでなく、マレーシアはデモ集会も起こる民主的な国なのだ、それなのにそれをどうして特別視して内政に干渉するような立場をとるのだ、とマハティール首相は言うべきではないか、筆者はそう考えたのです。
それともマハティール首相は為政者として、”反・マハティール政府運動”は”民主国家マレーシア”では、どんな理由であれとても認められないということなのでしょうか。いずれにしろ筆者には権力者の心までは読めませんし、タダノ市民として、外国メディアのように断定する能力がありませんから、どっちつかずの推察をするしかありませんな。