「今週のマレーシア 」 98年11月分と12月分のトピックス

・ 理髪店と美容院の話 ・ 数字で見たマレーシア、その3誤情報掲載ホームページに一言
スマトラで考えたマレーシア社会のよさ子供に対する父母間の権利は平等ではない
脚光を浴びるニュースと浴びないニュースについて思う公衆トイレ使用に関する男と女の本音
マレーシア人の姓名の付け方と表記法マレーシア人との結婚は即居住権獲得とはならない
時代の変化と旅人としての変化



理髪店と美容院の話


外国で髪を切るのはちょっと面白い経験です。単に散髪して洗髪するだけでもそれぞれの国にそこ独自のやり方がありますから。特に散髪する時は、こちらの意志が理美容師にうまく伝えられなかったり、その技術に信頼を置けないと不安にならざるを得ませんね。いくら1,2ヶ月すれば髪は元に戻るとはいえ、あれーこんな風にカットしちゃって、と後の祭りを嘆いても遅いのです。

さてマレーシアを構成する3大民族はかろうじて半数を占めるマレー人、3割を切った中国人、1割に満たないインド人です。そこでこの民族数に見合ったかのように、理・美容院にはいくつかの種類があるんです。

マレーシアには、東南アジアの発展途上国のいくつか、例えばベトナム、にあるような路上床屋はもうありません。筆者が見た唯一の例外はクアラルンプールのチャイナタウンにある路上床屋ですが、これは常連華人しか顧客にしてないようです。

マレーシアの理美容院は大きく分けて3種類になります。

1.ユニセックス店


まずはもっとも数が多い理美容院で男女共用です。一般にユニセックスと呼ばれていますが、Hair Saloon(Salun)とか Unisex Saloon、Cut Studioなどと英語で看板に書かれており、場所によっては美容院、美髪室、美容室、美容屋、又は美髪中心と中国語でもよく看板に併記又は大書されています。

客層は男女若者と中年の女性中心で、一応 3民族が対象です。ユニセックス店は都会や町ならどこでもあります。マレー系の店に華人の若者が理髪に訪れることもあります。しかし田舎には都会的ユニセックス店はなさそう。田舎は特に散髪者と同じ民族の理美容院に行く傾向が高いように見受けられます。

クアラルンプールとかペナンの大小のショッピングセンター内には、同じようなユニセックス店が何軒もテナント入居しており、競争はし烈ですよ。

理美容師には比較的若い男女が断然に多いですね。日本のように中年の理美容師がどういうわけか少ないのです。想像するに、ある程度年を取る、経験を積むと自分で店を開いて独立する傾向が非常に高いのだ思います。住宅地の店舗住宅ではこじんまりとしたユニセックス店をよく見かけます。日本のように環境衛生同業組合が価格を統一しているわではありませんし、また同業者組合はあるけど全部が加盟してるわけでもないので、理美容値段にばらつきがあります。

筆者は頼んだことがありませんが、有名スターみたいなヘアースタイルを要求したり、店においてあるヘアー雑誌の写真みたいにしてくれと言ってもいのです。まあその通りになるかは理美容師の腕次第ですけどね。

髪を切る場所と洗う場所が違っており、髪洗い専門の見習いが洗ってくれます。もちろんパーマも盛んですが、筆者は一度もかけたことがありませんので、それ以上は知りません。

ユニセックス店では男性客用に髭剃りはありません。普通の日本の美容院のサービスに加えて、フェイシャルマッサージ、マニキュア、脱毛などの髪きりとは直接関係ないサービスをしている所も多いのです。そういうユニセックス店は店名がHair & Beauty Saloon とBeauty の文字を加えているようです。Beauty Saloonは中国語で現せば美容中心ですが、フェイシャルマッサージ、美顔などその種のサービスを専門にしています。

ただ店名などにはっきりした決めはありませんから、美容室 Unisex Saloonとあっても、髪きりサービス類しかしてない所があったりします。店のガラスや壁に掛けられた、掲げられた文字を見れば大体推量できます。尚美顔サービス類を専門にしている所はよく広告を出していますね。

高級ユニセックス店は有名ショッピングセンター内などにあり、外から眺めただけでもきれいでしゃれています。もちろん店構えや設備がいい分、料金は確実に高いです。筆者はそういうところで理髪した事はありませんのでどの程度サービスが違うのかは知りません。

2.理髪店


次に理髪店です。一般にマレーシア語のGunting Rambutと並んで中国語で表記されており、(冷気)理髪室、理髪店、理髪廊、理髪廳 と書かれているように、理容師はすべて華人です。男性理容師だけの店もありますが数はごく少なく、女性理容師ばかりの店が圧倒的に多いのです。そういう店は冷気女子理髪室・理髪中心などと店名に”女子”を加えています(冷気はエアコンのこと)。理容師は若いのから中年まで年代はさまざま。ユニセックス店の若者理美容師ばかりとは対照的です。

女子理髪店店の構えは一昔前の日本の理髪店といったところです。設備自体が古臭くて例えば電動の理髪椅子などはありませんし、洗髪用の洗面台も収納式ではありません。ショッピングセンター内にはなくて、華人系居住又は商売地域にあるのが普通です。当然ながら対象は華人それも余り若くない層です。女性客は皆無です。

面白い事に数は多くはないけど、マレー人やインド人も店を訪れているのです。なぜ華人系理髪店にマレー人とインド人が来るか興味ある所です。ユニセックス店に比べて概して値段が安い点もあるのでしょうが、マレー系のユニセックス店又はインディアンバーバーで味わえない雰囲気が彼らにはいいのかもしれません。

理髪室といっても社交的な意味合いも多く、数年前に禁止されるまではカラオケも併設していたところが多かったのです。理髪してカラオケ?と知らない人は奇妙に思うことでしょう。それは理髪店が単なる髪きり場所でなく、娯楽場所の雰囲気を持っているからです。中年以上の華人、中小企業主とか小金持ちタイプが断然多い、は理髪又は洗髪だけに来て、ビールを注文しなじみの理容師、もちろん女性、とおしゃべりして長居していきます。ちょっとした場末の飲み屋の雰囲気ですな。こういう店の由来は間違いなく台湾、香港からでしょうが、いかにも伝統的華人ビジネスという趣です。参考までにいうと、タイにもこういうタイプの理髪点がけっこうある。

店で話される言語は理容師が全員華人のため、中国語か首都圏なら広東語がほとんど、インド系やマレー人が客の場合は国語のマレーシア語で応対します。理髪店はちょっとした男の息抜き場といったところです。しかしそのためには中国語か広東語が話せないと面白味は味わえませんね。英語は全く場違いです。
マレー人やインド人が来店して理髪していきますが、筆者の見る限り、華人客ほどに楽しんでいるようには見えませんし、女性理髪師も彼らには適当に対応してますな。

理髪店ですから髭剃りしてくれるし、耳掃除やフェイシャルマッサージも理髪のついでに薦められます。それだけのために来る固定客もいるのです。もちろん料金は別途追加ですよ。それが終われば、理容師がマッサージ嬢に変身です、といっても本格的なマッサージではなくそのまねごと。店の別室で、客は理容師とおしゃべりしながら服をきたままマッサージを受けるのです。

理髪店の商売形式はユニークで、師父と呼ばれるオーナー、女性もあれば男性もある、が店を持ち、理容師は一種の契約関係で働いています。理髪に使う消耗品、シャンプーとかタオルは店のものですが、はさみ類とくしとかみそり、ヘアードライアーはそれぞれ理容師の個人財産です。
理容師の腕と経験で契約給料が決まってるようですが、客を何人取ったかでコミッションもあるみたい、このあたりよくわからない。ただなじみの固定客からはチップが入るので、理容師はそれぞれ固定客を増やそうとします。

3.インディアンバーバー


3番目がインディアンバーバーと呼ばれる床屋です。まさに床屋と言う感じです。一般に、英語 Barberに併記してKedai Gunting Rambut(髪を切る店という意味)とマレーシア語で書かれています。冷房のないところも地方では普通です。

インディアンバーバー名前の通り理容師はインド人ばかり。普通は家族経営に奉公人という組み合わせですね。すたれつつあり数が少ないです。住宅地の一画とか商店街の片隅にあり、インド人の多い地区にしかありません。ショッピングセンター内には全くありません。

客層はインド人だけでなく3民族ですが、中年や子供が多そうです。もちろん女性はいきません。散髪だけで、洗髪しない店もあり、洗髪代、髭剃り代は別に請求されます。散髪後にちょっと臭いの強烈なインディアンオイルを少しつけてくれます。

丁寧という感じはあまりしませんが、なにせ値段が上記に比べてずっと安いのです、RM10ぐらいかな。理髪と洗髪の値段をものすごくおおざっぱに比べると、 理髪店はその2倍、ユニセックス店なら最低でもその3倍はしますから、インディアンバーバーの安さがわかりますね。

上記のインディアンバーバーのマレー版

店の構えとかスタイルはインディアンバーバーと同じですが、店の者がマレー人です。クアラルンプールならTuank Abdul Rahman通りの路地脇にあるような小型の理髪店です。その名Kedai Gunting Rambutのとおり、理髪する店です。入ったことないけど多分客はマレー人が多数でしょう。地方都市のマレー人地域の理髪店はきっとこういうバーバーでしょう。

ムスリム女性用の美容室

筆者は以前、女性ムスリム用専門の美容室があると、思っていたのです。なぜなら、イスラム教徒の女性は教義上その髪を人に見せていけませんから、敬謙な女性ムスリムはそういうムスリム専用の美容室に行くのだ、と思っていたのですが、それは思い違いのようです。最近マレー女性の知り合いに確かめたら、そういうところはないことはないが、普通のユニセックス店に行くとのことでした。

ただそういうムスリム女性がいくユニセックス店は自然とそういう女性客が多くなるようです。店にムスリム専用とうたってはいないけど、敬謙なムスリム女性が増え自然と男性客や他民族はいなくなる、または最初からそういうつもりで商売している、みたいです。特に田舎ではこの傾向が高いとのこと。なるほどね。
残念ながら、私はそういう店へ行ったり内部を見たことはありません。

じゃ、敬謙なヒンヅー女性はどこで髪をきるのだろう、これも多分インド人の多いユニセックス店で切るのでしょう。これまでインド人用のユニセックスを歌っている店を見たことはありませんから。

こういう各民族の日常の生活の細部を知るのは難しいですね。華人なら例えばヒンヅー教徒の生活に詳しい人はごく少ないでしょうし、他の民族の生活細部を知っている人は多くないですね。特に反対の性の生活状況は、当然ながら知ることは難しいものです。筆者も生活地域と交流関係からどうしても都会の華人の生活が身近になりますので、限界を感じざるを得ません。


それじゃ次回のマレーシア旅行では髪きりを試されたらいかがですか。ユニセックス店、男性ならさらに理髪店、インディアンバーバーと選択もいろいろ。それでも心配な方は、洗髪だけとか、フェイシャルマッサージ、男子でもかまわない、だけを受けて下さいな。



数字で見たマレーシア、その3


久しぶりこのテーマを選びました。マレーシア社会を考える論じる時、数字も知っておかなければなりませんからね。以下このトピックスで表示した数字は最近発表された 公式報告である経済報告98/99年と観光省の統計などを基にしています。

面積と人口

まず基本的な数字をいいますと、面積は33万平方キロですから、日本より少し小さいですね。でも人口密度はぐっと低いですよ。97年の総人口は2,166万人でした、93年から97年の人口増加率は2.6%ですから、やっぱり高いというべきでしょう。これは暮らすものの実感からいってもわかります。とにかく1家族で子供が多い、たしか4人弱であったと記憶してます。

ただ今回の経済報告では、人口伸び率に寄与したのは外国人移住者の増加、93年から95年は年率13%、も大きいと分析しています。96年以後は移住者抑制方向に向かったので落ちましたがそれでも年率5.8%でした。

この結果マレーシアでなく外国出自の人の総人口に占める割合は、93年の5.2%(百万人)から97年は6.8%(百五十万人)に上がりました。総人口中、被雇用労働人口は850万人と発表されていますが、この中に150万以上の外国人が含まれているのかどうかよくわかりませんが、多分含まれてないでしょう。失業率は昨年後半からの経済停滞で97年の2.6%から98年は5%近くにいくと予想されています。

年齢構成

もちろん日本とは比べ物になりませんが、マレーシア社会の年齢構成は発展途上国では比較的高年層が多いのです。といっても、65才以上は総人口のわずか3.7%で、これはこの5年間ほとんど変わっていません。

15歳以下の人口は93年36.4%を占めていましたが、97年にはわずかに落ちて34.5%になりました。といっても3人に一人は15才以下ですからやっぱり日本人の感覚でいえば、子供が多いのです。

政府は公衆衛生の向上にも力を入れています。この結果もあったでしょう、平均寿命が延びました。男は変わらず93年の69.4才から97年は69.5才、女はここでもやっぱり強く(!)93年73.8才から97年は74.3才です。

新生児死亡率は11.3から97年は9.8に向上しました。(これって千人に対する率ですか?)

交通事故の多さは変わらず

あいも変わらず交通事故の危険は高いのです。97年は56574件の人身事故があり、うち約1割の 6302人が死亡です。これでも93年の交通事故死亡者が全交通事故件数に占める割合、100事故中3.4人は97年は2.9人に減ったのです。事故件数の伸び率は年率12%です。

事故にかかわった車両中、自動車が6割、バイク・オートバイが2割5分占めています。いずれにしろ自動車事故には一番気をつけなければなりません。人口が6倍の日本の交通事故死亡者数と比べて下さい。

観光面でも日本と関係が深い

さてマレーシアにとって日本はたいへん関わりの深い国です。それは単に日本からの投資と対日貿易がマレーシアにとって上位の3位国以内に入るからだけでなく、旅行者の面からもそれがいえます。97年マレーシアを訪れた日本人は旅行者30万9千人(旅行者とは1泊以上する入国者のこと、前年より13%減)でした。隣国のシンガポールからの349万人、タイからの48万人についで3位です。さらに、1泊もしない日帰りの日本人旅行者(日本人の場合はほとんどシンガポールから)は20万人いました。これもマレーシアの隣国国民を除けば最大数を誇ります。

尚マレーシアの外貨稼ぎのトップはダントツで製造業、次いでパームオイル、多少落ちて観光産業なのです。ですから観光収入は大きな役割を果たしています。

国民所得は重要な数字

最後に一人当たりの国民所得をみておきましょう。97年はRM12,051(US$4282) でしたが、98年は2%ほど下落してRM11,817(US$3014)になるだろうと予想されます。

このことを消費者物価の上昇率からみてみると、98年9月までの上昇率は5.2%で前年同期は2.6%の上昇でしたから倍の率です。消費者物価の上昇の一番大きな原因は食品の値上がりです。これは筆者の実感からも言えますね。たしかに98年は数字上でも経済成長下落つまりマイナスの影響が及んでいます。

マレーシアなど発展途上国の物価を考える時、一人当たりの国民所得の値はたいへん重要なのです。いろんな物、サービスの値段を単に日本円に換算してもその国の物価の実態は見えてきません。ですから是非この値を覚えておいて、ある物の価値が平均的マレーシア人にとってどれくらいにあたるか推測なさると、マレーシアがより身近に感じられるかもしれませんよ。



誤情報掲載ホームページに一言

はじめに

下記はこの間巻頭ページに載せたものです。筆者宛てのメールを含めて読者からいくつかの反応がありましたし、前々から筆者の気になっていたことでもありますので、このコラムの一つに追加して保存しておくことにしました。一部書き加えたのと語句を変えた以外は大体同じです。

マレーシア関係の誤情報に関して

筆者はあまりいろんな種類の他サイトを見学する方ではありませんが、ごくたまに個別の国サイトでなく各国の又は地域の情報を集めた旅行情報ホームページを覗いてみます。一番の目的は自分のホームページを登録することですが。そういうホームページは当然ながらごく一般的情報、例えばビザの取り方とか飛行便の種類、両替、おいしい料理などの案内が簡単に載っていますね。その種の国情報網羅ホームページは対象を1カ国だけに絞ってるわけではありませんから、そのこと自体は当然でしょうし、文句つける筋のものではありませんが、少しばかり一言いっておかなければならないこともあります。

そこに載っている情報が古いことと紹介文句にどうも納得できないことがままあるのです。参考にした資料が古くて、人口とか民族比など数字がとっくに過去のものであったり、書き手が2次又は3次資料を使ったため正確さに劣る表現を使っている場合です。

先日たまたま旅行業界専門誌 「週刊トラベルジャーナル」www.tjnet.co.jp/ のサイトを見ました。「トラベルジャーナルでは、強力検索サイト『goo』のホットチャンネル:ワールドレジャーに、最新の海外旅行情報をデイリーで提供してい」るそうですが、その内容にがっくり。リンギット通貨の米ドル固定化のニュースでは数字を間違えたり、対日本円も固定化したと書いてます(固定してませんよ)。その他にも間違いあり、これじゃ旅行者が困惑します。

そこで 「トラベルジャーナルのネットワークが集めた新鮮な旅行情報を、一般旅行者にも開放!オンライン旅行情報マガジン『旅天国』を創刊しました。」そうなので、それを見たら今度はびっくり、「また、マレーシア国内の多くの商店やレストランでは、シンガポールドルでの支払いも可能。」と書いてあるではありませんか。これは勘違いなんてものでなくて、マレーシアを全く知らない人が書いたものだと感じました。

ランカウイやクアラルンプールなどの免税ショップ、国境付近の一部地域、団体観光客をバスに乗せていき、さあ買い物して下さいよといって訪れる店を除いて、シンガポールドルが街で通用する何てことは全くありません。これを書いた人の無知ぶりを物語っています。

これは、ある国で他国の通貨がそのまま通用することがその国にとってどういう意味を持つのか、の根本的な知識が欠如していますね。マレーシアとシンガポールの複雑な民族感情を全く知らないこういう鈍感で無知な人に書かせている編集者は何を考えているのと、憤慨せざるをえませんでした。「どことなく印象の薄いといわれがちなマレーシア。」 などと書くのは個人の印象ですからそれはその人の勝手ですが、無知を隠して事実と違うことを書くことはいけません。

このように世界の多方面に手を伸ばすのは勝手ですが、もう少し正確で現地の状況に通じた情報を送って欲しいものです。それができなければ当サイトのような専門に尋ねなさいな。Intraasiaのような小さな知名力の劣るホームページと違って、専門誌を発行し有名サーチエンジンにも情報を提供している金と人力のあるホームページは、それだけ多くの読む人に影響を与えますからなお更ですよ、日本の有名ホームページさん。

Intraasiaの姿勢

さて他人のサイトを批判してお前はどうかと言われそうですから、筆者のものを書く姿勢を示しておきます。
まず、知らないことを知ったふりして書くことはしません。知らないことは知りませんと書くか、それにふれません。

誰でも間違いはあるし、絶対に間違いをしてないつもりでも思い違いだったり見過ごしていたりで、他人から間違いを指摘されることがありますよね。ですから、もし筆者の書いた内容に明らかな事実の誤認や勘違い思い違いがあったり、変換違いを含めた書記間違いを発見されましたら、遠慮なくご指摘ください。Intraasiは読者からの指摘をいただいてそれを訂正していくことにしています。

ただしイスラムは嫌いだとかマレーシアは面白くないなどという感情的な意見の違いと、マレーシアの海は汚いとかマレーシア人はあまり働かないなどといった物事の比較根拠をはっきりさせることのできない個人の意見の違いに対しては、間違いとか事実の誤認ではありませんから、ここでいう訂正の対象にしないことはおわかりになっていただけることと思います

追記:11月11日

上記で指摘しました 「マレーシア国内の多くの商店やレストランでは、シンガポールドルでの支払いも可能。」という誤記述に関して、当ホームページの常連読者の木田さんがトラベルジャーナルにメール出して訂正をうながしたところ、トラベルジャーナルウエッブサイト「旅天国」の管理者から彼女に訂正とお詫びの11月10日付けメールがありました。筆者は木田さんからのメールをもらってこのことを知りました。

個人宛てのメールですのでその内容をここに引用することはしませんが、「旅天国」がその部分を削除したことをIntraasiaも確認しました。「旅天国」が素直に間違いを訂正された態度は評価するものです。

この「旅天国」のマレーシア項目とトラベルジャーナルのマレーシア情報にはその他まだ多少誤認又は不適と思われる内容・表現が見受けられますが、上記の通貨ほど重大ではないし、また筆者は間違いのあら探しをするのが目的ではありませんので、この件に関してはこれ以上問題にするつもりはありません。ただ日本円に対してマレーシアリンギットは固定されていませんよ。

今後もそのサイトが重大な間違いのない一般向けの情報を発信していただけることを期待しております。



スマトラで考えたマレーシア社会のよさ


前にも書きましたが、マレーシアの魅力っていろいろありますね。青い海と白い浜辺、灼熱の太陽そんなイメージはとりあえず置いておいて、その一つに多民族が融和しながら暮らしていることがあります。大体世界では、日本のように一つの民族が圧倒的に多数派を占める国よりも、複数民族が交じり合って住んでる国の方が多いですから、これはマレーシアだけに特徴的なことではありません。でも融和してくらしているということは何よりもすばらしいことではないでしょうか。

エネルギーのいる複数民族社会の生活

毎日の新聞などのニュースをにぎわしているのは相変わらずの民族宗教紛争です。アフリカや南アジア、南米の”発展途上国”のみならず、”先進国”という名の英国北アイルランドではカトリックとプロテスタント教徒間の爆弾まで用いた紛争が絶えませんね。

マレーシア近辺でもそういう紛争は国名を挙げるまでもなく常に起こっています。しかしマレーシアは、69年の民族暴動を唯一の例外として、民族宗教紛争は起こっていません、これからも起こらないでしょう。この点はいくら賞賛しても賞賛しきれることはないと思います。日本人にとってなかなか理解しずらいことですが、歴史と宗教面を違にした複数民族が融和して暮らしていくことは、まことに大きな努力とエネルギーを要することなのです。

違いの中で融和点を持つ

家族感も違う、労働への取り組みも違う、食事慣習も違う、現世感も同じでない、まこと違うことばかりです。でもマレーシアは一つの国としてまとまりをもち、何々民族が独立運動を試みたり、何々州が自治権を求めて分離運動を試みたり、国の中に国を作ったりしませんし、その萌芽さえありません。ある一つの民族なり州が抑圧されている差別されていると感じる時にそういう運動は起こるものです。たとえどんなに政府が強圧政策をとろうともそういう動きを撲滅させることは不可能です、世界で起こっているそういう国、地域の内情をみれば明らかですね。

マレーシアだって数十の民族全部がすべてに満足していることはありえません、それぞれが大なり小なり不満を持ちまたそれを政治の場にも持ち込んでいます、でもそれが紛争に結びつく又はなることはありません。マレー人政党UMNOを中核にしたBarisan政府が政治を牛耳っているからでしょうか、そんなことはありません。たしかにマレーシアは言論締め付けの厳しい国ですが(筆者はもちろんそれには批判的です)、世界の国でいや近隣国家をみただけでもこれ以上厳しい国はいくらでもあります、そしてその厳しさにも関わらず紛争や暴動を起しています。

ですから Barisan政府が言論に厳しいから民族暴動が起きないという論はまったくあてはまりません。民族紛争にいたらないように非常に気を使っている、そうならないように民族融和策を成功裏に実施しているからです、そしてそれがこの30年以上成功してきたわけです。多分に高度の経済成長がそれに貢献したのですが、その経済成長によって各民族の隙間が少しずつ埋まる方向にすすんだからこそ、この不景気の現在でも民族間のあつれきはうまれていません。その逆を言ったのがインドネシアであり、経済成長がほとんどすすまなかったのがミャンマーですね。

ここで参考までに、8月に旅したインドネシアのスマトラ島北部、Aceh と呼ばれる地域、で筆者が見た感じた状況をその紀行記から、ごく一部抜き出しておきます。

<Acehで感じた中央との違い>
短いAceh旅を通じてだから詳しいことはもちろんわからないが、すくなくともAceh地方では華人に対しての暴動はなかったようだし、旅をしていて不穏な空気を感じたことは一度もなかった。まわりすべてインドネシア人ばかりの乗車移動や宿泊がほとんどであったが、それだからといって不安を感じることもまったくなかった。

Aceh地方が他のインドネシア地域と少し違って、自治意識が高く、自治権をある程度認められた地方だからなのか、圧倒的にムスリム地区のせいかそのへんは住んでみないとよくわからないだろう。個人的意見を言えば、メダンのような都会、貧富の差が激しく忙しく猥雑とした都会とAcehのような穏やかな地方では、住民の意識も違うのではなかろうか。Aceh地方でも華人系は確かに町の商店に多い、つまり他のインドネシア人より豊かには違いない、しかし圧倒的に裕福だとは、少なくとも彼らの店構えを見た限りは、いえなかった。このあたりがメダンやジャカルタとずいぶん違うのではないだろうか。

(尚、この紀行記は雑誌投稿用に書いた物で、ホームページに掲載予定はありません)

蛇足ですが、このトピックスを書き上げてしばらくした9月3日付けの英字紙がロイター通信電として、Acehの中心都市Lhoksemaueで死者を伴う暴動が発生したことを理由に、インドネシア軍のAcehからの引き上げを中止した、と伝えています。暴動自体は華人に対するものでなく、ジャカルタ中央による永年の Acehへの圧政に対する不満をAceh人が引き上げる軍隊に向けたもののようですが、インドネシア情勢の不安定さをあらためて知りました。筆者はそのつい3週間ほど前にその都市Lhoksemaueに1泊したのです。旅人として観察できる限界をあらためて知らされた次第です。

(この下の一文のみ、ホームページ掲載前に急きょ追加しました)
8月に続いて11月初めに、またスマトラ北部を駆け足で回ってきました。相変わらず新聞はインドネシア状況の不穏を伝えていますが、Acheh地方に関する限り今の所それは感じませんでした。それよりも山間部僻地で見た”第三世界”そのものの状況に再び考えさせられました。そこでは豊かな潜在的観光資源を持ちながらもツーリストに忘れ去られたかのように、5日間まったく外国人旅行者に出会いませんでした。マレー半島ではとても考えられない出来事です。

広い意味でのマレー世界の一部で起こっているこの状況を伝えたいのですが、このホームページはマレーシア専門ですからこれ以上詳しいことは書きません。単にスマトラだけではないでしょうが、もうマレーシアとは比べ物にならないほど発展から取り残されてしまったスマトラ北部僻地の民の状況を目の当たりにすると、心が痛みます。

哀しきインドネシア、ほっとするマレーシア

インドネシアの状況を知るとまこと哀れみを感じます。独立50年以上もたって今尚、膨大な絶対貧困層の存在と相変わらずの華人攻撃、何かが徹底的に間違っています。当ページ読者ならご存知のように、私はマレーシア万歳人間では決してありません、しかしマレーシアに滞在してきて、インドネシアで感じるような哀れみと疑問は感じません。ある民族が自国民から攻撃される恐怖と不信感を抱いて住むようでは、民の信頼、国の安定などありえませんね。

人間”金”がすべてではないけど、”金”つまり経済を軽視して融和もなにもありえません。多くの民がその日暮らし、いまだに清貧糊口をしのぐ生活の中で、一部の上流階級がベンツを乗り回しインターネットでのポルノ自由論を論じていても、民族問題は何も解決しません。

経済が発展しそれが多くの人に恩恵なければ、それは何おかいわんやですね。マレーシアにはまだまだ激しい貧富の差があります、特にサバサラワクへ行くとそれが感じられます、しかしそれをなくそうとする政府と民の意識は強く感じるのです。

民族融和とは全てが交じり合うことではない

マレーシアで民族の融和が進んでいるというと、知らない人は各民族間の通婚が進み、すべての民族が入り乱れて住んでいると思われる方があるかもしれませんが、それは間違いです。半島部マレーシアでは通婚はニュースになるぐらいですし(サバ・サラワクは半島部より通婚が多いようですが)、一つの地域が各民族比に見合って住んでいるなんてことは例外です、いまでも彼らはそれぞれ何人地区といわれるように、ある民族が固まって住んでいる地域がほとんどです。もちろんその中に他民族が混じってますがあくまでも少数です。

原則論からいうとおかしいとお考えでしょうか、いやそうではないのです。この方がいいと筆者は考えます。民族融和とは無理して各民族が交じり合い、住居も同所に所有するというやり方は紛争の火種を残してしまうと思うのですね。なぜなら上記で述べたようにそれぞれの民族がそれぞれの宗教と民族性に基づいて、家族感、食習慣、婚姻習慣、労働感、人生観をその生活に適用していますから、各民族が互いに接近しすぎることは、ある時それが急に反感、嫌悪感、蔑視感、不信感、不満を持ちかねないことになるのです。

マレー人と華人とインド人とカダザン人とでは宗教も母語も違う、それをすべていっしょに混ぜてしまうのは危険です、非常に無理があります、特に宗教の違いは決定的に各民族を隔てています。皆が無宗教主義者にもならない限り、そんなことは絶対にありえない、すべての民族をMelting Potの中に入れるのは不可能です。

それをさけるために各民族がつかづ離れずの関係を大事にすることが一番だと思います。つまりモザイク状態が一番いいのです。離れすぎれば旧ユーゴスラビアみたいになってしまうし、無理にMelting Potに詰め込めばインドネシアのように、華人は非常に抑圧されながらも(中国語の使用さえ禁止されている)経済力だけを持ち、それがまたインドネシア多数派の反発を生むという関係になりかねません。

ブミプトラ政策の功

マレーシアはこのあたりを見事に操縦しています、各民族は母語初等教育を保証され、母語でテレビ、ラジオ、新聞に自由に接触できます。一方でそうしながら 一つの国民 Bangsa Malaysiaを生みだし育てていこうとしています。Bangsa Malaysiaとは民族学的な人種でない ”一つのまとまったマレーシア人” という極めて政治的な概念ですが、その概念が育つことによって、各人が各民族のアイデンティティーを守りながら、マレーシア人であることを誇りにもち、単なる国籍としてのマレーシアだけでないマレーシア国民になるわけです。

ブミプトラ政策で教育、不動産、投資機会でブミプトラが幾分優遇されてはいるものの、その優遇度が度離れたものではありません。これに対していろんな見方はありますが、私は一つの安全策であろうという見方にたどり着きました。

多数派マレー人の立場を脅かす存在にもし他の民族が政治的に力をもったら、それは国の安定にマイナスなのです。多数派が少数派に政治的に支配される、少なくともそういう気分を多数派に持たせる、ことは絶対に避けるべきです。それは他国の現状と歴史が証明しています、南アフリカであれ、フィジーであれ、かつてのマラヤであれ、少数派は政治的に力を持つことは多数派の反発を生みそれが紛争に結びつきかねません。

民族感情は理想論で片付かない

理想論をいえばどの民族が力を持とうと民主的に運営すればいいじゃないかとなりますが、民族感情はそんな感単に割り切れるものでないことは、多民族国家の人民であればあるほどそういうことを知っていますし、尊重しなければなりません。同質的なヨーロッパ諸国の民族でさえ、時にはその国の多数派と少数派間で問題をおこすではありませんか、ましてや華人、インド人、カダザン人、イバン人そしてマレー人と同じアジア人といえ同質度は相当低いのです。

異なるものを無理にくっつけるのは後後までたいへんですし長持ちしませんよね。もちろん自然にくっつけばそれにこしたことはありませんが。不釣り合いな男(女)と結婚した女(男)はあとで後悔しますからね。



子供に対する父母間の権利は平等ではない


マレーシアで暮らすなかで諸処出来事に遭遇し考えさせられる中の一つに、女性の社会に占める立場があります。無論男性としての筆者の立場からの見方ですから、限界はあることは承知しています。

役所には特に女性の姿が多い

マレーシアでも当然ながら女性の社会進出は顕著であり、会社、工場、商店、屋台、学校、官庁などどこにでも女性の姿は多いのです。官庁はその典型で例えば税務庁などいくと、どこに男性の姿があるのだろうと思うぐらいです。でも部門長クラスは男性が多く、また彼らは個室で仕事をしていますので一般納税者の目にあまり入らないのですが。これまで筆者が訪れた官庁は幾つかありますが、その一般職員の半数いや3分の2以上は女性が占めているかのように見えました。

外国人に縁の深い出入国管理庁(Imigresen)も女性係官が多く、その本部へ行くと各窓口の係官によく女性を見かけますし、読者の中にもKLIA新空港の出入国検査所で女性係官に入出国スタンプを押してもらった方も多いことでしょう。

学校の先生では小学校では圧倒的に女性教師の比率が高いのです。残念ながら何割を占めるか記憶にありませんが、筆者の見聞からもそれは確かです。

商店などでは女性が多いが内容が日本と違う

女性の占める割合が結構多いと感じるのは屋台の商売人です、これは夫婦や親子でやっているからでしょう。商店でも規模が小さければ身内の女性を雇用したりまた若い女性を店員にしていますから、この面でも女性の比率が割合高いはずです。

スーパーでは全体に特にキャッシャーに圧倒的に女性が多いですね。ただ日本と大きく違うのは主婦のパートがいないことです。これは商店の店員でも同じですが、家庭の主婦層をパート雇用する仕組みが全く育ってないのです。なぜ育たないかは一つには雇用側に労務税務面でのメリットがないことと、働く側にそういう意識が無いことです。つまりスーパー、商店で労働するのは若い女性の、多分に未婚の女性が多いが、仕事であって、それほど若くなくなった家庭の主婦がパート労働する場ではない、という意識ですね。

この件に関して以前外国人労働者を論じた時多少触れましたが、膨大な家庭の主婦層をパート労働に組み込まないからどうしても人出不足になる、だから外国人労働者雇用の必要性が出てくるという現象です。

工場・オフィスに占める女性労働力

工場ではたくさんの女性が働いているのは日本と同じです、そしてそれは職種と産業によって女性の占める割合が高低するのも日本と同じのはずです。オフィスでも同じで事務扱いに女性が多く、見た目はそれほど変わらないように見えますが、実態は相当違うというのが筆者の経験から言えることです。

それを述べるのはまたいつかの機会にしますが、ちょっと気づいた点を上げると、日本ではまず考えられない人事部長に女性が起用されている場合が時にはあることです。女性だけの職場でなくてです。マレーシア日系企業で女性の人事部長を起用している会社があるのかどうか知りませんが、たとえあっても例外的でしょうね。

産業によっては女性の営業ウーマンもよく見かけます。筆者はこういう知識が少ないのではっきりと言うことができませんが、これは最近の日本でも同じではないでしょうか。マレーシアでもいうまでもなく娯楽産業ではヤングレディーがもてもてです、クラブ、カラオケ、パブは男の娯楽として大都市には数の多少は別にして必ずありますが、ソープランドとかマッサージ施設でなくマッサージパーラーは法律上はありません、つまり違法です。

政界の女性議員はやっぱり少ない

このように社会の様々の面で女性は活躍しています。もっとも政界では、大臣に女性が数人いますが確か女性議員の全体に占める割合は1割以下で、これはアジア共通の現象でしょう。

さてこういう風に女性の活躍を見ている半面、なぜこんなことがということに女性差別が残っているのです。その一つが母親が単独で子供の後見人になれないということです。これは”61年児童の後見人法”に根拠があるそうです。

母親は子供の後見人になれない

妻が夫と離婚した後、母親としてその子供の保護者になることはできるのですが、法的後見人に認められていないのです。反対に離婚した夫が引き続きその子供の後見人でありつづけるのです。従って10歳以下の子供のパスポートや身分証明証などの公的書類の申請には父親の署名が必要なのです。

ですから児童のある夫婦が離婚して、(元)夫が音信不通になった場合、(元)妻はたいへん困ることになります。後見人としての父親の署名が入手できないからです。また(元)夫が連絡できる場にいてもその夫の協力が得られなければ、(元)妻つまり母親は手の打ちようがありません。離婚してなくても別居していて、相手の夫から協力を得られない場合もありえるわけです。

こういうケースはマレーシアでは数千件にも及ぶそうです。がすべてこの法律の第5条に、父親が子供の人格と財産の後見人である、と定めてあることから法的にはどうしようもないようです。

シングルマザーへの差別と偏見

このため、いわゆるシングルマザーつまり未婚の母には子供の法的後見人になる権利がありません。マレーシアはたいへん保守的な社会ですから、離婚は別にしてシングルマザーはたいへん少ないはずですが、それでも存在はするわけです。

これはその子供にとってたいへん深刻な問題につながるのです。なぜならマレーシア社会ではICと呼ばれる身分証明証提示が公的機関への届の必須条件であるからです。子供に関することで言えば、出生証明書の取得がまず最初に必要ですが、これにも父親の署名が必要です。また上記のパスポートのみならず入学、進学、役所への届け出などすべて身分証明証が必須です。なければ学校へもいけません。銀行で口座開く場合はもちろん、例えば会社の面接を受ける際も身分証明証を提示するのが一般的です。

英国植民地時代の負の遺産

この古めかしい法律に対して、母親の父親との同権化を求める女性団体はずっと以前から改訂を要求してきたそうで、昨年ようやくこういう問題を所轄する国家統一と社会福祉省が改訂を表明しました。この明らかな女性差別法は、もともとは英国植民地法のなごりだそうで、こんな面にも植民地の負の遺産がまだ残っているわけです。もっともそれを早急に改訂しないでこれまで引きずってきたマレーシアの守旧派も同罪でしょうけど。

この当たりを称してある女性弁護士は、「マレーシアの前提は、女性は子供を産み育てるためにあるのです。」とさめた見方をしています。「これは私たちの家族価値観に反しています。父と母が子供をこの世に送り出したから、両者が平等の権利を子供に対して持つべきです。」

子供が受ける不利益

現状の法律下では、子供の財産に関して問題が起こりやすいとのこと。父親が遺言なく死亡した場合、その父親の家族が子供の法的後見人権を求めてくると母親の利益とぶつかり、解決困難に陥る場合が多いそうです。これも母親に後見人になる資格が無いゆえです。

また筆者の思いもつかなかったケースにこういうのがありあます。父親がイスラム教に改宗する、すると当然イスラム法(シャリア)の適用を受けるわけです。子供も後見人である父親の宗教つまりイスラム教に従わなければならないのです。マレーシアでは親がムスリムでなければ、子供は18才になれば自分で宗教を選べるのですが、ムスリムにその選択はありません。

筆者が以前、今もですが、どうしても納得できなかったことに、所得税申告の手続きがあります。一般的に妻は夫の扶養家族として申告するのが多数のようですが、独自に所得のある妻は夫と別々に所得申告もできます。しかし配偶者控除と子供の控除を申請できるのは夫に限られているのです。これはシングルマザーとか夫がいなくなったケースにも同様に適用されますから、まさに男女不平等以外の何ものでもありませんね。

尚離婚した母親やシングルマザーが子供の法的後見人になるためには裁判所の決定を得なければなりませんが、それを得ること自体が難しいのです。

女性団体は長年平等化を求めている

この不平等を無くそうと85年以来女性団体、宗教団体、女性弁護士の協会が政府に要請してきた結果、ようやく見直しが宣されたわけです。もっとも実現するのはもう少し時間がかかり、且つこの修正法で適用されるのは非ムスリムの母親にかぎられそうだと言われています。

ムスリムの女性団体である Sister of Islamは、女性の権利がなぜ宗教によって区別されるのか、ムスリム女性にも同じ権利を与えるべきだ、宗教にかかわらず子供に対して母親は父親と同じ権利を持つべきだ、と疑問を投げかけています。参考までにいうと、ムスリムのシングルマザーはまずイスラム法廷(シャリア法廷)から決定・命令を得なければなりません。担当大臣(女性)は、ムスリム母親が父親と同権をもつようにすることは、まず非ムスリム母親の権利獲得を片づけた後の政府の課題である、と言っています。

これに関してはイスラム教徒(ムスリム)が知恵を絞って解決することでしょうし非ムスリムが口を挟むことではありませんが、まあムスリムでも仏教徒でもクリスチャンでもない絶対無宗教主義者の筆者の傍観的立場で言えば、イスラムがイスラムである限りこの問題はそんなに簡単に片付くとは思えませんけどね。



脚光を浴びるニュースと浴びないニュースについて思う


最近のマレーシアのニュースといえば相変わらず結構大きく扱われている、逮捕拘留されている前副首相兼前UMNO副総裁アンワルの裁判のニュースでしょう。公判が進むに連れて、すこしずつ起訴内容の細部が明らかになってきています。

光を浴びるアンワル裁判

現在はまず4つの起訴事実、いずれも汚職の罪状、について、検察側証人に対する弁護側からの証人尋問が行われています。公判のあった翌日、新聞にはその内容が結構精細に記事となって必ず載りますので、筆者はそれを丹念に読んでいるのです。

9月頃の劇的な解任追放そして逮捕となった頃とは様相が随分違ってきています。なぜならその公判で明らかになっている内容が、警察及び検察のまったくのでっち揚げととるにはちょっと具体的すぎるし、説得力のある公判記録なのです。もちろんこの時点での判断は早いのですが、ここで証言されていることが全部でっち上げとするのは、第三者の目で見ても難しいと感じます。

公判傍聴熱はまだ一般人にもあるようで、20数人しか枠の無い一般枠のために高等裁判所法廷前に朝早くから並んでいるそうですが、しかしその行列は一時の100人を超えることはもうなくなり、40,50人だと新聞は伝えています。ユーロピアンコミュニティーECの大使館職員が各国持ち回りで裁判傍聴しているそうですが、こちらは続いているようです。

どんな有名裁判でも公判が長く続けばいずれ傍聴者は少なくなって当たり前ですから、これ自体がちまたのアンワル事件への関心薄れに即つながっているとはいえませんが、いつまでもトップニュースであった時期はもう終わりなのです。外国のマスコミももう連日これを伝えるようなことはしていないでしょう。

9月と10月初旬までは毎週末あったアンワル支持者の市中心部での集会はいつのまにかなくなり、このところマレー人街であるカンポンバルの一角で時たま警察の指示を無視して集会を開く程度に落ちました。

アンワル事件のあらまし

この事件のことの発生は、97年8月にアンワルの前運転手(要するに彼の乗る車を専属で運転する人)とアンワルの当時の秘書の実妹が、アンワルがその運転手にホモ行為を強要し、またその秘書の妻と不貞行為を行ったとマハティール首相宛てに手紙を書いたのです。その手紙が首相に渡る前か後か知りませんが、アンワルの知る所となり、彼は警察長官の命令でその件を調べていた特別警察支部の長官に内密に指示し、結果その2人は逮捕され、2人に手紙の内容を否定する撤回書を書かせたということです。この段階で取り調べにあたった特別警察官は2人の供述内容に事実を感じたが、上層部の命令にしたがって、2人に手紙を翻す内容の手紙をかかせ、供述書を取ったというものです。

このためアンワルへの4つの起訴状名が汚職となっているわけで、ホモ行為と不貞行為に対する起訴は後日の審理になる予定です。

公判のあらましと焦点

これまでのところ検察側証人への尋問に登場するのはほとんどその2人の取り締まりにあたた特別警察の捜査官とその指揮官、特別警察長官と副長官です。公判では、アンワルが特別警察長官らにこまかに指示したあらましも述べられていますが、これを弁護側はどう崩していくのかなというところです。結局のところアンワル側は手紙に書かれた内容と特別警察に干渉したという2つのことを全部否定、つまり2人はうそを書き、警察検察はでっち上げをしていると否定、しなければならないのです。なぜなら一つでもこの起訴内容をわずかでも認めればアンワルの立つ立場が崩れてしまうからです。

裁判の起訴状は汚職になっていますが、ことの本質はアンワルがホモ行為と不貞行為をしたかなのです。例え汚職行為が嫌疑不十分で有罪とならなくてもホモ行為又は不貞行為がわずかでも真実味をもたれたら、アンワルの寄って立つ立場は完全に崩れます。彼は敬謙で真摯なイスラム指導者たる政治家であり、そのため多くの支持者を育てて保ってきたわけですから。西欧のメディアにはこの視点が欠如しているように思えます。

筆者が前にも書きましたように、汚職が有罪とならなくてもホモ行為なり不貞行為が万が一本当なら、彼は政治的宗教的に死となるのです。外国マスコミはこのアンワル追放逮捕をマハティール首相との権力闘争の結果破れ、マハティール首相がでっち揚げ逮捕させたかのように捉えて、アンワルを自由化運動の旗手扱いにしていますが、実態はちょっと違うのです。

権力闘争は事実でしょう、政治家が表面上どんな親密に見えようと権力闘争するのはあたりまえで、これ自体を特別視することがおかしいわけです、政治家の権力闘争など日本だって米国だって当然のことですよね。闘争はしていいけど、その中で反対派を暗殺したり根拠なく逮捕すればそれは暗黒政治ですね。

筆者はなぜ立場を明確にしなかったか

筆者はこの事件が起こった9月当時はまだ事実内容が明らかになっていないからと、自分の立場をはっきりさせてきませんでした。まことこの裁判が始まるまで、なぜアンワルが逮捕までされたかがはっきりとされていなかったのです。ですから筆者は、この権力側のあまりにも強引なやりかたとアンワル支持者を中心とする民衆運動への権力者の理解不足を批判しても、アンワルそのものへの支持はしませんでした。

筆者は外国人ですからここで政治運動しているわけではありません、そういうことは避けていますし、それにイスラム原理主義的傾向の強いアンワルを思想的に支持するつもりは全くありません。(原理主義の思想は思想として尊重はしますが、それに共感することはありえない。) 筆者がかげながら応援するのは、アンワル支持派、政府寄り、野党寄りのどの勢力であれ、民主的な行動は正当でありそれを弾圧することはおかしいということです。例えイスラム原理派であれ民主的に反政府行動する権利は認められるべきです。

しかし上記で述べた不透明さが充満していた当時、外国マスコミとか日本人を含めた外国人の中にはマハティールの独裁だとか不法逮捕だと批判していたようですが、筆者はその愚かさを軽侮しておりました。内実がはっきりしないうちにすぐレッテル張ることは簡単ですが、問題を末永く深く追求していくことは決してたやすいことではありません。まこと根気と時間の要ることなのです。

筆者は以前にも述べたようにマハティール首相の信奉者ではありません、その強引な手法は私の好みではありません、それだからといってアンワル追放逮捕の内容もよくわからないうちに、独裁者の強権政治と決め付ける愚かさは持ち合わせておりません。マレーシアを観察するものとしてできるだけわかった時点で判断するつもりであり、だからこそあいまいな立場を持ち続けてきました。こういうことを理解しない人は安易なレッテル張りの愚に走るわけです。

11月末までの公判で公表された、いや証人尋問が明らかにしただけでことの全てを判断はまだできません。ですからもう少し裁判の様子を見守る必要がありますね。それにしても政府指導者はどうしてこれほどまでにアンワル支持者らの集会に過剰に反発するのでしょうか。たかが数千、いや最近では千に満たない数までに落ちたそうですが、の支持者が民主的に行動する限り集会などいくらでも認めるべきではと、日本育ちの筆者は思うのですね。

光を浴びないサラワク州先住民族の移住問題

アンワル公判のニュースの影に隠れたわけではなく、それの持つニュース価値がマレーシア国民に理解されない、興味を待たれないために大きく扱われないニュースがあります。日本人を含めた外国人メディアもまことと同じですけどね。
それは、サラワク州のバクン水力発電所建設プロジェクト推進のために、先祖伝来の地を追われるかのように州政府提供の地Asapへ移住させられていくサラワク州先住民族のことです。

バクン水力発電プロジェクトとは何か

一般にバクン開発と呼ばれる国家級プロジェクトは当初の計画の半分ほどに縮小され、プロジェクトの中心企業であったエクラン企業グループが経済問題から手を引き、替わりに電力会社 Tenaga Nationalがその中心としてプロジェクトを引き継ぐようです。バクンダム建設することで半島部まで電力供給する当初の計画はなくなり、バクン発電はボルネオだけに供給する計画に縮小されたのです。でも依然として国家級プロジェクトであることにかわりはありませんし、ダム建設で広大な地域が水没するわけです。

一般マレーシア人の興味をひかないテーマ

従ってBelaga地区のBaluiのような水没予定地域に住む先住民族が移住させられることになるのです。ここに巨大ダム建設による環境破壊への可能性と先住民族の権利が充分に尊重されていない、という批判が起きてくることになります。しかしこれはまことに一般マレーシア人に受けない興味を起させないテーマです。

サラワク州だけで発行されているローカル新聞は読んだことがありませんので知りませんが、いわゆる全国紙でサラワク州のバクンダム開発のために先住民族が移住させられることを1面なり大きく取り扱ってきた新聞は、私の知る限り見たことはありません。記事として載せてていないということではなく、ことの重要さほどには扱われていないのではないかという意味ですよ。

比較的リベラルなThe Starでさえ時々記事にはなるもののそれはサバサラワク便りのなかであり、大きなニュースとして扱っていません。また国会審議の様子が新聞に載りますが、こちらでも大きな議題になっていません。

影響を受けるのがサラワクの少数民族であるから

なぜか、それは第一に、移住させられる人々がマレーシアの主要民族であるマレー人、華人、インド人でないことでしょう。マレーシア語紙も華語紙も全国的大事件を別にして、当然ながら自民族にかかわる事柄を主要記事にします。英語紙はその当たりをバランスを取っていますが、例えばクアラルンプールの華人コミュニティーのニュースとかマレー人地区の細かいニュースなどはほとんど記事になりません。インド人の中のタミール系を対象にしたタミール語紙、非常に発行部数が少ない、は当然インド人コミュニティー中心に記事を書いているそうです。

さてマレーシアの国土面積の4割近くを占める州人口200万のサラワク州の主要民族は、マレー人、華人、インド人を別にして、Iban、Bidayu、Melanau, Orang Huluなどで20いくつかの先住少数民族から構成されています。うちイバン族が最大で、州内人口の3分の一近くを占めています。今回移住の対象になっているのは、Kayan、Kenya、Penan、Lashagan族です(Kayan、KenyaはOrang Huluの下位グループ、Penan、Lashagan族も多分そう)。いずれもサワラク内でも少数族に属します。

サワラクで少数ということはマレーシア全体から言えば極めて少数派になるわけです。ここからその少数民族の声が中央に届く機会はごくすくなくなることは容易に推測されますね。これが第二の理由になるでしょう。しかもこの少数民族は僻地山間地帯を主たる居住地、生活地にしているため、当然所得面では全国平均のはるか下位になります。電気水道などのインフラ面でも遅れがちになっているのは否めない事実でしょう。

開発か保護かという2者択一では片付かない

筆者はサワラクを訪れたことはありますがずっと前のことであり、それも沿海部の町を中心に回ったので、サラワク少数民族の現状を語る資格はありません。ただサバの僻地なりいくつかの第三世界の状況を長年垣間見てきた経験から、山間僻地で暮らす少数民族の生活はある程度想像できます。

彼らの生活を見るなり想像すれば、一概に開発反対、環境保護、先住民族の権利尊重というスローガンに全面的には賛成できません。むろん基本的には賛成ですよ。水道や電気のまともに無い衛生状態の悪い文化生活とはとても言えない状態をそのままにしておいて、単に伝統的民族生活スタイルを保存していくことが彼らにとって本当にいいことなのか、安易にきめつけられません。また発展のために都市に出て行く若者を一概に責め付けることもできません。なにせ経済社会とは程遠い僻地では金を得る手段が限られていますからね。

開発か保護かという2者択一では解決が難しいことも感じます。ことは彼らの生活つまり一生にかかわることですから、部外者が簡単に意見を述べるのも無責任な気もします。従ってバクンダム開発で先住民族の居住地が水没するからダム計画自体を破棄するべきだとは、簡単にはいえません。サラワク州での将来の電力供給計画に本当に必要であり、且つ影響を受ける彼ら少数民族がそのことをよく理解し同意するなら、自然保護に最大限の注意を払っての開発もやむを得ないのではと思います。

巨大なダム建設を計画しておいて自然に全く影響はない、というばかげたいいわけは聞きたくありませんが、自然に最大限の保護を払いつまり金をかけ、それでも経済的に見合えばという前提の基で開発も必要だと考えます。

バクンプロジェクトは半分に縮小された

こういう前提の基でバクン開発を考えると、どうも不透明さが付いて回っているように感じてなりません。開発の中心であったエクラン企業グループが政府の後押しにもかかわらず手を引き、その手を引く際の状況も決して透明になっていませんでした。

更に政府は中心開発企業が交代する際にプロジェクトの規模を半減させたのです。当初の計画では、ダム開発で起す電力で半島部にも相当の割合の電力を送ることになっていました。当時はそれがどうしても必要だからという理由でしたが、なぜそれが急に必要なくなったかの明確な説明は伝えられていません。半島部に送る必要が、どうしても必要から別に必要でなくなったに変わったのは、計画が甘かったのだという邪推をうんでも仕方がないでしょう。1国の長期電力供給計画がそんなに簡単に変わっていいものでしょうか。

本当に必要であれば計画を半減すること自体がおかしいわけで、プロジェクトが国全体の経済停滞で遅れようとも完全実施に努力すべきでしょう。しかし中央政府の決定でプロジェクトは半分になり、つまりダム建設も縮小されたわけです。その結果自然に与える影響も当初よりは減ったことでしょうし、影響を受ける先住民族の数も減ったかもしれません。

国民的議論にならなかった

しかしそれでも、超広大な面積の山間部が水没し先住民族がその先祖伝来の地を追われることはかわりません。ですからこのプロジェクト決定遂行に透明さと民主的手続き、環境保護思想の徹底が望まれているわけです。筆者はこのバクン開発問題を追ってきたわけではありませんので詳しいことは知りません。マレーシア観察者として一般の国民よりはずっと興味を持ってみてきましたが、現地を訪れて調査などしたことがないので、どの程度自然が影響を受けている又は受けるのかはわかりません。NGOなどの発表と政府側発表を比べて、判断するしかありません。

しかしながらどうひいきめに見ても、人と自然に与える影響度から考えて、これほどの大プロジェクトながら大きな国民的論議の対象にならなかった、そして今もなっていないのは事実だと言いきれます。

バクンプロジェクトで移住する民の記事から

ごくたまにバクンプロジェクトに関する記事が出ます。この11月23日と27日の「新聞の記事から」に簡単に紹介しておきました。ちょっと記事を再録してみます。

(まず開発に批判的な立場をとるNGOからの発言)
Bakunダムを憂慮するNGOグループのスポークスマンは、「例えば、これまでの所移住先の写真が公表されていない、既に移住したものの中にはその地の生活に不満を訴え、もとの地に戻りたいと訴えています。」−11月23日分から抜粋

(これに対して開発側からの発言です)
サラワク州のバクンダム建設で移住を勧められている先住民族に関して、「もし彼らが移住を拒否すれば、それは昔に戻ることになる。なぜなら現在与えられている学校、医療などの公共サービスも新しい移住先に移るから。移住計画が完了する来年4月には、現在の居住地ではすべての公共サービスはうけられなくなります。だから結局移住しないことを望んだものも移住せざるを得ないことになるでしょう。」とバクン移住委員会の長が述べました。

この人は州の観光大臣でもあります。「移住を拒否しているものはNGOに影響を受けた一握りである。」と言っています。−11月27日分から抜粋

このように両者には随分食い違いが出ています。残念ながら移住する先住民族の直接の声が聞こえないので、筆者にはどちらがどうだと決め付けることはできません。移住する様子を載せた記事も写真も以前数回載りましたが、その記事は突っ込んだ記述をしておりませんでした。生れてこのかた離れたことのない長年住み慣れた地を、開発のためといえ離れざるを得ない少数民族の人たちの心境にどれほどつらいものがあるかは想像できます。

移住させられる民の声

先住少数民族Kayan出身の国会議員がこの移住が始まる前にこう語っていました、「新しい移住地のBunganになじむのさえ時間がかかる。200年以上も彼らの家であり彼らの文化そのものであったBaluiを捨ててしまうことは問題をはらむことになるでしょう。」 伝統的ロングハウス居住者間の絆が崩壊することを心配してして、「ロングハウスの人たちの中には(政府から払われる)補償金に心を奪われ始めている人もでている。今やこの金をどうやって住民間で分けるかが熱い問題です。」と。「発展がいいことなのか悪いことなのかにかかわらず、それは発展の代償なのです。」

彼らはその土地と森林に依存しながら、都会や町の生活者とは違って現代金銭社会とは少し離れた中で、ロングハウスで共同体生活を送っている民です。単に都会の居住者が開発で立ち退きを食うのとは訳が違います。日頃声を立てない僻地の少数住民でしょうから、こういう声が充分な政治的力をもつことはないでしょう、ですからNGOの出番となることはわかります。

目立たない事柄に光を当てることも必要

マレーシアの風土として、こういう小数民族の立場に同情して大きな輿論が起こるとか、環境保護の観点から市民運動が起こるなんてことは今の所まったく期待できませんから、この少数民族の移住も遅かれ早かれ計画とおり実施されていくことでしょう。事実として、アンワル支持者のデモ集会やゴア副大統領発言に関する批判投書は山ほど新聞載せられているし、私の話した人もそういう意見を表明していましたが、こういうことつまりサラワクの僻地で起こっている少数民族の問題に言及する投書も意見も聞いたり読んだりしたことがありません、多分これからも極めてその機会は少ないでしょう。

このように一般マレーシア人が興味を持たない目立たないニュースですが、ことの重要さとそれを生み出す行動と思想背景は決して軽視するべきではないと思います。マレーシアを考え知るということは、単にマスコミで大きく扱われたり人々の口に上ることばかりでなく、目立たないけど重要な出来事にも光を当て考えることではないでしょうか。そして一時の感情的な雰囲気の中でことを論ずるのでなく、ことをある程度見極めるためにじっくり待つことが必要であり且つ我々にはそれができるのです。なぜなら私たちはマレーシア国民でないので、論議や運動の熱の中に巻き込まれる必要性はないからです。



公衆トイレ使用に関する男と女の本音


以前このコラム第86回で「トイレと水洗方法のお話」を書きましたね。マレーシアの公衆トイレの概観を筆者なりの観察と視点から述べたものです。いろいろもっと知りたいことがあったし、書くのはどうかという内容はいくつか飛ばしてしまいました。

最近英字紙 Starの別刷り版にマレーシア男性、新聞記者かフリーランスかしりませんが、の描写したたいへん愉快で且つ興味深い記事が載りました。新聞の別刷りとはいえこういう内容の記事が載るのは筆者の知る限り初めてです。是非皆さんにも知っていただきたいと、抜粋紹介しておきましょう。訳すと原文の可笑しさがよくわからないかもしれませんが、率直な描写と雰囲気は伝わると思います。尚( )内の注はIntraasiaが加えたものです。

男性と女性はそれぞれ相手が公衆トイレでどのように振る舞っているか不思議に思ったことはありませんか?それではこれからこれまでになく接近してみてみましょう。

男がしていること

誰も小便器を使っていない時、男はどの小便器に向かうでしょうか? 「私は一番隅のやつ。それが狙いやすい。」と37才の男。「私は一番使われてなさそうな所。小便が床にたれていない所。」と28才の男。もし誰かが使用していたらどれを使いますか? 「隣に誰もいない所へ行く。又は隅へ行く、プライバシーがある所だから。」 と30才半ば。もし全部がふさがっていたら? その30才半ばの男は、「ちょっと離れて待ってます。している奴のすぐ後ろでは待てないからね」

小便するにおいては、男は平等、社長も見習いも同じなのです。列を作って並びジッパーを開けるのです。

(注: マレーシアの男は、特にマレー人は隣に人がいるのを嫌います。そして小便器コーナーの両隅を極端に好むのです。確かにすぐ後ろで人が待つケースはごく少ないのです)

便器に注いでいる時は集中心が要ります。力を注ぐような会話は聞けませんね。 でも中には隣の人と会話する男もいます。でもそれは相手をしている時だけでしょう。「私は知らない人とは絶対に口をきかない。」と27才の男。会話は普通取り止めもないことばかりです。

(注:確かにマレーシアの男たちは話さない。黙ってことをしている。ベチャベチャおしゃべりしたり、時には歌を歌ってしている日本人とは大分違うのです)

男は小便をしている時互いに覗きあうのでしょうか? 「何のために。小便する以外に見るものあるのですか?」と30才半ば。ほとんどの男は、自分は覗かないと言っています。「そんなことは考えたこともない。小便器に向き合っている以外に他に何がみえますか」と30才男。

といってそういうことをする奴がいないわけではない。26才の男はある時小便中に、少し離れた所にいる男が覗いていることに気が付いた。「そいつは私の顔を見てないのです。」彼はできるだけ早くことを済ませて立ち去ったそうです。

(注:マレーシア男性は恥ずかしがりやですから、上記に書いたように、隣同士になることを嫌いますので、覗きあうなんてことはあまり起こらないと思いますけど)

無理もありません、中には扉付きの個室の方、つまり大便器の方、を好んで入って行く人もいます。ある18才の男、は決して小便器を使ったことがありません。「プライバシーが必要です。だから扉もロックします。もしすべての個室がふさがっていたら、空くまで待ちます。」

30才の先ほどの男、「マレー人は個室つまり大便器の方を好むね。つつしみからとそれに使用後 ”あれ”を洗うホースがついているから。」「私は、小便器が壁に掛ったタイプの時は個室の方を使います、個室の方が水が出るから。」と彼は言っております。。

(注;マレーシア人男全体が個室の方を好むことは間違いありません。ここでも述べられているようにマレー人は9割方まで個室、つまり大便器の方へ入っていきますね。はずかしいのか自信がないのか宗教上なのかよくわかりませんでしたが、どうやら”洗う”理由もそれに加わりますね。筆者はうすうすそれに気が付いていましたが、確かめる手段はありませんでした。)

女性はトイレの手洗い容器で手と顔を洗いますね。男はそれ以上のことをするのです。「ある男が小便後自分の”もの”を洗っていたことを見たことがあります。」と30才半ばの男。「むかつくことだ。人々が手と顔を洗う所で自分の”もの”を洗うなんてこと、想像してみて下さいよ。」

でも手洗い容器を洗うこと以外に使うのはもっと悪いのだ。
「サッカーの試合の前、通常は男たちがトイレに殺到する。私の前にいた白人がつぶやいた。このトイレちょっとへんじゃないかな?。というのは男たちは手洗い容器を代替えに使っていた、なぜなら列がものすごく長かったから。」と37才の男。「うん、確かに俺もやったことある。列が長くてもう待てなかったから。で水道の蛇口をひねっておいた。洗面容器の高さがちょうどいい高さだったし」と28才の男。

(注; 本当かね、サッカースタジアムならまんざらなさそうでもないかもしれませんね。でも普通の公衆トイレで自分の”もの”を洗ってるマレー人を見たことは私もある。手洗い容器を信じないように、がアドバイスですな)

小便をし終わった後どうするか。「いくら振っても振り切れるものではない。ズボンに収めてもしずくはある。」と27才の男。37才の男は、便器に取り付けられた/流れる水で”もの”を洗うが、それを拭くことはない。30才半ば男は、もし紙があれば紙で”それ”を拭くという。 この紙で拭く行為は問題をしばしば起す、なかには紙ナプキンを使い、それを便器内に捨てて詰まらせてしまうからだ。

(注;そのせいか小便器が詰まっていることがある。タバコの吸い殻だけではなさそう)

女性用トイレの状況を推察する

その衣服と身体的違いのせいから男は女より時間が短く済むのは不思議でない。だから男は通常そんなに長くトイレに時間を使う必要はないが、女はものすごく長くかかる。「それは口紅とパウダーのせいさ。」と27才の男。しかし30才の男は違う意見だ、「女性はその服装をトイレに入る前と全く同じように見せようとするからさ。ブラウスのすそをちゃんと入れ、ボタンをきちんととめる。」

28才の男は考える、女性は鏡の前でたくさんの時間を使うのだ、「それとも、多分彼女たちは衣服を脱いだり着たりするのに時間を使うのでは。」 30才半ば男はこういう、「彼女たちが言うことなんだ。実際女性はトイレ座席の上で中腰でいるのに忙しいのさ。小便の時それだとトイレの座席ふたに接触しないからね。」また 「トイレ座席に腰掛ける時、ティッシをずっとそこに敷く女性がいる。」ことを知ってます。

(注;これはこの記事に出た男性陣の女性がトイレ使用時にどう行動するかの推測です。で次は女性陣の登場です。)

女性が実際にやっていること

女性用公衆トイレは悲しむべき状況であるから、(男たちよ、女性トイレは男用よりもっとひどいのだぜ)女性がそこで衣服をゆるめるのに余計に時間を使うのは不思議でない。それは多くの時間を鏡の前で使うということではないのだ。

女性は幾層にも重ねた衣服を着ている、それを身体から取り除いてやらねばならない。「パンストを考えてみてご覧なさい。ただ簡単に脱ぐわけにはいきませんよ。伝染してしまうから。」と25才の女性。もちろんガードルだのボディースーツはいうまでもなくですね。

なぜならトイレの床は通常濡れている、女性はこれらを脱ぐ時充分に気を遣わねばならない。スラックスとかサロンとかスカートの丈の長いものは特に問題です。

「そういう衣服は上手に巻き上げてやらなければなりません。そしてそれらを脱いだ時床に触れないように。」とこの25才女性。「それにスラックスの上部がトイレ座席部に接触しないようにも気を遣うのです。」と26才の別の女性。

(注: 前々からの疑問、マレー女性の衣服は普段でも床に触れている長さのバジュクルンやクバヤですけど、あれどうやってトイレ内で処理するでしょう、答えがわかりました。インド人のサリーでも同じだけど、マレーシアの女性は大体が長くてかさばるのを身に付けている。女性用トイレだって床は濡れていると想像されますからね、皆さんの苦労に同情します。)

(注:ところでこの暑いマレーシアでストッキングなぞ履く必要があるのかね。いくら冷房が効きすぎてるといっても普段は必要ないでしょうに。これを考えると10年ほど前タイに滞在したり足げく通っていた時のことが思い浮かびます。当時バンコクの自称おしゃれな女性たちがパンストを身に付け始めていました。日本のランジェリーメーカーの執拗な宣伝が実った結果だと思ったのです。いつかマレーシアのファッションを扱う時に考えてみましょう。)

中にはこういう女性がいます、絶対にトイレの施設に手を触れない。「私はドアーも足でけって開け、鍵はティッシューでくるんで閉めます。」と26才の女性。その彼女はできるだけ物に触らないようにします。フラッシュのバーは足で操作し、もし手でやらなければならない時は必ずティッシュを使います。

また手でどうしても触らなければならない時は左手を使いますと、上記の25才の女性。彼女は顔に触れる時は右手を使うからです。

座席型トイレの場合です。大抵の女性はできるだけしゃがみタイプのトイレを好みます(注:コラム第86回にその写真があります)。しかし座席タイプを使わねばならない場合は、必要は発明の母なのです。

ある30才半ばの女性、彼女はトイレ座席を濡れティッシュで拭きます。「誰が座ったかもしれないでしょ。おしりに病気のある人が座ったかもしれない。」 「私は通常、座席トイレの2インチ上に腰を浮かせています。もしそれが大の時は、座席の上にティッシュを並べます。でも5星ホテルでない限り、公衆トイレではそうしないようにしています。」と26才の女性。

25才の女性はさらに徹底しています。「私は腰掛けたことがありません。いつも中腰です。例え大の場合でもです。腰を浮かしてやるのには何年もの訓練がいるのですよ。それにこれはももの大いなる運動でもあるのです。フィットネスなんて必要なくなりますよ」
この女性は壁に手を付かずに腰を浮かした姿勢を保てるそうです。「壁はいつも汚い!」

別の30才の女性、そうしなければならない大の場合は、座席型トイレの上に乗ってしゃがむことを認めます。これがもう一つの害をおよぼすことになります。だって本来座るべき所に足を乗せてしゃがむわけですから、トイレ座席はへこみ靴で汚されるのです。

23才の女性、かの女は個人的にはしゃがむより腰を浮かせた方がいいとのこと、「その方が疲れなくていい」

女性陣のコンセンサスは、女性用公衆トイレは全部しゃがみタイプにすべきです、となります。

(注:女性用に限らず男性用も同じですね。座席タイプはいつも座席がひどく汚れてるか又は最初から腰掛けるふたが取り付けてありません。つまりそこに人が腰掛けることを想定してないわけです。それだったら最初から全部しゃがみタイプにした方がいいのです。女性用もおなじかと、納得しました。それにしても彼女たちはあの衣服を着て又は脱いで座席の上でしゃがむわけか?)

女性のトイレ使用時間が長いのにはまだ理由があります。気をもっと遣うタイプの女性は水を流した後、あとに何も残っていないことを確認するのです。「もしなにかトイレ便器内に残っていたら、例えティッシュでも、水が十分溜まるまで待ってもう一度水を流すようにしています。次に使う人が私の残したものを見るなんて耐えられません。」 と29才の女性。
「トイレ使用中もしおならをしてしまったらとてもはずかしいので、それを聞いてしまったかもしれないトイレ室内の女性が皆出てしまうまで待ち、それから扉の外に出ます。」とこの女性。

ある別の女性はこう言います、「女性用トイレには、使用者が中腰でいるつまり腰をうかせている間バランスを保てるように(床に)平行な棒を取り付けるべきです。」 また別の女性は、「それとも身体を持ち上げておくことのできるハーネスを取り付けるべきです。」

誰かが(こういう苦労を解決してくれる)すすんだトイレを作ってくれない限り。女性はより多くの時間を女性用公衆トイレ内で使うのです。
男性は立ったまま小便して便器の外にこぼしてもいい特典があるのですから。

(注:涙ぐましい女性陣の努力ですな。しかしどんなトイレを作ろうと、きれいに保とうという公共心が皆に育たない限り無駄だと思うのですけどね。まあ当分は男も女も狭い座席トイレの上でしゃがむ又は中腰で励むしかなさそうですな。旅行者の皆さん、家か会社で少し練習しておかれた方がいいかもしれませんね。)



マレーシア人の姓名の付け方と表記法


姓名の付け方は世界各民族によっていろいろ慣習、規則が違いますから、家制度に基づく日本の氏名制度をそのままあてはめられません。ですから田中家の子供がすべて田中姓を名乗るわけではありません。

マレーシアは多民族社会且つ複数宗教ですから、氏名の付け方もそれぞれ固有の民族スタイル又は取り入れたスタイルがあります。

マレー人はイスラム教式

まず最大民族のマレー人、即イスラム教徒ですから、イスラム教世界で多数派 (だと思うのですがちょっと自信ありません)の氏名法を取りれています。命名方法は、名+父親の名前(父称) というやり方です。

例:Hazlinda Mohamad Hashin という娘は名が Hazlinda で父親の名前が Mohamad Hashinです。又 Shariff Yusof という父親はその息子に Zabidi と名を付けると、息子は Zabidi Shariff という名前になります。また身分証明証のような公的書類上では、名+父親の名前の+の所に、アラビア語起源の単語である 息子なら bin 娘なら binti を加える必要があります。つまり Mahathir bin Ibrahim`なら Ibrahimの息子 Mahathirという意味を明確にしているのです。これは中には男にも女にも使える名前があるのもその理由だそうです。

2011年6月追記
父親の名前(父称) を付けるのはイスラム世界に限りません。ただ具体的な知識が浮かばなかったので、当時上記のように書きました。そこで多少の訂正追加をこめて、しっかりとした父称を使っている事例を引用の形でここに記しておきます。

モンゴル語学者 田中克彦氏の著書 「ノモンハン戦争  モンゴルと満洲国」 岩波新書 の一節です:

姓をもたないモンゴル人は、近代になってから、パスポートなどで、国際基準に従って公式に姓を示す必要が生じると、父親のを前につけて「・・・・・の子」誰々と名乗るようになった。たとえば朝青龍の名は、ドルゴルスレンギーン・ダグワドルジである。
父親がいない場合は母親の名がそこにくる。
中略
ロシア語では、人の名には姓のみならず、必ず「父称」というものが要求される。たとえば父がセルゲイであれば、セルゲーイエヴィッチという父称を用いる。ロシア領に入ったモンゴル族、たとえばブリヤート人は必ずこの父称を製造して用いなければならなかった。
以上


父親の名前を継ぐ、女性は改名しない

つまり子供はすべて父親の名を継ぎ母親の名前が子供の名前に現れることはありません。つまり厳密な意味で言えば姓、英語で言えばSurname、というものは存在しません、そういう概念がありません。もちろん有名なRazak家は代々Razakを繰り返して使うとか、ある一族の流れとして何々一族は存在しても、例えば日本でいう何々家の氏を守るということはないはずです。そもそも家名がありませんからね。

ですからある女性が何々家に嫁として嫁いで(注)改姓するなんてことはありません。マレー女性は結婚しても、その名前、つまり自分の名+父親の名をそのまま使いつづけるのです。但し例外はあるそうです。ですから Aminah Abdullah が結婚すれば Puan Aminah アミナさんと呼ばれます、PuanはMrs.の意味です。ただし西洋風に呼ばれたい人もいるそうで、そういう場合はPuan +夫の名 ということになります。つまり誰さんの夫人ということです。

注:嫁とか嫁ぐという言葉と思想は私は嫌いで使いたくありませんが、ここでは仕方なく使っています。余談ですが、ですから私は夫婦別姓を許容する運動を昔から支持しています。

以上のようにマレー人は氏名の頭又は頭の2つにその人の名を示しますから、丁寧に呼ぶ時にはその名に男ならEncik、女ならCikを付けて呼びます。例 Suhaimi Rahmanなら Encik Suhaimi です。Roslina Abu Bakar嬢なら Cik Roslinaですね。

追記:マレーシアのイスラム法では、結婚登録してないムスリムカップルの子供は父親の名前を継ぐことはできません。この場合母親の名前を継ぐか、またはAbdullahという名を + の後に付けます。

華人は伝統的中国人スタイル

マレーシア華人はいうまでもなく伝統的中国人の氏名法を使っています。
例:陳美齢 は陳王命の娘であり、劉青雲は劉添民の息子なのです。 女性の林淑平が謝満平と結婚しても姓は変えません、ただ謝太太つまり謝さんの夫人という呼び方はあります。子供は男女にかかわらず原則的に父親の姓を受け継ぎます。そんなことはまずないでしょうが、母親の姓を受け継げる場合はものすごく限られていそうです。例えばシングルマザーのように。

華人の若い世代は西欧風の名(英名)を持っている人が多く、例えばある女性Low Poh Lianは本名の前に英名Sharon を付けて通称Sharon Lowというようにです。お互いに英名で呼ぶのが若い世代には多いですね。

丁寧な呼び方は女性に対しては李小姐、男性に対しては何先生です。夫人なら許太太です。

インド系マレーシア人は一律でない

マレーシアのインド人は出身地インドが超広大で多民族国家であることから、いくつかの民族から構成されています。多数派は南インドのタミール人ですが、その他にもTelugu、Malayalis, 北インドのPunjabis、Gujeratiis, Sri Lankaの Singhaleseなどいろいろです。宗教もヒンヅー教徒が絶対的に多数ですが、mamak と呼ばれるインド系ムスリムも結構多いし、またキリスト教徒もいます。

南インドにはマレー人と同じように姓つまりSurnameがない人たちがいるそうです。また北インド人の一部は西洋式に姓名をもっているそうです。しかし筆者は不勉強でよく知りません。筆者の交友にインド人がいないこともあり、残念ながらどうしてもインド系マレーシア人の知識は不足しています。

比較的よく目にする命名法に、子供独自の名+父親の名スタイルがあります、がこれが全てではありません。つまり父誰誰の子というやり方ですね。その場合 + の所に息子ならs/o ( 英語の短縮形)又はa/l (マレーシア語のanak lelakiの短縮形) を使い、娘ならd/o(英語の短縮形又は a/p (マレーシア語のanak perempuanの短縮形)を使います。 +の所に@を使う場合もあります。尚マレーシアのインド人にs/o, d/oの使用を押しつけたのは、英国植民地政府であったとのことです。

2002年12月追記:インド人に多い、誰々の息子 a/l 、誰々の娘 a/p の表示はこのようなマレーシア語表示だけでなく、息子s/o、娘 d/o も身分登録上認められると、Jabatan Pendaftaran Negaraつまり 国家登録庁で確認しました。

いづれにしろインド人の名前には長いものが多く、発音に苦労します。Narayanan, Ledchumanan,Thangarajah, Puvaneswaran などなど。
パンジャビ地方出身であるシーク教徒のインド人の命名法は、マレーシアでも次のようです。名前の次に男性ならSingh、 女性ならKaurを加えて性別を明らかにし、さらに上記の父親の名前追加法をとります。 例:Jaswant Singh s/o Balvinder Singh, Surjit Kaur d/o Balvinder Singh
インド人の命名法に関しては自信がないのでこれくらいにしておき、いつかわかった時点で書き加えることにします。

Orang Asliの場合

半島部先住民族である Orang Asliは元来、名しかなかったようですが、現在では父親誰誰の子という命名法を取り入れているみたいです。子供独自の名+父親の名スタイル, 普通 +の所に子という意味の anak というマレーシア語を使う。しかし普通のマレーシア人はこういうことを知りませんし、情報がとても少なく、専門家に尋ねないとよくわかりません。

サバ州とサラワク州の先住民族の場合

ボルネオのサバ州の先住民族中の最大民族であるカダザンドゥスン族は主にキリスト教徒です。ムスリム方式の命名法ではないと思います。サラワク州の最大民族イバン族もキリスト教徒が多いのですが、こちらはどうなんでしょう。例えばKudang anak Seliu のように子供独自の名+(anak) 父親名式を使っているのを見かける一方 James Jemut Masingのようにクリスチャン名を使っている人もいます、どちらが主流なのかどうか知りません。

ただ「サバ州もサラワク州もある人の名前が必ずその人の宗教と民族を示すわけではない。中国名はその人の先祖に中国人がいたことを示すかもしれない。表面上の面容、言語、習慣においてその人がカダザン人であるのかMurut人であるのかの決め手になるでしょう。」という指摘がありますので、名前だけで判断はできないようです。

とにかく数十の民族からなるサバサラワク州の民族の命名法に付いては、誰か詳しい方に教えていただきたいと願っています。

そこで当サイトの「マレーシア発の気になるサイト」でも紹介している サバ州在住の Stepanさんに、サバ州の主要民族 Kadazandusun族の命名法についてメールで少し尋ねた所、次のような答えをいただきました。以下質問はIntraasiaで答えはStepanさんです。

質問: Kadazandusun族は多数がクリスチャンとだと理解してますが、彼らの命名法はどのような形なのでしょう

答え:カダザン(ドゥスン)人には、名字がある人とない人の2種類があります。
たとえばパイリン前首相はJoseph Pairin Kitinganですが、Josephが洗礼名、Pairinが自分の名前、Kitinganが姓です。そのため、パイリンの一族はみんな名前にKitinganがつきます。パイリンの子どもも、*** Pairinとはならずに*** Kitinganとなります。

パイリンの弟でやはり政治家のジェフリーはJeffrey Kitinganですが、こちらは(特に研究者の間では)Dr.Kitinganと呼ばれています。特にパイリンと兄弟で並べてDatuk Pairin and Dr.Kitinganなんて書いてあるのを見ると、パイリンだってKitinganなんだけどなあとちょっと違和感があります。

ただし名字を持っている人はそれほど多くないようで、一般の人たちはマレー人と同じように、自分の名前+父親の名前、というスタイルです。
政治家あたりになると堂々と姓を名乗っているようですが、難しいのが中級の官僚あたりになっている人で、事務所では自分の名前+父親の名前としておきながら、田舎に帰ると自分の名前+名字で名乗っている人もいたりします。

質問: また例えばJeffreyのように 、部分的に西欧名(クリスチャン名)を使っている人は相当多いのでしょうか

答え:これはかなりいます。私のオフィスを見回してみても、Daisy、Florence、Peter、Johnny、Anthonyなどなどたくさんいます。ただしキリスト教徒に限られます。なお、彼らはそれを西洋名だとは認識せずにクリスチャン名と認識しています。さらには、中にはクリスチャン名をカダザン(ドゥスン)語風にアレンジしている人もいます。たとえばBilson(Willson)、Kirisi(Chris)などなど。

質問: 州首相は確かDompokといいましたよね。これはカダザン名なんでしょうか

答え:彼の名前はBernard Giluk Dompokで、クリスチャン名がBernard、自分の名前がGiluk、名字がDompokです。ただし彼はGilukで呼ばれることはまずなく(サバ人でもGilukという名前を知っている人は少ないかもしれません)、一般的にDompok、たまにBernardと呼ばれます。まあ、Dompokと呼べばどこの誰かは一目瞭然ですが、Bernardだとどこの誰だかわからなくなりそうですから、そういう意味でわかりやすい方を選んだのかと思います。

質問: つまりKadazandusun語名にクリスチャン名をつけるなんてやり方も一般的なんでしょうか。

答え:答えとしてはイエスです。兄にはクリスチャン名をつけて弟にはカダザン(ドゥスン)語名をつける、というケースもありますし、さまざまです。

なるほどクリスチャンスタイル風ですが、Kadazandusun族風も保持しているわけですね、Stepanさんどうもありがとうございます。

2002年12月末追記 名前の中にある @ に関して

全国民の身分登録、出生届け、結婚届、死亡届けなどを司る役所Jabatan Pendaftaran Negaraつまり 国家登録庁のオフィスを訪ね、質問して確認しました。
まず@に関してはっきりしたことは、”または”という意味合いです。ある人が2つ以上の名前を持っていてそれを登録した時、国家登録庁のコンピュータに@ 入りで登録されています。例 Liew Pian Hom @ Liew Toh Eng という場合、この人物が@ をはさんで2つの名を登録しているということです。どちらも姓はLiewですね。非ムスリムだけでなくムスリムにも少ないがこういう複数名登録があるとのことです。しかしこういう複数名登録は、マレーシアが独立した頃と間もない頃になされたことであり、現在では全く認められていないのです。つまり恐らく現在40代未満の人にはぐっと少なくなり、もっと若い世代には皆無だとのことです。

@に関して、全部が”または”であるとまでは、クアラルンプールのオフィスの答だけでは100%断定できません。なぜなら一般的に半島部の人がサバ州サラワク州の命名法に通じている事は考えづらいからです。ただもう何年も前から複数名登録はどこであれ受けつけてないとのことです。

登録名を替えられるかについては、登録番号は絶対に変わりませんが名前部分は理論的には可能です。ただしイスラム教に入信する場合を除いて、相当なる理由が必要であり、おいそれとは認められないとのことです。イスラム教に入信すれば、身分証明証の記載名が変更されます、しかし登録庁のコンピュータには古い名前も残っています。尚キリスト教に入信して、英名例えばJosefなどを登録名に追加したいなどという場合も認められることがあるとのことです。もちろん100%ムスリムのマレー人にこういうケースは起こり得ません。

登録庁のコンピューターには百文字をはるかに超える名前でも登録できますが、身分証明証上では70文字分に限定されます(例外なし)。従がってものすごく長い名前の人はどれかを削ることになります。複数名を登録してある人も、1つだけを表記する場合もでてきます。ですから、前に書いたように、国家登録局のコンピューターに登録されている名前が全ての基本になります。
以上追記分

姓名記述法と概念は各民族で違う

こうしてみてくると姓名の概念が日本人とは大分違うことがおわかりになることと思います。もちろん西欧の概念とも違います。姓名を正式書類などに書く時、First Name, Middle Name, Last Name の順番に書くことを指示されている場合が多いですね。これはあくまでも西欧の氏名概念を適用したものであって、アジア人の多くには向かない方式ですね。

又 Given Name, Family Name或いは Surname という指示方法もありますが、Familyの概念がそれぞれ民族では違いますから、両親の姓が一致するという意味でのFamily Nameはない民族もでてくることになります。Familyという概念はどんな民族にもありますが、その範囲と結びつきへの捉え型がものすごく違うので、単に名前だけにFamilyを示さない民族もあるのです。Surnameとは、子供が両親と共有する名字又は既婚女性が夫と同じにした名字という意味です(英英辞典の定義より)。イスラム教徒や中国人には当てはまらない概念ですね。

さらに姓がない、無くても困らない社会もあることを我々は知らなければなりません。有名な所でいえばインドネシア前大統領のSuharto 彼は姓がありません。

姓名の表記順を変えないのは中国人だけではない

こういうことを考えると、氏名を英アルファベットつづりにした時それぞれの氏名をどう現すかに各民族によって違いが出ます。華人は姓と名の順序を変えません。王 振樹は Ong Chin Sooであって、Chin Soo Ongとはしません。マレー人はもともとアルファベットを使っているので名前の順序を変えることはしません。そのままです。

アジアのほかの民族を少し見てみると、英アルファベット表記時、ベトナム人も Guen Van Linh はGuen Van Linhのままです。韓国人の金大中でもKim De Jun と順序は同じですよね。ヨーロッパでも全民族が名 姓の順でなく、筆者が知っているのはハンガリー人で姓 名の順序で表記します。

なぜ日本人はいまだに姓名をひっくり返して表記するのか

で、なぜ日本人は外国へ出かけると、いまだに先にName 後にFamily Nameのように順序を入れ替えるのでしょうか。こんな愚かな慣習は断固廃絶すべきなのに、誠に多くの方がわざわざ名前 姓の順にしています。

10年ほど前にこういう愚かな慣習を変えようという運動が実って、日本のパスポートの氏名表記順序が姓 名の順になったにもかかわらず、一向にこの悪習慣を改めようとしません。だからマレーシアでも英字紙のみならずマレーシア語紙も、日本人名をわざわざ名 姓にひっくりかえして表記しています。Keizo Obuchi というように。中国語紙はもちろん 姓 名の順序で正しく表記します。

出入国届のようにな正式書類に姓名の順序が、例えばFirst Name, Middle Name, Last Name のように指示されていればその時だけそれに従って書けばいいのであり、手紙や名刺や雑誌などに英アルファベットで表記する時は、日本人の姓名順序とおりに表記すればいいのです。東アジアの民族として是非中国人や韓国人のスタイルに習うべきだと思います。

所詮知らない民族の名前はよくわからない

それでは相手にどちらが名で姓がどちらがわからないのではないか、という意見がありますが、それはナンセンスな意見、上記で説明しましたように各民族で姓名の概念が違い、姓の概念を父親の名前でそれに代行させる民族もいるし、家の概念で現す民族もいます。第一よく知らないとか知識の無い他民族の人に会った時、どこまでが名前でどれが姓かは普通は互いにわかりません。こんなことしょっちゅう起こりますよね。だからその時、どれがお名前ですかと尋ねるか、これが姓ですと説明すればすむことです。

筆者はこう薦める

日本人名を英アルファベット表記させる場合、この不安をとく方法があります。筆者はこう薦めます。姓を大文字で先に書き、後に名を小文字で書く、または姓の下に下線を引く、この方法は出入国書類にも使われていますね、方法です。

例: MATSUDA seiko又は SUZUKI Ichiro こうすれば姓を強調していることが伝わりやすいのです。もっともいくらこうして書いても、日本人のアルファベット表記は Name + Family Nameの順であると思い込んでる人には役立たずですが。こういう思い込みを減らしていくには、海外で働く、訪れる日本人が姓名表記順を常にパスポートと同じにすることです。

姓 名の順序にしてもパスポート表記通りですから、当然ながらなんの問題ありません。筆者の自動車免許証も銀行口座名ももちろん 姓 名の順です。残念ながらずっと以前に発行したクレジットカードは名 姓の順になっています、これはクレジット会社の係りが日本人の表記法はこうだとかってに順序を入れ替えた結果です。

正式書類でない限り、筆者はもっと確実にわからせる方法を使うのが多いですね。姓+名のイニシャルのみ表記法、つまり MYOJI、Nというスタイルです。こうしておけば誰が見てもイニシャルを姓と思いませんし、イニシャルだけを呼ぶ人もいませんからね。また姓でなく名前の方を呼んで欲しい方は、姓名をはっきりさせてから、そう呼んでもらえばいいのです。

賛同していただける方、この次名刺を作成さなる時、ホテルの宿泊台帳に記入する時など是非日本人本来の表記順に戻してみませんか、明治以来のこの悪習を廃棄しましょう。

マレーシアで改名運動は起きない

ちょっと話がずれましたが、マレーシアの姓名法は各民族によって違いがあることは理解していただけたと思います。マレーシアは相当保守的社会ですから、命名法を変えようなんていう思想と運動は全く起きていません。例えば西欧社会の一部では認められている、女性が結婚してその姓に夫の姓を加えて2重にする Brown-Lewinskyのようなことは起きえません。または子供に命名する時父親の名を加えるのでなく、母親の名を加える、そんなことはどの民族も認めないでしょう。ごく一部の母系社会を除いて。

それでは次回からマレーシア人と話す機会がありましたら、相手の名前にもちょっと気を付けてご覧になって下さい。

2002年4月追記 命名の規定、できない命名など

サバ州のカダザンドゥスン文化協会の幹部は、現在ではカダザンドゥスン人は子供の名前にbin, bintiをつけない親が多い、と。さらにカダザンドゥスン人家庭の中には、父親名でなく姓を取り入れている家庭もある、と説明しています。サバ州Murut人文化協会の幹部は、サバ州先住民族の場合非ムスリムであってもbin, binti を付けている場合もある、としています。
このようにサバ州とサラワク州の先住民族の姓名法は半島部と違う場合も出てきます

国家登録庁NRDは、国民からその出生届を受け付けるときに、いくつかの規定を設けています。名前の登録に関してもいくつかの条件があり、受けつけられない名前などがあります。つまり禁止された名前、好ましくない名前が一覧表としてあるそうです。禁止された名前は7つに分類できるとのことです。例えば、TunとかDatuk, Patinggiといったスルタンから授けけらえる称号、HajiとかImam、Queen といった公的な称号、Syarifah, Tunku, Rajaなど先代から受け継ぐ称号を関係ない者がつける場合など。Syedは男子に限られ、Syarifah は女子に限られ、いずれも父親からしか受け継げません。さらに7つの分類中には、Dr.とかAkauntantなどの職業名、戦士に関した名前:例 Pandikar, Bomoh, Mahaguruなどがある。みだらな名前ももちろん受けつけられません。

好ましくない名前は、動物名、昆虫名、果物名など。さらにあげると、イスラム教的でないアラビア語名、数字、数字の組み合わせ:例Zerozero Seven。イニシャルだけを使うこと、短縮名:例 Abdullah をDollahとする、Muhammadを Mohdとする。さらに好ましくない名前には、、マレーシア仏教社会から提出された63個の華語、広東語などの名前と、マレーシアヒンヅー教Sangamから提出された117個のインド人名が加わります。通称名も登録できません。

子供は父親の要求があれば、姓を用いることができるとも、国家登録庁のお知らせにあるそうです。時々話題になることに、国家登録庁の支庁または係官によって、多少のばらつきがあり、これがマレー人の名前登録時に、Bin、 Bintiを付けなくても認められる事例を生み出しているそうです。
正式に結婚してない両親から生まれた子供の名を届ける場合、父親不祥の時は母親の姓を受け継ぐことができると、国家登録庁は定めているそうです。つまり通常は選択ではないのです。
以上追記分



マレーシア人との結婚は即居住権獲得とはならない


どこの国でもその国の永住権を取るのはかなり難しいものです。国籍つまり市民権となればなお更ですね。日本はこの点では難しい国に入るのではないでしょうか。

さてマレーシア人と結婚している人又はこれから結婚しようとする人さらには将来結婚を考えている人は案外いらっしゃいますね。筆者はこれまでに、こういう方から何人もメールをいただきましたし、そういう方の発言を読んだこともあります。

そこで上記の方々のお役に立つことも願って、この市民権と永住権のことを少し考えてみましょう。筆者のこれまでの知識と経験と新聞の記事とインターネットの情報を基にして書きますが、調査がちょっと不十分かもしれません、もし間違いとか勘違いがあれば遠慮なく指摘して下さい。

間違っている多くの人の思い込み

さてまず気が付いたことは、マレーシア人と結婚すると自動的に市民権又は永住権がえられると思い込んでいる又は漠然と思っている人が多いということです。こういう思い込みは日本人だけでなくマレーシア人にも結構多いのです。そこまではいかなくても、日本人はマレーシア人と結婚すれば無条件にマレーシアに滞在できるものだと思っている方、マレーシア人にも日本人にも多いのです。

実際筆者もかってマレーシア人からよくこう言われたものです(今はもう関係ない)。「結婚してるから永住権取れるでしょう。」と。これを含めて上記の思い込みはすべて間違いです。

初めに結論を書いておけば、マレーシア人と結婚しているということだけで、自動的に市民権が得られる、市民権獲得の条件が整った、永住権がえられる、永住権はないが無条件に滞在できる、滞在できて無条件に働ける、ということはいずれもありません。

注:ここでいう結婚とは、マレーシアの結婚登録局に届けて結婚証明書を得たという意味です。日本でマレーシア人と結婚して市役所に届けても、マレーシア人配偶者がマレーシア大使館に届けなければ、そのマレーシア人はマレーシア国の法律上結婚しているとはみなされません。その逆でも同じ、つまり日本人がマレーシア人とマレーシアで結婚しても日本大使館に届けなければ、日本の法律上では法的結婚になりませんよね。

尚マレー人と結婚するためには、配偶者予定者はあらかじめイスラム教に入信しなければなりません。日本大使館届け時にもこの証明書を要求されます。これはマレー人は即ムスリムですから、ムスリムにはイスラム法が適用されるからです。ムスリムであるインド系マレーシア人と結婚する場合も同様のはずです。

市民権供与への政府の方針

政府の高官が言っています。「政府はマレーシア人と結婚した外国人移住者に市民権を与えるつもりはない、ただし憲法に定める条件を満たせばべつだ。」と。

これはマレーシアだけでなく多くの国でも似たり寄ったりの面がありますね。西欧でも市民権獲得には複雑な要件と手続きが必要ですし、日本国も日本人と結婚しただけでは外国人に市民権を与えていません。しかし確か10数年前に市民運運動が実って、日本人と結婚している外国人は無条件に日本に滞在できるようになりましたし(必要書類を提出後、1年ビザを取得し更新できる、と記憶してます)、そうすれば特別許可を受けなくても合法的に働けます。つまりこの面では日本はマレーシアよりもずっと開かれています。

法律面から見る

マレーシアでは配偶者の滞在ビザ、永住権獲得、市民権獲得に関して、2種類の法律が外国人配偶者に適用されます。

憲法の市民権に関して第3部、第15条

第18条を前提にして、マレーシア男性と結婚した外国人女性は、連邦政府に申請すれば、以下の条件の基で市民として登録できる。(つまり市民権を得られる)

A)その女性が市民権申請する日に先立って、マレーシアにつづけて2年住んでおり且つ永久的に住むつもりである、さらに
B) その女性はよい人柄であること

夫が外国人の場合は明記が無い

このようマレーシア人男性と結婚している外国女性の市民権取得に対しては一応このように明記した条文がありますが、驚くなかれマレーシア女性と結婚している外国人男性の立場について憲法は言及しておりません。
これを知った時私はなんでと憤慨せざるを得ませんでしたし、多くの外国人男性も同じ気持ちでしょう。

そういう男性は法律に規定がありませんので、普通の外国人と同じく社会ビザで認められた期間はマレーシアに滞在し出入国を繰り返すか、又は独自に労働ビザ(ワークパーミット)を入手しなればなりません。つまりどこかのマレーシア企業、合弁であれ日系であれマレーシアで設立登録した会社、又は政府などの公的機関に雇われるか、あるいは投資という形で自分で出資し又は合弁で事業をはじめなければなりません。

「その外国人男性に対して、法律上にどうすれば長期ビザを与えるかのきめが無いばかりでなく、永住権には全く触れていません。移民庁(日本でいう出入国管理庁にあたる)の対応は、その男性の立場とか資格経歴により判断するという、極めて恣意的なものです、」という新聞の指摘に筆者も同意します。

妻が外国人の場合

ところがマレーシア人男性と結婚した外国人女性は、永住権を取得しやすいのです。長期の社会ビザ、1年、を認められやすくその上、5年間マレーシアに住めば永住権申請の権利が得られます。ただし自動的に永住権を取得できるということではありません、要件が整えば夫が外国人妻に替わって申請するのです。

以下は Imigresen移民庁のインターネットサイトに載っているものを訳しました。

マレーシアに永久的に居住しようとする者はまず入国許可証を得る必要があります。ある範疇に当てはまる者だけがこの入国許可証を得る資格があります。それを発行することは権利でなく単に適格性があるということなのです。この範疇とは1963年移民法に定められおり以下に示します:

以上Intraasia訳。

これはあきらかに男女差別の現われですね、つまりマレーシア人男性と結婚する外国女性に対しては比較的寛大で、その裏の意識は女性は男性に養われるものだという考えです。一方マレーシア女性と結婚する外国男性には居住権の保証が無いということです。一見女性が恵まれているように見えますが実態は少し違います。マレーシア男性と離婚した場合、その女性は、もし永住権を獲得してなければ、マレーシア滞在権を自動的に失うのです。つまりこの時点でマレーシア法の保護から外れるわけです。

ここで時々問題なるのは、離婚した外国人がまだ永住権を取得してないと、子供はマレーシア国籍なので、母親と子供が離れ離れになりかねないことです。

外国人配偶者への雇用許可

なお数年前に、マレーシア人と結婚した外国人配偶者、こちらは男女問わずです、に雇用面での救いの手が作られました。
これも移民庁のインターネットサイトから訳しておきます。

マレーシア人と結婚している外国人配偶者に与えられる雇用許可証
発行条件

以上Intraasia訳。

女性団体が法改正の要求

現在のマレーシア移民法(出入国管理法)は、配偶者を自由に選ぶという基本的権利を抑制しています。外国人男性と結婚したマレーシア女性という言葉が含意することは、二人は夫の居住地に住まなければならないということです。この婚姻のおかげで、その女性つまり妻は母国マレーシアとの関係をあきらめなければならないのです。(98年12月9日付けThe Starの指摘から、つまり筆者の解釈では、夫はマレーシアでの居住権がないから、夫はいずれ夫の国へ戻り妻はそれに従わざるを得ないということでしょう)

これを改めるよう女性団体は永年政府に要請してきたのです。例えば、「マレーシア市民の”配偶者と18才未満の子供” がもしそのマレーシア人といっしょにマレーシア入国する場合は、許可又はパスを得る必要がない」というようにです。現在の条文は”マレーシア市民の妻は”となっているようですから、夫がマレーシア人で妻が外国人なら許可は要らないということですね。これが意味するのは上記で見たように、妻がマレーシア人で夫が外国人なら許可又はパスが必要ということ。

全国女性評議会は、移民法条文中の「妻」という単語をすべて「配偶者」に置き換えるべきだ、と提案しています。こうすれば夫が外国人でも妻が外国人でも扱いは同じになるわけですから。

日本の場合は80年代に出入国管理法が改められて、日本人の配偶者は、つまり妻でも夫でも、ほぼ自動的に日本に滞在できますよね、マレーシアはまだこういう平等思想を適用しておりません。

マレーシアにまだ根づかない考え方

こういう思想は残念ながらまことマレーシアに根づかないようで、日常の会話でであったことがありません。こういうことに関しては、イスラム教もヒンヅー教も儒教も宗教の施行面では、西欧平等思想の後塵を拝していると思わざるをえません。もっともイスラム原理主義にいわせれば、そういう平等思想そのものが西欧的であり受け入れられない、ということになるのでしょうけど。

こういう批判に対して、いやその教義では男女の真の平等を認めている、ちゃんとそう書かれている、という反論がありますが、しかしある宗教がその教義通り100%適用される社会は存在しませんから、その宗教が現実社会に適用されているつまり実際に行われている状況を見るべきです(学問としての宗教論争は別です)。そうでないと異教徒のその宗教に対する教義批判になり、それは絶対に宗教者の認める所でなく且つ終わりなき争いを生む源になるからです。

ですから筆者はこの場で教義批判はしませんしそのつもりもありません、それに宗教教義に精通しているわけでもありませんから。単に現実社会に現れた現象を考え論じ時には批判しているのです。



時代の変化と旅人としての変化


当ホームページを96年10月初旬に開設して以来、このコラムは毎週休みなく書いてきました。そこで今回は大きく趣向を変えて、マレーシア観察者としてでなく、旅人でもある Intraasiaの世界と心をエッセイー風に記して、今年1年の締めくくりコラムとします。

鉄道旅の時間の流れ

がたがたと揺れる列車の窓ガラスを通して、飛んでいく景色を眺めているのは飽きないものである。いつ頃からだろうかこういう時間に喜びを見出したのは。無造作に流れる時に身をまかしながら硬い座席に腰をさすっていても、何時間も何時間も座りつづけているといつしかうとうととし始める時もある。景色の単調さにいつしか睡魔を感じ、ちょっとばかり暑いぐらいの車内の気温がその睡魔を増幅してくれる。しばしの夢の世界からふっとわれに返っててみる、窓ガラスの外の景色はあいかわらず同じようだ。今どこを走っているのだろう。まあどこを走っていようとたいした問題ではない、私は旅にでているのだ。

私にとっての旅とは

旅の好きな私はこれまでどれぐらい旅してきたのだろう。ある時までは几帳面につけていた旅日記類も、日本の住居を引き払ってしまった時資料とともに全部捨ててしまい、今はもう記憶の中にしかない。なんでそんなにしょっちゅう外国ばかり行ってるの、と聞かれたのも今は遠い昔、五万円もあれば東南アジアでも米国西海岸でも週末にちょっと旅行できるこの時代、もうそんな驚きと軽蔑で見る人もいなくなったことでしょう。

年間1千万人以上が国外へ出る時代、旅雑誌が各種山と積まれガイドブックはもうこれ以上細分化できないくらいに豊富に且つ多様になった時代、格安航空券が大手エージェントでさえ市民権を得た時代、そしてインターネットでたちまち情報が収拾できる時代、そんな90年代後半は旅行者の質も層ももうかっての時代とはまったくかわってしまったな、とつくづく感じます。

今から2昔も前である70年代中頃から国外に出始めた私は、旅で時たま出会う日本人の姿を眺めながらその変化を感じてきたものです。他人の旅姿を見ながらもいつしか自分自身の変化も感じてきました、もちろんそれは年齢からくるものからもあるでしょうし、自分の置かれた立場の変化を反映したものでもあり、金銭的余裕度のせいも多分にあります。

80年代初期まで旅すれば必ず覚えていた新鮮な感動と喜びそして怒りはもう二度と味わえなくなりました、これが一番残念なことかもしれません。どこへ行っても驚き喜び時には怒りは今でももちろん味わいますが、しかしそれはかって駆け出しの旅人として全青春をかけて旅していた頃の程度とはもう比べものになりません。

美しい物をみればそれを愛で、巨大な建築や自然の不思議に感動し、不親切とか意地悪な人たちや社会の仕組みに腹を立てる、きれいな女性を見ればつい近く寄りたくなる、そんな旅の日常は今でもそれほど変わりません、しかしそれでも明らかに自分のなかに変化を感じづにはいられません。私の旅はスタイル面では10数年前とそれほど変わってはいませんが、私が旅する意識の中での変化は、20数年間の旅スタイルの中での変化よりも多分大きいのではないかなと思います。

なぜなら、今でも最小限の荷物でふらりと旅に出ることの好きな私のスタイルは、持ち物品目に多少の変化があるとはいえ、質的に変わったわけではありません、昔も今も自分で組み立て自分で歩き自分で金を都合する放浪的自由旅行者ですから、スタイル自体に変化はほとんどありません。変化したのはその中での私の意識、旅に全青春をかけ、ある時は悲壮な覚悟で歩いていたそんな意識はもう二度と持てませんし戻らないですね。

まともなガイドブックのなかった時代、情報が欲しくても手にはいらなかった時代、航空券が物価と自分の所得に比してなんと高かった時代、1米ドルが300円前後だった時代、そんな時代にようやくつかんだ機会を逃してはなるものかの気概でがむしゃらに旅していた自分の姿を今でもなつかしく思い浮かべることができます。

私は今でも貧しい旅人です、高級ホテル、リゾートなどほとんど泊ったことがないし、食事はいつも大衆食堂かアジアなら屋台ですまし、バスなどの公共交通機関だけに頼り、いつもてくてくと歩きまわっています。しかしそれでも20年前の貧乏旅行に比べればずっとましでしょう、もうそれだけのエネルギーはなくなってしまたのはみとめざるを得ません。人間あることに慣れてしまえばその感動は落ちるし、集中度は落ちますね、やはりそれと同じことでしょうし、年のせいもおおきいでしょうね。若くなくなれば自身が例えいくらそこへ入っていこうとしても相手がそれを受け付けない場合も多いし、入る前から計算してしまい、つまり状況を読んでしまい冒険をしなくなります。おかげで失敗は減りましたが、反対にハプニングも減りましたね。

旅人として自己変化を感じたのは30代半ばぐらいかな、それでは遅すぎるって?、そうかもしれませんが、それほど旅に自分をかけていたのです。旅なんて学生時代の暇を利用してやるものでサラリーマンになっても生活を賭けてやるのは馬鹿さ、そんな批判と軽蔑を幾度も聞きながら、相変わらず歩き回っていた20代後半、ちょっと考えるようになった30代前半、そして壁に突き当たった30代半ば、自分の旅史を振り替えればこんなところかな、

30代後半からはつらい貧乏旅はしても、がむしゃらで一筋な旅はしなくなくなった。人間が進歩したのか、退歩したのか。

これまでに訪れた世界の地点、都市、町、村、海岸、などは数千個所に達するだろうし、1泊以上したホテル、旅館、安宿、ホステル、友人宅など宿泊所の数(宿泊数ではない)もざっと見積もって1千軒近いはずです。宿泊代も当時の1米ドルから上は数十米ドルぐらいまで、さまざまな安宿を主として泊ってきた私ですが、宿の好みも変わりましたね。安かろう悪かろうはもう選択の第一から落ち、できるだけ安く多少は快適に変わりました。

例え初めての場所へ訪れてもこれまでの経験を参考にしてある程度状況が想像できるから、まったく新鮮な出会いに浸ることができなくなり、それが自然と自分の行動パターンを幅狭くしていることが残念ですね。あそこがああだったからここもきっとこうだろうと頭の中で想像、期待してしまう、これは旅人としてのあり方に変質をもたらしています。

現代に見合った旅情報を提供する必要

しかし昔を振り返っていたり懐かしがっていては旅人として失格ですから、新しい目標を持ち同時に時代に合った旅意識を理解しなければなりませんね。現代の情報化社会では本当に珍しいことは限りなく少なくなり、旅行者は本で雑誌でインターネットですでに疑似体験したり与えられた情報を得ていますから、その疑似体験と与えられた情報をどのように追体験していくかが、90年代後半の旅行者の求めていることだと思います。

ですから旅行情報の発信者はこの90年代後半の旅スタイルを取り入れる必要があります。旅行情報の送り手としての私は、旅人としての私を少し離れて、ホームページ、時には旅雑誌上でも、を通じて現代の旅行者に求められるような旅の情報を送っているわけです。


90年代に入ってからの私はベテラン旅人として、取り入れる情報をできるだけ減らす方向に自分を持っていくことにより、方向性を見出そうとしています。情報に振り回されない分自由度が高くなり、少しでも感動と喜びと怒りを増やしたいのです。旅は非日常性との出会いでもありますが、そこに住む人人にとっては日常なのです、この接点をどこに置くかが旅に何を見出すか発見するかが違ってきます。追体験に喜びを見出すことのできない私にこの接点の見付方は非常に重要なのです。

遠い世界へ

私の学生時代好きだったフォークソングに「遠い世界へ」というのがありました。40代以上の方でないとフォークソング自体をご存じないでしょうけど、その歌の歌詞(メッセージソングなのでその裏に意味が込められていた)のごとくいつかは遠い世界へ旅に出たいな、と漠然と思っていた10代の頃から、年月は流れ今はマレーシアに暮らす身となりました、というよりそう自分で選んだのですが。でもあの頃の遠い世界へは、90年代後半の現代 もう”遠い世界”ではなくなりましたね。物理的距離自体は変わらないけど、ほんとに遠い世界はもう地球上からほとんどなくなってしまったのではないでしょうか。

ですから私はノスタルジックな気分に満ちた旅日記をつけることはもうありません。ただし旅記録はつけます。

ある旅のある日ある一場面

食べ始めたソムタム(タイの一種のサラダ)の辛さについ苦情を伝えた私の言葉を無視して、屋台のおかみは、「マイペット 辛くないよ」と無造作に言い放った。辛くないはずはない、私の舌はしびれ胃の中は逆流しているのである。さらに私は文句言う、「あらかじめ辛くしないようにいったのに、これじゃ食べられない。」北タイのソムタムの辛さは充分知っているから注文時に伝えておいたのだ。 「だから辛くなくしたのよ」とおかみ。

所詮文句いっても無駄とは分かているが、食べれないものに金を払うのはしゃくだ、でも払わざるを得ない。仕方ないから、ソムタムのからしのついてなさそうな部分だけをよってライスといっしょに無理矢理口にほうり込み、とりあえず空腹を満たし、テーブルの上のグラスの水を喉に流し込む。辛さに麻痺してる口内に水を入れるのは火に油を注ぐようでよくないが、背に腹は返られない。

「タオライ いくら」とぶっきらぼうに尋ねてやる、ちょっと怒りを込めて。おかみは私の顔を見もせずに 「40バーツ」。 「あーあ、ソムタムの5分の1も食べずに40バーツも払うのか。」心の中でつぶやきながら、財布から20バーツ紙幣を2枚抜き取りおかみに手渡す。「コップンカーありがとさん」 何がコップンカーなものか、こんな辛いソムタムにしやがって、北タイ人の辛さ好きはまったくどうかしてるぜ。

(北タイのとある町での出来事から)




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