いなかという時その対極はもちろん都会ということです。都会は高層ビルが建ち、ショッピング街とショッピングセンターが並び、車と人の洪水というイメージでしょうし、田舎はその反対、ビルもショッピングセンターもなく、時折通る車ということになるでしょう。加えて不便、娯楽がない、遅れているなどのマイナスのイメージもよくついて回りますね。プラスという面では空気がきれい、静か、のんびりしているというところでしょう。
ただ単に田舎と言っても呼ぶ人によって基準がものすごく違いますから、例えば日本人から見れば、マレーシアは日本よりいなかということだってできます。又クアラルンプールから見れば例えば東海岸の都市クアンタンだっていなかになります。
ここでいう田舎は農業、林業、漁業の第一次産業ぐらいしか産業がなく、人口も1万人ぐらいも満たない地方の村町という程度の基準で使っておきます。尚マレーシアの”田舎”の公式定義は、住民が1万人に満たない自治体で、その住民の4割以下が非農業部門に従事する、且現代的トイレ施設を持つ家庭が3割以下である、というのだそうです。
見たわけではありませんが、50年代60年代まではマレーシアは経済未発展農業国、昔学校で習った当時の記憶でいえばゴムと錫の単産品経済”後進国家”だったことでしょう。独立した57年当時の国内総生産の4割は一次産業からで、就業人口の6割は一次産業でした。
以後その一次産業偏重が少しずつ減り、70年には国内総生産の3割でした。さらに80年代以降急激に工業化を進めているマレーシアですから、現在では一次産業の国内総生産に占める割合は13%までに落ちたのです。一次産業の生産が減れば減るほどいい、またそれが先進国への道だ、ということになりませんから(先進国イコール一次産業要らないなんてことにならないのはお分かりですね)、この数字が望ましい値かどうか、筆者にはわかりません。専門家、専門書におまかせします。
これを嘆く声もあります。UKM大学の地方経済学者は、「最近は、農業と田舎部門に関することは(マレーシア人から)ほとんど興味を持たれないのです。なぜなら政府は工業化に焦点を合わせているから。」
国の経済成長が8%を超えていた96年、農業部門の成長は2.4%で、その大部分はパームオイル生産増加が寄与し、農業の実質伸びはなかったそうです。
「私的産業界は農業部門に投資しようとしない。プランテーション農園はゴルフ場、住宅団地、工業団地に変わってきた。加えて政府は農業にあまり興味を払わず、少ない資源しかそこにつぎ込まない。」
ごく最近大変皮肉なことがおきました。この通貨危機経済停滞問題が発生する前までは、”日の入り産業”とみなされていたパームオイル産業が、その輸出価格高騰と輸出額増加で改めて見直されたのです。もともとマレーシアは世界一のパームオイル生産国兼輸出国で、その輸出額はマレーシアの輸出総額に占める割合では常時3番目までに入っているのです。
政府は工業化を進める過程で、住民の田舎から都会への移住政策を70年代積極的に進めたようです。その背景には、マレー人の比較的少なかった都会にマレー人を増やして民族別均衡を目指したことがあります。ブミプトラ政策の一つでしょうね。
いずれにしろこうして70年代以降田舎の人口が減り、特に青年層、その結果、90年の調査によると、農家の家長の37%は55歳以上でした。さらにこの傾向は進んでいるそうで、2000年には農家の家長の6割は45歳以上になると予想されています。
するとこれは、日本のいわゆる3ちゃん農業にだんだんと近づいていくことなのでしょうか、残念ながら筆者にはよくわかりません、なぜならこれは単に数字を見るだけでなく、田舎をいつも回ってみていることが必要ですから。
マレーシアの一次産業の国内総生産に占める割合がそんなに高くはないだろうことは、地方へ行くといたるところに大小の工場が建ち並んでいることから、ある程度推量できました。田舎の住民でも近くにある工場などで働いている人が案外いるということです。しかし上記の数字わずか13%ほどというのは、筆者だけでなくきっと多くの人が意外に思われる低さではないでしょうか、
マレーシアの地方を回ると、とにかく目に付く、多いのはパームオイル、ゴムプランテーション農園です。この農園が広大な面積を占めています、車で行けども行けども農園が終わらないのです。例えばマレー鉄道で半島縦断しても、南北ハイウエーを走っても、やっぱり町並みが消えると農園が現われそして又町並みが現れる、という風景が多いですね。緑の田園がどこまでも続くとか、野菜を植えただんだん畑がここそこにあるというのは、筆者の記憶では少ないのです。
現実に米は全部自給できなくて隣国から輸入してます、野菜もしかり、タイやインドネシアなどから買ってます、マレーシアは農業産品の輸入がけっこうあるのです。数字が手元になくて申し訳ありません。
こうしたことから、元・農山村住民が都会へ働きに出る、ついには都会に移住してしまうことになったのです。日系企業の製造工場で働いている労働者でも、半島東海岸州出身者が多いはずですし、彼らの親の世代がプランレーションで働いていた労働者を見つけるのはたやすいことでしょう。ですからハリラヤ祝日に都会から地方へ田舎へ集団里帰りが発生するのです。世界いたるところで起こっている産業構造変化の結果ですね。
マレーシアの工業化は単に半島西海岸州の都市付近だけに起こっているわけではありません。政府は地方の町に工場誘致設置策を奨励しているので、たくさんのミニ工業団地があります。例えば東海岸のKuantan 付近には広大な工業団地がいくつかあり、日系を含めた大企業がたくさんの工場を稼動させています。
これは地方の住民が都会に出て行かなくてすむように且、産業にとって比較的容易に労働力を確保する目的でもあります。結果として地地方住民の定収が向上したようです。第7次マレーシア計画によって、田舎の住民の世帯収入が90年のRM951から95年にはRM1,300に上昇しました。
ただこの地方の工業化も、人的資源からみるとハイテク産業には向いていないようで、労働集約産業に比重がかかるようです。例えば政府がたいへん力を入れている Kulim High-Tech 工業団地、高学歴の技術者をこの地域からまかなうのは、現状では急すぎ且足らないという批判があるそうです。
この地方の工業化の過程でマレーシアがいい成果を上げられなかったものの一つに、農業の工業化があります。つまり農産物を研究開発して付加価値製品を作り出す産業です。「我々の工業化は農産物ベースというより資源に基づいて行われた、食品加工部門はたいへん遅れている、なぜなら農業と工業の連関が欠けているから。」とUM大学の経済学教授が述べています。食品加工生産額が製造総額に占める割合は95年はわずか4%ほどだそうです。
こうして、田舎も国の工業化路線の影響を受け、人が流出したとか近くに工場ができただけではなく、個人主義と物質主義が村村にも入り込んでしまった、と捉えるUM大学の民族学教授もいます。「この結果、村の若者に消費主義を吹き込んだ。」 別のUSM大学の教授は、「村の概観には変わりはない、しかし村の社会文化的価値観、密接な人間関係、助け合いの精神はどこかへ行ってしまった。」
筆者のような外国人、さらに都会生まれの都会育ちのマレーシア人の目にも、マレーシアの村は今尚伝統的価値観と共同体意識が強く残っているように見えるのですが、マレーシアの専門家はそう捉えていないようですね。筆者も若者の消費主義に走る傾向は強く感じますが、村の伝統意識がどのくらい変わってしまったかは、まったくわかりません。これは村を単に訪問したり、眺めたりしただけではわかりませんから当りまえですが。
筆者自身下町生まれの育ちなので日本でさえ村の意識はよくわかりませんから、今回のトピックスは筆者には、違った意味でたいへん難しいテーマですが、あえて取り組んでみました。がやっぱりまとまりのつかない、深い考察のできないものになってしまいました。
マレーシアの都会と田舎の違いは日本のそれよりもはるかに大きいのは事実です。外国人がなかなか入っていけないのですし、事実田舎に入っている日本人は、農業指導や山村で援助仕事に就いていたり、農村研究者などごく少数を除けば、ほとんどいないでしょう。
1週間程度のホームステイしたり、友達に招かれたりした程度ではとても本当の村はわからないものです。しょせん親切にしてもらってうれしかった、いい経験だったぐらいで、イスラムとマレー農村主義が混在するマレー村を深く理解することはできないでしょう。
しかしそうかといって、91年は総人口の49%を占めた(マレーシアの定義での)田舎人口が、95年には45%に落ち、2000年には40%ほどに減ると予想されているマレーシアの田舎を考えてみないのは”現代マレーシア社会を考え知り旅するサイト”を掲げる Intraasiaとしては片手落ちですからね。いやそれにしても田舎のことはよくわかりませんな。
5月30日と31日の両日クアラルンプールのムルデカ広場で、(政府与党の主要構成政党である)マレーシア華人協会MCAの青年部と女子部が主催し各中国語紙が協賛した、”マレーシアを愛そう、マレーシア製品を買おう”キャンペーンの大イベント、マレーシア芸能人による愛国大コンサート集会がありました。筆者は2日とも午後のひとときと夜間に会場へ足を運びました。
この広場はどんなガイドブックにも載ってる有名な場所ですし、クアラルンプールを訪れた方ならまず一度はいかれたことでしょうから、ご存知の方も多いでしょう。
英国植民地時代に建てられた裁判所前の道路を挟んだ、きれいに手入れされた芝生が映える大きな広場です。普段は足を踏み入れられません。(右の写真は広場に設けられた会場の昼間風景。夜間の写真は暗くて写りが悪いので省きます)
独立記念式典をはじめとしてさまざまな国家行事に使われる一等地ですから、集会がそこで行われる事自体が事を象徴していますね。
昨年後半からの始まった東南アジア経済危機・混乱によってマレーシアも経済成長停滞に陥っていますから、政府と産業界は必死にその回復を画し、且つ新しい愛国キャンペーンを今年から始めました。その中でMCAは積極的にまた独自にこの愛国キャンペーンを打ち上げ、すでに全国で10いくつかの”マレーシアを愛そう、マレーシア製品を買おう”集会を開催してきました。これはその最大の意味をももっています。
その一端は当ページでも「新聞の記事から」でお伝えしましたよ。
マハティール首相らのこの経済停滞に対する批判は、ごく簡単に言えば、外国勢力、つまり先進諸国が世界の株や通貨を支配している事から、その一部勢力が株通貨支配をつよめるために今回の危機を作り出しその標的が東南アジア諸国なのだ、おかげで貧しい発展途上国はより貧しくなり、各国内に混乱を生んでいるのである。
この作られた危機を乗り切り、再度経済上昇するためには国民一丸となって国の発展に望もうというものです。
この見方に賛成するしないはおいといて、マハティール首相はいつものように声たかく主張していますね。彼は6月2日から日本へ行ってまたいくつかのセミナー等で演説登場しましたから、この主張も日本で紹介される事でしょう。
でもいくら自己主張を堂々と掲げる首相でも国外と国内とではそのニュアンスやトーンは違うでしょうから、この晩の来賓として登場したマハティール首相の演説内容の一部を翌日の新聞から翻訳しておきましょう。新聞も当然ながら興味ある所を引用していますから、こう言う点がマレーシアで受け重要だという事です。
「マレーシア経済の停滞・困難にも関わらず民族暴動は起こっていない、なぜなら富は各民族間で平等に分けられているから。他の国では民族暴動が起こったがマレーシアではそうではない、我々は互いに尊敬しあい、互いに気をつかいあうからだ。他の民族から脅されていると感じる民族はいないし、その恐れもない。これはマレーシアの優れた点なのです。
現在我々は経済混乱に直面している。それが我々の敵だ。これは欲張りな人間によって引き起こされた。我々はいっしょに戦い、経済を再建しなければならない。
私はこの集会をたいへん誇りに思います。これは人々のマレーシアを愛する現われだ。
今晩の集会はMCAによって主催されているので華人が多い、それでも彼らはこの時間近くの国立モスクでお祈りをしているムスリムに気を遣っている。
私はこの集まりをリポートするとは思わないが、外国のメディアをこの集会に招いた。外国のメディアはよくこうリポートする、マレーシアは平和のように見えるが、見えないところでは民族間の緊張がたくさんある。しかし彼ら外国メディアが今晩の集会を見たら、目をつぶって耳をふさいでしまう。
もし再び植民地化されたくなかったら、国を経済を自分自身を、救うために戦おう。
我々は自身を救うためになさねばならない。第一に我々の精神を高める、特に国を愛する気持ちである。
我々の銀行や大企業を買収しようとしている外国人を打ち破るために、どの民族コミュニティーも力を合わせて戦おう。国産品を買うのは大変重要です。
我々が国産品を買えば、それは世界に対して国を愛し、経済救援のために戦うのに犠牲を惜しまないことを伝えているのです。」
筆者はマハティール首相の演説を、テレビ・ラジオ以外では、初めて実際に聞きました。聴衆は華人系が大多数のためでしょう、それほど難しい演説(マレーシア語)ではなかったので、大意はなんとかつかめました。確かに彼は演説がうまいですね。わかりやすい言葉で聴衆に訴えており、それに対する聴衆の反応もたいへんいいものでした。
ムルデカ広場を埋めた万をはるかに超える聴衆・参加者、その8割以上は華人系で単に若者だけでなく老若男女からなっていました、にもたいへん人気あることを実感しました。筆者は決してマハティールファンではありませんが、彼の他民族にも今尚人気を保つスタイルと指導力はさすがだと思います。
それにしても演説の基調をつらぬいていたのは、ストレートな愛国主義ですな、筆者には過剰且つ扇動的に感じますが、マレーシアは若い国だからこういうことが必要且つ受けるのでしょうね。
もちろんこういう場所で反対の声やマハティール批判を上げる者はいませんし、できないでしょうから、1万人を超える全員が賛成かどうかはわかりませんが、演説後の拍手等から推察しても相当の人がなるほどと思っていたでしょう。
この晩の主賓はこのマハティール首相ともう一人いました。司会者やMCA会長がジェイムズボンドガールと紹介したミッシェルヨウです。このコラムでも彼女の事以前2回触れましたね。そう007映画の最新作でボンドの相手役を務めたイポー出身の女優です。
愛国主義を鼓舞する集会の場で、西欧資本と思想の権化のようなハリウッド映画で”中国の女スパイ”を務めた彼女を、ジェイムズボンドガールと嬉々と紹介する神経は筆者には理解できませんが、とにかく彼女が舞台に現れると、ひときは高い拍手と観衆の視線が集まりました。マレーシア人で始めてメイジャー映画の準主役を務め、国威発揚に貢献したという事だから誰もそんな紹介は気にしないのでしょうな。
それにしても彼女はすごい人気ですね。この晩他の有名なマレーシア人歌手、マレー女性歌手Siti Nurhaliza ら2名を除いてすべて華人、がぞろぞろ出演しましたが、彼女の人気は群を抜いていました。そして米国で撮影中から駆けつけた彼女の挨拶とインタビューに答えた言葉が、まこと”愛国的”で聴衆に受けました。
「私はつねづねマハティール首相にお会いしたいとおもっていました、マレーシアを強い主張と原則を持った国に導いた彼のリーダーシップを賞賛しているからです。どこへ行こうと私はマレーシア人であることに誇りをもってきたし、これからもここに投資する事で国に貢献していきます。」
まあこういう具体的な言葉を発したのは彼女だけでしたが、他の歌手もほとんど「 Cinta Malaysia 国を愛する」という言葉や「マレーシア」を持ち歌の合間に連呼していました。この晩だけで何百回 「マレーシア」が叫ばれたのかというほど、繰り返し繰り返し叫ばれました。歌手の中には歌詞を愛国の歌詞に一部変えて歌った歌手もおり、筆者にはやりすぎの感を抱かざるを得なかったのですが、翌日の新聞はもちろんそんな事は一切書いておりません。立場の違いですな
そう、登場歌手には司会者からミッシエルヨーと並んで特別に紹介されたエリックムーがいます。台湾で大人気、もちろんマレーシアでも地元歌手のトップです。その他、光良品冠、阿牛、山脚下男亥など、日頃ラジオで聞いて名前やメローイーだけは筆者になじみの有名歌手グループがぞろぞろ登場して、それぞれ数曲づつ歌を披露したのです。
有名歌手のコンサート鑑賞という観点からいえば、無料でこれだけの歌手を一同に楽しめるというのは得難い機会でした。もっともステージ前の方に座れなかったので、早くから場所取りしてた群集の多さに不可能、顔がどうやら識別できるぐらいでしたし、コンサート会場でないから見にくいという面もありましたが。
30日の夜は地元芸能プロHVDの俳優やダンサーの演技と31日とは別の歌手コンサートがあり、こちらは31日夜ほど観客を集めてはいませんでしたが、それでもムルデカ広場の半分は埋まっていました。
普段の週末はマレー人の若者や子供連れの夫婦に占領されるかの風景をみせるムルデカ広場一帯ですが、その2晩だけはまことに珍しく、華人つまり華人系マレーシア人が絶対多数を占めました。それでも1割から2割くらいのマレー人、インド系が集ってコンサートを熱心に見るでもなく聞くでもなく芝生に座ったり道路にたむろしていました、特に2晩目マハティール首相登場の夜はマレー人が増えていました。
各民族が距離を置きながらもこうして同じ目的に集う、動員とか何かをえさにしてでなく、自発的に参加、観衆となるのをみると、やっぱりマレーシアは民族的には安定しているな、多民族国家として素晴らしいなと感じざるを得ませんでしたね。これはインドネシアの”暴動”の後ですから尚更筆者の心を打ちました。
さてこの31日の夜ではなく朝ですが、ある意味では非常にマレーシア的な出来事が、場所をこの広場からそれほど遠くないホテルを舞台にして起こっていたのです。こちらの出来事を翌日の新聞から追ってみましょう。
野党第一党で華人系マレーシア人を支持母体とした民主行動党 DAPがその政党幹部の支援集会をクアラルンプールのホテルで開く予定でしたが、直前になって警察から中止命令を受けて、混乱のなかで開催をあきらめたのでした。
警察の中止命令の根拠はDAPから集会の届が申請されてないということで、DAPは「これまでに何十回も同じような集会を開いている、直前になって中止命令は納得できない。」
この集会禁止は愛国集会とは関係ないのですが、同日に偶然起こったできごととして、マレーシアらしさを示すものです。例によって英語紙の扱いはものすごく小さく、中国語紙は何枚もの写真入で詳しく伝えています。反対政党DAPは華人にその支持基盤を置くので、中国紙はその活動をいつも比較的よく報道し、党首の顔写真もよく載るのですが、英語紙はその活動を小さく報道はするのですが、党首の写真はまったく載らない。一度たった一度だけ載った事を筆者は覚えています。それはDAP党首が交通事故にあってけがした時でした。
政治的な集会は規模に関わらず必ず警察の許可を得なければならないマレーシアなので、この混乱が起こったのでしょうが、一流ホテルの会場で開催するものであっても反政府的活動には厳しく対処するというところでしょう。
DAP党幹部の談話では、「決して非合法集会でない。さまざまな問題を討論するはずだった。警察は集会の不許可や立ち去れ命令を拡声器で乱暴に行った。」などと不満を伝えています。
筆者はその集会のことはもちろん知りませんでしたので、翌日の新聞で知っただけですが、党首が集会のキャンセルを宣した集会の参加予定者は300人ほどだったと書いてありました。尚この際、警察官に激昂した言葉を吐いた支持者が一人逮捕されたそうです。
偶然にも同じ日に起こった興味深い出来事は、マレーシアという国を考えるのにまことよい材料を提供してくれたのです。愛国集会を報じる日本(人)のメディアがもしあれば、この出来事も伝えるべきですね。どちらか片方だけでなく両方伝えてこそマレーシアを伝える意味があるはずです。
それにしてもマレーシアの一流芸能人ってまこと”愛国的”ですね。愛は時として盲目になるという言葉もありますが、彼らはご存知かな。
発展するということは時には驚きを伴います。その勇姿をすでに2年ほど前からさらしている、今やクアラルンプールの名所となったペトロナスのツインタワーのある一帯をクアラルンプールシティーセンター、略してKLCCと呼びますが、そこの発展にはまこと驚かされます。
広大な敷地の中に敢然とそびえる2本の巨大な双子タワービルは、マレーシア紹介のどんなガイドブックにも載せられていますから、訪れたことのない方でも「ああ、あれか」と思い浮かべられますね。2棟のうち1棟はマレーシア準国営石油会社のペトロナスグループが占有し、もう1棟はテナントに貸し出すそうです。筆者ははっきり知りませんが、あいにくのマレーシア経済停滞でテナントの集まりが悪いとかそうでもないとか。それにしてもこの2棟だけで何千室のオフィスが一挙に増える計算ですから、すごいものです。
このKLCCは前面をアンパン路(Jalan Ampang)に面し、側面をスルタンイスマイル路に通じるラムリ路に接し、KLCC公園側にあたるいわば裏側を、パブやディスコの多いピナン路とキアペン路(Jalan Kia Peng)に面しています。アンパン路にある日航ホテルから KLCCへは歩いていける距離、アンパン路をそれと反対方向に行けば、ワールドホテルとルネッサンスホテルがあり、その対角にはコンコルドホテル、KLCCの裏手にはキアペン路にあるホリデーインがすぐ見えます。
その他 KLCC付近と呼ぶ範囲内にはシャングリアホテル、インペリアルホテル、ミンコートヴィスタホテルなどがあり、すべて十分徒歩で到達できる距離です。加えて、現在Suiraの隣に5星ホテル建設中です。
このように多くの外国人旅行者が泊る 5星4星の高級ホテルから歩いていける距離にある事が、KLCCをより有名に且つ身近にすることでしょう。事実筆者が最近訪れた時、ツーリストらしい姿をよく見掛けました。
KLCCへは徒歩以外、現在はバス路線しかありませんが、アンパン路が幹線道路なのでバスの便数は充分あります。さらに高架電車LRT網の建設中の新路線が、この一帯の走行路線だけは地下に潜って地下鉄になりますので、近い将来はさらに便利なことなるでしょう。
筆者が初めてこのあたりに来た91年頃、このKLCC一帯の大部分は競馬場が占めていました。競馬開催日ともなれば例によってがらのわるいおっさんたちがうろつき(競馬やる方ごめんなさい!悪気でいってるのではありません)、白タクが横行し、まあそれはそれでマレーシアらしい風景でした。しかし当然ながらこんな超一等地を競馬場にしておくのはもったいないことから、ギャンブル産業を嫌う、イスラム教は賭け事を禁止します、政府は再開発を決め、競馬場は廃止され、同時にスンガイブシ地区に新しい競馬場を建設してそちらに移っていきました。
余談ですが、スンガイブシ地区の新競馬場は一度だけ中に入りましたがきれいでしたね。
この競馬場時代のアンパン路つまりKLCC一帯を知る者として、その変貌ぶりは驚異といえます。筆者は当時務めていた会社のマレーシア事務所をKLCCから程遠くないアンパン路のビル内に、そう今の日航ホテルの近くに、開き、毎日通った場所ですので、当時特になじみの深かった場所です。夜は同じくアンパン路にあるラウンジクラブでよくひとときを過ごしたものです。(今じゃ安カラオケへも行けないなあ)
ミニバスが疾走し車の渋滞の絶えないアンパン路は、今でも、消えたミニバスを除いて、その喧騒ぶりと埃舞い立つさまはあまり変わりませんが、道路の両側にこの4,5年で続々とできた高層新ビルとホテルがアンパン路の発展を増長しています。当時筆者は大抵の大きなビルは何々ビルとその名を覚えていたのですが、今やあまりにも新しいビルが増えて、ほとんど名前がわからなくなりました。それほど急激に、新ビルが、中にはインテリジェントビルも続々と建ち、現在もいくつかが工事中です。
この新ビル建設ラッシュをみれば、クアラルンプールのいたるところで大なり小なり同じ様な現象が起こりましたから、そんなにビルばかり作って大丈夫?、と感じざるを得ませんでした。現実に、この頃ではクアラルンプール中心部のオフィス街ではオフィスの空き部屋がなかなかうまらず、ホテルは客室満室率低下に嘆いている、というニュースがしばしばマスコミでも伝えられています。
郊外にこれもざっと数えて20近くもこの3,4年にできたショッピングセンターは、Bandar Utama Oneみたいな例外を除いて、テナントの充足率が依然として上がらず、中には半分にも満たないショッピングセンターもあるそうです。
こういう不動産ブームって、日本の例にもれずどこの国にもあるものなんですね。起きた現象のあらわれ方とその規模程度は違いますが、本質的には同じではないでしょうか。好景気で金余り現象の時、購買力はいつまでも続くと考えてショッピングセンターを作り、金をかけたビルを建ててオフィス需要を期待し、ツーリスト増加を当て込んでホテル建設となった次第です。しかし昨年からのアジア経済混乱でマレーシアも経済停滞期に入り、高級ホテルなども客室充足率が5.6割に落ちてしまい、オフィスビルは借り手がいないなんてことに相成っているわけです。ちなみにこんな警句があるそうです、いつまでも続くと思うな金と妻の愛。(身にしみて感じてます!)
その過剰の気味のショッピングセンターに最近また一つ新ショッピングセンターが加わったのです。しかし今度のショッピングセンターはこのKLCC内にあり、ツインタワーに挟まれた形のビルです。(アンパン路に面した入り口の写真)
その名をSURIA KLCCという恐らくマレーシアでも最大規模のショッピングセンターは、他の郊外の多くのショッピングセンターと違って優位点がいくつかありますね。なんといっても新名所KLCCの中心に位置してるし、周りの高級ホテルに泊った観光客が歩いても来れる場所ですからね。
サンスクリット語起源のマレーシア語 Suriaは太陽という意味、まさに数あるショッピングセンターの輝く中心という意味をこめているのかな。マレーシアでよくあるどの階からも互いの階が眺められる、吹き抜けスタイルの中央コンコースから両翼にショッピング階が伸びた地下1回地上5階の細長いショッピングセンターです。(下の写真)
まだ全階がテナントで埋まっていませんが、空いてる場所もその場所に入店するテナント名が囲い壁に明記されており、ほとんどの店舗場所が入居予定のようです。いずれも高級感たっぷり品を売る有名テナント、例えばEsprit,Mark & Spencer, The Body Shop, Paris Miki など、が目白押しです。
さらにマレーシアの高級デパートであるParkson Grandも Suria KLCCに入店しています。ブランドものに目のない方なら、ここへ行けばほとんど揃うのではないかと、有名ブランド無知人間の筆者は思いました。
このSuria KLCCの核として、Isetanデパートがキーテナントとして入店しています。以前からあるブキットビンタン街のLot10についで2店目です。実質は3店目ですが2店目のそれは昨年閉店しました。日本のデパートらしい飾りつけが違いを出しており、ゆったりとした配店はいかにも高級なデパート感を出しています。
Isetan内に入ったテナントのKinokuniya書店は英語書籍がすごく充実しており、また恐らくKL一の日本書籍揃えではないでしょうか。
日本語雑誌類は、マレーシアの本屋らしく透明ビニールで中身がみえないようになっていますが、アダルト雑誌なんて存在しませんからすべての雑誌ですよ、一般書籍はビニールで閉じてありませんから、内容が確認できます。
だいたいマレーシアのある規模以上の本屋はどんな書籍でも透明ビニールで包んでしまうので、筆者などは常々にがにがしく思っていました、本を買うのに内容を見ずに買えるのだろうかと。Knokuniyaさん、本のビニール閉じ無しをいつまでも続けて下さいな。立ち読みもできることだしね!。
それにしても日本語書籍は高いです。単純に円をリンギット換算したよりも5割ほど増し。筆者なんて今年になって一冊も買ってません。
さてこのSuriaショッピングセンター、扱ってる品や店が高級だけに訪れる客、ウインドーショッピング客を含めて、は中上流クラスが多そうですね。最近平日に筆者は訪れてそう感じました。カッコよく決めた若い女性や、裕福そうな中年女性、都会のユッピーカップル、昼食時のホワイトカラー、とさすが郊外のショッピングセンターの客層とは違います。そう日本人にも人気の新興ショッピングセンターBandar Utama Oneをもう少し高級にしたような感じです。
そこで日曜日の午後にもう一度KLCCに足を運んでみました。
さすが客層が広くなっています。今度は親子連れが俄然増え、スカーフ姿のマレー女性、学生といろいろな層が訪れています。でもSuria内のスーパーで買ったナイロン袋を提げている人はいても Suriaのテナントの買い物袋を下げた人が誠に少ないのです。
無理もありません。この価格帯じゃとても一般の庶民には手が届かないでしょう。普通の勤め人がふらっときてついでに買い物する場所ではまったくありません。 月給 RM1,000もいかないOLには1着RM400もRM500もするデザイナーブランドは無理ですし、子供4人も5人も連れた一般マレー家庭がSuriaに来て買い物できるのは、スーパーでの食料品ぐらいでしょう。それだったらわざわざSuria KLCCに来る必要もないしね。筆者の見るところ、大多数は開店した珍しさのウインドーショッパーですね。
その証拠に飲食店街 International Food Courtと名うたれた飲食店街は、結構高目の価格にもかかわらず人でいっぱいでした。ここはマレーシアのショッピングセンターでみかけるセルフサービス形式ですが、料理は西洋料理風が多く、地元料理のメニューが少ないのです。そうカウンターが回る形式の Susi Kingもあります。
それにしてもカフェで飲むコーヒーが1杯RM4近くもしては、非中上流クラスにはとてもSuria内で休憩する気にはなれないでしょうね。そこで筆者はKLCCのすぐ隣にある古い雑居ビルの大衆食堂へ行って、1杯90セントのTeh Tarikを飲みました。
こういう所だけを見ていると、クアラルンプールもシンガポールのオーチャーロードを持つようになったかのような錯覚を感じます。もし何も知らない外国人が、例えば東海岸の都市、クアラトレンガヌあたりの小型ショッピングセンターとこの Suria KLCCを比較したら、とても同じ国内にあるとは信じられないでしょう。
ですから観光客の皆様、このSuriaのようなところはマレーシアの例外的なショッピング街ですよ。せっかく訪れたマレーシア、できればSuriaだけでなく、チャイナタウン、セントラルマーケット、スンガイワンプラザ、チョーキット街の青空マーケットなども訪れて、違いを感じて欲しいものです。そういう意味からいけば、Suria KLCCを訪れてブランド品買うのもマレーシア訪問の楽しみだと思いますね。(筆者は一度もブランド品買ったことないけど)
参考: 「旅行者・在住者ページ」のクアラルンプールの見所と出来事と諸事情 に、クアラルンプールシティーセンターの写真と記事があります。
これまでこのトピックスで時々マレーシア人の公共心のなさと自分勝手主義を批評してきました。例えばバスに乗る時の列の乱れ、ゴミ捨てぽいの症候群、交通マナーの悪さひどさなどです。「行列の混乱」とか「トイレと水洗方法のお話」でも扱いましたね。
しかし、そんな面ばかりを強調してきたのではないことは、このトピックをずっと読んでいただいた方ならすでにご存知でしょう。初めて読んでくださっている方は是非他のトピックスもお読みください。当サイトは、マレーシアに住みマレーシアにお世話になっている事を常に頭に置き、マレーシアを賞賛している一方批判もしていますから。
Intraasiaは、”気楽にマレーシアを散歩している” わけでも 在マの日本人/日本語メディアに気に入られるようなことだけをお伝えしている つもりはありません。もちろん、マレーシアは青い海と白い砂浜と椰子の木のリゾートだけというような、ここに住み生活する人々を忘れた、旅行パンフレット的紹介をしているわけでもありません。
さて今回はマレーシア人の公共心のなさと身勝手主義を徹底的に批判してみましょう。
筆者の住む地区はクアラルンプールの代表的な下町です。華人が多数派で、マレー人、インド人はたくさん働いていますが住んでいるのは少ない一方、インドネシアとバングラデシュからの外国人労働者が多く住んでいる地区でもあります。
はっきりいって街は汚いです。しかしここだけが汚いわけではありません。筆者はかってクアラルンプール及びその一帯のすみずみまで毎日走り回っていましたから、いろんな所を見た結果当地区だけが特別に汚いと思いません。都会のありきたりの下町です。(写真はゴミ捨て場の様子、ゴミはちゃんとコンテナーの中に入れなさいよ)
もちろんペタリンジャヤやスバンジャヤの瀟洒な高級住宅街、白人や日本人の多く住む外国人が多数派の高級コンドミニアム街は、まことによく手入れされきれいなことは知っています。
こういう下町や新旧住宅街に住む都会のマレーシア人の精神構造は一体どうなっているのか、と時々思います。自分の家、ショップハウスといって階下が店舗工場になっていて上階が住居、の前の下水溝が詰まっていても絶対に掃除をしません。掃除しないどころか平気でゴミをその下水溝にぽい捨てです。家の庭のゴミをはいてそのゴミを家の前の下水溝に捨てるのです。小学生が帰宅のスクールバスを待つ間、何時も遊んでいます。微笑ましい光景です。ところがこの子達は駄菓子や屋台で物買し、その食べかす、包装を近くの下水溝にぽい捨てです。一体小学校で何を教育してるのといいたくなりますな。
おかげでこういう下水溝はいつもゴミでふさがっており、ひとたび豪雨がふれば水があふれ、あたり一帯は冠水するのです。自業自得それでも彼らはゴミ捨てをやめません。冠水でその日は商売できなくなってしまう屋台商売人は客の食べ残しや調理かすを屋台横の下水溝にぽい捨て、まったく懲りない人々です。
そしてこういう子供たちの親は、当然ながらそれにふさわしい公共道徳心の持ち主です。子供にスクールバスを利用させず、自分で子供を送り迎えする親も多いのです。歩いて迎えに来る人もいる一方、自家用車で中にはベンツやBMWの高級車で送り迎えに来る人も結構います。その時彼らは一切の交通マナーを無視して、狭い学校前の道路に車をとめ、学校の終わる子供を待つのです。登校時と下校時、とくに下校時です、の学校周辺の交通渋滞は、スクールバスと送り迎えの親の車と普通に通行している商用車自家用車があいまって混乱の極みです。
毎日これを近くで見て、そして巻き込まれていますと、マレーシア人の精神的貧困さをつくづく感じます。彼らは経済的に決して貧困ではありません。もちろん高級住宅地にあるとか歴史ある有名校ではありませんから、普通のそして中流階級ばかりですから、ぎんぎんのお金持ちではありませんけど。
それにしても我が子かわいさか歩くのが面倒くさいのか知らないけど、学校からちょっと離れた道路なり空き地に車を停めて子供を迎えに行けば、交通混乱は随分少なくなるはずです。こういう自分勝手主義はこれだけ経済が発展し東南アジアの優等生国家になった今でも一向に減りません。
ですから上のゴミ捨てぽい主義はなくなりません。いくら罰金が高くても見つからなければそれまでですし、彼らにとって詰まったいや詰まらせた下水溝の掃除は市政庁のゴミ掃除人にやらせればいいのです。自分で汚したものは外国人労働者に掃除させよう。
東南アジアの町はどの国へ行こうとうるさいものです。筆者は長年各国地域を歩いた結果これははっきりいえますね。バンコクとかジャカルタはその最たる所です。町の大小、国の発展未発展にかかわらず、騒音は町中にあふれています。乗合いバスの運チャンはカーラジオ・カセットのボリュームを精一杯上げ、エンジンをわざとふかして飛ばして行きます。バスターミナルやバス停に停車中でも、冷房車でもないのにエンジンを切りません。バイク乗りはこれ見よがしにエンジン音をひびかせ、車の間をぬってサーカス走行していますね。
街のレコード屋は大きなスピーカーを店外!にむけて轟音でひがな一日中歌謡曲をかけています。どこにもその国の歌謡曲や西洋ポップスの愛好者は5万といますから、そういう人にはこの無料音楽はうれしいかも知れませんが、普通の音楽好きとかまたは音楽きらいにはたまったものではありません。こういうオーディオ製品は日本のオーディオが市場を席巻していますから、パイオニアさんよ、あなたはオーディオ騒音に手を貸しているのですよ(冗談です)
上で描写した状況はマレーシアの都会でも極めて普通です。筆者の住む地区にもこういうオーディオショップが、ショップハウスとショッピングセンター内にいくつかあり、開店から閉店まで”CD騒音”を撒き散らしています。そのオーディオショップの付近にある店とか住居の人にはたまったものではないと思いますが、どうなんでしょうか、彼らは騒音不感症なのでしょうか、それとも最初からあきらめているのだろうか。性不感症にはいろいろと薬があるようですが、騒音不感症につける薬はないしなあ。
このオーディオショップやビデオショップの無料轟音音楽提供はその近くにいかなければいいのですから、まだなんとかがまんできるですが、住宅地やアパートでの轟音音楽は音の暴力以外の何ものでもありません。不幸にもというか当然ながらというか、筆者のアパートにもこういう輩がいっぱいいるのです。日中だけではなく夜間早朝そして深夜と、こういう奴等、若い音楽狂いの青年たちだけでなく、一人住まいのインド人女性も気のいい華人家族も華人夫婦もベトナム人家庭もその類なのです。
各階にこういう騒音発生世帯が必ず,2、3割いますね。つまり決して例外的世帯の仕業ではありません。筆者のアパートは中級アパートです。低所得者向けの安普請のアパートでもプールと専用入り口付きのコンドミニアムでもありません。階下にショッピングセンターがあるため一応守衛はいても誰でも入ってこれるし、エレベーターも買い物客と共用です。そんな大衆クラスアパートなので、居住者の多数はマレーシア人で、この数年は地域で働く外国人労働者のための寮としても使われています。
ですから普通の住民、下流の上クラスから中流クラスの普通の都会住民の意識と生活を知るには好都合です。(マレーカンポンとは大違いです)いかに彼らが行動するかは毎日観察できます。
筆者のアパートは11階建ての比較的大きなビルですので、各世帯の壁も天井も決して薄くはありません。普通のテレビステレオのボリュームでは隣家や階下に聞こえないはずですが、これが聞こえてくるのです。筆者が自室内で聞くラジオのボリュームと同じくらいの程度で、他者の鳴らす音楽がよく筆者の耳に聞こえてきます。これって、どのくらいの音量か想像できますか?
深夜1時2時にカラオケやってる非常識家庭があります。一体カラオケバーは何のためにあるのか。
深夜あまりにうるさい場合、ごくたまに筆者はアパート兼ショッピングセンターの守衛に騒音源に注意してくれるように頼みますが、これがまったくあてになりません。一般守衛クラスは、責任者を除けば低所得者層ですから、普通はこういう中級アパートに住んだことありませんので騒音には慣れっこですから、真剣に苦情を受け取ってくれません、要するに彼らは騒音なんて気にしないのです。
解決策?ありませんね。高級住宅地か高級コンドミニアムに引っ越すしか手はなさそうです。もちろん筆者には不可能ですから、こうやって騒音に絶えていくしかありません。まこと精神衛生上よくない。まあ百年ぐらい待てばマレーシア人の騒音僻はなおるかもね。
周りに騒音を撒き散らすのはこういう音楽騒音ばかりでなく、例えば上映中の映画館内で、平気で携帯電話に声高く応答する輩がたえないことです。こういう奴等は応答するばかりでなく携帯電話をかけることすらします。ちょっと歩いて扉の外へ出て電話に応答すればすむのにそれをしない、まったく身勝手なやつらです、大体華人の男に多いのだ。狭いエレベーターの中でまわりにこれ見よがしに携帯電話してる奴等も同類です。
こういう人間は自分の富を見せびらかすのに喜びを感じている貧困な精神の持ち主ですから、注意しててわかってくれるような奴等ではありません。誰も注意しませんね。
マレーシアはどの民族もたいへん宗教深い国民です。マレー人はいつもモスクで祈りイスラムの教えに背かないように暮らし、インド人は毎日ヒンズー寺院に参拝しその思考はヒンズー教に従い、華人は朝晩先祖に祈り仏教寺にお参りする、そのこと自体彼らの自由且つ権利ですから別にいうことありません。しかしこの宗教的人間がどうしてこうも他人を省みない行動をとるのでしょう。
バス停でバスに乗る時、エレベーターで待つ時など、列などまず作らず、降りる客より前に我先に乗ります。老人妊婦幼児連れはどうなるの、他の人に気を遣うのが宗教の教えの一つじゃないのかね。車内で老人に席をゆずるマナーをもっている人たちが、どうしてこうも我先現象におちいるのでしょうか。
学校を始めとして公衆マナー教育の欠如が明らかです。宗教だけではこういう愚かな身勝手行動はなくならない例でもあります。罰金主義も結構、しかし取り締まりを常時一環して行わなければ効果は薄いし、取締官の数をいくら増やしても国民一人一人の行動を見張るわけにはいきませんからね。結局のところ民衆の意識向上を待つしかありません。どれぐらい待てば彼らは自主的に並ぶのでしょう。
(ゴミ捨てたら罰金RM1000という、クアラルンプール市庁の看板の横に捨てられたゴミ)
自動車運転の荒さ、マナーの悪さ、これだけ自動車が増え交通渋滞が早朝から夜まで続く都会でこの行動は、単に悪癖といってすますわけにはまいりません。即自分の身の危険に結びつくからです。筆者は歩道!を歩いていて何度バイクにぶつけられそうになったことか、もちろん車に同乗していても彼らの危険な運転にひや汗をかいたのは一度や二度ではありません。
危険をかえりみないバイク乗りと横暴運転のドライバーへの安全教育は、その場しのぎの安全キャンペーンや警察の取り締まりごときで改まるものではありません。小学校からの子供の頃からの安全教育を熱心にしない限り、交通事故死者の増加は止まらないでしょう。この運転者の交通マナー意識を知れば、日本の人口の6分の1で、事故死者数が年間6千人を超える現状もむべなるかですね。
ここでも宗教の教える人間の生命の尊さは完全に伝わっていないのです。
「交通状態がひどくて、ごめん、ごめん。」 約束の時間に1時間も遅れてやってくる都会のマレーシア人の口癖です。クアラルンプール一帯の交通渋滞は常態であり、なにもその時だけに交通渋滞が起こったわけではありません。この町に住めばそれに付き合って行くしかありません。それがいやならカンポンに移り住むしかありません。
こういう言うわけに対して、マレーシア人だから仕方ないとか、ここはマレーシア、のんびり行こうなどと、さとったようなこといってる人がいますが、ではそういう言い訳するマレーシア人が空港から飛行機で旅立つ時、「いや、交通渋滞で遅れてね」と、チェックイン時間に1時間も遅れて行くでしょうか?止む得ない事で遅れてしまうことは誰にもありますが、彼らも交通渋滞をみこして家を早めに出るはずです。飛行機の時間に遅れれば自分が不利益を被るだけですからね。要するに、自分が不利益にならなければ相手を待たしても気にしないのです。御都合主義。
「いとこが急に病気になって昨日出勤できませんでした。それに時間がなくて連絡できませんでした。」 工場のマレーシア人労働者からよく聞く言い訳。先週は「親が具合悪くて。」 先月は「子供が頭が痛いといったので。」 次か次へと身内の病気を理由にする、これは工場勤めの在日本人の方ならしばしば経験されていると思います。
マレーシア人、特にマレー人とインド人は大家族ですから、身内の範囲は大変広いのです。いとこまで入れたら20人は超すでしょう。これは文化慣習の違いですから、それ自体を批判してはいけません、受け入れましょう。しかしいちいち他人のせいにしないで欲しい、無断休みは休みなのだ。
マレーシアは東南アジアでは比較的バランスよく国が発展し、しかも2020年までに先進国入りを公式に掲げています。物質的に経済的にそれはかなえられるかもしれませんし、マレーシアにお世話になっている以上そうあって欲しいと筆者も願っています。
しかし人々の意識面がそれについていけるかいささか疑問ですね。ハード面だけでなくソフト面も目標を達成して欲しいです。
旅人で訪れれば、ホーチミンシティー(サイゴン)裏町の汚い屋台も笑って済ませるし、騒音と排気ガスのバンコクの道路を歩いてもそれほど気にはなりませんが、生活者として住む我が町クアラルンプールで起こるゴミ捨てぽいと騒音不感症には腹を立てざるをえませんし、傍若無人のドライバーの身勝手運転に懲役刑をのぞまざるを得ないのです。
マレーシア人よ、もっと他人に気を遣え。あなたたちはもう、危険な火遊びしている南アジアのどこかの貧国ではないのですから。
こういう日々の住民の不満・苦情、例えば道路が陥没した、水道が出ない、渋滞がひどい、郵便局のサービスが悪い、医者に金をふんだくられた、タクシーにぼられた、違法ゴミ捨てが止まないなどなどを、書き連ねている新聞があります。保守的な高級紙 New Straits Times社が首都圏で発行している Malay Mailというタブロイド版の夕刊紙です。
また各中国語紙は、熱線(ホットライン)といって読者の苦情欄を設けて毎日これを報道しています。
筆者の論に首をかしげる方は、こういう編集ページをよくご覧なれば、筆者のここで書いたことにうなずかれることでしょう。
お断り: このように書きましても誤解はしないで下さい。筆者の気持ち考えは他のトピックスを読んでいただければきっとわかっていただけると信じています。ここに書いたのはあくまでもマレーシアの一面です。これがマレーシアのすべてではありません、ちょうど人なつっこく素朴な面がマレーシアのすべてでないのと同じように。
マレーシアは一般に保守的な社会といってもいいでしょう。(保守的ということを肯定的に考えるか否定的に捉えるかは、ここでは問いません。)歴史的文化的伝統のせいでもあるでしょうし、各民族の現世にたいする捉え方に起因する面もあるのでしょう。もちろん政治的に社会の大きな変革を望んでいないことも忘れてはいけない理由でしょう。
ただなんといっても宗教の果たす役割が大きいのではないでしょうか。宗教が生活のいたるところで生きており且つそれが各民族の思考行動を規定しているので、宗教性が薄まらない限り人々の意識が大きく変わる、いい方向にも悪い方向にも、ことは考えられる将来にまずないでしょう。そうならないようにマレーシアの支配勢力は決して手綱をゆるめないし、それに強大な宗教界がそんな事を許すわけはありません。
イスラム教の思想からいえば、イスラムは単なる宗教ではなく人の生活と思考と行動を支配する全生活な規範ですから、人にとってある一部の行動だけがイスラムを外れるということは許されません。
さてこんなことを知っておいて、筆者の以前経験したあるエピソードを紹介しましょう。
毎年所得税申告の時期に前年所得申告の用紙が納税者一人一人に届きます。そこで筆者は、パートナーへの当局からの納付通知遅れへの文句とか自分の申告手続きをしに、税務事務所に何回も足を運びました。
マレーシアの所得申告用紙には妻を控除対象にする欄があらかじめ設けられています。用紙の所定欄で夫婦別申告申し立てなければ、妻は夫の納税番下に一括されてしまいます。
筆者は税務事務所へ相談に行くたびに係官(公務員)に、所得申告用紙は控除申告のために夫が妻の名を記入するようになっているが、妻が夫を配偶者控除対象にするようになっていない、つまりこれでは妻が配偶者控除申請できないではないか、という質問をしてみました。予想したとおり彼女たちは、税務係官はマレー女性が多数、筆者の質問自体が理解できないのです。言葉が通じないという事ではありませんよ。
彼女たちにとって、妻が夫を控除対象に選ぶという発想そのものが浮かばないので、筆者の質問自体はいつもいいぱなしで終わってしまいました。
この件は筆者たちが当時相談に使っていた、会社関係の事務処理代行会社に税務相談に行った時もその所長、華人男性、にも理解できない事でした。
筆者のような質問又は訴えが税務係官である彼女ら、会社事務処理を専門にしている彼にまったく場違いであったのは、つまり多くのいやほとんどのマレーシア人納税申告者がそういう疑問を抱かないということでしょう。
筆者には極めて単純明解、夫婦でどちらが配偶者控除を申請しようともそれは夫婦が選択すべきことである、のですが、こういう西洋思想?はまったく通用しません。例えば夫が所得ナシで妻が所得アリ、その場合でも妻は夫を配偶者控除にできません。逆はもちろん認められます。
これは単に筆者の経験した一つのエピソードでありますが、マレーシアでは結婚証明書には双方の父親の名前を書く欄があるけども母親を記入する欄はない、などと時々”男性優位思想”が公的書類に見受けられます。もっともこういう事を感じる事自体が、イスラム教からいえば”西欧思想に感化されている”のでしょうけど。
筆者の知る限りこういう点を是正しようとする運動なり思想は育たないようです。ないことはないでしょうが、一度も見聞きしたことがないので、極めて小さな勢力でしょう。
マレーシアのマレー人、華人、インド人の3大民族の社会はどれも、長い伝統と外部にその源、つまりマレー人社会ならアラブに源を発するイスラム教、華人なら中国文化ですね、インド人はいうまでもなくインドヒンヅー社会、を持っており、その影響を無視することはできません。ですからそれぞれの民族が信ずる宗教の教義は、その民族の行動思考を大なり小なり縛っていると言ってもいいでしょう。
ところで、最近英字新聞 The Starに興味深い記事「中絶に関する法律と見方」が載りました。日頃こういうことに縁がないし、また筆者を含めてほとんどの方はこういう事を知る機会がないでしょうから、引用して翻訳してみました。
そこで今回は読者といっしょに、マレーシアの中絶に関する法律とマレーシア人の信奉宗教の一面に関するお勉強会です。尚abortion という単語を堕胎と訳さず中絶と訳しておきます。
まずマレーシアの法律では中絶をどのように捉えているのでしょうか。
刑法312条でこう定めています。
妊娠している女性に流産をおこさせた者は、3年以下の懲役又は罰金又はその両方を課す。
もし女性が後期妊娠期に入っている場合は、その刑は重くなります。懲役は7年以下にのびます。女性が自分自身で流産を引き起こした時は、この条項が適用されます。しかし医学的理由から流産手術を施行した医師にこれは適用されません。
刑法313条と314条はこう定めます。妊娠女性の同意なくその女性に流産をおこさせるべく試み、結果として彼女の死亡を引き起こした者は、20年以下の懲役が課せられます。
刑法315条。胎児または新生児を殺そうと試みた者は10年以下の懲役、または罰金又はその両方を課せられます。ただし母体を救う試みの中で発生した場合はこの限りでない。
刑法316条ではこうなります。315条で規定した状況下で胎児の生命を奪った者は、その者は不届き殺人の罪となり、懲役10年以下の罰を受けることになる。
筆者は日本の法律で中絶をどう定めているかうろ覚えなので、比較できません。ご存知の方教えて下さい。
では次にマレーシアで信奉されている各宗教からの見方を紹介しましょう。
中絶は人間生命の冒涜であるとみなします。イスラム法上での人間生命には退胎児の生命をも含み、胎児に完全ではない法定相続権の地位を与えています。そこでは、胎児は相続する権利はあるが義務はないと述べられているそうです。
胎児は次のような権利を持ちます。
もし妊娠が4ヶ月に達する前ならば突然変異と胎児の病気のようなまれな場合をも中絶の許容範囲に認める、ことにはいくらかの議論がみられます。
強姦による妊娠の場合ですが、その子供(胎児)は生れる機会を与えられるべきだとムスリム(イスラム教徒)は考えます。
ヒンヅー教は避妊を認めます、しかし女性が妊娠したら、どんな状況であろうと、中絶は許されません。なぜならそれは子供を殺す事に等しいから。
ヒンヅー経典は他の生命を殺したり傷つけることをいさめています。マレーシアヒンヅー教徒組織の女性部の助言者の一人は、「もし女性が強姦されてその結果妊娠したら、その強姦した男が望めば、彼女はその男と結婚するべきです。」
「我々ヒンヅー教徒はこう考えます、女性はその処女を奪った/ささげた男性と結婚すべきです、と。」
しかしこの女性助言者はこうも付け加えています。 もし医師が母体を救うために中絶しなければならないと判断して中絶がなされた場合は、それはいいのです。
シーク教(頭にターバンを巻いてるのが代表的なシーク男性教徒です- Intraasia注)は中絶に反対します。信者が中絶することのをあえて止めようとはしませんが、シーク教は子供を神からの贈り物とみなすのです。
神は至上の存在であり、もし神が子供が生れるのを望まなければ、それは自然に中絶、つまり流産という形で、してしまうであろう。
シーク教徒は、妊娠が4ヶ月過ぎると魂が胎児に入ることになるので、中絶が遅ければ遅いほど罪が重くなる、と考えます。
カソリックもプロテスタントも中絶に対しては非常に保守的な対応をしています。中絶は生命を奪うので殺人につながり、それを罪だと考えるわけです。
カソリックの教義では胎児にいつ生命が宿るかははっきりしてませんが、一般的に中絶はよくないという立場を取っています。 ペタリンジャヤのある神父は、「胎児がひどい障害をうけていてもそれは生きる権利がある、神が生命を与え神のみがそれを奪うのである。」
そういう神父もその女性が強姦被害者であるならば、まず教会が彼女の理解心を助けるでしょうとのこと。「その女性にあなたは罪がないのですと伝え、彼女が出産するまで手を差し伸べます。」
「もし被害にあった女性が中絶を望めばそれは彼女の個人的決定なのです。中絶は罪であると教会は考えますが、それだからといってその女性を責めはしません。」
プロテスタントでは、もし母体が命がの危機にめんしているならば、中絶はしてもよい、という立場です。ある神父は、たとえ強姦の被害者でも中絶は許せないので、「一人の過ちをもう一人の過ちにつなげてはいけない。」そうです。
中絶は、それはあらゆる生命を傷つけないという事を教える仏教の思想に反する。
たとえ母体が危険でも中絶に対する態度は変わらないとのこと。仏教思想に寄れば、その場合は母体か胎児かの選択と捉えます。そこでどちらの命がより生きるかの権利をもつか選ぶのでなく、自然にまかせるのです。
女性が強姦の被害者である場合も仏教は中絶を許しません。どのように生命が作られたとしても、それを殺す権利を誰ももたないということからです。
以上この新聞記事の著者の解する各宗教の中絶に対する見方を取り上げてみました。これを読んで、ふーんなるほどと共感される方、冗談じゃないと憤慨される方、こんな見方だとは知らなかったと驚かれる方、いやそれはちょっと違うと反論される方などいろいろだと思います。ご意見表示はメールかチャットルームでどうぞ。
筆者にはほとんど新しい知識でした。その意味ではたいへん役立つ記事でした。筆者は絶対無宗教ですからどの宗教に肩入れすることもありませんが、ただことが宗教に直接絡みますので、いくらIntraasiaとはいえマレーシアに住む身ですから、これ以上の論評は控えます。
追記: マレーシア人がすべてこういう宗教観を持ちそれに従っているかどうかは、また別問題です。当然ながら個人個人により違いがあることは容易に想像できます。