「今週のマレーシア 」 98年 3月と4月のトピックス

・ 奇妙な食事代金支払い方   ・ マレーシアってどんな所でしょうか?に答える   ・ ミッシェルヨウとシーラマジッドと松田聖子の場合
読売新聞のアジア支局設置場所に思う    ・ 猥雑で郷愁を残すPudu Raya一帯



奇妙な食事代金支払い方


コーヒーハウス/ショップと呼ばれる大衆食堂や屋台で、食事をとったりお茶のひと時を過ごすのはいかにもマレーシア的、同時に東南アジア的でもありますが、です。このところ毎年値上がりはしてますが、それでも比較的安価に食事やお茶が楽しめるのは、こういう店ならではのことです。筆者にとってこういうところで食べる飲むのは毎日の生活の一部であり、これなくてはマレーシア生活が成り立たないといっても過言ではありません。

以前このコラムで ”持ち帰り食文化大繁栄”(97年7,8月分) というトピックスを書きました。今回はまた別の違った面からこの大衆食堂・屋台文化をみてみましょう。

店内の一部を賃貸ししている大衆食堂

大衆食堂は、日本の大衆食堂のイメージとは大分違って、普通はその店の中の相当部分つまりこの一角あの一角を複数の飲食物商売主、通常は一人親方とか夫婦経営、に貸し出しています。カッコよく言えば店内をテナントに切り貸ししているわけです。つまり大衆食堂の中にいくつかの屋台があるという風になります。ですから大衆食堂も屋台もその商売形態は基本的にかわらないことになります。

しかもこの大衆食堂の内、華人大衆食堂(一般にChasat又はChantenと呼ぶ)は午前と午後までの貸し出しと夕方から深夜までの貸し出しの2部制をとっている店が多いのです。ひとコーナーもひと時も場所を無駄にしないという、さすが華人商売という感じですね。

どういう訳か、マレー人とインド人の(経営する)大衆食堂には、この午前・午後の部と夜の部に分けて大衆食堂を2重に貸し出す仕組みはまったく見られませんし、場所の切り貸しもきわめて珍しいのです。

サバ州は少し違う貸し出し方

昨年サバ州に行った時気がついたのですが、華人大衆食堂がマレー人の食べ物販売主に区画を貸している店をいくつか目にしました。半島部マレーシアでは極めて珍しい形態なので驚いたのです。なぜならマレー人はハラルHalal と呼ばれるムスリムが宗教上食べてよい料理しか扱えないし食べられないので、Non-Halalつまりハラルでない料理を扱う華人大衆食堂内でマレー人の店があること自体奇妙なのです。

このあたりも半島部マレーシアとは違った歴史的文化的経緯をもつサバ州の面を感じますね。尚残念ながらサラワク州についてはよく記憶していません。

細分化し専門店化している大衆食堂・屋台

この大衆食堂・屋台ではめん類各種からご飯もの、炒め物、果汁、ソフトドリンクなど販売がそれぞれ専門化していて、例えば鶏飯店なら鶏飯ばかりで、通常はそれ以外のメニューはありません。独立した屋台の鶏飯店なら、自分の店でお茶とか水を1杯1杯づつ売りますが、それでも通常は飲物の種類はごく少ないのです。大衆食堂内とか屋台街の鶏飯店では、飲物は一切売りません。飲物類は飲物類専門の屋台なり大衆食堂の飲物専用コーナーから注文する形式です。

麺類でもここは板麺、そこは西刀魚丸麺などとそれぞれ専門化していて、1軒の店がいろんな麺類を料理することはありません、せいぜい似通った種類の4,5種類までです。

昼食時に人気あるおかず載せごはん

この小さく専門化した飲食店で特に昼食時に人気あるのは、華人大衆食堂・屋台なら汁飯または経済飯、マレー系ならNasi Campur と呼ばれる店と料理です。この料理は白いご飯にいろいろな種類のおかずを載せて食べる形式です。

経済飯店またはNasi Namour店では、10種類ぐらいから、多いところでは20種類ものおかずをそれぞれ容器に入れてカウンター上に載せてありますので、通常は、お客がご飯を載せた皿に好きなおかずをめいめい取り、それを店の人に見せて、いくらですかと聞くわけです。

持ち帰り食にする場合は、ご飯を入れた発泡スチロールの容器か油紙に、どういうわけかマレー料理店は油紙を使うところがけっこうある、ごはんとそれぞれ好きなおかずを載せていく仕組みです。

代金支払いに関しては、お客がいくらと聞いた後、その場ですぐ代金を払う場合だけでなく、それをお客が覚えておいて、食べ終わった後店の人に代金を払う場合も多いのです。ここまではそれほど変わった仕組みではないでしょう。

食後自己申告の代金払い

ところがたいへん奇妙な仕組みがあって、お客がおかずをご飯の上にめいめい取り、そのまま店の人に見せずにテーブルについて食べてしまい、帰る時に店の人を呼んで、自分が何を食べたかを伝えて代金を計算してもらうのです。もちろん計算書などありませんから、例えばAyam(鶏)一本、Ikan(魚)1匹、Sayur(野菜)1種類などと自己申告するのです。お客に悪心あればうそをいってもそれほどばれないでしょうし、野菜を多く取ろうが肉類をたくさんご飯に載せようが自己申告時には関係ありませんし、店の人もそれを気にしていません。まこと変な仕組みなのです。

この食べてから自己申告の仕組みは、例外的場合を除けば、華人大衆食堂や屋台ではとっていません。こういう仕組みをとっているのはマレー人経営の店・屋台に多いのです。一部インド人系店でもあります。

尚マレー料理の屋台大衆食堂でも、食べる前にまたはおかずをとり終わったあとで店の人に計算してもらい、食後代金徴収するところも、もちろんありますよ。またおかずを載せたご飯を食べてる最中、店の人が回ってきてその皿をみて計算し、紙片に値段を書いて手渡す、賢い方法の店が、インド人系の店にあります。

Makan Duluの慣習

この食後の自己申告制は外国人だけでなく華人マレーシア人も幾分奇妙に感じるらしく、筆者の前パートーナーも 「変なの」と言っておりました。決められた定食とか椀ものの麺類なら何を食べたかすぐ分かりますから、食べた後代金支払いはおかしくありませんし、普通に行われていますが、Nasi Campurのようなおかず載せご飯を、食べた種類と量にかかわらず、後で申告する仕組みはいかにも奇妙なしくみです。

筆者はそういう自己申告払いの仕組みのマレー系の店でも、おかずをご飯に載せた後店の人に必ず「Berapa いくらですか?」 と聞くことにしてますが、それでも時々いわれます。「Makan Dulu 先に食べてね、支払いは後の意」と言って、あえてその場で計算しようとしないのです。あっそう、それならいいやですが。

華人店はこの仕組みをとらない

商売人の華人大衆食堂の店や屋台の汁飯店が、このマレー系店でみられる食後の自己申告制を採用しないのはよく分かります。昼食時の混雑時に、あるお客が何を食べたか全く覚えてられないし、どのぐらいおかずを大盛りにしたかもわかりませんから、よく言えば商売上図、悪く言えばがめつい華人が、こんな仕組みを受け入れるはずありませんものね。

しかしマレー人の大衆食堂・屋台ではこんな太っ腹な仕組みをとっているところが、なぜかいまだにたくさんあるのですね。これは単に、ほとんど顔見知りの客ばかりのような田舎のお店の話でなく、都会の中でそれもクアラルンプールのような大都会の店でも、多いとはいいませんが、けっして珍しいことではありません。

大盛りでも小盛りでも代金同じ?

筆者は大食漢ではありませんので、こういう仕組みのマレー系Nasi Champur店でもいつも通り控えめにおかずを載せるのですが、大食漢のマレー人それに華人などおかずを山盛りしてるのもいます。こんな輩と筆者のような控えめ人間とおかずの種類が同じなら代金も同じなのかしら。お店の人、太った人にはその分余計にチャージするのかな。わざわざ調べたことありませんから知りませんけどね。

でも奇妙な仕組みです。あくまでも商売だから、多く食べた人にはたくさんチャージし、同じ値段ならすこしでも少なく売ってその分多くの人に売った方がいいはずだ、と考えるのは普通ですよね。

マレー中年女性のふとり方

ところで大食漢といえば、マレー人中年女性ってどうしてこうも太った人が多いのでしょう。太る痩せるは個人の勝手ですからそんなこと批判する事自体おかしいといわれればそれまでですが、そのふとり方がまるまると太ってそれじゃ階段を登るのも難しいでしょ、という一見不健康なふとり方なので、あえて言わせてもらいます。

マレー人に太ったのが多いと言うのは私の偏見ではなくて、栄養の専門家も以前新聞の記事で、マレー人は糖分のとりすぎと栄養の偏り傾向がある、と書いていました。彼女たちは日常まったく運動とは無関係に暮らしているでしょうから、太ってること事態を別に気にしていないのかもしれませんね。

元来マレー女性はその宗教的制約から、他の民族より運動しないのは確かでしょう。陸上や球技の全国レベルで選手にマレー人女性を見つけるのは珍しく、まして水泳とか体操のような肌を人前に示すスポーツでは皆無といっても間違いないでしょう。ですからこのあたりが太ったマレー人中年女性の多い理由の一つかもしれません。それにマレー人は多産ですからその理由もあるのかな。

読者で太った方に弁解しておきますが、筆者は太っているのが嫌いだよくないと言ってるわけではありません。マレー人中年女性のふとり方が余りにも不健康そうで動作がのろいので、いささかの揶揄をこめて書いたまでです。気を悪くされたらごめんなさいね。

ブミプトラ商売

話がそれてしまいましたが、このマレー食Nasi Campur代金支払い方法に残る慣習は、Bumi商売つまりマレー商売の中に、いまだある部分でKampungのなごりを残しているように、筆者には思えます。クアラルンプールのみならず大きな都市にはたいてい、さまざまな商売のBumi店が固まって入居している商業ビルや雑居ビルがあります。

そういう所を歩くと、なんとなく競争力、宣伝力が欠けているような雰囲気を時々感じるのです。具体的に言えば、商品のならべ方、客応対の態度、店舗の内装の古めかしさなどにそう感じざるをえないのです。誤解しないように付け加えれば、Bumi店舗がほとんどそうだというのではありません。

これは、政府も認めてるように、ブミプトラの個人会社や零細企業が他民族に比較してなかなか目標通りに伸びない一因でもないでしょうか。

一つ例を出せば、家具製造産業に関して、一次産業副大臣(マレー人)がこんな事を言っています。「ブミプトラ家具会社は家具製造業界で遅れており、さまざまな問題を抱えている。例えば資本、技術、経験の不足だ。おそまつな経営やマーケット戦略のまずさもある。」
強いビジネスネットワークを築くために協力して働こうとせず、反対に互いに競争しているBumi会社に対して、彼は注意を促しています。

ブミプトラ商売といってもさまざまですから、一概にいうのはよくありませんが、このNasi Campur食の代金支払方にみる考え方・慣習が、いい悪いは別にして、ブミプトラの中に残っているのではないか、というのが筆者のとりあえずの結論です。



マレーシアってどんな所でしょうか、に答える


人口が1千万を超える国の中で、日本は世界でも数少ない少数民族の極めて少ない国です。単一民族だなんてことをいってる人がいますが、アイヌや韓国・朝鮮人、最近では南米からの移住労働者などの存在を無視した暴論ですね。単一ではないが、でも均一性は相当程度高いのは事実ですね。さらに言語面ではもっと単一性が高く、日本全国どこへ行っても日本語ですべて用が足りるし通じます。(尚ここでは日本語と姉妹言語の関係である琉球語については触れません)筆者は長年世界を旅してきて、これは世界でも希有のことだと感じます。

日本の事情を当てはめない方がよい

日本はこういう意味では特殊な部類に入るといっても間違いではないでしょう。アジアの中では韓国に次いで”純度”が高い国になるのではないでしょうか。しかしこういう国は例外の部類ですから、日本の民族言語宗教事情をそのまま他国に当てはめると大きな間違いを起すことになります。

かろうじて半数を超えるマレー人

マレーシアはいうまでもなく多民族、多言語、複数宗教国家です。多数民族のマレー人がかろうじて過半数を超える程度ですから、それだけで国をまとめていく苦労が推測できます。もっとも出生率の高さからマレー人の比率は上昇傾向にあります。
一口にマレー人といっても一様でなく、数世代前にインドネシアのスマトラから移住してきたミナンカバウ出身者人など、言語的地理的近接度からスマトラ出身者や一部のジャワ出身者は古くから半島マレー人と交じり合ってきたようです。

ボルネオにもマレー人は先住していますが、半島部のマレー人との交流はあまり盛んでなかったと書いてあったことを覚えています。その距離は結構ありますから、飛行機のなかった当時、交流は相当たいへんだったことでしょう。サバ州ではマレー人は完全な少数派です。

19世紀以後複雑化した民族事情

19世紀以後の英国植民地政策で、錫鉱山に南方中国からの移民労働者、いわゆる華僑はもっと昔からいたようですが、流入が始まり、ゴムプランテーション農園用に南インド及びスリランカからのインド人労働者の移入によって、マレー半島部の民族事情はより複雑化したわけです。

それまでは半島先住民族のオランアスリとタイ国境付近のタイ民族、とスマトラ島からの移住者ぐらいの比較的同質的社会だったはずです。その後16,7世紀に来マレー半島したマラッカ付近のポルトガル人ぐらいがマレー半島の外国人にくわわったのですが、その数はたかが知れていました。そこでこの華人とインド人労働者の来マレー半島はマレーシアにとって大きなエポックになったと考えられます。

次第に力をつけた移住労働者

南方華人とタミール人を中心としたインド人の移入は第二次世界大戦前まで断続的にありました。彼らははじめの単なる単純労働者から次第に力をつけ、マレー半島の経済活動に手をのばし、それが一種のギルドかして、ある方面では何々系が幅をきかす、例えば福建出身者の華人(パンと呼ぶ)が運輸金融業面を握るということにりました。インド系の一部は金貸し業を営なんだり、英国植民地政府の下級官吏として日常業務面をつかさどる、などです。このあたりのことはマレー半島の近代史をひも解いてください。

与党連合は民族政党連合

このように、多民族多宗教になったのはそんなに古いことではないにしても、それが現代マレーシア社会にものすごく大きな比重をしめているわけです。政府与党連合を構成するBarisan Nationalはいくつかの民族政党がその主要構成政党になっています。マレー人のUMNO、華人のMCA, インド人のMICですね。サバ・サラワク州ではそれぞれの先住民族を基盤母体にした地域政党がこの与党連合に参画しています。ただサバ州の場合はサバ最大の民族Kadasan-Dusun民族母体のPBS党は、野党の立場ですが。

マレーシア各州によってその民族構成が相当違いますから、例えば9割ほどがマレー人の Kelantan州とマレー人が完全に少数派の Saba州では当然ながら州政府構成民族も違い、方針も開きがあることになります。もちろん大枠はかわりません。華人マレーシア人が多数派をしめるペナン州は、ずっと華人が州首相を務めています。

都会と田舎の違いも重要

マレーシアが東南アジア諸国で都会と田舎の違いが、比較的あくまで比較的に小さいといっても、その程度は日本の比でなく、都会の暮らしと田舎(カンポン)の暮らしの違い、都会人とカンポンに住む人々の考え行動の差は相当大きいのも事実です。この違いは単に都市と農村の住民間の収入階層に大きな開きがあるだけでなく、住民の民族構成即宗教構成の違いにも由縁するはずです。

小さな村になればなるほど、たとえ民族は違っても日常の互いの接触は密であり、その村のおきてなり慣習にそって生活していると思われますから、村内部での違いは都会のそれより小さいはずです。これは想像できますね。

民族と収入階層によるすみわけ

しかし都会、特にクアラルンプールのような大都会になれば、民族的に固まって住む傾向はなかなか消えていないのです。例えばSentul地区はインド人が多い、Gombakはマレー人地区、Kepongは華人地区などと簡単にその特徴をあげられます。新興住宅団地は、ブミプトラ割り当てがあることもあり、それほど民族的すみわけが強くはないでしょうが、ここは華人が多いとか比較的に簡単に見分けられます。(そのためには、もちろんそれなりの経験と知識が必要ですよ)

民族的だけでなく収入階層によるすみわけも根強く、あの地区は高級地区だとかそこは低所得者階層の地区だと、これも比較的簡単に指摘できます。例えば在住日本人の多いDamansaraやBangsar地区は言うまでもなく、中流階層以上が多数を占めますし、高級コンドミニアムばかりのMon Kiara地区やBandar Utama地区などとても低所得階層が住めるところではありません。

基礎知識がないと説明が難しい

さて長長と前書きを書いてきたのは、訳がありましてね。えー、これが前書きだったの、といわれても困りますが。
それは筆者宛てにたまに次のようなメールが届くことがあり、それに改めてお答えする意味合いも含めて、今回はこういうトピックスを書いているわけです。

「今度マレーシアに赴任する、またはマレーシア人と結婚してマレーシアに住む予定ですが、マレーシアってどんなところでしょうか?」 というような内容です。

初めて赴任する外国だから、行ったことのない国だから、不安で又は興味でこういうメールを送られることでしょうから、筆者もこれまですべてお答えしてきました。メールという限られたスペースとお便り主の背景がよく分からないので、筆者のお答えする内容は大体同じです。マレーシア社会の一般論を述べておきます。

もっと詳しくお答えしたいのですが、どこまで私の書く内容が伝わるか心配なこともあり、一般論にとどめています。マレーシアがどんなところかを簡単に説明するためには、どうしてもその歴史的背景とつまり上記でのべたような民族宗教的違い、都市と農村のかい離度などをある程度頭にいれていただかないと、わかってもらえないと思うのですね。
メールではそこまで詳しく書かなかったので、今回まとめて見ました。

外国人コミュニティーに暮らす安心感

世界多くの国でも同じように、マレーシアに住む外国人は普通ある特定の地域に集中して住みますから、例えばクアラルンプール周辺なら Ampang地区や Subang Jayaなどに外国人が多いということになります。日本人も当然その範疇に入りますから、ある高級コンドミニアムの住人は3分の2以上が日本人なんてことも起こります。そういう高所得外国人の多い地域は当然しゃれたショッピングセンターやレストランだけでなく高級私立病院まであり、その地域自体で一つの独立したコミュニティーを形作っています。

ですからそこから出なくてもほとんどすべて生活していけるわけです。周りは外国人、日本人そして中流以上のマレーシア人が多数ですから、それに見合ったコミュニティー生活を必然的に送ることになるでしょう。必要な情報は互いに交換しやすいし、またそういう人たちを主対象に情報を送っているホームページもあるようですし、なによりもそういう所に住めば安心感と高級感があるのでしょう。

ですからこういう場所に住む予定、働く方にとってマレーシアは、a Home away from Homeつまり自分の国を離れても自分の家にいるような気分に近い、もちろん同じにはなりえませんが、ですからそれほど心配なことはないはずです。初めてでの方でも安心して赴任できるのではないでしょうか。

地方に住めばやはり外国人は少ない

しかしすべての外国人がこういう場所に住むわけではありませんから、例えばサラワク州の小都市で貿易に従事するとか、東海岸の町にできた工場の管理をする人は、周りに住んでいる外国人がずっと少ないですから、なかなか a Home away from Home とはならないと思います。

暮らす地域の住民がどの民族が主体かによって、食べる物が変わってきますし、交友関係もそれに影響されますから、クアラルンプール周辺の外国人が多い地区に住むのとは生活が違ってくるのは当然ですよね。マレーシア語の必要度がずっと高まる場合もでてくるでしょう。ここらがマレーシアの多民族社会の面を反映しています。

都市に住んでも外国人と縁遠い地区もある

都市に住んでも、例えば上記で触れたSentul地区などでは回りはインド人が多いということになり、Subang Jayaの高級地区に住むとは違った状況になるはずです。筆者の住む下町は低中所得階層の華人が圧倒的に多いので、そういう人たちの生活にはおなじみになりますが、マレー人の生活は垣間みることしかできません。マレー人はけっこう働いていてもこの地区に住んでいるのは大変少ないからです。外国人労働者のバングラデシュ人の方が多いくらいです。ですからこれもまたマレーシアの一面なのです。

別世界のカンポン

都市町ではなくカンポンに住むとなれば、もうそこは相当違ったコミュニティーでしょう。でも小工業もないただの田舎に住む方は、それが目的で研究されたり、ジャングルや農村を研究・働き場所にされてるような極一部を除けば、ほとんどいないといっても間違いではないでしょう。そういうところに住まれる方はある程度経験があり、それを楽しんでられる方がほとんどでしょうから、上記のような相談者とは全く違いますね。

一口で答えられない複雑さ

マレーシア社会が歴史的経緯と地理的広がりから民族的複合社会であることから、「マレーシアってどんなところですか?」 という質問に、一口で答えるのは難しいことがお分かりになれたと思います。マレーシア人といっても、それがマレー人か、華人マレーシア人か、サラワクのイバン人かでは、母語(母国語ではない)、宗教、生活慣習などが違いがあり、一口にまとめて描写するのは難しいですね。

もちろんマレーシアは、一つの普遍的なマレーシア民族 Bangsa Malaysiaを目指しているのですが、現在それがすでに達成された状況でないのは、多くの人の認めるところです。

マレーシアに住む外国人はその住む働く場所の違いと、マレーシア各民族社会への付き合い方の深さによって、マレーシア社会への捉え方にそうとう程度の開きが出てくるのですね。これが日本のような均質程度の高い社会に暮らすのとの一番の違いといえます。

日本で田舎といっても今や電話が普及してないとか、水道がきてない所はありませんし、日本語でコミュニケーションできないなんてまずありませんよね。しかしマレーシアでは、単にインフラストラクチャーが整ってないだけの違いでなくて、周りに住んでる民族が違いコミュニケーション言語が違う、宗教活動に大きな比重を置いているということを経験するのです。

ですから筆者は問い合わせの方には、よく次のような風に答えます、「あなたが住む地域とどれだけその地域に溶け込むかによって、あなたのマレーシアは随分かわってきます、と思います。」 と。



ミッシェルヨウとシーラマジッドと松田聖子の場合


最初にお断りしておきますが、この3人の日マの芸能人のファンだから名前をあげたわけではありません。日本で比較的知られているだろうということであげました。筆者は映画好きですし、歌も聴くことは好きですが、俳優なり歌手に夢中になることは昔からまったくありません。

2人の有名なマレーシア女性スターの紹介

ミッシェルヨウは日本でも公開された最新007映画Tomorrow Never Dies でボンドの相手役、中国のスパイを務めている女優です。去年この今週のマレーシアでも紹介しましたように、ハリウッド映画でマレーシア人俳優として初めて準主役級を務めたので、華人マレーシア人の枠を超えて一躍有名になりました。映画をご覧になった方ならすぐ思い出されることでしょう。

シーラマジッド、マレーシア人歌手としておそらく最も早く日本に紹介された歌手の一人でしょう、はっきり覚えてませんが、確か10年近く前に日本でも彼女のヒット曲 Sinaranがリリースされたのではなかったかな。筆者もいい曲だなと思って、後日そのカセットアルバムを買ったものです。現在はどうか知りませんが、テレビのコマーシャルにも出ていました。

もう若くはありませんが、いまでも実力派一流歌手としてマレーシアでは高い人気を保っているようです。日本には90年中頃から幾人かのマレーシア人歌手が紹介されてきたようですが、シーラマジッドはもっとも成功した歌手ではないでしょうか。

松田聖子、別に書く事ありませんが、この3人の共通点をしいてあげれば、10代20代のヤングアイドルでなくそれぞれのポリシーを掲げて活躍している芸能人、そして離婚歴アリということかな。

新聞社会面に載ったミッシエルヨウの政治集会出席

さてミッシェルヨウが最近帰国して(ボンド映画出演までは香港がベース、現在は米国?)新聞記事になりました。しかし芸能欄ではなく一般社会面です。華語紙も英語紙も同様です。

「私はマレーシア人であることに誇りをもっています、私はマレーシアでできた”産物”なのです。」 とマレーシア政府与党連合の3大主要構成政党の一つである MCA(華人マレーシア人の政党です)の”Love Malaysia" 集会でミッシェルヨウが述べました。

ちょっと解説しておきますと、通貨危機によってマレーシア経済が停滞したため、MCA政党は”マレーシア製品を買おう”キャンペーンを独自に始め、これまで全国的の10か所でこの”Love Malaysian”集会を催してきました。どの集会でもいつも数千人以上の女性MCAメンバーが集まると新聞は伝えています。

参加者を喜ばせた演説

この日は6千の女性MCAメンバーが参加したそうです。そこでミッシェルヨウは演説しました。「皆さんはマレーシア製品を使い支持するべきです。」 「現下の経済状況では、経済復旧のために女性が大きな役割を果たします。」

原稿を自身で書いたのかMCAの用意した原稿を読み上げたのかはまったくわかりません。泣ける言葉ですね。多くの参加者が喜びの声を上げたそうです。こういう演説は政治家から聞くより、彼女のような有名人から聞く方がずっと効果あることでしょう。

ちなみにミッシェルヨウの父親は地元イポーの前MCA政治家で、Datuk称号を持っています。マレーシアは日本やインドやフィリピンのように、映画スターなどの芸能人が政界に進出して成功する例は全くありませんし、その土壌もなさそうですから、彼女が将来は政治家になろうとしてるとは誰も考えないでしょう。

外国映画資本に頼った彼女の成功

ところで彼女、元ミスマレーシアです、は私の知る限りマレーシアテレビ界ではまったく活躍した事がなく(マレーシアには中国語映画界は存在しない)、ずっと香港映画界で活動し、それが認められて今回の007映画に抜擢されたのです。

香港映画はもちろん香港資本ですし、007映画は米国のスタジオが製作配給ですね。彼女の出演映画はすべて外国映画資本がその収入を収めるのです。もちろん出演料や有名人付属収入は彼女の所得になりますが。マレーシアの枠を超えて成功し有名になったとはいえ、まことに皮肉っぽい裏事情です。誰もそんなことはいわないようですけどね。

マレーシア人であることに誇り

「私はマレーシアをたいへん愛しています。香港であろうと米国、英国であろうとどこへ行っても、私はそこの人たちに自分はマレーシア人です、と言うのです。」 米国やヨーロッパなら”マレーシアってどこにあるの”という人ばかりでしょうが、変に外国にこびない態度はすがすがしいですね。

これを聞いてMCA会長、運輸大臣でもある、は喜び、彼女はすべての女性にとってモデルだと褒め称え、「彼女がここで示しているのは、女性が男性と同じように重要な役割を果たすことができることである。」 政治家ですから我田引水は結構ですが、ハリウッド映画、香港映画なら尚更、上で彼女がどのような役割を演じているか、この人知っているのかな。

なぜミッシェルヨウは成功したか

彼女は美人で英語を上手に話し、ジャッキーチャンまがいのアクションをこなす女優と言うことで成功してきたのです。美人でなかったらマレーシアを離れて女優としてはまず成功しないし、英語が下手ならハリウッド進出はできない、つまり英語支配、という枠組みを無視して彼女の成功はありえないのです。

それは女性が男性と同じように重要な役割を占めているのでなく、”女性として期待された役割”をうまくこなしているのです。MCA会長はこの根本的枠組みを知らないか無視していますね。

いずれにしろミシェルヨウは賢い女(ひと)ですね。マレーシア人の琴線にふれるようなことをいいますから。

美人で上品なシーラマジッドの一面

さてシーラマジッド、美人で歌のうまいベテラン歌手です。中上流階級出身で上手な英語を話し、多くのファンを持っています。マレー人ですから即ムスリムです。

ところで、去年マレー女性がミスコンテストに穏健な水着姿で参加してイスラム教保守派から非難されて、ついには宗教庁から取り締まりをうけ起訴までされました。この今週のマレーシアでも一度取り上げましたね。

スターはなぜスカーフを着けないのか

筆者はつねずね疑問に思ってきたのですが、マレー歌番組やマレー映画・テレビ番組に出演している女性歌手俳優たちはどうしてスカーフ姿でないのかです。伝統的民謡を歌う歌手などは別にして、マレー女性歌手のスタイルは西欧や日本の歌手ほど過激ではないけど、それなりに身体を強調しているステージ衣装を身に着けているし、反対にスカーフ姿でステージに立つ姿とかカセットのジャケット写真を見た事がほとんどありません。

現代もののマレーテレビ番組に出てくる若いきれいな女優たち、どうして頭にスカーフしてないのでしょう、それにからだの線を強調した服装しているのでしょうか?

注:スカーフと書きましたが、実際は頭髪だけでなく、顔の前面だけのこして耳もあごもすっぽり包むのです。

イスラム教上そういう姿の女性は許されるのでしょうか?はっきりしているのはモスクでは絶対許されない事ですね。筆者はムスリムではありませんしマレーシア国民でもありませんから、その解釈がどうであろうと知った事でありませんし、どう解釈すべきかという筋のものでもありません。イスラム教解釈にはアンタッチャブルです。ただ目の前の現象を考えるだけです。

その現象を見てただ疑問に思うのは、どうして若い女性歌手や俳優は、マレー女性は一般にそうするべきだと考えられているスカーフ姿をステージ上や演技時には免除されるのでしょうか、いやそれだけでなく写真のいっぱい載ったアイドル雑誌や芸能雑誌に現れる彼女たち、頭髪をスカーフで隠した写真はたいへん少ないのですが。

ミスコンテストとマレー人スター

そうすると、テレビ映画スターや歌手は職業上スカーフしなくてもよいのですね?、ミニスカートをはいてもいいのですね?スターや歌手はたいてい若くて美人ですから、モデル出身者もいるでしょうし、ミスコンテストに参加した娘もたくさんいるでしょう。ミスコンテストにでてスターになりたいとか有名になろうと、参加者が思うのは極めて当たり前ですよね。

ミスコンテストは、全てではないけど、スター登竜門の重要な一つといっても間違いないでしょう。そこでそのミスコンテスト事件にさいして、マレー歌手とかマレー俳優がどんなことを述べるか興味を持ってみていたのですが、私の見聞した限り、黙して語らずでした。

宗教庁の取り締まりに対して、いきなり逮捕は行き過ぎだなどと批判した女性団体や、ミスコン主催団体からの基準がよく分からないといった批判はいくつかありました。マレーシア国会やスランゴール州議会でも議論があったことは当時新聞によく載りました。しかしマレー人の芸能人団体は何かを言ったのでしょうか?

シーラマジッドはおりこうさんです

有名で厳とした地位を歌手界に築いた又持っているシーラマジッドのような歌手は発言したのでしょうか?イスラム保守派の動きに対して、スカーフをしない、しなくていい?歌手や俳優はなぜいつも静かなのでしょうか?

マレー人社会に詳しくないしマレーシア語紙を読んでるわけでないので、筆者にはよくわかりません。ただ同じ若いマレー女性が歌手や俳優になればからだの線を強調した服装で衆目の前に出ていいけれど、その予備軍である若いマレー女性が同じようにして人前で行われるミスコンテストには出ていけない、ということを知りました。

シーラマジッドは美人で歌がうまいだけでなく、”あたまのいい世渡りのうまい”ひとですね。

松田聖子はマレーシアにはいない

車中の週刊誌案内広告程度の知識しかありませんが、松田聖子は自分のヌード写真を出したとか逆セクハラ訴訟をうけたそうですね。なんでもアメリカ大好きであちらでも活躍していたとか。その際 「私は日本人である事に誇りをもっている」 とでも言うのでしょうか。彼女に対して別に筆者は共感も反感も感じないし、また応援もする気ありません、お好きなようにというところです。

こういうタイプのスターはマレーシアにはいないのは間違いないですね、スターといえども彼女のような行動はマレーシアの風土では許されないのです。スター・アイドル雑誌はありますが、スターがプライベートでどんな行動しているかを子細に報告する雑誌や番組はないし、そんなのは出版法上許可されないでしょう。

ですから松田聖子はやっぱり日本の”産物”であって、マレーシアの松田聖子は生れ得ないですね。



読売新聞のアジア支局設置場所に思う


先月マレーシアを離れ、タイに滞在した後日本に向かう機中のことです。機内で配られた読売新聞を手に取り、何気なく「アジア便り (正確なタイトル名は忘れた)」 を読んでいてふと気がつきました。記事の上段に読売新聞のアジア支局が掲示されていました。香港、上海、バンコク、シンガポール、ジャカルタ、マニラ、プノンペン、−−−と続くのです。「うん、クアラルンプールは?」 マレーシアを離れても、やっぱりマレーシアが一番気になる筆者は、しっかりと支局名を確認しましたが、やっぱりクアラルンプール支局はないのです。

クアラルンプール支局を持たない読売新聞

マレーシアでももちろん朝日、読売、日経の各国際衛星版は定期購読できるし、日系の本屋でも売られていますが、購読料が高いせいもあって、筆者はまったく購読していませんし、ほとんど読むことがないのです。その時初めて知りました、読売新聞がクアラルンプール支局をおいてないことをです。そして意外や、プノンペン支局を置いているのです。

大新聞社がある国なりある地域に特派員の人数に関わらず支局をおくのは、その国や地域が日本にとって重要度・ニュース価値が高いと判断してのことでしょうから、これはその新聞社、ここでは読売新聞社がカンボジアの方がマレーシアより重要度かニュース価値が高いと判断していることを示唆しているかのようです。

こういうと、新聞社から 「いや、そうではない。マレーシアはシンガポール支局がカバーできるから、あえてクアラルンプール支局を置く必要はない。カンボジアはバンコク支局やハノイ支局からカバーしにくいからだ。」 という理由付けが聞こえてきそうですね。

シンガポールからマレーシアをカバーする

事実、読売新聞社にかぎらず、シンガポールに現地法人又は支店・営業所をおいてマレーシアをカバーしてる日系企業が案外多いのです。つまりシンガポールを本拠とした営業マンやエンジニアが足げくかしばしばか知りませんがマレーシアを訪れて、ビジネス活動をしているわけです。読売新聞もシンガポール特派員がマレーシアを時々訪問して取材している、そんなところではないでしょうか。それでしたら、マレーシアファンとして、シンガポール・マレーシア支局とでもして欲しいですね。

反対にクアラルンプールのマレーシア現地法人又は営業所・支店がシンガポールをカバーしているケースはその逆よりずっと少ないはずです。企業の場合、投資効率や営業・製造戦略からどこに現地法人・支店をおくか考えますから、一概にシンガポール重視とはいえませんが、新聞社の場合は投資効率とか営業戦略を考えて支局をおいてないでしょう。それでなければ在留邦人数百人程度のプノンペンに支局を置くはずわけありませんからね。

やっぱりシンガポール支局でマレーシアをカバーできるという考えからでしょう。でもシンガポールに常駐して、マレーシア特にマラッカ以北を知るのはなかなかたいへんですけどね。反対にクアラルンプール支局を置いてマレーシアの 7分の1の人口であるシンガポールをカバーしたらいかがかな。理論的にはこちらのほうがよさそうだけど、日本人のシンガポール好きから実現は難しいかな。

カンボジアはマレーシアよりニュース価値大

しかしですね、千近い日系企業が存在し、一時滞在者を含めれば2万人前後の日本人が常時滞在しているマレーシアに支局をおかずに、日本人にとって経済的価値のずっと低いカンボジアに読売が支局を置くのは、その政治的ドラマ性と軍事的衝突がまさにニュース価値アリと判断しているからに違いありません。

両国への日本人の訪問者数を比べても違いは歴然、マレーシアへは年間40から50万人、カンボジアを訪れるのはいくら多く見積もっても年間数万人でしょうから、経済的価値と観光地としての人気度の両面から、カンボジアは日本人にとってマレーシアのはるか後塵を拝しているはずですね。

それでもカンボジアに支局を置いている読売新聞は、単に経済的価値だけに重きを置くのでなくニュース度を重視しているということですから、ジャーナリズム企業としての読売新聞に筆者は敬意を表します。

ただそれとは別にバンコクとシンガポールに支局をおいてその間のクアラルンプールを飛ばしてしまう、ちょうどどこかの会社のような営業判断にはちょっと残念ですね。

マレーシアはやっぱり目立ちかたが少ない

独立以来40年間で首相は4代目のマレーシアは、内閣が平均2年と持たないタイと比べて政治的安定度が抜群に高い国ですから、政治的ニュースはあまり外国人の目を引かないでしょう。目立ち度という点から、タイそれにスハルト独裁国家のインドネシアより下になるのでしょうし、旅行者の人気度からいってもシンガポールとタイに挟まれて苦戦と言ったところ、うーんなかなかマレーシアのポイントが上がりませんな。

こうみると読売新聞がマレーシアを差し置いてベトナムに支局を置き、続いてカンボジアに支局開設、そんな事情もわからないでもありませんが、マレーシアファンとしてはやっぱりクアラルンプールにも支局を置いて欲しいですね。

マレーシアの新聞はほとんど日本に特派員を持たない

日本の大新聞社は規模が大きいこともあって、アジア各国にいくつかの支局をおいているという素晴らしい方針をとっています。マレーシアでは確か中国紙の一部を除けば、英語紙もマレーシア語紙もほとんど日本に特派員を常駐させてないですよね。ですから日本のニュース、これが実によくニュース記事になりますが、いずれもAPとかUPIやロイターの外電をそのまま載せています。新聞社の経営規模が小さいから特派員を常駐させるより外国通信社のニュースを買った方がいいというところでしょう。

いうまでもなく、たとえクアラルンプールに支局ができたとしても、マレーシア発のニュース記事が劇的に増えることはないでしょう、日本の新聞は薄いつまり全体のニュース量がそれほど多くないからです。それでもシンガポールから巡回してくるのでない常駐記者の冴えた記事を期待できるではありませんか。新聞はなんといっても読者数が2桁も3桁もインターネットより多いのですから。



猥雑で郷愁を残すPudu Raya一帯


2ヶ月ぶりくらいにチャイナタウンへ行きました。目的はRexシネマで映画を見ることですが、ついでに周辺を歩いてみました。余談ですが、Rexは今尚クアラルンプールで料金RM5で映画が見られる数少ない映画館です。しにせの映画館で、ほとんどがハリウッド映画を上映しています。旅行者の方、チャイナタウン散策ついでに映画みるのもいいのでは。

撤去されたマレー屋台街

でちょっと驚いたのが、Pudu Raya バスターミナルから Rexシネマにつながる Chen Lock通り脇にあったバラック建てのマレー屋台街が、完全に撤去されてしまったことです。おそらく何十年もそこで商売していたはずです。チャイナタウンからPudu Rayaに向かう狭い歩道道路端を占有し、歩行者には迷惑千万でしたが、そこに店店があることがこの一帯に完全に溶け込んでいたので、いざなくなってしまうと、なにか物足りないような感じです。

熱帯果物を揚げて売っていた店、マレー飯を並べ呼び込んでいた店、いずれも狭いバラック街にひしめきあっており、店に入るうだけでむっとした熱気を感じたものです。店の前はクアラルンプールでもなうての交通渋滞地になる Pudu Rayaロータリーですから、早朝から夜遅くまで車の騒音と排気ガスがこの一帯をつつんでいます。

なぜわざわざこんなうるさく暑いところで飯を食うのかと思える変な場所にあった屋台街ですが、なくなってしまったんです、おそらく市当局の撤去命令が執行されたのでしょう。

Pudu Raya バスターミナル付近の人間模様

このPudu Raya バスターミナルはマレーシア半島各地への発着基地ですから、一日に何千人、何万人かな、もの乗降客が行き交うのです。この一帯はいわば、マレーシアの60、70年代の上野駅といった趣です、ボストンバックを両手にもち食料品をビニール袋に入れ、小さな子供を3人も4人もつれている夫婦、大きなバッグを掲げジーパン姿の若者、頭から顔をスカーフですっぽり覆いさえない色の長袖衣装にジーパン姿の女性などなど、圧倒的にマレー人が多いのですが、ひと目でお上りさんと分かる姿でこの一帯を歩いています。

それを目当てに、バスターミナルの前と横のタクシースタンドではぼったくりタクシーが客待ちしています。このタクシー運転手はまずメーターを使いません。大きな荷物を持っていてバスに乗りづらい人や地理不案内のお上りさん目当てに獲物を待っているのです。この1年ほどの道路交通局の厳しい指導と取り締まりで大分よくなったようですが、それでもこの悪徳運転手と客との交渉会話を立ち聞きすると、やっぱりぼったくりですな。

長年この屋台街からPudu Rayaに至る狭い歩道では、盲目の街頭音楽家がアコーディオンを弾きお金をこうていました。盲目のポケットティッシュ売りもいつも歩道のたもとに座っていました。ここはマレー人ばかりです。物売り・街頭音楽家とはいえ、乞食との接点を行くような人たちです。

人の流れが絶えない Pudu Rayaと歩道は、鉄をむきだした歩道橋でつながっています。クアラルンプールが発展する前に作られたであろうこの狭い古い歩道橋を今も人々が上り下りしています。

今尚郷愁を残すPudu Raya

昼間から薄暗く冷房などはまったく縁のない熱気につつまれたPudu Rayaバスターミナル、ぼったくりタクシー、盲目のこじきまがいのティッシュ売りと街頭音楽家、歩道脇のマレー屋台街、年月ものの歩道橋、たくさんの荷物と子供を連れたおのぼりさん、いかにもあかぬけない姿の若者、この風景は私が始めてマレーシアを訪れてチャイナタウン・Pudu Rayaあたりを徘徊した17年前とその基本的構造は変わっていないのです。

Pudu Rayaさえ知らない行ったことのない多くの在住日本人の方は、ほとんどこの情景にじっくり身を置いたことがないでしょうから、実感できないと思いますが、60、70年代の上野駅的イメージを浮かべてください。長距離列車を待つなんとなくけだるい雰囲気、田舎から上京してきた人たちの素朴なイメージ、といったちょっとなつかしい郷愁に満ちた響きですよ。決して卑下したイメージではありません。私は東北出身ではないので、実際はよく知りませんが何となくわかりますよね。それがPudu Raya一帯だと言えば、まああたらずとも遠からずでしょう。

今ではクランタン州、トレンガンヌ州方面行きバスは The Mallショッピングセンター斜め前のPutra バスセンターから出発するようになり、”遠くのいなか”行きのバスは唯一Pudu Rayaから出発するわけではありませんし、休みの日などバングラデシュ人やフィリピン人労働者が集う場所になりつつある、 Pudu Raya近くの Kotarayaショッピングセンター付近は時代の流れを受けて変わってしまいましたが、Pudu Rayaは今でもその雰囲気を残しています。

猥雑なPudu Raya・チャイナタウン地区にひかれる

バンサ(バングサではありませんよ、バンサと発音してください)やダマンサラ、スバンジャヤのアップタウンではまったく味わえない、猥雑で汚くうるさいPudu Raya・チャイナタウン一帯ですが、筆者はどうしてもこちらに引かれてしまうのです。単にこの一帯が筆者のマレーシア体験の出発点であったからではないのです。バンコクでもトレンディーなスクンヴィット通りなんかでなく、上野駅みたいなフアランポーン鉄道駅付近が私の好きな地域です。

きっと自分が今尚”旅人”であるから、どうしても旅の基地にひかれるのでしょうね。そこが庶民の臭いを残しておれば尚更です。

Pudu Rayaバスターミナルの横では、現在巨大な Plaza Rakyatショッピングセンター兼ビジネスビルが建設中、その裏手はすでに高架鉄道LRTの高架駅が営業中です。Pudu Rayaの屋上には大きな電光スクリーンが映像を映し出しています。またチャイナタウン再開発計画も執行される事が決まっています。近い将来Pudu Raya・チャイナタウん地区は大きく近代化してしまうのでしょう、その時それでもしぶとくこれまでの雰囲気を残していくのでしょうか。

旅行でクアラルンプールを訪れたら是非Pudu Rayaあたりをうろついて下さい。チャイナタウンの隣ですからほんのちょっとだけ足を伸ばせばいいのです。東南アジアの都会の伝統的雰囲気がここには残っていますよ。



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