・ 奇妙な食事代金支払い方 ・ マレーシアってどんな所でしょうか?に答える ・ ミッシェルヨウとシーラマジッドと松田聖子の場合
・ 読売新聞のアジア支局設置場所に思う ・ 猥雑で郷愁を残すPudu Raya一帯
コーヒーハウス/ショップと呼ばれる大衆食堂や屋台で、食事をとったりお茶のひと時を過ごすのはいかにもマレーシア的、同時に東南アジア的でもありますが、です。このところ毎年値上がりはしてますが、それでも比較的安価に食事やお茶が楽しめるのは、こういう店ならではのことです。筆者にとってこういうところで食べる飲むのは毎日の生活の一部であり、これなくてはマレーシア生活が成り立たないといっても過言ではありません。
以前このコラムで ”持ち帰り食文化大繁栄”(97年7,8月分) というトピックスを書きました。今回はまた別の違った面からこの大衆食堂・屋台文化をみてみましょう。
大衆食堂は、日本の大衆食堂のイメージとは大分違って、普通はその店の中の相当部分つまりこの一角あの一角を複数の飲食物商売主、通常は一人親方とか夫婦経営、に貸し出しています。カッコよく言えば店内をテナントに切り貸ししているわけです。つまり大衆食堂の中にいくつかの屋台があるという風になります。ですから大衆食堂も屋台もその商売形態は基本的にかわらないことになります。
しかもこの大衆食堂の内、華人大衆食堂(一般にChasat又はChantenと呼ぶ)は午前と午後までの貸し出しと夕方から深夜までの貸し出しの2部制をとっている店が多いのです。ひとコーナーもひと時も場所を無駄にしないという、さすが華人商売という感じですね。
どういう訳か、マレー人とインド人の(経営する)大衆食堂には、この午前・午後の部と夜の部に分けて大衆食堂を2重に貸し出す仕組みはまったく見られませんし、場所の切り貸しもきわめて珍しいのです。
昨年サバ州に行った時気がついたのですが、華人大衆食堂がマレー人の食べ物販売主に区画を貸している店をいくつか目にしました。半島部マレーシアでは極めて珍しい形態なので驚いたのです。なぜならマレー人はハラルHalal と呼ばれるムスリムが宗教上食べてよい料理しか扱えないし食べられないので、Non-Halalつまりハラルでない料理を扱う華人大衆食堂内でマレー人の店があること自体奇妙なのです。
このあたりも半島部マレーシアとは違った歴史的文化的経緯をもつサバ州の面を感じますね。尚残念ながらサラワク州についてはよく記憶していません。
この大衆食堂・屋台ではめん類各種からご飯もの、炒め物、果汁、ソフトドリンクなど販売がそれぞれ専門化していて、例えば鶏飯店なら鶏飯ばかりで、通常はそれ以外のメニューはありません。独立した屋台の鶏飯店なら、自分の店でお茶とか水を1杯1杯づつ売りますが、それでも通常は飲物の種類はごく少ないのです。大衆食堂内とか屋台街の鶏飯店では、飲物は一切売りません。飲物類は飲物類専門の屋台なり大衆食堂の飲物専用コーナーから注文する形式です。
麺類でもここは板麺、そこは西刀魚丸麺などとそれぞれ専門化していて、1軒の店がいろんな麺類を料理することはありません、せいぜい似通った種類の4,5種類までです。
この小さく専門化した飲食店で特に昼食時に人気あるのは、華人大衆食堂・屋台なら汁飯または経済飯、マレー系ならNasi Campur と呼ばれる店と料理です。この料理は白いご飯にいろいろな種類のおかずを載せて食べる形式です。
経済飯店またはNasi Namour店では、10種類ぐらいから、多いところでは20種類ものおかずをそれぞれ容器に入れてカウンター上に載せてありますので、通常は、お客がご飯を載せた皿に好きなおかずをめいめい取り、それを店の人に見せて、いくらですかと聞くわけです。
持ち帰り食にする場合は、ご飯を入れた発泡スチロールの容器か油紙に、どういうわけかマレー料理店は油紙を使うところがけっこうある、ごはんとそれぞれ好きなおかずを載せていく仕組みです。
代金支払いに関しては、お客がいくらと聞いた後、その場ですぐ代金を払う場合だけでなく、それをお客が覚えておいて、食べ終わった後店の人に代金を払う場合も多いのです。ここまではそれほど変わった仕組みではないでしょう。
ところがたいへん奇妙な仕組みがあって、お客がおかずをご飯の上にめいめい取り、そのまま店の人に見せずにテーブルについて食べてしまい、帰る時に店の人を呼んで、自分が何を食べたかを伝えて代金を計算してもらうのです。もちろん計算書などありませんから、例えばAyam(鶏)一本、Ikan(魚)1匹、Sayur(野菜)1種類などと自己申告するのです。お客に悪心あればうそをいってもそれほどばれないでしょうし、野菜を多く取ろうが肉類をたくさんご飯に載せようが自己申告時には関係ありませんし、店の人もそれを気にしていません。まこと変な仕組みなのです。
この食べてから自己申告の仕組みは、例外的場合を除けば、華人大衆食堂や屋台ではとっていません。こういう仕組みをとっているのはマレー人経営の店・屋台に多いのです。一部インド人系店でもあります。
尚マレー料理の屋台大衆食堂でも、食べる前にまたはおかずをとり終わったあとで店の人に計算してもらい、食後代金徴収するところも、もちろんありますよ。またおかずを載せたご飯を食べてる最中、店の人が回ってきてその皿をみて計算し、紙片に値段を書いて手渡す、賢い方法の店が、インド人系の店にあります。
この食後の自己申告制は外国人だけでなく華人マレーシア人も幾分奇妙に感じるらしく、筆者の前パートーナーも 「変なの」と言っておりました。決められた定食とか椀ものの麺類なら何を食べたかすぐ分かりますから、食べた後代金支払いはおかしくありませんし、普通に行われていますが、Nasi Campurのようなおかず載せご飯を、食べた種類と量にかかわらず、後で申告する仕組みはいかにも奇妙なしくみです。
筆者はそういう自己申告払いの仕組みのマレー系の店でも、おかずをご飯に載せた後店の人に必ず「Berapa いくらですか?」 と聞くことにしてますが、それでも時々いわれます。「Makan Dulu 先に食べてね、支払いは後の意」と言って、あえてその場で計算しようとしないのです。あっそう、それならいいやですが。
商売人の華人大衆食堂の店や屋台の汁飯店が、このマレー系店でみられる食後の自己申告制を採用しないのはよく分かります。昼食時の混雑時に、あるお客が何を食べたか全く覚えてられないし、どのぐらいおかずを大盛りにしたかもわかりませんから、よく言えば商売上図、悪く言えばがめつい華人が、こんな仕組みを受け入れるはずありませんものね。
しかしマレー人の大衆食堂・屋台ではこんな太っ腹な仕組みをとっているところが、なぜかいまだにたくさんあるのですね。これは単に、ほとんど顔見知りの客ばかりのような田舎のお店の話でなく、都会の中でそれもクアラルンプールのような大都会の店でも、多いとはいいませんが、けっして珍しいことではありません。
筆者は大食漢ではありませんので、こういう仕組みのマレー系Nasi Champur店でもいつも通り控えめにおかずを載せるのですが、大食漢のマレー人それに華人などおかずを山盛りしてるのもいます。こんな輩と筆者のような控えめ人間とおかずの種類が同じなら代金も同じなのかしら。お店の人、太った人にはその分余計にチャージするのかな。わざわざ調べたことありませんから知りませんけどね。
でも奇妙な仕組みです。あくまでも商売だから、多く食べた人にはたくさんチャージし、同じ値段ならすこしでも少なく売ってその分多くの人に売った方がいいはずだ、と考えるのは普通ですよね。
ところで大食漢といえば、マレー人中年女性ってどうしてこうも太った人が多いのでしょう。太る痩せるは個人の勝手ですからそんなこと批判する事自体おかしいといわれればそれまでですが、そのふとり方がまるまると太ってそれじゃ階段を登るのも難しいでしょ、という一見不健康なふとり方なので、あえて言わせてもらいます。
マレー人に太ったのが多いと言うのは私の偏見ではなくて、栄養の専門家も以前新聞の記事で、マレー人は糖分のとりすぎと栄養の偏り傾向がある、と書いていました。彼女たちは日常まったく運動とは無関係に暮らしているでしょうから、太ってること事態を別に気にしていないのかもしれませんね。
元来マレー女性はその宗教的制約から、他の民族より運動しないのは確かでしょう。陸上や球技の全国レベルで選手にマレー人女性を見つけるのは珍しく、まして水泳とか体操のような肌を人前に示すスポーツでは皆無といっても間違いないでしょう。ですからこのあたりが太ったマレー人中年女性の多い理由の一つかもしれません。それにマレー人は多産ですからその理由もあるのかな。
読者で太った方に弁解しておきますが、筆者は太っているのが嫌いだよくないと言ってるわけではありません。マレー人中年女性のふとり方が余りにも不健康そうで動作がのろいので、いささかの揶揄をこめて書いたまでです。気を悪くされたらごめんなさいね。
話がそれてしまいましたが、このマレー食Nasi Campur代金支払い方法に残る慣習は、Bumi商売つまりマレー商売の中に、いまだある部分でKampungのなごりを残しているように、筆者には思えます。クアラルンプールのみならず大きな都市にはたいてい、さまざまな商売のBumi店が固まって入居している商業ビルや雑居ビルがあります。
そういう所を歩くと、なんとなく競争力、宣伝力が欠けているような雰囲気を時々感じるのです。具体的に言えば、商品のならべ方、客応対の態度、店舗の内装の古めかしさなどにそう感じざるをえないのです。誤解しないように付け加えれば、Bumi店舗がほとんどそうだというのではありません。
これは、政府も認めてるように、ブミプトラの個人会社や零細企業が他民族に比較してなかなか目標通りに伸びない一因でもないでしょうか。
一つ例を出せば、家具製造産業に関して、一次産業副大臣(マレー人)がこんな事を言っています。「ブミプトラ家具会社は家具製造業界で遅れており、さまざまな問題を抱えている。例えば資本、技術、経験の不足だ。おそまつな経営やマーケット戦略のまずさもある。」
強いビジネスネットワークを築くために協力して働こうとせず、反対に互いに競争しているBumi会社に対して、彼は注意を促しています。
ブミプトラ商売といってもさまざまですから、一概にいうのはよくありませんが、このNasi Campur食の代金支払方にみる考え方・慣習が、いい悪いは別にして、ブミプトラの中に残っているのではないか、というのが筆者のとりあえずの結論です。
最初にお断りしておきますが、この3人の日マの芸能人のファンだから名前をあげたわけではありません。日本で比較的知られているだろうということであげました。筆者は映画好きですし、歌も聴くことは好きですが、俳優なり歌手に夢中になることは昔からまったくありません。
ミッシェルヨウは日本でも公開された最新007映画Tomorrow Never Dies でボンドの相手役、中国のスパイを務めている女優です。去年この今週のマレーシアでも紹介しましたように、ハリウッド映画でマレーシア人俳優として初めて準主役級を務めたので、華人マレーシア人の枠を超えて一躍有名になりました。映画をご覧になった方ならすぐ思い出されることでしょう。
シーラマジッド、マレーシア人歌手としておそらく最も早く日本に紹介された歌手の一人でしょう、はっきり覚えてませんが、確か10年近く前に日本でも彼女のヒット曲 Sinaranがリリースされたのではなかったかな。筆者もいい曲だなと思って、後日そのカセットアルバムを買ったものです。現在はどうか知りませんが、テレビのコマーシャルにも出ていました。
もう若くはありませんが、いまでも実力派一流歌手としてマレーシアでは高い人気を保っているようです。日本には90年中頃から幾人かのマレーシア人歌手が紹介されてきたようですが、シーラマジッドはもっとも成功した歌手ではないでしょうか。
松田聖子、別に書く事ありませんが、この3人の共通点をしいてあげれば、10代20代のヤングアイドルでなくそれぞれのポリシーを掲げて活躍している芸能人、そして離婚歴アリということかな。
さてミッシェルヨウが最近帰国して(ボンド映画出演までは香港がベース、現在は米国?)新聞記事になりました。しかし芸能欄ではなく一般社会面です。華語紙も英語紙も同様です。
「私はマレーシア人であることに誇りをもっています、私はマレーシアでできた”産物”なのです。」 とマレーシア政府与党連合の3大主要構成政党の一つである MCA(華人マレーシア人の政党です)の”Love Malaysia" 集会でミッシェルヨウが述べました。
ちょっと解説しておきますと、通貨危機によってマレーシア経済が停滞したため、MCA政党は”マレーシア製品を買おう”キャンペーンを独自に始め、これまで全国的の10か所でこの”Love Malaysian”集会を催してきました。どの集会でもいつも数千人以上の女性MCAメンバーが集まると新聞は伝えています。
この日は6千の女性MCAメンバーが参加したそうです。そこでミッシェルヨウは演説しました。「皆さんはマレーシア製品を使い支持するべきです。」 「現下の経済状況では、経済復旧のために女性が大きな役割を果たします。」
原稿を自身で書いたのかMCAの用意した原稿を読み上げたのかはまったくわかりません。泣ける言葉ですね。多くの参加者が喜びの声を上げたそうです。こういう演説は政治家から聞くより、彼女のような有名人から聞く方がずっと効果あることでしょう。
ちなみにミッシェルヨウの父親は地元イポーの前MCA政治家で、Datuk称号を持っています。マレーシアは日本やインドやフィリピンのように、映画スターなどの芸能人が政界に進出して成功する例は全くありませんし、その土壌もなさそうですから、彼女が将来は政治家になろうとしてるとは誰も考えないでしょう。
ところで彼女、元ミスマレーシアです、は私の知る限りマレーシアテレビ界ではまったく活躍した事がなく(マレーシアには中国語映画界は存在しない)、ずっと香港映画界で活動し、それが認められて今回の007映画に抜擢されたのです。
香港映画はもちろん香港資本ですし、007映画は米国のスタジオが製作配給ですね。彼女の出演映画はすべて外国映画資本がその収入を収めるのです。もちろん出演料や有名人付属収入は彼女の所得になりますが。マレーシアの枠を超えて成功し有名になったとはいえ、まことに皮肉っぽい裏事情です。誰もそんなことはいわないようですけどね。
「私はマレーシアをたいへん愛しています。香港であろうと米国、英国であろうとどこへ行っても、私はそこの人たちに自分はマレーシア人です、と言うのです。」 米国やヨーロッパなら”マレーシアってどこにあるの”という人ばかりでしょうが、変に外国にこびない態度はすがすがしいですね。
これを聞いてMCA会長、運輸大臣でもある、は喜び、彼女はすべての女性にとってモデルだと褒め称え、「彼女がここで示しているのは、女性が男性と同じように重要な役割を果たすことができることである。」 政治家ですから我田引水は結構ですが、ハリウッド映画、香港映画なら尚更、上で彼女がどのような役割を演じているか、この人知っているのかな。
彼女は美人で英語を上手に話し、ジャッキーチャンまがいのアクションをこなす女優と言うことで成功してきたのです。美人でなかったらマレーシアを離れて女優としてはまず成功しないし、英語が下手ならハリウッド進出はできない、つまり英語支配、という枠組みを無視して彼女の成功はありえないのです。
それは女性が男性と同じように重要な役割を占めているのでなく、”女性として期待された役割”をうまくこなしているのです。MCA会長はこの根本的枠組みを知らないか無視していますね。
いずれにしろミシェルヨウは賢い女(ひと)ですね。マレーシア人の琴線にふれるようなことをいいますから。
さてシーラマジッド、美人で歌のうまいベテラン歌手です。中上流階級出身で上手な英語を話し、多くのファンを持っています。マレー人ですから即ムスリムです。
ところで、去年マレー女性がミスコンテストに穏健な水着姿で参加してイスラム教保守派から非難されて、ついには宗教庁から取り締まりをうけ起訴までされました。この今週のマレーシアでも一度取り上げましたね。
筆者はつねずね疑問に思ってきたのですが、マレー歌番組やマレー映画・テレビ番組に出演している女性歌手俳優たちはどうしてスカーフ姿でないのかです。伝統的民謡を歌う歌手などは別にして、マレー女性歌手のスタイルは西欧や日本の歌手ほど過激ではないけど、それなりに身体を強調しているステージ衣装を身に着けているし、反対にスカーフ姿でステージに立つ姿とかカセットのジャケット写真を見た事がほとんどありません。
現代もののマレーテレビ番組に出てくる若いきれいな女優たち、どうして頭にスカーフしてないのでしょう、それにからだの線を強調した服装しているのでしょうか?
注:スカーフと書きましたが、実際は頭髪だけでなく、顔の前面だけのこして耳もあごもすっぽり包むのです。
イスラム教上そういう姿の女性は許されるのでしょうか?はっきりしているのはモスクでは絶対許されない事ですね。筆者はムスリムではありませんしマレーシア国民でもありませんから、その解釈がどうであろうと知った事でありませんし、どう解釈すべきかという筋のものでもありません。イスラム教解釈にはアンタッチャブルです。ただ目の前の現象を考えるだけです。
その現象を見てただ疑問に思うのは、どうして若い女性歌手や俳優は、マレー女性は一般にそうするべきだと考えられているスカーフ姿をステージ上や演技時には免除されるのでしょうか、いやそれだけでなく写真のいっぱい載ったアイドル雑誌や芸能雑誌に現れる彼女たち、頭髪をスカーフで隠した写真はたいへん少ないのですが。
そうすると、テレビ映画スターや歌手は職業上スカーフしなくてもよいのですね?、ミニスカートをはいてもいいのですね?スターや歌手はたいてい若くて美人ですから、モデル出身者もいるでしょうし、ミスコンテストに参加した娘もたくさんいるでしょう。ミスコンテストにでてスターになりたいとか有名になろうと、参加者が思うのは極めて当たり前ですよね。
ミスコンテストは、全てではないけど、スター登竜門の重要な一つといっても間違いないでしょう。そこでそのミスコンテスト事件にさいして、マレー歌手とかマレー俳優がどんなことを述べるか興味を持ってみていたのですが、私の見聞した限り、黙して語らずでした。
宗教庁の取り締まりに対して、いきなり逮捕は行き過ぎだなどと批判した女性団体や、ミスコン主催団体からの基準がよく分からないといった批判はいくつかありました。マレーシア国会やスランゴール州議会でも議論があったことは当時新聞によく載りました。しかしマレー人の芸能人団体は何かを言ったのでしょうか?
有名で厳とした地位を歌手界に築いた又持っているシーラマジッドのような歌手は発言したのでしょうか?イスラム保守派の動きに対して、スカーフをしない、しなくていい?歌手や俳優はなぜいつも静かなのでしょうか?
マレー人社会に詳しくないしマレーシア語紙を読んでるわけでないので、筆者にはよくわかりません。ただ同じ若いマレー女性が歌手や俳優になればからだの線を強調した服装で衆目の前に出ていいけれど、その予備軍である若いマレー女性が同じようにして人前で行われるミスコンテストには出ていけない、ということを知りました。
シーラマジッドは美人で歌がうまいだけでなく、”あたまのいい世渡りのうまい”ひとですね。
車中の週刊誌案内広告程度の知識しかありませんが、松田聖子は自分のヌード写真を出したとか逆セクハラ訴訟をうけたそうですね。なんでもアメリカ大好きであちらでも活躍していたとか。その際 「私は日本人である事に誇りをもっている」 とでも言うのでしょうか。彼女に対して別に筆者は共感も反感も感じないし、また応援もする気ありません、お好きなようにというところです。
こういうタイプのスターはマレーシアにはいないのは間違いないですね、スターといえども彼女のような行動はマレーシアの風土では許されないのです。スター・アイドル雑誌はありますが、スターがプライベートでどんな行動しているかを子細に報告する雑誌や番組はないし、そんなのは出版法上許可されないでしょう。
ですから松田聖子はやっぱり日本の”産物”であって、マレーシアの松田聖子は生れ得ないですね。
2ヶ月ぶりくらいにチャイナタウンへ行きました。目的はRexシネマで映画を見ることですが、ついでに周辺を歩いてみました。余談ですが、Rexは今尚クアラルンプールで料金RM5で映画が見られる数少ない映画館です。しにせの映画館で、ほとんどがハリウッド映画を上映しています。旅行者の方、チャイナタウン散策ついでに映画みるのもいいのでは。
でちょっと驚いたのが、Pudu Raya バスターミナルから Rexシネマにつながる Chen Lock通り脇にあったバラック建てのマレー屋台街が、完全に撤去されてしまったことです。おそらく何十年もそこで商売していたはずです。チャイナタウンからPudu Rayaに向かう狭い歩道道路端を占有し、歩行者には迷惑千万でしたが、そこに店店があることがこの一帯に完全に溶け込んでいたので、いざなくなってしまうと、なにか物足りないような感じです。
熱帯果物を揚げて売っていた店、マレー飯を並べ呼び込んでいた店、いずれも狭いバラック街にひしめきあっており、店に入るうだけでむっとした熱気を感じたものです。店の前はクアラルンプールでもなうての交通渋滞地になる Pudu Rayaロータリーですから、早朝から夜遅くまで車の騒音と排気ガスがこの一帯をつつんでいます。
なぜわざわざこんなうるさく暑いところで飯を食うのかと思える変な場所にあった屋台街ですが、なくなってしまったんです、おそらく市当局の撤去命令が執行されたのでしょう。
このPudu Raya バスターミナルはマレーシア半島各地への発着基地ですから、一日に何千人、何万人かな、もの乗降客が行き交うのです。この一帯はいわば、マレーシアの60、70年代の上野駅といった趣です、ボストンバックを両手にもち食料品をビニール袋に入れ、小さな子供を3人も4人もつれている夫婦、大きなバッグを掲げジーパン姿の若者、頭から顔をスカーフですっぽり覆いさえない色の長袖衣装にジーパン姿の女性などなど、圧倒的にマレー人が多いのですが、ひと目でお上りさんと分かる姿でこの一帯を歩いています。
それを目当てに、バスターミナルの前と横のタクシースタンドではぼったくりタクシーが客待ちしています。このタクシー運転手はまずメーターを使いません。大きな荷物を持っていてバスに乗りづらい人や地理不案内のお上りさん目当てに獲物を待っているのです。この1年ほどの道路交通局の厳しい指導と取り締まりで大分よくなったようですが、それでもこの悪徳運転手と客との交渉会話を立ち聞きすると、やっぱりぼったくりですな。
長年この屋台街からPudu Rayaに至る狭い歩道では、盲目の街頭音楽家がアコーディオンを弾きお金をこうていました。盲目のポケットティッシュ売りもいつも歩道のたもとに座っていました。ここはマレー人ばかりです。物売り・街頭音楽家とはいえ、乞食との接点を行くような人たちです。
人の流れが絶えない Pudu Rayaと歩道は、鉄をむきだした歩道橋でつながっています。クアラルンプールが発展する前に作られたであろうこの狭い古い歩道橋を今も人々が上り下りしています。
昼間から薄暗く冷房などはまったく縁のない熱気につつまれたPudu Rayaバスターミナル、ぼったくりタクシー、盲目のこじきまがいのティッシュ売りと街頭音楽家、歩道脇のマレー屋台街、年月ものの歩道橋、たくさんの荷物と子供を連れたおのぼりさん、いかにもあかぬけない姿の若者、この風景は私が始めてマレーシアを訪れてチャイナタウン・Pudu Rayaあたりを徘徊した17年前とその基本的構造は変わっていないのです。
Pudu Rayaさえ知らない行ったことのない多くの在住日本人の方は、ほとんどこの情景にじっくり身を置いたことがないでしょうから、実感できないと思いますが、60、70年代の上野駅的イメージを浮かべてください。長距離列車を待つなんとなくけだるい雰囲気、田舎から上京してきた人たちの素朴なイメージ、といったちょっとなつかしい郷愁に満ちた響きですよ。決して卑下したイメージではありません。私は東北出身ではないので、実際はよく知りませんが何となくわかりますよね。それがPudu Raya一帯だと言えば、まああたらずとも遠からずでしょう。
今ではクランタン州、トレンガンヌ州方面行きバスは The Mallショッピングセンター斜め前のPutra バスセンターから出発するようになり、”遠くのいなか”行きのバスは唯一Pudu Rayaから出発するわけではありませんし、休みの日などバングラデシュ人やフィリピン人労働者が集う場所になりつつある、 Pudu Raya近くの Kotarayaショッピングセンター付近は時代の流れを受けて変わってしまいましたが、Pudu Rayaは今でもその雰囲気を残しています。
バンサ(バングサではありませんよ、バンサと発音してください)やダマンサラ、スバンジャヤのアップタウンではまったく味わえない、猥雑で汚くうるさいPudu Raya・チャイナタウン一帯ですが、筆者はどうしてもこちらに引かれてしまうのです。単にこの一帯が筆者のマレーシア体験の出発点であったからではないのです。バンコクでもトレンディーなスクンヴィット通りなんかでなく、上野駅みたいなフアランポーン鉄道駅付近が私の好きな地域です。
きっと自分が今尚”旅人”であるから、どうしても旅の基地にひかれるのでしょうね。そこが庶民の臭いを残しておれば尚更です。
Pudu Rayaバスターミナルの横では、現在巨大な Plaza Rakyatショッピングセンター兼ビジネスビルが建設中、その裏手はすでに高架鉄道LRTの高架駅が営業中です。Pudu Rayaの屋上には大きな電光スクリーンが映像を映し出しています。またチャイナタウン再開発計画も執行される事が決まっています。近い将来Pudu Raya・チャイナタウん地区は大きく近代化してしまうのでしょう、その時それでもしぶとくこれまでの雰囲気を残していくのでしょうか。
旅行でクアラルンプールを訪れたら是非Pudu Rayaあたりをうろついて下さい。チャイナタウンの隣ですからほんのちょっとだけ足を伸ばせばいいのです。東南アジアの都会の伝統的雰囲気がここには残っていますよ。