「今週のマレーシア 」 98年7月分と8月分のトピックス

マレーシアの英語 後編 ・ マレーシアの英語 完結編 ・  ペナンGeorge Townの古いバスターミナルに思う
新聞に現れたある日本報道に思う  ・ 近頃美容整形に忙しいクアラルンプール ・ 
不惑に達したマレーシア、でも  ・マレーシアの光と影を伝えたい



マレーシアの英語 後編 - それが話される背景と実例 -


( 当コラムの「1987年11月と12月分」に前編と中篇を掲載しています)

A: "Chop here ,please."
B: " Chop ? what is the chop?"
A: " Aiya, You donno chop kah, Chop ialah chop lah. No need. I ask somebdoy lah."
( ここにチョップください。 チョップ?それ何なの? あらー、あなたチョップ知らないの、 チョップはチョップですよ。じゃあ、いいよ、誰かに頼むから)

マレーシアに慣れていらっしゃらない方は、こんなマレーシア英語 Manglishに満ちた会話に戸惑う時も多いことでしょう。
Aの発言部分を標準英語で言えば、
A: Please stamp here.
A: Oh, You don't know "chop!" It is a stamp. You don't have to. I will ask somebady for a stamp.

とでもなるでしょう。ここでChopとは 受け取りを示すゴム印とか会社名の入ったゴム印の意味なのです。 Aiyaは意外感を示す感嘆詞、donno は don't know をぞんざいにマレーシア流に発音しています。No Needは必要ないという表現の簡略形、マレーシア語又は広東語の表現をそのまま英語の単語に変えただけです。lah はほとんどどんな節とか文の最後につけることのできるこれぞマレーシア英語というべき語尾詞、文脈によってその表現を強めたり弱めたりする働きをします。kah は疑問文の後ろにつけて表現を強調します。

筆者は昨年97年11月に、この「今週のマレーシア」のトピックス 「マレーシアの英語 前編と中編」 で2回、その歴史的背景と英語が好まれる論理を中心にして書きました。もう一度お読み下されば状況がよりよく分かっていただけます。それでは今回は実例中心に非標準英語Manglish のいきさつを見ていき、次回(来週)はそれを踏まえてまとめを書きました。

尚今回のトピックスを書くにあたっては、つい最近マレーシアで出版された文庫サイズの小本 " MANGLISH - Malaysian English at its Wackiest- (マングリッシュ もっとも風変わりな英語)” から多くの文例を引用及び参考にしました。この小冊子はB5版サイズでわずか107ぺージですので、Manglishについての理論的歴史的言語学的解明はまったくなされていませんが、著者のマラヤ大学教授Lee Su Kim女史が丹念に集めたマレーシア英語の単語と表現に満ちた労作です。これまでに一般向けに書かれたこの種の本がなかっただけに、大変参考になりますよ。
尚トピックス内で(引用)と注意書きしたのはすべてこの小冊子からです。

多民族多言語の国であることを忘れてはいけない

マレーシアはすでに何度も繰り返していますように、多民族多文化多言語の国です。各民族がそれぞれの母語、(母語と母国語とは似て非なるものです)、を保持し、その上に国語のマレーシア語が存在します。さらに100年間以上も英国の植民地であったことから言語事情は英語を中心に回ってしまう面が、残念ながら多分にあります。つまりマレーシアの言語事情は重層的で複合的であるわけです。

複数言語接触により生れる亜種言語

ある言語とある言語が接触すると、その地域の主要言語が支配はしますが、そのなかに他の言語の単語や表現を取りいれていくのは言語世界の共通現象であります。日本語が古代中国からどれくらい多くの単語表現を取りいれたかを考えただけでもお分かりですね。現代では英語から多くの単語を取り入れているのは、誰でも知っています。

これを英語に当てはめると、英語はその植民地支配を通して世界各地にその変種亜種を生みました。専門語でこういう英語の初期段階を Pidgin English といい、それが人々の母語化した段階をCreole Englishといいます。

注:ピジンとは、共通語を持たない人々の間に起こる、限られた範囲のコミュニケーションに用いられる言語です。何も英語だけに起こったわけでなく、植民地を何十も持ったフランス語にも多いのです。マレー語はかってマレー半島で交易に使われたリンガフランカでしたから、Pidgin Malay語というのもあったことでしょう。現在でもマレーシアではBahasa Pasar市場マレー語という、”崩れたマレー語”がマレーシア語を母語としない人たちによって話されています。これも一種のピジンです。

クレオールというのは、そのピジンがその言語社会の母語になったものです。ピジンと違ってクレオールになれば言語生活の全てをカバーしなければならないので、より体系化且つ豊富な語彙をもつことになります。

英語方言としてのManglish

Manglishは英語が別の(複数の)言語の影響を強く受けて生れたいわば”英語の方言”ですが、このピジン英語とクレオール英語の両面をももっているといってもいい状態です。そこでは、話者つまりマレー人、中国人、インド人らのそれぞれの母語の単語や表現が混入しかつ文法もある程度その影響を受けて、標準英語からかい離しています。もちろん発音がその人の母語の影響をうけることはいうまでもありません。

注:マレーシア英語は、アイルランド英語やオーストラリア英語のように地域的社会的差異を現している”方言英語”とは、成り立ち構成が違う。なぜならマレーシア英語は英語を母語にしていない地域に生れた非標準英語であるのに対してオーストラリア英語などは、英語を母語にしている人々の間での亜種である。


ピジン・クレオール的面も持っていると述べたのは、例えばこんな表現です。"long time no see lah" 「久しぶりですね」 という意味で、よく使われます。標準英語では" I haven't see you for a long time" ですね。
この表現はまったく英語的ではありません。 広東語の ”hou loi mou kin nei a" (広東語の文字が出ないので発音のみを示しておきます)の一語一語を英単語に置き換えただけで、統語法はまったく英文法ではありません。 英語から見れば、主語なし、時制なし、語順むちゃくちゃな表現です。マレーシア語では "Lama tak jumpa" , これもManglishの言い方と同じです。
尚学説によれば、英語の表現をこのように単純化且つ変換する例は世界のいくつかのPidgin Englishに見られるそうです。

追記:しかし"lah " を取り除いた、この"long time no see”表現は英語圏で口語表現として定着しているようです。米国製の漫画のせりふなどで私もみました。この表現がどういう経緯で取り入れられたか知りませんが、簡略化の過程を経てそれが受け入れられたということでしょう。

こういう予備知識を持った上でマレーシア英語を見ていかなければなりません。ですからManglishについて語るにはどうしてもマレーシア語や華語の知識がある程度必要になります。マレーシアでは中国語という呼称は用いません、華人の言語つまり華語です。

複数言語生活を余儀なくされるマレーシア人

マレーシア人の日常は一般に複数言語生活になります。マレーカンポン(村)だけで生活していればマレーシア語だけで過ごせますが、都会なり地方都市で生活すればどうしても他の民族との接触が多くなり、特に非マレー人は必然的に複数言語生活を余儀なくされます。

例えば華人の場合、多くは小学校では華語で教育受けますが、上級学校に進学すればマレーシア語で教育を受ける事になり、さらに英語は小学校から習っていますし、多かれ少なかれ日常的に接するわけです。家庭や友人間、華人同士のビジネス上では母語である広東語や福建語を話す華人も非常におおいのですから、3又は4の複数言語生活になります。インド人ならタミール語がこれにとって替わります。マレー人の場合は比較的単純で母語であるマレーシア語と英語を多少という2言語生活ですね。

ただ複数言語生活といっても各種言語を同じくらい量的に話したり、またどの言語の習熟度も同じレベルという人はものすごく希で、大多数は1つ又は2つの言語だけ流暢に操れ、あとは必要にかなう程度です。ある華人が4割を華語で話し3割をマレーシア語で話し、残り3割を英語でと、言語生活を各言語平等に割り振っているなんてことはありませんし、3言語を同程度に正確に読み書き話しができるわけではありません。その人の交流関係、仕事内容、教育程度、言語感によって言語生活の内容が相当違ってきます。

筆者の場合でいえば、日本語を入れて5言語生活していますが、言語のレベルはそれぞれ相当違うし、使用頻度もものすごく差があります。例えば日本語は書く事が中心で、話し聞くのは週数回です。

こいうことからManglishマレーシア英語は複数の他言語の影響下に話され発展しているのです。つまり発音面ではマレー人ならマレーシア語的になり華人なら華語的になりますね、語彙面ではマレーシア語や漢語の1種である広東語、福建語の影響を受けています。なぜ広東語、福建語かと言いますと、マレーシアに移住してきたかっては華僑といわれた華人系の人々の多数は中国南部の広東州と福建州からなので、その人たちの母語が広東語、福建語になるわけです。

マレーシア英語の実例
簡略・単純化

一般に他言語の話者が英語を話すと簡略化現象が置きます

A: You have to be on time, don't you? とか They can't buy it, can they?
のような附加疑問文は、"is it?" と単純化されてしまいます。つまり
A: You have to be on time, is it? They can't buy it, is it?
のようになります。

A: Is there a meeting next week?
B: Aiyo, I don't know lah! Ask Zak and see. Zak, got or not? Got meeting ah?
Zak: Don't have lah. You never read memos ah? (引用)
「来週会議ある?」 「あれ、知らないよ、ザックに聞いてみよう。ザック 会議あるの?」 「ないよ、あなたたちはメモを読まないのかい」
ここでGot or not とはあるかないかの意味で、極めて広く使われます。 Do you/we have? Is there? Will it or Won't it?などの意味をすべてこの Got or notでまかないます。

同じようなのに、こんな便利な言い方があります。Got discount ah? (値段)まけてよ 、夜店や商店で多くの人が好む表現ですね。

さらにalso got というのもあります。
A: The hotel got swimming pool and disco. Karaoke also got.(引用)
「そのホテルにはプールとディスコがあるよ。それにカラオケも。」
このalso got は付け加えて、といい意味ですね

このgot はたいへん広い使われ方をします
持ってる(た)、所有している(た)、あった(ある)など時制を無視しています。
”I got many toruble lah." " Where got?" "How you got"などです。

turn on/off という語、スイッチなどを入れる、切る というのがありますね。この言葉からturn を省いてしまうのです。
"Can you on the air-con ? And off the fan, please." (引用)
これでも意味はわかりますね。

A: Want to go out tonight or not?
B: No mood lah. (引用)
AもBも主語を省いてます。Bの意味は「そんな気分になれない」ということ。I'm not in the mood の簡略形。

Relek はrelax の意です
”Why are you so tense? Relek lah."
「どうしてそんなに緊張してるの? リラックスしろよ。」

否定形でのbe動詞省略

Don't scared 恐がる事はない、Don't shy 恥ずかしがることはない。 それぞれbe 動詞が脱落しています。
"Don't scared him. He thinks he is very smart." " Come on, help yourself. Don't shy lah." (引用)

文の簡略化

Why are you saying such things about me 貴方は私のことどうしてそういうの?がManglishでは次のようになります。
A: I think you are a one kind of selfish fellow."
B: Why you say me like that?" (引用)
「君は自分勝手な人間だと思うね。」 「どうして私のことそんなふうに考えるの。」
例によって疑問文を平叙文で言い、前置詞も省いてしまうのです。

同様に
A: I'm very angry at Intrakota buses."
B: Why you so like that?
「イントラコタバスには腹がたってしかたない。」 「どうしてそうなふうになるの。」

Canを頻繁に使用する

A: Can buy me a watch? B: Can, can.

A: Will you send this letter by airmail? B: Can, No problem.
canがYes とか Sure の替わりに使われ、またCan can とよく重ねて言います。

関連表現に
A: I want to go out, can or not?
B: Shut up lah, can or not? (引用)
「出かけたいけど、いいかな。」 「黙りなさい、わかったかね?」
お願いとか要請を表しています。

主語の省略

英語は、特別の場合を除いて、必ず主語を示さなければならない言語ですが、マレーシア英語では極めて頻繁に省かれます。
A: Today tired lah, don't want to work hard.
B: You have roti canai?
C: alreday sold out lah.
A 「今日は疲れちゃった、一生懸命働くきないね」は、”I"を省いていますね。Bは”Do you have roti canai ?" 「ロティチャナイありますか?」 と言うべきです。Cは”We are already sold out." 「もう売り切れです」、の Weを言わないのです。主語が誰であるかわかっている時、無理に現さなくても誤解は生じません。マレーシア語や広東語、華語などの言い回しからきています。日本語と同じ発想ですから、日本人にはこのことはよく分かりますね。

単語の意味変換

これは本来の意味をマレーシア流に変えてしまうことです。いわばある種のイディオムですね。
A: Can you give me a lift to the KLIA airport?
B: Can. I 'll come and fetch you at nine and send you to the airport. (引用)
これはその典型的な例です。lift, fetch, send もすべて本来の語義からずれていますが、たいへんよく使われます。標準英語なら
A: Can you give me a ride to the KLIA airport?
B: Sure! I'll pick you up at nine and drive you to the airport.
「KLIA空港まで乗せていってくれない?」 「いいよ、九時に行って貴方をひろい、空港まで乗せていってあげましょう。」 とでも言うべきところです。

”Aya, Die,I forgot my girlfriend's birthday." (引用)
「あらー、しまった。彼女の誕生日忘れてしまった。」 のように dieは何かを忘れたり、失敗したり、不安な時、後悔、自嘲気味に発する言葉です。
die の替わりに finish と言ってもよいようです。
" Finish! I have locked the door altough my key is inside."
「ちぇっ、鍵をいれたままロックしちゃったよ。」

ものすごくよく使われる語 Going back うちへ帰るという意味です。標準英語なら going homeです。
” Are you going back?"
どこか特定のところへ戻るのでなく、仕事などが終わって家に帰る時に使います。

"No need to give me ang pow lah. I'm so big awready."(引用)
「お年玉なんて要らないよ。もう僕は(年が)大きいんだから。」
so big といっても、体が大きいのでなく、年が大きいということ。awready はalredayのぞんざいな発音。

”Lasttime I had three girlfriends but now I have none."
「この間までガールフレンドが3人いたけど、今は一人もいない。」
Lasttimeといってもある特定の事が起こった時ではない、つまりthe last time when something happened という本義ではないのです。漠然とした 以前は とでもいうことです。

Cowboy town といっても西部劇に出てくるカウボーイの住んでる町ではありません。
"Who wants to go and stay there? Give me also don't want --- real cowboy town"(引用)
「そんなところへ誰が行って住みたいか。私もいやだね、そんな田舎町は。」
cowboy townとは、マレーシアの地方にある、道路が一本あってその周りに少しばかり商店街がある、小さな町の事です。

Tackle 女性を口説くという意味
"Wow, look at that woman! Glamour, man! Must tackle lah"(引用)
「わー、見ろよあの女、かっこいいなー、口説かなくちゃ。」
Glamour もマレーシア英語流に用いられている。女が魅力的に着ている状態。

Blurちょっと焦点がずれてる
" That new clerk is so blur. I am afraid she could understand my directions."
「今度はいった娘はだいぶぼんやりしてるぞ。私の指示を理解してくれたか心配だ。」

造語

英語にない単語を勝手に作ってしまいます。
offday はTake a day-off 休む の替わりに使われます。
A: Wher is Ms.Nancy? I haven't see her this morning.
B: Its her offday today.

outstation はbe out of town 出張などでその町にいないことです。非常に奇妙な表現で、筆者は始めて聞いた時推測もできませんでした。使われ度ベストテンに入るぐらいよく用いられます。
A: (by phone) May I talk to Mr. Ali?
B: oh, he is not here, now outstation.
応用単語に Outstation Taxiなんてのもあります。市内だけを走るのでなく、つまり他の町まで行く乗合いタクシーのことです。例えばクアラルンプールからペナンまでのような中近距離タクシーです。

A: I really don't like my boss.
B: Yala, I told you alreday lah. He is so sombong.
「私は上司がだいきらいだ。」 「 そうだよ。 君にそう言っただろう。彼はたいへん高慢だからな。」
Yala は Yes の替わりです。 sombongとはマレーシア語起源で傲慢とか態度がでかいの意。

マレーシア語の転用

たくさんありますから代表的なものを少しばかり。

gatal は異性に、男なら女です、に異常な興味を持つこと。 本来のマレーシア語の意味を変容して使う
"she is very gatal one. jump from one man to another." (引用)
「彼女は男好きだな。この男からあの男へとうつろぎだ。」

kopi susu マレーシアのミルクコーヒーを転用。肌の色がそんなに黒くなくといって白っぽいわけでなく、ちょっと茶色がかったコピススの色。
”Their chldren are all kopi susu."

malu 恥ずかしい、面食らった、メンツなくした気持ちを表す。
"Aiyo, I so malu lah. I forgot to bring a present."(引用)
「あれー、カッコわるいなあ、プレゼント持ってくるの忘れた。」

Habis 上記で解説したdie, finish と同じです。
"Habis. The harddisk was crashed."
「もうだめだ、ハードディスクがいかれた。」

Cabut その場を急いで離れること
”Not even 5 o'clock yet, awready everybody cabut form the office!"(引用)
「5時前なのに、もうみんなオフィスを出ちゃったよ。」
awready はalreadyのぞんざいなマレーシア流発音。

tidak apa 是非知っておいてほしい言葉です。そんなこと気にしない、楽しくいこう、とか、きまりなどに無頓着なこと。マレーシア語では、Tak apa apa とも言います。
”Whatever I complained, they don care. they are just tidak apa la."
「何と文句を言おうとあいつらは気にしない。やつらは気にしてないのさ。」
マレーシアならどこにでもいる危ないバイク乗りはまさに、tidak apa 症候群です。

感嘆詞

日本語であれっ、あらー、まあーなどというのはManglishではどういうのでしょうか
Aiya 驚いたり心配でがくぜんとしたり、どうしていいかわからない状態の時に使います。
" Aiya! You are so bad one. Why you say me like that? "(引用)
「あらー、おまえって本当に悪いやつだな、俺にそんな事いうなんて。」

"Aiya! My business goes down. I lost a lot of money. "
「やれやれ、ビジネスは落ちてしまったし、金も失ったし。」

Ayer 嫌悪感をいだいたり、うんざりした時
”Aiyer, This hawker is very dirty lah, and their service is also bad."
「まったく、この屋台はなんて汚いの、それにサービスも悪いし。」

Aiyo 愕然としたりろうばいした時
"Aiyo---,Forgot to bring money."(引用)
「しまった、金持ってくるの忘れた。」

Alamak 民族の別なく頻繁に使われ、便利で且ついろんな状況で使われます。マレーシア語のAllah 神と Emak母の混合からきているそうです。つまり 標準英語の Oh my God, Oh dear に当ります。
"Alamak, There is a police check lah. I drank too much tonight. I'm afraid got a summon"
「あらー、警察の検問だ、今晩は飲みすぎたからな、呼び出し命令受けそう。」
というような、マレーシア英語のなかで使うとよりぴったりとしますね。

一番頻繁に使われる語尾詞

lah これがなんといってもマレーシア英語の使用頻度No.1でしょう。マレーシア語や華語の終助詞、感嘆詞を借用したものでしょう。文の意味を強めたり弱めたり、リズムと整えたり、感嘆したり嘆いたり、まあどんな場面でも使えます。あんまり使う過ぎると文が煩雑になります。できるだけ真似はしない方がいいと思いますけど。
A: Don't use so many "lah", Please.
B: OK lah.
「lah ばかり言わないでね。」 「わかったよ。」
"Sorry lah." " I paid already lah." " No lah, I did it by myself lah." などときりがありません。

ah これもよく使われます。質問した文の最後に付け加えて、ちょっと強調したり年を押すとか皮肉る感じを含ませます。
" Tonight we are going to the party. You are not going ah?"
また特に意味がなく文のリズムを入れる感じで
" Ali ah, can help me carry this or not?"
「アリさんよ、これ運ぶの手伝ってくれないか?」

こんな表現があるとは知らなかった

面白い表現にこんなのがあるそうです。
”When joe is not free to take her out, she will go out with Mark, her spare tyre." (引用)
spare tyre とはボーイフレンド又はガールフレンドの暫定的な替わりの意味。この文の意味は、「ジョーに時間がなくて連れていってもらえない時、彼女はマークと出かけます、彼女の代替えボーイフレンドです。」
それなら筆者もspare tyre の1つ2つ欲しいですな。

スカート姿の若い女性が(知らずに)脚を開いて座っている時に、”Your coffeeshop is open" と言ってあげるそうです。日本語で相手の男に「社会の窓が開いてますよ」 というのと同じですね。

Eat rubbishといってもゴミを食べるのでなく、屋台などで少しづついろんな種類のを食べる事
A: Where shall we go for dinner tonight?"
B: I feel like eating rubbish tonight." (引用)
「今晩の夕食どこで食べようか」 「屋台へ行っていろんなの食べたいな。」



マレーシアの英語 (完結編) - その特徴とまとめ、筆者の主張


Manglishは語彙やご語用面だけでなく、文法面でも標準英語と違いがあります。

否定疑問文の返答を日本語的発想で答える

"Weren't you aware of what you said to her?" 「貴方は自分で彼女に言ったことに気づかなかったの?」
気づいてなければ、"NO, I was not aware of it." ええ、気づかなかった、と答えるのが、標準英語ですが、

"Didn't you check the gauge of the machine?" 「機械のゲージを検査しなかったのか?」
"Yse, I didn't check it." 「はい、検査しませんでした。」

とマレーシア英語では肯定の "Yes" で受けてしまうのです。マレー人はマレーシア語の返答方法、華人は華語の返答方法を英語に置き換えた発想なので、こうなるわけです。日本語も同じ発想ですから、返事自体の意味はつかめますね。 筆者は通訳をやった時など、よくこの返事にぶつかり、返答者にいやみを言いたくなりました。Yes と言うのは、「したという肯定だよ。」 とね。

過去時制と現在完了の混同

"I have not taken breakfast this morning."「 今朝(まだ)朝食を取ってません」 を
"I didn't take breakfast this morning."と、単純過去で言いがちです。
その映画を見たことないのは, "I haven't seen Titanic". ですが、"I did not see Titanic". という人が多い。

注:単純過去を使ったら即間違いということではないが、映画Titanic がまだ上映されている状況なら、現在完了で言うのが標準英語ですね。

Malaysia had achieved tremendous growth 3 years ago.
「マレーシアは3年前に素晴らしい成長を遂げた。」
過去の出来事を強調するとき、過去完了をつかってしまいます。もちろん標準英語なら単純過去でいいのです。標準英語で過去完了を使うのは、過去に起こった出来事を比べて、先に起こった出来事を過去完了にします。
そうでない場合にもこの過去完了で書くマレーシア人は案外、それも英語の相当できる人に、多いのです。

上記の時制の捉えかたはマレーシア人全般に弱いのです。これはよく考えれば無理もなく、マレーシア語も華語も日本語と同じく、動詞で時制を現す言語ではありませんから、英語時制の概念の捉え方が捕まえにくいのです。
マレーシアの英語を職業的に訳す人は、こういう予備知識を是非持っていていただきたいですね。

呼びかけの言葉

知らない人などを呼びかけるのは、相手をなんと呼ぶべきか迷うものです。簡単のようで難しいのです。マレーシア英語の呼びかけでは、相手が若い女性なら Missミスといっておけば問題ありません。男なら年にかかわらずMrミスターが無難でしょう。でも正直言ってこれだけでは面白味がないのですが。

問題はちょっと年取ったそれほど若くない女性、どのくらいかは難しい、化粧でごまかしている(失礼)人もいますからね。Missに似つかわなければAuntie アンティーと呼んで下さい。もちろんこれを使うのは貴方がその相手より年下の場合ですよ。でも注意して使って下さいね。

ですから例えば、当サイトの”Teh Tarik でチャットコーナー”のウエイトレスさんに向かって、”Auntie, Kopi Ais satu. アンティー、アイスコーヒーひとつ” なんて呼ぶのは控えた方がいいのです。

相手が貴方よりずっと年上か年配の男性ならUncleアンクルでもいいでしょう。血のつながりに関係なくUncleでいいのです。筆者は知らない子供から "Uncle"なんて呼ばれると、「私はおまえのおじさんじゃない」 と言いたくなりますけどね。

日本人に理解しやすい表現

アジア的共通の概念ゆえでしょうか、faceを使った表現はわかりやすいと思います。
Give face はある人に顔をたててあげるような意味でしょう
"You must go to his son's wedding dinner. How can don't go? Must give people face!"(引用)
「彼の息子の結婚式には出席しなさい。どうして行かないの? 人の顔をたててあげなくちゃ。」

Hide face 困惑当惑した時、どうも恥ずかしい居心地わるいそんな気分を現します。
" I slipped and fell in front of the people. Aio, I was so shy. How could I hide my face."
「皆の前で滑って転んじゃったよ。ああー、恥ずかしくて困ったよ。」
この hide face の hide をput faceにしてもいいようです。

標準英語でもlose face 面子を失うと save face面子を保つ/救うという言い方がありますから、その非公認仲間でしょう。
その lose face の結果 No face となってしまうのです。
”Now, I really got no face lah."

Show face パーティー宴会にちょっと顔をだして他の人に来た事を知ってもらう時に使います
" I know you busy, but just go lah. Show face for a while." (引用)
「君が忙しいとは知ってるよ、でもちょっと行きなさいよ。少しの間だけでも顔出しなさい

face を使った言い回しは、筆者もどれが標準英語の言い方か迷ってしまいました。show face はattend the meeting/party for a while とでも言うでしょう。

下記にさらに思いつくままManglishの単語を挙げてみました。もちろんこれ以外にもたくさんあります。

イギリス式が標準です

尚マレーシアは元英国植民地なので、英語はイギリス英語が基準になり、つづりもイギリス式、使用語彙もイギリス式がほとんどです。例:Center は Centreと、Color はColourと綴られます。

発音面も米語の巻き舌発音などはまったくはやらない。筆者が米語流に巻き舌で発音すると聞き取れないマレーシア人も結構います。これはハリウッド映画は大人気ですが、米語自体は彼らの生活にまったく関係ないので、そういう発音を覚える必要がないことからもきています。普通のマレーシア人が Queen's EnglishやAmerican Englishで日常話す要はないのですから、マレーシア的発音で十分ということです。

その他マレーシア英語でよく出てくる単語の例

単語単語の説明と意味
dobiクリーニング屋、洗濯屋さんのこと
roundabout日本では駅前のロータリーしかみられないがマレーシアにはいたるところにあるイギリス英語
lift米語ではElevator、これはまったく使われないイギリス英語
bungalow日本語でいうバンガローではない、リンクした家々でなく1軒が独立した家屋イギリス英語
hawker本義の行商人のことではない。屋台又は大衆食堂内の一部を借りた商売人をいう
girl/boy friend特別に親しい異性の友達ではない。女性が私のgirl friend と気楽に使う
lorry 米語の truck トラックは使われない
petrol kioskガソリンスタンド、gas station とは誰も言わない
ground floor建物の階数はヨーロッパ式、つまり日本の1階のことですイギリス英語
queue列を作ること。Please Q up 列に並んで下さい。 jump a queue 列を乱すイギリス英語
bus stand バスターミナルのこと、バス停のことではない
jay walking 車道路を歩道とか歩道橋を無視して横断すること。極めて普通の現象
sky juiceグラスに水を注文する時使います。色無しジュースつまり水だけ
chicken rice親子どんぶりのことではない。味付きの鶏肉を盛りつけたマレーシア風料理
chicken house売春宿
ABCマレーシアのかき氷。ジェリー、トウモロコシ、アズキなどがちゃんぽんに入ってる
grass cutter芝生や道路際の野生地の芝を刈っている人のこと、lawn-mower
off day会社を休む日である off-dayをひっくり返している
torchlight英語でtorch、米語でflashlightのこと
flat イギリス英語のflat と多少違い、低価格のアパートという意味合いがある
apartment米国英語のapartment と多少違い、中流程度のアパートという意味合いがある
thriceイギリスではもうほとんど使われず、単純に three times というそうです





マレーシア英語の言語社会で占める意義を理論的に考察し、筆者の主張を最後に付け加えておきます。

反英語でなく反・英語の疑似母語化

筆者はマレーシアの英語に批判的な立場を貫いており、このコラムでも時にはそれを批判してきました。例えば今年書いたトピックス 「マレーシア出版事情と読者 」では貧弱な出版状況をマレーシアの英語と絡めて批判しています。

しかし筆者は英語使用だけに反対しているわけではありませんし、自身も英語を使っております、また一時は飯の種の一部でもありました。英語が好むと好まずにかかわらず世界で一番広く使われる言語であることは誰も否定できませんし、ますます発展する情報化社会でその傾向が助長されていますしね。

つまり英語を知っていれば便利だけでなく金に結びつくわけですから、この流れを止める事はもはや不可能でしょう。ですから英語教育は奨励すべきであることに反対する者ではありません。筆者が反対・批判するのは、マレーシア英語のクレオール化つまり母語化です。Manglishが多くのマレーシア国民の 疑似母語になれば、それは唯一英語化現象であり 、国語であるマレーシア語だけでなく各民族の母語、タミール語なり華語なりカダザン語の衰退を物語る事になります。

現に現れているマレーシア語の、語彙不足、翻訳努力不足などとそれに起因する悲しき出版事情は、強大な英語化現象の前にマレーシア語優位の社会を作り上げえないのです。(ここでは出版言論の自由には触れません)ある国の国語が英語の前にどうしても力を持てないのは別にマレーシアだけの現象ではありません。そんな事をしないで最初から英語を国の実質的国語(の一つ)にしてしまったシンガポールの例もあるし、ことは誠に難しいのです。

国語はマレーシア語である

しかしマレーシアがマレーシア語を国の唯一国語にする理念と目標を掲げ実行している以上、片や英語を人々の母語化することを助長・容認して行くのは矛盾以外のなにものでもありません。

ここで我々は、一つの言語を国語にするのは、多民族国家では至難の事であることも知らねばなりません。各民族はそれぞれの母語を持続継続させたいし、英語も身に付けさせたいという素朴な庶民感情をどうやって国語マレーシア語の発展に結びつけていくかは、日本のような幸せな”ほぼ単言語社会”ではなかなか理解できない事です。

ある国の国語を決め発展させて行く場合に、外国人に便利だから英語にしたらとい本末転倒且つ植民地的発想は論外ですが、英語を話した方が役に立つからという意識をどのように国語発展に換えて行くかが問われるのです。マレーシアは憲法で国語をマレーシア語と定め学校教育でもそれを進めながら、国内ビジネス社会で安易に英語に頼る風潮をどうしても克服できません。それは日本や台湾やヨーロッパの小国が貿易などで英語を使うのとはレベル意識の両面で違います。マレーシアは英語ができる事を誇り母語化している人の数を誇っているのです。

英語擁護者の陥る点

ですから日常レベルでも、それがManglishとして話されるわけです。それに対してよく、英語を疑似母語化した標準英語のよくできるマレーシア人がManglishを批判し、正しい英語を話そう、と訴えています。こういう人たちにとって英語がよくできることはまさに誇りなので、英語を母語化したり疑似母語化することがマレーシアの言語文化発展にどれぐらいマイナスかを理解できないのです。英語がよくできれば、英語本はたくさんあるしビジネスに役立つしと、実利面だけの益で本来の母語文化がそれによって侵略されていることがわかりません。

英語疑似母語化などしない欧州の中小国

ヨーロッパの中小国の場合をみてみましょう、例えば英語のよく通用するオランダへ行っても、彼らは自国民間で日常的に英語を使っているわけではありませんし、オランダ語出版物の豊富さはマレーシアの比ではありません。周囲に大言語国家のフランス、ドイツ、英国がありながら、マレーシアとたいして人口の違わない中国家オランダはその言語をまもり発展させています。

ヨーロッパはその国の数だけ国語があるほど細分化していますが、自国の言葉を英語で代替え使用なんてまずないでしょう。クロアチアであれ、スロバキアであれ人口と経済力でははるか周囲に劣るものの自国語をヨーロッパの大言語である隣接した国の言葉のドイツ語に換えようなんていう運動は育ちません。ただし一般人でも国境付近ではドイツ語をよく解しますが。

こういうヨーロッパの小国の行き方と対照的にアフリカの元植民地国では今尚旧宗主国の言語で高等教育が為され、または2言語化政策が取られています。しかし中発展国であるマレーシアは、もはや高等教育もマレーシア語ででき法律もマレーシア語でかかれ、英語なしでも国が運営できる状態にあるのです。
この状態まで持ってきたマレーシアの努力を筆者はたいへん評価するものですが、ここへ来て英語へのゆりもどす状況を見るにつけ、歴史の針を揺り戻すかの現象にはまことに残念に思うのです。

母語教育の上に国語教育

国の発展に言語問題を素通りはできません。だからこそマレーシアでは3大民族の華人とインド人はそれぞれの母語で初等教育を受けられるわけです。付け加えてサバ州のカダザン人もカダザン語で初等教育を受けているようです。自分たちの母語を無視して強制的にマレーシア語化を進めているのでなく、母語教育の上にマレーシア語教育を載せているわけです。この素晴らしい方針をいかし、マレーシア語の発展に生かして欲しいと願わずに要られません。

そのためにマレー人は偏狭なマレー民族主義に陥らず、例えばマレーシア語をマレー語と呼ぶ、なぜならマレー人の言葉だからそう呼ぶんだという意識、それはマレーシア語Bahasa Malaysia とマレーシア人Bangsa Malaysia を作り上げて行く方向にになんら貢献しないのです、

英語を外国語化しよう

マレーシアは調和の取れた中進国として発展している過程ですから、外国からの投資を奨励し旅行者を呼び外貨蓄積に懸命です。そのために英語通用度が大きな要素であることも筆者は理解します。しかし英語の通用度だけで外国投資が伸びるわけではありません。タイやインドネシアを見て下さい。マレーシアに必要な事は自国文化自国言語文化を興隆化させながら、英語力を維持させていくことです。そのため標準英語と相当かい離したManglishのクレオール化でなく、標準英語を外国語として取得することです。

外国語としての英語であれば、それが必要なき民は無理に習わなくていいし、事実多くの人は英語に関係なく暮らしています、そういう人々はそれぞれの母語とマレーシア語の発展に貢献すればいいのです。しかし奇妙なプライド、英語がうまい国民というプライドを持ったマレーシア人は、この英語の完全なる外国語化が受け入れられないのです。

そのあげく多くの技術書は英語で書かれた輸入本を使い、文学書は英語本が幅を利かせ、他の言語文学を読むにはまず英語に訳されたそれを読めないと話にならないという状況、少なからず数の医者は英語国の英国やオーストリアで学位をとり、英語ディスクジョッキーがもてはやされる現状は一向に変わりません。

外国人は個々のマレーシア人評価に際して、英語ができることを目安の一つにしがちです。英語でよくできなくてもまったく不自由なく暮らしている、つまりそれぞれの母語プラスマレーシア語だけで充分暮らせる、人々が正しい英語を話せなくてなんの問題があるのでしょうか。もっともそういう評価を呼び込んでしまうマレーシア人側にも英語崇拝の問題がありますけど。

Manglishに無邪気に喜べない

極端に方言化したManglishで会話している市井の人々を眺めたり会話に加わるのは楽しい事でもあります。いかにもマレーシア的でユニークですからね。でもこれが結局マレーシア語の言語文化に発展しないことを知ればそんなに無邪気に筆者は喜んではいられません。

Manglishのユニークな面を擁護する立場があります。筆者がManglishを直ちに止めろといってるわけでないのは皆さんにもお分かりでしょう。筆者の立場はこれを疑似母語化することに反対且つ批判をしているのです。

各民族はそれぞれの母語をもっておりそれを受け継ぎ発展させようとしており且つ国語のマレーシア語を習うわけです。この複数言語社会のなかでさらにManglishを彼らの母語に加えるのは大負担であります。その負担が英語一辺倒主義に変換して行くのは現在起こっている事を見ても明らかです。英語はそれほど強力な言語ですから。

これによって何が起こるか、上記で述べたそれぞれの母語とマレーシア語の発展阻害に結びつくのです。そしてすでに現在それが起こっているのですね。

情報化社会となりかっての英語変種は発展の場を失った

世界が情報化されていなかった16世紀から18世紀時代に世界でたくさん生まれたピジン・クレオール英語が、標準英語からかい離した方言英語が、世界の表舞台に登場したことは決してなかったし、それが標準英語の地位をおびやかしたこともなかったのです。しかし当時そういうピジン・クレオール英語は「くずれた混合語」と見られながらも、情報未発達社会でしたから、多言語社会での情報伝達を容易にし、人々の交易移動を助けてきました。それをクレオール化したことにより、新しい言語文化も生んだのです。

ところが、時代が進み情報化社会が進めばすすむほどそういうRegional Englishは、昔以上に発展の余地がありません。現代はテレビ・ラジオだけでなくインターネットに代表される高度情報化時代ですから、規範としての標準英語がより力を持ち、そのマスの力を利用して世界いたるところに広まっています。かって地域の共通言語であったピジン・クレオール英語はその有用性を薄めています。しいてピジンを使わなくても標準英語を習って使えば、有用性は広がりますから。今ではどこでも標準英語は習えるし、テレビや映画を通して入ってきますね。

もうある国だけに通用する方言英語が活躍する場はその国地域内に限られてしまい、他地域に広がって行く力を失ってしまいました。

Manglishは単なる英語方言ではない

忘れて行けないのはManglishは英語の方言であっても、オーストラリア英語や米国のBlack Englishと違って英語を母語化している地域に起こった英語方言ではないということです。英語でない言語と接触の結果生れた英語変種です。ですからこの英語変種は母語英語が方言化したものよりはるかに規範から離れ且つ世界的に通用性にない英語です。だから偏見を持った人はこういう変種英語を”崩れた英語”と見くだすのです。

Manglishを疑似母語化すればするほどマレーシア人は規範英語とかい離することになり、それ以外に標準英語も覚えなればならない事になります。やがて、それぐらいだったら英語を母語化したほうという議論が起こる、なんのことはない、上記で見た現象に戻ってしまいます。何度も繰り返しますが、英語は他言語をくってしまうほど強力なのです。

汎英語化現象の中での解決策

古きよき時代各地域が特徴あるPidgin/Creole EnglishやEnglish Dialectを誇った時代は過ぎ去り、世界は強力な汎英語社会化が進んでいます。それに飲み込まれないためには、自国語を興隆させその上で英語を使って行くしか手はなさそうです。

各民族が各国家が平等ならば各言語も平等であり、唯一英語主義に反対すべきではないでしょうか。ある一つの自然言語の独裁は許すべきではありません。しかし現実の英語需要を考慮して、母語化や第二国語としてでなく ”外国語としての英語” の教育にと転換していって欲しい、人々の意識も変わっていって欲しい、同時に国語と各民族の母語文化を発展させていってほしいと、筆者は心から願わずにはいられません。



ペナンGeorge Townの古いバスターミナルに思う


先日数年ぶりにペナンへ行ってきました。ランカウイの行き帰りに寄り道しただけですから、島内を歩き回ったなんてことはまったくありませんが、それでもGeorge Town には1泊しました。( 「自由旅行者のための案内と情報」ページに安宿の見つけ方を書いておきました)

フェリーで渡るのもいいもんだ

さて半島部のButterworthからフェリーでGeorge Townに渡るのは、いかにもペナン島へ渡るという気分がするのです。香港で半島から香港島へ渡る気分ですな、15分ばかりの航海は短いけれど遠くのペナンブリッジや海から見たGeorge Townの景色を楽しめますよ。

またペナン島の桟橋からランカウイへ渡るフェリーにのれば、海からBatu Ferringiの様子が眺められる唯一の機会です。興味のあるかたは是非どうぞ。(ランカウイのページに情報があります)

いずこも増えた冷房車

George Town の町は相変わらず忙しくて、ペナンの都会らしさを感じさせます。初めって行った頃は町を走るバスに冷房車なんてなかったのですが、今回はミニバスを含めてほとんど冷房車になっていましたね。クアラルンプールと同じく公共交通もずっとよくなったのを実感しました。

マレーシアに来た91、92年頃筆者は精力的にあちこちバス旅行したのですが、長距離バスは別にして近中距離バスはほとんど冷房ナシでした。今や近中距離バスでも、冷房ナシもまだたくさんはしっているものの、冷房車が相当一般化しました。しかもこの数年長距離バスも新車、それも1台26人乗りとか20数人乗りのゆったりしたタイプの豪華バス、VIPと呼ぶ、が急増して、バス旅行はずっと快適になりましたね。

普通の長距離バスでも多くのバス運行会社が車を結構新しくしたので、乗ってるのが苦痛というようなバスはなくなりましたね。もっとも夜行バスは相変わらず冷房過多ですから、旅行者は気をつけてください。それに見たくもないビィデオを大音量で映写する悪慣習は変わっていません。

第三世界を旅する気分はなくなった

バス旅の面から言えば、マレーシアを陸路旅する時、放浪旅をした方ならご存知の第三世界を旅するあの気分はもう味わえなくなったことは、サバサラワクの僻地でも行かない限り、確かです。それはマレーシアの発展を序実に示している一面でもあります。

旅行者なんて勝手なもので、日常と違う面を求めて旅にでますから、時にはほのぼととしたひと時代前の状況光景を期待することも多いですね。ですからあまりバスなどがスマートになり快適になると、昔がなつかしくなることもあります。筆者も何百回いや千回以上もやったおんぼろバスや窮屈なバンでの(世界各国)旅は結構つらいし、その時はもうこんな旅結構と思いたくなるのです。矛盾した心境ですな。

半島部マレーシアを旅すれば一般に南北ハイウエーを走ることが多く、とくにクアラルンプールからペナンへとかマラッカ・ジョホールへなどはもう旅とはまったく言えません。単なる旅行ですね。それほどスムーズに事が運ぶのです、但し東南アジアの基準でいえばのことです。

なんでバスターミナルは以前のままなの

ペナンバスターミナルところでGeorge Townでバスターミナルといえば、ペナンの目印である高層建築Komtarすぐ横の渦汚れた建物の地上階ですが、このバスターミナルだけは以前とまったく変わていません。

おんぼろ市内バスで排気ガスを充満させていた昼間でも新聞の字が読みにくいほどの薄暗いバスターミナル内の様子は(右の写真)、筆者がそこを始めて訪れた91年とまったく同じなのです。

バスセンターに隣接したショッピングセンターに冷房喫茶店ができたりしていますが、バスターミナルの本質に変わりはありません。なぜという疑問が湧かざるをえません

マレーシア第二の都会George Town、有名地ペナンの中心部にあるバスターミナルがいまだ改修されず、暗く通気が悪く古いままなのですね。たしかにペナンのリゾートなどを訪れる99%の観光客には用のないところでしょうが、市民には、特に車を持たない市民には、たいへん身近で重要な施設のはずです。

それなのにバスの行き先表示はすすけて黒く不親切で地理に不案内者にはお手上げです。どこ行きはどのホームに並べばいいのかこれではよくわからないぞ!

このバスターミナルからクアラルンプールなどへの長距離便が出ますが、この乗り場の表示がまったくなく、切符を売る代理店の指示で場所を確認するしかありません。一つはターミナル内を横断する道路脇、もう一個所はターミナル裏のヤオハン前ですが、しかしその指示板がまったくない。初めての旅行者なら確実に迷いますね。 それにこのバスターミナル内には長距離バスの切符を売る代理店が何軒も店を構えているのですが、バス会社の直接販売がごく少ないので、1軒でいくつかのバス会社を代理しており、切符販売が不透明です。

他の州都のバスセンターでは直販売カウンターをおいてちゃんと値段表示までしてるところもありますが、このペナン島のバスセンターは、どういう商慣習があったか知りませんが、乗客のためという思想がいまだにないのです。いくら”クアラルンプールとかジョーホールバル行き何時、何時” と代理店のガラスドアに書いてあっても、どのバス会社でどこからバスがでるかはっきりしないのはいけませんね。

一つ付け加えておくと、小さなバス会社だと目的地までに途中乗車客を拾うためにあちこちによるので時間が余計にかかるのです。ですから筆者はバス会社を選びます。尚マレーシアの長距離バスはタイのそれと違って、バスホステスがいて(欲しくもない)飲物を配るなんてことはありません。

他の州都では新バスターミナルが建設された

なぜGeorge Townのバスターミナルはいまだ改修か移転しないのでしょうか。現在 Komtarに隣接した場所に大きなショッピングセンターらしきが建設中でしたから、ひょっとしたらそこに移るのかな。ペナンの日常ニュースに詳しくないので近い将来のバスターミナル計画は知りませんが、とにかくバスは冷房され町には新ショッピングセンターが建設されているペナンで、いつまでもこの古く不親切でうす暗いバスターミナルではまことにがっかりします。

筆者の知っているだけでこの数年新しいバスターミナルが建設された州都は、スレンバン、クアラトレンガヌ、クアンタンがあります。その他マラッカ、ジョホールバルは新しいバスターミナルではないもののまあ満足の行く広いオープン式バスセンターです。なぜペナンのバスターミナルはこんなに遅れてるのといわざるを得ません。

Pudu Rayaもとっくに収容能力を超えている

クアラルンプールのバスターミナルといえばまずPudu Rayaです、ごく最近、多分英連邦スポーツ大会で旅行者が多くなるからでしょう、Pudu Rayaビルの外壁が化粧直しされ、内部に空気清浄機が取り付けられ、おかげで前よりも蒸し暑さがへり、電気も少し明るくなりました。センター内の商店も昔に比べればこぎれいになったのです。

とはいうものの所詮70年代からのバスターミナルですからバスと乗客の数はとっくに収容能力を超していますから、普段でも混雑してるPudu Rayaは休み前のときなどその混雑ぶりは相当なものです。それに毎朝長距離バスがビル内の地下乗降プラットフォームに入りきらず、ビルに続く道路 JalanPuduにざっと数百メートルは数珠つなぎになっています。

クアラルンプールはPudu Raya以外に、東海岸州行きの比較的当たらしいHentian Bus Putra(Mall ショッピングセンター斜め前)とTemerloh方面行きの小さなバスターミナル Plaza Pekkering(Taman Negaraへ行く場合はここから乗ります)があるのですが、Pudu Rayaへの集中が激しく混雑状況はまったく変わりません。

市政府か連邦政府かどちらが管轄か知りませんが、もうPudu Raya 一極集中は止めるべきです。クアラルンプール市内の適当なところにもう一つバスセンターを建設してPudu Rayaの混雑を緩和して欲しいものです。もうPudu Raya自体に拡張の余地はありませんし、この一帯の混雑度は市内でも有数ですからね。

バスターミナル新設はあるのでしょうか

バンコクはそのバスセンターを3つ持っています。北部及び東北部方面行き、 東部方面行き、南部方面行きに別れており、いずれも中心部から多少離れています。バンコクほど規模の大きな都市ではないものの、クアラルンプールもその中心部の混雑はもう限界に近いですから、新しい大きなバスターミナルを中心部から少しだけ離れたところに作って、たとえば南部方面行きバスはそこから出発させるようにすべきですね。

ただしそのバスセンターとの交通手段つまり市内バス便を充実させることが条件です、そうしなけれ利用者に不便になるだけですからね。ちょどこの度建設されたKLIA行きのバスターミナルは中心部混雑地からは離れているのですが、なにせそこまで行く市内バス便の路線が少なく便数も少ないのです。計画したお役人は、自分で荷物もって市内バスを乗り継いでTun Razak ホッケースタジアム横のKLIA行きバスターミナルまで行く苦労を思い浮かべたのでしょうかね。

バスターミナルと新空港

さてマレーシア政府は6月30日に総建設費90億リンギットの新空港KLIAを開港させましたね。それはそれでたいへんおめでたく賞賛すべきことだと思います。筆者も当ページで一生懸命案内しておりますので、読者のかたもご存知でしょう。

マハティール首相にいわせれば、他の世界の新空港に比べれば安くできた最新式の空港でもあるそうです。確かに通貨リンギットが米ドルに対して4割もきり下がる前に契約と建設に入ったのである意味ではその通りでしょう。いい時期に建設開始したことは間違いありませんし、外国からの観光客誘致に新空港は大きな貢献もすることでしょう。開港直後の混乱も収まったことですし、まずはめでたしめでたしです。

でペナンのバスターミナルに戻ります。何でこの今になっても、あの薄暗く排気ガスくさく且つ乗客に不親切なバスターミナルは改修されるか又は移転しないのでしょうかね。多くの市民が、しかも自分で足を確保できない市民が毎日利用するバスセンターの改修ってどれくらいかかるのでしょうか、多分KLIA空港のぴかぴかの大理石の床の数百平米分ぐらいですむのでは。



新聞に現れたある日本報道に思う


ほとんど毎日、日本に関する記事が多かれ少なかれ新聞に載ります。
そこで、先月英字新聞にこんな心あたたまる記事が載りましたので紹介してみましょう。

JICAから派遣された方の紹介

以下は抜粋して翻訳しました。
人は69才にもなれば普通は余暇のある暮らしを望むのですが、この方すぎやまさんは違います、彼は価値あることを求めて遠い日本から汗を流しに来たのです、という紹介文で始まる記事は、疫病防止の専門家である69才のすぎやまさんが、ケダー州の離村Wang Tepus にJICAの派遣員としてやってきて、極貧層の家族が自立して自活できるように手を差し伸べていることを説明しています。

彼は灼熱の天気の下小さな潅木を植え、自然雑草の新しい方法を試し、害虫防御を行っているのです。

すぎやまさんは2年前にそこに来たのですが、マレーシアは初めてでなくて、88年にもその村にやって来て、貧しい農村家庭が利益を出せるのに適した農業方法をみつけられるよう手助けしました。マレーシア語をよくする杉山さんの言葉が引用されていました。「私は常に不幸な人たちを援助したいと思っていました。愛する家族から遠く離れているのはつらいことですが、不幸な人たちがよりよい暮らしをするのを誰かが助けなければならない、と強く信じています。」

現在のすぎやまさんの仕事はケダー州地域開発公社の極貧層削減計画のもとで、貧しい農民家庭にみあった農業法を開発発見していくことです。

JICAのプログラム技術援助及び移転事業として、現在シニアーボランティア(40才から70才)の50人ほどがマレーシアで活躍されています。以上翻訳終わり

JICA(正式名は日本国際協力事業団ですかね?)の活動について筆者はよく知りません。もちろんマレーシアにその事務所があることは知っていますが、職員の方とかJICAから派遣されている方ともまったく面識ありません。
こういう日本側の事業に疎い筆者は、そんな多くの方が働いていらっしゃるとはまったく知りませんでした。

1村1品運動のマレーシアへの導入

またこの新聞記事の中で下記のような紹介もありました。

以下抜粋翻訳です。
もう一つの日本からマレーシアに移入されたアイディアに”一村一品”運動があります。それはマレーシア政府が奨励している村民の企業家精神にぴったりとあっています。

もともと大分県で発案されたもので、村の人的資源開発と独立独歩を助けるものです。この概念が93年12月ケダー州で開始され、以来職の創造を生み現在は6つの分野に広がりました、その6つには漁業、観光、果樹栽培、ハンディクラフトなどです。

州のKubang PasuにあるBatu Hitam村を訪れてみれば、その概念の成功の一端を見ることができます。果物のポメロの栽培と伝統お菓子業に役立っているのです。54ヘクタールの農園で61軒の農家が高品質のポメロを栽培し、それが今では香港、台湾、韓国に輸出されています。

「このプログラム下で、州政府が安価な工場と灌漑を提供し道路と電気を整備しました、村民は土地を耕し商業化を開始したのです。」 とケダー州の農業庁長官が説明しています。「ポメロ栽培によって村民の所得を次第にあげ生活水準を向上させたのです。結果として彼ら自身のビジネスをつくったのです。平均年間所得は栽培土地の広さによりRM2,000からRM40,000です。」 以上翻訳終わり

ランカイ開発はマハティール首相の肝いり

ケダー州はマハティール首相のお膝元、マハティール首相の発案でこういうことを導入することが、多分比較的容易なのでしょうね。これは同じ州のランカウイ島を見ればそれがよくわかります。

ランカウイは10年前はマレーシア人中心に年間数万人しか訪問者のなかったただの行楽離島にすぎなかったのですが、ランカウイ開発が本格化した90年以降は急激に発展し、今やマレーシア随一のリゾートアイランドです。豪家リゾートの大半は90年代中期以後の建設です。今や年間何万人だったかは忘れましたが、観光外貨稼ぎの筆頭の一つですよね。

あまり伝えられない面でもある

上記で紹介したような記事は、日本のことを結構こまかく伝えるマレーシアの新聞でもめったに現れませんから貴重ですね。在マレーシア日本人でもご存知の方はそれほど多くないのではないでしょうか、筆者も以前、サバ州で森林保存などに携わっていられるある読者からメールをもらって、日本の間接経済援助活動の一端とそういう方の存在をあらためて知りました。

読者の方でそういうことに関わっていらっしゃる方がもしいらっしゃいましたら、是非知らせていただきたいものです。

マレーシアの新聞は日本をよく報道する

マレーシアの新聞が日本に関して報道する量は間違いなく日本の新聞がマレーシアに関して報道する量を凌駕しています。特に華語紙は政治経済ニュースのみならず芸能・ファッション・文化記事をよく載せます。筆者は日本の芸能事情等はまったく知りませんし興味ありませんが、時々華語紙を拾い読みしてわずかばかりの知識を増やすのです。余談ですが、あるラジオ放送局は毎週1回1時間ほど日本の歌謡曲情報を放送しているぐらいです。

先日の参議院選挙の報道は英語紙も華語紙も第一面に載せていましたが、華語紙のそれはたいへん詳しく筆者のように日本語新聞を読まない者にも充分なくらいでしたね。

英語紙のThe Starが自民党総裁イコール首相選びに関して、Badawi外務大臣が日本の首相選びに関心を持っていることを伝えていました、なぜならそれが東南アジア地区の経済復興努力に影響を与えるからだそうです。「新首相は日本経済の復興だけでなくこの地域の経済復興に力を貸すべきです。」 「新首相がこのAsean地域を経済停滞から引き出してくれることを、我々は期待しています。」

日本政府が、東南アジアのある国の首相が選出される前からこのような期待を述べることはないでしょうから、これを見てもマレーシアがいかに日本に期待しているかが推測できますね。日本は期待される国なのです、望むと望まずにかかわらずです。

観光面以外も伝えたい

このようにマレーシアの新聞マスコミに現れる日本像は決して単面的ではありません。もちろんそれだからといってマレーシア人の日本理解が日本人のそれをずっと上回っているとは一概には言えないでしょうし、どちらがより相手を知っているかを判断するのも至難ですね。

日本人のマレーシア知識と興味はどうしても観光面に偏りですから、当ホームページはささやかながら観光面以外のマレーシアにも力を入れて紹介しているわけです。



近頃美容整形に忙しいクアラルンプール


英語のCosmetic Surgeryは美容整形(外科)という意味です。英英辞典の定義によれば本質よりも概観を処置するという意です。Cosmetics化粧品はそれから派生した単語ですね。だから外科的に化粧を施すとでもいうことでしょうか。そのCosmetic Surgeryがこの数ヶ月クアラルンプールになされています。

繁華街と主要通りは化粧直し中

商業中心街であるゴールデントライアングル一帯、繁華街のBukit Bintang街、Tuank Abdul Rahman 通りとその近辺、チャイナタウンとKota Raya付近など市内の有名通り一帯が、のきなみ化粧直しされているのです。歩道はきれいな敷石に変わり、道路は再舗装され、経済停滞で建設工事の停止してしまったモノレール支え柱下には植物が植えられています。

ゴミゴミとして人込みでいつもにぎわうチャイナタウンとKota Raya一帯も随分とすっきりしました。先日久しぶりに歩いたTuanku Abdul Rahman通りも、えーこんなきれいに、と驚いたぐらいです。さらに猥雑さで悪名高かったChow Kit一帯でさえ、Bukit Bintai街と同様に歩道がきれいな色の敷石に敷き詰められ、歩道いっぱいに無秩序に広がっていた屋台物売り店が路地に移されました。

概観がきれいになりすっきりしたのですから、なにはともあれ歓迎且つクアラルンプール市庁と政府の努力を賞賛しておきましょう。

英連邦スポーツ大会に備えて美化キャンペーン

でなぜこの数ヶ月これほどの美容整形手術をほどこしたのでしょうか。それは主に、マレーシアがこの9月11日から開催する英連邦スポーツ大会 (第16回Commonwealth Games)のためなのです。外国、といっても英連邦加盟諸国ばかりでしょうが、からこの大会観戦にたくさんのお客さんがいらっしゃいますから、ちょっとふけた傷んだクアラルンプールの顔をお化粧し直ししましょうということですね。ついでに簡単な整形外科手術もしておこうということでしょう。きれいになりたいのは人だけでなく都市も同じ、女性ならずともそれくらいは(男性の)私でもわかります。もっとも、いくら化粧しても手後れという人もいますけど(失礼!)

クアラルンプールの中心街は歩道や大通りが化粧直しされただけでなく、英連邦スポーツ大会を知らせる垂れ幕やポスターがところどころに掲げられています。といっても、有名香港歌手がマレーシアにやってきてコンサートを開く時に掲げる垂れ幕より数は少ないのではと思えるほどの量ですから、めったやたらに掲げてあるわけではありません。

クアラルンプールはきれいに化粧した顔だけでなく、特にこの数年続続と建った高層ビル、インテリジェントビルでスタイルもかっこよく変身しつつあるのです。有名ブランド物を売るショッピングセンターと店が増え、スマートに決めた若い女性が歩くのを見ると、クアラルンプールも随分変わったものだなと実感します。(なんで筆者には恩恵ないのかな)

クアラルンプール全部がお化粧しているわけではない

もちろん変わっていない面もいっぱいあります。例えば筆者の住む地区、Bukit Bintang街から歩いて15分ほど離れているだけなのですが、道路もほとんど化粧直しされてませんし、排水溝はゴミで詰まったまま、相変わらず歩道を屋台とバイクが占領し、夜ともなればヤングレディー紹介配達業者(この意味わかりますか?)が徘徊しているのです。

筆者の見るところ、所詮住民の意識はほとんど変わっていないのです。きれいに化粧してブランド物でセクシーに決めた女性も家に帰ればパンツ姿で寝転がってテレビ見てる、というところでしょう。表に見えるところと裏の見えないところのこのアンバランスがまたいかにもマレーシアらしいのです。だから筆者はこの汚くうるさくごみごみした下町を離れられないのです。(お金がないのもその大きな理由ですが)

旅行者の方々がぶらつくBukit Bintang街、Sogoデパートのあるあたり、Mallショッピングセンターのあるあたりは、それなりにきれいでにぎやかで整っていますから、安心して街歩きを楽しんで下さい。ちょっと気分を変えてチャイナタウンやセントラルマーケットに足の延ばして、店をひやかすのもいいでしょう。いずれも化粧されたクアラルンプールの街を充分味わえると思いますよ。

市庁から次々と出される指令

クアラルンプール市庁は町の美化キャンペーンの一つとして上記の歩道の整備、屋台の路地への移動統合や未完成モノレール建設現場の片付けなどを実行していますが、それだけではありません。主要道路に面したビルのオーナーはビルの化粧直ししなさい、からショッピングセンターはスポーツ大会の歓迎ポスターを掲げて下さい、などのいろいろ出される指令の中には首をかしげざるをえないのもあります。

その一つが新聞の記事でも紹介したのですが、ある大臣のことば、近い将来主要道路に面した公営アパートの住民は外に見えるように洗濯物を干すことを禁止する、というがありました。これは住民等から猛反対が起きてそれ自体の法令化はされないことになったのですが、クアラルンプール市長は最近、11日間のCommonwealth Games期間中だけは、そういう公営アパートでは洗濯物を外に干してはいけないと言ってます。

公営アパートとは、例えばプド刑務所博物館の並びにあるような低所得者向けの10階建て程度の古いアパートです。もともと洗濯干し場のない構造なので好むと好まざるかかわらず部屋の窓の外に干さざるを得ません。大体洗濯物を外で人に見えるように干して何が悪いのか、太陽の日によく当るように外に干すのだから当たり前でしょ、と筆者は思いますが、高級官僚にはそういう発想がないようで、それは見苦しい町の美観をそこねるということになります。

とりあえず外見だけはきれいにしましょう

そう、この公営アパートもこの数ヶ月で外壁をきれいに塗り直しました。遠くからちょっと見るときれいだけど、近づいてよく見たらまったく違うという女性と同じです。知らない人はだまされますよね。

そのビルの外壁塗り直し命令は主要道路に面した一般及び商業ビルのオーナーにも発令され、現在遅ればせながらたくさんのビル外壁が塗り直されているそうです。これぞほんとの見てくれだけをきれいにする化粧直しです。まあ外国からたくさんのお客さんがいらっしゃいますから、中身はともかく顔の化粧ぐらいはちゃんとしましょうということです。ぶすでも化粧次第できれいに見えるというところですな。(こんな比喩を使ってると女性読者に怒られそう。心やさしいフェミニストたる Intraasiaの評価が落ちたら困るなあ)

屋台商売一時中止命令

それとまたクアラルンプール市庁の強引ともいうべき指令が、屋台商売人達の反発を生んでいます。大会中は道路端とビル横や裏での屋台商売を禁止するというものです。理由は述べられてませんが、あまり衛生的でないし秩序だって商売していないというところでしょう。その推定理由自体は確かに完全否定はできませんが、なぜ大会中だけこの屋台商売を禁止するのでしょうか、これぞマレーシアらしい商売と食べ物文化でありませんか。屋台で食べて小物の買い物して何がいけないのでしょうか。もちろん基準以下の衛生度の店は禁止すべきですが、基準に達した屋台はどうどうと営業して、これぞマレーシア食文化を示してほしいものです。

西欧の基準をそのまま適用しないことを日頃強く訴えているマレーシアらしくありませんな。屋台と極小取り引き商売人団体が失望しているそうです、まこと同情します。

街に欠ける英連邦スポーツ大会前の盛り上がり

ところでこのクアラルンプール98 英連邦スポーツ大会開催まであと1ヶ月ほどにせまったのですが、どうも街にその雰囲気が漂っていませんね。日本人だから英連邦などに興味ないからいうのではありません。首都圏でさえこの状態ですから、筆者が7月初めにおとずれたペナントとかランカウイの町ではほとんどそんな雰囲気はありません。7月後半にいくつか訪れた北部州の田舎町でCommonwealth Gamesの看板など1回も見ませんでした。大会会場から遠く離れてるし、スポーツ大会で別に潤うわけでないしというところかな。

事実、英連邦スポーツ大会の前売り切符の売れ行きは当局も認めるほど足が遅いのです。当局は時々それを嘆いているくらいです。

一般的にマレーシア国民は、一部の人気スポーツ、バドミントン、サッカー、それにオートバイレースぐらいを除いて、スポーツ大好き国民でありませんから、マレーシア開催とはいえそれほどのこのスポーツ大会に熱をあげるとは思えません。でもこう言いきったからには、もし大会が始まってみたらそうでもない時は、お詫びの訂正を書かねばなりませんね。



不惑に達したマレーシア、でも


新空港KLIAは開港以来、毎週末見物客を相変わらず引きつけているそうです。開港して1週間ほどしたマレーシアの祝日に筆者が訪れた時も確かに、それが飛行機の発着の少ない日中であったせいもあり、航空便利用客とその出迎え見送り客らしきを空港見物客がはるかにしのいでいました。

見物客を引きつける新空港KLIA

出発カウンターや到着ロビーは閑散としているのに見学デッキやエレベーター、エスカレーターは常に人が乗っておりましたし、空港内のあちこちでは記念写真を取っている人をよく見ました。それは外国へ出発するからではないでしょう、荷物も持ってないしまたそんな雰囲気でなく、新しい空港が珍しい、いやほこり高く思うから記念写真を撮っているのでしょう。

新聞の後日報道によれば、何千人もおよぶこういう見物客には家族連れが多く、乳飲み子や老人をつれて一家でやってくるそうです。そして記念写真を取りまくっていくそうです。

巨大施設建設に関わる日系企業

まあ、マレーシアらしく微笑ましい光景です、国家が超巨大なお金 RM90億をかけ、お国の威信をかけて建設した最新空港ですから、普通の市民としてはこれはぜひ行って見ておこうという気になるのでしょうね。空港デザインから建設、施設納入製品、コンピュータシステムまで多くの日系企業が新空港建設に関わりましたから、その恩恵を受けてマレーシアで働いた住んだ日本人も多くいらっしゃいます。まずは日本人日本企業にとってもめでたしの事業でしょう。もっとも工事に関わった企業の収支決算がどうだったかは知りませんが。

ペトロナスツインタワー、KLタワー、KLIAさらに英連邦スポーツ大会用競技場など数年前からごく最近にかけて、マレーシア政府は巨大プロジェクトを続けざまに完成させてきました、また有名なマルティメディアスーパー回廊計画は現在進行中です。そしてこれらすべてに、大なり小なり日系企業がかかわっています。

国家事業に肯定的なマレーシア国民

発展する中進国家の象徴とでも捉えられているのでしょう、一般にマレーシア人はこういう国家事業にたいしてはたいへん肯定的であり誇りを持ちますので、これだけ続けざまに大投資しても政府はこれといった反対にあうことはありません。投資計画支持率という面から見れば、マレーシアは多民族多言語複数宗教国家でありながらたいへん一枚岩なのです。たとえ反対の声があったとしても、国家事業に敢然と反対するなんて、NGOとか各種マスコミ団体でも、ましてや個人では極めて難しいでしょう。こういうことに興味ある方は、当ホームページにある「新聞の記事から」をよくお読み下さい。

”愛国”の風潮

こういう意味からマレーシア人はたいへん”愛国的”ですね、筆者は日本にいたらこの単語を書くことさえはばかりますが、いろんなところでCinta Malaysia つまりLove Malaysiaの文字が躍り、それを具現化するBuy Malaysian
Productsマレーシア製品を買おう運動 が引き続き行われており、時々その展示会が開かれています。

一流マレーシア歌手芸能人の出演した6月の愛国集会の様子はこのコラムでもお伝えしましたね。このように上はマハティール首相を号令者にした政府から一般人まで、大企業のみならず中小企業まで、さらにマスコミも含めてChinta Malaysiaは最近の風潮です。

外国勢力によって国の経済が退潮低下させられたので、国民一致団結してこれを克服し乗り切ろうというのが、指導者層の考えですから、当分この風潮は続くことでしょう。マレーシアでは、お隣タイのように貧農民が大挙して首都にやってきてデモしたり、韓国のように労働争議が頻発するようなことはまったく起こっていませんし、これからもまず起こらないでしょう。インドネシアのように暴動が発生するなんてことは考えられる近い将来はないでしょう。

そういう政治的には安定した国且つ概しておとなしく従順な国民ですから、政府の音頭のもと、表面上は国民は相当に協力的です。これが望ましいことか望ましくないのかの価値判断は省きます。

ただあまりにも愛国的であることが必要であると強調されるので、正直言って、筆者のように一歩下がって愛国を考える者はいささか違和感を覚えざるをえません。

負の面は伝えたくない

ある大臣がマスコミはマレーシア経済の負の面を伝えるべきではないというような趣旨の発言をしていましたが、いくらマレーシアのマスコミがそれを控えても、外国のマスコミ報道は流れてきます。その際その(外国マスコミの)見方は一面的であると批判しますし、実際そういう場合も多いのです(と筆者は見ます)。それならばマレーシアをよく知った地元マスコミが正直に洗いざらし伝えた方がよっぽどいいいのではと、筆者は思うのですが、情報を管理したがる発想の人々はそれを許しません。

Marina女史の鋭い視点

こんなことを考えていた時、前にも一、二度紹介したことのある、マレーシアエイズ基金協会の会長で著名なコラミストでもあるMarina Mahathir女史のコラムを英字紙で読みました。さすが彼女はするどいことを書いてますので、少し紹介しておきましょう。

「私が外国でマレーシアのNGOの活動について述べる時、マレーシアのNGOはその活動がいかにマレーシアにとって有用であるかを示すことにものすごく時間を使っていると、しばしば伝えるのです。外国人特に西洋人はこれに困惑します、なぜなら彼らはその政府や当局に反対であることを述べる時、国への忠誠をいちいち弁護する必要が決してないからです。

中略
この国に起こっていることを観察するにつけ、私はなぜマレーシアでは批判に対して神経質なのだろうと首をかしげます。従順さが忠誠と同一視され異議を唱える表現が非愛国的みなされる時、それはこの国の悲しき告発であります。
我々は非常なる金と時間をかけて世界に地位を得るべく自国民を教育しました、その結果その国民に考えることをしない田舎者のごとく振る舞うのを期待しているのです。

中略
我々の為政者の一部にあるもう一つの悪癖は、彼らを批判する者に対して、何事も政治的化していると非難するのです。私の考えでは、どんな団体が何に関与しようと、ことは政治化するのです。」 後略
6月24日付け The Starより抜粋訳

彼女の言についていちいちここで解説はしませんが、一応言論自由の国で育った日本人の読者なら彼女の言わんとすることはお分かりになりますよね。それにしてもその言論自由度の高い日本からきて、日本人に好かれそうなことだけを選んだり、面白そうな情報ばかり書いてる当地でホームページ作っている方々(の大部分)は、Marina Mahathir女史のコラム一度くらいお読みになったことあるのかしら。

生活者としての本質的違いを欠如した在マのホームページ

インターネット世界が広まるに連れて、情報量の増え方と入手の容易さは驚くばかりのスピードで進んでいますね。日本人の作るマレーシアサイトでさえだんだんと増えていく一方、その内容の似たり寄ったりさにはいささかがっかりせざるを得ません。資本と人手があれば情報は相当程度豊富になります、当たり前ですね。しかしなぜガイドブックの真似事みたいなサイト、同じ発想をもったサイトが増えていくのでしょうか。(ガイドブック的が悪いというのでなく、それプラスがあるべきではないかということです)

筆者は他人のサイトはめったに見ませんが、その数少ない時感じるのは、ちょうど、ある地方・国に生きる人間の生活を顧みず同情せず理解せずに、単に経済指標を示し経済状況を解説している評論家的態度に似ていますね。

わかりやすく例えて言いましょう。タイの北部で山岳少数民族見物の旅を売る旅行業者とそれに嬉々と参加する観光客と同じで、すべては動物園か劇場での見物的発想です。その国の珍しい者も物もすべて網羅的に伝えてデータベース化する、見物される少数民族は単に見られる、データーベース化される存在であり、決して見物する、インプットする立場に回れないことを理解しない、できない人々が多すぎます。

マレーシアの出来事やめずらしいことを伝える・説明する・情報を売る、それはそれで結構、私もやってます。それでその結果、はるばる日本からやってきてマレーシアで働き住む者である作り手は何を訴えたいの、と思うことがあります。そういう人たちのサイトには、マレーシアに暮らしているという本質的違いがほとんど感じられないのですね。

ガイドブックがものすごく発達した日本ですから、マレーシアの情報でも驚くべき精細さで載っていますね。正しい間違っているは別にして情報は十分ある、飛行機代は充分安い、日本はこういう面では間違いなく幸せで進んでいます。もちろん筆者もその恩恵を受けた一人です。世界に誇る面だと思います。しかしその豊富な情報と手軽さをどのように利用していくかはまた別物でしょう。ちょうど世界にあふれる英語情報に一番たやすく入手し読む立場にあるアメリカ人が、いかに他国文化・民族に鈍感で傲慢であるかと同じように。

野党第一党に起こったある出来事

話は元に戻ります。もう一つ興味ある出来事をしめしておきましょう。

マレーシアの第一野党のDAPで最近党首批判運動をしたことからその批判した幹部らが党籍剥奪又は停止処分をうけ、これが党内の内紛を呼んでいます。UMNO中心の与党政府のとる言論自由への態度を批判するどく数十年も展開してきた野党第一党が、身内でおこった批判を言論自由のもとで処理できなかった興味深い事態です。
これもマレーシアのある一面です。全てではありません、誤解なきように。

マレーシアは独立して今や不惑に入った

そう 8月31日のNational Dayが近づいてきましたね。マレーシア、当時のマラヤが英国から独立した1947年から41回目の独立記念日です。植民地であった国が独立する誇りと嬉しさは、筆者を含めて日本人にはどうしても理解の劣ることだ思いますが、それでもその独立の意義を理解したたえる努力はすべきではないでしょうか。

マレーシアは41才になります。人間でいえば不惑を迎えた年代ですね(マレーシアの歳は筆者より多少下回っていますから、すると筆者もすでに惑わずといっていいかな、それともこういう批判的論調を張ってるから大人げない? 筆者はなにごともわかったような顔つきするいい子でありませんからね) 41才のマレーシアでもさらなる国民の忠誠が必要なのか、それとも41才だからこそ忠誠が必要なのでしょうか。 マレーシアでは不惑を迎えた者とはいえ発言には気をつけなければなりませんね。



マレーシアの光と影を伝えたい − 当コラム掲載100回記念 −


東南アジア諸国、発展途上国といってもその実状はまことさまざまで、歴史的民族文化的つながりが互いに深いといっても一言で言い表すのは不可能です。

単に数字だけではわからない

いうまでもなくマレーシアはその1国です、しかし今尚発展途上国と呼ぶには時々気がひけるのです。国民総生産額や一人当たりの年間所得を米ドルで現せばその範疇に入りますが、ある国の庶民の生活などを考慮に入れず単に数字でその国の国力を測り分類するのは、経済学的政治的には大きな意味があっても、その国をよく知る目安の一つにすぎないのです。あえてマレーシアを分類化するなら中進国とでもよびたいですね。

例えば米ドルで現せば1ドルに過ぎない RM4(4リンギットと呼ぶ)前後で普通の人なら、内容・量ともまあ満足のいく昼飯を食べられます。日本では菓子パン1個の値段ですね。普通の人の生活感覚から比べれば、特別に金をかけてなくても、食生活はマレーシアの方がよっぽど日本より豊かですね。

その気になれば住居地近くの市場へ毎日でかけて、新鮮な野菜や肉類を求められますし、それは極めて一般的です。ほとんどの市場は一般人に開放されていますから。冷凍技術の発達した日本から見れば、遅れているように見えますが、しかし味や新鮮度からいえば生の方がいいのは決まってますよね。

外的変化と意識変化の速さの差

マレーシアはこの10年ぐらいでまことに発展がめざましく進み、目に見える変化として高層ビルが建ち並び、高速自動車道路が半島南北を貫き、自動車社会を象徴する新車が道路をうめ、さらに大都市の郊外には大型工業団地がいくつもできています。まこと経済の息ぶきを感じられる面でしょう。農村人口はすでに半数をわり、若者はクアラルンプールを中心とした大都市に流れ込み、自然山野が開発され海が少しづつ汚染されています。

しかしこういうよく目に見える変化の一方、人々の意識が発展についていけない又は見合ってないという現象が出てきました。無理もありません、この10年ほど年間成長率8,9%の高成長でひたすら発展を続けてきたからです。日本でも60年代の高度成長期が終わったころにはその矛盾がどっとでてきましたよね。どこでも同じでしょう。人間の意識がそんなに一朝一夕に変わりませんから。

アイデンティティを守る

人々はこれまでの慣習とそれぞれの民族の伝統を守りながら生きています。マレーシアは多民族国家ですから、自分たちのアイデンティティを、その民族の伝統を受け継ぎ子孫に伝えていくという事に、とりわけ力をおいているようにまた価値を見出しているように見えます。その力の入れ方は日本の比ではありません。ですから時には、筆者の目には、非常に保守的に感じるわけです。

インド系の大多数はヒンヅー教のもと、インド系が多い地区には必ずヒンヅー寺院を建設し、そこに多くのインド人がこまめにお参りに来るわけです。田舎や昔は周囲に人家のまばらなころは、その寺院もとりたてて問題はなかったことでしょうが、都市が開発され周りに住宅が立ち並び、異教徒がその地区に増えれば、そのヒンヅー寺院が周りに及ぼす影響が出てこないとは限りません。

例えばヒンヅー教徒でない筆者のような者にとって、その寺院が発する鐘の音、信者の往来はいささか耳障り目ざわりに映らざるを得ません。何にせ毎早朝暗いうちからがんがん鐘を鳴らすし、信者の車があちこちに無断停車するからです。しかしそうだからといってヒンヅー寺院反対などということは、マレーシアではすべきではありませんし、タブーです。

マレーシアではそれぞれの民族の信ずる宗教には互いにアンタッチャブルを貫いてますので、これが各民族に直接及ぼす影響は今のところありませんが、旧住宅地が再開発されて寺院の立ち退きなどとなったら問題は噴出しそうです。
こういう現象を防ぐためもあるのでしょうか、筆者知る限り、首都圏の新しい住宅団地内には普通ほとんどといっていいほどヒンヅー寺院や中国寺院は建てられていません。

華人は伝統的に線香を毎朝とか夕方家の周りにたてて先祖神とか守り神を拝みますね、ですから道端のあちこちに燃え尽きた線香がそのまま残されております。彼らはまずそれを片づけません。これも古くからの中国人街なら全く問題ないでしょう。でも同じことを各民族混在した高級な住宅地であたり構わずやれば、環境美化の面から不満が出てきそうです。

マレー人がムスリムとしての行である1日5回の祈りでも、これをその通りこなすのは都会の忙しい生活下ではなかなか難しいことでしょう。モスクは都会でも主要地には必ずあり、また一定規模以上のビルにはほとんどBilik Sembahyangつまりお祈り室が設けてあり、工場でならマレー人の働く工場にはお祈り室を設ける事が義務づけられています、街に出かけているものでも理論的には5回のお祈りは可能ですが、現実は難しい事は容易に想像できます。

このように各民族伝統的宗教的な慣習を昔のままに都会生活で具現化する事は、都会が発展すればするほど妥協なり別の道を見つけざるを得なくなりました。好むと好まざるをえわずです。発展の代償といえばいいすぎですが、都会生活では仕方がありませんね。

屋台文化にも変化の要

こうなると、新聞の記事に時々載る屋台の問題もその一つです。マレーシアは東南アジアでもタイと並ぶ屋台の盛んな国です。以前このコラムで、「屋台文化と罰金主義」 というのを書きました。マレーシア人の大好きな屋台もその屋台商売人の意識と客の意識が昔のままで、屋台街の引き起こす問題、つまりゴミ捨て、衛生意識、客の無差別駐車ぶりなど、が街の環境や住宅地の住民に与える影響です。

屋台街は安くておいしくて且つ便利でいいのですが、住民への悪影響はもう無視できません。汚し放題、勝手に道路占拠は、交通の発達した現代生活下ではそれに我慢のできない住民が増えました。そこで政府も10年ほどかけて最終的に屋台街をなくし、屋台センターに収容する方針を打ち出しています。クアラルンプールはそれを率先しています。詳しくは「新聞の記事から」等を参照して下さい。

これは開発についていけない民衆の行動・意識の典型的な例ですね。発展して環境意識や衛生意識が向上すれば、10年、20年前はそれが許されたのですが、今ではもう無差別屋台商売は許されません。まことに残念なことではありますが、変わらざるを得ません。

なぜ無条件に応援しないか

よくガイドブックには東南アジアを食べようとかこれぞ民族料理、カルチャーだなどと、屋台特集やその案内が賞賛ととももに紹介されていますが、こういう事情はまったく書いてありません、書かないというよりもりも、取材した人はそういう事情を知らないといった方がいいでしょう。
ガイドブックの限界である現象を紹介してもその本質をつけない典型的な面ですね。もっともガイドブックにそういうことを書く事は最初から期待されてないでしょうから、それを批判するつもりはありません。

例えばクアラルンプールの屋台街紹介で必ず載る、ブキットビンタン街の裏にあるJalan Alur街の夜店屋台群、確かに店数、品数豊富でいつも商売繁盛してますが、そこで時々起こる問題、店前に駐車した車に悪さしたり、嫌がらせする話はご存知ないでしょう。ここに限らず屋台商売人は自分たちの商売場所だとして、公の道路をかってに占有しその近くに駐車した車を毛嫌いします。その癖その場所で客が散らからせたゴミについてはわれ知らずです。

こういう身勝手習慣が公の機関の取り締まりにあつれきを見せたり、住民の反感を招いたりしています。屋台で他べる料理の裏にはこういうことが隠されていますが、当然ながらガイドブック類の取材者の目には映らないし、短い取材程度では分からないでしょう。

筆者は屋台が嫌いどころか大好きで、ほとんど毎日そういうところで食べてますし、屋台文化存続を応援しています。その一方商売人と客の、国の発展に見合った意識の変化の遅れも批判しているわけです。無条件に”これぞ東南アジアのカルチャー”などと脳天気に賞賛するわけにはいきません。

チャイナタウンのある一面

もう一つ例をあげれば、クアラルンプールの名所チャイナタウン、ここは外国人はいうまでもなく地元の人をも魅了する場所ですね、いつ行っても猥雑な雰囲気の中に人々の息ぶきが伝わってくる面白いところです。

買い物に訪れた旅行者は数知れずですね。果物、お菓子、衣料、靴などに混じってここ数年は場を聞かせているのは、コピーCD・VCDです。ハリウッド映画や香港映画のVCDが封切りとともにたちまち現れます。ついこの間まではマイクロソフトのオフィスなどのコピーソフトウエアーもあちこちの店においてありました。ビジネスソフトウエアー協会のコピー防止取り締まりで最近激減しました。

それと去年までこれもそういうコピー屋の棚を飾っていたポルノ・アダルトビデオやVCDはすっかり消えてしまいました。かつてはガイドブックなどに紹介されていた安いソフトウエアーやアダルト物はなくなったのです。もちろんチャイナタウンの屋台商売人が自主的に取りやめたのでなく、警察や国内販売と消費者省の強い取り締まりの結果です。彼ら違法コピー商売人は倫理なんてまったく関係ないですからね。

この取り締まりの過程ので陰湿な状況をある華語紙が書いていました。屋台の販売人が警察にアダルト物を販売した事で警察に捕まります。警察は入手先を追求しますが、捕まった彼らは決して本当の事をいったり入手先をもらさず、あえて自分たちで罪をかぶるそうです。なぜか、華人系マレーシア人間で黒社会と呼ばれるギャング団の報復が恐いからです。警察に白状すれば、後で自身の身や家族に危害が加わりますから、入手先は漏れないのです。

道行く人に呼びかけるかしまさとにぎやかな往来のあのチャイナタウンの暗部の一面でもあるのです。

ガイドブックと併用して下さい

ですからこのホームページではこういう面、ガイドブックだけを見ていてわからない面を時々取り上げるのです。当ホームページは決してガイドブック類の代替えでなく、競争しているのでもなく、併用していただくものだ、とうたっているのもこんな訳がありますよ。

当ホームページは愛すべきマレーシアを時にはもちあげ時には批判していますが、急激な目をみはる素晴らしい発展の一方、それについていけない人々意識の遅れと行政の非能率さや環境の未整備も現実にありますからいたしかたありません。もちろんこれは一人マレーシアだけでないのは重々承知していますよ。

マレーシアを訪れたり住むことになった方に、そんなマレーシアの光と影を筆者は伝えたいと思っています。
これからも「今週のマレーシア」をご愛読下さい。



ご意見をお寄せ下さい
このページの目次へ 前のページに戻る