ナショナルデーとダイアナの死 ・ ムスリム女性の離婚 ・ 深刻化する今回の大気汚染
・ マルチメディアスーパー回廊(後編) ・ インドネシア山野火災とASEAN ・ マレーシアの思い出(1周年記念)
・ 多民族国家における検閲 ・屋台と罰金主義 ・ 外国人労働者と EXPATRIATE
8月31日はマレーシアの一番重要な祝日Hari Kebangsaan つまり National Day です。特に今年はちょうど40回目ですから、街のあちこちには国旗が掲げられ、また窓に国旗の小旗をつけて走っている車も結構見られます。
それだけでなく、コンサートや自動車レースなどの記念行事がすでに行われています。
57年8月31日に、初代首相の Tunku Abdul Rahman が国立スタジアムで英国からの独立を宣言したので、この日がナショナルデーになりました。例年この日はDataran Merdeka(独立広場)で式典兼パレードが行われます。
かたや、学校はもちろんほとんどの会社が30日、31日、1日の3連休になりますので、マレーシア人の旅行が増えるのです。
"Salute to The Nation” と名打ったサイトは、マレーシアの独立40周年を記念してグリーティングカードを送るホームページです(www.jb-online.com.my/salute/index.htm)。その中にはマレーシア人がどのようなことをカードに書いてるかを見る ”View greetings” というページもあります。優秀賞にはさまざまな商品が贈られるという、コンテストも兼ねています。
のように、当ホームページの巻頭に先月末書きましたね。
そこでナショナルデーの前夜、”Hari Kemerdekaan ke 40 (独立記念日40回目)”という前夜祭の開かれる Merdeka 広場へいってみました。歌や踊りのショー開始予定の 午後 9時前には、広場一帯にすでに多くのマレーシア人が集まり、残念ながらショー会場に近づくことが難しくいい写真が取れませんでした。(安物デジタルカメラはだめですね、という言い訳です)
前夜祭には、ナショナルデー当日のようにパレードや各団体の演技があったり、それを観覧する国のVIPが来る予定はありませんから(マハティール首相が深夜にきて国旗に名前をつけたと翌日の新聞で知りました)、別に動員があるわけではありません。あちこちに目に付く警備の警官らを除けば、皆自由意志で集まってきたのでしょう。
ですから単にお祝い気分と休み前の夜歩きを楽しむ人で、筆者が広場についた8時にはすでに半分が埋まってるほどでした。筆者はどれぐらいの人が集まるのかな、という興味半分で行ったのですが、多くのマレーシア人にいささかびっくりしました。
ところで、何千人いやひょっとしたら最終的には1万人近くいるのではという人込みに混じっていて気がついたのですが、ほとんど、おそらく9割以上はマレー人ですね、それもそのうちの3分の2以上が20歳前後の男たちばかり、やっぱりこの年代は暇か退屈なんでしょうね、もちろんカップルや家族づれもいます。
でもクアラルンプールの人口の半数近くをしめる華人系がほとんどいないのです、2時間ぐらい独立広場あたりをふらついていて、華人系に出会ったのはほとんど数えるぐらいしかありませんでした。むしろインド系のほうが多いぐらいでした。最後まで広場に残ってなかったのではっきりはいえませんが、この傾向は最後まで変わらないように思えました。(論評は避けます。見聞したことのみを伝えておきます)
そんな興味深い発見をしながら、どんどんと人が増えていく広場を10時前にはあとにして、家路につきました。
なお翌日ナショナルデーの正式な祭典は、政府与党を構成する中国人系政党も参加し、各種学校の生徒たちの動員演技もありますから、見物人の構成も変わっていたことでしょう。筆者は人込みを恐れていきませんでした。
当日ナショナルデーは当然ながらほとんどのところがお休み。ショッピングコンプレックスと呼ばれる雑多商業店舗ビルとかスーパーマーケット、デパート、レストラン以外はたいてい閉まってました。クアラルンプールの中心道路は久しぶりの閑散を呈し、もやとかすみで痛めつけられていた大気も久しぶりの青空を見せていたのです。
今年は日曜日とナショナルデー国家の日が重なったおかげで、翌9月1日は振り替え休日です。ナショナルデーの様子を読もうと新聞を買いに行くと、いやはや各紙面には大きな活字が躍っています。もちろん皆さんご存知のダイアナ交通事故で死亡の記事です。
販売店にならべてあった各紙の第一面の中で、中国語紙は大衆娯楽路線の”中国報”はもちろん 四紙全部ダイアナ事故死の写真・見出しが完全にナショナルデーの見出し・写真を上回っていました。世界の大ニュースは華人系マレーシア人にとっても大ニュースなのでしょうね。筆者の知る限り彼女がマレーシアを訪れたことはありませんが.
でマレーシア語紙を見てみると、最大手すなわちマレーシアの最大発行部数紙でもある ”Utusan Malaysia" までがダイアナの事故死を、第一面ででかでかと写真入りで伝えているではありませんか。ナショナルデーの写真を完全に食っています。マレーシア語紙までがダイアナの記事をナショナルデーの写真・見出しよりはるかに大きく扱っていたのは、まことに意外でした。思わず、うーんとしばし考えましたよ。(もう1紙の”Berita Harian”は見忘れました)
マレー民族主義を感じさせるマレーシア語紙が、マレーシア人、とりわけマレー人にとって最重要な意味会いを持つはずのナショナルデー、しかも今年はきりのいい40周年、よりダイアナ事故死を第一面トップ見出しにする価値あり、と判断した真意は何ナノでしょうか、筆者は普段マレーシア語紙を(難しくて)読まないので、その理由をはっきりのべることができないのが残念です。
西欧女性の具現化みたいなダイアナは、ムスリムの生き方とは対極的ではあるものの、普通のマレー人男女にとって数多い関心の一つではあるのでしょうが、それ以上でもそれ以下でもない、と筆者は推測していたのです。しかし、よくわからなくなりました。
ところでナショナルデー、NationalDay は国家の日とも国民の日ともとれるのですが、マレーシアは国民の日のはずですよね。
さて英語紙はというと、最大発行を争う ”The Star" も”New Strates Times" もダイアナ事故死を第一面に載せているものの、ナショナルデーの写真・見出しのほうがずっと大きかったのです。なんやら奇妙な安堵感を感じました。日本のダイアナファンには申し訳ないけど、筆者にとって彼女の事故死は数多くある興味事のなかの一つに過ぎないのですから。(他意はありません、誤解しないでください)
しかし3言語紙のダイアナ事故死の報道姿勢は、ナショナルデー前夜の様子とともに、筆者にマレーシアという国・社会を考えるヒントを与えてくれました。その意味で筆者にも例年とは違った感慨深いナショナルデーの3日間でしたね。
読者の皆さんの参考に、買った9月1日付けの英語紙 ”The Star" と中国語紙 ”星洲日報”の第一面の写真を加えておきます。尚マレーシア語紙は買いませんでした。
マレーシアに住んでいてもいわゆる西側世界つまり欧米や日本からきた非ムスリムの外国人は、一般にイスラム教の世界とはたいして関係なく暮らしています。
卑近な例を挙げれば、ホテルやパブ、カラオケ、クラブなど酒類を飲む場所には、少なくとも東海岸の都市なら、不自由しませんし、現実に常にそういう場所にはたくさんの外国人が集まっています。デパートや高級スーパーマーケットの中には酒類の販売しているところがあります。マレーシア産(もちろんメーカーは外国の醸造会社)ビールならたいていのスーパーマーケットにおいてあります。
女性の服装をみても非イスラムの外国人に対しては、公的機関やモスク見学などを除けば、別にこれといった規則が適用される訳ではありません。ですからKL市内をタンクトップ姿で歩こうがショートパンツで買い物しようが問題ありませんし、そういう姿を見るのは極めて普通です。華人系マレーシア人女性も、欧米系ほどではありませんが、よくこういう姿をしています。
もっともいくら外国人はどんな服装しても言いからといって、タンクトップでKampung(マレー社会の田舎)を歩くなんてことはまずできないでしょうし、それは非常識です,やるべきではありません。田舎でもリゾート地のプールや海岸ならそこは西側世界ですが。
ですからマレーシアの都会の表面をみれば、アラブ世界とはかなりの距離を感じますし、ある程度まで事実ですね。日常生活に厳しいイスラムの規則があまり及んでこない面もあって、とくに都会であればあるほどその傾向が強まりますから、日本人にとっても住みやすい国の一つといえるのでしょう。
さてそのイスラム教の存在を深く考えないでも住んでいけれる、クアラルンプールに生活している筆者ですが、イスラムに対しての興味は大なり小なり常に持ってきました。もちろんあくまでも非ムスリムとして、ムスリム世界を観察する目的からです。宗教そのものに造詣が深いわけでもひかれているわけでもないのは、このトピックスをいくつかお読みになった読者なら、筆者の論調からおわかりになることと思います。
筆者はこれまでいくつかのアラブ世界を見てきましたから、マレーシアに住み始めた頃はしきりにその対比を考えたものです。その後しばらくそういうことは薄れてしまっていたのですが、このホームページを始めたことから、またイスラム教の世界を考えることが比較的多くなりました。マレーシアは多民族多宗教国家にもかかわらずイスラムを国教の掲げていますから、その社会を考えるときには、当然ながらイスラム思想を頭に入れておかなければなりません。
日ごろムスリム女性の社会に深く接する機会は全くありません。もちろん外からは毎日いくらでも彼女たちを見るし、立ち話程度はするのですが、深くつきあうとか議論するということがないのです。ムスリム男性社会に接するよりもずっと難しいのです。これは多くの外国人、男であれ女であれ、にとっても同様でしょう。オフィスのスタッフとして接したり、せいぜいホームステイしたとき垣間見るぐらいではないでしょうか。
このマレーシアのムスリム女性の地位について時々新聞で記事が載ります。啓蒙という観点からと実態報告といった観点からです。今回はムスリム女性の離婚ということを見てみましょう。
あらかじめお断りしておきますが、上記で述べたように、ムスリム女性社会の実態を知ることは、筆者にはきわめて難しいので、以下のトピックスは新聞記事(9月11日付けのThe Star 紙)に多分にお世話になります。読者の方のマレーシア理解に役立つことと思います。
なお文章中ただし書きがない限り、マレーシアのムスリム女性に関してです。シャリア法(イスラム法)の適用を受けない非ムスリムのマレーシア人の場合とは違います。マレーシアでは家族法、婚姻法とか財産法のような法律はムスリム用と非ムスリム用の2本立てですから。
それから予備知識として述べておきますと、外国人がマレーシアにおいてマレー人と結婚するときは、男と女にかかわらずイスラム教への入信、改宗が必要です。それがないとマレーシア当局への結婚登記ができませんし、また日本の戸籍に登録しようとしても、日本大使館は受け付けてくれませんよ。
離婚したとか母子家庭のムスリム女性に対して相談を受け付ける団体のカウンセリングの専門家によれば、「離婚しようと考えている女性はまず宗教庁へいってカウンセリングを受けなさい。そこで彼女がカウンセリングに不満であれば、シャリアコート(ムスリムだけのための裁判所、非ムスリムは普通の裁判所へ提訴)に離婚の申し立てをすることになります。普通離婚の場合(talaq というそうです)夫と妻は意見聴取にシャリアコートへ出頭する必要があります。もしどんな理由であれ、夫がシャリアコートに出頭しないと、その申し立ては夫が出頭するまで延期されます」
中には出頭をしない夫がままいるようで、その理由はその専門家によれば、「妻が離婚しようとするのをいやがることです。シャリアコートはそういう場合夫が出頭したときだけ判決を下すことができる」
ということは夫が出頭しなければ永久に離婚できないのかな?
ムスリム離婚には3種類あります。まずこの talaqと呼ばれる普通離婚は、夫側か妻側のどちらかが離婚を望み、そして離婚の確定宣言がなされることを言います。
ta'liq と呼ばれる条件違反離婚というのが次にあります。
結婚儀式のあと、夫はイスラム家族法に従っていくつかの条件を守ることを誓い、それは結婚証明書の裏に記入されます。さて後日夫がその条件の一つ以上に違反した時、例えば結婚維持することを無視した場合だそうです、妻はシャリアコートに不満を訴えることができます。
「これは条件違反離婚です。その意味は、条件を破らない限りこのta'liq は成立しません」とは大学法学部教授の説明です。「多くの女性はこのta'loqのことを知らないのでこのケースは少ない」
3番目はfasakhと言い、イスラム家族法第52条の条項に一つ以上違反した理由から結婚の解消を宣ずる場合です。この fasakhでは女性が離婚を認められる12の理由があります。このうち6つは配偶者虐待(いじめ)に関する理由だそうです。
前述の専門家によれば、ta'liq と fasakh のケースでは「シャリアコートは夫婦の離婚を判決する権利をもつ」
スランゴール州で96年にムスリムが離婚したケースを3種類に分けてみると、talaq が1558件、ta'liq が371件、そして fasakhがわずか33件です。
さらに、一番はじめに挙げた talaqの変種と考えられる離婚があります。khulu' つまり弁財による離婚です。
「これは、夫が自発的にtalaq離婚に同意しないが弁財よる離婚には同意する場合です。妻が離婚するために夫にお金を支払うのです」
上記大学教授の解説は続きます。「この種の離婚は取り消し不能で最終離婚です」つまり離婚した者同士が再結婚できないことです。「多くの女性はほかの道がないかと考えてこのkhulu'離婚を避けたがります、でも私の考えでは、絶望的な又はひどい状態の状況下の女性はこの khulu'を使うべきではないかと思う」
「こういうケースを聞いたことがある。つまり女性が fasakh離婚を求めてシャリアコートへ提訴したが、十分な違反事実を示すことができなかった。シャリアコートはその彼女に khulu'ではどうかと聞くべきであった」
尚 「いくら妻が夫に支払うかは、コートが妻の経済状態を考慮して決める」とのことです。
このkhulu'離婚は西欧世界の知識から見ると、ちょっと意外な離婚方法ですね。それとも日本でもこうするべき、と思う人がいるかな。
上記の専門家によれば、「離婚の確定証書が出てから始めて、財産を得たり、慰謝料を受領できます」 さらに離婚を申しててる女性にアドバイスしています。 「夫の収入証明書や銀行の口座番号も入手しておきなさい。準備は十分しておきなさい、そしてシャリアコートにでたら感情的にならず断固とした態度で」
興味深いアドバイスをもう一つ。「シャリアコートでは(女性は)シンプルで体裁のよい服装をしなさい。もし女性が服装などでいかにもお金があるように見えると、シャリアコートは女性に、どうして夫から金が必要だと尋ねるからね」
シャリアコートはもちろん男性裁判官ばかりでしょうから、こんなアドバイスになるのかな。
いずれにしても裁判はどこの国でも早く進展しないようで、「離婚訴訟が早くすすむとは期待してはいけません。時間がかかるのです」
ここである例を見てみましょう。外国人女性が外国でマレーシア人男性と結婚してマレーシアに来てみると、夫はすでに女性と暮らしていたそうで、また夫がその結婚を宗教庁に登録したくないというケースです。彼女は離婚提訴するつもりで弁護士に相談したら、「男が不義・密通をしただけでは女側は男と離婚できない。しかしもし女が不義・密通したら男は彼女と離婚できる」
このケース、ムスリム弁護士会の会長によれば、彼女は fasakh による離婚を考えるべきだそうです。つまりムスリム家族法代52条に違反した、つまり夫が妻に残虐、苦痛を与えたから妻は夫を離婚できる、という理由付けからです。
ふーん、夫が不義を働いたということではなくて、その結果が妻に苦痛を与えたということが離婚提訴の理由になるのですね。
またシャリアコート官吏によれば、「夫が宗教庁に登録したくなくても妻がかわりに登録できる」
ムスリムの法学部教授によれば、「シャリア法に規定してあるすべての権利はコーランに書いてある、しかしそれを実施し適用していくなかで、人間の弱み又は性格から発する問題である」
またある女性運動家は、「シャリアコートシステムの一番の問題は法を実施していく面にある。これは最近まで各州によって適用に違いがあったことに、多分によるのであろう」
ムスリム弁護士協会幹部は、「基本的に99%近くはどのケースでも同じようだが、州によってある分野での適用に幅がある」 「州によってそれぞれ独自の定めがある限り、州を超えて適用するのは極めて難しい」
かっては、今でもかな、ある州で離婚判決を受けたが、夫は他の州に行ってしまったので、全部の要求を満たせないことがあったようです。
しかし現在全州でシャリア法を同一適用することが決まりつつあるので、近い将来はこういうケースはなくなることが期待されてます。でもその女性運動家は、「しかしそうなるには時間がかかるでしょう」
ムスリム女性の離婚については、もちろんここでのべただけでは不足ですが、これだけでもある程度輪郭がお分かりになったでしょうか。筆者もへーそうなのかと思いながらこの記事を読みました。
ムスリムの離婚の解説など試みたら1冊の本になるのですから、素人がこの件について書くのはちょっと勇気がいりますが、マレーシア社会を考えるには避けられない事柄でもありますから、あえて書いてみました。
"Haze" という言葉がこの頃いたる所で流行っています。各新聞には毎日第一面で”haze” の前日の結果を知らせていますし、ラジオは”haze” 情報もどきをしばしば放送してます。ちまたの会話にも”haze”がでてきます。
皮膚があれたのは hazeのせいだというのを Aidsのせいだ、と聞き間違えた日本人もいました。まあ、この2つの単語、発音がよく似てますからね。
”haze” を英和辞典でひけば「もや、かすみ」となっています。英英辞典でひくと、「見通すことを困難にしている空気中の煙、誇り、湿気」のような定義がでてきます。マレーシアを襲っているこの大気汚染の状態は ”haze”よりも日本人にもっとなじみのある”smog”つまり「スモッグ、煙霧」のほうが表現としてはぴったりの気もしますが、マレーシアのマスコミは”haze” といってますので、筆者もその対訳語「もや・かすみ」をしばらく使ってきました。
でもはっきりいってこの大気汚染状態を現す日本語はスモッグ(英英辞典の定義なら都市の車や工場から排出される煙に依って引き起こされた非健康的な空気)のほうが適してると思うのです。そこで中国語紙を見ると「烟霧」という言葉を使ってます。
いすれにしろ言葉の選択が問題なのではなくて、大気の汚染が、それも極めて深刻な汚染状態が問題なのです。
この大気汚染によるもや・かすみ、その結果視界が落ちたのは、今回いつごろから始まったのでしょうか、8月中旬頃かな、いやもう少し前かな。8月初旬ごろからあったのでしょうが、その頃はマレーシア人は、もちろんマスコミを含めて、ほとんど騒いでません。その頃の程度の大気汚染状態なら、乾季の時だけでなく、マレーシアではしょっちゅう起こる どんよりとした空でしたからね。
それが徐々に確実に悪くなり、つまり視界がどんどん落ちていき、数キロ程度になったのが8月下旬ごろだと思います。ちょうどナショナルデーの国家あげてのお祝い気分のころで、大気汚染や呼吸器の専門家が新聞に意見を表明し始めた頃でもあります。運良くナショナルデー前日と当日は青空が見えていたことを覚えています。
でそれ以後今日まで何日クアラルンプールで青空が見えたでしょうか?メモをとっていないのではっきり言えませんが、数日かな。ただその青空が見えた日でも一日中青空があったわけではありません。
そして今週(9月15日からの週)は最悪の週です。視界が常時数キロ、1キロ以下に落ちてることもしばしば、マレーシア政府が飛ばした雨雲作り飛行機のおかげか、雨がそれも強い雨が数度降りましたが、視界が急によくなったことはありません。
マレーシアで用いられてる空気の汚染度を図る目安に大気汚染指数(APIと呼ばれる)があります。新聞にもマレーシアの主要地のこの指数値が毎日載っています。例えば19日の観測結果を見ると、
場所 |
KL |
PJ |
Klang |
Malacca |
Johor Baru |
Kuantan |
Kota Baru |
Kuching |
Kota Kinabaru |
指数 |
292 |
195 |
189 |
244 |
122 |
85 |
34 |
600以上 |
74 |
場所 |
KL |
PJ |
Klang |
Malacca |
Johor BaruK |
Kuantan |
Kota Baru |
Kuching |
Kota Kinabaru |
指数 |
302 |
206 |
157 |
275 |
92 |
118 |
61 |
96 |
発表なし |
このAPIは米国で使われている”循環空気品質基準”を多少変更して使っており、指数200以上は米国基準に完全に基づいていますとのこと。日本で使われているかどうか知りませんが、専門家によればAPI指数が400に達したら昼間でも薄暗くなるそうです。今でもまぶしい日中とはとんとご無沙汰です。
重要なことは、指数値が少しばかり落ちたり上がったりすることに一喜一憂することでなくて、一度決めた方針をぐらぐらさせないことです。「新聞の記事からの 9月分」でも少し書きましたが、政府はそれまでAPIが72時間以上300を超えたら非常事態宣言するとしていたのを、勘違いという理由から、API指数500になったら非常事態、に突然変更しました。
勘ぐれば300では本当に非常事態宣言しなければならなくなりそうになったからでしょう。
この大気汚染指数が本当に現在のマレーシアの大気汚染の状態を正しく示しているかどうか、筆者を含めてほとんどの人にはわかりませんが、確実にいえることは空気が大変汚い、空の状態がきわめて異常だ、ということです。
喘息もちの人はより発作になりやすく、呼吸器官に問題のある人は首都圏を抜け出したほうがいいと医者が薦めています。喉や目の不快観から医者にかかる人が増えたと新聞は伝えています。交通警官はその一番の被害者だそうで、マスク姿の交通警官が交差点で指示を出しています。
この大気汚染から逃れるには、専門家によれば、窓を閉めた部屋にこもって、外気が入らないようなエアコンをかけて且つイオン空気浄化器を作動させるしかないそうですが、こんな方法果たして何人の人が実行できるでしょうか、働いている人すべてや働いてなくても低所得層では全く不可能ですね。
もちろん東海岸側にでも逃げ出せばよいのでしょうが、仕事や学校はどうするの、っていう現実問題に突き当たります。できることなら筆者も逃げ出したい!
左:9月14日午後5時我アパートから、右: 9月18日午前10時半アパートの駐車場から
乾季の時期に大気が汚染された空は、何も今年初めて始まったわけではありません。ここ数年8月9月は空がどんよりしており、昨年はそれまでに一番ひどかったことを筆者は覚えてます。(もちろん今年はそれをはるかに上回りますが)バイク乗りにマスクが売れ、町中や郊外での違法ごみもやしの取り締まりが厳しくなったものでした。マスコミもいっせいに記事で世論喚起をしていました。視界もずいぶん落ちてましたから当時多くの人が心配したものです。
でもほとぼりさめた、つまり10月に雨季が始まるとそんな関心はどこかへ行ってしまい、いつもの排気ガスの充満とあちこちの違法ごみ燃やしの首都圏に戻りました。
筆者の記憶にある限り4、5年前はこんなに空がどんより曇っていなかったのですがね。
この大気汚染は多分に、毎乾季に行われるインドネシアのスマトラ島とボルネオ島における超広大な面積の山焼き(何万ヘクタールにも及ぶとか)、そのほとんどがプランテーション用に山野を焼き払っている人為的な山火事、に依る煙・ちりが上流空気に乗ってマレーシアの半島部とサバサラワク州にたどりつき、その上空にとどこおってしまうのが原因です。
しかしどのくらいの割合までインドネシアでの山焼きがマレーシアの大気汚染に起因しているかわかりません。統合的調査が現在そして継続的にもされてないからです。
残念ながらこういう環境調査に使う人と金は、マルティメディアスーパー回廊プロジェクトはもちろん他の巨大プロジェクトに比べたらまことに少ないのでしょう。上記で触れたように、現に環境庁は大気汚染指数観測を自力でできずに私企業に委託してます。
全国で観測地点はわずか25地点だけだそうです。クアラルンプール一帯だけで25地点観測ならわかりますが、マレーシア全土ですよ。サラワク州にいたってはKuching 1個所だけだそうです。
これじゃいくら環境庁ががんばってもマレーシア全土で継続的かつ網羅的に観測研究はできないでしょう、
インドネシアはここで評するまでもなく環境問題大不感症国家ですから、それは多分にスハルト腐敗政権に寄与するでしょうが、マレーシア国民から不満の声が上がっています。
2、3日前にスハルト大統領がマレーシアの大気汚染に関して陳謝の声明を発表しましたが、それまでのインドネシア当局の対策はまことにいい加減且つのろいもので、隣国の環境に影響を与えてる国家インドネシアの態度に、マレーシア政府首脳を含めて満足した人はいないでしょう。現に政権党UMNOの青年部がインドネシア政府の対策に遺憾の意を発表しています。
インドネシアもマレーシアも発足以来のASEANメンバーです。ASEANは互いの内政に一切干渉しないことを標榜してますから、ミャンマーの軍事政権であれ、ブルネイの封建的スルタン王朝であれメンバーに加えてますし、それについて一切批判がましいことはいいません。その政権が反対党を弾圧しようと、スルタン一族が政府を牛耳ろうとです。
マハティール首相の持論に、欧米のように他の国や他の機構の(政治経済の)ありかたに対して、欧米流価値観を押し付けて、どうするべきかと指示したり口をいれることは、アジア的でない、自分の国のことは自分で解決する、というのがあります。たいへんもっともなすばらしい考え方です。ただしその国や機構に浄化作用が十分働いていればですが。
何年も前からも、単なる伝統的焼畑農業の枠を超えた、プランテーション用の山野焼きを許し続けてきたインドネシアに自己浄化作用があるのかな。インドネシア高官が認めてるように、プランテーション企業は政府高官とつながっているという現実下で、山焼き取り締まりがどの程度有効に働くかは今回の件を見ても明らかです。
皮肉というかなんというか、スマトラ島やボルネオ島でプランテーション用山焼きを行ってる企業のなかにマレーシアの又はインドネシアと合弁の会社が今のところ18社明らかになったそうです。まあその企業倫理は論評するまでもないでしょう。
環境問題はマレーシアだって大きなテーマですが、力の入れぐらいを見るのにいい例があります。マレーシアでは政府首脳、大臣、州首相が、公と民のプロジェクト開始時に来賓として参加することが一般的です。そしてその記事と写真が毎日新聞に載ります。マハティール首相やアンワル副首相が来賓となったプロジェクトは大きな活字扱いです。
さてその中で環境に関するプロジェクトがどれくらい記事にあったかな、すぐに頭に浮かんできません。
環境を大切にしなければいけないことは周知の事実ですが、環境をどのように守り、保持し、さらに人々の意識を高めていく、ということはたやすいことではないことも皆が知っています。ですから人々の日々の生活の中からそういう意識を育てていくのが、時間はかかるが一番確実かつ有効な方法でしょう。
人々の環境保全意識がなければ、いくら政府が掛け声かけても、罰金を高くしても効果は知れてます。ごみ捨てポイする人に罰金を科せばその場は少なくなるでしょうが、係官の目の届かない場所、例えばハイキング地や郊外の公園、場末のショッピングセンター、映画館内などなどごらんください、ゴミが滞留してます。
バイクには触媒付きのマフラーが義務づけてありませんから、車保有人口に比べてバイク人口がはるかに多いマレーシアで、その排気ガスは大気汚染に与える影響は馬鹿にならない量でしょう。触媒付きマフラーをバイクに義務づける案は、バイク団体と販売店団体に一蹴されました。バイク乗りに負担になる、というのが唯一の理由です。
そのバイク乗りが、宝くじ番号当て(TOTOとかLotto)店の前にいつも何台も時には十数台もバイクを停めて、くじを買っています。低所得層と中所得層には大変人気がある番号当て宝くじです。
触媒付きマフラーよりも宝くじが大事なことはわかります。そんなマフラーつけるぐらいならその金で宝くじ買って一攫千金夢見たほうがいいですものね。環境より宝くじが大事!
街には黒い煙を出した旧型車のバスやトラックがたくさん走っています。排気ガス許容量なんて間違いなく上回っているでしょう、まあいいや道路交通局の取り締まりにあったら罰金はらえばいいさ、と言ったとか言わないとか。
クアラルンプールのちょっと外れにいくと、旅行者や上品な所にしか行かない人の目にはまず触れませんが、ゴミがしかるべき場所でないところに捨てられてます。もちろん違法です。家庭ゴミだけでなく建物取り壊しや建設廃資材などが混じっています。
手間暇かけてしかも時には金のかかる正規の場所に捨てるより、人通りの少ない空き地や道路端に捨てたほうが手っ取りばやいですものね。時にはそんな場所で勝手にゴミを焼いてます。これはhaze の原因ですから、現在当局は必死で防いでいます。見つかったら罰金RM1万です。環境より手っ取り早さが大事!
政府は今回の通貨と株価の大幅下げによる会計赤字を少しでも減らす一環として、いわくつきの計画バクーンダム建設を遅らせると発表しました。世界の多くの環境NGOが批判していた、サラワク州の山中に巨大な水力発電ダムを造るプロジェクトです。施工は民間企業ですが、政府の後押しなしにはできない規模と許可の必要な超巨大ダムです。
外国のNGOによる、ダム建設は環境破壊という批判に、断固反対し無視してきた政府ですが、財政問題から、環境問題からではなく、ダム建設遅延を宣言せざるを得なくなりました。
民と官が示すある姿です。もちろんいくつかの中の一面ですよ。
クアラルンプール一帯では、ここ数週間まともに太陽の姿をみたことがありません。熱帯の国、Matahari(太陽)の国マレーシアに住んでいながらです。
Matahari(太陽)よ早く現れてくれ!
このトピックスを書いてからほぼ1週間が過ぎましたが、大気汚染の状況は一向によくなりません。新聞はどれも毎日大気汚染関係の記事で埋まっていますし、ラジオニュースも大気汚染指数の発表から始まります。
一番ひどいサラワク州のクチンでは指数が連日、危険という500を超えており、学校閉鎖も続いています。クアラルンプールも相変わらず空気が悪く視界も良くて数キロ、今朝など1キロあるかないかというところでした。太陽が輝かないので日照不足になり、穀物に影響がでるのではないかという心配もあります。
この1週間政府州政府もこの大気汚染に必死に取り組み、いろいろと対策はとってきました。たとえば指数が250を超えたらKLの建設現場は仕事を中止しろとか、空き地などでゴミ燃やししているものを逮捕してもいい、マスクの価格が値上げされないよう監視するなどです。
フランスから大気汚染の専門家グループを受け入れて、対策の手助けも受けはじめました。日本も消火用の設備を送ることを検討中とか。
またマレーシア自身インドネシアに千人を超える消防隊を送り込みました。
今回の大気汚染は国際ニュースにもなってるほどひどいもので、その人体への影響が心配されてますが、これまでの継続的観察と研究不足が否めないので、近い将来実際にどのくらい人体に悪影響を及ぼすのか、どこからも確固とした発表がありません。
外にでるなとか、マスクをしろとか小手先の対策はありますが、しろうと考えでもこれあまり防御にはなりそうにありません。しないよりいいでしょうがね。部屋にいても空気はどこからも入ってくるし、マスクだって24時間空気の漏れないしっかりしたマスクが必要ではないでしょうか。そんなこともあって筆者はマスクしてません。
気象の専門家は、遅くても10月中頃までにはモンスーンがやってくるからその頃には空も澄んでくるだろう、と予測してます。あと長くて2週間この空とつきあうのか、早くぎらぎらした太陽が現われてほしいものです。
そんなわけで、筆者は今週末(2日間だけ)汚染のより少ないクランタン州へ逃避に出かけます。
トピックス8月分に書きました前編の続きです。
マルチメディアスーパー回廊(以下MSCと略します)は非常に新しい概念を元にしていますから、法律もこれまでの法律では様々な予想される事態に対処できないことになります。そこでマレーシア政府は、一般にサイバー法と呼ばれる新法を用意しました。その内すでに3つほどの新法を成立させました。加えて改定著作権法です。
3つの新法は、コンピューター犯罪法、デジタル署名法、通信医療法です。これらの法とさらに電子政府を実行していくのに必要な一連の法は、MSCプロジェクト成功するための必須のものだとみなされています。
コンピューター犯罪法は、その分野の投資者に安心感をあたえるものであり、また電子商取引をにらんだものでもあるようです。電子商取引にはデジタル署名法が用意されています。これは政府の指名した団体(?)が決められた手続きにのっとりデジタルで行われた署名を認証し、ユーザーを守るためです。
投資家に安心感を与えるという意味では、これとは別に知的所有権の保護法の改定も無断コピーを防ぐために関係してきます
通信医療法は、コンピューターネットワークを使って診断などをすることを合法化する目的でしょう。これは専門医のいない地方の患者を、都会の専門医がビデオ、データ通信を駆使して診察するなどの場合が考えられます。
さらに、電子政府法は電子的により、政府官庁が認可、一般人が政府への手続き届けなどをするさいの書式・標準を制定し、認可決定することを目的としています。
新法の最後はマルチメディア集中法と呼ばれる法です。この法律は現在の通信法にとってかわるものです。つまり発展するマルチメディア環境での通信を促進する目的をもっており、マルチメディア環境はどのようにあるべきかというガイドラインを引き、マルチメディア運営者への免許事項を簡単化し制限化するものです。
MSCを成功させるためには内外のハイテク企業を誘致しなければなりません。そこでMSCに正式に参加する企業に優遇策を与え且つある種の保証をする法律があります。
これだけの優遇策を外国企業に与えるのはもちろんそれだけの訳があります。マレーシアを情報技術の国にするためです。地元企業がMSCに投資した世界的企業といっしょに働き、その結果地元企業は多くを習得し、一方外国企業はマレーシアのインフラストラクチャーと労働力から利を得ることになるわけです。
MSCの地位を得るためには次の3条件を満足させなければなりません。
そしてMSCの地位を得た企業はマルチメディアのサービス又は製品開発をするよう求められてますので、その細かい内容が決められてますが、それは省略します。
参考までに7月25日現在のMSCを認められた会社状況は次のようです。
マレーシア資本企業 9、合弁資本企業 9、外国資本企業 11
その後9月初旬までにでは44企業に増えました。MSCの地位への応募は数百社にものぼり、反応は上々であるとしばしば伝えられています。
日本企業のなかで 例えばNTTは積極的にMSCに関与しています。MSC内に会社設立して研究開発センターを設ける事と並んで、Cyberjayaの持ち株会社の15%株を保有しており、さらにマレーシアTelekomと合弁企業を設立してインテリジェントビジネスに乗り出すようです。
MSCの地位を得た企業になると、まず子会社をMSCの回廊内に設立し、その子会社はもちろんMSCの必要条件を満たさなければなりません。物理的条件としては、環境にやさしいガイドラインにそって建設しなければなりません。このガイドラインは、身体障害者の事も考慮してあり、ゴミはリサイクルする計画になっているそうです。
いやすばらしい心使いです。現在のKLからはとても考えられないコンセプトを是非実現してください。
MSC企業になるとその他いろいろと必要な条件があるようで、例えば従業員の15%は知識をもった者を雇用しなければならないとか、技術移転の他にマレーシア人スタッフの経営の専門知識の育成に力を貸さなければならないとか、又マレーシア企業へのビジネスチャンスを作ってこといくなどがあります。
MSCを売り込み、上記の一連の計画の細部をつめ、MSC企業への応募を審査し取りまとめるのが、マルチメディア発展公社(MDC)です。ここがMSCの総まとめ元ですから、もちろんホームページを制作してMSCを世界中に説明売り来んでいます。
英語でかかれていますから、このサイトを読んだだけでスーと頭にはなかなか入らないでしょう。ましてや専門外の人にとっては、抽象的な言い回しがピントこないところもいくつかありますが、テーマごとの説明と質問返答コーナーはMSCを知るのにきっと役立つと思います。
皆さんもあとで筆者のホームページにある 「マレーシア発の気になるサイト」で紹介しておいた、マルチメディア発展公社のページを覗いてください。
さてMSCという最新の器の中で何を具体的にやるかという面にうつりましょう。
昨年からマルチメディア発展公社などが検討してきたMSCへの提案の概念要求書から 、MSCの最重点適用・応用事例が7つ決まりました、そのうちの4つは”マルティメディア開発”重点適用・応用と分類されて、首相出席のもと、まず打ち上げられました。
電子政府、多目的スマートカード、スマート学校、通信医療の4つです。日本語に訳すと、いや英語名でもそうですが、なんかしっくりいかない呼び名ですが、まあしかたありません。新しい概念を作っているのですから。
表にまとめると次のようになります。
主要な | 電子政府 | 多目的スマートカード | スマート学校 | 通信医療 |
適用事例 | ||||
所轄官庁 | 政府 | 国立銀行 | 文部省 | 保健省 |
登録、免許などを | 身分証明書 | 学習教育資材 | 個人的健康 |
|
電子的に届け出受領 | の情報と教育 |
|||
購買を電子的手段で | 自動車免許証 | 評価システム | 医療教育 |
|
先行的応用 | 首相官邸 | 出入国管理 | 管理システム |
通信利用のコ |
人的資源の管理 | 保健カード | 技術インフラ | ンサルタント |
|
電子マネー | 生涯にわたる |
|||
クレジット機能 | 健康プラン |
|||
現金引き出し機能 |
の3つの適用・応用事例だそうです。ぴんとこない言い回しですが、なんとなくわからないわけでもない、ですよね。
いやー、こういうことを解説するのは骨が折れました。筆者は何回もいろんな記事などを読んでみましたが、すーと頭に入っていくようで入ってこない、情報技術にまったく知識のない(マレーシア)人が読んでもまずぴんとこないと思います。だから、依然として多くの人はMSCのビジョンがわからない、という批判がありますね。
マルチメディアスーパー回廊、このコラムで2回にわたってみてきましたが、読者の方は輪郭ぐらいはおわかりになったことでしょう。輪郭はわかったけど、その巨大なプロジェクトはどのように議論され決定されてきたのですか、という質問には次の事情を紹介しましょう。
マレーシアでは地方自治体の長と議員・評議会を住民が選ぶ仕組みがないこともあり、都市開発や住宅道路開発に影響を受ける住民がその開発に関与する機会が、直接にも間接にもありません。ですからデヴェロッパーのコンドミニアム建設が、市の開発担当者が決めた道路建設が、ある日突然住宅の付近で始まります。これはよく新聞種になりますが、すでに後の祭りというところです。
そしてある新聞記者がいみじくもこう述べています。「我々(マレーシア人)は世界的な高層建築 KLタワーとペトロナスツインタワーに誇りをもっている一方、国の進める巨大な都市開発計画に、普通の市民が何らかの意見を言える日が、いつかくることを期待するばかりです。」
このコラムを書き上げた直後の9月中旬に、MSC打ち上げ1周年を記念するかのように、Mutimedia Asia ’97という展覧会兼会議が、KLの郊外にあたらしくできたマレーシア国際展示会議場 MINESで4日間開かれました。新聞はどれも、Mutimedia Asia ’97盛況で成功裏に終わったと書いていました。
確かに私の訪れた2日目は訪問客で結構混んでいましたし、有名企業が、NTTを含めてたくさん出展していました。訪問客層は企業関係者が多数でしたが若者も目に付き、入場無料にもかかわらずITの展示会にふさわしく、冷やかし気分の人は見当たらなかったように感じました。
でもこれは多分にこの新展示会場が、これまでの会場つまり KL市内にあるPWTCと違って、足のたいへん不便なKL郊外に移ったことが理由でしょうね。
このMINESセンターへはKL市内から直通バスもほとんどないし、マレーシアではあたりまえですが、時刻表もないからいつくるかもわからないバスを道路端で気長に待つことになります。ですから自家用車のなくなった筆者は、KTMの郊外電車(コミューターと呼ばれる新型車です)でMINESの近くのSerdan駅まで行き、そこから徒歩で7,8分ほどの展示会場を訪れたのです。
こんなことはある程度地理に明るくないとできません。第一、KTMの駅には何のお知らせも立ててないのですよ。これじゃ外国からの出展者や訪問客には、いやマレーシア人でも初めての人にも、公共交通機関を使った会場訪問がたいへん難しいでしょう。もっともこういうショーに来る人は車のある人、車を用意できる人であることが、暗黙の前提になっているのでしょうね。
世界に売り込むMSCの展示ショーを最新のりっぱな展示会議場で開催する反面、公共交通の超不便さ、このアンバランスがなんともマレーシア的です。このあたり、大きな展示ブースを構えて十何人も説明員として参加されていたNTTの皆さんお分かりになられましたかな。
、KL周辺のひどいもや・かすみを避けて今週末は東海岸へ逃避しに行ってきます、と26日に「今週のマレーシア」”深刻化する大気汚染” の追記に書きましたように、週末の丸2日間(9月27日と28日)筆者は東海岸の最北州クランタン州とさらに北上して国境を越え、南タイのナラティワット県ですごしてきました。(この件については、旅行者ページに別の題目で書きました)。
半島マレーシアとボルネオ島をこの1ヶ月半以上も襲っているもや・かすみ状況は、報道に寄れば、東海岸は大気汚染指数と視界度の両面から、西海岸より良い状態だということだったので、実際に自分の目で空の状態を確かめたいこともあり、またここしばらく南タイを訪れてなかったので、26日の夜行列車でKLを立ちました。
結果から先にいいますと、クランタン州さらに南タイまでいっても劇的に空がきれいになっていることはありませんでした。いささかがっかりというところですね。
27日早朝に着いたクランタン州の Pasir Mas の空をみて、KLより多少ましかな、というのが第一印象でしたね。続いて、乗合タクシーで国境の町 Rantau Panjang に向かう農村道はずっともやがかかっており、排気を出す工場もないし車もずっと少ないこのクランタンの田舎道で、視界が数キロしかないというのは確かに異常です。
Haze(大気汚染を起こしているもや・かすみ)は、あたりまえですが国境に左右されませんから、タイ側の国境町Sungai Kolok の空もどんより曇っています。そこでさらに数十キロ北上して、南シナ海に面した典型的な南タイの市ナラティワットまでおんぼろバスで行き、そこに宿をとったのです。海岸にほど近いためか薄日のさす空でしたが、やっぱり空はすっきりしません。視界もあきらかに通常より落ちています。ホテルの人はこんな状態がずっと続いている、インドネシアのせいだ、と言ってました。
タイの新聞やテレビのニュースは、他の日はもちろん知りませんが、この日は大気汚染のニュースを第一面やトップでは報道してませんが、その中では必ず触れていました。トップニュースでないのはおそらく、このもや・かすみ状態が南タイに限定されてるためだと思いますが、スマトラ島からはるか離れた南タイまで山野焼きの影響が及んでいたので、そのすごさを改めて知らされました。
翌28日は海岸沿い(マレー半島の東側、南シナ海側ですよ)に国境の波止場町 Takbai まで南下し、そこからボートで対岸のマレーシア国境の町 Pengkalan Kubur に入りましたが、空は薄日がさすもののぎらぎらした太陽はずっと雲の中に隠れていました。さらにそこから10数キロ離れた、KTM鉄道の始発駅のあるこれぞ田舎町というTumapt へ行き、夜行列車の出発をそこで数時間も待ったのです。
この日は翌29日の新聞によれば、マレーシア全体が大気汚染指数の下がった日だったので、西海岸側都市よりもましなクランタン州は”さらにましな空の状況”だったようです。視界はまあまあでしたが、太陽は一度もそのかっと照りつける姿を見せませんでした。ただ蒸暑さだけはけっこうなものでしたが。
工場なんて全くないし車も時おり通る程度のこの田舎町で、みずからの出す排気は考えられませんから、大気汚染指数だってもし計ればずっと低いことでしょう。太陽がぎらぎらしてないことがまことに不自然です。
さて丸2日の小旅行を通して筆者は、この Hazeと呼ばれる大気汚染にまみれた空が、これはインドネシアのスマトラ島とカリマンタンで主にプランテーション用に山野を焼き払っていることが、もや・かすみを引き起こしている相当なる原因ですが、いかに多くの人々と広い地域に影響を与えているかを実感しました。
主たる発生原因を作っているインドネシアの何千万人かはもちろん、一番影響を被っている人口2千万人のマレーシア、3百万のシンガポール、数十万のブルネイ、1千万近い南タイ、ごく一部のフィリピン、被害人口総数が1億人近い膨大な人々が、すでに1ヶ月半以上にもわたって身体に影響を受け続けているのです。
厄介なのは幼児、喘息もちなど一部の人を除けば、すぐには身体にはっきりとした影響が現われないことでしょう。
マレーシア自然ソサエティー会長はこう言ってます。「誰もがこの大気汚染の影響を心配している。そしてそれは正しい。大気汚染は直接にも間接にもいろんな種類の健康問題につながるのです」と。
ところでこれらの加害国と被害国はいずれもASEAN加盟国です。特にマレーシア、シンガポール、タイ、インドネシア、フィリピンはASEAN(東南アジア諸国連合)の発足以来の主要構成国なのです。筆者はすでに9月13日の今週のマレーシア「深刻化する今回の大気汚染」の中でほんの少しばかり ASEANの問題自己解決不能を皮肉っておきました。
インドネシアのプランテーション山野焼きだけが原因ではないものの(ある専門家によれば2割ほどは自分たちで出す排気類だそうです)、これほど多くの自国民らの健康に影響及ぼしている今回の大気汚染は、多分にインドネシアにその責があるのは衆目の意見が一致するところです。そしてこういうインドネシアの起した大山野火災は今回が初めてでなく、すでに80年代からたびたび周辺諸国に影響を及ぼしてきました。
しかるにこの大気汚染、環境破壊ともいえるかな、にASEAN諸国がこれまでにとった処置というと何があるのでしょうか? わずか関係国の所轄大臣がジャカルタで一回会議を開いたぐらいですね。
ASEANとしてでなく個別に、つまりマレーシアの大臣がインドネシアの担当大臣に連絡して援助の申し出や状況把握の情報収集は毎日しているようですが、それ以上例えば一番被害を受けてるマレーシアの政府首脳がインドネシアに乗り込んで対策を協議したなんてことはまったくありませんし、その兆候もなさそうです。
加盟国間の相互不干渉を掲げ、かたくなに守っている ASEANは、今回の大気汚染問題に対してグループとしての解決には大変及び腰で、ASEANとしての自己解決をあきらめてます。いや少なくともそう見えますね。
なぜなら、インドネシアの山焼き火災はインドネシアの国内問題(という認識)なのですから。
ASEANは、今も引き続いているASEAN諸国の通貨危機や欧米からの人権、自由侵害批判に対して果敢に反論し、マハティール首相はその最右翼ですね、また逆批判し時にはそれらを無視してきました。
その西欧批判、西欧逆批判に比べて、今回我が身に起こった(ASEANの)身内による人々の健康への悪影響と環境破壊にはまことに穏やかな声しかあげておりません。少なくともマレーシアのマスコミと政府に関する限り、インドネシアに対する鋭い批判は出していません。
批判的な論調は少ないけれどももちろんありますが、上記の西欧批判に比べるとまことに鈍いのです。例えばある新聞記者はこう書いています。「インドネシアの森林火災の影響が周りの国国の人々の生命に脅威を及ぼしているのに、何もしないことでの英知はどこにあるのか?」 「もしASEANがグループとしてこの火災を停めるのに何もしなかったら、大臣たちは、その市民が十分なるASEAN意識を持っていない、と批判するのをやめるべきだ」
ASEANは外に対して、特に加盟国の政治体制、経済問題に関しては、声高に叫びますが、身内にはたいへん物分かりがいいのですね。
当ホームページは(マレーシアもその一部である)東南アジア諸国の政治を批判する場ではないし、またそのつもりも全くありません。ただ筆者を含めて人々の身体に及ぼすこの不健康な大気汚染を、ASEANやマレーシア政府はどうやって早急に解決してくれるか、国民自体の環境への意識向上がもちろん必要条件ですよ、東南アジアに住むものの一人としてそれを願わざるをえません。
このコラムを書いている今日(29日)はKLの空に多少青空が見えました。強い雨も2度ほど降りました。ゆっくりとゆっくりとモンスーン季節が近づいてますので、このもや・かすみに包まれた空とももう少しの辛抱です。結局”自然だのみ”ですな。
その後の状況は「新聞の記事から」をご覧ください。
10月3日現在 マレーシアの空はずっとよくなりました。もう非常に汚染された大気は去ったのです。
当ホームページ「マレーシアから日本の皆さんへ」を立ちあげてからちょうど1年が過ぎました。はじめはなかなかうまくファイルがプロバイダーのサーバーに送れず、数日かかってようやく送ったのが96年9月末です。試しに送ったぎこちない自分の仮ホームページを見てあれこれと考えたものですが、初心者ゆえ思うようにデザインできず、そして10月初めに正式に立ち上げたものの,内容がなくて困りました。
1年たったこの頃は内容もそれなりに増えたので一応形はできましたが、マレーシアのインターネット通信事情は満足にほど遠いので、なかなかファイルのアップロードができず、これには今だに悩みの種です。
そこで当ホームページ開設1周年を記念して、今回の「今週のマレーシア」はいつものマレーシア社会批評をやめて、筆者のきわめて個人的な 「マレーシアの思い出」 を書いてみます。
マレーシアに住んでいながら 「マレーシアの思い出」とは少し変ですが、とりあえずお読みください。
筆者が今回マレーシアに住むようになったきっかけは、自己紹介のページに書いてあるように、90年の終わりごろに、以前働いていた日本の会社の先遣隊として出張してきたのが縁ですが(会社はずっと以前に退職してます)、それが筆者の初めてのマレーシア訪問ではありません。
それ以前にも旅で数度立ち寄ったことがありました。一番始めははるか昔の1981年の1月だったと記憶してます。70年代後半から筆者は、貧乏青年旅行者として世界のあちこちを回っていたのです。
そこで80年後半ヨーロッパを数ヶ月ふらついたあと、日本への帰国の途中クアラルンプールに寄りました。寄るというとなんか自分の意志でマレーシアに来たような感じですが、そんなつもりはなくて、アムステルダムで買ったヨーロッパから日本への安航空券がたまたまマレーシア航空だったということから、ストップオーバーできる都市の一つとしてクアラルンプールに途中下車したのがいきさつです。
ですからマレーシアの予備知識ゼロ、もちろんどこにあるかぐらいは知っていましたが、多分に行き当たりばったりの旅人でしたから、予備知識を仕入れる暇もなかったと思います。予定していた訪問国でなかったからもちろんガイドブックを持ってなかったし、(それに当時自由旅行者向けのガイドブックはほとんどありませんでした)筆者にとって初の東南アジア世界でしたから、あれこれにとまどったことを覚えています。でもガイドブックに振り回されない自由さがとりえでしたね。
それまではトルコや香港の経験はあるものの、主に米国と東西欧州を歩き回ってきた筆者にとって、クアラルンプールの印象は強烈でしたね。スバン空港に到着したらチェックイン荷物が一時紛失しかけたので、出てくるまで数時間(?)待たされた後、おんぼろバスに乗りとりあえずクアラルンプール市内に向かいました。
当時超貧乏旅行者の筆者、今でも日本の基準からいけば相当貧乏ですけどね、はタクシーなど絶対に使いませんからすべてバスか電車です。
当時も今も空港と市内を結ぶ電車はありませんから、当然バスしかありません。どこへつくか知らないけどとにかく市内の中心部にいけると聞いて、そのバスに乗ったことを覚えてます。荷物紛失騒ぎの結果、そう今でも空港からのバスが発着する、クランバス乗降場に着いたのはすでに暗くなってました。初めての国で夜着くというのは一番悪いパターンですが、しかたありません。
クランバス乗降場といってもKL、PJに住む日本人はほとんど知らないでしょうが、チャイナタウン脇の4、5階建てのビルだといえばわかる人もいるでしょう。このあたりは今ではだいぶきれいになったものの、ビル自体は昔と変わりません。
結果としてチャイナタウンの脇だというのが貧乏旅行者には大助かりで、クアラルンプール滞在中はチャイナタウンの安宿に泊まりました。
ただこの時の宿探しは今でも覚えてるくらい結構大変でした。どうしてチャイナタウンならいくつかホテルがあるのにと思われるかもしれませんね、でもマレーシアいや東南アジアが初めての貧乏旅行者ですからホテルのような高いところはとまれません。安宿だけが目標です。
でバックパックを背負いながら夜のチャイナタウンを歩きました。すると目に付くのは今でも厳然とある有名ホテルです。Malaya Hotel とかMandarin Hotelです。そのころまったく中国語の知識を持ちあわせてなかった筆者はそのMalaya Hotel 名に添えて書いてある 馬来亜大酒店やMandarin Hotelの中国語名 吉隆坡文華大酒店という字に、「大酒店?おかしいなホテルと書いてあるのにどうして酒を売る大きな店なのだろう」と頭をひねりました。別の大きなホテルのFurama Hotel は富麗華酒店と大の字がありません。その違いが分からなくてね。
いずれにしろ門構えが立派なので筆者には用がありませんから、さらにうろつきながら小さな”Hotel” を探しました。”Hotel" の表示法に中国語で2種類あって、「旅社 」というのと「旅店」と書いてあるのですが、”Hotel" みたいなのにどうして”旅の店” なのだろう?かとか ”旅の会社” なのだろうか?、と不思議に思ったものです。ほとんど笑い種の昔はなしですが、本当ですよ。
尚この疑問は、マレーシアの次の寄港地、台湾で氷解しましたことを付け加えておきます。
とにかく写真に示したこの旅店に宿をとりました。100%ここだと言いきれる自信はないのですが、後年マレーシアに来てチャイナタウンをぶらぶらしていたとき、その頃の記憶をたどって探したときこの旅店に行き着いたのです。周りは当然変わっているしメモもないのですが、ここしか考えられないのです。
決め手はその時奇妙に思って頭に残っていた近くの看板「牙科」という看板でした。「牙科」とはもちろん当時知りませんでしたが、覗いてわかったように歯科のことです。でもこの「牙科」つい最近なくなってしまいました。チャイナタウンも変わっているのですよ。
「旅店」も「旅社」も東南アジアでの華人系安宿の代名詞です、中には売春宿もあります。これもちろん後年の知識ですが。この「旅店」で泊った部屋には天井に大きな扇風機がブルンブルンとまわっていたはずです。コルクの栓の魔法瓶、ジャーとかポットと呼ぶのでなく、もう日本では全く入手できない60年代の魔法瓶です、が部屋に急須といっしょにおいてありました。それは飲んでいいものか、つまり”ただ”なのか心配で多分旅店の人に聞いたことと思います。
なぜなら当時の筆者の欧米の安宿の経験からいって、ただで飲み物が部屋においてあるとは信じられなかったからです。欧米の安宿には、まともなホテルではありませんよ、そんな気のきいたものは間違ってもおいてありませんからね、ほしければミネラル水を買えという姿勢ですから。
暑いマレーシアですから、シャワーを浴びたくなります。でシャワー室はというとそんなものはありません。Bilik Mandi つまり水浴び室です。筆者のとまってきたヨーロッパの安宿はほとんど自室にトイレシャワーがなくて、シャワーは共同シャワー室、トイレも共同トイレというのに慣れてましたから、部屋にシャワー、トイレがないのは一向に気になりませんでしたが、シャワーでなくて、水瓶にためてある水をおけから汲んで浴びるというのにはいささか面食らいました。そしてそこはトイレもかねてましたから臭気もあるしというところです。
数年後インドネシア放浪旅でこういうのが東南アジアの安宿の標準だと知ったのですが、当時はそんなこと知る由もありませんから、冷たい水をひたすらかぶっていたことでしょう。
なお読者はこういうタイプになじみのない人がほとんどでしょうから、すこし解説しておきますと、湯はもちろん出ませんしそんな設備はありません。普通部屋には汚いバスタオル一枚だけ備え付けてあります。そのバスタオルをもって水浴び室へ行き、もちろん貴重品同伴です、置いてあるか自分の石鹸を使って水浴びするのです。もちろんトイレが別になってる場合もあります。
また部屋にはベッドと年代ものの机もどきと、運よければ衣服たんすぐらいはあります。まあそれだけですね。それと魔法瓶と湯飲み茶碗、お茶です。布団はなくてうす汚い薄い毛布又はタオルケット一枚が標準です。
さて、この極めてシンプルな部屋でもヨーロッパの比較から言えばずっとよかったですね。部屋は比較的広いし、お茶も無料、扇風機もついてるし、なにせ寒くない(熱帯ですから当たり前ですが、ヨーロッパの安宿は寒いところが結構あってたいへんでした)。
宿をとったあとは1、2日チャイナタウンとその付近をうろつきましたね。きっと見るものすべてめずらしかったのでしょう、食べ物が貧乏旅行者にも手の届く範囲だったはずです。
当時の筆者の一日の予算は、宿泊代を含めてせいぜい10米ドルからいくら多くても20米ドルだったでしょうから、屋台やコーヒーショップばかりで食べてたに違いありませんが、なにせ忘却のかなたです。(当時1米ドルは200円台の後半だったのです)
Jalan Petaling やJalan Sultan に午後遅くからでる夜店と屋台は、東南アジア初心者には印象的でしたね。何も買わずにぶらぶらしていたことでしょう。今と比べて、付近のいくつかの建物が近代的になったことなどは別にして、どこが変わったかよくわかりませんが、欧米の下町では絶対に味わえない雰囲気、日本のチャイナタウンとはずいぶん違った雰囲気が気にいったことでしょう。
実際マレーシアのチャイナタウンは、例えばバンコクのチャイナタウンやサンフランシスコやニューヨークのそれよりもずっと小さいですが(KL市内には華人系の店がいっぱいあるからチャイナタウンに全部集まる必要はない)、旅行者を引き付ける魅力は今も変わらないようです。
筆者が二、三鮮明に覚えているのはチャイナタウン脇のセントラルマーケットです。今は旅行者用のお土産センターみたいな近代的ビルに生まれ変わってますが、当時はその名のとおり「中央市場」でした。生きた鶏や魚肉類、生鮮などをうる東南アジア伝統的市場でしたから、そういうことに慣れてなかった筆者は、その汚さと匂いに長居しなかたことを覚えてます。
セントラルマーケットは80年代中頃に市場を取り壊し、名前だけ残して現在の建物を建てたのです。
もう一つよく覚えてるのがチャイナタウンから歩いて2、3分のところにある Puduraya です。在住日本人はほとんど利用しませんが、Puduraya はクアラルンプールの中心バスターミナルです。今は例えばPutra バスターミナルみたいに2、3の小規模バスセンターがKLにもありますが、Pudurayaは依然として最大のバスセンターです。ここからマレーシア各地への中長距離バスがひっきりなしに発着しています。
Pudurayaはまさに庶民のバスターミナルで、昔も今も朝から晩までいつも混んでいます。古くうす汚いビルの中は昼間でもうす暗く、当時も今も冷房なんてありませんから人込みの熱気がすごかったのと、マレーシア語のやかましいアナウンスにいささかどぎもを抜かれました。
地図もなにもないので、どこへ行くバスがどのように発着しているかさっぱりわからず、結局見学だけに終わりました。ガイドブックも予備知識もない旅行者がほいと乗るには難しかったのです。
後年こういうことに慣れると、できるだけ人に聞いて気長に待つしかないことがわかりましたが、当時の筆者にはそういう東南アジア旅行の経験はありませんでしたからね。
Pudurayaビルは当時からたいして変わっていません。上の階は郊外行き乗合タクシー(これをマレーシア英語でOutstation Taxi という、英和辞書はもちろん英英辞書にもには載っていませんよ)乗り場で、さらに上階はHotelです。Pudu といえばPudu Raya とPudu Jail というぐらい有名な場所です。Pudurayaは、一昔前のマレーシア都会の混雑の雰囲気が漂う、今でも筆者がたまに利用する場所でもあります。
その他KLのどこかを歩き回り、またバスに乗って道に迷ったことを覚えてますが、何せ地図をもってなかったし、どこをどう文字通りうろついたか覚えてません。若さゆえ体力と好奇心は充実してたから、あまり苦にならなかったかもしれません、いずれにしても短いけど非常に印象的なマレーシア初訪問でした。
その後シンガポール出張時にジョーホールへ足を伸ばしたのが数回ありました。でもこれは旅というほどではありません。
そして80年代中頃かな、タイから鉄道とバスでシンガポールへ南下する途中KLに立ち寄ったのが旅らしい旅で、旅としてマレーシアを訪問した2回目です。その時泊ったのがまたチャイナタウンで、今でもはっきり覚えてますが、前とは別の少し程度のいい安ホテルです。
そんな縁があってかなくてか知りませんが、90年終わりごろにKLにまたやって来て、それが現在につながりました。
筆者の、多分最初で最後かもしれない、極私的トピックス 「マレーシアの思い出」はこれでおわりです。
こんなエピソードがあります。数年前のことです。スピルバーグ監督のアカデミー賞最優秀作品でナチ時代を撮った 「シンドラーのリスト」がマレーシアで上映禁止になりました。スピルバーグ監督は各国で上演の際カットは一切認めない方針でしたよね。マレーシアはどんな理由どんな場面であれ”ヌードシーン”のある作品は、そのままでは例外なく上映できませんから、当然カットしての上映を希望しましたが、スピルバーグ監督は認めず、従ってこのシンドラーのリストはマレーシアで上映できませんでした。
その後スピルバーグ監督は逆に、マレーシアで彼の作品の上映を一切認めない、と通知したといわれてます。今もこれが生きているかどうかは知りませんが、マレーシアの映画検閲状況をしめすエピソードです。
もっともこのシンドラーのリストは多分、その手の業者によって違法にコピーされて、チャイナタウンのヴィデオ・カセット屋などで、VCDかビデオの形で販売されていたことでしょう。KLやジョーホールバルにある違法コピー版販売店はソフトウエアーやゲームCDから映画のVCD、歌のCDといろいろ品を揃えてますからいつも商売繁盛です。
チャイナタウンのビデオ、VCD屋で違法コピー版が売られてたのは公然の秘密で、ちょっと前まで確か半年頃前までは、日本のアダルトVCDを含めてポルノ(何がポルノかの議論はひとまず別にして)ビデオ・VCDが売られていました。筆者も店頭に飾ってあるのを見たことがありますが、もちろん日本のように、めったやたらそこら中においてあるわけではありません。
しかし、その後警察の徹底的な取り締まりにあって、店頭から一切消えてしまったとのことです。筆者は先日チャイナタウンに行ったとき4,5軒寄ってみたのですが、もうそういうたぐいなのは一切店頭には置いてありませんでした。只中国語紙によれば、固定客だけには秘密に販売しているそうです。
その真偽はどうでもいいのですが、そこでその検閲の仕組みを見てみましょう。
マレーシアの映画やテレビには,鑑賞してもいい観客層を区別する目的から、鑑賞許容分類コードともいうべきものをつけることが決められています。アメリカ映画でおなじみのシステムに似ていますが、もちろんマレーシア独自の観点から決められた分類コードです。
分類コード |
見てもいい観客層とその内容 |
U |
あらゆる年代層向け |
18−SG |
18歳以上向けで、過度の暴力または恐怖場面がないこと |
18−SX |
18歳以上向けで、過度の性表現場面がないこと |
18−PA |
18歳以上向けで、政治・宗教・文化を扱っている要素を含む |
18−PL |
18歳以上向けで、上記の2以上の制限項目を含んでいる |
ですから、新聞などのテレビ欄、映画広告欄には必ずこの分類コードが書いてあります。映画館の窓口にもこの表示が出してあります(そうすることになってます)。
コード分類される対象はマレーシアで上映されるものすべてですから、映画館で上映される、若者中心に人気のハリウッド映画、インド系を観客にしたボリウッド映画(Bombayで作られるインド映画をこう呼ぶ)、華人系を主対象にした香港映画などすべての輸入外国製映画であり、もちろんマレーシア国内製作のマレー映画もその対象です。なお国内製作の中国語映画とインド語映画は存在しません。
テレビ放映用のビデオやテレビ番組は観客対象が映画より広いために数がぐっと増えて、検閲と分類付けをする国家フィルム検閲委員会に提出された数は、96年は1万1千本を超えます。一方劇場映画の方は、569本でした。
要するにテレビ番組であれ映画であれビデオであれ、理論的にはすべてがこの国家フィルム検閲委員会の事前審査を受ける仕組みになっているわけです。
劇場用映画を含めて、単純に計算しても一日に30以上の番組や映画を審査するわけですから、国家フィルム検閲委員会は結構多人数かと思えばそうでもなさそうで、本部のKLに60人弱ほどの委員、分所のサバ州とサラワク州にそれぞれ6人委員がいます。
その委員構成は、「経験をもったさまざまな分野出身者からなっている、但し大多数は政府機関の元高級・幹部公務員で講師や警察出身者もいる」 とのこと。これをさまざまな分野とよべるのかどうか疑問ですが、映画界、テレビ界実業界出身者はいないようです。
この構成を知ると、しろうとかんがえでも検閲の方向はある程度想像できますね。
審査不合格率、つまり提出した作品が公開許可とならない率は、例えば劇場映画では13%強(569本中77本)、マレーシアの公共テレビ放送局RTMの提出した番組で5%、私営テレビ放送局TV3の場合は3%です。やはり劇場映画はテレビより”不合格率” が高いですね。
もちろんテレビ局が国家フィルム検閲委員会に審査提出前に,ある程度自己規制してるでしょうから、単にこの数字をみて、低いか高いかを判定できません。しかし一般に映画の方が刺激が強い作品であることは世界の常識でしょう。
また委員会は複数の民族構成になっており、ある一つの番組の審査をする審査パネルには、「その番組の言語を母語(筆者注:母国語ではありませんよ)にしない審査官、すなわち他民族の審査官が必ずくわわるようになっている。だから例えばインド映画審査にはマレー人と華人系マレーシア人審査官が臨席して、その映画がマレー民族にも中国民族にも侮辱的かつ攻撃的でないことを確認する」仕組みです。
これはさすが多民族国家マレーシアらしい考えたシステムです。少数民族の極めて少ない日本と違って、民族構成は複雑を極めてますから、表現の自由に名を借りた多民族批判、そこまで行かなくても揶揄は、安定した多民族国家のマレーシアだって一歩間違えば民族感情に火をつけかねませんからね。
世界に自国内民族紛争で悩む国は数えれば,たちまち数十にのぼるほど多いですが、マレーシアは数少ない(現在では)民族紛争のない、しかも民族間の平等を(相当程度まで)実施している国です。マハティール首相のいうように、これはまことにマレーシアの誇る面です。そこに住む外国人にとっても民族間の対立が厳しいと、なんらよい面はありませんから。
この鑑賞許容分類コードが決められたのは96年です。それまでは審査作品に対してただ合格不合格の判定だけが下されていたとのことです。これを国家フィルム検閲委員会委員長に言わせれば、分類コード制を導入して 「以前より広い範囲の作品が上映できるようになったから、大衆は選択が増えたのだ。例えば以前なら禁止であった (米国製テレビ番組の)Baywatchが ”18−PL”のコードをつけて夜10時以降に放映できるのである」
また「以前我々(国家フィルム検閲委員会)は検閲がきびしすぎるとか甘すぎる(筆者注:こう考える人もいる!)と批判されていた。しかし今や我々の原則は上記の分類に従ってコード付けすることだ」
だから ”18−PL”とつけられた作品を見るか見ないかは、大衆が決定できるし、それを見る人は検閲済作品、つまりたいていはカットされた作品、を鑑賞することができるというわけです。いかにも検閲を権威付けられた人の言葉ですね。そこには検閲の過程をどう判断するかということではなくて、大衆は検閲されたものを選ぶ権利があるという理屈です
ですからスポーツ番組も委員会の事前審査にかけられるのです。「我々は、ファンの中には騒々しいみだらな観客がいることに気をつけなければならない。レスリングやキックボクシングはスポーツ番組といえどもある種の”暴力”を強調しているので、それなりにコード付けされ遅い時間に放映されることになる」
もともとマレーシアはタイのようにボクシングが盛んではないから、ほとんど存在しないといった方が正確、ボクシングが放映されようとされまいと関係ないでしょうし、タイボクシングが放映されることなんてありえないでしょう。(外国の)プロレス番組はマレー人若者に人気あるようですが、マレーシアにプロレス団体が存在すること自体ありえません。
マレーシアの ”公表された”検閲思想のもとになっているのは、作品が暴力、恐怖、セックス、反民族文化的、の要素を含まないことです。たとえこの4つの要素を含まなくても、そのマレーシア製作作品がマレーシア社会を反映してない場合やマレーシアという国を歪めた作品は許可されません。
華人系マレーシア人対象の(地元製作の)広東語テレビ番組でも、背景構成に多民族国家マレーシアを反映する必要があるということです。
国家フィルム検閲委員会が民族問題に大変関心を払っていることは良く分かります。4つの要素の決め方判断のしかたは放映される作品から想像つきますが、このマレーシアの諸民族感情に敏感である点は、政府の方針を反映しているように、検閲委員会の光の面ではないでしょうか。
で次に検閲制度の陰の面に移りましょう。もういうまでもなく、表現の自由を侵害しているということでしょう。しかしこれは日本のような”欧米化された思想”の国からの発想であって、東南アジア文化をイスラム思想で包んだマレーシアでは、こういう発想は認知を得られません。
もちろん検閲がきびしすぎるという不満がたくさんあるようですが、反対に保守的ムスリムの視点からなら甘すぎるでしょう、検閲自体の可否を問う議論にはお目にかかれません。本当にないのかどうかは知りませんが、そういう国家の根本理念を問う議論はマスコミにはでてきません。またそういう人がいたとしても、声高に叫ぶことは、マレーシアでは無理でしょう。
(筆者は外国人ですから、それらの良否に言及するつもりはありません、ただ状況を解説してるだけです。)
ですから、初めのほうで少し言及しましたが、ポルノは社会悪に結びつくからいけない、それで終わってしまい、ポルノとはなにかという議論は起こらないのです。もちろんマレーシア人でポルノ開放を叫ぶ人なんていませんが。
ヌードは絵画であろうと彫刻であろうと映画であろうとすべて禁止です。それはマレーシアの文化宗教にそぐわないからです、という説明ですべてを終えます。ですからこれ以上の議論は表にでてきませんし、多数はそれに同意していると見えます。
また国家フィルム検閲委員会は、比較的新しい媒体である有線テレビ衛星テレビ局のスタッフに、自己検閲の仕方の訓練を援助するとのことです。そうすれば国家フィルム検閲委員会の負担は幾分減るわけです。
このように、マレーシアには多民族国家を平和裏に運営していかなければならないという理由のほかに、検閲を、その程度に対する不満はあるものの、一般に受け入れさせる下地があるのです。これはマレーシア国民が選んでいる保持していることですから、筆者のような外国人がどうこういう問題ではありません。
どこの国でも禁止されたものを人が求めれば、供給しようとする人がうまれ、地下の商売を生みますから、チャイナタウンなどで違法コピー映画ビデオが出回るのは、わかります。ただそれがはでにやられるのか、本当に地下深く潜ってやられるかの程度問題です。日本のようにものすごく公然とやっている国からみれば、マレーシアの行き方は大分地下に潜っているといえるでしょう。
マレーシアの検閲の厳しさはこれからも変わらないでしょうし、人々の意識もそんなに急に変化するとは思えませんから、この地下商売、警察の取り締まりに反比例して、時には浮上し時には深く潜ることでしょう。
東南アジアをまだ一度も訪れたことのない方は、屋台と聞くと縁日のたこ焼やさんや夜店のかき氷を浮かべられるかもしれませんね。「男はつらいよ」のトラさんの場面中に時々でてきた香具師を浮かべる方もいるのかな。
百聞は一見にしかずで、数回屋台で食事すれば雰囲気ぐらいはつかめますから、言葉でながなが説明するよりもずっといいのですが、読者の方にはそういう経験のない方が結構いらっしゃいますから、とりあえず描写してみましょう。
東南アジアの屋台は日本のそれとは大分おもむきを違えます。東南アジア各国にそんなに大きな違いはありませんが、ここではマレーシアの屋台(マレーシア語で Gerai、英語なら Hawker)にしぼります。尚屋台を商う商売人は Penjajaとか Peniaga Kecil と呼ばれてます。
屋台を大きく分けると、移動するタイプと常設タイプの 2種類あります。
お祭の時や決められた日つまり毎週土曜日とか月末とかではなく、通常は、常時ある一定の場所にやってきて、そこで商売をします。小型バンの積み台を店用に改造した近代的スタイルから、バイクまたは自転車に荷物台車を増設して、そこに商品展示して売る伝統タイプがあります。ベトナム、インドネシアで見られる、天秤棒で商品を担いであちこち回る行商人タイプはもうマレーシアではみられません。いないことはないでしょうが、もう都会ではみることができません。
これは移動性の屋台商売です。昼間のオフィス街や住宅地に多いですが、夜店街、Pasar tani、チャイナタウンにもみられます。日本でも駅前の屋台ラーメンにまだ少しその姿が残っていますよね。
上記の移動式屋台よりも数と規模の両面で大きいのが常設式屋台です。言葉の使い方が少しおかしいと思われる方がいらっしゃるかもしれません。屋台がどうして常設なのだ?と。もちろんこれを長期仮設式屋台といってもいいのですが、ある場所に何年も屋台を構えて、中には10年を超える屋台も珍しくありません、その場所から屋台を移動させませんから、常設といってもいいのではないでしょうか。これは夜店街 のような屋台街と住居商業混合地区のビル軒先に多い、もっとも一般的なタイプです。
店(?)の造りはごく簡単で調理場と洗い場が明確に分かれてないのがふつうで、たらいやバケツに水をくんでそこで食器洗いするのが一般的です。近くに水道口がないところも多いので、始まる前に汲み置きしておきます。
屋台ですから当然屋根はありません。調理する屋台には屋根がついてますが、普通はそれだけですから、雨にそなえて巻き式のテントやビーチパラソルのような大きなかさを用意しています。雨が降り出すと、それといっせいにテントをはるかパラソルを開くわけです。それさえもない屋台だっていっぱいあります。
お客は屋台の用意したテーブルについて腰掛けて食べます。このテーブルといすは例外なく、開店時に屋台の前に並べ、閉店後は屋台の横なり後ろに積んでおきます。もちろんチェーンなどで盗まれないようにしばったり鍵をかけます。格納庫があるわけではありませんからね。
右の写真は、日中の屋台街、まだ誰も準備を始めていません。
立ち飲みや立ち食いを前提にした屋台もありますが、その扱い品目は豆腐水とかサトウキビ水、まんじゅうタイプの菓子類など限られています。
さて注文の仕方ですが、屋台街ではいろんな種類の食べ物やが店を出し、自分が腰を下ろしたテーブルの屋台からだけでなく、近くの別の屋台に注文しても一向に構いません、というよりこれが当たり前です。とくに飲み物屋さんは自分のテーブルがなかったり、すくなかったりなので、必然的にそうなります。
後で述べるHawker center になると店がめいめい自分のテーブルを準備することがなくなり、どのテーブルについてどの店から注文をとろうと関係なくなりますが、伝統的屋台(街)では、客がついたテーブルの持ち主の屋台から少なくとも1品は注文することになっています。
尚以前このコラム(7、8月分)の「持ち帰り食文化大繁栄」 で書きましたように、注文品を持ちかえる人もたいへん多いのです。
屋台で食べるとその衛生度が心配なかたもいらっしゃるでしょう。上で述べたように、多くの店は水道口が近くにないので汲み置きして、調理に使ったり、洗い物します。必然的に水を節約せざるをえませんから、一つのたらいで100枚以上の皿を洗うことになります。すすぎはもう一つのたらいで何百枚の皿や箸やコップをとなりますから、きれいに洗ったという言葉を使うのは気がひけます。
油よごれの皿を、すでに何百枚も洗った水の中にいれて洗うのは、洗った方がいいのか洗わない方がいいのか(タイ物で有名な前川健一氏のことば)、という疑問が湧いてきますな。
しかし屋台が屋台である限りこの慣習からは逃れられません。だから筆者も長年の慣れからあきらめていつも食べています。おまけに筆者のいつも行く屋台街はゴミ捨て場の横にあって、時々異臭も漂うのですが、仕方ないですね。まあ、衛生度はどうひいき目にみても不合格ですが、安いしうまいから人は屋台街に引き付けられるのです。
しかしこういう屋台商売人側と食べる人つまりお客側の両方に意識改革が必要になっているのです。こういう汚くても安ければいい、うまければいいという屋台文化は、クアラルンプールのような都会では”文化改革”が必要になりました。
KLやPJのような都会には近代的なビルと新しい住宅地がどんどん増えていくのに、いつまでも70年代80年代の衛生意識と商売意識を残していくことは、両立できなくなりつつあるのです。一昔前なら調理中に溝からねずみが現われようと、ゴキブリがテーブルをはっていようと、「屋台だからこんなもんさ」という言葉で片づけられたでしょう。
しかし時は90年代後半、世界一のツインタワーが建ち、マルチメディアスーパー回廊を建設している首都圏の屋台街で、ゴキブリやハエを眺めながら食事するのはいかにも時代遅れですね。一杯のたらいで数百毎の皿を洗う”節水思想”、(もちろん本来の節水思想ではない)の屋台商売人さんも”思想改革”が必要になったのです。
クアラルンプール市当局は近い将来、すべての屋台商売人に衛生知識説明会出席を義務づける考えです。たしか首都圏のSubanjaya では実施済み(?)ではなかったかな。すぐに効果が現れるとは思えませんが、何十年も抱いてきた衛生観念をゆっくりと変えていくにはこのようなことが必須でしょう。
しかしそれさえも商売人の出席が悪いといわれてます。頑固な時代遅れの衛生観念をかえるには、やはり強制力が必要ですね。KL、PJなどは講習会に出席しないものは、店の免許を与えない、剥奪すると言ってます。筆者も長年各地の屋台で食べてきた者の一人として、市当局を応援しますね。残念ながらこうでもしないと屋台商売人さんは、忙しいだの、しらなかっただのいいわけで出席しないでしょうから。
そこで政府はしばらく前のことですが、10数年計画で屋台の全廃、Hawker Center(Food Courtとも呼ばれる)への移転統合化を発表しました。段階的に、裏道や広場で開いている屋台を屋根付きの屋台店街に集めて、道路から屋台をなくしてしまうのです。シンガポールが実施した政策とほぼ同じでしょう。
ビルの一角か中に店を集め、そこに常設屋台を開くのです。水道とごみ箱を身近に設置し、衛生状態を向上させるのが大きな目的です。それと食事のために屋台街へ集まってくる、お客の引き起こす交通渋滞と無法駐車状態をより少なくするのが2大目的です。
1ヶ月ほど前KL市政庁は、有名なチョーキット一帯の屋台をきれいに舗装しなおしたJalan Haji Taib の一個所に移らせて、そこをHawker 通りにしました。まことチョーキットも変わったものです。が新聞は多くの屋台商売人の不満を伝えてます。これはチョーキット一帯の再開発計画の一環だそうで、この移転も一時的なもののようです。
またつい最近のことです。今度は市政庁は有名なJalan Tuank Abdul Rahman (通り)など3個所のナイトマーケット(Pasar Malamという)で、屋台は食品を調理して売ってはいけない、つまり火を使う食品を売ってはいけないという命令を出しました。この3個所とも規模がおおきい夜店街です。特に Jalan Tuank Abdul Rahman で毎土曜日開かれる夜店は観光客も集まるKL有数のナイトマーケットです。しかしここも市政庁の命令から逃れることはできません。
一番の理由は、道路は調理場ではない、その後片づけを市政庁の係官が行うが掃除が大変である、というものです。まこと同情します。あの大きな夜店街の後片付けはさぞかし大変でしょう。主要道路ですから、夜店終了後すみやかに交通再開しなければなりませんから、のんびりとやってるわけにはいきません。
市政庁はいずれすべての夜店街に調理の禁止つまり飲食物を販売しもよろしいが、より汚れの出る火を使う料理は禁止する方針です。
マレーシアの都会の夜の風景の一つが変わりつつあるのです。残念ですが、これは時代の流れですね。どんな道路でも好きなように商売上にしていた昔から、だんだんと限られた道路だけでしか屋台商売ができなくなり、今や大通りで公然と商売は、チャイナタウンぐらいを除けば極めて少なくなりました。ですから商業住宅地やその裏通りに屋台(街)は限られてますが、依然としてどこも商売繁盛してるでしょう。
このマレーシアの生活に根づいた屋台街を一気になくすことはそれこそ不可能です。しかし時代は移りつつあるのです。もう客と商売人の両者とも、道路を汚し、ゴミを溝に捨て、あとは誰かが片づけるだろうという、これまでの悪しき食習慣と商習慣は改める時期が来ていたのです。
しかし残念ながら多くの、文字通り多数の客と商売人はその習慣をほとんど改めてきませんでした。いくらきれいにしょう、というキャンペーンがあろうと気にしちゃいないのですね。10年一日習慣は変わりません。したがって政府そして都市の政庁は最後の手段として、屋台(街)を廃止してHawker Center へ移すというアイデアとなり、ゆっくりとその方向に向かって動いているのです。それが上記で述べた計画です。
屋台で食事するのは東南アジアの風物詩ですから、筆者も多くの市民と同じように残念に思います。旅人時代だけでなく、マレーシアに住むようになってからも屋台で食事するのは筆者の生活の一部ですから、本音を言えば屋台街に残ってほしいのです。でも、でも時代は移ってもうすぐ21世紀、そんな時まで汚し放題、汚くても売れればいいという商習慣は残ってほしくない気持ちもあります。
本来は客と屋台商売人の両者が自覚して、客はきれいに食べ、不必要によごさず、商売人は衛生に気を付け後片付けをきちんとして、店が終わった通りはすぐにでも再開できるぐらいに自分たちで掃除すればいいのですが。
裏道の屋台さん、ゴミをすべて溝にすてないで、ゴミ捨て場に持って行きなさいよ、水道をもっと配管してみんなが水を十分に使えるようにすればいいのにね、などなど。でもこれは所詮夢物語です。商売人も客も食べかすを道に捨て、あとは市の掃除人が掃除するさ、という精神構造は直らないですね。屋台街の周りは交通渋滞と勝手放題の駐車でその近くに住むものは、便利さが帳消しになります。所詮これまで直らなかったものがそんなに急になおるわけありません。
本当に残念で寂しいことです。この悪しき習慣も、ゴミ捨てポイ人には罰金を科すというマレーシアで一般的な罰則主義と同じで、公の強制手段でしか直せないのです。自分たちの自治でよくするということが欠けているから、どうしても公の介入を招きやすい、いやそれを市民は期待してる面も多分にあり、事実公の介入を招きます。それがないと何事も始まらないのですな。市民運動が育たないわけです。
10年後クアラルンプール市民は文句をいいながらも、きれいな Hawker Centerへ行って夕食をとっていることでしょうか、それとも相変わらずうす汚いうら通りの屋台街近くに車でのりつけ、両側2重駐車して、夜空の下テーブルにつき、食べかすを道路に捨て、商売人はたらい1杯の水で皿をあらい、ゴミを溝に捨てているのでしょうか?
雨の時は Hawker centerの方が濡れなくていいけど、夜空の下や軒先で食べる板麺(ローカル料理)も味があっていいものですよ。東南アジアはやっぱり屋台がなくちゃね。
マレーシアの労働人口をみると97年は、840万人ほどです。人口2100万の国としては少し少ないように思えますが、若年人口が高いこと、30代以上の女性労働人口が少ないことがその主原因でしょう。
後者の理由は、いわゆるパート市場が少ないことが、結婚して子供ができた家庭夫人の職場復帰をふさいでいるのですが、これは保育所の極端な不足や会社がそういう女性を雇いたがらないことにもあるでしょうし、加えて筆者のみるところによれば、パート労働として向いてる小売り・スーパー店の店員とか工場の軽労働は、対象女性自身が好まない傾向があるのです。
ですから後で述べるように、こういうところに外国人を雇用する(方を好む)、又はそうせざるをえないのです。
また会社がパートを雇うことのメリットが、法的と税制上に少ないこともその原因のようです。
マレーシアの労働力構成をみると、1次産業が15.7%、2次産業が36.7%(内製造業27.5%)、のこりが3次産業とその他(内公務員は約1割)です。1次産業が意外に少ないのだな、と思われませんか。マレーシアは東南アジアの工業国であるという面が、この数字からも見てとれます。
さて労働人口は来年度中には23万人、2.6%ほど増えるそうです。しかし人手不足はこの程度の増加ではとてもまかなえません。ですから当然労働力の移入ということになります。外国人労働者は公の推定で170万人ほどです。この数字には非合法外国人労働者は含まれてないようです。一応この数字をもとにしてもマレーシア人労働者5人につき外国人労働者が1人ということになります。
もっと現実的にいうならば、少なくとも50万人、労働組合連合はもっと多く見積もっています、の非合法外国人労働者を入れて外国人労働者は控えめな推定で2百数十万人でしょうから、マレーシア人労働人口4人につき1人が外国人ということになります。この比率はものすごく高いものです。日本はここ10年ほど外国人労働力が増えたといっても労働人口比せいぜい数パーセントでしょうし、その比率が結構高いヨーロッパで、最高のドイツ、フランスでも1割前後ですからね。
働く人が5人いてそのうち1人が外国人だという構造は、おそらく普通日本人には実感できないでしょう。それゆえこのトピックスでも数回触れましたように、外国人労働者の問題が、好むと好まざるにかかわらず、おきてくるのです。外国人労働者の多数はイスラム教国のインドネシア人、バングラデシュ人にもかかわらずです。
外国人労働者は、禁止されているにもかかわらず相当程度は長期居住をもくろんでますが、多数は単に金のためにマレーシアにやってくる(と思われている)のですから、永久生活者のマレーシア人とは行動、思考に違いがでても不思議ではありません。ましてや違う文化の国からですから、問題が起きてあたりまえといえば極めてあたりまえですよね。
外国人労働者の働く産業は特定しています、建設現場、プランテーション農場、大小の工場、ビル清掃クリーニング、お手伝いさん、レストランや飲食店、ガソリンスタンド,スーパーの下働き、などですから、そういう場所ではマレーシア人と外国人労働者の比率はもっと高くなります。
尚数は少なく単純労働者ではありませんがですが、こんな職業と思えるところまで進出しています、それは看護婦です。
工場と書きましたが、純マレーシア企業の工場ばかりではありませんよ。非マレーシア資本会社も同様です。いわゆる製造業では日系・日本企業も相当外国人労働者を雇用しています。特にスランゴール州やペナン州では高いようです。
それではここで、極めて簡単に呼ばれる”外国人労働者”とは違って、外国からの投資などに伴ってマレーシアで働く高級な(?)外国人のことに触れましょう。たいていの日本人被雇用者と、中小企業主とか(日本の)公的機関派遣の専門家はこのカテゴリーに入ります。このカテゴリーに入る、マレーシアで働く単純労働をしない外国人を ”Expatriate” と呼びます。
このExpatriate(字義通りの意味ではありません、単純労働ではなく専門職、管理職、高級技術職として労働ヴィザを取得している外国人を指す)と呼ばれる人たちは当然高給という範疇に入りますから、住むところから職場の地位まで外国人労働者とは雲泥の差です。
例えば住居でいうならば、当ホームページのビジネスページにある不動産広告にも載っているように、高級コンドミニアムの多くはExpatriate向けです。日本人Expatriate の方々も多くはこういう所にお住まいです。
ちなみにマレーシア政府の定義する低コスト住宅というのはRM25,000 以下をいいますので、比較のために後でご覧ください。
ですから Expatriateは外国人であっても、外国人労働者とは同一範疇にはみられません。
バンクヌガラ(マレーシア国立銀行)のリポートによれば、96年末の時点で3万人の Expatriate がマレーシアで働いているそうです。単純労働力として移入された外国人労働者は、合法非合法を含めて、2百数十万人から3百万人と推定されてますから、この3万人という数字は、マレーシアの人口は2千100万人に比べれば取るに足らないように見えます。
あるマラヤ大学のエコノミストはこの Expatriateが稼ぐ総額を年RM36億と推定しています(一人当たり年RM12万)。さらにそのうちの7割ほどはExpatriateの本国に送金するのではとみなし、この国外流出総額は巨大なものになる、だから現在マレーシア政府が悩んでいる会計赤字に相当程度寄与しているのではないかと、この学者は考えています。
筆者は、彼らがその所得の7割も本国送金するとは思いませんが、所得総額よりもその占める職位が大きな意味を持っているのではないでしょうか。
この2面、つまりまことに巨大な数の単純労働用外国人労働者の存在と、数は少ないものの重要なポジションをしめる Expatriateの存在、をみると、マレーシア経済は肉体労働から知能・管理労働の相当程度まで依存していることを否定できません。
これは現在政府の強力にすすめるマルチメディアスーパー回廊プロジェクトが本格的になれば、さらにもっと Expatriateのポストが増えることになります。なぜなら政府も認めるように、マレーシア人の情報技術専門家だけでは必要数をまかなえないことがはっきりしているからです。どれくらい不足するのかいろいろな推測がありますが、4,5千人とか多いところでは7千人というのもあります。
ですから以前からですが、政府は大学の理科系教育に特に力をいれ、理科系コース受講者を増やし、たしか理科6対文化4の比率にし、はっきりと理科系重視政策をとっています。
この Expatriateの漸次的増加を第三の外国人移入と呼ぶそうです。単純労働者問題の陰にかくれて比較的見逃され勝ちですが、Expatriate依存は大きな意味を持っています。マレーシアのジレンマは、この第三の移入をより少なくしながらマレーシア人への技術移転教育を障害なくすませ先進国入りを達成できるか、ということです。
マレーシアを訪問されると、時々”2020” という数字を見ることがあるでしょう、これは政府の目標、”西暦2020年までに先進国入り” という意味なのですよ。