「今週のマレーシア」1997年 7月と8月分のトピックス

平和な国マレーシア  ・ 本当にミスマレーシアかバイク乗りの服装  ・ Redang島を愁える  ・ 隣国との関係シンガポール編
学校の掃除は外国人にさせよう  ・ 数字で見たマレーシア その2  ・ 隣国との関係 タイ編
持ち帰り食文化大繁栄  ・ 番外のトピックス(英語文)  ・ マルチメディアスーパー回廊(前編)



安定政権下の平和な国マレーシア


97年もはや半分過ぎましたね。筆者は今年の年頭、この「今週のマレーシア」で”平和で優等生国家マレーシア”と書きました。まさにこの言葉のとおり、東南アジアの中でも特にマレーシアは平和で安定した国です。

紛争の絶えない世界の中で

皆さん毎日のニュースを見ていただければおわかりのように、世界のいたるところで騒乱、紛争、暴動、果ては戦争まで、心を痛めるニュースが紙面や画面から伝わってきます。遠いアフリカや中南米はさておいて、アジアだけでも、アフガニスタンの民族問題をからめたイスラム教徒同士の宗教戦争、インド北部の宗教紛争、スリランカの民族間戦争(これは戦争といった方がいいでしょう)、朝鮮半島の一発触発状態、中台間の緊張などなど、ちょっと思い付いただけでもこれだけあります。

東南アジア諸国と比べる

マレーシアの属するSEATO(東南アジア条約機構) 加盟国内をみてみましょう、インドネシアはついこの間の総選挙では選挙紛争から死者数百人をだしており、また長年の東チモール紛争、ニューギニアの独立ゲリラ問題などを抱えています。隣のタイでは、数年前民主デモ隊が軍隊に制圧されて死者がたくさんでましたことはまだ記憶にあたらしいでしょう。カンボジアはクメールルージュ問題のみならず、いまだ国内治安が大変わるいですね。ミャンマーは軍事政権が相変わらず少数民族圧政に武力を行使していますし、フィリピンはムスリムゲリラ(独立要求グループ)との紛争をまだ続けています。

もちろん騒乱、暴動のないラオスや戦争を経験したベトナムがありますが、経済状態はまだまだ離陸以前で、都市から少し離れれば、基本的生活条件がまだ全く整ってません。
先進国入りしたシンガポールはひとまず別にして、所得の多い豊かなブルネイはいまだ中世の宗教国家を思わすスルタン専制政治国です。

30年近く暴動騒乱のない国

ひるがえってこの地マレーシアはなんと平和でしょうか。民族紛争(暴動)は、苦い経験をした69年以来一度も発生していません。多数派のマレー人が過半数をわずかに超える程度で、あとは華人系インド系そしてボルネオ島の先住民族など20をはるかに超える民族からなる典型的な多民族国です。それにもかかわらず死者のでるような民族間での流血暴動、騒乱はこの28年近く皆無なのです。

選挙時に、野党与党の支持者間で流血惨事が発生したり、警察が野党を弾圧することはありません(もちろん取り締まりはあるし、かって野党の指導者が逮捕されたこともある)。つまり選挙は一応平和裏に行われ、そして選挙で勝利した政党が政権についているのです。マレーシアでは一度足りとも軍事政権ができたことはありません。
これは、外からいろいろ批判はあろうとも、やっぱりUMNOを核とした政権連合 BARISAN NATIONAL の民族融和政策が成功しているからでしょう。もちろん民族間の紛争を避けてきたマレーシア国民の努力のたまものでもあります。

注:マレーシアの各民族構成はトピックス「数字でみたマレーシア」を参照してください

多宗教多言語国家

一つの国のなかで各民族が対立しあい、力のある民族はない方を制圧する、という陰惨な光景がまったくないのは、何にもましてすばらしいことだと思います。
多民族であることは普通即多宗教多言後に結びつきますから、マレーシアも多宗教多言語国です。それ故常に問題発生の芽を潜めているのですが、幸いなことにマレーシアでは、国の宗教でもあるムスリムと他宗教徒間の表立った争いは69年以来全くありません。もちろん水面下では時々そんな種が生まれてはいるでしょうが、それが芽を出す前に解決,制圧ではなく、されてきました。

経済発展に努める政府

50年代から70年代初めまでマレーシアとタイ政権を悩ましたマラヤ共産党ゲリラはすでになく(壊滅)、今マレーシア政権を脅かすようなこと、つまり脅威とよべるようなことは何一つありません。したがってマレーシアは70年以降ひたすらに経済発展に務めてきました。

そのおかげあって70年には国民の60%もあった絶対貧困層が93年には14%までに減りました。一人当たりの国民所得も94年で3000米ドルほどですから、今年は4000米ドル近くになっているのではと推定されます。 1万米ドルを超えたシンガーポールにはもちろん及びませんが、インドネシア、ベトナム、フィリピン等をずっと上回っています(もっとも所得金額だけで比較するのは一面的ですが)。

筆者の想像するに、第二次大戦直後マレーシアもミャンマーもベトナムもシンガポールもその国力に大した違いはなかったことでしょう、しかるに今、戦争に痛めつけられたベトナムやしばらく鎖国政策をとったミャンマーを訪れれば、マレーシアとの違いは歴然です。日本ではあまり知られてないでしょうが、ミャンマーとカンボジアへの投資国の中でマレーシアは常に上位5番以内に入ってますよ。

豊かになった実感

マレーシアの経済はすばらしく成長しています。筆者が今回マレーシアに滞在する糸口となった90年末の來マレーシアの頃と比べても、インフラストラクチャーの整備は確実に進んでいます。もちろんこのコラムで何回もお伝えしたアンバランスな整備や不満な実態はありますが、経済が発展して人々の生活がゆっくり豊かになっていく状況は実感できますし、それを賞賛することも必要ではないでしょうか。

安定した国内政治下ですすむ巨大投資

各民族各宗教間で対立が(表だって)ないことと政権の安定は表裏の関係でしょうから、マレーシアは独立以来UMNO(マレー人統一国民組識)を核としたBarisan National がずっと政権を握っています。マハティール首相がつい最近どこかの国の首脳にいみじくも述べたことばがあります。「 マレーシアは、首相は変わっても政権は変わらないので、国内は大変安定しています。(マレーシアへ)投資するには最適の条件が整っています」

クアラルンプール新空港、ツインタワーを中心としたKLシティーセンター、そして新行政首都移転を含んだマルチメディアスーパー回廊、と矢継ぎ早に超巨大投資をしながら、マレーシアはしゃにむに2020年までに先進国入りを目指しています(これはマレーシアの公式なスローガンです)。

これら政府主導の開発だけでなく、私企業も積極的に対外投資しています、いい例が南部アフリカに投資ですね。南アに対外投資するアジア諸国の中でたしかトップグループに入ってます。
ただ残念なことは、私企業のマレーシア国内への投資実績が都市部に偏ってることが、都市と農村の格差をいまだに縮められない原因でもあるのですが、これはまたいつか扱いましょう。

旅で訪れたまたは訪れる予定のマレーシアで、皆さんはきっと何か思いがけないことを感じまた見つけられる(られた)ことでしょう。そんな時この「今週のマレーシア」を思い起こしてくだされば、筆者望外の喜びです。



ミスマレーシアは本当にミスマレーシアなのか?


ミスコンテストは非常に盛んな南北アメリカだけでなく,世界の多くの国で開催されてます。アジアでもけっこう盛んですね。アセアン諸国でもタイなどミスコンが多いことで有名です。日本はありとあらゆるミスコンテストをやってるようですから、アジアナンバー1かな?

ミスコンテスト概観

さてマレーシアでもご多分にもれずミス何何コンテストが時々開催されます。しかし、日本のようにミス何何大学とかミス何何商店街のようにめったやたらにあるわけではありません。 ミスユニバースなどのように外国のコンテストを全国的規模で行うコンテストと、一つの商業目的でミス何々と名うってやる、例えばミスチャイナタウン、コンテストの2種ですね。
いずれもコンテスト開催はそれを請け負う会社があり、スポンサーはいろいろですが、酒やビール会社もその中にまじっているようです。またミスコンテストの会場が、ホテルを別にして、たいていディスコやクラブだというのはマレーシア的でしょう。

ミスコンテストの本質

ミスコンテストは所詮、それを手段として商売につなげたい企業の宣伝目的と男の娯楽であり、且つ名前を売りたい若い女性の宣伝目的ですから、それ自体に目くじらを立てる気はまったくありませんし、また立てても仕方ありません。一部のフェミニストには大変腹立たしいことでしょうけどね。ごめんなさい。
尚マレーシアでもコンテストそのものに反対してるグループや政党はもちろんあります。

マレーシアのミスコンテストでも、毎年行われるミスユニバースとかミスワールドス、ミスハワイアントロピクスなどの有名ミスコンテストぐらいになると、各州で予選をして最終的に決勝でミスマレーシアを選ぶようですが、あまり聞いたことのない(マニアなら知ってるでしょうけど)小さなミスコンだと、全国予選などなくて応募者を一同に集めて審査を行うようです。コンテストの基準なんて審査員やスポンサーの意向次第でしょうから、その選定に横やりなどいれてもしかたありません。
ここまでは日本とそんなに違ってはいないと思います。

コンテスト応募者が逮捕された

でマレーシアのミスコンは日本ような西側世界の国と同じでしょうか?応募者感情を考慮して水着やレオタード審査のないミスコンテストもありますから、それが大きな違いと思う方もあるでしょう。水着のないミスコンなんて興味ない、という日本人(男性)の声が聞こえてきそうです。まあ冗談は別にして、考察をつづけます。

最近興味あるニュースが報道されました。 Miss Malaysia Petite 1997(背が少し低い応募者を対象にしているのでこういうコンテスト名だそうです)で選出された2人の準優勝者つまり準ミスが、その会場からスランゴール州の宗教庁の役人に逮捕されて連れ去られたのです。

なぜ?でしょう。逮捕された2人はムスリム(イスラム教徒)女性なので、公衆の面前で自身の体を誇示または見せびらかす行為をしたことから、シャリア法(ムスリムだけに施行されるイスラム教の法)に触れたわけです。マレーシアのことですから大胆な水着姿になったとか、非常にセクシーな衣装を身につけたとかではありえません。(筆者は会場にいたわけではありませんから、マレー人女性の好まない水着のコンテストがあったかどうかは知りません)

マレー人はシャリア法の適用を受ける

宗教省係官によるコンテスト優勝者準優勝者逮捕は、人前で肌をさらす水着姿になったいうことではなく、コンテストに参加したこと自体なのです。ここが非常なキーポイントなのです。マレーシアのマレー人は100%ムスリムですからシャリア法の適用を受けます。つまりムスリムとして絶対越えられない線が厳然としてあるわけです。
都会のムスリムのように一見西欧化した者でも公然とイスラム教からはずれたことはできません。すれば宗教警察(庁)の取り締まり対象になるわけです。

スランゴール州首相はこの取り締まりを聞いて、ミスコンテストの運営組識団体はまずシャリア法にあたり、また宗教庁に、していいこといけないことのお伺いをたてなさい、と述べました。

コンテスト運営会社の文句

この後、マレーシアの大手ミスコンテスト組識運営会社の社長が次のような意見と不満を述べてます。
「もしミスコンテストに参加することがイスラムに反するなら、スランンゴール州宗教庁はどうして今まで黙っていて取り締まりをしなかったのか?」 (今回の取りしまりが初めて行われたものらしいことに関して)
スランンゴール州宗教庁が警告もなしにいきなり取り締まったのは、コンテスト団体のみならずコンテスト参加者にもたいへん不公正だ。」
「我々が必要なのは、スランンゴール州宗教庁からの明確なガイドラインです。どんな状況下ならマレー女性がコンテストに参加できるか知らせてほしい。」 (コンテスト組識会社は規則・法にちゃんと従ってることを強調したいらしい)

このスランンゴール州宗教庁によるマレー女性逮捕後、別の運営会社は Miss Malaysia/Hawaiian Tropics コンテストに応募している女性の半数ほどに、応募辞退するよう忠告をあたえたそうです。

ここにもみられる社会の一面

これらをみるとコンテスト会社のもうけだけを考えた発想がみえてきます。そもそもイスラム教の国でミスコンテストがどのような意味を持つかを深く詮索せずに、単にこれまで取り締まりがなかったから今回は解せないとか、規則には従うが、応募者がマレー人を除いたら中国人ばかりになってしまう、のような不満ですね。
よくある、イスラムについて深い議論(教義についてはムスリム間でいつも盛んです)そして表だった反対行動をしない(不可能でしょうが)マレーシア社会の一面ですね。

マレー女性は頭から顔にかけてスカーフをしてるのがたいへん多いのですが、ミスコンテスト参加のマレー女性はどうしてスカーフをまったくしないのでしょう?。(非ムスリムの筆者が、スカーフしろと言ってるわけではありませんよ。念のため)よくわかりませんな。

マレー人社会を眺める

クアラルンプールのような都会でよくみかける若い男女のマレー人やは金持ちマレー人の行動だけを見て、マレーシアのイスラム国であることを軽視している外国人、日本人を含めて、があるのですが、これは改めるべきですね。たとえばカンポンといわれる田舎は都会とは行動慣習の面では大変な差なのです。

マレー人だからなのかそれともムスリムなのかよくわかりませんが、マレー人は我々日本人的感覚からいえばその行動生活面では保守的に感じられます。ですからその保守的なマレー人女性が、どんなであれミスコンテストに応募すること自体きわめて一般的でないことになります。たとえ女性本人が参加したいといっても家族が許さないでしょう。

当然のことながら、ミスコンテストが田舎やマレー人地区で行われることはありえませんし、現実的ではありません。
第一ミスコンテスト自体の参加者が少ないのです。だから常連ばかりなんてことが起こるそうです。
このMiss Malaysia Petite 1997の最終審査参加者は、13人中マレー人はわずか3人だったと新聞は書いてます。
マレー人が多数を占める大学(全国に9つしかありません)でミス何何大学が文化祭のとき選ばれるなんてことはありえないでしょう。

ミスコンテストへのそぼくな疑問

ミスコンテストの結果や経過記事が時々新聞に載りますから(比較的よく報道するのは中国語紙)、その名前や写真を見ると、参加者の多くは華人系とインド系とユーラシアン系それと東マレーシア(ボルネオ島)からの出身者ですね。人口の半分以上をしめるマレー人女性の参加そのものが人口比に比べて少ないのです、参加しても彼女らの職業は圧倒的に都会の職業例えばモデルなどが多い、のに、優勝者はミスマレーシアと名乗り、もてはやされています。

これって本当にミスマレーシアというのでしょうか?マレーシアのマスコミはこういう点を絶対つきませんが(できないからでしょうけど)、筆者は前々から疑問に思ってました。
無邪気にミスコンテストを喜んで眺めてれいればいいのかもしれませんが、ミスコンテストの裏に潜む、多民族イスラム教国家マレーシアの微妙で複雑な事情が隠されていることを、筆者は感じざるをえないのです。

7月12日追記: この件にはいくつかの後日談が続いています。

スランゴール州首相は、「シャリア法によってムスリム女性はコンテストに応募できない、ことを地方自治体はミスコンテスト運営社に説明しなければならない。」

政権与党の女性部門No.1でもある国民統一省大臣は、 「ミスコンテストそのものに同意するわけではないが、参加したムスリム女性が屈辱をうけるような形で逮捕されたのは、女性にとって不公平だ、宗教庁の官吏は彼女らを舞台裏で逮捕することもできたのに」

マラッカ州首相は、「州政府は、ムスリム女性がミスコンテストに参加することを奨励しません。ただコンテストに参加するしないは個人の権利でもあるのだが」

また 「新聞の記事から」の7月11日分にも、これに関するニュースを載せておきましたので、参照してください。

イスラム教国で行われるミスコンテストを単に面白半分でみていると、本質がなかなかみえてきません。ムスリム女性のコンテスト参加を禁止するなどの発言は、為政者がマレーシアを今後どのようなイスラム国にしていくつもりなのか、そしてマレーシア国民がそれをそのまま受け入れていくのか、といった国の根幹思想に結びついているのです。



騒音撒き散らすバイク乗りの服装


クアラルンプールの街をそぞろ歩きにふらつくといろんな光景に出会います。珍しくもないごく見慣れたことばかりですが、時には思いがけないことを発見することもありますから、そんな時は流れ出た汗に感謝します。

騒音に耐えて歩く

筆者は街を歩くのが好きな方ですから今でも時々ふらつきますが、暑いだけならがまんはできますが、自動車バイクの発する騒音、日本の騒音とは比べ物になりませよ、と排気ガスにみまわれて歩くのは正直言ってうんざりしますね。もっとも東南アジアの大都会はどこも似たりよったりですが。

何故マレーシア人はこうも騒音に鈍感なのか、まことに不快且つ興味深い現象です。バイクの排気装置には消音マフラーがついているのかと疑うほどうるさいし、わざとエンジン音を精いっぱいひびかせて走っていきます。こういうライダーは日本だろうとどこだろうといますが、その比率が極端に高いから困るのです。

働き者の警笛

自動車は、最悪のミニバスだけでなく、自家用車であろうと貨物自動車であろうとタクシーであろうと、男ドライバーとか女ドライバーの区別なく、警笛を鳴らしまくります。

多少ゆっくり走ってる前の車に接近してブー、左右に曲がるからビー、信号が青になったからブー、追い越すからビー、駐車場で料金支払いブースが多少でも滞るとブー、深夜にアパートの前にのりつけて上の階に住んでるガールフレンドに合図でビー、道路が渋滞してるから不満の意でブー、ミニバスは同僚のミニバスに会うたび挨拶でビー、1回ブーと鳴らせばすむところをブーブーブーと何回も鳴らす、などなどマレーシアの車の警笛はたいへんな働き者です。

熱帯国はなぜ自動車騒音に鈍感か

こういう運転者の警笛症候群はなにもマレーシアだけではありませんが、”2020年までに先進国入り”を公式スローガンにする国としては、理解に苦しむ風潮です。奇妙なことにこういう自動車騒音垂れ流しは熱帯の国に典型的です。マレーシアよりうるさいインドネシアやタイを(ベトナムもその仲間にはいりましたね)訪れればこの熱帯国騒音不感症候群に同意されるはずです。東南アジアのみならずエジプトやトルコの街の自動車騒音は同じようにひどいのですが、バイクが'極端に少ない分ましかな。

なぜ熱帯の国は自動車の騒音に鈍感か?は一度じっくり文化人類学的に取り組んでみたい問題です。(少し大袈裟ですが)

バイク乗りの上着は前後ろ反対

バイクで思い出しましたが、マレーシアのバイク乗りは長袖のジャケットかジャンパーなどを上着として着ていることが多いのです。早朝や夜間の涼しいときのみならず、暑い日中でもこういう姿のバイク乗りはけっこういるのです。
その理由の一つに、にわか豪雨つまりスコール、に備えてということがあるでしょう。熱帯とはいえ雨にぬれれば寒くなりますからね。ですからスコールがいったん始まると、その豪雨を避けてたくさんのバイク乗りが陸橋の下でしのいでいるのによく出会います。

でその長袖の上着の着かたですが、ほとんどのバイクライダーといっていいほど、上着のそでを腹の方から通す、つまり体の前面から腕を袖にいれてジッパーやボタンのあるほうを背中側にしてしまうのです。ボタンが背中側にいけばボタンを全部閉めたりジッパーを十分に上まで閉じることは当然できませんから、背中の下のほうだけ多少しまっているか、またはまったく後ろを閉じない着付けスタイルになります。

その理由を推測する

マレーシアのライダーはこのスタイルでバイクにのって走るのです、奇妙ですが、全員やればこれがおかしくないことになります。バイク乗りになぜこんな上着の着かたが一般化したのでしょうか? やってるバイク乗りもよく知らないのです。

筆者はあるとき、珍しくも普通に上着を着て走っているバイクライダーをみて気がつきました。上着の背の部分に風がはいって膨らんでいるのです。これがマレーシアのバイク乗りが嫌う原因のようです。みたところ格好悪いし、雨にかかっても背部分が前になってますから、そこから雨の染みるのはボタン部分よりいくぶん少ないでしょうね。 これをさけるためジャケットやジャンパーや長袖シャツを前後ろ(裏表でなく)反対に着ているようです。 おもしろい風潮です。

バイク乗りが体にぴっちりした上着を身につければ、背の部分に風でふくらまないはずです、でも暑い熱帯の国マレーシアで皮ジャンがはやることはありえませんし、一般にマレーシア人はゆったりしたきごちの衣料を好みます。いまでこそ都会の若い女性の間には体にぴっちりした服装をしてるのが増えたのですが、本来熱帯国の服装はふんわりゆったりなのです。

バンコクでは見慣れた光景だった

その昔タイに浸っていた頃(80年代後半)、バンコクではバイク乗りのこの上着逆スタイルはごく見慣れた光景でしたが、その後マレーシアに来てもこの光景に出会い、奇妙な一致に不思議に思ったものです。タイとマレーシアのどちらが先ににはやらせたのでしょうか?

でもこの上着前後ろ逆スタイルはバイク天国であるホーチミンシティー(サイゴン)では以前から全く見られません。ベトナムは同じ熱帯のバイク人口大の国マレーシア・タイとは違うようです。ベトナムにも興味深いバイクや自転車の乗りかたがありますがここではふれません。

上着前後ろ逆は他国でもあるのでしょうか

同じ東南アジア諸国をみると、インドネシアはこのところ訪れてないのでよく覚えてません、フィリピン、カンボジアは知りません、だれか知ってる方掲示板に投稿してくださいね。ミャンマーとラオスはバイク自体がほとんど走ってないから関係ないし、バイク人口がマレーシアよりずっと少ないシンガポールで、こんなスタイルをほとんど見たことがないし。

ふむ、となるとバイク乗りのこの長袖上着前後ろ逆スタイルはマレーシアとタイだけのスタイルなのかな?

7月26日追記

長袖を着るのは転んだ時に怪我をより少なくするためでは、というメールをいただきました。
もちろんその通りでしょうが、そこまで注意しているマレーシアのバイク乗りはずっと少ないのではないでしょうか。
もし安全に対してそこまで気を配れば、車の間をジグザグに走り、赤信号や一方通行を無視するライダーがこんなに多いはずはありません。
人口2千万人の国で交通事故の死者が6千人(96年)を超え、その60%がバイク乗りという数字がこの事実を物語っています。

またフィリピンでも上着逆のバイク乗りはある、とメールをもらいました。
いずれもご意見・情報ありがとうございました。



Redang島を愁える


Redang島は同じ半島東海岸にある Tioman島ほど、日本人にはまだ人気は高くありませんが、青くすきとった水、きれいな珊瑚礁そしてもちろんダイビングスポットとして、マレーシアでは有名な離島です。もっとも、訪れる旅行者の半分以上(ひょっとしたら3分の2くらい)はマレーシア以外の国からのようにみえますが。

Redang島は比較的新しいリゾート地

Redang島はマレーシアでは比較的新しく開発されたリゾートアイランドです。91年にレジャー開発運営で有名なブルジャヤグループが、島にゴルフリゾートホテルを建設したのが本格的リゾートアイランドとしての幕開けでしょう。 そしていまでもこのBerjaya Redang Golf & Country Resortが島の最大リゾートです。当時島一の砂浜であるPasir Panjang にはシャレーと呼べるのは一つしかなかったそうですが、現在は8軒に増えました。

WWWが調査を行う

10個近くの小中の島で構成するこの Redang群島の海は、それ以来じょじょに被害を受けてきたのです。世界自然保護基金(WWFと略す)が調査したところによると、開発が進んだ所では汚染の程度がよりはなはだしいとのことです。この群島は海洋公園に指定され保護されていますが、WWFは排水、ゴミ、油かす、重金属、洗剤によってますます汚染されつつあると報告しています。

さらにリゾートホテルやゴルフ場開発のため削った土を海に捨てたことから、堆積・沈殿の比率は91年に比べて上がっていると、マレーシア農業大学の調査によって明らかにされました。

小さなシャレーも数が増えると問題

調査研究者は、小さな開発であってもその数がたくさんになると一つの大きな(リゾート)開発より、環境に大きな影響を与えることになる、という少しばかり意外な結論に達したのです。いくつかのシャレーが並ぶ Pasir Panjang(海岸)沖のほうが、BerJayaが去年新しく建設した大きなリゾート1軒しかないTeluk Dalam(海岸)沖より、沈殿・堆積がひどいことを発見したからです。
ただし水中に含まれる沈泥や有機物の総量はどちらの海もおなじようなものです。
つまり小さなリゾートホテル(シャレー)が一個所にいくつか集まれば、一つの大規模リゾートにも匹敵する環境への影響を与えるわけです。

WWFは91年以来2、3年おきに調査をRedang群島で行ってきました。このように継続した調査研究が実施されているのはマレーシアでも数少なく、これが束縛からとかれたかのように発展するツーリズムの影響を論ずる時に、貴重な証拠を提供するわけです。

最新の調査によれば、たとえ大規模リゾートが斜面を整地開発後植樹しても、沖の海中に含まれる沈泥や有機物のレベルと堆積・沈殿が、元のレベルに戻ることはほとんどない、のです。これがもちろん珊瑚(礁)に悪影響をおよぼします。海水が少しでも濁ればそれだけ光の浸透が妨げられますから。堆積・沈殿物は珊瑚を窒息に導いたり繁殖を妨げることになりますよね。

島に真の下水処理は存在しない

調査チームの一人である海洋学者は「(Redng島に)真の下水処理設備とよべるものはありません。陸地(つまり島でなく本土)と 同じ処理設備を使っているが、島のような敏感な環境下で用いるのは不適です。」と言っています。
島の2大リゾートは下水処理施設を備え、Paisr Panjang の全シャレーは下水腐敗タンクを使っていますが、これらの下水処理方法が不完全であることが、91年以来下水処理量の増加に伴って、下水汚染を特に深刻な問題にしてることにつながります。

この下水腐敗タンクは正しく設置され且つ維持されないと、汚水が地中に染み出し、全シャレーが依存している地下水を汚染します、と調査者は警告しています。さらに悪いことに、いっぱいになった下水腐敗タンクはそのまま放置されているそうです。大雨になればそこからあふれだして海に流れ出すこともありえます。

現在のところ海洋生物組識に深刻な影響は検出されてませんが、調査は下水汚染がいつかは海洋連鎖組識に何らかの影響を与えて変えてしまうことを懸念させます。

珊瑚礁を破壊するのは人間

Redang島の珊瑚礁は、半島部で最も広大で種類の多い珊瑚礁の一つとして有名ですが、ゆっくりとそれが失われつつあるのです。たとえばRedang島の近くのPulau Pinang(ペナンではありませんよ)やTeluk Dalam海岸ではボートの碇で珊瑚が破壊されました。海洋公園の規則で、すべてのボートは碇でなくブイに係留するよう決められているにもかかわらずです。ダイバーの中には珊瑚を削ってしまうものもあります。これらはすべて人間がやるのですね。

珊瑚の破壊はまだ壊滅的な段階に達していませんから、多くのの珊瑚はまだきれいな海水の中に生きています。ただ河口付近の珊瑚はもう絶命したようです。
なお珊瑚と同じように海洋エコシステムに重要な他の資源、例えば海洋植物、の変化はこの調査では監視されませんでした。

離島の抱えるゴミ処理問題

他の離島と同じくRedang島でも人の出すゴミはおおきな問題です。島のシャレーの多くはゴミを燃やすか埋めてしまうようです。燃えないゴミは船で陸つまり本土へ運ばれます。シャレーの人も認めるように、旅行者が増えれば現在のゴミ処理方法、特に埋めてしまう方法では対処できないのです。

中にはゴミを本土に捨てるべく平底船を雇ったシャレーもありますが、その効果はなかったと言ってます。なんと雇われた平底船のオペレーターはゴミを陸に運んで行く途中、海中に投棄してしまうのです。 あーあ、なんということか、まことにマレーシア的ですな。

これは海の問題だけでなく、工場などに雇われたゴミトラックが、産業ゴミを山野の空き地に投棄するニュースはよく耳に目にしますからね。

しかしゴミ投棄で一番の犯人は島河口付近に住む漁村の住人です。彼らにとって海は巨大なごみ箱以外の何物でもありません。 これRedang島までいかなくてもクアラルンプールやスランゴール州の川沿いにすむ住人に共通してますね。川底が廃棄ゴミで上がるか、ゴミが川幅を狭めてしまっているのをみつけるのは簡単です。

WWF の研究者のいう 「ゴミを海に捨てたり下水を垂れ流せば、それは旅行者にとって目障りだけでなく、健康にも危険です。もちろん珊瑚などの海洋生物にも悪い影響を与えます」ことはあたりまえですよね。
この調査が示唆するのは、一番良いのは、まずゴミを減らす努力をし、でたゴミは陸地(本土)へ運ぶという簡単な結論です。島はその小さな面積と土質からゴミの自己処理には向いていないのです。

植物にも影響を及ぼす

広範囲なこの調査は島の植物にも触れています。旅行者の増加に答えるため、島の陸地部分の植物が犠牲になりました。92年には砂浜の背後地にびっしりと植わっていた植物は、いまではつぎはぎだらけとなってます。
ただ91年から92年にかけて、土地造成のためひどい影響をこうむったゴルフ場付近のマングローブ林は回復したとのことです。

不足する上水供給の解決策

島の上水供給は旅行者の増大につれて、もう一つの大きな問題になりました。4月から8月の最盛期は毎月6000人を超える旅行者が島に渡ってきます。毎年増え続ける旅行者は当然今年も増加が見込まれています。
島の住人は川からと井戸から水を得ています。
BerJaya リゾートは降雨量の少ないことから、貯水池と浄化装置の建設をあきらめました。今は海水の淡水化装置を稼動させているそうです。 Pasir Panjang海岸のシャレーオペレーターは地下水に頼ってます。

そこでトレンガンヌ州政府は今年中に、本土から24Kmものパイプを通して上水を島に供給する計画を決定したのです。しかしこの上水供給が始まると、今度はその十分すぎる水供給が島の規模以上の排水につながる、という結果に結びつき、珊瑚の生息に影響をあたえることになるかもしれないのです。
エコシステムの保持と人の需要を同時に満たすのは本当に難しいですね。

ツーリズムの伸びに対応できない

Redang島の苦悩は、過去7年間適切な管理対処のないところへ、急にツーリズムが台頭し伸びてきたことにつきます。この調査がいうように、最近まで島の開発は、なんらの環境アセスメントやタウン計画上の必要検査を受けることが条件づけられてなかったのです。このためばらばらにシャレーが立ち並ぶように、建築上もインフラ上もばらばらの開発となってしまいました。

島の海岸のうち6個所はまだ開発の手が伸びていません。そのうち3個所はウミガメ産卵浜辺です。そしてそこは、このまま未開発として残るでしょう、ただし州政府が昨年宣した立場、つまりもうこれ以上島の開発は許可しない、という立場に固執しないとだめですが。

しかしながら旅行会社によれば、許可がおりたのでもうすぐPasir Panjang に2軒のリゾートの建設が始まるとのことです。しかも島内の別の海岸であるKalang Lama ではもうすでに開発が始まったのです。

脅威にさらされる島の環境

この調査結果が明らかにしているように、島の動物相と植物相を含めた環境が脅しを受けているのです。開発を制限しなければならないし、もし開発から問題が起こったら島の資源を破壊しないことを確実にし且つツーリズム産業を抑えるべく対処しなければならない、と訴えてます。

マレーシア農業大学の研究者は、関係省庁がこの調査結果にもとづいて開発抑制方針を起草できるはず、との意見をのべ、さらに「私たちは島を発展させるのに陸地と同じようにやってはいけない」
この調査は、州政府だけでなく漁業省や環境省も島の環境を監視しすべての開発プロジェクトが法の枠内であることを確かにするよう、求めています。

これまでもあった調査と勧告

残念なことに、こういう忠告が初めて行われたわけではないことです。島の開発に起因する様々な問題はすでに10年も前に予期されていたのです。漁業省のもとで幾度か調査が行われてきたのですが、それが有効に使われなかったか実施されなかったのです。
他にもマレーシア自然ソサイイエティーと WWFは、Redang島に関する調査報告と提案をそれぞれしてきました。そして今回のWWFの調査で、再度Redang 群島の抱える環境問題を明らかにし、それを訴えています。

終わりに

今回のトピックスは、7月15日付け英語紙 The Starの「脅威にさらされる島」と題する特集記事に全面的にお世話になり、そのなかから3分の2ほど抜き出して訳しておきました。
筆者は環境問題に造詣が深いわけではありませんが、きれいなあのすばらしい Redang島の海と珊瑚を思い出すと、こんな重要な記事を埋もれさせておくわけにはいかない、と感じました。

英語紙に目を通される在住日本人の方でも、このようにびっしりと書かれた面白味のない英文記事を読まれる方は極めて少ないでしょうし、ましてや旅行者としてマレーシアを訪れる方の目にとまることはまずないでしょう。

マレーシアで暮らすものとして、誠に残念ながら、マレーシア人一般の環境保護に対する認識は極めて低い、ことを切実に感じるのです。クアラルンプールなど都会で ”どこでもポイ”ゴミ捨て僻や、トイレをはじめとした公共場所を汚してもたいして気にしない人が、リゾート地へいって急に変わるわけはありません。こういう習慣は都会が都会ならリゾート地を含めた田舎もたいして違わないのです。

Redang の海がいつまでも透明な珊瑚礁の海であり、ダイバーの目的地でもありつづけますように。



隣国との関係− シンガポール編 −


先週はクアラルンプールで, ASEAN(東南アジア諸国連合)の30周記念会議が開かれました。新しく選定したロゴはASEAN 10ですが、加盟見送りになったカンボジアの分が 1足らなくてASEAN 9(カ国)になったわけです。尚マレーシアは発足以来の加盟国です。

一般人のASEANへの関心はどれほど

メディアは一面で取り上げましたが、一般の人の関心はどれほどのものだったでしょうか?
誤解を恐れずにいうと、マレーシア人のASEAN諸国への興味は、旅行先としてまた労働力の供給元としてなら別ですが、それほど高いものとはいえませんし、諸国に対する知識もはっきりいって少ないですね。ただシンガポールに対しては、下記で述べるように例外です。

各民族の興味対象は

華人系マレーシア人には中国・台湾・香港の方がずっと関心の種です。中国語の新聞は精細な中国・台湾報道をしますし、香港スターの話題は連日載せています。無理もありませんね、華人系は2、3世代前に中国から渡ってきたわけですから。

インド系マレーシア人にとってインドは華人系と同じように祖先の住む国です。言語は当然インドの諸言語、そのうちタミール語が主力、を母語(母国語とは違います)にしてます。ですからインド系にとって、インドがやはり大なり小なり興味の範囲であるのは納得の行くところです。。発行部数は極めて少ないもののタミール語紙も2紙あります。また最大発行部数の英語紙 The Starは、量的には少ないですが毎週インドリポートを載せます。

マレー人は、広い意味での同じマレー文化圏に属するインドネシアに深い興味を持っているかといえば、ほとんどもってないというのが筆者の印象ですね。手軽な旅行先としてスマトラ島のメダン、トバ湖は人気ですけどね。

このようにASEANはマレーシアにとって、民族間の心のつながり、知的な興味の対象であるより、政治的なつながり、経済的つながり(マレーシア企業は積極的にASEAN諸国に投資してます)の方が、今のところ重きをしめているように見えます。

マレーシアの隣国はいくつ

ASEANのなかでもマレーシアの隣国といえば、まず南のシンガポールと北のタイ、そしてマラッカ海峡をはさんで対峙するスマトラ島つまりインドネシアですね。インドネシアとはボルネオ島で長い国境を接しています。
ボルネオ島ではマレーシアが囲むように接しているブルネイも隣国です。さらにサバ州と特に関係の深い、スルー海を隔てたフィリピンも隣国と考えられますね。

一番のお隣シンガポール

さてこの5カ国のなかでもはじめの3カ国とは特に関係が深いでしょう。シンガポールは一時期(63年のマレーシア連邦結成から 65年の連邦離脱まで)マレーシアの一部でしたから、今でも沢山のシンガポール国籍でマレーシア永住権をもった人がすんでいます。法律上2重国籍は許されていません。
もちろんシンガポールには、マレーシア国籍でシンガポール永住権を持った人もたくさんいるはずです。

マレーシアとシンガポールの関係は、イギリス植民地時代から常に微妙なそしてもちつもたれずでした。
これらに興味をもたれたら、文庫本にもある東南アジア史などをひもといてください。

頻繁な人、資本面の交流

さてその微妙な関係は現代まで続き、マレーシアにとってもシンガポールにとっても互いに最重要な貿易国です。貿易面のみならず資本の交流も盛んで、シンガポールはマレーシアへの最大投資国の一つです。」

これが当然ながら人の交流に結びつき、特にジョーホール州からシンガポールへは週末にマレーシアに帰る人をふめれば毎日数万人といわれるぐらい通勤しています。これはマレーシアとシンガポールの間に賃金格差があることから、工場の一般労働者賃金でいえば、両国通貨の交換率より少し上つまりマレーシア1 に対しシンガポール2ぐらいですね。

マレーシア自体が高雇用率つまり殆ど失業問題のない昨今ですが、ジョーホール州のようにシンガポールのすぐとなりなら、賃金の高いシンガポールへ出稼ぎにいくのは無理もないことでしょうね。
シンガポールは労働集約型産業をもう誘致や奨励はしてないのですが、それでもシンガポール人の人手不足を埋める形で、マレーシア人が工場で働いています。 もちろん工場労働者だけでなく、オフィスワーカーや技術者を求める求人広告が連日マレーシアの新聞に掲載されてます。

有名日系シンガポール企業もその例外ではありません。シンガポール企業の求人広告は工場労働者中心ですが、時に意外な求人広告が乗ります。それは警察官、もちろん一般警察官つまり平巡査のみの募集ですが、までマレーシアから募集するとは驚きました。( 「新聞の記事から」にサンプルあり)

シンガポール人の行楽地でもある

シンガポールが学校の長期休暇になると、マレーシア特に南の州ジョーホールやマラッカ州へどっと観光にやってきます。週末に海峡橋コーズウエイをわたってジョーホールバルへ買い物旅行する人もいます。

ガソリンの安いジョーホールで給油してシンガポールへ戻る車を抑制するため、シンガポール政府はシンガポールからマレーシアに入国する車はガソリンタンクをある一定上、何分の一だか忘れましたが、満たしていなければならない、なんてルールを作ってます。まことシンガポールらしいですね。

このようにマレーシアとシンガポールの間は、人・物・資本の交流がきわめて盛んかつ緊密です。

貿易関係からみましょう

96年の総貿易額からいえば、マレーシアにとってシンガポールは日本、米国につぐ3番目の相手国になるのです。輸出面では、シンガポールはマレーシアの総輸出額の20%ほどを占める第一の相手になります。ちなみに日本への輸出は13,4%です。
また輸入面では、シンガポールからは総輸入額の13%ほどをしめます。ちなみに日本からが一番多くて、25%ほども占めています。
この数字からシンガポールはマレーシアにとって非常に大事な貿易相手ということがおわかりでしょう。なお次回にみる対タイ国との貿易は、輸出入とも総額のわずか数パーセントという少なさです。

両国間に時々発生するあつれき

近い関係だとそこに近親憎悪の関係になりがちなのは世界の一般ですから、この2カ国間では時々軋轢が発生します。 ただマレーシアに言わせればほとんどがシンガポール側から投げかけられ、たとえば前首相リー クアン ユーの発言など、マレーシア側から問題を投げかけたことはないという論です。
たしかにこちらから見ているとそう見えますね。

明らかな国家指導方針の違い

上記で近親関係と書きましたが、マレー人多数のイスラム国家の一つであるマレーシアと、華人系が80%近いシンガポールとは、東南アジア的近接さはあるものの、国家指導方針は相当な違いがありますね。
公式方針であるブミプトラ優遇政策を掲げるマレーシアと、3民族平等を掲げるものの実質は華人系が牛耳るシンガポール政界経済界をみるだけでも、その違いはあきらかです。

なにはともあれマレーシアとシンガポールは互いに一番のお隣関係です、増加する人物の交流についていけなくなったこれまでの海峡橋コーズウエイを緩和すべく、現在第二の海峡橋がジョーホールバルの西に建設中です。つい最近この橋がつながったということです(開通はまだ先)から、これによってさらなる交流増加が期待されています。




学校の掃除は外国人にさせよう


小中学校で、生徒に教室やトイレなどを掃除させることを学校教育に取り入れる、と教育大臣が表明したニュースは、当ホームページの 「新聞の記事から」の7月分でごく簡単に載せました。
掃除を通して生徒に健康で衛生的な生活スタイルを奨励していく、というのがその趣旨だそうです。

つまり、”所かまわずゴミをポイ” とか ”汚しても誰かが掃除するだろう” というマレーシア人の公共道徳に関する習慣を直し、公共衛生観念を植え付けていくには、子どもの時から教育していかなければならない、ということに教育相又は教育省がきずいたことだと思うのです。

罰金の看板にも馬耳東風

以前のトピックスでも触れたことがありますが、マレーシア人の一般環境に対する心配りはまことに不十分ですね。高級住宅地や高級コンドミニアムは別にして、筆者の住むような都会の下町や郊外の店舗付き住宅街の裏通りと、屋台街の汚さは、野良猫もよけるほどでは、と思うほどです。

住宅や飲食店からのゴミが雑然と山積みになっている光景は日常茶飯事です。屋台が出したゴミは溝がごみ箱かのように捨てれらまくり、それが排水の流れをふさぎ、道の冠水につながりります、それでも溝へのゴミ捨てを止めないのですから、まただれも屋台の人がゴミを溝に捨てるのをとがめませんから、半分自業自得ですね(そういう筆者も注意しません、ゴミ捨てがあまりにも普通で注意するのが変に見られますから)。

捨ててはいけない所には Denda RM500 (罰金500リンギット)なんて看板が建ててありますが、馬耳東風です。

子どもの場合も似たり寄ったり

一般人が自宅やアパートの周りをきれいに保とうという観念が薄いので、小中学校の周りも五十歩百歩ですね(中は入ったことがありませんので知りません)。排水溝のふたが壊れてそのまんま半年、食べちらかしたビニール袋があちこちに捨ててある、こんな学校は筆者の住むあたりでは極めて普通です。

何よりも残念なのは、生徒が帰宅時物買い食いして食べたゴミを、何ら疑問をもたないかのように、道路や溝にすてていく光景に出会うことです。これはショッピングセンターやバス停などでの人々の行動様式をみていればしごく当然に見えてきますが、生徒の年代からこういう態度では、大人になって急によくなるわけがありませんよね。

向上しないトイレの汚さと古さ

コーヒーハウスと呼ばれる大衆食堂や古びたショッピングセンターとか古い映画館のトイレは、滞在時間を最小にする必要があります。こういう所は”マレーシア人的生活をしている” 筆者がよく出入りするのでまったく割けるわけにはいきません。
また筆者はマレーシア国内を回る時はほとんど長距離バス利用ですから、ほとんどの州で中長距離バスご愛用のドライブインのトイレを使用しました。そしてはっきりいえることは、きれいなトイレはまずありませんでした。

長距離バスで旅すると、バスはなんども道路端のレストランや食事処に立ち寄り、休憩するのですが、そのどこもトイレはどうしてこんなに古ぼけて汚いの、といいたくなります。ただし公団が運営する南北ハイウエーは例外です。

レストランとは名ばかりのドライブインは、バス乗客の使う食事や土産のもうけをトイレ改良に使う頭は、これっぽちもないのですね。乗客もトイレの古さ汚さをたいして気にするのでもなく、こんなものさというただあきらめの境地なのか、それとも汚さへの感度が鈍いためなのか、よくわかりません。

長年世界の発展途上国を旅してきた筆者ですから、汚いトイレ自体には驚きませんが、2020年までに先進国を目指すマレーシアとしてはお粗末だといわねばなりません。

鉄道のトイレはどうかといえば、まあがまんしようという程度ですね。ただ足踏み場が常に濡れているのは、マレー人のトイレ習慣からどうしようもないのもわかりますが。

汚い現場の写真をここでお見せすると、マレーシアの悪態を示すのが目的かのようにとられかねないのでやめますが、かわりに人気新聞漫画家C.W.KEE のカートーンをどうぞ。

左の立て札には 「ゴミを捨てると、罰金500リンギット 」
と書いてあります。
ゴミ捨てにきた車の運転手が 「反対側なら看板はないぞ!」
と命令してます。
いかにも有りそうな光景です。



示唆的な投書の内容

さて長い前口上述べたあと、「カリキュラムの一つとして、生徒が教室トイレ食堂を掃除しなければならない、ということに驚きぞっとした」 という次のような新聞の投書欄に載った投書を紹介しましょう。

「生徒がトイレを掃除したりゴミを捨てるのは、体に影響あるバクテリアに生徒をさらすものであるから、大反対」と上で解説した教育相の声明を批判してます。 批判自体が投書に採用される自体ことはいいのですが、その内容が極めて示唆的なのでもう少し見てましょう。

「学校でメイドや庭掃除人か単純労働者を雇って、もっと職業的な仕事(つまり掃除)をさせたらいい。多くの両親は子どもに、洗濯させるとか床を掃かせるなんてことでさえめったにさせないのに、よりによってトイレ掃除とは! ほとんどの生徒は家でトイレ掃除なんてしたくないし、そんなことをもし学校でしたら、生徒はまごつき混乱してしまうだろう」

投書人名から作者は華人系マレーシア人とわかり、またまず間違いなく都会の中流階級以上でしょう。筆者のこれまで見聞きした経験から、こういう思考方法は珍しいのでなく、かなり多くの中流以上の家庭がこういう思考を抱いているのではと推定します。

ところで、現在日本では小中学校で生徒に教室、トイレなどの掃除をさせなくなったのでしょうか、それとも筆者が子ども時代(1960年代)全国的に当たり前であった、生徒が掃除するという教育方針はまだ存続しているのでしょうか?子どもの世界とほとんど縁のない筆者は知りませんので、どなたか教えてください。

掃除するのは誰

メイドや掃除人を雇って掃除をさせればいい、という発想は日本ではなかなかなじめないでしょう。日本の労働規律安全思想からいえば、工場では自分の職場は自分たちできれいに保とうとうのであり、それが5S運動に現れる工場管理思想の要のひとつでもありますね。マレーシアの工場でこういう思想を実践するのに障害を感じると、日系企業の人からの嘆きをきいたり読んだことがありますし、またありそうですね。

簡単に雇えるメイド

マレーシアの都会ではまことに多くの家庭がきわめて普通にメイド(住み込みお手伝いさん)を雇っています。上流階級はいうまでもなく、そんなに金持ちでなくてもちょっとした家庭、中程度の普通の家庭でも、住み込みのメイドを雇えるのです。メイドはインドネシア人を多数としてフィリピン、スリランカ人などほとんどは外国人です。
この「今週のマレーシア」でときどき触れた外国人労働者の問題、つまりいくら外国から連れてきても需要に満たない、はここに一つの根があるのです。

それでもメイドが足らない

簡単にメイドを雇って掃除洗濯と育児をさせれば、という生活をしている者が、学校のトイレも掃除人にやらせれば、という発想に落ち着くのはたいへんよく理解できます。 きれいに保とうという意識の薄いマレーシアのトイレですから、「バクテリアに生徒をさらすものだ」 というのはわかります。

これは鶏が先か卵が先かという議論ではなく、汚いのは掃除しきれいに保つことが先であり、その後で足らない所を外部の人に委託するというところでしょう。
しかしこういう投書人のような発想の持ち主は、炊事洗濯掃除を自分でやるのでなく、賃金の低い外国労働者に仕事させ、それが足らないのは政府が悪い、もっと外国人単純労働者を雇用しやすくさせろ、という風になりがちです。

外国人労働者雇用安易かの声

これは、マレーシアの中小企業主がよく唱える意見と同根です。自分たちの工場現場の労働安全環境を全く改善せずまた低賃金のままにしておいて、マレーシア人がまったく集まらないから、外国人労働者雇用をもっと容易にして欲しいと、声だかに叫んでいます。外国人労働者の比率が9割を超える建設業、ビル清掃業、5割を超えるかとおもえるガソリンスタンドなど、外国人依存産業はたくさんあります。
人口2千万のマレーシアは本質的に人手不足なるのでしょうか、それとも構造的なものでしょうか?

炊事洗濯そして育児までもメイドにさせておいて、メイドの質が悪いとかすぐやめてしまう、といった雇用者の不満がいつも聞こえてきますが、これどこかでボタンをかけ違えていませんか?
自分たちの住むアパートや働くビルを汚しておいて、掃除人が不足だのサボってるといった文句もあります。これもボタンをかけ違えてていますね。

他の発展途上国からマレーシアを目指す

マレーシアは一般に、発展途上国に分類されてますが、他の発展途上国から砂糖に群がるアリのごとく、次から次へと違法合法を問わず外国人労働者が、マレーシアをめざしてやって来ます。
そのためマレーシアは自国の労働構造改革を真剣に検討するまえに、安易に外国人労働者に依存する体制をつくってしまったのです。19世紀後半から20世紀前半にかけて中国とインドから錫鉱山・プランテーション農園用に労働者を移住させた歴史を、また違った方法で繰り返してるかのようです。

かってクーリー(裸一貫の労働者)としてマレー半島に渡ってきた中国人の子孫が、今度はバングラデシュ人やインドネシア人をチープレーバー(安労働力)としてあごで使っているのです。歴史とはこんなものですかね。

メイドを雇う原因はどこにある

メイドを家庭で使う理由では、夫婦共稼ぎだから子どもの面倒や家事ができないとか、都会では3世代同居が少なくなって子どもの面倒をみてくれる祖父母がいない、という一見納得の行く理由が上位を占めています。

これは経済が発展して、村社会から都会社会に転換する国ならどこでも遭遇する問題でしょう。日本や西欧ならこれを社会構造の変換ととらえて、政府を始めとした公共自治体、時には私企業も関与して、が中心となって保育所なり幼稚園を完備し、子どもにも安全な環境(交通事故や誘拐のない)をつくっていく努力をしてきたのですが、マレーシアの場合はいささか違っており、この解決を各家庭にまかせてきたのです。

家事ができないのは、夫婦間の協力不足であり、子どもを預かってくれる保育所が完備してないのは公の投資不足であり、この問題に真剣に取り組まずに、手っ取り早い適度に安価な移入労働力に頼ってしまうのです。そしてその安価な労働力が比較的簡単に手に入るのです。ここが日本や西欧と決定的に違います。

政府も奨励する家族集団主義

マレー社会は本来のカンポン的大家族的風潮を残しており、政府も西欧の夫婦個人主義とは違った、家族集団主義を奨励していますから、問題を家族に預けてしまいがちです。華人系は都会人口が多いし、所得が他のマレーシア構成民族より高いことから、メイド雇用の率が高いのです。彼らは家庭の中に他の民族を住まわすことに、日本人ほど抵抗感がないことも一因でしょう。もっともウサギ小屋ではどうしようもありませんが。

マレーシアの外国人労働者依存率は労働人口の5分の1近いでしょうから、メイドや掃除人はその典型的な例です。これほど外国人に依存すると、それが当たり前になってしまい、この投書人のような発想が大手をふって歩き出してくるのでしょうね。

8月6日追記

偶然にもこのトピックスをアップロードした翌日(8月4日)の新聞が、大きな見出しでマハティール首相が”ゴミポイ捨て人” を批判したニュースを伝えていました。これはマレーシア訪問していたパキスタン首相が、クアラルンプール第一の中心ブキットビンタン街を歩いたとき、たくさんのゴミが散らばってるのを見た件で、マハティール首相は恥ずかしく思ったと述べ、さらに「ゴミポイ捨て人に対しては厳しい処置を与えるべきだ」

なお続報は時々「新聞の記事から」 で扱っています



数字で見たマレーシア、その2


マレーシア社会を考えていると、やっぱり基本的な数字はある程度知っておく必要がありますね。
そこで今週はその2回目です。尚1回目は 1月から3月分 に載っています。

現在の通貨交換率

マレーシア経済は、今年も8%前後の伸びを維持する、という期待通りに推移しています。
今年前半のタイ通貨バーツの下落に引きずられて、6、7月はマレーシア通貨も狙われたようで少し下落しました。がここへ来て戻し、8月8日現在 100円を交換してRM2.17 ほど得ます、つまり1リンギットは46円です。

マレーシア人の所得額

一人当たりの年間収入額(労働人口だけを対象にしてるはずです)は、90年はRM6、229 でしたが、96年にはRM11,234 に上がりました。だいたい倍になったのです。

これを家庭の面からみますと、1世帯あたり毎月の平均収入は90年にRM1,167 でしたが、95年(96年の数字がありません)にはRM2,007 と伸びています。年率に直せば9.5%ほどです。
同時期における都会と田舎の世帯間での伸び率の違いは、8.3% と5.3% とやはり都会が上回ってます。

収入額だけをみてもインフレがそれを上回るスピードですすめば,実質の伸びは帳消しです。そこで年消費者物価上昇率をみると、91年と 92年はいくらか 4%を越しましたが、以後はずっと4%と3%の間です。

銀行預金は高金利

マレーシアは高金利政策をとっていますので、銀行預金の利率は高いのです。96年より幾分上昇して、普通預金でも今年はだいたい4%をわずかに超えてます。3ヶ月の定期預金なら諸銀行の平均で7%を上回ります。

参考までに、マレーシアには36の銀行があり1569の支店があるそうですが、ATM現金自動引き出し機はわずか3000台弱(この数字はファイナンス会社を含めて)なので、1行あたり2台にも満たない状況です、なかにはまだATMを設置してない支店もあるようです。

識字率と読書率

国立図書館が22000人に対して行った96年の調査結果が明らかにされました。
教育大臣が発表した識字率は93%、その内訳は男が高くて96%女が91%、ただし実際に読むことをする率は87%、男は90%女は83%、だそうです。、これは91年に実施された人口調査時の推定識字率85%よりもずっと向上しています。
しかし国連の97年発表(95年のUNESCOリポート)ではずっと低い83%となっているので、文部大臣はそれは違うと言ってます。(文盲率がマレーシアより低いのはタイ、シンガポール、ベトナムなど、同じぐらいの文盲率はインドネシアとなっている)

また国民の8割は新聞を毎日読むが、平均してわずか4分、国民の半分は本を読むが年わずか2冊です(これはあらゆる種類の本でしょう)。
実際に読むと答えた人のうち、何を読むかの問いには、新聞を読むが一番高くて79%、ついで本をが52%、雑誌をが47%、漫画となると32%です。

尚国立図書館の調査によれば、識字できないつまり文盲層は、マレーシアが混沌としていた時代に初頭教育を受けるはずであった55歳以上の年代です。事実10−14歳では100%、しかし64歳以上では60%ほどです。
ここには直接関係ないですが、最近のインターネト調査によると、マレーシアのユーザーは他の国に比べて年齢層が若く、全体の 3分の1が25歳以下です。

この数字を見て筆者の実感からいえば、マレーシア人の読書率は、本であれ雑誌であれ、とても日本の比ではないように見えます。例えば筆者はバス、電車、LRTとよく公共交通機関を利用しますが、車中で新聞類を広げる人は大変少ないのです。まして書籍を読んでる人はまれです。もちろんゆれが多いとか車中は狭いとかの理由はあるにしてもです。
マレーシア人が比較的良く読むのはやっぱり新聞でしょう。これだとコーヒーハウスなどで新聞を広げてる光景をよく目にします。子どもや若者が漫画を読んでるのもよく見かけます。

書籍に費やす費用

書籍新聞に費やす費用をみましょう。平均的家庭では一月にRM45 を新聞に、RM17を雑誌に、本にRM39、漫画にRM20だそうです。合計すると漫画を除いてもRM100を超えます。上記でふれました1世帯あたりの毎月所得の約6%を新聞書籍に使ってるわけです。

これは日本に比べてどうなんでしょう。
日本の平均世帯所得で月40万として、新聞書籍類に5%で2万円、35万として1万7千円ほどか、世界でも有数の出版大国日本で毎月所得の5%を新聞書籍に使ってるのでしょうか、手元に数字がないのが残念です。

ただマレーシアの書籍出版状況、書店の数、新聞の数を考慮にいれると、この数字毎月RM120は、筆者には少しばかり信じられない数字です。

少ない書店、貧弱な書籍類

参考までにマレーシアの書店事情をみると、はっきりいえるのは書店の数が少ないということです。(日本で言う)大規模書店は問題外として(現在ランカウイで一つ準備中)、中規模書店でさえ首都KL一帯にあわせても10店舗を超えないでしょう。それなら小規模本屋さんはどうかというと、これがまた寂しい本揃えで雑誌新聞中心です。他に雑貨といっしょに新聞雑誌を売るキオスクがあります。

ほとんどの本屋・書店は生徒向けの学習参考書などが面積をとっており、一般向けの書籍は、英語書籍なら英米からの輸入書籍に、中国語書籍なら中国台湾輸入に相当程度頼っているのが現状です。マレーシア語の書籍は英語書籍ほど種類がないのです。

本雑誌の量と種類が少ないから読む人が少ないのか、読む人が少ないので本雑誌の量も種類も少ないのかな。これを考えるには、日本西欧の概念とは違う ”マレーシア流出版の自由”を頭に入れておかなければなりません。

自動車生産国としての数字

マレーシアは東南アジア唯一の自動車国産国です。ノックダウンや技術強力で車を生産している国はいくつかあっても、国産自動車生産国と言う段階はマレーシアだけです

好調な経済発展を示すように、今年前半期の乗用自動車販売台数(自家用、商用を含めて)は、昨年同期に比べて 23%増加の 192千台 でした。
そのうちプロトン社中心の国産車は118千台で、総販売台数の約6割占めています。なおプロトングループだけだと、90千台つまり全体の45%ですね。非自家用車つまり商用車部門等では国産車の比率は低いのですが、自家用車だけに絞れば、プロトン車は実に6割以上を占める超人気車になります。

マレーシアの日本に関する数字

日本にとってマレーシアは、総投資額からいうとアジアで確か5番目ほどに位置しますから、多くの日本企業が現地に合弁企業・子会社・支店などを持っています。JETRO によると現在1378社になります。

最後に在マレーシア日本人はどれぐらいいるのでしょうか?これは誰も正確にはわかりませんが、一番目安になるのは日本大使館がつかんでいる数でしょう。そこで日本大使館に掲示されていた表から示します。

96年10月の時点で、マレーシア全土で11、100人あまり、 内一番多いのは7割近くも占めるクアラルンプール及びスランゴール州の7、347人、ついでペナン州の1、341人、3番目がジョーホール州で950人です。やはりKL周辺が絶対的多数ですね。筆者もその一人ですよ。

この数は日本大使館に在留届けを出した日本人の数ですから、届けを出さない人も当然いることを考えれば、上記より実数は多くなりますね。そうするとマレーシアに中長期滞在している日本人は、1万何千人かというところでしょう。それでもシンガポール、タイより少ないですね。



隣国との関係− タイ編−


タイはマレーシアの北で国境を何百キロも接していますから、当然昔から国境付近の両国住民の交流は盛んだったことでしょう。現在でもPadang Besar では、タイから労働者がマレーシアに毎日通勤しているのを見ましたし、東海岸の国境 Rantau Panjangでもそういう国越境通勤はありそうです。その他旅行者用でない国境検問所もいくつかあり,小規模国境貿易は盛んです。

国境密貿易

その極端な例(悪い例というべきですが)は密輸です。麻薬類は当然として、マレーシアで盗んだ車をタイへまたその反対にタイからマレーシアへ、そして最近盛んなのはシンジケートによる人のマレーシアへの密輸つまりバングラデシュ人やミャンマー人をタイ経由で違法入国させるのです。マレーシアの外国人労働者不足に対応するルートが国境のジャングルにあると、出入国管理局(イミグレーション)の幹部の発言が新聞記事にありました。

タイ南部に根づくムスリムコミュニティー

人の交流面からいえば、タイ南部四州はムスリムの非常に多い地域ですから、この面からの交流もあるそうです。

ところで、タイは仏教の国だと思こんでいる人がほとんどではないでしょうか? 日本のタイガイドブックは ”タイは微笑みと仏教の国” のような紹介がほとんどですし、タイ好きもハジャイあたりとプーケット、コーサムイなどのリゾート島を除けば南部にそれほど興味なさそうですから、またタイ政府観光局でさえもパンフレット類は南部ムスリムの存在を積極的に扱っていません。ですから一般の観光客が知らないのも無理ありませんね。

タイ南部をふらついてみればモスクの多いことに気がつきますし、マレーシア語だって時には聞こえてきます。参考までに、このため5、6年前筆者は、それまで持っていたタイの知識を変えなければない経験をしました。

マレーシア北部に散らばるタイ民族のコミュニティー

中世は国境の概念が現代とは当然違いますから、イスラム教がマレー半島に伝来しそれがタイマレーシアの国境を越えてタイ南部に広まったのです。それが現代まで続き南部タイにムスリム社会が居着いたわけです。マレーシアの北の州クランタンやペルリスには、タイ側にムスリムの親戚がある家族もけっこうあるようで、それが企業活動とは違った、人の自然な交流となります。
クランタン州の漁村などでは、ボートで国境を越えてタイ側の町へ買い物、親戚訪問などに行くそうです。

クランタン州のスルタン(イスラム教守護者を務める州の王族)はタイの王室と関係が深い、となにかで読みましたが、むべなるかなクランタ州のスルタンはいまでも州政治に大きな影響力をもっています。

マレーシア人がタイ南部に親戚をもっているように、マレーシアの北部州にはタイ人のコミュニティーがあります。
例えば、ぺラッ州の北部でタイ国境に接する町 Pengkalan Hulu に、州最大のタイ民族系マレーシア人のコミュニティーがあります。1200人ほどのこのタイコミュニティーはその起源を300年ほどさか上るそうで、今でも仏教寺(ワット)を中心としたタイ民族の風習・文化の維持に務めているそうです。

つまり人の交流は現代とは違った面で、昔から国境をこえて広がっていたわけです。

交流というと変ですが、50年代60年代両国政府特にマレーシア政府を悩ましたマラヤ共産党は、国境付近のジャングル山岳地帯を根拠地にして、マレーシア北部に出没していました。

マレーシア人に人気のタイ旅行

マレーシア人が訪れる外国中でも、シンガポールにはまったくかないませんが、年間95万人が訪れるのですから、タイはもちろん人気です(タイが受け入れる外国人中、一番おおいのではないでしょうか)。ただ国境を歩いても越えられますから、当然というか、別に驚く数字ではありません。

なかでも南部タイのハジャイは、マレーシア人にとって南のシンガポールとならぶ、気楽に陸路訪れる旅行先です。ペナンからだったら車で数時間で着きますし、クアラルンプールからも毎日ハジャイ行のバスが何本も出ています。もちろん飛行機直行便だってあります。手軽なレジャー兼買い物地ですね。ハジャイの町の店やホテルではマレーシア語や中国語諸語がけっこう通じます、つまりそれだけマレーシアの観光客が多い証拠です。

旅先以外は低いタイへの関心

さて観光はさておき、人の興味の面ではどうでしょうか.これは低いですね。マレーシア人がタイに抱くイメージは仏教国、労働者移入、リゾートプーケット、買い物ハジャイ、それともちろん歓楽バンコクそんなところでしょうか、タイの文化に興味ある人に筆者は出会ったことがありませんし、工業面でタイと共同開発とかはシンガポールの企業との協力に比べればずっと低いのです。

筆者はマレーシアの新聞にでるタイの記事に気をつけているのですが、内閣の交代などの政治のゆれなどはもちろん報道されますが、それを特別に論評するようなことはまれですね。記事として一番多いのはやっぱり旅先としてのタイです、バンコク、パタヤ、プーケット、ハジャイとソンクラー、そしてチェンマイ ぐらいでしょう、観光地タイばかりですね。

タイ語を習うところがない

言語面から見てみましょう。尚マレーシア語とタイ語は違った系統です。
タイ語を習うなんてマレーシア人はまったく興味を示しません、クアラルンプールでタイ語を教えている学校はわずか数校、それも実際クラスが開かれているのかはっきりしない程度です(マラヤ大学など大学の公開講座にはタイ語コースがある)。

最近日本特に東京で、タイ語を教える学校をみつけるのは簡単になりましたし、何種類もの自習タイ語教本が書店の書棚を飾っていますが、マレーシアではまったく違います。第一タイ語を教える自習書籍は1冊も出版されていません。マレーシア語−タイ語辞典も出版されてません(大学内ではあるかもしれませんが、一般書店には皆無)から、タイ−マレーシア語は英米で出版された英−タイ辞典を使わざるをえません。又は中国・台湾発刊のタイ−中国語辞典ですね。

隣国の言語の辞典が出版されない、つまり需要も研究者も十分にないからです、のは誠にさびしいことです。
マレーシア独自であるのはマレーシア語−タイ語−英語 の薄っぺらな単語集だけですね。両国間の交流がどういう面にかたよっているかを叙述にしめす一面です。
あらゆる面で盛んな日韓関係と比べてください。

タイ人もマレーシアへの関心は低い

でもこの関係、タイから見たマレーシアもそれほど変わらないようです。筆者がバンコクを訪れてタイ人とおしゃべりして(タイ語で)、「ジャーク マレーシアー( マレーシアからきました)」 とか「 ポム ペン コン マレーシアー(私はマレーシア人です)」などといってもタイ人はほとんど興味を示さないし、第一マレーシアへ行ったことがない者ばかりです。

マレーシアを訪れる外国人観光客のなかで、タイ人はシンガポール人についで第二番目に多く、年間 60数万人ですが、その数のなかには、国境を毎日行き来している国境付近の住民・商人が相当含まれているはずです。
人口6千万人のタイからの観光客が、人口3百万のシンガポールからの訪問客数よりずっと下回る事情から考えても、一般タイ人でマレーシアへ行ったことのある人の比率は、南部タイを除けば、シンガポールに比べてずっとずっと低いのです。

だからバンコクでマレーシアの話をしてもほとんど興味をもたれません。ましてやタイの北へいけばなお更です。
余談ですが、普通タイ人は「ポン ペン コンジープン(私は日本人です)」 といえばまあ興味を示すのです(以前はそうでしたが、今ではどうかな?)

意外に少ない相互貿易額

貿易面からみると、対タイ貿易はマレーシアの総輸入輸出額のそれぞれわずか数パーセントです。マレーシアにとってタイへ輸出/タイから輸入とも、それぞれ上位10番以内に入っているかいないといったところでしょう。

タイから輸入でまず普通の人の目に付くのは果物特にドリアン、ランブターン、マンゴなどでしょう、また魚介類もタイからたくさんはいってるそうです。そして衣料類です。ですからタイからの輸入品はマレーシア人の身近にあるのですが、しかし額からいえば工業製品と違ってそれほど高額になりませんから、輸入統計では上位にいかないのです。

カンボジアやベトナムやミャンマーに積極的に投資してるマレーシアの大企業も、タイにはそれほど積極的でないように思えます、事実筆者はどの企業グループがタイに投資してるか頭に浮かんでこないのです。
尚今政府は、マレーシア北部、タイ南部、インドネシアのスマトラ島の3カ国を結んだ ”北部発展三角地帯" という経済発展計画を唱えています。

マレーシア人の身近にあるタイ

クアラルンプールでは90年以降タイレストランがいくつも増えました。高級から中級と選択がいろいろできるようになったのは、クアラルンプール中流階級が増えただけでなく、メニューの豊富なタイ料理がマレーシア人に受け入れられている証拠ですね。
もっとも昔からタイの屋台の味はマレーシアの屋台で一般化してます。トムヤムスープです。またインスタントラーメンも、トムヤムスープ味がスーパーでは何種類も売られてます。

こうみるとマレーシアにとってタイはかなり身近な存在です、買い物旅行の地、ホリデーの地といった面ではシンガポールと並ぶ、いや値段が安い分だけもっと身近かもしれませんが、貿易額の面ではいうまでもなく、文化交流と、ムスリム間の交流を除いた人的交流では、シンガポールの後塵を拝しています。

言語と宗教が壁なのか、歴史的因縁なのか、タイとマレーシア両国関係の歴史・文化をしっかり勉強してないので、筆者にはよくわかりませんな。



持ち帰り食文化大繁栄

はじめに
今回でちょうど50トピックス目。そこでいかにもマレーシアらしく且つなじみやすい題材を選んでみました。

日本の持ち帰り食の風景

マクドナルドやロッテリアのようなファーストフードの店だと、正確なあいさつ言葉は忘れましたが、「いらっしゃいませ、お召し上がりですか、お持ち帰りですか」 と尋ねられますよね。この際いかにも日本らしくにっこり笑って尋ねてきますが、文化の違いから、こういう事をマレーシアで期待してもがっかりするだけですから、最初から期待しない方がいいでしょう。
只たんに take away or eat here になります。コミュニケーションとしてはこちらの方が手っ取り早くて筆者は好きですな。いちいちいらっしゃいませなんて言葉は耳障りですから。

ファーストフード文化は、日本でハンバーガーなどを持ち帰る風潮を広めたのだと思うのですが、それ以外にも日本の都会には持ち帰り弁当があります。オフィス街などではランチ時にお弁当をパックつめにして売ってますね。これも持ち帰り食文化です。でもこれは最初から弁当として売っているのであって、店の中ではそれように特別に詰めたりあらかじめ料理してあるのですから、後述するようにマレーシアの持ち帰り食とはちょっと違います。

夕方商店街の店店で焼き鳥やコロッケ、サラダのパックにしたりパック詰めてを買って帰る OL、サラリーマンをみるとこの食の持ち帰りはずいぶん普及しているなと感じます。

スーパーマーケットに惣菜売り場はなし

さて皆さんご存知の日本の持ち帰り食文化をわざわざ書いたのは、マレーシアとの違いをはっきりさせるためなのです。マレーシアでは持ち帰り食文化は日本よりもっと盛んなのです。もちろんファーストフードの店、マクドナルドとケンタッキーフライドチキンがその両横綱ですが、は日本と変わらず、店内と持ち帰りの2種があります。

スーパーマーケットでは、極一部をのぞけば、パック詰めの惣菜などはまったく売られていません。独身者や小家族主婦向けに小さなパックのサラダなんてマレーシアにはないのです。ランチ時に一部オフィス街でマレー料理の弁当が路上の屋台で売られてますが、これはあまり一般的ではありません。これもできあがりの弁当タイプでなく、自分の好きなおかずを詰めてもらうやり方です。

ナイロン袋に入れて持ち帰る麺類

それではマレーシアの(もちろん都会での)食の持ち帰りは日本と比べてどこがユニークなのでしょうか。コーヒーショップと呼ばれる大衆食堂では、昼飯時にその店内で食べる人に匹敵すると思えるくらいの人が昼飯を持ち帰るのです。ご飯だけでなくて麺類もです。えー、麺類も持ち帰るのどうやって?
マレーシア生活を体験されたことのない方に説明しましょう。

麺類は茹でた麺を一つの透明ナイロン袋に入れ、具を別のナイロン袋にいれそれぞれ口を輪ゴムなり紐でしばりお客に手渡します。マレーシア人の好きなチリ辛しも,小さな透明ナイロン袋に入れてつけてくれます。値段は店内で食べるのとまったく同じです。持ち帰り用に特別に麺を茹でたわけではありません。

持ち帰り食は店内食と同じ

ご飯ものなら今は白い発砲スチロールの容器が一般的になり、その中に詰めて、それを色のついた薄いビニール袋に入れます。
ご飯もので多いのは、白飯におかずを自分の好きな種類だけ選べる経済飯と呼ばれるものか、鶏飯(チキンライスと言われるが日本のチキンライスとは全く違う)です。これも店内と同価格、同じ料理品です。
つまりどの飯類、麺類をとっても店内料理と持ち帰り料理に区別はなくて、注文する時に 店で食べるか持ち帰るかの区別を言うだけです。もちろん椅子にすわっていて注文すれば”店内で食べる”意味です。

持ち帰りの注文は華人系料理の店なら打包(ターパウと広東語でいいます)、店内で食べることを強調するなら食(シック、これは広東語の発音がKL・PJの中国人社会では一般的ですから)とだけ言えばいいのであり、もちろん英語で Take Away といってもいいですが、一部地域をのぞけばそれほどこういう人は多くありません。

マレー人はこういう華人系の料理は食べてはいけませんから(ムスリムが食べていい料理をハラルという)マレー人は絶対に来ませんが、マレーシア語をこういう店で使うことがけっこうあるのです、なぜなら下働き人としてインドネシア人がたくさん働いているからです。

Bungkus 文化

マレー料理の大衆食堂または屋台なら Bungkus? Makankah?(包むの?食べていくの?)とぶっきらぼうに聞かれるか、自分から Makan sini(ここで食べるよ)とか bawa balik(文字通り、持ち帰るの意)といえばいいのです。 Apakah anda makan di sini ? (お客さんはここで召し上がりますか) なんていう丁寧というか教科書的な言い回しは誰も言いません。

そして Nasi champur つまり白い飯の上に好きなおかずを自分で選んでのせ、テーブルにつくのです。
Bawa balik 又はBungkus、なら、防水加工した紙にご飯をいれてもらいそこにおかずを選んでいれるのです。どういうわけかマレー料理の持ち帰り食はこの防水紙(と新聞)タイプが発砲スチロール容器よりも多いのです。華人系料理での持ち帰りは発砲スチロール容器が多数派ですが。

テーブルについて食べてると、 Minum?(飲み物は?)と店員に尋ねられます。まことに簡単、日本的丁寧さなど全くありませんが、こういう必要最小限の会話スタイルは慣れれば手っ取り早くていいものです。

店員は店先で昼食

ところで、いろんな店やショッピングセンター内の店で働いている店員は、よく昼食などの持ち帰りをします。そしてそれを店のカウンターや売り場の隅時には正面、で食べるのです。別にお客から隠れてたべるのではなくて、きわめて普通に人にみられながら食べるのです。高級なお店ではさすがにやりませんが、大衆的な店ではこの風潮はまだまだ一般的ですから、マレーシアの持ち帰り食文化の一つとみなせます。(こういう光景は東南アジアではごくあたりまえです)

屋台は持ち帰り食文化の発祥地

夜、屋台街では麺類、かゆ類、揚げ物、炒めものなど別にそれぞれ店をだしますが、どんな屋台でも持ち帰り、華人系なら打包、マレー系なら bawa balik、ができます。その場で調理してナイロン袋にいれてくれます。ナイロン袋を10個ほども抱えて帰宅路に付く人もいますし、付近の住宅、アパートから子どもが持ち帰り食を買いに来てます。屋台街は持ち帰り食おおはやりです。

これがあるからスーパーマーケットに惣菜売り場は当分できないでしょうね。

食の持ち帰り文化を考える

では何故こんなにも食の持ち帰るが一般化したのでしょうか.

1番目にマレーシアの食慣習は依然として屋台文化によっているからです。屋台といっても仮設式が多いのですが、そこで食べても持ち帰っても同じように調理しますし、洗い場所と洗い水が充分ないため持ち帰ってくれた方がいい面もあります。そうすれば皿を洗わなくて済むし、第一近くに水道がない屋台が多数です。いくら仮設式でも屋台は屋台ですからね。

店の中に店がある

この屋台が姿を変えた形式が”チャーサット”とか ”Kudai makanan” と呼ばれる冷房のない大衆食堂、(コーヒーショップ/ハウスとも呼ばれる)です。この商売はマレーシア独特で、一軒の大衆食堂の中をオーナーがそれぞれの料理屋さんごとに場所を賃貸しているのです。つまりこのコーナーは豚肉粉麺屋さん、このコーナーは経済飯屋さん、そのコーナーは炒麺屋さん、あのコーナーは鶏飯屋さんなどなど、ときには10をこえる何々屋さんが店のなかに店 を並べてます。
飲み物だけを扱うコーナーは多くの場合オーナーが運営してます。この店の中に店方式は、屋台の店を大衆食堂内に持ち込んだだけで、実際の商売方法は屋外の屋台となんらかわりません。

低い弁当持参率

2つには、自分で弁当を持ってくる人の率が日本に比べてずっと低いことです。もっともこれは都会で昼飯を外で食べる又は持ち帰って食べることがあまりにも普通なので、わざわざ弁当を作ってもって来る必要ないことがその理由でしょう。若い女性が大衆食堂でランチを食べてるのはまったく普通の光景です。もちろん持ち帰る人も多いです。

弁当配達は大変少ない

3番目、配達弁当のような容器を回収し洗って何度も使う生真面目な方法は、マレーシア向きではありません。(なお日系企業向けに日本食弁当配達があります)持ち帰った麺類のナイロン袋は捨てればいいのです。コーラ、コーヒーもナイロン袋に氷をいれストローをさして持ち帰ります、飲みおわった袋は道路端にでも捨てればいいのです。
マレーシア人は面倒なことの大きらいな人たちです。便利さ第一、環境第二。

開けた東南アジアの食文化

4番目、東南アジアは食の文化が極めてオープンです。ヨーロッパのように日曜日や平日の6時には店という店が閉まる、なんてことはありえませんから、早朝から夜遅くまで、日曜から土曜までいつでもどこでも食に簡単にありつけます。これは便利な文化です。
筆者かっては頻繁にヨーロッパを旅したり滞在しましたが、何が一番困るかといえば、安く手軽に食べる所がないことです、日曜や夜は高価なレストランぐらいしか開いてないのだ。でもマレーシアを含めた多くの東南アジアではそんなことありません。感謝 !

マレーシア人は一人親方商売好き

5番目、屋台文化に関連してますが、マレーシア人は一人親方商売(この人たちをPenjajaとか小販といいます)つまり屋台や大衆食堂内にコーナーを借りて食を売る商売が好きです。これはまた小資本で簡単に店開きができますから、飲食店開業の候補はいくらでもいるわけです。
ですからあちこちに屋台又は屋台もどきの店(英語でHawker、マレーシア語でGerai )が開き、そこで勤め人は朝食を持ち帰り、生徒は学校後おやつを食べ、サラリーマンは昼食をとり、夕食は家族で屋台街へなんてことになります。

そんなごく小資本飲食店は当然ながら夫婦親子労働ですが、それを多少上回る規模2、3、4人ぐらいになるとほとんど下働き用に外国人を雇います。つまりインドネシア人を主流としてばバングラデシュ人だのインド人(インド系レストランの場合)を雇うのですが、その理由はそんな低賃金ではなかなかマレーシア人を雇えないからです。今KLやPJあたりでは、大衆食堂だけでなく屋台街でも外国人労働者がいっぱい働いているのです。

この外国人労働者が比較的容易に雇えることから、極小資本飲食店構造に変化をうまず、人手不足を安易に外国人労働者移入にたよるので、極小資本飲食店は減るどころか反対に増え続け、おかげで都会ならどこでも簡単に割安く食べれる、持ち帰れる風潮ができあがったのです。

こんな風潮をマハティール首相は最近こう警告しています。「マレーシア人はボスになりたがる、そして労働者である外国人にたよるのだ。(そんなことしてると)いつか我々は国を失ってしまうぞ」と。
筆者は別にマハティール首相の信奉者ではありませんが、この件については意見がまったく一致しますね。

いずれにしても、いつでもどこでも気軽に食べられ、店内で食べるもよし、持ち帰って家やオフィスで食べるもよし、すばらしい文化ではありませんか。



番外のトピックス (英語文のためおまけのトピックスです)

このコラムは日本人読者のための日本文用ですので、英語で書いたものをここに入れるのは趣旨があいません。新聞に英語の投書をしたのですが、ただ誰の目にも触れずに終わってしまうのは寂しいので、「今週のマレーシア」番外トピックスとしておきます。
興味のある方はお読みください。英語の嫌いな方はとばしてください。

いきさつ

このところマレーシアのインターネット登録者の伸び率が昨年に比べて鈍った(10数パーセント)とのことで、その原因は、インターネットに接続する電話代が高いせいである、昨年一時期適用していた定額制に戻せ という論議が主流を占めています。

マレーシアのダイアルアップ接続料金は大変安く、インターネット専用電話番号(つながりにくいですが)ならプロバイダーに1時間つないで電話代90セント、つまり38円ぐらいです。90セントじゃコーラ1本も買えません。夕刊紙1部が買えるくらいかな。それなのにこの電話代が高いというナンセンスな論議、パソコンの使用者層を増やすのが先ということを忘れた論議、がまかり通ってますので、つい一言いいたくなり、コンピューター新聞(英語紙)に投書しました。

Flat rate is not a solution to increase Net users in Malaysia


Do you really think it is necessary to reduce the Internet access fee or Telecommunication charge? I could not help feeling that the theory was ridiculous when I read the article requesting Telekom to reduce the Internet connection tariff.

The growing rate of Internet user has been recently slow down and that was reported to be mainly caused by the high tariff of Telekom.
Please do not deteriorate further the state of current Internet connection, where frequent interruption of data transmission occur and I have been facing difficulty in connecting with 1511 rather than normal Jaring connection number.

First of all, I have no relation to Telekom nor Mimos, expect that I am a member of both Jaring and TMnet. In general, the less one has to pay, the happier one feels. It is true that most users would welcome the news of flat rate tariff.

However I am not all for this idea, although the telecommunication charge, mostly due to the Internet usage, occupies more than 10% of my monthly income. This is not a wise solution to encourage users to register with Jaring or TMnet.

Look at your surroundings, your home, your office, and your school. How many of your friends or relatives have a PC at their home?
Please forget the uptowns like Bangsar or Damansara and think of your hometown or Kampung in various states. You say Kampung folks do not have PC. OK, Let's say in Klang Valley, how about towns in the outskirts?

Your fellow factory workers, shop assistants, hawker traders, office staff (not Managerial level or IT staffs), housewives, taxi drivers, coffeehouse owners and etc. Among your fellow coworkers or friends in Klang Valley, how many of them possess a PC at their home?

I always find very difficult to make a chatting about Internet with these people mentioned above, because they do not possess a PC at heir home. Without PC how can man connect with WWW?
Without PC or having never used PC how can a housewives talk in their daily conversation?

The low growth rate of Internet users are not simply caused by high tariff of Telecommunication but low rate of PC possessing at their home.You can not expect high growing rate of Internet users when people use PC at home at the rate of merely 5% in Malaysia. The vast majority is still away from PC.

Those who are engaged with IT or strongly interested in computer or college students including higher educated people are considered to be the Internet users. Most of them that are potential members of Internet society are already joined Jairng or TMnet. Therefore the growth rate has been down, If the tariff were decreased much, it could say users would be doubled for a short period because a lot of students would join. I think it is true.

But how about others such as housewives, store keepers, factory workers?
Are they going to apply for a member of Jaring or TMnet? Even Internet usage were free of charge, you can not expect dramatically increase of Internet users.

What I want to stress is that it is critical and important to widen the PC users among various generation and occupations, It is surely not right way to emphasize only Internet users' growth. Before Internet, it needs a PC at home!

As an example that is one of hindrance.
Let's look at a high price of software in Malaysia although hardware, especially Desktop PC has down its price recently. MS Office 97 costs almost RM1400. This discourage normal income users to buy original software. The first time purchaser needs to spend another RM two to three thousand for a few software in addition to a PC.

This is ridiculous price, I give you an example in Japan. MS office 97 (Japanese version of course) can be purchased less than JPY40, 000 (less than RM950) at any PC shop in Japan. Please compare the purchase power of normal people among two countries. The Japanese need to spend JPY700 to 800 (RM17, 9) for a lunch at coffeehouse. It means about 50 lunches are equivalent to the MS Office 97.
In Malaysia one lunch costs RM3 to RM4, how many lunches are necessary to save RM1400 to buy MS Office 97?

I give you another example; a college student does a part time job at McDonalds store at the hourly wage of JPY700 to 800 (RM17 to RM19) and probably gets JPY4, 000 to 5,000. He or she can buy MS Office 97(Japanese version) with 7 or 8days part-time job.
How many days are necessary for a college student to buy MS Office 97 in Malaysia, if he/she does a part-time job at the McDonalds shop?

You may now understand what I mean. It is very critical to reduce the price of not only hardware but also software so that lower income group and students can purchase a PC for their home. This is the essential and one of two ways to increase Internet users in Malaysia. It may take time but there is no choice unless all the TV can easily connect the Internet and people watch WWW just as the same way in watching TV.

Other point I want to stress is the software should be more user friendly. What I am bewildered in Malaysia is that there is no WINDOWS in Bahasa Malaysia, although BM is the only national language. Look at your neighbor country, Korea, they have Korean version of Windows, Taiwan of course has the Chinese Version. Needless to say in Japan. Those countries are technologically advanced than Malaysia although none of them are regarded as English speaking nation.

They create their mother tongue version of Windows so that everybody can use PC including lower educated people. If there were only English Windows, not so many users would not be interested in having PC at home.

In Malaysia, it is true that not everybody are conversant in English, look at ordinary people who normally speak and read in their own mother tongues when they feel more comfortable. I do agree they should use more BM at any time however this is reality that still majority use their mother tongues as their first communication means. When people without strong background of English or IT, they definitely feel difficult in using Windows in which every command, instruction and helps are written in English. Those who normally reads Chinese papers or BM papers only can easily understand those instruction in English on Windows? They also needs to know computer jargons.

It is definitely necessary to provide more user friendly environment to non-English educated people or not-highly educated people, who are majority, in order to widen the users of PC at all levels of the Nation.

I give you example in Japan. A housewife or a middle-aged man who knows merely dozens of English words can brows WWW. They use the Japanese Windows and the Japanese browser of Explorer or Navigator and enjoy hundred thousands of Japanese written homepages, if they want to brows other world, they may buy Internet translation software, which can not correctly translate into Japanese but is considered usable, with a merely a few hundred ringgit.

In Malaysia there is lack of efforts among both public sectors and private sectors so that every generation and every level of educated groups can enjoy PC world, which will eventually lead to the Internet world.

Fellow Malaysians, you must first widen the PC users especially among 20 years or older generation. Internet is not meant for only highly educated young urban folks or students, who read this kind of computer papers or journals.

A Japanese attracted to Malaysia



マルチメディアスーパー回廊って何だろう (前編)

はじめに
明日8月31日はマレーシアのナショナルデー。そこでしゃにむに前進しているマレーシアが、現在もっとも力を入れている国家プロジェクトについて書いてみました。マレーシア独立40周年を祝いつつ。

マルチメディアスーパー回廊、日本語の媒体にあまり目を通さないのでよく知りませんが、おそらく日本でもマレーシアがマスコミに載る時この言葉がよく使われるのではないでしょうか。
マルチメディアスーパー回廊は英語では”Multimedia Super Corridor”、マレーシア語なら ”Koridor Raya Multimedia”、中国語だと 「多媒体超級走廊」 のように記します。ほとんど毎日各言語紙に現れる単語ですが、これだけでは何のことかわからない、でしょうから少しづつ説明していきましょう。

回廊の由来

まずなぜ回廊かといいますと,このマルチメディアスーパー回廊プロジェクトは、クアラルンプールの中心部にほぼできつつあるクアラルンプールシティーセンター(KLCCと呼ばれる)から南東へ長さ50Kmほど幅15Kmほどの地帯に、2.5Gbts から10Mbps の光ケーブルを施設して、その地域をハイテクノロジーを備え応用したマルチメディアのモデル地域にするプロジェクトです。

3つの核になる建設

この回廊内に位置するのが、まず一番先に出来上る97年始め開港予定のクアラルンプール新国際空港(KLIAと呼ばれる、成田空港を新東京国際空港と呼ぶように、クアラルンプールになくてもKLIAと呼ぶ)、2つ目が現在建設中の新行政首都 Putrajaya、なかでも首相官邸は98年末までに出来上る予定、3番目は少し遅れてスタートした科学都市で且つ Putrajayaのツインシティーとも呼ばれる Cyberjayaです。

クアラルンプールからは現在の南北ハイウエーから分岐した形の新ハイウエーが25Kmほど離れPutrajaya と Cyberjayaに、そしてそこからさらに 20数KmはなれたKLIA までつながります。 それとは別に、つい最近発表になった99年末完成予定である、クアラルンプールからKLIAまでの新しい鉄道建設も計画されています。

Putrajayaのあらまし

新行政首都Putrajayaには、近い将来、2000年までには現在クアラルンプールに散らばっている政府の省庁がほとんど全部移ってしまいます。大臣から7千ほどの一般職員、おそらくその家族も含めて、までの大規模な引越しです。全部完成するまで10年ほどかかる超巨額(総額RM240億)計画ですが、その時の規模は30万人を超えないほどと計画されてます。

Putrajaya内の家庭とオフィスはすべて光ケーブルを通して省庁の建物、医療施設、安全センターなどに直接つながり、Putrajaya内での電子商取引にも参加できるようになります。
ここは政府関係のビルばかりでなく、もちろん商業施設と文化施設も同時に建設されており、スポーツレクリエーション施設の付随したインテリジェントなガーデンシティー(総面積4580ヘクタールの3分の1は緑)という概念だそうです。
尚この情報都市のデザインには日本人コンサルタントも加わっています。

アイデアから実現まで超スピード

MSCはその思想をアジアのシリコンバレイにしようということですが、ことの発端は1994年10月にマハティール首相とその友人(?)である大前健一氏の間の会話から生まれたそうです。その約 1年後新行政首都 Putrajaya 建設発表の時、首相が正式にMSCの概念を明らかにしました。アイデアの生誕からこの超巨大プロジェクトの開始までが誠に短いのは、マレーシアだからできることなのでしょう。

Cyberjayaのあらまし

次にPutrajaya のツインシティーである Cyberjaya は”世界的な都市開発”であり”排気排出ゼロ”を宣言しています。つまり市面積の約3分の一が緑である ”緑の軸の周りに集中度の少ない開発” と ”緑地にたつモデルインテリジェントシティー” を約束してます。
この Cyberjayaに、MSCの地位を得た企業が各研究開発センターをおき、またマルチメディア大学も設立されます。
今はまだパームオイル園とゴム園である Cyberjayaはそのゴムの木やパームツリーを本来のジャングル植物に植え替えて、”都会の森” を作り出すそうです。うーん、概念はすばらしいです。こんな緑のなかのモデル都市に住めたらな。でもここに住むのは外国人を含めたハイテクエンジニアや情報技術者ばかりであり、マレーシアの ITユッピー都市になるのかな。

どうやら Cyberjayaと Putrajayaは都市の新中上流階級に成功物語を生みそうです。

ざっと書いてみましたが、筆者も含めてわかったようでわからないようで、まあ完成を待ちましょう。ただはっきりいえるのは、Cyberjayaと Putrajayaはクアラルンプールのようにごちゃごちゃ(そこに魅力もあるのですが)とした街と激しい交通渋滞とはほとんど無縁なことですね。

心配事

マルチメディアスーパー回廊(以下MSCと略す)は外国のハイテク企業に依存する割合が相当大きいことからMSCは外国企業に支配されるのではないか、という心配がついてまわっています。

政府の科学アドヴァイザーを務める科学者が 「すべてを外国人に頼らざるをえないかもしれない。もしマレーシアの企業が外国企業から進んで得ようとしないと、彼らの思うままになってしまう」 と警告してます。
そうならないために 「MSCは世界の会社に対して(マレーシアの会社との)良いパートナーシップをマレーシア政府が提供するのだから、政府は両方の会社が互いに得るところがありかつ成長して欲しい」

このような心配は次の発言にもあらわれます。「(ソフトウエアー開発に関して)我々自身には研究開発を続けていく人的資源が今のところ欠けている」だから「マレーシアは外国からの投資者に、研究開発活動を設立することを奨励している」と科学技術環境担当大臣が述べています。

低いパソコンの普及率

マレーシアの一般家庭のパソコン保有率はまだ5%にも満たないといわれてます。首都圏一帯でも10%ほどだそうです、学校教育でコンピュータを使った訓練・教育は、今のところかけ声だけで実際には始まっていません。(一部金持ち私立校やパイロット校は別でしょうが)

たとえば遠隔地学習をやろうとしても専門家によれば、都会以外では(人々の)コンピューターを使える率自体ががあまりにも低くて、コンピューター使用した訓練・教育などをやれる段階ではない、(世帯への)電話の普及率も著しく悪くインターネットにつなぐこともできない、と本音を述べてます。マレーシア第一のプロバイダー の親会社でもあるMIMOSの幹部がいみじくも語っています。「東海岸のクランタン州とトレンガンヌ州の世帯普及率はミャンマー並みだ。」

アンバランスな発展

Mimosが最近シンガポールの会社に委託したInternet 使用者調査の結果をもとに、その幹部が、「ビジネス社会で今大きな問題になってるのは、ダイヤル接続線の供給が予測つかないことだ、ダイアルアップ接続がTelekom のみによってなされてる、そのことがたとえば専用線をひくのに、所によっては2週間から6ヶ月もかかるのだ」と述べているのは誠に示唆的なことばです。
MSCに向かっている一方、かたや他の地域ではこのような状態がいっこうに解決されてないのです。

ここで筆者の持論をごく簡単に述べますと、東南アジアでは各国間の違いより一つの国内の都市と田舎の違いの方が大きい、ということです。上記の状態はそんな一面ではないでしょうか?

痛烈な批判もあることはある

7月にKLで行われた南南市長会議(南北問題の南という意味)で、貧困軽減と社会の調和に関する国連の地域アドヴァイザーを務めるリム博士が、手に入る価格の家、有効な公共交通機関、医療サービスのようなことは、民営化するのでなく、政府など公的に供与されるべきである事を強調した後、こう発言してます。「あなたたちはさらに多くの資源をハイテクノロジーにさくのですか、それとも人々の基本的な必要なものにですか?」 「政府にはお金がありますが、それはどこへいくのでしょうか、Putrajayaですか?」「 民間企業は豪華な高層建築やヨットハーバーは建設しても、(一般人の)手に入るような住居は建設しない」

いみじくもPutrajayaの幹部が発表した数字は、Putrajaya建設でデヴェロッパーが請け負った67000世帯の住居建設中低所得者向け住宅は10、000だけであると。

これだけの国家プロジェクトとなると、その目指すところがすばらしいものであるだけに、いっそう反対意見はほとんど表に出てこない(出せない?)ものですが、上記のような専門家たちの意見が多少でもMSCを考えるのに役立つのではないでしょうか。

後日 ”マルチメディアスーパー回廊ってなんだろう” の後編をお送りします。



このページの頭に戻る 前のページに戻る