下の Cartoonは マレーシアの英字新聞 The Star のコミック欄で人気ある、 KEE'S WORLD の4月7日分です。マレーシアの主要英語日刊紙はどれも、世界の英字紙として一般的なスタイルである、毎日1又は2ぺーじをコミック専用に割いていますが、残念なことにどれも英米の、もっと適切にいえば多くは米国コミックの、版権を取得してそれを載せているのです。例えば THE SPIDER-MAN, CALVIN AND HOBBES だの,GARFIELD などです。(余談ですが筆者はGARFIELDのファンです)
これらの有名コミックは多くの国々の英字紙で掲載されてますから、マレーシアで読み逃した同じコミックのひとこまが、旅行先の国の英字紙でお目にかかれるなんてことがおこります。
さてその英米コミックにまじって純マレーシアCartoon (漫画と訳すと少し意味が変わりそうなのでそのまま用います)が健闘しているのです。それがこの KEE'S WORLD なのです。作者はマレーシア人の C.W.KEE で、毎日マレーシア時事から題材をとって、いかにもマレーシアらしいタッチで私たち読者をにやりとさせてくれるのです。
会話文はもちろんマレーシア英語ですから、ところどころにマレーシア語や華語がまじります。マレーシア英語になじみのない日本の読者の方々にこの Cartoon を和訳し且つその背景を解説してみましょう。
痩せた方 : 断水が33時間も続いたって! 死んじゃうよ !! ( このところ大クアラルンプール圏のいろんな地区で断水が発生、それも丸一日を超える長さなのでその地区の住民から非難ごうごうというところ、皮肉なことに度々おこる断水批判に担当大臣が「 今後3時間を超える断水はしない」 と声明した直後に、又長時間の断水が発生。その件について言ってる。 最後のせりふ DIE-LAH に注目、これがマレーシア英語です)
太った方 : どうってことないね。( 問題ないねの意。マレーシア人の大変好きなせりふです)
太った方 : 俺は水なんか飲まないからね。( マレーシアでもビールは非常に一般的なアルコール飲料です。Anchor Beer と Carlsburg beer の両社がしのぎを削っています。いずれも現地法人ですが、イスラム国ですからもちろんマレーシア純国産ビール会社はありません。)
マレーシア流の言論出版の自由の中ですから、ストレートな政府批判は絶対に新聞にのりませんが、このKEE'S WORLD 描くcartoon は大変庶民的で、その中にちらりとした皮肉がこめられているところが新聞漫画としてすぐれたものにしているのです。
コミックというとマレーシア語のコミック雑誌に Gila-Gila、 Lawak, Ujian というのがあります。いずれも人気あるらしく、多くの本屋やキオスクにおいてあります。漫画以外は全部マレーシア語ですから、読者はほとんどマレー人でしょう。実際他の華人系だのインド系が読んでるところをめったに見たことがありませんし、華人系が多数を占める地区の本屋には普通おいてありません。
これらのコミック雑誌の中身は、都会や田舎のマレー人の日日の生活を描いた漫画( もちろんストーリー漫画もコマ漫画もある)が中心ですが、せりふはほとんど口語又は俗語マレーシア語なので、多少マレーシア語の心得のある筆者程度の語学力ではたちうちできません。辞書( 現在のところマ日・語彙集しか出版されてない)を開いても、意味が出てない言い回しや語がたいへん多いのです。 でも意味を推量しながら漫画を見るのも、マレー人の生活信条を知るのにたまにはいいものです。
そうマレーシア旅行のおみやげに一冊いかがですか。
どこまでも青い空に白い雲、きれいな砂浜に時折くだける白い波、海の水は水道水のごとく透明、熱帯の国の人里はなれた海辺や離島の海岸はこんなイメージでしょうか。それに加えて、椰子の木陰で日がなのんびりと寝転び、時には珊瑚礁の海へスキューバダイビング、これならもう完全に熱帯の国でのバカンスですね。
そうこんな描写がぴったりの海岸、浜辺はマレーシアにはたくさんあります。ボルネオ島のサバ州サラワク州までいかなくても、半島マレーシアの東海岸沖の南シナ海に点在する島々の浜辺はそんな南国のイメージそのものです。半島マレーシアの西側は、有名なランカウイ島があるものの、特にマラッカ海峡に面した海岸ではもうとても透き通った海は期待できません。西海岸側はマレーシアの工業地帯兼人口密集地帯ですから、もう少し北上してタイ国境をすぎたアンダマン海、プーケット島のある付近、までいかないと上記のイメージはむりですね。
さて東海岸には日本にもよく知られたティオマン島、ルダン島があります。それ以外にももちろん、プルフンティアン島、カパス島、シブ島などダイビングやバカンス向きの島々がいくつかあります。こういう島々で出会う人々は、働くマレーシア人を別にして、ざっとみて3分の2ぐらいはヨーロッパ、オーストラリアからの旅行者です。ですからマレーシアの休暇時期を除けば、砂浜で寝転ぶのはビキニ姿の白人ばかりということになります。
なぜかといいいますと、マレーシア人は一般に安シャレーで何日もすごすなんてことをしません。だいいちマレー人は、女性はもちろんいうまでもなく、男性でもこういう離島で遊ぶのはたいへん少ないですね。マレー人のカップルがたとえこんな所に来ても、水着にならない女性は砂場でぼんやりしてるぐらいしかありませんから無理もありませんね。 華人系はどうかというと、彼らはリゾートやレストランで騒いでるのですが、浜辺で一日中なにもせずにすごすことは苦手です。
文化の違いが生み出す興味深い行動様式の違いです。
筆者はダイバーではありませんが、島からダイビングスポットまでいくボートにのるダイバーを見ていてもその多くは白人ですね。クアラルンプールにはダイビングスクールがいくつかありますが、まだまだマレーシアのダイビング人口は少ないように感じます。
スキューバダイビングといえば珊瑚礁ときっても切れない関係にありますよね。筆者はダイビングをしたことがありませんが、シュノーケリングに魅せられた一人ですから、珊瑚礁のきれいな海にあこがれます。ルダン島やプルフンティアン島へ行けば、珊瑚礁の海で手軽にダイビングやスキューバダイビングが楽しめます。
何メートルも透き通った水中を泳ぐ熱帯魚をシュノーケルごしに眺めるのは、熱帯の海の醍醐味です。昼間の海から戻って、夜はシャレーの椅子に腰掛けて真っ暗な浜辺をぼんやりとながめ、潮騒のおとを聞くのは都会人にとって天国ですね。
その天国がゆっくりと少しずつ、しかし確実に減り始めているのです。筆者は環境問題の専門家ではありませんからはっきりわかりませんが、東海岸の離島へ行くたびに、こんなにたくさんシャレーやリゾート、それにゴルフ場までができて、ゴミや排水が浜辺に影響を及ぼさないかなとか、ダイバーへの監視はしっかりやってるのかな,という疑問を感じてきました。
( この項次に続く)
マレーシア人は、大都市のゴミ散らかし僻をみるまでもなく、環境に対してまだ鈍感ですから、こういう離島だけでゴミ排水処理にきびしく対処してるとはとても思えないのです。小さな島で汚水処理が増えればこれが海の水に流れ出し、その付近の珊瑚礁に影響をあたえるでしょうし、ごみを燃やしてもそのたまった灰はどうなるのでしょうか。
ダイバーが珊瑚を採取してもそれをきびしく監視するパトロールなんてあるのでしょうか
こんな私のシロート危惧があたらなければいいのですが、つい最近の英字紙 Star の「危機に瀕した海底の美」 という特集に下記のような記事がありました。
漁業省がたいへん自慢におもうことに、今日までに国内に38の海洋光園が設定された、ということがあります。しかしながらこれらの海洋公園が珊瑚礁のような海洋資源を守るのにどの程度役立ってきたかと、多くの人が疑問をなげかけています。
それをはばんでいることに、沖合いの海2海里だけが保護されていて、海に包まれた土地は保護されないということがあります。
これが今日の巨大リゾート、ゴルフ場、スパー保養所が珊瑚礁の島に次々と作られたことに結びつくのです。発展とは珊瑚の価値を理解し保護することとは両立しがたいものなのです。
皮肉なことに、漁業省が海洋公園の概念を議論にのせた時、そこでは訪問者はそれらの島々へ単に日帰り旅行するかキャンプするだけを意図されていたのです。
しかし積極的な宣伝が海洋公園を主要旅行目的地へと変換してしまったのです。そこにはちゃんとした経営計画、珊瑚礁保護計画、珊瑚研究計画、レンジャーを増強するといったことが欠けているのです。
こうして珊瑚礁は大陸からの汚染だけでなく島自身内の汚染にもたたかわなければばならないのです。海浜の発展はさらなる沈泥を引き起こし、排水を海に流すのです、旅行者はというとごみの山を後に残したり、珊瑚を傷めたりするわけです。
マレーシア農業大学のイブラヒム博士はこう言ってます。「 州政府が島々のこれ以上の発展計画にはっきりとした不許可をしないかぎり、海と珊瑚礁は汚染に傷つき続けていくでしょう」
マレーシア海洋研究所の分析家であるウオン博士もこう言っています。「海洋保護地域への急激な旅行者の増加が、十分とはいえない知識しか持ち合わせてない公園管理者に、当面する問題に対処せざるをえなくさせているのです。」
公園の管理者たちは、従来は単に自然資源をどうするかだけに責任をもっっていたのですが、いまやツーリズムそのものに対処するすべを習わなくてはならないのです。
漁業省の係官には影響力、特に海洋保護地域内における浮き波止場のような建設や水上スキーなどのスポーツ活動をコントロールする、管理する、そんな権力が明らかに必要とされてます。そういった権力は、準備中である海洋公園に関する規制条項に込められています。
サバ大学のリズワン博士は「 珊瑚礁を脅かす可能性あるものにたいしては、どんな目的であれこれ以上島の公共用地を譲渡してはいけない」と述べています。「 そのかわり島は発展を抑制するべく州立公園として法定化すべきである」
中略
イブラヒム博士は、海洋公園をよりよく管理するためには、州政府を導く島管理プランの必要性を説きます。そのプランは保護、レクリエーション、研究、漁業といったそれぞれの用途にあうべく島自体をゾーン化すべきである。
そういうプランはルダン島にはすでにあるのですが、不幸にもいまだに執行されていません。そのようにゾーン化されないと「 なんでもできる」 ようになってしまう、と。
中略
「適切な管理なく、珊瑚の島々の海域を海洋公園に組み込めば、その結果は珊瑚礁に悲惨な結果を生む単にツーリズムの強調に終わってしまう 」、とイブラヒム博士は述べています。
( 以上は 4月8日付けの The Star 紙より訳出)
専門家の真摯な意見を伝える記事を読むと、筆者のシロート危惧もあながち間違いではなさそうに思えてきます。白い砂浜、透き通った海、無数の熱帯魚の泳ぐ珊瑚礁の島々が、いつまでも私たち都会人の天国であることを願わずにはいられません。
最近筆者はLRT ( 高架電車)やIntrakota バス( 新式の冷房バス)に乗ることが多くなり、以前ほどミニバス利用しなくなりました。というのも筆者の住んでるところはLRT の駅が近いし、Intrakota はミニバスより30セント運賃が高いものの快適ですから。 それでも日曜などに時々ミニバスを利用します。ごく近距離やミニバスしか行ってない所へは他に選択がありませんからね。
ミニバスに乗ってこのところつくづく感じるのは、「 ここは南アジアなの?」 っていうことです。乗客の層が2、3、年前に比べて随分変わったのです。 バングラデシュやインド、パキスタン系とおぼしき人たち、つまり東南アジア人でなく、出稼ぎに来ている南アジア人が実に半数近くを占めているのです。
平日のミニバスは通勤のマレーシア人、通学の生徒や買い物のおばさんたちが多数を占めてます、車を持てない乗れない層が中心ですね、男はバイクで通勤できますが、マレーシアで女性のバイク姿を見かけるのは極めて珍しいですから、乗客は結構女性が多いのです。
で休日のミニバスは様相がいささか変わって外国人、といっても日本人や欧米人ではなく、バイクや車を持てない低所得の外国人労働者が主な利用客になるようです。なぜなら LRTだと距離によって1から2リンギット以上、Intrakota バスでも90セントしますが、ミニバスは一律60セントですから運賃面ではやっぱり魅力てきなのでしょう。彼らも日曜の午後などは仲間と連れ立って繁華街や中心街へ出歩くのでしょうね。
その中心街の一つがKota Raya、セントラルマーケット 付近ですね。(チャイナタウンのすぐ脇です)この一帯は店舗と小規模ビルの密集地区でもあり、近距離バスとミニバス、IntraKota バスの停留所と発着所が集まっており、終日混雑、むしろ喧騒と排気ガスの中で人々がうごめいているといった方が適切でしょう。警笛を絶え間なく鳴らし、エンジンを空フカシして排気ガスを巻き散らかすミニバス、車と車の間を轟音をたててすり抜けて走るバイク、信号など一切無視して道路を横切り路地を歩く人々、狭い歩道をわれ者顔に占領して店をだす物売りの屋台、まあこれが東南アジアの大都市の下町繁華街の見本みたいな所です。
そのこんな喧騒の街にバングラデシュ人を初めとした南アジアの顔がずいぶんと増えだしたのです。東南アジア人の顔に馴れてない人は見分けがつかないかもしれませんが、バングラデシュ人はマレー人とはもちろん、インド系マレーシア人とはその言葉、態度などから、容易に見分けられます。マレーシアに昔から働きにきてる、外国人労働者数No.1のインドネシア人でも、その話すアクセントからマレー人でないことがわかります。
このコタラヤ付近は以上の人たちのほかにフィリピン人が日曜日につどう場所でもあるのです。すぐ近くにある教会へ日曜の朝集まったあと、この一帯に流れてくるのでしょう。男ばかりのバングラデシュ人と違って、フィリピン人はメイドとして働いてますから女性主体です。イスラムのマレー人とは違った服装と特徴のあるフィリピンの諸言語で声高くおしゃべりしてます。
セントラルマーケットへ行けば建物の内外はマレー人若者がいつもたむろしてます。どういうわけかここはマレー人のお気に入りらしく、一ブロックお隣のチャイナタウンと違ってマレー人が抜群に多いのです。 もちろんガイドブックに必ずのってるセントラルマーケットですから外国人ツーリストもよく見かけます。
多民族多言語そして出稼ぎ都市、クアラルンプールらしいところといえばもう一個所あげなければなりません。
市内の別の地区ですが、有名なChow Kit も喧騒度がKotaRayaあたりと同じかかむしろ上回る街です。いまもはびこる麻薬と売春宿のおかげで悪名も高いのですが、歴史あるマレー、インドネシア人商業地区です。地区をはしる二本の道路はミニバスの集合地ですから、そのやかましいことと排気ガスのすごさは相当なものです。
高級買い物街とはほど遠いので、団体観光客などまったくうろつかないChowkitは、観光客の多いチャイナタウンとはまた違った雰囲気が味わえます。暑気と人込みのこの屋台街ではインドネシア人が最近ではバングラデシュ人も、たくさん俳諧してます。
以上の2地区は Bangsa やDamansara といったクアラルンプールの高級住宅地区とはずい分違った、高級指向の日本人や白人には近寄りがたい?、街ですからなじみのないかたも結構いますが、こういう下町繁華街を人間観察がてらに、たまにはぶらついてみるのもおもしろいと思うのです。
もう 6、7年も前のことですが、香港を訪れた際、話に聞いていたパソコン類の店がたくさん集まっている電脳街へ行きました。 店の数は秋葉原などとは比べ物にならないほど少なくてすこしがっかりしたのですが、無断コピーのソフトが、当時ですからまだCD-ROMは存在しておらずすべて3.5インチのフロッピーディスクです、堂々と売られてるのに感心しました。そしてその種類の多さと値段の安さに2度驚いたことを覚えています。
またそれより以前のことです、10年ほど前タイに夢中だった頃、好きなタイ語の音楽カセットテープを買いに行くと、そういう店には必ず英語の有名ポップスや映画音楽のカセットテープがおいてありました。タイ語のカセットテープと同じぐらいの値段ですから、きっと海賊版カセットに違いないと思ってました。
それから 5年前にベトナムへ行った時です、ホーチミンシティー(サイゴン)の電気街で、音楽カセットや音楽CD がタイよりもさらに安く売られてるのにあきれました。
思えばはるかその昔、無断コピーかどうかそんなことさえしらず、値段の安さに驚いて初めて音楽カセットテープを土産に買ったのは、シンガポールでした。
さてなぜこんなむかし話を書きましたかと申しますと、無断コピー,違法コピー,海賊版などとどう呼ぶかは別にして、カセットやCDの極安複製品は昔から東南アジアの至る所で売られてきました。(今ではシンガポールは別でしょうが)
へんな言い方ですが、これはまあ東南アジアのある種の伝統商法ですね。
音楽カセットテープなら、ラベルだけをカラーコピーしたちょっと市価より安いコピーカセットが夜店などでは売られてますし、映画のビデオでも勝手に録画したと思える値段で売られてますし、最近たまたま立ち寄ったチャイナタウンでは、日本のアダルトビデオのVideoCD まで売られてのを見つけました。中身がどの程度まで本物かは知りませんが、このようなCDはマレーシアで認められるはずがありませんから、違法コピーか違法輸入に間違いありません。
コピー品といえばついこの間まで、ファミコンのカセットやビデオゲームセンターで使われるビデオゲーム基盤は海賊版製品が相当数でまわっていました。ただそのほとんどは台湾、香港からの輸入品です。ゲームソフトが32ビット化などのハイテク化したためでしょう、コピー製品はだいぶ減ったようです。
このようにマレーシアで、著作権にからんだ音楽、映画、ソフトウエアーなどのコピー(海賊)製品を見つけるのはきわめて簡単です。法律はあるのに取り締まりが今一つ不十分だからだ、といわれてます。政府は力をいれている Mutimedia Super Corrridor の建設にからんで、現在新しい著作権法を準備し、国会でもうすぐ審議が始まります。これには非常に厳しい罰則などが含まれています。
で今週ひさしぶりに、コンピューターショップが一番たくさん集まってる IMBI Plaza へいきました。(Imbi Plaza については、去年のトピックスのなかでふれました) なんといつのまにか違法コピーCD−ROM を売ってる店が、棚だけを通路にならべた移動式の店も含めて、10数軒に増えているのです。商売繁盛とみえて新しく新装したCD-ROM 専門店もありました。
このところ新聞よれば、ジョーホールバルの違法コピーCD-ROM店が集まってるHoliday Plaza がなんども当局の手入れにあって、閉店した店もある、とあったので、ここクアラルンプールのコピーCD-Romのメッカ Imbi Plaza の繁盛ぶりは意外でした。たしか Inbi Plaza も1、2ヶ月前に、数千枚のコピーCD-ROM を没収した取り締まりにあってるはずですが、その図太いというかしたたかというか、もうかれば海賊版だろうとなんだろうとかまわないという商売根性には感心します。( 誉めるということではありませんよ)
ケースに張ってある価格ステッカーをみると、日本のゲームソフトのCD−ROM なら10数リンギットからという値段です。(1リンギットは約50円)。パソコン用のソフトウエアーでは、ほとんど英語版ですが中国語ソフトも多少ある、マイクロソフトの最新ソフトである Office97 が35リンギット、Windows NT も同じくらいの値段、その他マイクロソフトのソフトは各種売られてます。コーレルドロー、ノートンユーテリティーのような有名ソフトからインターネット用のフォント、フォトレタッチソフトや辞書、言語学習ソフトなどかなりいろんなソフトが並んでいます。もちろんゲームCD-ROM やビデオCD もたくさんの種類が置いてあり、人気はこちらの方が高そうです。
オリジナル版を買えば20倍から40倍はするようなソフトが、30リンギット前後の値段ですから、商売繁盛するわけですな。
ソフトウエアーが CD-ROM形式になってから、ヘルプなどもすべてROMに入ってますから、昔のように分厚いマニュアルがなくても結構使えますよね。わからなければ解説書が書店で簡単に買えますから、コピーCD-ROM を使っていて不都合なことは非常にすくなそうです。 パソコン人口は増える一方ですし、著作権の概念が薄い国ですから、海賊版CD−ROM屋さんは商売繁盛です。 反対にソフトウエアー会社はたまったものではないでしょう。
マイクロソフトは新聞広告でしきりに無断コピーの違法性を啓蒙し訴えてます。当局も違法コピーの取り締まりをときどきしてますが、撲滅どころか減らすのもなかなか大変のようです。消費者に喜ばれる(?)この東南アジアの伝統的違法商売はしぶといというところです。
形あるものであれ形ないものであれ著作権を尊重することは、技術力の発展に非常に重要なことですね。ですから遅かれ早かれマレーシアも、違法コピー防止を徹底しなければならない日がくることでしょう。それにはただ道徳論や精神論をのべても効果はうすいのです。
先日新聞にこんな投書が載っていました。「 高いお金をはたいて値段が何十倍もするオリジナルのソフトウエアーを買ったのに、ソフトウエアー販売会社はまったくサポートをしてくれない。こんならコピー版を買った方がよっぽどよかった」と。
なるほどという意見ですね。マレーシアのソフトウエアー(販売)会社はマイクロソフトなどのごく一部を除いて、オリジナルソフトウエアー購入者に対して積極的にサポートを宣伝したり表明しているところが、私の知る限りありません。
(少数の企業を相手とするビジネスソフトウエアーは違うでしょうが)
米国をはじめとするソフトウエアーメイカーのマレーシア販売法人や代理店はたくさんありますが、ユーザーにオリジナルソフトウエアーを買った方が徳だ、と感じさせるような努力が欠けてます。ただマレーシアのソフトウエアー会社、マレーシア独自のソフトウエアーメイカーは皆無に近い、はマレーシアのソフトウエアー市場がまだまだ小さいことから、サポートまで力が及ばないのかもしれませんね。
参考までにコンピューター専門紙の Computimes に載っていたマレーシアにおけるソフトウエアー総売り上げ金額を掲げておきましょう。 96年は約2000万米ドル、つまり日本円にしてたった20数億円というところです。この数字がどの程度正確か知りませんが、いずれにしろ日本に比べればはるかに少ないことはまちがいありません。
以上のことを考えると、当局の単なる取り締まりや海賊版反対論では、違法、無断コピー問題はなかなかなくならないでしょうね。
5月T日はメーデーの日でしたから、今週はそれにちなんでに少し固いトピックスです。
マレーシア経済はここ9年連続の高成長を続け、今年も8%台の成長が見込まれています。この好景気の要因の一つに、マレーシアでは労働争議がきわめて少ないことがあげられます。
新聞に労働争議のニュースがのるなんてことはめったに、というかほとんどありません。筆者はこれまでクアラルンプール首都圏一帯で、労働争議らしきものを数回見たことがありますが、それも実力行使というより労働者が不当解雇や給料不払いの不満、会社の不合理な方針への反対を表明する程度でした。 出くわしたいずれの場合も、プラカードをかかげ垂れ幕を会社工場の前にたらし、そこの社員工員らが道行く人びとに訴えていました。ピケットをはったりストに訴えるほどにはまったくいたってないのでしょう。
上記は極めて限られた私の見分からですが、それを考慮してもやはりマレーシアの労働争議は、近隣諸国のタイ、インドネシア、東アジアの韓国、台湾、もちろん日本より、のアジア諸国のなかでも穏健かつすくないのですね。
国際労働機構 ILO が定める労働基本権には7つの中核基準があるそうですが、マレーシア政府はまだ一つしか批准してないのです。 それは 強制労働の禁止 です。ただその内の一つである、被雇用者の最小年齢制限(15歳)基準は、政府は批准してないがマレーシアの国内法によって児童の労働を制限しています。
参考までにあとの5つは、*団結の自由と団結権の保護、 *団体交渉権を認める、*男女間の平等賃金、*雇用と職業において人種、性別、宗教などを口実とした差別の禁止 *政治的思想的違いにもとづいた、または労働争議に参加したとの理由だけで罰もしくは矯正手段として強制労働を用いない、になるそうです。
団結の自由が批准されてないからでしょう、労働組合を組織する場合はマレーシア国内法によって事前に当局の許可が必要です。尚誰でも組合員になれるような自由労働組合は禁止されています。
またマレーシアの基幹産業であり総輸出額に占める割合でもナンバー1である電子産業では、個別(会社別)組合は許されてますが、全国を横断する産業別労働組合は禁止されています。
なお外国人労働者が非合法を含めて200万人前後もいるといわれてますから、マレーシア労働人口に占める割合は日本とは比べ物にならないほで高いことはすでにこのトピックスでも書きました、この外国労働者には労働組合への参加が許されてません、つまり組合員になれません。
以上のようなことから労働組合の組織率はかなり低いことが想像できますね。手元に詳しい資料がないのではっきりした数字をしめせませんが、私企業では10%に満たないのはたしかです。
さて労働争議の発生が少ない理由はこのほかにもありそうです。 私の考える理由に、被雇用者は雇用者に対しあまり多くを期待してないか信頼してないということです。。つまり労働者の会社,工場への忠誠心のうすさです。働く者が会社を初めからそれほど信頼してなければ、気に食わないことや待遇、給料で不満を感じた時、それ対して反対行動をとるより、会社を辞めるという行動にでます。好景気と低失業率のマレーシアで仕事は簡単に見つかりますから、その会社をやめてもそれほど心配はないわけです。
簡単にいえばそれだけ転職率が高いのです。試しにたまたま買った 英字紙THE MALAY MAIL(首都圏でよく読まれてるタブロイド版の大衆夕刊紙 )をみてみましょう。全44ページのうち実に31ページ、70%余りが求人広告の紙面なのです。マレーシアでは求人雑誌と呼ばれる雑誌は発行されてないことを割り引いても、この求人広告ページの多さは異常ですね。その他の英字紙でもこれほど多くはありませんが、毎日20ページ前後は求人広告だけのページがあります。
華人系マレーシア人だけを読者にした華語の新聞でも、日本の新聞に比べて求人広告の紙面に占める比率は高いのです。高転職率は低所得労働者から高級サラリーマンまでの広い層にわたっています。
この転職率の高さは結局働く者の会社への忠誠のなさに結びつきますから、雇用者側の団体も政府も憂慮しています。また被雇用者側の団体である MTUC (マレーシアの労働組合の全国的上部組織)は全くべつの観点から忠誠心の必要性は認めますが、マレーシアの抱える膨大な外国人労働者の存在を指摘して、こんなに多い外国人労働者に安易にたよっていて、どうしてマレーシア人労働者が会社に忠誠心をもてようか、(会社への)忠誠とか忠義は、会社が強制したり政府が奨励したからといって生まれるもではないと、現状の雇用側を批判しています。
何年も続く好景気で会社の利益も伸びたから、労働者に雇用者への忠誠心を期待するためには、結局のところMUTCの言うように、おおきくなったパイに見合った賃金による報奨しかない、ということにおちつきそうに思えます。
マレーシアに進出している千を超える日系企業はその進出理由に、安定した経済成長、インフラストラクチャーの整っていること、労使関係のよさなどをあげることが多いのですが、転職率の高さはやはり悩みのたねとのことです。
皆さんがマレーシア旅行でふと手にされた新聞、多分英字紙でしょうが、たくさんの求人広告のうらにはこんな事情があるのです。
マレーシアで気をつけなければならない、熱帯の病気というと何でしょうかね。マラリアとお考えの方もあるでしょう、以前見た、WHO (世界保健機構)のマラリア汚染地図にはマレー半島に色が着いてましたが、でも半島マレーシアでマラリアを心配しなければならない所は、実際のところジャングルの中にでもいかない限りかかることはないのです。
コレラかな? そうですね。去年はペナンで数百人の罹患者がでるほどはやりましたし、一年中マレーシアのどこかではコレラ発生のニュースをききます。
クアラルンプール近郊でも時々コレラ患者がでます。ホーカー(屋台)や大衆食堂での食べ物や飲み物扱いの現場をみていると、コレラ発生も不思議でないな、とおもう光景にしょっちゅう出会いますから。そうはいうものの、筆者はなかばあきらめていつもそんな所で食事してます。
しかしこれまで2回軽い食中毒にかかりましたから、マレーシア人のみなさんがもう少し衛生観念を向上させてくれる、環境をきれいに保つことにもつながるのですが、ことを願うしかありませんね、
食中毒などは別にして、コレラのほかに主要な熱帯病というと、デング熱があります。日本では発生しませんからご存じない方が多いでしょう。このデング熱、田舎より都会で多くかかるのです。クアラルンプール一帯で今一番はやってる、こういっておかしければ一番かかりやすい、熱帯病だと思います。
今週、筆者のすむショッピングコンプレックスの一角にデング熱啓蒙の臨時展示コーナーがもうけられました。デング熱に気をつけましょうということらしいですが、実際問題どうやって気をつければいいのでしょうか。
デング熱は熱帯しま蚊(Aedes Mosquito)が媒介するのですが、症状はというと、もらった英語版パンフレット(他にマレーシア語版、華語版、タミール語版がある)によりますと、きつい頭痛、背中痛、眼の痛み、筋肉痛、関節痛をともなった高熱が突然でて、それが7日も続く、回復は非常に遅く時間がかかる。時には下痢や発疹をともなうこともある。確実な診断には血液検査が必要ですとのこと。
実際のところ、よく患者がでます。新聞の3面記事にはしばしば載ってます。今年1月から4月末までにクアラルンプールでなんと1600人ほどの患者が報告されてるそうです。このデング熱ひどいケースになると、デング出血熱といった病気になります。つまり患者が耳、鼻、皮膚からの出血、体内での内出血という症状に苦しむのです。時には、特に子どもが、死にいたることもあるのです。こう知ると恐ろしくなりますね。
さて、このデング熱にからないように気をつけなければといっても、難しい問題ですね。相手は蚊、さされなければいいのですが、そこらじゅうにいる普通の蚊とはおいそれとは区別はつきませんし、この熱帯しま蚊、人をさすのはおもに日中だそうです。
媒介源であるこの熱帯しま蚊がなぜ都会に多いかといいますと、その理由が誠にマレーシア的です。熱帯しま蚊が一番たくさん発生する場所は建設現場、ついで空き地とか裏庭、溝などのゴミや雨水がたまりやすいところです。建設現場におきっぱなしになったドラム缶や建設資材、それに穴を掘ったあとなどに雨水がたまり、そこにボウフラがわく、空き地だったら捨てられた空缶などの容器類や古タイヤに水がたまり、そこにボウフラがわく、はやくいえば現場をきれいに保とうとしない、また現場に仮設したバラック小屋に住む外国人建設労働者の健康に無頓着である、無責任な施工主や建設会社と、空き地や溝に勝手に物を捨てていく一般人に問題があるのです。
市衛生当局は度々検査や取り締まりをするのですが、例によっていたちごっこです。建設会社は一回100リンギット程度の罰則金程度では痛くもかゆくもないそうです。蚊にさされたらかゆいのにね。
普通の人も庭やトイレの水かめを長い間放置するとか、空缶などを空き地にポイとすてるとか、ごみを溝に平気で捨てて溝をつまらせ、そこにボウフラがわくというように、自分で原因を作っている面も多分にありますね。
こういう蚊の繁殖地を一つずつなくしていかない限り、いくら市政府当局が蚊退治の噴霧を行っても、デング熱撲滅にはほど遠いでしょうね。
華語で書くと大変当を得た名前の”骨痛熱”と”血熱症”になる、このデング熱とデング出血熱を都会から撲滅するには、まず環境をきれいにたもちましょうという、基本的でかつ重要なことにおちつきそうです。
エヴェレスト登山隊と聞いて、え? マレーシアにもそんな経験のある登山隊があったの、との思いがまず先にたちました。赤道をはさんでマレー半島とボルネオ島に別れている、熱帯の国マレーシアに雪山など存在しませんし、山岳地帯はたくさんあるものの、登山というスポーツはマレーシアではきわめてきわめてマイナーですから。
日本なら各大学に必ず山岳部があるし、社会人山岳クラブは数え切れないほどたくさんありますね。登山歴のない筆者でも、山岳雑誌に山渓、岳人といった有名なのがあることやたくさんの同人誌があるのを知っています。つまり登山する人又は登山の好きな人が大変多いわけです。登山人口の底辺が大きいから、ヒマラヤ、アルプスなど世界の高峰を征服する先進的登山家がたくさん生まれ育ってきたわけです。
それでマレーシアではというと、登山雑誌など一冊も発行されてませんし、出版物はすべて当局の許可がいる国ですから、同人誌があったとしてもきわめてかぎられた数でしょう。さらにこの間までは、登山がニュースになること自体ほとんどなかったのです。
日本の新聞だと、どこかの登山隊が無酸素登頂をしたとか、どこの登山家は8000メートル峰をいくつ征服したとかのニュースが載るのですが、私の知る限りマレーシアで、これまでにそんなニュースにお目にかかったこたはほとんどありませんでした。
マレーシアの登山人口がどのぐらいのものか筆者は知りませんが、以上のことからたいへん少ないことだけは間違いありません。事実スポーツ店へいっても登山道具などおいてないのです。ハイキング用品程度ですね。
その登山底辺人口の極めて少ないマレーシアから、世界に通用する登山家がでるとはとても思えませんから、今回のエヴェレスト初登頂をめざすマレーシア登山隊の出現は,まことにに意外でした。
ただこのエヴェレスト登山はマレーシア政府の発案であり、登山隊の編成前から政府の後押しつまり財政補助、ひょっとしてほとんど全部かもしれませんが、をうけて去年からトレーニングなど準備をしていました。
そしてこの3月か4月からか忘れましたがネパールをベースにして、マレーシア登山隊初のエヴェレスト登頂をめざしているわけです。そのため新聞も時々、マレーシア隊のニュースを報道するようになりました。
登頂を取材するために同行していた新聞記者が、たかだか4000メートル程度のキャンプで高山病にかかってふもとに引き返したとかの、情けないというか、山を甘く見てるとしかいいようのない取材陣もしかりながら、いずれの登山メンバーも8千メートル級はもちろん6、7千メートル級の登山歴もない、もちろん雪山をほとんど知らない登山家ばかりだそうです。だからもちろん無酸素とか単独とかではなく、シェルパに多分に依存した登山隊でしょう。
熱帯の国の経験不足登山隊が登頂を目指す、エヴェレスト登頂もここまできたかの感がありますね。まあもっとも無理もありません、何しろ数十年前のヒラリーとテンジンの初征服以来、何百人かの登山家がすでに登頂を果たしましたからね。
ここで興味あるニュースが流れました。ヒマラヤにいるニュージーランドの登山家が、マレーシア隊を評して、危険を冒してエヴェレスト登頂しなければならない、という政府の圧力を受けている、と言ったのです。直ちにマレーシア政府は、そんなことはありえない、5月中に登頂して欲しいという目標を与えてるだけだ、登山隊の安全は大事だ、という意味の否定声明をだしました。
真偽のほどはまったくわかりませんが、上記の説明を読んでいただければお分かりのように、そんな評が生まれる背景は多分にあるのと思うです。ここらがマレーシア政府はまったく理解できないところなのですね。
何百人かに征服されたとはいえ、また夏とはいえエヴェレストは高難度のヒマラヤ雪山にかわりありません。世界最高峰をマレーシア隊でも登頂できるんだ、マレーシアがエヴェレスト登頂、という意気込みは痛いほどわかりますが、そこに十分な経験のない者の背伸びしすぎた行動を感じるのは筆者だけでしょうか?
マレーシア登山隊が登頂に成功する失敗するにせよ、もちろん筆者もできれば成功して欲しいと思いますが、このエヴェレスト登頂隊組織の裏には、マレーシア指導層が計画する幾多のプロジェクトの背景にある思想と共通のものを示しています。
注)エヴェレストはチョモランマと記すべきだが、ここではマレーシアでの一般的記述に従って、あえてエヴェレストと書きました。マレーシアでは世界の地名はほとんど英語読みを用いますから、たとえば旅行会社で「ミュンヘン」が通じなくて「ミューニック」なのです。
追記) マレーシア登山隊の2人が5月23日エヴェレスト登頂を無事果たしました。祝福しましょう。
このニュースはテレビ、ラジオ、新聞で大きく報道され、政府指導者も大変喜んでいるそうです。
マレーシアといえばすぐマハティール首相の名がうかぶほどですし、現在の日本の状況はよく知りませんが、日本人にも結構人気高いように見えます。というのも、当地の日本書籍を販売する紀伊国屋や丸善には、マハティール首相に関する本が何種類も並んでるところをみると、筆者の推測もあながち間違いではないように思えます。たいして人気なければ、本なんていくつも出版されませんからね。(余談ですがこの1、2年マレーシア旅行関係の本、雑誌増えましたね。6年前だったら探すのに苦労したのですが)
でもこのコラムではめったにマハティール首相にはふれてきませんでした。なぜなら、コラムでマハティール首相を賞賛したり批判したりするのは、筆者の目的ではありませんから、触れないだけです。が今回はあえて少しばかり書いてみましょう。
今週から(5月19日)からマハティール首相が2ヶ月の休暇にはいりました。2週間の間違いではありません。このニュースはマレーシア国内でもいささか驚きをもって迎えられました。1国の最高指導者が2ヶ月もの長期休暇に入るから当然でしょうね。
マレーシア国内で絶大な政治力を誇るマハティール首相ですから、病気説だの、休暇中に首相代理を務めるアヌワール副首相を試す権力操縦説だのの、臆説が飛んだそうです。そんなことは筆者にとってどうでもいいのですが、それにしてもマハティール首相の自信と基盤の強さは相当なものですね。日本の首相が万一2ヶ月もの休暇を取ったら、休暇が終わった時にはすでに後任者が決まってるでしょう。
基盤の強さといえば、東南アジア諸国の指導者はどの国も長期その職にあります。30年を超えるインドネシアのスハルト大統領をはじめ、シンガポールはリークアンユーの超長期政権の後、現ゴー首相で2代目、フィリピンもマルコス政権が長かったし、ベトナムも共産党指導層は10年単位ぐらいでしか交代しません、タイだけはちょっと例外で首相は数年で交代しますが、ここマレーシアでも独立以来40年近くの間歴代首相は3人だけであり、4代目のマハティール首相はすでに16年目(!)に入りました。
マハティール首相は記者会見の中で、長年首相を務め長期の休暇を取る機会がなかった、国内情勢が落ち着いてることもあって今がその機会だ、しばらくゆっくり休んでその間に著作でもしたためたい、のようなことをいってました。彼はアジア諸国の指導的政治家の中で、というより世界の発展途上国の中においても、舌鋒するどく西側先進諸国を批判する国家指導者として際立ってますから、そのあたりの思想、国家指導方針を本に記すのかもしれませんね。
筆者はマハティールWatcher ではありませんから、彼の著作はずっと以前読んだ、有名な「マレージレンマ」しか知りません。なお最近マハティール首相は、マレーシアの急激な発展を評価して、このマレージレンマに示したマレー人に対するジレンマはもう消え失せた、と言ってます。
マレーシアに暮らすなかで、日常的に経験することとマスコミを通して、筆者のマハティール首相像はできあがりました。彼の批判対象は多方面に広がります。西欧のマスコミ、政治家への批判、特に米国に対して、は常ですし、またそれをマレーシア国内のみならず、国際会議などの場で堂々とします。彼の西欧思想批判の論調はイスラム教の観点に、発展する国の非西欧民族指導者としての思想をミックスしたものです、その辺が日本人の一部にもうけるのかもしれませんね。ただ彼は西欧マスコミやNGOからの批判に、ものすごい反感を示しますことも、お知りおきください。
ひるがえって国内では、西欧思想を完全に拒否したり発展を好まないイスラム原理派・政党(PASという)に対しては、ムスリム(イスラム教徒)の立場を前面にだして、真のムスリムとは常に発展を目指すものであるし、また西側とも協調しなければ国の発展はないといった、論調でするどく批判してます。
さてマハティール首相はこの2ヶ月の休暇中、ほとんどを国外、特にヨーロッパで過ごすそうです。その間、政府の最重要プロジェクトであるマルチメディアスーパー回廊(MSC)を広めるセミナーに出席したり、外国政府や企業首脳を訪れる計画だそうですので、丸々2ヶ月全部が休暇とはいえないのですが、国内政治は首相代理に任すといってます。
マハティール首相は普段でも外遊というか外国訪問がものすごく多いのです。今年だけでもたしか日本には非公式公式含めて3回も訪れてるし、アフリカには何回も足を運んでるし、中央アジア、中東諸国も数回訪れて、発展途上国内の協力協調を訴え、いわゆる南南貿易と投資を促進しています。もちろん米国、ヨーロッパへも何回も非公式訪問してます。
ざっとみて毎年、1年の4分の1くらいは外国に滞在してるのではないでしょうか。1国の指導者として非常に長い期間ですね。まあそれだけ長期間国をあけても心配ないという自信のあらわれでもあるのでしょう。
いずれにせよ(日本人にとって)幸か不幸か、日本の首相には不可能ですな。
世界どこでも映画の好きな人は多いですね。筆者は映画が大好きですから、マレーシアでも頻繁に( ヴィデオでなく)映画館に足を運んできました。ずっと以前のこのコラムでもマレーシア映画館事情を書きました。
先日フランスで行われた第50回カンヌ国際映画祭で、日本の今村監督の作品がイランの監督と並んで Palme d'Or に選出されましたことは、皆さんもご存知でしょう。マレーシアではとりたてたニュース扱かいではなくて、国際面に外電発として載っていた程度です。
マレーシアの映画事情は自前制作映画はマレーシア語映画のみで、あとは輸入したつまり、英語映画ならハリウッド映画がすべてです、中国語映画なら香港映画がほとんど、そしてインドから輸入しているヒンズー語とタミール語の映画があります。香港映画はもちろん華人系マレーシア人対象ですが、ジャッキー・チャンのような人気俳優がでると民族を超えて見に行くようです。インド映画となると観客はほとんどインド系マレーシア人ばかりで、バングラデシュからの外国人労働者にも人気あるようですが、インド系以外のマレーシア人なら、インド映画を映画館でみたことない人がほとんでしょう。
映画館入場料が安いこともあって、最低週1回は映画館にあしを運ぶ筆者ですから、どんな映画が人気あるかよくわかります。なんといってもハリウッドのアクションフィルムですね。シリアスな題材や日常風景を撮ったような映画は人気ありませんね。
フランスやイタリアなどのヨーロッパ映画はどうかといいますと、イギリスを除けば、一般映画館では残念ながらまったく見る機会がありません。筆者がマレーシアで見ることができたのは、これまでわずか数本です。ただ、たまにフランスなどが文化センターで上映会などを催してます。
簡単にいえば西洋からの映画は英語映画の独断場です。マレーシアで習う、マレーシア人が習得するヨーロッパ言語は英語一辺倒のせいか、ヨーロッパ語の学習者も極めて極めてすくないのです。これを反映してか、ハリウッド映画ではよくメキシコなどの南米のシーンがでてきますが、簡単なスペイン語、たとえばGracias,quanto など、でさえ翻訳されません。つまりその部分は字幕なしです。
数年前、きわめてまれなことですが、フランス語の映画を見る機会があったのですが、驚いたことに、英語の字幕がついてないので字幕翻訳することができないらしく、つまり字幕なしのフランス語のみでした。
マレーシアで上映される外国製映画はほとんどすべてマレーシア語の字幕がつきます。香港映画ならマレーシアでつけるマレーシア語の字幕とオリジナルの字幕である英語、そして華語か広東語の字幕がついてますから、合計3字幕です。めざわりですがもう慣れましたね。
さてカンヌ国際映画祭にもどりますが、この度マレーシアから初めて、ペナンの映画祭組織委員会幹部が招待されたのです。ペナン映画祭とは私も初耳ですが、正式にはペナン真珠賞映画祭(Penang Pearl Awards Film festival) といい、今年の8、9月に開催されます。そこでこの招待されたペナン州政府高級役人でもある映画祭組織委員は、このペナン映画祭を東洋のカンヌ映画祭にしたい、と打ち上げました。
東南アジアにはたしかすでに、マニラ映画祭だのシンガポール映画祭などがありますが、ペナン映画祭もこの仲間いりして、更に将来はカンヌ映画際の東南アジア版に育て上げようというつもりらしいのです。
そうですか、でもなぜ東洋のカンヌという飾り言葉をつけるのでしょか。
東南アジア諸国の映画事情通ではありませんが、インドネシアであれベトナムであれタイであれ、どこでも自前の映画がたくさん制作されていますね。しかし互いの国が配給しあって上映するなんてことは、まったくないでしょう。マレーシアで、すぐ隣国のタイ映画を映画館でみることができません(カセット音楽は全く別です)。 ベトナムやフィリピンの映画なんてだれも興味をもってないのです。
筆者の知る限り、マレーシア映画がタイで上映されたというニュースを聞いたことがありませんし、以前しばらくタイにいたときも、見たことがありませんでした。
日本では以前から東南アジアの映画が不定期ながら上映されてきましたが、アセアン国家では互いの映画を映画館でみることが、政治的理由もあるでしょうが、できないのです。
ペナン映画祭はこういう状況から出発しなければならないのです。ペナン州政府も後援するかもしれないこのペナン映画祭はなぜ 「東洋のカンヌ」 になる必要があるのでしょうか?またなったほうがいいのでしょうか?
映画の世界は、巨大なメジャー資本が制作と配給市場を握るとともに、強い表現の自由にもとづいてますよね。メジャー資本に配給されない独立映画プロでも、独自の制作思想で市場にでることもできますね。ハリウッドスタジオが制作したフィルムであれマイナーな独立プロが制作したフィルムであれ、公開されなければ商売としてなりたたないことは誰にもわかります。
カンヌ映画祭にはそんな西洋流文化思想と市場論理が併存していることは、映画世界に素人の筆者でもわかります。その西洋流文化思想をペナンに持ち込むことができるのか、いいのかですね。マレーシアはイスラムの国ですからね。
国際映画祭ときいて筆者のあたまに浮かんだのは、表現の自由の違いということです。
例をあげましょう。まず映画内のヌードシーンやベッドシーンは、それが目的でなくてもすべてカットされます。マレー人の男(100%ムスリムです)と非マレー系の女性の恋愛映画で、結婚にあたってその女性に義務付けられている、イスラム教改宗を拒否して結婚しようとする、ようなストリーの映画、イスラム教では罪となる同性愛をテーマにした映画、役人や警察の腐敗をストーリーのなかでついた映画などは制作不可能でしょう。たとえ制作したとしても公開できないのは、映画関係者ならずともわかるでしょう。
東南アジアでは各国それぞれ様々な事情から、西欧思想をそのまま入れることは拒否してますし、不可能です。ペナン真珠賞映画祭が東洋のカンヌ になることはまったく不可能ですし、その必要もありませんね。ペナン真珠賞映画祭はペナン真珠賞映画祭でいいのです。
追記(8月13日):
新聞報道によれば、映画祭運営者は、国立映画検閲評議会の定めた規則を満たす映画だけを映画祭用に選んだとのことです。「検閲はしないけれど、この映画祭では過度の暴力表現や性表現のない映画が上映されます。」
映画を見ることができるのは、21歳以上で且つ団体・組識に所属してるとか、映画産業に関係してる職業人だけです。具体的にいうと、映画放送に関する専門コースを取っている学生、大使館員、政府関係機関の職員、通信・広告分野に働く者がこの”見ることを許される” 範疇にふくまれるそうです。それらの許された観客が切符を入手するためには、決められた用紙に記入する、という手続きが必要とのこと。
50ほどの上映予定映画の中には、クラシック仏映画、日本映画、タイ映画、ヒンヅー映画、ペルシア映画などが含まれています。
なるほどいろいろな理由付けがあるものですね。この映画祭を東洋のカンヌ映画祭と呼ぶこと自体まったく似合いませんな。ですから、ペナン真珠賞映画祭はペナン真珠賞映画祭でいいのです。
この「今週のマレーシア」で時々批判してきた、マレーシア第二のインターネットプロバイダー TMnet は長い冬眠のあと、ゆっくり成長中というところです。1月のこのコラムで、よくなるまで半年待ちましょうか、と筆者は書いたのですが、5ヶ月過ぎた今(6月初め)、その評価は「随分よくなった」というところです。
ただ、まだ時には前とほとんど変わらないこともあります。つまりダイアルアップしてつながるが、すぐ切れてしまう、夜間なら,時には日中でさえ、10分に一回くらいは突然接続が切れるのです。早く言えば接続スピードが”遅い”かったのです。でもこれもずっと少なくなりました。
マレーシア第一のプロバイダーJaring を小型オートバイとするなら、以前の TMnetはさしずめ自転車でしたね。平地ではまあスピードがでるが坂道、非舗装道路ではまったくスピードがでないといったところでした。
政府は今のところこれ以上認可しないとのことなので、一次プロバイダーはマレーシア全国にこの2社しかありません。二次プロバイダーはUtusan など最近少し増えたもよう、でも5、6社というところか。二次プロバイダーは国内の接続ポイントが一次プロバイダーに比べてずっと少ないですし、国外のWEBサイトへの接続は2社しかない一次プロバイダーに頼ってるわけですから、やはり一次プロバイダーの通信能力が重要です。
Telekom Malaysia の子会社でもある TMnetはJaringと並ぶ一次プロバイダーにもかかわらず、情けないプロバイダーでした。多くのユーザーからの度重なる批判にもかかわらず一向にサービスは向上しなかったのです。Telekom (日本のNTTにあたる)が運営するからきっとサービスはいいだろうと多くの人は思ったことでしょう、実は筆者もそうです。
こんな状態にしびれをきらしたかのように、4月頃の新聞の投書欄にある TMnetユーザーの公開質問状が載りました。
TMnetよ、問題は一向に解決されてないぞ、e-mail を送るのにさえ80%の失敗率!、新しいユーザー募集を直ちに中止して現在のユーザーへまず満足行くサービスしなさい、ユーザーにはe-mail でせめて最小限の情報を与えなさい、などいうものです。
いずれも至極当然の要求ですね。毎日のように新聞には、マレーシア国民は情報化社会へ向けて進んでいこう、という政府の方針を伝えていますが、現実はすこしさびしいですね。全国的に頻繁におきる停電、(消費者一人当たりにすると日本の60倍とのこと)と 都会とそれ以外の地方の格差が大きすぎることが障害になってるように感じます。
日本では何百社もプロバイダーが存在していて、ユーザーはその選択の多さに迷う(と聞きましたが)のとはわけが違って、マレーシアでは全部あわせても十社にもいたらないプロバイダーからの選択です、特に大都会以外にすむユーザーには一次プロバイダー、つまり2社しか選択がないのですから、マレーシアの一次プロバイダーの責任は相当重いのです。
筆者はJaring とTMnetの両方に加入しているので、TMnetがだめならすぐJaringにつなぎ直すのですが(この頃その反対もある)、そうはいかないユーザーには同情しますね。たとえサーバーがトラブっても、そういうことをほととんど知らせないのです。TMnet はこれまでお知らせららしきものは月わずか1回程度の割合でしか、ユーザーに送ってきませんでした。
でもこの5月中頃から状況は変わりました。TMnet はよくなったのです。TMnet 批判したものとして、これはお伝えしなければなりませんね。5月28日付けで送られてきたニュースによれば、近じか 国際回線に45MBの線を増強するとのことです。マレーシア在住の方、もうTMnet加入してもいいころですよ。
マレーシアでのインターネット普及率はまだまだ低く、ユーザー登録者20数万人と推測されてます。企業ホームページでもコンピューター関係の会社ホテルなどは当然多いのですが、まだまだ中小の会社がそれぞれのホームページを簡単に持つ段階ではありません。公団体ですが、おもな省庁はすでにホームページを開設したようです。ですから、例えばImigration Departmentのビザ情報などはインターネットから入手できます。
そうホームページといえばいかにもマレーシアらしい風景があります。官庁や公共団体や公共企業体がそれぞれのホームページを開設時に、わざわざ省庁の大臣や州政府首相などを招いて、ホームページ開始の儀式をするのです、そしてそれが翌日の新聞に載るのです。たかがホームページを開設程度というか、だからこそというのか、こんなところはマレーシアらしいですね。
最後にごく最近の話題を一つ。内閣の一員でもある情報大臣が「情報省はインターネットユーザーとホームページの製作者(社)に免許を発行するべく、その可能性を現在探っている」 と述べたのです。要するに、ありとあらゆる情報の流れるインターネットの世界に、誰でも勝手にアクセスしたり、情報を発信してもらっては困るということです。
これには各界だけでなく、さすが与党内からも批判をあびてますが、こういう発想が生まれてくる根は、言い悪いの批評は外国人として控えますが、マレーシアには常にあるのです。
マレーシアを旅行する人やマレーシア在住者にとって「そんなことどっちでもいいでしょ」といわれそうですから、まずマレーシア語ができあがったいきさつから説明しなければなりませんね。
マレーシア語というのは、新しい言語なのです。20世紀中頃につくられた、といってもエスペラント語のように完全に人造言語ということではありません、もう少し正確に言えばそだてあげられ、1957年のマレーシア独立とともに名実ともマレーシアの国語になったわけです。マレーシア語はその起源を、マレー語にもっているマライ・ポリネシア語族の一つなのです。
意外に知られてないのですが、インドネシア語とはごく近い兄弟言語の関係になります。つまりインドネシア語もその源をマレー語にもち、インドネシア独立運動の中で育て上げられた言語ですから。
筆者は80年代にインドネシア語をかじったことがあったので、マレーシアにきた当時マレーシア語を習っていた頃、bisa とか kamar kecil とか kasutと言うと、先生から「それはインドネシア語です」と注意されたものです(マレーシア語ではそれぞれ dapat,bilik air, sepatu という)。百万を超えるインドネシア人が外国人労働者としてマレーシアで働いていますが、互いのインドネシア語とマレーシア語の近接さが、コミュニケーションの手段として多いに役立っています。
ただ気をつけなければいけないのは、大変よく似ているのであっても同じではないことです。語彙、発音、語用面にあきらかな差異があるので、話しているのを聞けば、すぐマレーシア語かインドネシア語かは推量できます。
誤解をおそれずにいえば、アメリカ英語とイギリス英語ぐらいの違いかな。もう少し離れてて、標準米語と Black English の違いかな。
マレー語というのは昔からマレー半島一帯やスマトラ島などで話されていた言葉(ムラユ語)で、それが中世には共通言語(リンガフランカと呼ぶ)としてインドネシア一帯にも広がって使われたのです、イスラム教の到達とともに話し言葉であったマレー語もアラビア文字を使って書き表されるようになったのです。
そのアラビア文字のマレー語はジャウイと呼ばれますが、18世紀頃からのオランダ、英国のマレー半島植民地化とともに、次第にローマンアルファベットが使われるようになりましたが、イスラム教関係ではずっとジャウイが使われていたようです。
言語理論からいえば、母音の多いマレー語を母音が3つしかないアラビア語に適したアラビア文字で書き表すのは、あまり理にかなったことではありません。
参考までに、ほとんどのマレー人が通う国民小学校ではイスラム教学習の一環としてアラビア文字が教えられています(ムスリム生徒対象)。イスラム国家ですから当然ですね。
マレーシアの道路標識には時として今でもマレーシア語アルファベット綴り(英語のアルファベットと同じ)にジャウイつまりアラビア文字でのマレーシア語綴りが併記されているのを見かけます。ただクアラルンプールではほとんど見かけません。
さてマレー語がマレーシア語になったいきさつから、Bahasa Kebangsaan (国民語)はBahasa Malaysia (マレーシア語)のはずですし、でなければなりません。
なぜならご存知のようにマレーシアは多民族国家です。マレー半島にはマレー人、華人、インド人(そのうちタミール人が多数派)そして先住民族である Orang Asli が住んでいます。東マレーシアのボルネオ島部には、さらにたくさんの先住民族が住んでいますから言語状況はもっと複雑です。
ですからすべての学校、小学校であれ中高校であれ、国語であるマレーシア語は必須科目であり、上級学校に進学する試験では、マレーシア語の合格が絶対必要条件です。つまり政府はマレーシア語の地位に並々ならぬ熱意と力をそそいでいるのです。たいへん優れたまた当たり前の方針ですね。
注 マレーシアの主要民族構成は以前のこのコラムで扱いました。華人は母語(母国語ではありません)は一様でなく、いくつかの主要漢語の話者からなる( 華語、広東語、福健語、客家語など)。
マレーシアの国語がマレーシア語であるのはマレーシアに住むどの民族にとっても同じのはずですが、日常的に使われるのは、その民族の母語(母国語ではありません)の場合がたいへん多いのです。都会の中流以上だと、悲しいことに、これが英語に取って代わりますが。
ここできわめて残念なことがよく見受けられます。 マレー人の間で特にですが、国語をマレー語と呼ぶのです。
外国人はよくマレーシア語を単に呼びやすいからマレー語といいいますね。尚日本をニッポン というかニホンというかとは、まったく次元の違った問題です。
マレー人にとってマレー語はマレーシア語と同一視されて、またマレー民族至上主義からマレー語主義にはしり、その結果 Bahasa Malaysia を Bahasa Melayu(melayu はマレーという意味、bahasa は言語)に呼び変えてしまうのです。国語がマレー語であると、それはマレー人の固有言語ですから、多民族国家マレーシアのマレー人以外の民族は、マレーシア人としてマレー人の母語を習わなければならない、という理屈になります。
民族融和上かつ一つの民族 Satu Bangsa を掲げるマレーシアの理想とは少し違った方向にいくように、筆者は感じるのです。
書店で売られている辞典類でも標題に Kamus Bahasa Melayu (マレー語辞典)を使うのと Kamus Bahasa Malaysia (マレーシア語辞典)を使用するのに分かれてます。どちらかというと Bahasa Melayu が多いみたいです。 尚 DBP と呼ばれる国立国語図書研究所編纂のはさすがマレーシア語と名打ってます。
試しに日本語書籍を扱ってる紀伊国屋や丸善にいって語学の書棚をみると、旅のマレーシア語だのマレーシア語何なにとか、すべて「マレーシア語」と呼んでおり、さすがだと感じました。日本の言語学の水準は高いですからね。それにつけてもこの数年マレーシア語学習本が増えましたね。以前は大学書林の4週間シリーズぐらいしかなかったものです。でもまだインドネシア語学習書数にはまったくかないませんが。
筆者のマレーシア語力はたいしたことありませんが、それでもマレーシア語を話せることが生活に違いを与えてくれます。 マレーシア在住の方、せっかくマレーシアに住むんですから、マレーシア語をすこしぐらい覚えませんか? 英語なんてどこでも習えますよ。
国語をマレーシア語と呼ぶかマレー語と呼ぶかの裏には、このように重大な思想が込めれているのです。筆者のみるところ、呼称は依然として両用されてます。マスコミでも時にはBahsa Malaysia と表記され、時には Bahasa Melayu と書かれ、公的機関の文書でさえ、ています。この問題を突き詰めていくとどうしても民族・政治問題にあたるので、すこしばかり問題を先送りしてるかのように、筆者には思えます。
Michelle Yeoh といってもご存知でないでしょうが、今撮影中の ジェームズボンド007の新しい映画 "Tomorrow Never Dies" で主演ピアース・ブロスナンの相手役を務めるボンドガールといえば、知ってる人もいるかもしれません。このニューボンドガール,実はマレーシア人なのです。 マレーシア人としておそらく初めて,メジャーハリウッド映画で準主役級に選ばれたのです。ですからマレーシアでは新しい007フィルムがまだ撮影中にもかかわらず、時々彼女のニュースが載ります。
華語名 Yeoh Choo Kheng といい、元(何年前かしりませんが)ミスマレーシアの彼女は、これまで主に香港をベースにして香港映画に出演してました。マレーシア人には、主に華人系マレーシア人ですが、香港映画が大変人気ありかつ浸透してますので、マレーシアで彼女は以前から有名です。
また数年前に公開されたジャッキー・チャン(チェンは日本での呼び名)のポリスストーリーでジャッキーの相手役を務めてますから、日本でも覚えてる方もあるでしょう。香港映画では主役が自らスタントしカンフーで戦うというスタイルが多いですから、Michelle Yeow もスタントとカンフーができるのです。
彼女は今当地で公開中の香港・中国制作映画 「宋家皇朝」英名The Soong Sisters でも、主役である3姉妹の一人を演じています。この「宋家皇朝」はPonycanyon ともう一つ日本の会社がスポンサーになってますので、きっと日本でも公開される(又はすでに公開中)でしょう。
主役の宋家3姉妹を中国人、香港人、マレーシア人の人気女優が演じる中国語(北京語)の長時間(本来2時間を超える)映画です。私の見たマレーシア版では相当数カット、検閲のためか上映時間を短縮するためかはわかりません、されてたのですが、映画自体はそれほど優れたものとは思えませんでした。
さてこのMichelle Yeohはスタイルのいい美人であっても、かってのボンドガールのようにグラマーでセクシー、ではありません。007映画も変われば変わったといえるでしょうが、こういうアジア美人が新しいタイプのボンドガールとして登場するのは、いいことですね(ハリウッド映画擁護者という意味ではありません、念のため)。
彼女もインタビューで言ってます。「 かつてボンドガールは水着姿の金髪でした。でももうすぐ21世紀に入ろうとしてるから、女性は見て華麗なだけでなく、かしこくなったのです。女性は知的でボンドのように賢いのです。」 いい言葉です。彼女はなるほどマレーシアでうける女性俳優です。マレーシアでは奔放なスタイルの女性スターは成功できないし、また生まれる土壌もないでしょう。
マレーシアで日本にも知られてるスターというと誰でしょう。やっぱり歌手のSheila Majid かな、Aishah(たしかCBSソニーからカセット出してたと記憶してますが)はどうかな。残念ながら筆者は音楽シーンに詳しくないので、これ以上書けません。誰か詳しい人、投稿してくださいませんか?
日本で知られてるスターは、いずれにせよ華人系マレーシア人又はインド系マレーシア人でないことは確かでしょう。華人系マレーシア人スターがマレーシア外で有名になる又はインド系マレーシア人がインド音楽界で成功するのは大変難しそうです。華人の場合、香港・台湾という芸能人の大供給地がありますから、結構多くのマレーシア人がそこへ出かけて挑んでますが、今のところ香港スター並みになった歌手はいません。華人系マレーシア人に一番好まれるのは香港歌手です。
その中で、歌手ではありませんが、Michelle Yeohは数少ないというか初めての国を越えて有名スターになったのですね。筆者の好みのタイプとは少しずれますが、そんなことは別にして、これからはMichelle Yeohをマレーシア人といっしょに応援しましょう。
carib さん、河村さん情報提供ありがとうございました。(6月19日追記)
KRU というマレー人3人兄弟からなるラップ音楽グループがあります。マレー音楽界では以前から大変人気のトリオです(と筆者は最近知りました)。このKRU がこのところしばしばマスコミに登場するのです。ただし音楽シーンよりも一般記事としてなのです。
ことの発端はグループが5月中旬から開始したコンサートツアー Konsert KRUmania ’97が各州、ジョーホール,ケダー、ペルリスで、スランゴールも禁止をほのめかしたみたい、コンサート開催禁止を州政府からくらったのです。理由は彼らの音楽がそれぞれの地元(州)にそぐわない、若者に悪い影響を与えるなどです、つまり西洋音楽そのままでマレーシアに似つかないスタイルのコンサートはお断りということです。
コンサート禁止はこのグループが初めてでなく、いままでにもたまにありましたし(人気歌手のEllaとか、そうたしかShila Majidは一度コンサートのスタイルを批判されたようです)、それを恐れて最初から禁止になりそうな州、たとえばクランタン州、ではコンサートを行わないなどの自主規制をしてるようです。今回これが一般ニュースにもなったのは、このグループが大変人気ある事と彼らの音楽が優れてることのようです。
あまり各州でコンサート禁止を食らったので、またアヌワール副首相の出番となり、一応政府としてはマレーシアの文化に反しないことさえ守ればコンサートは禁止しないという声明がでました。
その後こういう音楽界の問題を管掌(?)する文化芸術旅行省がKRU と話し合い、コンサート名を KRU Mega Tours ’97と変更することに決めました。ただ”KRUmania” という言葉はだめだそうです。英語”mania”がマレーシア人の語感で gila( 英語のmadness)につながるとのこと。ただそれでも問題一挙に解決とはならず、文化芸術旅行省は全国的にコンサートに対して全国的に適用するべくガイドラインを作成中です。
これらのことをうけて、18日に内閣(!)がKRU グループは全国コンサートツアーを行ってもよい、というお墨付きを与えました。コンサートが我々つまりマレーシアの文化に反しなければ、それをあまりにも規制すべきでない、との理由付けです。ただし、コンサートは整然と行われ、観客も問題をおこしてはいけない、という注意事項が付け加えられています。
マレーシア音楽界には詳しくない筆者ですが、KRUの実績を少しだけ抜書きしますと、6月に行われた年1回優れたミュージックヴィデオを選ぶ Video M Awards で、作品の Fanatik と Ooh La La が7つ中6個の賞を取ったとのことです。
筆者はさっそくKRUの最新カセット”KRUMANIA"を購入して聞いてみました。18曲のうち2、3の英語曲以外はすべてマレーシア語の歌です。すごいロック調かと思ったらさにあらず、快いメロディーの曲も混じっています。ほとんどがマレーシアで録音されたとのこと。蛇足ながら、いずれもあまり筆者の好みでありません。
こういう事情をうけて、最近新聞には投書やオピニオン記事でKRU コンサート禁止関連の記事が目に付くのです。筆者のみるところ大体がKRU擁護論ですが、その論調がいかにもマレーシア的なので、筆者の注意をひきました。
例えば彼らは一生懸命音楽に取りくんでおり、その音楽は優れているとか、若い3人組みが努力してここまでやってきたことを否定するのはかわいそうだとか、大人つまり若者でない者はカラオケやダンドット倶楽部などで楽しんでいるのに若者だけをそういうコンサートに行っていけないというのは不公平だとか、ビートルズやプレスリーだって最初は社会の反発をくらっていたなどというのが、その主な論調でした。
読者の方はすでにお気づきになったことと思いますが、日本など西側でおこる議論の論調とは違いますね。表現の自由という言葉がまったくでてきません。もっとも日本でコンサート会場が変更になっても、コンサートそのものが禁止になることはありえませんから、こういう議論は起こり得ないでしょうが。
多民族多宗教のイスラム国家マレーシアでは、自由ということばを自由に議論することはなかなか難しいのです。その国のおかれた発展段階と民族問題の複雑さと宗教の制約を考慮しないで、単にこの問題を非難するのは短絡的ですから、自由についてはこれ以上触れません。
そんな中いささか驚く論調のオピニオンが新聞に載りましたので抜粋しましょう。
前略
「 マレーシアのかかげる2020年のビジョンを達成していく中で、道徳と倫理にもとずいた社会を作り上げていく事があります。私は時々思うのですが、人々はどうやって道徳と倫理を定義するのでしょう。
ある理由から、することはすべてはセックに結びつくという人がいたり、西洋は不道徳だと考える人がいます。しかしうそつくこと、だますこと、盗むことははそうではありません。汚職してる人を捕まえるのに、彼らは西洋の影響を受けたとか不道徳だと誰もいいません。
中略
この何年かにこのKRUグループは質をたかめ成熟してきました。どうして彼らが今非難されるのか不思議に思わざるをえません。次の手段はこのグループのレコードとヴィデオを発売禁止にすることでしょうか?そしてその後は宗教的な事を演じないアーティストを全部禁止にすることがくるのでしょうか?
私を心配にしていることに、イスラム教センター(国の機関)がエンターテイメントガイドラインを準備中というのがあります。そのいい考えって、こういうことですか?かれら(イスラム教センター)は楽しむことに思想的に反対する人たちですから、エンターテイメントを全く禁止にするような規制に行き着いたとしても、われわれは驚かないでしょう。
そうすればあらゆる種類の娯楽を全くコントロールできなくする地下に潜らせることになるでしょう。
中略
我々は多民族と多宗教の国であることを、人々は時々忘れるのです。だからどうして一つの宗教が我々皆にとって何が一番いいのかを決めるのでしょう?
ひょっとしたらこういうことでしょうか? ムスリムでない者はコンサートに行き、ムスリムは行けないことに悩みうらやましくみていなければならないことですか? そしてこれは単にポップコンサートだけにあてはまるのでしょうか?クラシックは西洋的ですか?ジャズは?
中略
私の友人がいみじくもいいました。KRUグループがもし英語だけで歌っていたらこんな問題は起きなかっただろう、と。もし英語だけなら彼らのファンは少数の都会の非ムスリムだろうし、グループの悪い影響は大変限られたものだっただろう、と。
中略
物事を禁止するのはもっとも単純なことのひとつです。それは考えるということを必要としません。しかしどんな代替えが与えられるのですか?
最初は大人は若者が生活に役立つことを何もしてないと批判し、次に若者になんらの出口を与えなくなる。
もし若者がこの成功しているグループをみて自分にとってなにか感銘することを感じかもしれない、と想像してごらんなさい。若者は大志をもつことと同様に、自分がりっぱな市民になるためにその大志を実現させるんだという気持ちを持つことが必要なんです。
中略
我々は今行ってる反汚職キャンペーンのあとで反偽善キャンペーンが必要なのではないでしょうか?」
以上 「 」 内はすべて6月18日付け The Satr の記事から直接翻訳しました。
マレーシアで非常に敏感な問題を、マレーシアイスラム教本山のイスラムセンターの名前まであげて批判的に論じていますね。筆者の知る限りですが、新聞でこれほどはっきりした論を表明したオピニオンを読んだのは初めてです。掲載されたオピニオンは長文ですので大分省略しましたが、論意は伝わってると思います。
この著者は誰でしょう、読後に名前を見て、えー!と感じました。Marina Mahatir、そうマハティール首相の長女です。彼女はその献身的な反AIDS 活動で有名でAIDS団体(Malaysian Aids council)の会長も務めています。今までの筆者の彼女への認識はそれだけだったのですが、今回のオピニオンで認識を新たにしたのです。彼女はマハティール首相の娘といってもすでに40歳、マハティール首相の意見を代理表明しているわではありますまい。
非ムスリムが,まして外国人がムスリムの問題に口をはさむのは慎むべきですが、一人気音楽グループが呼び起こした出来事が現代マレーシア社会を見事に映し出しているので、引用を多用して、皆さんにお伝えしようと思ったわけです。
尚KRUグループ及びプロモーターは、内閣の決定を歓迎し、規則にしたがってコンサートを行うべく、ツアー日程を組み直してコンサートツアーを再開する予定です。
また各州も政府の指示に従って、KRUのコンサート開催を認めることを表明しました。