・ こんなものいらない、こんなことやめちゃえ -後編- ・違法コピー版VCDは減ることはあっても消滅することはない
・日本の新聞記事に載った現地採用格差をマレーシアを例に考える ・タミール系インド人に現在も影を残す歴史的経緯
・ サラワク州議会選挙を通じてサラワク州のあらましと基礎知識
・国内ムスリム武闘組織の存在を強調する当局の論理 −前編− ・ その後編
・コタバルへの旅 −旅情と批判と訪問の誘い− ・数字で見たマレーシア その12
高架電車の切符販売機、1リンギット紙幣、政治家へのおべっか広告
このコラムは2001年7月8月分で掲載した コラム第259回 こんなものいらない、こんなことやめちゃえ前編 の続きです
Komuterより後で開通したStar高架電車、さらにその後に開通したPutra高架電車の切符販売はどうなっているのでしょうか。Star高架電車は開通して数年間は切符はどの駅でもすべて窓口販売でしたが、去年あたりから切符販売機が1、2台設置されている駅が増えました(全部の駅を調べたわけではないので、ほとんどの駅にはあるだろうと推測します)。
Star高架電車の切符販売機は独立設置式で、硬貨と紙幣はRM2と RM5だけ受け付けます。販売機の最上段に小さな路線図が載っており、そこには駅毎に料金が書いてありますから、自分の行き先の運賃をあらかじめ知ります。
さて買い方は、まず運賃毎に別れたたくさんのボタンから行き先駅に見合った運賃ボタンを押す、次に硬貨、紙幣を投入する、すると切符とお釣りが(あれば)それぞれの出口から出てくる、というもので手続きはシンプルです。1回の投入で1枚の切符しか買えません。この販売機でも紙幣の認識率は極めて悪く、投入された紙幣が何回も戻ってきてしまうのを、筆者は目撃しています。
Star高架電車の場合は、券販売機が設置されても相変わらず窓口販売中心で、機械の使用率はごく低いように見えます。少なくとも筆者がこれまで見てきた限り、極めて小数の人だけが販売機を利用しており、切符を買う人は窓口が相当混んでない限りほとんど皆と言っていいくらい窓口に並びますね。これは電車の始発から終電まで販売窓口が常に開いており、切符は窓口で買うものだとの乗客の意識が変わっていないからでしょう、さらに切符販売機の紙幣の認識率の悪さを体験していることもそれに加わるでしょう。ですから休みの日など窓口に列があっても、切符販売機の前はがらがらなんてこともよくあるのです。
一方、Putra高架電車は開通時から積極的に切符の自動販売機を導入してきました。各駅に数台設置されており、KL Sentral駅には10台ほど、次いでPasar Seni駅と KLCC駅はそれぞれ10台近くも設置されています、しかしその全部が常時稼動しているわけではありません、”お休み中”の券販売機がよく半数近くあるのです。問題はその機械と運営法そのものにまた存在するのです。
Putra高架電車の券売機は壁に埋め込んだタイプで、タッチ式スクリーンを使用しています。指でタッチするたび毎にスクリーンが変化し、そのスクリーン変化は結構敏感です。画面に表示された路線図上の駅名をタッチすると運賃が表示されます。慣れないと駅名を探すのにちょっと時間がかかります。次いで表示された運賃に従って硬貨、紙幣をそれぞれの投入口から投入するのです。その後切符とお釣りが出てきます。
スクリーンの変化と金銭投入後の反応は結構素早いので、機械それ自体は機能の優れた物だと言えるでしょう。
しかし運賃表示のスクリーンが出てくるまで乗客は目的駅の運賃を知る事ができないので、金銭投入時点で時間がかかるという欠点があります。壁と窓口に行き先駅毎の運賃を大きく張り出して、掲げておくということがどうして考え付かないのか、といつも不思議に思います。
さらにまたまたこの機械もRM1紙幣をほぼ受け付けません(一部の紙幣番号だけ受け付ける)。紙幣はRM2, RM5, RM10を受け付けるが、紙幣がお釣りとして出てこないので、RM10など実質的に使えないですね。それにここでもまた紙幣の認識率の低さで、入れた紙幣が付き返されてしまうのです。従って乗客は結局、係員が紙の切符を手販売する窓口に並ばざるを得ません。休みの日、朝夕などこの窓口は結構混むのです。切符販売機が割合たくさん設置してあるKLCC駅などでも、販売機ではまったく乗客をさばききれないので、窓口販売の替わりに机を外に持ち出して、通常の紙に料金を印刷した切符を手販売する専用カウンターを臨時設置しています。
これではPutra高架電車網が切符の自動改札しているメリットが全くなくなります。つまり手販売された切符は、自動改札機を通れませんからね。KomuterとStar高架電車と比べて、一番高機能の切符販売機を導入して積極的に切符自動販売化を当初から図ったPutra高架電車でも、結果として、切符の機械販売はあまり成功していません。だから開通してしばらくしてから、切符の手販売を平行して行なうようになったのです。
このように、両高架電車網の導入した切符販売機って本当に効率的なの?全部手販売した方がよっぽど効率的だと思えます。切符の販売法を抜本的に見直して、切符販売機をもっと効率的に使えるようにしよう!
都会生活をしていると、近郊電車、高架電車の切符販売機用だけにRM1硬貨の方が必要なわけではありません。バスに乗るときだって、硬貨の方が運賃投入口に入れるのは都合がいいのです。さらに、都会のちょっとしたビル、ショッピングセンターならまず内部に駐車場がありますよね、その時駐車券を受け取り、出る時に清算する所と一回いくらで駐車できる所にわかれます。現在ではショッピングセンターを含めて、1リンギット硬貨を投入できる駐車代清算機を備え付けているビルが増えました。こういう機械類はほとんど硬貨専用、中には1リンギット専用もある、ですから、1リンギット紙幣ではどうしようもありませんから、(KLIA空港のように)支払い窓口に並ぶか、あらかじめどこかで硬貨に両替せざるを得ません。
さらに非常に多くのドライバーに関係ある路上駐車の場合の支払い方法です。路上、空き地の公共駐車帯には、人手で課金する所は別にして、クアラルンプールのように1台毎に駐車メーターが設置してある自治体と、まとまった駐車帯毎に駐車券購入機が設置してある自治体に分かれますが、いずれの機械も硬貨専用です。1リンギット硬貨がないと、細かい硬貨が何枚も必要になり、不便を強いられます。ここでも1リンギット紙幣はお呼びではないのです。
こういったことから、都会の公共サービスの高機能化に不向きな1リンギット紙幣の何年かぶりの新規発行と流通増大は、結果として1リンギット硬貨がぐっと減ってしまったため、大いに疑問視せざるを得ません。
1リンギット紙幣なんか要らない! 以前のように、1リンギット硬貨を増やせ!
あっ、でもこういった公共及び私的サービスの高機能化に関係ない、恩恵のない地方と田舎ではまた別の意見でしょう。だからこれは小さな声で言っておきます。
マレーシアの新聞が言語を問わずつまり英語紙、華語紙、マレーシア語紙のどれもが、しょっちゅう載せている広告に ”偉い人への感謝”兼お知らせ広告があります。この種の広告は広告紙面としては最大部類に入り、大抵は一面又は半面広告のサイズです。この広告の特徴としていえることは、一般人又は顧客・取引先へのお知らせ目的よりも載せた”偉い人”へのおべっかの方が目立つ事です。同じ要件で広告出す同グループ社がまとまって共同で載せる場合もあれば、複数の社がそれぞれ別々にページ広告を載せたりすることもよくあり、こういう時は”偉い人への感謝”兼お知らせ広告が何ページも、時には10ページ以上も、続くことが珍しくありません。
それではここで、そういった広告を適当に選んで日本語に訳し、例としてあげておきます。
例1
ありがとう (の隣に大臣の大きな写真)
YB Dato' Seri 誰々、住宅と地方自治体省大臣閣下殿
Bayu Tasik コンドミニアムの販売開始と基礎杭打ちのためのオープン式にご出席していただいたことに対して
2001年8月17日
デベロッパーのXYZ Sdn Bhd と地主であるクアラルンプール市長より
主建設会社の名前と住所
これは半ページ広告です。「ありがとう」 が一番大きな活字、次いで大臣の名前も2番目に大きな活字です、 誰々と言う名前の前についているDato' Seri は、スルタンから賦与される称号です。政治家はこういう称号を好むのです。簡単に言えばコンドミニアムの打ち上げ式に大臣を呼んで宣伝に加わってもらったので、お礼広告を出したという体裁です。コンドミニアムの宣伝というより、大臣へのおべっか使い広告に見えるぐらい顔と名前が大きいのです。
例2
お祝いを申し上げます
何々プラスチック会社殿へ 、とその住所
新工場の完成を祝う正式オープン式典及び ISO規格9002を取得した事に対して
YB Dato' 誰々 エネルギー・マルチメディア・通信省の副大臣閣下の出席のもとでそれを行ないました
副大臣名の横にその顔写真
工場の写真と 会長、社長の名前と顔写真
(お祝い広告を出した)いくつかの会社より
ここに、10社ほどの会社名が載せてあります
掲載文句の順番に訳してありますので日本語の順序としてはおかしいのですが、何を訴えいかがこの広告文句の並びと字の大きさから、見る者には自ずと伝わってきます。
例3
ありがとう (大活字)
顔写真の横に、YB Dato' Seri 誰々、第1次産業省大臣閣下殿
パームオイル製品のマレーシア電子取引市場 (ePOMEX) の立ち上げに出席していただきましたことに対して、
2001年8月20日
(広告を出した)パームオイル製品のマレーシア電子取引市場 (ePOMEX)の取締役会議より
広告掲載主はこの場合、企業ではなく団体です。このように私企業ばかりでなく、何々業界団体、同郷団体、氏族団体なども広告掲載主になります。
以上の3つの例からすぐおわかりになりますように、”偉い人”とはほとんど政治家なのです。政治家といってもすべて与党連合に属する、大臣と副大臣級の国政の実力政治家と州の州首相級ばかりで、尚民族にはあまり関係ない、平の国会議員が登場するのはごくわずかです。州議会議員程度ではちょと無理なようですな。政治家以外には、スルタン家の者、クアラルンプール市長のような高位の公職者ぐらいでしょう。
尚野党政党はその幹部といえどもこういう ”偉い人への感謝”兼お知らせ広告 に登場することはまずないでしょう。例えあったとしても例外的出来事ですね。ですからこの広告の目的と効果は極めて みえみえと思われます。
マレーシアでは、工場、ショッピングセンター、州の公共施設、高層建物、何々施設、高速道路、ホテル、高級レストラン、同氏族・郷会館などが完成してそのお披露目するために、通常は実際にオープンしてから数週間から数ヶ月後にオープン式を開くのですが、その際担当官庁の大臣級とか州の州首相級を主賓として招いて、マスコミに売りこもうとします。その際主賓となる大臣級が、州首相級の人物がその会社に別に貢献したとかしないにまったく関わらずに、呼ぶのです。もちろんなんらかの口利きなどがあった場合もあることでしょう。
上で、ある施設などの完成したあかつきにと書きましたが、完成してなくてもコンドミニアム、公共施設の建設開始、打ち上げのように、これから建設にかかる時にそのお披露目目的に式典を催す場合もあります。オープン式典をはでに催したがそのあと立ち上がらなかった建物なども当然出てきます。
このように、”偉い人への感謝”兼お知らせ広告 の名目はなんとでも作れます。例えばISO規格の取得、支店の100店舗完成、海外との合弁契約の締結、研究所の開設などなどです。この数年これらに加わってきたのが、ある企業なり官庁なり団体がホームページを立ち上げる記念式典を催し、その場に実力政治家を主賓として招待するのです。
そして、こういう場に大臣らを主賓として呼んだその翌日又は数日後、まれにはその当日に、「ありがとう、何々大臣、うんぬん」の広告を各紙に載せます、1言語紙だけでは不充分でしょうから英語紙1紙と華語紙1紙に、というようにです。広告費用は、その工場を完成させた建設会社からつのったり、関連企業家に負担をお願いしたり、もちろん新工場を保有する企業が自社で全部出す場合もあるでしょうし、取引先会社がそれぞれ独自に出す場合もあるでしょう。こうしておべっか広告は紙面にでかでかと載るのです。華語紙のこの種の広告紙面は英語紙よりも大きく且つ多いように思えます、ただ程度の違いで本質的な違いではありません。
こういう広告に載る人物の顔ぶれをいつも眺めていれば、誰がマレーシアで権力と影響力を持っているかが自ずと感じられてきます。まあ、どの国でも政治家はそれなりに又は絶大な権力、影響力を持っているので、それ自体に文句はないのですが、筆者には極めて違和感を感じるのは、ジャーナリズムに属する新聞がこういった広告を掲載することです。日本はもちろん主要ヨーロッパ諸国と米国で複数言語の新聞を読んできて覚えている限り、この種の広告には一度たりとも出会ったことはありませんね。
世界の国によっては、与党寄り又は野党寄りの論調を明確に掲げている新聞社がありますよね、それもまたそれなりの行き方だと思います。しかし、それとこの個人政治家へのおべっか広告とは、もつ意味が違うはずです。この種の広告は、マレーシア社会と権力構造が極めて個人の力を基盤にしたものであること叙述に示したものですが、ジャーナリズムの主要な構成員である新聞が、収益増化のためだろうとはいえ、政治家個人におべっか使うことに片棒を担ぐあり方には、筆者は素直に同感できませんね。ジャーナリズムはジャーナリズムの立場を堅持して欲しい、と筆者は思うのです。
政府幹部ら政治家へのおべっか広告など見たくない、やめて欲しい!
これまでの当サイトでの発言や筆者の友人から聞いたところに拠れば、日本のVCD市場とマレーシアのそれとは大分違うようですね。ようですね、と伝聞体で書くのは、筆者が日本の家庭の娯楽嗜好にごく疎いことからで、以前は、日本でもVCDは人気で多くの人が買って見ているが、マレーシアとの違いはそのVCDがオリジナルであることだ、と思っていました。しかし実際のところVCD機そのものがとっくに時代遅れのAV製品になってしまっており、VCDを見る人自体が少ないと教えられました。しばらく前から日本はDVD時代に入っており、AV機械はほとんどDVD機であり、街で売られている映像音楽製品はDVDが多数を占めていると聞いています。この理解で間違いありませんよね?
当サイトの新聞の記事からで、これまで筆者はたびたび海賊版VCDとCD、取り分け海賊版VCDのニュースを掲載してきました。これはマレーシアの取締り当局とマスコミだけが海賊版VCDを問題にしているのではなく、海賊版VCDはマレーシア大衆の家庭の娯楽に切っても切れないほど深く入りこんでいるので、大衆社会に非常に関わりの深いニュースなのです。日本の家庭娯楽現状から推測すると、多くの日本人読者の方には、マレーシアでこれほどVCDが普及している現状とVCDへの需要がなぜこれほどあるということが、ピンとこないことでしょう。
このコラムを書いている筆者はVCD機を持っていませんし、持ちたいとも思わないので、マレーシア人がなぜこれほどVCD好きなのか理解できないくらいです、しかしその意識を共有できなくても知識としてはよく知っていますから、このコラムを書いているのです。もっともVCD機を持ってなくても海賊版VCDを買いパソコンのオーディオビジュアルソフトを利用すれば、小さく不鮮明な画像と不充分な音で見ることはできますが、そこまでしてVCDを見たいとは思わないのです。
マレーシア家庭の大多数はもちろんパソコンでVCDを見ているのではなく、VCD機又はVCD機能のあるAV機をテレビに接続して楽しんでいます。家電店、オーディオショップ、ハイパーマーケット、デパート、大型スーパー、時には青空市場の出店でも、VCD機は簡単に買えます。1台いくらかといえば、例を掲げてみましょう (広告に載っている有名メーカー製品の価格)
Samusung VCD放映機 RM400, Sharp 29インチテレビと Philips VCD放映機の組でRM1700、Philips VCD放映機 RM360
ぐらいであり、無名メーカー製品なら、RM200以下でも売られているようです。
卵が先か鶏が先かの論理ではありませんが、安いVCD機が低所得者層でも簡単に買えるから海賊版VCDがこれほど流行るようになったのか、それとも超安価な海賊版VCDがこれほど街にあふれているから、安いVCD機が手軽に供給され誰でも購買できるようになったのか、どちらなんでしょう、多分相互作用だと思います。でこの安価なVCD機の普及と超安価な海賊版VCDがこの何年もの間マレーシアの津々浦々を席巻していたのですが、この傾向にもちょっとかげりが見えてきました。それは新聞の記事で何回も載せているように、当局の海賊版VCDとポルノVCD(これももちろん海賊版)の取締りが、極めて本格化したからです。
当局の取り締まりは何も最近急に始まったわけではなく、数年前から断続的に行なわれており、その都度ニュースになっていましたし、時に地区によっては一時的に厳しく取りしまることもあったのです。しかし、取り締まり活動を長続きさせなかったし、地区が限られていたので、販売者側は売り場所を変えれば、又はその時だけおとなしくしていれば取締りを逃れられたのです。ですから、それまでの取締りは極めて不充分なものであり、その時にニュースになる程度で、現実問題として作って売る側も買う側ももほとんど影響を受けなかったと言っても過言ではないでしょう。一例を挙げれば、クアラルンプールの中心街にあるパソコンとVCD店の集合ビルである有名な IMBI Plazaでは、取締りがあるときだけVCD店は急いで店を閉めたり、休んでいました。翌日又は数日後にいけば、それまで通り何らかわらずの何千枚もの海賊版VCDを並べて売っているのです。(8月後半の時点でも同じです。)
なぜ取締りがある時だけ店を閉めることができるかは、取締り関係者に密告者がいるからです。これは海賊版、ポルノ版VCD取り締りに限らず、自治体や担当省がある対象、例えばカラオケ、パブ、サイバーカフェなど、を取り締まる時、こういった密告活動のために取締りが頻繁に空回りに終るのです。もちろん裏で利害ある者が又はシンジケートが直接なり間接的に金を渡しているからでしょうが、それが突き止めれる事はめったにないですね。
さらによく知られた行動にこんなのがあります。それは、取締り部隊の常駐する建物付近でギャング団、シンジケートグループの車、バイクなどが待機しており、取り締まり部隊が車で出かける時、その車を追走するのです、そして取締り目標地になりそうな地域の店などに携帯電話で即通報する。従って取り締まり部隊が到着した頃には、店はすでにシャッターを下していて証拠がつかめない、という手口です。通報する者と通報を受ける者の間ではもちろん裏で金が動いているでしょう。
この状況が大きく変わったのは、今年の中頃からです。それはポルノVCDの社会悪への影響が大きく問題されるようになったことと、映画会社、内外の音楽産業、芸能界からの違法コピー版取り締り強化への訴えが少しづつ当局に浸透していたこと、マイクロソフトを中心にしたビジネスソフト連合の執拗なる追求などが身を結んできたこと、外国特に米国からの著作権保護問題を要求する影なる圧力があること、だと分析できます。
さらに隠された動機に、ごく最近公表された政治目的の規制策、つまり国内野党・反対勢力の政治的メッセージを載せたCD、VCDに対する規制と取り締りもあるとみていいでしょう。もちろん野党はこれに反発しています。
これらの要因が相俟って政府は8月初めに、屋外でのVCD、CDの販売を全国的に禁止する、と発表しました。屋外販売とは、路上、市場、歩道などで屋台、移動店舗などを設けて販売する方法の事です。全面禁止の最終猶予期限は9月末ですが、それまでに各州、各自治体でそれぞれに対応策を施行する事になっています。即全面禁止にした州もいくつかあるし、猶予期間を設けた州もあります。
今回の政府のこの決定は、VCDなどを屋外販売する許可書を得た販売業者でも、屋外での販売は禁じるというもので、ショッピングセンター内や商店街の店舗でのオリジナルVCD、CD販売はそのまま許可されています。狙いは取り締まりにくい、つまりすぐ逃げてしまう路上の販売業者に一律に網をかぶせるというものです。この政府決定によって、地方自治体とこの問題を所轄する国内取引と消費者省による取締り活動がさらに厳しくなったので、悪質販売業者には確かに大きな影響を与えているようです。
公の取り締り強化に反発して、取り締り官とその自治体の長宛ての電話、手紙などでの脅迫行為が増えた、さらに取締官への反抗も増えた、海賊版VCDを投売りする業者も現れた、一方バンなどの車に積んで車を停めた場所でそのまま販売する業者、常連客には宅配する業者が出現していると、新聞は伝えています。海賊版の製造販売はそれが違法な事は始めから誰でも知っていますが、そんなこと一切気にせずに製造販売していた彼らが、普通に考えても、「はいそうですか、では作るのも売るのも止めます」 と素直に全員商売変えすることは到底考えれません。だからバンに積んで販売とか宅配もでてくるのでしょう。近隣国家へ密輸出することも増やすでしょう。
こういう製造と商売に関わる者は最初から、著作権どうのという意識など全くありませんし、違法を承知で商売して又は働いているのですから、取り閉まりが厳しくなったから単に一時的に商売変えするか、宅配手段を考え出しただけでしょう。以前このコラムで扱ったゲームセンターとインターネットカフェの前身は禁止されたビデオゲーム業者であり、その本質と商売方法はまったく変わっていないと筆者は分析、解説しましたが、それと同じことです。
なぜ製造者と販売者は取り締まりにあう危険性が常にあっても違法コピーVCDとポルノVCDを売るかといえば、いうまでもなくうまみがあるからです。著作権など一切気にする必要ないので、VCD1枚の制作費などRM1にも満たないそうで、それを彼らは夜店や出店でRM4からRM10数ぐらいで売っています。通常の映画よりポルノ映画の方が値段が少し高い。尚この値段は時によって上下します、つまり取締りなどが厳しい時は安くなり、緩んだときは多少値上がります。例えばパソコンソフト・OSの違法コピー版CDは、ずっと昔はRM10ぐらいでしたが、次第に値上がりし、RM30以上にもなりました。しかしまた最近がたっと下がったようでRM10数のようです。
オリジナルVCDの値段はRM10後半からRM40の範囲ぐらいです。人気のないハリウッド映画や数年前に公開されたハリウッド映画ならRM20前後になり、公開されたばかりの映画ならRM40近くになるのです。香港映画はハリウッドより全体的に安く新作でもRM20を切りますね。ボリウッド映画もハリウッド映画より安価なのは確かでしょう。
需要は常にあるので店や屋台に並べておけば客はやって来て売れるのですが、取締りが厳しくなってそこで値下げして数さばこうということでしょう。現在は在庫を売り逃げしようと、VCD3枚でRM10などというで店も出ているとニュースにありました。
こういう違法コピーVCD、CDをどこで製作しているかといえば、もちろん国内です。マレーシアは東南アジアの海賊版VCD、CDの1大中心地だそうですから。で国内にはVCD、CD製作を許可された工場が40ほどありますが、そういう所がこっそりと作っているのは公然の秘密でしょう。さらに許可を受けていないもぐりの工場もいくつかあり、最近手入れされてその存在が新聞で報じられています、現在の所14ほど見つかったそうです。小さな工業団地の一画でこっそりと製作していれば密告ない限りまず見つかる可能性はないのでしょう。
現在の取締り状況からいえば、違法コピー版VCD産業は一時的には下火になるでしょう。しかし当局の取り締まり活動として、1年近くもこういった大勢の部隊で集中的に且つ熱心にやる事は不可能ですから、それが終れば海賊版はまたあちこちで盛り返してくることは十分予想できます。なぜなら、何よりも違法版VCDへの需要があるからです。つまり上記のように生産する者と組織は一時的には勢いを押さえることがあっても、なくなることはないのです。彼らは時には生産場所を変えながら生産し、売る場所と手段を変えながら商売を続けていく、ということですね。
確かに正論ではあります。しかし道ははるかに遠いというところですね。消費者の意識改革を待っていては数十年はかかるでしょうから、ここはやはり取締り強化に進むべきでしょう。ただその取締りは販売者よりももっと製造者に向かうべきだと筆者は思いますね。売る側はどんな手段でも売ろうとしますし、取締りを避けることも比較的たやすい。しかし製造者は高価な機会を車に積んで逃げ回るわけにも、アパートの一画で製造するわけにもいきません。物を作る所がなければ売る事はできませんからね。
それとオリジナルVCDやDVDの価格を下げる事が必須でしょう。当然のようにマレーシアの消費者も販売業者も国内取引と消費者省もこのことを要求しています。VCD1枚が高い物でRM40近くもする現状で、オリジナルを売れ、買えといっても、多くは素直に受け入れられないのは当然です。明らかに高すぎるのです。オリジナルと海賊版に数倍以上もの値段に開きがあれば、ほとんどの人は安いほうを買うのは当然でしょう。いくら海賊版の違法性をついても買う人の購買意欲は減りませんし、くじけさせません。且つマレーシア社会には知的所有権一般に関する尊重と重視が根付いていません。こういう国と社会ではそれに見合った対応が必要ですね。
検閲による映画のカットを減らせば、海賊版の需要が減るという意見もあるようです。例えば上記で 「多くの消費者は、オリジナルのVCDを買うのは見合わないと考えている。オリジナル品の金額が高いすぎるだけでなく、検閲によって良い部分がカットされているからです。」 という消費者連盟の会長のことばを掲載しましたね、さらに、映画評論をしているある者は語る(8月29日の新聞で)、以下引用:オリジナルの価格よりも、検閲委員会の父親みたいな権威的態度による検閲が、この海賊版の繁栄の要因だと捉えています。「映画の中には相当カットされているのがある。それで映画館入場料に1人RM9払うのは見合わない。消費者は2つの選択がある:RM5払って鮮明で検閲されていない海賊版VCDを買うか、または検閲による流れの不自然さで見るものを不愉快にさせるそうした検閲された映画にもっと高い金をつぎ込むか、である。」
以上引用終り
確かに検閲が減れば映画見る者にとってそれはうれしいことですし、それを望んでいる人もいることでしょう。しかしこの検閲が減るとかましてやなくなるなどということは、マレーシアという国が存続する限り、無理な話ですね。先にも指摘したように、マレーシアではポルノとは何かが一切論議されずに、すべて当局のつまり警察又は宗教当局の判断する決定する”ポルノ”が、全てなのです。大衆には「それはポルノではない」という主張権利も、「ポルノとは何かを論議しよう」といった機会は全くないのです。だから検閲当局に、どこを検閲してその理由は何だと問いただすとか、なぜ検閲するのか、という反論は全く通らないのです。
政治的議題に関する検閲だけは別にして、映画や書籍の検閲では検閲そのものの是非を公開で論議する事もないし、検閲に真っ向から挑戦する論議も運動も起きてきません。もちろん国会の場やインターネットニュースグループ内での論議、主張あるが、一般市民段階に広がらない。だからある映画が検閲で上映禁止になったからといって、それへの抗議行動が起こるわけではないのです。検閲委員会がある映画をカットだらけにしても、芸術の自由、独創性を盾に戦う映画公開会社はいないし、地元の監督も映画会社もいません。映画検閲そのものはマレーシア社会の多数派が受身的に受け入れているのです。
マレーシアでは検閲は海賊版VCD以上に不滅です。ですから、公開映画に検閲がなくなれば、減ればオリジナルが売れるという論理は、はっきりいって前提自体が間違っていますから、成り立たないのです。
ところでソフトウエアCDの海賊版にちょっと触れておきましょう。
マレーシアはマイクロソフトのオリジナルソフトがRM500以上もする中で、海賊版ソフトがちょっと前でもRM30ぐらい、今ではRM10数で売られている社会です。この巨大な価格差と知的所有権への考え方のギャップを埋めるのは、現実問題として不可能ですね。世界のソフトウエア−ジャイアント各社がそのソフトウエアを数十リンギット程度で売る事はありえない、一方マレーシアの一般大衆がソフトウエア1本に数百リンギットも投資することも考えにくい。VCDのオリジナルと海賊版の価格差と捉え方以上に差のあるソフトウエアCDの問題は当分片付くとは思えません。
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クアラルンプールのチャイナタウンは、つい数ヶ月前までは海賊版VCD販売の天国でした。内外のたくさんの訪問者が買うため、他の昼市、夜市よりもVCD売る出店の数がずっと多く、もちろん堂々と販売していました。ポルノもあるよとうそぶいていたあんちゃんが多かった。去年あたりの海賊版VCD屋台の最盛期にはチャイナタウンの出店の3分の1から半分近い店がVCD類を販売していたぐらいで、異常な光景でした。何が観光客に人気の伝統ある安売り天国か、笑わせるなと、いう状況でしたね。たちの悪いごろつき若者が生意気な態度で通りすがりの人間に売りまくっていただけで、彼らにチャイナタウン盛況さに向けた商売人の熱情も、客をもてなす態度も全く感じられません。ただ一時の稼ぎとして、そこで働いて売るだけの奴らです。
しかしそういうことをつく地元論調はあまりないのです。究極的にチャイナタウンで儲けているのは華人社会の一部層ですが、なぜ彼らはそういう状況を向上させようとしなかっただろうか、筆者は不思議に思います。有名華人政治家もよく訪れており、状況は見れば分るはず、しかし手を打たなかった、当局の取締りを待つのみで自己浄化作用は全く感じられなかったですね。これもチャイナタウンの一面です。
さて最後に、違法コピー版VCD・CDについて、今年日本へ帰任された当サイトの常連で海賊版ファン(?)のToshiさんの論を紹介しておきます。下記の投稿文はゲストブックに書きこまれたものを保存しておいたものです。
これからの話はToshiさんの個人的見解であって、マレーシアに対するある方向から見た話であることを断っておきます。
海賊版に関する話についてはIntraasiaさんも、時々取り上げていますが、もう一つ、日本の方には分かりにくいと思います、というのは、海賊版と言っても原版が無いオリジナルなものもあるからです。
まず海賊版と呼ばれるものは、大きく分けて3種類あります。
1.VCD
2.コンピュータソフト
3.ゲーム
これらは、マレーシアでは、はっきり言ってオリジナルを手に入れるほうが難しい状態です。まず、VCDですが、これはさらに4種類くらいに分けられそうです。
1−1.ビデオテープなどのダビング品(日本映画で言えば黒沢明の「乱」等があります)。
1−2.封切作品などまだビデオも出ていないもの (映画館で取っているという説もあります、立っている人の影が映っていたとか)
1−3.裏物、二重の意味で違法な作品です、日本の裏ビデオもマレーシアでVCDとして、結構流通しています、一般の海賊版の1.5倍くらいの値段です。(いわゆる五星ものです)
1−4.???−日本の人気テレビドラマのオープニングやエンディングだけを集めたもの、当然オリジナルなど無い、キャストなどが出てくるので、今日本で、どんな俳優が売れているか知るのには便利ですが。
次にコンピュータソフトですが、マレーシアの海賊版のソフトの特色は、ウイルスが少ないと言うことでしょう、つまり、かなり純度の高い原版から
海賊版が作られているようです。もう一つは、CDキーそのものが変造されていて、オリジナルが推定できないようになっていることです、昔「新聞の記事から」に書いてあったことを裏付けるような話です。
最後にゲームソフトですが、これは本当はいっぱい言いたいことがあります。他のソフトと違って、ゲームの場合、ハード自身もマレーシアでは改造されています、今はプレイステーションは、PAL対応品がマレーシアで売られていますがPS1は、まだマレーシアで売られていません。
PS1の場合、日本から購入してきて、コピープロテクションをはずして、マレーシアで売っています、従って、PS1はNTSCですし、日本の1.5倍くらいの価格になります。プレイステーションの場合は、日本から購入していた時は、コピープロテクションに加えて国別プロテクションもはずしていたようですが、PS1に関しては2001年1月時には、まだはずせなかったようです、そのかわり、店で英語版のソフトを掛けるときのやり方を教えてくれましたが。
つまり、この場合は単なる海賊版ソフトの他に、海賊版ソフトが掛かる、機器の改造ビジネスと一体になっているわけです。
以上
米国での同時テロが起こった翌日、私は所要のため以前から予定していたので日本へ行って数日間滞在しました。泊まったホテルの部屋のテレビでたくさんのテロ関連ニュースを見ました。そこで感じたことについてはマレーシアにほとんど関係ない事なので、いずれ書くかもしれませんし書かないかもしれません。さらに新聞もいくつか目を通したのですが、その中の一つとして、9月15日付けの朝日新聞の”くらし”紙面に載っていた記事が目にとまりました。そこで、その話題なら幾分はマレーシアに関係するので、ここでその話題に絞って考えてみます。
見出し 「現地採用」格差浮き彫り
前書きに次のように書いてありました
世界経済の中枢、ニュ−ヨークの世界貿易センターには数多くの日本人が働いていた。このうち名前が判明し、安否未確認の人は日系企業の社員など20人余り。だが、実際は、ほかにも多数の日本人が行方不明になっているとみられる。「現地採用」や自営などの形で働く日本人で、海外就職ブームや人件費削減などで増えてきた。日系企業の本社と直接の雇用関係がなく、働いていたことすら確認できない。今回改めて浮き彫りになった、在米日本人の就労事情を探った。(くらし編集部取材班)
引用終り
このあと記事が続くのですが、少し抜書きします。
前略
日本のテレビは日本人の安否情報を続々とテロップで伝え始めた。 略。 駐在員の名前は漢字なのに、現地採用はカタカナ表記のままのものが目立った。
『海外で働く』などのムックを手がけたアルク社キャリア情報出版部の島崎編集長はテレビを見て、「なぜ同じ日本人なのに差がつくのか」と違和感を覚えた。
現地採用とは、日系企業の現地法人などに現地の人と同じ待遇で採用される日本人をさす。
だが、日本で正社員として雇用された駐在員と待遇には格差があり、・・・・・・
中略
「90年代後半以降、在米の日系企業は駐在員を減らし、現地採用を増やしている。駐在員より安い賃金で働く日本語のできる人材が求められるようになった。」 と島崎さんはいう。今回のテロ事件で、安否情報にも差が出てしまった形だ。
中略
ニューヨークのミッドタウンにある日系の人材会社「NEX USA」の寺元社長も、日本発の安否情報にいらだっていた。「日本の駐在員は会社に守られ、安否情報もすぐ伝わる。だが、日本人の不明者はほかにもいるはずだ。後略」
ビジネスマンだけではない。ビルの地下の店舗街には日本人客でにぎわう日系のラーメン屋があった。ほかにもオフィスに弁当を届けるなど、日本人向けサービスを行う業者も出入りしていたともいう。担い手の多くも現地採用の日本人だ。
外務省報道課は、「外務省で把握しているのは貿易センタービル周辺の邦人企業関係者や、日本人団体に所属している人。日系レストランがあるとは初耳だ」 という。
外務省によると、ニューヨーク長期滞在邦人は昨年10月現在で4万6千人。世界一多い。「あまりに数が多いため、現地にいる日本人全員の安否を確認するのは現実に難しい。略」
後略
この新聞記事の数字と比べれば、クアラルンプール及びその周辺の在住者はずっと少ない。マレーシア全土で在住邦人は外務省発表数字によれば2000年時点で1万1千数百人であり、クアラルンプール及びその周辺の在住者がその6割から7割を占めます。だから当然ニューヨークの邦人滞在数にはるかにかないません、数分の1の規模ですね。それでもごく大雑把に7,8千人前後は在住していることになるでしょう。
でニューヨークであれクアラルンプールであれこの邦人在住者数は大使館に在留届を出した人の数でしょう。滞在目的や滞在ビザの種類に関わらず届を出してない人ももちろんいますから、日本人の実在住者数はこれより多くなります。筆者はマレーシアでは住むようになった当時から在留届を出してますが、昔ある別の国にいた時は出しませんでした、出す気など初めからさらさらなかった。なぜなら別に届を出してどうのというメリットと必要性を全く感じなかったし、日本大使館のある首都からはるか遠方に住んでいたことからです。このようなことから在留届を出さずに終ってしまう人もいますね。
さて在留届けどうのは置いておいて、この新聞記事の主題である「現地採用 格差浮き彫り」 に話題を移します。まあ筆者にいわせれば、この格差などいまさら驚くべく事でも取りたてて騒ぐまでもないほど自明のことで、情報出版部の編集長のことば、「なぜ同じ日本人なのに差がつくのか、と違和感を覚えた」 などという発言を読んで、情報誌の編集長のくせしてなにを寝ぼけたこと言っているのだ、と思ったものです。
「90年代後半以降、在米の日系企業は駐在員を減らし、現地採用を増やしている。駐在員より安い賃金で働く日本語のできる人材が求められるようになった」 という米国事情はマレーシアを含めた東南アジアでもたいして変わらないはずです。筆者はマレーシアにおけるリクルート業界関係者でないので詳しい事はもちろん知りませんが、少なくとも現地採用で働いている日本人とその求人数は、(全日本人在住勤労者数と日本人求人数全体の)相当な比率に上るはずですし、その事自体珍しくも何でもないことは知っています。そういった現地採用の話しは度々耳にするし、筆者の友人2人も日系企業の現地採用として働いています。
マレーシアの、そして恐らく東南アジアの多くの日系企業はもう何年も前からこうした現地採用を積極的に取り入れているのです。なぜ日系企業が現地採用を好むかといえば、いうまでもなく日本から派遣する駐在員より直接だけでなく間接費用も少なくてすむ、雇った者の転勤後などのポストを考慮する必要がない、永年雇用を前提としていることは極めて少ない、といった理由が考えられます。
間接と直接の費用が少なくすむという点を説明しましょう。
現地採用者の給料額は通常駐在員のそれよりより低くても構わないこと、日本の企業から駐在又は出向でマレーシアに派遣してもその本社企業は駐在員の年金と健康保険などの雇用者負担分である毎月の掛け金はこれまで通り日本で収めますが、現地採用者には関係ない、そして駐在員に対しては家族手当や日本との里帰りと往復交通費、引越し費用などを企業が負担するのは当然でしょう。さらに通常駐在員は日本で支払われる給料分も多少はあります。これらを合わせたのが総費用ですから、駐在員派遣の間接直接の費用は安くはつかないのは当然ですね。
一方現地採用であれば、日本で給料を払う事はありえないし、年金と健康保険の掛け金は初めから必要ありません。日本への里帰り切符代も引越し費用もかかりません。外国人には加入を義務つけられていないマレーシアの被雇用者福祉基金(EPF)でさえ拠出分を収めない会社もたくさんあるようです(被雇用者自身が給料が減るのがいやで収めない選択する場合もある)。つまり雇用者負担分である給料の11%ほどをEPF当局に毎月納めなくてもいいのです。尚EPFは、マレーシア人従業員には加入が義務つけられているので、雇用者としての負担分は毎月必ずEPF当局に収めなければなりません。
さらに現地採用日本人なら、任期を務めた後の日本での職位と職場の心配をする必要はまったくないし、永久雇用も前提となっていない、昇進を優先して考慮する必要もないのです。
こういったことから、日本でも海外でも低成長時代に入った90年代以降の日系企業が、日本人の現地採用を積極的に進めているのはマレーシアでも自然な成り行きでしょう。これは善悪の問題なのではなく、企業論理と思考から言えばいわば当然の帰結ですね。
でこれを、つまり駐在人とは格差があることを承知で現地、ここではマレーシア、で就職している日本人がほとんどだと思います。駐在員と同じ待遇を要求して又は期待している現地採用者はまずごくごく少ないのではではないでしょうか。もちろん好むと好まずに関わらず又はそういう選択をせざるを得なかったという意味においてですよ。駐在者の観点を推測すれば、現地採用者より(上方の)差をつけた状況にあることは暗黙の権利・要求でしょう。海外で働いた事がなく現地採用の意味をよく知らない方は、ここで現実をよくつかんでくださいね。
さてこの現地採用組が、今回ニューヨーク世界貿易センタービルの崩壊での行方不明者に含まれているのではないかという推測ですが、それはいずれ相当程度明らかになる事だと思います。インターネット時代ですから情報収集の利点が活かされることでしょう。
もしクアラルンプールで大きな災害・火災などが起こって、多くの日本人がそれに巻きこまれたと想定すれば(話しの進め上の単なる仮定ですよ)、規模が違ってもこれまた国際貿易センタービルの場合と似た結果になることでしょう。駐在員の消息は現地採用日本人よりつかみやすいし追いやすいのはあたりまえですね、日本の本社がつかんでますから。でも現地採用日本人でも家族がいる人は行方不明がすぐ判明しやすいし、家族がいなくても日本人の友人・同僚の問い合わせで行方不明である事が次第に明らかにされていくことでしょう。ただそれが日本のマスコミや大使館にすぐ届かないのは致し方ありません。
駐在員と現地採用者の間に、「なぜ同じ日本人なのに差がつくのか」ではなく、差がつくこと、差をつけることが前提になっているのです。これは差別でなく、今や海外ビジネスの前提又は常識なのです。ですからこの前提を、好む好まずに関わらず承知した者だけが現地採用で働く又はそれに応募すべきだと思いますね。
尚筆者はといえば、現地採用でも駐在・派遣でもありませんし日本人コミュニティーの完全なる外側で生活していますから、現地採用組よりもずっと状況は落ちます、まあこういう災害がわが身におきれば行方不明さえも判別しない存在です(ホームページが更新されないからおかしいなと思う方はあるかもしれませんな)。でもそれを嘆くのではなく、ちゃんと認識し承知して暮らしているということです。
格差あってもそれにめげず、現地採用者の皆さん、頑張ってくださいね。
マレーシアのインド人コミュニティーは、20世紀開始前後頃からマラヤにゴム農園労働屋として労働移入された人たちを父祖にする人たちがh比較多数を占めます。その頃から生ゴムは錫と並んでマラヤの最も重要な産物でしたから、ゴム農園に多量の労働者が必須とされた時代です。マレーシアのインド人はこうしたゴム農園労働者としてやって来た南インド出身のタミール人が主体であっても、もちろんそれ以外の民族も、それ以外の職を得ていたインド人も当然ありました。すでに19世紀中盤に海峡植民地にに渡ってきて商売などを営んでいた者、英国植民地の官僚組織の下部役人や警察官を務めた者、インド北部出身の労働者や商売人、教員、医師など高学歴の職を占めた者、これらの人たちの子孫も現在のマレーシアでインド人コミュニティ−を構成しています。
インド人中で数は少なくてもその姿から目立つのはターバン姿の人ですが、彼らはインド北部パンジャビ地方出身のシーク教徒でありヒンズー教徒ではありません。シーク教徒はその職業として警官、軍人、弁護士、医師などに比較的割合が多い事が、絶対数が少なくても彼らを目立つ存在にしています。インド人の宗教多数派はもちろんヒンズー教徒ですが、ムスリムのインド人は結構目立ち、クリスチャンも小数ながらいるのです。このように、インド大陸の広大さと多様性を反映してインド人も様様ですから、インド系マレーシア人はこうだと大雑把にひっくるめてしまって一般化すると、誤解や間違った印象を与えかねないことに気をつけなければなりません。
筆者はインド人コミュニティーに関しては、華人コミュニティーとマレー人コミュニティーに比べて、その知識が浅いため当コラムでもたまにしか触れてきませんでした。それはインド人が総人口の1割にさえ満たないということもあるし、身近にインド人との交流がないこともあるし、ヒンズー教に興味がほとんどないこと、タミール語を全く知らないことなどからです。従ってこのコラムで述べるのは、幅広い分析ではなく、タミール人コミュニティーが一般に抱えているといわれる問題を中心にしたことです。当然深く踏み込めないことはあらかじめお断りしておきます。
初めにタミール人の置かれた歴史状況を知ってもらうために専門家の論を借ります
20世紀のマラヤに移住してきたインド人の状況をかつてマラヤ大学で教え、現在はオーストラリアの大学で教える東南アジアの経済史専攻の教授Amarjit Kaur女史が描いた一文(9月3日付けThe Star紙)から抜粋紹介しておきます。
マレーシアがマラヤであった当時、インド人の多数派はプランテーション農園労働者でした。プランテーション農園で賃労働するということは、農園内の共同住宅で暮らすことと同一であり、そのためにインド人農園労働者は他の社会からある種の疎外された環境にあったわけです。このプランテーション農園労働システム自体がインド人労働者の社会全体への融合に抗する方向を持っていたのであり、民族と職業差別化を行なったのです。
インド人農園労働者は、よい給料の仕事を他の地で見つけられることができるような技術を取得できなかった。さらにインド人農園労働者は自分らで食物を栽培する事を奨励され、結果としてある種の自給状態におちいり、小作人としての状況を再構築したことになりました。プランテーション労働者というのは結果として、ある部分は賃労働者であり、ある部分は農民であった、その部分的にプロレタリアートであり部分的に小作民であるという彼らの位置が、資本の労働に対する圧倒的優位さを手助けした。
さらにマラヤへの移住労働者として、彼らはよそ者だとみなされていた、つまり市民権、他の法的、政治的市民的権利には縁遠いよそ者だと見なされていた。そしてもし悪い行動をすれば本国へ送り返される又は経済状況が悪化すれば本国送還させられることが条件付けられていたのです。このように移住農園労働者はマラヤでは社会の進歩から取り残され囲われた立場にあったのです。彼らの賃金は第二次大戦後で、日に50セントであり、それもゴムの相場に関連していました。ゴム相場が落ちれば賃金は下がった、しかしゴム相場が上がっても賃金は上がらなかった。
20世紀の後半、マレーシアは原材料の第1次供給者から製造業の新しく産業化した国へと変化をとげつつある。しかしこれがプランテーション労働者の生活に向上に結びついていない。ゴム農園ではインド人労働者は依然として相当なる割合を占めている。プランテーション農園での賃金は産物のその市場価格に依然として結びついている。つい最近の2001年3月まで、賃金は日給で払われていた、なぜならそれは賃金の日払いシステムを操作するのはよりたやすい事だから。賃金を月払いする体系はパームオイル・プランテーション農園の労働者だけにとり入れられた。(パームオイル農園は主としてインドネシア人労働者だ)
この2つの作物の重要度を比べれば、ゴムはパームオイルより劣る。そしてゴム農園労働者の他のプランテーション労働者より重要さが落ちると見なされている。プランテーション農園の持ち主は替わった、しかしプランテーション労働が際立って変わったということはない。
以上
現在でもプランテーション農園労働者の置かれた状況と立場は基本的に当時と変わっていないということは、よく伝えられることです。低賃金と低学歴状況に置かれたインド人農園労働者という図式です。しかしこの農園労働者もマレーシア社会の経済構造の変化と、自らよりよい賃金機会を求めて少なからずの者がプランテーション農園を離れ都会に出てきています。ただ都会に出てきても、物価と家賃の高い都会では彼らの住む場所は限られてしまいます。つまり元農園労働者の仲間の多い地区か、昔から都市のインド人が固まって住んでいる地区になりますね、具体的には必然的に低所得者住宅地か非法住居地帯に居を構える事になります。
ここに都会ながら発展から取り残された地区に住み、スラム的状況下に悩むインド人低所得階層の問題が発生してきます。いわく犯罪発生率が他地域に比してぐっと高い、ギャング団に属する若者の比率が高い、学校から脱落する若者が多いなどといった負の面を強調した報道が時々なされます。今年中頃スランゴール州の中流層が主体の市スバンジャヤにあるカンポンで起きたマレー人によるインド人への襲撃事件は非常に重大な出来事でしたが、その対象になったのは、ほとんどこういった発展から取り残されたマレー・インド人集落の居住者がほとんどでした。
衛星テレビは暴力的インド映画を放映すべきでない(Star紙に載った9月10日の投稿を翻訳)
(有料衛星テレビの)ASTROは毎日インド映画も放送しており、マレーシア人はそれを喜んでいます。これも政府のおかです。しかしながら、Vaanavilチャンネルはその放送内容に責任を持つべきであり、インド映画、特にタミール映画の暴力的なシーンを放映しないようにすべきです。全員が私の意見に賛成するとは思いませんが、社会経済的問題がインド人コミュニティーにおける暴力の根源だという批評もあります。
しかしながら映画はこれに寄与しています。何世代もの間インド人に与える映画産業の影響は、彼らをテレビの前にくぎつけにしてきた、インド人政党やNGOが提供する健康的な多くの番組、機会、プロジェクトを無視することになった。
インド映画はもはや50年代から80年代のそれではない。その頃の映画は多くの倫理的教えと価値を持っていたが、最近の映画はほとんどのインド映画は若者に悪い影響を与えている。多くのインド人若者はそういった映画を見たシーンの暴力的行為を真似る。彼らは関係ない者を殴り、ギャング同士のけんかで相手を殺す。中には暴力映画の尊敬する役柄に習って名前をつけているのもいる。
中略
さらにいえば、父母や年上の兄弟は若者がそういったチンピラや暴力的人間とつきあうのをいさめるべきだ。若者向けの家庭カリキュラムをたてるべきです、それには家庭での仕事、教育活動、宗教クラス、倫理的レッスン、ゲーム、スポーツなどです。
警察や当局は問題が起こってから行動するのではなく、防御的手段をとるべきです。マレーシアを安全な国にすべきです。
マレーシアインド人ビジネス協会の会長の新聞投稿より
マレーシアのインド人の人口の4分の3は南インド系のタミール人です。インド人子供の通う国民型小学校がタミール語で教育するタミール語小学校であるのはこの理由からですが、もう一つ理由がありまして、それはタミール語小学校の前身に、上記で説明したゴムプランテーション農園でインド人労働者向けに初等教育を提供する必要性から建設された所が非常に多いということです。都市部にもインド人の多い地区ではタミール語小学校がありますが、大多数は郡部にあるといわれています。前身が貧しいインド人農園労働者に基本的教育を与える目的であったため、小学校の施設とそこで教える教員の資格自体が非常に不充分であったのです。
都市部に住み商売人の多い華人の設立した華語小学校は、華人組織の経済的優位性と相互扶助で資金的と人材面ではタミール語小学校の水準よりずっと上だと言われており、事実もそうなんでしょう。小学校最終学年で行われる全国統一試験の結果でも華人生徒平均がインド人生徒平均を常に上回ります。(以前のコラム”数字で見たマレーシア”の中で示してある)
こういった歴史を背負っているタミール語小学校は、現在でも華語小学校に比べれば非常に困難な状況に置かれています。タミール語小学校は国民型ですから、国民小学校と違って政府からの補助はごく一部しかでません、つまり運営は自力でやっていくしかありませんが、華人コミュニティーのように互助組織自体に力がないことと経済的劣勢からタミール語小学校は施設と人材面で常に不足・不充分状況に陥っているのです。こうして全国に500数十校あるタミール小学校の苦境は、もう自力では解決できない状況のようです。
こういうこともあって、インド系マレーシア人の家庭が子供をタミール語小学校に通わせている率は華人のそれに比してぐっと落ちます。農園内にあるようなタミール語小学校ならその農園に住むインド人はそこに通わせるしか選択はありませんが、地方の町や都会のインド人はタミール語小学校に通わせる以外の選択が十分あります。その代替選択はまずマレーシア語教育の国民小学校であり、次いで国民型華語小学校です。さらにもう一つの理由として、タミール人でないインド人家庭にとって、マレーシア語、英語、華語に比して通用力が極端に落ちるタミール語を強いて選ぶ必要性に欠けるということもあるはずです。
こうしたことから、タミール語小学校に通わせるインド人家庭の比率はインド人生徒全体の6割強なのです。華人の家庭が9割以上を華語小学校に通わせているのに比べれば差は明らかですね。
インド人はマレーシアの3大民族の1つと言われてますが、20世紀のマラヤとマレーシアにおいてその人口は常に総人口の1割以下でしたし、それ以上の比率になることは今後もありません(インド人がマレーシアに集団移住してくることはもうないから、自然増加率以上に人口比が増えることはありえない)。プランテーション農園の中だけのような住民数の少ない狭い地域だけを見ればインド人多数派の地域はあっても、州議会又は国会の1選挙区を構成するほどの広さをもつ地域では、インド人は多数派を構成できません。従ってインド人が過半数を超えるような選挙区は全国に1箇所もありません(たしかインド人の率が3割ぐらいを占める選挙区が最高)。つまりインド人だけの利益を全面に掲げてもその選挙で当選する可能性はないことになります。
このためインド人政党MICは与党連合に参加する道を独立前から選び、この与党連合BNの一員として、MIC(マレーシアインド人会議)はインド人候補者を立てる選挙区を割り振られて、その結果一定の議席を確保しているのです。マレーシアの選挙制度に全国区で得票比例代表制がもしあったとしたら、こうしたありたかにも変化があったかもしれませんね。
このコラムではこのように、タミール系インド人コミュニティーの負の面をいささか強調する結果になってしまい、筆者としても申し訳ない気持ちを感じます。そこで、なにぶん筆者の依存する情報源と見聞に現れる彼らの像にはこういうことが多いという言い訳を最後に書いておきます。
サラワク州はサバ州と並んで、半島部とは民族構成も違い、歴史も独自のものを持っています。従って半島部居住者にはたいへん分りづらいのです。そこで9月後半に行われたサラワク州議会選挙を軸に、サラワク州のあらましと基礎知識をまとめてみました。
マレーシアは選挙の少ない国です。国政に解散がないだけでなく、各地方自治体では首長も議員も選挙で選出されるのではありません、すべて上部からの指名です。よって国会議員選挙以外に選挙があるのは州議会だけです。クアラルンプールは州でないので議会はありません。一方州首相は連邦政府の首相、つまりマハティール首相の指名です(州ではスルタンの認証という儀式はありますが)。
さて半島部では州議会の選挙は5年毎に国会議員選挙時と同時に行なわれるのですが、サバ州とサラワク州は別の時期です。今月行われたのはサラワク州議会選挙です。任期満了のちょっと前である9月初めにサラワク州首相が州議会解散を宣言して選挙戦に入りました。公示が 18日で、投票日が27日でした。結果は最下段に示してあります。
サラワク州は圧倒的に与党連合Barisan Nasional (BNと略称)が伝統的に強く、野党は議席数1割にも満たないのです。サラワクのBNは地元政党である4党が連立しており、核はブミプトラ政党のPBBで、マレー政権党のUMNOではないのです。なぜならUMNOが全国で組織を持っていないのが唯一サラワク州なのです。これは歴史的且つ民族的かかわりからで、この4党が国政段階での政府与党連合BNに加わっているのです。華人与党MCAもサラワクには組織がありません。インド人はごく少ないので、インド人政党の活動はないようです。
野党は以前からDAP党が華人地区でそれなりに影響力を持っていました、半島部で強いPAS党はまったく影響力はありません。Keadilan党は今回いくつかの議席に候補者を立てましたが、結果は惨敗でした。こういったことから、サラワク州は半島部とは相当違った政党状況ですね。
ところでサラワク州は半島部全体よりわずかに広いという超広大な面積を誇りますが、人口は200万強、投票できる有権者数はわずか86万人ほどで、選挙区が62あります。従って、候補者の選挙地区は都市部の一部を除けば、ものすごく広大ということになります。川をボートで上り、4輪駆動で山間地帯を駆け巡らなければならないそうです。投票もたいへん、僻地の人は1日がかりで投票所に出てこなければならないそうです。すべてが半島部とは違うスケールの選挙ですね
サラワク州は超広大で構成先住民族も多様です。公式な数かどうか知りませんが38の小数民族に分れているとのこと、当然言語もそれぐらいの数あることになります。サラワク州人口200万人強の内、約半数が到達するだけでもたいへんな内陸部の僻地に居住しています。州最大の民族はイバン人で、マレー人は5分の1を占める程度です。小数派中の小数派は、準遊牧の民であるPenan族で15000人ほどです。プナン族はスイス人活動家ブルーノマンソルと西欧マスコミ報道のおかげで世界的に抵抗する小数民族として知られていますね。(これに関して、心情的には応援したくなるものの、現実知識がないのでコメントは控えます)
僻地と田舎の民にとって、新聞が届かない分ラジオとテレビへの依存度は高くなり、ロングハウスでは一般的な光景だそうです。ただ僻地には電気が供給されてない地区も依然としてあり、自家発電機を回している所もかなりあるそうです。
サラワク州のラジオは半島部にないユニークさを持っています。公共放送局RTMは、通常のマレーシア語、英語、華語の他にBidayu語、 Iban語、 Kenya/Kayan語, Bisayah語での放送もあるとのこと。民放放送局のCATZ Radioは1996年に設立されてサラワク州の多くで聴取できるそうです。使用言語は、マレーシア語、英語、華語とイバン語です。CATZ RadioはCrystal Harta Sdn Bhdが所有。
半島部で放映している民放ntv7局は、サラワク州選出の議員が所有しているそうです。ntv7局は半島部都市部だけで放映されていると思ってましたが、ただサラワク州の都市の一部でも放映されているのかどうかを筆者は知りません。
サラワク州は全国紙よりも地元新聞が普及している
Sarawak Tribune(英語紙?), Utusan Sarawak(マレーシア語紙?), Chinese Daily News(華語紙)のいずれも、政府与党連合に属するサラワク地元政党のPBBが株を所有している。従って政府与党連合傾斜の新聞だそうです。
International Times(華語紙?)と Berita Petang は州のビジネスマンの所有、Miri Daily News(華語紙?)
その他TheMalaysianTodayというのがあるそうです
どれも政府よりの新聞だそうです。いすれも200万人強の人口でこれだけ種類の新聞があり、さらに僻地・奥地に配達されず言語別にわかれていることから、どれも発行部数の極めて少ない事は容易に推測できますね。
一般にマレーシアでもプロパガンダ並に広報されているし、よく知らない、調べない日本人が書いている書籍やホームページでマレーシアの独立は1957年であるとなっているようですが、マレーシアの独立ではなく半島部だけで構成されたマラヤ連邦の独立が1957年8月31日なのです。マレーシアという国は1963年まで存在しなかったのです。
マレーシア( Federation of Malaysia )という国ができあがったのは、1963年9月16日です。この時マラヤ連邦に当時まだ英国植民地であった3地域つまりサラワクと北ボルネオ(現在のサバ)とシンガポールが参画して、マレーシア連邦ができあがったわけです。この後1965年8月にシンガポールが離脱したので、現在のマレーシアとなった。
ボルネオ島のサラワクはサバとは違った歴史を持っており、第二次世界大戦前の1941年までの約100年間、白人王ブルック家の支配下にありました。その後第二次大戦終結までの短期間日本軍の占領統治下にあり、ついで英国植民地になりました。最終的に独立したのが、1963年のマレーシア連邦参画・結成時です。
マレーシアという国の結成はすでに1961年5月の時点で構想されていたそうですが、半島部の支配マレー政党UMNO、サラワク、北ボルネオ(サバ)、シンガポールにそれぞれ思惑があり、結成までには紆余曲折があったようです。
USM大学の講師を務めるOoi Keat Gin 博士の解説から一部抜粋
ボルネオの領土は当時マレーシアという枠の広がった連邦構想下では必須の構成要素であった。1960年の調査では、北ボルネオとサラワクとブルネイの住民130万人のうち7割がマレー人及びムスリムと非ムスリムの先住民族であったので、ボルネオ領土は華人の圧倒的多数のシンガポールを平衡させるものとして、好意的に見られていた。しかし、この民族要素は公式には強調されなかった。
このマレーシア構想に対して、サラワク最古で有力政党のSUPPが反対していたとのこと。
マレーシア構想を実現させる中で、当面の保証事項がありました。それには、宗教の自由、英語の地位、出入国管理権、土地、連邦政府の国会における代表に関わる事、先住民族の特別地位と特典などです。
以上
この中で”先住民族の特別地位と特典”とは次のようなことです。
サラワク州の先住民族が持ち且つ主張するものに慣習権があります。先住諸民族はこの慣習権をそれぞれの宗教と文化と同じくらい強く捉えているのです。先住民族にとってこの権利は先祖から受け継いできた、そして子孫に引き継いでいくものであり、且つ生活の一部であり構成部であります。
先住民族は慣習権中のとりわけ土地の慣習権をどんなことをしてでも守ろうとします。これは、ある土地はその先住民族に属するという権利です。サラワク州において、先住民族と州当局に間における土地慣習権の解釈を巡ってめぐって過去多くの軋轢を生んできました。暴力ざただけでなく、多くのその争いが裁判所に持ちこまれてきました。争いの中心は慣習権を持った土地の境界を巡ってです。
この土地慣習権はサラワクが英国白人ブルック家の支配化にあった時代から、公式に認められていました。先住民族にとって、ある未開のジャングルを切り開いて栽培を始めた者がその土地に対する慣習権を認められるという土地慣習権が、慣習権の基で常に認識されてきたのです。小数民族は、その墓地、先祖を敬う建築物と立てた所、狩猟をする場、魚を得る川などの地域を彼らの土地慣習権の場と捉えます。土地慣習権は、先住民族が切り開いた又は彼らが日々の生活に使われる土地の全てに及ぶのです。
サラワク州政府にとって、土地開発は様様な法律で法定されています。その中で一番重要な法は、1958年1月に法定されたLand Codeです。法の規定では、LandCodeによって、開発のために公共インフラ建設のために州政府は土地の譲渡された土地を獲得できるとなっています。それには土地慣習権を持った土地も含まれます。当局は土地を収容すればそれに対して補償金を払う必要があり、その補償金の算出は市場価格に従います。ここで通常紛争が発生するのです、収容する土地の境界に対して州当局と先住民族の双方の捉え方に違いがあるからです。そうして紛争は政治の場に波及し、選挙の争点にもなるのです。中略
サラワク先住民であるDayak -Iban協会の幹部は、多くの先住民族土地主が協会にその不満を持ちこんで来ると語っています。
後略
以上 (この項は9月5日付けStar紙の記事を訳したもの)
ところで、半島部の先住民族であるオランアスリはこの慣習権を認められていません。慣習権に関して、サバ州とサラワク州の間でも多少違いがあるはずですが、筆者はよく知りません。半島部とサバサラワク州の間には歴史的経緯から、こういった重要な点で法律上及び慣習上の違いが今尚存在しているのです。
では最後に今回の州議会選挙の結果です。
民族分類 | マレ-人とムラナウ人 | 華人 | イバン人 | ビダユ人 | オランウル人 | その他 | 合計 |
有権者数 | 23万4千人 | 29万1千人 | 24万6千人 | 6万8千人 | 2万6千人 | 2千人 | 86万8千人 |
構成比率 | 26.9% | 33.5% | 28.4% | 7.9% | 3.1% | 0.2% | 100% |
サラワク州州議会選挙で投票、即日開票が終り、与党の記録的圧勝という結果があきらかになりました。与党連合BNの構成政党である州議会与党4政党で60議席を獲得、野党は華人政党のDAPが1議席、無所属1議席の合計2議席のみでした。25という多くの選挙区で候補者を立てた半島部の野党Keadilan党はわずか総得票37000票ほどで当選なしに終り、3つの選挙区だけに望んだPAS党も、得票数2800で議席を獲得できませんでした。投票率71%。
以上
与党連合を構成する地元政党 | 計 | 半島部を基盤とする野党 | サラワク州独自 | 計 | |||||||
政党名 | PBB | SUPP | PBDS | SNAP | DAP | Keadilan | PAS | 諸党 | 無所属 | ||
立候補者数 | 30 | 17 | 8 | 7 | 13 | 25 | 3 | 5 | 63 | ||
当選者数 | 30 | 16 | 8 | 6 | 60(女性3) | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 |
Parti Pesaka Bumiputera Bersatu (略称PBB): 州予定連合の要の政党。州内のムスリム(マレ人)と非ムスリムブミプトラ(Dayak人と Melanau人)を母体とする。州首相のTaibはこの政党出身
Sarawak United People's Party (略称SUPP)
1959年サラワク州の最初にできた多民族政党。州与党連合で2番目に大きい政党。現在は華人がその党員・支持の多数を占めるそうです
Sarawak National Party (略称SNAP)
40周年を迎えた政党で多民族政党を歌う。支持層は郡部のDayak人が多いとの事
Parti Bansa Dayak Srawak (略称PBDS)
SNAP党を離党したグループが設立した政党。文字通りダヤック人主体の政党
野党
Democratic Action Party(DAP)
半島部を基盤にする伝統的野党のサラワク州支部。前回の州議会選挙で3議席獲得。華人基盤
Parti Islam Semalaysia(PAS)
半島部を基盤にするイスラム政党のサラワク州支部。半島部と違ってその影響力はごく薄いとの事
Parti Keadilan Nasional
これも半島部を基盤とする野党。党員の多くは州内の元DAP党員だそうだ
State Reform Party
主としてBidayu人に支持基盤を持つ地元政党、しかし政党としての影響力はごく弱いとのこと
−米国同時テロ事件を契機に、国内武闘組織の存在暴露とPAS党への攻勢を強める与党政府の動きを考える試論 −
9月11日に起こった米国の同時テロ事件で世界的にいわゆる”ムスリム過激派または極小戦闘グループ”の活動が注目を浴びていますね。”ムスリム過激派または極小戦闘グループ”と呼ぶのが正しいかどうかはここでは論じませんし、それは私の専門外ですので、いわゆるというカッコ付きで使用しておきます。
でマレーシアは定義はどうあれイスラム国家の1種であることは誰も否定できません。ですからこれらの事件の影響はイスラム教を国教とする国として、支配側としてうける影響と、国内の過半数人口を占めるムスリムに与える影響、そして非ムスリムに与える影響、の3つの面に現れます。
非ムスリムに与える影響は他の多くの非ムスリム国の国民とたいして変わりはありません。テロ事件に対する受け止め方は一般日本人の受け止め方とあまり大きな違いはないといっても間違いではないでしょう。それでは国内のムスリム一般にはとうか、テロ事件の実行犯はアラブ系ムスリムとほぼ決めつけられているし、それに対してその決めつけは絶対に違うという反論が起きてない状況下なので、テロ事件を支持するムスリムはまずいないでしょうし、例えいたとしてもマスコミにその声が載る事はありえません。国内インターネットニュースグループの書きこみにテロを支持する声は、筆者が眼にした限りではありませんでした。これまでの国内各種情報から判断する限り、一般ムスリムも事件に衝撃を受け、テロ行為を批判するというあり方だと推測されます。
で国家として政府支配者側はこのテロ事件をどう捉えたか。もちろんテロ行為を批判していますし、犯人である”ムスリム過激派または極小戦闘グループ”の情報を与えてくれれば協力はやぶさかではないとしています。犯人とされているアラブ系ムスリムグループがマレーシアのなんらかのムスリム組織と直接的関係を持っていた疑いはこれまでまったくでていません、従ってテロ事件の犯人グループ(といわれる)のが事件前に起こした行動の飛び火がマレーシアに及んでくる事はこれからも考えられない状況です。
事件そのもに対してだけでなくこういうテロ事件を起こした(とされている)”ムスリム過激派または極小戦闘グループ”を、国家として支配側として強く糾弾しています。しかし国家の支配側としての論理は単にそんな単純なものでないのは、世界の国々と同じですね。このテロ事件を契機に去年頃から強烈に進めてきた国内ムスリム過激・武闘グループへの取り締まりをさらに徹底しておこない、さらにはムスリム反対勢力への攻勢を強める意向が感じられます。でその国内ムスリム過激・武闘グループのことですが、政府・与党UMNO指導部は、マレーシアにもムスリム武闘・過激グループが存在しそれは国の治安に危険を与えている存在だと何回も強調しています。存在が事実であれば、支配側としてそういったグループに厳しい取締りをするのは当然のことですね。
警察は、もちろん政府与党の意向を陰日なたに受けてのことでしょうが、テロ事件の発生以前からこれらのムスリム武闘・過激グループを摘発し逮捕してきました。政府・与党UMNO指導部もテロ事件の前からこのムスリム武闘・過激グループの危険性をしきりにマスコミに語ってきました。その中で常に強調してきたのが、これらのムスリム武闘・過激グループのメンバーにPAS党員が含まれているということです。もちろんPAS党が関与しているとは言っていません。しかし何かを臭わせているのは間違いありません。それを感じ取っているPAS党指導部は、逮捕者にPAS党員がいることは認めてはいますが、党としての関与には強い否定と反論の声明をもちろん出しています。
マレーシアのムスリムの2大潮流且つ勢力であるUMNO対PASのせめぎあいの中で、国内ムスリム武闘・過激グループの逮捕事件を契機に一挙に責めていきたいところへ、偶然米国テロ事件が発生した。そこでそれを絶好の好機と捉え、さらにムスリム過激・武闘派の壊滅は当然として、UMNOの最大の敵であるPAS党のあり方そのものを批判してつまりPAS党の危険性を訴えていくというのが、マレーシアの政府与党指導部側の意向でしょう。
それでは8月からごく最近までの、この国内ムスリム武闘・過激グループに関するニュースとPAS党の声明、テロ事件へのマハティール首相の発言などに関するニュースを 「新聞の記事から」を中心に振り返ってみましょう。
いわゆるムスリム闘争グループの8人が銀行襲撃の失敗から5月に警察に逮捕されたのですが、そのグループに属するとみられる8人が半島部の各地で国内治安法ISAを適用して逮捕されました。これを発表した警察庁長官は、「このグループの全員は聖戦の兵士としてアフガニスタンで軍事訓練を受けている。さらなる逮捕を予定している。これまでの調べからグループは50人前後に達するかもしれない。警察はこのグループの目的を調査中です」
(Intraasia注:起訴、証拠明示などしなくてもよい国内治安法適用なので、逮捕内容はすべて警察発表に基づくニュースです)
国内治安法で逮捕されたムスリム闘争グループにPAS党の地方支部幹部がいることに関して、マハティール首相は、「PAS党の若い党員の中には、自分たちの目的を達するためには暴力的にやるのが一番だと考えているのがいる。PAS党員の中で海外へ軍事訓練を受けに行った者がいることを我々は知っている。彼らが戻ってきても我々は何もしなかった。しかし彼らは喜んで人を殺し銀行を襲うということを示唆しているのだ。だから政府は国内治安法で逮捕したのです。」 「逮捕された者の中にPAS党の影響がある。彼らは暴力が手っ取り早い、効果的だと思っている。」と述べました。
(これとは別件で)クランタン州首相の息子34才がコタバルで、国内治安法を適用されて逮捕されました。さらにケダー州でも1人国内治安法で逮捕されました。警察は国内治安法で逮捕した理由を明らかにしていません。
息子の逮捕を聞かされたクランタン州首相、PAS党の最高指導者でもある、は「私は息子が逮捕された事では悲しくはない。罪あるものは誰でも公開の裁判にかけられるべきだ。 私はこれに国内治安法が適用されたことが悲しいのです。この法律は野蛮な時代に作られた法です。」 PAS党の党首は、国は市民を守るための法律がある、しかし政府は自らのきまぐれと幻想で市民を逮捕して法を破っている、と批判しています。「なぜこれら10人が逮捕されたか、疑いをかけられている証拠は何かを人々は知りたいのです。」
(Intraasia注:今年になって警察つまり政府は国内治安法の適用を頻繁に行なっています。これまではKeadilan党の中堅幹部、若者などが比較的その対象だったのですが、PAS党員にも対象を広げてきたということでしょう。)
問題を引き起こそ国家の治安に危険を及ぼすようなことをする野党の指導者は逮捕する、とマハティール首相が警告を発しました。「最近国内治安法を適用して逮捕したできごとは政治的動機でない。」 「もし野党が問題を引き起こすという十分な証拠があれば、政府は彼らを逮捕する。」 「政府は国内治安法を適用する事を怖れていない、人々が支持しているからです。」
一方野党のDAP党とKeadilan党は、数日前に警察が国内治安法で逮捕したいわゆるムスリム闘争グループの10人を法廷で起訴しろと、要求しています。警察が彼らを疑うに十分な証拠があるならば、その個人個人を起訴すべきだ、と。
(Intraasia注:何年もマレーシア社会を追い続けている筆者は首相のこれほど強硬な警告を聞いたのは初めてです。マハティール首相は何をやろうとしているのだろうか?)
以上は記事
おそらくほとんどの日本人の方には、筆者が「新聞の記事から」に掲載したこれらのニュースをお読みになった当時、治安に関する雑記事に映ったことでしょうが、実はこの事件は単に治安問題だけでなく、マレー社会におけるイスラム勢力のせめぎあいの中でどのように相手勢力を抑えていくかを頭においた結構重要なできごとなのです。表面上はもちろん治安に危険を及ぼすから逮捕されたということですが、それだけでなくその逮捕に隠された理由は、政府与党UMNOが、この数年訴えているPAS党への具体的な抑圧行動の面も含まれているはずです。
それを叙述に示すのが上の8月7日の記事で、その時筆者は注書きでなんとなく示唆しておきました。このマハティール首相発言は確かに強烈でしたね。
ジャカルタで起きた教会とショッピングセンターの爆発事件に関与したとしてインドネシア警察に逮捕されたマレーシア人若者と、マレーシアで先月国内治安法を適用して逮捕したムスリム戦闘グループKMMのメンバー10人の間につながりがないかを、警察は調べていますインドネシアの日刊紙は、さらに3人のマレーシア人がジャカルタでの爆発事件に関わっていると報道しています。
(国内治安法を適用して逮捕した10人以外の)ムスリム闘争グループKMMのメンバー5人が逃走していると、警察がその5人の氏名と顔写真を公開しました。グループの中にはアフガニスタン、インドネシアのMaluku島で、いわゆるイスラム闘争に加わった経験を持つ者がいると、警察は発表しています。5人中の2人はインドネシア国籍でマレーシア永久居住者です。
以上は記事
これを簡単に解説しますと、マスコミ、政府などが通常その略称で KMM と呼んでいるグループKumpulan Mujahideen Malaysia(マレーシア戦士グループとでも訳せます)はムスリム武闘グループ、もちろん非合法で秘密の存在、であり、マレーシアに彼ら流のイスラム国家を設立させるために武力闘争をもって政府を倒さなければならないと考えており、そのために国内で活動し行動を起こしていた、というものです。もちろんこれは政府・警察の発表であり、それを伝えているマスコミはその発表をそのまま下敷きにして載せている程度です。
尚ジャカルタの爆発事件を実行したマレーシア人の被疑者はKKMのメンバーであるという報道に対して、ジャカルタでマレーシアの新聞記者にインタービューを受けたその本人が、それは違うと言った、という言葉を伝えていました。
当の逮捕されたムスリム武闘グループ側の陳述なり反論は全く明らかにされていません、または彼らの主張は当然あるでしょうがその主張は全くマスコミで報道されません。なぜならKMMメンバーの逮捕にはすべて国内治安法ISAを適用しているからです。ISAを適用すれば、警察はあらかじめ逮捕状を取る必要もないし、逮捕者を裁判にかける必要もない、弁護士の接見すらもまず認められません、つまり逮捕された者の声は全く外に出ません。尚家族との接見は後日認められるのが普通のようです。
以下9月30日付けのTheStarを参照、引用。
情報当局筋によれば、KMMはアフガニスタンでの訓練を受けた者たちをグループ化するために設立され、マレーシアにイスラム国家を樹立するのが目的である。1995年10月に秘密会議が行われ、この目的を遂行していくことになった。
警察調べでは、KMMメンバーはパキスタン、アフガニスタンに度々訪れていた、さらに少なくともメンバーの3分の2はアフガニスタンで訓練を受けたことがある、とのことです。「多くのKMMメンバーは自分たちをMujahideen戦士と呼んでいるが、彼らはアフガニスタンで戦った事はない、ほとんどのものは(ソ連の引き起こした)アフガン戦争が終結した1989年以降にアフガニスタンを訪れている。現在30代のものは当時まだ学生であった。だから彼らはイスラムヒーローではない。」 と消息筋は語っている
警察の見るところではKMMの中心メンバーは60人ほどで、大学卒もブルーカラーも混じっているとのこと。さらに警察は、このKMMがインドネシアの同種の組織とつながりを持っているのではないかと見ているそうです。その同種の組織とは、似た名称のKumpulan Mujahideen Indonesia と(ジャワ島の)ジョグジャカルタで宗教学校を運営するJafar Umar TalibのLaskar Jihadグループです。尚Laskar JihadはインドネシアのMaluku島でクリスチャンと戦っているそうです。
このJafaarはインドネシアの雑誌Tempoで、KMMはLaskar Mujahideen の分派であるとか、KMMはOsama bin Ladenのネットワークの一部である、うんぬんと語ったそうです。
いずれもこの記事を書いている記者自身が確証なきことであると書いているぐらいですから、筆者にはまったく真偽を推測できない事柄です。
警察調べによれば、KMMはインドネシアから演説者をしばしば招いていており、そこでは世界の聖戦に参加しようと訴えていた、マレーシアの民主制度はイスラム的ではないとも演説していた、さらに演説者はMaluku島のクリスチャンと米国を敵視していた、などとこの記事には書かれています。KMMメンバーはOsama bin Ladenの教えに影響を受けていた、とも。そして、KMMメンバーのさらに過激なグループが別のグループK3Mを作り、2000年に起きたペラ州議会議員の殺人、今年ペラ州で小さな町の警察署襲撃、今年の銀行強盗(これに失敗したことがて逮捕につながった)に関与したと、書いています。
さらにこの記事を引用すると、PAS党の指導部がこのKMMの存在に気がつかなかった可能性はある、しかしPAS式の政治がKMMにとっては確かに魅力であり、メンバーの中にはPAS党の強硬派に力づけられたことであろう。
以上で引用、参照終り。
この記事にはっきり現れているのは、KMMとPASの間に正式なつながりはないが、それぞれの構成メンバーの中には一種の共感を抱いている者がいる、と関係をにおわす見方ですね。相当程度政府与党指導部の捉え方に似ていると思いました。
コタバルに近いPengkalan Chepaに新しく州の党ビルディングを建設したPAS党は、PAS党結成50周年記念集会を行いました。5万人以上の支持者がこの記念集会に集まったとして、「政府は党の信用を傷つけようとしているが、この集会に集まったように、党は引き続き勢力を引き付けている。UMNOはPAS党を武闘派組織とレッテルつけようとすればするほど、人々の支持をPASに向けている。」と党の情報部長。
PAS党はこれから行ういくつかの50周年記念集会でも多くの人が参加することを期待していると述べています。「党指導部は組織者らに対して
警察の与えた指導にすべて従うようにと忠告しています。PAS党は、党を武闘組織とレッテルつけようとする罠に陥らないように注意深くしています。」 多くの集会参加者は陸路クランタン州にやって来たとの事です。
以上は記事
(Intraasia注:イスラム原理主義であっても武闘派ではないであろうPAS党に対するUMNOと政府による陰日なたの攻撃は強まっているようで、このところ逮捕した又は手配中の極小数武闘派組織のメンバーはPAS党員でもある、とのマスコミ発表を重ねています。ただ証拠はほとんど提示されていませんし、PAS党はもちろん党として関わりはないと否定しています)
この記事を掲載した時、さらに以前もしばしば筆者はPAS党の形容に一般的に用いられる”イスラム原理主義”政党ということばを使いましたが、このことばは、イスラム教とアラブ世界を専門とする社会人類学者の大塚和夫氏によれば、英語のIslamic Fundamentalismの翻訳であり、西側世界が貼ったレッテルである、とのことです。こういう運動を推し進める本人たちは決してIslamic Fundamentalismなどと自称しないとのことです。なるほど、確かにPAS党は自らのイスラム運動を原理主義などと言わないですね、PAS党のあり方が真のイスラム主義だと確信しているわけですから。(参考: NHKブックス「イスラーム的」 大塚和夫著 )
−米国同時テロ事件を契機に、PAS党への攻勢を強め、イスラム国家宣言した与党政府の狙いを考える試論−
9月11日に起こった米国の同時テロ事件で世界的にいわゆる”ムスリム過激派または極小戦闘グループ”の活動が注目を浴びています。マレーシアにもそういうグループがある、というのが政府の立場であり、従っていわゆるKMMグループの国内治安法による逮捕は10月に入っても続いています。それと直接は関係ないですが、9月末にマハティール首相が「マレーシアはイスラム国家である」旨の宣言したため、このイスラム国家宣言問題も論議に上がりました。さらに米国のアフガニスタン攻撃開始によって、PAS党はUMNOと対照的な姿勢と方針を改めて明確にしています。
こういったムスリム社会に大きく関わる社会・宗教問題を追っているこのコラムは、前編の続きです。
「マレーシアはある目標を成し遂げるために暴力の形を持ちいることには同意できない。我々が期待するのは、ある人たちに怒りを呼んでいる問題を解決する事に焦点を当てるべきです、ある人たちとは関係なのない者を死に巻きこんだ飛行機もろとも爆発してしまう人のことです。」とマハティール首相の発言。
「これらの人々の間に怒りがある限りテロリスト狩りだけに向かうのはあまり実り多いことではないであろう。」 「パレスチニア、イラク、チェチェンなどの人々を抑圧する行為はやめるべきです。」 「そういった圧迫がなければ、そこで初めて我々はテロリズム問題を解決できる。」 「パレスチニアの人々が他者から加えられた暴力に対抗しようと、自らを爆発させることを見てきた。もし我々がテロリズムを根絶させたいならパレスチニアのような問題を解決させなければならない。」 「ムスリムがなぜ抑圧されているかの理由は、それは全てのムスリム国家が弱いからだ。」 「我我はマレーシアを発展させなければならない。なぜならマレーシアは世界からムスリムの国家だとも認識されているからだ。しかしこれをなすために我々は単に宗教面だけでなく多くの面で熟練しなければならない」
「このことは我々が宗教を無視しろということではない。十分な時間を宗教に与える一方、我々は自分たちの時間をどのように割いていくかを知らなければならない。ムスリムを守るために重要な知識を取得するという責任を忘れてはいけない。」 「イスラム教はムスリムに全ての分野に通じるようになれと教えている。」 「子供たちが科学、技術、エンジニアリングなどを学ばないようにと妨害する者たちは実際は、現在起こっているようにムスリムは抑圧されそこから自分たちを解放しようとしているそういうムスリムの戦いを妨げているのだ。」
「政府は(こういたテロ行為のようなことを例に挙げて)だから破壊行為を好まない、そのかわり国の発展に焦点をあてることを好むのです。」 「かしながら国内には破壊を好む人々がいる。」 「マレーシアでは目的を遂げるために暴力を力を行使する理由はない、マレーシアは民主国家だから。」
(Intraasia注:ながなが引用したのはマハティール首相の思考とあり方が非常に明確に出ている発言だからです。まず米国のテロ行為への報復に対して批判的に見ている点、米国自身がその大きな原因を持っていることを突いたのは正論ですね。良く知られた、米国的見方に迎合しない彼らしい発言です。次いでイスラム保守又は過激主義者を標的にして批判を加えている点、これも常々発言している事ですが、いかにもイスラム流国家開発至上主義者らしいところです。そしてテロ行為する者が国内にもいるかのように表現して、国内の反政府運動をすべて暴力的だと見なしてそれを抑えつける理由付けにしている点、彼はこの1,2年特に健著にこの論理を適用していますね。)
野党連合BAからDAP党が離脱したことに関して、連合の第1党であるPASの最高指導者の1人でクランタン州州首相のNik Azizは、「DAP党はイスラム教の近いにかける。我々はもっと支持を増やす、なぜなら我々のイスラム国家設立に関して妥協する事はないから。」 「この点が与党のUMNOとPAS党の違いだ。UMNOは(同じ与党の華人政党)MCA党が怒らない限り、マレーシアはイスラム国家だと言うであろう。我々にとって、イスラム国家に関することはそれを受け入れるか去るかの選択なのだ。」
米国のアフガニスタン攻撃に関しては、NikAzizは、「他にもっとふさわしいアメリカへの敵対者がいる。アフガニスタン攻撃は、ゾウとネズミの戦いみたいなものだ。アフガニスタンって何か?山々に覆われ、収入がない。人々は飢えている。それ以上に何もない。」 PAS党の姿勢とはの質問に対して氏は、「ムスリムが攻撃されれば、それがどこであろうとその助けをするのが、ムスリムの義務である。」
以上は記事
政教一致を掲げるPAS党への批判は、何も与党UMNO側からだけあるのではありません。華人コミュニティーがPAS流のイスラム化を危惧するのは当然でしょう。PAS党は、党が支配するクランタン州を見れば華人はムスリム社会で差別なく暮らしていると常に主張していますが、この論理と説得法は西海岸各州に住む華人コミュニティには到底受け入れられない論理です。都市の華人コミュニティーがクランタン州、トレンガヌ州的ライフスタイルを受け入れる、取り入れる事は通常では不可能であり、PASの説くイスラム国家に賛同を与える事は考えられません。UMNO政府の強権政治と戦う一方、華人コミュニティーから一番距離感のあるPAS党と手を結ぶといったジレンマに悩んでいた華人基盤の伝統的野党DAPは、ついに野党連合からの離脱を選択したわけです。
「マレーシアはテロリズムに対する戦いにおいては米国を支持する、しかし無実の人に対する戦いに手を差し伸べる事はしたくない。」 と記者会見でのマハティール首相。米国報道で国際テロ組織をかくまっている国の一つにマレーシアがあるとされた件に関して、「そういった報道に悲しむ。米国の意味する”かくまう”とはどういうことか。マレーシアには武器と取って政府を倒そうとするマレーシア人はいる、しかしそういう彼らをどこへも引き渡さない。」 「我々は自分たちで処理する。」 「もし他の国の者がマレーシアに来てテロ行為するなら、その時はマレーシアの法律で逮捕する。」
いわゆるイスラム武闘グループと言われるKMMのメンバー10人を、警察は8月に戦闘的活動の疑いで逮捕しました。この逮捕者にはPAS党最高指導者の1人であるNikAzizクランタン州の息子が含まれています。彼はこの9月国内治安法ISAの適用のもと2年間拘束が決定され、Kamuntingにある収容所送りになりました。尚逮捕されたメンバーはしばらく前に起こったペラ州議会議員の殺人と別の銀行強盗に関わっていると警察はみています。
先週マハティール首相は、さらなるKMMのメンバーの身元が分れば逮捕することになると、述べています。昨日内務大臣であるアブドラ副首相が、KMMメンバーのうち8人には国内治安を脅かす行動をしているとの理由でISAを適用している、ことを確認しました。「メンバーのうち1人は釈放した。警察は他のKMMメンバーを調べており、大衆には必要な時点で発表します。」と副首相。
以上は記事
逮捕した10人のうち8人が引き続きISAの適用を受けているという確認ですね。マハティール首相は記者会見で、こういった過激なグループが存在するから、国内治安法ISAは必要なのだ、ISAがあるからマレーシアは国内でのテロ発生を未然に防いでいるのだ、と理由つけてISAの必要性と有効性を説いています。
この手法は大衆世論形成には非常に有効でしょう。同時テロ事件の記憶は人々の眼と頭に強烈に焼き付いている、国内で逮捕したKMMの活動に関しては時々マスコミが発表してそのあらましを暴露しているので、ISA逮捕がいわば正当化されている、こういった状況下で極少数のムスリム武闘グループの逮捕の正当性に挑戦する世論は出てきっこないし、民主法治国家としての正論によってNGOなどが批判することも大衆的支持を得るのは難しいですね。老獪な政治家マハティール首相はこれをよく知っているのです。
KMMが本当に武闘組織かどうかは、一方側の発表だけなので筆者にはまだわかりませんが、こういう武闘組織がマレーシアに存在していることまたはそう仮定することが、特に驚くべき事だと筆者は思いません。イスラム過激組織に限らず、世界の多くの国に反政府や反何々といった極小武闘・過激組織は数多く存在しており、さらに麻薬、密輸、売春のマフィア組織はさらに強大で広範囲ですよね、そこでそれらの組織を全部壊滅させる事はどの国であれ不可能だと思うからです。もちろん政府・警察が正当な手段でこういった組織を取り締まるのは当然であり、その結果組織が減るに超した事はないですけど。
以上は10月初旬時点で明らかになったまたはマスコミに出た事象を基にした筆者の考察であり、今後の多少変更もありえるのでサブタイトルに歌ったように、試論としておきます。
この小論を書いてる間に次のような重大なニュースが発生しました。一見、国内武闘組織の存在暴露とPAS党への攻勢を強める与党政府の動きと関係ないように見えますが、それどころか多いに関係あるできごとなのです。そこでその重大なニュースである、「マレーシアはイスラム国家である」宣言について少し解説しておきます。
「マレーシアはイスラム教国だ。Ulamah(宗教学者)の定義から言えばこれを宣する権利がある。」とマハティール首相。「しかしながら、イスラム国家だということは、非ムスリムに対してシャリア法(イスラム法)を適用するということではない。」 「マレーシアはイスラム教を公式宗教としているが、非ムスリムは各自の好きな宗教を信じてよい。これはイスラムの教えである。イスラム教に強制はありません。なぜなら、非ムスリムににイスラム法を適用して起こるかもしれない混乱を嫌うからです。」 「もしこのために非ムスリムがマレーシアを非宗教的な国家と捉えるならば、それは彼らの捉え方であり、彼らは自由にそう思ってよい。」
「現在世界には50カ国ほどの受け入れられ認識されたイスラム国家がある、マレーシアもその一員である。我々の調査では、ほとんどのイスラム国家がHudud(シャリア刑法)を施行できないでいる。しかしそれでもこれらの国はイスラム国家と認め且つそう認識されている。だから我々はマレーシアをイスラム国家と宣言する権利があるのです。」
(Intraasia注:これはあたりまえのようで、しかし公式にはあまり語られない事柄です。非ムスリム全体がイスラム国家宣言をあまり好まないからです。PAS党はマレーシアは本当のイスラム国家でないと主張しています。これがここに引用したマハティール首相のそれに対する反論です。)
「マレーシアはイスラム国家であると、(与党マレー政党の)UMNOはここに宣言するのだが、そうかといってマレーシアをイスラム国家にさせるために憲法を改正するわけではない。」 とマハティール首相が与党連合の最高会議後に記者会して述べました。(マレーシア国内の14政党から構成される)与党連合Barisan Nasional の全政党は、UMNOによるマレーシアはイスラム国家であるという定義を承認し、且つ憲法の改正は必要でないと同意しました、それはマレーシアは多民族複数宗教である国民が問題なく暮らしているからです。
「マレー人、華人、インド人、そしてムスリムと他の宗教徒は現在の憲法下に何ら問題なく暮らしていることに、我々は皆同意した。」 「与党連合の各政党はPAS党のいうイスラム国家について心配しているのだ。なぜならPAS党はイスラム国家を説明する事をしないからだ。」 「野党のDAPが(与党連合の華人基盤政党である)MCAとGerakanに対して、UMNO定義のイスラム国家宣言を拒否するように訴えているが、与党各党はDAPがイスラム国家にしないようにするために何がしたいのかを、知りたいのだ。」
PAS党首が、イスラム国家宣言は政府が国会でするようにと語った事に関して、首相は、「我々はPASと討論をしたくない、なぜならはじめからPAS党の目的はこの宣言に賛成しないことだから。」 「PAS党は政治的歩みを求めている。彼らはイスラム国家を求めているのでなく、政治的利益を求めている。」 「一般にマレーシア人は、すでに国がイスラム国家であると知っているのです。」 「イスラム教はマレースルタンの権威の下にある。PASはスルタンの決定に従うべきである、しかし彼らは今それに反対している。」
以上は記事
PASがなぜUMNOのイスラム国家宣言に素直に賛成しないか、それはPASとUMNOの遂行する、捉えるマレーシアにおけるイスラム教のあり方が相当違うからです。UMNO流のイスラム国家は世俗主義、政経分離主義であるとの見方に立つPAS党は、この基底の理論の違いによってUMNOに挑戦し独自の運動を続けています。その中ででてきた、9月30日のマハティール首相の「マレーシアはイスラム国家である」 とのおもいがけない発言で、イスラム国家宣言問題に光が当っています。
確かに非ムスリムもマレーシアはイスラム国家であると漠然と感じているでしょう、しかしそれはUMNOが支配政党の中心であり、イスラム教が国教であり、スルタンと国王がそれぞれ州の、国の元首であるという事実などからであり、イスラム教の教義の解釈を深く知って又は理解して、そう感じているわけではありません。非ムスリムにとって、イスラム教の真の解釈などはやはり関係ない事であり、イスラム教解釈と教義論議は、UMNOとPAS間の又はムスリムやムスリム学者の間での極めて政治的問題であるのです。なぜならイスラム教はムスリムにとって単なる宗教ではないからです。
そこで9月末に突然なされたマハティール首相の「マレーシアはイスラム国家である」宣言は、その狙いはいうまでもなくPAS党に向けたものですが、華人コ社会の一部から戸惑いが出ている事は否定できないでしょう。なぜならそれまで漠然とマレーシアはイスラム国家であるとは感じていたものの、改めて宣言されると、俗な表現で言えば、うーっと身構えるということになります。といって華人社会がこの論議に積極的に関わることはできないし、したくない、さらにあえて積極的に論議に関わっていこうとする華人勢力は少ないはずです。この複雑な心境を現しているのが、次の一文です。
“10月7日付けの華語紙”星洲日報”の特集記事 「回教党と華人コミュニティーの関係」と題する記事の中から抜き出しです。
現在国内のイスラム教の気勢は2大政治集団の闘争下にあり、それはすでに収束困難な局面に至っている。イスラム教化するというこの力を、華人社会が把握してコントロールするのは難しい、ただできるのは一時的に力を発揮する事だけだ。華人社会は境遇に願いをかける民族ではない、華人の政党を代表させ政治において要求をしていくのです、これまで通りの現状維持する以外は、その他の法案を提出することは全くできない。華人社会は世俗的政体から挑戦を受け憂慮するのである。もしこれを昔と比較すれば、一時的衝突は、マレー人と華人が直接張り合うということではなく、マレー人自身の中で意見が分裂しているのです。実際のところこの分裂では、華人社会はせいぜい配列された将棋の駒を受け入れるぐらいしかできません。
以上
こうしたいわば消極的反応に批判的な華人勢力ももちろん存在します。そこで最後に華人基盤政党で伝統的野党であるDAPの批判的言説を紹介しておきます。
「マレーシア人はこの宣言に対して関心を表明し、マレーシアが世俗的な民主国家であるかイスラム国家になるかを十分に且つ公開の議論をしなければならない。」 「PAS流であろうとUMNO流であろうとイスラム国家であるという問題は、複数で世俗的であるマレーシアに政治的に、法的に、憲法的に影響を多いにもたらしたのです。」とDAP書記長の発言です。
いつもながらマレー鉄道(マラヤ鉄道)は遅れるのだ。今回もワーカフバル到着が時刻表の時間である7時30分より1時間20分も遅れていた。KL Sentral駅を”EXPRES WAU" 号が発車したのは前夜20時の定刻であったのだが、少しづつ遅れたのかどこかで待ち時間が多かったのか、それは眠っていたのでわからなかったが、夜明けとともに2等寝台の席で目を覚ましたときにはすでに1時間以上の遅れであった。といっても別に焦る旅でもないし、マレー鉄道便の遅れにはとっくに慣れているので、とりたてて腹もたたないのである、ただ着いた日の行動時間が多少減るのが残念な程度だ。
この東海岸線の鉄路を深夜走るのは4列車だけである、そして鉄路は単線なので、”EXPRES WAU" 号の運行に影響を与える列車はクアランタン州から上って来るつまり対向列車の2本のみだ:1本はクアラルンプール行き、もう1本はシンガポール行き(シンガポール発のクランタン州行き夜行便はEXPRES WAU号より後を走るので、遅れには関係ない)。時刻表を参照すると、午前1時から2時の間にこの2本と行き違うことになっている、鉄路は単線だから当然決められた対向列車待ち駅のプラットフォームで対向列車待ちということになる。多分これが遅れをもたらす原因であると推測するが、しかしそれにしてもこの路線に乗るたびに遅れるのだから、慣れているとはいえあきれてくる。尚通常、列車が遅れてもそれをわびるような車内放送はまずないし、乗客側でもその遅延に強い不満を述べる者はいない。
一番最近行われた(小さな)時刻表改正は今年の6月にあった。いつも新しい時刻表を入手して思うのは、マレー鉄道の全路線は多少に関わらず遅れるのが常態なので、どうして時刻表改正時に現状に合わせないのだろうということだ。遅延が常態であるから、ほとんどできもしない到着時刻を時刻表に載せておく必要はないと思うのに、マレー鉄道当局は一向に現状に合わせようとしない、最新の時刻表を見てもその前の時刻表と分単位の調整はあるが、時単位の調整はなかった(発車時刻自体の大幅変更は除く)。
まあ時刻表に不満はあるものの、列車自体に私はとりたてて不満はない、だから筆者はよく利用するのだ。狭い2等寝台とはいえRM45ほどで寝転んでクランタン州まで行けるというのはバスに比べてはるかに疲れ度が少なくていいのである。
ワーカフバル駅はコタバルからバスで15分ほど離れているだけの隣町にある駅だ。列車が駅に着くとタクシー運転手の、ぞろぞろと降りてきた乗客への客引き行為でうるさいが、タクシーなど乗らない、バス派の私には関係ない。多くの乗客が引けるまでゆっくりと待ち、駅前の小汚い茶店に入った。まずは軽い朝食である、ロティチャナイを食べテーオーを飲みながら、テーブルに合い席した地元人に会話を試みる。目的はワーカフバル駅手前数分の線路際に建っているタイ寺院への行き方を聞く事であったが、こういう地元人との会話は面白いし、考え方などを知る一端にもなるから大切である。
通常こういう場で会話すると必ず聞かれるのが、Dari mana?(どこから来た?)又は Asal mana?(どこ出身?)という質問だ。こういう時は必ずDari Kuala Lumpur/KL(クアラルンプールからさ)と答える事にしている。Dari Jepun (日本から)などと答えると、会話が全く関係ない方向にいったり、外国人向けの内容になるので、私の目的にあわないからだ。筆者がマレーシア語で話していれば、日本人だと相手や周りに知られることはまずない、つまり彼らには華人だと映るのである。
地元のおじさんと老人は、あれこれとまくしてたてる、もちろんクランタン方言である。その独特の発音と言葉使いに簡単なマレーシア語の会話でさえ、筆者には時に理解不能に陥る。列車の中で周りの(クランタン州人であろう)乗客が話しているのに耳を傾けていてもなかなか話しの大意がつかめないのだ。
テーブル合い席の老人の1人が言った、「クランタンは何でも安いからな」と。この発言はこれまでのクランタン旅でも時々耳にした言葉である、確かにクランタン州はクアラルンプールとその一帯、ジョーホール州に比べて数割安の物価安である。
「クランタン州は何でも安いからな」というせりふは、クランタン州人の誇りなのか、それとも半島部随一の”発展後進・所得最低州”であることを自嘲的に語っているのだろうか、まだその答えは見つからない。確かにコタバル市内でもそれなりに安いし、特にコタバル以外の町や村での大衆食堂などでの飲食物の値段はうれしくなるほど安い。この茶店で筆者が飲食したロティチャナイとテーオーは合わせて90セントであった。クアラルンプールの同程度の茶店での値段に比べて5割安だ。
今回の目的の一つは、数年前から筆者が追っているテーマである マレー半島北部と東部におけるタイコミュニティーの住む地を訪問する事だったので、茶店を後にしてから線路際に建つタイ寺院を訪れました。これに関しては、今週のマレーシアのずっと前のコラムである第214回 「タイ人コミュニティーを訪ねる旅 その2、クランタン州編」 に増補しましたので目次からそちらを開いてご覧ください。
コタバルの市内で今回第一に気がついたことは、残念な出来事でした。市内外の建物を根城とする鳥はきっと相当な数に上るのでしょう、この鳥に巣を作らせるためにいくつかの旧ホテルや使われなくなった一般ビルの上階部分が巣作り用”宿”に改造されていたのです。元々は安ホテルであったとか、以前は確かオフィスであっただろう古いビルの上階や屋根あたりが異常に騒がしく、且つそこへ鳥を引き寄せるために鳴き声のテープが朝からずっとかかっているのです(深夜も音を出しているかどうかは知りません)。巣作りのために鳥をおびき呼せているのだから、この鳥は恐らくアマツバメであろう、ただ鳥類の知識のない筆者に確たる種名は判別できないので推測ですよ。
昔の安ホテルはその看板を掲げたまま人間のための宿を廃業し、上階部分を塞いで鳥の出入り口程度の出入り口を窓というか壁にこしらえてあります。何々ホテルの看板がそのまま残っているのは、鳥たちにお宿はここですよ、と知らせるためであろうか(笑)。
夕方薄暗くなりかけた頃は鳥の大群の鳴き声とテープの奏でる鳴き声でうるさいこと、うるさいこと。市の中心部の上空を鳥の大群が飛び交い、ビルの屋根で休んでいます。以前よりもずっと鳥の数が増えたのではないだろうかと推定した、モスクから流れる夕方の礼拝のマイク音がかき消されるほどの騒がしさと多さです。これの状況を見て私はすぐオールドマラッカの出来事を思い浮かべました。
こんなことが都市のど真中で許されるのであろうか、とまこと不思議に思いました。かりにもクランタン州の州都であり、住民、通勤勤務者、買い物客、夜店の客、さらに内外の観光客らが集まるコタバルの中心部で、そこに建ついくつかの建物が鳥の繁殖と巣作り用に改造されており、そしてうるさい鳴き声テープを朝から流しつづけ、無数の鳥が上空を飛び回っている状況は異常ですね。鳥がアマツバメであるのかどうかは枝葉末節のことです、いずれにしろ人口密集地区でこんな金儲け術をする者たちと、それを許している又は見逃しているコタバル当局には多いに疑問を感じざるを得ません。騒音と鳥の糞の影響は専門家でなくとも常識でわかりますからね。
初日に泊まった安ホテルで従業員に、「”鳥の家”が随分増えたね」 と言葉をかけたら、コタバルじゃ当然さと大して気にしない返事が帰ってきました、環境と衛生面でのあきらめというか無気力感、無関心にがっかりしたのです。
コタバルの中心部に、観光省発行のパンフレットではHistorical Zone と呼んでいる一画があります。今回私はその中に建つある安ホテルにも1泊したのです、ホテルの隣は博物館であり、道を挟んだ対面は儀式用のスルタン宮、裏側にはモスクがあり、さらに数軒隣はさらにまた別の博物館という、まさに歴史的建物の固まった地区でした。
元スルタン家の施設であったという博物館を訪れましたが、案の上展示品と説明は全てクランタン州のスルタン家の物と事ばかりです。近くの小さな博物館も、説明文にはスルタン家の歴史の展示とあります。こういったありかたに感じた違和感は、別の地区にある州博物館を以前訪れた時にもその似たよったりの展示方法に感じたものです。どの博物館の展示と説明を見ても、スルタンに関係ないクランタン州の歴史と一般住民の暮らしの変遷はほとんど示されていません、つまり訪問者に州の歴史が伝わってこないのです。(州博物館に文化関係展示と暮らしを示す展示がないとは言わないが、圧倒的に少ない)
筆者は長年西洋と東洋、さらに北アフリカで数々の博物館巡りをしてきました。西洋では王家とその一族などの展示は非常に多いが、それだけに限らず様様な庶民の暮らしと文化を示す歴史的展示がそれ以上に多いですよね。例えば、王家の装飾品と共に庶民の身の回り品も必ず目にすることができる、しかしコタバルのいくつかの博物館の展示コンセプトは明らかに違う。州の歴史がまるでスルタン家の歴史と同一かのようなあり方です。ここに封建性の残存性を残しているといわれるクランタン州の特徴が見えます。もっともこれは、西欧的意味での市民革命を経ていないマレーシア半島部全体に言えることであり、他の州の博物館でも大同小異の特徴がみて取れますけども。
コタバルは海岸に割合近いが海に面した町ではないので、海を見るためには郊外へ出かけなければならない。海を眺めるのが好きな筆者は、久しぶりにクランタン州の浜辺を散策したくなったので、バスに乗って2回出かけました。初日に訪れたのはSabak村の海岸です。何の変哲もない小さな漁村であるようだが、漁船は出払っていたのか浜に見かけなかった。全く商業化も観光化もされてない浜辺と村をしばしぶらつきました。浜辺に打ち上げられた木々や風で倒れたであろうココナツの幹が浜辺に転がっている、しかし浜自体はきれいな砂浜であり、海岸線はずっと遠くまで続いている、クランタン州にはこれといった島がないので、沖に広がる海は水平線のかなたまで視界を妨げるものがない。こういう浜で海を眺め太陽の日にうたれながら砂浜を歩くのはまことに気持ち良い。
村自体は、全く観光化されてないせいでもあろう、等しく質素で目だった建物はない、立ち並ぶ家々からそんなことがうかがわれる。立ち寄った村の茶店でハエのたかるテーブルについてテーオを飲みながらしばし休憩、道路を行き交う村人を眺めていた。小学校の下校時なのだろう、女子生徒の一郡がぞろぞろと家路に向かって行く。自転車に乗っている子供が多い。村で行き交うどの顔を見てもマレー人なので、きっとそこはマレー村なのであろう。こういう田舎の村の日常生活は、約40分ほど離れたコタバルから見てもかなりへだたった世界に写る。この田舎村から眺めれば、クアラルンプールの状況と日常生活は全く別世界の出来事である。都市と田舎の差の大きさは、その実距離以上に離れているのである。
翌日はよく知られたPantai Cahaya Bulan海岸へこれまたバスで出かけました。こちらは祝祭日には観光客や行楽客の詰めかける海岸です。このあたりの旅行案内記事は、旅行者のためになるページにある 「クランタン州」 の該当項目をご覧ください。
ところで、村は当然だがコタバルでもムスリム女性はほとんどTudung着用である。PAS党支配が長いクランタン州都だから例外はないだろうと思ったが、意外やごくたまにであるが、Tudungもスカーフもない頭髪そのまま姿の若いマレー女性を見かけた。西海岸州の町なら多くはないがしばしば見かける光景でも、コタバルで見かけるとすごく意外に思えるのである。
独自のイスラム教解釈を誇るPAS党州政府はコタバルを含んで州内でパブやカラオケバーを厳しく制限している。非ムスリム向けにそういった店が全くないわけではないが、外からその存在がなんとかわかる程度にしか店の存在を宣伝できない。つまりネオンサインをつけてパブの存在をアピールなどはできないのだ。男女が入り乱れて踊るディスコなどはもってのほかで存在しない(はず)。
こうしたことからいわゆる都市型ナイトライフがほぼ存在しないので、コタバルへの訪問者の夜間の楽しみは、スーパーマケットで買い物、冷房の効いたファーストフードで飲食、数少ないが屋外型のレストランで食事、そして夜店(パサールマラムとマレーシア語ではいう)ぶらつきであると言ってもそれほど間違いではないだろう。夜店街巡りといたってある程度の規模の所は数カ所しかない(はず)、そこで市中心部の1画にある広場で毎晩開かれる夜店市がなんといっても最大で最も有名であろう。
この夜店は飲食物の露店が中心で物品販売屋台はごく少ない、半分は持ちかえり食用の屋台、そして通常のマレー料理と多少のタイ料理を料理してテーブルで食べる形式の屋台が残る半数近くを占める。圧倒的に人気なのは持ちかえり食用の屋台だ、クランタン名物のAyam Perncik、Nasi Dagang, Nasi Kerabu など西海岸州ではまずお目にかかれない屋台料理が飛ぶように売れて行く。コタバル旅行されたら是非、こういうパサールマラムで持ち返り食を買って味わってください。
写真付きのもっと詳しい情報は、旅行者のためになるページにある 「クランタン州」 の該当項目をご覧ください。
いずれにしろコタバルの夜は静かである(鳥の鳴き声は別として)、クアラルンプールやジョージタウンのように夜遅くまでたくさんの店の灯りが輝き、自動車のヘッドライトが道を照らしているわけではない。大いなる田舎都市コタバルなのだ。
教育省発表の国立大学へ2000/1年度入学の登録学生の男女内訳です。全体で約17万人中、女子学生数が6割で男子学生の4割を上回っている。技術大学を除いて、どこも女子学生数が男子学生を上回る。女子学生数が男子学生数を上回るのはここ何年もの傾向です。
例 マラヤ大学 女子13688名、男子7881名、理科大 男子5695名、女子96660名、北方大 男子5455名、女子11960名、国民大 男子5438名 女子11697名など
次に私立高等教育機関に関する統計を示しておきます。いずれも出典は教育省の統計です
高等教育機関の種類 | 認可数 | 登録された数 | 学生数 | 講師などの数 |
カレッジ | 652 | 470 | 209,589 | 8,445 |
大学 | 10 | 10 | 20,839 | 855 |
外国大学の分校 | 4 | 4 | 1,641 | 95 |
合計 | 666 | 484 | 232,069 | 9,395 |
レベル | ブミプトラ | % | 非ブミプトラ | % | 合計 |
Degree(学士) | 6,345 | 20.5 | 24,595 | 79.5 | 30,940 |
Diploma | 44,795 | 40.5 | 65,933 | 59.5 | 110,728 |
合計 | 51,140 | 36.1 | 90,528 | 63.9 | 141,668 |
小学校の総数 | 国民小学校 | 国民型華語校 | 国民型タミール語校 | 特別校 | ------ | ----- |
7231校 | 5393校 | 1284校 | 526校 | 28校 | ||
中高校の総数 | 通常校 | 全寄宿型校 | イスラム校 | 特別校 | 職業専門校 | 技術専門校 |
1645校 | 1465校 | 40校 | 53校 | 3校 | 4校 | 80校 |
現代マレーシアの都市部における重要な未解決問題の一つが非法住居地居住者です。
住宅と地方自治体省の大臣が明らかにした数字を引用しますと、全国に非法住居地居住者の数は約56万人ほどで、その6割近くがクアラルンプールからスラゴール州を流れるクラン川流域に居住している、とのことです。非法住居地居住者を華語では非法木屋居民と書きますが、主として公有地、又は誰の地かはっきりしない地、川の沿岸などに昔から住みついている居住者のことです。
昔は土地の権利関係がはっきりしてなかった、住宅政策がおそまつであった、国自体が貧しかったなどの理由からこういう居住者をたくさん生み出したのです。ですから現代の外国人労働者が違法を承知で他人の土地に勝手に移り住んでいるのとは多少意味合いが違います。
さて省の調査では、非法住居地居住者家庭の月収入は、RM350以下が13%、RM350を超えてRMRM1500までが64%、それ以上の収入のある家庭が23%でした
この数字からも明らかのように、非法住居地居住者のすべてが貧困ということではないのです。家電製品はもちろん衛星テレビのアンテナが立ち、新車を保有している家庭もよく見かけます。こういう層は経済的に移転はできても単純に他の地域へ転居したくないという人たちです。
この1年以内にクアラルンプールに、これまでとは違った規模と概念の大型書店が2軒オープンしました。両店ともマレーシアの書店史上初めての総合大型書店です。
まず去年Midvalleyショッピングセンターに開店したMPH Mid‐Valley Megamall はマレーシア最大の床面積3344平方メートルを誇り、在庫数30万冊、内75%が英語書籍、10%がマレーシア語書籍、5%が華語書籍だそうです。
そしてKLCC のSuriaショッピングセンターに今年 開店したBooks Kinokuniya は、床面積2880平方メートルで書籍数13万冊、内80%が英語書籍で20%が華語書籍、マレーシア語書籍はごくわずかです。Kinokuniyaはこの店舗とは別の階に日本語書籍及び日本語関係の専門の店 557平方メートルがあります。日本語書店としては間違いなくマレーシア最大です。
マレーシアにこういう大型書店が登場したのはまさにクアラルンプールの大都市としての一面を示すものですね。しかし、マレーシア語書籍の比率の極端な少なさを見れば、マレーシアにおける国語マレーシア語の実質的地位が知れるというものです。マレーシア語書籍がいかに幅広さにかけ、従って種類の少なさと人気のなさを示しています。悲しき現実です。なぜか、これは以前論じましたね。
マレーシア人の大好きなケンタッキーフライドチキンのチェーンがマレーシアにはじめてオープンしたのは、クアラルンプールに1973年のことでした。マクドナルドの場合は大分遅れて1982年です。
それとは直接関係ないでしょうが、マレーシアは今では、アジア太平洋州内で肥満国に入るのです。国民の6.2%が超肥満、さらに21%が肥満と分類されています。この数字にはうなづけますね。
全国の電話架設数は470万ラインで100人当りの電話補有数は22人です。携帯電話数は固定線電話数を抜いて500万を超えました。携帯電話の1ヶ月の支払い平均はRM80からRM130だそうです。
インターネットユーザー数は200万人を超えたようです。ただこのユーザーの地域によるばらつきは激しく、首都圏では1000人当り役100人、東海岸州では1000人当りわずか9人です。
次は調査会社として有名なIDCマレーシアが発表する数字から
マレーシアで出荷されたパソコン台数は、99年が511,000台ほど、で2000年は673,000台ほどでした。2001年はさらに伸びる見通しです。
インターネットユーザーの行動様式2001年報告を行った調査会社ACNielsen の報告から
平均的マレーシア人ユーザーの人口学的輪郭を見てみると、
現在医者1人に対して国民の比率は1480人ほどです。幼児死亡率は1000人当り7.9人。
医学部のある国立大学は5大学,UM, UKM, UPM, USM, UMSarawak, 私立カレッジ、大学が3校です。WHOのヘルスケア−に関する世界ランキング2000年では、マレーシアは49位に位置付けられています。
2001年4月ノ時点でのHIV/AIDS患者の数は約4万に達している、その内の4割が13才から29才にあたると、保健省幹部の発表です。
国内の登録車両数 960万台
モーターバイク 535万台(56%)、自動車 414万台(43%)、タクシー 5万6千台、 バス 4万8千台
ペナン州のジョージタウンを訪れると、古い家屋と住宅が特に目立ちます、最近なるほどという数字を得ましたので掲載しておきます。
1993年の調査によれば、国内には第二時大戦前に建設された家屋が32000棟ほどある、その内ペナンに最も数多く存在しており、12600弱棟もある。次いでジョーホール州で5600棟、ペラ州が5500棟、マラッカ州に4100棟ほどである、とのことです。なるほどジョージタウンに多いわけですね。
サーカー弱国マレーシア
国際サッカー連盟が発表した2001年8月の世界各国サッカー番付で、マレーシアは109位に位置しています。東南アジア国では、タイがトップで62位、インドネシアが89位、ベトナムが101位、シンガポールが108位、ついでマレーシアということです。まあいかにマレーシアのサーカーが実力低位かを示す者ですね。日本は27位です。
ショッピングセンター
景気後退の影響で、都市のショッピングセンターのテナント占有率が落ちました。その内ジョーホール州が一番下落が大きく12%も落ちました。マレーシアショッピングと高層ビル協会の会長は、その理由を、それほと多いとはいない150万の人口の市場に20軒のショッピングセンターは多すぎるだろうと、しています。全部の地域でショッピングセンターの充足率が落ちたわくでなく、クアラルンプールのように上昇した地域もあります。
州別 | ジョーホール州 | スランゴール州 | パハン州 | ペナン州 | クアラルンプール |
1999年 | 72.6% | 80.3% | 69.1% | 73.7% | |
2000年 | 60.6% | 78.8% | 65.4% | 76% | 78.8% |
国名 | マレーシア | シンガポール | 香港 | インドネシア | フィリピン | タイ | ベトナム |
法人税率 | 28% | 24.5% | 16% | 30% | 32% | 30% | 25% |
過去40年間で半島部だけで348万ヘクタールもの森林が伐採されました。この広さはパハン州のひろさに匹敵するものです。半島部の森林面積は、1960年当時946万ヘクタール、これが2000年には600万ヘクタールに減ったのです。森林伐採が一番多かったのは1970年代初期でした、当時年間32万ヘクタールから43万ヘクタールが伐採されたのです。しかしこの数字は現在では落ちています。2000年の伐採面積は12万ヘクタールでした。
永久保護森林地帯で森林会社が伐採を許可されている年間面積は、第5次の長期経済計画時(1986年から1990年)には71,200ヘクタールでしたが、第8次経済計画(2001年から2005年)時点では、42,870ヘクタールに落ちているのです。しかしこれで全てが解決とはならないのも事実です。それはどこで森林伐採が主として行われるかです。つまり91年以来伐採は、国の森林庁が管轄しない、各州の森林地帯での伐採が増えているのです。2000年では、国の管轄である永久保護森林地帯での伐採が37,000ヘクタールであるのに、州の森林地帯での伐採は47,000ヘクタールでした。
2000年の時点 | 永久保護森林地帯の内訳 | 森林の変遷 | ||||
森林のタイプ | 未伐採面積 | 伐採面積 | 合計 | 年 | 総面積 | 国土に対する割合 |
材木生産用 | 61万 | 233万 | 294万 | 1960年 | 946万 | 72% |
保護用 | 129万 | 61万 | 190万 | 1980年 | 650万 | 49% |
合計 | 190万 | 294万 | 484万 | 2000年 | 598万 | 45% |
州名 | ジョーホール州 | ケダー州 | クランタン州 | マラッカ州 | ヌグリスンビラン州 | パハン州 | |
総面積 | 43万 | 34万 | 89万 | 6千 | 22万 | 207万 | |
森林面積比 | 22% | 36% | 60% | 4% | 33% | 57% | |
州名 | ペラ州 | ペルリス州 | ペナン州 | スランゴール州 | トレンガヌ州 | KL | 合計 |
総面積 | 105万 | 1万2千 | 7千 | 25万 | 65万 | 0 | 594万 |
森林面積比 | 50% | 15% | 7% | 32% | 50% | 0% | 45% |