「今週のマレーシア」 2001年3月と4月分のトピックス

・ 生活していくために賄賂を渡すのか、賄賂がなければ生活できないのか −前編− ・ その後編
マレーシア人の数へのこだわり方と人気の番号当てくじ
マレー人とインド人が衝突したカンポン・メダン事件の背景と持つ意味 −前編− ・ その後編
マレーシアの小学校教育でのユニークな面  ・ 数字で見たマレーシア その9  
ブミプトラ政策の一端を解説し、その功罪を見る ・ マレーシアを知識経済を基盤にした社会に変化させたい



生活していくために賄賂を渡すのか、賄賂がなければ生活できないのか −前編−


世の中には誰でもなんとなく又はおおよそは知ってるけど、ある種の事情からはっきりと公衆の面前で発表できないとか公に書けないことがありますよね。その事柄がその社会のある種のタブーであったり、証拠なしに述べれば警察・裁判沙汰になる可能性があったり、或いはそれに言及すると政治的迫害を受ける可能性があったり(日本にももちろんある)と、理由はいくつかありますが、いずれも発表する、書くことはそれなりに覚悟のいることです。

さてマレーシア社会にもこの種のタブーとか公に議論できないことは当然あります。代表的な例を出せば、憲法ではっきり禁止と書かれているし、常識的にいってもすべきないのはイスラム教を疑問視したりスルタン制を批判したりすることです。”マレーシアに住む遵法精神に富んだ外国人として”の筆者も当然且つ常識としてこういった行為はしません。

さてそこまでの禁止事項ではないが、多くの人がそれとなく知っているある種の社会悪でありながら証拠なしに発表、批判すれば起訴される又は逮捕される可能性のあることがらに、汚職・わいろの件があります。賄賂と汚職というのはそれを受け取る側が公の職位、立場にある者に限られますから、ある会社のセールスマンが購買先の会社の幹部を飲食でもてなしたり金を渡してもそれは汚職とはいいませんね。贈る側つまり金を出す側は誰であっても、必ず受け取る又はもてなされる側は公務員なりそれに準じる職についている者です、つまり政治家はもちろん警察、官僚、役人、取締官、認可官、審査官、などある種の公的権力を持っている者が具体的な対象になりますよね。

どこまでも賄賂と考えるか定義は難しい

さてこの賄賂・汚職はどんな国であれ、多少に関わらず起こっているのは誰でも知っていますが、どこまでを賄賂と、汚職と定義するか、さらにどこまでそれを社会慣習又は礼儀として許容するかには、ものすごく大きな開きがあるのは、案外日本人はご存知ないかもしれません。もちろんものすごく明らかな賄賂というのはどこの国であれはっきりと賄賂でしょうが、国が変われば賄賂とみなさないようなこともでてきます。

例えばタイではその地域を警らする警官が、飲み屋やカフェレストランに立ち寄った時ごく普通に食事させてもてなし、日頃の警邏の感謝を表したりいらぬいきがかりの面倒を省くような行為は全くありきたりの行為で、ほとんど日常的にみかけるし、それを疑問視する人はあまりいないでしょう。なぜなら、警官ももてなすカフェレストランや飲み屋もこそこそとやっておらず、衆人の目の前で極めて自然にやっているからです。

もう一つの例です。数年前のこと筆者がインドネシアのスマトラ島の空港に到着した時、パスポート審査の列がものすごく長いので、それに加わらずにぼんやりと眺めながら列が短くなるのを待っていたら、出入国検査官の制服を着た係官が近づいてきて、別のカウンター通路は空いてるよと言い放ち(インドネシア語で)、そちらへ行くように筆者を促しました。すると確かにその通路はごく空いておりたまに人が通りぬけて行きます。ただしその時係官に何かを手渡しながらです。インドネシア事情はそれなりに心得ている筆者にはピンときましたから、もちろんそんなお誘いはお断りで、20分ほと気長に列が短くなるのを待ちました。尚その通路を通ったからといって違法に入国するというわけではなく、”パスポートスピード審査代”を心づけとして払うだけのことでしょう。これはマレーシアやタイなら絶対に見られない行為ですが、その時その空港では半公然となされていました(スハルト政権崩壊後の今もどうかは知らない)。これも国によってどこまでそういう行為が許容されるかの例です。

歩道上で商売している屋台に対処する法律はある

でマレーシアに舞台を戻しましょう。クアラルンプールなど都会の街にはレストランや大衆食堂だけでなくホーカーセンターと呼ばれる囲った場と屋台街OKです、と決められた路上ではたくさんの屋台が常時営業してますね。そういう許された場所や路上だけでなく、なぜこんな場所にというような路地裏、アパートの目の前、駐車場の出入り口近く、ショッピングセンターの出入り口近く、歩道を占拠して、など本来あるべきでない、商売するべきでない所でも屋台は商売していますね。それだけでなく、ものすごく汚い大衆食堂や屋台が相変わらずいろんな店、場所で営業を続けていますよね(筆者もよく利用するけど)。

こういったことから、マレーシア事情に通じていない人、知らない人は、マレーシアには衛生状態を取り締まる官庁も規則もないのかと考えるかもしれませんし、又はそういう規則も監督官庁もあるけど名前だけじゃないのとか、ものすごくいい加減な規則じゃないのとか勝手に決めつける人もいることでしょう。

どちらも違います。マレーシアの、ここではクアラルンプール及び近郊ですが、無免許商売や衛生状態を取り締まる規則はそれなりに厳しい規則があるし、当然監督官庁も市庁には保健衛生局だの小規模商売人及び屋台担当部などがあり、国家には会社登記庁といった公機関があります。庁や局だけでなく、そういう公官庁に属する人員も十分ではないといえ結構います。クアラルンプール市庁(DBKLと呼ぶ)には、総勢数百人だったかな、いやもっといるでしょう、相当数の取締り執行係官・隊が控えており、専用トラックや破壊道具まで有しています。

注:その規則の例として、ある法律相談の記事を次ぎに紹介しておきます(2月10日付け)
質問者 「ある人が私の近所に引っ越してくるなり、その裏庭に店をこしらえて炒め麺や飲み物を売り始めた。その店が夜7時から深夜遅くまで開いて騒音を作りだし且つ油、煙を発生させていることに、私と近所の者たちは迷惑を受けています。どうすればこの人に商売をやめさせることができるのでしょうか?」

ペナン消費者協会の返答 「地方自治体法1976年の171条に照らし合わせて、あなたは居住する地方自治体に苦情を提出してください。地方自治体は、公衆の健康を害する、コミュニティーに迷惑な行為を起こす者を止める又は罰金に処する権力を有しています。住宅地区で商売すれば、その人は上記の法に違反しているのです。


なぜ違法行為が堂々と行なわれているかの理由

それじゃ、なぜ上記の違法屋台や極小規模商売人、全く衛生的でないレストランや大衆食堂がこんなにも至る所で目につくかといえば、それには2つの大きな理由が考えられます。それを説明していきましょう。

1つ目です。マレーシア人には昔の意識、つまりこんなに国が発展する前の安かろう悪かろう意識が残っており、客側と商売人側の両方に少少汚くても非衛生的でも気にしないという人がまだまだ多いのです、且つ客としては、小規模で違法、合法に関わらずそういった商売人たちの商売に協力する意識が十分に残っています。これはどういうことをいうかというと、明らかに違法である屋台や汚い店にも客として人が頻繁に出入りしていることです。「この屋台違法だって?構わないよ。適当に値段が安ければいいし、近くにあって便利でいいや。」 ということなのです。もし多くの市民と近くの住民が違法の屋台や非衛生的な屋台、レストラン、店などを全部拒否したら、監督官庁の取締り行為以前に彼らの商売自体が崩壊します。売上がなくなるか非常に足らないことからですね。

違法屋台は永遠だ

しかしそういうことは極めて非現実的です。例えば住宅街でアパートのすぐ前の広場で夜遅くまで営業して、そこら中にゴミを棄てまくって環境を汚くしている屋台郡は数多いので、当然アパートの住民を怒らせますが、そういう屋台郡が利用者の拒否にあって壊滅したというニュースがあれば極めてまれなケースですね。これがまれでないからアパートの住民は自治体に取締りを訴える、しかしいつまでたってもらちがあかない、そんな記事はしょっちゅう地元の大衆紙面に載ります。

また例をあげれば、セントラルマートやコタラヤショッピングセンター近くの歩道でしょっちゅう違法屋台が商売しています。はっきりと屋台禁止のサインが掲げてあるし、取締官がくると屋台ごと逃げる彼ら、その多くはマレー人若者ばかり、ですが、相変わらず商売を続けています。なぜならそういう屋台で物を飲食する、購買する客が後を絶たないからでしょう、つまり金もうけになるからです。
こうして違法屋台は客の支持を多いに受けて、商売は永遠なのです。

Intraasia注:通常は、屋台のイラスト付きのサインボードに"Zon SITA、 Dilarang Menjaja" という禁止文句が書かれています。




生活していくために賄賂を渡すのか、賄賂がなければ生活できないのか −後編−


取締官の目こぼしもあるのでは?

もう一つの理由、それは取締り官らの目こぼしのせいでしょう。この詳しいことを筆者自身のことばではっきりと書くと、証拠もなしに書いたと非難、ひょっとしたら逆に問題に、されかねませんので、それはさし控えます。その替わりに、この種の街のニュースを日頃伝えることで定評ある都会の大衆英語日刊紙The Malay Mailから抜粋翻訳してここに掲載しておきます。この日刊紙は都市部だけで売られているタブロイド版で、大衆紙らしく論文調子の記事はごく少なく、読みやすい調子の記事が多く且つ写真や娯楽ニュースの多いことが特徴です。尚このタブロイド紙は筆者の愛読紙ではないので、毎日定期的に読んでいるわけではありませんが、その特徴はよく知っているつもりです。

2001年2月3日付けMalay Mail 第一面の大見出し 「”我々は彼らに金を渡した”と屋台人らは語る」 

記事のリード文:The Malay Mail紙は人々が疑っていることに関してクアラルンプール内外の屋台商売人と話したのです。つまり商売人はその商売を続けていくには取締官らに賄賂を提供せざるをえない、という疑いに関してです。− その内容は2,4,5ページに続く

2ページ、見出し 「これは生存問題なのです」

あなたが私の背中を掻き、私があなたの背中を掻いてあげる −このように汚職は機能するのです。この掻き合う行為はもう何年も続いていることで特別目新しいことでありません、と首都圏の多くの極小規模販売人はこう認めるのです。

Intraasia注:極小規模商売人とは、屋台とか大衆食堂を指します

匿名を条件にインタビューした屋台商売人(複数)はこう語っています、その商売を続けていくために又はその地方自治体の規則を破っているから賄賂を提供するのです、と。屋台商売人に拠れば、時に自治体の取締官(複数)の方から賄賂(duit kopi 文字通り訳せばコーヒー代の意)を要求し、それを拒否すれば嫌がらせを受けるので屋台人はそれを受け入れます。

The Malay Mail紙は昨日クアラルンプール、Selayang, Bandar Sri Damansara, Subang Jaya地区のいくつかの通りを回って、20人ほどの屋台商売人と大衆食堂主に尋ねました。その多くは商売免許を持っていないのです。また数人は黙して語りませんでした。しかし多数は匿名を条件に喜んでこのことを話してくれました。

これより先に、屋台商売人と極小規模商売人協会の連盟の副会長がマレーシア語の日刊紙で語っています、「取締り官が商売人に守り賃を要求するのは全国的に何年もの間行なわれていることです。」と。 「私はある商売人が月にRM4000もの金を取締官に守り賃として払っているケースを知っている。」
彼の発言目的は、クアラルンプール郊外のTaman Industri Puchongで先週Subang Jaya 自治体の45名の取締り執行官が、執行時にミニマーケットショップの物を破壊し店員を怪我させたと言われる出来事があったからです。このショップの店主は、執行官の要求した守り賃RM500を拒否したことへの報復を受けた、と非難しています。
一部省略。

アブドラー副首相は商売人と連盟に対して、腐った執行官からの嫌がらせを避けるために、警察へ訴え報告書を出すように勧めています。「苦情を言うだけでは意味がない。もしこういった汚職を防ぎたいなら彼らはグループで行動を起こさなければならない。」

しかし沈黙を守るとの鉄則を破るのは、言うは易し行なうは難です。屋台人はそのうるおいある商売を守りたい、そして賄賂が払える範囲の金を払うことであれば、彼らは汚職と戦うよりこちらを好むのです。汚職と戦うことを選べば、長い時間と手続きを要しますから。

我紙の調査では、商売人等は決して天使ではありません、彼ら自身もそれを認めています。求められる又は求める金額は、商売人の商売の規模に拠ります。「商売人、特に免許を持たない商売人が金を渡すのは典型的なことです。」と、Kampong Baru地区のある免許を持たないハンバーガー屋台人は語る、「ここの多くの商売人や屋台人は規則を破っている、例えば免許がない、店を歩道上に広げているなどです。取締り執行官は月に少なくとも3回は私から金を集めていきます。1回の金額はRM50です。」と述べています。

Bandar Sri Damansara地区で別の違法屋台人は我記者に語るところによれば、彼はPetaling Jaya 自治体の2人の取締官に立ち寄られて、守り代を要求された、もし金を出さなければ罰金RM300を言い渡され且つ屋台の設備などを没収すると言われた、と。「彼らは私が違法に営業していると知っており、私は面倒をさけるため金を渡した。」 「さらに時々罰金を払いに役所へ行くことに比べれば、週にRM50ぐらいはなんでもない。」

Subang Jaya地区である合法的に商売する大衆レストラン主は店の外の歩道や道路に出したテーブルとイスに対して、罰金を食らったり没収をさけるために、執行官に金を提供している、と認めています。「規則を破っていることを私は知っています。しかし商売がものすごく景気よく、執行官らに少しばかりの金を渡して喜ばせてやるのは別に気にならない。」とこの店主。

Intraasia注:店の外、歩道どころか車道の一部まで、にまでテーブルとイスを出して商売しているのは極めて普通の光景で、特に夕方からこのスタイルがが圧倒的に盛んになるのは住宅地にある飲食店、屋台に多い。客もそれを望んでいるので誰も文句を言わない。第一客自体、ほとんど駐車などの規則を守らずにそこら中に車を停めまくるので、店の違法行為など責められるわけがない。こういった慣習がなくなることはとても考えられないですね


Selayang地区の別の屋台主が明らかにしたところでは、彼は商売を続けるために金を渡しているのです。「Selayang自治体の取締り官の取り締まりがあって、私の屋台は没収されてしまった、さらに罰金まで食らった。彼らはすぐ近くにある同様に違法の屋台には手をつけなかったのです。」そのため彼は屋台道具などを取り戻すのに1週間以上苦労した、罰金もRM300払った、とそうです。

屋台商売人になぜあなたたちは執行官の汚職を当局に訴えないかと記者が尋ねたら、彼らはこう答えた、「なぜそんな煩わしいことをする必要があるのですか?1月のduit kopi(コーヒー代)RM300ぐらい我々の稼ぎに比べればどうってことはない。」 「執行官が店を閉鎖してしまったらどうやって私は家族を養っていけばいいのか?私は教育を受けた人間ではないからかっこいい職を選ぶことはできないのです。」とも付け加えています。

Intraasia注:賛成するしないに関わらずこの発言は非常に説得力がありますね、まこと世の中理屈通りにことが進まない例です。この金を要求する、払う関係は、食物連鎖のごとくものすごく密接につながっているのです。一点だけを責めてもことは全く解決しないのです。


無免許の商売人に対して、どうして免許を取得しないかの質問に対して、Bandar Sri Damansara地区の歩道上で商売している屋台人は答えます。「私はこの商売を過去3年成功させている。常連客も多いのです。」 「もし私が免許を取れば、どこか別の適当な場所で商売するように言われます、歩道で商売してはいけませんからね。そうなったら私の商売がおかしくなる。」

Interaasia注:つい数ヶ月前にペラ州で自動車免許違法取得者問題が明らかになり、その数10万人とも言われていました。それまでに、そんなの多くの人が違法に自動車免許を違法取得したわけですが、それを返還しろという道路交通庁の命令に多くは従っていません。免許がなくなれば職に響くからという表向きのいいわけです。いつのまにかこの問題は下火になりました。このように本来は取得しなければならない免許がなくても物事を機能させていく社会がマレーシア社会なのです。

例えばクアラルンプールでは免許を持った小規模商売人と屋台は1万6千人ほどですが、屋台商売人の数割は無免許で商売しているようです。このようにあまりにも多くの者が無免許で商売しているので、全面一斉取締りなどできません。万が一全市あげて厳しく取り締まれば社会に大きな問題を起こします。なぜなら屋台で生計を立てているのはその家族を含めれば数万人を下らないでしょう。もしこの半分が生活の糧を失うようになったらどういうことになるか、言わなくてもお分かりですよね。


4ページ 権力の横暴という非難に、州首相が担当部長に会う

スランゴール州首相は、取締り執行官の職務遂行問題で、各自治体の取締り部長に会うことになりました。これは最近執行官の横暴を示す事件が続けて起こったためからです。Subang Jaya自治体と Ampang Jaya自治体所属のそれぞれの取締官隊が、ゆきすぎた行為を行ったと非難されているのです。
一部省略
例えば Ampang Jaya自治体のPandanJaya地区にある自動車洗車ショップで、そのオーナーが取締官とこねがあると自称する客と口論したことから、その口論後取締り官らがショップを訪れて店を破壊してしまった、と非難されている事柄があります。州首相は、「実際に何が起こったかは知らない、私は2つの自治体からの報告を待っているところです。」

以下は省略

5ページ 見出し「金を渡すのを拒否したら嫌がらせを受けた」

Taman Industri Puching 地区で商売するミニマーケットオ−ナーのマレー人41才は語る、彼は過去2年間地元自治体の取締官には守り賃を払ってきた、と。「私がPuchong地区の別の場所で2年前に商売をはじめて以来、取締官らは守り賃を要求してきた。最初、彼らはやって来るたびにRM150要求していた。」 と。4ヶ月前に彼がさらに新しくTaman Industri Puchong地区にミニマーケット店を開いたら、別の取締官一行がやって来て、RM500を要求したのです。彼はそれを拒否したと言い、それ以来取締官は彼に嫌がらせを始めたそうです。「私は個人的に(営業免許)担当係官数人にあって申請をしたにも関わらず、担当官は私に営業免許の発行をしてくれなかった。」

事件の4日前、その店で起きた取締官隊と彼の事件は全国的ニュースになりました。その事件では、Subang Jaya自治体から35名の取締官が彼のミニマーケット店を訪れて、規則を破っているとの理由で店の物を没収し、さらに店の店員25才が執行官に殴られ、警察署に24時間拘置されたのです、さらに店主である彼の息子12才も怪我をしたのです。

彼は言う、「(問題の行為の際)取締官が没収した品のリストにサインするよう求めたとき、私はものすごく恐ろしくて、没収品の種類が不足していることを知っていながらサインしました。」 「私が彼らに質問した所、彼らは店員を殴り始め、彼は倒れてしまった。その後取締官は彼を車に乗せてしまった。」
一部省略
その後(事件を聞きつけた)反汚職庁の係官がこの店主である彼のところにやって来て、自治体の取締官が守り賃を要求したと言う陳述を2日間かけて彼からとって行った後、つまり事件の4日後、この店主は警察への訴え報告を提出しました。
一部省略
地元の国会議員と消費者団体の幹部の勧めによって、彼は警察に事件の4日後店主はこの1件に関して警察への訴え報告を出したわけです。一方殴られた店員は訴える、「私は係官らに頭と身体中を蹴られ倒れた。彼らは隊の車に私を放り込み、警察署まで送られたのです。」
以下省略


賄賂と汚職はその社会・組織の構成のあり方とその社会の民の意識のあり方に大きく関わっています。ですからある国や民族によって捉え方と現れ方は違ってくるのは当然でしょう。従って賄賂・汚職への対処法も解決法も、さらに許容する範囲も当然異なってきますね。

次ぎにStar紙の2月14日に載った記事を紹介します、これをお読みになれば、汚職に立ち向かっている反汚職庁も単なる取締りだけでことが解決できないことを理解していることがわかりますよ。

公務員の給料を上げて賄賂を減らそう

反汚職庁は、公務員が賄賂を受け取るのはその給料が低いことも一因であるので、政府に特に取締りに関わる部門での給料システムの見直しを求めています。

汚職に関わるのは警官、取締官、出入国係官、税関職員など低職位の公務員を含んでいる、給料の見なおしが必要だ、特に都市部に住んでいる者に対してはだ、と反汚職庁の長官が語りました。「反汚職庁の調べでは、都市部の公務員の方がより賄賂を受けやすく、それを給料の足しにしている。」 「統計の語るところでは、低職位の公務員が汚職するのは都市生活の高費用に満たない不充分な給料のためだ。」 「給料の見直しは、手当てを含むべきだ。」

「汚職の原因の一つは低給料だ。これが取締官のように権限を執行する人々に関係する。彼らは権力を授けられている。権力は汚職を呼ぶ。だから彼らは都市生活の費用に見合った収入を得なければならない。」

Intraasia注:筆者は以前からこの考えをある程度は支持しています。取締りに関わる公務員の賄賂受け取りは公然の秘密です。もちろんモラルの低さを責めることは当然ですが、クアラルンプールのような都会に住み、働きながら月給RM1000もいかない低職位の公務員給料制度は、小銭受け取り思考を助長するだけではないでしょうか。しかしそれを理由にして賄賂を受けるのが当然だということではありませんよ。何よりもこの賄賂の授受の背景にあるのはマレーシア社会そのものなのです。

最後に、この低所得が汚職の一因である論を批判したStar紙の2月18日付け社説「給料を上げることは汚職の減らすことにはつながらないだろう」 という社説の一部を抜粋紹介しておきます。尚この社説では、筆者の見方である”マレーシア社会そのものに汚職の根がある” という論を裏付けていますよ。


(公務員の取締り官らの)低所得というのも汚職に結びつく一原因ではあるかもしれない、しかし給料を上げるだけがこの社会悪を根絶する万能薬ではない。汚職と低所得を類似のものと言うのはあまりにも初歩的すぎる。低給料の警察官や取締官における賄賂のケースを出せば、明らかに木を見て森を見づのケースです。

マレーシア人は高級官僚や金持ち、有名人に関わる汚職をたくさんいやというほど見聞してきた。多くは起訴され有罪となった。またそういう風にならなかった者もいた。なぜなら証拠不足、長い面倒な調査が必要のためである。有名な企業人が、政治家が高級官僚が汚職で逮捕された事件を見てきました。

欲というものが賄賂を受け取ろうと決心する どんな人間の心にも最大の影響を与えるのです。自分の所得以上の生活に結びつくことを切望することによって、多くは追加の所得という安易な収入を得るのです。油を加えることが申請書を認めるとかある仕事を早くやって行く唯一の道であるようなある種の環境が作られているのです。政府官庁では認可に官僚的形式主義が多く要求される−そういう場では1人の係官が多くの決定をする− ことが賄賂受け取り人への伝導となります、一方賄賂提供者は受け取り側のなすがままになってしまいます。

実際我々の社会的と公共のシステムが、そういった人々の間では生活の一部となっている汚職の文化に貢献しているのです。例えば、成功とはある人が何を有するのかと判断されることが、間接的に人々への圧力となって物質富みを求めて行くそんな社会構造です。
金を得ることと物を所有することのよって生活に成功していると認められようと競っていることがしばしば汚職につながります。これは、特に社会が一般に低所得者層を見下げるような都市部では明らかなことなのです。
以上

尚今回このコラムで題材にしたのは、庶民の身近にある、発生している賄賂・汚職のことでした。政界、経済界、官界上層部の賄賂・汚職は、あると仮定しても、こんな簡単には表沙汰になりませんし、それを暴くことは非常に難しいでしょう。なぜなら汚職・賄賂は下層部であれ上層部であれマレーシアの社会風土に原因があるし、さらにマレーシアの報道状況を考えればある程度の制約もあることでしょう。しかし上層部の賄賂・汚職だけが下部社会から独立して存在しないことを、このコラムで紹介した記事を通して皆さんに感じとって欲しいなと思っております。



マレーシア人の数へのこだわり方と人気の番号当てくじ


特定の数字とか数にこだわるのは、恐らく世界中相当数の国と民族に共通の現象だと思います。代表的なところでいえば西欧のクリスチャンの間では13という数字が、必ずとまではいかなくても一般に嫌われるのは皆さんご存知のことですよね。日本人なら”4”と”9“が嫌われる数字であるのは誰でも知ってます、もちろんそれを個人として気にするしないは別としてです。でこういった数字の背景は単なる語路合せであったり、個人の偶然遭遇したこと又はある出来事のおかげでその数字が好き又は嫌いになる場合もあるし、その社会の慣習的背景から好まれる又は嫌われる場合もあります。宗教的背景から好き嫌いの数字が決められると、実際の教義に関係なくても信者の間でその意識を変えるのは至難の技でしょう。

マレーシア人全部に共通する好き嫌いの数はあるか

さてマレーシアは多民族・複数宗教国家ですから、マレーシア人全部に共通する好き嫌いの数字はないようです。もちろん数字の1は1番に通じるから大抵の人に好まれるでしょうが、これは日本人だって、さらに恐らく中国人だってアメリカ人だって同じでしょう。尚3333みたいなぞろ目の数字、0006のように桁数の少ない数、100とか1000とか5000のように区切りのいい数字が好まれるのは、別に民族を問わないでしょう。

マレー人界に共通して好き嫌いの数字というと何があるのでしょうか?筆者ははっきりと自信を持って言えるほどマレー人の数への嗜好に関する知識がないので、断言はできないのですがとりたててないように思えます。ではインド人界ではどうなんでしょうか、筆者はほとんど知りませんので、それに触れるのはやめておきます。ただインド人は、下記で述べる4Dくじが結構好きであるのは事実ですから、きっとインド人界にもある程度共通した好き嫌いの数があるのかもしれませんね。

華人界は数に対して好き嫌いがはっきりしている

で華人界はというと、先ず4が一番且つ徹底的に嫌われます、なぜなら華語では4の発音がよく似た発音の字である”死”に通じるからですね。広東語でも華語とは発音が違いますが、同様に”4”と”死”はごく似た発音です。その嫌い方というか縁起の担ぎ方は異常と思えるほどで、多層階式の多いショッピングセンターはまずほとんど4階には一般ショップをテナント入居させないようになっています。4階で営業するのは食堂とか映画館とかゲームセンターばかりです。でどうやって4階という階を防ぐのかと言えば、起点の階を呼び替えるのです。

例外はありますが一般に、マレーシアはヨーロッパ式の階呼称法を使いますから、日本でいう1階はGround Floorつまり地上階です。日本の2階がマレーシアでは1階になります。これは慣れればなんでもないことです。でその1階をショッピングセンターではUpper Ground Floor(略称UG) などと呼び替え、その結果本来の2階を1階にします。こうして1階分サバを読むのです。本来の地下1階はLower Ground Floorなどという奇妙な呼称です。ひどい場合にこんな例があります、本来なら地上階にしてもおかしくないくらいの地上面よりわずかに低いだけの階をLower Ground Floor とし、その上の階をGround Floor, ついでUpper Ground Floor、その後ようやく1階となり、2階と続きます。これでは日本の4階がマレーシア的呼称ではまだ1階なのです。ショッピングセンターは多層式でも4層ぐらいでショップ階はおしまいなので、この呼称方で”ごまかせる”のです。

オフィスビルアパート、マンションでもこういった呼称法がよく、特に華人のオ−ナー企業やや華人コミュニティー・会社主体であれば相当の高割合で、用いられます。中には4階を3A階などと呼んでいるビルもあるぐらいです。4で何が悪い!じゃ1年に12回ある月の4日に生まれた華人は皆縁起が悪いのか!と筆者は毒づきたくなりますな。4月4日生まれの華人はどうするのだろうね。

好まれない数字の組み合わせには、例えば4を絡めて74があります。発音から”去死”となるのです。
尚”9”は日本とは違ってほとんど嫌われません。逆に好まれる率の方が高いと言ってもいいでしょう。9の発音[jiu] は永久の久[jiu]に通じるからです。

華人の大好きな”8“

好む数・数字といてばで言えばまず8ですね。広東語で8は、華人の大好きな発達とか発財の”発”に同じではないが似た発音ですから、この8が好まれるのです。車の番号に8の連続、8888が好まれるのはこのあたりです。また飲食・商売店とか小規模店で8を含む店名をつけているところもタマに目にします。商売発達つまり金儲けに縁起がいい数なのです。8 と 6を繰り返す8686のような数字も好まれるタイプです。その他8を含んだ数字にはこんな語路合せもありますよ、168です。これは似た発音から”一路発”なります。この他にも 2323とか1515みたいな数も比較的好まれる数字でしょう。

ナンバープレート番号に示されるマレーシア社会

この数字の好みを叙述に示すのが自家用車の登録ナンバー(プレートナンバー)です。マレーシアでは登録ナンバーの頭に来る英字の2文字又は3文字がその登録州と連邦領を示し、それに続く数字はすべて4桁です、(尚1桁2桁の場合は前の 0を略して記入)。登録ナンバーの英文字は選べませんが、数字は選べるのです。選べるといっても自動車購入者が好みの数字を”買う”わけです。つまりここに恣意的な番号選択が発生し、結果として不透明な金のやりとりが発生する根があるのです。

スルタン家の関係者はいうまでもなく連邦政府の幹部クラス、州政府の大臣などはまず1桁とかきりのいい2桁番号でしょう。それに大会社や公共企業体の幹部とか大中の会社の社長、会長、理事長のような高級幹部の車は1桁又は2桁のきりのいい数だったり、縁起のいい4桁数字が抜群に多いのは、街を走っている又は高級ホテル前に並んでいる運転手付き高級自動車のナンバープレートをよくみていれば気がつきます。

ちょっとお金のある人は数千リンギットも出して好みのプレート番号を確保又は買うのです。庶民でも新車購入時に数百リンギット程度出して好みの数字のプレートナンバーにする人は極めて多いですね。自動車会社セールスマンは通常は新車購入時に客にナンバープレートを選びたいのかと、尋ねるのが一般的のようです。ここにまた不透明な金の流れが出てきます。なぜならこの数字の価格は実際にはあってなきがごとしのものであり、一体最終的に誰の所にいくら収まるのはのか、しろうとには到底わかりません。いうまでもなく領収書など一切発行されませんからね。もちろん道路交通庁の自動車登録番号部署に人気ある数字の相場表が張ってあるわけでもありません。

各自がコネをつかって好きな数字を取ろうとし、有力者は先に手を廻しておくことでしょう。不透明な金の流れを知っていてもいやそれを十分期待して、さらに(番号取得などに)コネを活かす事とを自慢しその力を見せびらかす(1桁のナンバープレートであれば権力又は金力ある証明ですね)、それがマレーシア社会なのです。
ですから新車の自動車登録番号を公明正大にコンピュータの選ぶ乱数表に従ってとか、登録順に素直に割り振るような提案は、マレーシアでは官民通じて且つ大衆から権力者の間まで通りそうにありません。

この自動車登録ナンバーのあり方だけをみても、マレーシア社会は力と金のある者がいかにそれを誇示しやすくできているか且つ社会がそれを許しているかを叙述に示しているのです。

華人中心に人々が夢中になる4Dくじ

さてマレーシア人が数字にこだわると言えば、何を置いても4桁数字当てくじですね、ロッテリーと呼んでもいいですがくじとしておきます。このくじに金を賭けるのは華人中心としてインド人など非ムスリムが大多数です。マレー人を中心としたムスリムは、教義上賭けは禁止されていますからくじを買う人はいないはずです(絶対いないかどうかはもちろん知りませんよ)。外国人でも当然買えますから、外国人労働者の姿を店頭によく見かけます。この数字当てくじに小金を賭けるのは老若男女を通じてまことに盛んで、街のあちこちににあるいくつかのくじ販売店は常に人が集まっています。一般にこの数字当てくじを4Dと呼びますが、それはくじの中で一番人気を4Dと呼ぶからです。尚4Dとは4桁の数字の意味です。

4Dの次ぎに人気あるのは3桁数字の3Dくじでしょう。さらにその他数種のくじタイプがあり、政府から免許を得た3社が、それぞれ自社のくじを毎週3回売り出しています。全国的に売り出されますが、クランタン州とトレンガヌ州では販売が禁止されているそうです。その理由はイスラム原理政党のPAS党がこの2州では州政権を握っているからでしょう。

この数字当てくじは、民営くじ会社が各社独自に売りだして当選番号を決め賞金を払う点が、日本の宝くじと大きく違う点です。くじ発行会社の3社とは、Magnum(萬能萬字票), Sports ToTo(多多博彩), Pan Malaysia Pools(大馬彩) です。かっこ内は華語の名称です。尚 Pan Malaysia Poolsは3Dと 1+3D くじを発行しており、Sports Toto社は4Dに加えて5D、6Dと種類が豊富で且ついわゆるロッテリータイプの番号組合わせくじも発売しています、例:6から42を組み合わせるJackpotなど。

この3社が華人地区を中心に各地域にそれぞれ販売所を設けており、くじを買う人はそこへ赴いて買うことになります。大都市の華人地区ならまず徒歩10分以内に確実に見つかりますから、住民はそこへ行けば簡単に買える筈ですが、それでも私設くじ屋、もちろん違法、が今でも活動しているそうです。尚くじ販売所は、日本の宝くじ売り場とは違って、有名繁華街やショッピングセンターの中にはありません。その理由は推測するに、ムスリムもたむろするような場所でくじ販売をさせないためのようです。

華人人口がそれなりにある地方の町にもこの3社がそれぞれ販売所を設けているはずです。一般に小規模町の中心部は、マレー人町を除いて、大体華人の商店街が幅を利かせていますから、そういった町なら必ず商店街にこの3社のくじ販売所があります。住宅地除いて、華人の集まって住んでいる場所ならくじ販売所があると考えてもそれほど間違いではないでしょう。

毎週3回の発売・抽選

各社毎にくじを発行し抽選し発表しますが、その発行と抽選日は統一して決められており、どの会社のどの種のくじであれ、毎週水曜日、土曜日、日曜日です。これ以外に特別な行事、独立記念日とか中秋節のような行事にかこつけて特別発行・抽選ができます、もちろんイスラム教の行事には全く関係ない日です。

4桁の数字を当てるのは単に確率の問題で取りたてて法則などないことは数学の知識があればすぐわかることです。つまり0から9までの数字で構成する4桁の数字の組み合わせは1万種ですよね、だから4Dくじは萬字などと華語では書かれています、つまり1等を当てる確率は1万分の1ですが、その理論を信じる人は少なそうです。多くの賭け人にはこういった理論は全く通じないでしょう。彼らは己が気にいった又は偶然であった又は身辺に何かにいわれを取った数は当ると信じて、その数字に賭けるのです。自分や身内の自動車のナンバープレート、子供の誕生日などなどもそういった対象です。笑えない話しに、街で偶然見かけた事故車の番号を即メモしてその番号に賭ける人もいるそうです。

筆者は手にとって見た事がありませんが、3Dくじと4Dくじを当てるための数字選びの手引書のような書籍が2種類売られているそうです。いずれも華語で、くじ賭け人の中にはこういった手引書を参考にしてラッキーナンバーを買う人もいるそうです。

くじの賞金はそれなりに魅惑的

でこの4桁数字のくじ4Dの1等に当るといくら賞金が獲得できるかとといえば、数種類ある賭け方によって差があり、RM1投資あたり数百から数千リンギット程度です。10リンギット賭ければ、見返りは数万リンギットですから、魅惑的なことはわかります。賞金が高くなる方の賭け方の場合、1等は3000リンギット、2等は2000リンギット、3等で1000リンギットです。この抽選の結果は電話でも問い合わせできるくじ会社がありますし、現在ではインターネットの各社のサイトに即広報されます。でも今でも一番人気ある調べる方法は、翌朝の新聞、特に華語の新聞ですね。英語紙も各くじ社の結果を載せますが第1面ではないのです、一方華語紙は第1面にでかでかと各社のくじ結果を載せます。マレーシア語紙は当然載せませんよ。これだけみても数字当てくじの対象がいかに華人コミュニティー中心であるかがわかります。

くじの賞金の例を挙げておきます。他社は4Dと呼ぶ4桁当てくじの場合はその賞金額はこの社と同じです。
Pan Malaysia Pool社(大馬彩)の RM1 当りの当選賞金
3Dでは、1等RM520, 2等 RM80, 3等RM 20
1+3D(つまり4桁)では、 1st Prize: RM3,000  2nd Prize: RM2,000  3rd Prize: RM1,000

皆大好きラッキードゥロー

数字・番号に関した話題を最後にもう一つ加えておきます。マレーシア駐在者の方ならご存知のように、日系企業を含めて多くの会社では年1回、全従業員への感謝と慰労を兼ねた年次ディナーなる催しを開くところが多いですよね。そういう場合、ほとんどといっていいぐらい行なわれるのがラッキードゥローです。これは何かと言うと、年次ディナーの参加者全員に催しの最初に番号を書いた紙片を手渡し、年次ディナーのクライマックスで、この番号を抽選するわけです。ボールペンかタオル程度の賞品である下の等級から次第に上級へ進み、最後の1等賞品はデジタルテレビなどの高額商品であるのが一般的です。もちろん会社の規模とその景気によって、提供賞品の程度が上下するのはいうまでもありません。尚年次ディナーを催す会社からその取引先各会社に対して、ラッキードゥロー用の商品の提供を暗に促す風潮もありますね。

このラッキードゥローは民族を問わずマレーシア人に人気あり、年次ディナーの花形なのです。マレーシア人のこういった面での数字好きを示している事柄だと筆者は捉えています。



マレー人とインド人が衝突したカンポン・メダン事件の背景と持つ意味 −前編−


3月初旬クアラルンプールの隣のペタリンジャヤ自治体の一部で住民の衝突事件が起こり、これがマレーシアの国全体に大きな意味合いを持つ事件に発展しました(国内のあちこちに事件が飛び火したということではありませんよ。誤解なきように願います)衝突事件は数日後警官隊の多量導入でおさえらえて、その後は収まったように報道されていますから、少なくとも衝突事件が再発することは当分、いやもう2度とないかもしれません、(それを予測することはここでも目的ではありませんし、誰であれこういったことを100%近い確度で予想することは無理ですね)

この一連の事件は「新聞の記事から」の3月11日からしばらくほぼ連日載せました。さらにこの「新聞の記事から」に訳して載せるのは主流マスコミの記事ですが、それだけではいかにも不充分なので、輔弼の意味合いを込めてゲストブックに状況解説と筆者のその時点での見方を書いておきました。事件の流れと後日報道は「新聞の記事から」をご覧ください。

注:この事件を筆者の仮呼称で”カンポンメダン事件”とつけて起きます。


事件のあらまし

以下は、主要マスコミに掲載されたこの事件のあらましを解説した記事の概要です。
3月4日午前3時ごろ、帰宅途中の地元のあるインディアン人が狭い道に結婚用テントが張られているのに腹を立てて、テーブルなどをけった、その行動に怒ったそこのマレー人がこの男を殴り倒した。彼は刀を手に5人の仲間とその場に戻り、けんかが発生した。彼はあるインディアンの家に逃げ込んだが、追ってきたマレー人グループは彼がその家のものだろうと推測して、近くの自動車などに火をつけた。

その4日後、地域のインド人子供等が遊んでいてバンの窓ガラスを割った、持ち主であるインド人は親に弁償を要求したが、その時彼の運転手であるマレー人が弁償要求に加わった。しかしそれをみた村人はマレー人がインド人を脅していると考えた。

その頃までにインド人対マレー人のうわさが一帯をとびかった。うわさのつねでそれが拡大し、地域のマレー人コミュニティーとインド人コミュニティーに緊張感が高まっていった。

これは宗教にも民族にも関係ないことだ。この2つのいさかいは近所同士で起きたいさかいであったのです。例えそれが民族的要因があったとしたら、そのいさかいに巻きこまれたのが、たまたまインド人とマレー人であったのです。

しかしこのいさかいが発展して12日現在6人の死者、うち5人はインド人で1人はインドネシア人、と24人のけがによる病院入院者がでたのです。警察発表では12日現在、183人を逮捕した、内100人がマレー人、14人のインドネシア人、69人のインド人です。押収した武器は手製の爆発物を含んで100近い点数です。
以上

カンポンメダン地区の位置

衝突事件の発生したカンポンメダンとその周辺地区はクアラルンプールのすぐ周辺で、スランゴール州の自治体に属します。この事件はある地域の性格を相当備えた事件のように思えましたので、その地区の特徴を知ってもらうために、筆者は3月13日のゲストブックに下記のように書いておきました。
「事件の中心となったKampung Medanとその周辺とは、行政的にはペタリンジャヤ自治体及びスバンジャヤ自治体に属するそうです。クアラルンプールからペタリンジャヤを抜けてスバンジャヤに走るJalan Kelang Lama(通称オールドクラン通り)の近辺に広がる地域です。在留日本人の方でこの地域を訪れたことのある方はまずいないでしょうし、多くはその場所さえご存知ないでしょう。クアラルンプールからクランに行くKTMコミュータ電車に乗り、クアラルンプールを過ぎてDatukHarun駅のあたり、つまり走行方向に向かって左側に広がる地域です。

高級な住宅地やにぎやかな商業ビルが並ぶイメージのベッドタウン PetalingJayaの一部とはいえ、一般のその感覚とは相当違った都会の中のカンポンといった雰囲気であることを、私はぼんやりと覚えています。5,6年ほど前には何回もその当りを訪れたことはありますが、それ以後は全く行ったことがありませんので、最近の様子は知りません。しかしその地域の特徴はなくなっていないでしょうし、伝えられる所に拠れば、言葉が悪いが開発から取り残された地域であるようです。もちろん開発イコール発展が良いと言うわけではないから、地域がそれを受け入れないあり方であれば、それはそれでいいと思いますよ。」
以上

地区の特徴を解説する

この地区の特徴をあれこれと解説する、次ぎのような解説もその頃新聞に載りました。
「Kampung Medanとその周辺は都会の中の非合法占拠又は無断居住者の占める割合が多い地区です。住人の多くは工場労働者、小規模商売人、屋台人、運転手、機械工からなり、いわゆる低所得者層が多い、住宅事情はひどく、溝は詰まり、住宅街路は暗く、ゴミの匂いの満ちた小路です。これは多数派のマレー人コミュニティーでもインド人コミュニティーでも同じです。犯罪の率はペタリン自治体の中で一番高い。」

「Kampung メダンでの住民の怒りは典型的な都会の貧困な労働者のケースです。インド人コミュニティーからは低所得層向け住宅供給のプログラムから取り残されているとの苦情がある、彼等はマレー人コミュニティーに比してより貧しく、マレー人コミュニティーは(国の)マレー政策から優遇を受けいると訴える。マレー人コミュニティーは一方、インド人は酒を飲む習慣があるなどを批判する。明らかにどちらのコミュニティーにもフラストレーションがあったのです。それにこれを助長しているのが、地区に増えつづけるインドネシア人の存在。インドネシア人とマレー人の区別をできないインド人がいることが誤解をさらに招く。」
以上

事件は地区外へも一時及んだ

一般に言われるのは、貧困と発展から取り残された不満を示すために、又はある勢力がそれを利用しての人々をうまく操ってさせられて暴動が起こることがあります。これは世界の歴史と現在の各国での衝突事情をみればよくわかることですよね。で私は続けてゲストブックにこう書きました、「事件はこの地域を主として発生したのです。ですからこの場所の背景をよく頭において論じなければなりません。クアラルンプールはもちろん他のペタリンジャヤで衝突が起こっている、広がっているなんて事はありませんし、まずありえないでしょう。しかし単発的な”個人への襲撃”が周辺の街で起こったのは事実のようです。」と。

この地区周辺の外の街で個人攻撃が出てインド人が怪我し又は殺されたのは、ある意味ではKampong Medan及び周辺のマレー及びインド人地区での衝突より重大な出来事になりかねません。それをついたのが、私の加入するニュースグループで知った次ぎの声明です。

主要マスコミ報道だけでは不充分

「ペタリンジャヤのオールドクラン通り近辺にある複数の住宅地区で(先週起きた)民族衝突によって、4日間ですでに死者の数が5人に達っした。さらに負傷した37人中の4人は重体なので、その数は増える可能性がある。この地区の外でも事件が発生していると報告され始めている。この32年間で発生した最悪の民族衝突を国の悲劇と惨劇として、マハティール首相は宣言すべきです。

この地区から他の地域と州に民族緊張の高まりが広がるのを防ぐために、首相は全国と州レベルで全党から構成される委員会を急いで召集すべきです。この事件の重大さと緊急さのために私(Lim議長)は今日2回目の声明を発表するのです。

副警察庁長官は11日朝発表の記者会見で、153人の逮捕者中95人はマレー人で、56人はインド人で2人がインドネシア人としている。37人の負傷者中、34人がインド人とマレー人です。
何が一番警戒することかと言えば、事件での4人の犠牲者中3人は、この問題地区外で別々に起きた場所で被害にあったのです。つまりGasing通りで、KelanaJayaで、SungaiWayで起きたのです。副長官はこの3件の事件は、オールドクラン通り近辺の住宅地でこの4日間に起きた事件に絡んでいると考えています。さらに非公式ですが、BandarSunwayなどでも事件が起こったとの報告もあります。

警察がこれまで押収した96個の武器のうち、自家製爆弾が8個、刀、ナイフ、矢の発射機、チェーン、鉄棒、おのなどがあります。副長官の発表では、16台の車が破壊され、貨物車とバイクが燃やされた。その他車の被害もあった。合計700人弱の警官がこの問題地区の治安にあたっているそうです。

最大の失望は、警察が問題地区の安寧の復活と維持と人々の安全のためにより強力な強化をしなかったことです。その証拠として、一番大きな衝突であった木曜日夜以来、死者、負傷者、衝突さらに逮捕者の数が毎日増えているのです。」
以下省略

上記の「 」内の声明は、マレーシア華人を主たる支持者にした伝統ある主要野党の民主行動党DAPの議長で最高指導者である Lim Kit Siang が、3月11日にメディア向けに発表したものです。

筆者はこれを翻訳して載せた12日のゲストブックに次ぎのように前書きしました。「この出来事は、主流マスコミに載るニュースだけではどうも本当の姿が見えてこない気がします。最初筆者が感じたよりもずっと重大な出来事であるのではないかと、今感じています。事件の背景が今一つよくわかりませんが、各種報道に拠れば、間違いなく偶発的な小グループのいさかいではないですね。その証拠に逮捕者の数が抜群に多く、武器が数多いことです。逮捕者の中には軍人も混じっていると報道されています。

インド人に被害者が多いのは、数からいえば圧倒的多数のマレー人に分があるのは誰が見ても明らかでしょう。警察が問題地区を鎮圧はしている様子が今日の新聞には載っています。状況は次第に落ち着いた方向に向かっていると推測されますし、そうなるべきです。しかし出来事の実態は、真相はまだよくわからないのです、というか十分に明らかにされていません。」 

攻撃したグループの行動

こうして報道が増えるに連れて少しづつ事件の概要が明らかになり、一方この問題を与野党の双方が、互いに相手への非難攻撃に利用する議論・見方も出てきました。

一般に多くの民族的要因を含んだ衝突は、その発端はささいな又は普段なら大事件にならないような出来事だと筆者は思います。上記で書いたあらましが事実であると仮定して、今回の衝突事件はまさに近所同士のたんなるいさかいが発端だったことがわかります。その後このkampung Medan地区及び周辺では両グループの衝突、といっても圧倒的多数のマレー人が優勢でしょう、があったようです。私のところに届くニュースグループの当時の投稿には、「その際インド人が徹底的に殴られた、あるインド人は近くに警官がいた時でさえ、マレー人グループに殴られたが、回りのインド人は手助けに出られなかった。警官はマレー人ばかりです」などと訴えているメールもありました。
さらに別の見方では、当局は当初この地区での衝突を軽視して、大量の警官隊の早急な増派を怠った、だから数日も衝突が続き、その地区は緊張と不安感のままに置かれたと、非難する論調もあります。

こういった出来事を見ていくと、やはり怖いのはそれに便乗して騒ぎを起こす奴がいることと、群集心理におどらされて、関係あってもなくても普段のなんらかのうっぷん・不満を晴らそうとする人間がいることですね。ただそれと同時に注目しなければならないのは、日常は顕著に出ないが、多少は心のなかに潜在している他民族への差別感と蔑視感と嫌悪感が、ある出来事を引きがねとして表面にでてしまったことでしょう。これが今回のKampung Medan事件の大きな特徴ではないでしょうか?

参考:3月20日に50ほどのNGOがこの衝突事件に関して、覚え書き 「MORANDUM TO THE PRIME MINISTER ON THE RECENT SOCIO-ECONOMIC CENTRED ETHNICCLASHES」を、マハティール首相に直接手渡そうとしました。その際その覚え書きの内容がインターネット上で発表されました。それによれば、衝突事件の際、攻撃していたいくつかのグループはKampungMedanと周辺以外の者が少なからずいた、と書いています。さらに攻撃グループの多くは18才から28才らしい思われる、としています。
このグループが13日現在マラヤ大学病院を訪れて調べた入院負傷者24人の内訳は、インド人18人、マレー人2人、華人1人、インドネシア人1人、バングラデシュ人1人、パキスタン人1人でした。うち重症者が4人です


初期段階で政府は民族衝突を強く否定

事の精細なあらましはまだよく発表されなかった時点で、政府はしきりに且つはっきりと民族衝突ではないと強調していました。さらにしきりに、うわさに乗せられるな、とも訴えていました。民族衝突であると認めればその影響はものすごく大きいからで、その意図は見え見えですが、この事件に民族的要因が皆無とはちょっと言えませんね。ただ純粋な民族衝突である、とは言えない面もあるとも感じました。マレーシア社会はうわさの走りやすい社会です、なぜマスコミの発達した現代でもこうなのか、それはマレーシア社会のありかたと報道の自由の絡みにあると筆者は考えますが、ここでその分析は省きます。

主要マスコミはしばらく抑えた調子で報道していました。3月初め頃の出来事をどこも重大視せずに、それほど大きく扱わなかったのも事実です。マスコミとして民族衝突の活字を躍らせることをちゅうちょしたのか、そうできない何かがあったのか、それとも地区でのいさかいにたまたま両民族がからんだだけであったとみたのか、それは私にはわかりません



マレー人とインド人が衝突したカンポン・メダン事件の背景と持つ意味  -後編−


事件の背景に問題地区の存在がある

さて事件が相当明らかになった時点で、この事件の起きたKampung Medan及び周辺地区の特徴が衝突に影響を与えたとする見方が主流になったようです。この地域は、望んでか自然にそうなったのかは別にして、このコラムの最初の方に書いたように、ペタリンジャヤの発展から取り残された地区であるのは間違いないです。

周辺地区であるKampung Lindungan とKampun Gandhi地区の住民はその住環境の悪さに長年不満を訴えてきたそうです。さらにこの一帯ではこの3年間に暴力沙汰が40件も発生し、ギャング活動や麻薬患者の徘徊、若者のけんかなどの悪名を馳せていたと、Star紙の記者はその3月13日の解説で書いています。さらにこの記者は、警察はこの一帯を軽視してきたと認めている、とまで書いています。「当局はこの一帯において解決する道を探る時、その社会経済面を忘れてはいけない。」 「マレー人は多数派として、もっと援助を受けるべきだと感じていたかもしれない、またインド人は小数派なのでひどい住環境にあることで端っこに追いやられていると感じていたかもしれない。」 「我々はこういった環境面などの状況が経済的、民族的疎外に陥った要因でもあることを否定はできない。」

この地域に存在するsquatter (違法又は無断土地占拠住居者)は6000家族にもなると、新聞は別の所で書いています。今回のKampung Medan衝突事件後数々の報道が現れ、KampungMedan及び周辺地区がいかに開発から取り残されて、その結果インフラが劣悪であり且つ住民は貧困に苦しんでいる、といった状況解説と見聞記事が続々と載りました。政府と州の幹部、与野党の幹部も訪れてました。この地域がずっと以前から犯罪率の高い地域であったこともあり、直ちに数カ所で交番の建設も始まったとの記事もあります。

参考:3月18日付けの新聞記事を部分翻訳しておきます。
当局は地域を知る学者等の意見に同意して、貧困がこの衝突を生んだ根であるとの見方に達すのに時間はかからなかった。状況は警察などの管理下にあり、住民生活はゆっくりと元の状態に戻りつつあるのだが、いくつかのことは依然として変わっていない。マレー鉄道KTMの長屋に住むある労働者は語る、「このあたりの多くの家は数家族が同居しているのが普通です。これは彼等が低所得層向けの住宅の供給を長い間待っておりついに子供たちが成人して結婚してしまったからです。子供たちは十分な金がなくて引っ越せないのです。」 この長屋には350の非合法家屋があり、約100のマレー世帯と約250のインド人世帯が居住しています。ここはペタリンジャヤ自治体に属するTamanMedanにある25の居住地区の1つです。Taman Medanを含めてこの当りの非合法居住家屋の数は6000ほど、居住者数は3万人を超えるでしょう。これ以外に近くの居住地区のいくつかはSubang 自治体に属します。

注:Squatterと一般に呼ばれる住民は、しいて訳せば無断土地占拠居住者とでもなるでしょう、ただし違法と言っても犯罪を重ねているという意味ではなく、正式な手続きなくして公の土地に住み込んだり住みこまざるを得ない状況に置かれている人も多いのです。いわゆるスラムの前状態と見なしてもいいですが、スラムともちょっと違うというのがマレーシアのSquatterです。


地区が発展から取り残されていた事だけが事件の背景ではない

こういったことから、この一帯が中上流層の多く住むペタリンジャヤの主流地区とは違って、非合法居住者等も多く住む一帯であり、開発から取り残された面を持つことを誰も否定できないようです。ですから、住民の不満がたまってそれがたまたま民族的対立感情に火がついたとする見方もでてきてもおかしくはないでしょう。一見たいへん納得の行く見方ですが、ただちょっと待ってください。

開発から取り残された地区はクアラルンプール、ペタリンジャヤ、その他自治体にも少なからずあります。そういう地区では、排水施設と水道の供給が非常に悪かったり、道路が荒れていたり、大雨がふればすぐ氾濫する川辺にあったり、非合法居住者が固まって住んでいる場合が比較的多い、とこういったことは事実でしょう。でこういう場所でこれまで民族的感情に火がついて騒動がたびたび起こってきたのでしょうか?

もちろんごくごく小さないさかいは起こったことでしょう、がそういった程度ではニュースになりませんから、部外者にはよくわかりません。でも今回のKmapung Medan規模での民族を噛んだ衝突は、マレーシアでは数十年来初の出来事ですね(流血事態までに発展しない衝突は起こったことがある)。すると今後他の地区のそういった取り残された地区で民族感情に万が一火がついたとき、衝突が起こる可能性があるのだろうか?筆者にはそんなに簡単に起こるとは思えません。マレーシア人は表面上とはいえ、民族的に平穏に互いに交じり合う意識が進んでいる国でもありますからね。しかし将来のことを絶対といえるほど確信を持っては言えません、それが筆者の正直な感想です。

結果として民族衝突があったのは事実です

民族感情は、何かの拍子に火がつくことはありえるとは思います。ただそうならないように、人々は普段それなり交じり合って生活しているし、多くの人は他民族との付き合い方を心得ているのです。だが今回の事件では、武器を早速準備したり携帯する者らが多数でて、そのために200人弱が逮捕されたのは事実です。

でなぜこの事件が国全体に関わる事件であったと言えば、理由と経緯は上で述べたように、結果として複数民族の間での衝突が起こったからです。さらに伝えられるように、地区外の男たちがこの衝突に加わったことは事件をより深刻なモノにしています。住民の心の深層にあった他民族への反発感が偶然の出来事を契機に一気に火がついたのか、又はそれを利用してあるグループがもくろんだものなのか、それはまだまだこの時点でははっきりと断言できるほど事実と背景が明らかになっていません。ですから筆者は、一刀両断にこの事件を判断する又は解説することはしませんしできません。

何よりも憂慮した、するべきことは、民族融和に長年取り組んできたマレーシアでもこういうことは起こりうるということを示していることです。マレーシアで最後に(大規模)民族衝突があったのは69年5月です。この苦い経験を糧にして、その後複数民族間でのいがみ合い又は反対表明のデモ・集会程度はたまにありましたが、死亡者の出る衝突にいったことは1度もありませんでした。今回の事件はこの意味で、それが一部勢力の言うようにもくろまれたものであれ、そうではなくて住民のいさかいの単なる偶然の結果であれ、結果として複数民族の間で流血惨事が起こったのです。

注:民族融和に長年取り組んできたと上で記しましたが、この内容を詳しく見ていくと、いささか疑問符のつく政策も見うけれます。例えば次ぎのような意見もあるのです。
Racial discrimination in the realm of culture is seen not only in the education policy but also in the discrimination against non-Malay cultures and religions in the National Cultural Policy. Non-Muslims face obstacles in their freedom to build places of worship and access to burial grounds, among other complaints. (要約:文化の範疇における民族差別は教育政策だけに見られるのでなく、国の文化政策によって非ムスリム文化と宗教に対しての差別もあるのです。非ムスリムは宗教施設建設と埋葬地への交通面において自由に行なうことが困難です。)人権NGOであるSuaramのDR KUA KIA SOONGのメーリングリスト上での発言。
しかしマレーシアが民族融和に取り組んできたのは事実であり、筆者はそれ自体を疑う者ではありません。


しかし、例え政府の強調するように、その地区の住民がうわさに載せられたとしても、現実としてあるグループの対立が民族的感情を表に出した方向に行ってしまったのです、その事実は警鐘として今後のマレーシア社会に与える影響は大きなものであることは否定できません。多くのマレーシア国民はある特定地域で起こった一過的衝突であったにすぎないと願っていることでしょう。筆者も強くそう願うし、そう判断したいのです、が・・・・・

筆者のジレンマ

筆者は正直言うと、この事件を追うことと解説することにジレンマを感じます。何かが隠されているのではないか、いやそこまでは行かなくても本当の事実があまりにも控えめに報道されているのではないかという印象を初期の段階で抱いたのは事実です。といって、外国通信社のように単純に決めつけて、マレーシアでは最近各民族のあつれきが昂じて衝突にいたったとか、マレー政権与党のUMNOとマハティール首相の内紛もこれに影響があるうんぬんといった見方をそのまま受け入れるつもりもありません。

なぜこの衝突に至ったのか、それは今後のマレーシア社会にも広がりかねない導火線なのか、それとも劣悪なインフラと貧困に悩むコミュニティーでたまたま起きた事件が民族に結びついて衝突にいたっただけなのか、これを読み解かねばなりません。
Kampung Medan地区のインフラの劣悪さは、その1週間ほどマスコミが連日書いた状況報告と、それを認めて急遽インフラ整備を決めた州政府と連邦政府幹部の発言から明らかなことです。じゃこの劣悪さだけが事件の主因と決め付けていいのかというと、そうとばかりは言えないのではないでしょうか?クアラルンプール及び近郊にこれに似た状況のSquatterの多い劣悪インフラに悩むコミュニティーは数多いのです。そういう地区ではこれまで衝突が起こらなかったという事実も見落としてはいけません。

一方Kampong Medan事件は今後の導火線という見方はには極端過ぎてとても同意できません。クアラルンプールやその近郊周辺で事件の起こった週もその翌週も現在も、各民族の人々の生活に変化が起こったという話しは全く聞きません。いつものようにインド人大衆食堂や屋台では華人やマレー人の客がうろついており、マレー店でも同様です。マレー人とインド人がいがみ合ったなどというニュースは流れていませんし、筆者もまったくそれを見ませんでした。この地域を除けば、人々の生活は何人であれまったく普段と変わらなかったと断言できますし、今現在も同じです。



輔弼:貧困とスクワッターだけが問題の根ではない


上記で書いたようにsquatterを訳すと無断占拠住民になってしまうので心苦しいのですが、いずれにしろ多くの無断占拠居住者とそれに準ずるような状況での居住状況をよぎなくさせられている人々がいることがわかります。今回の事件で、一番の原因は貧困とそれからくる教育の不充分、低給料の職につけないうという面を指摘するのは簡単ですが、待てよ、そうとだけ言えるんだろうか、と筆者思うのです。

カンポンメダン地区はインフラが劣悪である、それは私のぼんやりした記憶にもあるぐらいです。ゴミは収集されず溝はごみでつまり、街路灯がなく暗いと状況報告の新聞記者は書いています。もちろんこういった訴えに、何年も目を避けてきた州政府、さらに政府の責任は逃れないことは明らかです。カンポンメダン地区は、この場所から自動車でわずか10数分の所にある有名な高級住宅BandarSunway地区とは程度が違うといった差でなく、文字通り雲泥の差です。

住民の中にはこの地区から抜け出したくて、何回も公機関の提供する低所億者向けの住宅団地などに応募したが、いつも落選で結局この地区で居住せざるを得ないとの不満を伝えています。これもよく報道される話しですね。数万リンギット程度の低諸国者向けの住宅でも手が出ない層は、何か特別の契機がない限りこういったsquatter地区から転出できないことは推測できます。

何十億リンギットの金をつぎ込んで政府の勧める巨大開発、有名企業グループの開発する豊かで快適な高級住宅・商業発展地区とは全く縁のない人々も存在することは、政治家であれば当然知っていることであります。これはマレーシアのようなまだまだ発展途上にある国の抱える”アンバランスな開発”の結果の典型例ですね。このアンバランスな政策は地区の未開発だけではありません。別の例を筆者はちょっと前のコラムで訴えました。いわく、何十億リンギットをもつぎ込んだKLIA空港の開発予算の1万分の1でいいからクアラルンプール最大のプドゥラヤバスターミナルの整備向上に金を知恵を出すべきだと。自家用車の持てない又は飛行機の切符を買う余裕のない低所得者中心の利用者であるプドゥラヤターミナルはものすごいひどい状態に何年も置かれながらも、政府は手を一向に差し伸べようとしていません、いや言葉に気をつけて書けば、少なくともそう見えます。これと同じ現象ですね。

一方こういう劣悪なインフラ下で住む住民は、ぞの劣悪な住環境を自ずからより劣悪化させているのです。ゴミの詰まった溝はそこの住民がゴミを棄てるべきでないのに棄てまくるのであり、ゴミが道路にあふれているのは無規則に棄てまくる態度にあるのです。公衆電話や街灯を設置してもそれをすぐ壊してしまうような壊し主義がはびこり、違法の賭け遊技場が流行るのはそういう違法ギャンブルを好む住民が多いからです。全てを公のせいや他人のせいにして、自らの環境保持努力を行なわず、せつな主義に陥っているつまり”Tak Apa"シンドロームに陥っているのは、少なからず事実だと筆者は見ます。

なぜ筆者がこういう見方も交えるかといえば、筆者はずっと以前ですが、クアラルンプール及び近郊と周辺を数年間に渡ってくまなく回っていたからです。その中で数え切れないほど多くの回数、いわゆるsquatterの多い地区も訪れました。そこで見た感じたのは上で述べたようなことなのです。どうして彼らは悪い環境をより悪くしているのだろうか、としばしば思ったものです。

カンポンメダン地区に顕在するのは「貧困と無気力感と生活を快適にさせるものの欠落です、それが地区に住むインド人では小学校適齢年齢のインド人で12人に1人が小学校に通っていないという理由の一つです。尚華人では35人に1人、マレー人では25人に1人です」 とこの地区で恵まれない子供たちの教育活動を応援しているNGOのメンバーの言葉を新聞は伝えています。小手先の地域発展策だけでは片付かない問題がここにあると筆者は感じます。

注:今回の事件に関連して、貧困と若者の犯罪率の高さに悩むインド人の低所得コミュニティーの問題が改めて強調されています。インド人コミュニティーはインド本国に似たのか、上下の階層の差が激しいことで知られています。医者弁護士といった職業社会にインド人の比率が高い一方、低又は無技術肉体労働者層にインド人の比率が高いのは事実です。プランテーション農園の変化で都市に流れ込む元プランテーション農園労働者であったインド人の窮状が時々話題になりますが、抜本的解決策はなされていません。この問題を論じるには、筆者の知識は不充分なので、ごく簡単な背景を知っていただくためだけにここで触れておきます。


このコラムを書き終える前の3月21日頃、カンポンメダン地区の周辺で、多人数の動員で警備活動を続行する警察の目の届かないような場所で、インド人系個人への攻撃が別々に3件ありました。いずれも襲われた人は怪我を負ったのです。この個人への攻撃が、今回の衝突の形を変えた続きなのか、それとも全く別の者らが事件に触発されて行なったかはまだ明らかになっていません。いずれにしろ極小数の差別主義者なり、躍らされた者らの犯行なのでしょう。しかし例え極小数の者の犯行でも、こういった行為は当然見逃すことのできない重大なことであるのはいうまでもありません。



マレーシアの小学校教育でのユニークな面


なぜ今またこの問題をぶり返すのだという出来事がこのところありました。
マレーシア語の2大新聞であるUtusan MalaysiaとBerita Harianが相次いで、小学校教育において、授業に使う言語(これを媒介言語とよびます)を単一化すべきだと主張したのです。それに同意を示す意見を教育大臣が表明したので、ことはさらに広がりました。尚この大臣は元大学副学長で純粋な政治家ではありませんが、昨年の内閣改造でマハティール首相の一本釣りのような形で教育大臣に任命されたのです。この新聞の主張と大臣の賛意表明にいたった契機は、シンガポールの元首相のリークアンユーの発言です。以下にそれを再掲載しておきます

3月20日の「新聞の記事から」小学校での媒介言語の単一化

(シンガポールのリークアンユー前首相がシンガポールでのシンガポールマレー人との懇談会で、学校教育における媒介言語に触れて、シンガポールはマレーシアと違って各民族毎のグループ化を避けている、学校での媒介言語は英語に統一していると述べました、これをマレーシアのマレーシア語紙が報じて、マレーシアでは民族融合のために、各民族語による小学校教育をやめてマレーシア語に統一すべきだと訴えました。以上はIntraasiaによる事柄の要約です)

この新聞は、現在マレーシアでは小学校でいくつもの民族語で教育されているから、民族間の融和がかける、それも今回のカンポンメダン事件の原因の一つである、としている。単一媒介言語による小学校での教育を訴える声は、教育大臣やあるアカデミック界からも起こった。しかしリークアンユーや教育大臣はその論の中で重大な不備を示している、なぜならリークワンユーは、シンガポールでは第2言語の試験に合格することが必須だということを語っていない。英語がシンガポールでは唯一の媒介言語であろうが、例えば華人の生徒は華語の合格が必須になっているのです。

マレーシアでは華語小学校とタミール語小学校ではそれぞれ民族語が媒介言語になっている、しかしそれは小学校だけのことで中学校ではマレーシア語だけに統一される。中学校では華人なりインド人(もし受講科目に民族語の科目を選ばなければ)にとって、母語の教育はなくなってしまいます。ただし華人の生徒が独立華語中学校への進学を選べば別ですが。マレーシアではマレーシア語が中学校と大学での媒介言語なのです。

小学校の段階で華語とタミール語を媒介言語を使うことを国民融合の原因として非難すべきではありません。これは底の浅い議論であり、民族差別の匂いがする。各民族語小学校が許される現在の教育システムは向上されるべきで、分解されるべきではないのです。
以上

リー発言に便乗して主張を打ち出しただけ

このマレーシア語新聞の主張と大臣の発言はリークアンユー発言に触発されて突然起こったわけではないでしょう。以前からこういった考えが渦巻いていたところへ、たまたまあったリー発言を利用しただけです。数々のマレーシア批判を奏でるリークアンユー発言に普段は反発している政府とマレー与党UMNOの政治家とマレー言論界なのに、今回は珍しくリー発言を肯定的に利用して、隠された主張をどうどうと表明したというのが現実的見方ですね。

華人界とインド人界は当然反対表明

当然のように華人界を中心にして、小学校教育での単一媒介言語化への提案に反対の声があがりました。インド人界にももちろんありますが、反対の声の中心は華人コミュニティーです。華人世帯では9割はその子供を国民型華文小学校へ通わせます。インド人世帯ではこれより落ちて6割強ぐらいが国民型タミール語小学校に通わせているそうです。残りは国民小学校に通わせるということです。ただ国民小学校に通わせる家庭の中には、その住居地及び近隣に国民型華文小学校又は国民型タミール語小学校がないので、国民小学校に通わせるというケースも多いとのことです。

これは国民型華文小学校と国民型タミール語小学校は、昔からある程度の華人又はインド人が固まって住んでいる地区に存在するので、都市部の新興住宅地区に住む華人とインド人に、そして地方と田舎のマレー人地区で極小数派として生活する華人とインド人には国民小学校しか選択がないこともあるのです。新興発展地区に国民型タミール語小学校はいうまでもなく国民型華文小学校もごく少ないのは、華人コミュニティーの主張に拠れば、当局が国民型華文小学校の建設を認めないような傾向がある又は容易に校舎用土地が入手できないなどの理由があるようです。

注:国民型華文小学校の華文とは、華語のことです、つまり日本で中国語と呼ぶ言語のこと。マレーシアで一般に中国というと、伝統的名称などを除いて、中国大陸とその国家を指します。
注:インド系マレーシア人の中でタミール人の占める割合は7,8割です。参考までにあるインド人専門家の発表した数字を書いておきます
Tamils 80.0 per cent; followed by North Indians, mainly Sikhs, 7.7 per cent; Malayalis 4.7 per cent; Telugus 3.4 per cent; Sri LankanTamils 2.7 per cent; Pakistanis, including Bangladeshis, 1.1 per cent, and the others 0.4 per cent. As far as religion is concerned, Hindus number 81.2per cent, Christians 8.4 per cent, Muslims 6.7 per cent, Sikhs 3.1 per cent,Buddhists 0.5 per cent and others 0.1 per cent.


総人口の8%弱にしか過ぎないインド人の場合はそれだけタミール語小学校への入学比率が華人に比して落ちるのは、インド人集中居住地区でない限りタミール小学校を維持するのが極めて難しいことと、タミール語がマレーシアではマイナーな言語であるので、非タミール系インド人にとっては魅力に欠けることもあるでしょう。さらに国民型タミール語小学校の建設には資金がいるが、インド人コミュニティーの資力が一般に華人コミュニティーより劣るので、その面で難しいこともあるでしょう。そのためタミール語小学校は、華語小学校より経済面と教育人材面でより困難な状況に置かれているといわれています。

注:マレーシアの小学校は6年間教育で、2種類ある。全て公費でまかなわれマレーシア語で授業を進める国民小学校と、ほとんど公費の補助がなく父兄と地域の住民・篤志家らの資金で運営するが、学校教育は教育省の決めたカリキュラムに100%従って授業を進める国民型小学校です。国民型小学校とは授業媒介言語に華語を使用する華文小学校とタミール語使用するタミール語小学校です。いずれもマレーシア語の授業科目は必須です。国民小学校はそのマレーシア語名の略称でSRK又はSKと呼ばれ、国民型小学校は華文小学校がSJK(C)と、タミール語小学校が SJK(T)と略称される。”型”という単語がつくとつかないだけだが、その持つ意味は非常に大きい


ミッションスクール

マレーシアが独立する前のマラヤの時代から存在していたのはキリスト教宣教師活動を中心としたいわゆるミッションスクールです。このミッションスクールは1919年以後英語学校システムの統合的部分となったのです。英国植民地政府の求める英語の使えるエリート養成教育を目指したといってもいいでしょう。
しかしこのミッションスクールは1960年代にマレーシア政府が独自の教育制度確立と変更に励んだために、その性格を変えたということです。1961年の教育法によって、それまである程度独自であったミッションスクールの教師の給与も公立学校の教師のそれに同一化させたそうです。さらに1970年の教育法で、ミッションスクールを国家の教育制度に完全に組み入れ、教育省が完全に管理するようになりました。これによって媒介言語は英語からマレーシア語に変更され、教師の任免権は教育省に移ったのです。

現在のミッションスクールは教会がまったく主要な役割を果たしていないので、ミッションという単語が誤った名称を与えています。「クリスチャン名が学校名についていても、他の公立学校と実質的に変わらない。」 2000年現在教育省の発表する数字に拠れば、全国で451校のミッションスクールがあり、その内訳は半島部が223校、サバ州が100校、サラワク州が128校です。生徒数で見ると、20万人弱の小学生と16000人ほどの中学生が(名目上の)ミッションスクールで学んでいるのです。
(この小段落のみは4月8日付けTheStar紙の教育記事の説明に基づきました)

華人界の伝統的権利との意識

ではこのミッションスクールとは成り立ちの違う華語学校について概観してみましょう。
マレーシアでは当時のマラヤ連邦が独立する以前から、華人界では各地の華人コミュニティー運営という形で華語を用いて小学校教育を行なっていたので、これはマレーシアにおける華人界のつまりマラヤ時代から(当時は華人でなく)華僑社会の伝統であり、そのため現在の華人コミュニティーにとって華語教育は華人コミュニティーの当然の権利との意識が根付いています。華語による教育は華僑がマラヤに足跡を残した当時から続くものであり、恐らく華人社会が絶対に譲れない点の第1か第2に位置するほど重要なことです。

この華人社会の伝統と且つ権利から、マレーシアには公立の国民中高校とは別に、独立中華中学校という華人教育団体運営のいわば私立の中等教育学校があります。その数全国に60数校(確か生徒数5万数千人)あり、華語を主とした媒介言語とし、マレーシア教育省のカリキュラムに多少沿わない形で5年間教育しています。従って独立中華中学校は公立の国民中学校の別の形ではなく、独自の中等教育という位置付けです。そこを卒業してもマレーシア内の国立大学には入学できません。国民型華文小学校を卒業した華人生徒の約1割が、この独立中華中学校に進学します。

注:19世紀と20世紀初頭までは、華語だけでなく広東語など各出身地の母語を媒介言語した華人コミュニティー小学校もあったそうです
注:1938年のマラヤ時代における初等教育機関での生徒数、学校数

マレー語学校英語学校華語学校タミール語学校
学校数788271996607
生徒数56904419178614726271
教師数281023503556864

この表から、当時はいかに華語小学校が多かったことがわかりますね
下の表は、独立前の華語小学校と華語中学校の状況を示したものです。
小学校1947年1952年1957年中学校1947年1952年1957年
学校数137911991333学校数224760
生徒数190349229803342194生徒数31941137849536
教師数517955658521教師数2014621060

上の2つの表はいずれも"The Chinese in Mlaysia" Oxford University Press 2000年出版 からとりました


こういった歴史的経緯もあり、マレーシア語紙と教育大臣発言に直ちに反対の意見を表明したのは、与野党を問わず華人政党及び華人ベースの政党であり、華人教育団体です。そして間違いなく一般華人の多数も反対ですね。その反対論点は、

  1. 小学校教育が主要民族別に3つに分れていることが国民融和の障害になっている、という論はあやまりだ
  2. 中等教育段階になれば、独立中華中学校の生徒を除いて、生徒はずべて国民中高校に進学して媒介言語はマレーシア語に1元化されるから問題はない
  3. 小学校教育で3大民族がそれぞれ民族固有の言語を使用するのは、多民族社会の原則を示しており、憲法にも保障されていることだ
  4. 国語はマレーシア語であることに反対はしない、ただ各民族語の尊重は権利であるから小学校での民族語による教育は重要である
  5. 小学校で単一言語による教育を実施しているインドネシアで民族暴動と抑圧が頻繁に起きている例を見てもわかるように、国民融和がそれだけでできないことはあきらかだ

といったものです。いずれも納得のいく論ですね
こういった反発は当然予想されたことであり、マレーマスコミやマレー教育界が知らないはずはありません。それなのになぜ今またこういった主張を出してきたのだろうかというのが重要な見方です。

独立当時もあった単一媒介言語化のアイディア

マレーシア(1963年まではマラヤ)が独立してその後国の教育制度を確立していく中で、61年ごろ発表されたRazak リポートで、国の初等教育はすべての学校はすべての民族用であるべきだとの報告をしているそうですが、それは実現しませんでした(できませんでしたの方が正しいでしょう)。華人とインド人コミュニティーの民族語で初等教育を受ける、との要求はその当時から依然として消えることはないのです。

注:ラザック(Tun Abdul Razak Hussein)は70年に第2代首相に就任するが、当時はラーマン(Tunku Abdul Rahman Putra Al-Haj)内閣の一員です

(確か)80年頃以降は学校教育から英語による媒介言語をほぼなくしてマレーシア語に単一化したのですが、初等教育では民族語教育する学校がその存在を引き続き認められたわけです。現在では全国の国民型小学校数は、人口の都市への移動兼変動と、新校建設の困難さから学校数は減って、華文小学校が1300校弱、タミール小学校が500校ほどです。学校数は減っても華人界で華文小学校に通わせる率が減ったわけではないことが重要な点です。

世界でも珍しい仕組みではなかろうか

初等教育で国語であるマレーシア語で教育する学校以外に、国語でも公用語でもない民族語で教育する学校が全国的に存在するというのは世界でも数少ない仕組みだと思います。複数の国語又は公用語の存在する国で、その数に見合った種類の学校が存在するのは珍しいことではないですが、マレーシア型の国はきっと少ないはずです。ある国に在住する外国人の子弟がその出身国が設立した学校に通うのは、どの国でも認められてますよね、つまりマレーシアではインターナショナルスクールとかドイツ学校、日本人学校のことです。これらの学校は当然マレーシア国民対象ではありませんから、マレーシア教育制度からはずれていて当然ですね。

注:ヨーロッパの複数公用語国であるベルギーやスイスはそれそれの公用語での学校があるが、マレーシアでは華語もタミール語も公用語ではない


マレーシアの華文小学校とタミール語小学校はあくまでも国の定めたカリキュラムにのっとった正規の小学校であり、そこで教えられる教育科目は華語科目とタミール語科目を含めてすべて小学校卒業時学力評価試験UPSRに含まれるのです。教室で授業に使う言語が華語であり、タミール語であるというユニークさを持っているのです。サバ州とサラワク州のブミプトラ諸民族がその各民族語での小学校の設立ができない一方、華人とインド人には認められているという点は、それだけマレーシアにおける華人とインド人の位置の重要さと歴史上の経緯を叙述に示していると思います。

注:サバ州のカダザンドゥスン族多数の地域とサラワク州のイバン族多数の地域の小学校では、授業でそれぞれカダザンドゥスン語又はイバン語を使う学校もあるようですが、すべての媒介言語になっていないようです。さらに学校名が例えば、国民型カダザン小学校のようになってはいないことから、国民小学校で便宜的にカダザンドゥスン語又はイバン語を使っていると、筆者は見なしています。尚この件に関しては、半島部でえられる情報の少なさから、筆者は確実なことをよく知りません。


国民型小学校をなくすのは非現実的

こうした両民族の伝統的権利ともいえる華語又はタミール語での小学校教育に関して、今それを変更してマレーシア語のみでの教育に統合する又は両言語小学校の廃止を要求するのはいかにも非現実的です。それをもし現実に行なおうとすれば、民族間の紛争にもつながりかねない重要性を持っているのです。

マハティール首相でさえこの問題が話題になった最中に語っていました。華人やタミール人の中には国民型小学校に子供を通わせたくない親がいる、それは彼らが非ムスリムであるのに学校側が(女性の頭部を追覆う)Tudung着用などの強制したりするところがあるからだ、と。

マレーシア語紙も次ぎのように書いたそうです。「多くの華人とインド人はそれぞれの国民型小学校に子供を通わせることを選ぶ、それは国民小学校の質に疑問を抱いているからだ。」 「国民小学校の環境は民族間の融和を反映していない、例えば国家目標よりもイスラム教に優先を置いていることです。これが非マレー人が子供を国民小学校に通わせないもう一つの理由でもある。」

注:もうひとつ華人界とインド人界が国民型小学校廃止に反対する理由は、マレーシア語の国語としての力不足さでしょう。以前のコラムでこういったことを論じたのでここではこれを論じません。

多民族で複数宗教で且つ多言語な社会であるマレーシアは、小数民族のごく少ない日本社会と比べられないのはもちろん、同じような環境の他の東南アジアの国国とも違った要因を持っているのです。それは英国植民地の差別して支配する主義の残した歴史的経緯もあるし、華人とインド人社会の存在の大きさと民族伝統保守への誇りのせいもあるし、マレー社会の許容度のそれなりの豊かさのせいもあるのです。国民型華文小学校と国民型タミール語小学校の存在はマレーシアのユニークな面であり、誇るべき面であるともいえます、反面マレーシアの教育制度面での統一度のゆるさを現しているとも見えます。多民族で複数宗教で且つ多言語な社会では、まこと教育は難しいのです。



数字で見たマレーシア その9


まず経済面の数字を挙げていきましょう。
通産省下にあって投資申請関係を一手に扱うマレーシア産業開発庁(通称MIDA)発表の2000年全体の数字です。

製造業部門でMIDAが申請を受理した数は943件で申請総額RM459億でした。その内新規申請が532件でRM274億、現行の拡大又は発展が411件でRM185億でした。この内外国資本からの分が64%つまりRM297億を占めます。国別では米国が48件 RM75億、 日本が117件 RM29億、オランダが14件 RM20億などです。

また申請を認可した数と受理数はこれと違っており(申請審査にに時間がかかるからでしょう)、798件で総額RM335億です。製造業内の分野別では、電子電気分野が例年通り最大で、認可数が224件 RM121億でした、次いでナチュラルガス分野でRM72億。

昨年の国内総生産GDPの伸び

昨年第4四半期の経済成長率は6.5%でした、これで2000年の経済成長率の伸びは8.5%が確定しました、と統計庁の発表です。昨年の伸びは主として製造業分野が寄与しており、99年比21%の伸びでした。建設分野はほとんど伸びず前年比1.1%伸び、農業分野は0.4%のみです。一方サービス分野は4.7%の上昇。
尚昨年第4四半期の前期比はほとん伸びておらず、これは多くの人が予想していたことだと、あるエコノミストは語っています。

下の表はマレーシアの経済指数と参考として関係各国の指標も共に示しておきます。

GDP国総生産の実質成長率
インフレーション率
年度1999年2000年推定2001年見こみ1999年2000年推定2001年見こみ
主要先進国2.93.82.11.42.42.0
米国4.25.02.02.23.42.6
日本0.81.70.9-0.3-0.7-0.5
ASEANの平均3.76.14.2~5.49.52.83.5~4.0
シンガポール5.49.95.0~7.001.31.2~2.0
マレーシア5.88.55.6~6.02.81.61.5~2.0
タイ4.24.53.0~4.50.31.61.5~2.0
インドネシア0.24.84.5~5.524.03.75.2

出典はIMF、OECD経済観測などより

このところ米国の景気停滞が世界経済に影響を与えると強く憂慮されていますね、マレーシアの輸出入の2割、3割は対米国とですから確かにその影響は大きいのです。

相変わらず伸びている携帯電話

世の経済状況が多少停滞する中、携帯電話の登録利用者数はマレーシアでもこの数年好調に伸びてきました。昨年は88%の伸び率で、昨年末の時点での利用者数は540万人に達しました。ただし今年はそれほどまで延びず30%の伸びだと見られています。

マレーシアの携帯電話会社別の利用者数
携帯電話会社その提供サービス名2000年末登録者数(単位万人)
CelcomCelcom GSM / Art900153
DIGIDiGi90
MAXISMaxis Mobil150
TelekomTM Touch / Mobifon / Atur95
Time Dot ComTimeCel59


自動車登録台数

マレーシアは自動車社会でもあります。公共交通網がまだまだ日本ほど整っていないことと、自動車信仰が高いこともその一因でしょう。
唯一の車登録管理庁である道路交通庁JPJの調べでは、国内で登録された車の数は2001年1月の時点で、1060万台です。内訳は自動車が410万台、2輪自動車(バイク類)が530万台、その他です。

保健と病気・健康分野の数字

保健省が調査した栄養調査から。
保健省管轄にあるクリニックを初めて訪れた5歳未満児に関して、99年以来35万人のデータを基にしたものです。尚この35万人にはクアラルンプールで診察を受けた対象幼児は含まれていません。

調査からわかったことは、幼児でその年齢に見合った体重児が8割弱、5%が体重超過、15%は栄養不良と判断されました。各州毎にこれを見ていくと、栄養不良児の割合が高い順にマラッカ州、ペナン州、クランタン州。体重超過児の割合が高い州はマラッカ州、パハン州でした。

またこれとは別に半島部とボルネオ島部の一部で6500人ほどの大人を対象にして行なった調査では、標準体重より超過者が26%、過度に体重超過者が9%、標準より体重が少ない者12%となっています。正確な国民の体重調査ではないのですが、一般的傾向をある程度見なすものと考えてもいいでしょう。

1996年に保健省が行なった、第2回全国健康と病気の調査で示されてのは、大人の間での喫煙率は25%で、その喫煙者の1日平均タバコの消費本数は13本強でした。12才から18才では16%です、男子の間では30%と高いのは当然ですね

喫煙とは関係ないですが、マレーシア国での結核罹患率は案外高くて、2000年には15051人の結核感染患者が新たに見つかりました。これは10万人当り67.4人になるのです。これを発表した保健大臣によれば、新規患者の9割がマレーシア人で残りが外国人だそうです。その新規罹患患者の5割強が肺結核患者でした。
新規結核患者の6割が見つかった時点ですでに進行した状態であり、新規の患者の8.5%が治療中に死亡した、と大臣は説明しています。マレーシアでは政府系の病院・医院で出生した赤ん坊には無料のBCG接種をしているとのこと。

老年人口での定義は発展途上国では60才以上を指し、先進国では65才以上を指すそうです。ですから統計を単純に比較できませんね。でマレーシアの60才以上の人口は現在約6.5%です。5年後には7%に上がると見られています。


最後に教育面の数字です。

2000年度SPM試験の成績結果

中等教育終了時つまり中高校の5年次に学業成績を計る全国統一試験であるSPMは、高学歴層を除けば、マレーシア人のほとんどに一生ついて回る試験結果ですのでたいへん重要視されています。この結果によって高等教育機関へ又はどのような学校へ進学する、又は就職するのかといった進路が大きく左右されるのです。
2000年のSPMの成績結果が2001年3月初め教育省から発表されましたので、そのあらましを掲載しておきます。前年度と成績の違いはわずかでした。

全受験者数SPM証明の取得者SPMを受けた証明の取得者失格者
389,471335,48549,9664,020

必須科目と主な選択科目別に合格率を示します
科目名マレーシア語英語イスラム教育歴史数学科学物理化学地理情報技術
合格率86.8%63.8%92.4%67.1%72.1%82.1%93.8%91.2%80.6%99.3%


公的奨学金を受ける国内大学生

公共サービス庁が99年に国内外で高等教育を受ける(マレーシア人)学生に供与した奨学金と貸与金類の額は、RM5億強でした。内訳を示すと
在籍による分類奨学金供与者数奨学金貸与者数合計人数
国立の大学校に在籍87844356252346
私立のカレッジなどに在籍20413171521
国外で教育を受けている26594393098

海外で学ぶ学生の国別では、日本での学生が一番数が多く953名でした。そのすべてが奨学金です。次いで英国での学生で645名で、内奨学金者は525名でした。
ただし、この表には私費留学者は示されていませんから、マレーシア人学生全体の海外留学傾向を正しく示していませんよ。

この数字を見ると、国立大学生中心の奨学金・貸与金ですね。奨学金を受ける学生の滞在する国別で日本が一番という内容を見ると、公費留学者は通常そのほとんどはブミプトラと思われるから、日本への公費留学生の多くはブミプトラであるとの論を裏付けるものだといえるでしょうね。尚日本への私費留学者は非ブミプトラが多いと言われてますが、筆者はその正確な数を知りません。



ブミプトラ政策の一端を解説し、その功罪を見る


マレーシアに多少なりとも興味ある方は、マレーシアと聞くとブミプトラ政策という単語を思い浮かべる方が多いことでしょう。確かにマレーシアは、その国の基本政策としてブミプトラ政策を施行している国として知られていますね。ブミプトラ政策は1969年5月の民族暴動の結果、ラザック内閣及びそれ以後の内閣の基本政策として、具体的には1971年から実施された新経済政策NEPの中で、最も重大な政策として実施されてきたのです。

ブミプトラ政策は単なる政策ではない

ただ誤解される方もあるようなので強調しておきますと、このブミプトラ政策は、日本政府が1960年代に推進した国民所得倍増政策のような、単なる一内閣の政策ではないのです。つまり内閣が変われば中止とか変更されるような、いくつかある中の一つの政策ではないのです。ブミプトラ政策は、政策という名前に惑わされてはいけません、これはマレーシアという国の成り立ちと民族構成のあり方とマレー人の思考そのものに結びついているのです。

”マレーシア”という国の名前に示されているように、この国はマレー人主体の国だとの思いは、いかなるマレー政府指導者であろうと、どのマレー政党であろうと、さらに街の一般マレー大衆であろうと、彼らの意識からなくなることはないでしょう。マレー人は近代の英領マラヤ時代から常に多数派ではあったのですが、一時期を除いて長い間比較多数派で絶対多数派ではなかったのです。実際にマレー人人口は2000年現在でも総人口のわずかに半数を上回る程度です。詳しくは下記の表を参照してください。この比率は独立前はいうまでもなく、1957年の独立以後もしばらく過半数を下回っていたのは、多くの方はご存知ないかもしれませんね。
尚独立前後の頃、国人口のマレー人比率が過半数を下回っていたからといって、マレー人が独立の中心勢力であったことにかわりはありませんよ。

注:マラヤにおける総人口に対する割合を示すと 1931年 ブミプトラ49%、中国系34%、1947年 ブミプトラ49.5% 中国系38%、 1957年 ブミプトラ49.8% 華人37%、1970年 ブミプトラ53% 華人35%
注:マラヤが独立したのが1957年で、サバとサラワクとシンガポールを加えてマレーシアが成立したのが1963年です。マレーシアが1957年に独立したのではありませんよ。これは歴史の事実です。


独立以前はマラヤの経済を牛耳っていたのは英国植民地勢力ですが、次いで華人コミュニティーでした。この理由は、マレー人は都市の民でなくカンポンの民であったことが、他民族特に華人に比べて経済格差に甘んじていた一つの理由でもありますが、これを助長したのは当時の英国植民地政府の方針もその一因ですね。この歴史的経緯と事実が後の、そしてここで話題にしているブミプトラ政策の遠因でもあります。

ブミプトラ政策の根本にある思想は急に生まれたものではない

さてマラヤが独立してマラヤ連邦になったからといって国の内部構造に一朝一夕に変化が生じることは不可能ですから、1960年代を通じて内部構造はゆっくりとした変化しか経験しなかったようです。この時世界の状況は冷戦時代であり、(50年代に比して衰えたとはいえ)マラヤ共産党の活動はまだまだ時の与党連合政府に心配感を与えていた時代です。サバとサラワクの併合の件でインドネシアとのいさかいがおこり、そして1963年にマレーシアが成立、それを通じて華人勢力の伸張もあった時代です。そしてその後1969年5月の民族暴動の発生となりました。この民族暴動が引きがねとなって、それまでなんとなく抑えられていたマレー民族の(他民族への優越感としての)マレーナショナリズムが一挙に表面化したと見るべきでしょう。

暴動で大きな被害を受けた華人勢力は政治的にはマレー人勢力よりもすうっと後退し、ここに1970年に就任したラザック内閣がブミプトラ政策を導入できる状況ができあがったのです。

具体的にはブミプトラ特にマレー人の国富に対する取得割合を上昇させる、高等教育に進学するブミプトラの割合を高める、基幹産業におけるブミプトラ支配を強める、公務員にブミプトラの優先雇用、マレーシア語教育の徹底化、ブミプトラの住居所有を高めるなどですが、この政策の根本にある思想は、マレーシアはマレー人主体の国だとの意識ですね。筆者はここで、それが良い悪いとの価値観を書いているわけではありません、ブミプトラ政策の背景に、というより根本にあるのはこの思想だといいたいのです。

参考:ブミプトラの役人の増え方を示す数字を Dr. Kua of Suara Rakyat Malaysia(人権グループ)の書いたものから引用しておきます。
新経済政策が施行されて10年後の1980年時点での調査では、政府官庁の幹部職の80%以上がマレー人、公的資金でまかなわれている高等教育機関で学ぶ者の75%がマレー人、開拓プログラムFELDA居住者の96%がマレー人であった


マレーシア人のマレーシアの前に

華人を主とした基盤に持つ一貫として野党の民主行動党DAPには有名なスローガンに”マレーシア人のマレーシア”というのがあります。一見あたりまえのように見えますが、これはそのまま全てのマレーシア国民に素直に受け入れられるスローガンではないのです。多くのマレー人にとっては、マレー人が先ずあり、次いで華人系マレーシア人、インド系マレーシア人、さらにカダザンドゥスン系マレーシア人、などなどとなるのです。華人にとってマレーシアは、華人とマレー人とインド人とその他沢山の先住民族からなるマレーシアであるのです。ですから多数の国民には意識として、抽象的なマレーシア人である前にまずマレー人であり、華人であり、インド人であり、カダザンドゥスン人なのです。ですから”マレーシア人のマレーシア”は今だ全ての国民から素直に受け入れられてはいませんし、これからも無理でしょうね。

ブミプトラと非ブミプトラの割合は重要な指標

さてこのブミプトラ政策が生まれてきた背景をみると、マレーシアという国の成り立ちと構成から常に重要視されるのが、ブミプトラと非ブミプトラの関係ですね。ブミプトラはまずマレー人と非マレー人に大きく分れ、この非マレー人の範疇にはサバ州とサラワク州の先住民族、半島部のオランアスリ、さらにタイ系、ジャワ系などの数世代前からマレー半島に住んでいる小数民族も含まれます。といってものすごく明確に分類できるわけではないのです。例えばヌグリスンビラン州に多い、スマトラからの移住であるミナンカバウ系は今ではとっくにマレー化してマレー人なのです。

人口構造の数とパーセント(人数の単位は千人)
民族別1990年2000年 2001年から10年間
の予想伸び率(%)

ブミプトラ(マレー人と非マレー人)10,58661.114,56466.12.5
華人4,75627.45,58425.31.5
インド人1,3323.81,6287.41.8
その他662
2561.2-1.1
マレーシア国民の総数17,33610022,0331002.2
外国人766
1,233
2.4
総人口18,102
23,266









年代別(民族は無視)





0才から14才6,81437.77,70533.11.1
15才から39才7,64542.29,77742.01.9
40才から64才3,13417.34,84720.94.0
65才以上5072.89364.03.4

14歳以下が人口の3割以上も占め、さらに対象を39歳以下に広げれば総人口の75%も占めるというのは、やはりマレーシアは若い国ですね。
重要な比率は、2000年の時点でマレー人は総人口の50数パーセントであり、非マレー系ブミプトラが10数パーセントだといいうことです。マレーシアの政治を一番握るマレー人は人口のようやく半数に過ぎないということですね。

出典は違いますが次ぎに統計庁発表の98年の数字を上げておきます(比率は四捨五入のため100%にならないのがある)。

半島部とボルネオ島部別の民族人口比

半島部のみ



マレー人その他のブミプトラ華人インド人その他人口計
1998年59%1%28%9%3%1676万人

サバ州



マレー人カダザン人その他のブミプトラ華人その他人口計
1998年9%24%39%14%13%172万人

サラワク州



マレー人イバン人その他のブミプトラ華人その他人口計
1998年22%29%20%27%1%198万人

サバ州とサラワク州にインド人はきわめて少ないのでその他に含まれます。両州でマレー人の比率が半島部より低いのはおわかりですね。さば州で特に低いのは注目してください。

経済パイの分配

さて次ぎは経済面からブミプトラ政策の一端を見てみましょう。
全株式企業中の発行済み株式において、ブミプトラがどれだけを所有しているかが、ブミプトラ政策の重要な指標とされています。
90年が19.3%でしたが、99年には19.1%で微減でした。これは、ブミプトラの株所有率3割を目指した新経済政策の中の重要目標を達成してないことになります。

注:新経済政策NEPは1971年から実施された、現在のマレーシア社会と経済の骨組みをなす長期国家マスタープランです。その後釜が2001年から始まる”第3次大要 2001年から2010年の展望プラン”です(略称OPP3)


華人の所有比率は90年の45.5%から99年は37.9%に落ちましたが、これは多分に外国人・企業の比率が上がったためでしょう。つまり90年の25.4%から99年の32.7%に伸びました。尚インド人の比率はごくわずかで99年でも1.5%にすぎません。2001年から施行するOPP3では、再度ブミプトラの株式所有比率の増加を掲げており、2010年までに3割を目指しています。

こうしたことで政府は公共企業体と公企業を民営化する政策をずっと進めてきて、2000年4月の時点で、180の企業を民営化しました。そのうち政府が43企業を管理しており、ブミプトラが支配する会社は109企業(数では61%を占める)ですが、その株式占有率は全民営化企業の発行株式総数の28%を占めます。非ブミプトラが支配する企業は28社で、その株式所有比率は16%です。民営化された企業だけに限れば、ブミプトラ3割支配は達成されていることになりますね。

これらの民営化された企業がクアラルンプール株式市場に上場されて、現在40社を数えています。こうした方策をとることで、企業株式全体におけるブミプトラ支配企業又はブミプトラ株式所有数の比率をあげていくことに政府は力を注いでいるわけです。

ブミプトラの商業分野で比率を増やすつまり起業を援助する方策はいくつかありますが、例えばマラ公団、UDA持ち株会社、州経済開発公社などが商業ビルを建設し又は購入して、それを極小資本のブミプトラに好条件で斡旋するのです。例えば各地のMARAビル内で商売している個人・店・会社がマレー系ばかりなのはこうした理由からです。


高等教育面でのブミ優遇策

国の発展過程で高等教育を受ける青年の比率を増すことは、どの国でも優先して行ないますよね。そこでその面からブミプトラ政策の一端を見てみます。

下の表は全国の高等教育機関456校が届け出た1999年12月の時点の登録学生数を示す数字です。
高等教育におけるブミプトラと非ブミプトラの比率
レベルブミプトラ人数非ブミプトラ人数人数計%合計
Degree6,34520.524,59579.530,940100
Diploma44,79540.565,93359.5110,728100
合計51,14036.190,52863.9141,668100

明らかにブミプトラ学生の比率が低いですね、人口比からいったら逆になるべきぐらいですから。理科系と文科系で分けると、ブミプトラは理科系で32%、文科系で55%を占めます。政府はブミプトラに理科系コースにもっと進学するようにと、希望を表明していますよ。

国家高等教育基金はこれまで公立高等教育機関に進学するブミプトラ(多分ブミ専用のはず)に貸し付け金を供給してきましたが、今後はそれを民間高等教育機関に進学するブミプトラにも供給を増やしていく意向です。

参考:高等教育機関でブミプトラに一定の割合で入学枠を与える政策のため、1990年までに次ぎの現象にあいなったと Dr. Kua of Suara Rakyat Malaysia(人権グループ)が数字を挙げています。
ブミプトラが享受している数字: ポリテクニックの certificate コースに与えられる 貸与金の90%、 Diploma of Education コースに与えられる奨学金の 90%、 国内のdegree コースに与えられる奨学金と貸与金の90%、国外留学生に与えられる奨学金と貸与金のほとんどすべて


専門職分野でのブミプトラも増加した

専門職分野においてブミプトラと非ブミプトラがどれほどの割合を占めるかというのも重要な指標です。下にたいへん興味深い数字を示しておきます。
専門職における民族比

1990年 数字はパーセント
1999年 数字はパーセント
専門職名ブミプトラ華人インド人その他ブミプトラ華人インド人その他
会計士11.281.26.21.410015.977.05.81.3100
建築士23.674.41.20.810028.969.31.50.3100
医師27.834.734.43.110036.730.928.44.0100
歯科医24.350.723.71.310034.842.121.02.1100
エンジニア13.176.46.73.810026.567.16.40100
弁護士22.350.026.51.210031.341.026.80.9100
その他2種省略省略省略省略
省略省略省略省略
合計20.759.317.52.510028.953.915.51.7100

専門職分野でブミプトラの比率がゆっくり上昇しているのは、ブミプトラにある種の優先権を与えてきた結果ですから当然ですが、政府の狙ったほど伸びてないという見方もできます。会計士と建築士とエンジニアで圧倒的に華人の比率が高いのはどうしてなんでしょうね?

ところで、よく知られていることに医者と弁護士にインド人が多いというのがあります。この表はそれを見事に裏付けています。人口の8%にも満たないインド人がこの両職業で、ブミプトラに匹敵する割合を占めているのは今更ながら驚くべきことですね。余談ですが、インド人社会の上下層の乖離は3大民族中、一番高いようです。産業構造の変化でプランテーション農園から都市部に多量に流れこんできた下層労働者としてのインド人コミュニティーは、教育、職業の両面で困難を強いられています。

この表には現れていませんが、企業での運営・経営部門に従事するブミプトラは増えて全体の37%を占めるそうです。しかしそれでもまだブミプトラは生産と農業部門従事が多いようです。

ミプトラ政策の具体的成果として、高等教育を受けるブミ学生が増え、彼らが年々卒業していって上記の専門職でのブミプトラ比率も上がったわけです。しかしそれでもブミプトラ学生の、特にマレー学生の学業成績は華人学生に劣る、というのが定説です。例えばこんなニュースがたまに新聞載りますので、当サイトの「新聞の記事から」の2月1日に掲載した記事を下に再録しておきましょう。

マレー人学生が非マレー人学生に劣る理由

UKM大学で昨年卒業した成績優秀上位者グループ46人中、マレー人は6人だけでした。マラヤ大学でも似たりよったり、成績優位グループにマレー人はわずかです。。ただしイスラム研究とマレー研究は別ですが。マラヤ大学のコンピュータ科学化の成績優秀者23人全員は、非マレー人でした。同じく会計科で20人中にマレー人がおらず、経済科の16人にもマレー人がいませんでした。さらにこの優秀成績卒業生の数は、電子機会学科の22人にも、機械工学科の14人にも化学科の11人にもマレー人がいなかったのです。

これは新しい現象ではありません。全国の国立大学の卒業アルバムは過去15年ほど同じ傾向を示しています。最近マハティール首相が述べたのに、どうして国内の大学でマレー学生は取り残されているのか、教育システムも媒介言語もすべてマレー学生と非マレー学生とは同じであるのに、というのがあります。それを説明するのにこんなのがあります。それはマハティール首相の言葉、「もし成績だけで大学入学を決めたら、マレー人は2割にしかならない、しかしブミプトラ割り当て制で6割に籍が与えられるのです」と。

一方マレー学生の地元大学での不成績に関して、国の目的である教育機会の面から考えるべきで、それを見失っては行けないと、反論する見方もあります。独立後マレー人にもマスの教育機会が与えられた、いまや多くのマレー人の職業専門家、建築家、医者などを擁しています。これには30年もかかったのです。」と。

UKM大学のマレー人副学長はマレー学生が非マレー学生に成績面で劣る理由を説明して、「マレー学生はウオームアップに時間がかかる、大学に慣れるのに時間がかかるのです。」と。さらに、「マレー学生は自分の好む学部に入れないと、興味を失いやすいのです。」 
以上

マハティール首相のマレー学生への苦言

マハティール首相はこの件つまりマレー学生が他民族に比して学業成績が劣ることをしばしば問題視して、公に苦言を呈しています。例えば4月20日の新聞に載った発言です。

「マレー学生の成績はよくない。これを明らかにするのはある方面の感情を害するであろう。華人とマレー人に間におけるこの異なった文化が、(71年以来の)新経済政策の達成を妨げている。」 「簡単に金持ちになりたいがために、マレー人は株式、許可証、認可、森林伐採権、こういったことをすぐ他人に売り渡してしまう。 それを得た者たちはその取得の際の費用にも関わらず、利益を出して成功していく。」 「マレーシアにおいて華人とマレー人の文化違いは明らかだ。華人文化は知識を重要な位置に置くが、マレー文化はそれほど重きに置かない。」 「マレー人は機会をより多く与えられているにも関わらず、マレー人家庭は華人家庭ほど永続的に知識を追求していかない。華人家庭は子供たちの教育のためにその稼ぎの多くを犠牲にしているのだ。」 「マレー家庭にももちろんそれはあるがその数が少ないのです。」 
「イスラム教は生活の価値観に多くを指導してくれているが、ムスリムの多数はこの価値観を実行してないように思える。」 
以上

その著書”マレージレンマ”以来の一貫したマハティール首相流の見方ですが、筆者には相当なる事実であると思えます。

ブミプトラ政策は終らない

ブミプトラ政策の主対象又は目的の骨子は、あくまでマレー人主体であるのは間違いないでしょう。特に半島部でそれは顕著ですね。でそのマレー人の受ける高等教育が、経済状況が、専門職業構成がこのブミプトラ政策のおかげで比率上昇又は増加したことは、上に掲げたいくつかの表でおわかりですね。しかしそれでも当初の目標に達していない、だから2001年から実施される”第3次大要 2001年から2010年の展望プラン”OPP3でもブミプトラ政策は続行されます。

ブミプトラ政策の”罪”の面をたたくことは容易です。例えばマハティール首相の発言にあるように、簡単に金を、成果を求めるマレー人意識を助長したともいえるでしょう。国家公務員、自治体職員、警察、軍隊にマレー人が圧倒的多数(恐らく9割前後でしょう)であるのも、いわばブミプトラ政策の間接的罪の面かもしれません。基幹部門が圧倒的に1民族に集中するのは多民族国家としていかにも異常な姿ですからね。

功の面を軽視してはいけない

しかしブミプトラ政策の”功”の面を決して軽視してはいけません。
ブミプトラ政策がなければマレー人の経済、教育、ビジネスの進展機会は現在ほど向上してないのは容易に想像できます。教育、ビジネスはすべて金がかかります、資金が必要です。従ってその元手がなければ又は足らなければ結果も劣るからです。経済面で、高等教育享受面で多数派マレー人にとって負のアンバランスの状態をそのままにしておいては、国の安定は当然生まれてきません。負のアンバランスを是正する強権が必要でした。それがブミプトラ政策なのです。

再度強調する

ただブミプトラ政策は現実として且つマレー人の深層意識として、”単なるブミプトラにとって負のアンバランスを是正するための政策”だけではないのです、マレーシアの主たる且つ最大の構成民族としてのマレー人が当然持つべき権利でもある、と捉えられているのです。だからこそ、野党のマレー政党PAS党であれKeadilan党であれ与党UMNOの反主流派であれ、ブミプトラ政策の放棄は反対なのです。そして街の一般大衆マレー人の素朴な意見からも、ブミプトラ優遇策はいつまでも続くべき政策なのです。

お断り:ブミプトラ政策を論じることは相当なる準備と知識と検証が必要なので、当コラムはブミプトラ政策を包括して論じるまでには至っていません。ですからあくまでも一端です。今後また機会を見つけて別の一端を書いてみたいと思っています。



マレーシアを知識経済を基盤にした社会に変化させたい


この数年マレーシア政府がしきりに強調しているのが、マレーシア社会・経済を知識を基底にした経済に変えていこう、というものです。通常これを、Knowledgeの頭文字をとって K-Economy化と呼んでいます。マレーシアのK-Economy化のために、通信インフラ整備だけでなくいくつかの政策を推進しています。一般人にわかりやすい政策として、各家庭に1台のパソコン保有を目指すため(非雇用者と雇用者双方に義務付けられている老後用積みたて年金である)EPFからパソコン購入用の資金を引き出してパソコン購入を奨励する、非都市部を中心に全国に数百箇所の官営のインターネットセンターを設ける(Rural Internet Center プログラム)、高等教育で理科系学生を増やす、海外で働く高等技術をもったマレーシア人に帰国をうながすためにいくつかの優遇策を発表、などがおもなところです。

マルチメディアスーパー回廊プロジェクト

K-Economy化を強調するようになるよりも数年前のことです、政府はマルチメディアスーパー回廊MSCプロジェクトを発表しました。開始以来すでに数十億リンギットを投資し、すでにというかまだというか何割かは完成していますね、このMSCプロジェクトはいわば K-Economy化の先駆けであり且つ企業面での具体化ですね。

参考:マルチメディアスーパー回廊MSCプロジェクトにはその骨格をなす7つの主力適用プログラムがあります。7つが同時に同じ発展速度で開発なり適用されているわけではありません。はっきりいってよくわからない、つまり具体的に目に見える成果として見えて来ていないのもいくつかあり、筆者も解説に苦渋するぐらいです。とりあえず書いてみると、


マルチメディアスーパー回廊プロジェクトは期待通りに進んでいるか

しかしこのMSCプロジェクトは立案・推進者のマハティール首相自身が最近いみじくも語ったように、当初狙ったほどの成果をまだあげていません。それを示す記事を再録してみましょう。

3月30日の新聞記事から
マルチメディアスーパー回廊MSCプロジェクトは国の経済成長に期待されたほど寄与してない、しかしMSCはすでに投資者から興味をひきつけてプロジェクトを進めている状態だと、マハティール首相が述べました。しかし「MSCに投資する企業の約束はすでに当初の計画を超えている。

4月7日の記事から
「マルチメディアスーパー回廊MSCプロジェクトに関して、それを推し進めるマルチメディア発展公社がコンサルタント会社Mckinsey Co,に内部調査を依頼したその調査内容が(どういうわけか漏れて)Asian Wall Street Journalに載りました。MSCの内情に通じるものにとって、そこで指摘された内容は驚くものではありません。調査で指摘されたのは、知識を十分に持った労働者が少ない、マルティメデア大学が十分に人材を引きつけていない、MDCのスタッフがMSCに応募する企業を十分審査できない、Telekomが世界クラスの通信インフラを建設していない、などです。

このMSCプロジェクトは公的資金をすでにRM140億も投資しており、そこに投資する内外の企業の投資額はRM200億を見こんでいます。もっとも面する問題はR&D活動に必要なマンパワーの不足です。さらに重要な問題はMDC自身が元公務員のスタッフを多く抱えすぎており、彼等はこの早いペースで進むプロジェクトに対応できないことです。
以上

マレーシアのK―Economy化において、MSCプロジェクトは経済上且つ国の面目上は大きな意味合いを持ちますが、現実的に言えば、情報技術分野に関わる人を除いて一般人にはほとんど直接的恩恵はこれまでないように見えるので(近い将来でてくるはず)、そのためMSCなんて関係ないと思うのは決して間違いとはいえないでしょう。それはMSCプロジェクトの主対象地域がKLCCから連邦領であるPutrajayaとCyberJayaに及ぶ比較的狭い地域に限られていることと、対象企業が高度の情報技術企業に限定されているからです。

2001年から始まる5年計画の第8次マレーシアプランでは情報コミュニケーション技術分野に投資予定のRM520億資金の3分の1ほどもこのMSCプロジェクトに投資します。この第8次マレーシアプラン中には、パイロットプロジェクトは別にしてMSCの主力適用プログラムの幾つかが一般人の目に見えるものとして現れてくるそうです。

注:当コラムを初めた数年前にMSCプロジェクトのことを扱ったのですが、それ以後相当進捗が又は変化があり、これに関してはまたいつか別の機会にのべたいところです。


インフラストラクチャーの整備に努める政府

K-Economy化を具体的に進めるためにはソフトとハードの両インフラストラクチャーの整備が必要ですよね。ソフト面は情報技術化社会に対応できる法律面での整備です、これはすでに1997年のCyber法以来少しづつ立法されてます、ただ最近すでに現状にあわなくなった面があるので、改正する予定だと発表されていますが。

ハード面のインフラストラクチャーは一般人にもっと身近であるK―Economy化でしょう、それは何かといえば、パソコンの保有でありインターネットの使用、携帯電話網を利用したサービス、スマート(多目的)カードなどのICカードを国民の日常生活に導入する、ことでしょう。そこでこの目に見えるK―Economy化の数字を見てみましょう。

2000年全国インターネット登録ユーザー統計

総人口に
対する比率
総ユーザーに
対する比率
ペルリス州0.890.5
クランタン州5.810.8
トレンガヌ州3.961.1
パハン州5.551.7
サバ州5.842.6
ヌグリスンビラン州3.742.6
ケダー州7.083.1
マラッカ州0.893.2
ペラ州9.145.3
サラワク州9.067.2
ペナン州5.5210.5
ジョーホール州11.5611.1
クアラルンプール5.8423.9
スランゴール州17.7826.3
合計100%100%

注:総人口2200万人強で、インターネットユーザー登録人口は約150万人の状況です。以上エネルギー・コミュニケーション・マルチメディア省の調べから。

この表から7割のユーザーが、クアラルンプールとスランゴール州とペナン州とジョーホール州に集中していることがわかりますね。また外部調査から推定できることは、非都市部の8割と都市部の6割の家庭は、基本的なインターネット可能パソコンを買うの難しい状況にあるでそうです。

右の各項目はすべて100人当りの数字電話架設数インターネットユーザーパソコン保有数携帯電話保有数
2000年時のマレーシア1278
2005年における政府の目標値17.5253030(?)

エネルギー・コミュニケーション・マルチメディア省の長官であるHalim博士は、このハード面のインフラストラクチャーがK-Economy化の一番のとげである、と4月17日の新聞記事の中で語っています。「ハード面のインフラストラクチャーは都市部偏重であり、非都市部でこれを広げるのが難しい。手ごろな価格で入手できるかが重要な要因です。例えばISDNのリースはまだ年にRM32,000もかかるのです。」

注:128bps 速度のISDNの1年リース(つなぎっぱなし)は、電話代別でRM32,000はいかにも高い。一般大衆の家庭ではほぼ不可能。しかし接続時間で課金されるISDNサービスは申し込み時にRM50でその後電話代別で1分間3セントです。それでもダイアルアップ接続の2倍なので、企業へはまだしも一般ユーザーにはまだまだ普及率はぐっと低い


確かに非都市部特に僻地ではこのハード面のインフラストラクチャー整備は極めて難しいでしょうね。2005年までに全国の8000校に及ぶ中高等学校でインターネット接続ができるようにするという目標も、電気と電話線がまともに架設されてない地域があることを考えれば極めて難しい目標でもありますね。

注:全国で500から600校の学校にはまだ電気が恒常的に給電されていない

東南アジアでまだまだ一般的な、都市と田舎の差の大きさですね。IT技術面でのインフラストラクチャーの差ををデジタル境界・分解というそうです。

DSLサービスはようやく萌芽期

インターネット普及には一般電話線によるダイアルアップ接続に加えてISDN接続の普及も大事かもしれませんが、飛躍的通信速度向上にはならないISDNはもはや遅れた技術ですよね、日本はすでに一般家庭向けにDSL接続の時代が到来しつつあるそうですが、マレーシアでのDSLサービスはまだ萌芽期です。
特別サービスとしてマルチメディアスーパー回廊内にはいるCyberjayaと PutrajayaではDSLサービスがすでに始まっているそうですが、これは特別地域でのパイロットプロジェクトと言っていいでしょう。

そこで、Telekom Malaysiaが親会社でマレーシア第一のプロバイダーである TMNetがようやくDSLサービスを開始する予定と4月中頃発表がありました。サービスが可能な地域は首都圏のごくごく限られた地域であり対象は企業だけです。料金は低レベルのADSL接続で月RM1000程度、高レベルのSDSL接続で月RM2200程度だそうですが、もちろんこれに付帯するさまざまな費用と且つ通信費がかかりますから、零細企業や情報通信関係でない企業にほとんど利用は見込めないでしょう。尚今年中に数万の契約を期待していると、ニュースは伝えています。
個人ユーザー向けにも近い将来DSLサービス開始するとTMnetは示唆しているそうですが、期日は全く未定ですね。いずれにしろ一般住宅地域に住む普通の個人ユーザーがその住居地でDSLに申し込みできるようになるまでには、架設と料金値下げの両面からまだ年月がかることは間違いありませんね。

インターネット普及の飛躍的上昇は来るか

DSLとかISDNはとりあえず置いておいて、普通のダイアルアップ接続でのインターネットに限りますが、淡路島程度の大きさで都市部だけから構成されるシンガポールと違って、国土の広さと国内格差の大きさからマレーシアで各家庭でのインターネット普及率が、30から40%に達するのはまだまだ先の話しですね。

この普及率の遅れの理由の大きな一つに言語の問題が立ちふさがっています(もちろんそれが全部ではない)。筆者は以前のコラムで、英語社会でないマレーシアでインターネットが飛躍的に普及する条件にマレーシア語、華語でのハードウエア−とソフトウエアーの普及を訴えましたが、現実としてそれは不可能でしょう。なぜなら政府与党、指導的立場にある層、教育界、IT(情報技術)産業界、ビジネス界、英語マスコミなどが率先してインターネットに親しむためにはまず英語に通じなさいと言ってるぐらいであり、要するにマレーシアで得られる情報は、マレーシア語なり華語に訳す努力する又は独自に開発して出版するよりも、先進国からの英語出版をそのまま利用した方が手っ取り早いということです。

基本的に非英語コミュニティーであるマレーカンポンの民が、マレーシアで作られる全サイトの1割にも満たないといわれるほど数少ないマレーシア語のサイトで気楽にマレーインターネットをサーフすることができるであろうか。政府関係とイスラム関係とマレー芸能情報の3つはそれなりにマレーシア語で得られるが、それ以外は極めて貧弱なマレーシア語サイトですからね。尚インド人コミュニティーに至っては、タミール語のサイトを作る人は数えるほどでしょう。

さらに華語及び又は広東語、福建語などは話せても華語で日常は読み書きしない、できない人の多いマレーシアの華人社会では、華語サイトを発表しても読者が限られてしまいます。華語のキーボードをたたけない、いや一部の都市を除けば華語のキーボードを入手するのさえ難しい状況では、子供のいる家庭のお母さん、お父さんが、隣のおばさん、おじさんがインターネットを楽しむことはとてもできません。華語の得意な者たちは不充分なマレーシア華語サイトより台湾、香港、シンガポールのサイトに引かれることになる。

筆者がいつも憤慨する中途半端な英語社会であるマレーシア社会の悲劇ですね。タイ語で全てが事足りるタイなら中等教育さえちゃんと終えていれば、タイ語のキーボードをたたいてタイ語のサイトを楽しむことができる。しかし、日常生活での非標準英語はできても英語ウインドーのHelpファイルは難しすぎるマレーコミュニティーは、話せても華語は読めない書けない者が少なくない華人コミュニティーは、英語に極度に偏重したマレーシアの情報技術社会に参加する、仲間入りするためには、英語のハードルをまず克服しなければなりません。インターネットが国民の隅々まで普及するためには自分の一番親しめる言語で気楽に親しむのが一番いいのですが、それはマレーシアではかなわないことなのです。

見慣れたマレーシアの一面である

マレーシアのK-Economy化に必要なのはハードとソフトのインフラストラクチャーの建設・向上と人的資源の増加です。ニュースにたびたび登場するのが、政府はIT(情報技術)インフラストラクチャーの整備のために何々のプロジェクトを投資額いくらで開始する、といった種のものです。このため政府はあれこれと計画して努力しているなとは感じます。

一方マレーシアの常であまりにも官主導、特に政府の一部からの指令で始まることが、民間からの自主的な開発力をうながすことにはつながらないのではないだろうか、国民の自由な選択を促進できないような環境にしているのではないだろうか、といった疑問を筆者に与えるのです。国の上からの国民的論議を経ずに決めた K-Economy化設定とその進め方では、しゃにむに先進国入りを目指すマレーシアの姿をここにも見ることができるのです。



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